支配的な親からの理不尽な愚痴をずっと聞かされ続けている依存型ジャイアンのケースの言葉。
「親も精神的に持たないから」「死ぬといっているから」。
こう考えて本人は理不尽と感じつつも親の現実的、心理的なフォロー、尻拭いをずっと続けてきた。
私は本人に聞いた。「何故子供であるあなたがフォローする必要がある?」「親本人はその
問題から逃げていいのだろうか?」
本人は再度「でも親は本当に責任を突き付ければ死ぬかもしれない」と言いつつも、
自分の発想の問題点に気付いた。
私はその本人を見て、依存型ジャイアンの発想のひとつの特徴に気付いた。
「逃げて良い」のだ。依存型ジャイアンの世界では辛ければ、死ぬといえば、どんな責任からも逃げて良いのだ。いつもながら依存型ジャイアンの世界には驚かされる。
その理由は、結局「その場だけ」という一瞬に生きる依存型ジャイアンの認知と行動を考えれば容易に推察できる。「自分が逃げたいから親のフォローを続けざるを得ない」というのが本人の根本問題であった。
依存型ジャイアンが依存型ジャイアンを作るプロセス、ダメ息子の尻拭いをし続ける過保護親や、ダメ夫と知りつつも(共)依存し続けるAC妻など、ドライな周囲から見ると「何で甘やかすの?」と首をひねる行動の根本原理は上記のような説明が可能ではないだろうか?
「自分が自己責任に直面できないから人も甘やかす」という依存の世界の流儀なのだ。
「自分が死んだらあなたと同じお墓には入らない。どこかの霊園で無縁仏になる!これは遺言書で残そうと思う。」と義母は依存型ジャイアンの義父に宣言しました。息子(私の主人)も「ボクもお袋の意志を尊重する」と義父に言いました。それらの言葉に義父は絶句して、しばらく固まっていました。
義母は依存型ジャイアンではありませんが、義父と共依存し続けてきたAC妻でした。でも最近の義母は変わりました。明らかに自分の意志をはっきりと持って主張しています。
まさにその通りです。
頼ってくる親に自分で責任とれ!なんて冷酷非道なこと言えないと信じきっていました。
というのも、私に、自分で責任を取るという発想がなかったからです。
苦しい、辛い、困っている時は、誰かが助けてくれて当たり前、してくれないなんてなんて非人間的なんだ!!と感じていましたね。今思い返すと。
でもその時は意識にはあがってきてなくて、何となくそれが当たり前と感じてただけでした。感じだけなので、改善されるはずもなくそのまま。
親がいなくなって困り果てて、やっと自分で責任取るしかないことが分かったのです。
でもまだ分かった所までです。
先は長い・・・・。
>ドライな周囲
母がジャイアンでベタベタと執着されて、それが普通だと感じていたので、これは昔からよく感じていました。
でも最近になって色々勉強し愛情とは何か頭で理解した今
よくわかります。
本当に成熟した人は、変えられるのはその人自身
何かを感じ・学び・考えるのも、その人自身にしかできない
だからこそ、周囲は見守ることしかできない。それは
ドライに見えるかもしれないけれど、それこそが愛情
なんだと。目に言えないものですよね。
結局は過保護・過干渉・支配 すべて自分の心の何かを埋めるために、つまり自分のためにしてる行動です。
母(依存型ジャイアン・同居中)に「自分のこと」を説明する、という事から逃げているかもしれません。
「自分のこと」とは、現在のうつ症状・AC的な性格・育成環境(特に両親の人格障害)の因果関係についての自分なりの理解のことです。
事実、メンタルクリニックでの診察内容は全然話してません。
理由は、母は理解しないだろうから。
理解しないどころか、否認や責任転嫁をするだろう。
「変な事を吹き込みやがって」とメンタルクリニックへ怒鳴り込むことも十分ありえる。
自分が余計に傷つくのも怖い。
しかし最近、感情の表出が少しできるようになったら、
ジャイアン的な攻撃を母に向けるようになってしまった。
嫌な事を嫌だと口にすると、怒りのエネルギーがどんどん湧いて、責め続けてしまう。
その挙句、「出て行け」と口走っている。
母に「あんたが鬱になったのはアタシのせいか?」と聞かれても
「そうだ」と答えるのがやっと。
母にとっては、訳が分からないまま責められいる状態だろう。
こどもの頃、風邪を引くと、母は怒って私を責めて蹴飛ばした。
そのため、数ヶ月前まで私は「家で静養できるだけで有り難い」と本気で思っていた。
だから母(父もだが)が原因と言えたのは進歩だが・・・
ゴールにはほど遠い。
傷つくことを恐れずに、自分のことを話すと何か打破できるのか?
犠牲の方が大きいだろうか?
別居すればいいのか?
夫は「これ以上、オマエの母と同居するとオマエが壊れる」と。
自分はどうしたいのだろう・・・話すのも別居も怖いんです。
母がキレたときの記憶がよみがえります。
と、言いつつ、自分を抑制すると体調崩すのも分かっているんです。
うぅぅー・・・どうしようもないですね、私。
でも、変わりたい。
上のコメントの後・・・
母は親戚や兄弟に言いふらしていました。
「虐待したと嘘話を作られていじめられている」と。
そして「お兄ちゃん(私の兄)は、そんなことしてないと言ってくれた」とも。
まるでこの世のすべてから否定されたようで、
パニックになり、自分ののどに包丁を突き立てました。
夫が止めてくれましたが、振り返ると、ひどい依存的行動で
自分で嫌気が差します。
私は、家族や親戚にこう言って欲しくて仕方なかったんです。
「ひどい目にあわせてごめんね。」
「あの時、見てみぬ振りをして助けなくてごめんね。」
でも、こんなことを求め続けるのは、
逃げ水を追いかけるようなものだろう。
きっと、途方もないエネルギーと時間を費やして手に入れたと思っても、
次の瞬間には偽物に見えるだろう。
つづけます。
もう、母に苦しんだ日々を、無かったことにはしません。
でも考えないようにします。
そのかわりの脳みその容量とエネルギーを、自分と夫のこれからに使いたい。
自己防衛によって思い出さなくなるなら、それもいい。
母を許しはしません。
でも、責めることをやめます。
私への虐待は、私へ向かってではなく、母自身の人生への不満・不安の爆発だったのだ、と。
母は2歳児レベルの衝動を全く抑えられない依存型ジャイアンです。
中卒で就労経験もないまま見合い結婚し、金銭感覚は滅茶苦茶です。
これは推測ですが・・・
4人兄弟のなかで母以外は皆、高校以上の学歴で、起業したり就職している。
おそらく、母がもっとも強く依存型ジャイアンの素質を受け継ぎ、
周囲とのトラブルがひどかったため、祖母は母を進学も就労もさせずに「家事手伝い」として手元で管理していた。
母が起こしたトラブルの尻拭いもしてあげた。
そのため、母は「一人では生きていけない。お金も食べ物も住まいも人からもらって当然。」となった。
これまでは母のことを、恐ろしい「おんぶお化け」だと思っていましたが、
今は「非力なモルモット」に見えます。
残念ながら、私の「生物学的親」でもありますが。