アスペルガー症候群の一大特徴は、「特定の人への愛着」である。知的障害に近い人からIQ130の高機能の人まで、みんな同じく愛着の問題に苦しむ。
この愛着は、本人の認知としては、「一心同体」「相手の全てを知っているのが当たり前」「自分の全てを相手が分かっているのが当たり前」という形になり、それを前提に、例えば「お母さんは全部分かっているはずだから説明する必要は無い」ということになり、説明する必要があることがなかなか了解できない。
また「愛着」であり、ペットや物に対する執着に近く、「相手の(自分には想像もできない)思い」等は前提に無く、断ち切りがたい特徴を持つ。また当然の結果として「支配的」または「服従」ということになる。
だからASの人がストーカーになったりDV、モラハラになったりするのはある意味発達障害の認知のどうしようもない特徴から来ているという意味で必然的な面があり、ASを理解すると何故起こっているかは了解が可能なことが多い。
ただし当たり前だがASであるからといってDVが許されるはずは無く、私はASの本人に上記の特徴について客観的に説明し、本人の理解を促すことにしている。そのためには遅くとも思春期までには診断がついていることが必要だ。大人になってからASと診断をつけても、特に支配的な男性の場合、診断自体を受け入れないことが多いからだ。
発達障害の不幸な不適応の一例である。
(下記に詳記)
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/as.htm
はい、パートナーに愛着されてます。。
ときどき他人事で、何を言っても通じない無力感に苦しみます。
>「愛着」であり、ペットや物に対する執着に近く、「相手の(自分には想像もできない)思い」等は前提に無く
夫(受動型AS)に対して私は『この人には人間の妻よりも、自分の想定内の行動しか取らない、また彼のどんなひどい言葉に対しても冷静で、感情的にならないロボットのほうがいいのではないか?』と、真面目に考えたことがあります。
彼は私にいつも『お前はどうしたいんだ』と私に聞いておきながら、私の考えを言うと、それを自分の理想とする形に修正をかけます。それに対して私が意見をすると、議論するうちに夫が切れて、怒りにストップかかからなくなってしまいます。それが予想できるので、私は自分の意見を言うよりも夫に『あなたの考えは?』と聞くようにすると、その質問には答えずに、毎度『お前はどうなんだ?』・・・です。
これは、夫がASであると考えれば容易に分かります。すなわち彼は、私の意見=自分の意見、という認知になっているということ。修正をかけるのは、私からすれば『私の意見』だけど、夫からすれば『自分の意見』なのだから、私が感じるほどの違和感はないのだと思います。
正直、夫の『愛着』になるのは疲れます。彼の前で、私は人間なのだろうか?と疑問に思えてむなしくなります。しかしASの彼の認知形態では、愛着の他者は恐らく不可欠なのだろうと思います。
ASは悪人ではない。それは分かります。ASを理解することで軽減される気持ちもあります。しかし逆に、理解すればするほど、どうしようもない絶望を感じてしまうのもまた事実です。
悪人でないゆえ辛いです。もしも夫がASと知らなければ、悪者にして見捨てられるのに、それができないことが私を苦しい気持ちにさせます。
40過ぎてASと診断されても、本人がそれを受け入れるのが難しいことは、夫を見ていて良くわかります。診断を受け入れられなくても、どうにかして、自分には問題があると気が付くだけで、変わるかなと、期待してみるのですが。
正直、私はどうして夫の伴侶でいるのか?理由が見えなくなってしまっています。ただこのまま夫を見捨てたら、無責任な自分が嫌になるから、というだけのような気がします。それでも夫婦でいる意味がどこにあるのだろうか?・・・・・今日もそれを考えていました。
私がこうありたいと思う夫婦像は、お互いの人格を尊重しあって、支え合うような関係です。でも相手がASならそれは、まず望めないことですよね。
・・・・・
夫はケンカのたび『お前はちっとも変わらないよな』といいます。私も同じ気持ちなので、同じように返したら『それはお互い様だから仕方ないな』と、開き直る。そして極めつけは『もう終わるか?』・・です。
もう、そのほうがいいのかもしれない、と最近は考えます。話を突っ込めば進まない。私がこうありたい夫婦の姿など、一度も話せたことがありません。その話に行きつく前に、変な方向に論点が外れるか、外れて修正しようとして失敗して、夫が切れるか、無意味に感じて私が議論をしたくなくなるかのどちらかです。
しかしどうしてASの人は、相手に話を合わせて、『そうだね』とか『そういう考え方もあるんだ』というような反応をしないのでしょうか。自分以外の価値観は存在しないんだから仕方ない、とわかりながらも、はっきりいってうんざりします。
相槌を打つとか、合意するとかいう理念なんてまったくなく、人のやることをまず誉めない。ありがとう、とすら言わない。(自分の為には何でもやって当たり前だから?)
何か言われたら反論するか、相手の意見にことごとくケチをつけないと気が済まない。・・・そのことが、相手からエネルギーを著しく奪い、疲れ果て、やがては愛情すらも奪っていきます。
ASの人にとって、相手の意見や考え方や、意思なんてどうでもいいことなんでしょうか?自分の考え方しか大事にしない。このうえなく傲慢で、自己中な人種にしか私には見えません。
だから、浮気されたって当然でしょうね。専業主婦ならいざ知らず、働く主婦なら職場でいくらでも『話の通じるいい人』に囲まれているのだから。浮気をされないとすれば、それは愛情からではなく、責任感や義務からだけです。
・・・こんなことを書いたら、随分ASの人は傷つくでしょうね。でも、これくらい言わないと辛い気持ちを、どうかわかってください。
管理人様、不適切と判断されましたら削除願います。
はじめまして。
結婚して17年近くになります。
夫の言葉の暴力に苦しみ、無関心な態度に傷つき、私の心はボロボロになってしまいました。
1年近く前に暴力を受けたのをきっかけに、子供を連れて別居しました。
夫はアルコール依存・買い物依存の傾向があり、話が全く通じないこともあり、アスベルガーなのではないかと思いはじめていました。
私の心も限界だったので離婚を考えていたのですが、本人の口からアスベルガーなのだと言われ、さんざんひどい事を夫に言ってしまったことを後悔しました。
本人も自分の行動で心が傷つき、苦しんでいたのだろうと思うと私はなんて理解のない妻だったのだろうと後悔でいっぱいです。もっと早く話してくれれば、私も対処できる事がたくさんあったのではないかと思うのです。
離婚すると決意していたものの、今は悩んでいます。
しかし、家に帰れば苦しめられることが分かっていて、今の自分の精神状態でうまくやっていく自信がないのです。
夫の徹底的に言葉で人を痛めつける行動はいけないことだと思います。だけど、本人も傷ついているのでしょうね。
今後どうすればいいか、もう少し考えてみたいと思います。
相変わらずのマイペースコメント、失礼いたします。
私の中で印象に残る「三大・友達・駆けつけ曲」というのがあります。
1.キャロル・キング 「You’ve got a friend」
2.シンディー・ローパー 「True colors」
3.「天使にラブソングを2」のエンディング曲
「Ain’t no mountain high enough」
これらに共通なのは、「つらい時は私を呼んで。何があってもすぐに駆けつけるから」という歌詞です。
キャロル・キングの歌がはやっていた私の若かりし頃には、この曲が大好きでした。友情のムードに酔う感じでした。
現在はこのタイプの歌はメロディーや歌手がすばらしくても、内容に拒絶反応を起こします。
「つらい時に自分を救うのは自分しかいないだろう」と思ってしまうからです。
これらの歌詞を作った人たちは愛着の強いASの人かなと思ったりします。
むしろ今ならシンプルに「世界に一つだけの花」くらいの方が受け入れやすいです。
ゆりんさんは今どうしておられるのでしょうか。
受動型ASの家人と別居して数ヶ月、向こうが先に代理人による措置をとりました。
長年耐えに耐えてきたこちらが話し合いをしよう、と言ってきたのに。
他人事とは思えず書き込みました。
最近、コメントが頻繁ですみません。
「最近のコメント」欄が5コメント分の時は他の方のコメントがすぐに消えてしまわない
ように間をあけようと心がけていましたが、15コメント分入るようになったので、
ちょっと安心してコメントを多く投稿しちゃっています。
ところで、この記事にある下記の文章
>また「愛着」であり、ペットや物に対する執着に近く、
「相手の(自分には想像もできない)思い」等は前提に無く、
断ち切りがたい特徴を持つ。
また当然の結果として「支配的」または「服従」ということになる。
を感じた出来事がありました。
芸能人とファンの関係です。
ある男性芸能人は独身でしたので、若い女性ファンがたくさんいました。
その男性はとても周りの人やファンに気を使う善良な人ですが、同時にマイペースな
所もあって、これと決めたことは自分の考えでしっかり実行する人でした。
最近、その男性が電撃入籍を発表しました。それでショックを受けた若い女性ファン
がたくさんいました。
女性ファンにとっては「心の中の恋人」だったのだと思います。
「それで応援していたのに、裏切られた」という実感が強いようで、
一部のファンだとは思いますが、結婚したとなると「可愛さ余って憎さ百倍」で
ネットでその男性をメチャクチャに罵倒していました。
同時にまだ自分の中に未練があるのが辛いというようなことを言っている人もいました。
「愛着」という言葉をはっきりと思い浮かべました。
その男性のファンとしてこれからも残って応援していくのは、その男性のアーティスト
としての才能とその人の人格そのものに好感を抱いている「落ち着いたファン」
なのだろうなと思います。
芸能人もあくまでも一個人ですから、あまり人気を意識し過ぎず、マイペースを
貫いて欲しいものだと思います。(難しいのかなあ・・・)