発達障害と二次障害
例えば結果として引きこもりになった人がいる場合、
ASの場合でも、
「もともと孤立型で引きこもる」という場合と、
「積極奇異型であり本当は人の中に出て行きたいのだが、過去に痛い目にあったために出て行けなくなっている」
という場合が考えられる。
発達障害の二次障害には強迫症状
(過剰な手洗いや異常に長時間の入浴、鍵、ガスなどの過度の確認など、)や
聴覚過敏の悪化、視線恐怖などのASらしい症状の他に、
頭痛や腹部症状などの身体症状、二次的なうつ病、躁うつ病、境界性人格障害様の状態、摂食障害やアルコール・薬物依存なども
時折見られるなどがあり、これだけでも十分に不適応や引きこもりの原因になりうる。
学童期以前の情報が必要となるのは上記の理由で、
出来るだけ発達障害のもともとの症状を
二次障害の影響を考えないでそのままつかみたいからだ。
早い人は小学校1年ですでに二次障害の影響を受けており、
さかのぼって本人の本来のキャラクターを知るには「5歳」にまで遡らねばならないことがある。
だからここまでの自己診断のいろいろな特徴を考えるときは、
「もともと子供の頃からの自分は?」と考えて、
環境の影響を受けた以降の二次障害を被った可能性がある特徴は
あまり重視しないようにする必要がある。
「愛着または執着」と「理解」
私は偏屈者宣言を出した後は「普通になる」ことは断念した。
しかし実は「人がどうでも良くなった」わけではない。
実はADHDのACを卒業した今でも「人に理解されたい」強い衝動は残っている。
これとASにみられる人への「愛着または執着」の違いを考えてみた。
ADHDのACが求めるのは、「話を聞いてもらうこと」である。
相手が自分を好きかどうか、相手が自分を必要としているかどうかではない。
求めているのは「理解されること」であり、よくよく見ると実は人による「評価」でさえない。
対してASの「愛着または執着」には、
「この相手で無ければならない」というかけがえの無さがあり、
また自分本位ではあるが「相手は自分にとって必要」であり、
「相手も自分を同じように愛着または執着することを求める」という特徴がある。
そういう意味では「愛情」に形式が似ている。
ADHDのACか受動型ASかを考えるとき、ポイントは
「人への愛着または執着」があるかどうかだ。
ADHDのACも人を求めるところはあるが、それは
「理解」「話を聞いてもらうこと」であり、
自分本位であるが愛情に似ているASの「愛着」とははっきり区別できる。