AC、人格障害関連

依存型ジャイアン

 最近のASの解説はm2さんのコメントはそのままスレに貼り付けたいくらい的確で、出来ればm2さんにどこかでまとめていただいて参照できるようにお願いしたいと感じています。

 さて私は最後に残った「依存型ジャイアン」の考察に向かおうと思う。

 ジャイアンは先天的に「自分に有利か不利か」「その場で誰が一番力を持っているか」を察する直感を持っている。その後の環境で、どのようなスタイルをインストールするかで現実的なあり方がさまざまに変わる。

 依存型ジャイアンは、この「特殊な空気を読む直感」を極限まで研ぎ澄ますことによってジャイアンの好きな「仕切る」ことを実現する形で成長していくのだろうと私は想像する。

 具体的には、典型的なパターンは、「情緒的に相手の弱みをつく突っ込みで相手を黙らせる」技術のプロになるという感じだ。もちろん逆におだてたり取り入ったりすることも長けていく。

 「相手の弱みをつく」ことは、相手がASで自分に愛着を向けている場合を除き、関係にプラスにはならないが、そのことは状況理解の不足と表面的な認知のためわからない。

 「その場だけ自分を否定するようなことを言いかけた相手を黙らせれられればいい」というのがジャイアンの自分勝手な(しかし非常に切実な)都合だ。「窮鼠猫を噛む」的な状況でこの力を発揮する。

 だから表面的な出来上がった姿は、「境界例」「自己愛型人格障害」と一見非常に似通ったものとなるだろう。

 ただよく見れば、「自分の行動のちょっと複雑で根本的な帰結がまったく読めない」あたりに認知障害が露呈しているので、受動型ASの境界例的になった人とは区別できる。

 依存型ジャイアンは(多くは積極奇異型ASに)依存を続けるために死に物狂いの無理やりなアクションを続ける。依存が出来なくなるとうつ状態や身体症状として問題が表面化する。

 相手のASが「ちょっと駄目なADHDの面倒を見てあげたい」という感じでやさしくしてくれれば、害の少ない共依存は可能であるが、ASの愛着が子供に行ったりすると大慌てして病気になることもある。

 


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コメント

    • エイト
    • 2008年 2月 10日

    「仕切る」のはジャイアンの専売特許みたいなものでして。この環境なら(このメンバーなら)自分が仕切れると確信したら とことん気が済むまで 仕切ります。
    まわりの人を思い通りに動かしてご満悦 気分いいですもん。
    私は、家族に対してのみ仕切りたいタイプ。
    目上の人や強い人、尊敬する人、好きな人の前ではもちろん仕切れません。というより相手の意思を優先、尊重します。
    それは「私はあなたのこと、好きなんですよ~、敵意はないんですよ~仲良くしてくださいね~」とアピールしているつもりなんです、私は。ここが「おだてたり取り入ったり」しているように周囲にとられるのでしょう。
    一方で「それは違うだろう!許せん!」と思えば相手がどんなに立派な方でも噛み付きます。島流しの刑にされてから気付いて、ウツになったり開き直ったり島から脱走したりします。
    要するに、自分の感情に素直に反応して生きてるだけなのです。
    それなのに多数派の人の3倍くらい波乱万丈の人生になります。

    • エイト
    • 2008年 2月 10日

    「相手の弱みをつく」のは私も周囲のジャイアンもよくやる手段です。認めます。
    私が思うには、自分が正しいと思い込んでる(ASと同じかも)から反対意見を聞きたくない、とりあえず相手を黙らせる。
    ほんとうは、耳をふさいでその場を退散し、一人になったら相手の言葉を100回唱えて考えてみる というのが正しいかも。

    • どらねこ
    • 2008年 2月 11日

     初めて書き込みをさせていただきます。
    皆様どうぞよろしくお願いします。
     エイトさんのコメントを読んで「よくわかるー。」
    「その通りです・・・」と、思いコメントしました。
     相手から何か言われると自分を否定されているような気持ちになり、反射的に『黙らせる』
    というような行動に出ているという感じでしょうか。
     自分が否定された事はいつまでも覚えていて、フラッシュバックすることもあり、そんな自分が恐ろしく、悲しいです。
     人を避けて生きられない体質なので苦しいのでしょうね。
    ADHDは本当はみんなと仲良くしたい、でも、こだわりは譲れない。
    そこが問題だと思うのです。
     

    • ぴよよ
    • 2008年 2月 11日

    誰かから反対意見を言われたら、それに対して賛成するか反対するかを決めなきゃいけなくなりますからね…。
    賛成するのも、ただの服従になったらそれもまた批判の対象になるし、反対にしても反対理由を理論的に決めなきゃならない。
    それを一瞬で作り上げられません。
    それまで気を付けて気を使ってやってきたことの全てを放り出して、放置が原因でなし崩しになるかもしれないのに、理由作りを即行に集中して始めなければならなくなる。
    こんな苦痛はありませんよ。
    理由を作れないことも、別件をなし崩しにしてその責任も自己責任として背負ってその対処の順序を組み立てることも、あれもこれも、反対意見を言われたその一瞬で引き受けなければならなくなります。
    逃げたくもなりますよ。
    もう、リタリンもないし一瞬一瞬がいっぱいいっぱいなんですよ。
    しかし人を傷つけることは正当化できないと、自分でも自覚しています。
    生きようとすると裏切り者になっていく人生が、これから再演されるんですよ!痛いです。

    • 志ん輔
    • 2008年 2月 13日

    当方依存型ジャイアンです。
    生活はひたすら「スリル」と「低め安定」の繰り返しです。
    特殊な空気を読む力を常に磨いているため、営業職や販売などでは常に成績も良く、生活の糧に困ることはありません。
    問題なのは「スリル」をどこに求めるかです。
    営業職で完全歩合制にするなどして、週7日働き、仕事に自分を埋めてしまうのも一つの手でした。
    あるいは、ひたすらに恋愛におぼれ、恋のつぼみを開かせることに執着したこともありました。
    (この場合、花開いた時点でスリルを感じなくなってしまい、次の相手へと移ってしまうのが難点です)
    ADHD自体、一つの所にじっとしていられない性格。これから年をとって、自分がどのように生きているかはまったく見えませんが、社会的な自分だけは守ろうと思います。
    そして、最近人から指摘されたのが「あなたは感情を殺して生活しているよね」ということ。
    合理性や利益の追求に走り、人間らしさがまったくなくなっていたのです。これは改善しなければと思い、さっそく休日は好きなものに触れるようにし始めたのですが、その商品をネットで販売することに執着してしまい、本末転倒の予感です。
    日々迷いながらも、依存型ジャイアンとして、地に足はつかなくとも日々楽しく生きていきたいと思います。

    • JET
    • 2013年 6月 04日

    何であれ自覚があればいいと思うんです。自己診断で自分を依存型だと言えるということは、これは合理的でないと言えませんから、その時点で回復してると言っていいのでは。
    >依存型ジャイアンは、この「特殊な空気を読む直感」を極限まで研ぎ澄ますことによってジャイアンの好きな「仕切る」ことを実現する形で成長していくのだろうと私は想像する。
    またもや同居ジャイアン課長に意見を求めてみました。
    Q:いじめられたらどうしますか。
    A:俺は燃やす。
    Q:罠はしかけないんですか。
    A:偽装は一度しか使えない。その後はどうせ面倒くさいことになる。偽装したら偽装し続けなければならない。偽装がうまくなってはいけないんだ。
    Q:偽装にじぶんが乗っ取られてしまうんでしょうか。躁うつというのは
    A:俺は治ると思ってたけど。あれは治らないらしい。嘘のつき始めはいつだ?
    ジャイアンは一人じゃだめなんだ。一人勝ちしちゃうから。ジャイアン対ジャイアンにしないとだめ。そうしないとブーメランが返ってこない。
    (映画・エイリアンVSプレデターを妄想する私)

    • F
    • 2014年 6月 14日

    実家が絡むと、ぐったり疲れます。よく28年もあの家にいたなと。
    私の母には「こだわり」というか、彼女なりの美学のようなものがあります。そして耳触りのいい言葉を使わないと話を聞き入れません。父は「母さんは価値観が凝り固まっている」、妹は「母さんは天真爛漫」と表現します。
    母は私が実家に寄り付かないのが気に入りません。
    私が母の意向どおりに帰省しないと「祖母に可愛がってもらったくせに」とか、「あんたの部屋が片付いてなくて迷惑している」とか、私の罪悪感を刺激する方法を使います。それに対し私は「私は祖母が嫌いで帰らないのではありません。勝手な解釈をしないでください」「私の部屋を物置状態にしたのは誰ですか?急ぐなら勝手に捨てていいですよ」と応戦。私が帰省するまで、ひたすら「早く帰省しろ」攻撃が続きます。
    父は「母さんに『Fは父さんに不満があるから実家に寄り付かない』と責められた」と言っていました。母も私の不満の対象に含まれているのに。でもよく考えると、それを私にこぼす父も、なんか女々しいですね。
    私は、母の言動の不愉快な部分(主に対人操作的な癖)について、その都度不愉快であるということとその理由を説明し、「母さんと会話したくない。実家にも帰りたくない。夜眠れなくなるからしつこく連絡しないで」とはっきり伝え、それでも収まらないので着信拒否までしました。
    さて、母が主張する『今年のGWにFが帰省するべき理由』は
    (Fの夫)さんは、Fが実家と仲が悪いことに心を痛めている
    (Fの夫)さんに心配をかけるFが悪い
    よってFは家族と仲良くすべき
    でした。
    私は「あなたの主張の根拠になっている『(Fの夫)さんが心を痛めている』というのは、事実なのか、あなたの想像なのか?」としつこく確認しました。母の主張は無視し、10分かけてこの部分だけをしつこく確認すると、母はようやく自分の想像が根拠になっていたことに気付きました。
    (続く)

    • F
    • 2014年 6月 14日

    (続き)
    「あなたは、事実ではないことをさも事実のように述べ、私に誤認させようとした」「私は、あなたが私の夫の名前を勝手に利用し、私に言うことを聞かせようとしていると解釈する」と指摘すると、「利用だなんて!」と見事な反応が返ってきました。母は、自分の思い込みと他人の意志の区別がつかないようです。ちなみに、『想像』の部分を『思い込み』と表現すると聞き入れません。
    私の母は「一生懸命気遣いはしているが、激しく明後日の方向へ努力している」ようです。
    母が私に対してしつこく「帰ってこい」と言うのは、「嫁に行った娘は実家に帰りづらいだろうから、こっちから声をかけてやらないといけないと思って」「社交辞令よ(開き直ったような口ぶりで)」だそうです。
    この言葉も同じ。この気遣いは『娘が実家に帰りたがっている』のが前提の気遣いです。「私は帰りたくない」という身もふたもない娘の言葉は、認識されていないようです。
    長年、母が「母さんの気持ちがわからんなら、もうええわね!」プリプリと態度で不機嫌を表明するとき、私は困って「どういう意味?」と母を追い掛け回すのが常でした。
    でもどうやらシカトすること(非言語的アピール)が一番手っ取り早いようです。そうしないと、母は問題が起こっていること(自分も相手を不愉快にしている)に気づけないようです。言語で説明するのはその後ですね・・・。
    他者を認識できない人がこれほど厄介とは思いませんでした。

    • るる
    • 2014年 6月 16日

    直前のコメントを読ませていただきました。
    過去の私は(今はだいぶ合理的ADHDになってきたと、自分では思っています))依存的なジャイアンで、独自の美学・自分の世界を持っていて(前コメの母上と具体的・個別的事象は違いますが)、、。
    コメントにあるように”娘からシカと”されなかったら、私はそれには気づけませんでした。娘からのシカと は有効です。
    ということで(自称元ジャイアンの)母として書きますと、
    娘の立場の方が自分をわかってもらうために、厄介と思いながら「シカとして」「母に気づいてもらって」その後に「言葉で説明しようとしていること」に、母上への愛(着)を感じました。
    娘からの愛(着)に気づいたとき、ADHD母はうれしいような、戸惑うような、、、あらたな複雑な感情が発生することになります。(私だけかも?)
    ともあれ基本的にジャイアンは、時間はかかっても、自分の問題に気づける種類の人間だと思います。

    • F
    • 2014年 6月 18日

    厄介(な人)という言葉に配慮が足りなかったですね。不愉快に思われた方がいたなら、すみませんでした。
    私の母は依存型ジャイアンなのか、受動型ASなのか、ずいぶん長い間考えていました。
    彼女は運動も勉強もできる器用な人です。私のように極端に苦手なものがありません。
    私が出会った中には癖のある人は何人もいましたが、観察していてよく理解できなかったのは母と元彼です。
    元彼は理想のF像というものがあって、そこから外れた生身のFが許せない(理想のF像に合わせるように要求する)ように見えました。喧嘩をした後、真夜中や明け方に不安になって電話をしてきたり、翌日に(私はけろっとしているのに)一人で憔悴しきっていたり。猜疑心と不安が強い人でした。暴言を吐いたり脅したりして私を怒らせても、「ごめんなさい」は言えない人です。
    母は、生身の相手の言葉が聞こえていない(返事はするけど、頭に入っていない)ように見えます。カッとなったり家出したり離婚したいと言い出したり、そういうことはたくさんありましたが、本人はあまり引きずりません。妹が母を「天真爛漫」と表現するのは、そういう飄々としたところではないかと思います。母は謝ったり折れる(相手に妥協する)ことはできます。
    もちろん性差や性格もあるとは思うのですが、まとめると
    元彼の場合は、生身の相手が自分の理想とズレていること自体は理解していて、それが許せない
    母の場合は、ズレていることすら気づいていない(自分の想像=希望=事実、しかなく、生身の相手を最初から認識していない)
    と感じました。今の私は、前者が受動型ASで、後者が依存型ジャイアンかな?と思っています。
    (続く)

    • F
    • 2014年 6月 18日

    (続き)
    まさか母の中で『自分の希望』と『他人の意志』が一緒になっているとは思わなかったけど、そこさえクリアすれば、言語的な説明は確かに効果がありました。
    彼女は美学と言う言葉が気に入ったらしく、「そうよ、これは母さんの美学よ」と呟いていました。
    彼女が<常識的>で<普通>であるなら、自分の美学に従わない世の中に「非常識だ」と突っ込みまくっていたはずです。その生き方は母にとってもちょっとしんどかったのではないかと思います。
    私から「親子は他人」と言われた母は「親子は他人じゃない!Fがあんなこと言う!」と必死になって次女(私の妹)に助けを求めたところ、次女からも「え、他人やし」と突き放され、「・・・母さんがおかしい?」ときょとんとしていました。私が「『赤の他人』とまで言うと言い過ぎだけど、他人でしょ」と言うとようやく納得していました。
    彼女は『家族』が大好きです。「ばあちゃん(私の父の母)も最期まで面倒を見る」と言って気合いが入っています。
    もう何度目か数えたくもないが、また両親の離婚の話が出ています。
    私はもうあの家を出ました。でも、両親が離婚しても私の父は父であり私の母は母であり、それは変わりようのないことだと思っています。

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