ASの人が映画を見るとき、「演技がうまい」という感想が多い。その意味を考えていて、「徹底的に現実的即物的」と考えれば良いと思いついた。
つまり、ASの人は「映画の脚本の中に描かれた世界」を見ているのではなく、「お金を取って演技を見せる動画」を見ているのだ。だから演技がうまいか否かが問題となり、映画の中の登場人物に感情移入することはほとんど無い。
対照的にADHDはほとんど映画の中の人物になりきってしまい、感情移入が激しい。私は「電車男」を見られなかった。何故ならドラマの中でまで失敗した恥ずかしい状況を再現して体験したくないからだ。ASの人は「頑張れ」と言いながら電車男を見ていたという。
ASの人の「想像力」のあり方のひとつの特徴であると思う。私は大人のASの2,30人とじっくり話す中で、こういった認知の特徴を考え続けている。毎日が新しい発見の連続だ。
http://www.geocities.jp/yanbaru5555/ASspirit.htm
私はASですが、感情移入します。
ADHDは、人をあまり意識しないとのことですが、
なぜ感情移入するのですか?
また、ASでも感情移入しますが、、、、ASですけど、
ASじゃないのでしょうか。?
この記事は昔から興味深く思っていました。
イメージ的にはADHDより愛着が特徴のASの方が感情移入しそうな感じがするからです。
「なりきる」という言葉がキーワードなのでしょうか。ADHDはなりきる度合が、ASより強いのだとすれば、役者にはピッタリですね。
私はドラマを見ていて、役者さんのなりきり度合につくづく感心しています。自分にはできないといつも思います。
感情移入とは違うと思うのですが、自分が更年期障害で、記憶力がひどく減退した時に、自分が「若年性認知症」だったらどうしようとすごく心配したことがあります。
その時に、テレビでちょうど渡辺謙の「明日の記憶」の映画が放映されたのですが、見ているうちに認知症のテスト場面が出てきて、それが怖くて怖くてテレビを消してしまいました。
これは単純に病気への強い恐怖心ですね。
こんばんは、やんばる先生。
ぼくは感情移入します。移入しすぎて怖いぐらいです。
ホラー映画は絶対見れませんし、主人公が恥ずかしめを受ける番組も自分が恥ずかしめを受けている感覚に耐え切れなくなって途中で消します。
聴覚過敏だし、嗅覚過敏だし、算数が出来ないし(計算方法が独特な上に出て来た数字の意味が分からなくて途中で放棄)。
KYじゃないからASじゃないと思っているんですけど、のび太との区別が微妙過ぎてよく分かりません。
不注意優勢ADHD当事者です。
感情移入し過ぎてしまい、映画など見てる時も、
他人が泣いてない場面で涙が出るということが多々ありました。
そのほか、他人の感情に敏感になりすぎてしまい、感情が左右され、
辛くなるということも多々あります。
色々と参考になりました。
そういえば、これは積極奇異・受動の弟達と大きく違うのですが、私は「自分と社会全体を関連付けることがほとんど無い」ですね。
それと、基本的に「自分目線」からしかものを言わず、「一般的には(世間では)」「誰々がこう言ったから」と言った「他のもの・人に託つけた」発言も無いです(相手目線で考えることもありますが、結局「言語的な了解」を得ない限り相手の言う通りに動きません)。
>ASの人が映画を見るとき、「演技がうまい」という感想が多い。
基本的に「鑑賞者」なのですが、以前、テレビでTさんのパラパラ漫画を観た時に凄く感動した記憶があります。
パラパラ漫画のストーリー自体は共感できる内容ではなく、それほど惹かれるものではなかったけど、「これを一枚一枚手描きして仕上げてるんだ」と思ったら感情が高ぶってきました(登場人物の気持ちになりきっていた訳ではないので、感情移入ではないと思います)。
映画やドラマでは「登場人物の言動や、その場面の意味を考えて一々納得しながら鑑賞する」のですが、この「納得」をAS的な共感と勘違いしていたかもしれません(ちなみに、このプロセスを省くと意味が分からなくてモヤモヤします)。
「自分目線」からしかものを言わないという事は、単に「自己流」かつ「自己中」であるということだったのですね。納得しました。