管理型共依存について考えていると、当然私自身のジャイアン性の問題に行き当たる。
私はプロの治療者である以前にジャイアンであり、かなり意識して努力しないと管理型共依存に陥ることに気付いた。
「主治医」とは相談者本人の人生に一定の責任を負っており、ジャイアン的には「治療目的に照らして結果を良くする」ことを主治医である自分自身に要求する。
だから、「相談者本人が明らかに不合理で不効率な失敗を繰り返し続けることを黙って見ている」ということは主治医であるジャイアンの方が非常に辛い。
そこでつい「直面化」と称してジャイアン的に合理的と見える答えを本人にダイレクトに突きつけたり、かなり強引な環境調整を行って本人を現実的に追い込んだりしたくなってしまう。
特に相手がジャイアンの場合、特有の生き辛さ等の気持ちが分かるぶん「早く助けたい」というお節介心が出てきて、自分自身の中の「仕切りたい傾向」を抑えることにはかなりの努力が必要になる。
もうひとつ、「ジャイアンの本当の回復には、自己突っ込みを軽くするために、現実に成功した体験から自己評価を改善することがどうしても必要だ」ということも分かっているので、そこへ向かう(現実の成功)ことをどうしても急いでしまう。
だから「相談者本人が不合理で不効率な失敗を繰り返し続ける」状況になると、介入しないで黙って見ているのは「これでは主治医として無責任なのではないか?」と悩むことになる。
あるケースに対しては、私は率直に「我慢できないで仕切りに行った」治療者としての私自身の間違いを認め、最近本人に謝った。その結果、ジャイアン本人から「また対決しましょう」という答えを聞いて、私自身が非常にほっとした。「本当に良くなっている」証拠なのだ。
ジャイアンの依存性の治療においては、最終的には「主治医が仕切りに行っても決して信用せずはね返す」くらいのジャイアン性が本人の中に復活することが治療の大きな目標になる。だから「本人が主治医である私に仕切られなくて本当に良かった」というパラドックスが生じる。
ここまで読み切れば、「主治医の立場で仕切りに行くことは根本的な治療目標から言えば治療上のマイナスが大きい」と合理的に考えることは可能だろう。
そう言えばこれまでうまく行った治療は、最後は「対決」的に私を突き飛ばして自立して行ったケースがいくつもあった。
「あらゆる依存を脱して本当の自立を促す」「眠っているジャイアンの自発性を蘇らせる」根本的な治療には、アルコール依存を専門とする先生のような気長さが結局必要となってくるのだろう。
「どれだけ時間がかかっても、本人が最終的な自立をつかみ取るまで経過を見届け、紆余曲折に付き合い続ける」腹を決めることが治療者としての「責任」であると考えてやって行こうと思う。
「治療者になって12年、今頃こんな大事なことに気付いてどうする!」「これまでプロとしてやってきた自分の治療への責任をどうする?」という自己突っ込みを抱えながら。
>ジャイアン本人から「また対決しましょう」という答えを聞いて、私自身が非常にほっとした。「本当に良くなっている」証拠なのだ。<
大変よくわかります。
”気付いて、修正を加え進む”その繰り返しを続けて、治療者として成長していくのだろうと想像します。
誠実にADHDの治療に向き合っていることが文面から読み取れます。
私の主治医より名医と思います。
患者としての私の個人的なスタンスとしては、主治医の専門知識やノウハウ、社会的な窮地に落ちた時には医師としての立場を「利用」していると思います。依存傾向が軽くなり、この傾向が強くなったと思います。合理的な思考が止まりそうになった時、主治医の視点を利用しています。
ジャイアンですから、ガッチリ、利用させて頂いております。ありがとうございます。
>「直面化」と称してジャイアン的に合理的と見える答えを本人にダイレクトに突きつけたり、かなり強引な環境調整を行って本人を現実的に追い込んだりしたくなってしまう。
私のお気に入りの耳鼻科のDr.はこのような方です。
「俺の言うことを聞いとれば、絶対治る」と豪語し、
ほんの少しでも反抗的だと取れる言動をしたものなら、もう二度と診てもらえなくなります。
そういう診察を続けた、開院当時かなり勢いのあったその病院は、20年近くたって、閑古鳥が鳴いています。
しかし、私はなぜかその自己責任的な勢いに惚れて、未だに(自己突っ込みをやめ、丸投げをした後やってくる)身体症状がでてくると、その先生に会いに行ってしまいます。
>これまでうまく行った治療は、最後は「対決」的に私を突き飛ばして自立して行ったケースがいくつもあった。
・・・ということは、未だに気付くとその耳鼻科に通っている私は、自立していけていない、ということですね?!
アップされてから時間を置いて読みなおし、私なりに理解しようと試みてきましたが、まだ、頭に入った気がしません。まだアップされて二日目だから慌てる方が早いのですが。
失敗は私もよくやる形です。
私も毎年似たような反省を繰り返しています。
>「相談者本人が・・・黙って見ている」ということは主治医であるジャイアンの方が非常に辛い。
辛さが私なりに分かります。それに私の仕事のほうも基本的に“何かし続けなければならない。”現場ですし、私のような単純思考のままここにいると、何かし続けるように一度セットされたら解除できなくて、間違ってても気付かない干渉が往々にしてあります。
>「直面化」と称してジャイアン的に合理的と見える答えを本人にダイレクトに突きつけたり、かなり強引な環境調整を行って本人を現実的に追い込んだりしたくなってしまう。
よく分かります。自分の殻に入りやすい子、周りをちょっとずつ動かしながら干渉させない状況を作るのが上手な子等には、伸ばさなければならない力がある時に、干渉の機会を意識的に作らなくてはならないこともあります。
“子どもが人間社会の中ですることは、好きな人と好きなようにするだけでなく、干渉される負荷も経験しながら成長しなければならないのである。”みたいな固い思い込みが私にはあるので、構われたくない非言語的サインは思いっ切り目に入りません。
一番分からない部分が
>「また対決しましょう」という答えを聞いて・・・「本当に良くなっている」証拠
ここです。
間違いを指摘されて自己正当化するのが、またしたい対決? 充実した対決の時間?
当人も「この言い合いは間違っていない。」と認識しているのに、周囲にとっては反発されているヤンバル先生の姿がどう映っているのでしょう。
患者は主治医の顔を潰して「ああ充実した!自分は頑張った!」と思っているのでしょうか。
ごめんなさい。私には、そしてたぶん私の業界の支援者のベテランを除く多くが、ちょっと分かりづらい図式になっていると思います・・・。
前回の記事を自分にあてはめながら考えていました。
そのつもりは無いのに、結果としてはイネイブラー的役割を演じている。そのことについてずいぶん反省した時期がありました。依存的な人達にとって、私の世話好きな一面が悪く働くことはうすうす分かっていました。
友人夫婦が別れた時、一週間、妻の方を私の家に泊めたのですが、典型的な依存型ジャイアンの彼女は、自分で考えずに私の意見を丸呑みし、あまつさえ夫との喧嘩で、のりまきだってこう言っている!と正当化の道具に使っていたことも後で知り、驚きました。あれだけ夫への精神依存をやめ、自分の頭で判断するように言っていたのに。
最終的には、崇拝しているセラピストの言葉をいいように解釈して、私が二人の間に入ったのが全て悪い、というような責任転嫁をするようになりました。
自分の今までかけてきた労力を考えると非常に悲しかったのですが、縁を切りました。これでよかったと思います。
>周りをちょっとずつ動かしながら干渉させない状況を作るのが上手な子等には、伸ばさなければならない力がある時に、干渉の機会を意識的に作らなくてはならないこともあります。
非言語的操作をして周囲を巻き込むジャイアンには、わざわざ干渉の機会をつくってなんかあげずに、自分で困って自分が気付いて努力して乗り越えないと、表面上の取り繕いに終わると私は思います。
(ASの方に関してはわかりませんが。)
我が子も含め、そんなタイプはアピールが激しく、大騒ぎするから
とても骨が折れるんですけどね。
>主治医の立場で仕切りに行くことは根本的な治療目標から言えば治療上のマイナスが大きい」と合理的に考えることは可能だろう。
言われる事はわかります。特に依存真っ直中の者には危険ですね。
依存というか…ゼロの自分がわかっていないジャイアンにはきつい。
一歩進まなきゃと飛び出して、二歩下がるどころか、一度下に落ちるかも。
でも、現在の先生の治療は丁寧に話を聞いて分析し、認知を修正し、
具体的な方法を示して、それを選択させる流れだと受け取っています。
今回の方とは信頼関係もできていた分、生身の先生の部分が出たのでは
ないですか。やはり、それは治療者としてはいけないのですかね?
ライン引きが難しいですね。
私の主治医の先生もジャイアンかなぁと思っていましたが、元々合理的
な部分が多い。信念はある方ですが、思考が柔軟で気も変わりやすいです。
(先生が堅物みたい!すみません)
だから、信用しきってはないし、いい部分だけ「利用」させてもらってます。時に対決もありますです〜。
私の姉は、とても世話焼きでジャイアンじゃないかと思っています。かなり強引で、前提として自分に対する批判は受け付けません。
私はASっぽいところがあり、すぐ自分の殻に引きこもりがちです。姉にボロカスに言われながらも、それでも姉に頼って、依存的な状態でずっと育ってきました。
母がものすごくきついジャイアンで、あまりに私と相性が悪く関係が悪かったためによけいに姉を母のように頼っていたのだと思います。
もはや二人とも成人し、結婚し、それぞれに幸せといえる家庭を持つようになりました。
いまだに姉は、私のことが心配になるらしく、私が悩みなどをこぼすた日には強引なアドバイスを押し付け、(とある霊能力者の本を読めとか)私がそれに従わないと烈火のごとく怒ります。
押し付けられるのは非常に困り、その時は少し疎遠になったりもしますが、たとえそのアドバイスが的外れだったり、今の私には到底無理なことだったりしても、自分のことのように真剣に考えてくれて、私に良かれと思ってやってくれている、ということがひしひしと伝わってきます。
大人になった今、そのように親身になってくれる人は多数派には皆無であろうと思います。(姉妹だからというのもありますが)。だから、私の姉への信頼と尊敬が失われることはありません。
性質の違いから、共通の認識を持てない部分が多いことが分かっていても、その温かな優しさが希有な才能であることは間違いないし、何よりその気持ちに救われるからです。
ADHDの方の持つ優しさは、人間への信頼を取り戻させてくれる温かさがあると思います。たとえ、その時はうまく感謝できなくとも。
お疲れ様です、ドロシーさん。
分かりやすく書けなくてごめんなさいね。
>周りをちょっとずつ・・・干渉の機会を・・・。
“ジャイアンの支援”を指しているのではなく、色々な、本当に一言でくくれないほど色々なニーズを持った子を見ながら、見落としをしてしまうことから、ヤンバル先生の反省の心情に共感しますよ、というつもりで書きました。
ADHDの何型だの、スペクトルのどの辺だのまで詳しく確定して情報を流せる医師がまだまだ整備されていない場所なのです。どの子がジャイアンで、どの子が違うのかは分からないままかかわっています。残念ながら・・・。
だから誰かが指令を出すのではなく、職員が個人を観察して、今は何をするタイミングなのかを探りながらやるしか無い場所なのです。
頼りなくてごめんなさいね。
ぴよよさん、気を使わせてすみません。
お勤めの場が児童相談所などであるのか、教育機関などで
あるのかわかりませんが、ぴよよさんが仕事に対し、誠実で
一生懸命取り組まれているのはわかります。そちらこそ、お疲れ様です。
もちろんジャイアンの支援だけをさしていない事はわかります。
タイプ別に、痒いところに手が届く(直接何でもやってあげるという
意味ではありません)気を利かせた頭のいい支援ができる方って、
いるようでなかなかいませんし、その点はお世辞でなくAS系の方の方が
、損得なくかかわってくださっていると思います。
ただ、年齢にもよるかもしれませんが、そのような誠実な支援を
してくれる方を裏切るような事を、悪気なくしますね、ジャイアンは。
自分が動かずしてやってもらう、結局構ってもらえる、自分が中心に
なって関わってもらえるように、しむけるのです。
私の周りのASは皆、うちの子にすぐペースを握られてしまうので、
長い目でみると、とても気がかりです。
継続的に関わるお子さんなら、ペースに巻き込まれない様に…ですね。
プロの方に向かって余計な一言でした。
話が脱線してすみません。
SSRIを服用している知り合い(ジャイアンAC?)が、
依存していたカウンセラーをぶった切って
自立したかのように前向きになっています。
そこ1ヶ月以内での180度の転換なので、正直心配しています。
が、しんから悟ったような立派な事も言うので、惑わされます。
元々、しっかりした合理的な人と思っていましたが、薬物に依存したり
人への評価が激しく変わる所があるので、ジャイアン〜ボーダー傾向なの
ではと疑ってます。
見極めや対応が難しいです。