ジャイアン型ADHDに特有の現象として「ファンタジー」と私が呼んでいる現象がある。空想、想像、時に妄想に近い非現実の「思い込み」というべき現象だが、実はこれでいろいろなこれまで解明困難だった精神疾患の一部が分かる可能性があると最近思えてきた。現段階のイメージを少し描いておこうと思う。
①ファンタジーは「思い込み」である。
時に統合失調症の被害妄想に非常に似た様相を呈し、誤診されることも多いと私は考える。
②合目的的な意味がある。
内容は一見被害的でも、よくよく見ると別の自分の醜い面を直視することを回避できていたり、結果として自分が悲劇のヒロイン的立場に立ったりして、総合的に見ると統合失調症の被害妄想のように完全に本人に不利なストーリーになっていない部分がある。その意味で認知症の「作話」に近いニュアンスを持つ。
③時に現実と混同するほどに鮮明で一部現実感がある。
実際にファンタジー内の特定人物と交流したり、「想像の上」ではあるのだがほぼ実体験に近い実感を感じることが出来る。
④抗精神病薬が効かない。リスパダールなどは逆にひどい(流涎や筋強剛などの)副作用が出て大変なことが多い。
エビリファイは部分的に有効である。私はリーマスを基本に使い、適宜エビリファイを追加して本人にコントロールしてもらう。
⑤冷静な説明で非現実性を自覚することが可能である。リーマスやエビリファイの力を借りて、それがファンタジーであることをきちんと理解すると、非現実性を自分で自覚できる。その意味でも統合失調症の病的な妄想とはかなり異なる。
ざっとこんな特徴がある。最終的には「妄想性障害」を説明することも可能になると思うが、今考え中である。
義父は6年前に「ある事」にこだわってしがみつき、家族がどうしても困るからやめさせようとすると、めちゃくちゃなことを言い出し、ファンタジーの世界に生きている感じが強くなりました。その内容は主に「俺の会社がお前(息子)の会社の寮を作ってやったんだ。」とか「政治家の〇〇は俺に
ひれ伏したんだ」などいかに自分が偉いかというファンタジーだったので、これらを認知症の「作話」というのかなと思いました。
その後、このある事へのしがみつきを家族が強引に解除したら、不思議と本人もすっきりさっぱりした心境になり、家族への対応もスムーズになり、作話もほとんどなくなり、話すことが現実に合ったまともなことになったので、びっくりしました。この間の家族の関係は比較的良好でした。
それが最近またひさしぶりに別の「ある事」へのこだわり・しがみつきが起こり、同時にファンタジーが強まってきました。
義父の場合、何かに強くこだわるとファンタジーが強まり、そのこだわりを手放すと、現実的になれる感じがあります。