さて前回まででASの自己診断(総論)は一段落として、いったん「人に対する愛着が無い」となった人の自己診断に戻る。
ここに残ったほとんどの人はADHDと分類されることになるが、この後にADHD関連で私は5つのタイプに別れると考えている。
その最初に、まずこの「ADHDグループ」には、「人を必要としない」の他、「移り気で刺激を求める」、「(まだ使えるから)物を捨てられない」、「いろいろな作業を同時進行でいくつも進めてどれも終わらない」、「納得しないと行動しない」、「臨機応変で場当たり的」、「言葉を真に受ける」などの特徴がある人が残っているはずだ。
ただ、ASのときと同様に、「二次障害として痛い目にあったから自分で多数派に合わせるようになった」ということを考える必要があり、こういう場合は上記の「ADHDらしさ」は一見目立たなくなる。これを私は「ADHDのAC」と呼ぶ。
ADHDのACとは、「自分は駄目だから多数派に合わせるしかないと思い込んだADHD」のことで、ADHDとしての不適応の中で小さい頃から叱られたりいじめられたりして自分で修正しようとしてきた人のことだ。
しかし子供の頃の修正は、「ただ自分が悪いからと思い込む」ことになるので、自分自身を裏切り、発達障害として「自分が納得する」という一番大事なことを犠牲にして生きることになる。
その結果「うつ状態」になったり、頭痛や吐き気などの身体症状、強迫症状、時には解離(多重人格)までのいろいろな形で病気になる人が多い。私は心療内科で他の病気として来院した方の中にADHDのACの人を何人も発見した。
AC(アダルトチルドレン)として表面上多数派に合わせているので、上記のような典型的なADHDらしさはないが、よくよく見ればADHDと分かる。特に5歳以前のエピソードをたどってみると良く分かる。
一見「受動型AS」との区別が難しいが、「人への愛着」に戻れば鑑別は可能だ。
http://www.geocities.jp/yanbaru5555/acwithadhd.htm
http://www.geocities.jp/yanbaru5555/adhdac2.htm
はじめまして。自分は今、鬱を患っていますが疲れすぎ(介護)から、きているものだとばかり思っていました。けれど、先生のブログを読ませて頂いて、これは、ADHDのACではないかと疑い始めました。まず、ACは間違いなく父は私が生まれる前からアルコール依存症であったようですし、幼い頃、両親のケンカが絶えませんでした。母は、働いており、私は2歳~6歳まで母が働いて帰って来るまで他人のうちに預けられて育ちました。これはACになる要素、充分だとおもいます。あと、掃除が苦手です。掃除の最中、古い本が出てくると、本を読んでしまって掃除が進まなかったりしますし、物が捨てられないこれは別のことに使おうととっておいてしまうんですね。一人でいてもというか一人っ子で一人でいることが多いので別に平気ですし。やはり、ADHDのACを疑うべきですか?人間関係は良好です。
5歳以前の記憶があまりなく、母親に聞いた印象的なエピソードは、初めて私が覚えた言葉が、「イヤ!」で、よく「イヤ!」と言っていたそうです。
愛着の有無のところで、相手によって(極端に)態度が変化するということを書いておられましたが、そこの所が、今ひとつわかりにくかったのですが、
私の場合、内弁慶だったし、相手によって態度を変えていましたが、自分がなめてかかれる相手とそうでない相手ということで分けていました。これは、現在もそうで、ほとんど本能的に、そういう相手を察知し、態度を変えます。
だから、相手によって態度は変えるけど、その人に愛着を持っているからではないということになるのかと思います。
愛着を持つという所は、極端なお気に入りを人に対して持つということでしょうか?
コメントありがとうございます。
J様
ADHDのACのうつ状態は、「周囲に合わせて生きながらも、そういう自分に自分で納得が行かず、うつになる」というプロセスで起こります。
もしもあなたがADHDのACであれば、ADHDらしく偏屈になればうつ状態が治るという可能性があります。
一時は偏屈となっても、うつ状態を治し、本来の過集中の力を取り戻してから、然る後にACであった頃の知識と技術を全く違う意味で再使用するという回復が可能となります。
偏屈となることを恐れないで、あなた自身が納得した生き方を考えてみて下さい。
ミリ様
受動型ASの場合は、「選択の余地無く、こだわりに近い人への愛着、執着」によって態度が変わるという話で、二次的な調節とは全く違うものです。
ここに書かれているだけから考えるとあなたはADHDグループに近いようですね。
コメントありがとうございました。
YANBARU先生、ありがとうございます。
私の人によって、態度が変わるというのは、二次的な調節に該当するということなのですね。
別のALIVE様へのコメントで書かれている、愛着の有無についての所も、読ませていただきましたが、愛着ということに関して、今ひとつ、すっきり理解できていないのですが、これからも、ブログを、また、皆様のコメントを読ませていただき、自己診断できるようになりたいと思います。
このブログを読ませていただき、日が浅いですが、始めは、自分は、「受動型AS」では?と思い、次に、「ADHDのAC」では?と思い、次にまた、もしかしたら、自分は、「AC」かなと思ったのですが、先生の「ACとその仲間」という所の、「AC」と「ADHDのAC」という所を比較すると、やはり「ADHDのAC」に該当するなと思ったり。。
本当の所を知って、今の生きづらい状況から、抜け出したいです。
自分は、でも、自分なりに大変しんどい状況を、これまで、下手なりにも、相当頑張ってきたんだなーという実感が出てきたのは、先生のブログを読ませていただきましたおかげと思います。
ありがとうございます。
私は5歳の自閉っ子を育てています。
その関係から、ADHDと AS(自閉圏の発達障害)の見分けは
お母さんに子どもの頃(4~5歳まで)の話を聞くと
はっきりわかる場合があると思いましたので、
うちの息子の例(たぶん受動型)だけで申し訳ないのですが、
参考までに書いておきます。・・・ただ、親もそこまで憶えてるかどうかが問題になりますが、とりあえず聞いてみたら重要なエピソードが出てくる可能性はあると思います。
1、
常同行動(クルクル回る、手をたたく、など)が見られる。
2、
クレーン現象(人の手を取ってものなどを取らせる)や、オウム返しなど、言葉やそれ以外の表現(ジェスチャーなど)でコミュニケーションを取ることに困難がある。
3、
特定のモノや数字、物体の一部(車のタイヤなど)に強いこだわり(執着)がある。
4、
感覚過敏や聴覚過敏がある。(特定の音や感触を極端に嫌ったりまたは執着を示す)
思いつくだけですが、これらの特徴はアスペルガーはじめ
自閉圏の人(子ども)にのみ見られるものだと思ってます。
ほかには、自閉圏の子どもは表情が乏しく大人っぽく見られるのに対して、ADHDの子どもは感情表現がストレートで幼く見える、という話も聞きました。ただ、ADHDでも多動の目立たないタイプの子どもは、この限りではないと思います。
私は、小さいときから「変わり者」と言われていた。今回友人のすすめでホームページをみて、もしかして、私もADHDのACなのではないかと思い。連絡しました。
乳児期:真夜中に道路をハイハイしていた。幼児期:イジメにあう。
学童期:勉強は好きなところしかしない。
掛け算をみんなの前で発表する。嫌だった。このころから、数に関しては勉強ストップする。
また、父はアルコールに依存し母はなだめるだけであった。稼業は倒産して、父と叔母が養子の話をして、私に決定させる。この頃より、自分が我慢すれば大丈夫と思う。また、信頼出来る人がいなくて、一人でおかしくないようと、努力する。思春期:高校進学時には、不安で自信のない人で、イジメも続いていた。学区の違う高校に行く。ここでイジメはなくなりいい人間関係ができる。
成人期:いまは天然といわれて仕事をして学生をしてます。
時々、友達と上手くいないことあります。このような私でも、大丈夫なのか心配です。