「生き方の選択」まで書いてきて、ひとつ注記すると、実はこの方法は受動型ASの人には難しいことになる。「そういう風に自分で選べないという発達障害」であるからだ。
しかし私の考え方は同様で、「出来るように生きるのが基本」である。だから受動型ASの人の場合は、「自分の生き方について大事にしてくれる人に相談する」ということになる。
本質的な意味での「選択」ではないかもしれない。しかし現実の生き方としてはむしろ慎重で、多数派に近いとも言える。
私は受動型ASの人の対人関係のスタイルを、「相手寄りの至近距離」というイメージで捉える。ASの本質が「人との近さ」であるとするなら、積極奇異型は「自分に引き寄せた近さ」であり、同じ「近さ」を相手寄りに取れば受動型の形になる。「近さ」故に両者とも近い相手に対して支配的となり、「全て分かりたい」と思うが、「その始まりが相手から」という部分が違うだけだ。
ADHD的には、「頭で自分の受動性について理解して、しっかりした相手を探してくっつくようにする」というのも十分に「能動的」「選択」であるように思うのだが、受動型本人の感じ方は違うのだろう。
というわけで③の「選択」には、「選択してもらう」というのも含めるということにする。
こんにちは。
>「近さ」故に両者とも近い相手に対して支配的となり、「全て分かりたい」と思うが、「その始まりが相手から」という部分が違う
ということは、積極奇異型ASは『(自分が)相手を分かりたい』というのに対して受動型ASは『(相手が)自分を分かって欲しい』ということになるのでしょうか?
自分を全てをわかってくれる相手を求めるのが『受動型』であると。
ADHD-ASカップルが多いということで、相方について考えていくとどうやらうちも例に漏れずで、恐らく私の相方は『受動型AS』かも?と思いました。
ただこれも『運命』というもので、全て受け入れるほか仕方ないでしょう。
私が相方をどこまで『理解』できるかわかりませんが、どんな結末が待っていても、私は自分の納得できる生きかたを考え、選ぶ事になるでしょう。
コメントありがとうございました。
yurin様
受動型ASの「支配的」とは、「相手からやってくれなくては行けないのだけれど自分の希望通りでなければならない」ということで、受動的ですが結果は非常に相手に強い要求をすることになり、相手から見るととてつもなく自己中心的な行動に見えます。
それでも本人がそのことを理解して、コーチングにつながっているケースもありますから、本人も辛いということは言えます。
ADHD側からは、見えている自己中なスタイルの向こうに、受動的な本人の認識を想像することしか出来ませんが、まだそうできると辛さは少なくなると思います。
コメントを書いた時、かなり事実にショックを受けていたのを覚えているのですが、今思えばこれがきっかけで『普通への執着』が落ちて、いい意味で開き直ることができました。
自分の人生は平凡でつまらないと思っていたけど、『実は大変で、噂好きな人が面白おかしく書きたがりそうな人生』だよなぁと感心する反面、過去の事実はそうと認めるけれど、決してそれに悲観的にならないで、未来はいくらでも挽回可能と信じています。
受動型の『自己中なスタイル』を、自覚すると本人はいたたまれないと想像します。正直なところ、自覚しないほうが幸せなのかな?とも考えてしまいます。こちらがある程度『理解』することで家族や職場での関係が安定していれば…、と考えるのですが。ただ本人としても『周囲との違和感』を感じてはいるようです。