2012年(平成24年)は少年鑑別所や施設の診察などを休みの月曜に回し、休みを減らしたが、何とかダウンしないで乗り切れた。
平成24年度は3回も主な勤務先を変えたので、昨年の今頃はまだ引越しの最中だった。
この一年は診断書が遅れて保健所の指導はあったが、それ以外に大きなことは無かったと思う。
ただ(まだ今は書けないが)実は年末ギリギリになって過去の大問題が浮上して来た。1月のうちには結論が出るのでその後に説明する予定だ。
発達障害ケアの探求では、2012年前半はのび太とジャイアンを総合する表を完成し、受動型ASについての理解が進んだ。
後半はADHDに対するストラテラの効き目をきちんと観察し、それを通してもとのADHDの障害についての理解を深められたと思う。
今は「受動型ASの想像力と対人関係のパターンの関係」「受動型ASにストラテラが効きそうなこと」について考察中で、少しまとまったら書いてみようと思う。
今の私はこの体制での発達障害ケアが継続出来さえすればそれで満足だ。それ以上は望めなくても良い。
現在の私の立ち位置からは、「ジャイアン」とは二次障害の現れ方の一つである。
「衝動統制を合理的なものに再インストール」し、また「好きなことを続ける」環境に恵まれるという二つの条件を満たせば、ジャイアンはのび太と同じ道(合理的ADHD)に収束することが出来る。
不適応が激しいときは、ストラテラが大きな武器になる。
2012年は日本の成人ADHDにとって大きな年であった。
2013年もこのブログを中心に、皆さんと一緒に発達障害について考える努力を続けようと思う。
今年もよろしくお願い致します!
昨年はメール相談等ありがとうございました。
半年前はASか多数派かも分かりませんでしたが、今は「ジャイアンAC」か「不適応の激しい合理的強迫的ジャイアン」かなと思っています。
自分は特に高い志しを持っているわけではなく、ただ「当たり前の事を当たり前にこなせるようになりたい」と考えていたのですが、このブログでの皆さんとのやり取りを通じて、最近では、周囲に適応するために相当神経をすり減らしてきたのかもしれないと思うようになりました。
また、適応するために費やしてきた時間や労力が惜しくなってきたと言うのもあり、ストラテラの力を借りて、これまでできなかった事に挑戦してみたいと欲が湧いてきました。
(いい加減観念して)病院に行こうと思います。
では、またAS記事にコメントしに伺います。
(今では身近な受動型AS観察が趣味になっております)
くれぐれも、お身体にはご自愛下さい。
今年も先生や皆様にとって充実した素晴らしい1年になりますように…
過去の大問題は、患者である私達にとっても、大問題な事
なんでしょうか?
とても気になります。
明けましておめでとうございます。
時々、拝見させてもらっています。
想像力、たいぶはしょらせてもらいますが
私の前提、大前提は呼吸し心臓が動いているです
そこに帰ってくると思い出すと何とか心の均衡が保たれます
その前提が個々、社会では一般、一般的と表しますが
その思考のスタートラインが限りなく近くじゃないと
ちぐはぐな余計な事象まで引き起こす様な気がします。
そう言う自分もだいぶ言葉をはしょってますが先生すみません
今はここまでです。 ありがとうございました。
昨年は先生のブログやHPに大変お世話になりました。
本当に本当にありがとうございました。
今年もまた先生の知見を見せていただけることを切に願っております。
しかし大問題とはなんでしょうか。心配です。
先生御自身の生活も大切になさって下さいね!!
昨年は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。
いかに衝動統制をしていくか、自分の思考に自問自答しつつ、今年もやっていきたいと思っています。
年末年始、実家に帰って母を見て思ったこと、刺激にいちいち反応し注意の転動が激しいこと、その刺激により言葉を発してしまう衝動性が以前より増していること、言葉は単語で指し示すことが多く、筋道を立てて話すことができない、これらは以前からあったものの、高齢になり症状がひどくなっているようでした。
注意の転動や衝動性、言語発達において、幼少期からの適切な訓練がなされれば、もっとコミュニケーションがとれ、自己否定も少なくすんだのでしょうが、こればかりは仕方ありません。母も、私も、刺激に翻弄されてきた人生を歩んできました。母は合理的な衝動統制よりもむしろ好きなことをして暮らすこと、私はこれからの人生を生きるために合理的衝動統制を身に着けていくこと、話すほうの言語力強化が目標となります。
それにしても、親の言語能力はしつけにどう影響を与えてきたのか。筋道を立てて話されれば合理的な衝動統制が可能だったかもしれない。けれども、言語力の不足があり単語で指し示されたことが多かったとしたら、その単語の指し示すことの意味を察知して衝動統制および行動しなければならなかったでしょう。顔色を伺わなければ理解することが難しかったのではないか、と思います。そして、言語面よりも行動面に視点が置かれていたために、表出言語の発達においての訓練がおろそかになっていたものと思います。
ADHDは家族性に発生することが多い。そのなかでも親が言語障害を合併している場合は、子の言語発達のみならず、衝動統制の型に影響を与えることとなるのではないか、と考えました。今では言語療法もありますから、子に言語障害がある場合、親の言語障害の有無をチェックし、親子で言語療法を受けられるようにすることも必要ですね。
はじめまして。反社会性人格障害、反抗挑戦性人格障害について調べていてこちらにたどり着きました。41歳の男性です。
『「衝動統制を合理的なものに再インストール」し、また「好きなことを続ける」環境に恵まれるという二つの条件を満たせば、ジャイアンはのび太と同じ道(合理的ADHD)に収束することが出来る。』の為に重要なポイントなど、ざっくりで良いので教えていただけませんでしょうか?
私自身は、以下のようなストーリーで、かなりは改善されたのですが、計画性の無さ/怠惰 だけがいまだ解決せず、苦しんでいます。
小3まで優等生。会員数1万人のオーダーの塾で全国ぶっちぎりトップなど。母が教育ママ。
小4から両親が不仲になり、ほぼ同時期に、万引など非行に走るようになる。典型的なエピソードは、大勢を率いて秋葉原に集団万引に行き、「万引きの極意は、自分を騙す事だ。自分の物だと思いこめ。その他のテクニックは全て二の次だ。」という指導など。
小4から勉強は放棄したものの、小3までの余韻で中高一貫進学校に合格。
小6で両親が離婚。以降大卒まで父親と二人暮らし。
中1から真面目になろうと級長などに立候補したが、すぐに挫折し、不良グループを率いるように。
ただし、進学校なのが幸いし(周りはお坊ちゃまが多いので)、自分がエスカレートしても、同級生は、ある程度以上は着いてこれないので、鑑別所や少年院に行くレベルには至らず。麻雀、喫煙、飲酒、喧嘩、恐喝、万引、窃盗、公共物破壊等。学内では友人思いで、表に立つ事を好まず、裏番のような存在。教師には反抗するが、からかう程度で暴力は振るわず。高1までこの状態が続く。
よく覚えているのは、オートバイでは常にアクセル全開で走り、いつ死んでも良いと思っていた事(死にたいと思った事は無い)。喧嘩で降参している相手の顔をカカトでぐりぐり踏みつけてもなんとも思わない冷たすぎる自分の心に違和感を感じた事がある。
高2からは周りが勉強を始めるので、独りで不良しているのも寂しいので勉強へ。私学の雄に合格。
大学は何もせず、怠惰の毎日。ただし、女神のような女性に出会い、お付き合いするうちに、心がほぐれていくのを感じた。心が穏やかになっていった。
大4、就職活動に失敗。なんとか小さなコンサルティング会社に就職するが、朝まともに出社できないので、9ヶ月で退職。
24〜27歳までプー太郎(引きこもり)。中高からの友人関係は良好でよく遊ぶ(お金が無いのでタカる)。
28からフリーランスSE、プログラマ。元々数学が得意だったので、なんなくこなす。
とはいえ、納期を守らず、損害賠償請求を食らうなどいい加減。
ただし、顧客が抱える問題の解決能力は高いので、結果としては勤めていたときよりずっと余裕のある状態へ。
反社会性は減ってきたものの、対警察については変わらず酷く、印象的なエピソードは、平気で飲酒運転する毎日で、30歳の頃、前方の車を無理矢理追い越そうとして、どいてくれないので、ぶつけながら抜いた。当然警察を呼ばれた。こちらとしては事故は所詮民事扱いで民事なら交渉次第なのでゴネ得なのを知っているのでどこ吹く風だが、事故自体では無く飲酒検知を要求され、焦る。ただし任意捜査(当時)である事につけこんで、のらりくらりと飲酒検知拒否。水をがぶ飲みしたり、同級生の弁護士に電話して対応を引き伸ばすなどして、2時間ほど経過したところで、酔いも冷めたかなと飲酒検知に対応。この時点で、警察はプレッシャーをかけるために応援を呼んでいて、20名ほどの警官に囲まれていた状態。基本的にずっとのらりくらり交わしていたが、一人、若い警官が正義感から暴言をはいていたが、検知後に結果がシロだったのを良い事に、その警官を侮辱する言動を行った。
この時は20名の警官に屈しなかった自分を誇ったが、時間をおいて、30歳にもなっていったい何をやっているのか、激しく自己嫌悪した。
31歳のときに、また女神のような、また学生時代と異なり(学生時代の彼女は優しさが強かったが厳しく無かった)、厳しさも持ち合わせた女性と出会い、34歳に結婚。仕事内容は変わらないが会社設立。
結婚後に過去の自分の不実が膿として噴出し、離婚寸前まで行くが、改心を決意し、全て妻の言う事に従う、としてなんとか戻ってきてもらう。
妻は全ての断捨離(モノから、人間関係まで全て)を要求し、苦しかったもののなんとかそれに従い、それなりにミソギを済ませる。
36歳で妻の信用を回復、そうしたらスポーツに打ち込みたいという欲求が出てきて、36〜38歳くらいまで競技自転車にのめり込む。
38歳で自転車に飽きて、そうしたら、仕事でチームを組みたいという欲求が出てきて(それまではずっと独り)、相手の名前も浮かんできたので、その彼を口説いて会社にジョインしてもらう。
ところが蓋をあけてみると、彼は、非常に優秀ではあるもののAS的で、扱いにくく、また、その頃にはかなり怒らなくなっていたはずの自分を刺激する行動を取るので、たびたび怒ってしまい、不仲な状態に。
40歳、2年間苦しんで、独学で交流分析勉強や、内観療法など経て、やっと、自分や相手をそれなりに尊重する事ができるようになり、そして補完関係はとても良いので(ADHDとASだから?)、私の怠惰を彼の完璧主義的勤勉性で補完してもらうなどして、会社はそれなりに安定。
そして会社が余裕のある状態になったが、いよいよ、IT系で勝負をするために、単純に受託仕事するのでは無く、世の中に価値を与えるようなサービスをつくろうと奮闘しているが、これは受託では無いので計画性が重要になるが、どうしても私の怠惰が悪影響し、なかなか前に進まない状態へ。
という具合で、あと一歩のところまで来ています。
全過去ログも読まない段階で、「重要なポイントなど、ざっくりで良いので教えていただけませんでしょうか?」など、厚かましく書いてしまい失礼いたしました。
まずは、「合理的な自己突っ込み」などを中心に、過去ログをしっかり読んで勉強します。
あなたは、計画性など気にせず、ビジョンをパートナーに語るだけでいいのです。 ビジョンさえ、いいものができれば、計画など作ってくれます。
まずは、あなたがやりたいことを彼に伝えられるようにすればいいと思います。
こんにちは、はじめまして。ASとつい最近診断された30代、独身、女、無職です。
聴覚過敏症、視覚優先、注意欠陥、あり。耳からの説明や、授業や会議式の勉強は、pc持ち込み、全セリフをしゃべるスピードで入力後、まとめなければ、意味や学びがほぼ全くできないレベルです。
それぞれ回答させて下さい
1:面倒なことは
「毎日、遅刻せず、仕事にいくこと」
「一生働くこと」
「仕事はたいてい9:00-18:00ときまってて、休憩時間が自由にとれない、横になれない、静かじゃないので、耳から無意識に電気がつく音、人のいる気配、足音、袋をガサガサするレベルでうるさいと感じ、仕事の場合逃げられないので、オフィスにいることが面倒。」
「通勤、外出に多大な準備が必要+幼少に痴漢被害にあったため、朝夕マラソンや散歩など気楽に出るのが苦痛。なので、外出自体が面倒に感じる+怖い」
一生働くことを考えると、面倒に感じるくさそうなので、社会適応も何度も失敗してるし、みっともない状態の中年になるイメージからぬけられず、今のうちに自殺しておきたくなる。
。
2:ルーチンにしたパターンの外出先(勤務先、好きな友人宅、好きな店など)は、なんとか1~4時間遅刻しながらも、到着できるよう自分でやってますが
年金事務所、遠い病院、好きな場所とはいえ、車が必要な場所に数回だけ行くなど、慢性的に利用しない、いきなり生じた移動を付き添いなしで、一人で行くのは無理。5歳のとき、犯罪被害にあって20代まで記憶を消して成長してきたが、一度も行ったことがない場所に一人で普通の状態ではいけない。
うつや、パニックでストレスピークになった状態で逃げたいあまりにいきなり会社をやめて、シンガポールに逃げるように働きにいったことあり。
逃げるといった非常時行動になると、ptsd恐怖を無理やり押さえて、知らない場所に行けるようです。ただし、自分では自殺したい気持ちが強いため、けっして正常な「いきたくて行ってる」わけではない。
唯一、遅刻が少ないのは通院。これは「治りたい、代わりがないから」なんとかできるのと、できるだけ、昼に近い遅い時間に診察を予約させてもらうことで、ギリギリ遅刻はさけられてます。
3:「ものすごく嫌。もう間に合わないけど、全く行かないよりマシ」「嫌だと思ったら、すぐに電車に飛び込んで、人生終わりにすればいいから、とりあえず行こう」「死にたい」「はやくずっと眠れる立場(死者)になりたい。(ptsdのため、5歳から無自覚不眠症で、寝ても眠りたりない感じです。頭がスッキリ軽かったことは、今まで数度しかない)」
「給料が減るからやろう」「友達に嫌われたくないから」「(学生時代は)学校はいくものだから、いじめられても不登校という知恵が出なかった」
と思いながら実行し、つい最近まで、親兄弟の助け船はどこか不可能だと(特に母親が発達を信じてなく)いうのと、口で他人に依頼するのがものすごく苦痛で難しいので、役所の書類など助けを求められず、自分でやろうとしたが、何時間説明されても、役所言葉が曖昧すぎて理解できず、手帳や障害者支援、年金納付猶予の手続きに5~6年遅れで、メチャクチャなままやったが、若い頃の年金納付猶予手続きがうつとptsdとアスペルガーとわからないままカオスのまま読み書きしてたので、手続きしてないってことで障害者年金がもらえないと分かり 働くのも生きるのも絶望的になって、早く死にたいと感じる
4:幼児期からある。
5:あるとおもう。母親はなまじ教育関係者だったため、「アスペルガーなどの特徴や失敗を」「この子供の性格、大人になったらできるようになる、たまたま仕事が合わなかっただけ」
といった楽観視で、私が一度、たまりかね、恥をしのんで「精神科につれてって」と訴えても「どこも悪くないよ、あんたは普通よ」と、気のせい論で簡単に一蹴さてたので、引きこもり、うつ、パニック、転職、会話がむちゃくちゃになるまd、異常と気づいてもらえなくて、
診断が30代になってしまいました。もう軌道修正できないし、夢物かなわないことがわかってるので、
実は毎日働きたくも、生きたくもない。生活自体が苦痛。
結婚不可能、仕事が苦痛オンリー、外出嫌い、会話嫌い、男性苦手、将来絶望的なので、死にたい。とくに冬は自殺したいと頻繁に感じる。
ビジネスをつくって、毎日働かずにすむことをしたいと感じる。
それができないなら、世界には苦痛しかないので、自分の社会不適応遺伝子断種のためにも、子供を生まないことが望ましいと感じる。
よって結婚や育児はやってはいけないことなので、夢もないので、仕事が面白くないし、仕事の目標がない。