AC、人格障害関連

ローレンツ「攻撃」より6.攻撃性と個体認識2

 (前回につづく)
 前回述べたローレンツの記述から、そもそも特定の生物の個体にとって「(同種の)他者」とは「最初は攻撃の対象でしかなかった」と私は想像する。

 他者との連帯は、自立する以前の親子や「つがい」の相手との関係だけで、(前述のシクリッドという魚ではパートナーでさえ殺してしまう)親族を除く同種の他者との関係は縄張り争いの敵でしかなかった。

 実際ネズミの場合には、著しく旺盛な繁殖能力の結果、同族結婚であっても(レヴィ=ストロースがポリネシアで見出した人間の特殊な結婚のシステムなどを持たなくても)繁栄している。

 これが、長期間隣接して暮らす中で、「お互いに相手の縄張りには立ち入らない」という形の和平のシステムが出来、それを確認する「儀式」が、「相手でない第三の相手を攻撃する」という形で本能のレベルで約束事として成立した。
 
 ハイイロガンでは、つがい以外に、「かちどきの関係」という友愛の儀式があり、雄同士でも成立するという。(ついでにこの関係とつがいが複合して雄二羽と雌一羽の三羽の結婚もあるという)。

 これは家族でもつがいでもない相手との「友愛」「連帯」であり、「その相手との関係」であるので、「個体認識」が必要になった。逆に個体認識が可能となったことで家族以外との「友愛」の関係が生じてきたとローレンツの記述から私は想像する。

 最初は家族とつがいの相手だけであった他者に対する攻撃性の抑制システムが、新しく友情を確認した相手にも成立するようになった。一人一人の個体認識によるきずなで他者同士が関わる。

 これがローレンツがハイイロガンで観察した事実であり、私は人間の多数派の衝動と行動をコントロールしている「空気」についてここから類推して考える。
 
 例えば多数派の「第三者の陰口」というのは、「狙った角度を相手から少し外した威嚇と攻撃」という魚のレベルからの和平の動作と(機能としては)非常によく似ている。 

 イジメも然り。「ヤンキー」と呼ばれる青少年の集団で校則違反や法律違反、社会的なタブーの違反を共有しようとする行動もこれに似ている。

 多数派の行動がローレンツが観察したハイイロガンなどと本質的に共通すると考えれば、「空気」とは構成員全員がお互いに「相手を攻撃しません」というメッセージを常時出し合うことで形成し続けている和平のシステムであると考えることが出来る。

 これは私がこれまで観察したり聞いてみたりしてきた経験とかなり一致すると私は思う。(つづく)


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コメント

    • ちひろ
    • 2010年 12月 20日

    「第三者の陰口」というのは、「狙った角度を相手から少し外した威嚇と攻撃」という魚のレベルからの和平の動作と(機能としては)非常によく似ている。 
    きっとそうです。
    やつらは仲間への和平動作として攻撃しているのだから、攻撃対象に五分の魂も見出していない。
    いじめられっ子たちに言いたい。
    いじめられたって死ぬんじゃないよ。
    自殺しても、彼らはせいぜい「いい迷惑だ」としか思いません。違法な報復も、逮捕されて動機があると言われます。
    いじめられたら、学校なら先生に、会社なら使用者に責任を取らせ、逃げるしかないのです。(逃げないとショック死です)
    気づかずにひとり赤信号を渡って交通事故にあったのだから、自分の「人格」も車も恨んではいけないと(車と戦うなんて論外だ!)
    ・・・と、私も自分に言い聞かせているところです。

    • nori
    • 2010年 12月 22日

    >「(同種の)他者」とは「最初は攻撃の対象でしかなかった」
    この考え方はおもしろい。
    adhdは狩猟民族の生き残りといわれてます。
    この狩猟民族の時代には、個々は単体で生き、今の時代のように、和平を作る必要性がなかった。
    だから攻撃性を全開にしても普通に生きれる世の中で、adhdには生きやすい世の中だったんでしょうか。
    でも今の世の中は単体では生きられない世の中つまり「近代社会」が生まれ、その結果として広範囲に及ぶ和平が必要になり、それが「空気」とういう形になって現れたんでしょうか。
    ということはアフリカの少数部族民族には「空気」は日本ほど関係ないということになりますよね。
    他の民族に対しては強烈に敵対心をむき出しにします。
    アフリカの部族民族に「空気」は存在するのか調べたくなりました。
    もっとマクロ的に考えれば、隣国に対する敵対心や戦争もそういうことなんでしょうか。
    ということは戦争は本能のレベルでの必然性だった….。
    いやー結構納得しちゃいました。

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