受動型ASが相手からのアクション無しに動けないことの意味を最近考えている。私の印象では、「最初に依存できることを確認してからしか動けない」ように見える。
依存できることを確認すると、途端に完璧に「依存させる」ことを相手に要求する。というよりも、最初から「依存させるのが当たり前なんだからお前から動け」ということになる。
「受動型」というのはむしろ結果としての行動の特徴で、その前に対人関係の依存があり、それ以外に出来ないというのが受動型ASの根本的なあり方かもしれない。
その「依存」は、AS的な「最初から結果の完全な保証を求めないではいられない不安」から出てくるのだろう。この不安は積極奇異型にもあるが、積極奇異型よりもはるかに支配的、(愛着の対象への)要求が高いという特徴が、逆説的だが受動型ASの一番根本的な部分であるように思える。
誕生前の胎児の段階の母と自分の関係をそのままその後のすべての場合に求め続けているかのようだ。
ここでも時々目にする明らかに「誇大的」に見えるような部分が受動型ASの本性であり、それを出せる、要求出来る相手かどうかを確認するまでは本性を出さず、確認すると豹変して極端に依存的で当たり前の様に自分を依存させることを要求する「あつかましい」態度に出る。
「あなたが最初にこうしたから」「あなたが私を必要と言ったから」というのがすべての依存と過大な奉仕の要求の根拠になるのだ。
親は親であるから依存できるのが当たり前とも言える。外では大人しいのに家庭内暴力の形になるのはこういうケースだ。パートナーもパートナーであるから依存できるとなると要求と追求と自分が病気になることを繰り返すことになる。子供でさえ、当たり前に「この子しかいないから」という意味で依存対象になることも実際ある。
この意味では(表面的な社会適応とは裏腹に)脳のレベルでは一番重症な自閉症的特徴を持つという風にも思える。
根本的な解決は、薬物療法でも発達障害支援でも何でも使って、まず「一人で保証の無い世の中を生きて行く」という決意をすることだろう。
この意味では、依存がたまたま「楽だから都合が良いからするけれども実は本当は納得出来てはいないから身体症状などが出て、根本的には自立したほうが健康になる」というジャイアンとは根本的な立ち位置が違うということになる。
いつもロムしています。
自己分析で、自分のことを受動型ASだと把握をしていましたが、今回の先生の記事があまりにも素晴らしすぎたので、書き込んでみます。
>誕生前の胎児の段階の母と自分の関係をそのままその後のすべての場合に求め続けているかのようだ。
そう。最近、ようやく自分の事を「(脳のレベルが)赤ちゃん(胎児)」だという風に自認できるようになった所です。
「(脳のレベルが)赤ちゃん(胎児)」なので、上記の事のように、すべての場合に対して求めてしまいたくなるのですが、それをぐっと踏ん張って、「相手側に求める事の少ない、自立した人間関係を築くようにする」、という事を常に考え、目指しているところです。
>この意味では(表面的な社会適応とは裏腹に)脳のレベルでは一番重症な自閉症的特徴を持つという風にも思える。
一番重症ですか…。
私の場合ですが、私は直感的にジャイアンの疑いのある人だな~…と感じれば、まず近寄らないようにしています。
下手をすればパワーゲームに巻き込まれてしまい、私の方からは「虐待された」と感じる域にまでいってしまう恐れがあるので。
確かに、「重症」ですね(苦笑)
でも、私側からすれば、あんまりにも強いパワーゲームは「虐待された」としか感じられないのです。
>根本的な解決は、薬物療法でも発達障害支援でも何でも使って、まず「一人で保証の無い世の中を生きて行く」という決意をすることだろう。
今は、親と、パートナーの両方から「守られ・教えられている側」に居ますが、親からはこの前、この先発達障害支援を受けて自立をしていくためには、やはりきちんとした診断が必要になるであろう旨の話を、提示されたばかりです。
先生、貴重なご助言、ありがとうございます。
私の夫は、m2さんにとてもよく似たタイプの受動型に思えますが、とりあえず自分で〈お金を)稼げるASはたくましいですよね。仕事においてはもはや積極奇異型です。(自業自得といえども、私は彼の自立のための踏み台にされた感がぬぐえませんが・・)
問題なのは、自立し損ねた(お金を自分で稼げない)受動型AS(専業主婦とか)ですよね。
大変な状況に共感して、なんとか改善策を練ろうにも、肝心な所では心を閉ざしてしまうのか、愚痴(に聞こえる)ばかりで建設的な話が全くできない。基本的に自己評価が高いせいか、結局相手(社会)が悪いという事になってしまう。
私のまわりには受動型ASがたくさんいて、私はきっとAS被影響症候群です。 皆悪い人でないのに、心が通わない。
寂しいけれど、所詮人は皆「孤独」なのかな?と納得しつつある今日この頃です。
ただ、自立への薬物療法の薬物って例えば何ですか?
>「受動型」というのはむしろ結果としての行動の特徴
もちろん、そうだと思います。
>AS的な「最初から結果の完全な保証を求めないではいられない不安」から出てくる
そういう言い方もできるでしょう。
本人からすると、「正しい結果を求めるために」相手をよく知り、相手に合わせた対応を取る必要がある、ということです。
ASの軸からすると、受動型ASの方が遥かにASの度合いが強いというのはそう思います。
以前にも書きましたが、AS⇔ADHD軸は、
受動型AS-積極奇異型AS-多数派ー合理型ADHD-ジャイアン
とできているのではないか? と思ってます。
>根本的な解決は、薬物療法でも発達障害支援でも何でも使って、まず「一人で保証の無い世の中を生きて行く」という決意をすることだろう。
私の言い方だと、「決意をする」ということが受動型ASには無理なので、「広い範囲のいろいろな経験をする環境に置く」ということになります。
本当に経験したことが無いことについては、受動型ASは弱いです。
少なくとも、過去の経験から類推できるようになってくると、生き方が変わってきます。
経験を多数つむことにより、大半のことが保証できるようになります。(受動型AS以外には信じられないかもしれませんが)
今の私の辞書に「想定外」という文字はほとんどありませんから。
よって、「保証の無い世の中ではあるが、可能な限りの理論武装をして世の中に立ち向かう」というのが本人から見た根本的解決法と思います。
これは、同じような経験だけを積んでいてもだめです。
以前、エムさんの息子さんに、「受験勉強させるよりアルバイトでもさせたほうがよい」といった類の話をした覚えがあるのですが、いろいろな人と出会い、いろいろな角度から物を見る経験をすることが受動型ASには何よりも重要なのです。
そのことだけが、世の中に存在することへの不安を軽減してくれます。
中でも、ジャイアン異性とつきあうことは、自分のしらない世界を経験するということで非常に重要なことです。
自虐するお題を提供されてありがたがる私もどうかと思いますが、先生、よく書いてくださいました。ありがとうございます。全ての文節を引用してコメントさせていただきたいくらいです。
>むしろ結果としての行動の特徴で、その前に対人関係の依存があり、それ以外に出来ない
そのとおりです。できません。
その上リタリンも無くなりました。
細かい話でとても恐縮ですが、この記事がアップされたお時間は約13時半、でもアップされているコメントはまだ二つです。(先生のほうでお蔵入りにしたものは見えませんので、アップだけ数えます。)記事にするタイプ別によっては、もっと数が伸びる時もあると思います。しかし今回は周りの出方をうかがってから書きたいかたの気持ち、よく分かります。
>誕生前の胎児の段階の母と自分の関係をそのままその後のすべての場合に求め続けているかのようだ。
この一文を、中学生の時に読みたかった・・・。
私が生きていていいのかを悩むときに、当たってきた壁は言葉にするとこんな内容だったと思います。
>仕事においてはもはや積極奇異型
ちょっと悲しい心当たりです。私が生きる中で追いつめられて追いつめられた結果、時に自分からアクションを起こさなければならない場合にこんな面が出てしまうような気がします。これもスペクトラムの問題なのでしょうが、受動傾向の努力が報われない、そして身近な人にも迷惑を掛ける前例を私は作ってきました。
>AS被影響症候群
この言葉はもうどこかで使われているのでしょうか。
これからASに対する理解や、周りにいる者の負う義務が整備されて来るにつれ、こういう見解も必要になってくるかもしれません。先生か、どなたか、研究してみていただけないでしょうか。
私もあと○十年ある人生で、まだまだ人に出会わなければならないので、私を解らない人の存在が不安なのです。私を解らない人は、煮詰まる前に誰かにケアを受けてもらえるものなら受けて欲しいくらいなのです。
続けます。
>すべての依存と過大な奉仕の要求の根拠になるのだ。
それだけ、応用力が無く、臨機応変能力に乏しくて、分からないということなのです。
でも、インターネットではなく生で会う人間に「どういうことか説明してくれますか」と望まれても、何もかもが分からないなんてとても言えません。これがこの障碍の苦痛です。
それを表せないから
>「誇大的」
>「虐待された」
という表し方、感じ方をせざるを得ないのです。
なんの支援や、ケアを求めたいのかも、なかなか言えません。
まさか「赤ちゃんが発達していくときのコミニュケーションみたいなサービスを受けたい」なんてことも、とてもとても誰かに言えません。
障碍のない友人は、性格と目的を分かり合って接していますから、もうこの歳になると会うときの迷いはあまりありません。
家族相手は迷います。過去のトラブルでまだ全部言葉にして話し合っていないことは頭に残っています。でも完全に縁切りする段階でもない。
職場の同僚相手も迷います。
それ以外の医療者のかたたちなどにも、「だから赤ちゃんみたいな~」とは言えないので、膨大な言葉を用意しなければなりません。発達障害診療の心得がないかただと、お話しになりません。なんとかお話しが通じたかたは全部遠方です。今、継続してケアを頼めるかたは、いません。
しかしこの膨大な言葉の重圧にも既に自分で参っているので、形は自立済みの私でも、本当は継続した障碍のテーマのお話し相手の必要を何年も前から痛感しています。
他の病気のかたたちは、治療無しの姿を形にして人に見せられますが、発達障害は何も自滅の結果として見せられるものがありませんね。
贅沢な愚痴ですが、私にとって、本当に心安らげる休日というのはいつ味わえるのでしょう。
ぴよよ様
私はあなたが真剣に自分自身を変えることを望んでおり、またあなたが率直に語ってくれることで私の理解も進歩していてありがたいと思っています。
(最近ジャイアンの人からあなたに突っ込んでいるのはちょっと厳しいなあと私は思っていました)。
郭公という種はそういう生き方しか出来ないので、滅亡しろという話でもありません。
ひとつ明るい希望を書いておきます。
「相手が合理的なADHDであればOK」ということは言えると思います。ジャイアンでは共依存になるし、積極奇異型ASでは距離が近すぎて困難ですが、合理的なADHDを相手に依存の要素の少ない関係のあり方を長い時間をかけて対話しながら少しずつ体験的に模索するのが一番良いと思います。
依存できなくても相手が居れば出来る可能性はあり、また相手もつぶれず腹も立たないで一緒に歩いて行けます。考えてみて下さい。
ぴよよ様
私のコメントの一部から全体を読み取っていただき、ありがとうございました。まさしくその通りです。
私は、このブログ以外の場所でも障害に関する思索を続けているので、とても部分的な投稿になってしまいましたが、ぴよよ様には感謝してもしきれません。
YANBARU先生のコメントにありましたが、私のパートナーがまさしくその「合理的なADHD」の可能性があります。そのことをお伝えしておきたいと思い、再度書き込ませて頂きました。
>合理的なADHDを相手に依存の要素の少ない関係のあり方を長い時間をかけて対話しながら少しずつ体験的に模索するのが一番良いと思います。
今、私がパートナーと実践しているのが、まさしく上記の内容の事なので、先生のコメントにはものすごく驚かされました。
(ちなみにパートナーは、私の事を「受動型AS」として見ているのではなく、あくまでも「パートナーの特徴」として見ているので、気がかなり楽です。)
>依存できなくても相手が居れば出来る可能性はあり、また相手もつぶれず腹も立たないで一緒に歩いて行けます。
そう。その可能性はあると、私も思います。
すみませんが、3つめの投稿させていただきます。
>(ジャイアンの人から・・・・ちょっと厳しいなあと)
温かいご配慮、ありがとうございます。
鈍いので、すぐには思いあたりませんでした。今までを振り返ってみても、ジャイアンタイプのかたにとっては鈍くさいタイプは逃げていかないので、ある種実験動物的に扱える手軽な子ネズミのような利用方法がありますよね。多数派なら逃げていくような仕打ちでも、籠の子ネズミならライブで生体反応を見られるような。
これがサンドバック的になると依存なので、何も生み出しません。
私が常に見失わないように心がけているのは、そこに生産性はあるのか、意義や意味はあるのかということです。インターネットは公開のチャンスの場です。私は大丈夫です。
自省するに、私も数々のくじけた経験から少々挑発的になりがちなところがあるのですが、先生が、私の心がけなどをお分かりいただいていることに、とてもありがたさを感じています。
さーこさんも、力づけをありがとうございます。
私のつたない表現が、さーこさんの的を得ていたようで良かったです。
合理的なADHDですか。
理屈の上では「ああいうこだわりとかは無さそうだし」「こういう所はこう流せて負担にしなさそうだし」という予測はいくらでも立てられそうです。
しかし、人とのご縁とは家にこもってPCを打ちながら得られるものではないと思っています。そこから出られないのも自業自得だと考えるようになりました。
先生のデータからご用意くださった貴重な希望である上に、さーこさんという生き証人がいらしたので、強い裏付けが取れたようなものですね。
・・・こういう道もあるのですか・・・という参考に、させていただきますね。
いい年してますが、やはり何か今までに無いような転機がないと、これは不可能だと思っています。
でもこういうお話しを振って頂けると、私も生きる希望を持っていいんだよと、承認してもらえたような気持ちにしてもらえます。
>最近ジャイアンの人から~
先生これは私のことですね。
私は本当のことをズバっといってしまうし
今は脱依存に向けて自分に厳しく突っ込み中なので他の人にも厳しく突っ込んでしまいます。
(自分の依存も許せないけど他人の依存も許せない...というか許さない)
>ある種実験動物的に扱える手軽な子ネズミのような利用方法がありますよね
ではありません。
でもASとジャイアンでは依存の根本的な立ち位置が違うことは了解しました。
論点からズレてしまいますが、私が最近ひらめいたことを記しておきます。
長い間、私は自分のことを『受動型AS』だと思っていました。でも、私の場合に限っては「もともとADHDであるのに、ACになってしまった状態」であったと自己分析中です。
ACの部分が「拒絶されること」を怖れ、「依存できる相手かどうか無意識的に確認」してきたのだと思います。
誕生前の胎児の段階は、生まれた後よりも安心できた場所であったので、そのような環境を求め続けているのだと思います。
完全な保障を求めるのは、見捨てられ不安の解消だと思います。
本当は分っているんです。自立できたら本当の自分になれるって。
一つの記事に四つ目のコメントは、マナーとしてもうイエローカードだと思います。どうもすみません。
発達障害の情報と希望をインターネットから何年ももらってきた者としての、良くない癖をあえて出したいと思います。補足説明です。
あひるさんの折角のプラスのモチベーションが落ちるとしたら、私にとっても不本意ですよ。
私も言葉足らずでしたが、ここは発達障害のタイプ別、種類別の域を超えて集まり、私より学歴が高い学者先生や大学教授のようなかたたちよりも、もしかすると最先端の研究をしているブログかもしれないと思って首を突っ込んでいます。
だから、ADHD、ASの種類別の反応があって当たり前、タイプ別の捉え方や感じ方、思っても見なかった関係者の境遇などもあって当たり前です。蓋を開けると、という表現があるとおり、奇想天外と言って良いほどの予想外の反応もあって当たり前なのです。
それでも、自分で立ちたいという意志を忘れることなく参加していれば、きっとその私の忍耐に値する気づきや情報が手に入る、そのためにはベストを尽くしてここに適応し、協調性を保つべきではないかと、AS全開で心がけていました。
つまり先生が見抜いたのは、私の過剰適応でもあるのです。
あひるさんは、他意無き応答をしただけ。…さて、こう書くといかがですか?大人の目で読んで、印象の受け方を変化させてもらえないでしょうか?
大人の世渡りとは難しいものです。
私も日々鍛錬です。
私の人生で私を子ネズミにしていった、数々のジャイアン達、AC達に比べ、井戸から出てここのブログにきてらっしゃるだけでもみなさんチャレンジャーなんです。日本最先端の情報、研究を目にしていると思えば、志も高まるかたも多いでしょう。
発達障害を頭の中だけで分かっていることと、説明できることは違います。先生はその場の共感だけでなく、文にも起こして記録に残せる先生です。私は、私の納得できる文で残るなら、私のASでも低覚醒でも強迫でも認知の歪みでも、ある程度は何でもさらす気持ちで駄文を書いています。インターネットにうとかった頃、そういうチャンスが欲しくて「もう(恋愛に繋がる転機とか)そういうのは要りませんから、代わりにください」と祈ったこともあったくらいです。変わってるでしょう?私も。
私は先生が「厳しい」といったのは
以前のエントリー
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20071209/1
タイトルはジャイアンに向けてですが、この場合もそうなのかな?と思っています。
>他意無き応答をしただけ~
というのと
>子ネズミ~
というのはあまりにも違いすぎて繋がりません。
>「虐待された」
と感じる脳なら仕方ない...(よくわからないなぁ)というのが本音です。
私がここのブログにきて分かったのはASは理解できないということです。
だから「ASはこうだ」と決め付けないようにしなくては、というところです。
ぴよよさんはお姫様~エントリーの時にいろいろ書いてあったのでジャイアン?かと思っていました。
(いままでの他のコメント覚えてないし印象があるのは数人です。すいません...覚えない脳持ちです)
AS相手なら話がすれ違うのも納得していて了解しています。
自分とはかけ離れすぎています。
>一つの記事に四つ目のコメントは、マナーとしてもうイエローカード~
そんなことはないと思うのでどんどんコメントしていいと思います。
押し付けはしませんが、ここはそういう場所。私はそういう風に考えます。
>一人で保障のない世の中を生きていく~
これは怖いですよ~。
保障がないなんて。
こ、こわ~~い!
自賠責保険のみで車の運転するようなものだと思うのですが。
最低保障みたいな。
どちらかと言うと、自賠責もつけてないような印象をうけます。
普通はすんなり「YES」とは言わないというか、言えないと思いますよ~。
>「あなたが最初にこうしたから」「あなたが私を必要と言ったから」というのがすべての依存と過大な奉仕の要求の根拠になるのだ。
昔から、この辺りで何度となく世間とのズレ?を感じてきました。感じるけれども、見当のつかないもやもやがあります。この文を読んでも、責められている気はするけれども、何をどう考えたらいいのかすらわかりません。
重症ですかね。。 ちょっと悲しいです・・
そうですよ、『重症』って。。
確か、ジャイアンも『重い脳障害?』みたいなこと書かれた記憶ありますが~。
これでは、どっちに転んでも『重症』???
多数派から見ると、「どちらも重症」なのだと思います。
私自身の事を書かせて頂きますが、相手は私が思っているような意図で言った訳じゃなかったのに、私から「虐待された」と訴えられれば、普通の場合、相手は、「この人、重症だな」「私の言っている事が分からなかったのか、仕方ないな」と思うものです。
多数派から見た自分の在り様、つまり、客観的に見た場合の自分を知る事は大事です。
私は個人的に、他人から、自分の感じ方が「重症」だと言われることは悲しいと感じるので、ある個人を指して、「あの人の脳の働きは重症なのだから、仕方がない」、と上から目線で人を断じることは、なるべくしないようにしています。
私自身の事を書かせて頂きますが、私には「自分がない」ので、「ない自分(自立)」を「決意する」事は基本的にできません。
ですが、今までの人生の中で出会ってきた多数派の物事の考え方と、自分の在り様を照らし合わせながら、
「自立を決意する事と、似たような意識」を創り出す事は、何とか出来る様になりました。
(※ちなみにこれは、私限定のオリジナル技なので、他の受動型ASが私のやり方で出来るとはあまり思えませんので注意)
かぜさんの投稿に「>自賠責もつけてないような印象をうけます。」とありましたが、
順番として一番最初にする事は、保証を付けた車に乗る事だけを考えるのではなく、(自分を保証してくれるものに依存する事だけを考えるのではなく)、
その車を乗りこなしていく事を了解する事(自分自身の構造を知って把握し、実際に生きていくと了解する事)なのではないでしょうか。
私はそう考えています。
> 「あなたが最初にこうしたから」「あなたが私を必要と言ったから」
> というのがすべての依存と過大な奉仕の要求の根拠になるのだ。
確かにこれに思い当たる節が有ります。そして、以前はこの考え方を“卑怯”だと思っていました。夫がしばしばこのような態度に出るので、責任転嫁されたと思い、不遜な態度を責めてきました(私にとっては最も許せない感気持が起きる行動)。そのうち、自分も同じところにはまっていた。
もともと、こういう考え方を“明確に否定”していたにも関わらず、流されていったことが悔やまれます。なぜこんな風に流されたのでしょうか。
“人のせいにしてはいけない”は、母の教えでもあり、育った地域の不文律でもありました。子供の頃、元々私は依存的か、他罰的な態度だったから、母に叱られていた?そして、地域の不文律を遵守してたのも、自分がはじめはできていなかったから?
その後、育った地域から離れ、人やモノのせいにすることに寛容な地域に移動したせいで今はできない?インストールが甘かった?
「あなたはそうしていたいかもしれないけど、私はこうしたいの」という意識を、はっきりと持っていた自分がいたのを、ぼんやりと思い出しました。その人はどこにいってしまったのだろう。
こんなに簡単に崩れてしまうということは、もともと無かったに等しいのかな。今はすっかり自分が無くなってしまった気がして、何をするにも決断できなくて。ルールにすがって生きていたということなんでしょうか。
脳の働き...
その違いで、できないこと、行き違いになることが多いと思っています。
上から目線のつもりは少しもありませんがそういう風に感じるのですね。
(すいませんが上の記事貼り付けます)
>脳のレベルでは一番重症な自閉症的特徴を持つという風にも思える。
と言う風に普通に脳の話が身近にあるし私自身もそうだし。
KYな私もさすがに「あなたは重症ですね」とは言わないのですが
ASもADHDも脳障害という認識があってそれが当たり前になっていました。
(ここに来る人はみんなそう認識していると勘違いしてた。となるのでしょうか?)
...ちなみに私は責任が取れないジャイアン脳です。
>上から目線で人を断じる
ということはしてないつもりですが(何故なら私もひどい脳障害持ちだと自覚しているので)
相手がそう感じるならやっぱり仕方がないかなと思います。
(私はここでジャイアン流の非言語的な圧力をかけたのだろうか...)
あひるさん
ちょっと個人的にお返事をさせて頂きますね。
>>「虐待された」
>と感じる脳なら仕方ない...(よくわからないなぁ)というのが本音です。
>>上から目線で人を断じる
>ということはしてないつもりですが(何故なら私もひどい脳障害持ちだと自覚しているので)
相手がそう感じるならやっぱり仕方がないかなと思います。
私はあひるさんの投稿を読むにつれて、ジャイアンの人は私を上から目線で見ているのではなく、「よくわからない」と思っているのだと。そういった、相手方の認識を了解できるようになりたい、と思うようになりました。
どうもありがとうございます。
私側からすれば、どうしても、圧力をかけられたと感じてしまいますね。そして、圧力をかけられるのは、どうにも苦手です(^^;私側からすれば、場合によっては、逃げることも断ることも避けることもできないまま、つぶれてしまうと感じているので。
>脳の働き...
>その違いで、できないこと、行き違いになることが多いと思っています。
私もそう思います。
>ASもADHDも脳障害という認識があってそれが当たり前になっていました。
私は個人的に、ここに来る人の中で、「どちらも脳障害である」という認識を持っている人は少ないと見ています。
とくに、新しく来られた方などは、気づいていない可能性が高いです。
なぜなら、みんな基本的に、自分が持っている要素(特徴)を手がかりにして、相手のことを推測するしかないからです。
私の好きな著者の言葉の中に、こうあります。「世の中には、自分とは違った理屈で生きている人間もいるのである。そう思っていた方が、人生は豊かになる。」と。
私の趣味は「哲学的エッセイ本」を読む事なので、こういう考え方が可能になったのだと思います。
>「自立を決意する事と、同じような意識」を創り出すこと
これは今の私には、出来そうです。
できないとは、思いません。
>自分を保証してくれるものに依存する事だけを考えるのではなく、自分自身の構造を知って把握し、実際に生きていくと了解すること。
これも素直に受け入れられます。
自分の人生の舵取りは自分でって、当たり前のことが何故かできない頭だったみたいです。
「あなたが最初にこうしたから」「あなたが私を必要と言ったから」
これも実は思い当たります。
依存の始まりと奉仕の期待が頭を支配して、「約束が違うじゃないの」と負のパワーで自分が自滅して行ったのでしょう。
重症って、たしかに誰かを見て「あの人、重症だな~」と思うことがあるように、私も傍から見れば重症と思われている可能性も大だし。
さーこさんの解釈は、約に立ちました。
月の草さん
ちょっとお返事を返してみたくなったので、投稿しますね。
一人の受動型ASの解説として、少しだけ聞いて貰えれば幸いです。
>もともと、こういう考え方を“明確に否定”していたにも関わらず、流されていったことが悔やまれます。なぜこんな風に流されたのでしょうか。
それは、”明確に否定”すればするほど、本人はそれを”不当な事”だと受け止めるからです。(なにしろ本人にとっては、自分は正当な事を言っているのだという認識しかないので。)
そうするうちに、「自分は”正当なのだから”」といった認識で、相手からの”明確な否定(不当な事)”を流すようになるのです。
>その後、育った地域から離れ、人やモノのせいにすることに寛容な地域に移動したせいで今はできない?インストールが甘かった?
インストールが甘かったのではなく、月の草さんや周囲が狙ったようなインストールが最初からされていなかった(再インストールをしなければならない事、について、本人が認めておらず、本人が理解をしていなかった)可能性があります。
「私は正当なのに、なぜ否定され、再インストールまでされなければいけないんだ。まったく了解できない。」
これが、過去私が抱いていた正直な気持ちです。
月の草さんへ
すみません、下記の部分については、あまりにも仮定の話すぎて、必要なかったですね。
この部分に関しては、聞き流してください m(_ _)m
****
>その後、育った地域から離れ、人やモノのせいにすることに寛容な地域に移動したせいで今はできない?インストールが甘かった?
インストールが甘かったのではなく、月の草さんや周囲が狙ったようなインストールが最初からされていなかった(再インストールをしなければならない事、について、本人が認めておらず、本人が理解をしていなかった)可能性があります。
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さーこさん
>月の草さんや周囲が狙ったようなインストールが最初からされていなかった~
これは違うと思います。たぶん誤解です。
月の草さん自身が自分を変えようとしていろいろインストールしていたのだと思います。
相手を変えようなんてしてないと思います。
自分の問題だととらえて心の距離のおきかたを真剣に考えていると思います。
さーこさん、あなたの体験されたことを話してくださって有り難うございます。お辛かったのでしょうね。
私は、自分のことを書いています。「私は」という主語が抜けていて、表現が誤解を生んでいるように思います。
先の文は、私が最も嫌う考え方をする人がいたとしても、それに干渉すべきではなかった、なぜ私は干渉してしまったのか、という自問自答です。
「何が有ろうと、他人を尊重し、自分は自分、他人は他人。」という習慣が好きでした。模範的な習慣のインストールが甘かったのは私で(形ばかりでその必要性を理解していなかった私)、相手に過度に干渉し、過度に期待して、相手に負担をかけた。夫の模範がどこにあろうと、それを私は問うべきではなかったという話です。
その結果、自分はより多くのものを失った、という風に感じています。
:
ここでは、幾度となく対話をしてきましたが、文字だけでの会話には限界を感じています。なるべく自分と、自分の家族についてのみ振り返って、気付いた点投稿したいと考えていますので、主語は「私」です。宜しくご理解ください。
あ、、私、なんかとっても冷たい反応を返していますね(苦笑;
読み返して後悔です。(もしも、さらにお話があれば、私のブログを訪ねてくださいね。歓迎ですし、いくらスレが長くなってもかまいませんので。)
まず第一に、私は夫を変えようとしていた時期がありました。なぜそんなことをしたのかずっと考え続けているのですが、そんな表現を読むと、さーこさんのような方は、フラッシュバックが起きるかなにか、お辛くなるのでしょうね。
第二番目に、再インストールのあたりでは、わかりにくいところがあるかもしれません。じつは、私は自分がASかもしれない?と、考えているところでもあります。自分はジャイアンだと思っているのですが、様々な理由から(若干の感覚過敏とか、映像記憶とか)、自分のAS的なところを感じるので、このスレッドではそのことを考えています。ジャイアンなのか、ASなのか。以前は、そのことは何故か辛くて考えられませんでしたが、最近ようやく考えられるようになりました。
だから、自分への問い掛けです。ほんとうは説明なんて必要ないようにも思うのですが……(なぜ私はここで説明をしてしまうのだろう、、これもまた疑問です)
あひるさん、月の草さん
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>>月の草さんや周囲が狙ったようなインストールが最初からされていなかった~
>これは違うと思います。たぶん誤解です。
>月の草さん自身が自分を変えようとしていろいろインストールしていたのだと思います。
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>私は、自分のことを書いています。「私は」という主語が抜けていて、表現が誤解を生んでいるように思います。
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指摘と説明、ありがとうございます。
私も、前回の書き込みをしてから一度読み返してみて、月の草さんの文章からは「私は」という主語が抜けているし、やはり私の誤解かな、と思って訂正の投稿をしたのですが、なんだか投稿エラーになっていた様子です(^^;
お二方、どうもありがとうございました。
ちょっとだけ自分自身の事(受動型ASの事)を解説できるようになったので、なんだか調子に乗ってしまっていたみたいです。
以後気をつけます。
月の草さん、冷たいなんてそんな事ないですよ^^
私もやはり辛かったので、一気にドバッと書いてしまうこと、多々ありますし。
あひるさんのおっしゃったように、私も、月の草さんは「自分の問題だととらえて心の距離のおきかたを真剣に考えているのだなぁ」と思います。
さて、そろそろまたロムに戻って、自分自身の事を考える日々に返りますね。(いつまでも「自分の意見」として書き綴っているのは苦手な方なので。(受動型の特性?笑))
言葉を交わせた事、うれしかったです。
陰ながら応援しています^^どうもありがとうございました^^
さーこさん、ご返事をありがとうございます。
ほっとしました。私は夕べ、だいぶうろたえました。理由はいくつかありますが、一つは「ASはなぜわけのわからないことをする?」という捻じ込みというか、愚痴というか、ASの悪口?を、私がしたように受け取られてもしかたがない文章を自分が書いたことについて(主語が抜けるのは、ASの特徴とも言われますし)。
そして、それについて、私は説明的な文を重ねている(わかって欲しいのあらわれ?)。もう一つは、さーこさんから「わかって欲しい」というメッセージを受け取ってしまったように感じたためです。
・誤解されたくない=わかってほしい(?)
・わかってほしい=重たい、責められた、押し付けられたと感じる⇨引く
「わかってほしい」は、私も長いことやってきていて、特に身近な相手を振り回してきたようです。これがAC由来なのか、AS由来なのか、自分でもよくわかりませんが____それをいざ自分に向けられると、それなりに重いものだというのが実感できたことは大きな収穫でした。(こんな率直な言い方は失礼かもしれませんが……お許しください)
AS系の人が「わかってほしい」というメッセージを素直に発するのは、習慣というか、性のようなものなのかもしれない、そして悪気はまったくないのだということが、一つ実感できた気がします。私もおはなしできてよかったです(^^) 有り難うございました。
月の草さん、なんだかお気持ち分かります。
以前のコメントから推測するに、我が家と少し状況が似ていた気がします。違っていたら、ごめんなさい・・・。
私自身も最初ここにやって来た時には、自分をACだと思い先生からADHDのACではないかと指摘され、ナルホドと納得できて気がすんだら一挙にだらしなさ満載になり、実はACではなくて先生命名のAS被影響症候群でないかと思えてきました。夫と息子だけでなく実母もまた受動型ASの様な気がしてきたからです。男女でだいぶ出方が違うけれど・・。
もうこうなったら、すべては自分の宿命で全てそのまま受け入れて、新たな希望は「今度生まれてきた時には」の心境になると気分的には楽になってきました。ただそうなると、様々なやる気も無くなってしまう様な・・困ったものです。