AC、人格障害関連

ASとAC

 ASはそのままでACに非常に似ている。肝心の相手に自分の気持ちを言葉ではっきり伝えられなくて態度で示したり、支配的になったり、また「愛着の対象と自分の問題を区別することが出来ない」のは表面的にはACと非常に似ている。

 だからAS自体とACとの違いは、実は「自己評価が下がっているかどうか」ということになる。ただこの場合の「自己評価」とは、「自分の高すぎる基準と比べて低い」とか、「愛着の相手や周囲から否定されて苦しかった」という意味ではない。

 そういうわけで「ASのAC」というのは実は非常に複雑な状態となる。本来ASは(多数派やADHDの意味では)自己評価が下がりにくいので、その意味での通常のACとは違ってくる。

 例えば「自分が駄目である」というよりも「相手に服従する」という形になりやすい。自分の考え全体をいったん放棄して相手に全面的に合わせるという意味で、本人から見て服従に近い。

 ただ「受動型AS」の場合には、最初からASの状態で(ACになる前に)相手中心で合わせているので、これまたAC的な認知の構造になっている。もっとも受動型のASの場合には、「愛着の相手は自分を全面的に受け入れて当たり前」となるので、結果的な行動自体はむしろ支配的になる。

 そういうわけで私は最近は「ASのAC」という風には考えず、「もともとAS(特に受動型)があったかどうか」と、「その後愛着の対象に服従しているかどうか」といった問題を別々に考えることにしている。

 このあたりが「ADHDのAC」の分かりやすい仕組みと根本的に違うAS独特の複雑さである。  


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コメント

    • HIKARI
    • 2007年 3月 09日

    実は、「ADHDに似たAS②場当たり的」にコメントするのを非常に躊躇いました。
    「積極奇異型」と「受動型」の記事にどうコメントして良いのか固まってしまいました。
    やはり私はASだと思います。
    ASに対する厳しい意見と、ADHDに対する厳しい意見では、間違いなくASに対するそれの方が私が苦しいと思うことに気がついたからです。
    >もっとも受動型ASの場合には、「愛着の相手は自分を全面的に受け入れて当たり前」となるので、結果的に支配的になる。
    私はまだ受動型かどうか自分では分かりませんが、私の場合は「受け入れて当たり前」というよりは、「受け入れてもらえなかったら存在を否定された」気分になると思います。
    >「もともとAS(特に受動型)があったかどうか」と、「その後愛着の対象に服従しているかどうか」といった問題を別々に考えることにしている。
    今の自分を脇に置いて、子供の頃の気持ちに戻ってみます。
    相手中心の発想で流され続けていたとおもいます。仕切り役がいて不快でしたが、仕切られていました。年下の子と遊ぶときだけはお姉さんぶっていたと記憶しています。優しく接することで友達を繋ぎとめようとしていたことも思い出しました。自分からは「遊ぼう」と誘えなくて、誘ってもらうのを待っていたことも記憶してます。
    子供の頃、誰に愛着を持ったか?スポーツ万能な父が自慢でした。思い出せば、よく父は私をあちこち連れて行ってくれてました。母よりも父に愛着を持ったと思います。その後、服従したかどうか?
    父が浮気をしたことをきっかけに父に対する信頼は無くなりました。父を「嘘つき」だと軽蔑するようになりました。
    だから服従はしませんでした。
    ただ、子供の頃、とても好きだった男の子がいます。よく遊んでくれました。「初恋」だと思います。その人のことがずっと気になっていました。
    実は、私の夫がその男の子と顔や雰囲気がそっくりなのです。だから私は今の夫に一目惚れをし、逢ったその日に「運命の人」と思いました。
    でも夫に服従していないです。仮に子供の頃好きだった彼と恋愛関係になったとしても、服従は最初だけだと思います。

    • thosan
    • 2007年 3月 09日

    私には、先生の記述がそのまま当てはまります。
    うちも相当の「発達障害一族」で、自身の息子が重度自閉、父方の従姉妹の娘は高機能自閉症児です。
    この親族の中で、私には服従している人が3人居て、実はこの3人ともですが、ASなのか?ADHDなのか?・・・今のところ、私には見分けが付かない人達です。
    その3人とは、妹と父と叔母(父の妹)です。
    この叔母の娘の子供が先の高機能自閉症児ですから、きしくも父と叔母は兄妹で自分の娘に発達障害児が産まれていることになります。
    私がなぜこの3人に服従しているかというと、3人とも自己肯定度が非常に高く、他人と摩擦を起こしやすい。
    現に修復不能な「断絶関係」になってしまっている親族が、この人達の周りに、何人も発生しています。
    それで、「なだめ役」を「勝手に」買って出ているのがACの私だと言うことです。
    この中で、妹との生活密着度が特に強い為、「なだめ役」だったはずが、先生が書かれている様に「自分の考えを一旦全部放棄して全面的に相手に合わせ」ているわけですから、しばしば消化不良を起こしてしまうのです。
    心情的には「服従」と「支配」と「断絶」の間を揺れ動くので、相当疲れてしまう関係です。
    私が勝手にやっていることなので、相手には、私こそ謎の人物に違いありません!
    こうやって、先生の記事で、自分の事をかなり客観的に捉える事ができる様になってきたので、ありがたいです。
    妹への心情は、今とても安定しています。

    • yurin
    • 2007年 3月 10日

    >thosanさん
    突然のコメント済みません。
    ACの成り立ちが家庭環境にあるということ・・・(もともとはアルコール依存症の親の家庭から発生した言葉であり、家庭が子どもが大人に支えられながら育つような環境でない場合、大人になっても自分の考え方に自信がもてない人に育ってしまう人たちの総称がAC)・・・また本質が『私がいないとこの人はダメ』と言いながら、実は非常に依存的であることから、表面上、ASの愛着に近い状態になる。たとえば依存も愛着も『相手を突き放すことができない』という点で、結果的な見かけは同じです。
    ASの愛着と依存の違いは『特定の人にこだわりのような形で愛着する』という点だけだと思います。
    ここに書かれている
    >私がなぜこの3人に服従しているかというと、3人とも自己肯定度が非常に高く、他人と摩擦を起こしやすい。
    現に修復不能な「断絶関係」になってしまっている親族が、この人達の周りに、何人も発生しています。
    >それで、「なだめ役」を「勝手に」買って出ているのがACの私だと言うことです。
    ・・・は、ASというよりは、かなりACに寄ったものではないかと私は感じました。
    また、お父様や妹さんの記述は、どことなく自己正当化型ADHDっぽい、・・・と思いました。(ここに書かれてあるだけではそのように判断できませんが、印象ということでご了解願います。)

    • tohsan
    • 2007年 3月 11日

    yurinさん
    そうですか?
    今回、先生がASのACを
    例えば「自分が駄目である」というよりも「相手に服従する」という形になりやすい。自分の考え全体をいったん放棄して相手に全面的に合わせるという意味で、本人から見て服従に近い。
    と、記述されましたが、
    以前私が、一番最初に先生に送った相談メールの中で、自分の状況を説明するのに使った表現が、まさにこの「服従」という言葉で、意味的にもマッチしているとしか言い様が無く
    「そのまま当てはまる」という書き込みになりました。
    「かなりAC寄ったもの」とyurin感じられるのは、現象として「なだめ役」を買って出ているという部分でしょうか?
    又、これは説明不足でしたが、「愛着」については妹にだけに、あります。
    彼女の言動に過反応を起こしてしまい、ひどい時には数日間も過集中を起こしてしまいます。
    苦痛でしょうがない為、何度も考えをそらそうと試みますが、数分後には元の過集中状態に戻ってしまい、「投薬」が必要なのではと思い、今、心療内科に予約を入れていますが、6月まで空き待ちです。
    私は「愛着」状態の時に「愛」は無いと思っています。
    だから、「愛着」より「執着」。
    ちょっとテーマとづれてますかね?
    父や妹・叔母が、自己正当化型のADHDぽい、っていうのは実は私もそうかも知れないと考えています。
    ただ父を除いて、妹と叔母には愛着の対象に対する支配があるようにも思えるので、今のところ保留してます。

    • あひる
    • 2007年 3月 11日

    tohsan さん
    >私は「愛着」状態の時に「愛」は無いと思っています。
    私の中のイメージも「愛」と「愛着」はちょっと違うんです。
    tohsanさんの「愛着」状態がそうであるように
    うちの息子の人に対する「こだわり」にも
    「そこに愛はあるのか?」と思うことが多いです。
    >だから、「愛着」より「執着」
    執着...なるほどって思いました。
    >今、心療内科に予約を入れていますが、6月まで空き待ちです
    6月まででも長いのに空き待ちですか 大変ですね。
    良い先生にめぐり逢えるといいですね。

    • thosan
    • 2007年 3月 11日

    あひるさん
    息子さんの人への「こだわり」
    どんなものだろう・・・?
    うちの息子の場合、人への「こだわり」の原因で、一番強いなと感じるのは「関連づけ」を伴った「記憶」です。
    私については、原因を今、探しているところです。
    私が考えてるより、もっともっと単純なものかも知れない。
    私が予約いれているクリニックは成人の発達障害の判定も出している所なんですよ。
    だからかどうか知りませんが、一杯です。
    私の場合、ACだけの治療だと根本的に解決しないだろうと思うし、一度カウンセリングを受けたこともあるんですが、発達障害にまるで無知なカウンセラーだったので、背中がかゆいのに、一生懸命頭とかを掻いてくれてる感じで、閉口しました。

    • HIKARI
    • 2007年 3月 12日

    thosanの「発達障害一族」という言葉に、実は私も心配していることがあります。
    私の姪(現在小5)のことですが、私の娘にかなり似てます。姉も困っていて、私の娘と似ていると言います。
    昨日、気になって姉の家に電話をしてみましたが、姉が留守でその姪が出ました。年齢よりも大人びた話し方は、しっかりしているように感じられるのですが、日常生活では「提出物を出さない」「大事な物を失くす」「友達が去って行ったのか、自分から去ったのか、友達と遊ばなくなった」など、姉の話を聞いていると、我が子の当時の苦しみを再体験してしまって、どうにも苦しい気持ちになります。
    そして「肉」ばかり食べるということも、姉には不思議なようです。
    いまのところ、おそらく本人は苦しいながらも学校に行って、厳しい部活にも耐えているので、私が「診療内科」などを勧めて、姪が「病気に逃げる」結果になることも懸念され、無責任なことは言えないと迷っていますが、やはり姉だけにはこのブログで知ったことは伝えたいと思います。

    • HIKARI
    • 2007年 3月 12日

    thosanさんのニックネームに「さん」をつけてないのに気がつきました。
    ごめんなさい、大変失礼しました。
    正しくは「thosanさん」です。

    • tohsan
    • 2007年 3月 12日

    HIKARIさん
    私も自分のハンドル、tohsanをthosanと打ち込んだりしてて、気になる人は絶対イラツイてるやろな~!!
    と反省しています。この場を借りてお詫びします。
    今回のHIKARIさんの間違いは、言われないと気付いてなかったし・・・。笑
    親族の中で、特に若年の方に、「軽度」の兆しが見えてしまう時の対応、微妙に難しいですよね。
    従姉妹の娘(高機能自閉)の場合、なんと、この従姉妹が元精神科医にもかかわらず、「発達障害」に無知で、最初はホルモンの異常だとか何だとか、色々な診断名を勝手に作り出して(日光に当ててはいけないとか??・・・)大変でした。
    叔母が児童相談所に虐待の通報を出した事もあり、5歳の時に、何ヶ月か保護されたりしています。
    私の息子は低機能自閉の重度なので、逆に比べる事も出来なかったのだと思います。
    初めは保護者に知識が無い場合が殆どですもんね。
    私も最初「自閉症か?!良かった、治るんや!」と言ったのを覚えています。(涙)
    お姉さんは、うすうす自分でも気付かれているみたいですし、程度もHIKARIさんのお嬢さんに似ておられるということなので、力になってあげられるかも知れないですね。
    直接なにか出来ない場合でも、見守ってくれる大人が多いほど、お子さんにはプラスですよね。きっと。
    私も高機能の従姉妹も娘を、静かに見守っています。
    遊びに来たときには、彼女が独創した遊びにつきあったり、好きな楽器をを自由に触らせたりしています。
    彼女もクラスからは完全に孤立していますが、音楽・英語など得意な分野があり、今のところ、学校生活はなんとか送っている状態です。
    いかに高機能とは言え、自閉症の特徴がしっかり出ているタイプの子供で、本当は物凄い努力をしているのだと思います。

    • HIKARI
    • 2007年 3月 12日

    tohsanさんへ
    そうですね、見守るって大事ですね。
    医療機関に行く行かないは姉の判断ですが、「発達障害」を知ることで、姉も救われると思いますし、子供への対応も間違わないのではないかと思います。
    私の娘は、一時期、かなり自己中心的な時期もありましたが、今は、周りを思いやる気持ちが出てきました。大きな進歩だと思います。
    発達障害+(思春期+反抗期)を発散したのではないか?と私は無駄ではなかったと思います。
    この先も、適度な距離をおきつつ、見守っていこうと思います。

    • 月の草
    • 2007年 3月 15日

    苦労なさっているお母さん方の言葉は重いですね。tohsanさんの「本当は物凄い努力」ずしんと来ます。たぶんうちの子もそうなんだと思います…….うちの子(4才)は、園で集団生活をしはじめてから、かなりまずい行動が増えました。私のせいかも、もっと親といる時間が長い方がいいのでは?と思って逡巡した一年でした。
    うちのP子は、愛着している友達(Kちゃん)を服従させてしまっているようです。Kちゃんを自分の完全な支配下に置いて、ほとんどなぶりものにするような関わり方をすることもあるそうです。相手の男の子はとてもおとなしく、一人で片隅にひっそりといる感じの子で、嫌なことをされても、強く言うことができない子で、うちの子はそこにつけ込む感じです。その子は、手洗いなどをひつこくするなどの脅迫行動のようなものも見られる子です。うちの子のその子に対する行動パターンは(以下先生談)、
    ・相手が泣いているのに「あっちに遊びに行こう!」と“笑顔で”強引に手を引っ張ってどこかへ連れて行こうとする。
    ・相手が嫌がっているのに、自分の遊びを強要する。
    ・相手が他の子と遊ぼうとしているのに、強引に引き離して独占しようとする。
    ・相手の子の“靴”や、物を隠すなどの意地悪をする(理由を聞くと“好きだから”)。
    ・常にその子と一緒にいようとし、常に自分を見ているように仕向け、振り向かせようとする。
    ・相手が嫌だと言ったり、泣いていても、全く頓着せずに自分の要求を押し付ける。
    他の子が相手の場合、相手が嫌がればすぐに引き下がって何事も無く、後悔の様子を表し素直に謝れるのだそうです。
    Kちゃんは、これらのことを毎日されても「Pちゃんが一番好き!」と母親や先生に笑顔で語るそうです。そのため、問題になりにくい所がありました。その子の母親と私は親しく、互いの家の状況(お互いの発達障害含めて)についても時折話し合うのですが…..
    # あひるさん、tohsanさん:こんにちは。お二人の仰る「子供の愛着行動」や「関連付けの記憶」って、どんな状態なんだろう。うちの子は母親が親しくする家の子と、仲良くしたがる感じがあります。

    • yurin
    • 2007年 3月 15日

    今日卒園を迎えるうちの息子は、入園前に診断を受けていたのではじめから子どもの特徴を、A4の紙2枚程度にまとめて担任の先生に伝えてから保育にあたってもらいました。
    診断名をそのまま伝えるよりは、どういう特徴があるのかを伝えたほうが参考になるみたいよと、ある先輩ママからのアドバイスでそうしました。
    早期の診断という意味で、集団の場面で問題が多いようなら診断を受けて、専門家のアドバイスを定期的に受けたほうがいいかもしれません。ただASでも、年齢が低いとはっきりした診断がつかない場合もあります。
    うちの息子は、3才くらいから多動、コミュニケーションの問題などあって、3才過ぎで診断が受けられましたが、表面的な特徴が目立たないと難しいかもしれません。
    参考までに、診断を受ける為に必要なのはまず生育歴です。特に言葉の出始めから2,3才頃の様子や、1才前後~1才半の間に指差しをししない、言葉の取得のパターンが一般的な『パパ、ママ、まんま』ではなく、全く関係ない言葉であることも多いです。
    かりに診断がつかなくても、経過観察という形であれば、定期的にアドバイスが受けられることもあるようです。
    (もしも診断済みであれば済みません)

    • あひる
    • 2007年 3月 15日

    月の草さん
    先日は失礼しました。
    息子の愛着行動ですか...う~ん
    お父さん(ダンナ)が大好きです。
    お父さんがチビ娘を抱っこしているのを見て顔色を変えてました。
    (その後お父さんの顔に掴みかかるし...)
    人以外の強いこだわりは「ドライブ」
    家に少しもいられないですね。
    私の車だけでもガソリン代は月に3万円します。
    (日中は学校や学童も利用していますが)
    ドライブ中、急にイライラして掴みかかってきたりもあります。
    私は運転が苦手なので辛いですね。
    今は「こだわり」より怒りのコントロールが上手くできないのが大変です。
    沸点が40度ではないかと思えるくらいです(水は100度なのにねぇ)
    ホントにいつでもすぐ沸騰してしまいます。
    思春期のせいでもあるようです。
    さっきも投稿したけどエラー...上手く反映できるかな?

    • 月の草
    • 2007年 3月 16日

    あひるさん
    # いや、もうどうか気にしないでください。こちらこそ心底失礼てしまったと思っているところです。
    息子さんは、お父さんが好きなんですね。お父さん(愛着の対象)が違う人とコミュニケーションとると激しい怒りを見せるんですね。うちの子もそういうことを愛着のお友達にしているかも。
    月にガス代三万円ですか…….それだけ一緒に走ってるってことですよね。そうしている方がお子さんは安定しているのですね?日中以外ということは、朝とか夜とか?(私、夜はこの頃目がきかなくなってきてるので、あひるさんはまだ元気だろうけれども、夜はやっぱりしんどいやろうな、と)あひるさん、辛抱強いんですね。
    思春期かぁ……怒りのコントロール、大人でも難しい(私も)ので、子供はきっと尚更ですよね(そういう返事は、この場合一般的すぎますが)。それにしても、そういう激しい怒りに常にさらされている人だったのですね。そうか……
    色々聞いてみないとわからないものですね。
    そういえば、うちの夫も沸点40℃で激しい反応しか返ってこない時があります。感受性が高まっている時期にもそういうことは出やすいということでしょうか。これからそういう視点でも子供を見てみよう。____集団からの負荷は、私の想像以上なのかも……

    • tohsan
    • 2007年 3月 17日

    月の草さん
    P子ちゃんとお友達の愛着関係と、似てるかどうかは分かりませんが、私の幼児期の愛着行動について、書いてみます~。
    入園日、初めて親から離されて、名札をつけて出席番号順に園庭に座って並ばされた。
    その時私はくるっと後ろを振り向いて、そこに座っていた子を「ともだち」と決めた。
    園での2年間はその子だけが私の「ともだち」で、他の園児は「その他大勢」のエキストラのような存在だった。
    その子の事は最初から最後までフルネームで呼び続けていた。
    その子は、とても優しく、大人しいタイプで、いつもニコニコ笑っていた。
    その子も、2年間、私以外の友人を作らなかった。
    私の記憶では、いつも私が主導権を握っていて、「あれしよう。これしよう。」と言っていた。
    その子が私に反発したり、二人が喧嘩したということは、多分一度もなかった。
    親同士は挨拶程度で、全く交流がなく、園が終われば遊べなくなるのが不満だった。
    親同士が仲が良くて、強制的にその子供達と遊ばされたが、親近感も愛着も一切湧かなかった。

    • tohsan
    • 2007年 3月 17日

    (つづきです)
    息子が入学した時も、実は同じような事が起きています。
    かえるの子はかえるってかんじですかね・・・?
    彼の場合は、出席番号順で座った、自分の前の席の男の子で、その子の行動を基準にして自分も動いていました。
    席替えがあった後も、その子が授業中に当てられて立つと、それに気がついてあわてて自分も立つということをやっていました。その子も「僕って頼られてる」とまんざらでもなく、色々教えてくれていました。
    息子が通っていた時は物凄いパニックを何度も起こしていましたが、一番の原因いつも他児童が(彼にとっては)「突然一斉に同じ行動をする」という事でした。
    私は当時学校の方にはかなり入り込んで、必死で「支援」していましたが、こればっかりは「支援」のし様が無かったですね。
    私と息子に共通しているのは、その場所で、最初に名前と顔を認知した相手が、脳に特別の意味をもってインプットされているという事ではないかな~と思っています。
    私の場合はそれが「ともだち」という項目にポンと入ってしまっていて、発想に独特の飛躍があると思います。
    息子の場合は、「ともだち」という概念が育っていなかったので、又別の、彼にしか分からないカテゴリーにその男の子が入っていたのだと思います。

    • tosan
    • 2007年 3月 17日

    当時、私にも相手の女の子を「支配」していたという認識が全く無かったのですが、息子の「支配」にも同じ事が言えます。
    息子の人への支配が起こるのは、全て「記憶」が原因です。
    いろんな物事を独特に関連付けて記憶するのですが、その項目の中に「人」も含まれる訳ですよね、当然。
    例えばあることをした時に偶然私が傍にいた場合、次にそのあることをする場合には私が絶対不可欠になります。
    私が欠けると、あることさえ出来なくなってしまう。
    今まで一人で出来ていた、そのあることが、私と関連付けが出来てしまうと、突然そうなってしまいます。
    「30分待ってね」とタイマーをセットして伝えても、私の周りをうろうろしたり、我慢できずに腕を引っ張りにきたり、別のことを始めるとか、あきらめてひとりでするとかは出来ません。
    彼には私を「支配」するという気は無い訳ですが、相手にも事情があるという事を察知する能力が致命的に抜け落ちている為、される側は、分かっちゃいるけど「支配されている」と感じます。
    P子ちゃんとおともだちの場合ですが、確かに傍目で見ていて「支配」はあるんでしょうが、P子ちゃんとおともだちはお互い「大好き」な訳で、本人同士は多分困ってないですよ。(困ってたら別ですが・・・)
    多分一番困っているのは多数派の先生とか周りの園児なんですよね。困っているというか、気になってしょうがない。
    その人達が余りにも困っていたら、発達障害の説明をしてあげて安心させるのも手かもしれないし、どうしても介入したければ、例えばソーシャルブックの作り方という本が訳されてるそうですから、本屋で立ち読みしても良いかもです。
    (これもお子さんによってはフットするかどうかが分かれるそうですので、無理に使う必要はないです)
    月の草さんも相手のお母さんも、発達障害に知識があるので、良かったですね。
    P子ちゃんは軽度なんだから、相手の事情を理解する能力もぐんと伸びてくると思いますよ。
    あせって伸ばそうとするよりは、伸びてきたタイミングを見計らって「支援」してあげるか、本人や相手が困ってる場合にのみ「介入」すれば良いので、多数派に反応して動揺しない方が良いですよ。
    すいませ~ん、な~んか勝手にいろいろ書いてますが、うざい場合は、これも無視してくださいよ!笑

    • tohsan
    • 2007年 3月 17日

    自分の書き込みで、P子ちゃんは「軽度なんだから」という書き方をしていて、自分で気になっちゃったので再度です。
    私は「軽度」の子供も「重度」の子供も、いっぱいいっぱい頑張って生きていると思います。
    だから、どちらの子供にも、彼らが必要とする「支援」が必要だと思っています。
    特に「軽度」と呼ばれるお子さんは、知能が高い分、「支援」が必要とも思ってもらえない。
    「支援」が必要だと申し入れても、相手に通じない場合もある。
    気付かなかったり、なんだ、出来るじゃないかと、軽~く流してしまうので、本人ひとりが苦労している、という事が非常に多いですよね。
    この間、ニキ・リンコさんの講演があって、参加したのですが、え~そんなところで、そんな大変な思いをしていたのか~?という事満載でした。
    想像以上に、否、想像の2倍・3倍以上に努力している、と考えた方が当たってます。
    彼女独特のユーモア溢れる喋り口は必聴もんでした。

    • HIKARI
    • 2007年 3月 17日

    tosanさんの
    >彼には私を「支配」するという気は無い訳ですが、相手にも事情があるという事を察知する能力が致命的に抜け落ちている為、される側わ、分かっちゃいるけど「支配されている」と感じます。
    この状況が、我が子についても当てはまるように思いました。
    主治医からも「こちらの都合を考えなくて、いろいろな理由をつけて要望を通そうとする。その理論は、対抗できないくらい正しいからまた、手ごわい」と指摘されました。主治医も困っているようです。
    私が感じることは、やはり家庭の事情の想像力が欠如しているのではないか?ということです。お金は有限であることの想像力が今ひとつ、わかってもらえないのを感じます。
    そして私・・自分のことを客観的に見るのは、難儀なことです。娘のことについては自分の意見を言えるのですが、自分も「支配」する気は全く無くても、周りから見ると、「支配された」感覚があったのかな・・?と。

    • 月の草
    • 2007年 3月 17日

    yurinさんへ:
    私が子供の例をあげたので、園の対応に不満を持っていて、助けを求めて書き込んでいると誤解をあたえてしまったようですね。園には家族の発達障害についての情報を伝え、園からは十分な観察と、十分な現状の報告をいただいてきています。園の対応に不満はなく、私があのように子供の様子を書き出せたのも、常に子供たちの様子を観察し報告してくださるために他ならず、感謝しています。
    AS-ACという状況が、娘の友達の状況にピッタリあてはまるような気がしたので、一つ書き出させていただきました(ここは大人の例の情報を集積していく場所なので、不釣り合いな内容だったかも知れませんが〜)。先生のお書きになった状況と同じと思えるものが、娘と友達の間で繰り広げられているので、ちょっとこれを例に考える機会が欲しいと思いました。あの子たちの支配関係は、シンプル過ぎて怖いくらいですから。そして、その支配関係には愛憎も無いような気がします。
    そんなわけで、私は一般的な情報が欲しくてここに集っているわけではなくて、ここへはそれ以上の物を求めて来ています。言ってみれば、自分を含めて様々なタイプの等身大の定型発達像を探しに来て、それをどう考えて、どう対応していけばいいかヒントを得ようとしている感じです。

    • 月の草
    • 2007年 3月 17日

    tohsanさんさんってば、うざいって…..(笑)。面白い人やなぁもう(^^;(そんなんいうたらあきませんってっ)
    なるほどねぇ。
    P子は他の子とも関わりを持とうとするんだけど、他の子は発達が早く、相手にしてもらえないことが多い。そこでついわけわからんことをしゃべっていても気にしない(←言葉がつたない)、K君のところへ行ってしまうというのもありそうだし、何かでストレスが増えると、感情のはけ口に彼を使っているように感じることがあって。やっぱり相手の子へのダメージが心配で。
    まぁ、皆さんに私の動揺がバレてるみたいですが(^^; 相手の子はこのままいくと、AC度合いに拍車がかかるとか、脅迫行動が増えるとか、なんかまずいことになるんじゃないか?と。園の先生はそれほど困っているという風はなく、冷静に観察して一つのモデルとして発達障害へのアプローチを模索する、みたいな距離感でやってくださってるような気がしますから、このままでいいのかな。
    ただ、発達障害の知識があっても、現実の子たちにそれを当てはめて考えることが難しかったり(まるで自分の子みたいに思って、信じたくない気持ちもあるみたい)、わかったところでどう対応するのが適当なのか、などが掴めないという話しもよく聞くし、だからどうするのがいいと思う?と、意見を求められることもしばしば(私はベストが掴めてないので答えに詰まる)。
    tohsanさんのおっしゃる「タイミングを見計らって“支援”」「相手が困ってる場合のみ“介入”するのが理想的」っていいですね。これは伝えてみようかな。こういう現場から出てきた指針みたいなものがねぇ。沢山集積できればいいのかもしれませんね。やはりこれも、こちらがそういう情報を提供しても、タイミングが悪ければ実感として湧いてこないかもしれないし、先生方も私も、経験値を積んでいくのが大事なのかな。
    大人から話を聞くことはとても参考になります。ここはほんとにあり難いですねぇ。(また後ほど書きますね)

    • 月の草
    • 2007年 3月 17日

    > 「例えばあることをした時に偶然私が傍にいた場合、次にそのあることを
    > する場合には私が絶対不可欠に」
    いやぁ、よく書いて下さいました。うんうん、うちの娘と同じ現象だ、と思って読みました。確かにうちの子は軽度のせいかのか、起きる現象の規模に派手さはありませんが、tohsanさんやあひるさんの仰る記憶とからめた関連付けの現象がとても頻繁におきています。全てのシーンでそれが見られるといっても過言ではない状況です。なるほど、これが自閉の子の一つのパターンなんですね。(# 車はさほどでもないですが、飛行機、電車は大好きです。不便な所に住んでるのが幸いです)
    ところで、P子とK君の関係を見ていると、無意識の支配という印象で、パワーゲームみたいなものを感じない。tohsanさんがあげてくださった例と同じで、彼らは互いの関係に非常に満足していて、二人は離れたくないみたいだし、あっけらかんとしています。レセプターがカチッとはまっただけ、て感じ?二人だけの世界にはまっちゃってでてこない。
    たとえば、私に負のエネルギーが満ちていたシーズンでは、妹や弟、母、あるいは友人にたいして凄いエネルギーを使って高圧的な態度に出るわけで(なんちゅうやっちゃ…)、そういうパワーゲームとはちょっと質が違うというか。(HIKARIさんのお嬢さんがお母さんに高圧的というのは、どっちなんでしょうね。)
    昨日久しぶりに母と話しました。私の母は、弟を溺愛していました。確認したんですが、弟は犬の縫いぐるみに愛着していて、涎でべたべたにしながらお漏らしをする感じの子で、とても手がかかったと言ってました。小さい頃から母は彼を心配して、小児科の先生に知恵遅れではないか?と相談していました(言葉がよくありませんね)。でも、大器晩成型だと一蹴されておしまいでした。中学生くらいまでは、本気で信じてましたが、その後だんだん不安になったようで、私に時々、やっぱりあの子はちょっとぼんやりすぎる、といってこぼすように心配していました(LDの強いADDという感じ)。長くなりましたがまた書きます、

    • あひる
    • 2007年 3月 17日

    >例えばあることをした時に偶然私が傍にいた場合、次にそのあることをする場合には私が絶対不可欠になります
    そうなんですか
    周りにいる人が支配されているように感じるのであれば大変ですね。
    でもとても不思議にも思いました。
    うちは思春期になる前まで「指示待ち症候群(私達はそう呼んでます)」でした。
    とても酷かったです(今もそうですが以前よりはマシです)
    なんでも人の指示がないとできないのです。
    言語がまったく話せないので訊ねるように人の顔をみたり指差したり
    「これしていい?」「こうやっていい?」みたいなニアンスで。
    例えば...
    玄関で「ドア開けていい?」みたいな...開けて入ると「靴脱いでいい?」「靴下脱いでいい?」
    なにも答えないとこちらの顔をじーっとみたまま次の動作にうつれないんですよ。
    面白いですよね。でも付き合う周りの人がけっこう面倒くさい。
    これも支配の一種なのかなぁと思いました。
    友達は欲しがりません意味もわからないと思います。
    男の大人の人が好きです。
    ただ息子が気に入る人はいい人なんですよ。なぜかわかるみたいです。
    人を見る目はすごいと思います。

    • 月の草
    • 2007年 3月 17日

    そういう弟のことが母は一番心配だったようで、なんでも弟のいうなりでした(ちょっと心配な子を気になって甘やかし過ぎたり、面倒を見過ぎたりするのは、母性でもあるような気がしますが…..どうなんでしょうか)。母も弟には厳しいことは一つも言わない。もうほんとに呆れる状態でした(なんにもできないわけじゃなくて、母が家にいないので洗濯、料理は自分で手早くやってましたが….何にもできないという母の思い込み?)。
    ちなみに母は、間違えようが無いくらいのADHD(ADD系)です。お友達が去っても来ても気にならず、明るく・楽しく・楽天的・いつもニコニコ。
    反対に、妹は全く手がかからず、自分のことは何でも自分でできるしっかりした子だったそうです。妹は彼女の天敵で「あの子には逆らえないの」といっていつも妹のいいなりでした。まだ小学生で御しやすいはずの年齢の時でさえ!これはちょっと不健康な関係のような気がしたし、これがASの支配かもしれないとこの頃感じます。妹が小さい頃から、相当頑張らないと私も彼女に逆らえなくて、今も若干言いなりになりがちです。彼女にこちらの意思を認めさせることはとても難しく、白が黒になっても、面倒くさくなって私は折れます…..(母も面倒くさそうに折れます)。
    たとえば母が、妹の愛着の対象になっている父を批判すると、どうしようもなく怒りを爆発させるので、滅多なことは言えないといつも声をひそめます(苦笑)。母は父からも支配的に振る舞われているので、あっちこっちからがんじがらめにされる気がしてるかな。でも、自分の心までは奪えないといつも言ってましたから、精神的な支配は含まれなくて、表面上のパターンなのかな。
    パワーゲームと発達障害の支配関係とどう違うのかということと、発達障害の支配関係はどれくらい実害があるのが気になってたのですが、tohsanさんのお話を読む限り、そんなに心配いらない感じがしますね。一方、時折男女関係で、ASによる支配については深刻な状態になりますよね。どう違うんでしょう。私も毎日似たような状態にさらされてきたので、気になるんですよねぇ。

    • HIKARI
    • 2007年 3月 18日

    月の草さんへ
    やはり、負のエネルギーが満ちていた時期は「腫れ物状態」だったので、娘の言いなりに動くしかありませんでした。(私が、そう思ってました)
    今は、「静かなる支配」に移行したように思います。
    それは、自立するために娘には「希望の環境」があり、それを聞かされた私は一瞬でも「これで立ち直れるなら…」とその方向で動こうとしてしまうのです。
    健康的な子供なら、「親の援助は一切要らない」と親を見捨てる形で家を出て行くのだろうと思いますが、「いつか返すから、お金を出し欲しい」と言われれば、私も彼女の為にできる範囲内で支援して行くしかないと思っている状態です。
    これは「無意識の支配」というのでしょうか?
    「お金」には支配する力があるように思えてきました。
    いつか、「お金」の援助を止めれば彼女はもっと気楽に生きて行けると思います。残念ですが、現状ではまだ無理です。
    今は、現実的な小さな目標を持たせて、そこから可能性や選択肢を広げていく、つまり軌道に乗せる為に親として手を貸している段階です。(甘いでしょうか?)

    • yurin
    • 2007年 3月 18日

    月の草さんへ
    ご希望に添えなくて申し訳なかったです。
    ただ、一言申し添えておきます。
    私は、あなたが書かれているように
    >私が子供の例をあげたので、園の対応に不満を持っていて、助けを求めて書き込んでいる
    ・・・と、思ったから書いたのではありません。
    このように、思いもよらない『決め付け』を聞くと悲しいですね。
    ひさしぶりに、とても悲しい気持ちになりました。
    ・・・・

    • yurin
    • 2007年 3月 18日

    月の草さんへ
    実はあなたが私宛てに書いてくださったコメントにたった今気が付いたのです。何故なら私は最近、あなたのコメントを読むのが怖かったんです。今回書いたコメントも、恐らくあなたの望むところではないかもしれない、だからきっと無視されるだろうな、と覚悟の上のコメントでした。
    でも、あなたにとって必要ないコメントでも、他の誰かにとっては、必要かもしれない、という可能性を持って書きました。何故ならここは、あなただけの場所ではなく、またコメントを寄せてくださる方だけの場所でもなく、ただ読んでいるだけ、という方もいらっしゃって、その方たちの場所でもあるからです。
    正直『しばらく、コメント書くのもやめようか』・・・とさえ考えましたが、きっとそれはできないと思うので、今後は私のコメントが参考にならないようでしたら、無視してくださって構いません。また私も、あなたに対してコメントをするのを控えるようにします。
    いろいろと、申し訳ありませんでした。

    • tohsan
    • 2007年 3月 18日

    HIKARIさん
    お金の問題。
    これ、うちもあります。
    発達障害の人にはAS,ADHDに限らず、何か「お金」に対する認識の仕方に偏りがあるのだろうか?
    私もお金に対する価値観というか、認識の仕方に偏りがあるように感じていますし、妹にもあります。
    父にもあるように感じます。
    (勿論息子は未だ「お金」そのものの認知が殆ど育っていません。)
    多数派も「お金」では良くもめると思いますが、それはどんなものなんだろう?
    月の草さん
    おお!やっぱウザかったすか~? 笑
    こういうダイレクトなコメントが好きな私です。
    (私はどMか?・・・いやASだからだろう・・・)

    • HIKARI
    • 2007年 3月 19日

    tohsanさんへ
    「お金の問題」について、私も考えてます。
    私も、小さい頃、お小遣いやお年玉を貰うと、すぐ遣いたくなって、「貯金」とは縁遠い位置にいました。
    でも、私はお金のことで親に心配をかけたこともなく、この違いについて最近考えたのは、「時代の違い」かな?と。
    今は若者にとって、誘惑が多すぎる。
    例えば、携帯電話・テレビゲーム・スロット・インターネットカッフェ・次々と進化するオーディオ機器・・・。
    モラトリアムの青年達に、たくさんの誘惑が何処にでも転がっている時代で、現代の若者達は、時代に取り残されないように、それを共有する形で、散財している部分もあると思います。
    私はYANBARU先生と同じ位の歳ですが、あの頃は、新しい物がやっと手に入ったときの感動が長く続いたと思います。
    (私だけ?)
    ある意味、ギャンブルにはまって借金の返済に追われる青年を見ると、問題は彼だけでないようにも思えてきます。
    「依存性」を狙った商売の多さに、ため息です・・。

    • yurin
    • 2007年 3月 19日

    ここに私がコメントすると『場』の雰囲気が乱れるかしら?と思いながらも書きます。
    月の草さんからご指摘あった例の私のコメントですが、私が『早期の診断』を度々訴える根拠は、特にASの場合、『大人になってからの認知の修正は、かなりの本人の苦痛が伴う』からです。ここでのやりとりを見ていて感じることは、ASのコーチングの大変さは、ADHDのそれとは比較にならないくらいではないかということです。
    ASという障害を言い方を変えると『認知の障害』であると私は
    考えます。子どもの頃からの小さな認知のズレが積み重なって、大人になるころには、現実社会とのズレが修正困難なくらい大きく膨れ上がって、最終的に人生にも大きく影響してくる。このことをAS当事者である藤家寛子さんは、著書『自閉っ子は早期診断がお好き(花風社)』の中で書いています。
    藤家さんによると、『社会に出る前に、自閉脳はある程度修正したほうがいい』ということだそうです。そのためには『出来るだけ早い段階での診断』が必要、ということです。
    ・・・まあ、そういう意味で『発達障害が疑わしければ早い段階で専門家による診断、アドバイスがあったほうがいいよ』、ということだったんですね。

    • yurin
    • 2007年 3月 19日

    >HIKARIさん
    >私はYANBARU先生と同じ位の歳ですが、あの頃は、新しい物がやっと手に入ったときの感動が長く続いたと思います。
    (私だけ?)
    私も同世代だと思うんですが、うーん。モノが手に入った『そのとき』は、それなりに感動はあれど、次のターゲットが目に入った途端、次の目標に向かって・・・って感じでしたかね(^_^;)ADHDはゲットするだけが目的だったりもしますし。現代社会はADHDにとってはまさに、獲物(ターゲット)の宝庫ですから困ったものです。
    ちなみに私の二女ですが、まさにADHDそのものです(^_^;)現代社会の多々ある刺激に勝てず、気になるモノは次つぎゲットし、小遣いは誰よりも早く使い切り、それでも欲しくて仕方が無いモノ(ターゲット)があると、手伝いすることを条件に、あの手この手で『交渉』をしに来ます。
    ちなみに、小遣いですが中1で月3000円は多いですか?
    今はまとめて渡していますが、本人をどうにか説得して『欲しいモノを買うときだけ』にしたいんですが、『みんな1月分まとめてもらってるのに、私だけそういうのは不公平で差別している』と言って納得しません~(;_;)

    • HIKARI
    • 2007年 3月 19日

    yurinさんへ
    お手伝いでポイントを与える方法は、賢明ですね。
    私もかつて、お小遣いを欲しがる娘にポイント制を導入しましたが、彼女はもっと多額のお金が欲しいようで結局、挫折してしまいました。
    中1で月3千円は、妥当な額だと思います。というか、私の理想の額です。
    我が子は、あの手この手で、欲しい物や、お金を欲しがりました。
    根負けしてしまいました。(;¯_¯)=3

    • tohsan
    • 2007年 3月 19日

    HIKARIさん
    お金に対する価値観って人それぞれだと思うけど、極端に偏っている人はいるのだろうか?
    多分、これは一人一人に聞いてみないと分からない事だろうけど、平均的なというか、まあバランスのとれた「お金」への価値観が、もしもあるとして、発達障害の場合、極端に「はずれた」感覚を持ちやすいのかどうか?
    発達障害ではなくて、ACの問題なのだろうか?
    まあ、息子の場合は完全に「はずれている」、というか概念が育ってないから、「お金が無い!」と言って空の財布を見せるようにしていますが、意味が通じないから、ただ単に「駄目だと言われているらしい・・・」という解釈に留まっています。
    父の場合はギャンブル癖もあったし、金で解決出来ることはお金でする、という感覚を持っている。
    人との繋がりにもお金が関係してくる事が多い。
    妹はこの世で一番大事なのはお金だと断言する。
    1円2円の違いが、大違いという感覚。
    主婦としてはえらい!
    しかし、物を買いすぎて、よく駄目にするが、そっちはどうなんだろう?
    私もかなり偏っていて、小学校の低学年時代には習い事の月謝袋とか学校のPTA会費とかの徴収袋を親に渡さないとか、先生に請求されても親には言わないとか、相当、変なことをやってました。
    親も先生もいい迷惑だったと思います。
    HIKARIさんのいう「世代間での違い」もそうだし、昔も今もお金がある無しに係わらず、親の価値観の違いもありますしね。
    クラスメートはサンリオグッズで固めてたけど、私は象が踏んでも壊れないアーム筆入れ(?)でした。当時、可愛いものを買ってくれない母には絶望していました。(同年代カミングアウト)

    • yurin
    • 2007年 3月 19日

    お金の遣い方はADHDの永遠のテーマかも。
    まず、時間の感覚が『昨日、今日、明日』程度なので、1ヶ月という長い時間は感覚的にイメージしずらい。たとえば月3000円の小遣いを、1ヶ月持たせるにはどれくらいのペースで遣うのが適当なのか?これが感覚的にわからない。(これは私も、です)
    それに加えて『刺激に反応しやすい』という脳のクセを持っているので、見たものすべてにいちいち感動し、『面白そう!』『あったらいいかも?』・・・など。特に珍しいもの、変わったものには心惹かれてしまいやすい。
    ある程度は本人の『モノをゲットする喜び』と『現実的に使える金額』との兼ね合いをきちんと考えるようになれば、ある程度コントロール可能ではないかと考えています。

    • tohsan
    • 2007年 3月 19日

    yurinさん
    なるほど、ADHDは見たものすべてにいちいち感動して、刺激に反応するのか・・・。
    うちの息子は収集癖があって、かっこ良くいえばコレクター?
    同じお菓子の味違いを見つけると買いたくなる、というような可愛い(金額が!)ものから、マニア向けのシリーズもんのDVDという恐ろしいもの(金額が!)まで、様々ですが、なんせ、揃えなくっちゃ意味が無いというのが基準です。
    私は収集癖はないけど、自分の趣味にのめりむと、その狭い興味限定で浪費癖があります。
    興味の対象にしか目が向かないのは、息子と同系列です。
    今はほんとに火の車なので、締めてますよ~!
    えらいぞ自分。
    しかし追い詰められないと出来ないのは何故だろう・・・?

    • yurin
    • 2007年 3月 19日

    ASの浪費は『こだわり』、ADHDの浪費は『刺激』がキーワードでしょうか?
    ASのコレクターには、お金がかかるけど、手に入れたモノについては『こだわってる期間は大事にする』から、価値がありそうな気がするけど、ADHDは、とりあえずゲットするのが目的なので、買ったモノをどうするかまでは余り考えてないことが多い。単なる浪費家にしか見えないかも。
    それにしても切羽詰まると、浪費家が一転して信じられないくらい切りつめられるのも不思議です。二女が『3日で小遣いを半分使ったけど、それでも月末に100円残した、すごいでしょ、私って』と、得意げに言われた時、なんだか複雑でした。
    (自分も似たようなことになるので)

    • HIKARI
    • 2007年 3月 19日

    tohsanさんの象が踏んでも壊れない筆箱!わかる!あのCM・・。覚えてるよ~~!
    私だってサンダーバードの筆箱、嫌だったのに隣のおばさんから頂いたから、我慢して使ってた~。
    私も趣味に関する物は気前良く買いますね。
    夫にビックリされてます。
    大体、ウィンドウショッピングで満足できるほうです。
    例えば、ショッピングセンターに行った場合、見る店が決まってます。
    (興味の無い分野まで足をのばすことはまず無いです。)
    でも、お店の店員さんに声を掛けられたくないので、仲良しにならないようにしてます。
    いちいち挨拶が面倒でしょ?
    勝手に見させてください~~。
    yurinさんの見るもの全てに感動する買い物は~~~自分を抑えるのに大変そうですね。
    私はピンときた物を見つけた場合、まず買いません。
    2~3度足を運んで、じっくり観察します。
    何回見ても、納得できた商品は目出度く「ご購入!」です。
    さっそく我が家の一員、みたいな・・。(変?)

    • tohsan
    • 2007年 3月 19日

    yurinさん
    浪費壁まで、「刺激」と「こだわり」という特徴が顕著に出ましたね。面白い。
    なんか「偏り」があるみたいだ・・・とは思ってたけど、今まで、比べたことが無かったから。
    「浪費家も、お尻に火がつきゃ、倹約家」
    これはADHDにもASにもあるのね。
    なにか、この辺を応用して、実生活に使えそうな気もしてきました。
    HIAKRIさん
    なに、サンダーバードの筆箱?
    アーム筆入れより、レアだ!
    そうか、女子らしいものを買ってもらえなくて、寂しかったのは私だけでは無いのね・・・。
    女子らしいキャラではなかったのだけど、あのピンク色の文房具類を惜しげもなく買ってあげる家庭にあこがれてました。
    2~3度足を運ぶの?
    えらい!
    私は買わないで帰ってくると、過集中が出てしまいます。
    「あ~あれ、やばい。ほしい。売り切れたらどうする。などなど」・・・と止まらない。

    • HIKARI
    • 2007年 3月 19日

    あ~笑いが止まらない~~!
    tohsanさん・・聞いて聞いて、そのサンダーバードの筆箱、青だったの~~~!
    ピンクが欲しかった~~~!
    それがまた頑丈で、なかなか壊れないのよ・・。
    あなたの「アーム筆入れ」もさぞ、長持ちしたことでしょう~~。
    >私は買わないで帰ってくると、過集中が出てしまいます。
    私は「売れ残っているかどうか」ハラハラしながら行きます。あれば、「まだあった・・」とホッとしてまた観察して帰ります。
    無くなっていた時は、「縁が無かった」と諦めます。
    無くなって寧ろ、悩みが減ったような気がします。

    • 月の草
    • 2007年 3月 20日

    あ〜、皆さん楽しく書いておられるところすんませんねぇ(^^;
    yurinさん
    気に入らないメッセージは無視してって仰るけど….それはとても難しいですよ。自分宛に誰かが書いてくださったものを「気に入らないから無視」って、やってやれないこともないけど難しいですよ。
    あぁ〜〜、うまくいかないなぁ。私宛に書かれたメッセージでもあり、違う側面も持っていると思っていましたよ。あのメッセージを書きあげるのに、二日かかったんです。結局失敗しましたがー。書いて消して書いて消して。
    yurinさんがそういうスタンスでここに集っておられるのはわかっているつもりですが、私はそういった形の啓蒙の対象になるのが、もともと嫌なんですよ〜(それを求めている人もいると思いますが)。だからお返事の書きようがなくなりがちなんですよー(大人しくして傾聴できなくてすみません)。
    それと、私は夫から常に「〜すべき」といわれてきたので、今後私が取るべき方向について、いきなり一般的なアドバイスをズラリと並べられると引いてしまうんです。yurinさんは善意の人だと思ってますよ。私の過反応でしょうね。
    あとは、yurinさんが書かれたことは、私が取ってる/取りたいスタンスとは違っていたんです。診断は何度か受けに行きましたが…..付きませんでした。
    yurinさんのアドバイスは正しい、だけど、私は違うスタンスを取りたいと思っている。「そういう考えもありますよねー。でも私はこれこれこういう風にやりたいと思ってます」というのが一番適当だったのかな。でも、その件について自分の考えを並べ立てれば、yurinさんの意見に敵対するみたいなことになるかもしれないし、面倒だったんです。
    ここはコーチングの場なのだし「ADHDには恐れずはっきりと言うことが良い結果をもたらす」を信じて何度か書きましたが、状況は悪化しますねぇ。本音といっても、本当の本音をきちんと言ってないからなのかなぁ?やっぱりいつものように「どうもー、それやってます、ありがとう〜」あたりで流しておいたらよかったなぁ。でも、うっかり嘘の同意をして、どんどん話が違うところへ転がるのも嫌だしー。
    少しお互い痛くても、意思の疎通が図れた方がいいかと思ったけど、かえって傷つけてますね。<私 

    • tohsan
    • 2007年 3月 20日

    あひるさん
    うちの息子の、記憶による状況支配と、あひるさんの息子さんの指示まちについて、ふと考えが浮かびました。
    自閉症の人は突然の変更や予測の出来ない事が苦手ですよね。次に何が起こるか、分からないから、分かると安心する。
    その安心を得る方法が、一方は記憶による全ての状況のコントロールで、他方は情報を集めてから行動する指示待ちなのかな?と思ったりしました。
    ADHDの人が先の予測がつかないのは当たり前だと受け入れている(確かそうだよね?)のとは、真逆の反応の仕方なんだと思うのですが、実は両者は、根本的にはとても似ている。
    多数派は、次に何が起こるか分からないのが「真実」なのに、それが体感できていない。
    口では「予測がつかないのが当たり前」というADHD的な意見を言うが、実際はそんなこと感じてない。
    喉元過ぎれば暑さ忘れる的?
    それを体感しながら、生きているのが発達障害の人なのかな?と思いました。

    • yurin
    • 2007年 3月 20日

    月の草さんへ
    私は月の草さんに
    >私が子供の例をあげたので、園の対応に不満を持っていて、助けを求めて書き込んでいる
    と、『決めつけられた』のがショックだったし、悲しかったんです。それから『ああ、そのように受け止める方もいらっしゃるんだ』、と納得しました。後のコメントは、最初のコメントが中途半端になったので、『私はこういうつもりで書きました』という説明のつもりで書きました。
    そして、あなたと私が違うスタンスでいるということも、十分わかりました。私は、スタンスは人それぞれ違って当たり前だと思っていますので、そこは尊重していきたいと考え、『私は今後あなたへのコメントを控える』と書きました。本当にそれだけで、あなたに対しては、傷つけられたとも、何とも思っていませんので、どうか安心してあなたのスタンスでコメントを書いてください。
    (例外的に、共感すればそれに対してコメントするかもしれませんが)

    • 2007年 3月 20日

    >ただ「受動型AS」の場合には、最初からASの状態で(ACになる前に)相手中心で合わせているので、これまたAC的な認知の構造になっている。もっとも受動型のASの場合には、「愛着の相手は自分を全面的に受け入れて当たり前」となるので、結果的な行動自体はむしろ支配的になる。
    自分は受動型だろうな。とこれを読んで改めて思いました。「全部合わせるから自分を全部受け入れろ」という見返りを期待しているので本当の意味で優しいとは違うのだろうと思います。

    • yurin
    • 2007年 3月 20日

    月の草さんへ・2
    何度かコメントを読み返してみるのだけど、『月の草さんって、何を一番大事なことだと考えているのだろう?』
    たくさんコメントを書かれていますけど、どれを読んでも、何を問題に感じているのか、それをどうしようとしているのか、感情的に了解しずらいです。また、こちらが狙ったポイントが外れてしまうと、こちらが本当に意図するところを無視して、自分勝手思いこんで、決めつけたコメントになる。
    ・・・まぁ、それは別の問題としてしばらく置いておくことにしましょう。
    基本的にあなたも自由に書けばいいと思うし、私も自由に自分のスタンスで行きたいわけなのだけど、そのためには、しばらくの間『私はあなたに対して一切コメントをしないと約束』したほうがいいのかなとも思います。最初は『控える』と書きましたがそれも曖昧な表現なので、『一切コメントしない』、と。そうはっきりすれば、私が何を書いても『月の草さんが、自分にに対するコメントではない』と判断できるのではなかろうか、と。双方のスタンスが違うのならば、まずはそれを、お互いが尊重するために。
    とりあえず私は、あなたとは距離を置いて、あなたという人を見ていきたい。私はなによりも、参加者がそれぞれのスタンスで自由に気がねなく発言できることを第一優先に考えています。そのポイントに立っての1つの提案ですが、いかがなものでしょう?

    • yurin
    • 2007年 3月 20日

    月の草さんへ。
    ・・・・・『弁解』や、また悪あがきであれこれ書きましたが、とりあえず。
    『スタンスが違う』ってことはわかったので、今後私はあなたに対してコメントしない、ってことで、とりあえず納得していただけないでしょうか?
    今までの私の余計なお世話的な発言は、恐らくAC的な共依存心理(の名残)によるものだと思います。なので、全て忘れてくださって構いません。たくさん失礼なコメントがありましたことは、深くお詫びしますので、どうか、もうここでお許しくださいませんか。
    もうすでに、このスレッドで自分の失礼をお詫びをしているにもかかわらず、延々と絡まれるようなコメントを受けるのはたまりません。それが私の今の本音です。
    今後は先のコメントにもありましたように、あなたのスタンスを尊重するようにしますので、お願いします。

    • yurin
    • 2007年 3月 20日

    ・・・・と、いうわけで、皆様、どうか『流れ』を変えてください。
    いわば自分で蒔いた種なんですが、どうもそういうのが苦手なので。
    ・・・済みません。よろしくお願いします< (_ _)>

    • あひる
    • 2007年 3月 20日

    yurinさん
    客観的にみていてですがあなたの方が月の草さんに絡んでいるようにもみえます。
    >あなたという人を見ていきたい
    こういう書き方も誤解をまねきそうです。
    私も人のこと言えないけど過集中状態かなにかではないですか?
    話の流れを変えるのがいいとは思いますが、やっぱり気になりました。
    私がこんなこと言っても説得力はないでしょうが...
    どちらが悪いとかそういう意味ではないです。考え方の違いだという事は了解しています。
    ただ傍からみたらそういう風にもみえるということを伝えたいなと思いました。

    • あひる
    • 2007年 3月 20日

    tohsanさん
    予測がつかないことに直面すると確かに大変です。
    >その安心を得る方法が、一方は記憶による全ての状況のコントロールで、他方は情報を集めてから行動する指示待ちなのかな?と思ったりしました。
    そうなんでしょうね。
    この指示待ちは就職組でも結構問題になったりしています
    私にしたら指示したことをちゃんとするんだからいいんじゃない...
    と思ってしまいますが、就職先ではそうはいかないらしくて。
    (うちは就職はムリかな...作業所もムリっぽい)
    >予測がつかないのが当たり前
    私なんかADHDであっても急な変更が苦手ですよ。
    なかなか適応できなくてウツ。出来るときは簡単にできるんですがね。
    (私は自己正当化型のAC...が1番近いかも)
    今日は主治医にいろいろ相談してきて、ちょっとスッキリしました。

    • あひる
    • 2007年 3月 20日

    お金は確かに永遠のテーマかもしれません
    私もやり繰りができなくってダンナまかせです。
    ...というかダンナがまかせてくれない。
    結婚してすぐの頃、
    ダンナが「暫くこれで足りる?」と渡した11万を5日で使いきってしまったことが...
    使い道がよくわからないことにダンナはびっくりしたみたい。
    「泥棒にでもあったかも」と言ったかなぁ...もうだいぶ昔のことなので忘れた~
    そういえば独身で1人暮ししてた時も月末お金が足りなくて、彼氏にお金貰ってたことが~
    ダンナも私と付き合っている時に経験しているので、やり繰りできない人だと了解しているみたいです。

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