依存は下記の3つの特徴を持つ
1.自己中心的な行為・思考である
2.相手は本質的には誰でも良い
3.失った時に不安になる
依存であるか恋愛感情であるかの違いは、「失った時に恋愛の場合は悲しくなり、依存の場合は不安になる」ことで鑑別できる。
ACの共依存もそうであるが、結局「自分の不安を解消するための自己中心的な業」であり、良く観察すると、ある相手が居なくなったら別の対象を探すということをしていることからも自己中心的であったと分かる。
恋愛と紛らわしい異性関係への依存、セックスへの依存もある。その場合は、相手から見ると、「自分を人間として扱っていない」と感じることが多い。
思春期の薬物依存などの場合、薬物、異性関係、過食嘔吐、アルコールなど多種の依存をずっと続けることがある。治療は、「全ての依存をやめる」「自分の問題をごまかさず直視するように人間的に成長する」ことであり、治療者の態度や治療の環境には、「厳しさ」が必要となる。
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/
「全ての依存をやめる」「自分の問題をごまかさず直視するように人間的に成長する」為にはどうすれば良いのか?質問する事も《依存》の状態なのでしょうか?子育てにおいても〈依存〉と普通でいう〈心配〉の区別がつかず頭が混乱しています。
リセットさんへ
お書きになっていることは重要なポイントです。「心配」という名目で子供のせいにしておいて、実は自分の不安を何とかしたいだけというのが親のACのよくあるパターンです。
区別のポイントははっきりしています。「子ども自身の問題と自分の問題の線引きが出来ているか?」および、「子供本人のために親として自分は敢えて手を出さないで子供本人に任せるべきことが任せられるか?」の2点でほぼ鑑別できます。線引きが出来ず、任せられない場合は、「子供が自立して自分が不安になりたく無いために子供本人の人生の自立を妨げる」という形の依存になっている可能性があります。その場合は親自身がカウンセリングに通う必要があります。
やんばる先生、初めまして。
五葉と申します。
お尋ねしたいのですが、
>失った時に恋愛の場合は悲しくなり、依存の場合は不安になる
この「悲しみ」と「不安」はどのように区別されるのでしょうか?
自分の依存の歴史を振り返ってみると
第1段階は「自分が人に精神的に依存していること自体に全く無自覚な状態」でした。
この時期がかなり長かったと思います。
子育てを通して、私自身のカウンセリングもしてもらった時に
カウンセラーさんから、「カウンセラーの役目は、最初はクライアントに依存させて、信頼関係を作り、だんだんと自立に導いていき、最後はカウンセリングを終了して、離れる」という手法を教わり、なるほどそういうものかと自覚してきました。
第2段階は「自分が人に精神的に依存していることをはっきりと自覚している状態」でした。
第1段階と第2段階の変化だけでも、心境がだいぶ違うことがわかりました。
この先はまた次の機会にコメントさせて頂きます。
先生のコメント
>区別のポイントははっきりしています。「子ども自身の問題と自分の問題の線引きが出来ているか?」および、「子供本人のために親として自分は敢えて手を出さないで子供本人に任せるべきことが任せられるか?」の2点でほぼ鑑別できます。
このこと、とても大事なことだと“今”はわかります。
・・・この境界がわかるまでに2年かかりました。
今なお「母性」と「支配・依存」の境界はあいまいなものに思えます。だからこそ、日々自覚をし続けなくてはならないと思います。
現実的には、意味不明な我が子(私には当初ASだと思えていましたが、最近ジャイアンのようにも思え、よくわからなくなりました)にすべて任せるのは大変なことです。(実際、各方面に大変なことが起きています)
ただ、ジャイアンの私が「自分に不安が生じる → “怒り”という形で表現」というパターンをとってきたことが自覚できたので、それは「不合理なこと」だと自分に言い聞かせ、ひたすら「本人に任せる」姿勢を貫くつもりです。
カウンセラーの中には、私の「本人に任せる」という姿勢に対し「親の関わりに問題あり(愛情がないから支援できない)」と考える方もいます。この点、悩ましいところです。
アメジストさん
アメジストさんがコメントをつけていただいたので、過去の未読の記事を読むことができました。^^
>カウンセラーさんから、「カウンセラーの役目は、最初はクライアントに依存させて、信頼関係を作り、だんだんと自立に導いていき、最後はカウンセリングを終了して、離れる」という手法を教わり、なるほどそういうものかと自覚してきました。
アメジストさんは上記のお言葉に納得されましたか?
正直に書きますと、ジャイアンな私(自己診断)には「かようなご配慮はご遠慮ください」と思えてしまえまして・・・
一方、子ども(15才♀)は、私(母親)にその役割を期待しているようにも見えるんですよね・・・
母子関係は、難しいです。
連投となります。
先ほど投稿・クリックしたことにより、子どもが求めているのではないか・・・と私自身が不安を覚え、
「察して行動すること」
それ自体がまちがっているのだと思いました。
先生とアメジストさんに、感謝申し上げます。
るるさん
>アメジストさんは上記のお言葉に納得されましたか?
正直に書きますと、ジャイアンな私(自己診断)には「かようなご配慮はご遠慮ください」と思えてしまえまして・・・
ああ~、なるほど~、この手法はASと多数派には合っているかもしれませんが、ジャイアンさんには不向きなのかもしれませんね。
私の場合はすごくしっくり来ましたよ。ASって本来、甘えん坊なんですかね。
①初めは人に対して、堅い心の壁を作っていて、自分の本心を出さない状態でいる。
②自分だけでは限界を感じ、カウンセラーに相談したい欲求が出てくる。
③何度かカウンセラーと会って話をしていくうちに心の壁を壊して、自分をさらけ出したくなってくる。
④一度相手を信頼すると、堰を切ったように話し始める。
この段階が、クライアントが安心してカウンセラーに依存している状態(ちょうど小さい子ども時代をやり直しているような感じ)なのでしょうね。
⑤自分の中身を出し切って、カウンセラーと一緒に頭の整理をしているうちに、自分のことがよく把握できるようになってくる。
⑥ある時点で、自分でいろいろなことを判断する自信が出てくる。
⑦その頃合いを見計らって、カウンセラーがこのへんで終了しましょうかと声をかける、又は自分から終了したいと申し出る。
⑧カウンセラーと別れて、自分の足で歩きだす。
こんな流れでした。
ジャイアンさんの場合は、きっとYANBARU先生のコーチングがピッタリ合っているのかもしれませんね。私には具体的な内容はよくわかりませんが。
> 依存であるか恋愛感情であるかの違いは、「失った時に恋愛の場合は悲しくなり、依存の場合は不安になる」ことで鑑別できる。
ACの共依存もそうであるが、結局「自分の不安を解消するための自己中心的な業」であり、良く観察すると、ある相手が居なくなったら別の対象を探すということをしていることからも自己中心的であったと分かる。<
小生は依存も恋愛もそれなりに経験しております。
付け加えさせていただければ。
依存は分かれた後、相手の怒りが見えます。そして自分はさっぱりした気分になります。
恋愛は分かれた後、相手の悲しみが見えます。そして自分は嫌な気分になります。
アメジストさん
詳しく教えていただき、ありがとうございます。
多数派の方々も、この手法がしっくりくるとは・・・
軽く、というか正直かなりショックでした。私には、わからない世界です。
言われてみればたしかに、多くの人に有効だからこそ、このような手法が取られているのですよね。