ひょんなことからブログの取材があり、まあ「成人発達障害の理解に役立つなら」といろいろな話をして、ついに全国に流れてしまった。
実はビデオを送ってもらってから自分で見るまでに少しためらいがあった。今考えれば、「偏屈物宣言をしたのにためらうとは何事か!」という話で、「この期に及んで普通にまだしがみつくか?」という有様で、情けない限りだ。
そういう意味では、この放映は「本当の意味で普通を目指す余地を完全に粉砕し、必要をなくしてくれた」という感じがしてすっきりした。天晴れて偏屈者として生きていけるような気がする。
私のカタツムリ放浪時代は実は私は今の私を見ている人に見られると恥ずかしかったが、「今でももしかするとあれが本当の自分の姿か」と思っている節もある。
この取材の経過全体が私自身の偏屈者宣言の完成のプロセスであったと考えると面白い。となると偏屈者宣言の先にADHD宣言を目指すということになるのだろうか?
しばらく考えることとしよう。
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YANBARU先生、はじめまして。
先生の自己診断ガイド、また「ADHDとは? 自覚・他覚所見一覧表」を読み、「やはり」との思いでいっぱいです。数年前にADHDの子供に関する本を読み、あまりにも自分の子供時代(幼児、幼稚園児、小学校低学年)にあてはまること多く、「もしや」と思っていたからです。
わたしの場合、幼稚園で漢字が読めるようになって「読書」に過集中するようになり、多動がなくなったのと学習障害がなかったため、世間からも親からも単なる「変な子」「わがままな子」「思いやりのない子」として扱われ、小学校の高学年から中学校にかけては「共感力」が重視される女子集団の中で浮きまくり、ややAC気味(自己評価が低く、他人にどう思われたかが気になる)になりつつ、なんとか適応を果たして現在に至ります。その過程で徹底的に「自分はどういう傾向があるヤツなのか」を考え、先生のおっしゃる「多数派の行動を理論的に想像して状況の分からない部分を補う」ことがやっとできるようになりました(自分では「普通になった」と思っていましたが、先生のおっしゃるとおり、「偏屈であることを認めた」に過ぎないのでしょうね^^;)
今は自分に合った仕事に就き、結婚もし、そしてもうじき子供が生まれます。今心配なのは、生まれてきた子供がADHDだった場合、いや普通の子であった場合にも、自分がうまく対応できるかどうかです(父がかなりADHDな傾向が強く、遺伝的要素がある気がしてなりません)。
わたしの父母は「思いやりがない」「怒られるまでやらない」と文句を言いつつも、「他人と変わっていることはよいことだ」「とにかく正直であることが大切だ」と言って根本的なところではわたしを受容してくれました。それで自分はAC「気味」となりつつも深刻な状態にならずにこれたのだと思っています。しかし自分が子供に対してそのような態度をとることができるのだろうか?非常に自信がありません。
何かしら、アドバイスをいただけますと幸いです。
長文投稿すみません。。。
昨日のテレビ放映と関係あるのか、
こちらのブログには何回かコメントしているせいか、
詳しいことは定かではありませんが、昨日は私のブログに開設以来最高のアクセスがあって驚きました。私のブログはそれほどの人が見るような情報はどこにもない、個人の日記ですから。
それは別にして、『ADHDのAC』というページを読むと見事なまでに自分に当てはまります。その特徴と重ねて自分のブログやコメントに書いた文章を読むとかなり照れます。
テレビ放映で全国に流れるほどのことではないでしょうが、
自分で『恥ずかしい』といいつつ、そんな自分をインターネット上で世間にさらしている自分自身が、なんだかおかしくて笑ってしまいます。
自分自身、晴れて普通よさらばと言うことができるには、もうしばらく時間がかかると思います。この期に及んでまだ自信を持って『確信』できないとは、私はかなり重症に『自己評価が低い』のかもしれません。
コメントありがとうございます。
いずみん様
まずあなたがADHDであれば、パートナーがASであるか一応考えてみて下さい。それほどAS-ADHDカップルは多いです。
さてパートナーにもよりますが、遺伝はありますので、お子さんがADHDの場合、ASの場合、多数派の場合といろいろな組み合わせが考えられます。
親も子もADHDの場合はあなたと同じくそれほど深刻な問題を生じません。親がADHD、子供が多数派またはASの場合は子供が辛いパターンとなります。
どれでも早めに分かれば親の意識的な努力によって対応可能です。あなたがADHDのACを客観的に乗り切った人であれば、大丈夫育てられると思います。
yurin様
時々ブログは拝見しています。
あなたはACの部分がすでに回復しつつあると思います。一度本来のADHD(偏屈)に戻り、然る後に最小限の妥協を考えるのが残りの回復の道筋です。
まずは本来のADHDに戻ったプラスの部分で面白いことに向かって突っ走ってみましょう。
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YANBARU 先生
お返事を読みながら
『偏屈者はどう頑張ってもやっぱり偏屈者なのね』・・・と思いました。
偏屈ゆえかどうかわかりませんが、私は自分が納得できない事にイライラしたり、どうしても一言言わないと気が済まなかったりしてそれが自分でも苦しかったのです。
今まで周囲に合わせるために、自分のそういうところを、必死で押さえて生きてきたせいだと思います。
でも、認知が普通になった頭でちゃんと考えたら、『世の中のたくさんある人生の選択肢は、どれも半分は間違っているし半分は正しい』ということがわかりました。
つまり、普通の人ならどうでもいいことに腹を立てたり
物申したりする人がいてもいいのだと。
自分の判断に自信を持てなくなっている原因は、子どものころから叱られたり、おかしいとか間違ってると言われていたこともありますが、『何でも大勢の人に、自分の考え方を譲りすぎていた』ということではないかと思いました。
だから私は、今まで言いたくても言えなかったことを、
これからは、(決して相手を批判するではなく)言っていこうと思っています。
。
とりあえず、これが私の『偏屈者宣言・序章』ということにしておきます。
(それでもまだ、自分自身ADHDであると、自信を持って言えないので。)
YANBARU先生、お返事ありがとうございます。
夫がASかどうか、先生のまとめられたところを読んでよくよく検討してみましたが、おそらく違うと思います。わたしのことを大変たいせつにしてくれますが、AS的「愛着」を見せることはないです。
しかし過去を振り返ると確かにASっぽい人と付き合っていたな…なかなか別れられませんでした。今も、AS傾向の強い友人が何人かいますが、けっこううまくやっています。
さて、子供がASもしくは多数派だった場合、子供にかわいそうな思いをさせる可能性が高い、とのことですね。
まだ子供の顔を見てもいないのにすでに自覚があります…、子供のために盲目になっている自分、限りなく子供を受容できる自分、というものがまったく想像できません。観察の対象、知的好奇心の対象として働きかけてしまいそうです。「多数派」と思われる夫の助けを借りたほうがよいのかもしれませんね…。
そのうち、「ADHDが子育てするには」みたいな考察もとりあげていただけると嬉しいです。
コメントありがとうございます。
yurin様
あなたは自分でも気がついていると思いますが、ほとんど回復しています。あとはあなたなりの偏屈を極めて行きましょう。前途洋洋。
いずみん様
ADHDは子供でも大人でも上司でも部下でもお客さんでもだれでも一対一の対等の関係になります。(この点はプラスに使える長所でもあります)。思春期を過ぎれば「友達のような親子」になれますので、大丈夫なのですが、「甘えっ子」の場合は最初からサポートをお願いしておきましょう。
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YANBARU先生
それでもまだまだ、『こうしないといけない』という固定観念が、無意識のところで、生活全般のいたるところに残っていることに改めて気が付かされます。これからは少しづつ、それらを崩していかないといけないな・・・と思っています。
yurin様
これから自己コーチングガイドを少しずつ書いていきますので、自分で自分を観察する作業を続けてみましょう。余裕のあるときは多数派の観察もして見ましょう。
まず何よりも出発点は「頭で理解すること」です。
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この番組が放映されてから、早や7年近くが経とうとしていますね。
このM3ブログを書かれる前は、HPの「雑感」で短い日記を書かれていて、その頃から読んでいますが、ドライで、鋭く、厳しい意見が書かれていたので、実はとても怖い先生かと思っていました。
それが、TVを見たら、何と、お手製のかたつむり型のかわいいリュックサックをしょって、自転車に山ほどの荷物をぶらさげ、旅先で子どもたちが「変な人がいる~」と言って集まってきてくれるのが、嬉しかったなどという意外なキャラクターをお持ちだったので、びっくりしました。
その後の歴史で、先生は「ジャイアン宣言」をし、最近になって「のび太宣言」をなさったような流れですが、人間の成長としては、すごいスピードだと思います。
やはり決して現実逃避をせず、徹底的に現実直視の毎日を送っていらっしゃるので、これだけご自分を深く掘り下げることができるのだとつくづく感じます。
偏屈者宣言の大きな意味がずっと生きていますね。
その頃はまだ知らなかったです。YANBARU先生のことを。
そのテレビみたかったなあ。
小生は自分がADHDであることを、このブログに触れてからはいろいろな人たちに宣言しています。
たいていの方が「え?医者のクセになにそれ」という顔をされますが、でもすぐに慣れるのかそんなことどうでもええわと思うのか、あるいはいたく納得されるのか、その後はこの件に関して突っ込まれることはほとんどないです。
ただ親しい方は、もっと深く考察してくださったり、ご自身のことやご家族のことを引き合いにだされて小生に相談してくれる人もいます。
いろんな意味で、大事な宣言ですね。