ADHDの生き方は自由を愛する野良猫のスタイルである。だから当たり前のことだがもともと共同生活は苦手だ。
だから、恵まれていても、「お金を出してもらう」ことで不安になったりする。特に過去にADHDのACであったケースでは、お金を出してもらう状況となって突如AC的な発想が再発して、「私はわがままで見捨てられる」と不安になることがあり、自分でもわからないことがある。
これは何故か? 例えば「お金を半分出していればこの不安は解消するか」と想定してみればわかる。
お金を半分出していれば、発言権は対等だ。多く出してもらっておきながら対等に発言するのはADHD的には「不当なこと」になり、反対の立場では突っ込む可能性がある。だからお金や「責任」が本来どこにあるかはADHDには非常に重要なことになるのだ。
結婚していても仕事をしていたいと望むのは、「自分の収入を確保して対等の立場を保ちたい」がためである。「お金を出してもらって楽な代わりに対等な立場がなくなる」というのは「飼い猫」のスタイルであり、ADHDの尊厳を著しく損なうことになるため、ADHDは病気になる。
ただ「主婦は夫の勤労収入に対して半分の権利がある」という民法上の権利をきちんと自覚できれば問題はない。
これほどADHDにとって「対応な発言権」は重要であるのだ。
こんにちは。
個人的にこの問題を考えてみると、私は本来家事全般が『自分一人ではまともにこなせるものはほとんどない』上に気配りができない。ゆえにお金や責任以前に今のままでは『相方(夫)に見捨てられてもおかしくない』と、考えています。
今まではそれでも『人並みの主婦に』『人並みの母親に』と、必死で頑張ってきたのでなんとか結婚生活を維持できていたのだと思います。
『人並みの主婦・母親』を目指すのは限りなく不可能だからやめよう、と決意した今、さてどうしようと考えたことは、『とにかく仕事がしたい』ということです。収入を得たい、というのは生活の為もありますが多分に『主婦としても失格なのに』と思われたまま専業主婦でいるのは、かなり辛い事でもあるので。
(収入はなくとも、専業主婦としてしっかり務めているなら
それで十分な役割と責任を果たしていると、私は考えます。)
ただ仕事をするとなると、また『壁』に当たります。
『仕事を選ぶ』という壁(問題)です。
初めまして。
ホームページに加えてこちらのブログを拝見して、自分がADHDのACであり、夫がAS、実母が自己正当化型ADHDであることが濃厚となって、「障害があった」と悩むよりも、むしろ「やっぱりそうだったか、そういった説明ができるのか」とすっきりしました。
夫の海外留学と、私の正社員生活への不適応から、退職し海外に来て専業主婦生活を始めて半年弱になりましたが、最近まで、「専業主婦では収入がなく対等に発現できない」、「気に入らないと離婚を迫られたときに、再就職できない年齢、能力レベルのため、路頭に迷うかもしれない」などとネガティブな想像を続けていました。
ASの夫は、表面的には「口で言わないと何を考えているかなんてわからない」と意見を受け入れるようでいながら、実際には私の意見の表明に大して即座に否定するような言動・表情を(おそらく無意識的に)とる傾向があり、思春期以降ACの傾向のある私にとってはかなり支配的に感じられます。このことが、上記のような想像に拍車をかけていたように思います。
結果的には、「専業主婦でもいいか」と思えるようになってきたのですが、これは、夫に対して上のような想像や不安感を説明したところ、「必要なお金(例:友人と食事に行くなど)を使うことに卑屈にならなくてよい」と確認できたこと、「将来離婚すると思うなんて、離婚したいのか?」→「離婚したいとは思ってないけど」→「それならいらない心配はしなくていい」と強引に説得されたことによります。
どこか反論を封じられた不快感は残るにせよ、ひとまず不安な気持ちは落ち着いてきたわけですが、ブログの他のエントリーにあった、「ASの夫vsADHDのACの妻」のパターンで、妻がACでなくなったときの将来像を考えると、また不安になります。
夫の「不可解・不合理な」執着的行動様式を受け流しつつ、夫の私への愛着に対して、それをありがたいものと思って返報していくことで、ある程度安定した関係が維持できるのかもしれませんね。(現状から比較すると、かなり「大人な」対応が必要という印象です。)
自分が「仕事」にこだわる理由がわかりました!なんだか働いていないと見下されているような感じがして、パートナーから「そんなことないから」と幾度言われても納得がいかなかったです。
しかし民法上にそのようなことが書いてあったとは・・・。
誤解を招くといけないので、コメントします。
>「主婦は夫の勤労収入に対して半分の権利がある」という民法上の権利
は、先生には申し訳ないのですが、ちょっと誤解を招きそうに思います。
夫名義の勤労収入は、名義が明確であるため、夫にその全額が帰属します(民法762条)。それ自体は、主婦に半分の権利があるのではありません。
もっとも、夫婦には協力義務と扶助義務があり、その意味で(比喩的に)事実上半分の権利があるといえます。
るるさん、民法上は、このようになります。
それと、専業主婦が家族に対しておこなっている数々の行為は、「仕事」の一種と考えても差し支えないかと思います。もちろん、仕事とは何ぞや、という定義が関わってきますけどね。
たぶん、お金をもらって労働していないと、見下された感がするのではないでしょうか。その気持ちは、ASの俺も分かります(と言いますか、似てます)。
そのうえで俺は、その思いが自己の行動の足かせになっているとも感じています。たまたま同じ電車に乗り合わせた・たまたま同じ店内にいたといった接点のない人も含めて周りを観察していると、もっとリラックスして自由に生きている人が意外に多いんですよ。その人らに対して失礼な言い方になるかもですが、あれでいいんだ、大丈夫なんだと思ってます。
zzzさん
民法762条。。。そうですか、そうだったんですね(苦笑)。
私は講義中(法学部だったんです)何をしていたのだろうか?一番嫌いな科目でしたが、将来の自分にこんなに関わっていたなんて!
私の長年のこだわりを、法解釈が解決してくれたなんて!!
なんだか“感激”です。
>そのうえで俺は、その思いが自己の行動の足かせになっているとも感じています。
そうですね。私もそう思っています。自分で自分を縛っているんですよね。そして、ほどくことができるのも自分自身だということも。
わかっていてもむずかしい。。。(わたしにとっては)