これまでたびたび言及してきたが、私自身ケアする責任者として、相談者本人を依存させてしまったという反省が実際多く、今回の「戦力外通告」から「成人例のネット相談への移行」の経過でも幾つものケースで依存が生じていたことが明らかになった。
本人の言葉を借りれば、「この形の診察に終わりが来るとは夢にも思わなかった」という表現になる。
最近私はこの問題をずっと考え続けているのであるが、「私が実際に本人の現実の問題を解決してしまう」ことが多いのが依存の一因であることは間違いないだろう。
例えば福祉事務所の担当ワーカーから明らかなハラスメントを受けている精神科通院の当事者が居たとして、私は主治医として福祉事務所に抗議したりして来た。
また、いろいろな事情で障害年金を受けられ無かった当事者に、いろいろな知恵を使って診断書を書いて、実際受給できるようにしたりもする。
実際ジャイアン諸氏は現実的な利益が一番大事なので、私の外来に通っているメリットは実際上はこういう経済的なものを含む「主治医の利用価値」なんだろうと私自身は理解している。
(私もジャイアンなのでそういう形で「利用価値」だけでつながることへの抵抗は実はそれほど無いのだが)。
私は「ともに考え」て来たつもりであったが、実際かなり難しいケースワーク(いろいろな手を使って行政を動かす等)の話になるので、結果としては「何でも主治医が解決する」の図になってしまっていたとは思う。
実際問題として、一利用者の発言で動かないものが、医師からのクレームだと動くことも実際あるのも事実で、私自身ジャイアンとしては、「明らかに有利な道が見えていてそちらに行かない」という選択が難しい面がある。
実は依存が表面化したケースは、この現実的「解決」がうまく出来なかった場面で、あたかも「生活の全てを主治医が保証して当たり前だろう」というような過大な要求と、当然それを前提とした失敗した主治医への攻撃が起こった場合だった。
以前にも書いたが、期限を切った「治療契約」をしつこく杓子定規に作って、その枠からはみ出さないように非常に注意深くサポートする形にしないと、ジャイアンはこういう便利で利用価値の高い主治医に「丸投げ依存」するという図になるだろうということは想像は出来る。
やはりこういう厳しい自己責任の明確化を行わないと発達障害のケアは難しいのだろう。
先生の優しさから来る話のような気もしますが。
依存関係を生まない為にあくまで治療に専念し、それ以上のことに踏み込まないようにしたら如何でしょう?
私も生徒を持つ身、生徒の家庭環境を整えてあげたい
と思ったり
幼稚園に不答園状態であると聞けば幼稚園と話しようか?と思ったりしました
けど、それは音楽の先生の踏み込む領域ではない。
また、そのことに熱心になるあまり他の生徒におろそかになり結果不平等になるようなことがあってはならない
ので、あくまで教えることのみしかしないようにしてます。
つまらない話で申し訳ありませんが。
現役で大学受験に失敗したとき、親が
「うちはお金がないけどなんとかして2浪まではさせてやる。それ以上は無理なので自分でなんとかしろ」
と最後通告をされました。
1浪目は遊んでばかり。
2狼目に入ってようやく一生分に近い勉強をしました。
あの最後通告は大きかったと亡き両親に感謝しています。
依存の問題は深刻ですよね。
自分も時々、主治医がいなくなってしまったらどうしようという漠然とした不安に苛まれることがあります。
でも、今は自分のことは自分で決めて自分で行動するものなんだと考えられるようになってきました。
自分でしたことは自分で責任を取るのが大人なんだという主治医の教えは冷たく感じたこともありますが、今はありがたく思ってます。
自分で選んだ道が間違っていたとしても、それですべてがだめになるわけではないんですよね。
患者と主治医のほどよい距離感は難しいけれど、それができないとお互いがつらくなりますね。
医学、教育、自閉症に携わる者として、あなたはどう考えるか。そしてどう答えるか。
さらに中京大学発達臨床心理学教授 辻井正次
より、名古屋地方裁判所にて訴えられても居ます
http://ameblo.jp/chipmain/
公開質問状1
JDDネット代表 児童精神科医 田中 康雄 様
NPO法人それいゆ 教育コンサルタント 服巻智子 様
平成21年4月2日 東京都で開かれたシンポジウム会場にて、自閉症の当事者として招かれた「村上由美」「村上真雄」両氏に、
「本当に自閉症と診断を受けたのか」と問うた所、「由美も私も自閉症と診断は受けていません」と明確に、200人の前で回答を貰った。
この件をNHKに問い合わせた所、この様な回答が来た。
山岸徹 様
略・
山岸様がお尋ねの、村上由美さん、村上真雄さんについても、複数の専門家のご意見などをふまえた上で当事者としてご紹介させていただいています。
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村上真雄氏も、同席した専門家も「自閉症ではない」と、言わなかったから自閉症だ。と私のブログのコメントに書き込んでいた。
村上由美氏は、JDDネットにて、自閉症当事者として、セミナーも開催している。
ここで、田中、服巻両氏に質問である。村上氏が言う、同席した専門家、つまり、「自閉症じゃない」と言わなかった専門家とは、お二方の事を指していると思われる。
お二人の立場としては、「自閉症」とは、専門医が、「診断すべき疾病」なのか、
それとも、自分で、自閉症だと考え、専門家が否定しなければ、なってしまうモノなのか。 明確な回答を願います。
公開質問状2
児童精神科医 田中 康雄 様
服巻智子 様
お二方が、「ニキ・リンコ」を自閉症の代表としているのは、周知の事実です。
ここで、質問です。お二方が、自閉症の代表者としているのは、
毛の無い方の「ニキ・リンコ」でしょうか。それとも、毛がいっぱい生えてる「ニキ・リンコ」 の方でしょうか。
http://blogs.yahoo.co.jp/chipyama/MYBLOG/yblog.html
どちらの「ニキ・リンコ」なのか、明確に答えて頂きたい。
東京大田区 自営 52才 機械設計業 山岸徹
厳しくとも自己責任を徹底することが必要なのですね。
僕の場合、自己責任を厳しく追及することで、新しいアイデアや難問を切り抜けたこともあったのを思い出します。
結局自分でなんとかせざるをえない、”自分のことは自分持ち”それはジャイアンにだけ基本というわけではなさそうです。
ジャイアンの患者はそりゃ担当医には転移しやすいでしょうね。しかも担当医にジャイアン的要素があれば益々患者は離れづらくなるような気がします。
大学病院の医師はさっさと転勤されていき行き先もあまり告げないことが多いと思います。その代わり後任の医師にしっかり引き継ぎしていきますよね。そういうのを防ぐためかな?
やんばる先生は「利用」とおっしゃいますがジャイアンの中には「非常に愛情深い」と言うタイプがいるような気がします。その愛情の中身までは私は専門家でないのでわからないのですが《愛情と言う名の利用?》面倒見の良さ、普通の人には無いような愛情深さと真摯な責任感にピタっとはまってしまうんだと思います。
ご苦労だと思いますが逆に普通の人以上にクールな振る舞いというのが大事になるような気がします。事実ブログを読むだけでも何かが伝わってくるので・・。(依存したくなるような雰囲気があります)ある程度分かっている人間ならどこかでセーブできるのでしょうが、そうでないなら丸投げ子ども状態になるのでしょう。
私もいろんなシーンで人様に依存をしないように心がけていますが、治療中などであればそれができない人間もいるんだろうなと思います。
対人援助関係における依存の問題は常にありますね。難しいですね。
手元にある依存関係の本によると
・教師・生徒関係
・児童福祉施設職員・児童関係
・ワーカー・クライエント関係
・治療者・患者関係
・弁護士・依頼者関係
・保健婦・来談者関係
・聖職者・信者関係
・セラピスト・クライエント関係
・回復者カウンセラー・依存症者関係
など、あらゆる対人援助関係に依存関係がおきやすいことが書かれてありました。
当然と言えば当然とも言えますね。つらく苦しい人は援助してくれる人にしがみつきやすいし、何でも頼っていると「楽」「不安から一時的に逃れられる」などがあるでしょうから。
確かにジャイアンさんだけの問題ではありませんね。
でも、実際は精神的に依存している時って、表面は楽そうですが、中身はすごく不安定で、心細い状態なのだと思います。
援助する側と援助される側が常に意識して、最終的には精神的に自立することを目指したいものです。