ADHDが表面上ASに似た状態になるものの一つは、「AS被影響症候群状態のADHD」がある。
ADHDが、主に接する親や配偶者にASがいる場合に、そのASの価値観や主義に合わせなければならないと思い込み、本来のADHDらしさを押さえて強迫的になる状態のことを私はAS被影響症候群と呼ぶ。
実際のケースでは、強迫的に家事を必要以上にきちんとしたり、子供にも異常に厳しくなったりする。不安が強く、閉所恐怖症になったり、「車で何かを踏んだと思い何度も戻る」などの風変わりな確認強迫の症状が出たり、パニック障害様になったりする。
ほとんどの場合はDVなどの経過で「離婚や別居してから驚くほどずぼらになった」という見かけとなり、その後はADHDらしい見かけになることで分かる。環境が変わらないと、診断自体がなかなかつけにくい。
この状態のADHDは、ゆとりが無く、発想の自由さを失い、家族やパートナーのASの言うことが絶対のように考えるが、ASのような「関連付け」は目立たない。
自分が強迫的になっているので子供にも支配的となり、また予定通りにならないことに恐怖感を持つので予定の変更にはパニックになる。
このように見かけはASに似ているが、例えば結婚前の性格傾向や、子供の頃の情報があれば区別できる。また実際の経過の中で「急に変わる」ことがあればASと違うと考えたほうが良いだろう。
ASに似たADHDの状態としては、この他に「ADHDのAC」、「過集中状態」、「先延ばし状態」などがある。順に論じていこう。
今、私が一番困っていることは自分の子供のことで、子供と親としての私という形でしかこのブログにコメントをしてきませんでした。しかし今日の記事を読んで、原点を振り返る作業をしてみました。
「AS被影響症候群」・・正直、嫌なネーミングだなと思って目を背けていましたが、「私の親」を客観的に見たら、父親がASの可能性大で、母親がひょっとしてADHDの可能性があるように思えてきました。
実は、私はこの両親に対して子供の頃から「不信感」を抱いておりました。これを説明するには書ききれないので省略しますが、要は、私の子供時代は「親の愛が感じられなかった
「もっと関わって欲しかった」という思いがあります。
早く大人になって自立したいと思った頃、あることをきっかけに急激に「干渉される」「注目をあびる」「期待される」ことになり、益々私を混乱させました。
それは、私が好きになった男性(現在の夫)のことを、両親が私よりも気に入って、結果的に「親孝行をした」ことになってしまってます。勿論、私も夫のことを尊敬できますが、「結婚して自立して見返す」つもりが、見返すどころか親の希望を叶える結婚をしてしまいました。
何かと手を貸してくれるので、助かることは助かるのですが、子供の頃にその手が欲しかった。あまりにも私生活に入られて、思いっきり拒絶したこともあります。その時は、「はっきり言ってすっきりした」という感じでした。時々冷たい態度で接する自分を「なんて罰当たりなんだろう」と心苦しくなることもあります。今も私の状況を心配して電話が着ますが「どうして全部話さないといけないのだろう?」と心の中で躊躇いながらも高齢の両親に少しでも「恩返し」をしなければ後悔するのではないかという葛藤もあります。同時に、高齢の親に相談するのはただ苦しみを共有するだけだから解決にならないし、お互いマイナスになるだけだとも思います。
かなり簡単に書きましたが、本当はもう少し複雑です。
ずっと心の中に引っかかっていたことです。
AS被影響かどうかわかりませんが、私はAS夫に認めてもらおうと、ずっと彼に合わせていたと思いました。
でも、先週の日曜日の口論で、ハッキリわかりました。
『この人に、私の努力は何一つわかってもらえない』。
『だから、認めてもらおうなんて考えは一切捨てよう』。
私は私らしく振舞おうと思いました。
私はADHDなんだから、ありのままのADHDの自分で彼と向き合おうと思いました。
彼もASなんだから、ASらしくしてくれたらいい。
だけど同調はできない、私はASではないのだから。
そう思ったら楽になりました。夫の『モラハラ系語録』も、ある程度聞き流せるようになりました。
被影響症候群を拝見して思ったのですが、
ASという概念を理解するにあたって、私には、漏れ落ちていたことがありました。
受動的ASの影響はADHDをAS化する。。。
支配しているように見える人間を支配しているのは実は服従的AS(YES MAN)という場合が、世には往々にしてあるような気がして。。。
「強迫的に家事を必要以上にきちんとしたり、子供にも異常に厳しくなったり」私の母の昔の姿に思い当たる節があります。いつも不安そうにしていて、パニック発作を時々おこしていました(動悸や眩暈、発汗、狭心痛のようなものが起きる。もうすぐぱったり逝きそう__が口癖だった)。
迷ったのですが……子供の頃を書きだしてみます。保育園時代____先生:「みなさぁ〜ん!鼻で息をしますか?」と聞かれて「ハイ!」と勢いよく手を挙げて大失敗した。だーれも手をあげない。続いて「じゃぁ、口で息をしますか?」と先生が聞くと、残りの全員がぞろぞろと手をあげた。先生はきっと鼻で息をするのが正しいと言ってくれるに違いないと思ったが、「は〜い、そうですね。口で息をしまぁ〜す!皆さんよくできましたね!」と言った。この時、私は先生も皆も間違ってる、お母さんはいつも「お口閉じなさい!!」と私を叱っている、と思い後まで引きずりました。馬鹿馬鹿しいことなんですが、写真のように鮮明に覚えているし、場を外したことが物凄く恥ずかしく、二度と繰り返したくありませんでした。
・園—学校の登下校は寄り道ばかりしていた。
・保育園は仮病を使って始終サボった。
・園、学校、全ての制服を着たくなかった。
・5,6歳頃、一度家出をしてます(近くの家の塀の影に隠れてただけだけ)。
・書道は面白かったが、その日だけ一人外れるのが嫌で、近所のみんなと一緒に遊んでいたかった。
・指を折りながら独特の方法で繰り返し数を数える。
・ドブ板の数や、道の模様を繰り返し数える。12345,12345,みたいな感じで。
・算数がかなり弱い。夏休み中一日/100枚の書き取りをさせられる。
・各種の塾や習い事をサボりたいと常に思っていた。
・小学校5,6年生の時の英語塾では、軽いセクハラをされていた。
・トランプ「神経衰弱」が得意だった。
・小学生の頃は、漫画本や文学を繰り返し読んで、ストーリーが頭の中でいつでも辿れる程度の暗記をする子だった。
・一度注意して目に焼き付けた服装、景色は写真のような記憶になってなかなか忘れない。嫌だった会話の内容なども忘れられずに苦しむことがある。
・あのねー、を連発して母によく叱られた。
・中学生以降、生き急いでいるとよく言われた。
引き続き考えたいと思います。
私も小学校の頃、計算苦手でした。
1年生のはじめででてくる『10までの足し算』は、パターンで足して10になる組み合わせとして記憶していった。・・・5と5、6と4、7と3・・・など。
繰り上がり、繰り下がりが入ってくると、原則的なものは理解できたが、いかんせん繰り上がりやくり下がりの段階の計算で間違ってしまう。点数が足りないと残されて、さらに多くの問題をやらされるが、わからない、というより集中力の限界を感じてきつかった。
その反面、漢字の書き取りは得意だった。だいたいいつも100点近い点数が取れたが、計算テストはダメだった。
字が下手だったので習字、計算苦手なことからそろばんを習わされた。そろばんは一度サボって、しかもサボりを決めておきながら母には『そろばんへ行く』と言って家を出たため、ばれてものすごく怒られた。体罰を受けたが、当時はそういうのも当たり前にあったし、何より『嘘をついたうえにサボったのだから、怒られて当然』と納得していた。
嫌な記憶は、かなり昔でもはっきり映像として残っている。
一番古い記憶は、幼稚園のとき、不器用さから絵の具のふたを上手く閉められず、みんなの前で注意されたこと。
月の草さん
いつも書き込み参考にさせてもらってます!
えっ?!息は鼻でするんではないのっ??(あせり)
この先生まちがってるよ!(・・・不安・・・)
(これ、YANABRU先生のコーチングで聞いてみた方が良かったりして・・・?)
私も時間があったら、幼児期のことを一度きちんと整理してみたいと思っています。
あの頃の自分が好きだったこと、嫌いだったことの中に、本当の自分が隠れているのだろうか?
私は人格(?)が数年ごとに、見事に変わっていっていて、いったいいつの自分が本当の自分なのか?そもそも本当の自分って、どういう事をいうのか?・・・考えたりします。
全てにおいて優等生であることを母は求めたけれど、算数はとても苦手でした。怒られたりせかされると余計にできなくて。また、小学校の間は特に緊張して過ごしていたと思います。1対1のつき合い以外での、女の子五人組みたいな感じの小集団には混ざれない感覚があったし、耳をダンボにして細心の注意を払って振る舞ってました(余計なことは一切言わない、聞かれないことは答えない、相手の欲しい返事を探す)。かなり距離を取ってきたと思います。
中学生になってからは、生真面目すぎる自分が嫌になり(たぶん維持できなくなった)、ほとんどカミングアウト的な気分で路線を変更。誰が見ても“変人”とわかるように派手な風体にして“普通の人”を寄せ付けないようにしてました。普通の人はそういうサインを見逃さないので人間関係で困ることは無くなり、気の合う友達とよく遊んでました。好きなことはやるけど、嫌いなことは一切やらずに。14歳、ある事件があって以来睡眠障害が出て、肩凝り、頭痛、不眠、無気力、無関心、無感動、無感覚等の身体症状に悩まされました。
その後、私は気に入った世界で生きたり、心配性のAS男性達に真面目路線へ軌道修正を提案され、その気になってやってみるものの達成できなかったり、また好きな世界で生きたり、また生真面目をやってダメ子になって落ち込んだりを繰り返し….
今のAS夫と知り合った時、私は奇抜な風体で生真面目路線を目指す妙な状態でした。夫は私に干渉しなかったので、その状態に愛着したのかもしれません。その後、夫は社会的な責任が生じるにつれ脅迫行動が出て私を巻き込んだり、その上支配的になったりと色々あったわけですが…….振り返って見ると、私はまた性懲りもなく生真面目路線を行こうとして、自分で失敗したってことでもあるのかなぁー、とこの頃考えてます。
私の住んでる世界では、奇人・変人・変態は褒め言葉だったりするので、特に私だけが変なわけでは無いので助かっていますが、これが生真面目な世界で生きようとすれば無理が来ますから……これからは、自分の世界を完全に取り戻すことに努めようと思います。
こんな風に長いスパンで振り返れたのも、先生はじめ皆さんのおかげです。だいぶすっきりしました。ありがとうございます。
す、すみません、、わたしまた場を外してるかも(^^l
tohsanさん
こんばんはー!
tohsanさんの書き込みは、投稿前に表示されてなくて(キャッシュの問題かなー)、、
(へ?私の書き込みが参考?それは、間違いの元やしあかんと思います〜(^^; というより、tohsanさんの書き込みは私のツボにはまって、とても有り難く思ってますー)
人格が変化していかはるんですか?それは____なんか、私的に物凄く興味ある話ですね(^^;またそのうち、機会があったら聞かせてもらえたら嬉しいです(うちのブログか、機会があればメールとか〜)。
YANABRU先生のコーチングで、やっぱり聞いた方がいいでしょうか(^^;;
あれって、ヤバい状態ですよねぇ。どっちがどうかわからない。今でも「鼻で息をしましょう!」なんて標語(?)を見ると、「ほれみろ!」と思うわたしがいて…..(はは…(^^;)
保育園の先生は、元々「口で息をする」と思ってはったか、多数派に同調したか_____まぁ、一人を除いて全部が手をあげたら、そらビビるわなぁ、、とこの頃は思うんですが、「口で息をする」と先生は思い込んでいた、と、考えたがる私の頭に問題がありそうな気がします(^^;;
YANBARU先生にメール出してみますー。
# ところで、ハンドルのtohsanは「とうさん」=船場の○○○というあたりでしょうか(^^?(聞くのは野暮やとは思いますが(^^;)船場のボン関連に憧れているので、羨望の気持ちで見てます(^^;;
# 追:ほんとに先生に質問のメールを出す私って、ダメかも………
でもほんとに、、これって嫌な話なんですよー。私だけじゃなくて、他の子も「鼻で息をする」って思ってたはずなのに、皆顔を見合わせて手を上げない。手をあげてしまった後、どんなにキョロキョロして動揺したか(苦)。それはいいとしても、大人が園児に流されて、場を外さないように同調するってあるんだろうかー?、とか、いろいろ考えてしまうので、この際だから聞いてみました。先生、ぜひ回答をお願いします!!30年来の恨です。
月の草さんの幼児の頃って、けっこうADHDよりアスペっぽいエピソードもあったんですね。
神経衰弱得意とか、制服嫌いとかまわりも思ってたはずとかとか。
鼻と口ですが、私は小さい頃から意識していないと口が完全に閉じた状態でなかったのと鼻つまりがしやすかったので、自然と口でしていました。保育園の時にどっちでしてるかなんて意識にも上ってなかったので、その保母さんのような質問されたら戸惑っていた事でしょう。
どっちからが正しいとか決め付けるものではないと思っていますが、月の草さんはお母さんに注意されるまで口が開いていたのなら意識していなくても口からも息をしていたでしょう、それがお母さんの言ったことを守る意識から「鼻呼吸が正しい」と頑なになったみたいに思えます。AS被影響症候群(お母さん)の被影響症候群なんでしょうかね。
月の草さん
いやいや、先生に聞いて下さったんですか?
良かったです。
実は、その園の先生と他児童の言動は、今の私にとってもかなり「きしょく悪い」現象なんです。
特にその先生・・・本当に疑問です。
(こういう時には、自虐ネタですが「先生、あんたがASなんだよ!」ってつぶやいてしまう私です。)
もし私がその場に居たら、間違いなくフリーズしてます。
で、月の草さんと同じ様にず~っと憶えてると思います。
私は月の草さんの「ドブ板の数や、道の模様を繰り返し数える」のは、私と同じで、ASのような気がするんですけど・・。
嫌だったらごめんなさいね。
私もかなりぐら付きましたが、「今どうか?」より「元々どうだったか?」を思い起こすことで、ASであることが揺らがなくなりました。
幼い頃、愛着を持った物とかありませんか?
私の場合では他には、鳥肌が立つくらい嫌な物があったとか。
吐き気がするほど、嫌いな臭いがあったとか。
そんなことは無いですか?
月の草さんへ
やはり、私にはまだあなたがどっちなのか分かりません。
ASかな~?と思ったり、いや、ADHDだ、と思ったり・・。
かなり個性的な方なので、仲間かな?と・・。
tohsanさんから、また貴重な意見をいただき、なるほど~と思っています。
もうご覧になっていらっしゃるかと思いますが、ASの注意欠陥のコメントです。
参考になりました。
「ドブ板」に反応してしまいました。
他のエピソードはASじゃなくてもありそうなことかな?とも思います。
混乱てごめんなさい。
そうですそうです。母は単に「みっともない」「だらしない」という理由で私を注意してました。小さい頃は蓄膿症で、医者にも通っていたので、息できない!って思ったことも(ハハ….逆らえなかった)。「鼻呼吸が正しい」って母から言われていたわけじゃないし、今でこそ細菌やウィルスが口から入ってしまうと病気になりやすいので、鼻フィルターを通しましょう!鼻はそのためにあります!って園や学校で鼻呼吸が指導されてますが、そういう情報を当時の私が持っていたわけじゃないし(今ことさらそれが言われるってことは誰も当時は考えてなかったことかも)。口を閉じたら鼻で息をするしかないから、馬鹿みたいな気持ちでそれをやっていたのを覚えてます(あぁーぁ)。
周りは私と同じように青っ鼻の子がけっこういましたし、ぼうっと口を開けてる子も多かった(いつも私が注意されるので、恨みがましく人の顔もよくチェックしていた)。お母さんに皆も注意されてるはずじゃないのん?って思ったのを覚えてます。“お母さんの躾け”って、どこも同じようなポイントで言うと思ってたんです。だから「鼻呼吸が正しい」って思ってなかっても、口を閉じておくというきちんとさんのために、鼻の機能は「息をするためのもの」となるはずだと思ったんですねー。(園児の中でも私の家は二番目くらいに厳しい感じを受けてました。一番は幼なじみのWくん)
それと、ほとんどの人は質問に対してはじめからとても動揺していて、後半も自信あり気に手をあげた人はそう多くなかった。周りと顔を見合わせていて、最初に手をあげそびれた人もいたように感じて。しょーがないから、二番目にあげとくかー、みたいな。だって、どっちかわからなかったんなら、二手に分かれてもよさそうなものじゃありませんか〜(^^;;?
実際にはどうだったか全くわからないし「私の目からみてそういう状態に感じた」ってことなんですが。
ところで「二つのQがあって→手をあげる」っていう時は、大人になってもだいたい後半に手をあげることが多いような気がするんですよねー。答えの在りか、真実なんて関係なく。あるいは、人数の多い方に手をあげておけば間違い無いとか。tohsanさん、そうそう、気色悪い時ありますよねぇ(^^;つい、口の悪さにまかせて「をぃおぃ!」とツッコミを入れてる自分がいます(^^;
なんですかねぇ(^^;?<わたし
制服は嫌でしたねぇ。「毎日同じ服を着なければならない&皆と同じ」は、けして安心できる状況じゃないし苦痛ですねー。それと、自分が選んだ生地で母が作ってくれた花柄や、レース地の自慢のワンピースを着た後、スモックを着てしまってだいなしになる、見えなくなるのが嫌で、母に言い張って行く道だけスモックを脱ぐという約束で登園したことが一度ありました。そんなこと誰もしてなかったし、場に相応しくないとわかっていても、自分の内側にある勝手な誘惑に勝てない。
いや、いいんですよ、HIKARIさん。このごろもうどっちでもいいです(苦笑)。ASにくっついてる症状としてADHDがあるのか、その反対なのか。どのみち0か1かでは割り切れない状況にあることは確かみたいだし、ハワードの映画を観てから考えがかわりました(えヾ、あの人ってASと違う?!)。神経質な子だったことは確かで育てにくかったそうです。特別に不快な物・匂いはないですが、物音や遠くの車の音に敏感に反応し、夜泣きしだすと止まらなかったそうです。今でも眠りが浅く、少しの物音で目が覚めたり、とりとめのない考え事やなにかが頭に浮かんで寝不足のことが多いです。
愛着を持った物については、これがわかりません。この間から日記にも書き出そうと思ってるんですが、小学校入学の時に、全ての玩具を捨てさせられてます。どうしても欲しくて慎重にねだって、買ってもらったばかりのリカちゃん人形を捨てるのは、とても苦痛でした。さして大事にしないうちに失ったので、その影響(大事にする心を失った)で、私は物を大切にできない、その方法を知らないからだ、とずっと思って母を恨んでました。大事にすべきものを恋人からもらってもその思いだけではダメで、好みでなければすぐになくすし(ごめんなさい)、大事にしようと思っててもやりとげられない。
「大事にする心」「自分の生きてきた道」を自分で育てるというか、家に拠り所がなかったので、別に拠り所を作りたくて、十代後半から古家具を買いはじめていて、これだ!と思って手に入れても、ボロくなったり趣味が変われば熱が冷めて手放します。あの玩具をずっと持っていたらどうなっていたか、今でも時々考えますねー。
私の両親はADHDらしき人々です。片方がADDで片方がADHDのように見えます。貴方の親の愛が向けられていなかった気持ちが手にとるようにわかります。率直にいえば、頭の中の感情と行動の受容器がうまく働かなくて、世間一般といわれる人たちの常識とはずれている人たちです。端から見れば正常に見えるのですが近づいて生活をしたほど、何かおかしいじゃないかと思えるくらい簡単なことができません。教育をうまくさせてもらえなくて、年齢ほどうまく行動がとれないことが10代のときにありました。児童心理学という良書もでているので
そういった親と子の関係を説明をした内容の本を詳しく見たりするとその子の親からまた親を見る視点がふえて客観的にとらえることができるようになります。適切な距離と行動がとれない人たちの間で行動することは苦痛をともないます。ですから、なるべく適切な距離を心がけて、一般的な態度をとれないと相手に対してまえもって想像力を働かせるぐらいしかできないのでしょうか?一時期変えようとしましたがとり越し苦労のようです。
夫がAS、私がADHD、LDです。
私はあなたの期待には添えないから自分の期待に添える相手を探してくれ、と夫に頼んだことがあります。
そしたら夫は、努力しろ、と言いました。
死ぬかと思いました。
今は夫もAS関連の本を読んだり、こちらのサイトも見たりして多少の知識はあるようです。
以前はきっかけがあると「これで理解してくれるかな」と期待しては裏切られましたので、今は理解してという気持ちがなくなり、わからないならほっといてくれ、という気持ちです。
今は三ヶ月勤めた仕事を辞めるんだろうな~、と思っているところです。
普通は三ヶ月経つと慣れるはずなんですが、三ヶ月経っても苦痛で仕方ない。
夫は飽きたんじゃないか、と言うし、会社では家庭との両立が負担なんじゃないか(心配してくれているのではなく、夫は自分が仕事に飽きているのだろうし、会社は独身の子が殆どなので、自分の先行きの不安を投影しているのだと思います)といわれ、
私もいろいろと考えていましたが、
結婚して暫くに感じた夫からの恐怖感と似たような感覚を、今の職場で感じていますし、パニック発作の症状も会社で出たし、
次の仕事を見つけようと思いました。
私はチョ~ずぼら人間で、住まいはアパートの一階で誰もが出入りできる状態なのに家の施錠はしない。昼夜問わず自由気ままに活動しているADHD息子不在中にも 友達が夜な夜な侵入する事もあるが、寝ぼけながら名前を聞き「金目の物は無いはずだけど、何も盗って行くなよ~!もし何か盗るなら、大事に使えよ~!」と、声を掛ける。
貴重品を置いている車のキーも抜かずに駐車場に停めるのは日常的だった。最近は息子に何度か車を持ち出されたのでキーは抜く様にしている。車の窓の開けっ放しもよくあり、車内が雨でビショビショになった事も何度かある。
随分前だが、エンジンを掛けっ放しで10分程路駐してる間に車を盗まれた事もある。
昼夜問わずカーテンが開いている状態でも、シャワー上がりにはバスタオルを巻いてチョロチョロするので、偶然訪れた人の方が びっくりして逃げて行った事もある。書き出せばキリが無い程の『ずぼら』だ。…ずぼらを通り過ぎて常識から外れた人間かもしれない。
しかし、こんな私にも かなり『几帳面』な部分があり、他者に神経質な印象を与える。あと、かなりな『こだわり』も持ち合わせている。
それに関しては 何の違和感も感じず、全て引っくるめてADHDという認識しか無かったけれど、こちらのブログで 初めて「あれ?ADHDって、こんな部分を持ち合わせていては変なのか?」と思った。
以前に主治医から聞かれた事もあるが、AS者からの影響は全然思い当たらない。(今のところ)むしろAS者からも 几帳面·神経質と言われる事も多い。
最近 簡単な遺伝子学に触れる機会があったので、私は自分の中のADHDとAS的な部分を考えて図式に書き出してみた。…なる程、両親や祖父母がADHDとASの遺伝子を持っているのであれば、私の中にAS的な部分があるのは 何ら不思議では無いと思った。私の場合はADHDが優性。そして子供達にも当てはめる事ができたので、見当違いかもしれないが、勝手に納得している。
愛着というものが私には皆無に等しいので、小学生の息子の 愛着も含めたAS的認知による生き辛さは繊細さゆえ痛々く思える。
急に変わったので、私はASではなかったようです。
とても狭い可能性の中で、楽しみを見つけ出すしかないと思って、鬱状態になっていましたが、ただのAS被影響症候群だったのだと思います。
子供の頃を思い出すと、大人しい一方、工事現場が大好きで、危険な場所を渡っていました。資材置き場に基地を造って、よく崩れなかったなぁと思います。今思うと、とても危険です。そういう遊びの方が楽しかったです。
娘のことを、どうこう言えませんでした。
結婚してから、旦那の価値観(殆ど旦那の親の価値観)に合わせる形で、自己矛盾していきながら長年暮らし続け、気がついたら自分はASのようになっていました。
だから、最初はADHDの可能性は全く自分の頭にありませんでした。
今、価値観が変わり自由を取り戻せる気がしています。
旦那がASに見えてきました。
殆ど仕事で家にいない人なので、てっきりADHDからきてると思っていましたが、仕事へのこだわりがそうさせたのかなと思います。