ジャイアンでも積極奇異型ASでも、思春期以降は基本的に本人が自分の脳の働きについて正確に理解し、多数派の世間とどう関わるか本人が決断して努力する必要がある。
私はHPの「発達障害の適応の基本原則」でも書いているが、発達障害の根本問題は、「多数派の世間でメジャーな地位を得たいのならば大いに妥協するしかない」、逆に、「自分のこだわりを大事にして生きたければ世間が狭くなることを覚悟する」という究極の選択をすることである。
単純に書けば、「メジャーをとるか自分のスタイルをとるかの二者択一」で、(よほど幸運でなければ)「両方は取れない」ということだ。幸運なケースは「職人の家柄」や「スポーツや音楽の才能に恵まれている」などの幸運によって自分のこだわりを通してさらに天才として評価されることが稀にあるが、当然ながら多くのケースのケアの目標には出来ない。
積極奇異型ASはこの問題を考えることに非常に抵抗があるようだ。こだわりも曲げないままでメジャーであることを求める。
実際私がこの問題を突きつけたケースも、「選べません」とうつ状態となって直視を避け続けているケースもあった。
実は思春期以降の発達障害の適応の問題全ての底にこの問題が横たわっている。例えば「漢字を覚えたくない」などのこだわりの問題を解決するときにも、「漢字を覚えなかった場合に進路の選択肢が非常に狭くなることを覚悟するしかない」という現実を突きつけて、本人に選択させるしかない。
逆にこの形で納得しない限り、本人が本当の意味で適応する方向に納得する方法は無いのではないかと私は考える。
だから11歳以降に発達障害の診断をつけた場合は、医師は必ず本人に説明するべきだ。
その説明の中で、「脳の働きの少数派である」ことをきちんと説明し、その結果直ちに上記の根本問題が現れるので、本人に選ばせるプロセスに入るべきだと私は考える。
実際メジャーを目指すか自閉的に生きるかの本人の方向性が定まらないと、ケアの方針も立たないのは当たり前のことで、本人の決断を待って基本方針を決定するという順序になるべきだ。
結局大人のケースも積極奇異型ASでトラブルの多い場合などは、この問題に立ち返って考えることがケア上の「本筋」となる。「何でこのことをもっと早く言ってくれなかった?」と言われて、「ここまで同じパターンで失敗する前はあなたは指摘しても認めなかっただろう」というケースは実際多い。
やっぱりこの二者択一が大切だと思います。
僕はメジャーは方向でやっていける可能性を10年以上探り続けましたが、無理だったので、今はスタイルをとっています。
これで収入があって食べていければ良いのですが、今のところパラサイトでしか生きていけません。
しかし、メジャーに挑戦していたころは、わずかでも収入がありました。それでも慢性的疲労でしたし、思考力もぼろぼろでしたから生きている喜びは今の方があります。
小動物の観察が楽しみになったり、そんな心の余裕はスタイルを選択してからです。
この二者択一ほど難しいものはないと思います。
というのも、こだわりを選んだ場合に対して一般的には
「現実から目を背けている」と一刀両断します。
漢字を覚えないという生き方を選んでいるのではなく、漢字が苦手だから覚えたくないといって努力していないだけで、努力すればできるのにしないのは後で後悔するよ。
そんな感じの考えが一般的だから、決断は続かず折れてしまいます。
そして、漢字を覚える努力をしても、実際に覚えるのが苦手なのか、覚えたくないのか、理由はどうであれ結果は出ず、かといって納得のいく漢字の覚え方を説明してくれる人や本もなく、自分の適性に合わせて覚えない道を選んだ方がいいと思い、折れてしまいます。
一人でできることならその往復でも問題はないですが、相手がいる事となると、こちらが希望しても相手が希望しなければ、仲間に入るの選択肢は消え、仲間に入りたいが入れない、もしくは一人でいい選択肢を選ぶことになります。
>というのも、こだわりを選んだ場合に対して一般的には
>「現実から目を背けている」と一刀両断します。
一刀両断されるのはまだ可能性を秘めた(と思われている)
子供のうちだけだと思います。
大人になれば漢字を書けないのも逆上がりができないのも
「そういう人なんだから仕方がない」です。
「自分はそういう人なんだから出来ない部分をバカにされたり理解されなかったりして、ある程度孤立するのも仕方がない」と
早々に自分に見切りをつけるのが
「頑張ってもできない人たち」がとる最良の道なのではないでしょうか。
大人になっても「現実から目をそむけている」と一刀両断される場合は、例えば漢字ならば
辞書に頼らずいい加減な記憶で誤字やひらがなばかりの書類を書いて平気で提出するような時だと思われます。
「私は漢字を覚えられない」という事実を直視していればPCで下書きするなどしてかなり避けられることではないでしょうか。
漢字を覚える努力をする事ばかりが「漢字を覚えられない」事実に対する対応ではないですからね。
学生時代のペーパーテストならともかく、
この場合相手が望んでいるのは「漢字を覚えること」ではなくて「覚えられないなら覚えられないなりの対応を求む」です。
そしてこの要求に辞書やPC活用で対応できれば、漢字を覚えられなくても
「漢字を用いて文章を作成できる」仲間に入れます。
「相手が言っていることの裏を読む」のはたいへん難しいことですが、自分に本当に求められている事は何かを理性的・合理的に判断していけば、対応できることもあるのではないでしょうか。
YANBARU先生の仰る通り二者択一は必要だと思います。
それに、「脳の働きの少数派」である事もきちんと説明した方がいいとも思ってます。
でも、それらの事に対して多数派と少数派を比較し優劣をつける必要はない、というメッセージも伝えてあげないと、子どもはしんどいですね。
あと、こだわりの例に「漢字を覚えたくない」と出されていましたが…
覚えられないから覚えたくないと言ってる可能性もあるかもしれないです。
わが子はアスペルガー症候群の診断ですがLDの傾向が非常に強く書字に困難があります。
困難に応じたフォローがあれば本人なりに努力できますが、それがない場合は二択で迫られても難しいと思います。
単なるこだわりなのか、何かの困難さゆえの事なのか、見極めは必要だと思います。
ひさしぶりにブログを拝見しました。
娘は高校に3ヶ月だけ通うことができましたが、その間この「二者択一」で悩んでいました。どちらも両立したい気持ちが強く、「みんなの中心でいたいのか、マイペースで行動したいのか、自分でもわからない」と訴えていました。
その数年後、統合失調症になり、いろいろな治療と試行錯誤の結果、完全な「自分のスタイル」の方を取ることに落ち着きました。振り返ってみると「すさまじい二者択一」になったものだと思います。
現在はのんびりと散歩をしながら近くの川に住んでいるカルガモの親子を眺めるのが一番の楽しみになっていて、心は安らかな様子です。