私は「ASと想像力」の問題を最近あらためて考え直す作業を進めている。
というのは、受動型ASの想像力が非常に特殊な形をしており、それが対人関係のパターンの行動をも帰結する可能性を想像しているからだ。
例えば、「2年生の今勉強をしておかないと、一年後の受験で苦しい思いをする結果になる」という「想像」もしくは「仮説」に関して、受動型ASの人はどうやら「認知できない」ようであるからだ。
まず時間の長さが長すぎる。「数日後の期末試験などの場合は分かる」というので、「そんな先のことは分からない」という事情がありそうだ。
次に、(受動型ASの人たちの思考を観察してADHDの私が想像するのは)「抽象化、一般化しすぎていて認知できない」ということもあるだろう。「絶対誰にでも言えるか?」という訳で、(現実逃避、都合の良い合理化の意味ではなく)「その他のいろいろな細かい事情を無視して結論だけ出そうとしても無理がある」ということならば、なるほどとうなずけないことも無い。
そこでブログに参加している皆さんにお願いがあります。
「2年生の今勉強をしておかないと、一年後の受験で苦しい思いをする結果になる」という仮説、または想像について、
1.「本当のことである」または「説得力がある」「考慮するべき重要な真実である」、その他の肯定的な捉え方をするかどうか?
逆に「一概に言えないだろう」「自分の場合は違う」、その他などの否定的な捉え方、「もっと詳しい情報を追加しないと何も言えない」「そんな先のことは分からない」、その他といった「どちらとも言えない」捉え方をするかどうか?
2.上記の捉え方をする理由はどんなことか? 各自個人的な考えを教えてください。「家族や周囲の人のほとんどがそう言うから」という理由でも、「そもそも当たり前でしょう」、「あまりに単純化しすぎて乱暴な議論だ」という理由も成り立つと思います。いろいろな考えを書いてもらい、私が考えます。
ちなみにADHDの私が想像する多数派の人たちの考えを想像してみます。
「こんなことは当たり前だ。なぜと言われても、だって親も学校の先生もみんな同じことを言っているし、小学校から自分でも経験して大体当たっていると思うからだ」という答えで、単なる「想像」「仮説」よりも「事実」に近いような真実という風に捉えているだろうと思います。
ご協力お願いします。
初めまして。いつもブログを参考にさせていただいております。
私の息子はASらしいのですが、何型かはよくわかりません。
受験勉強に関して息子に聞いてみました。
・2年生の今、勉強しておかないと、1年後の受験で苦しい思いをする結果になるという仮説については、ごく普通に肯定的に捉えたそうです。
・その理由は周りの人(先生・友人・家族)がみんなそう言っているし、常識的だからだそうです。自発的・積極的ではなかったそうです。
・大学の受験勉強は長期戦なので、親の私が受験勉強専門家のハウツー本を買ってどの科目はどの参考書を使うなどを調べ、その参考書の中の一番基礎的で簡単なものを選んで与えました。本人はすべてに消極的なので、親の私が受験勉強のレールを敷いたら、黙ってそのレールに乗っかって黙々と勉強しました。(このあたりのことは明らかに過保護で恥ずかしいので、人には話しませんでした)
・息子の対人関係や勉強などへの原動力・基盤には「怒られるのが嫌だからやる」というのがはっきりとあるようです。
・ただ、バレなければ悪事を働いてもいいなどとは思わず、それなりの良識・常識を守ろうという意識はあるとのことです。
・社交は苦手なので、自分で無理のない範囲にしているそうです。
1は『何の話をしているかわからない』です。
2は今の自分が受験するわけではなく
未来のそのときの自分が受験するわけだから
行きたい学校と自分の学力で苦労するかもしれませんが
そのときの自分がどこに行きたいのかわかりません
今の自分が行きたいところを受験をしたらどうなるかは
答えが出せません
もともと、自分に手に入るものが全てで
そうでないものはないと同じなので
行きたいけどいけないとかが考えられません
もうひとつは
それを信じて勉強をがんばって受験をした場合
特に何もせず、意識的な努力をせずに受験した場合
どうなっていたかとの比較ができないので
意識してがんばったからそうなったとは言えず
自分のペースでやっていたほうが
実は勉強が好きになって
やる気がなくてももっといい結果が出ていたかもしれません
それに、苦労するとして
苦労するのは未来の自分であって
今の自分ではありませんから知りません。
どういう提案に聞こえるかを一般的な人に合わせてみると
『今勉強をしておかないと
将来の結婚で苦しい思いをする結果になる』
という仮説ぐらいだと思います。
1,教育体系の整ったこの国における普遍的な事実
2,勉強という合理性が重視される分野の場合コツコツと長期的なスパンで取り組むことは当然だから
経験を踏んだ今でこそ確信をもって(たぶん)こう思えますが、先送りが問題化し始めた中学当時を振り返って自分が考えていたことは
「もうすぐ努力できるようになる、やる気になる(ので大丈夫、まあいいや←逃げることになるのでハッキリとは考えない)。」です
正しいか正しくないかでいうと前者ですが自分だけはその限りではないという感じでした ある種の万能感、全能感だと思います
今やらなければ後々しんどくなり出来るものも出来なくなるという状況は頭の中では分かっていましたが、結局体は動きませんでした
何より14歳当時はコミュニケーション不全による不安と劣等感に支配されヘラヘラしながら皆の背中を眺めるのが精一杯でしたので自らやる気を奮い起すことは出来ず
「なんでこの親は僕を無理やり努力させないんだ」と情けない期待と苛立ちを抱えていたのを憶えています しかし両親は放置主義なので具体的な手立ては受けられませんでした
なので「時機にとてつもない質の集中がやって来るだろう」という、ある種超能力のような奇跡の到来を日がな一日描いていました それから志望校が無かったです
自分は基本出来る人間だと信じていたので漠然と偏差値の高い学校に行くと思ってはいましたが反面コミュ不全による自尊心の低下でどこにも行きたくないとも思っていました
ですので当時の感情をまとめると、
計画性は合理的であると分かってはいるが、自分はどうしても違ったやり方でしたい。 でした
最近医者にASぽいと言われたので書き込んでみました
ちょうど14歳になるころに父が亡くなったので、その時から私の中の予定調和などはすべて崩れ去りました。
私の話を聞いてくれる人がいなくなり、長女としての役割や規則正しい生活、家事、勉強、部活などを常に前向きにがんばることを強制的に要請され、県外から引っ越してきたよその人としての学校生活2年目にもなじめず、家と学校どちらの対人関係もうまくいかなかった私はコミュニケーション不全感に陥りました。
((当時、)「今現在」という捉え方が、私の世界の全てであり、ライフプランとやらを考えようとしても疑問符ばかりが浮かびあがり、よく脳がフリーズしました。授業で書くように言われたので、世間で一般的に言われているような当たり障りのない計画を書いて提出しようとしてもどうしても書けず、二律背反的、ダブルスタンダード的な矛盾や葛藤が解決せずに苦しんだ記憶があります。(進学や就職や結婚の時期などを思い浮かべて))
特に、中学後半からの学生時代は常に大きな不安と劣等感を抱えていました。大きな怒りと悲しみが混在し、対人関係でどうしようもなくなった時によく暴発していました。中学3年生時のほとんどは保健室登校か公民館登校でした。計画性のある受験勉強はとうとうできませんでした。志望校はなく、母の友人の娘で私よりも1年年上の人が行っているからという理由だけで最終決定。父との思い出であるパソコンの授業のある科なら通学も続けられるかなと思って選びました。
なんとか高校に進学できたものの、そこはお金のかかる私立。ADHD母からは常にお金のことで愚痴ばかり言われていました。高校生になってから、本格的に人間関係がうまくいかなくなりました。
物心ついた時から疲れ果てるまで何時間でも本を読んでいられたことと、多数の人とは違う事をいきなり言い出すので、集中力と、(特定の狭い領域でしか通用しないある種の)勘の力は持っているかな、とは思っていました。
しかし、自尊心の低下や抑うつ的状態にまで追い込まれ、【私の中ではもうすぐ努力できると予定調和的に思っていても、実際現実に体は動かない。のだから、”もうすぐ努力できるかも!”と実は私は夢想しているだけなのだ】という、真実を横に置いて耐えながら生きるしかありませんでした。
長年愛読させて戴いております、女子高校生の保護者です。本年もどうぞよろしくお願い致します。
乳児期にクレーン・物並べ・常同行動、幼児期に社会性(発話を含む)の発達遅れ・学習障害傾向が観察されたため、保育園を通じて公的支援(児童心理士の定期観察)を受けていました。その後は、感覚過敏・二次障害がごく軽微で、家庭での療育だけでも学校生活にはなんとか適応できたため、敢えて診断はもらっていません。受動型ASが最も近いかと推察しております。
娘の回答は、
1. 確かにその仮説は正しい、と思う(ほぼ事実に近い・肯定するのに全く抵抗はない)
2. 学年が進めば勉強はますます難しくなるし、今の勉強をいい加減にしておいたら、後々苦しい思いをすることが想像できるから
でした。
ただし、学校の先生・先輩など『よその人たち』が言っていることを盲目的に受容している節もあります。
現に最近、学校の宿題・通信講座の課題を期限までに提出しているだけで一向に成績が好転しないため、母親から勉強のやり方を修正するよう助言した所、「先生からはそういう指示をされていない・『それを実行すれば成績が上がる』という保証が無いからやらない」と強硬に抵抗されました。小1時間かけて理詰めで論破・説得した結果、渋々助言を受け入れ、現在は練習問題の正答率が上がったのでようやく納得した様子です。2. で「想像できるから」と答えていますが、実際に自分の思考力を働かせて想像できているのか、甚だ疑わしい状態です。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
比較対照のためにジャイアンADHDの考えを。小生が中高生のころ実際に感じてやったことです。
1.「説得力がある」「考慮するべき重要な真実である」、
と思います。家族親戚、周囲の知人の話体験談や現状をみればなんとなくわかります。でもなかなか実行できません。その理由は
1)今日は他の用事があるから明日からでいいや、と先延ばしにする。重要性を感じ過ぎるあまりそのプレッシャーに押しつぶされそうになり、とりあえず逃避行動をとる。
2)必要性は感じるので参考書、問題集、先輩の合格体験記などは本屋(今はネット?)で読み漁って買い捲る。そして自分に都合のよさそうなところ、興味のあるところだけ何度も読んで満足してしまう。
3)直前になって、あるいは浪人してもう今年が最後だ、と親に最後通牒を突きつけられてやっと死に物狂いで過集中する。もちろん試験が近づくにつれガス欠とプレッシャーの方が大きくなり大幅にペースダウン、結局夢の仮想世界へ逃避。2次性うつにもなる。でもかつて一時的にも過集中した余力のおかげでなんとか合格。当日も試験中に腹をこわしトイレに行くがかえって開き直る。
2.「家族や周囲の人のほとんどがそう言うから」
これが一番近いでしょう。というか、そうしなかった、あるいは家庭の事情でしたくてもできなかった人たちが周りにはほとんどで、だからかえって真実味があるような気がしました。
今の私を支えているのはこういう想像です。
「自分の親が死んだ時、自分の身の振り方、自分の生計の立て方を、自分の現実のものとして、実際に実現できるような道筋での検討が”具体的に”できるかどうか。」
自分が死ぬのがいつなのかわからないように、親はいつ死ぬかわかりません。
ある日突然事故で死ぬのか、事件にあって死ぬのか、老いてなのか、死に方はわかりませんが、生まれたからにはいつか必ず死ぬ時が来ます。
その時までに、私は自分で職に就き、自分の力で生計を立てて、現実のものとして実際に生きていくことができるのか。
今のところ、私の親は運よく生きて現役で働いていますが、今年定年を迎えるので、「今親が死んだとなったとして、私は路頭に迷わないか。自分の力で職に就き、自分一人で生計を立てていけるのか」と自分に言い聞かせる日々です。
いつも心の片隅に少し緊張感がありますね。
積極奇異型サムライASとして、ひと言残しますかね。
「こちとら、腹ぁ、くくってんだよ」
この記事はASの方向けかと思いましたが、先生が考えるということで、「皆さん」ということは自己診断に迷っている人も入ってよいのだろうと解釈して書いてみます。
>「2年生の今勉強をしておかないと、一年後の受験で苦しい思いをする結果になる」という仮説、または想像について
1.「本当のことである」または「説得力がある」と思います。
2.上記の捉え方をする理由は
そうなのか!とすぐに思い込むために。(聞いていれば)
私は受験は高校だけですが、当時中学校の先生は進学にとても熱心でした。生徒より先生方のほうが頑張っていたように思います。「中学を出たあとアテが無い、近くて入れる公立に入ろう、お金が無いというし。」ぐらいしか思っておらず、何も眼中に無くぼーっとして、中学校の先生がいなければ高校なぞ入学できたか疑問。まあ依存的。
しかしそもそも2年生時勉強についていけてなく、当時授業中クラス全員が順番に当てられて授業の初めに前に出て黒板に問題の答えを書くというシステムに苦しんでおりましたので、さらにくるしむぞといわれたひには。。
母ジャイアンを思い出します。
権力というものについて一瞬考えました
無駄な権威とは実力のない無能な癖に権力権利だけは一丁前な必要悪タイプと
実力ある権力権利ある正義で有り必要なタイプです
私はヤンバル先生を後者と捉え前者を自分に当てはめました
これを黒板の問題に順番で答えよなどの強制的な思考に寛容な教室と
適当に問題プリント出すから各自やるように残り時間は自由などという強制的思考に不寛容な教室
どちらに行きたいのか、私は当事者であれば前者に参ります
慢心して許される強制的思考に不寛容な環境だと
先生依存型の人間は慢心し続けてしまいますよね
なお先生依存型であるのに関わらずスマートに生きている受動型アスペルガーもいると思いますが
彼らについては天に恵まれし子たちと自覚しマイノリティを助けるではなく手伝う
勇気づける職業向けかと思います
二回目ですが新庄です
自分でも誰にでも陽選手であっても真似は不可能なので悪しからず。
さーこ(AS)さん
「こちとら、腹ぁ、くくってんだよ」ですか…
きっと「親しい人が死ぬのを見届けてからじゃないと、自分は死ねない」という考え方なんですね。
ジャイアンとはまた違った意味で厳しいなぁ(^o^;)
以前別の記事で「情緒障害型依存型ジャイアンの友達に羨ましいと言われたのが印象的だった」とコメントしてましたよね。
あの時直感的に「何となく分かるような…」と思ったのに、うまく説明できませんでしたが、さーこさんのこのコメント見て説明できそうです。
きっと「当たり前に人を志向しているから」だと思います。
常に傍に「誰か」居るのが自然だから、その相手を思いやり、気を配るのが当たり前なんですね。
私なら相当神経使わないとできませんから。
(いや、使ってもできません)
あと、あなたの「かけがえのなさ」で、お友達のACを治しちゃって「ジャイアンの攻撃性」が顔を出し、お互いボロボロになってしまったのかと。
保健室登校だった頃、(それほど仲が良い訳ではなかったのですが)家に連絡をくれたり、よく声をかけてくれた人が積極奇異っぽかったのを思い出しました♪
「2年生の今勉強をしておかないと、一年後の受験で苦しい思いをする結果になる」
自分にとって、意味のある言葉は2種類です。
「自分が誰かに発する言葉」と「自分が探し求めて手に入れた言葉」です。
(生きにくい自分をどうにかしたいと思って、自分でこのサイトにたどり着いたので、先生の言葉は意味のあるもので、とても理解できます)
でも、求めてもいないのに、1年後の自分の話をされても、全く理解できない(理解しようと思わない)です。
「今勉強しないと~~~」と言われたら、使える言葉(他人を動かしたり、感心させたりする言葉)だと思えば記憶に残します。そして、いつか誰かに披露しようと思います。
また、それを私に言っている人間を判断する材料とすることもあります。自分にとって、この人はどういう位置づけなのか・・・敵か味方か、上か下か。理解ではなく判断、診断に近い感じです。本を読んで、感想を持つ読者ではなく、作家の力量を批評する評論家的な立場、見方をします。
相手の言葉にスルーできないような棘が混じっていた場合は、やり込めるために言葉の矛盾を探します。
一度でもその棘を感じた相手の場合、時間がたったり会話をしたりした後に、評価を変えて「やっぱりいいひとだった」となることは殆どありません。
自分の属性は分かりませんが、私はそう思います。
道産娘さん
うわあ、、コメントありがとうございます(^◇^;;)
先生の記事を読み、当時の自分の心情を回顧しながらコメンターさんたちの文章を読んでいたら、理由もわからずイライラしてきたので、つい啖呵をきってしまいました。
なお、私の啖呵は特定の個人に宛てたものではありませんのであしからず。
>きっと「親しい人が死ぬのを見届けてからじゃないと、自分は死ねない」という考え方なんですね。
自分一人だけならどうでもいいんですけどね。
しかし、私の心に気にかかるAC的な人たちがたくさんいるので、(最近また増えた…)、その人たちの心に、死という衝撃を与えないために生きる、みたいな感じでしょうか。
これが、「当たり前に人を志向している」という事なのかな。
それと、AC的だった頃から、自発的にできた分だけの範囲ですが、思いやりの気持ちを贈りたいと思った相手には特に気を配りたい、と思ったりしていましたね。
これが、私の「かけがえのなさ」に該当する訳だ。
実は、依存型ジャイアン疑いの友人というのは、彼女1人だけではないんです。
後々わかり得た範囲で書くと、情緒障害型1人、ボーダー型2人。
いずれも今では遠すぎる友人になりましたが、その彼女と他1人に対しては個別に長年関わりを持ち、最終的に彼女らはそれぞれ自己主張が強くなったので(AC治ったのかな…?)、それぞれにこう伝えました。
「私をあなたのゴミ箱にしないでください。あなたは、苦しい自分の人生を生きればいいと思いますよ。」
「私の社会的立場を捏造しないでください。あなたは、自分の段階(身の丈)に合った人生を生きればいいと思いますよ。」
そうして付き合いを止めました。
私がAC治したのか…?自覚は無いですよ。
ちなみに、私もそれほど仲が良い訳ではなかったですね(苦笑)
道産娘さん、どうもありがとうございます♪
コメントを読み、考え…、トラウマが整理できてなぜかスッキリとした気分になりました。
私の中のACも、いつの間にか感じられなくなっています。
あなたの冷静な思考と、件の彼女の思考は、文面から感じる限り、少し似ている気がします。考える言葉に今まで助けてもらったのも、事実です。
またぼちぼち歩いていけそうです。
はじめまして…1年半程前やんばる先生のHPとブログにたどりつき、自分が発達障害だと気付きました。
自己診断をずっと考えているのですが、ジャイアンACか受動型ASかというところまで来てどちらか決着が付きません。先生のこの質問に答えることで何か見えるような気がしたので書き込みます。
1.認知できていないと思います。世間的にそういうことになっているのは知っています。認知できない物を説明するのは難しいです。あえて例えるなら「世間的科学的に立証されている相対性理論を誰かに説明してもらってなんとなく分かった気分になったけど本質は何も理解してない」
2.自力で長期計画を立てる能力が著しく低いせいだと思います。未来が予測できないというか。イメージが湧きません。
勉強に限らず、何か目標を設定してそこに自力でたどり着けたことがないです。
一つ知りたいのですが、依存ジャイアン(刹那的な)の人は「来年困るから~」を認知できるのでしょうか?
HFPDD&ADHD、ストラテラ服用の小一男児の母です。
自分自身のことを振り返ってみると、
親は高校でて就職すればいい、金が無いから大学はいかないでほしいという教育方針(?)でした。勉強はできましたが、親にほめられた事、塾に行ったことは一度もありませんでした。参考書一冊買うのにも苦労しました。
大学へいっておきたいという漠然とした意思は持っていましたが、あまりやる気はありませんでした。
それが中三のときに実に単純なことで急にやる気が出ました。
毎週の勉強時間の目標を二十時間として棒グラフを作リました。勉強した時間を色鉛筆で塗りつぶすと言う単純な方法です。最初の2,3ヶ月は週2,3時間でしたが、とある週たまたま20時間を超えました。そのとき、ふと思いついて今までに塗り残した週に書き足す作業を開始したら、未完エリアを塗りつぶしたいという欲求だけで学習習慣ができました。そうなると、後は好ループで、全エリアを塗りつぶした後は各週を21時間に伸ばし塗りつぶしてという具合です。
その頃、ちょうど模試も始まりました。頭がよいかもしれないけど変わった子が、学区ですごい順位をたたき出すことで、クラスメイトの見る目も変わり人間関係も好転しました。ど田舎の学校だったこともあるかもしれませんが、友人達にすごいとほめられ、頑張ってと言われることで自分に自信ができました。自分の摂り得は勉強だと悟って大学受験まで走りきった気がします。
難しいところにきてますね。
この先は図が必要になってくるのでは。。
数学を言葉で言い表すのは大変だす。
私は依存型風ですが多分ジャイアンでは無いのです。が。
時間は定規にたとえたりします。
1cmを1ヶ月とすれば
12cmで12ヶ月すなわち1年とか。
そうやって過去現在未来を考えたりします。
直感的にとらえようとすれば季節とか。
ん、違いますね!季節の風景、まだ自分の思い出は無い。なのにそこに困っている自分が居るかどうか、か。。
それだけ考えれば分かるわけありませんね。
たぶん。
今で言えば「今貯金しておかないと、老後に困る」かな。
そうだ大変だと思いながら無駄遣いして貯金は遅々として増えぬというところかな。上手くできるとは絶対思えない。。。
む、この記事の質問は有利不利が分からないとすぱっと答えられないのでは?
さーこさん。
>自分一人だけならどうでもいいんですけどね。
しかし、私の心に気にかかるAC的な人たちがたくさんいるので、(最近また増えた…)、その人たちの心に、死という衝撃を与えないために生きる、みたいな感じでしょうか。
これが、「当たり前に人を志向している」という事なのかな。<
>それと、AC的だった頃から、自発的にできた分だけの範囲ですが、思いやりの気持ちを贈りたいと思った相手には特に気を配りたい、と思ったりしていましたね。
これが、私の「かけがえのなさ」に該当する訳だ。<
考えさせられました。
ジャイアンADHDはこう考えていました。
自分が死んでも必死で払った保険金もあるし、住む家もあるし、また他の人を好きになってくれればいいし、と。
でも保険金もなく、家もなくなるかもしれず、他の人を好きになれるかどうかもわからない場合もあると。
ごめんなさい。おそらく仰りたい主旨とは相当ずれているんでしょうが。これが中心志向、超現実主義ジャイアンの考えです。(みながそうとは思えませんが)
「かけがえのなさ」に関してはじ~んとくるものがありました。何故かは今すぐ表現できないのですが。そうしたいと思う相手がいるということ、それ自体が大切で貴重なのかなとも。
今日はいつも以上に変です。2次性うつのせいにはしたくないのですが。本当に申し訳ありません。
でもさーこさんのお言葉は胸に染み入ります。きっと今後何かあったときに自分を、周りの人たちを助けることになりそうな気がしてなりません。ありがとうございました。
>私をあなたのゴミ箱にしないでください。<
相手をうまく利用しかねない小生にとっての、最大の自戒の言葉とさせていただきます。
Paul Carpenter さん
貴重なコメント、有難く拝見させていただいていますよ。
私はブログ以外の現実でもいろいろな人とお話しているので、話の主旨とずれていてもあまり気にはしません。
本当に少しずつではありますが、ジャイアンについてイメージや理解が進みます。
>「かけがえのなさ」に関してはじ~んとくるものがありました。何故かは今すぐ表現できないのですが。そうしたいと思う相手がいるということ、それ自体が大切で貴重なのかなとも。
ありがとうございます。何とも言い表せない感激が胸を打ちます。
「生きている喜び。」 このような言葉が浮かんだので、記しておきますね。
私は香りのインストラクターなので、うつ的状態に陥りそうな時には aromatherapy の力を自分にも用います。
個人的に、最近注目しているのは「フラゴニア」という香りです。(学術名/Agonis fragrans 原産地/オーストラリア 抽出方法/水蒸気蒸留法)
まだまだ日本国内ではメジャーになっていない香りなので、もう少し専門誌などでこの香りについて詳しく調べてみないといけないところなのですが、自己免疫疾患疑いで病院の検査を受けている歳の近い友人に、お手紙付きのXmasプレゼントを送ってみたところ、とても気に入ってもらえたようです。
一緒に同封した、芳香拡散器(ディフューザー/ネブライザー方式)にて芳香浴を推奨してみたところ、香りだけでなく拡散器の性能の方も絶賛されましたね。
ちなみに…。「日本アロマセラピー学会」(臨床医を中心に組織された医療従事者の全国的な研究団体)の標準テキスト基礎編の方には、「補完・代替医療としてのアロマセラピー」についての記述があります。
メディカルアロマセラピーの時代が来ているのかもしれませんね。
ドラえもん型に聞いてみました。
「俺が困ったらみんな燃やす」
「その人がそう言ったからといって俺が困るとは限らない」
「今難しいなら入学したってついていけないでしょ」
「行けるとこに行けばよい」
この人は高校に行きませんでした。LDのためかひらがなだけ書けない時があります。読めるけど書けないそうです。キーボードは打てる。自筆でなければ入試を受けられたかもしれないのです。
自分が何者か、やんばる先生にメールを出そうかと何度も思いましたが出せず、ここに書き込むことにしました。
皆様の会話をぶった切って投稿してすみません。
まず、自分のなかに確かにある感情が「愛着」なのか「依存」なのか分からないという点で迷いました。
私の「愛着」は物理的な距離ができると高熱から覚めるようにスーッと消えていきます。依存だから?
実家で暮していた18歳まで、母(合理的ADHD、少々ジャイアンっぽい部分もある)に酷い反抗をしていました。凄まじい悪態をついていたのですが、私の中に「母が私を嫌う可能性」というものは皆無でした。0です。微塵も想像できませんでした。
18歳で県外の大学に通うため不本意ながら家をでました。それから15年以上、600kmぐらい離れたところで暮しています。最近会って話したとき「母が不愉快そうな雰囲気だからこの話題は引っ込めよう」という判断をしている自分に気付きました。
距離が離れたのと、やんばる先生のブログを読んだ為だと思います。「愛着」「依存」というものの存在を知りました。可能性0というのは異常だという自分の認知のゆがみにも気付いたのです。
色々考えたのですが、どうやら私には知識(情報)として持っていないものを認識できないようです。知らないものは「知らないということさえ知らない」0か100で、100の方にやってくると途端に私の主義主張を変えてしまうような力を持ってしまいます。
こうやって書いてみると、受動型ASなのかなぁと思うのですが、以前の記事に「受動型ASは緻密で隙がない印象」というのがあり、その部分はおおざっぱでガサツな私は当てはまらないなと思います。
それから、人の存在がたえず前提にある、というのも良く分からないのです。
ADHDだったらいいなと思っているのかもしれません。まずACを治して、依存を治して、ジャイアンから合理的ADHDへの道が示されています。かたや受動型ASはやんばる先生が研究の真っ最中です。0か100かで考えてしまって受動型は回復の方法無し、となっていたから受動型ASと認めるのができないのかもしれません。
私には6歳と4歳の息子がいます。どちらもおそらくジャイアンです。逃げられない大きな責任を前にどうしていいか道筋が見えずもがいています。
カマピー様
カマピー様のおっしゃっている事は、おそらく「愛着」ではなく「同一化」の事かなと思うのですが…。
受動型ASではないのですか?
>「生きている喜び。」
さーこさん。まさにその通りですね。生きてるだけで丸儲け、は違いますが。ちなみに同じようなことを最近友人がよく口に出したりメールに書いたりします。
昨日は仕事よりもはるかに大切な用件に過集中する必要があり、仕事しながらだったので精魂尽きました。
でもこのブログで、さーこさんたちのコメントのおかげでスイッチは10個のうち3個しか開いてないけど、極限まで高めて懸案はすべてうまく解決されました。目が醒めます。特に朝一番で読ませていただくと。
(ところが。解決して安心しきったところでハプニングが。過集中してなかったら予測できたはずのハプニング。
そこで思いっきり砂漠の丘の上で吼えまくるジャイアンに豹変(というか回帰?)してしまいました。おかげで事態の収拾にさらに過集中せねばならなくなり、最後には搾りかす状態でした。懲りない奴です我ながら)
>私には6歳と4歳の息子がいます。どちらもおそらくジャイアンです。逃げられない大きな責任を前にどうしていいか道筋が見えずもがいています<
カマピーさん。うちの娘2人も似たようなものかもしれません。多数派かどうか最近怪しい嫁が修飾要因ともなり、さらにややこしい状態になっています。
小生が入り込むと収拾不能状態になるため、最近は嫁に丸投げし、どうしても必要なときだけ娘と1対1で少し話すぐらいにしています。
あとはこどもも大人も変わりますから。思わぬきっかけで。小生なんか今までいろんなタイプを少しずつかじってきたのではないか、と思うほどです。正確には思い出せませんが。
少なくともジャイアンと思われるお子さんには好きなことが社会で役立つような方向に誘導できればいいですね。
ちなみに自分の娘にはいまひとつうまくいってないので偉そうなことは申せませんが….
のび太型ADHDです。
私は全ての認知はもやの中にいるようで、入れ物に入れる事ができません。
自分自身でさえもその内面の世界は無限に広がっていて未知なのに、
まして他の物や事象は測りようもない…というのが考え方の大前提にあるような気がします。だから全てを尊重しているようで、全ては遠い。
わからないが大前提なので決断力がありません。
大学まで行きましたが、学生の間は自分から必要を感じて勉強をしたことは一度も無かったように思います。
ただ何となく周りの雰囲気に合わせていただけ。
社会に出て仕事をするのを先送りにしたいから受験したという逃げの結果で、受験は必要だという捉え方がちょっと違ったと思います。
今もASの中1の娘に、本当に勉強が必要だとはっきり思えない自分の社会不適合さが怖くて、強迫観念から 思ってもいないのに勉強がどれほど必要かを必死で説いている自分に嫌気がさします。
最近では人間の入れ物に入ってるのが
煩わしくてしかたないとまで考えてしまいます(꒦ິ⌑꒦ີ)
カマピー様のコメントと比べて、私の事を少し書いてみましょうかね。比較ができると思いますよ。
私の「愛着」は、物理的距離ができても私の心にしつこく残り続け、時にトラウマにもなります。これが「根に持つ」という事でしょうね。しかし、ADHD的な妬みはありません。
私の中にも「母が私を嫌う可能性」というものは皆無でした。しかし母と一緒に医療機関に出向いた際、母が私の事をお医者様に説明する時に「くどい(しつこい)」と伝えた時、私は初めて、母が私の事をそういう風に捉えているんだという事に気がついたのです。以来、母や他人に「しつこく」しないように自分で意識的に心掛けるようにしました。これらの変化は「自発的に自分で考えた末、自分の意識を変えようと継続的に努力し続ける意識でいる事を自分で選び、私自身が実際に実行し続けた」末になったのです。私は自分で自分を変え、他人に迷惑をかけない行動が「他人から見た視点でも」できるようになりました。
>「母が不愉快そうな雰囲気だからこの話題は引っ込めよう」という判断をしている自分に気付きました。
そういう判断は私はしません。たとえ母が不愉快そうな雰囲気を出していても、私は自分の気の済むまで自分の気持ちを訴え続けました。当時を振り返ると、母はよく耐えたな、と驚きますが、当時私の気持ちを情緒的に保護してもらえなかった上に、私の気持ちを家族や学校から擁護してくれる人も身近に誰一人もいなかったので、あのような反応になったのも仕方がなかったと今は自分で思っています。
>知らないものは「知らないということさえ知らない」
これは以前の私でした。
ただ私は、定期的に専門の相談員さんと対面してきています。対話の中で「自分の行動や思考を振り返り、その時なぜそう思ったのか、どうしてそう行動したのかなどを、しつこく振り返り「自分の事として考え、受け入れる」」という事をしてきた末、結果として認知の状態が向上したという実感が個人的にはあります。
ちなみに私は、滅多な事では主義主張を変えません。時にぐらつく事はありますが、心の中で(時に実際に言葉に出しながら)啖呵をきって生きています。
義務教育時代は「女子同士の付き合い」に最も苦労し、いつも孤立していました。私には意味の分からない非言語だらけの不気味な時間。理解ができません。今も、女性同士の付き合いとやらでは私は結構な頻度で孤立してしまいがちですが、それでも私を認めてくださるありがたいお姉様たちと知り合えたという事で、やっぱり無理して自分を変える必要は無いよな、と判断し、今も女性同士の付き合いは最低限の関わりしかできませんね( ̄- ̄)
さーこさん。
>「自分の行動や思考を振り返り、その時なぜそう思ったのか、どうしてそう行動したのかなどを、しつこく振り返り「自分の事として考え、受け入れる」」という事をしてきた末、結果として認知の状態が向上したという実感が個人的にはあります<
これ小生は母親から教えられたか、中高の頃から自分なりに考えて見につけていったような気がします。うろ覚えで申し訳ありませんが。
よき助言者とよりよく生きたいと願う強い心。
が一番大事だということでしょうか。
ちなみに昨夜は久しぶりに猛烈な暴力衝動に駆られることがありました。
必死で自分をとめるもう一人の自分(助言者?)がいました。
その場はなんとかこらえましたが、何かやりましらご報告いたします。
さーこ(AS)様
同一化という言葉を知りませんでしたので調べました。ずっと「自分が無い」と感じていたのはこのためだったと衝撃を受けています。
さーこ(AS)様と自分との違いを読み、本質の違いを理解しました。知りたいことが分かりやすく書かれた文章でしたが、私の方の気持ちの問題で飲み込むのに時間がかかりました。どうやら自分はジャイアンらしい、認めたくないような認めたいような、自分が何者か知りたいと自分で言ったのに知るのが怖い、逃げたい、奇妙な気持ちです。誰かに言ってもらわないと逃げてしまって自己診断を決定できなかったのです。
最初の書き込みをする時、迷いに迷って最後は眠れない真夜中のどうしようもない気分で投稿ボタンを押しました。これは「先延ばし」だったのか、と思いました。やんばる先生のブログに書き込みをするというのは、自分の発達障害を認めることに直結しています。それを先延ばしていました。
視界1mの霧がパーッと晴れた気分です。先に見えたのは険しい山道です。
やっとスタートラインに立てました。
ありがとうございます。
Paul Carpenter様
うちの長男は6歳にして既にAC、4歳の次男は依存的です。
〉好きなことが社会で役立つ方向
どうにかジャイアンの良い面を活かせる大人にと私も考えました。
子供を育てるということは受験勉強よりも長い時間で「今やらないと将来困ることになる」問題…自覚できてなかった、自覚しなくては!!
Paul Carpenterさん
>これ小生は母親から教えられたか、中高の頃から自分なりに考えて見につけていったような気がします。うろ覚えで申し訳ありませんが。
ASは、自分一人では思考することが困難なのだと思いますよ。
他の人間がそういう振り返りをしている、という微量な気配を運良く感じとれても、では自分はどうやったら良いのか、私は一体どうしたら良いのか、といった感じで、思考への道筋が霧散してしまいますからね。
私には、文筆家である故・池田晶子さんの本が有効でしたね。
専門の相談員であるコミュニケーションサポーターさんとの対話の時間を持つようになったのは、孤独に本を読み考え続ける日々を経て5年以上経ってからの事でしたから。
私の中に助言者はいないのですが、古い言い方で言えば、お天道様が私を見ています。
私の中にある、なけなしの「人の道」を振り絞って人と接し、「回復の道がないかもしれない、でもだからこそ自分の頭(思考)を使い、自分にできうる限りの工夫を凝らし続けて、人生に臨んでいるのではないか」という逆説的な論理が私を支えています。
私は積極奇異型の自覚ありありですよ。
ふと思ったのですが、受動型ASは、傷つくにつれて、「受動→ 孤立→ 積極奇異的様相」になってしまうのではないのでしょうかね…?
自分で思考できずに、盲目的に信じて鵜呑みにした情報の切り貼りで自分を埋め尽くし、AS的になんだかわかったように語りたいのだけど、そんな自分を他人は恐れて遠ざかる。そして、最終的には鬼のような形相で世の中や他人に啖呵をきりまくる…。
しかし、私の心は今静かで穏やかなんですよね。
私の友人の一人に、海外から日本に来て今5年くらいのお姉さんがいるのですが、日本の文化というギャップに戸惑い、わからない事を人に聞けずにいるようだったので、他意なく答えたり説明する機会があったところ、私へ評価は「優しいさーこちゃん、ありがとう(*^-^*)」ですっかり定着してしまいました。
受動型ASの困難さを、最近よく考えています。
カマピー様
コメント、ありがたく拝見させていただいております。
カマピー様のコメントを読んで、診断を受ける前の気持ちを思い出しました。
私もまた、新しい気持ちで歩けそうです。
ちいべこさんが「遠い」と書いておられる。
そうなんですよ「遠い」んです。
私は意味や言葉が遠いところにある・・
「遠い」ということは「無い」ということではない。
WAISをやった時心理士の人が「記憶が取り出しにくいようですね」と言っていたと思う・・
説明が出来ない、ADHD的と思うです。
(次はMRIやりに行ってきます)
いや、でもあれですね。
本質しかなかったら、喋るということ自体いらないですね。
え~と~
「2年生の今勉強をしておかないと、一年後の受験で苦しい思いをする結果になる」という仮説、または想像について、
1.「そりゃそうだろう」と普通に思う。が、自分がやるかどうかは別。
2.「勉強はやればやっただけ知識が積み重なっていくから、受験の前に付け焼刃じゃだめでしょう」という理由。
今53歳の自分は、小中高をとおして「勉強をした」記憶がない。中2くらいまでは何もしなくても上位の成績だった。だんだん数学などむずかしくなってきても「目前に迫った試験に対処する」というだけのことで、特に興味のないことを記憶するのはやる気にならず、やらなかった。勉強計画を立てる作業に熱中して時間を費やし、逃避していた。「アタマがいいK子ちゃん」というイメージを守るため、数学の公式や歴史などはカンニングペーパーを前夜に作った。
高校は滑り止めを受けず、進学校に進んだ。周囲のちゃんと勉強している友だちの影響も受けず、部活で疲れて食べて寝て、ひたすら逃避していた。朝の補習は一度も参加しなかった。自ら「勉強しよう」とまったく思わなかった気がする。短大は興味のある授業はおもしろかった。関連の本を積極的に読んだ。
いまだに「勉強」に対しては自分とは遠い感じがする。小4の娘が宿題をせっせとやっているのを見て「えらいなぁ」と思う。
受動型AS叔母に聞きました。(従兄弟の弟にも聞きましたが「分からん、忘れた!」とだけでした…)
ブログの内容をそのまま見せたのですが、
>「2年生の今勉強をしておかないと、一年後の受験で苦しい思いをする結果になる」という「想像」もしくは「仮説」
について、そもそもこれを「想像力」と捉えるのが難しいようで「(結果だけ見て)ちゃんと勉強してこなかったんだから後の祭りでしょ。でも一年前から準備は必要」と言ってました。
ちなみに、叔母は推薦入学だったので「危機感はなかった」そうです。
ついでに「叔母さんにとって想像力とは?」と聞いたところ「ある一点から広がるもの」と答えていました。
以前、積極奇異のさーこさんのコメントを見たときも思ったのですが、ASの人は「本人を中心に放射状に世界が広がっていて、愛着やこだわり等の興味関心のあるものを自分に引き寄せて考えるのかな」と思いました。
もしかしたら、積極奇異型(孤立型)も受動型も、元々は1つの、同じタイプのASだったのかもしれませんね。
二次障害とまではいかなくても、養育環境等によって、「積極奇異(孤立)」と「受動」に分かれたりするのかな?
1.「2年生の今勉強をしておかないと、一年後の受験で苦しい思いをする結果になる」という仮説
肯定するか
事実
行動に移すか
必要性は理解するが結果的にはしない。
不適応の経験則から自分の人生は破綻するという観念が生じる。
人生は破綻するので(どうせ終わっているから)将来に渡る努力は無意味だという観念に対する依存が構築されており
現実的な努力よりも依存への逃避を選ぶ結果となる。
2.「上記の捉え方をする理由はどんなことか?」
家庭が衣食住を保証してるという現実は無意識には認知されない。社会的に考えれば非常に重要だが、基本的には認知の外にある。
認識するには、メタ思考が必要。
即座の対応が必要とされない状況下で、あえて思考を様々な不適応が予測される現実に向けるのは苦痛であり、逃避先があれば緊急的状況となるまで現実を無視し続ける結果となる。
不適応の経験則からくる(どうせ終わっているから)という観念に対する依存・逃避は自殺に直結しているので
緊急的状況となった際に(将来に予測される幸福-現実的な生存努力に伴う苦痛の予測)と、自殺時の苦痛の天秤という、極めて抽象化されたゼロイチ思考で後者が上回ると、受動型AS者の自殺が発生するのではないか。
一方で、何らかの外部強制力があり、苦痛が常態化すれば適応できる。
初速は苦痛であり遅いが、エネルギーが生じれば破綻するまで長期的に保持できる慣性の法則のようなものを感じる。
「初年兵と畳は叩けば叩くほど良くなる」とは言ったものですが、受動型ASもそうですね。
1.そういうものなのかと言葉どおりに受け取りますが、だからこうしようとか、自分で動き出すことはしません。(できません)
2.言葉どおりには受け取るものの、その言葉の意味を理解していないから自分の問題として捉えることができません。
勉強するというのがどういうことなのか、一年後の受験とは何なのか、苦しい思いというのはどんな状況なのか。「勉強」「受験」「苦しい」という単語はわかっても、その言葉の背景というか、奥行きというかが私にはわからないです。
中学まではテストの成績だけは良かったので、思い上がっていたということもあります。
その一方で、いつも「何をやっても無駄」「どうせ私の人生はみすぼらしいものだ」という投げやりな気持ちがありました。
テストの成績しか褒められるところのない子供だったので、「勉強だけできてもだめだ」「自分で考え行動できる子供が将来成功する」という訓示を聞くたびに、やっぱり私はだめなんだと思っていました。
今回の仮説に似たことを20年ほど前に知人から言われたことがあります。
今配偶者を得る努力をしておかないと、20年後後悔することになるんじゃないかというものでした。しようと思えばいつでも結婚できると思い上がっているんじゃないかとも。
当時の私には、結婚して家庭を築いている自分を想像することはできませんでした。他人とトラブルなく一緒に暮らしている自分、健全に家計運営している自分、子育てしている自分。まったくイメージできませんでした。努力をしたら配偶者を得られるとも思えませんでしたし、努力のしかたもわかりませんでした。後悔している自分も想像できませんでした。
言葉の意味が取れない、想像力がない、といったことも理由のうちだったけれど、結局は誰かがとびきりのご褒美を用意してくれていないと何もできないということだったんだなあと今は思います。
自己診断もハッキリついていない者がコメントしていいものか迷ったのですが…。
この記事のおかげでまたいろいろ考えることができました。ありがとうございました。
>ASさん
慣性の法則すごくわかります
自分も発達障害とは何ぞやと問われれば慣性という表現を挙げます
一旦それが常態になれば、何でやらなかったんだろうと後悔するくらい呆気なく、等速的なことなのに、如何せん入口が怖すぎる嫌過ぎる
その為10代は入口に入ることが出来ず目端の依存対象を追ってフラフラするだけで終わってしまいました
おっしゃる通り自分も「どうせ期待しても破綻する」という不適応による観念に取りつかれていました
あの頃は思春期で急に周囲が性に対し意識し出したことにも混乱し卑らしいと感じていました
みすみす自分からわかりきってる破綻に歩を進めることは出来ない でもどうすればいいかわからない ここまで追い詰められて目を付けたのが、強制圧力による“やらざるを得ない状況”でしたね
以前の記事にも記載されていたと思いますが、自ら初速を出せない発達にとって不幸な環境というのはその実垂涎の環境であるというのを見てそうだなあ…と思いました
しかし自分の両親、特に母親は基本的に仏様に祈れば何とかなると思ってる人なので圧力はかけて貰えず、甘やかしによる万能感とそれに矛盾する羞恥心でひとり疲弊していきました
そして周りが一段落着いた今、微々たる経験値から初速出そうとしていますが、、すごくしんどいですね
家が裕福だったらこのままずっと引きこもりになる人達もいるんでしょうね
2013.01.08 17:17書き込みの続きです。
自分なりに気が付いた克服法です。
大学卒業後も語学や資格試験の勉強では躓きました。
本を読んだり講義に参加、議論するのも楽しいのですが、試験のための勉強はどうしてもやる気がおきませんでした。
周囲に何故落ちる、なぜこの点数と驚かれていました。
そこで気が付いたのが、中学の時の棒グラフです。様はゲーム感覚でやれば好いのです。
例えば、TOEICはDSのソフトで一ヶ月毎日2時間みっちりやりこんだ途端250点Upしました。もっともDSにあきた次回からは元の点数に戻ってしまいましたが。
資格試験の勉強は到達度をグラフ化して、ここまで攻略した、ステージアップ!と悦に入ることでナントカなりました。
ここからは私個人だけの経験かもしれませんが、このやる気のなさが役立つ機会がありました。就職面接です。
面接では、マニュアル本を読めない体質が個性と評価されるように感じます。新卒での氷河期の就職、その後の転職も順調にこなしています。今まで面接で落ちたことはありません。
学校生活は外れた人には苦痛が多いかと思います。ただ社会に出ると、異質であることが評価される業界があります。選択肢は多いです。どうか学生時代は自分のできる範囲で周囲に合わせて過ごしてください。(無理は禁物)
世の中に出てある壁を突き抜けると、変わり者を受け入れてくれる世界(職場)があります。
↑
子供にはこんな話をしながら、学習を促しています
JETさんの、「遠い」ということは「無い」ということではない、という考えについてですが…
なんだか「存在はする」けど、自分の傍に引き寄せたり、逆に近づいたりする事ができず認識できない、だから遠くに感じる…
(近いか遠いかという)ASの人に多そうな考えかな?って思いました。
「勉強しなさい!」と強く言えばするけど、それだと親の考えに依存させてしまうし、かといって言わないと勉強しない…
最終的には、幼い頃から自分のことは自分で決めさせて、自己責任を「こだわり化」させるしかないんですかね。
ASさん。
>一方で、何らかの外部強制力があり、苦痛が常態化すれば適応できる。
初速は苦痛であり遅いが、エネルギーが生じれば破綻するまで長期的に保持できる慣性の法則のようなものを感じる。
「初年兵と畳は叩けば叩くほど良くなる」とは言ったものですが、受動型ASもそうですね。<
maruさんが以前この悪魔的な自由資本主義世界で生きていくためには、ジャイアンにならざるをえないのではないか、と書かれていたのを思い出しました。情緒障害型も最近加わったジャイアンの小生としてはものすごくよくわかりました。
生きていくためにはジャイアンにならざるを得ないいびつで醜い社会なのに。
学校教育はせっせと受動型ASを作り上げようとしているのではないか。
毎日のように見るいじめ、教師による体罰と自殺する若者たちのことを考えて思いました。
そして社会に放り出されたら、当然のごとくジャイアンにはなれずまた引きこもり自殺を選ぶ若者たち。
なんて社会だ!ふざけんな!いいかげんにしろよ!!
小一ママ
>学校生活は外れた人には苦痛が多いかと思います。ただ社会に出ると、異質であることが評価される業界があります。選択肢は多いです。どうか学生時代は自分のできる範囲で周囲に合わせて過ごしてください。(無理は禁物)
世の中に出てある壁を突き抜けると、変わり者を受け入れてくれる世界(職場)があります。<
小生がまさにそうかもしれません。耐えて耐え忍んで希望の光を求め続けることです。
狭き門より入れ。
滅びに至る門は広く。
栄光に続く門は狭く険しく苦しい。
発達障害で苦しんでいる すべての方々とご家族の皆様に捧げます。
>道産娘さん
物理的に遠いという感じです。多分あるけど遠い、のほうがいいか。もしかして背中か後頭部に貼り付けてあって他の皆は知っているような?その「意味」にはしごをかけて、ん?ん?とちょっとづつ進んでいくような感じ。到着するとこんなことかと思ったりする。(これすなわちKYか)
それでそれは自分の傍に引き寄せられる(関連付けられる?)ようなものでも無くて、独立してあるもので。
私自分をASともADHDとも、どっちにしても申し訳ない気がしますが、YANBARU先生の分類ではどっちかに入れるのでいいなと思っております
ここに居られるADHDの皆さんは高機能でやっつけスタイルのようにお見受けします。そして環境により、適応度が決まってくるというか。
>「勉強しなさい!」と強く言えばするけど、それだと親の考えに依存させてしまうし、かといって言わないと勉強しない…
最終的には、幼い頃から自分のことは自分で決めさせて、自己責任を「こだわり化」させるしかないんですかね。
どの子も最初は親の価値観で仕方ないのでは。子育てが親の価値観に依存しているし。先に生きてきた者としては、勉強する(思考力を養う)ことは選択肢を広げることと思いまする。
YANBARU先生はジャイアン経由ののび太なので平和な有利不利への確信があるので
そこへ「ん?」とはしごをかけてみるのであります
JETさん
>YANBARU先生の分類ではどっちかに入れるのでいいなと思っております
私はこのブログに辿り着く前、何度も自閉症を疑ってきました。細かく調べるとそれほど当てはまらなかったんですが…ASとADHDは根本的に脳の特性が違うようなので、私も白黒ハッキリつけたいという気持ちは強かったですよ。
>そこへ「ん?」とはしごをかけてみるのであります
なるほど、この「はしご」が関連付けじゃないですかね?
JETさんの他のコメント拝見した時「鋭いなぁ」と思うことがあったのですが、きっと元々「感覚」が鋭いんでしょうね。
その「感覚」と、過去に知り得た情報や知識とを「関連付け」て考えるのかな〜なんて思いました。
ほぼ10年来の読者です。
以前、(1年以上は前です)一度コメントさせていただいた者です。
診断は28歳の時、PDD(DSMーⅤになれば消えるのでしょうか←関心事のひとつ。主治医は、診断名変わっても何らかの発達障がいだよと断言。)との診断を受けました。
幼少期は、いじめられるまでは鬱陶しいくらいのカンペキな積極奇異で、集団デビューしてからは受動型ASになったと『自負』(←自分の思考、記憶、映像の域を出ないので。)している者です。
今回はご意見募集とあったので字義通り&お役にたてたら嬉しい(自己承認欲求)と感じ記憶を文字にします。
まず結論から述べます。
どう捉えるか、その理由は何か。2パターンあります。
(今までコメントなさった方のうち、まさーしさんやASさんに共感する文言がありました。)
①捉え方→決めつけるな!という抵抗またはすーっと文字だけ耳に入って意味はなさない。ちっとも肉薄した感覚にはならない。
その理由→自分自身で経験していないことは想像も想定もできないし「これをコツコツ毎日したら絶対成績は下がらない」とか「これだけは将来のためにしておくべきだ」とかのような
『非常に確実性の高い、確証または立証された、明確な因果関係もしくは義務を持ったルール』であるという説明がないため。
(例えば…Aというプラクティスを毎日すれば必ず一か月後にはA’というスキルが身につく、というように確証されていること以外で、長期的に『何か』に向かってコツコツするのは困難な人です。)
もしくは
②(これは自分自身、まだうまく言葉でその原因を立証OR説明できないのですが、)捉え方→そうなんだ、とまるで真っ白な紙に染み込むかのように純朴に純粋に受け入れる。
その理由→『言われたらそのとおりになってしまう』体質、いや、脳みそなのでまるで予言のごとく「言葉通り」に成績ガタ落ちして苦労しちゃう。
以上です。
(1000字超えたのでもうひとつ出します)
(すみません、追加投稿です。)
最後、追加的に
言われたとおりになってしまうことに関して述べます。
大抵は
「あの時あの人があんな風に言ったせいだ!!(怒)」
にはなりません。
でもって
何でもかんでも言われたとおりになってしまうわけではないのですが
今までの記憶から分析すると
めちゃくちゃきつく叱責された場合だとか
口調的に『お前は絶対そうなる!』風に言われると
結果的に従ってしまうのかなと感じています。
前者は
その『しでかしてしまった、でも、今後もう二度してはいけないこと』を繰り返すという最悪な悪循環パターンに陥ります。
よく見聞きする、
『命令系は否定系じゃなく肯定系でいうと良い』
からきてるのかなぁ
と分析中です。
後者は
受験に関連するのですが
入学したての頃に担任が全員に話したメッセージ→『成績良いやつに限って高校2年頃から成績が落ちるんだ、気をつけろよ』(と言いながら黒板に下降していくグラフを書いた)。
私はその時点でトップ入学でした。
これが原因なのかどうかですけれど
高校2年から異様な無気力無感動無感情に襲われて、まあ、結果はボロボロでした。
最後、蛇足だったかもですが以上です。
昨日は小一ママさんの「さん」をつけるのを忘れていました。申し訳ございません。
JETさんと道産娘さんのお話はわかるような気がします。
YANBARU先生の分類を見たとき、感銘を受けながらも少し時間が経ってから考えると大筋では納得したような、でもちょっと納得しきれなかったような。
子どもの頃は受動型AS。その後いろいろなパターンを経て現在の情緒障害型ジャイアンADHDに繋がっているような気がします。いろいろ思い出してみると。全部が本当の自分なのか、ところどころ2次障害でそうなってきたのかはわかりませんが。
ただ本当に最近気づいたのですが。
自分の本質はいつも変わってなかったように思います。これはYANBARU先生も異論のないことかもしれませんが。
いろいろな理由や原因があり、ふたをしたりベールでおおったり、あるときには全く違うもののように見せようとしたり。自分のためにも他者のためにも。それをさまざまな努力というか偽善欺瞞というか奢り慢心というか呼び方は考え方しだいではないかとも思います。
でも本質は変わっていなかったと。
それを安住の地、と昨日の別コメントから命名しておりますが。
まだうまくは言えません。特に他者に対しては。
でも自分探しの旅、小生の場合はなんと50年以上もかかりましたが、それは決してお金を払って、旅行者や観光業者に依存して行うようなものではないと。(当たり前ですね)
おそらくここに集う多くの方々がすでに(意識的にしろ無意識的にしろ)気づいておられるように、ひとりの人間が人間らしく生きるために、自分という個性がダイヤモンドの輝きを得て一番幸せになるための方法を模索するための絶え間ない苦闘こそが、自分の中にあるはずの安住の地を見つける最善の道ではないかと。
そういう意味でも、そのヒントやきっかけを探し出すことのできるこのブログは多くの人々にとって至高の場であると思います。
わかったようなわからないような表現ですみません。
道産娘さんは話が早いですねッ
>その「感覚」と、過去に知り得た情報や知識とを「関連付け」て考えるのかな〜なんて思いました。
そうですね!スカスカのところへはしごをかけて間を埋めて帰りは下道で帰って来るみたいなことです。
意味・言葉に確信を持つまで遠い・長い
自己責任のこだわり化については、そうなのだろうと思いますけど・・そうする肯定的な理由についてもうちょっと間を埋めてみまする。
のびたと合理的の狭間をてくてく歩いている途中のADHDなつもかです。
最近の投稿をよむとASなんじゃないかしらと思っちゃいますが、コメントを見ると見事にADHDの方々と似たような感覚で笑ってしまいます。
ASとどこが違うのか興味があるのに、自分では判断できないのでサンプルとなって先生に考えていただこうと参加します。
1.肯定も否定もできません。へぇ。と思うだけです。
2.そのセリフから私に何をいいたいのかがよくわからないためです。
一般化されすぎているというのが近いんでしょうか。
結果が出るのが先すぎるし、まずそんなに先のことに対して目標を持っている事も今までないので自分の事として考えられない気がします。
目標に合わせて自分を大変にするより、自分に合わせて目標を下げる気もします。
同じような方いらっしゃいましたが、高校まではそれなりに良い成績でした。
私は目標をたてられず、みんなが行きたい大学を目指すのを不思議に見ていました。
しばしば思いますが、知識を少しずつ足して行く方法が向いていない気がします。最終的なゴールから、枝葉を分解して行く方法だと理解がしやすいです。
多分多数派は、明確なゴールがなくても手に入れた知識の偏りから自分の方向を見つけることができるんじゃないでしょうか。
私の場合それぞれの知識は点で存在しているため、ある日何かのゴールが出現しないと何のベクトルも持ちません。(知識が積もって行くイメージがわかないので、変に自分が薄っぺらく感じることも)
知識も興味も体験も少ない若い頃には、なかなかゴールなんて見つけられないですよね。そのへん、先生のインストール説はアリだなぁと思いました。
JETさん
うーん、「愛着」当てはまりませんでしたか…
(ちなみに、「物」にこだわりや愛着を持つ人もいるそうですよ。あとはASらしい「人の近さ」とか。)
もしかして、感覚的(直感的)には理解してるんだろうけど、記憶力が良すぎて、たくさんの言葉の引き出しから的確な言葉を探し出すのに時間がかかるのかな?と。
まあ、コメントのみの判断だし、あまり押し付けは良くないですね…この辺で止めときまする(^_^;)
ところで、ASの方は「外部強制」や「断定的な言葉」等に影響を受けやすいんですね。
「○○しちゃダメ!」と強く言われると、○○が頭から離れなくて、正しい判断がつかなくなるほど錯乱して、結局やってしまうのかな?と思いました。
逆に「断定口調」ではなく「やんわりとした言い方」だと、伝わりにくいかもしれないけど、冷静な思考は保てるのかな?と。
(身近なASの人には伝わりにくくて、都合の良いように受け取られてた気がします…)
道産娘さん。
>もしかして、感覚的(直感的)には理解してるんだろうけど、記憶力が良すぎて、たくさんの言葉の引き出しから的確な言葉を探し出すのに時間がかかるのかな?と。<
いますよいますよこういう人間。小生の周りにも。
言った後で後悔するらしく、すぐに謝ってきたりしますよ。
まあこちらも慣れてきましたから、それはそれでいいんですけどね。お互いとりあえず言いたいこと言って必要があれば謝って補足訂正して、それで成り立つ人間関係もありだと。
>ところで、ASの方は「外部強制」や「断定的な言葉」等に影響を受けやすいんですね。<
小生はこどもの頃は受動的ASっぽかったんですけど。
少なくともこれには当てはまりませんね。
むしろやっちゃいけないと言われたことを、怒られるのがおそらくわかっていて、それでもやってしまう、やっちゃううのよね~どうしても、やってみたくなる衝動を抑えられない、の状態でしたね。
親にも教師にも何度体罰を受けたことか。
でもやっちゃう。また懲りずに。
いつ頃からでしょうかね、ブレーキが多少は利くようになったのは。やはり同級生から仕返しに虐められ、自殺を考えた頃からではないか、と思いますが。
そういう意味では、自分の体をはった実体験って大切なんでしょうねきっと。
今日もなんか変な文章ですね。お赦しください。
皆様
こんにちは
Paul Carpenter さん
>昨日は小一ママさんの「さん」をつけるのを忘れていました。申し訳ございません。
全く気づきませんでした。どちらでも大丈夫です。お気になさらずに。
>狭き門より入れ。
滅びに至る門は広く。
栄光に続く門は狭く険しく苦しい。<
一瞬泣きそうになりました。私が漠然と思っていたことがこの言葉に集約されています。
ありがとうございます。
道産娘さん
>・・・(ちなみに、「物」にこだわりや愛着を持つ人もいるそうですよ。あとはASらしい「人の近さ」とか。)
好きな物について人と共有するのは私の数少ない幸せです。人は遠いですからね。物でね。
>もしかして、感覚的(直感的)には理解してるんだろうけど、記憶力が良すぎて、たくさんの言葉の引き出しから的確な言葉を探し出すのに時間がかかるのかな?と。
体験と言葉が結びつくのに時間がかかるようです。LDなのかと思ってましたが違うらしいです。前頭葉後頭葉が何だか。言葉の引き出しが見えないような。答えるために喋ろう、とするとサッと頭が真っ白になったりします。「探せない・探すとすれば時間がかかる」ということでしょう。(何も考えないと喋るのに・・・)
>まあ、コメントのみの判断だし、・・・(^_^;)
全部書くと、何かのネガティブキャンペーンになりそうなので、頑張って自粛しています。私は自虐が好きですが、相手の自己評価が低くないとウケないんですよ・・。
>ところで、ASの方は「外部強制」や「断定的な言葉」等に影響を・・・
ASの人を代弁することはまだ出来ませんです。。
>逆に「断定口調」ではなく「やんわりとした言い方」だと、伝わりにくいかもしれないけど、冷静な思考は保てるのかな?と。
(身近なASの人には伝わりにくくて、都合の良いように受け取られてた気がします…)
ん~~~
どう受け取るかは、いつも相手の自由、伝わらなくてもしゃーないな、と思っています。私はまず上手く言えないから。自分が分からないことがあるのは自分のせいだと思ってきたから。(これをついそのまま他の人に、自分に言うように言うと、泣いたりするのでいわない)
JETさん
ネガティブキャンペーン…
ごめんなさい、笑ってしまいました!
(栗原類さんが頭に浮かびました。)
JETさんは「自己責任」を理解できますね。
きっとYANBARU先生のブログが大好きで、じっくり読んでらっしゃるんだなぁと思いました(^-^)
JETさん。
>私は自虐が好きですが、相手の自己評価が低くないとウケないんですよ<
一部理解、一部難解です。情緒障害型ジャイアンADHDにとっては。
小生も自虐的なところが多々あり、それがもとで周りに迷惑をかけることもしばしば。
ただそれは相手の自己評価が低いに違いない、お前は駄目な奴だ、というもう一人の自分の声に従った場合のようです。
基本的には自己評価を高めたい、という見栄っ張りなところがありそうです。
>どう受け取るかは、いつも相手の自由、伝わらなくてもしゃーないな、と思っています。私はまず上手く言えないから。自分が分からないことがあるのは自分のせいだと思ってきたから。(これをついそのまま他の人に、自分に言うように言うと、泣いたりするのでいわない)<
これも一部理解、一部難解です。
小生は自分の言いたいことをいいます。時に自己制御ができなくて言い過ぎることもしばしば。
でもその根底にあるのは、何とかして相手に自分の言いたいことがわかって欲しいという気持ちがあります。(一応相手のことを考えて)
まあたいていの場合、お前なんかにそんな余計なこと言われたくない、と気を悪くして怒られるのがオチですが。
怒られずに泣かれる時は。相手がよほど傷つくことを言ってしまった時か(なるべく注意はしているんですが)。
あるいは相手が自分のことを信頼してくれている場合、思いもかけない言葉を言われた時ではないか、と最近思います。(これはそこまで信頼されていることに気づいてない、ないし忘れてしまう自分が悪い)
道産娘さん。
道産娘さんの笑うところが想像できます。
いつも笑わせていただいてますので。
笑う角には福来る。
判断ついてなくてもコメントしてよいものでしょうか。
1.
私は「ああ・・・うん・・・(否定する理由が特に見当たらないから肯定)」
2.
勉強しないと成績が上がるわけがない(相関性があると思う)から、「そうだなあ」とは思います。
ただ、着地点がないので、エンジンがかかりにくい(やる気になりにくい)です。
「どの大学に行きたい」「この仕事に就きたい」という目標がないので、漫然と勉強をするイメージになります。
明確な目標や、勉強することで得られるメリットがあればよいのでしょうが・・・。
私の場合、専業主婦の母の姿を見て、「稼得能力がないって、自分の人生の決定権がないってことなんだ(不仲でも離婚に踏み切れない)」と思い、仕方なく勉強しました。
さらに大学生でアルバイトを始め、非正規雇用(パート)の独身女性と働くようになって、「ああ、学歴がないって職が選べないってことなんだなあ」と現実を目の当たりにして、ようやく実感がわきました。
今は、学歴も無意味に思いますが・・・。(大卒だらけだし、不況の時代が長すぎる)
Paul Carpenterさん
>あるいは相手が自分のことを信頼してくれている場合、思いもかけない言葉を言われた時ではないか、と最近思います。(これはそこまで信頼されていることに気づいてない、ないし忘れてしまう自分が悪い)
思いもかけない言葉とはどんなことですか?それは相手の信頼を裏切る言葉ですか?だとすれば相手はこちらの何を信頼しているのですか?
教えて下さいぃ。
▷思いもかけない言葉とはどんなことですか?それは相手の信頼を裏切る言葉ですか?だとすれば相手はこちらの何を信頼しているのですか?
JETさんへ。
情緒障害型ジャイアンADHDの小生は愛というものを理解できない、相手を中心志向で自分の都合のいいように利用することしかできない、砂漠の丘の上で吼え続けるライオンだと思っていました。何度恋愛しても、結婚しても自分の本質はそういうものだと思っていました。
でも違うことに最近気付きました。
気づくのに何年もかかりました。
詳細は事情があり書けませんが、相手が辛い時は自分も辛かった、苦しい時も嬉しい時も、実は全部共有していた、しかしそれを認めるのが怖かった。毎日苦しみを乗り越えて生きている自分が、これ以上の混乱に耐えられるはずがないと。そして相手にも依存してしまい、苦しみを与えるだけだと。
違ったのです。そうではなかった。
相手が辛い時、悲しい時、苦しい時、嬉しい時、幸せな時、すべて理解も認識もできていた。そして共有したいと強く思っていた。それを認めるのが怖かっただけ。それを相手に伝えたり感じさせてはいけないと、わざと逆の言葉を投げつけ、逆の態度をとってきました。相手は、二人がお互い同じ想いであることを早くから明確にわかっていたはずなので、小生が酷いことを言うたびに、冷たい態度をとるたびに混乱し、傷ついたと思います。
でも小生は、それが自分と相手を結果的に守ることになるだろうと。
さらっと書きましたが、今非常に重要なことを書きました。
相手を守ること、真剣に相手の幸せを願う、未知の存在を自分の中に見つけてしまったのです。
それを安住の地と呼ぶべきかどうか、はっきり言って自信はありません。
でも自分のことばかり考えていた小生が、本気で他者のことを心配し、酷いことをした自分を怨み、相手の幸せを願っていた。
そのことにはっきりと気付いた以上、もう逃げ回ることはやめました。
一日中働いた 主張帰りの途上なので、いまひとつ要領を得ないお返事かもしれませんが、何卒ご容赦くださいませ。
受動型AS本人として回答します。
1.私は一般論としては、その通りとは認識していた。
2.自分にあてはめた場合、「1年後に苦労する」の「苦労」が理解できない。
受動型ASにとって、受験に落ちることは気分のいいものではないが、「志望校のランクを落とす」ことは苦労でもなんでもない。勉強しなくて、成績が落ちても志望校ランクを落とせばよいだけ、と考えると勉強する気にならなかった。
結果として、高校は最高レベルのところで、大学は二流どころだったわけだが、高校時代はいごこちが悪く、大学時代は幸せだった。
高校でよかったのは、「自分の実力以上の位置にいると不幸せになる」ということがわかったことだけだった。
それがわかったことは、結果として本当に重要ではあったのですが。
受動型ASは自分から何かをすることはできないので、自分の実力以下の位置にいて、周りに頼られる形になるのが一番幸せでいられる。
周りに頼られると、期待にこたえるために勉強も努力もします。勉学が苦手なら、中卒でも得意分野を仕事にするべきです。
よって、一般論と異なり、受動型ASは受験勉強をすると不幸せになる、というのが、自分の人生を振り返って得られる結論です。
paul carpenterさん
お仕事お疲れ様です!
(これは、望んでいる自分、のことでしょうか・・。)
たぶん名前は自分でつけるのだと思いますよね・・。
分りますと言うことは躊躇われる、paulさんの大事なものですので。たぶん分りますと言っておきます・・。
paulさんがそのうち、誰にも分かるように見せてくれるものを見れたらよいなと思います。
教えて下さってありがとうございます!
今までのコメントや
その中での皆様のやり取り等を拝読していて
改めてこの脳のことについて
『脳内言語ではない「(以下に述べます)言葉」』、に変換できました。
それは
前回出させていただいたわたくしのコメントの補足でもありますし
受動型のAS(だと『自負』(自己解釈)している自分自身)のことに関する内容でもあります。
以下に述べます。
追記的な内容として、二つあります。
①自分自身のことを積極奇異→受動型と述べたがそれは違っているかもしれないこと
②命令に対する反応に関して補足
まず①ですが
幼少期は、「積極的」に一人遊びに没頭していました、前回コメントで「いじめられてから」と述べましたが
改めて振り返ると…それは両親や兄弟に対してのみの尊大な態度であって
それ以外の他人に対しては(…一部には支配的だったり、えらそうだったり、自分の賢さをアピールしたり、はしていました)
「必ずしも無条件に全員に対して積極奇異ではなかった」
と、今改めて脳内に言葉が出ています。
具体的には
幼少期は天真爛漫で、自分でも思い返すと「うっとうしいくらいのやりたい放題なうざい」子どもでした。
日常はわがままし放題、大人を支配し放題。
一人が大好きで、空だとかビー玉だとか砂だとか水だとかを
ずっと見つめたり触ったりしては幸福感を味わっていました。
けれど
公園に連れて行かれると何ともいえない不安(この熟語でも未だに適切にあの感覚は表現しきれていない)、そのようなものに襲われて、かたくなに行くのを拒否しました。
連れて行った母にはめちゃくちゃ偉そうに「いやだ!!」の態度を全身で表出してました。
(続投いたします)
(続投です)次に②についてです。
悪循環に陥る、と前回コメントで述べましたが
道産娘様とPaul Carpenter様がそれに関連することに触れておられるように解釈いたしましたので
それに関する補足事項のようなものとして、わたくしの感覚(脳の反応等)について以下に述べます。
禁止系命令に対して、結果的に従えない、
つまり
逆にそれ(禁止事項)を繰り返すことになってしまうパターン(場合)は
少なくともわたくしには以下の2つがあります。
ア)ダメだと言われたらますますダメと言われたことをしまう
イ)何でそんなことしたの?!と言われたら(以下同文)
↓
共通することとして
禁止される行為が自分自身にとって「落ち着くもの」「必要なもの」かどうか
と
注意してきた相手
によって「禁止されたことをリピートするかどうか」が異なってきます。
ア)に関しては
思い出すエピソードのひとつに
行為は自分の落ち着く行為で相手は直接的に自分に関連しない人、だった場合のものがあります。
(以下エピソード)
学校の先生がクラス全員の前で私の行動(椅子に片方の足をのせてすわる)を注意したのですが
どうしても繰り返してしまった、ということがありました。
叱られてるということは頭で理解していましたが
それを止めようという意欲(制止するだけの抑制力のようなもの)はまったく脳内に出現せず
何度も叱られては足を下ろし、最終的には「膝がかゆい」と言い訳をして繰り返しました。
結局鬼のような形相になった先生が私の膝を強くたたき、
大きな声で怒鳴られ、終結。
今までに近所の子にいじめられていた経験を持つ私は
相手の怒りや嫌悪の怖さを連想し
行為をやめた、という記憶が残っています。
(エピソード以上。)
相手が
上記のような「自分にとって特に直接的に関連する相手」ではなく
「嫌われたくない相手」「日常的に支配されていた人(例えば父)」だった場合は
ダメと言うその声と表情etcでとりあえず身をちぢこませて
相手をそれ以上怒らせないようにしてきた、そういう傾向があるかなぁ
と自己分析しています。
(すみません…さらに続投します)
(続投ほんとに失礼いたします)
いずれにしてもダメ!だけでは私は混乱しがちです。
「じゃあ、自分はどうしたらいいのか」=「どうしたら目の前の相手が喜んでくれるのか、笑顔に戻るのか」が不明瞭なので、ちっとも落ち着きません。
必死に相手におべんちゃらを使っては逆効果ってなこともありました。
その人がいなくなったら「ダメと言われたことをやっていた」こともありました。
禁止事項を繰り返す傾向がより強いのはイ)の場合です。
ネット上のサイトや記事等では
「上司に『何故そんなことしたんだ!』と叱られたから、理由を言ったのに余計怒られた」なエピソードを見かけたことがありますが
私自身に関してはそれももちろんのこと
相手の怒った表情や怒声や非難のメッセージが強ければ強いほど
脳の記憶に刻まれて
(…これは、まだ「おそらく」の域を出ない分析なのですが)
「自分がその行動をして、それについて相手がそのように叱るまで」がパターン化し
同じ条件がそろった時に何度も繰り返してしまう、…そういう傾向があるように感じています。
(でもって、繰り返すごとに、私自身の反応がエスカレートして
最終的には土下座したりだとか、おかしな大きな声を出して変な人扱いされるように自分を持っていってしまうだとか。)
以上です。
すみません、ただ単なる「自己開示の欲求を満たしたいだけのコメント」、なのかもしれませんが
今までの流れでいくつか愛着や命令に関する記述ややりとりもありましたので
こういった感じ方もあったりします、と伝えたい(結局それも役に立ちたい欲求を満たしているだけなのですが)のだろうな、と
そう自分の中を見つめています。
あおいよる。さんのコメントを呼んで、私も自分のことを振り返ってみました。
他者からはKYと呼ばれても・・自分としては
「相手からどのような行動を要求されているか」と必死に考えて探り、できれば正解し、罵られたりしないようにしようと思っているのです。
ところが・・・。人に「馬鹿!」と罵られと、
「そうか相手は私のことを「馬鹿」と思っているのだ。だから「馬鹿」のようにふるまうように要求されているのだ」
と、思うようなところがあります。
以前、ママ友(?)さんから、わたしが髪の毛を黒ゴムで結っている姿を「ビンボーみたい~」と揶揄されて瞬間から、髪は黒ゴムでしか結べなくなったのは、
私はママ友(?)さんにビンボーと思われているから、できるだけ彼女の認知に合わせようとした自分なりの適応行動だったのかもしれません。空気よんだつもりな・・。
私もそんなところがあるので、相手の怒った表情や怒声や非難のメッセージが強ければ強いほど「言葉」や「パターン」が刻み込まれて、呪いのようにその行為をを繰り返してやってしまう・・というのはわかる気がします。
そして自分自身は相手の要求に必死で答えているつもりなのに、やっても、やっても、罵りとともに要求を突きつけられつづけて、最後は混乱し、ワタシハキチガイなんだからにどと近づくな。そもそもこっちはお前なんかには用はないよっ!って思う・・・・いえ・・思ったことあります。
あおいよるさん。
大変参考になりました♪
ただ、過去の辛い記憶を細部に渡ってコメントしていただいたので、かえって申し訳ない気持ちでいっぱいですが…
ありがとうございますm(__)m
ア)は禁止を要求する人が愛着以外の相手
イ)は禁止を要求する人が愛着相手
ということでしょうね。
イ)は思い当たる知り合いが何人かいます。
よく叔母が従兄弟に「○○君(私の弟)みたいに不良になっちゃダメよ!」と言って聞かせてたのですが、結果的に弟の後を追うように不良街道まっしぐらです。その時は「わかった!」と叔母に同調してたのですが、今では弟をカッコいいと言うまでに…
ただ、これは叔母にも責任があるんだと思います。よく叔母が道で擦れ違った人やコンビニたむろする学生に対し、ぶつぶつ文句を言ってたのですが、最近体を鍛えた従兄弟が、すれ違い様に人を睨み付けて因縁つけたり、威圧的な態度をとるようになりました。思い返せば、母子家庭で自分が大変な思いをしてることや、別れた本夫の悪口等を昔から叔母が言って聞かせてたので、従兄弟には「母親を守りたい」という気持ちが根底にあるのかな?って感じもします。
(続きます…)
(…続きです)
私は以前、従兄弟や弟に対し「思春期の反抗期から親の嫌がることをわざとやっていたのだろう」と思ってました。
でもきっと違うんでしょうね。
(ASについて)まだまだ未知な部分も多くて、ついていけないと思うところもありますが、一昨日「自分は全ての受動型ASの人間を知り尽くしている」と言わんばかりの「誇大的」なコメントを見た直後だったこともあり、少しホッとしました。
ところで、コメントの中に「積極奇異→受動に変わった」とありましたが、元々は積極奇異で、二次障害等でACや離人症になり、性格がガラッと変わってしまった…ということはないでしょうか?
違ってたらスルーしてくださいね。
コメントありがとうございました!
あおいよるさん。
>いずれにしてもダメ!だけでは私は混乱しがちです。
「じゃあ、自分はどうしたらいいのか」=「どうしたら目の前の相手が喜んでくれるのか、笑顔に戻るのか」が不明瞭なので、ちっとも落ち着きません。<
目の前の相手に喜んでもらいたい、という気持ちがある場合は余計に混乱してしまう、ということでしょうか。
恐れの場合もあるでしょうが、自分を大事にして欲しい、自分を愛して欲しい、という気持ちが強い場合もありますよね。
ここは重要なポイントかと。今後の考察をするうえで。
>「自分がその行動をして、それについて相手がそのように叱るまで」がパターン化し
同じ条件がそろった時に何度も繰り返してしまう、…そういう傾向があるように感じています。<
よくわかります。小生もしょっちゅうやってしまいます。
小生の中では、「お前は絶対そうするだろう。やるぞやるぞ。ほらやったあ~」と囁く悪魔(道産娘さんのコメントより)に負けたしまった時、と最近解釈しております。
天使のささやきに常に耳を傾けていなけらばならないようです。少なくとも小生の場合は。
最近は世にも恐ろしい生き霊もいますけどね。
JETさん。
先日「それを安住の地と呼ぶべきかどうか、はっきり言って自信はありません」と書きましたが、単にネーミングを迷っているという程度の問題であり、その存在自体を疑問に思っているわけではございません。念のため。
(生き霊がここだけはスルーできない、と申しますもので…)
Paul Carpenterさん
paulさんが一番知っているし、だからそれで大丈夫だと思いますです。
Paul Carpenterさん。
私は非現実的(非科学的)なものがよく分からないので、天使や悪魔はメルヘンの世界の生き物だと思っています…(汗)
ちなみに「魔の囁き」の「魔」は、「魔がさす」という言葉の「魔」と同じ意味で使っていますよ。
自分への戒めの言葉です。
あおいよるさん。
そういえば、受動型の人でも、幼少期は人見知りが激しかったり、癇癪持ちだったり、愛着の前だけ落ち着きがなかったりしますね。私の弟、従兄弟達がそうでした。
こだわりはあまり無かったかなぁ。
感覚過敏で、衣類や食べ物等の好き嫌いは目立ちましたが、趣味や専門的分野を極めるという面は見られなかったですね。
(幼い頃の、愛着相手との思い出のある物は今でも大事にとってあります。)
ちひろ様、道産娘様、Paul Carpenter様
お声かけ(コメント)ありがとうございました、それぞれに感じることがあり、また、今まで自己分析したことも改めて書き言葉にしたく感じました。
ありがたいです、嬉しい感覚があります。
お返事したく思っております。
必ず、近日中に。
>周りに頼られると、期待にこたえるために勉強も努力もします。勉学が苦手なら、中卒でも得意分野を仕事にするべきです。
(大分冷静さを取り戻したので)m2さんのご意見から感じたことをコメント致します。
「周囲に必要とされたい」という気持ちは、受動・積極奇異のどちらからも感じられます。実際、身近に介護士や保育士を職業とするASの人もいます。
ただ、中学までに得意分野を見付けられなかったり、見付けても周囲の人が強く後押ししないと始められない、また、始めても長続きしない…そんな人もいます。
100%自己責任で!とは言いませんが、「人に必要とされたい」という気持ちが、ASの人にとって生きて行くための「原動力」なら、せめて自分から「必要としてくれる人を探しに行く」ぐらいの気持ちは持って欲しいとは思いました。
(実際、受動弟と従兄弟の兄はそうでした。家に執着する相手が居なかっただけでしょうが…)
依存心が強すぎると、その「原動力(気力)」すら湧いてこない、周囲を動かすことしかできなくなる、逆に依存される側もASだと、自分から身動きが取れず離れられない…というのが、周囲の受動型ASの人を見た私の感想です。
ところで、次の記事のコメントの「(受動型ASには)したたかに生きて行くための社会勉強が必要」についてですが…
最近フリーター生活を終え、就職した受動弟の話を思い出しました。
「(新しい職場で)自分より年下だが、経験や資格が多く学歴も上の人が数人いて、仕事中その人達が上司の目を盗んで、お互い目配せをしながらサボりに出ることがある。」と言ってました。私が「その人達がサボった分の仕事を押し付けられて、腹立たないの?」と聞くと「真面目にやれとは思うが、その人達の方が仕事の経験も資格の数も上だからしゃあない。その分自分達が頑張れば上司の機嫌も取れるし、色々と良くして貰える。」と答えてました。
あと「自分がフリーター生活してたせいか、その人達が大学出たばかりで、ほとんど社会経験が無いのがすぐ分かった。」と。
きっとフリーター生活が良い社会勉強だったんだなと思いました。接客のバイトが多かったので、そこから対人関係のスキルを身に付けていたのでしょうね。
決して無茶をせず、体調管理もしっかりできていたので、「自分自身」で様々な経験を積み重ね、その感覚を研ぎ澄ますことでしたたかに生きてきたのだろうと思いました。
すみませんΣ(゜ロ゜〃)
最後、何だかおかしいですね。
訂正させて下さい。
>決して無茶をせず、体調管理もしっかりできていたので、「自分自身」で様々な経験を積み重ね、その感覚を研ぎ澄ますことでしたたかに生きてきたのだろうと思いました。
訂正↓
ASの方は元々鋭い感覚をお持ちなんですよね。
その感覚を生かして社会での経験を積むことによって、自らを成長させられる…ということかな。
成長しても「自我」は形成されないかもしれないけど、それまでに学んだたくさんの経験や知識から、自分に合った方法を選び、生きて行くことは可能なんじゃないかと、弟を見て思いました。
道産娘さん。
>最後、何だかおかしいですね。
訂正させて下さい。
>決して無茶をせず、体調管理もしっかりできていたので、「自分自身」で様々な経験を積み重ね、その感覚を研ぎ澄ますことでしたたかに生きてきたのだろうと思いました。
訂正↓
ASの方は元々鋭い感覚をお持ちなんですよね。
その感覚を生かして社会での経験を積むことによって、自らを成長させられる…ということかな。
成長しても「自我」は形成されないかもしれないけど、それまでに学んだたくさんの経験や知識から、自分に合った方法を選び、生きて行くことは可能なんじゃないかと、弟を見て思いました。<
週末、道産娘さんのコメント何度も読み返しました。なんとなく気になったし、新たなコメントもなかったので。
弟さんと情緒障害型ジャイアンADHDの小生との違いを考えてみました。
小生には「まず知識、情報ありき」だったような気がします。親や教師に言われることを、わけわからないままそのまま憶え、役に立つ場面が来たら実際に使ってみる、というふうに。
弟さんの場合は、ご自身の研ぎ澄まされた感覚をもとに、実社会でその感覚を有効利用して生きていく道を探す。
少し違うかもしれませんが、そんなふうに感じました。
>成長しても「自我」は形成されないかもしれないけど<
いいんじゃないですか別に。
自我=俺が私が俺私のために、って最近あまりいいイメージがありません。
自分にこだわり過ぎて、自分に囚われすぎて縛られて大切なものを見失うよりはいいような気がします。語弊があるかもしれませんが。
他者に利用されることも多いでしょうが、きっといつか見る目のある上司に重宝されると思いますよ。
そういう小生は、そんなつつましやかな部下を見る目がなかったりするので、自戒をこめて記憶にしっかりととどめておきたいです。今回の道産娘さんのコメントを。
ASでしたか。
や、中心志向が抜けてきたんですか。
Paul Carpenterさん
「自我」については、私もそれでいい…というより、特性である以上「自分が無い」のは仕方がないのかなと思います。
ただ、自我は無くとも「自分で考えて発言・行動し、その言動に責任を持つ」ことは受動型でも可能なのだなと、他の受動型の方のコメントを拝見して、改めて思いました。
私自身「自分の人生、人任せになどできない」という考えで、自分に厳しいところはありますが、その考えを身近なASに押し付けることはありません。
(虚しくないの?と聞いたことはあります)
ただ、無自覚のうちに相手を依存させてしまい、相手の自主性?(自分で考え行動すること)を奪ってしまうことがあるので、依存させる側の責任は認識しなければとは思います。
ADHDの私がしっかりすれば良いのですが、中々難しいですね。
受動弟は立派だと思います。子供の頃はイタズラばかりで「ろくな大人にならんなぁ」と思ってたけど、様々な経験からちゃっかり対人関係等を学んでたんですね。
ちなみに、結構上司から期待され可愛がられてるみたいです。反面、年下からはナメられやすいようで「最近の若い奴は(受け身で)気が利かなくて困る」とぼやいていました。
最近、ちょっとAC抜けてきたかな…
「自由」と「責任」は表裏一体だと、少しずつ実感できるようになってきました。
子供の頃は「大人になれば自由になれる、大人になれば好きなことができる」と期待を膨らませていたのですが、今その気持ちを取り戻しつつあるような気がします。
多数派にとったら「責任」なんて言葉避けて通りたいだろうけど、それで「発言権や決定権」が得られるなら喜んで「責任」取りたいような…
受動弟や従兄弟(兄)の考える「自己責任」は、これとは大分違うでしょうね。
彼らは常に「他者」が前提されている。
「絶交しましょう」って、常に相手が前提されているASらしい発言だなって思いました。
絶交は一人じゃできませんからね。
ADHDは、相手に対し一方的に何か言う・言わせる、または何かする・させることしかできないんだろうなって思います。
私はあまり中心志向が目立たないせいもあり、こう言ったところからASとのすれ違いが生じる。
そう感じてます。
以上、独り言でしたm(__)m
道産娘さん。
>「絶交しましょう」って、常に相手が前提されているASらしい発言だなって思いました。
絶交は一人じゃできませんからね。ADHDは、相手に対し一方的に何か言う・言わせる、または何かする・させることしかできないんだろうなって思います。私はあまり中心志向が目立たないせいもあり、こう言ったところからASとのすれ違いが生じる。
そう感じてます。<
ジャイアンの小生は絶好せねばならないような相手とは話もしませんけどね。ただあとで信頼を裏切られて、自然に疎遠になることはよくありましたが。
その場合は相手になんらかの期待を抱いていた、ってことなんでしょうけど。
>最近、ちょっとAC抜けてきたかな…
「自由」と「責任」は表裏一体だと、少しずつ実感できるようになってきました。
子供の頃は「大人になれば自由になれる、大人になれば好きなことができる」と期待を膨らませていたのですが、今その気持ちを取り戻しつつあるような気がします。<
責任ばかり押し付けて、自由のない、恩恵も無い社会にされてしまいましたからね。これからの大人の責務は重大です。
いかにして責任感を持ちつつ、できる範囲内で自由を享受できるか。そしてそういう社会に少しずつ変えていくか。
個人でできるだけのことはやってみようと思っていますが(少なくとも高度経済成長、バブルの恩恵をわずかでも受けた幸運な人間の義務、使命として)、やはりここにお集まりの皆様で、お互い知恵を出し合って進んでいくのが一番いい方法ではないかと考えます。
道産娘さんの鋭いコメントはいつも光ってますよ。
先生こんにちは
ASの人に自虐は無いようですね。
自虐の対象の自分は無いようだ。
ジャイアンは正当化するゆえ出来ない。
昔?Eテレで身体障害者運動会をやっていて爆笑できて大好きだった。ああいうことがやりたいです。
乙武さんの自虐ネタはすぐに笑えない、乙武さんに「てぶくろ落とした」と言われてもそれいるの?て言いたくなってしまう。
あれを考えないでも笑うのが理想。
自虐は難易度が高いですね。
自分を客観視する事が難しく、ただ落ち込んでしまうだけになるんですよ。
そして鬱状態になってしまうので、私はやりませんね。
お笑い芸人さんで自虐ネタを用いる人はすごいなぁと思っていますよ。
ブラックすぎるネタが来るのであまりおすすめしませんが、鳥居みゆきさんなんかはマイルドで知的なネタだと笑えたりするので、なんだか凄い人だなぁと以前思っていましたよ。
言い忘れていたので追加です。
私は「自虐ネタ」よりも「不条理ギャグ」が大好きですよ。
近日中にと申し上げておきながら
コメント遅くなりましたことお詫び申し上げます。(原因は単純に…風邪の完治が長引いての体調不良でした)
お一方ずつ返信させてください。
まず、ちひろ様。
>そして自分自身は相手の要求に必死で答えているつもりなのに、やっても、やっても、罵りとともに要求を突きつけられつづけて、最後は混乱し(引用ここまで)
大変共感いたします。
本当に、どうしてこの脳は「相手の罵りと要求をセットにさせるまで」やってしまうのでしょう…ほんとに…
昨年までの約4年間の自分自身を想起いたしました。
以下はその頃の自分自身に関する記憶です。
自分自身としては「言われたとおりにやっている」認識でしかないのに
上司等からは「どうしてそうしたんだ?!」「違う!」のメッセージ、
一体どこがどのように違うのか、何故違うのかを問うても
「それはお前の管轄外だ」「わからない時に聞けばいい」と解決しないまま叱責と謝罪のループ。
そのうちドツボにはまると、
相手の怒りの声と顔がインプットされて「またそうなるかもしれない」という予期的恐怖にかられるようになり、
叱られることだと脳は知っていながらもそっちをするようになり
相手には大きな声で「はい!承知いたしました!大変申し訳ございませんでした!」と言うようになったり。
自分の脳内で「その言い方はお前、ドン引きされるぞ」と突っ込む余裕さえもなくなって、最終的にはどんどん自分を追い込んで『自傷行為』に走ってました。(←自分の定義ではこれは『自虐』なのですが他のコメントにてやりとりされているので分けて表現しています)
このことは「自分自身のこの脳の認知の特徴、つまり自閉症スペクトラムな、アスペルガー受動型な脳が、最大限の最悪な結果をもたらした」事象だったと今は言語化しています。
最悪な組み合わせまたは環境がもたらしたとも言えるかもしれません。
…ほんとに言葉通り「どーしてこうなった?」なのですが
自分の分析においては『自分の軸のなさ』によるものだと考えています。これについては他の方々への返コメにて述べます。
『言葉で言っても伝わらない人っているんですね』
↑当時私が言われた台詞、これは今でも脳内に再生される台詞の一つです。
連続で失礼いたします。返信の続きです。
道産娘様、遅くなりました。
>大変参考になりました♪
>ただ、過去の辛い記憶を細部に渡ってコメントしていただいたので、かえって申し訳ない気持ちでいっぱいですが…
いいえ!そのようなことはありません、大丈夫です。ありがとうございます。(小さいころから脳内で自分のことを考えるのが好きでしたので、客観視しては分析するのが好物です)
逆に、それらを読まれた方が連結して想起して良くない状態にならなければいいのだけれど、と考えていました(います)。(いわゆる人の体験談を読んで思い出しちゃうことがあるから気をつけるべき、ということは一般的なセオリーとしても知っていましたから。)
>(ASについて)まだまだ未知な部分も多くて、ついていけないと思うところもありますが、一昨日「自分は全ての受動型ASの人間を知り尽くしている」と言わんばかりの「誇大的」なコメントを見た直後だったこともあり、少しホッとしました。
役に立てる自分、を、今嬉しく感じています。
>ところで、コメントの中に「積極奇異→受動に変わった」とありましたが、元々は積極奇異で、二次障害等でACや離人症になり、性格がガラッと変わってしまった…ということはないでしょうか?
あるかもしれません、小さい頃のあの「えげつないくらいの積極的なうっとうしい自分」がはたして愛着の相手だったからそうだった、と言い切れるか?
…と自問自答もします。
>そういえば、受動型の人でも、幼少期は人見知りが激しかったり、癇癪持ちだったり、愛着の前だけ落ち着きがなかったりしますね。私の弟、従兄弟達がそうでした。
なるほど!じゃあやっぱり受動ベースかもですが
…逆に元々が積極奇異で、でも、私を相手にする人間が居なかったから結果的に受動っぽくも取れる、のかもしれないな~
などと考えています。
道産娘様、すみません、次に続行します。
道産娘様、以下は、わたくしにいただいたコメントの2つめに関してです。
>こだわりはあまり無かったかなぁ。
>感覚過敏で、衣類や食べ物等の好き嫌いは目立ちましたが、趣味や専門的分野を極めるという面は見られなかったですね。
(幼い頃の、愛着相手との思い出のある物は今でも大事にとってあります。)
これもなるほど!です、私の場合は鉄オタではなく、収集もなく、でも感覚過敏も思い出の品も「あり」ます。
(それが嬉しいという感覚が今あります)
分野を極めることはないのですが、「それを知りつくしたい」衝動にはかられます。
自分の中の表現では「『世界』を知りつくしたい、知ることで見通しが持てるから不安が消える、だから知りつくしたい」欲求です。
加えてその情報を周囲にシェアしたい欲求にもかられます、
これは自分の中では「相手に、自分の情報を与えるという行為で相手を支配しつくしたい」欲求だと分析しています。
そんなことをする自分を客観視して
「お前、そんなに主導権握りたいのか?!」「人に迷惑かけるくせに、何を偉そうに言っているんだ?お前はそんなこと言える存在じゃないだろう!」等の『自傷行為』にも走っていたりしますが。
続投大変失礼しております。これともうひとつで終わりです。
Paul Carpenter様、遅くなり申し訳ありません。
> 目の前の相手に喜んでもらいたい、という気持ちがある場合は余計に混乱してしまう、ということでしょうか。
はい、そうです、本当にその通り(文字通り)です。
喜ぶ=自分が役に立っている=自分は存在してもいい、この公式が長年わたくしの脳内で成立しています。
なので(?)相手が「別に喜ばせなくても大丈夫」な相手で、(愛着ではない相手で、)
ありがたくも自分にとって恵まれた環境、すなわち、周囲に「自分にとっての味方」が多く存在するような環境だったりすると
こっぴどく叱られてもあとまで引きずらずに過ごせたりします。
> 恐れの場合もあるでしょうが、自分を大事にして欲しい、自分を愛して欲しい、という気持ちが強い場合もありますよね。
はい、これも本当にその通りです。
愛着であってもなくても
相手に必要とされているか?!は自分にとって存在意義の命題だったりもします。
幼少期の体験(生育歴)による影響が大きいと分析しているのですが
→『あらたにひとり産むことで今の家族の幸せが保持できる、ということを信じ、そのために義務として産んだ』のが私でして(自分がそれを知ったのは十代)、
なので自分の存在意義や定義が未だにかたまっていません。
(両親の台詞「ほんとにすまないことをした、幸せになってくれればそれでいい」。)
加えて集団デビューまでは、兄弟は年が離れていたため文字通り室内で一人で過ごしたことと(←これは至福なひとときでした…)
デビュー後は「そりゃ当然な帰結」としていじめられたこと、
これらがわたくしの人間関係のノウハウのベースになっています。
(もうひとつ、続きます)
(これで最後です、長々と申し訳ありませんでした。)
存在意義が確立していないことは、わたくしの出生理由もあるのでしょうけれど
自己分析上は「自分の脳が『こう』だからじゃないか?」の解も出ています。
自分という『軸』がなさ過ぎて≒受動型だから
その立つべき位置のような、確固たる足場のような『軸』を相手に求めざるを得ないんじゃないだろうか。
振り回されないほうがしんどくないんだけれどもいたしかたない、求めないと結局自分が定まらない、でもって「相手によっては100%相手の思考に染まっちゃう」んだけれども
…それが自分の脳ではなかろーか、と
今は、そう考えています。
…改めて御礼を。
ちひろ様、道産娘様、Paul Carpenter様。
そして他のコメントの方がた、
何よりもやんばる先生。
今までの自己分析をこの場で文字に変換できました。
新たに思考することもできました。
自分にとってはありがたく、嬉しく、そして「自分について知るのが面白い」という感覚があります。
(また、これからもちまちまコメントできればと考えています。)
あおいよる。さん
自分という『軸』がないというのは、受動型の特徴ですね。
積極奇異ではなさそうです。
『自傷行為』と『自虐』について。
どちらも「自分を傷付ける」という意味がありますよね。
これまで私は、自己評価の下がらないASが「自傷・自虐」と、自分を卑下する言葉を使っても「嘘くさい・相手を馬鹿にしてる」としか思ってませんでした。
(KYのジャイアンACで、人一倍被害妄想が強いからかもしれませんが)
今では、少し誤解してたかなと思っています。
あおいよるさんのように人に振り回されて、自分でも気付かないうちに自分を卑下して考えてしまう人もいるんだなぁと。
>自分の中の表現では「『世界』を知りつくしたい、知ることで見通しが持てるから不安が消える、だから知りつくしたい」欲求です。
加えてその情報を周囲にシェアしたい欲求にもかられます、
これは自分の中では「相手に、自分の情報を与えるという行為で相手を支配しつくしたい」欲求だと分析しています。
「支配したい欲求」ですか…
確かに受動型ASの人って「同じ敷地内(職場・教室等)の人達の動きが気になって仕方ない」ところはありますよね。
(続きます)
(続きです)
私はすぐボーッとしたり単独行動に走るせいか、(受動型AS生徒や教師から)よくちょっかいかけられたり注意されてました(苦笑)
「寂しがり屋で構って欲しい」という風にも見えましたが…支配欲求だったんですねぇ。
>自分にとってはありがたく、嬉しく、そして「自分について知るのが面白い」という感覚があります。
もしかしたら、(AS以外の人間に)ASの事をあーだこーだ言われるのが苦痛なんじゃないかって少し不安だったので、私も安心しました(^_^;)
ASの方の行動パターンについて、やはり幼少期の(愛着相手等の)周囲の人間の言動によって決まってくるのかな?って印象がありますね。
あと、受動型ASの家族(特に親)には、必ずと言って良いほどADHDがいるので、それも関係あるのかなぁと。
コメントありがとうございます。
身体、お大事になさって下さいね。
(最大データを越えてしまい、携帯で表示できませんのでこちらにコメントさせていただきます。申し訳ありません。)
さーこ(AS)さん
もう良いです、ありがとうございます。
みさんには何を言っても無駄です。
さーこさん、巻き込んでしまって申し訳ありませんでした。
みさん
お断りします。
あなたの指図は受けません。
他の人に害を及ぼしていたのは「お互い様」です。
このブログに参加してるASの方々は、敏感に雰囲気を察して「このブログが閉鎖の危機にさらされるかもしれない」と不安を感じ、その為に一部の方は「やめて欲しい」とコメントされたのだと思います。(ちなみに、柿さんの例え話はあなたにも当てはまりそうですが)
私達の言い争いは、私達の「都合」でしかありません。
私の発言を不快に思ったのはあなた自身でしょう?
もっと言えば、あなたのジャイアンの特性による「支配欲求や衝動性」からでしょう?
私はみさんが「合理的ではない」と気付いてましたが、これまで、あなたを「矯正」しようとは一度も考えませんでした。
どうしてあなたは、私にそれをなさるんですか?
(続きます)
(続きです)
あと、ご安心下さい。
誤解されているようですが「演じる」と言ったのは、あなたのことを言ったわけではありませんので。
何故みさんのことだと思われたのか、不思議でなりません。
あなたは私が素直に謝れば、それで満足なんですね。
私には、あなたの支配欲求を満たすために頭を下げることはできません。
それでも「謝れ」というなら、それこそ「全面撤退宣言」してから謝ろうと思います。
>(最大データを越えてしまい、携帯で表示できませんのでこちらにコメントさせていただきます。申し訳ありません。)
携帯で見ている人がいるという事を忘れてしまっていました…。申し訳ありません。
「受動型ASの受験生が勉強しない理由」の記事のコメントのつづきになります…。
み さんは、皆さまに対しては配慮が欠けていた部分があると謝っていましたが、早朝4時ごろのコメントの時点では道産娘さん本人には謝っていません。
道産娘さん、あなたの気持ちはもっともな事だと、個人的には思っていますよ。
>さーこさん、巻き込んでしまって申し訳ありませんでした。
私は一応、コンサルテーション(問診)の理論と実技を学んできているので、単に思考しているだけですよ。人間の気持ちは非常に複雑かつ繊細なものです。
道産娘さん、あなたがしっかりと自分を立て直すことができるよう、ひっそりと祈っていますよ。
道産娘さん さーこさん
私が道産娘さんに「ADHDがASを演じる」ことに疑問をもち、質問したことが「支配」であるということですね。
道産娘さんには質問することが「支配」になるのですね。道産娘さんのいう合理的思考とは、道産娘さんの自由な思考だと思いますが、それを妨げられたくない、ということですね。
私は思いつきや思い込み、決めつけで話を進めてほしくはないのですが、それは指摘しないでほしいということですね。つまり、思いつきや思い込み、決めつけで話が進んでもそれでよいのですね。
わかりました。道産娘さんに質問したことを謝ります。すみませんでした。
道産娘さんは謝る必要はないですよ。道産娘さんのいう「ADHDがASを演じる」ことは事実なのでしょうから、それを事実として話を進めましょう。「ADHDがASを演じる」なら、私はそういうADHDさんと話してみたいですね。どんなふうに演じているのか、興味があります。受動型ASさんのいう「ASがADHDを演じる」のとどう違うのか、比較してみたい気がします。
それと、道産娘さんがm2さんのコメントから掘り下げたいといっていましたから、そこから出発しましょう。
そうだ、道産娘さんが
>(私もそうですが)ADHDにも自分の弱点をカバーするために、強迫的に細部にこだわったり首尾一貫して考えたり…と、ASらしく演じる人達がいます。
とのことから、道産娘さんがASを演じるのと、m2さんがADHDを演じるのと、どう違うか掘り下げてみてはいかがでしょうか。提案です。支配ではありません。提案です。
「演じる」というキーワード、これは受動型ASの対人関係における想像力と関係しますから掘り下げていくと面白いかもしれません。
みさん
>私が道産娘さんに「ADHDがASを演じる」ことに疑問をもち、質問したことが「支配」であるということですね。
道産娘さんには質問することが「支配」になるのですね。道産娘さんのいう合理的思考とは、道産娘さんの自由な思考だと思いますが、それを妨げられたくない、ということですね。
私は思いつきや思い込み、決めつけで話を進めてほしくはないのですが、それは指摘しないでほしいということですね。つまり、思いつきや思い込み、決めつけで話が進んでもそれでよいのですね。
全て違いますが、その後の展開が見えているだけに、答えることに躊躇いがあります。
自分がどこまで合理的なのか自信はありませんが、少なくともあなたの「衝動統制しろ」だの「決め付けや思い付きや思い込み」だのといった発言に対し「あなたがそれを言いますか?」と反感があったのは事実です。
でも私が言い返せば「言い争い」という、あなたのペースに持ち込むことになる。
それが嫌だったので「あなたがそう思うならそれで構わない」と受け流しました。
申し訳ありませんが、今はその質問に答える気にはなれません。
皆様、お騒がせ致しました。
道産娘さん
本当に申し訳なく思います。
揚げ足取りでしたね。そして、支配した。
私が余計な口出ししたのですよね。自分の衝動を統制できずに、口出ししたのですよね。
本当にすみませんでした。申し訳なく思っています。
貴方を支配しませんので、どうか議論を進めてください。
お願いいたします。
本当にすみませんでした。
道産娘さん
>(私もそうですが)ADHDにも自分の弱点をカバーするために、強迫的に細部にこだわったり首尾一貫して考えたり…と、ASらしく演じる人達がいます。
これは思いつきではなかったのですね。事実があったのですよね。では答える必要がありません。事実は事実として、それで話を進めていきましょう。
隣の記事、コメントする方が急に増えた気がするのですが…盛り上がってるようですね。
全く見れないので分かりませんが。
みさん
もう一度言っておきます。
多分みさんの被害妄想(誇大妄想?)だと想像してるのですが「演じる」の話は本当にあなたのことではありません。
何故みさんのことだと決め付けられたのか不思議でしたが、これは何も言わない私も悪いでしょうし、誤解されても仕方ないですよね。
「演じている」と言ったのは私や私の身内、知り合いのことで、あなたのことではありませんので、誤解しないで下さいね。
道産娘さん
>多分みさんの被害妄想(誇大妄想?)だと想像してるのですが「演じる」の話は本当にあなたのことではありません。
私はもう私のことだと思ってはいません。道産娘さんの周囲のADHDさんがASを演じるのですね。
私は道産娘さんからお答えいただけなかったことと揚げ足取りと言われたことで、もしかしたら?と思っただけです。道産娘さんの周囲のADHDさんがASを演じる具体的な場面をはやくに紹介していただければ、そうなんだと納得することができました。
「これは思いつきではなかったのですね。事実があったのですよね。では答える必要がありません。事実は事実として、それで話を進めていきましょう。」
これは道産娘さんの周囲のADHDさんがASを演じることを「事実」として、ということです。
道産娘さん、そして皆様へ
私が衝動統制できていないとき、そして支配しようとしているとき、遠慮なくご指摘ください。そして、どのような衝動統制が有効なのか、教えてください。
私は非言語的にアピールされてもわからないことがあります。言語的に直接いってくださるとわかります。「あなたがそう思えばそうでしょう」「揚げ足取りだ」「支配だ」などと感情的に返されるとかえって攻撃的になりますので、今回の私のようにできるだけ気づかせる形でいってくださるとうれしいです。しつこくいってもらってかまいません。
たしか、JETさんに人という文字の由来を訂正していただいたことがあります。そのときには間違いであることをすぐに認めました。私は欠陥人間なので、よく間違ったり思い込みで発言したりすることがあります。できるだけ思い込みや思いつきで発言することに注意していますが、気付かないこともあります。私の衝動統制の訓練にお手伝いいただければと思います。よろしくお願いいたします。
追加
本当は誇大妄想じゃないのかと言われかねないので。
私はASを演じることをしませんから、「事実」ではないとお話ししています。ですから、この「事実」は道産娘さんの周囲の方だということでそう書きました。
道産娘さんが
「演じている」と言ったのは私や私の身内、知り合いのことで、あなたのことではありませんので、誤解しないで下さいね。
こう書いたから、「私はもう私のことだと思ってはいません。道産娘さんの周囲のADHDさんがASを演じるのですね。」こういったのだと思われないために、追加しておきます。
私は道産娘さんに
「そこに気が付いていただきたかったのです。発言に責任を負うということ。批判意見が出されても自分の意見にしっかりした根拠があれば説得することができます。」
と書いています。批判意見が出されても根拠がしっかりしていれば説得することができる。これは道産娘さんを支配するために言ったのではありません。批判意見が出されたときに自分の意見に根拠があれば説得できる、これは社会で当然のことで、仕事上でもよくあることでしょう。ですから、道産娘さんの周囲のADHDさんがASを演じる具体的な場面をはやくに紹介していただければ、そうなんだと納得することが可能だったのです。
私は、道産娘さんの周囲のADHDさんがASを演じることをお答えになることを期待していました。しかし質問に答えてはいただけなかったため、思いつきでの発言で答えられないのだろうと思いました。私は論理的な議論に関しては批判意見が出されても当然に受け止めます。反駁するか納得するかですから。ただ、論理でなく感情的に返されると論理で返すことができないので感情的にならざるを得なくなるのです。できるかぎり言語的に論理的な話がしたいのです。ASの方に関しては、一見論理的に見えるものの中身は感情的であることが多く、この二面性のある意見に対して、私はいつも感情を引き出されやすいのです。論理(AS流の論理ではない論理)が通じない、このことが感情的になってしまう要因です。
昨日、映画「レ・ミゼラブル」を見てきました。
「英国王のスピーチ」の監督の新作です。
よかったです。
みさん
>私が衝動統制できていないとき、そして支配しようとしているとき、遠慮なくご指摘ください。そして、どのような衝動統制が有効なのか、教えてください。
私は自分以外の人について、どうのこうの書くのは基本的に好きではないので、極力控えておりますが、上記のお言葉がありましたので、特別に書かせていただきます。
まず、私はみさんのすごく真面目でいつも真剣なところはとても好きです。
◎ご自分の専門職とか専門知識を生かしたいというお気持ちが
強迫観念的にすごく強いものだと感じます。
◎その強い気持ちがかえってみさんの良さを消してしまいがちのような気がします。
◎このブログ内では専門家はやんばる先生だけだと割り切って
ご自分も完全な素人だという意識で参加される方がみさんの良いところが発揮されそうな気がします。
◎具体的には人の発言に「待ったをかける」とか「批判する」等を一切やめる、基本的には「ご自分の理解・分析」に集中なさることが無難かもしれません。みさんのご自分の理解・分析にはとても鋭いものがあり、その深さには影響を受ける人が多いと思います。
◎後はものごとをもっとシンプルに考えて、細かいことにこだわらないといいかもしれません。(たとえば今回の「演じる」という言葉に必要以上にエネルギーを費やしていらした印象があります)
とにかく、みさんは「鋭く深い洞察力」をお持ちですし、「ADHDらしい豪快さ」も持っていらっしゃるので、その部分を伸ばしていただけるとすばらしいと思います。それらを人に向けるのではなく、ご自分の中に向けると、ご成功なさると思います。
いろいろと遠慮なく申しまして、失礼いたしました。
さーこさん
私は久々に養育環境を思い出してしましました。
夜に家から閉め出されて、泣きながら「家に入れてください、お願いします」と何回も繰り返していました。なかなか家に入れてもらえない。真冬でもそのようなことが度々ありました。何を叱られたか理解することなく、とにかく謝らなければ家に入れてもらえない。今でも何に対して叱られていたのか思い出せません。弁解の余地もなく、とても理不尽な思いで泣きながら謝っていたという記憶しかありません。
暴力のあった家庭だったので、理不尽でも謝らなければならないことがいっぱいありました。私の衝動統制はそういった環境のなかで形成されていきました。これが「情緒障害型依存型ジャイアンの衝動統制」です。少々PTSDの傷が痛みます。傷自体は治っていますが、薄ピンクの皮膚をなでると映像としてよみがえります。普段は何も思い出すことがないのですが。
非言語的に責められるとこのようにしか衝動統制できなくなります。部活動での体罰で自殺した生徒も、暴力により従わざるを得なかった、一方で理不尽な思いをしていたことが遺書に書かれていました。何を言ってもわかってもらえない、そして暴力を振るわれる。そのような毎日を過ごすと、本当に何で生きているのかわからなくなります。けして暴力は許されるものではありません。
体罰容認派はそのことに思いを及ぼすことなく、体罰は必要だといいます。けれども、体罰を受けている側は理不尽な思いのまま何に叱られているかもわからず、ただ謝るしかないのです。指導者は指導のために体罰をしていたと言いますが、ただ謝らせるだけのもので自ら考える力を失っているだけです。言語的に理解させ、改善させ、そしてモチベーションをあげていく、これが指導です。
アメジストさん
早速のアドバイス、ありがとうございます。
視野が偏狭になっているとき、繰り返し読ませていただき、衝動統制の訓練につなげていきたいと思います。
ありがとうございました。
みさん
みさんがどんな風に育ってきたとしても、
それは今関わっている人、これから関わって行く人には
「なんの責任もありません」
ジャイアン特性の「言い訳」「責任転嫁」「反省しない」
が発動してますよ。
(指摘してほしいとの発言を受けて書きました。
余計なことであればスルーしてください)
ホックさん
私は実は納得できていません。ですが、謝ることによっていったんこの場をおさめたいと思って謝りました。でも、それは不本意なことです。
「私はADHDの表面的な思考や思い込みをカバーするのにASらしく演じる人はいないのではと思います。「演じる」というのは受動型ASの方に特徴的であろうかと思いますが、おそらくADHDは演じるとは考えないのではないでしょうか。→私の「意見」
「演じる」ことが必要なのは自閉という特性からでしょう。対人関係で相手の言動によって自分を振り返る機能があるのとない(弱い)のとでは違います。→意見の「根拠」となるもの
私としましては、抜けが多い分きちっと見直す、場当たり的であるため一貫性を意識するなど、ASとは関係ないところでの弱点克服を目指します。→私自身の衝動統制のことにより意見の「根拠をさらに追加」
道産娘さんのいわれるASらしく演じるADHDさんの、具体的な演じている場面を紹介していただけるといいかなと思います。それと、ご本人に演じているかどうかを確認しましたか? そのあたりも聞きたく思います」→「質問」
私は論理的に、意見を述べ、根拠を示し、自分のことを書いて根拠を追加し、そして質問した、のです。けして揚げ足取りで道産娘さんを攻撃したのではありません。そして、支配するものでもありませんでした。
揚げ足取りというのは、相手の些細な失敗や言葉尻に付け込んで相手を責めること、です。道産娘さんご自身が、失言や言い損じをしたと思い、それを責められたと感じたから、「揚げ足取り」だと発言されたのだと思います。道産娘さんが失言や言い損じと感じなければ、事実として堂々と意見できたはずでした。
私のこの文章は、本当に道産娘さんに対して揚げ足をとった文章なのでしょうか?
議論の内容については、当事者である方々と心ゆくまで
議論されるといいと思います。
私はその議論に対し「いろんな意見があるんだな」と思うのみで
どちらかが正しいとは思いません。
あなたは、自分の過去(養育環境)を理由に
今関わっている人たち(この掲示板に集う人たち)に対し
「自分が被害者であることを言い続けている」事に気がついていますか?
み さんへ
私が見てきた映画の映像が一瞬蘇りました。あなたの体験は、読んでいて言葉を失いますね。
ですが。あなたが傷を負って育ってきたように、道産娘さんも、あなたと違う傷ではありますが、たしかに傷を負って育ってきています。
そして。理不尽だろうと納得できていなかろうと、厳しい現実ですが、自分の傷は、自分で背負うしかありません。
なぜなら、ホックさんの言葉を引用しますが、
私が(あなたが) >今関わっている人、これから関わって行く人には「なんの責任も」 無いからです。
私も現実にて傷を負ってきていますが、自分で背負っています。だから「沈黙」するのです。
みさん、あなたは他人の事に言及するより、自分自身の事に邁進されることを、私はひっそり祈っていますよ。
○大地さんに対して written by 道産娘 / 2013.01.07 05:03
(以下は私の独り言です。なお、特定の人について言っている訳ではありませんので、ASの方は「自分の事だ」と決めつけて考えないで下さい。)
「私の周囲の受動型ASは、私が理解しようと歩み寄れば、「揚げ足取り」や「おうむ返し」で人をからかうような事ばかり言って、「バカにしてる?」と聞けば、それ以上責められないよう、か弱そうな素振りを見せて非言語アピール。」
○のび助さんに対して written by 道産娘 / 2013.01.25 05:51
「「自分の言葉で話せ。」
これはあなたにそのままお返しします。」
「あと「絶交しましょう」って言い方、随分一方的で「上から目線だなぁ」と思いました。
私はあなたとまだ2回しかコメントのやり取りをしてませんから、あなたに仲良くして貰ったとは思っていません。
「思い上がり」も良いところですね。」
「返事は結構です。
このままやり取りを続けても「揚げ足取り」や「オウム返し」にしかなりませんから。」
○私に対して written by 道産娘 / 2013.02.17 23:16
「揚げ足取りは楽しいですか?
私が何か言えば、それを「攻撃材料」にするつもりですよね。
それが嫌だから言い返さないだけです。
これは立派な「理由」だと思っています。
でもみさんには「全面撤退の無責任」に見えるのでしょう?
それは仕方の無いことですから、そう思って下さって結構です。」
私が道産娘さんの「揚げ足取り」という発言に対して引っ掛かっているのは、私だけではなく道産娘さんに批判的な意見を述べた人たちがすべて「揚げ足取り」や「おうむ返し」、「思い上がり」といった言葉で跳ね返されているということです。あまりにも傍若無人な態度に最終的に発言したくなったのです。ジャイアンが批判をした人に対してやり込む、それも非常に強い言い方で、自分に批判してくれるなと言わんばかりの態度で相手を言い負かす、それに警告をしたかったのです。つまり、批判した相手をなぎ倒す形で進行してきたのです。また、端々にそういう言い方はないんじゃないかと思うことがありました。
Googleでようやく隣の記事のコメントを表示できましたが、メール送信欄が表示できないので、引き続きこちらでコメントさせていただきます。
今は頭が痛いので、落ち着いたら少しずつコメント返していきたいと思います。
お騒がせして申し訳ありませんでした。
さーこ(AS)さん
その映画、アン・ハサウェイ出てますよね。
好きなんですよ♪
まだ観てないんですが、観に行こうかな(^-^)
Googleでようやく隣の記事のコメントを表示できましたが、メール送信欄が表示できないので、引き続きこちらでコメントさせていただきます。
今は頭が痛いので、落ち着いたら少しずつコメント返すかもしれません。
お騒がせして申し訳ありませんでした。
さーこ(AS)さん
その映画、アン・ハサウェイ出てますよね?
好きなんですよ♪
まだ観てないんですが、観に行こうかな(^-^)
そういう言い方はないんじゃないかと思うことがあった個所です。
written by 道産娘 / 2013.01.07 05:03
「お前は何様だ?」
「どれだけ偉いんだ?」
「思い上がるな!」
そう言ってやりたかった。
先生、暴言吐いてすみません。大人げない…でもスッキリしましたm(__)m過去のトラウマが吹き出してしまったようです。きっとこの気持ちは受動型には解らないでしょう。
<過去のトラウマが吹き出したとのことですが、攻撃性を刺激されてしまったのでしょう。誰とは書いていないですが、明らかに大地さんに対してと誰もがわかります>
m2さんに対する内容 written by 道産娘 / 2013.01.21 04:39
しかし、ASの袋小路発言って、上記の方のような発言のことでしょうかね。
本当、「考え続ける努力」も無駄になってしまいそうですね。
ジャイアンなら腹が立つところでしょうが、なんだか悲しくなります。
(おっといけない、魔の囁きが…)
<m2さんのコメントであるのは明らかにわかりました。失礼な発言だなと思いました。そして、「参加者の皆さんへのお願い」で、「(ASについて)まだまだ未知な部分も多くて、ついていけないと思うところもありますが、一昨日「自分は全ての受動型ASの人間を知り尽くしている」と言わんばかりの「誇大的」なコメントを見た直後だったこともあり、少しホッとしました」と書いています。どうかと思います>
私に対するコメント written by 道産娘 / 2013.02.06 05:30
「私は始めからぬまおさんの奥様は「孤立型ではない」と、否定的な見方をしてましたが?
>奥様は孤立型ではないかと。
多分、この表現が肯定とも否定とも受け取れ、紛らわしかったのだと思います。失礼致しました。」
<否定的な見方をしてましたが? と、紛らわしい書き方をしたのは道産娘さんですから、私が故意に誤って読んだのではありません。この文章は通常肯定していると読みます。否定的な見方なら孤立型ではないと。か、孤立型でないと思う。としっかり書いてほしいと思いました。人のせいにしないでほしい。そして失礼だったと思うなら否定的な見方をしてましたが?と書かないでほしい。これも相手に失礼な発言です>
私が簡単に口にすべきではない、と思ったのは、「反社会的行動」だけではありません。これら失礼な発言を繰り返していたためです。そういった失礼な発言で相手の気分を害すことに全く気付くことなく、むしろそれが当然かのように「はっきり言うことを自分のスタイル」だとしてきたのです。自分に対してのコメントでなくても道産娘さんの発言を読んでいるこちら側は気分を害します。もう少し、相手に対して失礼のないような発言をするように注し発言していただきたいと思います。
先生、すみません。
また同じ内容のコメントを二回投稿してしまいましたので、「一回目のコメント」と「このコメント」を削除していただけませんか?
お手数おかけしますが、よろしくお願いします。
道産娘さん
あなたはきっと大丈夫だと思いますよ。
自分で自分をしっかりと立て直し、自分の人生を自分で歩む事ができる、私にはあなたの明日の未来がうっすら見えます。
映画、アン・ハサウェイ 出ていますよ^^
私は字幕で見ましたが、魂が打ち抜かれるような、美しく力強い人間の歌でした。
10代の頃から洋楽ばかり聞いていますが、私の人生で一番の、強い光でしたよ^^
今まで何が起こっていたのかまとめます。ジャイアンの「攻撃」と「防御」に関して非常に参考になると思います。
>(私もそうですが)ADHDにも自分の弱点をカバーするために、強迫的に細部にこだわったり首尾一貫して考えたり…と、ASらしく演じる人達がいます。
これに対して私がなぜこだわったのかを説明します。最初はこれを読んだ時に「ADHDはASを演じようとは思わないだろう、そういうADHDがいるのか事実は確認したのか、衝動的に発言したに過ぎないのではないか」でした。その後、「揚げ足取りは楽しいですか?」と言われて気付いたのは、私のことを指しているのではないかと思いました。
なぜそう思ったか、ここが重要です。
大地さんへの攻撃のコメント、
(以下は私の独り言です。なお、特定の人について言っている訳ではありませんので、ASの方は「自分の事だ」と決めつけて考えないで下さい。)
こうして誰とも言っていないのだから、言われた大地さんは反論できないのです。自分のことと思って反論すると「貴方のことではありません」と突き返されて終わりです。
そして、m2さんの最初のコメントに対して、Paul Carpenterさんあてのコメントの中で
「しかし、ASの袋小路発言って、上記の方のような発言のことでしょうかね。
本当、「考え続ける努力」も無駄になってしまいそうですね。
ジャイアンなら腹が立つところでしょうが、なんだか悲しくなります。
(おっといけない、魔の囁きが…)」
これも、m2さんとは書いていません。たとえm2さんが袋小路発言という言葉に引っ掛かって反論したとしても、誰とも書いていないので、大地さんのときと同じく「貴方のことではありません」と突き返されて終わりです。
これは道産娘さんの批判されないための「防御」です。
そして私の件、「揚げ足取りだ」と返されたとき、大地さんやのび助さんにした道産娘さんの攻撃のことを思い出しました。きっと「揚げ足取り」(攻撃)だといって私を言い負かそうとしているのだと思いました。そして、誰とは書いていないが大地さんやm2さんのこととわかる内容で攻撃(批判、嫌味)したことを思い出しました。非常にいやらしいやり口です。それをいち早く気づいたのがのび助さんでした。のび助さんはそれ以前に道産娘さんから攻撃されたため気が付いたのだと思います。
ですから、私はジャイアンとして止めなければと思いました。私でなければ誰がやる、そういう気持ちでした。きっと私でなければできない、強烈なジャイアンであるからこそできることだと考えました。今の私はそう崩れることなくできる。
のび助さんは「依存ジャイアンがADHDを正当化の隠れ蓑にするとかって騙りか?と思うし、新しい説ではないことを(YANBARU先生の記事名などをソースとして出さないで)思い込みと混ぜてそれでもっともらしく相手をいじくるのはいやだ。相手がADHDなら回復できない」と、悲痛な叫びをあげました。その通りなのです。これをやられると回復が難しくなるような攻撃の仕方なのです。
私は誰だと書いているわけではないので、まず本当にADHDがASを演じる人がいるのか事実を確かめることから始めました。それが2回目の質問です。この時の返答が
>「ジャイアンの衝動や支配欲求を満たしたくて、私をコントロールしている」のではありませんか?
>ここで私がすんなり「分かりました」と答えれば、あなたの「支配欲求」を満たしてしまうことになり、私の方は「合理的思考」が失われる。
>謝るのは簡単です。でもここですんなり引き下がるのは違うと思いました。
答えることができない、つまり、攻撃であった可能性が高いと思いました。衝動や支配欲求などという言葉で私を攻撃しています。私の弱点を突いてきています。しかし、衝動欲求や支配欲求とは違います。私は道産娘さんの隠れた攻撃を明らかにするために質問しています。自己認識がしっかりしていれば揺らぐことはありません。そして3回目の質問をしました。
道産娘さんの返答
>私が「揚げ足取り」になると感じたのは、もっと前の、Fさんや他の方とのコメントのやり取りを見てきたからです。相手の発言の揚げ足を取ったり、批判することで言い争いに持ち込み、蹴落として自分の言う通りにさせる…それがあなたのやり方だと思いました。
非常に痛いところを突いてきました。相手の弱さを突くことができるのは立派なジャイアンです。しかし、これはFさんとのこととは一切関係がないことです。単に質問しているだけでこのような攻撃をする、これはさらに疑念が深まりました。
そして、これです。
>それでも「謝れ」というなら、それこそ「全面撤退宣言」してから謝ろうと思います。
実際には、「ADHDがASを演じる」ことについて、具体的に演じる場面を紹介すればよかったのです。それがこのような事態になってまでできないということは、つまりは事実でないことを述べてしまったからに他なりません。通常、事実に基づいて話していればここまで黙殺することはないのです。
この他に、直接的ではないけれども巧妙に仕組んでいました。それは、のび助さんへの媚を売るような顔文字入りのコメント、さーこさんへのアプローチなど、自分は支配されそうになっているので味方になってほしいというアピールです。のび助さんはそれには動じなかった。もっとも、あれだけしておいてそう簡単になびくわけがありません。
道産娘さん、貴方の攻撃性はかなり高いかつ巧妙です。事実を述べることはないでしょう。しかし、私にはわかります。そして何よりも先生は充分に道産娘さんの状態を理解していることでしょう。何も言わないから何をやってもいいなどということはありません。社会人としてあるべき姿勢で相手と関わることをしてください。ジャイアンだから何やっても許されることなどありません。
道産娘様。
道産娘様にひとつお伝えしたく、先にこちらを出しています。
コメントが落ち着いた頃(←自分の認知上でしかないので読み間違えるやもですが)、
道産娘様とやりとりしたいなぁと感じていたりするのです。
↓
「(主に?)ADHDさんをコントロールすること」「支配したいと感じることは、自分にとっては字義通りではなく、『見通しが持てない』ことに因るということ」
について
わたくしの表現(語句の定義)を使用して
説明(というと尊大過ぎる感覚が…)または確認できれば、と考えています。
そして
可能であればさらにもう少し質疑応答でも良いので
やりとりもできたらなぁと感じています。
(それは道産娘様だけでなく、m2様はじめ、コメントされている方々と。)
( ´・ω・`)且~~ ぼくもう終わり
JETさん関係ないですからね
私は道産娘さんが私を隠れた形で攻撃したと思っている。まとめる。
「受動型ASの受験生が勉強しない理由」のエントリにおいて、真っ先にコメントを書きこんだのは受動型ASでない道産娘さん。よくADHDの子どもが授業で真っ先に手を挙げるのと同じ光景。それほど自分の意見を聞いてほしいという衝動が強い。先生は発達障害専門医だ。受動型ASを診てきている。それに思いを及ぼすことなく、道産娘さんは自分の周囲の受動型ASの観察されたことを書くことが役に立つと思った。「(ASについて)まだまだ未知な部分も多くて、ついていけないと思うところもあ」るとご自身で言っているにもかかわらず。
すぐに大地さんと衝突。大地さん宛にではなく、独り言として「揚げ足取り」「おうむ返し」と攻め、それを過去のトラウマが吹き出したと言い訳して追い払った。
次は、受動型ASのm2さんのコメントに対してです。受動型ASさんの生の声です。先生のエントリの趣旨に合った答えだ。しかし、道産娘さんはPaul Carpenterさんへの返事の中で、m2さんのコメントを「ASの袋小路発言」と評し、「なんだか悲しくなります」とASに言いくるめられる弱い立場であることをアピール。これはACでもなんでもない。自分に注目してもらいたいためのアピールだ。加えて「参加者の皆さんへのお願い」で、あおいよるさんにm2さんのコメントを「誇大的」だと評し、「少しホッとしました」と、これまた弱い立場であることをアピール。
このことに、私は受動型ASさんの生の声が聞けなくなる、このエントリの趣旨から遠ざかってしまう、という危機感をもった。Paul Carpenterさん、alddeさん、maruさん、そして私はきちんとm2さんの意見を聞こうとしていた。
今度はのび助さんと衝突。道産娘さんはのび助さんに「揚げ足取り」や「オウム返し」と言い、また追っ払ってしまった。
しばらくして、ぬまおさんの奥さまの話になり、道産娘さんが答える中、ぬまおさんに対して「共依存関係に持ち込んでるのではないか」「急にADHDから診断を変え、頑なに「孤立型」と言い張って」いたと、思い込みでぬまおさんを責めたため、私は論理的にまとめた。余計な思い込みは排除し、言葉を丁寧に拾い、ASとジャイアンの違いをわかるように説明した。
それが道産娘さんは気に入らなかったのだ。相手に読み間違いを起こすような書き方をして、本来は謝るところを謝る前に突っ掛っている。素直に自分が悪かったと認められないのだと思った。自分の考えが否定されたのだと感じたのだろう。(これがのちに「ADHDがASを演じる人達がいる」ということにつながったのではないかと思っている)
今度は、道産娘さんのm2さんへの「m2さんが急にこのブログに戻ってきたのも、ADHDの私がASに対し好き勝手に発言してたので「この場を丸く治めたい(支配・コントロールしたい)欲求」に駆られたからだと思います」「それが「ASらしさ」なので受け入れてあげるべきなのか迷いましたが、それで私が黙って引き下がるのは違うと思い、コメントし続けたのですが…」という発言。
ぶったまげた。なぜm2さんが道産娘さんを支配しようとしていると思ったのか、ただm2さんは受動型ASについて語っているだけであり、ましてm2さんは道産娘さんを支配しようとしてはいない。しかもここは受動型ASさんのエントリだ。何を勘違いしているのか。
そして私が突っ込んだ。「このエントリは先生の受動型ASへの理解のため、ひとつ前のお願いとともに先生の見解を示したものであり、ASについてはASの方に聞くことにより深められるということ、先生は診療で多くのASを診ているが、自身がADHDであることから謙虚にASの方の意見を聞こうとしているのだ」ということを理解してほしかったからだ。
道産娘さんは「まぁ、私もジャイアンなので実際は分かりませんね。みさんがそう思うなら、それで良いと思います」と、なぜ指摘されたのかを理解することなく、またご自身を振り返ることをしなかった。ジャイアンであることの自己認識ができていない。そしてそのまま続けた。m2さんとのやり取りを遮られたくなかったのだろう。
そして、「社会的行動」におけて生徒の自殺と結び付けた。これはさすがに簡単に口にすべきではない事柄だ。最近の生徒の自殺に関して発達障害と診断されていないにもかかわらずそれを「事実」として話している。今までもこのようなことがあった。思い込みが激しすぎる。そして衝動的すぎる。
私の突っ込みに対して道産娘さんはスルーした。なによりもm2さんと会話を続けたい、優先したい、そう見える。道産娘さんは衝動で突っ走っている。「合理的思考」と勘違いして。
だから私は「全面撤収」かと突っ込んだのだ。発言に責任を負うことをしてほしいと。道産娘さんは「あなたにはそう思えるのでしょう。なら、そう思って下さって結構です」との返答。自分を振り返ることができない。
そして、その後m2さんへのコメント内で「ADHDがASを演じる人達がいる」と発言した。私は疑問を投げた。「揚げ足取りだ」と返された。大地さん、のび助さんをなぎ倒してきた方法と同じだ。もしかしたら道産娘さんが大地さんやm2さんに名無しの攻撃をしたのと同じか、そう思った。後はそれ以前に書いた通りだ。
道産娘さんは合理的衝動統制とは何かを理解していない。自由な思考を合理的思考と勘違いし、その自由な思考と攻撃性でここまでやってきた。「合理的な衝動統制」とは、ここは受動型ASについてのエントリだからコメントしたくなるのを抑えていこう、よく知らない、よく調べていないのに話し出すのはよそう、といったことだ。≪衝動統制していなければ他人から厳しく非難されるのは当前≫だ。
ASの方はこのことについて想像力の障害のため理解できない。なぜ私が、のび助さんがこれだけ反発しているか共感することができない。それは仕方のないこと。だが、道産娘さんに私がこれだけ言っているのは≪衝動統制していなければ他人から厳しく非難されるのは当前≫だからだ。さーこさんは道産娘さんに「利用」されている。そこに道産娘さんの「依存性」が見える。
道産娘さんは今は謝れない。後で、私のこれまでのコメント、のび助さんの「依存ジャイアンがADHDを正当化の隠れ蓑にするとかって騙りか?」の部分、読み返してほしい。これは私が最初から貴方をどう見ていたのかを記した。他人の目は自分を映す。「自己認識」はそこから始まる。
みさん・・・。
『何も言わないから何をやってもいいなどということはありません。社会人としてあるべき姿勢で相手と関わることをしてください。ジャイアンだから何やっても許されることなどありません』
あなたに言いたい(;_;)
個人のブログのコメント欄に長文を何度も投稿することを
「あらし」と呼ばずして、なにを「あらし」と呼ぶの?
みさんは2ちゃんねるにいったことがありますか?
スレッドのテーマに反しての論理的で、常識的、道徳なレスがあると「つり?」ってレスが帰ってくる場所です。
それはテーマに反する正論がそのスレッドをあらす結果になること知っていて、それを警戒するためです。
反論があるなら自ら新しくスレッドを立てて賛同する仲間を集めればいい。それがあそこの暗黙のルールです。
正論であろうとなかろうと反論することはすべてあらし。
それがわからないから・・ダメなんです・・人生でも。
道産娘さん
ガス無しライターでのやり取りで、道産娘さんにACについて質問され答えた身として、道産娘さんにいっておきたいことがあります。
道産娘さんは幼少期から今まで「AC」にはなっていないと思います。断言できるほどです。
○ガス無しライターのエントリで、「厳しい養育環境で育てられたわけではないし、自己評価もほとんど下がっていない」」と書かれていたこと
○そして、「受動型ASの受験生が勉強しない理由」で、高校時代の喫煙、停学のエピソード
ジャイアンACの衝動統制は、自分を否定し強迫的に「普通」にこだわる、「普通だから我慢する」です。「普通だから我慢する」衝動統制をしていれば、高校生で喫煙などしません。この喫煙行動は社会的に逸脱した行動「反社会的行動」、誓約書に嫌味ったらしく書いたこと「反抗挑戦的」です。この行為はゴリ押しジャイアンにはできるが、ジャイアンACにはできない。つまり、道産娘さんは「依存型ジャイアンの暴君型」だ。
このやり取りをしてわかったこと、私の父は道産娘さんの型と同じ「依存型ジャイアンの暴君型」であるとはっきりわかった。私が道産娘さんの「攻撃と防御」を見抜けたのは、まぎれもなくそれを過去に経験しているからだ。それも嫌というほど。そして、このやり取りの中で「ジャイアンのACが形成される過程を再現」したのだ。
自己認識を始めたい。
このやり取りをしてわかったこと、私の父は道産娘さんの型と同じ「依存型ジャイアンの暴君型」であるとはっきりわかった。私が道産娘さんの「攻撃と防御」を見抜けたのは、まぎれもなくそれを過去に経験しているからだ。それも嫌というほど。そして、このやり取りの中で、「ジャイアンのACが形成される過程を再現」したのだ。
そして、さーこさんの私を謝らせる誘導は、これは母がやっていたことだ。(ただし母はADHDで状況理解ができない)こちら側の言い分に理解を示すことなく謝らせるという。理不尽な思いでただ謝ることをしてきたから情緒障害に陥った。解離を起こしたのはそのためだ。
論理的にいくら説明しても無理だ。かかわらないことだ。
アメジストさんが「鋭く深い洞察力」があると言ってくれた。私自身もそう思っている。なぜ鋭く深い洞察力が形成されたかを考えてみたい。ちひろさんには頭がいいことをわかってもらいたいのか、というコメントがあった。
暴力のあった家庭で父の場当たり的な行動、暴発に、その場の事態を認識し、場当たり的な要求に応えなければならなかった。いわゆる「場当たり的」な「状況察知能力」「状況認識能力」「状況適応行動」の形成だ。父の死後から学生時代、そして就職後まもなくはこれらを駆使していた。
だが、社会人としての適応では失敗した。空気で支配される「状況察知能力」はない。そのかわり学校で身に着けてきた「論理的思考」から出発する「認識能力」は使える。それで乗り切ってきたのだ。それに加え「死」や「AC」をキーワードに自己探求をした。これが「洞察力」の形成になっている。関係書物を読み、自分のこれまでの経験と結び付けながらの作業だった。
ここで、経験から培われた洞察力なのか、もともと洞察ができる素質があったのか、考えたい。
母はたしかに洞察力なるものがある。ただ、知識に裏付けられていないから方向を誤る結果となっている。たしかに素質はあると考えたほうがよいだろう。そして、母と私に違いがあるのは知識だ。それも記憶としての知識ではなく、構造的な理解として習得している。その構造的な理解から様々な事象を考えることにより「洞察力」というものが形成されているように思う。
私はけして頭がいいとは思っていない。記憶力に欠陥があるからだ。だからASにはかなわないと思っている。だが、どこにアクセスすればその情報が得られるかを知っている。
私はシンプルに考えることができない。仕事上関係した校長も私にシンプルに考えるべきだと言っていた。私はこの事象をシンプルになど考えられないと思ったものだ。仕事上の問題に対して複雑に絡み合うこの事象をシンプルに考えられないと思っていた。何を優先すべきか、そのせめぎあいを考えていたのだ。その事象に対して関わってくる事柄を、シンプルにするために排除する(捨てる)ことが果たしてよいのか、というものだった。だからFさんの「切り捨てる」という言葉に引っ掛かったのだ。
私はこのやり取りの中で、けして参加してきた方々をないがしろにしない。それは、誰もが参加者であることを意識しているからだ。また、このコメント欄の構成員として、読んでいるがコメントしない方々もいるということを意識している。これがADHDの抽象的な思考の現れだ。
ところで、ASであるアメジストさんはなぜ「鋭く深い洞察力」があるとわかるのだろう。率直な疑問だ。
このやり取りで、私は「感受性」について発言した。受動型ASさんたちの意見を聞いていて思ったことがある。それが「感受性」だ。このときクレッチマーの体型性格分類を思い出していた。どれがどうといったことではなく。
受動型ASさんたちの意見は押しなべて内的な対象に向かう傾向がある、そう感じた。おそらく注意欠陥優位のADHDもそうである。この内的な対象に向かうとは、自己、他者どちらかに向けられるか、が最初にあり、そこから他者や自己の理解に向かう傾向があるのではないか。それに対し、積極奇異型ASと多動優位のADHDは外的な事象か他者に向かう。そんな気がしたのだ。演繹的なのか帰納的なのかの思考形態の違いともいえる。だから養育環境だけでは語ることができないと思ったのだ。これらはもっと追究していく必要があると考える。
みさん
「揚げ足取り」の次は「粗探し」ですか?
自分のことを棚に上げてよく言えますよね。
みさん
何を言われても、私には「あなたの考えや知識を押し付けている」ようにしか思えない。
もう一度言います。
私はあなたの指図は受けません。
世の中あなたの納得の行くことばかりではありません。
それをわかって欲しい。
私はこの春から環境が変わります。
みさん、ブログの中の人生を生きたいのであれば、どうぞご自由に持論をお述べください。
お忘れになっているようなので申し上げますが、ここは有限の場です。あなたは「何に」固執しているのでしょうね。
****
みなさま、YANBARU先生、 Paul Carpenter さん、そして道産娘さん、ありがとうございます。
私の夢が、どうか叶いますように。力強く人生を生きていけますように。
さーこ(AS)さん
環境の変化は大きなストレスを伴います。
体調管理には充分気を付けて…って、医療に携わっているさーこさんに言う必要無いですよね。
さーこさんの夢が叶うよう、「力強く」人生を歩めるよう、私も応援しています。
お互い頑張りましょう♪
のび助さん
JETさんじゃなかったですね、失礼致しました(^人^)
あおいよる。さん
「ADHDが(ASに)支配されてると感じている事」は「ASが見通しがつかないことによる不安から、ADHDをコントロール?してしまう事」が原因で生じることが多いかもしれませんね。
分かりました!
落ち着いたらまたコメントしたいと思います。
あおいよるさん、コメントありがとうございます。
独り言
「ごねて」質問に答えない。
ごね得ってところか。ごねて逃げ切る「暴君型ジャイアン」。
やっぱりジャイアンACにはできない。納得。
ちひろさん
そしてここは「医師ブログ」です。精神科医、発達障害専門医のやんばる先生のブログです。先生が医療に役立てるために主題を立てます。ときには発達障害当事者に意見を求めます。
2ちゃんねるは主題をもとにしているコミュニティの場です。スレッドを立てようと思ったら誰でも立てることができます。
2ちゃんねるとは違う医療専門ブログ内のやんばる医師のブログですから、医療に貢献するという側面が強くあります。その一方でコミュニティという側面があります。
コミュニケーションをしたい場合は医師ブログでなくてもできます。発達障害者同士とか主婦同士とか、様々なブログがあります。ですが、ここは医師のブログです。
つまりね、ちひろさんも発達障害医療に貢献しているのですよ。
2ちゃんねるではあらしが問題になりますが、ここはコミュニティというよりも診療に近い部分があります。自己診断ツールがHPにあるかぎり、それをもとにコメントするのは避けられないでしょうし、先生の繰り出すエントリへのその個人の考えを述べることは当然であろうと思います。
発達障害者は社会性が問題となります。ここのコメント欄でのトラブルというのは、発達障害者の何がトラブルになるのかを知る手掛かりにも成り得るものです。ただ、これ以上は双方二次障害を深刻にするかトラブルが限界と考えられる場合、先生がストップしています。先生はできる限りにおいて自由に発言することを許してくれています。
説明になりましたでしょうか。
一般的な掲示板であれば、いい加減「フルボッコ」になったり
無視されたりが始まると思うのですが、
そうならないところが多数派とは違う集団だと感じますね。
みさんは自分でブログを開設されるのが良いような気がします。
先生に責任丸投げしての発言は、そろそろ限界では?
って事は、先生が「やめなさい」と言えばやめるけれど
自分では(自分は役に立っているという認識から)
やめる判断ができないって事かな。
衝動統制は先生に丸投げ、なんですね。
興味深いです。
そうですね。
ここはコメント欄ですから「先生の繰り出すエントリへのその個人の考えを述べることは当然」
「ここは2ちゃんねるようなコミュニティーの場ではない」
とういみさんの意見には賛成です。
では、上の条件を満たすような、私たちの振る舞いはどうあるべきか。みさんの具体的な考えを聞きたいです。
みさんとのやり取りの中で、ひとつ気付いたことがあります。
私は「KYの依存型ジャイアン」だと言うこと。
(若干ACも残ってますが)
アメジストさんやちひろさん(あと柿さん)がやんわりと私を止めに来た時
「もっと強く止めて欲しい!」
そう思いました。
また、みさんに言い返すのを我慢してこのまま引き下がるか、自分の意見を主張するか、不快にさせてしまった他の方のために納得できない気持ちを抑えて謝るか、迷っていた時
「ヤンバル先生が止めてくれたらすんなり引き下がれるのに…」
そう思いました。
それで気付きました。
「(幼少期は)徹底的にダメと言われない限りOKとみなす、KYの依存型だったんだな」と。
(ある意味のび助さんの指摘は正しかったな。まぁ、彼女の「こだわり」もあると思いますが)
みさん
「自分の発言に根拠があれば、相手を説得させることができる」って?
おめでたい人だ。
きっと周囲は優しい人達ばかりなんだろうね。
私は思春期の頃に、それが「不可能」だって気付き人間不信になりましたよ。
説得できるとすれば、それは「(ジャイアン流の)非言語コントロールによる支配」に過ぎないと思います。
やっぱりやめた。
(ToT)/バイバイ・・・・
さーこさん、ホックさん
暴君型ジャイアンがごねて自分の欲求を満たそうとしている場合、巧みに仕掛けてきます。そして、暴君型ジャイアンは自分の欲求を満たすために「人のせい」にすることが多いです。
それを見抜く力がないなら、人のせいにされている相手側に謝らせる行為を促すようなことは止めていただきたいと思います。
暴君型ジャイアンは欲求を満たすために人のせいにして、絶対自分からは謝らないものです。なぜかというと、暴君型ジャイアンは甘えたりゴネたり大声、暴力などで相手を押し切る「我慢しない」、つまり、衝動統制しないということです。
謝ることができるのは、衝動を統制しているから、謝ることができないのは衝動統制しないから、です。だれでも謝ることに抵抗があるでしょう。でも、その抵抗に打ち勝って人間関係を円滑に保つために謝ります。
道産娘さんは、何回も「謝りません」と言っています。謝ることが必要な場面であることはわかっていたと思います。けれど「衝動統制しない」から、謝れないのです。
暴君型ジャイアンはいじめの加害者、モラハラ、DV等を起こしやすい。道産娘さんの養育環境は警察沙汰になることが多かったと言っています。加害者側になりやすい基盤があると思います。
もう一度言います。「暴君型ジャイアン」の人のせいにしている場面で、暴君の衝動を満たすために相手に謝らせることは、今後一切しないでください。これは「情緒障害型ジャイアン」として言います。
道産娘さん
また思い込みをしています。なぜ相手の文章をよく読まないのでしょうか。
>新しい説ではないことを(YANBARU先生の記事名などをソースとして出さないで)思い込みと混ぜてそれでもっともらしく相手をいじくるのはいやだ。相手がADHDなら回復できない。受動型ASの人には必要なのかもしれない。だが俺は受動型ASではないから分らない。
「俺は」と言っている限り、男性です。のび助さんを勝手に女性にして書き込んでしまう。相手に失礼ではありませんか。こういう箇所がかなりあった。人の意見をよく読まずに話を進めている。
このまま私が訂正しなければ女性として話を進めてしまう。その場面が「反社会的行動」や「ADHDがASを演じる」と発言され、指摘しようとしたのです。
のび助さんの性別の「事実」は「男性」だと思いますが、「事実」でない「女性」として話を進めますか? これは「揚げ足取り」ですか?
道産娘さん
人の名前を間違えたり、性別を間違えて書き込み、それを指摘されて謝らず、「揚げ足取り」だとして指摘した相手を追いやるのですか。
相手に失礼なことであるから私は指摘しているのです。「反社会的行動」のときの生徒の自殺、勝手に発達障害に仕立てられてしまっている。どこにも発達障害と診断されたという報道がないにもかかわらず。
そして、「ADHDがASを演じる」という箇所も、ご本人に確認しなければ「演じる」と断じることはできないのです。もし、自分が見て「演じているように見える」だけならば、「演じる」とは断言できないのです。貴方の度重なる、たとえばのび助さんの性別を間違ったような、相手のコメントをきちんと読まずに返すことに、しっかり「事実」や「根拠」をもとに話を進めてください、と言っていたのです。
それを「揚げ足取りだ」「支配だ」として蹴散らしてきたのです。謝りたくないから。
さーこさん、フックさん、ちひろさん
みなさんは、思い込みによって発言されたことに指摘するのは「揚げ足取り」だと思いますか?
事実でないことを事実として話を進めても会話が成立すればよいですか?
事実でないことを事実として話を進めた時に、事実を確認しようとした人がいたとしたら、それは「支配」ですか?
そして、事実を確認した人は「支配」したとして謝らなければならないですか?
み さんへ
最終的に、ご自分で謝らないという事を選んだのは、まぎれもなく、あなたです。
他人が誘導したとて、納得するあなたではない。それは、みさん、あなたが一番よくわかっていますよね。
「あなた自身の選択と行為の責任」と「あなたの負った傷の責任」を延々と他人に丸投げし続けるのは、やめていただきたく思います。厳しい現実ですが、医療機関を受診した方がよろしいと思いましたよ。
正直なところ、あなたの訴えは他人にはどうしようもない事だし、あなたのこれまでの人生について何の責任もない他人を巻き添えにしてしまいます。あなたの行為や発言に、迷い戸惑うと書いて、迷惑、と言えるでしょう。
それでは( ̄- ̄)
written by み / 2013.02.24 12:22
↑この書き込みに当てはまるのは、道産娘さんではなく
みさんご自身ですよ。
あなたが何ジャイアンでも私は一向に構いませんが
今のあなたの言動は、どちらかというと暴君型ですね。
さーこさん、フックさん
質問にお答えがないなら、申し訳ないですが、人に謝らせるようなことをなさらないようにお願いいたします。
それはなぜか、その人なりの「理由」があるのにそれがわからないで謝らせることは、ASの想像力の障害ゆえの「おせっかい行為」です。おせっかいをしているご自身に気が付いていないということです。
さーこさんやホックさんは、私を「支配」しようとしているように思います。ASの論理で勝手にADHDを「支配」しないでください。
これは、道産娘さんが私に「支配だ」といったことと同じです。さーこさんやホックさんは「理由」があって私に言っているのですよね。その理由を無視して「支配だ」として謝らない、それをどうお感じになりますか。
それが私に起こっていたことです。
>ところで、ASであるアメジストさんはなぜ「鋭く深い洞察力」があるとわかるのだろう。率直な疑問だ。
私の場合、「なんとなく」なのです。そこに全く「私の思考」が入り込んでいなくて、「直観的」に感じるのです。
そして、私が みさんの「鋭く深い洞察力」を感じる時は、みさんがとことん頭をクールダウンさせていらっしゃる時です。
みさんはものごとをシンプルに考えられないとおっしゃっていますが、その中でも「シンプルに近い思考」の時と「かなりグルグル複雑になっている思考」の時の場合があると思います。
みさんの中での「一番シンプル度が高い思考」の時におっしゃる洞察の言葉にはすごい迫力があります。
言葉は悪いですが「喧嘩モード」になっていらっしゃる時には
「鋭く深い洞察力」が残念ながら曇ってしまいがちです。これは万人に共通のことだと思います。(私が家庭で喧嘩モードになった時などは我ながら「しっちゃかめっちゃか」になります)
さーこさん、フックさん
ついでに、さーこさんやホックさんは私を「支配」しようとしています。謝ってください。
と言ったらどうお感じになりますか?
これが、私に起こっていたことです。
素直に謝れますか? 「支配」だと納得しますか?
私は納得できずに謝りました。さーこさん、ホックさん、謝っていただけますか。
written by み / 2013.02.24 14:53
ここから読んだ人は、私があなたに謝るよう要求したと思うでしょうし、私の事をASだと思うかも知れませんね。とてもお上手ですね。
私はなんの要求もしていませんし、自分の属性は不明と何度も言っていますよ。
えっと、
written by み / 2013.02.22 10:17
この投稿で書かれていた「ご指摘下さい」はもう不要だということですね?
では、私ももう「いち抜けた」です。さようなら。
あおいよる。さん、
有意義な議論を楽しみにしていますね。それまでROMに戻ります。
ホックさん
私はホックさんに謝らなければなりません。
ホックさんのお名前をフックさんと書いてしまいました。申し訳ありませんでした。
それと、ホックさんの特性は不明なのですね。思い込みで発言し、申し訳ありませんでした。
そして、「written by み / 2013.02.22 10:17 この投稿で書かれていた「ご指摘下さい」」と私がいったことからだったのですね。
納得していないのに謝ったことから過剰に発言した、だからこうなってしまった。申し訳ありませんでした。
アメジストさん
お返事ありがとうございます。
なるほど、直感的なのですね。「そこに全く「私の思考」が入り込んでいなくて」というのは、客観的になっているとき、自分の考えを主張していないとき、ということですね。
「とことん頭をクールダウンさせていらっしゃる時」、ということは感情を介せずに思考しているとき、ということかなと思います。たしかに、「かなりグルグル複雑になっている思考」をしているときは、感情が前面に出ているときだと思います。
できる限り、クールダウンさせながら思考したいと思います。
ありがとうございました。
私は みさん、あなたにも、このブログにも、先生にも固執していません。
ただ、感謝あるのみです。
私も「いち抜けた」ですよ(^-^)/
みさん、あなたの土俵に乗った状態でお話しすると、あなたの責任をすべて取らされる羽目になるようですね。
あなたの責任は、あなたのもの。私のものではありませんよ。
さーこさん
貴方のやっていることはASの想像力の障害ゆえの「おせっかい行為」です。ASの論理で勝手に私を「支配」しないでください。
さーこさんが「おせっかいではありません」と説明しても、それはさーこさんの「支配だ」と私が繰り返し言ったら、どうお感じになりますか。そして誰かがさーこさんは「支配」したのだから謝ったほうが良いと促されたら、どうお感じになりますか?
これは、道産娘さんが私に「支配だ」と繰り返していたことと同じ、さーこさんが私に謝らそうとしたのと同じ状況です。
それが私に起こっていたことです。
謝ろうと謝るまいと、それは、みさん、あなたの自由です。
そして、あなたの自由意思に、私は関与しません。
「みさんはそのように選択した」という単なる事実があるだけです。
私は、「(道産娘さんが今まで厳しく自分でやってきたように、合理的論理的に)しっかりと自分を立て直すように」という事を、道産娘さんに言ったにすぎません。
大事なことは、「自分の自由意思で選び行動し発言した事に、自分で責任を取る」という事です。
あなたが自分の人生を自分で生きられるように、祈っていますよ。
さーこさん
>「あなた自身の選択と行為の責任」と「あなたの負った傷の責任」を延々と他人に丸投げし続けるのは、やめていただきたく思います。
「これはあなたにそのままお返しします」
と返したら、どう感じるでしょう?
私はさーこさんが不快に思うのではないかと思うのです。
本当は言っている内容をわかってほしいのではありませんか?
「あなたの責任は、あなたのもの。私のものではありませんよ」
これを私にわかってもらいたいのではありませんか?
「支配だ」と返されたら弁解の余地がないのです。
これが暴君型ジャイアンのごり押しです。
これは、道産娘さんがのび助さんに「これはあなたにそのままお返しします」と投げた言葉です。それを意図的に使用しました。
私は、道産娘さんにそのような言葉を投げられた「相手の気持ちをわかってほしい」と願っているのです。だからさーこさんにこう書いています。この通じなさは不快ですよね。これが、道産娘さんが私にしたことです。
私は暴君型ではありませんから、ここで謝ります。謝ったのは私の選択です。それを責任転嫁するつもりはありません。ただ、こうして書いているのは「道産娘さんが相手に対してどう言ってきたのか」です。
そして、暴君型ジャイアンがごり押しで相手に「支配だ」、「衝動だ」と発言しているときには、いわれている側を謝らせることを絶対しないでいただきたいのです。これは暴君型ジャイアンの「甘えを助長する」だけです。
そして、言われている側には言われている側の言い分があります。それをしっかり受け止めず暴君型ジャイアンに謝らせることは、「依存」を形成するだけなので絶対やめていただきたいと思います。
>さーこさんが「おせっかいではありません」と説明しても、それはさーこさんの「支配だ」と私が繰り返し言ったら、どうお感じになりますか。そして誰かがさーこさんは「支配」したのだから謝ったほうが良いと促されたら、どうお感じになりますか?
私なら、みさん、「あなたと良い信頼関係が築けていないのだから仕方がないと思い、下がります」ね。
アロマボディトリートメントの際の、コンサルテーション(問診)理論には、「説明と同意」「信頼関係の構築」などの項目があるのですよね。
良い人生を!
みなさまへ
お騒がせいたしました。読んでいて不愉快になった方も居られるかと思います。すみませんでした。
そして、私がなぜここまでしたかを説明いたします。
暴君型ジャイアンには「甘やかす」ことが一番いけないことだからです。
先生のHP「ジャイアンの本質」には、依存型ジャイアン(暴君型)の説明がされています。抜粋します。
「大人になっても強引にゴネたり暴力や金銭など社会的な力で制圧して周りをすべて思い通りにしようとする。
「依存型」となっているのは、一時的にゴネるだけで、自分の力で努力して達成することは無く、結局周囲の有力者の力を頼む形になる」
「周囲の他者は「自分の要求を満たすための対象」でしかなく、この対人的な自己中心性は「自己愛誠人格障害」や「精神病質」に該当しうる」
今回の場合、大地さんに対して「揚げ足取り」「おうむ返し」、のび助さんに対して「思い上がり」「揚げ足取り」「おうむ返し」、私に対して「揚げ足取り」「支配」といって制圧しました。
そして、私に対しては、周囲の有力者さーこさんの力を頼り、結局質問にも答えず、謝ることもなく済んでしまいました。
さーこさんは結局のところ「自分の要求を満たすための対象」でしかありません。さーこさんに媚を売り、「自分の要求を満たすための対象」として活躍してもらいしました。これが暴君型ジャイアンの衝動を満たすやり方です。
読んでおられる方、暴君型ジャイアンが身近にいる方、また暴君型ジャイアン親の場合、どうしても「依存的」にならざるを得ません。そして、暴君型ジャイアンを見て育った場合、暴君型を繰り返しやすいものです。それが「虐待の連鎖」つながっていきます。
いち早くこの事に気づき、その環境を抜け出すことが必要です。そして、ジャイアン子が暴君を働く場合、甘やかしてはなりません。しっかりと衝動統制する力をつけていただきたいものです。そうでないと暴君は連鎖していきます。私は暴君の連鎖を止めるため、ずっと以前からACに関する理解をし、ここで衝動統制を学んでいます。
>「とことん頭をクールダウンさせていらっしゃる時」、ということは感情を介せずに思考しているとき、ということかなと思います。たしかに、「かなりグルグル複雑になっている思考」をしているときは、感情が前面に出ているときだと思います。
できる限り、クールダウンさせながら思考したいと思います。
み さん、これは逆だよ。
ADHDなんだから、感情が全面に出ているのが自然な状態。
本当の感情を表に出さずに、「かなりグルグル複雑になっている思考」をしちゃっているのが不自然な状態。
だから、やらなけりゃいけないことは、考えることをやめて、本当の自分の感情を確認すること。(難易度は高いでしょうけど)
現に、とある感情を み さんの本当の感情として考えると全文章が綺麗に一本の筋でつながる。
思考を表現したいのに、ぽつんぽつんと本当の感情から来る文章が混じっているから、普通の人が見ると支離滅裂に見えて「病院へ行け」となってしまうけど、私から見るとみ さんは正常にしか見えない。
自分の感情をごまかしても、文章に出てきてしまうものなんだ。
訂正
読んでおられる方、→読んでおられる方へ。
です。訂正します。
m2さん、コメントありがとうございます。
そして、m2さんをはじめ、zzzさん、ぬまおさん、そしてコメントしようとしていたけれど言葉を飲み込んでしまった受動型ASの皆さん、受動型ASに関する想像力について理解を深めていくことを中断させてしまってすみませんでした。改めてお詫びいたします。
さて、m2さんのコメント、非常に考えさせられました。
>だから、やらなけりゃいけないことは、考えることをやめて、本当の自分の感情を確認すること。(難易度は高いでしょうけど)
たしかに自分の感情を確認していないと思います。自分の感情をしっかりと把握するということに無頓着です。それよりも「何とかせねば」という思いが強かったように思います。
目の前にいるとジャイアンが怒っている、悲しんでいる、ということが如実にわかりますが、自分が「怒っている」と自覚することが難しいのですね。感情を認知するより先に行動ですから。感情を認知するということも衝動統制なのだ、と今気づきました。
>ADHDなんだから、感情が全面に出ているのが自然な状態。
本当の感情を表に出さずに、「かなりグルグル複雑になっている思考」をしちゃっているのが不自然な状態。
これはFさんにやっちゃったときの状態かなぁ。感情を言葉で表していたけれど、うつ状態にある方から表現を抑えるようにと叱られたこともあって、今回は慎重に感情を出さないように努めていました。その辺りの加減が掴めないでいます。
>思考を表現したいのに、ぽつんぽつんと本当の感情から来る文章が混じっているから、普通の人が見ると支離滅裂に見えて「病院へ行け」となってしまうけど、私から見るとみ さんは正常にしか見えない。
ありがとうございます。本当はここまでするつもりはなく、これだけの文字数を使って言いたかったことは、エントリの趣旨を考えて、相手の気持ちを考えて、思い込みで発言しないで、です。最初は冷静だったものの途中から感情の高ぶりがあり、文章中に感情を表す言葉を含めていたのですね。読み返してみると理屈と感情が混在していますね。ジャイアンは幼い頃から屁理屈を言うようになる。頭の中で理屈を考えるのが好き。感情を理屈に変換しているのかもしれません。
とにかく感情を認知して、率直に伝えられるように訓練してみます。
私はまた勘違いしているみたい。
Fさんの件は、あれは非言語的な感情表現だ。
素直に「そう言われると不愉快です」「そのような言い方をされると怒りがこみ上げてきます」と表現したらいいのだよね。
みさん
私をあなたの父親と同じ「暴君型」に仕立て上げ、ジャイアン特有の「醜いファンタジー」で叩きのめすのは構わない。
勝手にすれば良いさ。
でも、さーこさんやホックさんまで巻き添えにして「支配」するのは止めて欲しい。
あなたの考える「合理的思考」とは、自己正当化して相手を蹴落とすための「道具」に過ぎないと思います。
私は違う。
自分の行動を抑制し、なおかつADHDらしさを失わないための「バランスの取れた唯一の方法」だと思ってる。
隣の記事で、みさんはご自身を「多面的」と表現されてますが、あれは「依存型ジャイアンが場当たり的に(非言語表現駆使して)周囲をコントロールしてる」のだと思います。
(つーか私やさーこさんに謝るよう強制されたとかほざいて、意味わかんねぇし。人に責任擦り付けんなっつーの!)
私はあなたのように「多面的」に、器用に人に依存できない。
私、不思議とあなたに対して腹が立ちませんよ。
(こんなこと言うと、馬鹿にしてると思われそうだけど)可哀想だなって思う。
自分が「裸の王様」であることに、早く気付いて欲しいです。
さーこ(AS)さん、ホックさん
私の本心、お二人がほとんどぶちまけてくれましたね。(特にさーこさんは最新記事でも)
「黙り」は私の大人気ない我が儘な部分だけど、言い返すことで、みさんのペースに持ち込まれて「持論や知識」を押し付けられて、言いくるめられるのは意地でも避けたかった。
お二人や他の方々が「大人の対応」をして下さったおかげで、私も感情的にならずに済んだので、とても助かりました。
皆様に感謝致します。
お騒がせして申し訳ありませんでした。
私は先生にこっぴどく叱られた。その中には先生の「思い込み」もある。だが、読んでほしい。
「最近のコメントに関して」である。原文ママ。
「 前スレッドのM氏(これは私のこと)のコメントに私は手厳しく指摘をさせていただきました。
この経過について一定の総括をし、このブログでは一度打ち切りにしようと思い、以下に説明します。
実は掲載していないM氏のコメントが3つあり、その内容は一言で言えば「逆切れ」「自己正当化」という内容で、これを載せたのではこのブログの本来の「ジャイアン諸氏が自身について冷静に振り返り語る場」という目的に支障が大きすぎると考えました。
私はジャイアンの一人として「責任」を重視するので、この問題の責任における公平な解決は、「M氏御自身に、勤務先や仕事ぶりなどが分かる程度の情報を公開したブログを準備していただき、場をそこに移して議論を続ける」ということであると考えます。
というわけで、今後このブログではこの問題は扱いません。M氏がブログか掲示板を準備されたらそのアドレスのみ掲載します。
掲載していないM氏のコメントもその場が出来ればコピーさせていただく予定です。
以下は私のひとつの想像です。
一人の比較的知能の高いジャイアン氏が居ました。
このジャイアン氏の幼少時代、親が「成績が良いので他の教育はしないで放置した」または「甘やかして尻拭いだけした」という育て方をして、このジャイアン氏は「どんな場面でもその場だけ相手を押し切れば勝ち」というスタイルを身につけて育っていきました。
(これを暴君型依存型ジャイアンと呼んでいます)
ジャイアン氏は学業成績が良く、ほめられることで努力もして、成人して社会的にも高い地位に就きました。
ジャイアン氏は目下の相手や立場の弱い関係者に当り散らしたりして、周囲の人を痛い目に合わせることがありましたが、地位もあり弁も立つジャイアン氏には下位の立場からは誰も反抗せず、周囲ではジャイアン氏の見えないところで「困った人だ、ひどい人だ」と噂をしましたが、その噂は本人に伝わることはありませんでした。
ジャイアン氏は苦言を呈する友達が居ても遠ざけ、とうとう周囲はみんなイエスマンばかりで、誰もジャイアン氏に本当のことを言わない「(この上なく不幸な)裸の王様」状態となりましたが、ジャイアン氏本人はそのことに全く気付いていませんでした。
この先は皆さんご覧のとおりの経過であると私は想像しています。私はおせっかいと知りつつ「私が苦言を呈さなければこの人に本当のことを言える人はひとりも居ないかもしれない」と考えて行動しました。
これが説明です。 (このブログでは)これにて終結。」
<私がやったこと>
>その内容は一言で言えば「逆切れ」「自己正当化」という内容で、これを載せたのではこのブログの本来の「ジャイアン諸氏が自身について冷静に振り返り語る場」という目的に支障が大きすぎると考えました。
>ジャイアン氏は苦言を呈する友達が居ても遠ざけ、とうとう周囲はみんなイエスマンばかりで、誰もジャイアン氏に本当のことを言わない「(この上なく不幸な)裸の王様」状態となりましたが、ジャイアン氏本人はそのことに全く気付いていませんでした。
先生の思い込みの箇所をあげます。
>親が「成績が良いので他の教育はしないで放置した」または「甘やかして尻拭いだけした」という育て方をして、このジャイアン氏は「どんな場面でもその場だけ相手を押し切れば勝ち」というスタイルを身につけて育っていきました。 (これを暴君型依存型ジャイアンと呼んでいます)
>ジャイアン氏は学業成績が良く、ほめられることで努力もして、成人して社会的にも高い地位に就きました。この先は皆さんご覧のとおりの経過であると私は想像しています。私はおせっかいと知りつつ「私が苦言を呈さなければこの人に本当のことを言える人はひとりも居ないかもしれない」と考えて行動しました。
私がやったことは「事実」だ。この時点では全く≪裸の王様≫であり、そのことに全く気付いていなかった。その後どれだけ経ったか、そのことに気づき始めた。ポツリポツリであるが、自身の身の上にあったこと、そして自分が思ったこと、考えていたことを話し出した。とても悔しかったのである。誰にも何にも理解されなかったことが。理解されないことがいつしか「厚手のコート」という自分を守ることとなってしまった。今でも申し訳ないと思っている。そして、何回謝らなければならないのだろう。やってきたことに責任を負う。一生ついてまわることだろうと思う。
次は、先生の思い込みだ。
>親が「成績が良いので他の教育はしないで放置した」または「甘やかして尻拭いだけした」という育て方をして、このジャイアン氏は「どんな場面でもその場だけ相手を押し切れば勝ち」というスタイルを身につけて育っていきました。
これは違う。中高の成績は中の上だっただろう。しかし甘やかされてきたわけではない。幼稚園年長でどうやらひらがなが書けなかったようだ。卒園アルバムには先生の字で書かれている。親に確認したが記憶にないという。小学生で親からひらがな、カタカナ、漢字の厳しい特訓を受けた。小学低学年までは発達が停滞していた。高学年になってから伸び始めた。10歳の壁という言葉がある通り、ピアジェの思考の発達理論に該当するだろう。「保存の概念」が獲得される時期である。これは先生も指摘している。私は今でも、この時期のADHDの思考における発達に関心をもっている。
>ジャイアン氏は学業成績が良く、ほめられることで努力もして、成人して社会的にも高い地位に就きました。
中学生以降の学業成績はたしかに中の上だからよかったのかもしれない。だが、中学生以降、親の依存の問題があり、学業になんとか自己の存在を見出していたこと、高校生では別居という形になり、その間に父が車を焼いて地方新聞に掲載され、肺がんで亡くすということを経験している。
そして、父の死後に短大に進学し看護師の免許を得たが、看護師というのはけして社会的地位としては高いものではない。逆に、身分の低い者が行うものだとする人たちがいまだ存在する。
医師によっては「意思に従う医療知識技術のある者」として扱われることもある。医師会立看護専門学校では医師の指示に従順に従って働く看護師を養成したいという思いも見え隠れする。その最たるものが准看護師廃止における議論だ。家長制度や戦前の教育を引きずって議論すべきではない。女性がこれだけ社会進出している社会においての議論だ。准看護師については、私個人は廃止の方向で議論していただきたいと思う。看護師は看護師として現実に同等の業務を遂行している以上、その差を埋める努力が必要だと思う。医師の業務独占と看護師の業務独占は同じではない。
そして、「療養上の世話」がいくら法的に定められていようと、社会的地位を確保するものではないことを理解していただきたいと思う。そこには、医師と看護師の情緒的な関わりによって判断基準にしていることを、先生ご自身が理解するべきだと思う。
と、書いていて、私はそのとき先生にいいたいことがいっぱいあったのだろうなと思った。私は言語的に説明することがあの時できなかったのだと気づく。あのとき感情を言語化できなかった、苦しかったのだと思います。
でも今は先生が受け止められると感じるから、こう書いているのだと思います。
道産娘さん
>私、不思議とあなたに対して腹が立ちませんよ。
やっぱり、そうだよね。
私から見れば不思議でも何でも無く、当然なんだけど。
何となくだけど、道産娘さんは、みさんの本当の感情を受け取っているんだ。
みさんは、ずっと道産娘さんへの怒りの感情むき出しの書き方をしているから、ほとんどそのように受け取ったのだろうけど、文章の内容だけで見てみると、「道産娘さんは、実にADHDらしく行動し、うまくADHDとしての果実を収穫している」としか受け取れない内容なんだ。
「道産娘さんはADHDとして素晴らしい」から、道産娘さんに対して怒りがこみ上げてくる、ずーっとその繰り返しだったんだ。
間にぽつぽつと自分のACの話とか、ASにはかなわないとか、が出てきて支離滅裂になるのだけど、それこそがみさんの感情の悲鳴だった。そこに本当の感情が表れていたんだ。
みさんは、ADHDがADHDらしく振舞うと、みんなから嫌われるという思い込みを持っていると思う。
ところが、道産娘さんはみさんが指摘するようにADHDらしさ満点だった。みさんからすればみんなから袋叩きにあうはず、だった。
でも、誰も文句を言わない。今まで自分は何のために我慢してきたのか? 自分が文句を言うしかない。
そんな自由に振舞える道産娘さんがACのわけがないじゃない!
文句を言っても、ADHDらしい行動は止まらない。おかしい。もっとみんな怒ってよ!
誰も同調してくれない。なぜ?
長年、ADHDらしく振舞ってはいけないと信じ、衝動統制をしてきた。ASを見習ってもみたけれど、やはりASらしさではASにかなわない。
ADHDでもダメ、ASでもダメ、私はいったいどうすればいいの?
みさんの深層心理の中で、このような葛藤が行われていたと考えると、全ての発言に矛盾が無い。
みさんが道産娘さんの行動を分析したこと、それは重要な意味があるはずだ。
道産娘さんの行動を最初は抵抗あるだろうけどまねてみればいい。
ADHDらしく、自分の衝動に任せて行動すること、それがシンプルに考えて行動することそのもの、のはずなんだ。
そして、道産娘さんは暴君ジャイアンにはならないよ。
大事な一点だけ、衝動統制を利かせているから。
みさんを攻撃しなかったこと。
周りに嫌われない、必要最小限だけ、衝動統制を利かせる。
道産娘さんはいいお手本だと思うよ。
現にあれだけADHDらしいミスを繰り返していても、誰からも嫌われなかったよね? それが証拠。
たぶん、私が長々と文章にした内容を、道産娘さんは直感で感じたに違いない。言葉じゃ説明できないだろうけど。
しかし、ジャイアンが人の名前や性別を間違えたくらいで謝っていたら、命がいくつあっても足りないだろうよ。
私とは違う。私とは違う。道産娘さんはのび太ADHDだ。だから先生から衝動統制されないのです。貴方はまぎれもなく「天然ののび太」です。
私が間違っていました。申し訳ございませんでした。本当に申し訳ございませんでした。
そして、私が「支配」したのだとわかりました。のび太ADHDは「揚げ足取りだ!」「おうむ返しだ!」「思い上がりだ!」「支配だ!」ということを知りませんで、私の思い込みです。
全て、私の勘違いが起こしたことです。申し訳ありませんでした。
みなさまへ
私は知りませんでした。ジャイアンの衝動統制が「揚げ足取りだ」」「おうむ返しだ!」「思い上がりだ!」「支配だ!」ということが衝動統制なのだと初めて知りました。
私はこれからそう言うようにします。これは率直に感情表現することなのですね。私は知りませんでした。いつも理屈で考えていたから、そのように言うということで衝動統制できるとは知りませんでした。
今後ともよろしくお願いいたします。
m2さん
よくわかりました。
私が道産娘さんを「支配」していたのですから、私が悪いのです話cを進めればよい方向に向くのだと思います。
私は道産娘さんに暴君を働いた。その通りです。その理解で間違っていません。
m2さん、道産娘さんと続けてください。お願いいたします。
私が衝動統制しないから、勝手に道産娘さんを止めたのです。
申し訳ありませんでした。
先生へ
私はけしてこの一連を「愉快」だった思うことがありませんでした。私は自己満足よりも利他的です。
どうぞご理解いただきたいと思います。
そうか、あのコメントの「M氏」って、みさんの事だったんだ。
ちなみに私は、そのMさんのコメントを見たとき単純に「気に入らないならこのブログ見なきゃ良いのに」と思いました。
(「責任」については、そのコメントだけではさっぱり分からなかったです。)
m2さん
実は「直感」もあった。
みさんは、情緒障害型依存型ジャイアンのうちの母によく似ている。
気に入らないと周囲を威圧し、直ぐに忘れてその後何事も無かったかのように笑顔で話しかけてくる。(受動父もそうですが)
ここで私がみさんの言うことを素直に聞いてしまえば、今後も彼女は私に対して同じことを繰り返し、私に依存してしまう。
また、素直に聞くことで私もみさんに依存してしまうことになる。
そう思いました。
でも結局は同じでしたね。
私を「暴君ジャイアン」にしたてあげ、私の悪口を言いふらすことで、彼女の衝動を達成させてしまいました。(まさか彼女が、全く我慢できない暴君型?だとは思わなかったので)
みさんご自身も、衝動を達成して大分スッキリしてると思いますよ。
自分も依存型ジャイアンだから、少しは彼女の気持ちが分かるつもりです。
(続きです)
ジャイアンは自分の非を認めたがらず、「言い訳」や「自己正当化」し続ける生き物ですからね。
人にどうこう言われても素直に認めないし、直ぐに忘れる。
結局自分自身で気付くしかないような気がします。
(気付いても忘れちゃうけど…)
もう言っても良いかな。
私の見た「演じる」人達は「演じる」というより、ASらしく「振る舞う」といった方が正しいでしょうね。
実際に本人から聞いた訳ではなく、全て私の「印象」です。
ちなみに私自身は「自分を押し殺して」ASらしく振る舞っていました。
「首尾一貫してて融通の利かない人」と思われたかった。(KYで人に流されない人間と思わせたかった)
のび助さんや大地さん(小空さんだっけ?)には、わざとあのように言いました。
特に大地さんには「ふざけたり、媚びへつらった遠回しな言い方をせず、言いたいことがあるならはっきり言って欲しかった」からです。
m2さんには、ただ正直な気持ちを言っただけですが…確かに失礼でしたね。
m2さん、ごめんなさいm(__)m
みさん、謝らないけど感謝はしています。
色々と気付かされましたから。
「ありがとうございます。」
>みさんは、情緒障害型依存型ジャイアンのうちの母によく似ている。
気に入らないと周囲を威圧し、直ぐに忘れてその後何事も無かったかのように笑顔で話しかけてくる。(受動父もそうですが)
これはちがう。暴君型です。あなたのいうとおり私は暴君型です。私があなたを蹴散らしたのです。
>私を「暴君ジャイアン」にしたてあげ、私の悪口を言いふらすことで、彼女の衝動を達成させてしまいました。(まさか彼女が、全く我慢できない暴君型?だとは思わなかったので)
申し訳ありませんでした。私が悪いのです。私が暴君を働いたから。
>ジャイアンは自分の非を認めたがらず、「言い訳」や「自己正当化」し続ける生き物ですからね。
人にどうこう言われても素直に認めないし、直ぐに忘れる。
結局自分自身で気付くしかないような気がします。
(気付いても忘れちゃうけど…)
貴方はしっかりとご自身を認識していらっしゃいます。貴方は悪くない。私は暴君を働いただけです。申し訳ありませんでした。
>私の見た「演じる」人達は「演じる」というより、ASらしく「振る舞う」といった方が正しいでしょうね。
私が暴君を働き、貴方にそういわせたのです。「演じる」というのは正しいのです。貴方は私に言わされているのです。
>実際に本人から聞いた訳ではなく、全て私の「印象」です。
ちなみに私自身は「自分を押し殺して」ASらしく振る舞っていました。
「首尾一貫してて融通の利かない人」と思われたかった。(KYで人に流されない人間と思わせたかった)
いや。私が暴君を働き、貴方にそういわせたのです。私が悪かったのだから、ADHDはASを演じるのだと思います。貴方の言ったことは正しかったのです。
私が暴君を働いたために道産娘さんに違ったことを言わせてしまいました。本当はADHDがASを演じるというのは正しかったと思います。私が暴君を働いたから、道産娘さんに言わせただけです。
暴君型はごり押しで欲求を満たす。そのとおりです。申し訳ありませんでした。
もう一度言います。
私は暴君を働きました。道産娘さんを「支配」し、
>私の見た「演じる」人達は「演じる」というより、ASらしく「振る舞う」といった方が正しいでしょうね。
実際に本人から聞いた訳ではなく、全て私の「印象」です。
ちなみに私自身は「自分を押し殺して」ASらしく振る舞っていました。
「首尾一貫してて融通の利かない人」と思われたかった。(KYで人に流されない人間と思わせたかった)
こう言わせたのです。私は揚げ足取りをしました。そしてその後から道産娘さんを「支配」しました。その結果、私に従うためにこういったのです。だから、ADHDはASを演じることを、私の「支配」のためにこう言わされてしまいました。
私が暴君を働いたから、道産娘さんはこうして事実とは違うことを言わなければならなくなった。私が暴君を働いたために言わされたことです。
貴方は事実を捻じ曲げないで、ADHDはASを演じることを正しいとして主張して下さい。
m2さん
>長年、ADHDらしく振舞ってはいけないと信じ、衝動統制をしてきた。ASを見習ってもみたけれど、やはりASらしさではASにかなわない。
ADHDでもダメ、ASでもダメ、私はいったいどうすればいいの?
これは正しいです。道産娘さんは私暴君に
>私の見た「演じる」人達は「演じる」というより、ASらしく「振る舞う」といった方が正しいでしょうね。
実際に本人から聞いた訳ではなく、全て私の「印象」です。
ちなみに私自身は「自分を押し殺して」ASらしく振る舞っていました。
「首尾一貫してて融通の利かない人」と思われたかった。(KYで人に流されない人間と思わせたかった)
こう言わされたのです。ですからm2さんの言うことは正しいのです。まさに「演じる」のです。
道産娘さんは私に支配され、ごり押しで言わされたのだから、それは間違いです。「ADHDがASを演じる」これが正しいです。
うーん、m2さんの読みにビックリ。
ずっと以前、強迫的に正しくある事を自他に求めていた頃、
同僚から一喝された事を思い出しました。
「人間は正誤で動いてるんじゃない、好きか嫌いかで動いてるんだ!」
どんなに正しい事も伝え方を間違えば、それは「嫌い」となり、
決して真意が伝わることはない、という意味なんじゃないかと今は思っています。
「正当化」
ある物事や自分の言動などを、正しく道理にかなっているようにみせたり、理論づけたりすること。
>みさんご自身も、衝動を達成して大分スッキリしてると思いますよ。
全くスッキリなどしていない。
道産娘さんは「言いたいことがあるならはっきり言って欲しかった」のなら、「全くスッキリしていない」とはっきりいう。どうしてそのような「思い込み」をするのですか。「不愉快」です。
こう返したら、また私が暴君で正直に認めないのだというのでは?
逆に、道産娘さんが「衝動を達成して大分スッキリしているのだと思いますよ。
>「ありがとうございます。」
などと言ってほしくない。はっきり言う。感謝などされたくない。
こう返したら、また私が暴君で正直に認めないのだというのでは?
道産娘さん
私は本当は、これを言うのを待っていました。
>私の見た「演じる」人達は「演じる」というより、ASらしく「振る舞う」といった方が正しいでしょうね。
実際に本人から聞いた訳ではなく、全て私の「印象」です。
ちなみに私自身は「自分を押し殺して」ASらしく振る舞っていました。
「首尾一貫してて融通の利かない人」と思われたかった。(KYで人に流されない人間と思わせたかった)
これを言うために、散々私に「揚げ足取りだ」「支配だ」「衝動統制ができていない」と言ってきました。貴方が正直にこれをお話になっていたら、ここまではならなかったのです。
私はなにも、この時点では謝ってほしいなどとは思っていませんでした。だから「質問」という形だったのです。質問に答えてもらえればそれで解決していました。
「支配」というなら、「謝りなさい」と理由を聞くことなく謝らせることです。
ぬまおさんの奥さまの件で、
「>それを受けて、道産娘さんは孤立型ではないかということと、「衝動性」が見られるならやはりジャイアンだと思うと書いています。
私は始めからぬまおさんの奥様は「孤立型ではない」と、否定的な見方をしてましたが?
>奥様は孤立型ではないかと。
多分、この表現が肯定とも否定とも受け取れ、紛らわしかったのだと思います。失礼致しました。」
こう言っています。
紛らわしい書き方をしたのは道産娘さんです。私が故意に誤って読んだのではありません。「否定的な見方をしてましたが?」と「人のせい」にしておいて、やっと「失礼致しました。」と謝ったのです。それほど、素直に謝れない、正当化したいのだと思いました。
そして、「揚げ足取り」とは何かを説明します。揚げ足取りというのは「相手の些細な失敗や言葉尻に付け込んで相手を責めること」です。
実は道産娘さんが言った言葉「否定的な見方をしてましたが?」が「揚げ足取り」なのです。
相手(み)は「故意に誤って読んだのではない」←些細な失敗(ただし、読み間違いではないのだけれど)
それに対して否定的な見方をしてましたが?←この「?」は読み取りを失敗した相手に対して「怒り」を示すもので、責めているのです。
これが「揚げ足取り」です。
追加
written by 道産娘 / 2013.01.25 05:51 で道産娘さんがのび助さんに対して言った言葉
「自分の言葉で話せ。」
これはあなたにそのままお返しします。←これが「おうむ返し」です。
(お断り:ASの特性である「おうむ返し」とは異なります)
そして、道産娘さんは最後に「このままやり取りを続けても「揚げ足取り」や「オウム返し」にしかなりませんから。」と書いています。
written by のび助 / 2013.01.24 18:00 の文章を読むと、揚げ足取りの箇所が見当たりません。
道産娘さんはのび助さんの「絶交です」に怒りを感じたのだと思います。
そして、道産娘さんは、written by 道産娘 / 2013.01.07 05:03 で、大地さんに対し「揚げ足取り」や「おうむ返し」と言っていますが、大地さんは揚げ足取りやおうむ返しをしていません。
このなかで
>黙って話を聞いていれば、「受け入れて貰って当然」と言わんばかりに高圧的な態度になり、要求は甚だしくなる。
written by 大地大地大地 / 2013.01.06 14:56、written by 大地大地大地 / 2013.01.07 02:47 この二つのコメントを読むと、大地さんは高圧的ではありませんし、道産娘さんに要求したわけでもありません。
大地さんの「まず親自身が現実的問題を逃避することをやめることからでしょ」という言葉から、自分の身に置き換えてしまったのでしょう。大地さんは「親」に対して依存しているのであって、道産娘さんに依存しようとはしていませんでした。
大地さんのこの言葉は、「受動型ASの受験生が勉強しない理由」に自分なりの考えを述べたまでだったのです。それを深めることなく追い払ってしまったのです。
YANBARU先生、「すべての山に」の記事をひさしぶりに拝見しました。何だか改めて感動しました。
>Climb ev’ry mountain
すべての山に登り
Search high and low
高き低きをたずね
Follow ev’ry by-way
あなたが知っているすべての脇道と
Every path you know
すべての小道を辿りなさい
Climb ev’ry mountain
すべての山に登り
Ford ev’ry stream
すべての川を渡り
Follow ev’ry rainbow
すべての虹を追いなさい
‘Till you find your dream
あなたの夢を見つけるまで
>歌詞を読めば読むほど、「ADHDに最適の助言である」と私は思う。誰が何を言おうと、結局自分が納得するしかない。
「すべての山に登ってみる」しかないのだ。
>すべての脇道や小道まで全部行けと言うあたりが、「中途半端に逃げるのは許さない」というこれまたジャイアン向けの助言になっている。
道産娘さん
私に対しての「思い込み」
道産娘さん:
「「黙り」は私の大人気ない我が儘な部分だけど、言い返すことで、みさんのペースに持ち込まれて「持論や知識」を押し付けられて、言いくるめられるのは意地でも避けたかった」
私:
「私は本当は、これを言うのを待っていました」
「貴方が正直にこれをお話になっていたら、ここまではならなかったのです」
「私はなにも、この時点では謝ってほしいなどとは思っていませんでした。だから「質問」という形だったのです。質問に答えてもらえればそれで解決していました」
さて、「私が思っていたこと」は、道産娘さんの言うことが正しいのですか?
「私の思い」は「私の思い」です。道産娘さんが思ったことは道産娘さんが思ったことです。
そして、
道産娘さん:
「みさんご自身も、衝動を達成して大分スッキリしてると思いますよ」
私:
「全くスッキリなどしていない」
「道産娘さんは「言いたいことがあるならはっきり言って欲しかった」のなら、「全くスッキリしていない」とはっきりいう。どうしてそのような「思い込み」をするのですか。「不愉快」です」
さて、「私が思っていたこと」は、道産娘さんの言うことが正しいのですか?
「私の思い」は「私の思い」です。道産娘さんが思ったことは道産娘さんが思ったことです。
みさん
あなたがやっていることは、いじめ以外の何ものでもありません。
>いじめにしろ体罰にしろ、何で「反社会的行動」と結びつけ、「視野が極端に狭くなり、他の可能性が考えられなくなったから、そういった行動に出るのでは?」と思いました、といえるのかわからない。そうなる環境があったでしょう。その環境を作ったのは誰ですか。そのことに考えが及ばず発言することは、無責任のなせるわざです。
あなたが今、その環境を作っていますよ。反社会的行動について道産子さんが謝ったのを見て、上の立場に立ったとたん、ほかの攻撃材料を持ち出しています。細かな指摘は全て、攻撃するためのいいがかり、嫌がらせに過ぎません。
>最近問題になっている部活動での体罰、これは紛れもなく教員の犯罪です。それを黙認した学校教員も同様です。見て見ぬ振りが、暴力に耐えられない弱いという考えが、このような事件に発展したのです。大津のいじめに関しても、教員が知っていたのにかかわらず見て見ぬふりをした。
それがいったいなんで「反社会的行動」と結び付けられるのですか。自殺するにはもちろん、「視野が極端に狭くなり、他の可能性が考えられなくなったから、」という状況があります。だからこそ、その状況で助けようとする人が必要なのではありませんか。
だから、ここにいる皆は見て見ぬふりをしないでコメントしています。いじめられている道産子さんと、衝動統制が出来ない、みさんを助けるために。誰もあなたに対して面倒くさい、消えろなどと言わずに衝動統制が自分で出来ることを信じて待っているという、やさしさを理解してほしい。
>彼らは決して反社会的行動による自殺ではありません。ただ暴力から逃れるための手段として自殺を選択したのだと思います。貴方に何がわかるのですか。
精神的な暴力で、この場から自分を批判する人を消そうとしていることに気付いていませんか?消すまでやるつもりですか?
>発言に責任を負ってください。批判に耐えられないなら簡単に思ったことを口にすべきではありません。
これは、いじめる側の人間がよく使う理論です。「お前は何もしゃべるな」と。批判に耐えられないのはあなたではないですか?
私は「揚げ足取り」などしていない。それを「揚げ足取りだ」「支配だ」として攻撃された。それに対して、認めて欲しい。
ぬまおさん、私の質問は「揚げ足取り」だったのですか?
そうだったら私はきちんと認め、謝罪いたします。
道産娘さんは、強くとめて欲しいと言っていたけど、人が止めて止まるようならジャイアンじゃないわな。
たぶん、道産娘さんがみさんへの攻撃を止められたのは、傍観者達が、みさんに見切りをつけた(=道産娘さん側についた)からなんじゃないかな。
ジャイアン同士の喧嘩って、周りの人をどれだけ味方につけられるか? で勝敗が決まるように見えた。
周りが道産娘さん側についた時点で道産娘さんの勝利が確定的になって心に余裕が出来て、攻撃衝動を止められた、のかなあ。
そうなった後は、もう一方的に差が開く一方だった。
みさんの分析にも書かれていたことだが、ジャイアンはまず何よりも勝たないとダメなんだな。
まず勝ってしまえば、心に余裕ができてやることなすことうまく行く。負けてしまうと、心の余裕が無くなって、すべてのことがうまく行かなくなる。
「勝つためだったら何でもやる」と冷静に言い切れるような女を嫁にしたいものだ。
中身がなくてこんなことを言ったら袋叩きにあう。
本当の意味での強さと優しさをもって、周りからの信頼を得ている自信があって、その自分の強さがどこから来るのか本当の意味で理解していなければ、こんなことはいえない。
野村監督は、「勝ちに不思議の勝ちあり」と言う。
もし、今回、傍観者がみさん側についたとしたら、全然違う結果になっただろう。ジャイアン同士の喧嘩だと、傍観者の役割は重要なんだ。
今回は、道産娘さんとみさんの人間力に差があったから、よほどのことが無い限りそのような事態は発生しないだろうが、もう少し実力差が近ければ、十分にありうる話だ。
ジャイアンは、AC状態でも、このような不思議な勝ちでも一回あると正のスパイラルに入って瞬間的に回復するように見えることがある。
健常なジャイアンでも、不思議な負けをしてしまうと、簡単に負のスパイラルに入ってAC状態になってしまうようにも見える。
そう考えると、健常なジャイアンでも油断しているとすぐ転落するし、ACジャイアンでもふとしたことで敗者復活ができる。
みさんに一言だけ。今、道産娘さんと戦っても絶対に勝てない。
何でもいいから、一つ勝ちなさい。
勝ち癖をつけてからなら、十分勝負になる。
これは、受動型ASから見るとすごくうらやましい話だ。
受動型ASの場合、自分が肯定できると、周りも肯定でき、社会的にうまくやっていけるようになる。そうなれば、更に肯定感が強まる。
自分を否定してしまうと、周りも否定していまい、その結果社会的に孤立する。更に自己否定感が強まる。
受動型ASはなんらかの欠陥を持っているので、自己肯定するのは非常に難しい。
私の場合、肯定側にある時間が長い、数少ない例だと思うが、それでも肯定側で安定したのは30代後半で発達障害を知ってからだ。
勉強や仕事でうまくいくことが多かったが、できないことは一杯あるし、今のみさんのようにどん底に落ちるような経験だって何度かはしたことがある。
どういう問題があるのか? は把握していたが、なぜか? の原因がわからない。原因がわからないというのは、いつ同じ失敗を繰り返すかわからないということ。これでは安定した肯定感は持ちづらい。
今は、自分が失敗した原因がわかる。
原因がわかれば対処もできるし、そもそも先天的な問題なんだから、失敗しても自分の責任ではない。
すごく楽になって、安定して自己肯定感を持てるようになった。
これを考えたのは今日だけど、少し前に「自分の人生は成功で終われるな」と思った瞬間があった。
ジャイアンのように結果からスパイラルに入るのは不安定だが、受動型ASのように内面からスパイラルに入るのは一生ものだ。
受動型ASは、肯定側に入れば安定して成功できるが、そこに行くまでが非常に難しい。否定側に入った受動型ASが成功するのは本当に難しいことだと思う。
ただ、単純に若い頃に発達障害と診断して療育をするのがいいことだとも思わない。
数多く失敗を繰り返さないと、自分にどのような問題が発生するのか? がわからない。
そうなると、子供のうちに護られているうちは肯定側に入るのだが、護りが無くなったとたんに失敗が始まり、失敗に免疫が無いので否定側に入るのも早くなる。
子供の頃に苦労したのは確かだが、その苦労が役立っているのも間違いないので、今のような療育は受けたくない。
否定側に入って抜け出せない時、その時だけ手助けしてもらえるとありがたい。
私は「揚げ足取り」などしていない。それを「揚げ足取りだ」「支配だ」として攻撃された。それに対して、認めて欲しい。
m2さん、私の質問は「揚げ足取り」だったのですか?
そうだったら私はきちんと認め、謝罪いたします。
ぬまおさん、m2さん
私が「揚げ足取り」をしたと思っていますか?
この疑問にお答えいただくとき、具体的にどれがどう「揚げ足取り」なのか説明してください。そしたら納得します。
辞書を引けっ!!!!!!
もし、今回、傍観者がみさん側についたとしたら、全然違う結果になっただろう。ジャイアン同士の喧嘩だと、傍観者の役割は重要なんだ。
そうだ、今回はJETさんがいなかった。
みさんは、普段は負ける喧嘩はしない人だと思ってましたので、
私にもこの結果は意外でした。
最後にはみさんの正当性を認める人が現れ、みさんの気が済んで終わるのだろうと思ってました。
その人が現れないから、みさんはずっと正当性を証言してくれる人を探して呼びかけ続けているのでしょうか。
先ほどの書き込みはm2さんに宛てたものです。
「人を探して呼びかけ続けているのでしょうか。」
と、問いかけ形式になっていますが、みさんに質問したものではありません。
誤解を招く書き方をしてしまった事をお詫びします。
ちひろさん
「揚げ足取り」とは何かを説明します。揚げ足取りというのは「相手の些細な失敗や言葉尻に付け込んで相手を責めること」です。
written by み / 2013.02.26 14:32 ここに書いています。
そして、私が言っているのは、
「>(私もそうですが)ADHDにも自分の弱点をカバーするために、強迫的に細部にこだわったり首尾一貫して考えたり…と、ASらしく演じる人達がいます。
私はADHDの表面的な思考や思い込みをカバーするのにASらしく演じる人はいないのではと思います。「演じる」というのは受動型ASの方に特徴的であろうかと思いますが、おそらくADHDは演じるとは考えないのではないでしょうか。
「演じる」ことが必要なのは自閉という特性からでしょう。対人関係で相手の言動によって自分を振り返る機能があるのとない(弱い)のとでは違います。
私としましては、抜けが多い分きちっと見直す、場当たり的であるため一貫性を意識するなど、ASとは関係ないところでの弱点克服を目指します。
道産娘さんのいわれるASらしく演じるADHDさんの、具体的な演じている場面を紹介していただけるといいかなと思います。それと、ご本人に演じているかどうかを確認しましたか? そのあたりも聞きたく思います。」
こう質問したことを、道産娘さんに「揚げ足取りだ」と言われたのです。
どこがどう、「揚げ足取り」なのですか?
ぬまおさん
>精神的な暴力で、この場から自分を批判する人を消そうとしていることに気付いていませんか?消すまでやるつもりですか?
精神的な暴力は、「揚げ足取り」などしていない人に、「揚げ足取りだ」「支配だ」として攻撃することではありませんか?
みさん
written by み / 2013.02.26 18:31
についてですけど、ASの人はこういう、「あなたの気持ちはこれです」っていうフォローが必要のようですよね。近所の大学病院でもこういう勉強会みたいなのやってましたよ。道産娘さんはそれが得意なんでしょう。
ASの人の記事だし、ASの人はもっと書きたいんじゃないかな。
ギャーッ傍観者のJETですーッ
m2さん
>ジャイアン同士の喧嘩って、周りの人をどれだけ味方につけられるか? で勝敗が決まるように見えた。
これは「喧嘩」ではない。「揚げ足取り」などしていない私に「揚げ足取りだ」「支配だ」として攻撃することがよいのか?
>たぶん、道産娘さんがみさんへの攻撃を止められたのは、傍観者達が、みさんに見切りをつけた(=道産娘さん側についた)からなんじゃないかな。
私の言っている道産娘さんの攻撃というのは、「揚げ足取り」などしていない私に「揚げ足取りだ」「支配だ」として突っぱねてきたことだ。不愉快だ。
そして、それがわからないまま道産娘さんの味方になっている。つまり、「揚げ足取り」などしていない私に「揚げ足取りだ」「支配だ」と突っぱねた道産娘さんに味方したのだ。
貴方がたは、「揚げ足取り」などしていない私に「揚げ足取りだ」「支配だ」としてきたことを、私が「揚げ足取り」だったとして道産娘さんに謝るように言っている。冗談じゃない。
>みさんに一言だけ。今、道産娘さんと戦っても絶対に勝てない。
「揚げ足取り」などしていない私に「揚げ足取りだ」「支配だ」として攻撃してきて、それはないだろ! と言っている。
JETさん
私は受動型ASさんに答えていただきたいと思っています。私の言っている道産娘さんの攻撃というのは、「揚げ足取り」などしていない私に「揚げ足取りだ」「支配だ」として突っぱねてきたこと。そして、それがわからないまま道産娘さんの味方になっている。
このことがご理解いただけるのか。受動型ASの想像力に関することだと思います。
正直、みさんは揚げ足取りをしたとは思ってない。
論理的にはみさんの方が正しいとは思ってる。
ASなら、そのことが重要だ。
自分だけが信じられる、誰か一人だけが信じてくれる、それでも生きられる。
でも、みさん自身が言っていたように、みさんはASにはなれないのですよ。
「正しい」って言ってあげれば落ち着くのなら、いくらでも言ってあげますよ。ADHDに私一人が正しいといったところで、他の人にも言ってもらいたいという気持ちになるだけ。
ジャイアンにとって、正しいかどうか? なんてどうだっていいこと。論理的に間違ってようが勝てばいいのよ。
確かに、道産娘さんは論理的にはむちゃくちゃだと思うよ。
でも結果はみさんの負け。しかも完敗なんだよ。
今のみさんの心の中に、「道産娘さんをぶっ殺したい」なんて思いがあるよね?
負けて悔しい、負かした相手を許せない、そういう気持ちがあって正常。
ASみたいにぐだぐだ言ってないで、
思いっきり「悔しい」って泣けよ。
「道産娘さんが憎い」ってわめけよ。
そう言わないとわかんないんだよ。
みさん、本当に怖いのは、普段衝動統制をしていると、大事な時に自分の感情に気づかないってことなんだ。
自分の感情に気づかないと、衝動統制もできない。
ネットの世界だからいいけど、もしこれがリアルなら、今の状態は道産娘さんに刃物でも向けかねないぞ。
「道産娘さんをぶっ殺したい」という感情を感じて、その衝動だけを抑えるんだ。
私はADHDののび太と診断済みの者です。
二次障害や養育環境が元で重度の鬱とACになりありとあらゆる失敗をしてきました。
ですが、今は回復してADHDらしく生きていけてます。
ADHDは楽しんだもん勝ちだと思います。
勝負するにしろ勝っても楽しい負けても楽しいと思えるのはADHDの特権で、[らしさ]だと思っています。
負けて楽しくない、辛い(楽しめない)のであれば勝負から引いた方が身のためと知りました。
ジャイアンものび太になれるというのはこの辺の要素もあると思います。
m2さん
>正直、みさんは揚げ足取りをしたとは思ってない。
ジャイアンは「自己正当化」が得意だ。だから、その「自己正当化」に対して正しいことを証明しないと認めない。
ただ、「自己正当化」で勝つのは本来負けだ。自分自身の言葉でしっかりと説明することができないからだ。だから非言語的にやっつけようとする。言語的に説明し納得させられない時点で負けだ。
>今のみさんの心の中に、「道産娘さんをぶっ殺したい」なんて思いがあるよね?
>今の状態は道産娘さんに刃物でも向けかねないぞ。
腹立たしいが、自分自身の言葉でしっかりと説明することができず、非言語的にやっつけることでしか勝てない「弱さ」があるのだろう。私はそれを「情けない姿」だと言う。
「揚げ足取り」「おうむ返し」などと攻撃してゴリ押しすることは、誰に対してもすべきでない。ここで言わなければ誰が言うのだ。だから私がやった。
今後、誰に対しても「揚げ足取り」「おうむ返し」などと攻撃してゴリ押しすることは許さない。またやったら、その時はまた指摘する。それが嫌だったら「揚げ足取り」「おうむ返し」などと攻撃しないことだ。
みさん。・・それって、トラブルがあった後に書いた文だよね?あたかも最初っから書いてあったかのように改変しないでください。卑怯です。
( ゚∀゚)σピンポーン ダッシュ!ε≡≡ヘ( ´∀`)ノ
そして、m2さんは私の論理的に説明したことを理解している。ただ、「勝負」と理解している。
これはADHDの私にとって理解しがたいことだ。受動型ASの特徴だろうか?
>「正しい」って言ってあげれば落ち着くのなら、いくらでも言ってあげますよ。
>もしこれがリアルなら、今の状態は道産娘さんに刃物でも向けかねないぞ。
とても「感情」に着目するのだとしばらく読んでいて思った。私は自分を落ち着かせるためにやっているのではないのだが。そして刃物など向けることはない。こんなんで人を殺そうとするわけがない。だからジャイアンは屁理屈やゴリ押しをする。これこそASの発想だと思いますが、いかがですか?
↑
すみません。あれは敗北宣言です。
たくさんの欠陥をかかえて四苦八苦しながら生きているのに、人の揚げ足を取ることを生きがいにして、しかもその自覚が皆無どころか・・ヘタをすればブッ倒してポア・・・じゃなくて・・ケアしたとか言いそうなみさんが、私の天敵だとやっとやっとやっと悟りました。
では。
は人たちのケアが
できるのか・・・意味分かんね。
みさんは道産子さんのことを、かなり前から嫌いだったと思います。以前のコメントも含めて細かく指摘した部分は、全部、みさんが道産子さんのコメントに対してムカついた部分で、ストレスを蓄積させて爆発した感じか。きっかけは何であっても結果的にこうなったんじゃないかな?「嫌い」という自分の感情を隠して合理的に追及しても周囲には伝わるし、互いに相手が何を言ってもムカつくことになるので、嫌いな相手とは、そもそも実りある議論ができるとは思えない。喧嘩になれば互いに罵り合えばいいのかもしれないけど、道産子さんがほとんど反撃に出なかったため、結果的に一方的に執拗に攻めることになって「いじめ」としか見えない状況になってしまったのでは?
自分は、今回みさんがやったような、一方的に執拗に攻められるといういじめを受けたことがあるので、ちょっと、みさんの態度にムカついたので、素直な気持ちで書きました。なぜ、みさんは嫌いだ、ムカつくという感情を隠そうとするんですか?ムカついたら感情に従って、あなたのここが嫌いだ、と素直に言えばここまで混乱することもないんじゃないですか?嫌いな相手の言うことに納得することは、どこまで行ってもないと思う。
ちなみに、反社会的行動に自殺やいじめを含めたことは、道産子さんの認識不足による悪意のない些細な失敗でしょう。みさんの「揚げ足取り」で間違いないと思います。
道産娘さんへ。
道産娘さんから、「大人の対応」と書いてもらって、正直、絶句していましたよ。
私はもう、そんなところにまで到達したのか…と。
>環境の変化は大きなストレスを伴います。
>体調管理には充分気を付けて…って、医療に携わっているさーこさんに言う必要無いですよね。
ふふ、どうもありがとう(^-^)v
実は、環境の変動にチャレンジするのは2度目なんです。
今、私は一人ではなく、現実に夢を語り合える仲間や相談場所が少ないながらもあるので、事前に準備したりイメージトレーニングしたりすれば、たぶん大丈夫ですよ。
まぁ確かに今のところ一応医療には携わってはいるのですけれどね。医療だけでは自分の不調には対応できないと思っているところです。
近々、日本在住の中国の友人とお茶でもして、リラックスタイムを満喫して来ようかと思っていますよ^^基本的な価値観は私と逆だけど、日本人よりも日本人らしい、そして私の事を優しいと言ってくれるそんな彼女から見習うところはたくさんあります。共に頑張り合い、励まし合い、信頼関係のなせるわざですね^^
>さーこさんの夢が叶うよう、「力強く」人生を歩めるよう、私も応援しています。
道産娘さん、ありがとう(^-^)
いつか、アロマセラピストになれたなら、その時は、ボランティア活動したいですね。お世話になった恩人や、友人に。
私も遠くから道産娘さんを応援していますよ。
ちひろさん
自分は良くジャイアンACのターゲットになるからわかるけど、決して弱い人をターゲットにはしない。
無意識にでも、ターゲットを壊すと責任を取らないといけないので、相手は選んでる。
今回も道産娘さんに壊れない強さがあるから、ターゲットになっただけ。
あんな状態の中でも、道産娘さんは安定感を残していたでしょう?
だから、みさんは今の状態でも、弱い人のケアはできる。
ああいう弱さを持っているから、弱い人の心の理解ができる。
完全無欠のジャイアンだと、弱い人の保護者にはなれるけど、ケアは無理。「物事ができない」って感覚がわからないだろうな、って思えるジャイアンは時々遭遇する。
み さん
>またやったら、その時はまた指摘する。
指摘なんてしないで欲しい。
説明なんてしないで欲しい。
ただ、腹だだしい、といってくれればいい。
みさんの指摘通り、言語的な説明が下手だから、周りがわからないんだ。
道産娘さんは、論理的に破綻しているので、見ているだけで腹だたしい。これだけなら、賛否両論はあるだろうけど、賛同者はいたはずだ。
私は、ADHDは論理性を求めるべきではない、と判断しているので、道産娘さんに乗るけどね。
>ただ、「勝負」と理解している。
少なくとも、ASにはそのようにしか見えていないはず。
お互いに謝るか謝らないか? のかけひきをしていたわけだから。
当事者ではない、ADHDがどう見えていたのか? はわからない。
ADHD当事者が理解しがたい、というのはわかるのだけど。
いびつさん
コメント読ませていただいたら「自分だけじゃないんだな」と、涙が出そうになりました。
「楽しんだもん勝ち」
そうですよね!o(^o^)o
みさん
私、みさんにこのブログはまだ必要ないと思う。
「自分が悪いと認めたらすぐに謝る」
違うでしょ?
謝れば「(それまでの自分の失敗等を)帳消し」にできるから謝るんでしょ?
私やさーこさんやホックさんに暴言を吐いては謝り、先生に暴言を吐いては謝り、また私や他の方達に暴言を吐いては謝り…その繰り返しですよね。
つーか、自分が悪いなんて始めから思ってねーんだろ?
「何を言っても謝れば無かったことにできる」と思ってんだろ?
そもそも「衝動統制」するつもりあんの?
必要ないですよね。
私には、みさんが虎視眈々とYANBARU先生に仕返しする機会を、YANBARU先生の機嫌を取りながら伺っていただけとしか思えない。
その為に、ここに集う人達を「利用」してたんですよね?
お節介をしたり、(ACや自閉症等の)知識を披露したり、私を蹴落とすことで自分の有能ぶりをアピールしたり…
本当に「自分を変えたい」と思っていますか?
(続きです)
正直みさんと「勝負」してたなんて思ってない。
ただ、ここで謝ったらその後も同じ事を言われ続けるだろうし、そのたびに謝らなければならない。
あなたにとって謝ることは「簡単」でも、私にとっては「どうしていつも同じ事繰り返すんだろう…」と自己嫌悪に繋がる。
あなたは「謝るよう誘導された」と人のせいにできるので、きっと私の気持ちは理解できないでしょう。
もう良いです。
いびつさんのコメント読んでたら、我を張り続けるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
「楽しめないどころか、ただ虚しいだけ。」
みさん
謝って欲しいんだろ?
謝りゃそれで満足なんだろ?
だったら全面撤退して謝ってやるよ。
「どーもすいませんでした!」
きっと私は、謝ったことなど直ぐに忘れてあなたの気に入らない発言をし続けるでしょう。
今後あなたにそれを指摘される度に、私は直ぐに「(上記の様に)謝る」ことにします。
あなたが普段していることです。
巻き込んでしまった皆さんへ
私の我が儘に付き合わせてしまい、申し訳ありませんでした。
今後彼女に対しては「裸の王様」だと思って接するつもりです。
お騒がせ致しました。
道産娘さんへ。
現在特殊な事情がありまして、コメントはしばらくやめようと決めていたのですが。
毎日のように謝っています。この1週間ほど。
>「自分が悪いと認めたらすぐに謝る」
違うでしょ?
謝れば「(それまでの自分の失敗等を)帳消し」にできるから謝るんでしょ?<
自分では違うと思っていますが、そういう場合もあるかもしれません。あるいは無自覚の意識下で。
自戒の言葉として憶えておきます。
ありがとうございました。
ぬまおさん
>みさんは道産子さんのことを、かなり前から嫌いだったと思います。以前のコメントも含めて細かく指摘した部分は、全部、みさんが道産子さんのコメントに対してムカついた部分で、ストレスを蓄積させて爆発した感じか。
「感情」に着目するASならではの指摘だと思う。私は好き嫌いで物事を進めない。たしかに、大地さんへの「揚げ足取り」「おうむ返し」、「お前は何様だ?」「どれだけ偉いんだ?」「思い上がるな!」という発言、m2さんへの「袋小路発言」、のび助さんへの「揚げ足取り」や「オウム返し」という発言に、暴君を働いているなと思っていた。よく皆さんは黙って見過ごしているなと思っていた。精神的な暴力をふるっていても黙って見て見ぬふりは無責任ではないか? いじめではないか?
ADHDは一対その他大勢の人、ASは一対一の関係で物事を見ている。この違いがあるのだろうと思う。
ぬまおさんは、自分が「揚げ足取り」や「オウム返し」をしていないのに「揚げ足取り」や「オウム返し」と言われたらどう感じるだろうか?
精神的な暴力をふるう人をなぜ見て見ぬふりをするのだ?
無責任だと思わないか?
m2さん
>みさんの指摘通り、言語的な説明が下手だから、周りがわからないんだ。
m2さん、自分が「揚げ足取り」や「オウム返し」をしていないのに「揚げ足取り」や「オウム返し」と言われたらどう感じるだろうか?
精神的な暴力をふるう人をなぜ見て見ぬふりをするのだ?
無責任だと思わないか?
道産娘さん
逆切れですね。
今後、誰に対しても「揚げ足取り」「おうむ返し」などと攻撃してゴリ押しすることは許さない。精神的な暴力によって相手にダメージを与えることは許さない。
そろそろ通常運転に戻りたいな。
そのうちみさんも、何もなかったように普通に参加してくると思いますよ。
「揚げ足取り」「おうむ返し」などと攻撃してゴリ押し
これがなぜ攻撃なのか、ASにはわからないようである。
「揚げ足取り」「おうむ返し」などと攻撃される側の心の痛みがわからない。
ADHDや多数派は自分が攻撃されていなくても、攻撃されている人の気持ちがわかる。もちろんこれは想像力によって共感することができるからだ。逆を言うと、想像力が働かなければ攻撃されている人の気持ちがわからないということだ。だから、攻撃者に加担できるのだろうと思う。
いじめの取り巻きがなぜいるのか、紐解けば想像力の問題、依存性なのかもしれないと思う。
みさんは、ただ「論理的な」おとしどころが欲しいのではないでしょうか。
ただ、考えを(読み手を考えずに、整理せずに)そのまま吐き出しているので、誤解を招いているように見えます。
文章が長すぎるので、みさんの「読ませたい論理」ではなく
「意図せずに表現された感情」を読み取られてしまうのではないかなぁ、と後半を読んでいて、思いました。
皆さま、すみませんでした。通常運転に切り替えます。
後半ではたしかにそのまま吐き出すような感じでした。
私は先生に叱られ、しばらくは悔しくて仕方がなかったのだけれど、今では感謝しています。あれがなかったら暴君を続けていた。誤った暴走をしていて正しい走り方を知らなかった、誤った暴走に教官は急ブレーキかけ、一旦ストップさせ、正しい走り方を教わる、そんな感じでした。
さて、通常運転です。多くの人達を乗せて出発する電車のように。電車は公共交通機関、誰のものでもなく、目的地に向かって走るものだから。
今回の感想を一つだけ。
少なくとも私には、みさんがすごく必死に、なりふり構わず、ある意味、みっともなさを全開にして、あれこれ試して、変わろうと努力していたことは、ひしひしと感じられました。
ではまたROMに戻ります。
僕も暴君あがりなのですが、暴君型のひとは、好き嫌いで行動を決めるために
やらなきゃいけないことをやるために、好き嫌いを操作する技術を磨くようなところがあると思います。
喧嘩してるけど、相手の良いところも見る
とか
好きなひとの悪いところも見ようとする
とか
そういう部分は、きっと暴君あがりの特性なんだと思います。
だから、途中で言われていたように
みさんは、「道産娘さんが嫌いだ」
というような単純な認識では、ないんじゃないかなぁ
と、僕は思います。
みさん
はい、逆ギレです。
どーもすいませんでした。
なんだか み さんを見ていて、中学生時代の私自身を思い出しました。
一対その他大勢の人……私はいつもたった一人で走ってきました。声をからして叫んできました。
そして、みさんの衝動統制は、やんばる先生なんだね。
いつも私は、自分を裏打ちする誰かの保証(反応)がないと、自分を本当には肯定できなかった。
自信って一体何ですか…? と思いながら生きてきた。自分は他人と何か違うと思いながら。
みさんにも、これまで自分で何とかやって生きてきた人生がある。だから、その事そのものは自分で大事に認めて「自信」を持って生きていくといいと思う。もとより全ての人と仲良くはできないものなんですから。私はずっとそうしています。
私の衝動統制は「自分」です。
しかし、ASでは 「論理的な」おとしどころは提供できない。
「おせっかい」かもしれなかったが、私が両方お話した人で、両者の姿が直感で何となくわかるような気がする人たちを、見て見ぬふりはできなかったのでね。
ちなみに私の二次障害のきっかけの言葉は、「もっと人の気持ちを考えろ」「あなたは自分勝手で苦労した」「私たちだって傷つきました」でした。
ですから、今回はあくまで個人としてコメントをするに留め、努めるようにしました。
思考し、自分自身でアクセルとブレーキのバランスが取れるようになるまで、長い、長い…すさまじい苦労をしてきました。
もちろん、離人症のような状態にもなりました。
でも今、人生は楽しいと言う事ができます。もちろん、時に少し迷い、暗くなったりする事はありますけれどね。
み さん
>ADHDや多数派は自分が攻撃されていなくても、攻撃されている人の気持ちがわかる。もちろんこれは想像力によって共感することができるからだ。逆を言うと、想像力が働かなければ攻撃されている人の気持ちがわからないということだ。だから、攻撃者に加担できるのだろうと思う。
私はADHDの当事者ですが攻撃されている人の気持ちが分かりません。想像するとわかるような気持ちになってきますがわたしなりの独特な共感で見当違いがほとんどです。
自分が攻撃され辛い思いをしてきた分、攻撃されている人(または弱い立場の人)の辛さを感じ、苦しくなり、居ても立っても居られない。ようなこともありましたが今思えばACの「自分と相手の問題が分からない。」ような状態だったのかと思います。
他者の辛さも感じ取れないなんて、なんて冷たい人間なんだろう。。と自分自身に思うこともありますが力量の問題と割り切り、諦めています。でも、だからこそ他者を出来る限り否定や肯定はしないでおこうと強く思います。
人を諭すことより自分を諭すことを心がけようと強く思っています。
道産娘さん
私は先生から叱られ、今があります。道産娘さんよりひどかったと思います。ご自身の中でそこまで言われなくてもわかってるよ!!! と思っていただろうと思います。
少々過集中で言い過ぎました。すみませんでした。
これから先生のエントリの記事を読みながらやっていきましょう。自分のジャイアンをうまく走らせていくには、ご自身がジャイアンである先生の繰り出す言葉、そしてこれまでの記事は非常に参考になります。先生ご自身のみっともなさ、過集中に陥っていたときのことが率直に書かれていて、私だけではなかったのだと勇気づけられることがありました。
アメジストさん
本当にみっともないですね。先生に叱られた記事、今でも情けない思いになります。でもこれが暴君を働いた時の自分の姿ですから認めます。依存型ジャイアンの道は険しいです。なかなか思うように進めません。
悠々とさん
そうですね。好き嫌いは自分が何かをするときだと思います。けれども人に関しては好き嫌いでそうするのではなく、必ず意図したことがあります。私はジャイアンの方々は同志なのだと思っています。少なからずジャイアンとして失敗や辛さ、悔しさを経験し、そして何とかしたいと思っていること、素敵な部分が個別にふんだんにあることが、このブログのコメントで伝わります。それぞれよりよく生きようとしているから勇気づけられます。
さーこさん
>そして、みさんの衝動統制は、やんばる先生なんだね。
先生に叱られた記事のことですね。暴走を止めるには先生のお叱りが必要でした。自分で衝動統制できない状況だったからです。そこから先生の記事を読みだして、理解していくなかで自分で衝動統制することを覚えました。
>思考し、自分自身でアクセルとブレーキのバランスが取れるようになるまで、長い、長い…すさまじい苦労をしてきました。もちろん、離人症のような状態にもなりました。
ASとADHDの特性が違い、訓練する内容が違いますが、どちらも努力が必要なのですよね。私が離人症様だったのは小学生のときでした。二次障害の克服は長くかかりますね。
いびつさん
>自分が攻撃され辛い思いをしてきた分、攻撃されている人(または弱い立場の人)の辛さを感じ、苦しくなり、居ても立っても居られない。ようなこともありましたが今思えばACの「自分と相手の問題が分からない。」ような状態だったのかと思います。
ACがひどかったときは自分の問題と相手の問題を区別できませんでした。しかし今は、自分と他人の感情や問題の区別はしっかりしています。私は揚げ足取りだと言われた人の感情に溺れて自分と混同していたのではなく、言葉の暴力に着目しています。言葉の暴力にさらされた側はどう感じるか、です。「共感」と「同情」の違いです。
Paul Carpenterさん
私もこのブログで謝ってばかりです。
「すぐに忘れて同じ失敗を繰り返す」特性上、謝ることは避けられないのかなとも感じます。
ただ、そこに甘んじて傍若無人に振る舞った後、何度も謝ることを繰り返すというのは、ジャイアンのなまずるい部分だと思っています。
私にも思い当たる部分がありますが、簡単に謝ると直後に自己嫌悪に陥るので、何が悪かったか・次はどうするべきか、なるべく考えてから謝るようにしてます。
(仕事面ではあっさり謝ることがほとんどですが…)
みさん
それで良いんじゃないでしょうか。
>私の二次障害のきっかけの言葉
私の一番大嫌いな言葉は、「自分がされて嫌なことを人にするな」です。
少なくとも、自分がされて嫌なことを理由もなく人にすることは無いのですが・・・
二次障害にはならなくとも長年の悩みでした。
ここで勉強してわかったのは、「自分がされて嫌なことと、他人がされて嫌なことが違う」ことです。
中心志向を持つ人が嫌なことは、普通にやっていたと思います。
しかし、男性多数派(中心志向を持つ人)が私に対して嫌なことをするのはその比では無いと思います。
理由も無く、自分が嫌なことを人にする人なんかいないのです。
発達障害の理解が進み、こんなことを言う人がいなくなるといいですね。
発達障害理論は、グループの形成や中での力関係について、綺麗に説明できるんですよね。
さーこさんが嫌な言葉を言われるのは、女性からだけではありませんか?
積極(奇異)型ASの女性が、女性コミュニティで浮くのは、なんとなく説明できます。
受動型AS男性は、多少メカニズムが異なりますが、男性コミュニティで浮きます。
私に対して嫌な言葉をかけてくるのは、男性(ほとんどは多数派・積極奇異型)です。
みさん
「揚げ足取り」「おうむ返し」、「お前は何様だ?」「どれだけ偉いんだ?」「思い上がるな!」という発言、m2さんへの「袋小路発言」、のび助さんへの「揚げ足取り」や「オウム返し」この程度の言葉は日常的にある。あなたは、これを精神的暴力と捉えているのか。それくらいのことを言う人は普通にいるぞ。みさんは人格者に囲まれた素晴らしい環境で生活しているのですね。みさんの周りの人は気を遣って、その程度の言葉も発せられなくなっているだけかもしれないけれど。
その程度の言葉を言うなというのは誰も自分に対して批判をするな、意見を述べるな、と言っていることと何も変わりません。単発の言葉はいじめとは違う。みさんは、相手の失敗を誘発させる質問をして、自分の土俵に上げた上で難しい言葉を武器に、相手をコテンパンに打ちのめす手口が得意なようだ。
>私は好き嫌いで物事を進めない
好き嫌いなら、まだ救いがあるという話をしていることが分からないんですか。勝てそうな相手を見つけては攻めるやり方は最悪です。
>ぬまおさんは、自分が「揚げ足取り」や「オウム返し」をしていないのに「揚げ足取り」や「オウム返し」と言われたらどう感じるだろうか?
まずは自分が言われた通りのことをしていないか確認する。やってなかったら、何だ、ただ悪口を言われただけか、と安心する。
下まで全部読まないうちにコメントしてました。掘り返しちゃってゴメンネ。これで終わりにしましょう。
>私の一番大嫌いな言葉は、「自分がされて嫌なことを人にするな」です。
なんか…ごめんね、言ってしまいますけど、漫画に出てきそうな熱血教師のセリフ? みたいですね。
「自分がされて嫌」という事実を基にした、他人への「共感」と「想像力」の発展がキーワードかな。
でも、こういうセリフを言うという事は、自分の物の見方しか見ていなさそうですね。
>少なくとも、自分がされて嫌なことを理由もなく人にすることは無いのですが・・・
腑に落ちないから悩むという事ですね。「そうまでして行為する事には何か”理由”があるはず」と思うから。
>二次障害にはならなくとも長年の悩みでした。
>ここで勉強してわかったのは、「自分がされて嫌なことと、他人がされて嫌なことが違う」ことです。
…ここで、「嫌なことがなぜ違うのか」という視点を持つようにすると、その後の思考が拓けるかもしれないですね。
今の私の時点で、なんとか言葉にしてみると、異文化、異種族、そして、同族の中の異端…などという言葉になるのかもしれません。
>理由も無く、自分が嫌なことを人にする人なんかいないのです。
>発達障害の理解が進み、こんなことを言う人がいなくなるといいですね。
m2さんは、優しい人だね。その気持ちは、受け取っておきますね^^
まぁ私は、荻原規子さんの 勾玉三部作 のお話や、上橋菜穂子さんの 守り人シリーズ の本などが好きなので、物語の世界の中だったら「そうまでして行為する事には何か”理由”があるはず」と思えるけれどね。文学少女のイメージで正解です^^
私は、現実世界で人間が何か行為しようとする時、大体の場合はそんなに大した理由はないかもと思っていますよ。
つづき
>発達障害理論は、グループの形成や中での力関係について、綺麗に説明できるんですよね。
>さーこさんが嫌な言葉を言われるのは、女性からだけではありませんか?
そうですね。今まで女性からだけです。
高校時代は、グループ全体のうち、約6分の1が女子、6分の5が男子でしたが、すでに離人症様の症状が進みすぎて学校を休みがちになり、解離やパニック障害に近い状態へと進行、私は自分を過剰拒否する事や、沈黙状態(運動失語という事かな?)になり、周囲の男子は私をどう扱っていいのかわからないという悩みが見えていました。ですが、私には自分をどうにも出来ませんでした。
ちなみに、失語様の状態が数年続いたために、声帯が弱ってしまい、声ではなく、かすれてしゃがれた音しか出なくなり、成人後の就職時にとても苦労しましたね。
今の私は、世間からは 半分隔離(保護)されているような状態です。
ASの「最初から自分がある」状態とは違う可能性を想像する、という事が、ASには困難なのが通常なのですが、m2さんのような人間がいるという事はふつうにうれしいですね。どうもありがとう。
道産娘さん
この自己嫌悪、自己突っ込みですね。
私は自己突っ込みが辛くてよく「言い訳」をしていました。しかし、「言い訳」をしたことによって、今度は「言い訳」をしたことに自己突っ込みが始まります。悪循環なのですね。この悪循環から抜け出すために「言い訳」を止めることにしました。
また、謝ることを先延ばしした時もありました。相手との関係が時間を経るほど険悪になり、居辛くなっていきました。先延ばししている間ずっとそれを思考していて、心の中で相手を攻撃したり(ファンタジー)、自分が悪かった部分を自己突っ込みしたりで、本来やるべきことに集中できずとても非効率な状況でした。先延ばししすぎると今度はうつ状態になってしまいます。
このような状況を改善するために、先生の以下の記事を参考にしました。
『ADHDと自己突っ込み』
「ジャイアンは人にだけ厳しくて、自分のことには話をそらしてり誤魔化したり、時には病気になったりして目を向けようとしない。表面上は自己突っ込みをしているとはとても見えないだろうが、実は(少なくとも私の場合は)自分の突っ込みが一番きついと思う」
→その通りです。実は自分が一番きつい。
『依存と自己突っ込みの関係』
「しかしジャイアンにはこの生き方しかない。脳がそう出来ているからだ。答えは、「自己突っ込みをなくそうと足掻くことをやめて、表面的な現実のありかたを改善する」ということだ」
⇒自己突っ込みからは逃れられないのだ。それが事実だ。足掻くのはやめて現実の在り方の改善をすることを努力しよう。
『うつと身体症状と自己突っ込み』
「他人の前でお得意の自己正当化をしても、ジャイアンは少なくとも直後には自己突っ込みで自分を責めることになる。 人に当り散らすだけでなく、自分が有利になるファンタジーにふけったり、アルコールなどに逃げても、繰り返し失敗したことは蘇って、フラッシュバックのようになる。 失敗したことを忘れていい気分になっていても、突然嫌な思い出はふっと出てきて、ああやっぱり自分はどうしようもない奴だと自己突っ込みが飛び出してくる。 「低い自己評価を目指す」ということは、「自己突っ込みの必要性が少なくなり、不意打ちで突き落とされるような自己突っ込みの余地が減る」ことを意味するのだろう。 逆に考えれば、自己突っ込みをごまかそうとすると、余計に不安が強くなり、結果として落ち込むという仮設が考えられる」
⇒ファンタジーでいくら相手を攻撃していても自分の失敗は思い出して落ち込む。自己突っ込みをごまかすのは自分をさらに落ち込ませるだけなのだ。その通りです。わかりました。
『ジャイアンの根本的矛盾』
「「低い自己評価を自分に言い聞かせ続ける」ことは、このジャイアン的な部分をいったん押し殺し、合理的な部分の自己突っ込みの立場に立つことを意味する。その結果表面上は「合理的なADHD」と同じ立場に立つことに近いことになり、自己突っ込みの痛打を一時逃れて安楽な時間をすごせる。自己評価を下げることで合理的なADHDに近づくことになるのだ」
⇒なかなか低い自己評価を自分に言い聞かせるのは難しいけれど、本来やるべきことに集中できずとても非効率な状況を生み出しているのは自分だ。それに周囲にも迷惑をかけている。これは合理的ではない。わかった。自分の高い自己評価にしがみついているだけだ。自分の失敗を謝ろう。
このような経過で、今は偽りの高い自己評価を抑え、自分がやったことに対して謝るということをするようになりました。合理的に現実的な解決をすることが必要だと考えています。
ADHDが強い私は何となく頭で理解していることが多く、そのまま発言してよく間違いを指摘されました。その度自己突っ込み、低い自己評価がさらに下がるのです。その自己突っ込みを和らげるため、発言する前にそれらに関する情報を確認するという衝動統制をしています。
「偽りの高い自己評価」と書いたのは、もともと低い自己評価だったものを、柿さんが言ってくれた「厚手のコート」で誤魔化していたということです。これがACの自分を守る術で、認知の歪みによって作り出された誤った自己評価です。
私はアルコール依存症の父の暴言・暴力、泥酔下での訳のわからない言動と素面の時の言動と、それに伴って「お前の子育てが悪い」と暴言・暴力をあびせられる母を見、そしてその母が子どもたちに叱る、という状況の中で育ちました。罪悪感、恥辱感を植え付けられ、自分が存在していてはいけないのだと思っていました。小学生で情緒障害の離人症様となったのはこのような環境からです。中学時代では経済面から母が勤めに出て夜勤をすることになり、父の酔っぱらいの世話を任されるようになりました。子どもであるのに親の世話をする、同級生とは異世界です。しっかりした自己評価など形成されるはずはないのです。(断酒会に一緒に連れていかれたり、抗酒薬を飲ませたりも)
父の死後、学力を使って依存環境から抜け出しました。そこでは依存関係が成り立ちません。しばらくは、ADHDのACの状態が続きました。先生のHPの『ADHDのAC』
「この状態の実際の姿は、ただでさえ不確かな雰囲気や表情などの状況理解を根拠に決め付けてしまうため、客観的にはADHD自体による勘違いや思い込みが増幅された状態である。にもかかわらず「本人は限界まで気を使っている」と感じている」
私自身は周囲と合わせるために限界まで気を使っているつもりでした。しかし勘違いや思い込みが強かったです。周囲から指摘されてもわからなかった。この矛盾が「厚手のコート」を着る結果となりました。しばらくして『ジャイアンACの「崩れ型」回復』の経過をたどりました。異常な関連付け、被害妄想、見たもの全てに突っ込みまくる、表現はTPO無視、攻撃性が表に出て所構わず突っ込み・行動化。ジャイアンに戻りました。
そこで先生のブログとの出会いです。ジャイアンの戻りたての状態でコメントし、先生から衝動統制されました。そこから自分が何者かを理解するために先生の記事を読み込み、自分で衝動統制することを覚えました。もう暴力があり依存がある環境には二度と戻りたくない。言論の自由がある環境で生きたい。
冷たいようだけど、みさん。
自分でブログを開設して、そこで書くべき内容じゃないかな。
ADHDの特性を忘れて、言い過ぎてしまいました。コメントを見直してみて、多分、自分はいろいろと勘違いしている発言もあると思い、みさんのことが心配になってしまいました。
不快に思った人がいたら、申し訳ありません。いじめを受けるたびに対応してきた経験から、自分の中で、いじめだと認識してしまうと過敏に反応して、普段は衝動性がほとんどないのに、攻撃的な面が出てしまうようです。過去には、いじめを止めて逆に自分がいじめられるという、ありがちな経験もしています。ごめんなさい。
みさんはクールダウンしている時は洞察力が鋭く、頼もしい印象を受けます。衝動統制がもっとできるようになれば、皆に頼られ、自由な発言ができる環境を手に入れられるのではないでしょうか。お互いに、頑張り過ぎないように生きましょう。
みさん、みさんが衝動統制するのは何故ですか?
ぬまおさん
今までのコメントだけでは背景がわかりませんよね。冷静に今の状況を書きました。ぬまおさんもこれまで様々な経験をしてきたと思います。道産娘さんもまた同じく。言葉にして伝えなければわからないものです。
JETさん
私は衝動統制の障害が強いようです。注意欠陥も強いけれども。
みさん
何度も同じことを申し上げますが、
「あなたがそう思うなら、それで構いません。」
それ以上何も言えません。
すみません。
ホックさん
受動型ASの受験勉強についてコメントされていましたね。
>求めてもいないのに、1年後の自分の話をされても、全く理解できない(理解しようと思わない)です。「今勉強しないと~~~」と言われたら、使える言葉(他人を動かしたり、感心させたりする言葉)だと思えば記憶に残します。そして、いつか誰かに披露しようと思います。
使える言葉とはどのようなものだろうと思いました。
受動型ASさんたちは受験勉強しなくてもそこそこの学校には入れるとの事でしたが、ホックさんはいかがでしたか?
そうそう、m2さんのコメントに対して色々言い返したいことがあったんですが…
忘れました!(^_^;)
「自分がされたら嫌なことを人にするな」
これはどちらかと言えば(ASの方が)好きな言葉かなと思ってました。
首尾一貫しててASらしいですよね。
逆に「自分が好きなこと・良いと思ったことは、他人に積極的に勧める」人はよく見ますよ。(その時の姿はとてもイキイキしてます)
基本的に首尾一貫してる方が好ましいけど、特に受動型の人は他人に振り回されやすく、相手によって場当たり的に言動が変わってしまうのが当たり前なので、「自分がされたら嫌なことを人にするな」という考え方に疑問が生じる(納得できない?)のかなって気がします。
そういえば積極奇異型って、女性は多数派に馴染んでて分かりにくい印象がありますね。
(女性は)受動型の方が単独行動も苦にならない様子で、協調性もあるけど意外とマイペースな印象があります。
(男性だと逆に見えますが)
それはみさんのご想像にお任せします。
私の全てをここで開示しようとは思わないので、
先生の質問には答えられる(答えたいと思う)範囲で
答えようと思っています。
みさん。
>自己突っ込みからは逃れられないのだ。それが事実だ。足掻くのはやめて現実の在り方の改善をすることを努力しよう<
>ADHDが強い私は何となく頭で理解していることが多く、そのまま発言してよく間違いを指摘されました。その度自己突っ込み、低い自己評価がさらに下がるのです。その自己突っ込みを和らげるため、発言する前にそれらに関する情報を確認するという衝動統制をしています<
それでも。
スイッチ3つしか開いてないと。
他者からみたらハチャメチャで無茶苦茶な結果になるんですけどね。
あとで言われて、あるいは自分で気づいて後悔することは毎日のように。
なんなんでしょうね。
僕には、他のADHDがどのような経過をたどってここにいるのかは、重要な情報です。
冷静になられたみさんに、攻撃的に接してなんになるのか。
仲良くしろとは言いませんけれど、言論を抑止しようとするのはどうかと思いますね。
ちなみに僕は、ASのように「どちらかに肩入れ」して発言しているわけではなく
「あるべき形」の話をしています。
こんにちは。初めまして。
私も過去に発達障害の疑いがあると診断されていたので、参考になればと思い書き込んでみます。
①「そうだね」という風に感じますが、自分の事としては実感が無かったです。
②「そういう風に言われているのが一般的だから」と感じます。でも元々勉強と言うのは、「したい時にしたい物をするべき」なんじゃないかな?と大人になってからは思っています。
受験勉強についてですが、私は小さい頃から「勉強をしていい大学に入ってお給料を沢山貰えるのが幸せ」と両親に言われて来て、それで高校までは勉学に励んでいました。
勉学と言っても、教科書の内容を「憶える」だけでテストの点数がとれていたようなものです。
高校までは、「○○高校に行きなさい」と名指しだったので良かったのですが、大学になると「どの大学に行けば有名企業に就職出来るのだろう?」と悩むようになり、かといって大学でやりたい事もなく(大学には「大学卒」の称号を貰いに行くと思っていたので)、結局目標もあやふやなままだったので受験の事など考える事は出来ないまま、高校生活は終わってしまいました。
あの時、具体的な大学名が出ていれば、それに向かって勉強はしたかもしれません。
現在、勉強というものをしようとしていますが、それについても「友人との会話に合わせる為」の勉強です。
普通の人が大人になってから勉強するきっかけも、こういったものだったらすみません・・・
Paul Carpenterさん
的外れな回答ですが、これもまた一つの理由だと思います。
私は多数派脳とは違うものの見方、思考形態を形成しているように思います。そこが衝動性と相まってハチャメチャなことになるのだと思っています。つまり、かなり「変人」で、その「変人」が多数派に、多数派の形成する世界に意見しようとするから受け入れがたいものになり、結局社会的制約があるから謝ることになるのだと思います。
「変人」であるのは、ADHDの脳の機能障害によってそれをカバーするための神経発達をさせてきたことが関係していると思います。私の場合は「理解」に関する情報処理能力で、形成されたのが洞察力といったところでしょうか。今まで多数派に対して洞察力がないなぁと思っていました。それによって対立あるいは孤立してきたのですが、今では自分が「変人」なのだと理解しています。この能力を活かせる場所があればいいのだけれど。
Paul Carpenterさんもきっと変人な部分、つまりADHDの脳の機能障害によってそれをカバーするための神経発達をさせてきたのだと思います。スイッチは3つですが、バックグラウンドで機能している部分が「変人」を作り上げるのだと思います。
『バランスと制御』を参考に考えています。
m2さん
気持ちはありがたいがおそらく貴方には分からないだろう、というような事を思いながら文字を打っていたら、多数派のような分かりにくい言葉になってしまいました。
いや実際、おそらくたぶん、分からないだろうと思います。
一番ひどかった時の私の内観は、山田規畝子 著「壊れた脳 生存する知」の記録にある内観によく似ていたからです。
高次脳機能障害を発症した医師の手記ですが、私自身の現状を把握する一つの手がかりになりました。
現実の私の話し言葉は、非常にたどたどしいです。
時々言葉がつっかえるし、動作も非常にスローペース、年齢よりもとても幼く見えてしまうのです。仕方のない事ですけどね。
これでもかなりマシになった方ですが、いまだに私の脳機能が損傷を受けたままの状態であるのは、私の内観から言って、明らかです。病院で検査をしなくても自分で分かります。
なぜ私が香りの勉強をしたかと言うと、嗅覚からの伝達は、大脳辺縁系にまで届くからです。
香りだけですべてが解決するとは思っていませんが、私にとっては、少なくとも自分にとっての一つの手助けになるだろうと思っています。
自分を助けるという事は、裏返し、他人を助けるという事にも通じませんか?
私はそう思っていますよ。
向こうが落ち着いたと思ったらココでやってたんですねぇ
覚醒したエヴァンゲリオン初号機はもう誰にも止められないと言いながら、
次の週にはちゃっかり拘束されてたのはアニメだったからなのでしょう
みさんの本音が吐き出した多くの言葉で判別できなくなってしまったのは残念というか、
めんどくさくて追う気にもなれないのは傍観者だからなのですが、
言いたい事を短く箇条書きにしてみてはどうでしょうか?
toriさん
お騒がせしてすみませんでした。なかなか皆さんには判別しにくい書き方でしたね。
もうひと段落したところで、また「参加者のみなさんへのお願い」に戻ろうとしているところです。
もう少しだけお話しさせてくださいね。
道産娘さんの「忘れました!(^_^;)」とか、そういう言葉は、実は結構、私を救っています(^^)
…そうか、もう忘れていいよね、って、(形だけでも)思うからです。
「わかる・わからない(または、有る・無い/居る・居ない 等)」でお話すると、AS同士の場合はどうしても互いにダメージを負いがちですねぇ。。
「無理せず焦らず」とか、「長い時間をかけて調整していくものだと思う」とか、私はそんな言葉の方が心が軽くなりますよ。
さーこ(AS)さん
「無理せず焦らず」
「長い時間をかけて調整していくもの」
私にとってこれは永遠のテーマであり、憧れですね。(ASの人に対してはよく言いますが)
せっかちで気分の変動が激しいので、どうしても状態の良いときに何でもやろうとして焦ってしまうし、直ぐに結果を求めてしまいがちですね。
できるだけ時間にゆとりを持って物事に取り組むようにはしてるんですが…
話は変わりますが、さーこさんの過去の話、私と似てるなって思う部分ありますね。(不登校や二次障害等)
特性こそ違うけど、思春期の頃は人間不振に陥っていて荒れてたし。
今放送されてる湊かなえ原作のドラマに共依存親子が出てますが、あの娘と同じことを思春期当時私も口にしてました。
あまりの生々しさに、テレビから目を背けてしまいました…(知らなかったらスルーして下さいね。)
当時は「ただ我慢している」感覚しかなく、吐き出したくても「自分がない」ので、人(親)のせいにして当たり散らすしかなかったです。
今振り返れば、あれはジャイアンの「衝動」だったのでしょう。
さーこさんの「分からないのだから仕方がない」という気持ち、私も母に対してありました。
(続きです)
それまで気丈だった母が突然泣き出した時「本当に分からないんだ…」と唖然としたと同時に、「他人を動かそうとしていた自分」が情けなくなりましたよ。
それからは、なるべく自分の内面にベクトルを向けるようにしましたが。
母の場合は「(私と同じで)自分がないし、悪意もない」から妥協する事ができたのであって、AS流の妥協とは少し違うかもしれませんね。
でも「分からないから諦める」という選択肢がいかに大事か、思い知らされる出来事でした。
「長い時間をかけて…」というのは大事ですよね。
(ASも多数派も)そこまで「今」に固執せず、もっと先を見据えて考えている…ということは覚えておかなければと思いました。
さーこさん、ありがとうございます(^人^)
あおいよる。さん
AS流の「演じる」は、「振り回されている」様にも見えますね。(受動型本人も何故そうなるか分からないそうです。中には「○○だから」と合理化する人もいますが)
もし「振り回されている」なら、「一人の時間が至福」というのも頷けます。
道産娘さん
「無理せず焦らず」
「長い時間をかけて調整していくもの」
これらの言葉は、実は、私の文通相手から受け取ったものなんです。だから、本来は私の言葉ではなく、他人の言葉ですね。でも、今では私が自分で無理しそうな時に、ふっと私の頭に出てくる言葉になりました。
実際に会った事はないんですが、たぶん道産娘さんが言うような一面があるから言うのではないのかな、と、ふと思いましたよ。
私はどうやって母から精神的に離れる事ができたのか…。私は運動失語様の状態になった後、衰えた声帯をできる限り戻すために自分で発声練習を繰り返しました。そして最低限声が出せるようになった後に、誰にも何も言わずに行動する癖がつきました。しかし、「一人の時間が至福というものでは無かった」と思いますね。私に対する理解が、周囲や家族からは何一つも得られなかったからです。
20代前半までの私は自分で稼いだバイト代を医療費や薬代にあてましたが、自分で生活する事ができないので、日常生活品などはADHD親に買ってもらう始末でした…。そして親は、私の自立を見守っているのだという認識でした。何から何までなさけなかったです。そして私は親に当たり散らしましたが、親は弟妹たちを話の盾にして「また弟や妹に殴られるよ」と私を脅しました。(母は私を脅したという認識ではなかったそうですが…)。そしてうつ的状態が進行し、睡眠過剰状態、衰弱状態などに陥り、栄養状態、筋力状態もかなり低下しました。まともな自信など育つはずもなかったのです。
他は、共依存恋愛を少しやらかしていますが、相手の男性からは「もういいから消えろ」という言葉を投げられたりしましたね。そしてその話を聞いた遠い友人が、怒れない私の代わりにキレたりして、彼女の怒りを鎮めるのに、私は自分の自立性を奮い立たせたりしてかなり大変でした。今では感謝していますけれどね。そう言えば私のお医者様も、私の代わりに少し怒った事があったな。就職の相談をしていたころに、「適当に雇って適当に辞めさせたな」…と。
つづき
おそらく、職業訓練校に行って勉強をし始めたころからかな、私が少しずつ変わったのは。様々な年齢、様々な人生の人がいました。でもやっぱり、皆どこか傷ついているんです。自分を学び、他人を学び、全体を学んでまた自分に戻ってくる…。共依存に陥らずに卒業できたのは、隔離され保護されながらも自立という思考を求められる場だったからだろうと少し思います。
親が半分納得のもと、親の経済的管理下にありながら、私はうまく親の知らない時間を現実にて過ごす事ができたようです。特に、親が関係する医療の世界における、親の知らない医療関係者と語らい、親の知らない医療に関わる話を発展させる…。親の特性を正確に掴む事が大事なのかな。正直に正面から真っ向に関わるだけがやり方ではありません。柔軟に…。なぜか、武道の心得?などを文通相手が教えてくれましたね。
道産娘さん、こちらこそありがとうございます(^-^)
>なぜか、武道の心得?などを文通相手が教えてくれましたね。
思い出しましたが、教えてくれたのは武道の心得ではなく、おそらく「古武術の心得」だろうと思います。
私は文献で 腱引き の話や 丹田呼吸法などを少しだけ知っているので、古武術というのはそれほど突飛な話とは思わなかったですよ。相手との間合いなど…考えることはたくさんありましたね。
さーこさん。
>自分を助けるという事は、裏返し、他人を助けるという事にも通じませんか?
私はそう思っていますよ。<
逆も真なり、でしょう。
どちらも理解できますよ。
ただ状況と相手にはよりますけどね。善意を利用しようとする人間がいかに多いことか。この世の中には。
Paul Carpenter さん
今の私の所属先は 公益社団法人です。
ボランティアをするしても、ボランティア論というものがきちんとあるのですよ。
ですので私は、「自分にできる範囲で、公益の活動をしています」よ。
さーこ(AS)さん
>親が関係する医療の世界における、親の知らない医療関係者と語らい、親の知らない医療に関わる話を発展させる…。親の特性を正確に掴む事が大事なのかな。正直に正面から真っ向に関わるだけがやり方ではありません。
特性を掴むためというより「お母様の仕事(医療)を理解することで、お母様に近づきたい」という気持ちからじゃないかなと思います。
「母親」としてではなく「看護師」としてのお母様の一面を知ることで、さーこさんのお母様に対する見方も変わるし、視野(世界観?)も広がるでしょうから。
「武術」っていうと、精神統一のイメージがありますよ♪
さーこさん。
小生が申し上げたのは一般論です。
ちなみに、ボランティアの中に混じっておかしな活動をする連中もいますよ。もちろん少数ですが。
道産娘さん
私の母は、看護師であり、現役の看護師長です。
つまり、管理職なんですよ。
母に近づきたいというか、それは無理ですよ(笑)これだけ特性が違うんですから。
「私の存在と人格、意思、決定、選択、人生を、母とは別の人間のものとして母に認めさせたい。」私の気持ちはこれに尽きます。
母は、自分以外の発想をする人間がいるという事をよく否認するのです。
仕事のやり方を同じように家にも持ち込み、都合の良い時に「家族だから、親だから、子供だから□□して当たり前」という、一見、情緒的な理屈を持ち込んで場を仕切るんです。だから、10代で父が亡くなった後、長女として私は自分の気持ちの間でずっと混乱してきたし辛かった。「長女としての役割はたしかにそうだが、では、私個人の気持ちはどうなるんですか?」と、私の気持ちが理解できない母に問いたかったですね。
今では、長年の精神科医のサポートや、地域の交流活動などを通して、荒れた心が少しずつ安定してきたので、母に訴えなくても良くなりましたが。
私の兄は結婚したわけだし、私とて精神科医や地域などのサポートを得ながら自分の人生を歩んでいる。世代交代の時代なんですよ、うちはね。母も少しずつ自分のやり方を変える時が来ています。なかなか母は、自分のやり方を変えるというのは認めがたいようですがね(苦笑)なにも、ぜんぶやり方を変えよとは言っていませんが、特に兄嫁は、京都の母を持つ多数派のようなのでね。私がやっている事は、実は兄嫁のサポートのような一面もあるにはあります、陰ながらね。陰としてできていない時も実はありますけどね(爆)
『憧れるけど難しいんだよなぁ…』 文通相手からは、そんなつぶやきが聞こえてきそうな気がしますね(^^)
Paul Carpenter さん
単独でできる事はどうしても限られると痛感したこの一年でした。自分と他人の問題の区別がつきにくいうちは、どうしてもトラブルになりやすいし、リスクも大きいです。それでは自分も共倒れになってしまいます。
私が目指したのは、自分が共倒れにならずに人を助けるやり方です。どこで自分の境界を守り、自分と他人を分けたらいいのか。そのために私は、ボランティア論やアロマセラピスト理論などを学んでいます。
昨年夏のボランティアで私が得たのは、地域とのつながりと、普段からのコミュニケーションによる信頼、チームワーク、チームプレー、というような事でした。他にもたくさんありますが、皆で伝達し合い、役割分担し合い、疲れた人には休憩をすすめたり交代し合ったりしながら、良い活動にしていこうと皆で努力していましたよ。
単身でいきなり知らない土地で活動しようとしても、他人はほとんど信用しないものです。普段からの地味で地道な活動が、信頼を得るのですよ。
弟の友人に、すごい人がいますよ。定期的に被災地に出向いて地域と絆を結び、その土地の人間と一緒の作業を通して汗を流しながら信頼を築いているようです。自分の技能の大工作業を活かしたり、たくさんの人間とのご縁を大事にしながら、長期的な活動を続けているようです。
「先駆村」というブログを見ると、こちらまで熱気が伝わってきそうですよ。地道に、飽きずに、懲りずに、、ですよね。
ちなみに母は、生理学の方が得意だそうですよ。母の長年の友人(こちらも医療関係者)は、逆に、解剖学の方が得意だそうです。医療の中でも「解剖生理学」を重視する教育というのは、人間の身体に触れるアロマセラピストという分野だからでしょう。
そして、母が看護学生時代に教えていただいた先生がいるのですが、その先生の息子さんが、稼業の耳鼻咽喉科を継ぎながらも、現在、アロマテラピーに着目した研究と実践を病院内で行っているという事実を知った母は、かなり驚いていましたよ(笑)
さーこ(AS)さん
ジャイアンADHDを認めさせるのは大変ですよ(笑)
頭では解っていても、中々口にすることができないんです。
お母様の「黙って見守る」という姿勢は、さーこさんの意志を「尊重」してるからじゃないかなって気もしますね。
道産娘さん
>頭では解っていても、中々口にすることができないんです。
母本人の中にそういう困難さがあるという事は覚えておこうと思います。
ただ、ASが望む情緒的な対応が無さすぎて、私の人生の半分は精神的に死にそうになった記憶しかないんです。「自分がない」状態であった時、自分の意志がどこにあり、それが何か、だなんて、全然わかりませんでしたから。「黙って見守る」、意志の「尊重」どころか、「存在ごと無視されたり、私の選択をいちいち否定される」ように思えたんです。
この家にこのまま居続けてはダメだ。そう思いましたが、「栄養、運動、睡眠」全てにおいて支障が出ていたので、健康作りから始めなければならず、急に環境を変えすぎても自分が対応できないだろうと自分で却下、かといって仕事をするにも辛すぎる…考えたギリギリの妥協点は「ある程度まで健康状態が回復したところで親をどうにか説得し、ある程度の経済的支援を得ながら職業訓練校に通う」でした。
「時間的継続性」や「自分の行動の責任」、「一貫性」、「合理的思考」などを求められる学校という場は、何か、「目が覚めた」ような気さえしましたね。
私は(特にAS的父が亡くなった後、)母からは指示や命令、指摘や否定後に、(母が言わなくても)行動の改善などを求められる、など、子供の頃から「仕事現場にいるかのように」関わられた覚えしかないんですが、今になってそれが「管理型共依存」であったという事がわかりました。
私が一番欲しかったのは、「私の意思や決意で行動した事で私が失敗したとしても、その事を否定せずに、あたたかな情緒を持ちながら私の意志を見守る姿勢」だったんですよ。
でも、ジャイアンADHDがこんな事したら、それこそ病的になってしまいますよね(苦笑)だから、私の親にこういう事は最初からムリだったのだとあきらめました。それよりも、これからの私の人生を考えることの方が大事です。
つづき
母は、職場である病院の「質」を上げるのに長年貢献し、院長と夫人からは絶大な信頼を得ています。
看護師、准看護師、栄養士などが働く現場はきちんと統率がとれているように思えます。能力上の関係で辞めそうな人には遅くまで時間を取りきちんと話を聞くという徹底ぶりです。
しかしその分、家と職場での対応が完全に逆転しているという問題を長年抱えてきました。
「長年の間、一家離散にならずに衣食住を確保し続けてくれた事には感謝しています。」
昨夜の話ですが、母は少し目を離した隙に兄夫婦とバトルしていましたね(苦笑)私が割って入って何とか終わらせて夕飯にした後、就寝前に低周波治療器具のマッサージと、ホホバオイルとラベンダーのトリートメント(注意:上限1%、自己責任です)をしましたが、翌朝の調子は良かったようで、昨日の事は忘れた様子で出勤したようです(笑)
さーこさん。
>「私の存在と人格、意思、決定、選択、人生を、母とは別の人間のものとして母に認めさせたい。」私の気持ちはこれに尽きます。
母は、自分以外の発想をする人間がいるという事をよく否認するのです。<
親子関係だけでなくありますよ。
認めさせるためにいきなり家を出て行く人間もいますよ。
あまり詳しくは申せませんが。
お気持ちはよくわかります。ジャイアンの小生にとっても。
さーこさんの環境、叔母にそっくりだ。
叔母が婦長で、旦那が若くして病死してる。
従姉弟がいるけど、両方とも多数派だと思う。
少なくとも、外から見ている分には子供が困っているようには思えない。
たまにしか会わないのに、嫁さん探そうかとか言ってくるくらいなので、自分の親だったらどうか? と思うことはある。
でも、その環境を見ているだけに、さーこさんの苦労の原因が親にあるとは思えないんだ。
実際、さーこさんも親を完全に否定しているわけでもなさそうだし。
親がジャイアンでなかったとしても、苦労したのでは? と思うんです。
発達障害の問題の一つに性意識があると考えています。
この面では苦労の少ないジャイアン男性の先生には想像できない話だと思うので、今いろいろ考えているところです。
同じ型でも、男女によって全く苦労する内容が違うはずなんです。
受動型AS男性は、男らしさとして中心志向を要求されることに苦しみます。
この苦しみがどのような形で発生するか? を考えると、積極奇異型AS女性は自分より苦労するはず、となります。
仮に、さーこさんが男性であれば、お母さんも同じ人間ということは押し付けないと思うのです。
さーこさんの言われるように、私はさーこさんが自分以上に苦しんでいるのはわかるが、自分と比較しようが無いが故に、どのような苦しみをしているかまではわからない、と思います。
ただ、さーこさんの希望を満たすには、自分の考えを押し付けず、常識ではなく現実を見て考える受動型ASの親で無いと無理なように思えます。
さーこ(AS)さん
>私が一番欲しかったのは、「私の意思や決意で行動した事で私が失敗したとしても、その事を否定せずに、あたたかな情緒を持ちながら私の意志を見守る姿勢」だったんですよ。
「非言語的なフォロー」については、私のように全く解らないジャイアンも居れば、部分的に使えたり・理解できるジャイアンも居るので一概に言えませんが…お話からだと、さーこさんのお母様は支配的なところがあり、多少の非言語ダメージではACになることはないかな(^_^;)
ちなみに私の母は「ごり押しのような形で使うけど、相手の非言語表現には気付かない」タイプです。
よく「非言語表現」と「言葉」との矛盾に混乱させられました。(言葉にしないから、後でいくらでも言い逃れできるんですよね。だから成長過程で非言語表現を無視する事を覚えました。今でも無視できずにイライラする事もありますが。)
私と母は言い争ってもケロッとしてますが、それを見た積極奇異弟はかなりのストレスだったでしょうね。(よく私と母が喧嘩すると車に避難するので)
さーこさんの話を聞いて、そこは反省しなきゃな…と思いました。
(続きです)
>これからの私の人生を考えることの方が大事です。
それが良いと思う。
「お母さんに自分を認めさせる為に」さーこさんの大事な人生を無駄にするなんてもったいないですよ。(もちろんさーこさんの意志が第一ですが)
何となくですが、今でもお母様に振り回されてるのかな?って気もしますし…
さーこさん兄弟多いですね。
身近なASに多いですが、変化の苦手なASでも「身内」や「信頼できる人」が間に入れば、(変化に対する)不安やストレスが軽減されるようですね。
(身内や知り合いも)よく仲の良い人の紹介で就職先を決めたりします。
ネットワークっていうのかな?
きっとさーこさんの「ご縁を大事にする」ということなのでしょうが、ASの人は「身内」や「信頼できる人」との交流から、行動範囲を徐々に広げていくのが最適なやり方なのかなって印象があります。
まずはお母様以外の身内を味方につけましょう!( ^∀^)
Paul Carpenter さん
ありがとうございます。
いきなり家を出て行くと、残された人間にとって、ダメージは深刻ですね。出て行った方にもダメージはありますが、責任の後始末という意味で、残った方が責任を負う、という負担があるのは間違いありません。
かつては私もいきなり家を出て行った事がありますが、その後、帰ってきた後に、約10年ほどかけて責任の後始末をしました。
今、ようやく、自由と責任、という意味をかみしめることができそうです。
m2さんのコメントから、いろいろ考えているところですよ。
もしも親が受動型ASだったら、今度はおそらく「親の人生の責任まで背負い、親の人生のために生きる(自立できない)」という問題が発生するだろうと思っていますよ。
実は私は見ています。シングルマザーですが、自分の子供を自分のお人形さんのように扱い、髪を結い、自分好みの服しか揃えていないというところを。
子供は小学3~4年生にして、若干ひねくれているようでしたが、私との少しの関わりだったにも関わらず、その後その子は小学4~5年生になるにつれ、「親にうんざり」するところまで自分を取り戻している様子です。
そのママは、自分と子供は、自分とは違う好みを持つ違う人間だという事実に直面し苦しみながらも、いつか自分を超えてほしいと切実に願っているようです。仕方がないけれど、このママは依存的な人なのだと、ひっそり痛感しましたよ。
私が、受動型ASの親ではなくて良かったと言っている理由は、上記の事(自立できないメカニズム)を知っているからです。
でも、そうですね…おそらくどんな親でも苦労したと思いますよ。
私の親は学生時代に風紀委員をしていたようです。看護の道に進む前は、警察官になりたかったそうです。今現在は他人の結婚話に首を突っ込み、良い人を率先して紹介してあげる(仕切る)面もありますね(苦笑)たまにしか会わないからこそ、社会的な立場や経済的な事、そして勝手に、年齢や、表面的な性格の事を考えられてしまってターゲットにされそうかも(苦笑)
しかし、家族(私や私の兄弟)の恋愛や結婚に対しては「ノータッチ」です。自分で首を突っ込むのを意図的に無視しているようにも見えますね。
私には兄弟に、兄、弟、妹がいますが、おそらく兄弟全員がASか、妹だけADHDかもしれません。兄と弟は、母に同じ人間ということは押し付けませんが、それとは別に、とても大きな苦労をしてきているようですね。
道産娘さん
今でも母に振り回されている一面は、私にはあるにはありますね(苦笑)
今の私は、非言語表現や弱みをほぼ見せないので(なぜなら、他人から依存されたり、共依存になったり、または別の対人トラブルになるからですが…二次障害が治りきっていませんね)、「味方になってくれる身内」や「ベッタリ信頼できる人」はいません。ただ、私と関われる事を嬉しく思ってくれたり、面白がってくれるあたたかな友人たちはいるので、悪い気はしませんね。
私は車を持っていないので、家に居る時の私のストレス対処法は、部屋に閉じこもって寝る、芳香浴をする、ヘッドフォンで好きな音楽を聞く、などですね。避難先があるだけでずいぶん安心すると思うので、ある程度は好きにさせてやってください^^
>まずはお母様以外の身内を味方につけましょう!( ^∀^)
ゆっくり自立しながら、時間をかければ可能だと思うので、ぼちぼちがんばりますかね^^
そういえば、さーこさんのお母さん、私のジャイアン祖母に似てるなぁ(ちなみに精神病棟の看護師でした)
今は受動AS祖父によるAS被影響症候群で、見た目はACっぽいです。
定年退職してからずっと家に居るんだけど、きっと「脳の多動」からかな?毎日のように家具を動かして部屋の掃除や模様替えしてますよ。
不運なことに祖母以外は皆変化を嫌うASなので、しょっちゅう家具や食器の位置が変わって、イライラをぶつけられているのですが…
あと、家族に対して口うるさいし、心配性で些細なことで騒ぎ立てるので、私の弟達を含む周囲のASは祖母を避けています。(どうも苦手らしい)
たまに外に連れ出して愚痴を聞いてあげるだけで機嫌が良くなるので、きっと始終家の中に居るのが窮屈で、体力さえあれば外に出て働きたいんだろうなと思います。
ただ、見栄っ張りで世間体を気にするせいか、出るのを渋りますが(^_^;)
中々「ASの依存性」と「ADHDの自立自尊」をバランス良く…とは行かず、難しいなと痛感してますね。
さーこさん、無理しない程度に頑張って下さいね♪
道産娘様、さーこ(AS)様。
いただいたお返事(道産娘様が受け取られたこと、解釈されたこと)と、今までのやりとりを拝読して
いくつか自分の脳内言語(記憶)が文字として整理できましたのでここに出してみます。
(文字数をかせぐために箇条書き風にします)
相手との関係性について。キーワードは「支配する」こと、「振り回される」こと。
ありがたくも、最近「周囲が自分の言動をどう感じているか、どういう姿に見えるのか」について知れた。
・ある情報について、意味だけでなくその背景だとか文献だとかまで次々掘り下げて熱心に検索したり収集するのが好きな自分→その姿は「不安に駆られている」「あわてている」。
・相手の発言やその時話しているテーマから自分の記憶の中のとある出来事を想起して、相手に「そういえば~でしたよね」「~っておっしゃってたあの件、このことが使えませんか?」等伝えた時→「急に話し出した」「まるでさっきあったことかのように話すからびっくりした」。
…いずれも自分にとっては想定外、「えええええ~?!」。
人だけでなく、情報や単語が引き金になって(スイッチが入って)ダーーッと動くことは、周囲から見ると「それに振り回されている」。
相手との相性のようなものとして、会話の、テンポと言うか応じてくれるその返答の質というか内容というか
そのあたりがピッタリくる、安堵できる人はいる。
しかしその人をコントロールしようだとか支配しようだとか感じたこと(思いついたこと、意識に挙がったこと)はない、
けれど
その相手をよく知ろうとして今以上にシンクロ(融和、同調、接近)しようとして
無意識にまたは意識的に相手の情報すべてを取りこもうとすることはある。
(すみません、続きます)
(続きです)
そういう相手(自分にとって会話がうまくいくだとか安堵する相手)とのやりとりに自分が慣れてくる、
または
立ち位置的に自分が上に立っていると感じる状況や関係性だと
確かに「支配」というか、「振り回される」というか
自分の思い通りの反応や返答がないと確実に相手に対して怒りを覚えたり、むかっときたり、聞こえないようなつぶやきで「むかつくんだよ」「なにそれ」のような
攻撃的な語句を言ったり、状況によっては物にあたったりする。
しかしそういう相手、全員にそうかというとそうでもない。
(ここはまだ分析中。)
自分をありがたくも尊敬(もちろん、私が勘違いしている可能性含む、よーするに社交辞令的な尊敬を含む、)してくれるだとか
嬉しいメッセージを言ってくれるとかほめてくれるとか
それらによって「自分の軸はそれでいいんだと実感できる、自分はどういう姿形を取ればいいのか再認識できる」場合は
「支配」ではなく「相手に振り回されている」のほうがしっくりくる。
(愛情希求、承認欲求も絡んでいるだろう、受動型ASだからとは言い切れないと考える。)
これに関連して
さーこ(AS)様のコメントについて共感または連鎖的に脳内に浮かんだことがあります。
(続きます、すみません)
(続きです)
さーこ(AS)様の
>しかし、「一人の時間が至福というものでは無かった」と思いますね。私に対する理解が、周囲や家族からは何一つも得られなかったからです。
これについて、
わたくしが最初に解釈した内容は→「一人は至福じゃない、のか…どうして?理解がなくったって一人になれるから、周囲に人がいても脳内で一人になれたりもするから、好きにできて安心できるんだけれどな、何が違うんだろう?」。
何度も読み返して次の解釈に変化→「好きに過ごせる環境すら整わなかったということではないか?場が提供されなかった、ものすごく共感できる、私もそれは無理だ、きつい、一人のようで一人じゃない」。
…すみません、勝手な解釈を垂れています、違うまたはその他何かあれば教えてくださるとうれしいです。
もうひとつ、
>「黙って見守る」、意志の「尊重」どころか、「存在ごと無視されたり、私の選択をいちいち否定される」ように思えた
ものすごく共感します。
「尊重しているよ」という明らかな言語でのメッセージ(タイミングも重要だし繰り返されることも重要だが。)がないと
本気でわかりません。
ただの無視にすぎません。
「無視されるのがつらいと感じる相手」にされる無視、は、つらいです。
このあたり
自他の境界線、自己肯定感、自己アイデンティティなどなども絡んでいるだろうと考えます。
(もうひとつだけ続きます、すみません)
これで最後です、すみません。
もうひとつの「受動型ASの受験生~」記事コメント、「ロボットモード」というキーワードにも関連しているのですが
物事の捉え方に関する自分の特徴を列挙してみます。
・やることを脳内で「コマ割りの映像化」または「タリストアップした作業のカタマリ」をイメージして組みたてれば
最後まで機械的に体を動かせる。
つまるに、いわゆる自閉症スペクトラムの療育プログラムにもあげられている手法、「構造化」。
ただし、状況や調子によっては
「最後(わたくしの中では最近「オシマイBOX」と名付けている、)までしないといけない!」のように
融通がきかず、強迫観念的になることもある。
そういう時は苦しい。
・ルーチンワークは、基本覚えればマニュアルいらず。
ただし、ものによっては「何故これをこうするのか?」「そもそもこれは何を根拠として出来上がってきたのか?」
のような、後ろに在る背景やからくりや関連事項を把握し尽くさないと
目の前の与えられた作業に手がつけられない(したくないというか、納得しないうちには動けないというか、脳がそれを飛ばせないというか。)こともある。
そういう時、状況や相手によっては
「頑固」「言ったとおりにしない」「言葉が伝わらない」と言われる。(…嗚呼、古傷が。(涙))
・自分だけでする作業であれば
やっていく中で「ああ、Aの作業って、こうこうこうしたらこうなるわけだから、そうしたらBの作業をする時に、ついでにあれとあれをしちゃえば楽じゃん」等、
本来苦手な「同時処理」もできたりする。
でも3つまでが限界。
4つ目はすこーんと抜けるか、それが入っても今度は今までのひとつが飛ぶ。
ほんとに哀しいくらい見事に飛ぶ。
でも「保留BOX」に格納されていればほぼ確実に後でパッと思いだす、でもすっごくランダム。
すみません、以上です。
道産娘さん
私のジャイアン母は、療養型の病院勤務なのですが、道産娘さんの祖母のお話にどうしても頷いてしまいますね。
「部屋の掃除や模様替えで、変化を嫌うASからイライラされる(掃除や模様替えの事で、時々同居の兄夫婦とバトルしてますね…)。」 「家族に対して口うるさく心配性で些細なことで騒ぎ立てる(なんでそんな事で騒ぐのか? 主に兄がイラっとしています(汗))」 「たまに外に連れ出して愚痴を聞いてあげるだけで機嫌が良くなる(母は、温泉好き、マッサージ好き、医療専門話や栄養学、健康学好き)。」 「きっと始終家の中に居るのが窮屈で、体力さえあれば外に出て働きたいんだろうなと(母は、生涯現役志向、家庭菜園志向)。」
「ただ、見栄っ張りで世間体を気にするせいか、出るのを渋りますが(^_^;)」 ←(外出する際、自分の服の組み合わせについて私によく聞いてくる母です(たぶん鏡の代わりだろうな~苦笑))
>さーこさん、無理しない程度に頑張って下さいね♪
ありがとうございます(^^)♪ 道産娘さんも、無理をしすぎないようにね^^
あおいよる。様
かつて辿ってきた、そして今も辿っている私の足取りを書いていただけたかのようで、大変おどろいています。
>・ある情報について、意味だけでなくその背景だとか文献だとかまで次々掘り下げて熱心に検索したり収集するのが好きな自分→その姿は「不安に駆られている」「あわてている」。
私の姿は、共通するアロマの仲間からは「勉強熱心」「しかしどうしてそこまで熱心なのか、動機の理解が難しい」というような姿におそらく見えると思います。何でもかんでも披露するとオタク的な姿として見えそうですが、話の流れの中でしか私は言わないので、おそらく「不思議な人」で留まっていると思いますよ。
>→「一人は至福じゃない、のか…どうして?理解がなくったって一人になれるから、周囲に人がいても脳内で一人になれたりもするから、好きにできて安心できるんだけれどな、何が違うんだろう?」。
>何度も読み返して次の解釈に変化→「好きに過ごせる環境すら整わなかったということではないか?場が提供されなかった、ものすごく共感できる、私もそれは無理だ、きつい、一人のようで一人じゃない」。
ちょっと涙出そうになりましたね。家でも学校でも、家族や兄弟、クラスメイト、担任や副担任にいたるまで、あらゆる状況や環境で理解の場がなかった高校生からのあの頃を思い出します。
自分の部屋はあったけれど、家でも場が存在せず(提供されず)、環境整備を自分でやろうとしても自分の力では無理(経済的、家族的、健康的などの事情です)という状況が、私の人生の半分です。
常に「背水の陣」のような緊張感やストレスなどが10数年以上に渡って続きました。今も環境は整っていないのですが、アロマテラピーを勉強してからは、環境が整っていなくても少しラクになれる状況が増えました。
もしかしたら、「好きに過ごせる環境が整っていない事=(対人的、環境的などの)ストレスを受ける」という事でしょうかね。
お邪魔します。こちらは俺がしゃしゃり出ないほうが良さそうかな、と思っていたのですが、もう我慢できーん。
>ものによっては「何故これをこうするのか?」「そもそもこれは何を根拠として出来上がってきたのか?」
>のような、後ろに在る背景やからくりや関連事項を把握し尽くさないと
>目の前の与えられた作業に手がつけられない(したくないというか、納得しないうちには動けないというか、脳がそれを飛ばせないというか。)こともある。
あおいよる。さんのこれ、もう当てはまり過ぎて苦笑してしまいました。分からないなりに動かなければいけないときなど、面白くないったらありゃしない。俺の場合、勉強の動機づけにもなっています。
それと、道産娘さんとさーこさんの心温まるやり取りを読んで、ゆらぎの違いになぜか目がいってしまいました(上から目線みたいで失礼)。
俺の身近にもADHDがいるのですが、ADHDの人って、確固たる自分を持ってるように見えるんですよ。人生相談並みの悩みや迷いを聞いていても、自分に対する自信は心の奥にちゃんと根を下ろしている。そう感じるんです。
俺なんか、悩みや迷いを口にすると、自信がゆらいで、そのゆらぎがそのまま表現に出てしまいます。もっと自信を持っていいんだよ、と何度言われたことか。
うまく言えませんが、昔のトラブルなど過去を表現する際に、道産娘さんはゆるぎなく表現する一方で、さーこさんはどこかゆらぎながら表現しているように感じました。現在を表現する際のさーこさんのゆらぎの無さと対照的だ、とも思いました。お気を悪くしたらごめんなさい。
あおいよる。さん
「一人の時間が至福」
これについては受動と積極奇異の違いも関係してるのかなって気もします。
積極奇異は、外で自分のこだわりを主張してマイペースな部分を保っている限り、家の中で家族に合わせることができるでしょうが、受動は、外で他者の価値観や考えに合わせて振り回されて生きている分、家の中では自分のペースを保ちたい…ということなのかなと思います。(わりと一人の時間が好きと言う受動型の人はいますよ)
ただ、さーこさんの仰る通り、(受動でも)外で自分のこだわりを保てない状況に陥ったり、内で愛着との関係が悪化すると「居場所が無くなり苦痛」と感じるのかもしれませんね。(ちなみに、予定調和が保てない時は身体症状が出やすいようです)
>その相手をよく知ろうとして今以上にシンクロ(融和、同調、接近)しようとして
無意識にまたは意識的に相手の情報すべてを取りこもうとすることはある。
ここまでは積極奇異にも当てはまると思いますが…
その後の行動パターンが受動なんですよね。
あおいよるさんの場合は、「相手が知りたがっている情報を教える」ことで「自分が必要とされている」と感じたいのかな?
(続きです)
情報を教えてあげること自体は「支配」ではなく「奉仕・サービス精神」とも言えると思うのですが、おそらくその相手に対して、最初に情報を提供した時と「同じ反応」が返って来ないことに苛立ちを感じて、余計にしつこくしてしまうということじゃないかと想像してますが、どうかな?
他にも思うことがあるのですが…考えがまとまり次第コメントしますね。
zzzさん
ASとADHDの特性の違いもあるかもしれませんね。
さーこさんは過去の記憶を細かいところ(その時の気持ちや情景等)まで鮮明に憶えているのだと思います。
私はかなり断片的です。
正直、その時の自分の気持ちをほとんど覚えておらず、前後の状況から判断することが多いですね。
それ故、自分の都合の良いように判断したり、自己正当化して思い込ませているのでは?と不安になることもありますよ。(実際にあるでしょうね…)
この前「自分はKYの依存型だ」と言ったのに、今は「いや!二次障害になってるからやっぱ違うよね〜」と考えもコロコロ変わるし(苦笑)
「揺るぎない」ように思えるのは、強がってるからか、(AC的に)首尾一貫性を求める部分があるからかな(^_^;)
さーこさん。
>今、ようやく、自由と責任、という意味をかみしめることができそうです<
現在自由の有り難味をかみしめながら責任を果たそうと努力している最中であります。
いや、首尾一貫性は関係無いかな。
私の場合は「信念・観念」といったものが強いのだと思います。
実は今でも「自分はASなんじゃないか?」って思うことがあります。
でもASの方って、ここまで楽観的ではありませんよね(^_^;)
(あくまで私の印象ですが)一見場当たり的で計画性が無いように見える受動型ASでも、将来に対する不安は人一倍強いような気がします。
その不安を他者に依存する事で解消してるのでは?と思いました。
「(今現在)必要とされている」状況にあれば、先のことに対する不安も和らぐでしょうから。
ただ、元々変化が苦手で首尾一貫性を求めるASの特性上、受動型ASの「無計画で場当たり的」な生き方はリスクが大きいのでは?と考えてしまいます。
不快に思われたらすみません。
受動型ASの生き方を否定してるわけではありませんので、誤解なさらないで下さいね。
>受動型ASの「無計画で場当たり的」な生き方はリスクが大きいのでは?
私は極端な話、死ぬまでの人生計画を立てていますよ。
かなりおおさっぱではありますけど。
ADHDから見た場合、その瞬間瞬間は無計画に見えるだろうと思います。
数ヶ月先、数年先を見込んで、そのために目先の得は捨てる、ということを考えています。
そうやって、変化への対応と一貫性を求めています。
その分、目先には不安はあります。その部分をADHDに依存したい、ということはあるのでしょう。
もっとも、私から見ても長期計画も破綻している受動型ASがいるのも間違いないです。
長期計画を立てようとしているのだけど、難易度が高すぎて破綻しているだけですよ。
いくらリスクが大きかろうと、そうやっていくしかないのです。
長期計画が破綻したら、次の計画を作る。それだけです。
その瞬間は何も考えてないかもしれませんけど、長い時間軸で見たら、どの受動型ASも考えてはいます。
>「信念・観念」といったものが強い
なんとなくわかります。
その信念を応援しようと思うか、拒絶するか? が付き合えるかどうかの判断基準になると思います。
その信念が正しければ、応援しようという人が増えて幸せな人生を送れるのでは? と思います。
>その信念が正しければ、応援しようという人が増えて幸せな人生を送れるのでは? と思います。
ありがとうございます。
何だかASらしいなぁと思いました♪
さて…
この記事も最大データを超えてしまいましたので、私の折り畳み携帯では直にコメント欄とメール送信欄を表示できなくなりますね。古い機種携帯をご利用の方、見辛くしてしまい申し訳ありませんでした。
(この記事にコメントするのは)この辺で止めておこうと思います。
受動型ASを理解する意思の無い人は読まないで欲しい。
ここ数日の悠々と、Paul Carpenter、2名のコメントには激怒している。恐らく、他の受動型ASも激怒するか深く傷つくか? のどちらかであろう。
正直、血圧が上がりすぎて、仕事が手につかなくなる時間帯もあったくらいだ。
怒る原因はいくつか考えられる。
・人に対して普通じゃない、なんて言っておきながら、延々と普通でない理由の説明(しかも幼稚な)をしていること。
しかし、このようなことはそれなりに慣れているから、ここまで激怒する原因ではない。
・「普通」に関して論理矛盾を指摘しているのに、全く反省が見られないこと
冷静になって考えれば、ADHDなのだから、論理矛盾をするのは仕方ない。
となると、激怒した原因は、以前から納得のいっていなかった、ADHDは自己突っ込みが入るが、(受動型)ASは自己突っ込みが入らない、という話だ。
以前から、ADHDの自己突っ込みとは違う形ではあるが、似たようなものはある、との認識だったが、何か? はわからなかった。
今回の激怒でわかったのは、ASなら論理矛盾を起こしたら、人格が崩壊するような意識を感じるが、ADHDにはそれが無い、ということだ。
恐らく、これがADHDの言う「自己突っ込み」であろう。
なるほど、ADHDがADHDらしく行動したら、ASの人格崩壊を起こすことがあるのか・・・ ということは、ADHDの言う「攻撃」とは受動型ASが受動型ASらしく振舞うことそのものを言っているのか。これは余りにも次元の低い話なので、想像できなかった。
確かに、ジャイアンと受動型ASは価値観が正反対なので、受動型ASが受動型ASらしく振舞うと、ジャイアンには都合が悪いことになる。
それなら、「毎日」攻撃を受けているという感覚とも一致するし、「反撃」とも違う。
そして、受動型ASに衝動抑制しろ、という意味は理解できる。
しかし、これをつなげると、受動型ASは、ジャイアンの気分を害さないように、受動型ASらしい衝動を全て抑制して行動せよ、と言っていることになる。
まあ、そうすればジャイアンは満足するのだろうが、これでは「いじめ」だ。
逆もしかり、ジャイアンが自分の都合の良いように振舞うことは受動型ASの利害に反する。どっちもどっちとしか言いようが無い。
確かに、ここで勉強したジャイアンの認知では、この程度のことは言いかねない。
ジャイアンに対して「受動型ASを悪いと言うな」と言うのは、確かにジャイアンの自由を制限しているように受け取られるのかもしれない。
しかし、ADHDは悪口を言われて傷ついても一晩寝れば忘れてしまう。ASは下手をすると一生心の傷として残るのだ。
さーこさん、少しわかったよ。
ここまでひどくなくても、ジャイアンの論理矛盾しても平気な姿を毎日見ていたら、ASの人格が破壊される。
毎日、悪口を言われ続けたら、やはりASの人格が破壊される。
そう思った。
ジャイアンでも、ACで深く悩んだ人は、こんなことは無いのですけどね。
>さーこさん、少しわかったよ。
いやいやm2さん、「わかる、わからない(共感)が目的では無い(私の場合)」んですよ。m2さんは一体誰とお話しているのやら。困ったね。。。f( ̄- ̄;;)
私はアロマセラピーの観点からの「(感情の)クロージング」という技法について、独学である程度まで自分で把握し、ある程度まで自分に応用できるので、m2さんには申し訳ないんですが、私への情緒的な共感目的で関わって来ても、あまり意味がないんですよね…。
どんなに努力しても主観と客観を分けられないのがASの特性だと私は思っています。m2さんの人生がうまくいくように、遠くからひっそりお祈りしておりますよ。
>(この記事にコメントするのは)この辺で止めておこうと思います。
すみません、撤回します。
m2さん
まず、私はADHDです。
←あちらの方々の肩を持つ訳ではありませんが、AS以外の人間がASの内面を理解することは本当に難しいです。
私自身、受動型ASの身内や知り合いがおり、「考え方の違いや、依存させ過ぎず適度な距離感を保つのが困難」な事が理由で、揉めたり非行に走らせてしまった事があります。
ここでm2さんやあおいよる。さんとやり取りしてるのは、受動型ASさんが「何を考えてるのか・どのような接し方が適切か」色々な方の意見を伺いたかったからです。
私なりに、周囲の受動型を見た印象から、あれこれ想像しながら「こういうことじゃないですか?」と質問をぶつけてますが、中々当事者同士のように「理解し合う」事は難しいと感じています。
当然やんばる先生も「ASを含む発達障害を理解したい」という気持ちがあるからこそ、医者として発達障害当事者と直接向き合い、その経験から得たものをこのブログに綴っているのだと(勝手に)思っています。
発達障害当事者やその家族にとってはありがたいことです。
(続きです)
特性の違いだから難しいかもしれませんが、「相手に100%自分の主張を受け入れて貰う」のではなく「相手が理解したいと歩み寄ろうとする姿勢がある」ところで「妥協する」のはいかがですか?(←あちらの方々にその気持ちがあるのかは存じませんが…)
私もこのブログを始めた頃はACが強くて、受動型AS身内の愚痴をコメントで吐き出したことがあったので、あまり偉そうなことは言えませんけど(汗)
余計なお節介だったらごめんなさい。
ただ、私にはm2さんが←あちらの方々に「振り回されている」ように思えたので、冷静になって欲しくて言わせていただきました。
道産娘さん、ありがとう。
先生の文章を読んでいると、ADHDがASを理解するのは難しい、ということは良くわかります。
なので、普段表に出ないような、ASがどのように考えているか? を先生のADHDの表現に近づけるように努力しているつもりです。
今回の文章だって、先生のADHDの文章がなければ、ここまでの冷静にもなれませんよ。それがあったから、激怒状態からは冷静になれたわけです。
まあ、まだ道産娘さんから見て冷静でなく見えるだろうとは思えますが、これでもかなりクールダウンはしています。
ただ、ASの「怒り」の感情もありのままに書くこともADHDがASを理解するのに必要だと考え、敢えて書いてます。
「どっちもどっち」「どちらかが悪いわけではない」 わかりにくいかもしれませんが、こちらの目的は妥協です。
ただ、妥協というのは、相手も譲ることが前提ですからね。
女性ジャイアンにはほとんど見られないのですが、男性ジャイアンには妥協を一切許さない、という人も多いんです。
そうなると、結局は「殺すか、殺されるか」しかなくなってしまうんです。悲しいことですけど。
確かに自分はACになってない。
きっと、その代わりに何人かのジャイアンをACにしているのかもしれません。
しかし、(ASから見て、ですけど)妥協できないジャイアンが実在する以上、こちらが妥協するだけだと、こぢらがACになってしまうんです。
ほとんどの場合は、受動型AS側がACになってしまうとは思うのですけど。
> ここまでひどくなくても、ジャイアンの論理矛盾しても平気な姿を毎日見ていたら、ASの人格が破壊される。
毎日、悪口を言われ続けたら、やはりASの人格が破壊される。<
やっぱりね。
相手が自分以上に傷ついているかもしれないという想像は全くする気もないのですね。
結局ご自分とだけ会話を続けるのですね。
m2さん
何だ、自分は受動型ASについて知ってもらうために、分かってて怒らせることを言っている確信犯かと思ったら違かったんだ。気付くの遅いよ。自分は皆が怒っていることはとっくに知ってて、途中からはm2さんと同じようにドキドキしながらも、あえてKYの演技をしながら自分の言いたいこと言ってました。自分は、はじめからこのエントリーのみの参加で、二度と参加する気がないからです。正直、疲れました。
m2さん、論理で人を打ち負かすやり方は必ず敵を作ることになる。ACを経験したことがないm2さんがACになったら、確実にうつ病になってしまうと思うので、注意が必要だ。もう少し空気を読めるようにならないと、これから先の人生で苦労することになるぞ。特に結婚してから。空気を読むためには一人でも多くの人と深い付き合いが必要。
自分は不良仲間のほとんどがADHDで、どんな時に喧嘩になるかよく知っているので、どうしたら怒らせないかがよく分かる。空気を読む能力を身につけるために、自分は様々なサークル活動や青年活動、消防団、サッカーチーム、よさこいチームなど、ありとあらゆる団体に所属して磨き、仕事では毎日、たくさんの知らない人と話しています。受動型というのは、それくらいやらないと空気が読み切れない障害です。
>ADHDの言う「攻撃」とは、受動型ASが受動型ASらしく振舞うことそのものを言う
その通り。だから常に演技が必要なんじゃないですか。
まずは、言いたいことをグッとこらえ、言わなくてもその後、大きな問題につながらないようなことは言わない努力が必要かもしれません。基本的にはジャイアンに逆らうのではなく、コントロールすることを中心にした方がいい。
>受動型ASらしい衝動を全て抑制して行動せよ、と言っていることになる。「いじめ」だ。
それが受動型がいじめられる原因だと思うよ。受動型の態度を見ているだけでイライラするんじゃないかな?
つづき
zzzさんやあおいよるさんの書き方が、受動型が主張する時のお手本みたいなもので、相手に気を遣って怒らせないようにしながら言う。m2さんも、こういうやり方をすれば無駄な衝突が避けられると思う。主義に反するだろうけど。多数派や受動型、ACは許してくれても、ADHDはm2さんのやり方を許してはくれない。
多分、ADHDには理論的に話せば分かってもらえるはず、という成功体験を基にやっていると思うけど、自分やm2さんの理論は、そもそも自分達にしか分からない理論なので、誰にも理解してもらえないと思う。感情というのはそういうものではないんです。ADHDが嫌いな相手には徹底的に攻撃してくるのはm2さんも分かっているはず。ADHDに嫌われないことが受動型の人生の課題とも言えるかもしれない。
自分も書き込みはこれで最後にするけど、m2さんとここで会えて本当にうれしかった。自分と同じタイプの受動型と見られる人は過去に二人しか会ったことがないので、直接、意見交換ができて楽しかったよ。ありがとう。
たぶん、自分とm2さんはACではないので、自分達の意見は先生の治療に役立たないだけでなく、ここでこれ以上書き込んでも皆を怒らすだけだと思う。m2さんも、ここで書き込むよりは、ほかの趣味の活動に移行していった方がいいんじゃないかな。人生をもっと楽しみましょう!
自分も受動型と孤立型の分析が並行して終わり、ADHDと見られる子どもに合理的ADHDをインストールする作業に移行しているので、後は過去ログで対応できそうです。みなさん、貴重なコメントをありがとうございました。特に、妻が孤立型であるヒントをくれた道産子さん、本当に感謝しています。助かりましたm(__)m。
不快にさせてしまった皆さん、もう、二度とお目にかかることもないので安心してください。先生ありがとうございました!
Paul Carpenter さん
私の場合、(いかにADHD親と話の段階を踏んだとはいえ)家から出て行った人の動向は、(情緒も含めて)基本的に無視しています。
なぜなら、私自身が家を出て行った時も、基本的に実家からは無視されたからです。
お辛いとは思いますが、ひとまず、実生活での自分の心身状態を大事にしましょう。
ひっそりお祈りしておりますよ。
m2さん
>今回の激怒でわかったのは、ASなら論理矛盾を起こしたら、人格が崩壊するような意識を感じるが、ADHDにはそれが無い、ということだ。恐らく、これがADHDの言う「自己突っ込み」であろう。
ASは論理矛盾がないようにしたいのですよね。人格が崩壊するような意識を感じるのはASならではですね。
そもそも世の中は論理矛盾だらけなのです。ADHDはさまざまな事象を同列にして考えるから、矛盾を含む思考をしています。考えるのが好きなのですね。
そして、「自己突っ込み」についてはm2さんが理解していることとは違います。ADHDの「自己突っ込み」は、衝動的に何かをしたり、言ったりしたことで失敗することが多く、その度にやらなきゃよかった、言わなきゃよかったと、自分に突っ込みを入れることです。「わかっているのにできない脳の仕様」だからです。
しばらく前に、受動型ASは失敗を積み重ねていくのだ、二度と同じ失敗をしないために分析するのだ、と言っていましたね。ADHDもまた失敗が多いのです。ただ、ADHDは失敗を分析して回避するのではなく、失敗を繰り返しながら自分に突っ込みを入れながら、少しずつ要領をつかんでいくのです。直線的な進み方をするASと、らせん状に進んでいくADHDの違いなのです。直線的な進み方は着実であるけれども、底辺が狭いためにその線以外の事柄を考えることができない。らせん状の進み方は揺らぎが多く遅いけれども、底辺が広いために多くの事象を含めて考えることができる。その違いが顕著に表れていると思います。
>確かに、ジャイアンと受動型ASは価値観が正反対なので、受動型ASが受動型ASらしく振舞うと、ジャイアンには都合が悪いことになる。
ジャイアンには都合が悪いことになるのではなく、ジャイアンに論理矛盾がないように要求することこそが無理なのです。思考形態の直線とらせんの違いから生じることです。
>しかし、これをつなげると、受動型ASは、ジャイアンの気分を害さないように、受動型ASらしい衝動を全て抑制して行動せよ、と言っていることになる。まあ、そうすればジャイアンは満足するのだろうが、これでは「いじめ」だ。
思考形態の違いを理解することが双方に求められます。ジャイアンは受動型ASらしい衝動を「全て」抑制せよとは考えてはいません。論理矛盾への「こだわり」について、頑なになるのではなくもう少し柔軟になってほしいと願います。
>ADHDは悪口を言われて傷ついても一晩寝れば忘れてしまう。ASは下手をすると一生心の傷として残るのだ。
ASのフラッシュバックがきついことはわかります。ただ、ADHDは忘れ去ってしまうのではなく、周囲にはそう見えるだけです。自己突っ込みがきつい、これを理解できるのはADHDだけです。
ところで、ふと疑問に思ったのですが、m2さんのご両親はASですか?
なぜ疑問に思ったかといいますと、ぬまおさんとの違いが養育環境からではないかと思ったからです。ぬまおさんのACはジャイアン親の影響が大きいのではないかと思います。
私は純粋なADHD家庭に育ったために、ASさんたちの特性を理解するのに時間がかかりました。身内にASさんがいるADHDの方とは違うなぁと感じます。特に親がASの場合、愛着対象になることが多いからか、崖から突き落とされるような経験はしていないように思います。ただAS被影響症候群にはなるのでしょうが。それと同じく、純粋なAS家庭に育つとASの特性が強く出るのかと思いまして。
みさん。
>今回の激怒でわかったのは、ASなら論理矛盾を起こしたら、人格が崩壊するような意識を感じるが、ADHDにはそれが無い、ということだ。恐らく、これがADHDの言う「自己突っ込み」であろう。
ASは論理矛盾がないようにしたいのですよね。人格が崩壊するような意識を感じるのはASならではですね。<
小生が対峙する当事者には
「人格が崩壊するような意識」は感じ取れませんが。
あえて申し上げましょう。
本当にごめんなさい。
申し訳ありませんでした。
しかし。
先にこの言葉を発すべきは最初に攻撃を始めたほうだと思いますよ。仕事もきちんとしている社会人だとご自分でお話されていたはずですから。自分が書かれた文章を読み返せば簡単にわかるはずです。先に手を出して、反撃されたら逃げて泣き言を言って、こんなもの卑怯以外の何物でもない。
そこが最大の問題じゃないですか。ADHDにはまったくもって理解不能ですが。
ぬまお様。
わたくしも、ぬまお様がm2様に感じておられることと同様に
ぬまお様と出会えて良かったです、嬉しかったです。
(もちろん、他の、わたくしのコメントに何かしらの反応を書いてくださった皆様とも。)
ぬまお様にとって、単なる共感または感想だったやもしれませんが
自分の生まれ持った感覚が嘘でも勘違いでもなかったと
通じる人がいるのだと
そう感じることができました。
ぬまお様はもう読まれない(読まれていない)かもですが
今まで出されていたコメントで感じていたことを
ぬまお様への最後のメッセージとして書きます。
(道産娘様には、改めてお尋ねくださったことや色々なことを
こちらではない『孤立型』のほうへ出す予定です。)
>AC時代に現実の辛さから夢の世界に逃げていた時、夢の中で自由に動ける「明晰夢」というのを(中略)
>触覚まで感じることができる
まんま、「わたくし」だったりして…嬉しいやら驚くやらです。夢は3歳以前から見続けている(という記憶)です。
>ACから完全に抜けると世界が変わります(中略)
>どこで抜くのかがポイントになると思います。ACを抜けると心の古傷もほとんど消えますよ。
…心から感謝とそして御礼を。
とても嬉しい、そしてありがたい指南です。
なるほど、とわたくしの脳のどこかが腑に落ちる感覚が生じました。
ひとつの見通しとして、やっていきます。
本当にありがとうございました。
ぬまおさん
ご指導ありがとう。ジャイアン、受動型AS問わず、ACから復活した人には自分に無い強さがあり、そこは尊敬する。
ごめん、私には役に立たないわ。
でも、すごく一般論として役に立つ。
ぬまおさんの対処方法は、当然ありだと思う。
「受動型AS」のうち、受動型の部分を最大限に生かした対応方法だと思う。
私の対処方法は、ASの部分を最大限に生かした方法なんだ。
ASであることが正義になる、会社(システム会社)と趣味の世界(将棋)のみを社会の接点とした、半ひきこもりなんだ。
ASである部分を磨いて、ASが絶対有利な土俵にしか立たないことにより、ADHDから攻撃されても負けないようにしている。
実際、リアルで窮地に陥っても、必ず誰か助けてくれる。
今、自分がACになったら、うつ病どころか生きていられないよ。
なぜ、ADHDに対して強く出られるか、理由がある。
「受動型」が自分の特性と知って、「逃げる」という選択肢を恥ずかしくなく思えるようになったから。
中心志向を持つ人たちから、「弱虫」だの「卑怯」だの言われることが苦痛では無くなったから、強く出られる。
妥協をしないジャイアンと対決した場合は、基本どちらかがACになるまで終わらないが、社会的に係わり合いが必要ない相手なら、逃げればいい。
会社や家庭では演技が必要になるが、プライベートのネットの世界でまで演技はしたくない。疲れるから。
ここで演技をしない理由は下で。
私は、ここに受動型ASを理解したい人、と受動型ASのACから抜け出したい多くのROMの人がいると思っている。
そういう人向けに、自分の行動基準を書こうと思っているのだが、これが非常に難しい。
ADHDのように、感情をありのまま文章にかけるものではない。(注:単純だから下劣などというつもりは全く無い。うらやましいと思うことの方が多い)
いろいろな背景があっての感情になるから、この感情はどこから来ているのか?をしっかり考えないと書けない。
ここの自分の感情を書くのはすごく大変なことだと思う。
疲れたのもわかる。
でも、新しいASのスレが出来るまで休んでいいので、戻ってきてもらえないか?
この文、受動型ASのACの脱出後のイメージとして、すごく重要だと思うんだ。
ジャイアンが、なぜ受動型ASを理解したいというのかわかる?
ぬまおさんですら、ジャイアンが怖くて、本音で話していないから。
ADHDがASを理解する手段は本当に無いんだよ。
先生がイメージしている受動型ASはACに偏りすぎていると思うでしょう? その程度の理解では、ケアは難しい。
ACで無い人には、批判を恐れずに自分の内面を話す義務があるんじゃないか? と思っているのだけど、どうだろう。
ぬまおさんは、このやりとりで成長したという実感はないかなあ?
自分と違う価値観の人とぶつかって、批判はされるけど、批判されることは修正するチャンスでもある。
み さん
>「自己突っ込み」についてはm2さんが理解していることとは違います
いや、私は「自己突っ込み」が何か? は理解できない。
ただ、ADHDの「自己突っ込み」の辛さがASの「論理崩壊」の辛さと同じではないか? と考えているだけ。
お互いに相手の辛さはわからないのだから、どちらが辛い? なんて判断することはできないよね? というのが言いたいことです。
>論理矛盾への「こだわり」について、頑なになるのではなくもう少し柔軟になってほしいと願います。
これは否定させてもらいます。
ASの「こだわり」に対応するのは、ADHDだと「自分の都合よく行動すること」と考えます。
お互い、これを抑制しろ、というのは、ACになれ、というのと同じこと、といいたいのです。
ADHDにせよ、ASにせよ、その衝動でもって、他人に迷惑をかけることが問題なのです。
ジャイアンであれば、「自分の都合の良いように振舞って、みんなを幸せにする」でいいのです。
実際、そういう人は結構いると思います。
受動型ASであれば、「自分のこだわりを社会に役立てる」が重要なんです。
「こだわりを捨てろ」といったら、反発します。
「あなたのこだわりは●●に問題がある」といってもらえれば、あっさり直るかもしれません。
ジャイアンの方は、受動型ASに攻撃されている、と何度も言っていますが、どのような状況で、どのようなことをされたことを「攻撃」と言っているのか? が全くないんです。
何が悪いのか? がわからないのに、直せるわけないじゃないですか。
まずは、困ったちゃんの相手に、何に困っているのか? を言ってもらえませんか?
ここに書かないのに、本人に言うわけ無いと思ってます。
たぶん、私が自分の思考を文章にするのに悩んでいるように、何に困っているのか? を言語化するのが難しいのだろうとは思います。
ただ、その程度の努力はしていただきたい。
受動型ASは「何が悪い?」がわかれば対応は取れます。
>m2さんのご両親はASですか?
父も母も多数派です。父は「奇異」といえる部分も少しはあります。
いろいろな話を聞いていると、両親で「中心志向のある・なし」「AS・ADHD」が全部揃う組み合わせで無いと、問題が起こる可能性が高くなる、という印象があります。
私は分子生物学を専攻していたので、遺伝子が自分に無いものを求める、というのが自然に思えます。
だから、「積極奇異型AS・合理型ADHD]「受動型AS・ジャイアン」の組み合わせがいいのだろうと。
後者の場合は、夫婦仲がいいことが絶対条件でしょうけど。
どれかが欠けていると、欠けたタイプの人間を理解できなかったり、親子の相性問題が生じたりするリスクが高まるように思えます。
m2さん
きっとあなたは、私が以前「誇大的だ!」と訴えた時に「悪意」を感じて、同じように「怒り」を感じていただろうと想像しています。
ただ、あくまで「想像」でしかものを言えないので、本当に「同じ感情」かどうかは確かめようもないし、分からないです。
もしかしたらASのあなたの方が「過剰に(敏感に)」受け取っていたかもしれないので、そういう意味で私はASの人を「振り回していた」かもしれません。
そこは反省しなければいけませんね。
分かりました!
m2さんのお気の済むまで←あちらの方々と議論なさってください。
もう止めませんよ(笑)
ぬまおさん
私、やっぱり奥様は孤立型ではないと思いますが…
ぬまおさんがそう判断したなら、それで良いでしょう。
今はお疲れでしょうから、また落ち着いたらコメントしに来てくださいな。
お元気で♪(^-^ゝ゛
あおいよる。さん
私達の話は「受動型AS」の話なので、孤立型ASではなく「受動型AS関連の記事」にコメントした方が良いと思います。
なので「受動型AS関連の記事」にコメントお願い致しますm(__)m
「受動型ASの理解」とか…
かなり前のコメントで「ADHDの先生にはおわかりにならないだろうけど」というところにカチンときました。
ならここで偉そうなごたくを並べる必要はないだろう、よそでやってくれと思った次第です。実に単純明快な話だと思いますが。
>私は分子生物学を専攻していたので、遺伝子が自分に無いものを求める、というのが自然に思えます。
だから、「積極奇異型AS・合理型ADHD]「受動型AS・ジャイアン」の組み合わせがいいのだろうと。
後者の場合は、夫婦仲がいいことが絶対条件でしょうけど。<
「受動型AS・ジャイアン」の組み合わせ。
これ某嫁と某夫。
仮面夫婦が破綻し現在別居状態。
「積極奇異型AS・合理型ADHD]
これ某生き霊と別居中ジャイアン→情緒障害型→合理型を行き来する某男の組み合わせ。
あ~やんなるわ。見透かされてるようで。
m2さんの怒りの理由は、どことなく想像がついてます。そしてその理由は、俺が書き込みを躊躇するようになってきた理由と通じます。
相手に話を理解してもらうためには、相手の思考のフレームワークに収まるように表現するのがいい。そのように聞いています。相手の思考の枠組みに収まれば、相手は理解してくれる。これは、経験則からも頷けることでした。
ADHDと受動型ASとは、そのモデルとしても思考の枠組みが相当に異なります。さらに思考の枠組みには個人差も大きい。そのため、ADHDと受動型ASとの間では、伝わりにくさがより強いのだと考えています。
このコメント欄でADHDの皆さんにASや受動型ASの考え方などを伝えようとしても、なかなか伝わっていかないように感じています。
というのは、受動型ASはこれだから理解できない、受動型ASはやっぱりこうなんだ、というコメントが入り、そしてそれがどうにもずれている。いやそうじゃないんですよ、というコメントが俺に限らず入っても、なるほどと納得してもらえたようでいて、ということはやはりこれだから・こうなんだというコメントが返されている。しかも、それもまたどこかずれている。その繰り返しが続いているように感じられるためです。
もちろん、表現する側の表現方法の問題もあるのでしょう。俺も試行錯誤しつつ、伝わらなさを実感しています。どう表現していけばいいのか、未だ手さぐりであるのは否めません。
その上で、相手を理解する態度というのは、こう考えるけど違うのですか、と相手に問いかける姿勢が必要なのではないでしょうか。これだから・こうなんだと断定を繰り返すかのような態度は、少なくとも俺からは受動型ASを理解しようとする態度には感じられません。おそらくm2さんもそれを感じ取って、怒りを覚えているのではないでしょうか。
ここと次のエントリーとは、受動型ASが受験勉強に積極的でない理由の解析を通じて、受動型ASに対する理解を深めるものだったはずです。それ以前にこのブログは、発達障害に対する理解を深めるものだったはずです。
理解を深めるものでなくてはならない、という意味ではありません。ただ、このところの、そうでない空気感が残念でなりません。
気が向いたら、またコメントするかもしれません。
部分的に、zzzさんと近い事を考えていましたが、ASの傾向として「他人が自分をわからない、という事を自分で受けとめる謙虚さに欠ける」と思っています。
また、ASは「せっかちに即、完全な理解を求めすぎる傾向」にあるとも思っています。
思考の枠組みが、相当、ではなく、とても異なる相手同士、伝わらなさを実感するのは最初から当たり前だと私は思っていますが、YANBARU先生が先陣をきって書く事で、その伝わらなさがなんとか緩和されているわけです。
部分的な理解…範囲と限界の中で、謙虚に語り合う事…。それができれば充分ではないですか。少なくとも私はそう思っています。
ここにこういうことを書くとまだまだ回復は遠いんだなぁ...と思いますが
(反応すると敗北感が...)
私はジャイアンですが受動型ASは理解できないと理解しています。
ASのエントリーやコメは身近なASに対応するために参考にしますが理解しているかといえばそうでもないです。
いろいろ書いてあるコメも...
受動型ASにされて嫌だったこと、ジャイアンにされて嫌なことが書いてあったりするなぁというふうに感じていて悪口というよりは本当のことだと思っています。
いじめと感じるのであればお互い様でしょう...と私は考えます。
相手がAS気質でも私は自分を曲げないし、気も使いたくないです。
だから自分は一生傷になるかもしれないから寝れば忘れる側が我慢しろというのであれば納得はできないですね。
そしてそういう類の「俺に気を使え」という圧はいつも攻撃に感じます。
ただ身近なASに対しては落としどころは探します。
そして問題が釣り合いそうなら相殺します。
我慢はお互い様だと思うので。
m2さん
「ここ数日の悠々と、Paul Carpenter、2名のコメントには激怒している」
激怒しているのはわかりますが、呼び捨てのままでよいのですか?
これは想像力の障害云々ではなく、社会性の問題です。こちらが指摘するまでもなく、ご自身で感情にまかせてそうしてしまったことに、そのままでよいかの判断はしなければなりません。子どもではないのですよ。
m2さんの「衝動統制など、誰もしてないし、すべきで無いと思いますよ」という発言に、悠々とさんは衝動統制について書かれました。ここで問題なのが、受動型ASであるm2さんが受動型ASの枠を超えて誰にでも適用させていることです。m2さんの意見がそのまま誰にでも適用できるものではないことを御理解いただきたい。
また、「人間、自分が好き勝手振舞うための環境整備を行うのでいいと思います。受動型に限らず、みな普通はそうしています」という発言も、受動型ASの枠を超えて誰にでも適用させています。「m2さんの考える普通」であって、「m2さん以外の人たちの普通ではない」のです。自分と他者の区別がなされていない。
悠々とさんが「その「当たり前」が普通からズレているわけですが・・」といったことにm2さんは「少なくとも自分にとっては当たり前です。そんなこと、他人にどうこう言われる筋合いはありません」「そして、普通から決してズレていないとも思います」と返答されています。
他人にどうこう言われたくなかったら、受動型ASであるm2さんが受動型ASの枠を超えて誰にでも適用させて発言するのではなく、ご自身の分析に終始するにとどめるべきです。
そして、m2さんは「常識は、過去の人達が多数派用に作成したデータベースなんですよ」「常識が適用できない以上、自分のデータベースの中に無いことはできないから、そのままトレースするしかないんだよね」と発言しています。
受動型ASの「普通」というのは自分のデータベースになかったことをトレースしたものとしたら、「トレースした普通」について論じていることになります。写し取った元となるものがご自身の養育環境や学校、職場の中にあった「普通」と思われること。つまり、写し取った元となるものが「普通」なのであって、トレースしたものは「写し取った普通」ということになります。
>ASの「こだわり」に対応するのは、ADHDだと「自分の都合よく行動すること」と考えます。
m2さんは勘違いしています。ADHDは注意の持続困難、衝動統制の障害があります。ジャイアンが衝動統制しないで「自分の都合よく行動すること」をしようとすると「暴君型ジャイアン」になります。甘えたり、ゴネたり、大声、暴力などで相手を押し切って衝動を満たそうとする。DV、モラハラ、いじめの加害者、暴力で威圧し思い通りにする。思い通りにならないと現実逃避する。その結果が私の父のアルコール依存症、DV、虐待であり、子どもにとって甚大な情緒障害をもたらす。つまり、衝動統制しないと周囲にとって害をもたらすだけです。
m2さんはそういう衝動統制しない暴君型ジャイアンを「自分の都合の良いように振舞って、みんなを幸せにする」と勘違いしている。ジャイアンは衝動統制の障害があるから衝動統制をしなければならない。それをここのコメント者は自覚し、衝動統制に努めながら生活しているのです。どれだけm2さんがおかしなことを言っているのかわかりますか?
ASにはコミュニケーション障害、社会性の障害、想像力の障害があります。m2さんのジャイアンに対する「自分の都合よく行動すること」という意見を受動型ASに当てはめると、コミュニケーション障害、社会性の障害はそのままで、こだわり(創造性の障害の部分)を十分に発揮すれば、実力が伴えばよいということになります。実力というのは何もある技術力、ある知識力を指すのではありません。コミュニケーション力も社会性もなければ実力とはいえない。自分の持てる能力を発揮するためには、障害があっても努力することが必要なのです。何甘ったれたことをいっているのか? 目を覚ましていただきたい。
ついでに、ジャイアン女性が好みだといっていたが、ADHDは家事において苦手とする人が多い。それを自分が無器用というだけでジャイアン女性に押し付けるのは「依存」だ。ジャイアン女性はマンネリ化した状況を嫌う。働きたい女性が多いだろう。共働きになったら家事を手伝うのが当然だ。やってもらうのが当たり前などとは思ってはいけない。飯に関しても何でも「こだわり」から文句をいうな。依存しない、依存させない、これが基本だ。
>私は「自己突っ込み」が何か? は理解できない。
私は「自己突っ込み」とは何かを説明しましたが理解できないのでしょうか。いや、自分のこだわりを優先させたい、自分の意見を通したいために理解しようと思わないのではないですか?
これは「普通」ではない。人間関係は相互作用によって成り立つもの。私は相手を理解しようとし、理解してもらいたいと思います。相手の言うことを理解しないが自分の言っていることは理解してほしいなどという人には、理解を深める必要がないと考えます。
「自分のしたいことをする」のであれば孤独の道を歩んだほうがよいでしょう。自分のできないところ(たとえば家事など)を相手に依存し、それを「普通」だとすることははっきりいって「暴君」です。モラハラの傾向が見え隠れします。「しかも幼稚な」「余りにも次元の低い話」、私にはこれを発するのは「幼稚」としか思えません。ASもDV、モラハラをすることがありますが、そのような傾向をご自身の中に見たことはありませんか?
ジャイアンに関することを発言する前に、ご自身のそのような傾向を分析していただきたいと思います。
僕には
多数派に歯向かう勇気の無いまた多数派から学べないおおげさで痛がりな依存型ジャイアンが
多数派から学ぶしかない受動型ASを不満のはけ口にしているだけのように見えますがどんなもんでしょう
依存型ジャイアンてのは乗っかってくるしつるむんですよね
ADHDなのにおかしいよね
いつまでもYANBARU先生に乗っからないこと、もう終わってんですから
早く二次障害治したほうがいいですよ
苦しいだろうし不毛でつまらないです
受動型ASさんを利用したいのに利用できないジレンマでもあるのですか?そりゃ何でですか?
スカッとして発達障害の本質理解を促進させましょう
道産娘さん
あなたには謝らないといけないかな。
ジャイアンは誰もどのような攻撃をしているかがないと言ったけど、あなたはしてくれてますね。
具体的に言われれば怒らないです。
実際、ご指摘の自覚はありますから。
みさん
お二方は、受動型が私を攻撃すると言ってました。
これを受け取った受動型の人は、あなたが私を攻撃すると思いました。まして、受動型asは全員理不尽な(当方主観)言われ方をした経験がありますから、そのまま受けとります。そんなこと言われたら、怒るか震えるかのどちらかが自然です。
ただし、お二方とも気づかれたようで、修正されています。
誤解はとけましたので、謝罪は要求しません。事実は残りますので、こちらも謝罪はしません。
ジャイアンは衝動統制をしなくてはいけない、これは間違っています。
つい最近、その意見に誰も賛同しなかったことをもうお忘れですか?
この過ちを認めない限り、議論に意味はありません。
みさんは、この思い込みは簡単には捨てられないとは思いますが、ここさえ捨てられれば、本当に素晴らしい人になれると思います。
ご精進期待します。
Zzzさん、受動型asは、本当に感じるところは同じだね。
特にかきたすところもない。全く同じ意見だ。
のび助さん
m2さんは、「まずは、困ったちゃんの相手に、何に困っているのか? を言ってもらえませんか?」と言っていますよ。
はけ口ではなく、それに基づいて発言しています。もしm2さんがこのように発言しなかったら、私は書きませんでしたよ。利用でも何でもありません。
私はのび助さんの意見に全面賛成です。
ですが、ADHD側からは、叩くだけの理由があって叩いており、しかしそれは、ASの怒りを誘発する書き込みをし、怒ったところで正当な手段として自己防衛として反撃するという段取り付きだとも感じます。(今回のPaul Carpenterさんのやり方、みさんとあまりにも似ていて、同一人物かと思ってしまいましたよ)
ですが、どこかのエントリーで先生が書かれていた事ですが
「この場はADHDが本音で話せる場所であることを優先する」的なルールがあるので、受動ASはこうして叩かれても文句は言うべきではないのだろうと思います。
受動ASが活発に意見を交わせる場所が必要なのであれば、ほかに場所を作るなり、探すなりした方がいいように思います。
ただ、ASだけでは盛り上がらないと思うんですよ(笑)
そしてADHDはASが居ないと潰し合いになるように思います。
うまく行かないもんです。
ホックさん。
>ただ、ASだけでは盛り上がらないと思うんですよ(笑)
そしてADHDはASが居ないと潰し合いになるように思います。
うまく行かないもんです。<
思わず笑ってしまいました。不謹慎じゃないですよね?
みさん。
>みさんは、この思い込みは簡単には捨てられないとは思いますが、ここさえ捨てられれば、本当に素晴らしい人になれると思います。
ご精進期待します。<
これ自分自身のことをはからずも自ら表現している、ってことには絶対気づかないんでしょうね。
まさに不毛な、議論にもならない状態ですね。
こんな状態で以前皆様方を一時的に感動させたあのサクセスストーリーが実現できたとは到底思えませんが。
脳内現実だったんじゃないですかね?もしかして。
>他人にどうこう言われたくなかったら、受動型ASであるm2さんが受動型ASの枠を超えて誰にでも適用させて発言するのではなく、ご自身の分析に終始するにとどめるべきです。<
これに尽きるでしょう。
ZZZさん。
>理解を深めるものでなくてはならない、という意味ではありません。ただ、このところの、そうでない空気感が残念でなりません。<
やんばる先生がしばらくこのままにされているのも。
お互い吐き出すものを吐き出させる必要があると感じておられるからではないでしょうか。小生はそう思っております。
さーこさん。
>また、ASは「せっかちに即、完全な理解を求めすぎる傾向」にあるとも思っています。<
そこをADHDは相手をなんとか理解しようと、もしかしてこっちが悪かったのか?などと自己突込みを含めて我慢しますからね。
我慢の限界を超えたらどうしようもなくなると思います。
>誤解はとけましたので、謝罪は要求しません。事実は残りますので、こちらも謝罪はしません。<
?????????????????????????
全く持って意味不明。
あなたには謝らないといけないかな、って言いながら一回も謝ってないし。
AS,ADHDどうのこうの言う以前の原始的な問題。
m2さん
ごめんね。医者でもない自分が言ってもいいものなのかどうか、ずっと悩んでいたけど本音で言います。問題が大きくなる前に。m2さんはたぶん、孤立型です。先生も言っていいかどうか悩んだ末に、新しいエントリーを上げたんだと思います。受動型と孤立型は酷似していますね。
m2さん
え~と。m2さんは私のコメントを攻撃と受け取ったのですね。実は私は、m2さんの「まずは、困ったちゃんの相手に、何に困っているのか? を言ってもらえませんか?」に、誠実にジャイアン私から見た視点で率直に書いたのですよ。どう書いたら理解するのかを思いめぐらせていましたよ。
いや~。m2さんの「まずは、困ったちゃんの相手に、何に困っているのか? を言ってもらえませんか?」という言葉自体が攻撃で、それに乗せられちゃったみたいですね。いや~、びっくり!
ということは、受動型ASさんのこのような発言には、非言語的な裏メッセージ<攻撃>が隠されており、誠実に対応してはだめだ、反撃と捉えられる、ということなのですね。これが受動型ASの「普通」なのかしら?
なんだかボーダーぽい駆け引きだなぁ・・・。私は非言語的な裏メッセージは読み取れない。空気読めないジャイアンに非言語的な裏メッセージを使っても意味ないよ。私は表に出ている言語的メッセージを読み、それに対応しているだけよ。
>ジャイアンは衝動統制をしなくてはいけない、これは間違っています。
私はADHDである精神科医のやんばる先生の記事を読んで自分の生き方を学んでいます。
観客席から野次を飛ばされる方
私は野球なりサッカーなり、プレイヤーの良し悪しをいう観客に、いつも思うのです。そういうならご自身がプレイヤーになったらいかがですか、と。また、フィールドワークをしないで理屈をこねているお偉方さんたちにも、フィールドワークしてから理論を構築しなさい、と。
言うは易し、行うは難し。だから私はその場に行って経験を重ねるのです。すべての山に登るのです。『すべての山に』
Paul Carpenterさん
>これ自分自身のことをはからずも自ら表現している、ってことには絶対気づかないんでしょうね。
おそらく。ASは自分を掘り下げることは難しいですし、とくに受動型ASは人を動かそうとする。受動型ASの特徴がよく出ていますね。
さーこさん。
>ASの傾向として「他人が自分をわからない、という事を自分で受けとめる謙虚さに欠ける」と思っています。
確かにそうだと思います。他人も自分、みたいなところがありますから。
もうかなり前の話ですが、自分のことの大半は周囲には大体でしか分かってもらえてないものだ、という事実を理解したとき、それまでの不可解さが氷解し大発見をした気分になったものです。
分かってもらえないのが当たり前、という(おそらくは簡単な)ことを、AS側も理解する努力が必要だと自覚しています。しかもその努力は「常に」しておくのがいい。他人は自分ではないというのは若干のストレスにも感じるため、そう考えることをついついさぼりたくなりますから。
m2さん。
>特にかきたすところもない。
ありがとう。相手に伝えるのは、特に文字情報しかない掲示板で思考の枠組みの異なる相手に伝えるのは、難しいものですね。
Paulさん。
>やんばる先生がしばらくこのままにされているのも。
その可能性も考えていました。その上でコメントを入れたのは、手前勝手で申し訳ないのだけども、俺自身がちょいと辛くなってきたからでもあります。
ADHD的発想だと、だったら読まなきゃいい場面なのかもしれません。ただ、俺にとってこの流れは、ADHDがどのように受け止めているのかを理解し自己の言動や行動に反映させる好機ととらえています。
だから逃げないようにしておきたい。そう思いつつもさすがに辛くなってきた。「ここらでちょいとお手柔らかに」が前回コメントの真の(芯の)思いです。
これを流れに適しているだろう表現に直したのが、前回コメントでした。
m2さん、表現に関してひとつだけ。
>みさんは、この思い込みは簡単には捨てられないとは思いますが、ここさえ捨てられれば、本当に素晴らしい人になれると思います。
この部分は、誤解を招きかねない表現だと感じました。何というか、上から目線を感じさせ反発を招いてしまう言い回しではないかと。
積もったストレスがこの表現を生み出したのだと思うし、あえてこう表現したのだと思うけれど、ここはさらに抑えた表現が適切だったかもしれません。
>観客席から野次を飛ばされる方
もしかしてこれ私のことですか?
びっくり
私はここに来ている方はリアルでは最前線にいる人ばかりだと思っています。
私は先生のエントリーは何度も読み返して考えるようにしていますがコメは...読んでも感情的にならないという訓練に(言い方がヘンかな?)利用しています。
先生はよっぽどのことがない限りコメを載せていると思います。
コメにはいろんな意見があって腹がたったりもするけど自分の気持ちをどれだけクールダウンさせることができるかにはちょうどいいと思っています。
ヘタに裏を感じる分どういうふうに怒りや毒をコントロールするかは大きな課題です。
「ウラは曖昧な事だから感じても仕方がない」「相手は悪人ではない」とか言い聞かせる自分がいます。
今回は2回目の投稿
反応しているのでダメダメです。
私は今ここのコメをヘビロテで見ているので過集中気味だと思われます。
PCをオフにしてこれから気分転換してきます。
この場にいらっしゃる人全員が発言する権利があると思います。
どこからが観客席なのかは、あなたが決める事ではないのですよ、みさん。
み さん
無理をしてADHDである衝動をおさえることで、かえってストレスを生じ、その結果いらいらして八つ当たりしたり、攻撃的になったり、ぶちきれて意欲を失ったりする結果になるくらいであれば、
初めからADHDらしく振る舞う方が周囲に与える影響はむしろ少ない。
下手に努力した場合、かえってそのストレスによって周囲に迷惑をかける結果になるのが、発達障害だ。
だから、ASもADHDも、発達障害所以の衝動を抑制してはいけないんだ。
そのようにこのページには書かれている。
m2さん
どこじゃ?
みさん、m2さんがずっと言っているのは、
ADHDの衝動統制をしない姿というのは
依存を脱した姿である
ということではないかと思うけどいかが
ああ、なるほど。
m2さんの言ってる事、というか、見ている世界がちょっと見えたかも。
・みさんの事を現在「スタートライン」の人だと思ってるのでは?
まずは偏屈者宣言をよく読み、普通になろうとせず(この部分を衝動抑制をしない、と読み違えてる?)ADHDらしく生きればいい、と言ってるのかな?
m2さんは自分がここに参加するようになった頃からのみさんしか知らず、それ以前に考えが及んでいないのかも。
だったら、過去スレと過去コメ全てをしかり読んだらいいと思いますよ。
私も割と最近来た人ですが、過去ログと過去コメは全部読んでいるので、みさんがどれほど前からここに居るか、何度同じことを繰り返しているか、先生に諭されようとも立ち去らないか、全然治っていないのに自分では相当良くなっていると思い込んでいるとか、よくわかると思います。
いつまでお医者さんごっこするつもりなんだろうか
ここにいる人たちは診断を受けて自分自身を知って社会で生きていくためにココに来たんじゃないんですか?
なんでいつまでもテーマから外れて(無意識に?)対立に持っていこうとするんですか?
思ったことを「すぐ」口に出す(書き込む)ことは某掲示板だと「脊髄反射」と笑われてスルーされるのですが
我慢するんじゃなくて観客席に立つのも悪いことではないと思うのですがねぇ
自分たちがレギュラーメンバーだと思い込んでやしませんか?
これもまた共依存というヤツなのでしょうかねぇw
本題からはずれてしまっているのは、m2さんがジャイアンに衝動統制は必要がないと力説するため。
そして、私はジャイアンに衝動統制が必要であると書いているし、これまでの経過を書いている。私は「わかっているのにできない脳の仕様」だと書いている。
意味がわからないのは、それを理解せずにm2さんが力説していること。私はそのままADHDだ。普通になろうともしていない。むしろ、これまで人とは違うことを志向してきた。
私は「ジャイアンに関することを発言する前に、ご自身のそのような傾向を分析していただきたいと思います」と書いている。それを無視してm2さんはジャイアンの衝動統制について書いている。
私は人に依存しているか? していないだろう。褒められるから我慢するわけでもないし、普通だからと我慢していないし、責められないために我慢してはいないし、見捨てられないために我慢していないし、我慢しないわけでもない。
m2さんの「まずは、困ったちゃんの相手に、何に困っているのか? を言ってもらえませんか?」という発言に責任をもってほしい。言ってもらえませんか?と書いていて、それについて相手が言ったことに八つ当たりだ、攻撃だ、というのはおかしい。責任転嫁だ。
野次を飛ばす前に、「ご自身の傾向を分析していただきたいと思います」
人を評価して相手を怒らせてしまった経験がありませんか?
人を評価する前に、ご自身と向き合ったらいかがですか?
ホックさん、ご自身の自己診断がまだなのですよね。
Toriさん、レギュラーだとは思ってはいません。コメントしていない記事だってあります。関与しようと思ったときに関与しています。どこが共依存なのかの説明をお願いします。
私の属性はあなたには関係ないので、あなたに申告はしませんよ。
思いたいように思ってくれて構わないです。
みさん、m2さんの言葉の意味を考えていただけですよ。
言葉を変えれば迷惑をかけても生きるになるかな。(と私は想像)
m2さんはジャイアン女子が好きだから心配してくれているということかな。
みさんがm2さんに迷惑だからやめて下さいと言えばやめてくれるかも。
コメントする立場上、対等なのだからこそ
人のことは置いといて自分のことに専念するしかないと思うんですが。
自分のことは決めても人のことは、何においても決め無いほうがいいと思います。
ホックさん
私は「人を必要としない」傾向があるから、他人に対して勝手な像を作り上げたりはしない。
ホックさんはホックさん、私は私だ。ホックさんに私の何がわかるのだ? 逆もしかりである。
私は、コメントを読んだだけでどのような人なのかをイメージすることなどできないと思っている。コメントされる方の思いが書かれているだけであり、その思いに対して自分がどう考えるかだけだ。
人に対して治っていないだとか言うならば、ホックさんご自身が人から治っていない云々と言われた時どう感じるのか?
だから、自分に向かうよう書いている。
みさん、m2さんが「ジャイアンに衝動統制は必要がないと力説」している(ように読める)コメント群の真意は、m2さんの次のコメントにあると思いますよ。
>無理をしてADHDである衝動をおさえることで、かえってストレスを生じ、その結果いらいらして八つ当たりしたり、攻撃的になったり、ぶちきれて意欲を失ったりする結果になるくらいであれば、初めからADHDらしく振る舞う方が周囲に与える影響はむしろ少ない。
>下手に努力した場合、かえってそのストレスによって周囲に迷惑をかける結果になるのが、発達障害だ。
>だから、ASもADHDも、発達障害所以の衝動を抑制してはいけないんだ。
ここでは、条件付きで衝動を抑えないほうがいい、と述べています。つまり、衝動の抑制がストレスを生じさせる場合には、という条件が付いています。これは、ストレスを生じさせないのであれば、衝動の抑制は問題ないということでもあります。
また、衝動の抑制がストレスを生じさせる場合には、衝動を抑制せずに行動する場合すなわちストレスフリーの状況下に比べて、周囲により迷惑をかけやすくなる、とも述べています。ここは、発達障害が一般的にそのような傾向にある、との観点で書かれています。
医学的に衝動統制がストレスを生じさせるものかどうか、そのストレスが迷惑な行動を引き起こしかねないものかどうか、俺ははっきりとしたことは分かりません。
ただ、衝動統制の全部ないし一部が衝動を意識的に抑えるものであれば、ストレスを感じさせるのではないか、と医学知識に乏しい俺などは考えてしまいます。そして、ストレスのかかる状況下では、ストレスフリーの状況下に比べて、周囲が迷惑と感じる行動をしがちだろうとも考えてしまいます。
この二段の推論がともに「常に」そうではない、ということであれば、俺やm2さんの推論は誤りですから、衝動統制には何も問題がないといえます。でも、そうではない可能性がある、ということであれば、衝動統制のストレスからより迷惑をかけてしまう場合があるといえないでしょうか。
おそらくm2さんは、そのようなことを述べているのだと思います。そして、現在のみさんが、もしかしたらそのような状況下にあるのではないか、だとしたら「今この場においては少なくとも」衝動統制をしないほうがいいのではないか、とも述べているのだと思います。
ご自身に向けてでいいと思うので、俺らの推論の正否を論理的に解き明かしていただけませんか。(できれば易しめにm(_ _)m )
>だから、自分に向かうよう書いている。
それではただはね返しているだけになっちゃう。大きなお世話と言われてしまう。ウエメセヤメロと言われてしまう。揚げ足とりになってしまう。
同じ言葉で返さない、受け取って断るだけ。
その後の相手の行動までは言うべきでないと思う。
それをやってると永遠に終わらない
>コメントされる方の思いが書かれているだけであり、その思いに対して自分がどう考えるかだけだ。
私は「その人がどうしてそう思うのか」を考えてます。「こちらに向けた意図」でなく。
あ、この部分が私宛なんですね。
>野次を飛ばす前に、「ご自身の傾向を分析していただきたいと思います」
人を評価して相手を怒らせてしまった経験がありませんか?
人を評価する前に、ご自身と向き合ったらいかがですか?<
お返事・・・お断りです。
>私はつい最近まで、自分でも認めたくない自分の嫌な所を指摘されたときに限ってムカッ!と来ていました。
(そのくせ人の欠点は指摘するという、、、)
自分の欠点を思い起こさせるあらゆる言葉が「否定」に聞こえ、
そこで相手を攻撃すると『自分の不都合な点を見なくて済む』という逃げ道が作れていたわけです。
>
↑
これ覚えてる。
これってみさんが書いた文だよね。
最近まで・・・だった。じゃなくて、今でもそうだよ。だから自分のことを棚に上げて揚げ足をとるっていわれるんだよ。だから「治ってない」と言われるんだよ。
>
依存型の自己棚上げは最強ですから、たまに「自己つっこみ」していても、他人事のように言ったり(書いたり)して、
「自分のことを棚に上げて何を言うんだボケ!!!(怒×100)」
とムカつかれることが多々ある気がします。
>
↑これ・・私が書いたやつ・・・覚えてる?
すべてのコメントは読む人に投げかけられたと判断されるのだから、自己反省文はこれは自己反省文ですとわかる一文を明確にいれないと、「おまえ反省しろ」文だと受け取られます。
自分に向けただけの反省文は・・チラシの裏に書かないと。
zzzさん
のび太ジャイアンの図をみると、衝動統制の欄にそれぞれの衝動統制の型が書いてある。それぞれの型は養育環境によって身に着けるものだ。学校に行きたくない衝動そのままならば、いかなくなる。食事中にテレビを見たくなれば、食事を中断してテレビを見てよいか? 仕事も行きたくなければ行かなくてよいのか? 衝動統制しなければ社会不適応者だ。ストレスだろうとなんだろうと、社会適応において衝動統制の障害があればなんらかの形で衝動統制が必要だ。養育環境で身に着けた衝動統制は、成人になれば適応できなくなることが多い。だから先生は合理的な衝動統制に切り替えるように教えてくれている。衝動統制の障害があることを自覚し、それを自らコントロールして社会適応を目指す。
たとえば、両手のない身体障害者が足を使って食べたり、口を使ってものを書いたりするのと同じ、両手の機能をどこかで補わなければ生活できない。障害が目に見えないだけで、障害によって機能していない部分を何かで補わなければならない。それが衝動統制だ。
JETさん
大きなお世話は、受動型ASがジャイアンについて衝動統制しないよう言っていることだ。ウエメセヤメロなのだ。だから、m2さんにご自身に向かうよう書いた。そしたら、困ったチャンに困ったところを言ってくれませんか?と要求してきた。それに返答したら今度は他から矢が飛んできた。
意味わからんよ。受動型ASのジャイアンへの上から目線の発言に黙って聞けと? 大きなお世話だ。私にお世話を焼いているm2さんは、JETさんはそのままでよいと。
m2さん
私へのお節介はもういいから、今度はJETさんに衝動統制が必要ないことを説明してあげてください。JETさんは「その人がどうしてそう思うのか」を考えてくれるそうだ。
(追加)
人の振り見て我が身を振り返って、『自分に向けただけ』の反省文コメントは、それを読む人にとっては自己棚上げした揚げ足取りと受け取られるのです。なぜなら、コメントは『相手に投げかけられた言葉』だとまずは判断されるからです。
それからみさんとやんばる先生は立場が違いますから、全く同じ発言でも全く違って受け取られます。
長嶋茂雄神様から「ボールしっかり見て」とアドバイスされたら感激して一生の思い出になるかもしれませんが、草野球のオヤジから言われたらただのヤジと受け取られます。
そういうものでしょ~が。
ちひろさん
>私はつい最近まで、自分でも認めたくない自分の嫌な所を指摘されたときに限ってムカッ!と来ていました。
(そのくせ人の欠点は指摘するという、、、)
自分の欠点を思い起こさせるあらゆる言葉が「否定」に聞こえ、
そこで相手を攻撃すると『自分の不都合な点を見なくて済む』という逃げ道が作れていたわけです。
>
↑
これ覚えてる。
これってみさんが書いた文だよね。
私はこのような文を書いた覚えはないのだけれど、いつどこのコメントでしたか?
この文だけ見ると、私は読点やカッコ書きするために改行する癖がないので、私が書いた文ではないような気がしますが。
>長嶋茂雄神様から「ボールしっかり見て」とアドバイスされたら感激して一生の思い出になるかもしれませんが、草野球のオヤジから言われたらただのヤジと受け取られます。
ですから、しっかりと先生の記事やのび太ジャイアンの図を基に書いています。だから引用・参考にしたところをときどき書いています。
草野球のオヤジからの野次は、引用・参考を基にしていないでジャイアンに衝動統制しなくてよいと言ったり、自分から見た相手を評価したりすること。
私はm2さんの「だから、ASもADHDも、発達障害所以の衝動を抑制してはいけないんだ。そのようにこのページには書かれている」というので「どこじゃ?」と聞いている。私には、『参加者のみなさんへのお願い』の先生の文章にそのような個所は読み取れない。「?」なのだ。ちひろさんは読み取れるか?
もし読み取れたら丁寧に説明してほしい。
m2さんへ
どうもm2さんは、道産娘さんのようになることを私に要求しているのではありませんか?
その要求はありえないことですよ。m2さんの「普通」中の「普通」という、ある一定の本当に狭い範囲の規格にはまらないとジャイアンでない、という異常な論理に私を当てはめようとしているように感じます。
それはm2さんの「こだわり」であって、その「こだわり」に当てはめたいだけです。
『受動型ASの普通へのこだわり』の文中に、
<本当の多数派の「普通」は、(私もADHDなので表面上の行動からの想像や実際聞いてみた結果からだが)こういう極端なものでは無く、全体を包む「空気」の中に、50パーセントから前後10パーセント程度の広がりを持ったものとして「普通」があり、しかも「変わっている」「異常」との境界は連続的で、「少し変わっている」「大いに変わっている」というのがあるだけである。だから「自分が普通」と死に物狂いに力説することは多数派の「普通」の話ではなく、発達障害の問題そのものなのだ>
と書かれているとおり、ジャイアンといっても様々なバリエーションがある。そして様々な個性、個人の能力がある。それを認めない限り、m2さんの「こだわり」のなかのジャイアン像を要求し続けるだろう。
<「誰かが本人を理解することも、本人を大事にすることも、100パーセントを求めることは出来ない」という単純な当たり前の真実を認める>
と書かれているとおり、当たり前の真実を認める必要があるのだ。
<だから受動型ASの人には究極の選択が必要である。「100パーセントを求め続けて孤立する」結果を選ぶか、「100パーセントを断念して50パーセント、70パーセントで納得するようにして>
私は道産娘さんにはなれない。当然、ジャイアンの型も個性も、個人の能力も違う。それを100%求めるのは不可能だ。その「こだわり」は、私にとって「迷惑」なことだ。「こだわり」は迷惑をかけない、とんでもない勘違いだ。m2さんの「こだわり」に、私は「迷惑」している。
周囲の方へ
m2さんの「こだわり」であるジャイアンの本当に狭い規格に、私が沿うことを希望しますか。ジャイアンの「尊厳」と「自立」を捨て、m2さんに従うように要求しますか。
m2さんの「こだわり」であるジャイアンの本当に狭い規格に沿うことが、私にとってものすごくストレスです。その強烈なストレスにさらされている私に、さらにストレスにさらされろと要求するのですか。
私にはそのプレッシャーをかける周囲の人たちが「鬼」に見えます。受動型ASの「こだわり」に、自由を愛するジャイアンを押し込めようとする、これほど拷問はありませんよ。
貴方がたは受動型ASの「こだわり」による他者への100%の要求を良しとするのですね。良しとするなら、ご自身が受動型ASの「こだわり」からの要求を満たしてあげればいいのではありませんか。
私は受動型ASの「こだわり」による他者への100%の要求を良しとはしません。ジャイアンの「尊厳」と「自立」を捨て、m2さんに従うことこそジャイアンらしくなくなる。嫌だ。冗談じゃない。
m2さんは道産娘さんとの会話を楽しんでいたのでしょ。邪魔されたくなかった。だから私が道産娘さんに指摘したことを快く思っていなかった。だから勝負がどうこう言っていた。邪魔者の私は排除したい。排除して自分の思い通りの会話をしたい。
m2さんの衝動統制がどうのという話は、道産娘さんのようになったら話してやるよ、といった上からの姿勢だ。
悠々とさんとPaul Carpenterさんにも、m2さんの思い通りの会話ができないから怒って排除。m2さんが要求しているのは「自分が心地よくなるための相手を集める」ことではないか。
だったら、道産娘さんを連れて、ご自身でブログを書いて、受動型ASの方たちと会話を楽しめばよい。以前、m2さんが先生にコメントを移動させられたことがあったでしょ。先生にご自身でブログをつくるように言われたでしょ。「面倒だ」といったからコメントを移動させられた。自分の思い通りになることを要求しすぎるからだ。それを今回も同様に繰り広げている。あのときの先生のその後の記事は、m2さんのことを引きずっていた。それほどジャイアンを不快にさせるのだ。
『受動型ASの普通へのこだわり』の文中、
<このブログでも過去に受動型ASと思われる常連のコメント氏が居られ、誇大的ともいえる態度で私をはじめ多くのジャイアン氏の怒りを買ったことは記憶されている方も居られるだろう>
これはm2さんのことだ。今回もまた、同じことになっている。どれだけのジャイアンの怒りを買えば気が済むのだ?
ちひろさん
「意味不明な人々」と「私はつい最近まで、自分でも認めたくない自分の嫌な所を指摘されたときに限ってムカッ!と来ていました」の二つで検索にかけたら出てきましたよ!
これは『多数派が発達障害を攻撃する理由』のももこさんのコメントだ。ももこ / 2010.10.29 15:13
もしかして、ちひろさんのなかの私は、さまざまな人と合体した想像上の人物になってしまっているのかな?
私は道産娘さんのようになれというのではないんだ、ちょっと違うんだけど・・
道産娘さんの反応を見てたら家のジャイアン母の反応とそっくりだった。みさんも字数は多いけどまあ同じことなんだ。
ジャイアンはテンプレートだなあと思いながら見てました。
ADHDについてASは外側から見てる、ADHDは内側から見てる。表現は違ってくると。
それで衝動統制は、最初は大切なものを大切にするために始めると思うんだけど、それで前にみさんに衝動統制を何故やるのと聞いてみたのです。
私はちひろさんは社会性があるようだなあ、と思って見てるんですが・・
LDだけの人がいるなら、その人はASやADHDより困難ではないかと思う、普通の波の中にいるだけに
あのですね資格試験まであと5日となってしまいましたのでマジヤバイということで離脱いたします
皆様ごきげんよう
JETさん
JETさんのm2さんの意見をこういうことかな・・・と考えていたことはわかっていました。
ADHDは衝動を統制する部分の脳の機能の障害があるから、その機能を補うために身に着けるもの。
「最初は大切なものを大切にするために始める」ものではなく、もともと生れ出たときから脳の機能の障害があって、養育環境の中でしつけによって衝動統制を身に着ける。その型が、「合理的根拠があるから我慢する」だったり、「褒められるから我慢する」だったり、「普通であるから我慢する」だったり、「見捨てられないために我慢する」だったり、「責められないように我慢する」だったり、「我慢しない」ということになる。それが思春期以降に破綻することが多い。そこで、脳の機能の障害はそのままだから、「合理的根拠があるから我慢する」をインストールすれば依存というADHDにとって本来の姿でない状態から抜け出せる、ということ。
私は、空気は読めないが理解する能力と理屈をいう能力を伸ばしてきた。依存家庭だったから依存型だったけれども、厳しく育てられたために、今は合理的すぎて根拠がなければ聞く耳をもたない「超合理的強迫的ジャイアン」化している。
『ジャイアンの生育③超合理的強迫的ジャイアンへの道』にある、
「合理性において自分よりも上で、本人を納得させられる理論を持っている相手だけに聞く耳を持つ」という状態だ。m2さんの根拠のない、根拠を指し示すことができない「ジャイアンは衝動統制をしなくてはいけない、これは間違っています」という発言に聞く耳をもてない。そもそも、m2さんは持論を展開しているだけで根拠を示してはいない。ADHDの診療に関わる発言だ。だから私は繰り返し言っているのだ。
JETさん、資格試験、頑張って!
あれ・・すみません。間違えたみたいですm(_ _;)m
では書き換えます。
自分でも認めたくない自分の嫌な所を指摘されたときに限ってムカッ!と来て、そのくせ人の欠点は指摘して攻撃し、す「自分の不都合な点を見なくて済む」という逃げ道が作っている依存型ジャイアン・・それがみさんかな。
その最たる理由は、「揚げ足取り、オウム返し」と呼ばれた時のみさんの激しい反応です。
いままでさんざん人の揚げ足をとっておきながら、つまり野次を飛ばしておきながら、
『野次を飛ばす前に、「ご自身の傾向を分析していただきたいと思います」人を評価して相手を怒らせてしまった経験がありませんか?人を評価する前に、ご自身と向き合ったらいかがですか?』
と、平然とオウム返しをして、合わせ鏡の向こうに逃げていく姿が、わたしにとって「ももこ」さんのコメントと重なりました。
なるほど(欠点を指摘して攻撃する=揚げ足取り)は「自分の不都合な点を見なくて済む」という逃げ道なのかと。これに「オウム返し」が加わり「自分の非」を相手に跳ね返して、発言を封じれば、鬼に金棒だと、みさんの行動につじつまが合ったと、理解できたと感じたのです。
ただ、先に書いたように、文章の書き方に問題があって自己ツッコミが他者ツッコミだと誤解されるのではないかとも思っています。
まあ・・これもご指摘にあったとおり・・私の想像上の人物のみさん以上にはなれないのですが・・残念です・・(ToT)
みさん、ありがとう。
衝動統制は、社会適応のために必要不可欠なものであり、ストレスを感じようとも優先させるべきものだということですね。
ストレスの結果、十分に社会適応できるようになるまでは、周囲により迷惑をかけてしまうおそれがあるのかどうか。この点については、特にコメントをなさっていないようですね。一時的に迷惑をかけるかもしれないし、かけないかもしれないし、ともかくそこは捨象して、やはりADHDにとっての(ないしみさんにとっての)最優先は社会適応のための衝動統制だということなのだろう、と俺は推測してます。
俺の中で整合性がとれておらず、それゆえに面白いなと思っているのが、みさんのコメントと、やんばる先生の「偏屈者宣言
」との異同です。
やんばる先生はみさんに「合理的な衝動統制に切り替える」ことを推奨し、みさんは実直にそれを実行しようと努力し続けているのですよね。一方で先生は、俺は偏屈者だと堂々と公言し、あたかも合理的衝動統制すら放棄せんと言わんばかりです。
ADHDにも個人の個性があるから、みさんに合ったものと先生に合ったものとが異なるのかもしれません。俺がASだから、思考の枠組みが異なるため合理性を見いだせないのかもしれません。いずれにしても、この対比に発達障害の多様性と深遠性の一端が垣間見えるなぁと思っています。
もともとの予定通りですが、今週末から今日まで温泉旅行で心を癒してきました。
時間も無いので、簡単に。
ホックさん
ほぼ、想像の通りです。
ただ、ADHDらしく偏屈に → 偏屈・普通にならない をADHDらしい衝動を抑えない、と読み替えています。
みさんは、衝動抑制という言葉を2種類の使い方をしています。
それがわかりにくい原因です。
やってはいけない、ADHD・ASとしての衝動を抑えること
やらなくてはいけない、他の人に迷惑をかける行動を抑えること
みさんは、道産娘さんとの時に、子供の時にADHDらしい行動をすると怒られたようなことを書いていました。
これが原因だとすれば、上の抑制は簡単に抜けないでしょう。
みさんは、どちらも抑えていると思います。
今回はADHDは下だけを抑える、といいながら、ASは上を抑えろ、と言っているので、皆混乱しているのです。
本心は、自分は上を抑えているのだから、ASも上を抑えろ、なんですけどね。
みさんは、ここまで空気を悪くしている、その能力はすごいと思うんです。
もし、みさんが空気を良くするほうに回ったら、すごいことになるんですよ。
ASはじょじょにしかよくなりませんが、ADHDはよくなる時は一瞬です。
「偏屈者宣言」素晴らしいですよね。
ジャイアンが、ADHDの衝動を抑えるとどのような迷惑をかけるか? たぶん、この2つかと思います。
1.他人に同じような我慢を強要すること
今回もいろいろなことを強要しているわけですけど、言われる方はなんのことかちんぷんかんぷんだから、困るのですよね。
(自分が我慢してるから)を前に足すと、なんとなく言いたいことは伝わってきます。
多数派は目立たないからいいのですけど、受動型ASは目立つのでターゲットになってしまうのでしょう。
確かに我慢をやめれば、迷惑をかける行動は減りそうです。
2.一貫性の無さが相手を混乱させること
受動型ASは特にそうですが、多数派でも相手はどういう人だから、というのは考慮に入れていろいろな判断をするはずです。
みさんはADHD的欲求を抑えているから、正常な時はAS的に見えると思うんです。
普段から暴君ジャイアンなら、「この人だから仕方ないか」と思うこともあるわけです。それが嫌なら、最初から逃げるという選択肢も出てきます。
また、そういう人に対して、「いいたいことをはっきり言え」→ はっきり言ってはいけない というのも何となく常識として持ってますよね?
普段のみさんがそういうことを感じさせないくらい論理的だから、みななかなか実行できないのですよね。
私だと、見かけもASだし、雰囲気もASをかもし出していると思うので、リアルでAS的な行動をしても、たぶん人から見て違和感が無いというのはかなり大きいと思ってます。
発達障害の場合、文章だけだと誤解を与えやすいところはある、と思います。
偏屈者宣言は、そういう効果もあるだろう、と考えています。
私自身に限って言えば。
これまで、職場やいろいろな所で晒してきた、みっともなく情けない自分を否定しないけれど、自分を振り返りきちんと考える事も、やめない。
自分の存在を自分で尊重しつつも、自分で自分を工夫したり改善したり振り返ったりする思考は捨てない。
このようなスタイルになると思います。
今日は私の現実において、非常にトラウマが強かった日だったけれど、家を出る前のラベンダーのセルフトリートメントと、自販機で買ったホットミルクティーが私の心を落ち着けてくれました。
今居る職場は、過去にトラウマを負った職場ではなく、未来はまだ決まっていない。
自分のAS独特の思考に飲み込まれそうになった時、ADHDさんの職場における図太さを思い出しながら、こんなに私と大きく違うんだなぁという事を笑い飛ばし、なんとか冷静さを保ちました。
今日、職場に行き、休んでしまったお詫びの品を、電話をした親からなのでと何とか院長に受け取って頂きました。院長からは、これから休む時には電話をくれればいいからね、とだけ言われました。休むまでの4カ月間、初めて職場に入った日から皆勤で遅刻なく務めた甲斐があったというものです。現場の皆も、あたたかく、いつのものように迎えてくれました。
通常業務。職場は私を乗せてくれながら、また動いていきます。
今日は、私の過去の どの日よりも確かな一日になりました。
ひと山、越えたみたいです。
zzzさん
誤解を解くために。
先生は、平成18(2006)年に偏屈者宣言をしたのです。それまで先生は、無理をして「普通」、多数派と同じになろうとしてストレスを生じさせていた、それをADHDらしく生きると宣言しているのです。本来のADHDの生き方をするということは、「普通」になろうとすることを諦めること。ADHDの脳の仕様に合わせた生き方をするということ。何も衝動統制をしないといっているのではありません。
ADHDの脳の仕様に合わせた生き方については、先生が書かれる記事の中にあります。もう膨大な量になっているので検索するのが大変になってきているけれども。その中で先生は、率直にご自身の衝動統制、自己突っ込みについて書かれているのです。そして最近になり、『迷惑をかけても生きる』のなかで、中心志向の自己突っ込みは最近まで継続していたこと、のび太に近い境地(合理的なADHD)に進むにつれて自分が迷惑をかけることに平気になりつつあること、を書かれました。この間、約6年です。そう簡単に合理的ADHDになれるわけがないのです。合理的ADHDの衝動統制は「合理的根拠があるから我慢する」です。
(つづき・・というか・・)
あ。しまった。
ジャイアンさまって、自分を棚上げして人を批判しているのではなく、自分がされて嫌なことは他の人にやってはいけませんっていうことがとことんわからないという障害をもっている人だった・・・Σ(゚Д゚|||)
すみません・・なんか基本を忘れていたかもしれません。
結局、自己像の投影しかできてなかったみたいです。
私は・・客観的な自己をつかむために、自分の感情や内省する言葉を疑うことをスタートに主観を切り崩していきます。
「自分の主観はまちがいである」です。
もちろん、そんなメンドクサイことをいつもやっていると病気になりそうなので、ほとんどは主観の中で平穏に生きているのですが、必要になったと感じた時に使う、心のメスです。その時出た答えを心にメモって保管しておいて、状況に応じて取り出してつかったり・・つかわなかったり。
私の客観像はそうやって集めたメモの束でつくったハリボテ
です。本来、自分の客観的な姿というのは他者の目に映る姿なので、私が見ているハリボテも本物ではないけれど。
前のコメントはみさんの主観(それも私が勝手に想像したみさんの主観)はまちがいであるとういことを大前提に言葉をつなげてしまいました・・みさんは私じゃないのに・・そんなはずないのにね。
zzzさん
先生ご自身の「型」とみさんの「型」の差があるのではないかと思います。
m2さん
なるほど、m2さんの言葉の世界は繊細なんですね。
ADHDに限らず、細かい分類が苦手な人は意味が解らないかも。(私もそうかも)
とにかく全て我慢ね!となってしまうと、確かにストレスたまるでしょうね。
今回の件で「ADHDが答えを待てない」のは実感として分かりました。
みさんの私へのレスは徹底してシャットアウトしていますが、理由は、問いかけの返事が絶対にイエスである前提に話を進めているから、問いかけの段階までの返事しかしてない事にしました。
「~~~していただきたいと思います」
「してください」
この返事が「了解しました」「そうさせて頂きます」
などの場合のみ、会話が続くと思うのですが。
その返事を聞く前に「自分はそう頼んだのだから、相手がやってくれて当然」として話を進めて行きますよね。
ADHDの子供によくある「貸してね、とおもちゃを奪い取っていき、揉めてしまう」王道パターンのような。
多数派だと泣かせたで済みますが、こだわりのあるASからおもちゃを取り上げた場合、取っ組み合いの喧嘩になったりしますよね。
これをm2さんの言ってる方法で解決すると、
「貸してね」を我慢するのではなく、「相手の返事を待つ。理由は待てば貸してもらえるという合理的な理由があるから」となるのでしょうか。(違っていたらご指摘お願いします)
今のみさんは、「貸して欲しい」という気持ちを抑えており、表現も出来ず、相手に「我慢しろ」という部分的な言葉だけを投げかけ、自分がそれを持っていない理由を並べ・・・
意味不明な文章と主張だけが並べられているのかな。
もうひとつ、m2さんの世界だなぁと思ったのは、「道産娘さんに刃物でも向けかねない」という発想です。
私の想像ですが、憎しみのあまり、ASは相手に刃物を向ける(相手を傷つけるという方向に動かす)発想に行きがちなのだと思います。だからこそ「刃物でも向けかねない」という言葉になったのだと思いますが、みさんが人質に取っているのは「自分自身」じゃないかなぁと。
自分自身に刃物を向けて「私が傷つくぞ!いいのか!」と言ってる場面が浮かんでしまうんですよね。
実際に切って「ほら!こんなに切れた」「ほら!昔の傷も開いた!」「おまえのせいだ!」
いえいえ、切っているのはご自身ですよ、と。
私は正直痛くも痒くもないのですが、AC、AS傾向だと辛くなる場面ですよね(だから自分がASだという自信がないのですが)
だから、必死になって止めに入るのかな。
話がそれてしまいましたね。
ちひろさん
ちひろさんの発想、大好きです。
>長嶋茂雄神様から「ボールしっかり見て」とアドバイスされたら感激して一生の思い出になるかもしれませんが、草野球のオヤジから言われたらただのヤジと受け取られます。
そういうものでしょ~が。<
すごい!と思いました。
そして、反省しました。私も草野球のオヤジでした。
>
ですから、しっかりと先生の記事やのび太ジャイアンの図を基に書いています。だから引用・参考にしたところをときどき書いています。<
更にびっくりしました。長嶋の本を片手に声をかければ、長嶋と同じ効果が得られる・・・わけないよね。
自分は自分にしかなれないのに。
ちひろさん
いえいえ。ピコピコハンマーでポコっとやられたのはわかったのだけれど、逆だったのね。
>ジャイアンさまって、自分を棚上げして人を批判しているのではなく、自分がされて嫌なことは他の人にやってはいけませんっていうことがとことんわからないという障害をもっている人だった
まぁ、その通りなのだけれど、とことんわからないのではなくて、いけないとわかっていてもやってしまう脳の仕様で、その度に自己突っ込みする人たちのこと。
ASがADHDを理解するのも、ADHDがASを理解するのも難しいよね。でも理解しようとします。
おせっかいですが、ちひろさんへ
「KYの依存型」の記事に道産娘さんからメッセージ入ってますよ。
ホックさん
>問いかけの返事が絶対にイエスである前提に話を進めているから
>その返事を聞く前に「自分はそう頼んだのだから、相手がやってくれて当然」として話を進めて行きますよね。
ホックさんはシャットアウトですから、何をいっても無理でしょ。その時点で諦めています。つまり、「自分はシャットアウトするが、人のことは批判する」という聞く耳をもたない姿勢なのかと思っていました。
この2つの発想は、依存が基本のASの傾向なのではないですかね?
>長嶋の本を片手に声をかければ、長嶋と同じ効果が得られる・・・わけないよね。自分は自分にしかなれないのに。
別の言い方をします。たとえば大学のレポートで引用・参考文献を基に書きますよね。そして自分の考えを書く。引用・参考文献を理解していなければ、人に読ませるような文章にはならない。理論から実践へ、実践から理論への繰り返しで熟達していく。この熟達の過程は「臨床の知」といわれるもの。ジャイアンの合理的衝動統制もまた、理論から実践へ、実践から理論への繰り返しで熟達を目指す。そのために、先生は記事を書いています。
みさんがそう思うのなら、それで良いですよ。
ホックさん
>問いかけの返事が絶対にイエスである前提に話を進めているから
>その返事を聞く前に「自分はそう頼んだのだから、相手がやってくれて当然」として話を進めて行きますよね。
私は
>ホックさんはシャットアウトですから、何をいっても無理でしょ。その時点で諦めています。つまり、「自分はシャットアウトするが、人のことは批判する」という聞く耳をもたない姿勢なのかと思っていました。
と私が思っていたことを書いたのですが、私が書いたことは「真」ではないということですか?
ホックさんの中では、私が思ったことは私が表現したことよりも、ホックさんの分析が正しいということですか?
これを疑問に思っているのは、m2さんとのやり取りでずっと感じていたことなのです。ADHDがADHDのことを説明しても理解が得られなくて徒労に終わります。
もしかしたら、ADHDがADHDのことを理解しているよりも、受動型ASのADHDへの分析が正しいと思っているからなのかな?
ホックさん
>「貸してね」を我慢するのではなく
はそうなのですが、「相手の返事を待つ」は中心志向が無い人の発想と思います。ジャイアンは待てないですね。
先生のジャイアンの性質から考えると、方法は3つほどあるかと思います。
1.貸してもらう相手がより喜ぶようなものを与える
悪い言葉で言えば「買収」ですが、これがジャイアンからして一番合理的な対応方法と思います。
2.丁寧に「貸してください」と言う
3.誰もいないところで「貸して欲しい」と大声で泣く
これを我慢して、2で対応しているジャイアンに文句を言ったり、同様に「こだわり」から貸してもらいたいとわめくASに文句を言ったりするのですが、全然関係無い人からなぜ文句が来るのか? がわからない、ということでしょう。
>みさんが人質に取っているのは「自分自身」じゃないかなぁと
確かにそうですね。相手に刃物を向けるのはASだ。
ADHDは自傷、ですね。
>自分がASだという自信がないのですが
ホックさんはASだろうと思いますが、ASって男と女じゃ判断基準が全く違うと思うのです。
男性はほとんどがAS傾向の考え方を持ってます。
そのうち、極端にAS傾向が強い人がAS診断になる、という認識です。
一方、女性はほとんどがADHD傾向です。
女子会なんて、ADHDで無ければ人にあらず、って雰囲気ですもの。
女性だけの集団で、違和感を感じるのであれば、ASと言っていいと思います。男性多数派と同じくらいのAS度合だろうと思うので、男性ASと比較した場合はASっぽく無いはずです。それでも、女性だといろいろな問題が出てくるはずなので、ASと言っていいと思います。
みさん、再びありがとう。やんばる先生にも変遷があったということですね。さすがに俺も、先生が衝動統制を放棄してるとまでは考えていませんでしたよ。何せ「あたかも」ですから。
ホックさん、ありがとう。タイプが違うから、衝動統制の必要性の程度や内容、方向性などが違ってくるということでしょうか。俺の場合、深入りするとしつこさが出てしまうので、だいたいで捉えておこうかと思っています。
それとみさん、差し出がましいようですが、みさんがホックさんの印象を書き込んだのと同様に、ホックさんもまたみさんの印象を書き込んだのではないでしょうか。互いに相手の印象を述べたものは、ともに「真」だと思います。
>ADHDがADHDのことを説明しても理解が得られなくて徒労に終わります。
というお気持ちはよく分かります。ASは思考パターンが異なるので、ADHDのことは理解しづらい部分が少なからずあります。
その上で、ASがADHDについて言及している部分には、次のような種類があります。表現に表れてない場合もあるので、どの部分がどれに当たるのかは、前後関係などの文脈から判断したほうがいいと思います。
1.ADHD一般論を、一般的な視点から表現しようとしているもの。
(ASの視点が混じってしまう場合がある。)
2.ADHD一般論を、ASの視点から表現しているもの。
3.ADHD一般論を、個人的視点から表現しているもの。
4.ADHDの特定の誰かを、一般的な視点から表現しようとしているもの。
(ASの視点が混じってしまう場合がある。)
5.ADHDの特定の誰かを、ASの視点から表現しているもの。
6.ADHDの特定の誰かを、個人的視点から表現しているもの。
「特定の誰か」は、みさんも含めてコメント欄に登場する方々ばかりでなく、家族や親類縁者、上司や部下なども、です。
このうち、ADHDの説明(つまりはADHD一般論)をASが理解できてないといえるのは、1です。
2はASから見ればこうなんです、という話であり、3は私から見ればこうなんです、という話です。4~6はそもそも特定の個人が対象であり、ADHD一般論とは無関係です。
だから、1なら徒労感が生じるのも当然ですが、2~6なら徒労を感じるのはもったいない話です。
そういう観点で、徒労感の生じた箇所を読み返してみてもいいかもしれません。ホックさんもm2さんも、1ばかり述べているわけではなさそうですよ。
みさん
何度も言うようですが、あなたの思いたいように思って下さって結構です。
m2さん
買収ですか。2と3は思いついても、1は思いつきませんでした。
もしかしてこれが、m2さんの言っていた
「自分の都合の良いように振舞って、みんなを幸せにする」
これに当たるのでしょうか?
>ASって男と女じゃ判断基準が全く違うと思うのです
うーん、実は女だけの集団でも別に違和感はないのです。
昨晩も女子会してきたばかりです。
ただ、自分が感じてないからといって、周囲も感じてないかというと、そこはイコールではないと思うので、多分一定数、私を嫌いな人はいるだろうし、私自身も若干苦手な人も混じってます。
ただ、確かに男性の集団の中で過ごす方が気楽というか、話が通じやすいです。
「どうでもいいじゃん」という基準が男性に近いように思っています。
ホックさん
世間じゃ、買収って悪いこととされていると思うのですが、お互いがWin-Winで無いのは買収とは言わないので、そんなに悪いことじゃない、と思うのですよ。
ジャイアンが自分の欲望を満たすために、他人を幸せにする、それを否定してはいけないと思うのです。
ジャイアンが多くの人からの指示を集めてしまうと困る人がいるのは確かなので、私からすると、敵はそういう人です。
そういう風に考えると、ジャイアンも生きづらさは抱えていると考えるのです。
>男性の集団の中で過ごす方が気楽
ああ、女性の受動型ASだと、そういう認知になるんだ。
女性の受動型ASは、理論上一定数存在するはずなのですが、外から見ていると全くわからないんです。
だから、どういう風に見分ければいいのかが知りたかったんです。
積極奇異型ASの女性と違って、受動型ASは女子会に参加はできると思うんです。
私の「違和感」と想定したのを、「気楽じゃない」と言う表現をされています。
受動型ASなら、女子会のADHDの空気にあわせて対応はできると思うんです。
空気と自分が違うのではないか? を私は違和感と推測し、実際は空気とあわせるために気苦労をされている、ということですね。
たぶん、ADHDの演技をされているんだ。
やっぱり、それだと女性の中に混じった時は、外から見たら区別つかないですね。
男性の中で紅一点で違和感が無いのがASと考えればいいわけか。
でも、ジャイアンACと表面上違うのは暴走するかしないか、だけだから、やっぱり見分けは難しいかも。
m2さん
女子会の件、
うーーん、そこまで細かく考えたことがなかったです(笑)
m2さんの参考になったのなら良かったですが、あくまでも私の場合なので、参考までにお願いしますね。
>男性の中で紅一点で違和感が無いのがASと考えればいいわけか。
これも私の場合ですが、お茶くみや気配りなど、いわゆる女性的な紅一点ではなく、仕事などでの判断基準が一致しやすいという意味です。
当然女性扱いはされません。
ようやく、本題に戻ることができる。
>受動型ASの想像力が非常に特殊な形をしており、それが対人関係のパターンの行動をも帰結する可能性
これは受動型AS当人の立場からすると、難しい話ではない。
ここの例には直接は当てはまらないが、受動型ASの想像力や対人関係については、一部のジャイアンに大きく影響されている、ということはわかっていた。
しかし、具体的に言葉を選んで話をしないと、この程度ではすまない炎上が待っているのはわかりきったことだった。
また、感覚としては持っていたのだが、具体的に言葉で話すのは簡単な話ではなかった。
今回の件で、受動型ASの対人関係のパターンについては、かなり整理できたと思う。
受動型ASの対人関係は、ジャイアン相手を除けば、多数派とそうそう違いは無い。ただ、ちょっと(すごく)変わっているよね、程度でしかない。
問題はジャイアン、しかも偏屈者宣言に至っていないジャイアンだ。
この人達は、
(自分が我慢しているのだから、)あなたも我慢しなさい
と言って来る。
これに対して、言われた人は3通りほど対応方法が考えられる
① 相手の言ってきていることがおかしいのだから、とことん戦う
私のやり方だが、これは相手に勝てないといけないので、誰もができる方法ではない。
また、リアルで③の逃げが利かないケースではリスクが高い。
② 相手の要求に合わせる
ぬまおさんのやり方。私もリアルでは①のリスクが高いので、使う時はある。
③ 逃げる
多数派を含め、大半の人はこの手段をとる。
しかし、今回、③は攻撃とみなす、しかも①よりもきつい攻撃である、という証言があった。
結果として、①②で対応できる人がいない場合、③の対応を取る人が攻撃対象になる例がありそうだとわかった。
私はリーダーというものは、ジャイアンか受動型ASにしか勤まらないと思っているが、①②の対応ができる人がいないと、多数派を護れない、ということなのか。
①③の対応を認めないのだから、②の対応しか認めないと言っているに等しい。
これが、受動型ASから見た場合、「ジャイアンは受動型ASの行動そのものが気に食わない」ように見える。
ただ、この感覚は、「偏屈者宣言済みのジャイアン」にもあるのではないだろうか?
この恐怖心から、大半の受動型ASは、ジャイアンに対しては本音を話さない、ということになる。
だから、ジャイアンから見た場合、受動型ASの想像力は特殊に見えるのだ。
受動型ASもジャイアンACに対してDVをすることがあるだろうが、これらのジャイアンに②の対応をさせられている鬱憤を弱い立場に対して晴らしているだけのように思える。
受動型ASに問題が無いとは言わないが、問題の起点があるとは思えないんですよ。そもそもそんなに行動力ないし。
全ての起点は、「偏屈者宣言をできていないジャイアン」にある、と考えています。あれくらいのエネルギーが無いと問題なんておこせないですよ。
はは。こっちで続いてたんですね。
私はm2さんやzzzさんの話している事、理解できます。
私も みさん がm2さんの言う③逃げる(これ、拒絶も入りますよね)をさせたいのかな?と感じます。感じる理由はASさんと違うかもしれませんが、今の場合理由が重要なのではなく、みさんの意図とは違う感情を他人に与えてしまうことが重要なんだと思います。(m2さんのすじがきからそれて言葉を借りてすみません)
また、いびつさんの言うようにみんな自分の事を話せばいいのにと感じます。自分の『型』を背負いすぎているし、相手の型で判断し過ぎに感じます。そんなかでも色々あるでしょうに。自分の個性と型の特性を明確に区別できるんですか?
道産娘さんのお話がみさんの問題意識を駆り立てたこと(私も同じように感じた部分があります)、paulさんのお話にm2さんがお怒りになったこと、どちらも型の独断や自分以外の型に敬意を払った態度でなかったことに起因していると思います。(とはいえ自分が言われたわけでもないのに謝れとは思いません)
私達それぞれが違ったものを持っていて得手不得手がありますけど、そのどれもが本当は尊重されていいものなはずです。型はお互いを理解し合うために便宜的に使うためのもので、自分を正当化したり相手を貶めるために使って欲しくないです。型 と 先生の考え を自分のカードみたいに利用するのはやめた方がいいと思います。
…こういう場所なのに意外と多数派はやり玉に上がらないですよね。不思議。
興味の湧いたトピックにのび太の証言をさせてくださいね!
…女性はADHD的については、えーって思いましたw
女のび太にとっては多数派女性が最大の難関です…。でも、振る舞いとしては男性には同じく見えるのかも。ADHDの人がやっちゃった!って思う事を打算でやってる感じかなぁ。(そして、打算でできない事が大問題なので心理的な隔たりはすごく大きいです)
…知識の捉え方がADHDとASでは大きく違うようですね。
おそらくADHDは『知っている』と思うんです。知識を積み重ねて行くイメージでは無いです。細分化とか分類して行くイメージ。
すでに『知っている』ことに新しい項目が増えることはASさんにとっては矛盾のように感じられるかもしれませんが、ADHDにとっては普通のことだと思います。悪びれもなく「そうなんだ!”それ”は知らなかった」と、データベースに追加します。(欠け漏れのない完璧な状態は『これ以上知ることがない』かな。でもそんな状態はあり得ないと思っているかも)
じゃあ全く新しいものを知った時はどうなるの?って思うかもしれません。答えは、それを含む大きな分類が理解できるまで『よくわからない』です。
並列のものを1から順番に並べても理解できません。最終的な枠組みがみえないからです。(こういう学び方は何ができるかわからないレシピを見ながら一から作っているようだなって私は思います。)
ここは多数派とも隔たりが大きく、なかなか理解してもらいにくいです。
ただ、わからなくても(忘れない限り)知識はストックされているので、大人になってくると分類棚が充実し、大体のものを収めることができるようになってきます。そこからは合理的に向かってきます。
のび太幼少期は『よくわからない』・判断を下す基準の少ない世界なので、自分で判断することができず、突飛な事をしなければいいこに見えます。(私の感覚ではジャイアンは損得や感情で判断ができるんではないかなと思います。のび太は自分の感情を基準にすることが下手な気がしています。)
私は成人以降にやっと怒りという感情がどういうふうに起こるのかを発見しました!表現するのはまだ難しい…。
わからないことが少しずつわかってくるので、自分でも他人と比べてゆっくりとした成長だなという感覚があります。
m2さん
面白く読ませていただきました。
m2さんのなかでは、私は「偏屈者宣言をできていないジャイアン」なのですね。
先生は2006年「偏屈者宣言」をし、ご自身がADHDであることを公表し、それをもとに診療し始めました。そしてここ「意味不明な人々」というブログを開設しました。それまでは「普通の精神科医」であったわけです。
つまり、自分が「ADHDですよ」と公表した時点で「偏屈者宣言」です。
私は自分が自己診断で「ADHDである」と宣言しています。つまり、これが私の「偏屈者宣言」です。もう2年前にとっくに済ませています(^_-)
理屈っぽい超合理的強迫的ジャイアンは、文章からはASのようにみえるので、「偏屈者宣言をできていないジャイアン」となってしまうのでしょう。ぜひ、2009.02.23『ジャイアンの生育③超合理的強迫的ジャイアンへの道』の記事をお読みいただけるとありがたいです。
理屈っぽい超合理的強迫的ジャイアンは、「理屈による相互理解」を求めます。ですが、m2さんは「勝負」と捉えたということでしょう。同じ土俵にはいません。
おお、なつもかさんのお話は理解できる!
そう、「知っている」。そして脳は理解できることはすでに知っていることなんだそうですね。
私は概念がほしいと思っていました。大きな分類てやつですね。
私はそれを追っていて人生が足りなくなりそうになっています。
20代までは赤ちゃんとか言われてました。
30代過ぎても人には私の怒りは気づかれなくて、「かんかんに怒っている」と訴えてもそうは見えないと言われてました。
感情を基に判断するのは重要ですね。非常に苦手だった。
なつもかさんは自分のことを話せるようになったのはいつ頃でしょうか。私はほんの、ここ2~3年なんですよ。私には「型」は自分自身を知るための重要な概念なのです。
べ勉強します離脱~
もうちょっと書こうかな。人生においてさまざまな出来事がありますが、私は自分におきた不利益を納得するためにも「型」を知りたかった。また個性という言葉、これは私はあまり使うときが無いんですよね。何故か使うときが無い。話が終わっちゃうからかな?障害は個性なんて言い方もしますね。あるASの女の子が言ってたんですが、この子はこの言い方を非常に危惧していた。「個性」では支援が受けられないと。この子は障害が合併していて重篤な状態だったので切実なんですね。
あと色々な「型」は自分の周りの意味不明な人々を知るのにも必要でした。ここで勉強するまで人間が(自分が)どうなっているか殆ど分ってませんでしたしね。
JETさん
私は、私のこの現状が”本当は”どうなっているのか知りたかったです。もしも有るのであれば「型」を知りたかった、この一心でしたよ。「本当はどうなっているのか」、この鈍い閃きの中で自分を保ち続ける事ができなければ、私はここにはたどり着いていなかったかもしれません。
よく分かります、そのASの女の子の話。
私は、離人症どころか、自我の崩壊(廃人状態)一歩手前まで行きましたから。
私もここで勉強するまで、他の人間や自分が一体どうなっているか、ほとんど分からなかったです。
廃人手前から離人症にかけてを行ったり来たりしていた頃、なぜかフィギュアスケートの生中継番組をよく見ていました。トリノオリンピックが開催される少し手前の年、荒川選手が底力を上げるかのように活躍するようになった当時辺りから、テレビで試合の始めから終わりまでが生中継で放送され、日本人選手の特集生番組枠がきちんと確保されるようになりましたっけ。選手のその後が毎年継続的に格段に追いやすくなった当時から5年辺りが過ぎるまで、重たい体が吸い寄せられるかのように毎年リアルタイムでの試合中継をよく見ていました。不思議な事に、テレビに映る人間の表情だけは違和感なく自然のものに感じられたのです。なぜこの選手は今このような表情をしたのか、どうしてこのような言葉を言うのか、最初、私は解説者の解説にかなりの衝撃を受けるばかりでしたね。トリノという大舞台の中、美しさが点数には加算されない事を承知で演技構成の中にイナバウアーを入れ、ジャンプやスピン、スパイラルなども曲とともに表現しきった荒川さんの生演技は、緊張感の中で見たけれど、今でもよく覚えています。特に試合後、エキシビジョンの時のケルティックウーマンの曲、 ユー・レイズ・ミー・アップ の歌に乗せた表現は素晴らしかったですね。私はアイルランドのケルト曲が好きなので、曲と表現、双方の美しさにとても感動しました。後から考えて、廃人状態から脱する一つの出来事になったと思っています。
(勉強がんばって~。こっそり応援していますよ)
なつもかさん
血液型論争のようですよね(笑)
「B型はこういう風にA型を怒らせる、ホント嫌だ!」
ではなく、「●●さんにこういう嫌な事をされて腹が立つ!」
で良いと思うんですが、それを本人に言わずに、何故かB型という、●●さんと共通点があるだけの人に言いに来るのは何故。
自分もそうならないよう、気をつけます。
うん、m2さん、もうホント構わない方がいいよ。orz
みさん
>m2さんのなかでは、私は「偏屈者宣言をできていないジャイアン」なのですね
私の中では、みさんの宣言は数日前。
偏屈者宣言とは、「ADHD」を宣言することでは無い。
「ADHDらしく生きる」宣言だ。
ADHDを診断・理解し初めて、偏屈者宣言をするための旅が始まる。
ようやく、その境地に達したように見えますよ。
おめでとうございます。
JETさん
>自分におきた不利益を納得するためにも「型」を知りたかった。
>「型」は自分の周りの意味不明な人々を知るのにも必要でした
これは私にもぴーんとくるなあ。
>(自分が)どうなっているか殆ど分ってませんでしたしね
自分を客観的に見るためには、「型」が役に立つ、ということだと思いますね。
自分の「型」から来る、自分で努力してもどうにもならない部分と努力で対応できる分との分離、「個性」から来る、自分ひとりで対応しなければいけないことの分離。
それが結局自分にかかる問題を解析するのに役立っていると思います。
JETさんへ
説明できるようになったのは私も最近です。私の偏屈者宣言(使ってみたかった笑)は28歳で、そこから徐々に。ただ、どうしても多数派になれないという想いは昔からありました。
自分が損なわれたと感じた場面で、その理由を繰り返し考えました。こちらでYANBARU先生の分類に出会い、言語にするために非常に重要な足がかりを得ました。(多数派だけでなくASさんとも、交流に「微調整」が必要だと知れたのもとても大きなことでした。)
…障害は個性について
私の意図とは違いますが、間違ってはいないと思います。(我々にも型だけでなく、固有の性格があると思っています。それを個性と言ってみました。JETさんが「個性」を使わない理由は、言葉の中にたくさんの意味が入りすぎているからだと思います。)
正確に言うと、個性のある1部分が障害とされることで、社会的サポートを受ける仕組みがある。でしょうか。サポートを前提とすることで、自ら障害の認定を求めるという行動が理解できます。
障害というのは「生き難い」原因を取り除くことが難しい状態かなと思っています。意味不明な人々が「生き難い」のは私たち用に社会のルールができていないためです。
(私たちが「生き易い」特殊な環境が存在する可能性はあると思います。)
…偏屈者宣言について
私はこれを「私のために世界はできていない」という事実を認める行為だと思っています。
私のことを無意識に否定する社会を許します。その代わりに、社会で迷惑をかけるであろう自分も許します(これは本当に難しい)。
のび太にとっては宣言=自分がうまくできないことへの寛容、多数派との溝の認識、社会活動にかかる負担への覚悟 です。
ジャイアンにとってはもう少し過酷なものだと想像します。
>すでに『知っている』ことに新しい項目が増えることはASさんにとっては矛盾のように感じられるかもしれませんが、ADHDにとっては普通のことだと思います。悪びれもなく「そうなんだ!”それ”は知らなかった」と、データベースに追加します。
なつもかさんのこの部分、なるほどーと思いました。
ASの場合、新しい項目は、すでに『知っている』ことの中に分類できるのなら、その中に含めます。分類をほんの少し変えれば整理できるのなら、少しだけいじって整理するのだと思います。
どちらも出来ない場合には、引っかかります。引っかかってデータベースからこぼれ落ちるか、データベースの入り口で詰まるか、あるいは隔離された場所にある「何のことやら分からないけど記憶に残ってしまうリスト」に格納されます。
面白いもので、最後の「何のことやら分からないけど記憶に残ってしまうリスト」に入ったデータは、時間が経つといつのまにか整理され、『知っている』になるんです。
あるいは、ある日『知っている』との共通点が見つかると、いきなり『知っている』に化けるんです。これが化けると、態度や言動も化けます。(自分の過去を振り返って苦笑してます。)
ちょっと時間が開きましたがみさん、そしてさーこさん、お気遣いありがとうございました
明日一緒に試験を受けるジャイアン友人に
「あんた一人で合格したら絶交すっからね」
と言われてまいりました(爆)どうなることでしょう。。。
m2さん
>自分の「型」から来る、自分で努力してもどうにもならない部分と努力で対応できる分との分離、「個性」から来る、自分ひとりで対応しなければいけないことの分離。
私もこのように考えてます。m2さんは分離して解析出来る。解決能力細やかですね。
私はどーしても包括していってしまいます。
「普遍」で解決しようとするのはいかに待て無いかということでもあるわけなので反省します。
なつもかさん
お話聞けて良かったです。それでは本筋に戻りますね。
zzzさん
ASにとって、点の知識、というものは全く役に立たないのだよね。
いくつか関連性のある点の知識を組み合わせて、線の知識になると、なんとか専門馬鹿としては使い物になる。
で、全く別の視点から見た、線の知識と組み合わせることにより、面の知識となる。ここまで来ると汎用性が出てくる。
日常の生活・勉強・仕事、ASに出来ることは点の知識を少しずつ積み重ねていくしかないんだよね。
その知識だけでは何の役にも立たないけど、他の知識を組み合わせたときに、時々「わかった」という感じになる。
ADHDはこのようなものがあるように見えない。
もともとこのような知識は持っているけど、阻害する要因があって、その阻害する要因がなくなると化ける、そんな感じがする。
なつもかさんの話だと、ガラクタでもなんでもまず突っ込んでしまえ、という考え方だから、データベースの完成がASに比べて早いのかな。ASよりもADHDの方が早熟、というイメージがある。
ASはいつかは役に立つものでなければ、データベースに投入しないよね。
あはは!(>▽<)使用頻度と重要度の低いものは忘れて自然消滅します!だから取り込んでも大丈夫ー笑 点々がわーーっと並んでいてですねえ。関連があるものは丸をぐりっと書いておくんですねー。雑ですねえ…笑 でもこの丸をつける事が大事で、何でも出し入れする内に丸の精度が上がって行くんです。そこからだいたいの物事に当てはまる、構造の知識ができてきます。 m2さんのおっしゃる汎用性はこれを利用します。構造を最初に作り上げるから、早熟に見えるだけなんじゃないかなーと思います。 中身はまた構造の中にいれて取捨選択して行くので、結構時間かかると思うんですよね。間違いだらけですしね…。
なるほど、そうだよね。
重要で無いものは忘れちゃえばいいんだ。
ずーっと、ADHD(主に女性)は、なんでこんなに若いうちに完成度が高いんだ、という疑問を持っていたが、そう考えればわかる。
でも、副作用として、毒まで取り込んでしまうんだな。
ADHDの人の成長って、毒を抜くと脱皮するような感じなんですよ。
積み重ね型のASからは考えられないのでミステリアスなのですが、わかってしまえば神秘性は無いですね(笑
正しいものも、まちがっているものも入っているから、一見完成度が高く見えるけど、まちがっているものを整理するのに、時間がかかるのか。
これがわかれば、ADHDの人と対応する時のバリエーションがかなり広がると思う。ありがとう。
m2さん
データベースのお話興味深いです。
人生を生きるためのデータベースを、ジグソーパズルに例えると
アスペルガーのひとは僕から見るとですね
「取得ピースが多いので、実際に取得したピースだけでパズルを組み上げようとする」
というように見えることが多いです。
そしてADHDは
「取得ピースが少ないので、実際に取得したピースから予想される正解ピースを作ろうとする」
というように見えることが多いです。
そう考えれば、ADHDは、構成ルールがわかってしまえば一気にパズルが完成しますし、構成ルールがわからない内は、普通以下のことしかできませんよね。
アスペルガーは、取得ピースが多いので、そもそも取得ピースを整理するだけでいっぱいいっぱいになってしまうことが多いんじゃないか。
(そして、整理さえされれば構成ルールの理解はたやすい。)
そんな風にイメージしています。
このイメージだと定型者は身近にたくさんの「完成図」が歩いていることになりますかね。
途中のやりとりで興味深い点があったのですが
ASの方々は、後藤先生の偏屈者宣言を「非合理的」で「衝動統制の放棄」として受け取る方が多いのでしょうか?
僕には、偏屈者宣言は「合理的」で「合理に従った衝動開放」と映るのです。
なぜなら、衝動統制を、「形式が許す場合には我慢しない」
と捉えた場合、それは統制結果として我慢しないわけですもの。
どうも、偏屈者宣言は、
1.普通に生きたくても偏屈に生きるしかない、という「我慢して偏屈に生きる」宣言
2.「普通に生きたくないから偏屈に生きる」という「我慢しないで偏屈に生きる」宣言
という2種の受け取め方ができるのかな、と思いました。
ちなみに僕の場合は、1.「かつ」2.です。
それしかできないなら精一杯それを楽しもう、と考えています。
悠々と さん
ASは、「実際に取得したピースだけでパズルを組み上げようとする」なのは間違いない。
ただ、受動型ASの場合は、はっきり言ってピースが足りない。
だから、若いうちはそもそもピースが完成しない。
(受動型)ASにとって、人生はピースを探す旅といっても過言ではない。
ADHDはなつもかさんが言うように、ピースは若いうちに揃うが、余計なピースが混じっているので、完成が難しい、の方がしっくりくる。いや、そもそもパズルの完成ルールがわからないのか。
で、パズルを作るのが面倒だから、余分なピースを削って合わせてしまえ、てな感じかな。
作ろうとしているパズルがASは細かなピースがたくさんあるもの、ADHDが一つ一つのピースが大きくておおざっぱなのではないだろうか。
偏屈者宣言、そのように言われて1+2なのはそうだと思いますが、ASから見ると2の点を強く受け止めたとは思います。
ASの偏屈者宣言に1はいらないです。
だからこそ、小学生でも偏屈者宣言ができます。
ASから見ると、「普通」と「偏屈」のどちらかで生きるしかないので、「偏屈」に生きるという決断をしたということは、「普通」に生きることを捨てることと同じだから。
ASの場合、ジグソーパズルがもともと細かなピースで出来ているから、あるいは細かなピースでジグソーパズルをつくろうとしがちだから、ピースをたくさん集めなければならないんですよね。
そして、ADHDがピースを削るなどピースを自分で生成する能力があるのと同様に、ASにもピースの自己生成能力はあります。ただ、似たような(場合によってはそっくりの)ピースがなければなかなか生成できないため、完成が遅くなりがちです。
一方で、ピースの生成を間違うことは少ないため、歩みは遅いが着実に積み上げていくタイプになりがちだと思います。「間違えてもいいからひとまずやってみよう」というトライ&エラーがやや苦手、ともいえるでしょう。
(上記JETコメントの追記・・・
ジャイアン友人は絶交は冗談だと言うので
帰宅し同居ジャイアンにそう言うと
「・・いいや?」(否)
とのこと
ジャイアンは楽しいですね・・・)
JETさん
試験、お疲れ様でした!
ジャイアン友人さんは負けん気の強い人なのではないかなぁ。本人の言うとおり、冗談でしょう。
自分だけ落ちることに思いめぐらし、自分だけ落ちたら悔しいから「絶交」と言ったのでしょう。自分から率先して自爆するのはジャイアンらしい強気の裏に隠された弱さでしょう(^_-)
たまにそのようなジャイアンの姿をいじらしいと思う人もいます。本人はJETさんとの関係を壊したいとは思っていないはずですよ。
みさんもお疲れ様でした!かな
ジャイアンいじらしいですね。私は平気なので本人の前で笑っているけどそれも傷ついているかな。もう少し安心してほしいけど私では無理かもしれない。いける所まで一緒に行きますよ。大丈夫ですよ。(何が)
m2さん
アスペルガーはピースが細かく、ADHDはピースが大きく大雑把
という表現には共感します。
「ひとつの経験」というものの捉え方が、アスペルガーのひとはやたら細かくて、ちょっと変化しただけの事例に当てはめられなかったり
ADHDの場合は、大雑把でひとつの経験をなんにでも適用しようとするような傾向は、感じます。
「削って合わせてしまえ」
というのは、そういった経験の過大適用のことを指しているのでしょうか。だとすれば納得できます。
興味深いのは
「ADHDは早熟で、アスペルガーは晩成」というような捉え方
これ、僕は逆に
「アスペルガーは早熟で、ADHDは晩成」というように捉えていました。
アスペルガーは経験対応できるので、それなりになんとかなるが、ADHDはルール発見までなにもできない、というように。
なにかお互い立場上のバイアスがかかっているのかもしれませんね。
捉え方が真逆になるというのは、おもしろいです
悠々とさん。
>「ADHDは早熟で、アスペルガーは晩成」というような捉え方
これ、僕は逆に
「アスペルガーは早熟で、ADHDは晩成」というように捉えていました。
アスペルガーは経験対応できるので、それなりになんとかなるが、ADHDはルール発見までなにもできない、というように。
なにかお互い立場上のバイアスがかかっているのかもしれませんね。
捉え方が真逆になるというのは、おもしろいです<
小生もAS早熟、ADHD晩成と考えています。まわりのASの方々と、自分を含めたADHDを見比べると。
特に対人関係、部活動や性交関係などでそう思います。
>アスペルガーはピースが細かく、ADHDはピースが大きく大雑把<
ここと関係あるかもしれませんね。今のところはうまく表現できませんが。
ジャイアンは人に負けるのが嫌いで、ASは自分に負けるのが嫌で・・・ジャイアンは自分のまわりの人に負けたくなくて・・・。ASは自分の持っている頭脳を最大限出せれば・・・やっぱり早めに受験に取り組めば・・長時間のがんばりこだわりで・・・もし、人に負けても少しはあきらめがつくか・・な・・・。。
悔いはなし!で終わってほしいです。
「2年生の今勉強をしておかないと、一年後の受験で苦しい思いをする結果になる」という「想像」もしくは「仮説」について
1.一般論的な印象が強く、本当にそうなるかならないかは人それぞれなのでは?と思えます。自称「のび太型」ADHDの私は、状況の認知や把握、先の見通しを立てるといったことが苦手なことから、受験間近になって勉強を始めた(短期集中(というよりその場しのぎ?)の)クチですが、本人が肯定的に捉えれば2年生のうちから一生懸命勉強に励むでしょうし、そうでないのであれば本人のペースを貫くでしょうと思われます。
2.実際に学校の先生や周りの大人(多数派)たちからよくそのように言われたことから、「一般論的」な印象を強く抱くようになりました。
単純で大雑把な回答と思われますが、参考にしてただければ幸いです。
>例えば、「2年生の今勉強をしておかないと、一年後の受験で苦しい思いをする結果になる」という「想像」もしくは「仮説」に関して、受動型ASの人はどうやら「認知できない」ようであるからだ。
まず時間の長さが長すぎる。「数日後の期末試験などの場合は分かる」というので、「そんな先のことは分からない」という事情がありそうだ。
これなんですけど、私はついこの間、時間に出会ったんですけど、なんだこんなところにいたんだ、という気付きだったんですけど、そのことについて。
パートナーは、会社の部下の受動型ぽい人が私と似て見えるが、のび太でなくしずかちゃんのように見えるらしいです。また今から先の想像力が乏しく見え、「やってみないとわからない」などと言うところが似ていると。(ところで私は状況察知の非対称さや中心志向は、未来への想像力を生むと思っています)
私は対人の関係より対物の関係で見たほうがまだわかるように思うんです。
で私はその会社の人への仕事の説明について最近よく考えているのです。似ているようだが、得意とするとこは違うので。仮説をいろいろと考える・・・写真記憶ていうのがありますが、記憶の元の、リアルタイムでも、厚みがコンマ何ミリかの、印画紙にプリントした写真みたいな、ふうに見えてるのではないかと、仕事のやり方とか見てて思うのです。
視覚に奥行きに関しての情報が少ないというか。空間認識・・・の情報がとりにくいのでは。それは視機能のせいだけではないような、空間のLDの表れ方がそうなってるような。立体の物の、一番手前の面だけが表であるような捉え方をしたり。
仕事でモノを作る際に、表側と裏側という説明はわかりにくいようで、この面は、と個別に指定すると通じるのは、たんに奥行きの情報がとりにくいためかなーと。。
表と裏の範囲は、主観なので、表面と裏面という説明は、誰にでも共通な範囲は無いので、あまりに乱暴な一般論となってわかりにくいなど。
手持ちで使う機械の、ある部分にベアリングがある。メンテナンスで、ベアリングに注油する際に、取扱説明書に手順が書かれていて、ポイントごとに写真の解説が載っている、のを見てやるのだが。
手順はわかっていて、ベアリングの形もわかっているが、取説に載っている写真上に、ベアリングに向けて小さな矢印がプリントされていて、写真上は矢印の先っぽがベアリングまで届かず、手前の部品のとこで止まっていると、その部品に注油したりする。奥行きを無視すれば、矢印の先っぽは手前の部品にくっついているように見えるということ。
ベアリングに注油するという手順の文脈は、取説の写真の矢印には奥行き空間の情報が含まれていることを示唆する。私も写真を見るが、文脈から3D空間の想像をする。それを実演するとすれば、矢印はベアリングを指しながら、どこにもくっつかず宙に浮いていることになる。手順の文脈は、矢印が想像上は浮いているという背景情報となる。
おなじ情報の中で会社の人は2Dの視覚情報を、私は文脈を優先する傾向がある。(というか対物関係では背景情報を優先している!!対人関係では聞いたことと公理とか)でもって、なんというか、取説の写真を、すかすかの空間の無い2D平面ととらえると、それは即厳密となってしまうのではないかと。これは私が非言語情報をとれないために言語に偏重するのと同じようなことではないか。
時間は空間の中に人間が作った概念なので時間を知るには空間が必要だと思うが、空間て何ですかと言われるとこれはとても私は説明できない。(なんか、あるんですよ、ぽこんと、とかしか)私が、この会社の人に対し、私の思う表側・裏側の説明を通そうとしても(主体的に仕事をするには必要とは思うが)、わからないばかりか、良いことは無いと思われる。やっぱ個別に指定したほうが良いと思われる。今現在、世間では!LDの対処は、迂回で良いということになっているし!
もひとつ、会社の人はみんなと一緒に釣りを始めて正味三年ぐらい経つが、まだ魚を釣り上げていない。でも、めげない。キャスティングを続けている。
私は、釣れなくてもいいの?と聞いた。すると、見えないけれど、水面下には魚が集まっていて、自分とコミュニケーションをとっているのだ、と言う。
ああそうなんだと納得。そういう創造的なほうの想像力はあって、美術が得意だし、コンピューターは嫌いだそうだし、アーティストなんだなーと思う。