例えば結果として引きこもりになった人がいる場合、ASの場合でも、「もともと孤立型で引きこもる」という場合と、「積極奇異型であり本当は人の中に出て行きたいのだが、過去に痛い目にあったために出て行けなくなっている」という場合が考えられる。
発達障害の二次障害には強迫症状(過剰な手洗いや異常に長時間の入浴、鍵、ガスなどの過度の確認など、)や聴覚過敏の悪化、視線恐怖などのASらしい症状の他に、頭痛や腹部症状などの身体症状、二次的なうつ病、躁うつ病、境界性人格障害様の状態、摂食障害やアルコール・薬物依存なども時折見られるなどがあり、これだけでも十分に不適応や引きこもりの原因になりうる。
学童期以前の情報が必要となるのは上記の理由で、出来るだけ発達障害のもともとの症状を二次障害の影響を考えないでそのままつかみたいからだ。
早い人は小学校1年ですでに二次障害の影響を受けており、さかのぼって本人の本来のキャラクターを知るには「5歳」にまで遡らねばならないことがある。
だからここまでの自己診断のいろいろな特徴を考えるときは、「もともと子供の頃からの自分は?」と考えて、環境の影響を受けた以降の二次障害を被った可能性がある特徴はあまり重視しないようにする必要がある。
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/
二次障害の出る前ということで、遡って思い出してみましたが、自分が変な言動をのびのびとしていたことがわかり、面白いなと思いました。
具体的なエピソードは、、
・小学校一年の時に、通学路を右から左へとふらふらとと斜め歩きをしていて、原付と接触した。そのことを教室でクラスの皆に、ケガをしたひざを見せながら、ある意味得意げに話していた。
・前からプリントが回されてきたのを、後ろの人に回すことをせず、全部ため込んでしまった。
・学習帳の隅に絵を書いて提出した所、先生に注意されたが、何故、注意されたのか本気でわからなかった。
・授業中に「葬送行進曲」を「ツッ・ツッ・ツッ・ツッ・ツー」と口ずさんでいた時、先生に注意され、きょとんした。
昔、母から聞いた話では私は
◎乳児期:
夜泣きがひどく、毎日のように一晩じゅう泣いていた。
(ただし、母も何年も前の記憶なので、『毎晩』というのが事実かどうかはわからない。)
◎入園前:遊園地などいろんなところへ連れて行くが、どこへいっても必ず泣く、という印象だったという。
(何に泣いていたか、という具体的なことは聞いてない)
入園前のエピソード:
近所の友達を怪我させたことをなんとなく覚えている。
どうしてそんなことをしたかは、自分では覚えていないが、
怪我させたあと母から、その友達と遊ぶのを禁止された。
◎幼稚園年中(3~4才):
幼稚園が嫌いだった。とにかく不安で怖かった印象。朝起きられなくて、
登園拒否をした記憶はあるが、遅れても行きなさい、と母から言われ
しかたなく父の車で登園したことをおぼえている。
印象に残るエピソード:
絵の具の蓋を上手にできなくて、私だけ汚かったのを先生に皆の前で、『こういうのはあなただけですよ』というようんことを言われた。
幼稚園で知能検査をした時。先生がテストのやり方を説明してるときに、つい隣の子に話しかけてしまって注意された。
◎幼稚園年長(5~6才)
特に叱られたり、注意されたり、という記憶はない。
ただ、叱られないようにするにはどうしたらいいか、ということをこの頃から考えるようになっていたかもしれない。
小学校に入学して、1年生~2年生のころは日曜日になると頭痛、微熱などで体調を崩し、月曜日欠席ということがたびたびあった。
今回のテーマは私の娘の状況にピッタリでした。
今まで自閉症ともASとも診断されたことはありませんが
幼少時に1人で黙々と遊ぶ自閉傾向が見られ、心配していたところ,小学校1年になって、急に
・言葉が達者になってしっかり者になった
・学校の係や掃除を生真面目にやる
・家での手伝いを熱心にやる
・男子のテレビゲーム仲間との交流が活発になる
・かんしゃくを起こさないで、ものわかりのいい子になった
等、一見改善に見られる変化があったのでホッとしていました。
ところが小学校3年になって手洗いや確認中心の強迫症状が
起こり、ひどくなったので学校を休むことになりました。
その後、セロトニン系抗うつ薬・認知行動療法・厳密な環境調整等のおかげでほぼ強迫症状がなくなりました。
19才の現在、家事手伝いをしておりますが、残っている症状は「情報の取り込み過剰傾向」とそれに伴う不安で、ちょうど「レインマン」の主人公に関する表現の「知覚のインプットと処理過程に問題がある」という状態に非常に近い気がしています。
こうなってみると「強迫性障害」というよりも明らかにASというイメージが強くなってまいりました。
コメントありがとうございます。
yurin様
あなたは「変な行動をのびのびとしていたのに、途中で叱られないようにと考えられるようになった」という経過だったのですね。「叱られないように」という以降は二次障害です。二次障害は全部まとめてリセットして、一気にその前まで戻りましょう。
黒すりごま様
あなたのお考えのように「適応しすぎて二次障害がひどくなる」という経過だと思います。本人の辛さを想像して上げてください。今の症状は「AC(アダルトチルドレン)」とは違いますか? また娘さんの経過はASの他にADHDでもありうることも頭に入れておきましょう。この先で少しずつ説明していきます。
お返事ありがとうございました。実は私は過去2回YANBARU先生に別件でメール相談・質問をしております。
私も娘も瞑想(リラクゼーション)をして幸せを感じていると書きましたら、「あなたはアスペルガーという可能性はありませんか?」というお返事をいただき、その返事として
「私も娘もマイペース人間ですが、現在アスペルガーの特徴にはほとんどあてはまりません」という微妙な言い方をして
その時のお話は終わりにいたしました。その時はそれが一番自分たちの感覚にピッタリしておりました。ところが、その後でレインマンのビデオを見て「知覚のインプットうんぬん」という言葉を聞いた時に、娘の状態を正確に言い表しているとピンと来て、それ以来ASの話で親子で盛り上がっております。ただそれが見当違いとわかったら、その時点で認知の修正をすればいいと考えております。現在娘はのびのびと楽しく家事をやっており、ACの心配はないと思います。
前回のコメントありがとうございましたm(_ _)m
たしかに、家族(私の場合、伯父と祖母ですが)に
固執した愛着を持っている気がします。
それを踏まえると、積極奇異型か?と納得しようかと思います。
ASであることがわかれば、どちらでも構わない気がしますし(^_^;
話は逸れますが、教えて頂きたいですm(_ _)m
左右が、瞬時に判断できません。
(視力検査で、細心の注意を払わないと答えられません)
不等号の向きも間違えたりします。(exp. X=10のとき X>15) これはLDもあるってことでしょうか?
でも方向音痴ではないです。これは自信があります。
YANBARU先生
5歳前の私はどらえもんの『のび太君』だったと思います。
のび太君よりはいくぶん神経質で、やや衝動的だったという気がしますが。
入園前に友達を怪我させてしまったのですが、これも
『こういうことをしたらどうなるか?』ということがわからず、そのあたりにあるもの(はっきりと記憶が無い)で衝動的にたたいてしまった、という記憶です。当時の私としては、悪意は殆どなかったのですが、母にそれ以降一緒に遊ぶのを禁止されたことが少々不満でした。
幼稚園年長以降、すでに二次障害の影響を受けていた、という事実に正直驚いています。私が辛かったのは殆ど、二次障害のためだったのですか?
TVで先生のことを始めて知り、ブログを拝見しました。
YURINさんのような乳児期を過ぎ、表情のない子でしたが、その半面、原因もわからず泣き喚きだすと止まらなかった幼児時期を過ぎ、そんな娘をどうしてやればいいのか理解できず家中がパニックになっていました。もちろん子供家庭センターにも相談しましたがその当時は誰にも理解していただけず辛い毎日でした。
その後、中学になり心療内科で下さった1冊の本で娘が「アスペルガー」だと確信できました。
しかし本人は自分では友人とのコミュニケーションにおいて不都合は感じているもののこの事実を受け入れようとしません。病院にも行こうとしませんので
相変わらず家族間で困っている状態です。「困る」と言うのはあるはずの物がなくなった時、急に変更を余儀なくされた時です。豹変し止められません。治まるのを待つしかないのが現状です。しかし治まるとたいした理由でもないのに納得する事も多く不思議です。
家では暴君、外では寡黙なので受動型だと思いますが、この攻撃的な部分はどこから来るのでしょうか?解離性かな・・・と感じることもあります。
テーマと外れた内容になっていれば失礼致します。
皆さんコメントありがとうございました。
黒すりごま様
ASの場合、同じ強迫症状でも、「行動療法が効かないことがある」ということが重要です。私の知っているケースで、乱暴な行動療法がトラウマになってしまったASの人がおられました。もしも迷われることがあればメールしてください。
まーちん様
左右が分からないという話はASやLDに限らず、発達障害全般に言えるように思います。私も学童時代に集合の必要と十分の記号がどうしても頭に入りませんでした。
huwari様
ASの人は愛着の対象には「全て分かっていてくれるのが当たり前」と考えますので、結果「支配的」となり、「分かっているのにどうして」と怒りをぶつけることがあり、表面上は攻撃的と映ることもあります。
まずご家族がASについて理解を深め、本人の自閉的な部分を理解することを考えましょう。
藤家寛子さんの本などが参考になると思います。
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/as.htm
コメントありがとうございました。
先生のおっしゃるように「とにかく慣らせる」ということにのみ力を入れた行動療法では確かに無理があるのは早いうちから気付いていました。
娘の場合、特に専門家の指導を受けたのではなく、本を参考にして、親子で相談しながら我が家オリジナルの認知行動療法的アプローチをずっとしてきました。手洗いと確認に関してはかなり大胆にやっても問題なくすんなりと抜けていきました。
その後の社会適応に関しては山ほどの試行錯誤をした結果
「とにかく慣れよう」は通用しないことを親子で痛感し、
すっぱりと止めました。
現在は非常にシンプルな状態になり、(たぶん生まれつきの発達障害部分のみになっていると思います)取り込む情報量の調節しだいで安定もし、不安定にもなるので、自分に一番適した情報量を保つように心がけています。
モデルになっているのは「禅寺の修行生活」です。ここでは取り込む情報量はかなり少なく、体を動かす「作務」と「瞑想」中心の日課を繰り返します。
本人が一番これが楽で幸せだと言っていますし、私もこの生活が一番好きなので、「私たちって変人親子だねえ」と納得しています。
やんばる先生へ
自分の心身の現況をお伝え致します。
ご面倒をお掛けいたしますが、アドバイスをお願いいたします。
8ヶ月ぶりにバイトに出ています。今のところはまだ目立ちませんが、作業を
全然記憶できません。記憶障害がかなり重いのを感じております。
過去に学習してきたことも、覚えておらず、学習障害もこんなにも重いものを持っていたのかと、今になって分かります。
仕事はともかくもう少し続けさせてもらおう、できたら首になるまで置かしてもらえればと思っていますが、これまでの人生を考えると無理かなと思っております。
嬉しいこと、楽しいことがありません。どうやっても楽しい気持になれません。
なんにも感心が持てません。
納得することをし、夢中になるようにと考えますが、もうなにも納得できるものがありません。
自分の駄目さ加減、金のなさ、自信のなさ、なにもかもが嫌で、不安でそれ
以外のことが考えられず、常に気が滅入っております。
頭痛、目の引きつり、肩こり等身体症状がかなりきついです。
気力が入りません。
なにを、どうしたらいいものか分からなくなっております。
こんなことまでできなかったのか、そんなことを感じる毎日です。
駄目な自分ともきちんと付き合わなくてはだめですよ、と医療ソーシャルワーカーさんに言われ納得してやってきましたが、それにしてもあまりに自分がなさけなく、消えたいです。
>saltさん
横から失礼します。
先生じゃなくて済みません。
『できないこと』は仕方ないと割り切ることはできませんか?
そして、そういう自分を周囲(職場の人など)に、理解を求めるために働きかけてみませんか?
まずはソーシャルワーカーさんに相談して、職場の人に交渉できるようにしてもらう、ということを私は考えてみました。
できないから、ダメということはありません。
できることで、職場であなたの力が発揮できるよう、支援が必要なのだと思います。
yurin さん
コメントありがとうございます。
あまりに役にたってなく
自信が持てなすぎる自分
もううんざりしてきました。
毎日がつらすぎて
自分の記憶 あまりにひどすぎます
よくこれまでやってきたものだと思っています
周囲の人々をもうすこし信じてみるべきなのでしょうか。
はじめまして。
アスペの息子が三日前から学校に行きたくないと言い出して
しばらく休ませていて、学校生活に疲れたと言っていたので
(いじめはなし)担任は子供のいやがることをすべてうけい
れていいのか、僕が話して気持ちを聞きたいだの完全に無理
解なことを言い出し、特別支援教育の教師まで私が息子に叱
ったりたたいてしまったことを責めてフラッシュバックをもちだし、私もそれは後悔覚悟してるからこそ今の不登校に対してゆっくりいこうとしてたのに毎日電話攻め、私はうつや、パニック発作で苦しんでいるのに、今朝わたしは嫌がる息子を無理やり学校につれていってしまいました。息子は学校では平静をよそおっていたので、今日はじめて担任にかんしゃくの姿をみせていました。もう二度といけないかもしれません。名ばかりの特別支援教育・・。
さちさんの気持ち、よくわかります。
我家の長男も起立性調節障害で学校を休んでいます。次男(ADD)は学校で特別支援教育の体制を組まれています。幸い長男の中学の担任は病気に対して理解があり今のところ親との間に摩擦はありません。しかし休みはじめた最初のころはこちらもかなり動揺しました。このまま学校にいけなくなったらどうしよう、勉強が遅れる、深刻ないじめ問題があるのでは?と。でも今はこのブログで学んだことを参考にしています。無理して世間の価値観にあわせない・子供を理解しようと努力する・コミュニケーションをよくとる。そうしたら「疲れた」を連発していた長男に笑顔がでるようになりました。
さちさんの場合、さちさんも感じているようにお子さんの学校の教育者たちは本当にこどものことを思いやって接していけるようなレベルの人たちではないです。その結果お子さんとさちさんに余計な負担がかかっています。私もたくさんの無礼な教育者に遭遇してきました。つい先週も次男の担任に「こういう子は中学生になったら切り捨てられる」と言われました。(おそらくこの担任が次男を切り捨てたいのでしょう。)この担任だけでなく、過去のそういう人たちにたいしてこちらは改善要求してきましたがその結果分かったのは、そういう人たちは改善しないということです。だから私はその人たちの意見を参考にしたりアドバイスを実行したりはしません。悲しい現実ですが子供の問題を当事者である教育者たちに相談しても無駄だと感じます。現在は運よく出会えた教育カウンセラーの先生(学校・教育委員会とは無関係)に相談しながら、このブログをよみながら、自分なりにどうにかやっています。お子さんも大事ですが、さちさんも自分の心がすり減らないように自分の気持ちも大事に守ってあげてください。よい方向にいくことを願っています。