ADHD関連

AS-ADHDカップルの成立条件

 ASがADHDに何故惹かれるのか考えていて、「理解できない」「支配できない」ことの意味に思い当たった。

 最近までテレビ放映していた「のだめ」のようにADHDは徹底的に場当たり的で、ASから見たら「問題外」と映るような理解不能な相手になるはずだ。

 しかしADHDにはどんどん変化していく「面白さ」「可能性」がある。もちろんASは「可能性」が生じるや否や自分の理論に取り込むべく「理解」(AS的にはASを不安にする不確定性を無くした形の説明をこじつけであっても立てる)しようとするが、その理解よりも早くADHDは変化していくので、「永遠に理解しきれない、自分に不安を起こさせ続ける相手」であるのだ。

 この問題を「相手が多数派や受動型ASであった場合」と比較して考えると分かりやすい。多数派も受動型ASも、ASからすれば反応を「計算できる」。だからどうでもして「コントロールできる」相手である。

 コントロールできるとなるとコントロール(支配)するしかない。結果は「うまく行っていたのに、突然相手の態度が変わり、関係を切られる」ということになると私は想像する。

 もともと自由意志を持った人を支配しようとするのが間違っているから、当たり前の結果であるのだが、ASの場合認知と思考自体の幅の狭さから支配的な傾向が生じているので、よほど努力しないと支配的でなくなることは難しい。

 だからADHDが「支配できない」(それ以前に「理解できない」)ことがASにとって意味があるのだ。この相手には対等となることも時には可能であり、何よりも長期に持続する関係を維持できる可能性がある。

 だからAS-ADHDカップルには意味がある。ただし下記の前提つきで。

1.ASはADHDの「可能性」を享受する代わりに、「支配」を一切断念し、不確定の極度の不安に耐える決意をする。

2.ADHDはASを理解はするが、現実の生活ではASの態度に巻き込まれること無く、ADHDらしく自由にきままに行動する。

 ASはADHDの「可能性」を享受しながら、「支配」もしようとするという理不尽なことさえしなければいい。ADHDもそれに応じる必要は無い。これがAS-ADHDカップルの成立条件だ。 


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コメント

    • mario
    • 2006年 12月 28日

    YANBARU先生
    昨日今日のブログを何度も読み返しています。
    これまでの人生を振り返って、思い当たる節が多すぎます。
    なのに依然として「支配」の意味が理解できません。私は、どうやって相手の何を支配しているのでしょう?

    • yurin
    • 2006年 12月 29日

    自閉的思考には『先の見通しを立てないと不安』というのがありますが、これが『支配』の始まりかもしれません。人生は『先の見通しが立たない』『突然の予想不可能な変化』がつきものなのだから。
    『のだめカンタービレ』最終話で千秋クンが『俺はあいつのピアノが好き』なんだと言ってましたが、あの言葉通り彼は恐らくこれからも『予想不可能な』のだめ の奏でるピアノに、言葉で説明しきれないような、限り無い魅力を感じ続けるのでしょう。
    予想できない事イコール可能性、先のわからない(見通しの立たない)『モノ』『事』に感じる魅力…という図式でしょうか。
    確かにそれは『何でも先の見通しを立てたがる(支配したがる)AS』にとって非常に大きな意味があるかもしれません。

    • 匿名
    • 2006年 12月 29日

    「のだめ」は面白いですね。私は原作の漫画を読んでいるだけで、ドラマはみていないのですが、のだめちゃんがADHDで千秋がAS、というカップルと解釈するとますます面白いです。「のだめ」は千秋の視点なので千秋がASかどうかは今ひとつわかりにくいですが、YANBARU先生の書かれた1,2の二つの条件を満たしてこのカップルは成立しています。その後の経過でも(漫画では)服従させられているのは完全に千秋の側です。
    千秋はASの中でも「合理的AS」とでもいうような人かと思いました。本人のこだわりが周囲に評価されつつも恐れられ、ちょっと距離を置いた人間関係が当然になってきているところに、空気が読めず体当たりしてくるADHD、のだめちゃん。その距離感もASにとっては魅力になっているのかもしれません。
    「のだめ」は気に入っている漫画なので、つい、ひとりよがりな文章になってしまい失礼しました。

    • mario
    • 2006年 12月 30日

    う~ん、皆さんは分かっているようなのに、私には未だに何の事か分かりません。
    『先の見通しを立てないと不安』、そうです。
    『突然の予想不可能な変化』、苦手です。
    「何でも先の見通しを立てたがる=支配したがる」、これが分かりません。
    確かに、何か新しい事態が生じた時に見通しを立て、その後の事態に対応する為の準備をしている私がいます。それが何故、相手を支配する事に繋がるのでしょうか?その支配をしない為にはどうしたら良いのでしょうか?

    • yurin
    • 2006年 12月 30日

    『先のことは誰にもわからない』から、本来は『予想ができない(見とおしがたてられない)こと』なんですね。その予想不可能なことを『見とおしをたてようとする』ことに『無理がある』ということなんです。
    これはAS的思考ゆえなのですが、その理由については先生が書かれているとおりだと思うので省略します。
    私の印象では『先の見とおしを立てる』ということが『相手の行動を予測したがる』、果ては『全てを知りたいと思う』ということに繋がっていると思うのですが、これもAS的思考ゆえなので、ある程度仕方がないのでしょうが、『世の中は予想不可能なことが実はたくさんある』と考えて事に当たったり、人と接するようにすればいいのでは?

    • ALIVE
    • 2006年 12月 30日

    yurinさんへ
    >『世の中は予想不可能なことが実はたくさんある』
    AS当事者の私の場合に限っていえば、まさに誤った認知を修正してくれる表現です。
    それが『事実』なのですね。
    私の場合、言語的理解力が不足しているので、手をとり足をとりのように
    言葉自体も、私が理解できる言葉に巡り会うまで頭をひねってしまうのですが
    この表現が琴線にふれました。
    どうも私は予測できない事態に弱いので、つい自分勝手な予測をして
    自分を特定の型にはめてしまい、独自の方式で安心・安定しようとしてしまいます。
    が、最初の認識自体が誤っているため、決して安定しない。
    本来の『事実』が見えていなかったことに気がつきました。
    『世の中は予想不可能なことが実はたくさんある』は忘れないようにしたいと
    思います。
    どうもありがとうございました。

    • mario
    • 2006年 12月 30日

    ALIVEさんのおかげで、ちょっとだけ分かったかも。
    『世の中は予想不可能なことが実はたくさんある』
    相手の希望、考え、苦悩、悩みも、私の予想可能な範囲で捉え、決め付け、反応している?
    それが支配なのかな?
    少なくともそれで「解って貰えない」って相手が思うのは解りました。
    しかし予測不可能だから、予測しない=選択を諦める=行き当たりばったりに生きる ような気持ちも残ってます。

    • yurin
    • 2006年 12月 31日

    ALIVEさんへ
    ありがとうございました。年末年始は私の苦手である仕事(家事)が多く苦痛も多いのですが、あなたのコメントに力をもらい、頑張ることができました。こちらこそありがとうございました。
    marioさんへ
    コメントをよみながら、私の夫と会話しているような錯覚に陥りました。予測しない事は、考えることを諦めることではありません。先のことも他者の気持ちも、いくら考えても誰にもわからないということで、それを自分で『予測』するということは『自分勝手にこじつけている』というのが事実です。

    • mario
    • 2006年 12月 31日

    yurinさん
    > 私の夫と会話しているような錯覚に陥りました。
    そうですか(^^)
    私の妻もあなたのように、ASのパートナーを理解する努力をしてくれると良いのですが(^^;
    予測=自分勝手にこじつける=自分勝手に決める?
    考え続けても決めなければ良いって事でしょうか?
    自分の行動基準を持たずに居るのは何か辛そうです→でも、それがAS的感覚?

    • yurin
    • 2007年 1月 01日

    (誰かへのコメントではなく私のいわば独り言と聞いて下さい。)『理解』という言葉の意味合いは二通りあり、一つは『相手の感性をありのまま自分の内面に受け入れる』。そしてもう一つは『相手の感性を自分流に変換して理解する』。
    ただ理解したとはいえ、やはりそれはいずれにしても『自分の理解』だから相手が望む形の理解であるかどうかは『私にはわからない』。
    でも、解ろうとする努力は決して無駄なことではない。
    ASでも ADHDでも『人間同士』だから、どこかの接点でもって『分かり合う』ことができると私は信じている。
    現実には、私が想像できないことがある人がいる。私に想像できない世界があることは、自分にとっては『サプライズ』なのだけど。

    • yurin
    • 2007年 3月 17日

    2ヶ月前の自分のコメントの下に書く、というのも意味があるような気がしたので、私が今考える『AS-ADHDカップルの成立条件』を書いてみます。
    『ADHD側が努力することは、AS(の支配)に呑みこまれないようにすること。AS側から努力することは、支配的な考えを極力やめること。』
    先生の記事に書いてあることと、基本的には同じことですよね。ただ、私のほうが若干、悲壮感漂ってるような気がしますけど(^_^;)

    • mario
    • 2007年 3月 18日

    > AS側から努力することは、支配的な考えを極力やめること。
    ASにとっては、自分が相手を支配していると言う感覚が欠如していますので、その認識から始めなければなりません。実は未だに結構難しい…

    • 道産娘
    • 2013年 8月 20日

    >1.ASはADHDの「可能性」を享受する代わりに、「支配」を一切断念し、不確定の極度の不安に耐える決意をする。
    2.ADHDはASを理解はするが、現実の生活ではASの態度に巻き込まれること無く、ADHDらしく自由にきままに行動する。
    相手は受動型で、私は「のび太と依存2」タイプののび太だと思いますが、相手に対し「合わせられなくて申し訳ない」と思う時点で巻き込まれているということでしょうか…(ちなみに、相手は私をASだと思っているようです。それも認知の歪んだACだと)
    元々「合理性が理解できない」とは言ってましたが、私との約束を破り→場当たり的に機嫌をとる…の繰り返しが続いたので、いい加減腹が立って彼に説教してしまいました。
    すると彼は「もう死にたい」と言い、私も「今のままじゃ100%君を好きになれないから、もう離れた方が良いよ」と伝えましたが、数時間後にはケロッとして謝ってきました。
    とりあえず「何も言わずに態度でぶつけられても分からないから、そういう時は無視するからね」とだけ言いました。
    すると以前は「分かった」としか答えなかったのに、少しずつ言い返せるようになったかな?(何よりハートの強さに驚きました)

    • 道産娘
    • 2013年 8月 24日

    ちなみに私は「可能性を享受」等一切せず、わりと断定口調で「できる・できない」と答えることが多いです。(曖昧な答え方で気を持たせていると思われたくないので…「(できるなら)少し待って欲しい」と保留にすることはありますが)
    ただ、上記のコメントにもありましたが「今のままでは100%好きになれない」と言った後「今の状況を変えてくれれば、好きになるかもしれない」と言うことがあります。
    それが「可能性」になるのかな?
    私自身、以前は「駆け引き」しているようで、このような考え方はあまり好きではありませんでした。
    「好きなら付き合えば良いし、嫌いならとっとと別れろ!」と常に言い聞かせてましたがそれができず、結局我慢しながらズルズル関係を続けたあげく、自分から断ち切っていました。
    今は「まだ折り合いをつけて、関係を長続きさせられる可能性が残っている」と前向きに考えているので、かなり気持ちが楽です。
    ちなみに、相手が理解してくれるかどうかはまた別問題だったりします…
    最近では、彼は私の説教に慣れてしまったらしく、服従に回り、私が説教するのを待ち受けているように見えます。(まぁ、気のせいかな…だと良いけど)

    • r.
    • 2015年 4月 12日

    >ASはADHDの「可能性」を享受しながら、「支配」もしようとするという理不尽なことさえしなければいい。ADHDもそれに応じる必要は無い。これがAS-ADHDカップルの成立条件だ。 

    先生のこの一文、すごくシンプルでわかりやすいです。現実には、
    ・ASDは自分の支配的部分に(まったく)気づけない(ので理不尽なまま)
    ・ADHDは気づいたときには応じてしまっている(ので気ままに生きられない)
    ということなのだと思います。

    う~~ん、共存は難しいです。模索の日々です。
    一つの方法としては 互いに口を利かないで暮らす とか。やり取りはメモで。
    メールもダメな気がします。
    (ホントは別々に暮らすのがいいのだと思います)

    • nobigappa
    • 2015年 4月 30日

    上記↑の私(道産娘)の二つのコメントについて。

    「相手に合わせられなくて申し訳無い」「私からの説教を待ち受けているように見える」と、二年前にコメントしましたが、今現在はこう言った「相手の気持ちに配慮するような考え方」はしなくなりました。(上記の彼は元彼ですが)今なら「別に相手は何も言わないのだから、そんなこと気にする必要無いよね」と普通に考えられるし、何より、深読みが面倒臭くなったので、相手の「曖昧で何とでも受け取れるような言い方」にも反応できないと思います。二年前の自分のコメントを読み「何でこんなこと気にしてたんだろ?」と、思わず吹き出してしまいました(笑)

    また、よくASDの人が話の中で(全く関係無い)過去の私の発言を持ち出し「あの時こう言ったのに!」「あの時の恩を忘れたのか!」等と言うことがありますが、それに対してもきちんと「その話は今の話と関係無い」と言い返すようになったためか、その後は過去の私の発言を持ち出して言いがかりをつけることが無くなりました。
    なので二年前と違い、今は「理不尽なまま、気付いた時には応じてしまっている」ことがほとんど無くなり、巻き込まれることも少なくなりました。

    「面倒臭がらずにきちんと言い返して良かった」と、自身を振り返って思いました。

    • nobigappa
    • 2015年 5月 17日

    先生、私のコメントが一つブロックされてますね。内容が「コメント者に対するコメント」になっていたからだと思いますが、このブログは「自分自身の発達障害について振り返る場」なので、ブロックされたコメントは本来必要ありませんよね(別に絡むつもりはありませんでしたが)。失礼致しました。

    最新記事については本当にその通りで、時折(その強迫性と依存性故に)本当にのび太型か?と疑うことが今でも有りましたが…ようやく納得できました。
    ただ、記事と違うのは「学童期〜思春期はACの情緒障害だったため、基本的に自分のことは自分でしていた」ことです。なのでACから回復した思春期以降は依存性と自己突っ込みと強迫性障害との戦いで、ジャイアンの様な衝動性も無く「ぼーっとするか強迫的に動き出すか」と言った行動パターンが多いですね。
    なるほど、ACになる小三以前は確かに「ACのクラウンタイプを地で行く」様な弄られキャラで「受動型ASD以上に受け身」だった(受動型ASDの人は周囲を伺いながら行動する分、私よりも能動的に見えますし、不思議と相手から話し掛けられることが多かったです)。

    今のところ(表面上は)適応できていますが、何となく居心地の悪さは感じますね。大人になってからは「弄られキャラ」は影を潜めつつありますが、「やりたくないことを投げ出したくなる衝動に駆られる」ことはしょっちゅうで、日々、それとの戦いです。

    また気付いたことがあれば、最新記事にコメントします。

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