ジャイアンが人に助けられる可能性について考え続けている。積極奇異型ASのmario氏にジャイアン女性軍からかなり手厳しい反応が見られるが、私は実は少し違う。このあたりのことを考えていて、「依存でない関係は可能かも」と思い至った。
実際私はジャイアンだけでなく診療の場で接するASの人とも「依存」とは違う良い関係を築けている。
この関係を冷静に観察してみると、「相手が本当のことを言うことへの信頼」のようなものであるように思う。実際私自身、そういう相手から褒めてもらえることで「救われる」思いをし得ることがあったことを思い出した。
ここで大事なことは、情緒的な邪心が入らないことだ。「相手のために自分が役に立つ」とか「相手を自分の思い通りにする」ような邪心が全く無いことがジャイアンと率直な関係を築ける絶対の条件となるのだ。
ASの場合、そういう感情抜きに人と接することは少なく、また愛着となった場合にはなお情緒的となることは避けられない。しかし個人の努力の可能性は無いことは無いだろう。
mario氏と私は男性同士というところもあると思うが、mairo氏から私自身に対して情緒的なアピールをあまり感じないので、私が反応することが少ないのかもしれない。
ジャイアン女性軍はmairo氏の女性に対する見方(表現)の中に上記の邪心をはっきり見出すのだろう。
「相手が自分を支配する下心も無く、同情さえしないで、冷静に本当に思ったことを言ってくれる」という率直さへの信頼があれば、ジャイアンは人と関われると私は思う。
ジャイアンとASの間の困難さのひとつの説明にはなるのではないかと思う。
先生、それはアリかも知れません!!例の「佐々木夫妻」(何度もリフレインしてすみません・・・)の、子供のラマーズ法(?)出産シーンは実に感動的でした。あそこには、「助け合い」が確かにありました。
ASの彼ですが、基本的にはぐるぐるにコントロールされて嫌だったもの、時々確かにはっと「ああ本当の事を言ってくれている」という瞬間が2~3度あったように覚えています。主に、彼が「男性」としてのスタンスではなく、「教師」としてのスタンスでものを言ってくれた時の思い出ですけど。
(それでもかなり外科手術的で辛かったですが)大抵そういう時、彼はあえて「しゃがんだポーズ(注・文字通り)」でものを言っていましたね。
なんか、鮮やかな思い出ではあります。そういう事も確かにありました。(^_-)-☆
>「相手が自分を支配する下心も無く、同情さえしないで、冷静に本当に思ったことを言ってくれる」という率直さへの信頼があれば、ジャイアンは人と関われると私は思う。
私も、仕事場では、ここが重要になってきます。
とにかく、一寸たりとも人を操作・支配しようという下心が見えた場合、私はその人を信用することはなくなります。
この辺りの自分が、本当に恐ろしいです。
私は、自分が職場に馴染めず、辞めようと思うことはなく、職場の人間にこの『下心』が見えた時、辞めたくなってしまう。
自分は人を利用するのに、自分は利用されたくないとは・・・本当に、虫がいい話だと思います。
こんなに、自分の本心をさらけ出すのは初めてです。
自分勝手な自分を、抑える努力はしているつもりなので、社会にでると、エネルギーを使い、本当に疲れます。
個人的には、私の表現が悪くて思っているところが伝わらなかったと思ってました。以前にも手厳しい指摘を何度も受けた事がありますが、その時とは違って今回は反応がちょっとずれてると感じ、余り心に響きません(辛くありません)。
ですので、私の書き込みから読み取った“情緒的な邪心”は勘違いによるものではないかと思ったりしています。ただ書いているつもりの無い、書くつもりもなかった、私の心の揺らぎが行間に出ていた可能性もあります…
:
先生の書かれる「相手が自分を支配する下心も無く、同情さえしないで、冷静に本当に思ったことを言ってくれる」と言う状態、今の私に近いと思います。が、残念ですが夫婦や恋人の関係であれば、それは私には難しいと素直に思います。
ちょうど“むーん”さんが書かれている事に近いのですが、親のスタンスであれば元妻と上手く関われそうな気がしています。子育てしてて思うのが「心から大切に思う、自主性を尊重、失敗も大事な経験、支配下に置かない、気持ちを受け入れるがコントロールされない」など子育てのポイントは、ジャイアンに対して、いや人(大人)に対してASが取れば良いスタンスにも一致しているように思い始めています。(そのスタンスに居る努力をしています)。
聞きたい事がありました。
親のスタンスで相手をされるのは、ジャイアンにとってどうなのでしょうか?情緒的な邪心もなく、下心もなく、同情もしてません。でも、上から見ている事には違いないのでムカつく?ちゃんと尊重されていれば平気?
親のスタンスって事を一切見せなければ良いのでしょうが、ASは色々と滲み出る(と言うか、AS自身がそれを読めないので自分では分からない)ようですので。
marioさん、う~ん、どうなんでしょう・・・私個人としては、自分が当時(ま、今でもですけど)すごくジャイアン的に「幼稚」だったので、彼が教師的に振舞ってくれるのはむしろ嬉しかったですね。
ただ、「親的」となると、どうでしょうか・・・要するに「父親」という事になってしまいますから、私的には、依存的には楽しかったものの、結局私の実の父親(多分AS)と彼との滅茶な喧嘩になってしまいました。
やはり、異性同士だと「親」というスタンスも難しいと思うんですよ。権力とか愛着が入ってきますから。彼は、たまたま援助職だったので、(両親が教師だったと言ってたから、その影響もあると思う・・・)「血の繋がらない教師役」をすることが可能な人格で、それはとても対等で良かったですけどね。
> 「相手が自分を支配する下心も無く、同情さえしないで、冷静に本当に思ったことを言ってくれる」という率直さ
mario(AS)さん,横レスします。
一般に「親」は子に対してさまざまな「邪心」を持つものではないですか。
多数派,少数派にかかわらず,自分の育った家庭(親子関係)に問題意識をお持ちの方たちにとっては,「親」というコトバは,いろいろな情緒を喚起する可能性があります(もちろん手放しで幸せなイメージしか持たない方たちもいらっしゃると思いますが)。
少しそちらの勉強をした立場としては,そういう姿勢はカウンセラーやセラピストとして仕事をするうえで不可欠なものだよなあ,と思いました(残念ながら,駆け出しの治療者はなかなか「邪心」から逃れられないようですが)。
marioさんへ、PS;
「心から大切に思う、自主性を尊重、失敗も大事な経験、支配下に置かない、気持ちを受け入れるがコントロールされない」
これ自体は、ものすごく大事と言うか、つぼをついた表現だと思います。子育てお仕事頑張ってください。
ひまわりさんのコメントからの連想(いつも散漫な連想ばかり書き込んで,皆さんごめんなさい)。
> とにかく、一寸たりとも人を操作・支配しようという下心が見えた場合、私はその人を信用することはなくなります。
> この辺りの自分が、本当に恐ろしいです。
> 私は、自分が職場に馴染めず、辞めようと思うことはなく、職場の人間にこの『下心』が見えた時、辞めたくなってしまう。
ジャイアンにとっては,この「職場」を恋人とか夫婦とかに(突き詰めると実の親子関係にも)読み替えても,同様なのではないかと思います。
> 自分は人を利用するのに、自分は利用されたくないとは・・・本当に、虫がいい話だと思います。
職場であれば,その中で自分のポジションの仕事(役目)を全うしていれば,少々虫がよくてもオッケーですよね?
異性のパートナーとの関係になると,自分の虫のいい振る舞い方に自分自身で「情緒的に」抵抗を感じてしまったりするので,すっぱり別れてしまえずに相手との関係がこじれていきやすいような気がします。
> こんなに、自分の本心をさらけ出すのは初めてです。
> 自分勝手な自分を、抑える努力はしているつもりなので、社会にでると、エネルギーを使い、本当に疲れます。
多数派が多数(当たり前か)の「社会」では,ジャイアンの脳のままに振る舞うと「自分勝手」と言われてしまいますね。
ここは,ジャイアンが感じるままにものを言えるところなので(そういう場を維持していらっしゃるYANBARU先生の労力は並大抵ではないはずですが。先生もジャイアンなのだし),ぜひ,ほかで言えないことを言ってしまいましょう(^_^)v
はじめまして。
ジャイアンADHDと自己判断している、ももちと申します。
marioさん、いつもコメント拝見しています。ASにも色んな方がいますが、marioさんのコメントは、marioさんなりに、相手の気持ちを察して書いた結果だと思っているので、感情的にならずにすんなり読めます。
「あれ?」と思う事もありますが、男と女じゃ脳みそ違うしなぁ…なんて思ってもいます。
「親のスタンス」…
うちの主人は受動型ASだと思われるのですが、まさに、私に対しての接し方が「親のスタンス」です。
ただ、私からすればこれは非常に迷惑です。
「子供扱いするのもいい加減にしろ」
「あんたはどれだけ大人だというんだ、偉そうに」
と思ってしまうのです。私は。
主人が「私のために」とか「心配だから」と思って、あれこれとアドバイスをしたり世話を焼きたがるのは、
「AS本人から見るとあぶなっかしいADHD
(親からみると危なっかしい子供?)」
に対する行動なのかもしれません。
でも、子供っぽくても、
一応もういい大人ですので。
一人の大人として、対等に向き合ってほしいと思うのですが…
それって無理なのでしょうか。
私の話すことや行動に、
いちいち上から目線で
「意見」「反論」するのではなく、
「共感」「受容」してほしい。
おかしいなら「それはおかしい気がする(←断定口調は避けて欲しい)」とでもと言ってくれて構わないのですが、「親のスタンスで接する」ってのは、その時点でもう、私からすれば上から目線と一緒です。結果腹が立ちます。
「親」じゃなく、パートナーであったり、一人の人間ですもん。
AS的には楽な接し方なのかもしれませんが、
私としてはただ「うざい」だけです。
みなさんは、どのようにお考えなのでしょう…
思いつきなので,全然的外れだったら無視してください。
ジャイアンの皆さんが「わがまま」(=自由)というときの振る舞い方に,スタイルの違いがあるか知れません。
たとえばきょうだい順位やきょうだいの性別のようなものが影響していないでしょうか。
弟や妹のいる長男と,一人っ子の女性と,兄や姉のいる末っ子とで,「わがまま」のスタイルが違っていても不思議はない感じがします(但し,このへんは多数派でもそうだろうと推測されますので,脳の働き方というより,養育環境という後天的な要因に過ぎないかも知れません)。
「わざわざmarioさん」...
>私の心の揺らぎが行間に出ていた
これが邪心では?「わざわざ」書いてくれているので本音だと思われます
男女の違いと言われればもう発達障害の枠外だと思います。
だけどジャイアン女だけではなくて女性にKYってことなのでしょうか?
対「ジャイアン」ではなくて、対「女」ですか...壮大です。
「親のスタンス」もダメです。
私も感情抜きで本当のことを「心配して」「わざわざ」いいます。
イヤミでもなんでもないです。あなた流の言い方です。
どう受け取るかはあなたの自由ですし。
先生...どうしてもmarioさんの発言には納得できません。
情緒的な邪心が入ってないようには見えません。本当のことというより圧力に感じます。
自分はこうだからと自分を変えないスタンスで「どう受け取るかはあなた方の自由です」
と丸投げされても「はぁ?」です。
それとも私は周りに「私はこういう人間だからあなたが考えて付き合ってね」
と言っていいのでしょうか?
私はこういう人間です。と話す時の恥ずかしさとと言ったらもう死にたくなるくらいですが。
そこも男女の脳の違いでしょうか?
私の元夫はmarioさんと同じように子どもと接していると思います。
「心から大切に思っている」かどうかは疑問ですが、「自主性、支配下に置かない」は彼のいつものスタンスです。というより、子どもも一人の人間としてみているというか。
私はすぐ支配しようとしてしまうので、彼のその対応がすごく助かるし勉強になります。
それから元妻に対して「親のスタンス」は、私としてはあまり嬉しくありません。
確かに昔、箱入り娘だったころ(爆)彼の「親のスタンス」は本当の親以上に親らしくみえ、何でもついて行こう!と思わせるものがありましたが、
いま、「親のスタンス」で語られてもうざったいだけです。
私は、彼が完璧ではないと気づいてしまったので、そんな人に親のように教えられても素直に受け入れられません。
それより私にとって苦手な事を手助けしてくれる方が(子どもと遊んでくれたり、外へ連れて行ったり、根気強くゲームに付き合ってあげたり)よっぽどありがたいです。
親のスタンスに誤解があるようなので…
親のスタンスで人と接するってのは、書いた通り「心から大切に思う、自主性を尊重、失敗も大事な経験、支配下に置かない、気持ちを受け入れるがコントロールされない」など、理想的な親のスタンスです。上からの視点ってのは「出来なくて当たり前」と言う事で、それをとやかく言わないって事です。m2さんのコメントに書かれていたASの取るべきスタンスに近いです(実際にm2さんのコメントで目から鱗が落ちました)。
子育てに関して言えば、先回りして指示・指摘するのは子の自主性を損ないます。結果を責めると、チャレンジ精神が失われます。泣いたりダダをこねるのを押さえつければ、信頼感が失われます。かと言って、それで決まりを緩和すれば、ダダをこねて無理を通す事を覚えます。いずれも育児を通して得た感覚、あるいは育児書から得た“知識”です。もちろん、実際はこの理想からは程遠いですが、日々反省しつつ子育てをやってます。
思うに私は親から何も制限されずに、何も損なわれずに育ちました。自分の責任で進路も選び、自分の責任で歩きました。必要な最小限の援助はしてもらいました。依存した事も、依存された事もありません。理想に近い両親だと心から尊敬しています。まぁ、その事に気が付いたのは、その事の凄さに気が付いたのは、自分が親になってからですけど。
話が少し逸れましたが、私の思う親のスタンスの説明でした。このスタンスで人と接すれば、ASも世の中を上手く渡って行けるのではないかと思ったりしています。
ただ… 自分が子供になる事が出来る筈の唯一の場所、愛着の対象の前でもそのスタンスを取り続ける必要があるとしたら、かなり寂しく感じます。
確かに誠実な態度によって信頼が得られ、それなりに人間関係が成り立つというのはありそうです。
相手に対して誠実な態度を取ると言うのは当たり前の事の様に考えているのですが、人によってはそうではないと言う事も学んでいます。
僕の場合は、あまりに誠実過ぎてついていけないと言われる事が多々ありますが。これはこれで僕の発達障害的な問題なのでしょうね。
あひるさん
残念ですが激昂しているポイントが読めません。まるで激昂している元妻と接しているみたいです。私の読み取りの力の限界なんでしょう。
私自身の問題はある程度ですが(状況的に)解決してます。その意味でここが必須ではありません。私が書き込みを続けているのは、自分は(ASは)何者か、ADHDなりジャイアントは何者なのか?接点はあり得るのか?って事を知識として知りたい。過去を整理したい。わざわざ言うのは、それがADHDにどう映るのか知りたい。また、親のスタンスってのは、接点のアイディアでした。
ごめんなさい。私はこう言う人間ですってスタンスは多分変えられないと思います。そうでないと、ASは表に出れないと感じています。
先生の方針にかかわらず、そろそろ私は書き込みをやめ、ここを離れた方が良さそうです。
あひるさんの発言ではっとしたのですが、「女性に対してKY」これ、AS男性の一大特徴なのではないでしょうか・・・
luneさんがおっしゃるように、「ASは,世界のどこかに座標系を想定して,その中での自分の位置づけ」をしているから、そういう合理的発想をしている男性同士であれば、一応話が通る(場合もある。)
しかし、本来、ADHDでなくても「座標系の0ポイントが常に自分にある」女性と、コミュニケーションを取ろうとすると、ある程度ドクターなりカウンセラーなりセラピストなりの訓練を受けたAS(いや、男性)以外は、もうお手上げ状態なんじゃないでしょうか・・・
つまりASは男性とゆうか科学的脳にありがちな「井の中の蛙」。ジャイアンはむしろ女性とゆうか情動的脳にありがち(先生すみません~~~m(__)m)な「井の中の蛙」と言えるのではないでしょうか。
自己レス(補足)です。
> 少しそちらの勉強をした立場としては,そういう姿勢はカウンセラーやセラピストとして仕事をするうえで不可欠なものだよなあ,と思いました(残念ながら,駆け出しの治療者はなかなか「邪心」から逃れられないようですが)
は,先生のおっしゃる,
> 「相手が自分を支配する下心も無く、同情さえしないで、冷静に本当に思ったことを言ってくれる」という率直さ
についてのコメントです。mario(AS)さんのいう「親」役割についてのコメントではありません。混乱した方がいらしたらごめんなさい。
で,「邪心」についてジャイアンの皆さんから,その後いろいろなコメントがついていますが,自覚したジャイアンにとっては,「あなたのためを思って~」というスタイルの関わられ方は,おおむねジャイアンの独立を侵そうとするもの=邪心あり,と識別されてしまうのではないかと思います。
一部のジャイアンが,一見そのような関わられ方に拒否的でないように見えるとしても,それは相手に「利用」価値があるかも,と感じるあいだに限ってのことではないでしょうか(ジャイアンの中にも,世間でいうところの“末っ子タイプ”の“甘え上手”はいませんか)。
くららです。MARIOさん
今回のMARIOさんの発言にはカチンとはきませんでした
但し一つ確認です
MARIOさんのいう「親としてのスタンスなら元妻とうまくやれそうな気がする」
というのはMARIOさんが子どもに親として接し元妻とお互い子の母親、父親として接する。つまり元妻に親として接するわけではないですよね?
元妻に親的な態度をとるならそりゃ私も快くは思いません
あすぺさんは想像力の欠如がある障害ともききます
ついうっかりこれで相手はわかるだろう
と主語を抜いたり、ちょっと言葉足らずになったり、余計なことをいったりすると相手はあすぺが思っているようには受け取れません。
話それますがたぶんあすぺであろう方に電話感覚でメールを送られて大変頭にきたこともあります。メールは電話と違いお互いの状況はもの凄くわかりづらいですから気をつけた方がいいと思います
くらら
MARIOさん
くららです
私は尊敬する人、尊敬すべき立場の人であれば支配関係であっても構わないととりあえず思います
親−子、上司−部下、先生−生徒であれば支配関係で良いのです
しかし例えば国語の先生が数学にも口出ししてきたらNGです
会社の上司であってもプライベートの口出しはNGです
なので親であっても全てのことに口出しはできません。
あくまで私が尊敬できるかできないか、尊敬できることかそうでないかなので自分基準ですいません。尊敬できない、となるととりあえずがはずれて支配下から逃げようとします。
なので自主性を尊重する考え方は嬉しいです
あすぺみたいに愛着対象丸ごとべったりOKよ、ということはしないのである人に対してここは尊敬するから言うことはきくが、これはきかない、とかします。
恋人に関しては対等を望むので支配的な邪心はNGです
くらら
「わざわざmarioさん」
(けっこう気に入ってます「わざわざ~」)
激昂していません。あなた流に書いたまでです。
元奥様みたいであればやっぱり「親のスタンス」も絶対にNGだと思います。
>私はこう言う人間ですってスタンスは多分変えられないと思います
相手もそう感じていると思います。
>先生の方針にかかわらず、そろそろ私は書き込みをやめ、ここを離れた方が良さそうです。
このタイミングでそうなると私のせいでしょう。
わかりました...私が降りましょう。あなたは書き続けてください。
一言だけ
>激昂している元妻と接しているみたいです~
と感じているのであればだいたい元奥様は私と似た思考回路を持っている思われます。
親のスタンスとかなんとか言わずにあなたの括りから外してあげてください。
まったくの他人。
「今ならば」などとは考えないであげてください。
以上です。
大変お騒がせしました。
閲覧しながら静かにしていようと思います。
あひるさん
元妻とは、淡々と面接交渉の日時の連絡のみをしています。子育てに関しての相談をしたいと思う事もありますが、面倒だと感じるのでやってません。今更、関係を元に戻そうとは思っていません。
元妻は既に私のこだわりの外に居ます。ここ最近の私の書き込みは、個人的に知りたい(これまでの出来事を納得したい、今後ADHDと恋愛が出来るかどうか知りたいなど)、あるいはは学術的興味に近いもの(ASとジャイアンはどういう関係でなら共存し得るか)です。
ここを離れようと思ったのは、この興味に近い立場での参加が不適切だと気が付いたからです。あひるさん、他のジャイアンの皆さんのコメントは、それに気付くキッカケですが原因ではありません。(ここも書き足りなかったですね&ジャイアン的に勝手に決め付けてると思いますよ)
あひるさん、私を原因に引っ込む必要はありません。
どうか、これまで通り参加を続けて下さい。
お願いします。
他の皆さん、お騒がせしました。
なんとなく、こんな感じなのかなぁ・・と思ったので書いてみます。
>> 「相手が自分を支配する下心も無く、同情さえしないで、冷静に本当に思ったことを言ってくれる」という率直さ
というのを読んで、一番最初に浮かんだのが、「カウンセラーとクライアント」の関係みたい・・・ということでした。
そして、もしジャイアンさんが
(自分もそうかもしれないのに、さん付け??・・今はよくわからなくなってきたので。)、
ここの場を、そういう位置づけで捉えていたら、
いきなりカウンセリングルームのドアを開けて、何だか知らないけれど、喋りだす人がいたら、
えっ??みたいな・・・。
前にアロマの勉強を少ししたときに、「NON-DIRECTIVE リスニング」というのを
聞いたんですが、NON~しない、DIRECTIVE~方向性をつける、
[あなたがどんな感情を持っていても、判断したり、方向付けしたりはしませんよ~.]
という姿勢・・・ここらへんがポイントなのかな?と。
あれよ、あれよという間に、コメントが増えていって、ずれた話で恐縮ですが・・。
すいません、私の最初の発言がまずかったかも知れない、私の場合彼とはあくまでクライアントの関係だったので、彼が駆け出しで「邪心」丸出しでも、それなりの冷静さを保った瞬間もあったという事です。
私もりかちゃんさんと同じで、ADHD箱入り娘(それも、現在進行形に近いです)なので、ASの彼に見込まれたのかなぁ。今は、彼の「AC」という判断は、眉唾もいいところ・・・(実際私にはACの部分もあるにはあると思いますが、彼はアルコホーリクのAC関係のミーティングに通えと言い出して、それは時間の無駄だった・・・のです。)
彼の「父親役」(もっと言えば「保父役」)はそりゃ面白かったですよ最初は。でも、それと冷静なカウンセラーとクライアントの信頼関係(が築けた瞬間があったということ)は、それとこれとは話が全く違います。
私も、もし彼と結婚していたらきっと「父親気取り」は段々うざったくなっていたと思います。(仮定だからよく分からないけど・・・)でなかったら大喧嘩しなかったと思います。
> あくまで私が尊敬できるかできないか、尊敬できることかそうでないかなので自分基準ですいません。尊敬できない、となるととりあえずがはずれて支配下から逃げようとします。
> なので自主性を尊重する考え方は嬉しいです
> あすぺみたいに愛着対象丸ごとべったりOKよ、ということはしないのである人に対してここは尊敬するから言うことはきくが、これはきかない、とかします。
> 恋人に関しては対等を望むので支配的な邪心はNGです
くららさんくらい,意識・整理しておられる方だとよいのですが,ジャイアンであることに無自覚な,隠れジャイアンとでも呼ぶべき女性が相手だと,そのあたりの機微みたいなものが,男性(ASに限らず)には読みづらいかも知れません。
というのも,多数派の女性を観察すると,尊敬から依存とか愛着とかへ移行することは,わりあいにありそうに見えるからです(本当にそうなのかは疑問ですが)。
ジャイアン性を隠すことで適応的に振る舞っている(そのようにしつけられたからか,自覚的に選んでいるかは別にして)ジャイアン脳の女性に接する男性は,ここでいとも簡単に地雷を踏みます。
地雷の踏み方はたぶんふたつあります。
ひとつは,くららさんが嫌うような,何にでも口を挟もうとするやり方。能動的支配とでもいえばよいでしょうか。
もうひとつは,実は僕はそんなに立派な人間じゃないんだよ,と弱みを見せて,受入れてもらおうとするやり方。こちらは,いわば受動的支配。
情動によって相手をコントロールしようとしているとも言えるので,情動的支配,でもいいかも知れません。
私はむしろ、(同姓だからかも知れませんが)marioさんより、あいまいポジションと自ら仰っているluneさんの客観的発言に、目を覚まされる事の方が圧倒的に多いんですけど。
やっぱり、千秋&のだめカップルは、世話焼き千秋にべたべたのだめになってしまうのではないかな。(時に、努力によって「助け合い」が瞬間的に実現することは否定しないけど、)フツーの男女間で、「愛着」抜きにASとジャイアンが「方向付けのない助け合い」をするのは難しいのではないでしょうか・・・どうしても、体の衝動の問題もありますしね。
ごぶさたしています、ちぃです。
marioさん、
先生の方針にかかわらず、そろそろ私は書き込みをやめ、ここを離れた方が良さそうです。
↑これって、書く必要があったのですか?
あひるさん、
>先生の方針にかかわらず、そろそろ私は書き込みをやめ、ここを離れた方が良さそうです。
このタイミングでそうなると私のせいでしょう。
わかりました...私が降りましょう。あなたは書き続けてください。
↑どうして降りる必要があるのですか?
お互いに『書きたいなら書く・書きたくないなら書かない』
同様に、『読みたいなら読む・読みたくないなら読まない』
で良い様な気がします。
私の考え方がおかしい(あまい)のでしょうか?
結論的に言いますと、ASの男性と、ジャイアン女性(逆でもいいんですが)が、「邪心なき助け合い」をするのは、余程専門的訓練をつんだ組み合わせの場合でないとむつかしい。・・・しかし、私(多分ジャイアン)は、多数派の男性に、冷静で邪心なきアドバイスを頂いて、それで救われた事は何度となくあります・・・だから、先生のおっしゃる、「ジャイアンは、真の率直さを持った人からは”助け”を求めることが出来る」という説自体は、間違ってないと思います。
問題は、やっぱりASとの組み合わせですね・・・marioさんがうっかりと、「自分が子供になる事が出来る筈の唯一の場所、愛着の対象の前でもそのスタンスを取り続ける必要があるとしたら、かなり寂しく感じます。」ともらされてしまっている以上、事は明白でしょう。
ジャイアンも悪いけどASもワルなんですよ・・・としか思えないなぁ、今のところ。
ちぃさんへ(いつもながら横レスで失礼します)。
> 先生の方針にかかわらず、そろそろ私は書き込みをやめ、ここを離れた方が良さそうです。
> ↑これって、書く必要があったのですか?
marioさんなりに潔い姿勢を見せつつも,本当は自分を承認して(引き留めて)ほしい,という思いの表われじゃないでしょうか。
> このタイミングでそうなると私のせいでしょう。
> わかりました...私が降りましょう。あなたは書き続けてください。
> ↑どうして降りる必要があるのですか?
この場を主宰していらっしゃる先生への,あひるさんなりのご配慮ではないでしょうか。
あるいは,思わずmarioさんと張り合ってしまわれたのかな?(そうだとしたら,はめられた!というところでしょうか)
・・・などなど思い浮かびましたが,どちらも勝手な連想です。大ハズレでしたらごめんなさい。
それより,ちぃさんのお考えがシンプルでジャイアンっぽくていいかも(交通整理は先生にお任せ,ですが)。
ここで、この書き込みは意味があるのかは分かりませんが、私なりの考えを書き込ませていただきます。
私は手話を習っているのですが、
手話で、『お父さんお母さん』を表現する時は、自分(顔)より上に手を上げます。
そして、『子ども』は、自分(体)から下に手を下ろして表現します。
『夫婦』の表現方法は、自分(体)の横に親指(夫)や小指(妻)を立てて、表します。
『親』は、やはり自分より上の存在であり、
『子ども』は自分の下の位置づけになり、
そして『夫婦』は、対等
・・・ということであるそうです。
ASに関らず、発達障害を持っている人は、人との関係において、先輩―後輩 上司―部下 先生―生徒 医者―患者
というように、関係性がはっきりしているほうが、自分の立ち位置が分かりやすくて、人間関係として成立しやすいようです。
同じ立場=対等・・・である場合の関係性には、平等に押したり引いたりの関わりが必要であり、
相手の気持ちや考えを察することができないと、かなりのエネルギーを使うことになり、
結局、関係が長続きしず破綻・決別するか、対等でありながら、支配する―支配される関係に移行していくことになってしまうと思います。
私が支援しているのは、子どもであるため、これが大人にも当てはまるとは言えませんが、
発達障害の子ども達は、同級生との集団生活が、とても苦手です。
自分より小さい子の面倒をよくみますし、自分より大きい子には付いていって可愛がってもらったりします。
今ここで、『親のように…』という意味の説明やそれに対する意見など、大人だから色々討論されていますが、
私は、根本に『関係性を明確に打ち出したほうが生き易い』という特徴があるからであるように感じます。
『対等である夫婦』を営んでいくことは、かなり難しいのではないかと思います。
ここが、発達障害の診断に、コミュニケーションの困難さが挙げられる所以ではないでしょうか?
ひまわりさん、何故ジャイアン女子が、いやだいやだといいながら、AS男子を「親代わりの夫」としてしまう傾向が強いのか、ものすごくよく理解出来ました・・・ありがとうございます。
PS;lune氏を女性と間違えた事、深くお詫びします。
ひまわりさんのコメントを巡って。
対等(水平?)な関係性というとき,それがなにを指すのかは,たぶん定型発達者にとっても明確ではないと思うのですが,ひとつの言い換え方として,「競争関係」と「協力関係」というのが思い浮かびます。
ジャイアンには,公正な競争は似合いそうですが,性質として「助け」を求めることができないとなると,協力は無理なんでしょうか。
それから,夫婦関係というのは,当事者同士の合意がありさえすれば,どのような関係であってもよい(そういう意味では敢えて対等でない関係を選んでもよい)はずですが,ジャイアンは,その「合意」に至るプロセスの途中で引っかかるように思います。
ひとつは,いろいろなことをあいまいなままにしておきにくいこと(定型同士の合意はたいてい暗黙の合意ではないかと推測します)。
もうひとつは,意識されにくいレベルでの,情緒的な勢力争いを伴うこと(ジャイアンは情緒を扱うことが不得手?)。
ps;むーんさん,大丈夫です。
ps;先生,個人的なやりとりみたいになって申し訳ありませんでした。以後,気をつけます。
>夫婦関係というのは,どのような関係であってもよい(そういう意味では敢えて対等でない関係を選んでもよい)はずですが,ジャイアンは,その「合意」に至るプロセスの途中で引っかかるように思います。
ひとつは,いろいろなことをあいまいなままにしておきにくいこと(定型同士の合意はたいてい暗黙の合意ではないかと推測します)。
あーこれありますね。私が、彼と結婚に至らなかった一つの理由に、「どうしても対等じゃなきゃイヤだ、モラハラいやだ」とゆう自己突っ込みがありました。(周りは、むつかしく考えずに付き合え、つんですけど。)そうは言っても、実際自分が求めていたのは、依存させてくれる男性だったんですけどね。
本当に対等に、率直に助けてくれる男性だとジャイアンは実は物足りないんですよね。どんなに息苦しくても、ハリセンで叩かれても、「千秋様命」ってところあると思います。(こうなってくると自業自得・・・)
お笑いの突っ込みとボケカップル、くらいに捉えておけばよかったのかなぁ。でも依存は実際体に来ます。(ーー;)ジャイアンの恋愛はむつかしい・・・
これは、個人的体験ですけど、私の場合、最初から「親」のスタンスがはっきりしている年代のAS(つまりは70代、60代のおじいさんですね)とのお付き合いは、ものすごく楽ですね・・・率直で忌憚ない意見をびしばし言ってくれて、こっちもそれが当たり前だと思うし。そうゆうお付き合いは沢山あって財産になってます。(結婚は考えた事ありませんが・・・)
どうも同年代で、お互い異性を意識しちゃうとやっぱりむつかしいです。向こうも無理して親気取りするし、こっちも一応安心しつつも、すごく不安定になって「何様」って思うし。定型発達で、のほほんと夫に甘えているかに見える人は、実際にはしたたかに夫を利用しているんでしょうか。それに比べるとAS&ジャイアンカップルは純粋つか単純ですね。
久しぶりの書き込みです。
今日まで、読む事に終始していましたが、以前に、私宛のmarioさんのコメントでAS的夫を理解?した事がありました。
AS息子の不登校やイジメ問題で、夫に協力を求め続けては、luneさんのコメントのような「実は僕はそんなに立派な人間じゃないんだよ,と弱みを見せて,受入れてもらおうとするやり方。こちらは,いわば受動的支配。」で、あいまいに流され続け、思春期の子供の事は妻一人に背負わせ、疲れ果ていたのです。
「協力を求め続けて」いる時の私は、yanbaru先生の記事も、この場の様々なコメントも、「私はジャイアン?」と思ってしまいますが、親として、妻として、当然の言動だと思う節もあります。
そういう意味では、marioさんのお子さんに接する時の努力は、例え知識であっても尊敬に値します。我が夫は、知識を持ってもらうべく、ASの本を【読んでもらった】り、親としての心構えを【助言】したり、子供の対応を【教え】たり・・それは、妻の役目か?・・夫に自主性が無いのか?・・とても迷いました。今でも分かりません。
しかし、不登校で心が病んでいた息子を抱えた私の、夫に対する努力も限度があります。情緒的な事が出来ない夫に、「父親として、子供の心に関心を持って!接し方を変えて!夫婦で家庭を明るい雰囲気に!」等と無理を強いていた訳ですから、夫婦間も危うい事に・・。
「相手を自分の思い通りにする」と言うより、「病んだ息子に病んだ妻。協力しない夫に病んだ妻」を、親として、夫として責任を果たして欲しいだけなんですが、「病んでも自分で解決して」的な夫に、私が甘えてる、我がままなのでしょうか?
現在は、夫には経済的・体力的(家事)に頼るのみです。心理的な事は、こじれる元になりますから・・。
ゆうさんへ。家のADHD母も、(はっきり言えば、私の家事手伝い状態を)ASの父が問題から逃げ回るのを、一人で解決しようとしていました。・・・今思えば、その苦労は察して余りあります・・・が、母一人の努力はあまり実を結ばなかったです。
結果的には、私が、通っているクリニックのAS(援助職)の彼と、恋愛関係に突入したので、ADHD母は、心配してわたしと彼を引き離そうとしたのですが、私がゆうこと聞かないので、その内、母が出て行って、私が母との二卵双生児的状態を脱し、(AS父は、相変わらずわがまま状態を貫いていますが)問題は割とあっさり解決してしまいました。
誤解なきように申し上げますが、もちろんゆうさんに「出て気」と言ってるのではありません。しかし息子さんの問題は息子さんの問題です。・・・あまりゆうさんが、家族全員の問題を引き受けようとしない方がいいように感じます。
いくらAS関連の本を読ませても、「人は変えられません」から。これは、今家を仕切っている定型発達(だと思う)のヘルパーさんが、よく口に出す科白です。
ゆうさん・・
今までの先生のお話を総合しても、受動型ASに「親として、夫としての責任」を求めるのは無理なのではないでしょうか?彼らは自分が今ある状況(社会)に適応するので精一杯なんだと思います。受動型ASには過去も未来もなく、現実(現状)あるのみの様な気がします。将来の心配はできないけれど、目先の危険察知(判断)能力には優れていませんか?「生きる力」は強いと思います。
私の心も病んでいますが、(経済力を夫に頼って)なんとか息子が自立するまでは・・といろいろ試行錯誤しながら頑張っています。正直、受動型ASに対する厳しいコメントを読むと納得する一方で、(受動型AS息子の)親としてはとても切なくなります。性懲りもなく受動型ASは(特にかかわらなければ)パートナーにさえならなければ、人畜無害タイプだと思っています。
むーんさん、エムさん、ありがとう御座います。
確かに、努力が実を結んだ事はありませんでした。最近も、夫に対して、少し言い方を変えて明るく言ってみても「俺は、向上心の無い男だから」と言われました。
「パートナーにさえならなければ、人畜無害タイプ」・・その通りですね。私も試行錯誤しながらやっていますが、受動型AS夫は「試行錯誤」が出来ないんですね。
昇進試験の面接で、「苦手な仕事を任されたら?」の質問に「出来ません」と答えて、落ちるのも納得です。
何年も同じ仕事をしていて、「即戦力」であってもいい年齢です。苦手を「勉強」で補ってもいい筈。先輩や上司にアドバイスをもらってもいい。でも、それが出来ないんですね。
公務員で、50歳になっても、平社員のまま。(現状の世の中で、贅沢は言えませんが・・)
例え昇進しても、「先輩らしく」振舞えないでしょう。
愚痴でゴメンなさい。
私が、何とか上手く立ち振る舞って、乗り越えていこうと思っています。
>「相手が自分を支配する下心も無く、同情さえしないで、冷静に本当に思ったことを言ってくれる」という率直さへの信頼があれば、ジャイアンは人と関われると私は思う。
はい。こういった関係を望んでいたはずなのに今まで依存的場当り的な行動で散々男性と関わっていました。
自分の責任に気づき自分の立場がわかった時、私にとって上記のような理想の関係が現在低学年の息子であるかもしれないことに気づきました。
本当に、子供の存在に救われています。
自己中心的でどうしようもない私でも責任という大事な任務を果たすことが出来ることを感謝して日々忘れず向き合って生きたいです。