受動型ASの特徴は、「登校してしまえばストレスが逆に減る」という相手や状況への「受動性」と「順応能力」とも言うべき行動特性である。
そのため、「自分から動く」ことが出来ず、思考も行動も「100パーセントの依存」を求める結果になる。
現実的には「外面が非常に良いが家ではとんでもないわがままを言う」という極端な行動パターンとして現れる。
この依存性は乳幼児期から成人後までずっと継続し、本人の現実世界への適応に大きな問題となる。
思春期には愛着の対象となっている親に対し、また成人後にはパートナーに対し、100パーセントの理解と一方的なサポートを要求し、99パーセントでも不足として愛着の相手を攻撃する。攻撃しない場合も情動不安定になったり、うつ状態や身体症状が出て現実への著しい不適応を来たす。
だから受動型ASに幼少期から満足できる依存関係を提供すると、思春期や成人後も同じ依存の立場を愛着の対象には要求し続けるため、不適応は必至である。これが受動型ASの第一の真実である。
ではどうすれば良いか? 受動型ASを養育する段階で、「100パーセントの依存は不可能である」とどこかの段階であきらめさせることが必要であり、思春期前に合理的な衝動統制を身に着けさせることで可能となる。
例えば受動型(積極奇異型も同じだが)ASの子供が好む非言語的なアピールを無視して、あえて本人に言語化させ、言語的に説明させて理解する形を取る。これをもしも親が非言語的に「察して理解する」と、その後は毎回言語的な説明抜きで察することを要求するようになってしまう。
また、本人の要求の一部を冷たく合理的に退けない限り、「愛着の対象である親などは自分の要求を全て受け入れる」と前提して行動するようになる。根拠無く退けると、「意図的にいじめている」「情緒的に虐待している」と情緒的な文脈で受け取るため、そうでは無い合理的な基準を毎回徹底しておく必要があるのだ。
具体的には、例えば受動型AS児が泣いていても、情緒的にフォローする前に、「何故泣いているか」を冷静に尋ね、泣く理由が合理的に妥当すればそれを説明しながらフォローするか、または「泣くようなことでは無い」と合理的に否定する。多数派の人が見れば非常に冷たい対応になる。
これは実は「天然」のADHDの親の場合に実際に見られる対応で、とりもなおさず「ADHDが空気を読めない」ことの結果として出てくる。だから「天然で空気が読めないADHDの親に育てられた受動型ASは結果として社会適応がしやすい大人に成長する」という第二の真実を帰結する。
ところで受動型AS本人にはこの育てられ方は当然情緒的には不満足であり、その意味で一種の(ACに近い)情緒的な障害となることもある。うつ、強迫症状、消化器症状や頭痛などの身体症状となることも多い。
これは発達障害のもっと根本的な真実「不適応と二次障害のいずれかは起こる」ということの一部でもあるが、ADHDや積極奇異型ASのように「社会の多数派」への適応とは異なり、特定の愛着(依存)の対象の個人に対して起こるところが少し違う。
表面的な「世間」の多数派にはむしろストレス少なく適応できるからだ。
ちなみに成人後にも「天然」のADHDをパートナーとすると(AS的に求める依存は出来ないが)社会的には適応して人生を送ることが可能となる。
「天然」のADHDとは依存関係を作ることが出来ず、その結果「長期の共存が可能となる」からである。
先生、初めましてこんにちは。
私はASの息子の日々不可解な言動に悩みこちらのサイトにたどり着きました。
私の主人もASです。気付いたのはまだ半年前です。
主人とは3年前に別居しており、勿論原因は度重なる心無い言動で心身共に疲れ果てた挙句、信頼関係を築けなくなった為です。
ただ、もっと早くにこの障害に気付く事ができなたなら決してこの選択はなかったと悔やまれます。
話は息子の方に戻しますが、息子がASに気付いたのも同じく半年前で、今年高校3年になります。
主な特徴は、反社会的な言動や、差別的な発言、KY(例えば、可愛がっていたペットが死に葬儀場で私や娘が号泣していても鼻歌を歌い楽しそうにテレビの話題など喋り続け、葬儀場の方を驚かせる)、極めて自己中など、挙げればきりがありません。
発達障害センターにも何度も相談に伺いましたが、(本人にはASだとは伝えていない)なかなか改が見られません。
発見するのが遅かったのかと自責の念にもかられます。
私は息子を愛してます。彼は穏やかな性格でもあります。
ただ、このままでは社会生活や恋愛、結婚が難しいと将来を
危惧しています。
日々、理解しがたい社会批判などを私を捕まえて喋りまくっています。(--;)
そのややこしい内容に毎日頭をフル回転させて返事しています。
正直、息子から発せられる内容によっては心で泣いている事も多々あります。
先生のお話は綺麗事ではなく、具体的かつ実践的な内容で私の様な悩める母にはとても理解しやすいです。ASの子供達に真剣に向き合っていられるのが良く伝わります。
ASは100人いると100人違うと聞きました。
因みに、息子のいとこは、お母さんの膝にちょんと座られる、天才大学生男子です。
うちの息子は暴力等は一切無いですが、結構ややこしいタイプです。
お手数ですが、何か良いアドバイスをお待ちしております。
自責の念って、、。
高校三年で気づいたなら、遅くはないんじゃないかな。
はじめまして。
以前より読ませていただいていましたが、
>ちなみに成人後にも「天然」のADHDをパートナーとすると(AS的に求める依存は出来ないが)社会的には適応して人生を送ることが可能となる。
>「天然」のADHDとは依存関係を作ることが出来ず、その結果「長期の共存が可能となる」からである。
の部分を読んで、「なるほど、それで我が家は続いているのね」と深く納得しました。
奥が深いです。。。
(2重投稿になっていたら、すみません。)
はじめまして。
すみません、難しすぎて内容にはついていけないんですが、先生の考えておられる治療で、変化がない、あるいは状態が悪化した患者さんの割合はどれくらいですか?
また、その方々はその後どうされたのでしょうか?
そのような患者さんやその時の治療についてはどのようにお考えですか?
先生の治療にどうしても合わない患者さんもいると思うんですが・・・そういう場合、患者さんとしては落ち込み、なかなか別の医療機関へという意欲も無くしてしまう方もいると思いますが、やる気の無い者は死ねということでしょうか?
私の全くの認識不足、間違いだとは思いますが、こちらのブログを少しだけ拝見して、あの戸塚ヨットスクールの戸塚校長さんのイメージが頭に浮かびました。
落ち込みます。
初めまして、
子供がASと診断されてから、読ませてもらっています。
先生の分類は正直言って、最初は良く分かりませんでした。
しかし途中から、私はACのジャイアンだって納得せざるを得なくなりました。
と、ここまで書いて雀さんのコメントを読みました。
>雀さんへ
はじめまして、このこねこ と言います。私も初めての書き込みです。
私は過集中があるので、このブログ全てに目を通しました。だからと言って、全てを覚えているわけでもなく、納得、理解してるなどとは思いません。
>私の全くの認識不足、間違いだとは思いますが、こちらのブログを少しだけ拝見して、あの戸塚ヨットスクールの戸塚校長さんのイメージが頭に浮かびました。
雀さんは「全くの認識不足、間違いだ」と不備を自覚しながらも、それでも批判の書き込みをされました。この批判を書く為に、どのくらい内省されましたか?
YABARU先生はご自分の本名や職場や個人情報を明かして、自己責任を引き受ける覚悟を持って文章を書いておられます。
ですから批判をするなら、フワッとしたイメージで言い逃れを散りばめてではなく、ちゃんとした根拠をはっきり示すのが、礼儀ではないでしょうか?
雀さんは、どのくらいの割合だと「妥当」とお考えですか?
雀さんは、「治療」をどの様に考え、どこまで要求しますか?
まさか全ての人に効く魔法の薬を求めてはいないでしょう。
「どうしても合わない患者さんもいると思う」と雀さんは想像され、それを根拠に批判するなんて、あまりにも乱暴です。
雀さんがここに認識不足のまま勝手なイメージを書くことが、どれ程の暴力か、想像できますか?
自分の考えを疑ったことはありますか?
AC的に自己評価が低い時は、ストレス無く多数派に合わせれるのかもしれない。
どーでも良いモードになってたら、受け身ってのは本当楽なんですよ。それしか方法がない。(と認知が偏ってる)
誰か私のヤル気スイッチ押してくれないかしら。
しかし、いつか自己ツッコミの波が襲ってくる事は分かってる
その時にオーバーフローしない状態に常日頃環境調整しとく必要があると思うのであります。
自分とは?と、ここのブログ読んだり、日々内省して少しずつパズルのピースを揃えて行けば良いのです
人それぞれ感じ方が違ったりして良いのです
本人が気付いてないなら、身内に居るなら、諭してあげれば良いと思うのであります。
始めまして。
長男(小学6年生)について調べていて、こちらにお邪魔しました
。
小学4年の夏にASと診断されました。
まさか診断名がつくなど考えず、気休め程度で受診したので
はっきり言ってショックもありました。
色々調べ、自分たちなりに理解し接しているつもりですが
彼の非常識と思える言動、何かにつけて人のせいにし攻撃的、
小さい弟妹を服従させようとする威圧的な態度に
毎日苦しみ、悩み、衝突し…どうするべきか分からないでいます。
思春期前に改善しないと、大人になって社会に順応するのが難しくなるとのことですが…
長男の場合、どういう風に対応すべきかが分かりません。
通院中の病院では、診察室で少しやりとりをしコンサータを頂いて帰る程度です。
他にも何か出来る治療?すべき治療はあるのでしょうか?
よろしければ、アドバイス頂けませんでしょうか。
先生は、ギリギリの世界を生きていっらしゃるのだと
思います 戸塚さんもその様に感じます。
命 魂からの叫び 神の子 仏の子供たちです
私も、祈りを持って先生を応援しています
40代 男。
虐待を教育にすり替える悪辣な商売と
自身の全てを曝け出して、ボランティア精神で他者に救いの手を差し伸べる医師とを
同レベルで論じられる倫理観精神構造が全く理解できません。
とジャイアンADHDは考えます。
真理は結果では無いと思っています
姿勢です 望み 希望 祈りだと思っています
人を100パーセント理解できる事は不可能です
あらゆる可能性を 望み続ける事が 生命の使命だと思います。
以前にも何度か書きましたが。
信仰は個人の心の中にある純粋なものであり。
それを宗教というカタチで他者に強制した時点で信仰ではなくなると思います。
YANBARU先生が行っていることは。
個人の心を目覚めさせる、そして自力で再生させる、修復させる作業を支援しているだけであると思います。
それが実は一番難しいことなのですが。
不快を与えたコメント、お詫びします。
初めまして、先生のブログを見つけて夫は依存型ジャイアンそのもの、子供も(18才)ASかADHDかと思います。夫の父親もそっくりだったと聞いています。既に亡くなっているので分かりませんが、話しから察すると自分のやりたい事をやっていた事とおもいます。夫とは離婚を考えていますが、私も長い間夫に 「お前の家は、、自分の家は出が良いから普通とは違う」「生活力がないから、、、」「誰が働いているから食べていけるんだ」とか言われて続けて私もACなのかなかなかハッキリ言う事が出来ずいました。 チャンスがくれば離婚したいと思い期限を切って、書類を用意している所です。家では会話はありません。会話をしても結局夫は自分の考え押し通さなければ終わりません。でも1番困っているのは子供の事です。自分でも幼稚園の頃から他と違う変わっているとは感じていた様です。今は他人には支配されたくないけで、自然と他人を支配したくなってしまう様に私には見えます。自分の作った空想の中でしか生きられない様になってきているのではないかと心配です。精神科へは、中2の時本人の体調、精神面の両方が悪く寝れない時に、夫も機嫌が悪くいきなり暴力を受け、それから乖離と言うのでしょか、起きていても意識が何処かへ飛んで行った様になってしまい、身体を揺すってようやく気付きました。それから精神科に通うようになり1年位して少しは良くなってきているようなので、又暴力を受けない様に外国の学校へいかせました。昨年9月で卒業でき、帰国して一緒に暮らしてみて、一家に2人も強烈なADHDがいてはたまったものではありません。私の子供が通っていた病院で見て頂いています。我慢すると辛いけど、やりたい事をしていれば楽しい事を覚えて帰ってきましたので少しは自分のやりたい事が出来る様にはなっりました。引きこもりなども無くなりましたが、長期的な計画は立て事が出来ないようです。話し続ける、子供の様な行動をするなどがあります。子供には機会と見て病院へいく様に話してみるつもりですが、薬は飲みません。これからどうしたらいいのか分かりませんので、参考資料などがございましたら先生のHPへ掲載して頂ければ幸いでございます。
私の父は、別居しはじめてから車を焼いたぞ~。
駄々をこねるのも半端なかった。
依存型ADHDからの別居は、配偶者や子供にとって命がけだ。
一人で抱えずに、周囲のサポートを得るようにしてください。
伝えたかったことが、ちゃんと相手に伝わるように表現できただろうか?
不必要なイヤミ、必要以上の感情をぶつけなかったか?
言いたかったことが、言葉になっただろうか?
私の思いや感情を、私は本当に把握しただろうか?
私はジャイアンなので、「相手を完膚なきまで叩きのめしたい」という衝動を持っている。
逃げる獲物の逃げ道を塞いで、徐々に追い詰める狩猟のイメージは、ゾクゾクする。
しかしそれは、空想の中だけです。
私は集団で暮らす社会的な動物だから、皆と共に生きる為のお約束は守る。それは身についている、ハズだ。衝動は空想の世界に閉じ込めている。
相手の言い分が間違っている、と私は判断した。だから、私の考え方を述べ、相手に悪意があると判断した理由を伝えた。
しかしその時、私は奥にしまっている筈の破壊衝動を忍ばせなかったか?
相手の悪意と等価の表現だったろうか。
表現すると気持ちが高揚する。
そして数時間後には、同じくらいの高さ分、落ち込む。
でも最近はこう考えてます。
私の心の奥には、狩猟衝動だけではなく、他の人より少ないけれど共存感性ややさしさも持っている、と。
もう少し自分を信じてあげよう、と。
私は、雀さんのコメントに悪意を感じないのですよ。
おそらく、雀さんはASに関する情報を検索していてここにたどり着き、衝撃を受け、反発する気持ちが生じたのでしょう。
ただ、表現が適切でなかった。関連付ける事柄が適切でなかったということだろうと思います。
ADHDにおいては、衝動統制の障害、そして表面的な理解をする。合理的なADHDに移行していくには、合理的な理解と合理的な衝動統制を自分の内に培っていく必要があります。日々訓練ですね。
>み さん、はじめまして。このこねこ です。
>私は、雀さんのコメントに悪意を感じないのですよ。
これは誰に話しかけているのでしょう。
「悪意」を最近使ったのは私なので私宛に書かれた、と解釈しても不合理ではないでしょう。(これは私の解釈なので、間違っていたらご指摘くださいませ。)
み さんは、「悪意」を感じないで、「反発する気持ち」を感じたのですね。
そしておそらく、それが「合理的な理解」と考えているみたいです。(違っていたら指摘ください)
み さんがこの様に理解されていることは、了解しました。
これが「表面的な理解」か「合理的な理解」かは、私の知るところではありません。
なにしろ「合理的理解」は、「唯一無比の正しい理解」ではないからです。
合理的な理解は、複数あります。唯一無比の正しい理解など、この世にありません。
(続きます)
(続きです)
私が「悪意」と書いたのは2通目です。雀さんの返信を読んだからです。
>不快を与えたコメント、お詫びします。
定型者の大人の判断では、この短いお詫び文は正解なのでしょう。
私は専門家ではありませんので、単なる印象ですが、
AsやADHDの方は、自分に対して「?」と問いかけられると、過剰反応や見当違いの反撃であっても、どんな形でも応じる気がします。その真剣さ、素直さ、実直さで何でも反応するから、からかわれるのでは、と感じてます。
雀さんはASかADHDの方かも知れない、自分の「認識不足、間違いだ」と思いながらも書かずにはいられない方かも知れない、と思って最初のコメントは書きました。
ところが雀さんの次のコメントは言い訳することもなく、短文で終了されてます。
このこだわりのなさは、限りなく定型者に近いと私は感じました。(間違っていたら指摘ください)
み さんは「ただ、表現が適切でなかった」ことが問題である、と感じてらっしゃるようですね。
私は表現以前を問題にしてるのです。(表現についてコメントしてません)
反発を感じようが感じまいが、真面目に一生懸命書いている人に対して批判するなら、それなりの根拠を示して礼を尽くすべきではないか、を問題にしたのです。
2度目のコメントで「悪意」を使ったのは、雀さんが自分の「?」を回収することなく、私の言ったことに納得したかどうかも伝えることなく(興味ないから)、気軽な気持ちで人を批判して、その尻拭いをまったくしなかったからです。自分なりの総括ぐらいはすべきではないですか。自分の言葉に対しても無責任です。
過集中は辛いこともありますが、夢中で面白い時もあります。
日々訓練は私にとって、楽しみでもあります。
私の理解が不適切であると感じられたなら、どうかご指摘くださいね。
このこねこさん、こんばんは。誰宛か書いていませんでしたね。失礼しました。
まず、雀さんは先生の記事に対して、先生に向けてコメントされました。ですから、ここを読むADHD、AS当事者に「?」と問いかけているわけではありません。
そして、先生は専門家であり治療者ですから、患者さんからのこのような投げかけはよく理解されていることと思います。
私が悪意ではないと判断した理由は、「やる気の無い者は死ねということでしょうか?」「落ち込みます」という言葉です。このような言葉は、からかいや気軽な気持ちで人を批判するのとは違って、衝撃を受けた結果として表現されるものではないでしょうか。
その感情のまま、発言すべきでない、さらによく理解していないことを発してしまった。これに対し、それはないだろうと思った方が指摘をしました。詫びるよりほかなかったのだと推測します。
さて、先生は、ADHDに対しても厳しい意見をされています。よく読めば何を意図しているかがわかります。私も首突っ込んで混乱させたことがありますから、その反省として合理的に衝動統制することに努めています。
み さん、こんにちは。そうですか、誰宛でもなかった、のですね。
>私は、・・・感じないのですよ。
[よ]とあったので、[終助]文末の種々の語に付く。 1 判断・主張・感情などを強めて相手に知らせたり、言い聞かせたりする意を表す(goo辞書) の用法かと思いました。
ちなみに、最後の文にも、[ね]とありました。これも[終助]文末の種々の語に付く。 1 軽い感動・詠嘆の意を表す。「いい眺めです―」「よくしゃべる人だわ―」 2 相手の同意・返答などを期待する意を表す。(goo辞書)の2の用法かと思い、先生にこんな砕けた言い方はしないだろうから、てっきり私に宛てたと勘違いしました。
誰宛でもなく、終助詞を使って自分に向けて書く人もいるんですね。初めて知りました。
> まず、雀さんは先生の記事に対して、先生に向けてコメントされました。ですから、ここを読むADHD、AS当事者に「?」と問いかけているわけではありません。
「?」と問いかけられている、と私が勘違いしていると思ってらっしゃるのですね。
残念です。その様には考えてないし書いてないつもりです。
次回からはそんな勘違いをされないように書くようにしましょう。
(続きます)
(続きです)
み さんの悪意ではないと判断した理由は、成る程と思いました。目から鱗です。私にはない発想でした。
「やる気の無い者は死ねということでしょうか?」「落ち込みます」という言葉は、私にも衝撃でした。
私が落ち込んだ場合は、傷ついた心を守るために布団に篭るか絶対に傷つけない人、慰めてくれる人に泣きついて弱った心を癒します。間違っても傷つくかもしれない場所へは行きません。心が痛い時は私は動けません。
落ち込んだ心のままで、反発したい人に反発をする力は持てるのでしょうか?
だから「やる気の無い者は死ねということでしょうか?」「落ち込みます」という言葉を、私は脅しの言葉と受け取ったのです。人に衝撃的な言葉を投げて、ショックで黙らせる方法じゃないかと。
しかし、み さんの推測は、すんなり理解できる。
この通りならば、私は雀さんにお詫びしなければならない。
雀さん、御免なさい。 もし良かったら少しお話しませんか?
私は深読みしすぎるのでしょうか? 思い込みが激しすぎるのでしょうか?
人は素直に感じたままを表現するものなのでしょうか?
私が思うほど、そんなに計算してないのでしょか?
私は若い頃、素直に表現して随分傷つきました。「何言ってるか分からない」とよく言われました。だから私は自分の気持ちを出来るだけ言語化すること、人の気になる表現は十分検討し慎重に対応することで防衛してます。(日常会話は切り捨てる)
この防御が暴走して、在らぬものを読み取ってしまったのでしょうか?
み さんは衝動統制に努めていらっしゃるので、返信されなくても大丈夫ですよ。
どうぞ御自分のことを行ってくださいませ。
この件を題材にして「認識」について、どなたか話しませんか?
誰もいらっしゃらなければ、自分でもう少し考えて見ます。
み さん、たびたび失礼します。勘違いに気が付きました。
>誰宛か書いていませんでしたね。
これを、誰宛かで書いていませんでしたね。と、私宛でないと読んでました。
失礼しました。
どうしてこんな勘違いをしたのか、考えてみました。
すると、>まず、・・・ も私宛に書かれたものでなく、雀さんの最初のコメントの単なる み さんの解釈を述べたに過ぎないのに気が付きました。
要するに み さんは、み さんのコメントに応じて書いた私のコメントに対して、何の応答もせず、雀さんのコメントを読んだ時の推測を述べただけなんですね。
これは会話ではありません。ここに交流はありません。
み さんが会話を望まれないなら、もう話しかけません。
み さんが会話をご所望なら、私の言葉の感想を言うか会話によって変化した気持ちを書いて下さい。
私は反応しない人に話しかける気はありません。
私はそこに失意を読みとるだけで、悪意はもちろん反発も批判も感じられませんでした。
雀さんは迷路の中にいて、ただひたすら出口を探し求めているだけではないでしょうか。
先生に確認するまでもなく、ここは禁猟区だと思いますよ。
WFTさん、初めまして、こんにちは。
私のコメントに答えてくださって、有難うございます。
そうですか、「失意を読みとるだけで、悪意はもちろん反発も批判もかんじられませんでした」ですか。
「失意」とは、Sさんがこのブログに失意した、と言うことでしょうか。
失意を書くことで何を求めたのか、と考えますか?迷路の中なので目的などない、のでしょうか。その様な推測のあるのですね。
ところでWFTさんは、み さんや私の推測を読まれて、どう感じました?
読んだ後に自分の推測に対して修正はありましたでしょうか?
「禁猟区」と書かれたのは、私が特定の方を狩猟する、と危惧されてるのでしょう。
う~ん、そうなっちゃうのかなぁ。
私は、私の言葉、認識の変更・進化を探しているつもりなんですが。
私がしたいと思っていることは、次のコメントで書きます。
大人として収束させたい気持ちは、良く分かります。「空気を読めよ」と言うことでしょう。でもここでなら明文化を許されるかな、と安易に考えてます。
私がしたいと思っているのは、先生が示された「理解」の意味(8月14日) についての考察です。
「自分だけの中での説明」が「他者との間で論理的に相互理解が可能であった」ということは、「論理的な説明の妥当性が個人を超えて広がる」ことを意味し、これは結果として多数派の「空気」に代わる社会的普遍的な(当面は一対一の関係にとどまることが多いが)説明として機能することになる。
と先生は書かれています。
私は、私達に「論理的に相互理解が可能」であるか、を具体的な事例で実験したいのです。
8月14日のコメントに、似たような事例があります。その事例も含めて、人のコメントをどう読むか、どんな読み方があるか、違う推測をどう思うか、どんな繋がり方ができるか、を試してみたい。
私は決して、特定の誰かを批判や否定したいのではありません。
私のコメントも含めて、何人かのコメントを俎上に挙げることになりますが、それは個人の人格を否定するものではありません。
そして、正誤をつけたいのではありません。
また、認識を統一したいのではありません。
バラバラの認識のままで「論理的に相互理解が可能」になりたいのです。
先生、ご迷惑ですが、この実験を止めたほうがよいなら、削除ください。
これから話すことは、一部の方には刺激的な話になるかもしれませんので、ご注意ください。対人関係でトラブルを抱えてる方には、あらかじめ御免なさい、と言います。
以下は、私の推測です。これをたたき台にして検討しますので不備なところや間違っているところは忌憚なくご指摘ください。
8月17日のSさんの「後日に教える」と言う言葉に反応されて、Mさんが「『後日に教える』とは何事かと」と指摘された。Sさんは指摘されたことに大変傷つき、削除を要求された。
Mさんは「教える」と言う言葉の意味を説明し、適切でないと考えた経過を説明した。そしてSさんは謝罪した。Mさんは「日程、よろしくお願いします」と暗に聞きたい由を伝えた。Sさんは応答されなかった。
Sさんのどの文章も短く、電報のようで、人に分かるように書くことに慣れてないみたいだ。(Sさん御免なさい。馬鹿にしてるのではないのです。私達は知能はあっても何かしら苦手なところがあるのです。ちなみに私は、電話でのメモが苦手です。例えば「26日、田中さんと・・」が、「2じゅう六 ひ 棚かさん」としか書けないのです。酷い時は、3を棒「|||」と書いたこともある。電話が終わったら清書してます。)
だから「伝える」と書くところを「教える」と書いてしまったとしても、おかしくは無いと私は思った。激高されて思いが溢れているのに、伝わるよう書いてないのでも、そう思った。
そんなSさんに「教える」という言葉の一般的な使い方を述べるのは、場に合っていない。
謝罪があった後に手のひら返すように優しくなるってのは、まるで教師の生徒指導のやり方を思い出しました。(その後のMさんとRさんとの丁々発止は纏まりがなくなりますので、言及しません。お二人とも凄いなぁ、と感じてます。)
さて今回のSUさんと私のバトル(?)はどうでしょう。
私は何処で会話に失敗したのか。 居丈高だったのか。
論理的に相互理解するには、何が足りなかったのだろう。
一方が謝ったら終わり、なんて何も変わらない。
私達の誤認知を修正する作業を一緒にするには、何が必要だろう。
どの様に他者と繋がれるのだろう。
(4,5日 留守します)
このこねこさんの指摘はすごいです。全然きづきませんでした。
あれ?み さんはキャラ変わったのか?って思いました。
み さんは「謝罪があった後に手のひら返すように優しく」なったのですねっ!!!
このこねこさんに攻撃者を押しつけて自分は美味しい立場を確保した。
誰かがかわりに攻撃しなければ、み さんが自分で攻撃したのでは?
きっとジャイアンに対する理解に関することだろうなと思います。
ジャイアンは上下関係に直感的に反応します。Skyさんはここを読んでいる人々に向けて「教える」と書かれました。ここのコメントを読んでいる人々に上下関係があるのではないだろう、失礼ではないかと思いコメントしました。Skyさんの伝えたい内容は理解したうえで、「教える」という上からの発言に対して指摘させていただきました。ですから、Skyさんの伝えたい内容自体には肯定していたので、上からではなく同じ立場で伝達という形でもう一度お願いしますということだったのです。つまり、Skyさんのコメント全体を批判してはいないということです。ここを読んでいる方々の中に、この件の日程を知りたい人がいるだろうと考えました。私が日程を聞きたかったのではありません。ここで注意しておきたいのが、1対1の関係で捉えてはないということです。私は人を近くに感じません。
今回の雀さんの場合は、先生に向けて発しています。先生自身がコメントを承認し掲載しています。雀さんとここを読んでいる方々の上下関係を示す言葉はありません。ですから、Skyさんの時のように反応しませんでした。ただ、戸塚校長と関連付けてしまったのはちょっとと思いました。Paul Carpenterさんのコメントを読むと、ジャイアンが何に対してどのように指摘するかがわかります。
実は、私がこの「受動型ASの真実」のコメントを読んだのはPaul Carpenterさんが書き込みをした辺りです。攻撃者をこのこねこさんに押し付けたわけでもなく、おいしい立場を確保したわけでもありません。雀さんがコメントされた翌日に、このこねこさんがコメントされたのが事実です。そして、このこねこさんが分析していらっしゃる通り、私は雀さんのコメントに対して自分なりの解釈をしたまでです。
ここは狩猟する場でなく、発達障害に対し理解を深め、適応していくための姿勢なりを身に着けていくためにあります。ASの方とジャイアンとは受け取り方が異なります。
しゃぼんさん、はじめまして。
コメントを有難うございます。嬉しいです。
私はそのように感じました。正しいかどうかは分かりません。
み さんへのレスに、もう少し詳しく書きますので、読んでください。
最後の2行ですが、しゃぼんさんは、み さんが「美味しい立場を確保した」と思われているのですね。そして、それは虫が良すぎる、と。
その発想では、み さんは私の発言で自分の立居地を変えたことになります。
私は、み さんが状況が変わっても、考えを変えないことを指摘してます。
それから、私は「攻撃者」ではなく、批判した、抗議した、と自分では思っています。
もし私が攻撃者になってたら、指摘ください。改善します。
み さん、こんにちは。
「Skyさんの伝えたい内容は理解したうえで 」
「Skyさんの伝えたい内容自体には肯定していたので 」
「つまり、Skyさんのコメント全体を批判してはいない」 と、短い文章の中に同じ事が3度書かれてます。でも私は最初から、それ知ってますよ。それに気がつかなかったのは、Skyさんだと思います。
み さんが「教える」が気になって指摘されることは、ありうる話です。(私はそれを批判してません)しかしSkyさんが誤解して、削除を要求されるほど激高された時には、「教える」言葉の意味を説くのではなく、今回のように「コメント全体を批判してはいない」ことを書いたほうが良かったのでは、と思います。
み さんが「1対1の関係で捉えてはない」と考えていても、み さんがSkyさん個人に発信したのだから、ちゃんと対応する責任があっただろう、と思います。
「私は人を近くに感じません」を言い訳のように使うのは、感心しません。
(私も人を近くに感じてません。だからこんなに膨大な言葉を尽くしているのです。言葉で確認しなければ、気がすまないのです。)
Skyさんや私に最初にコミットしたのは、み さんです。み さんも「近くに感じ」ないからこそ、声をかけたのではないですか? 自分が思っているのと違う反応が返ってきたからといって、投げ出してはいけません。
(続きます)
(続きです)
「ジャイアンは上下関係に直感的に反応します」
だから、み さんは、「教える」と言う言葉に、「失礼ではないかと思いコメント」した。
「ジャイアンは上下関係に直感的に反応します」
だから私は、Skyさんの事情を考慮に入れることなく、額面どおりに「教える」の言葉の意味を「教え」、謝罪を受けて「私が日程を聞きたかったのではありません」が、フォローのために「聞いてあげた」その構造に、反応したのです。
「まるで教師の生徒指導のやり方」と書いたのは、構造的上下関係を無意識でしょうが み さんは使ってることをお知らせしたのです。
み さんは、かつてRさんについて詳しく分析なさっていました。ほかの方とも、交流のある文章を書いてらっしゃいます。
どうして私には、自分の持論を繰り返すだけなのでしょう?
私に対して、批判も賛同も反応ありません。残念です。
愛情の反対は無関心(マザーテレサ) を思い出します。
(持論を展開するのは、次回にします)
このこねこさん、こんばんは。
貴方のコメントを読みました。たしかに、「コメント全体を批判してはいない」ことを書いたほうが良かったのでしょうね。そして、「まるで教師の生徒指導のやり方」と受け取られたのもなるほどなと思いました。
さて、私はこの件に関し、これ以上コメントしません。貴方は「投げ出してはいけない」とおっしゃられていますが、おそらく今後も私を非難するでしょう。通常、人間関係でここまで非難されると閉口します。人は返答しない自由を持っています。
み さん、了解しました。
やっと人間味のある文章を書いて頂きました。
やはり「非難された」と受け取っておられたのですね。
だったらどうして反論してくれなかったのでしょう。多分あの硬直した文章そのものが、私に対する異議申し立てだったのでしょう。(でも私は言葉でなくては納得出来ない)
み さんが、上下関係の言葉と指摘されたのと同じように、
み さんに、私は上下関係の構造を指摘したと考えたのですが、違ったのでしょう。
願わくば、もしかして読んでくれているかもしれないSkyさんへ、何か一言を書いていただけると、嬉しかったです。
「北風と太陽」という寓話を思い出します。強要という北風が吹き荒れています。感想や反論を求めても、それが強要と感じる人からはコメントを得ることはできないでしょう。
このこねこさんが「論理的な相互理解」を試みているとすれば、手法を間違えていると思います。
言葉を紡ぎそれを投げ合うことで相互理解を試みることは正しいことです。
しかし、人を殴ったあとで、話し合いを申し出て相互理解を説いても叶わぬことではありませんか。誰もが美文を書けるわけではなく、考えを思うように文章にすることができない人は少なくありません。出口の見えぬ迷路にいて救いを求める心情を吐露する時、人は適切な言葉を選択する余裕があるでしょうか。
雀さんは空高く逃れ、このこねこさんが希求する相互理解の機会は失われてしまったのです。「論理的な相互理解」を錦の御旗にしていらっしやいますが、衣の下には鎧が透けて見えているように感じます。
統制の利かない自分がいます。
落ち込みます。
「衣の下には鎧が透けて見えているように感じます」
私が一番恐れていることです。
私は、鎧を着ているのか?(自分に問いかけてます)
幼い頃ヒステリーと言われるほど、スイッチが入ると泣き喚いていた。ある日泣き喚いてる私に、母は「何に怒っているのか、言わなきゃ分かんない。言ってごらん」と詰め寄った。泣きじゃくりながらも一音一音、何かを言おうとした。母も真剣に聞こうとしてくれ、私も一生懸命話そうとした。それを何度か繰り返して、私は理解した。私が言わなければ、私の気持ちは誰にも伝わらない。何に辛いのか、何に怒っているのか人は分からない。分からなければ、人はまた同じことを私にするだろう。私が快適でいるには、理由を言って納得してもらうしかない。
また話すことで、私の怒りが思い込みだったのが分かり、考えが変わったりした。
「何言ってるか分からない」とか「おかしい」とか言われても、赤面してどもっても、話すことを諦めない。だって世界に一人ぼっちじゃ生きていけないもの。人の言ってることを理解し、私の考えを理解してもらえるような形で表現するしかない。
私は色々練習をして、現在はこんな文体になっている。そして今回一つの方法を試している。妥協しないで最後まで考えを書きつくしてみる。
この時注意しなければならないのは、相手を誹謗中傷することにならないか、だ。
私は何度も自分に問いかけ、注意を払ってこれらの文を書いた。
私は「鎧」を着ていない、「人を殴っ」ていない、と思っている。
少なくともそれらを目的にしてないことは、伝わっているだろう。
タイトル ADHDと他者(2011.7.3)の中に、先生のこんな言葉があります。
<ADHD流の人との関わり方は、「お互いに自分の考えを述べ合って、かなり議論をして、その後『理解しあった』という実感を得る」という内容だ。 >
お互いに自分の考えを述べ合って、大変ですね。
次回こそ、今回の私なりの総括を書く予定です。
WFTさん、感想や反論を求められたくないようですので、私も感想や反論は書きません。
残念ですが、仕方ありません。
このこねこさんが相互理解を求めているのはわかりますが、実際のところ、このこねこさんは相手の文章をきちんと読み取れていないように感じます。相手がどのような考えで発言しているのかを、確認しないで決めつけてしまうことがあるように感じます。
合理的に相互理解を求めるなら、自分が言いたいことを言うだけでなく、相手の真意を理解することが必要だと思います。「あなたが言いたいことは、こういうことですか?」という姿勢がないと、対話にならないと思います。
WFTさんの「感想や反論を求めても、それが強要と感じる人からはコメントを得ることはできないでしょう。」という文章は、このこねこさんはどのような意味に受け取られたのでしょうか。私には、「(例えばこのコメント欄のこのこねこさんのようなやり方で)感想や反論を求めても、それが強要と感じる人(み さんに限らず、そう感じる多くの人)からはコメントを得ることはできないでしょう。」という意味だと思うのですが、どうでしょうか。
ぴのさん、はじめまして。
仰るとおり、文章的には「(例えばこのコメント欄のこのこねこさんのようなやり方で)感想や反論を求めても、それが強要と感じる人(み さんに限らず、そう感じる多くの人)からはコメントを得ることはできないでしょう。」という意味だと、私も思います。
しかし、WFTさんは最初に雀さんの文章に対しての感想を書かれました。それで私は、WFTさんの考えを知るために2つほど質問をしました。そして今回のコメントが載せられました。私の質問の答えはありません。
この流れから考えると、WFTさんは私の質問は強要と感じる人であることが分かります。
しかも私のコメントで「落ち込みます」とのとこです。そんな方に「感想や反論」を書いたところで、恐怖を与えるだけでしょう。
ですからWFTさん宛てに書かないことをしました。
この理解と判断は、間違っているでしょうか。ぴのさんは、どうでしょうか。
「感想や反論を求めても・・・・」の文の暗喩は、このやり方を止めたほうが良い、でしょう。
でもそれは他のところで何度か書いてます。
ぴのさんが、「実際のところ、このこねこさんは相手の文章をきちんと読み取れていないように感じます 」と感じていることは、分かりました。
実際に指摘下さるのを楽しみに待ってます。
このこねこさん
このこねこさんがWFTさんのコメントからどのように内容を汲み取ったかはわかりました
しかし、
>WFTさんは最初に雀さんの文章に対しての感想を書かれました。それで私は、WFTさんの考えを知るために2つほど質問をしました。そして今回のコメントが載せられました。私の質問の答えはありません。この流れから考えると、WFTさんは私の質問は強要と感じる人であることが分かります。
という部分には同意しかねます。
もしかしたらこのこねこさんの言う通りかもしれないけれども、WFTさんが訴えていることは他にあるんじゃないかと、私には感じられました。だから私なら、「WFTさんは私の質問は強要と感じる人であることが分かります。」とは断言しません。
このこねこさんの「あなたの言いたいことはこういうことですね」と決めつけるような言葉の使い方と、その仮定が正しいものとして更に持論を展開していき、結果的に相手に(威圧と言ったら大袈裟ですが)精神的な圧力をかけてしまっていることが、「殴っ」ているように感じられてしまう原因なのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
ぴのさん
ぴのさんが同意しかねます、と言われた私の3行文には、3つの要素があります。
1.WFTさんは最初に雀さんの文章に対しての感想を書かれました。それで私は、WFTさんの考えを知るために2つほど質問をしました。そして今回のコメントが載せられました。という私が考える事実 2.私の質問の答えはありません。の私の感想 3.この流れから考えると、WFTさんは私の質問は強要と感じる人であることが分かります。という私の判断 に分かれると思います。
「同意しかねます」では、1~3まで全てに同意しないことになります。
ぴのさんは、「実際のところ、このこねこさんは相手の文章をきちんと読み取れていないように感じます 」ことを証明されるために言葉を紡いでいらっしゃるのですよね。
私が理屈っぽいことは文章を読んで、ご存知と思います。ですから、ぴのさんのこの書き方は、乱暴に感じ少し強引に感じます。私に分かるよう、もう少し丁寧に話を進めても良いじゃないでしょうか。例えば、2.はどう思われますか。回答はあったのでしょうか。
ぴのさんの文章を読んで、成る程、断定までする必然はなかった、と反省しました。
「私が直接声をかけると、強要と感じる方のように、私は思った」というもっと優しい文章が書ける様に努力します。私は理詰めな所があるので、特に気をつける様にします。指摘有難うございます。
(続きます)
(続きです)
「このこねこさんの「あなたの言いたいことはこういうことですね」と決めつけるような言葉の使い方と、その仮定が正しいものとして更に持論を展開していき、結果的に相手に(威圧と言ったら大袈裟ですが)精神的な圧力をかけてしまっていることが、「殴っ」ているように感じられてしまう原因なのではないかと思いますが、いかがでしょうか」
ここで、ぴのさんと私の感じ方の違いが分かりました。
私が書く「『あなたの言いたいことはこういうことですね』」が「決めつけるような言葉の使い方 」にぴのさんは感じるのですね。
「こういうことですね」は確認です。決めつける言い方ではありません。違っていたら「違います」と言えば良いのではないでしょうか。以降の展開は、「根本が間違いだから成立しない」と言えば良い話だと思います。
私が「『あなたの言いたいことはこういうことですね』と決めつけるような言葉の使い方」をしたと感じた、具体的な事例を書いて頂きたいです。
「人を殴ったあとで」と確認も説明もないままに話を展開するほうが乱暴に私は感じます。
「・・・ですよね」と確認することは、私にとって相手に対しての思いやりなんです。
思いやりのつもりが、精神的な圧力になっているのでしょうか。
ぴのさんは、私に「『あなたが言いたいことは、こういうことですか?』という姿勢 がない」と言われてますよね。
そして今回、私が「『あなたの言いたいことはこういうことですね』と決めつけるような言葉の使い方」をしてると、批判されてます。
この違いを、もう少し丁寧に説明して頂けると有り難いです。
このこねこさん
このこねこさんには誤解や誤認知があるようです。また、推測ではなく憶測で断定されている部分もあるようなので修正させていただきます。
私は、他の方に「感想や反論」を求める求め方(言い回しや表現)に強要を感じたのです。文章的にだけではなく私の真意もそのままです。
「禁猟区」「殴った」「鎧」は私の爪です。辛辣な言葉や表現を削ぎ落としましたが、爪を残さずにはいられない自分自身に落ち込むのです。衝動統制が利かぬ自分を恥じているのです。このこねこさん、私の乱暴な表現をどうかお許しください。
このこねこさんと同じように、狩猟本能や闘争本能が人一倍強い私はその衝動を抑えなければなりません。だからなのでしようが、恐怖などほとんど感じないのです。
私はもう井戸には戻りたくないから、「論理的な相互理解」という試みを決して断念してはならないと思っています。その思いは、このこねこさんと同じだと思います。ただ、このこねこさんの手法(方法論)は間違っていると感じます。
私はシジフォスではない。いつの日か岩を山頂に押し上げられる。苦悩の果てに先生のブログにたどり着いた皆さんと、この私の想いは同じだと思います。そしてこのこねこさんにとっても。
私は、果てることのない徒労であれ苦行であれ、いつの日かを信じて何度でも岩を押し上げなければならない。
みんなっ!
雀さんを見習うんだっ!!!
「不快を与えたコメント、お詫びします」
WFTさん
私の言葉が、WFTさんの衝動感情を揺さぶったのですね。
辛い思いをさせてしまって、御免なさい。
WFTさんと私は違う人間です。どうか、そんなに感情移入されないで下さい。
よく分かりました。私の言葉に狩猟衝動を嗅ぎ取れるのですね。
自分は冷静に批判を展開している、と思っていました。
しかし根底にある「怒り」が、どうしても顔を出していたのですね。
それをWFTさんは嗅ぎ取られたのでしょう。
失礼しました。
私が何に怒ったのか、それを素直の書きたいと思います。
次回それを書くことを、WFTさん、どうかお許しください。
このこねこさん
まず私に対するコメントの1通目にお返事します
私が言いたかったのは、「1と2の事実を踏まえた上で、WFTさんのコメントから、3という結論を導くというこのこねこさんの判断に同意しかねる」ということです。1と2は否定しようがないので、私も事実として受け止めています。私がなぜ上の文章を引用したかというと、「その流れから3の結論を導き出すことに同意しかねる」からです。どこまで引用するかは、正直悩みました(もっと後の文まで引用したほうがいいのか、とも考えました)が、このこねこさんの(ご本人もおっしゃっている)「理屈っぽさ」を考え、私が言いたかったのは、「流れから推測された結論」であったのと、長くなりすぎると更に誤解を招く恐れがあると思ったのであの範囲にしました。
お分かりいただけたでしょうか。
私がこのこねこさんに投げかけている一つ目の意見は、「(このこねこさんなりに)流れから推測した結論」に思い込みや誤解があるのではないか、ということです。私には、このこねこさんのコメントの中にそのように感じられる箇所がいくつかありました。
2通目のお返事は、次に書きます。
このこねこさん
私に対する2つ目の質問にお答えしようと思います。
>「こういうことですね」は確認です。決めつける言い方ではありません。違っていたら「違います」と言えば良いのではないでしょうか。以降の展開は、「根本が間違いだから成立しない」と言えば良い話だと思います。
は、確かにそのとおりかもしれません。日常会話なら、「こういうことですね」といわれた時点で、「違う」といえばいいのでしょう・・・が、少なくともこのコメント欄では、このタイミングで反論できる余地がなく、捕らえようによってはこのこねこさんが、反論する余地を与えていないようにも感じます。
もう一度、私の書いた文を引用します。
>このこねこさんの「あなたの言いたいことはこういうことですね」と決めつけるような言葉の使い方と、その仮定が正しいものとして更に持論を展開していき、結果的に相手に(威圧と言ったら大袈裟ですが)精神的な圧力をかけてしまっている
私が指摘しているのは、この流れです。(更に加えていうならば、このこねこさんにはそのつもりがないのだと思いますが、このこねこさんの言葉のチョイスによっては、相手に「攻撃された」と感じさせてしまう、ということです)
私が指摘しているのは、あくまでもこのこねこさんの「相互理解のための『やり方』」です。相手に『威圧感』や『攻撃』を感じさせてしまうやりかたでは、なかなか相互理解は進まないのではないか、と思うのです。
それから、私はこのこねこさんに『「あなたが言いたいことは、こういうことですか?」という姿勢がない』と言っているのではないのです。文章は続いています。
>合理的に相互理解を求めるなら、自分が言いたいことを言うだけでなく、相手の真意を理解することが必要だと思います。「あなたが言いたいことは、こういうことですか?」という姿勢がないと、対話にならないと思います。
言い換えるなら、
相互理解を目的とした対話をするには、
「あなたが言いたいことはこういうことですか」と、相手の真意を理解しながら、
自分の意見をわかりやすく伝える努力が必要
ということです。
どちらが欠けても難しい、ということが言いたかったのです。
わかりにくかったでしょうか?
ぴのさん
「同意しかねる」は、とても強い言い方です。
ですから私は、3だけの引用で良いのでは、と書いたのです。
>「同意しかねます」では、1~3まで全てに同意しないことになります。
とは、そういう意味です。違う受け取り方が出来ますか?
なのにぴのさんは、「長くなりすぎると更に・・・」と長くしなかった説明をなさっています。
それで「お分かりいただけたでしょうか」では、残念ですが、分かりかねます、としか言いようがありません。
まぁこれは、些細なことです。
2通目を楽しみにしています。
ぴのさん
>日常会話なら、「こういうことですね」といわれた時点で、「違う」といえばいいのでしょう・・・が、少なくともこのコメント欄では、このタイミングで反論できる余地がなく、捕らえようによってはこのこねこさんが、反論する余地を与えていないようにも感じます。
私は反対に感じます。日常会話なら、「こういうことですね」と一回ごとに区切って確認しながら、会話を小刻みに応答しあって、修正することが出来ます。
しかしこの様なコメント欄では、一回ごとに確認すると、レスポンスに時間が掛かり主題が分かりにくくなると考えます。ですからある程度、まとまった流れのものを書いたほうが良いと、考えます。
しかも文章だと、何度も読み返せますから、反論する余地を十分考えることができます。
いかがでしょうか。
わかりにくかったでしょうか?
ぴのさんの方法に合わせますので、以下の文の不思議な点は、今回のお答えの後にお聞きしましょう。
ぴのさん
先ほどは、ぴのさんの考えの主張が前半と後半に分かれていると考えました。が、どうも一連のような感じがしましたので、続けて書くことにします。変更しましたことをお詫びします。
>私はこのこねこさんに『「あなたが言いたいことは、こういうことですか?」という姿勢がない』と言っているのではないのです。文章は続いています。
>>合理的に相互理解を求めるなら、自分が言いたいことを言うだけでなく、相手の真意を理解することが必要だと思います。「あなたが言いたいことは、こういうことですか?」という姿勢がないと、対話にならないと思います。 ・・・
>どちらが欠けても難しい、ということが言いたかったのです。
しかし、5/12のコメントを読んで下さい。「合理的に・・・」の前の文は、「このこねこさんが相互理解を求めているのはわかりますが、実際のところ、このこねこさんは相手の文章をきちんと読み取れていないように感じます。相手がどのような考えで発言しているのかを、確認しないで決めつけてしまうことがあるように感じます。 」です。
私は「読み取れてない」「確認しないで決めつけてしまう」と、ぴのさんは書いてらっしゃった後に、「どちらが欠けても難しい」と 一般論を書くものですか?(確認です。違っていたら、違うと書いて、以降は読まないで下さい)
私には、私には「・・姿勢がない」とぴのさんが書いてる、と認識してます。どうでしょう?
分かりにくいなら、もう一度5/12のご自分の文章を読んで下さいませ。
如何でしょう?
このこねこさん
このこねこさんの試みに乗る形で、「どうしたら相互理解を得られるか」と私自身も真剣に言葉を選び向き合っているつもりですが、このこねこさんとわかりあうのは非常に難しいと感じています。
2012.05.13 11:14の私のコメントに対して、このこねこさんは指摘をされました。それに対する答えが2012.05.15 09:44のコメントです。3の引用だけにしなかった理由をそこに書きました。もし、「同意しかねる」という言葉ではなく、違う表現でなら理解できるとおっしゃるのであれば、言い換えます。1と2の要素(更にはあとの文章に含まれる要素)から、3の結論を導き出すのは多少強引だと思うのです。
その点について、「思い込みや誤解があるのではないか」と思ったのです。
私が引用した例とその説明がわかりにくかったでしょうか。
>しかしこの様なコメント欄では、一回ごとに確認すると、レスポンスに時間が掛かり主題が分かりにくくなると考えます。ですからある程度、まとまった流れのものを書いたほうが良いと、考えます。
しかも文章だと、何度も読み返せますから、反論する余地を十分考えることができます。
というこのこねこさんの考えは、わかりました。
このこねこさんは、反論する余地を与えている。
でも、文章を読んだ私には「反論する余地を与えていないように感じる」。
どうして私がそう感じるのかを、説明してきたつもりなのですが、「個人の感じ方の違い、考え方の違い」といわれてしまえばそれまでで、ここがこの議論の行き止まりなのかな、とも思います。
言いたいことがうまく伝わっていないようなので、このこねこさんに更なる誤解を与えてしまっているような気がしています。このあたりが私の限界なのでしょうか。コメント欄が延びていく中、この対話を続けていいものかどうか、考えてしまいます。
このこねこさんが私に求めているものは何でしょうか。
このこねこさんがWFTさんに宛てたコメントの中で、
>私が何に怒ったのか、それを素直の書きたいと思います。
とありましたが、私はそのお話を聞いてみたいです。
ぴのさん
>このこねこさんが私に求めているものは何でしょうか。
この言葉には、本当にびっくりです。
ぴのさんが私に指摘したい、というのでお付き合いしていたのではないですか。
指摘する内容を説明するための具体的な話が余りにも説得力がないので、それを書いていただけです。(理解していただいてないようですが)
私はぴのさんに何も求めていません。
>でも、文章を読んだ私には「反論する余地を与えていないように感じる」。
と、私の考えに反論なさっている。
これって自己矛盾ですよ。気が付かないですか?
>「個人の感じ方の違い、考え方の違い」といわれてしまえばそれまでで
これも乱暴な言い方ですね。まるで私がそう言ったように勘違いされてしまいます。
私はそんな事言ってません。
カギカッコにする必要が分かりかねます。
ぴのさんは真面目で親切で良い方のように私も感じます。
でも結論は既にあって、私の言うことを理解する気がないように感じます。
私もこれ以上の会話は、無意味だと感じます。
>私が何に怒ったのか、それを素直の書きたいと思います。
ぴのさんに誤認知されないように書くにはどうすれば良いか、少し頭を抱えてます。
このこねこさん
私の指摘の内容が、ご理解いただけないようですね。この点に関しては仕方がないと思います。私はこのこねこさんを説得したいのではないのです。感じることがあって、そのことについて発言しました。
私はお互いの考えを知るために質問し、説明しを繰り返していると思っていましたが、このこねこさんの2012.05.15 15:41のコメントまでを読んだ時点で、このこねこさんが私の説明を受け取るつもりがないのだということを感じたのです。私は「相互理解」を得るための努力をしていると思っていました。お互いに。でも、このこねこさんの誤解を解くために説明した内容を受け止めていただけず、元の文の表現にこだわるこのこねこさんの姿勢からは、「相互理解」より日本語の表現の正誤を重視しているのだと私には感じられました。だから途方にくれたのです。私は日本語の達人ではありませんし、万人に誤解されない説明をすることはできません。だからこそ、言い換えたり訂正したりしながら真意を伝えようと努力します。すくなくとも、私はそうです。それでも理解しようという気持ちがない人が相手だとしたら、むずかしいことです。(このこねこさんからしてみたら、お互い様ですね。)
さて、それでもめげずにこのこねこさんのご指摘に答えてみようと思います。
>私は「読み取れてない」「確認しないで決めつけてしまう」と、ぴのさんは書いてらっしゃった後に、「どちらが欠けても難しい」と 一般論を書くものですか?
一般論かどうかはさておき、私は実際にそう思っているので書きました。
>>でも、文章を読んだ私には「反論する余地を与えていないように感じる」。
>と、私の考えに反論なさっている。
これって自己矛盾ですよ。気が付かないですか?
このこねこさんにはなかなか理解していただけないようですが、このこねこさんの文章のつづり方から、私が 感じた ことです。
文章から感じられる「雰囲気」というか「におい」というか・・・このこねこさんはご自分でも
>不必要なイヤミ、必要以上の感情をぶつけなかったか?
と、ご自分自身を振り返るということを以前におっしゃっていました。
文章に書き手の感情が乗るのは当然のことです。読む側は言葉だけでなくその感情も読み取ってしまいます。
>>「個人の感じ方の違い、考え方の違い」といわれてしまえばそれまでで
>これも乱暴な言い方ですね。まるで私がそう言ったように勘違いされてしまいます。
私はそんな事言ってません。
カギカッコにする必要が分かりかねます。
このこねこさんがこの点について不愉快に思ったのでしたらお詫びします。私はもちろんこのこねこさんがそういったとは思っていません。
カギカッコの使い方については、このこねこさんのルールがあるのでしょう。コメント欄を読み返し、このこねこさんのカギカッコの使い方を見てみました。同じような使い方をされている箇所もあるような気がしましたが、このこねこさんなりに考えがあって使っているのだと理解することにしました。
最後になりますが、このこねこさんからしたら、私がなにを言いたいのか理解できずに不愉快な気持ちになっただけかもしれませんね。大変失礼しました。YANBARU先生、コメント欄を長くさせてしまって申し訳ありません。コメントを読まれている皆さんにもお詫びいたします。
ぴのさん
ぴのさんの指摘は、ぴのさん自身もはっきり書いていますし、私も内容は了解してると書いてます。しかしその内容を理解してるとも、理解してないとも書いてません。ぴのさんが指摘の内容を説明され、それに納得してから判断するべきものだからです。
しかしぴのさんの説明は、私には不合理に思えます。
指摘は正しくても、そこへ辿り着く説明が余りにも強引です。あの説明では納得した、とは言えない。私も残念です、前に進めなくて。
私はWFTさん宛で、「根底にある「怒り」が、どうしても顔を出していたのですね 」と、私の文章に相手に対する怒りが含まれていることを告白してます。ぴのさんも読まれてるでしょう。私は私の方法で、それについて説明、考察しようと思っていることの述べました。
ぴのさんはぴのさんの方法で、それについて説明、考察なさりたいようなので、どんなアプローチで説得されるのか、興味があってお付き合いしてました。
しかし、ぴのさんは
>感じることがあって、そのことについて発言しました。
のですね。
ぴのさんが感じられたことは、了解しました。
質問しません。
>このこねこさんにはなかなか理解していただけないようですが、このこねこさんの文章のつづり方から、私が 感じた ことです。
文章から感じられる「雰囲気」というか「におい」というか・・・このこねこさんはご自分でも・・・・・・
「におい」という身体的表現で、人にダメだしするのは、良くないです。
差別に感じる人もいるでしょう。私もとても嫌な気持ちになりました。
私が書いた、自分の内省のための言葉をこんな風に引用するのは、ほんとに不愉快です。
ぴのさんは、 >不必要なイヤミ、必要以上の感情をぶつけなかったか?
というような、内省はしないようですね。(答えなくて良いです)
自分の言葉が「決めつけるような言葉の使い方と、その仮定が正しいものとして更に持論を展開していき、結果的に相手に(威圧と言ったら大袈裟ですが)精神的な圧力をかけてしまって」いないか、疑ったことがないみたいに感じます。(私の感じですので、返答されなくて大丈夫です)
私にとって、私の言葉や書いたコメントに返事を頂けることはスペシャルサンクスなことです。たとえそれが同意であれ批判であれ、私にとっては珠玉なもの、かけがえのないものだからです。言葉やコメントを頂くことで、自分の考えや認識の確認や検証が可能になるからです。逆に言えば、言葉であれ文章であれ、返して頂くことでしか自分のご認知を認識できないのです。いつも、先生はもちろん皆さんのコメントから数多くの「気づき」を与えて頂いて本当に感謝しています。
過去において数多のトラブルの結果、私に対して与えられるものは、ほとんどが相手からの沈黙であり無視でした。私はもう、壁に向かってボール(言葉)を投げ、ただ自分のボール(言葉)が返ってくるだけの一人遊びはしたくありません。そしてもちろん「論理的な相互理解」という試みを断念したくはないのです。私は、言葉のキャツチボール(議論や対話)を続けるために、キャッチボールの技術を学ぶ必要を痛感しています。単にコミュニケーションスキルと言えば簡単ですが、より具体的な技術論を学ばねばならないと私は思っています。ただ、私が習得しなければならない技術が多すぎて、はたしてどこから手を付ければいいのか分かりません。
だから、少しずつ学んでいこうと思っていますが、いま考えているのは四つほどあります。
・アサーティブなコミュニケーションスキルを習得すること
・拡散した論点を収束させる技術を身につけること
・感情を言語的に適切に表現する技術を習得すること
・ファシリテーションの技術を学ぶこと
もし仮に、私にこのような技術があれば、縺れた糸を解くことができたかもしれません。コメントを削ぎ落とし過ぎ、論理性にこだわり感情を抑えて表現してしまった結果、このこねこさんに誤解を与えてしまいました。ぴのさんの好意や配慮を、このこねこさんに説く技量が私にあれば、お二人にいやな思いをさせることもなかったと悔やまれます。
でも、これって私の思い上がりですね。
私見です。
先生、スペシャルな「気づき」をいつもありがとうございます
このこねこです。
今回の件について、私なりの総括をさせて頂きます。
私が書くので、私に都合の良い形になるのは止むを得ない事です。出来るだけ客観的な目を持ちたいと思っていますが、差っ引いて読んで下さい。
また、私の文章でトラウマが疼いたり、嫌な気持ちになったりする方がいらっしゃるかも知れません。気持ちの不安定な方や気持ちが落ち込みやすい方は、読まないで下さい。万が一変調きたしても、私はどうすることも出来ません。
始める前に、YANBARU先生にお礼を言わせて頂きます。
私の勝手な思いの突っ走りを、遮ることなく、温かく見守って下さって有難うございます。ここまで続ける事が出来ましたのも、先生が守ってくださったからだと思います。きっと誹謗中傷などやひどい揶揄を書く人もいたと思います。見えない所でご尽力下さっていたことを、忘れません。本当に感謝しています。
今回のことについて、どの様に書くか、何処まで書いて良いか悩みました。
私がどの様に感じたかを、素直に書くことにします。
雀さんの文章で一番反応したのは、「死ねということでしょうか?」です。
「死」と言う言葉で脅かして、先生やこのブログでの行為を止めさせようとしている、と脅威に感じました。
その後、み さんの推測により、単純に衝撃を受けたことを「死ねということでしょうか?」と表現することもあるようだ、と感じました。私が思っているより、「死」は軽く使われているのかもしれない。或いはわらっちゃう論理展開だから、「死」という単語を真剣に受け取る必要がない、のか?(とは言え、疑問も少しは残ってはいますが)
雀さんのあの文章だけでは、判断は保留するしかないでしょう。
私なりに、いろんな可能性を配慮して書いたつもりでした。しかし、自分が思った以上に「死」と言う言葉に情動が動いてしまったようです。もう少し言葉を選ぶべきでした。みなさん、お騒がせいました。反省します。
次は、み さんとの会話について、書きます。(少し時間が掛かります)
このこねこです。 2回目です。
話は前後しましたので、もう一度確認します。
雀さんが此処のブログの感想を書かれ、私が批判しました。それで、雀さんが謝罪と言う形で退場なさったので、私は検証するために自己問答のコメントを書きました。
このコメントには「悪意」という語彙を使いました。もしかして雀さんが読んでたら、「そこまで言うことないでしょう」と抗議され、私が「失礼しました」と和解できるかも、と甘い期待もありました。
勿論何の反応もないことも覚悟してました。その時は「悪意」という言葉は、自分に返ってきて、私は自分の「悪意」性に対峙するつもりでした。
ところが、み さんが「悪意」に反応されて、私宛にコメントされました。
返信くださるのは、大歓迎です。
しかし、み さんは、自分から話しかけておきながら、全くフレンドリーではありません。本人も後で認められてましたが、み さんは「雀さんのコメントに対して自分なりの解釈をした」だけです。私の考えを知りたいと思ってない。私が「悪意」の説明をしても空しいだけです。
そして、最後の段落を見てください。
み さんは合計4回コメントをなさっています。その内の3件の最後のフレーズは、自分の経験や一般論を装って、「衝動統制」「表面的な理解」「狩猟する場でなく」と、一貫して私に書き込みを止めろと、忠告なさっている。私がまだ何をしようとしているのか分からない内に、何を持って押し留めようとするのでしょう。余計なお節介です。
もう一度言います。
持論を述べるだけで、私のしようとすることを知る気はないので、説明する機会を私から奪い、そして理由を示すことなく、止めろと言い続ける。
こういうやり方をされると、大抵の人は逆上するでしょう。そしてその怒りを上手く説明できない。み さんは、巧妙です。
(続きます)
(続きです)
WFTさんはおそらく、過去の み さんの発言を読まれてないのだと思います。(違っていたら御免なさい)
み さんは、何人かの方に自ら声をかけ、柔軟で饒舌な文を書いておられます。すさまじいバトルでも、決して負けなることなく相手を追いやってます。かなり分析能力の高い方です。
どんな文体で、どんな切り口で書くことが有効か、使い分けておられます。
そして私には、この様な文章を選ばれた。
ちゃんとした文章が書けるのに、閉ざされたような文章を相手に投げかけるのが、どんなに酷いことか、どんなに相手を傷つけるか、分かりますか?
これが私の怒りの理由です。
Skyさんのエピソードを書くか、どうか、悩みました。
み さんはSkyさんだけでなく、他の箇所でも酷いことを言われてること。(私はそれを説明することが出来ますが、止めておきます)
読んでる方はそれに気づかないようで、み さんに同意なさっているように見えること。
この2点によって、書くことを決めました。
み さんが穴を抜け出す方法として、何を選択なさるのも、自由です。
私も欠陥だらけですが、私なりの方法を選択してます。
ただその方法が、相手を傷つけるやり方に作用する時は、即座に中止するべきではないでしょうか。
私は止めて頂きたいと、強い口調で言うでしょう。
次回は、しゃぼんさんとWFTさんとの会話です。
どうもこんばんは。このこねこさん。
私に対しての思い、わかりました。再び口を開きますね。
私はジャイアンです。おそらく、このこねこさんの特性と異なるため、相互理解は困難であると思っています。
やんばる先生のコメント欄は、人によってさまざまな書き方をしています。自分の思いをつづる人、他者とのやり取りを目的にしている人、先生に相談したいという思いを書く人、先生のエントリーから自己理解を深めようとする人、さまざまです。
このこねこさんは、他者とのやり取りを重視していますが、私は自己理解を深めようと努めていて、ときどき他者とかかわることをします。最初からこのこねこさんと私の姿勢が違っていたのですが、双方それに気づかずにいました。
私は、「ジャイアン」と書かれてあれば「ジャイアン」と理解します。ジャイアンの特徴である「表面的な理解」です。しかし、そのあとの文を読んで違うことに気づきました。
ジャイアンの特徴としては、「表面的な理解」の他に、「他者への無関心さ」、「情緒的にかかわらない」、「すべて他人事のように認知する」と先生が述べています。
このこねこさんのコメントを読むと非常に情緒的です。5月1日の3連発のコメントを読み、正直引きました。私はこの12時から14時の間は仕事をしていたのですから、「会話を望まれないなら、もう話しかけません」「反応しない人に話しかける気はありません」と言われても、どうもこうもしようがありません。私は、こちらの都合も考えず、突っ走っているなぁと思いました。だからこそ、余計に情緒的にかかわりたくないと思いました。そして、以前の展開に対して何か利益になったかを考え、双方不愉快になっただけ(負の利益)だったので、このこねこさんが求めている相互理解に対し、同じ轍を踏まないように努めました。(エントリー「ジャイアンの攻撃モード」を参照してください)
このことが、このこねこさんには「傷ついた」、「怒り」を感じたのですね。このこねこさんが傷ついたり怒りを覚えたりするのと同じく、私にも私の事情があり、理由があってのことだけれど、それを察していただけないことは悲しいです。そして、一方的に、たとえば「暗に聞きたい由を伝えた」、「フォローのために聞いてあげた」と勝手な解釈をされ、当事者である私の思いと事実とは全く異なるストーリー展開となってしまっており、当事者そっちのけでこのこねこさんが突っ走ろうとしていたため、当事者である私の思いと事実を述べました。実はこのとき、自分のあずかり知らぬところで名前を出されてしまっているSkyさんは迷惑しているだろうなぁと思っていました。
このこねこさんの一方的な決めつけ、独自の解釈は、私以外の方にもされています。私以外の方もできるだけ丁寧に説明をしようと努力されていましたが、疲労困憊し、断念せざるを得なかったのです。
そして、ジャイアンは初めから井戸の外にいます。井戸の中にいるのはASの方なのです。このことは、先生のエントリー「井戸の中の正義」をお読みいただければと思います。
み さんがジャイアンかASかはわかりませんが、
複数の方から「穴の中にいる」と指摘されている以上、ここはこう問うべきなのではないのでしょうか?
「穴の中にいる判断した理由を文を抜き出して説明せよっ!」
み さんが正義を語ることに関しては反論の余地がないので「穴の中にいる」ということを説明すれば十分ですよね。
このこねこさんの分析をもっと聞きたですっ+(0゚・∀・) + ワクワクテカテカ +
(先に、なんか煽っただけのようなコメント投稿してしまったので、ちゃんと投稿します。すみません。)
私は、み さんはジャイアンであっても、穴の中にいるようなきがするのです。
そして、先生のこの膨大な文章の中から、み さんが選んできたものが不思議な意味を持っている気がします。
私はジャイアンであるなぜなら・・
「表面的な理解」の他に、「他者への無関心さ」、「情緒的にかかわらない」、「すべて他人事のように認知する」から。
でも、み さんは他人のコメントにコメントし、時には怒り丸出しの文を書き、自分を批判するものは全くスルーできないじゃないですか。
「(井戸の中の)正義」を振りかざしたコメントを、さんざんし続けたのはみ さんご自身じゃありませんか?
み さんは、ここが、この場所が井戸の中そのものだと感じたことはありませんか?
スピリチュアルペインのくだりは忘れたのですか?
めちゃくちゃ押し付けがましい感じはありますが、
それでも、み さんの人を思う気持ちが溢れていたじゃありませんか。
それにお父さんが躁鬱病みたいですが・・
「病気とは分かっていても許せない」という葛藤がかかれていないのが不思議です。
「父が車燃やしたので薬調整してください」と、軽く言うことができないのは、
人に言えない悲しみを抱えているのでしょうか。
そうかい。そうかい。
やっと正体がわかったぞぉ。
かなりめんどくさい展開だが、というか、他人を蹴散らしてまでやることじゃぁない展開だが。
ジャイアンにかかわりたいなら、というか、ジャイアンである私にかかわりたいなら、めんどくさい工作は抜きにして、「私はこういう者だ、相手せい」と言えばいい。
と、内心思ってしまった。まさしくジャイアンである。
以上。
昔見た、トム&ジェリー、そんな感じ。
好きだったな。
初めまして。
発達障害の当事者として以前よりブログ、コメント欄を読ませていただいています。
私自身も発達障害の当事者で、いつも悩んで迷っています。
コメント欄での皆さんのやり取りを拝見させていただいて、このこねこさんがおっしゃていた「論理的に相互理解が可能」について参加させていただきたいと思いましたがやり取りを理解することが難しくコメントできずにいました。
その中で み さんのコメントはわかりやすかったです。
み さんに対して私が思ったのがすごく訓練されている方なんだなぁ。と思いました。(過去の発言も拝見させていただきました。)
私も訓練して自分の意思を文章など形に出来るようにしていきたいです。
こんばんは、み さん。
明らかに違っている点から、書きます。
たいした違いではありませんが、私は配慮して、Sさんとイニシャルで書きました。ニックネームをダイレクトに書いたのは、み さんですよ。ですから私も統一したほうが良いと考えて、その後はイニシャルで通したのです。名前を最初に出したのは、み さんですよ。
私がジャイアンでないと、み さん言っておられますが、それは変ですよ。
み さんは以前、診断は先生がするものであって我々がするものではない、と硬く戒めてます。
それなのに今回は、自分の理解の範疇にないからと言って、私をジャイアンではない、と断定なさる。
自分だけは特権階級にいる、と思ってるのですかね。失礼ですよ。
人に厳しく、自分に甘い、二つの基準を使い分けてますよ。
私も人に厳しく、自分に甘い人間です。でも、み さんと違うのは、それに気づいている、と言うことです。
(ちなみに先生は、学習や環境によってASとジャイアンが似て見える、と書いておられます。・・ちゃんとした言葉を捜せないので、意訳ですみません。)
本題に入ります。
>このことが、このこねこさんには「傷ついた」、「怒り」を感じたのですね。
違いますよ。
み さんお了解を要約すると、わたしの5月1日の3連発のコメントを読んで、情緒的にかかわりたくないと思い、同じ轍を踏まないように努めた。これに私が「怒り」を感じた。と思っているんですね。これは、事実ではないですね。
怒っているから、3連発のコメントを書いたのです。
では、何に怒ったのか。
私のコメントに、自主的に応答したにも拘らず、み さんは自論と共に、私にこれ以上書くな、という忠告を書いてます。それに対して私は、感情を抑えて丁寧に返信してます。
それなのに み さんの2通目は、自論の展開と、無意味な忠告のみ。
(続きます)
(続きです)
私は、私がやろうとすることに意味なく邪魔する人には、激しい怒りを覚えます。
何も分からないのに足引っ張ることを言われると、本当に頭にきます。
頭ごなしに言われるのは、もううんざりです。
み さんは忠告する権利もないのに、自分の価値観を押し付けて、止めろ、と何度も言うのは、どういう神経でしょう。まったく理解できない。
この場所は、他の人に害がなければ、自己責任で実験してもよい場所の筈です。あの時点において、私の言葉に害があったでしょうか。
ここまで書いて、気が付きました。
み さんは自分にとって正しいことは、人にとっても正しいことで、親切、好意でそれを書いてあげている、と勘違いしてるのではないでしょうか。
あなたの親切は、自分の考えを基準にしていて、相手の気持ちや考えに合わせようとしないので、相手の足を引っ張るだけです。それに気づかないのは、み さんの勝手ですが、過去に何人かがそのことで傷つき、私も傷ついた。今後のこともあるので、はっきりと伝えることにしたのです。
み さんはある人をちゃんと分析して、対応されてます。(自分で書かれてます)能力はあるはずです。忠告する時は、その人の特性に合わせなくてはいけません。
「他者への無関心さ」があってそれが無理なら、忠告は止めるべきです。何故なら、み さんの今の忠告は、人に無機質な正義を押し付けてるだけだからです。立場を変えて考えても良いのではないでしょうか。
他者に害があるから。
申し訳ないが、これ以上、私のことを取り上げないでくれ。そして、私は「み」で一貫してコメントしている。ニックネームを変えてコメントするなら、こちらは誰だかわからないから、「み」がわからずにコメントしたとしても、スルーしていただきたい。
そして、実験するなら、他者を巻き込まないでいただきたい。
まず、実験を行う前に、扱いたい事例の当事者に、事前に了承を得ることが必要だ。了解が得られなければ取り扱うことはできない。社会生活のなかでは当然に求められることだ。
そして、「8月17日のSさんの」と書かれてあれば、8月17日のエントリーを検索すれば誰だかがすぐにわかる。
そして、貴方から見れば他者である私(み)、ぴのさんに対し、いったいどれだけコントロールしたいのか、余計な御世話だと言いたい。すでに害している。
他者である私に対し、距離が近すぎる。他人であるからこそ、コントロールすることはできないのだよ。
これが実験の結果なのではないか。これ以上、私を取り上げないでいただきたい。不愉快だ。
み さん
「矛盾している」と指摘したのに、それに反論せず、このようなコメントになったのは、とりあえず非を認めたと解釈してもいいのでしょうか?
とりあえず今日のところは非を認めるけど・・素直になれない・・みたいな。
このこねこ、です。 今回はしゃぼんさん、 WFTさんとの会話を振り返ります。
しゃぼんさんにすごいって言われて嬉しかったのですが、他の文の文意は、正直に言って、私には良く分かりません。
ただしゃぼんさんが、み さんに対して、何か感じておられる、事だけは分かりました。
いつか会話する機会がありましたら、そのときはよろしくお願いします。
WFTさんの初めての文を読んだ感想は、私の試みの内容もまだ提示してないのに、WFTさんも止めろと言うのか、でした。しかしWFTさんがどんな方かも分からないので、出来るだけ軽めにアドバイスはノーサンキュウと書きました。
2通目は、一生懸命に書かれていることは分かるのですが、たった1回の文章で、雀さんをここまで想像するのは、ファンタジーに囚われているように感じました。ファンタジーの中にいる人に言葉がどんな風に届くのか、私には予想が付きません。しかも「落ち込みます」なんて書かれてるから、下手なこと書いたらどうなるか分からない。直接話しかけるのは止めておこう、と思いました。
3通目で、WFTさんが一生懸命に私に間違っていることを伝えようとしていることが分かりました。どうしてそう思ったのかと言うと、WFTさん自身の言葉で、自分のことを書いてらっしゃるからです。「もう井戸には戻りたくない」は、心に響きました。真摯な言葉は、人の心を動かします。私も自分では隠してたつもりでしたが、み さんに対する怒りを抱えていたことを認めざるをえなくなりました。(大人として、感情を抑えて論理で、み さんの批判は出来る、と思っていたのですが・・・)
もう少し私の考えを書きます。
(続きます)
(続きです)
私たちは、人間だから(私のことをジャイアンでないと言う方がいらっしゃいますので、ジャイアンだから、とは言いません)誤解や誤認知をすることもあります。そんなこと当たり前です。大切なのは、それに気づいた時の態度だ、と思います。
私は自分の誤認知、思い込みや言い過ぎを指摘された時にどんな態度を取るだろう、これも一つの実験でした。(誤認知を指摘されてる方もいらしゃいますが、私は自分が誤認知してるとは今も思ってません。) 私は思ったよりも逆上することもなく、落ち込むこともありませんでした。逃げたりしないで、成る程、と素直にいえることが出来る自分がちょっと嬉しかったです。
しかも思い込みなどの指摘は受け入れた上で、間違っていることは(私にとって)違いますと、言える自分も気に入ってます。
人間は、100%間違ってる人もいないし、100%正しい人もいません。欠点があって、長所もあるんです。それが実感出来て嬉しいです。
WFTさんも含め何人かが、私が「論理的な相互理解」を希求してる、と勘違いされています。
確かに私は論理的な相互理解したいのですが、相互理解を早急に求めているわけではありません。妥協したり、ジャイアンを押し殺してまでも相互理解したいわけではありません。私は孤立や孤独は慣れっこなので、(そして今回は実験なので)相互理解に失敗しても気になりません。
先生の言葉、「お互いに自分の考えを述べ合って、かなり議論をして、その後『理解しあった』という実感を得る」を前にも書きました。
これは「『理解しあった』という実感を得る」為に「自分の考え」や「議論」に手心を加えることではないと思います。
私達は妥協することなく、考えを述べ合い、大いに議論し合おうよ、と言うのが私の提案でした。
ですから私の考えに異議を言ったり、誤認知だというのなら議論できます。しかし、止めろと水を差すのは、止めていただきたいものです。邪魔は止めていただきたい。
み さんの所で詳しく書きましたが、これが私の怒った原因です。
次回は、ぴのさんとの会話について書きます。
このこねこさん
私が雀さん関連の質問に答えなかったのは、そこに意味を認めなかったからです。
雀さんからのコメントがもう返らない状況にあって、互いが推論を重ね合うことで真理に近づきますか?
どこまで互いの推測を述べ合っても、行き着く先にあるのは推測だけです。
このこねこさんは
〉私達は妥協することなく、考えを述べ合い、大いに議論し合おうよ
と考えていらっしゃるようです。
これは議論が継続していくことを前提としていますが、結果として議論は頓挫していませんか。
議論の相手が継続を望まずこの場から退場してしまえば、このこねこさんの試みはそこで頓挫してしまうでしょう。
それでも一人語りを続け、ご自身の推測をコメントし続ければ相手はどう思うでしょうか。
私はこのこねこさんは「手法を間違えている」と重ねて申し上げます。
相手がいて継続することが前提の「議論」であり「相互理解」ではないですか。
このこねこさんの、ジャイアンAC脱出作戦を、見守っております。
WFTさん
成る程!そう言うことでしたか。
皆さんがおっしゃる「手法を間違えている」とは、そう言うことだってやっと分かりました。やっと理解できました。
一方の当事者が退場したのに、推測を述べ合っても意味はないのは、当然ですね。
それでも一人語りを続ければ、相手は不快に思うでしょう。
私もそう思います。私も他のブログで楽しく会話する時は、こんなことはしません。
しかしこのブログは、情報交換や楽しく会話をする仲良しのブログではない、と思ってます。先生に直接会えない方、直接メール相談するほどではない方々が、お互いの自助努力によってより良くなろうよと言うのが、このブログに対する先生の趣旨だと思います。
ある人は独白のように自分の内面分析をなさり、ある方々はお互いの問題点の改善のために会話されています。皆さん今の自分を変えたい、という強い思いを持って関わっておられると思います。
そうであるなら、自分の言葉や考えをたたき台にして、誰かが改善の為の材料にすることは、許されることではないか、と思いました。(出版本にある考えや言葉を引用して自分の考えを発展させることと少し似てます)公共の本とは違いますが、此処のブログ内であるならそれは許されると思いました。勿論、誹謗中傷してはいけません。純粋に皆の利益になることが前提です。
雀さんはいらっしゃいませんが、WFTさんがおっしゃるように迷路で出口を捜し求めてる方ならば、どうしてその気持ちが伝わらないのか、どこで読む人はイヤだと感じるのか、を検討するのは、雀さんと同じ悩みを持つ方にはヒントになるのではないでしょうか。私のような思い込みタイプの人にも利益になると思います。(少なくとも私は考えが深まりました)
とは言え、これはブログに書いた言葉をたたき台にして議論してよい、という前提があっての話です。
皆さんはその覚悟を持って書いておられると思ったのは、私の勝手な思い込みなのですね。
このブログでも、頓挫したのに一人語りを続けることは相手にとって失礼である、と言うことならば、私は関わった方々に謝罪します。そして此処から去ります。
どうぞはっきり言ってくださいませ。(はっきり言われないと分からないので)
そうしたら一人ひとりの名前を挙げて、キチンと謝罪します。
よろしくお願いします。
JETさん 有難うございます。
このこねこさん
このこねこさんが嫌いな人ばかりではないと思いますよ。このこねこさんに共感している方々もいらっしゃるようです。
思いのたけをぶちまけることも対話や議論には有効な手法であり必要なことだと思います。
その塩梅が肝要だと思いますけど。
全てに同意できないということはあり得ないし、バラバラの認識があっても良いと思います。
同意か不同意の同意か、既決・未決の整理ができれば収束に向かいます。論点ばかりが増え「?」が多用される場合には必要な作業だと考えます。
私は、なんか憎めないし、時に涙もろいトムが好きですよ。
こだまさんへ。
私が選択したのは、先生のエントリー「ジャイアンの攻撃モード」と「井戸の中の正義」です。全く異なる事柄から何を学ぶかです。これは不思議な選択でなく、「意図」して選択しています。
ASとジャイアンの攻撃モードの決定的な違いは、ASの方は怒りが増幅するのに対し、ジャイアンは冷静になり戦略を考え始めることです。私がらいむさんの時に怒り口調で書き込んだのは、けっこう冷静にどういえば黙るかの戦略を考えていました。口調を変えることで「いい加減にしてください」を伝えようとしました。たとえば「また負けた」(らいむさん)のあとに「勝ったも負けたもない」(み)と書いていますが、内心では同じ土俵にいないので相手にならないよ、人との関係で勝負はないでしょうと思っていました。実はね、らいむさんのコメントを読んで思わず笑ってしまったこともあったのですよ。ほう、こう返すかって。
そう、こどもを「怒る」か「叱る」かということを考えると、怒るのは感情的ですよね。叱るというのは感情的でなく、それをしてはならないとわからせるために強い口調でいいます。この違いと少々似ており、感情的には冷静に向かいます。ジャイアンの攻撃モードは相手を陥れるのが目的ですが。
私がSkyさんの「教える」を指摘したのは、この「叱る」の姿勢です。ジャイアンは時におせっかいで、社会的に容認されない行為に対してわからせようとします。昔は近所の大人がこどもを叱り、地域の人々が子育てに参加していました。近年は地域社会が崩壊し、密着した母子関係のなかで子育てが行われています。こども時代に他人から「叱られる」ことをあまり経験せず、成人してから社会的に容認されない行為を知らずにしていることも多いのです。教育臨床では頭を抱える問題なのです。
「傷ついた」という感情的な壁をつくることにより自分を正当化するならば、社会生活上で適応するためのスキルを身に着けていくことが困難です。自分から見て上司や同僚に「教える」という姿勢をそのまま実生活でしていたとしたら、間違いなく相手にされなくなるでしょう。社会不適応に陥るのは適応に必要なスキルを身に着けていないからで、適応に必要なスキルを身に着ける以前に自分が傷つくという理由で自己正当化していれば、不適応は「身から出たさび」なのです。傷ついたと布団にくるまっても社会適応の道は開かれません。でも、そうしたいなら自己責任ですよね。今は不適応を救いたいとは思っていません。その個人の選択の自由ですから。
そして、こだまさんに聞きたいのだけれど、私と父の関係が現在どうであると思っているのですか? 現在私が服用を必要としているということを判断しているようですが、どうしてでしょう?
たぶん、大きな食い違いがあるものと思われます。私は以前に書いています。
こだまさんの捉えていることが正しいのですか? 私の現状そっちのけで、こだまさんの考えていることが正しいのですか?
確かにらいむは哀れでしたね・・・。
なにがしたかったのやら・・・。
最初っからピコピコハンマーだし・・つД`)・゚・。・゚゚・*:.。
すみません。お父さんのことは出過ぎた発言をしました。
軽い気持ちで薬の調整お願いしますと(お父さんお主治医に)言えないのは、
いくら病気と分かっていても、家族は巻き込まれて、とてもツライのだろうな・・・
みたいな意味を込めて書いたつもりでしたが・・申し訳ありませんでした。
>こだまさんの捉えていることが正しいのですか?
には・・
「んなわけね~だろ~( ̄д ̄)エー」
私は、生徒指導の先生が嫌いなちゅうにびょ~の生徒みたいなものです。
でもちょっとは心配もしているのです。
「指導者」という立場でしか自己を保てないのなら、
適応できる所属集団は下に下にと落ちていくので・・。
こだまさん、ありがとうございます。
少々殺気立っている自分がいます。ごめんなさいね。
たしかに、指導者の立場は、客観的に自分を見つめる視点を失いがちになります。そこで、ジャイアンの自己突込みが必要なのです。
Skyさんに指摘したことは、私自身が一番気を付けていることで、ジャイアンの特性は変えられないけれども、社会適応していくために必要なスキルであり、実生活では常にモニタリングしているところです。けっこう神経を使っていますから、勤務が終了すると疲れます。周りはそうは見ていないでしょうが(笑)
そうだ、この場を少々お借りして、ご理解いただいていた方々、ありがとうございます。私も確かに、ここを使わせていただいて、自己理解を深めているとともに、訓練させていただいています。ありがたいことです。
こだまさん、ご理解いただきありがとうございます。
み
このこねこです。
WFTさん、変なことをお願いして、御免なさい。
やはり自分で決着をつけるべきだって、気が付きました。
名前を挙げた当事者の方々(もう名前を出さないで、という希望に従います)
私の言葉に苦々しく思って読んでおられた皆さん、
本当にご迷惑をお掛けしました。
勝手に名前を出して、申し訳ありませんでした。
深く謝罪します。
謝罪と共に感謝します。
今回のことで私はかなり進化しました。
そのことを話して還元したいと思いますが、そうすると又ご迷惑をお掛けすることになりますので、我慢します。
有難うございました。
当事者の方々と苦々しく思われてた方々に、以下のことをお約束します。
・当事者の方々のアクションがない限り、私からは絶対に話しかけません。
・私がコメントする場合は冒頭に名前を提示して、読んで嫌な思いをされないようにします。
・名前を変えて入り直すような事はしません。(人を欺くのは、神経を減らします。私は自分のエネルギーをそんなことには使いません。)
・私宛のコメントには返信をしますが(無視されることの悲しみを知ってますので、気が付く限りは返信することを自分に課してますので)、自分からはもう提案したりしません。
以上をお約束します。
先生、どうもお騒がせいたしました。
本当に有難うございました。
このこねこさんへ
少々誤解を解くために書かなければならないかと思いまして、再びここに書きます。
私は、「おそらく、このこねこさんの特性と異なるため、相互理解は困難であると思っています。」と書いています。
「おそらく」という言葉の意味は、1.確度の高い推量を表す語、きっと。「明日は―雨だろう」2.はばかりながら(遠慮すべきことかもしれないが、恐れながら)です。推量とは、おしはかること、推測です。
ですから、私は推測したまでで、断定はしていません。私とは違う特性をお持ちであろうと推測したのです。
これに対し、このこねこさんは、「おそらく」という言葉を「断定」の意味として捉えているのでしょうか? 「推測」(類似の事実を当てはめてみて、見当をつけること)と「断定」(物事にはっきりとした判断をくだすこと)の違いはない、という見地でしょうか?
第3段
診断とは「…ではない」ことを指すのではありません。「何々 病」「何々疾患」「何々障害」等、疾病や障害等を特定することを指します。診断は治療方針を定めるもの、診断した結果を患者さんおよび家族に説明し、同意を得て治療を行います。診断は患者さんの言うこと(主訴)からある程度の疾患や障害を絞り込んで(見立て)検査をし、家族等周囲の人の情報を得つつ検査結果を見て判断するものです。
もし、私が医師の業務独占にかかわる診断をしているならば、おそらく、m3のドクターズブログを読んでおられる医師の方々から先生宛に苦情が殺到するでしょう。私のコメントが即座に抹消されるでしょう。その前に、先生がコメントを掲載したことを批判されることは間違いないのですが。
このこねこさんは、なぜ推測のもとに「あなたは…ではない」といわれたことに、過敏に反応したのでしょう? 攻撃するには根拠に乏しいのですが、攻撃したい理由があるのではと思いますが?
あはは。
第2段が適切なところへ飛んで行った!
み さんへ、このこねこです。
お答えしやすい所から答えます。
>これに対し、このこねこさんは、「おそらく」という言葉を「断定」の意味として捉えているのでしょうか? 「推測」(類似の事実を当てはめてみて、見当をつけること)と「断定」(物事にはっきりとした判断をくだすこと)の違いはない、という見地でしょうか?
私は文章の全体を把握してから、部分に注目します。
ですから、「私はジャイアンです。おそらく、このこねこさんの特性と異なるため、相互理解は困難であると思っています。」 があるコメントは、「そして、ジャイアンは初めから井戸の外にいます。井戸の中にいるのはASの方なのです」で締めくくられています。
それで“私はジャイアン、あなたはAS”と、み さんは言っていると判断しました。
議論が白熱している時に、まさかジャイアンとASの一般的な区別を解説するはずがありませんものね。
み さんが、暗に私をASと判断した、と私は考えましたが、間違っていますでしょうか?
過敏に反応したと思いますか? み さんは私はASだって思ったのではないですか?
>このこねこさんは、ご自身をジャイアンだと自己診断するまでに、どのようなエピソードがありましたか?そして、どのようなツールを用いて自己診断にいたりましたか?
このことについては申し訳ありませんが、ここでは書きません。
自分のタイミングで書ける時に書きます。と言いますのも、私はACのジャイアンだと、何度も書いています。それもかなりのACだって、自覚してるところです。ジャイアンを説明するには、ACについても書かなければなりませんので、具体的に書くことはしません。
「受動型ASの真実」での私の傍若無人ぶりの理由が少し見えてきました。
それについては、別に自己分析として書きます。
このこねこさんへ
私の問題となっている文章の構成について、少々解説します。
相互理解が困難と思ったことについて
ここのコメント欄について
このこねこさんと私について
ジャイアンについて
このこねこさんとのやり取りについての私の思い
このこねこさんと私以外の方とのやり取りから
このこねこさんが言われた穴について(先生は以前井戸の中の正義と書かれたので「井戸」と表現しました)
です。これらから、一貫してこのこねこさんがASであることを書いている文章の構成であると判断されますか。この構成の成分一つ一つを見ると、その成分だけで完結しているようなところがあります。
最後の文章に焦点を当てます。まず、構成の成分は「このこねこさんが言われた穴について」です。
このこねこさんの言葉「み さんが穴を抜け出す方法として、何を選択なさるのも、自由です。」に対し、「そして、ジャイアンは初めから井戸の外にいます。井戸の中にいるのはASの方なのです。」と訂正をかけました。
どうでしょうか。
この解説を読み、それでもなお、“私はジャイアン、あなたはAS”と受け取られるでしょうか。
さて、このこねこさんの認知の傾向について、恐れながらコメントさせていただきます。
最初と最後の文を読んでの“私はジャイアン、あなたはAS”という認知の仕方、文脈が読み取れていないのだと思います。誤認知の傾向は、この文脈が読めていないことにあるのではないかと思います。このことに、ぴのさんも気づかれたのだと思われます。文脈が読み取れない傾向があること、適応上で多大なご苦労があるものとお察しいたします。
また、文章そのものを理解するよりも、言外のことを理解しようとなさっています。非常に努力されているように感じ受けますが、社会適応に際しては、言外のことを理解するよりも相手の言っている内容を理解する力が要求されます。言外のことは推測にすぎず、推測は相手の思いとは違う推測する人の思いなのです。
たとえば、浮気の問題。妻が旦那を浮気しているのではないかと疑念を抱き、旦那に問いただしました。旦那は「浮気などしていない」と言いました。旦那は本当に浮気していなかったとします。「浮気などしていない」と言っている相手の言外の意味を推測し、「浮気をしている」と断定しても、それは事実ではありません。浮気の事実を押さえなければ断定はできません。事実がなければ立証できません。さて、旦那が本当に浮気をしていないことが判明したらどうなるでしょう。「浮気などしていない」と言っている相手の言外の意味を推測し断定した妻に対し、信頼は失われます。大きなリスク、そして損失。
私はどうも私の文章そのものをご理解いただけないことに対し、特性が違うと感じました。文章そのものをご理解いただけていれば、私は何も「おそらく…特性が違う…」とは書かなかったでしょう。「特性が違う」という言葉をそのまま読めば、多くの特性のことを指しているのだと理解できるはずです。
そして、私は、あなたから「私がジャイアンでないと決め付けられて、嫌な思いをしました。」と言われた本人です。私にジャイアンであると認めさせるには、ご自身がジャイアンであるとする根拠(症状ほか過去のエピソード)を述べることです。もちろん、時間がかかっても構いません。それなりの根拠をお持ちだと思っています。
このこねこさんとやり取りをした当事者として、上記、恐れながら発言させていただきました。
このこねこさんへ
注意書きをします。
私の文章そのままを理解してください。
言外のことを読む必要がありません。
私の思いそのまま書いています。
何の隠し立てもありません。そのままですから。
以上です。
いまさらだけど、社会適応に重要なことは空気(言外の推測)を読むことじゃないの?
その推測の精度が悪いから、みんなと仲良くやれなくて、
結果、不適応を起こして、ど~しよ~~~っていうのが、私たちの主題じゃないの?
ルールブックに書かれてあるルールを空気とは言わないよね。
なぜ?
それは「空気」って、さっぱ~~~り正しくなくて、
そしてそのことを、みんな知っているから書けないんだとおもうよ。
だから、みんなが知っているというこを知らないで、
間違いを間違いだと指摘するKYは、想像力が欠如したバカって呼ばれてしまうんじゃないの?
私たちは100万回ぐらい繰り返し自分に言うべきだ。
ルールには正しさは必要だけど、集団適応行動に「正しさ」は不要だと。
少数である私たちが、多数集団のルールをつくる資格があるはずもなく、ゆえに私たちの適応に「正しさ」なんて不要だと。
(だから受動型ASは天然で適応的なんだと・・・)
・・・と
まあ、こんな形で「空気」を納得している私からしてみると、
み さんのやってることが、根本的に間違っているような気がしてくる。
ロジックは正しいけどベクトルが違う・・・みたいな感じ。
ところで・・
今のところ、み さんのやり方では、このこねこさんと対立を解消できていない。
正論で叩き潰すのではなく、
信頼関係を構築するという方法で対立を解消する自信はありますか?その技術はもっていますか?
医療や教育やケアのプロをめざすのなら、そしてここで宣言している以上、み さん主導で、信じてもらえる、頼ってもらえるという関係の構築を成功させるところを見せて欲しい。
み さんがまっさきにやらなければならないのは「依存」の解消だとおもうよ。
先生に乗っかって吠えるのはいい加減やめたらどうよ。
それにやれるはず、ジャイアンなら。
み さんへ、このこねこです。
本当にびっくりしてます!
み さんはコメントの一行空きで区切ることによって、項目を一つひとつ変えていたのですね!
これってネットのルールなんですか?私はネット経験が浅いもので、こんなにブツ切れで箇条書きのように項目を変える手法を知りませんでした。
私は一つのコメントをひと繋がりで読んでました。一行開けるのは読みやすいようにした改行のように使っていました。
ですから項目が変わるなら以下のように書いてました。
例えば、「次にこのこねこさんと私ついて、書きますね」と変わったことを伝えてから書いてました。
あるいは「>」で引用文を使って、次の項目に移ったことを明確にしてました。
こんな風にブツ切れの書き方を、み さんはなさるのですね。
わたしも恐れながら言わせていただきますが、話題が変わったって相手にわからせてあげない書き方は、相手に誤読を与えてしましますよ。
特に「穴」を「井戸」に表現しなおして、私が書いた「穴」についてのコメントをしたいならば、そのことをチャンと書かないと相手には分かりませんよ。まして私の様に思い込みの激しい者を相手にしている時は。
この み さんのコメントに関して私は誤読したようですが、その原因は文法用法規則の違いによるものだと考えます。
み さんの文法規則に則って読めば“私はジャイアン、あなたはAS”とは受け取りません。
それでは改めて以下の み さんの質問に答えます。
>これに対し、このこねこさんは、「おそらく」という言葉を「断定」の意味として捉えているのでしょうか? 「推測」(類似の事実を当てはめてみて、見当をつけること)と「断定」(物事にはっきりとした判断をくだすこと)の違いはない、という見地でしょうか?
私は「おそらく」という言葉に注目してません。
「おそらく、このこねこさんの特性と異なるため、相互理解は困難であると思っています。」という文章は、000のため(理由)+++である(結論) の形です。
み さんが「相互理解が困難と思ったことについて」と解説されたように、結論が言いたいことになります。
相互理解が困難と思ったならば素直にそう書けば言いだけでしょう。なにも私の特性をうんぬんする必然はありません。
ここは特性に悩んでいる人たちばかりですよ。もっと配慮ある書き方をしても良いじゃないですか。私の特性が何であるかは、とてもデリケートな問題だって分かりますか?
特性が異なるから相互理解は困難と排除された、と寂しく感じます。それが怒りとなります。
>文脈が読み取れない傾向があること、適応上で多大なご苦労があるものとお察しいたします。
これは、とてもイヤミな言い方ですよ。こんなこと言われたら怒る人もいるでしょう。
み さんは暗に、私を「脈が読み取れない傾向があること、適応上で多大なご苦労があるもの」に仕立て上げてますよ。
>私は、あなたから「私がジャイアンでないと決め付けられて、嫌な思いをしました。」と言われた本人です。私にジャイアンであると認めさせるには、ご自身がジャイアンであるとする根拠(症状ほか過去のエピソード)を述べることです。
み さん、これは高飛車ですよ。
み さんの「「特性が違う」という言葉をそのまま読めば ・・・」を引用して書きますね。
「私がジャイアンでないと決め付けられて、嫌な思いをしました」と言う言葉をそのまま読めば、「ジャイアンを認めさせる」必要はないことが分かると思いますよ。
私がジャイアンであろうとなかろうと、それは み さんに関係のないことですよ。
それは私の問題です。
み さに判断していただくものではありません。失礼ですよ。
「第2段が・・飛んで行った! 」ところの例で言うと、
問題は、職場の上司がジャイアンであるかどうかではないのです。
問題は、他人をジャイアンと言う言葉で推定して、わかった気になられるのでは、です。
繰り返しますね。
私がジャイアンであろうとなかろうと、それは み さんに関係のないことですよ。
私が嫌な思いをしたのは、ジャイアンでないと決め付けられ推定され、分かった気になられたことです。
了解できましたでしょうか。
私はあなたが「言葉をそのまま読め」なくても、あなたが000じゃないかって思いませんし言いませんよ。
それは私にはまったく関係ないことであり、興味ないですから。
ブルブルドックさんへ
私は「私がジャイアンでないと決め付けられて、嫌な思いをしました。」と今後ずっと言われるのは勘弁してほしいと思いましたので、こうして書いているわけです。「少々誤解を解くために書かなければならないかと思いまして、再びここに書きます」と書いているのはそのためです。
きっと、ブルブルドックさんは「嫌な思いをした」と相手に言われ続けてもスルーすることができるし、寛容なのでしょう。うらやましいことです。これが空気を読むということでしょうか。相当訓練していらっしゃるのですね。私にはまだできないところですね。
「依存」かぁ。私はずっと、なんだか私のことを取り上げられるので、私はこう思ったからだと訂正ばかりしているけれど、それが依存だとおっしゃられるのですね。
どうなんでしょう。私は「嫌な思いをした」とずっといわれたくないです。私は推測したことを述べただけで、断定していないのですが、訂正はしないほうがよいとお考えですね。
社会適応には、“私はジャイアン、あなたはAS”という認知でもOKで、“私はジャイアン、あなたはAS”と私の言ったことをこのように理解したのは正しい、私が空気を読めていないだけ、重症KYということと理解しましたが、これでよいですか?
み さんへ、このこねこです。
私のPC環境が悪いので、あなたの私への注意書きを、今読みました。
では私も注意書きを書きましょう。
対等な立場にいる人に対して自分の思い込みで、命令することはやってはいけないことですよ。
上下関係に過敏なあなたなら、知ってるはずですよね?
あなたが思っている「そのまま」は、思い込みですよ。
あなたが自分自身に「そのまま」を使うのは勝手ですが、
人に対して「そのまま」という幻想で書くことで人が傷くから、注意して下さい。
「そのまま」については、次回詳しく書きましょう。
以上です。
さてさて、趣向を変えてジャイアン特有のコメントを始めますね。
このこねこさん、実験をしましょう。私とらいむさんのコメントを読み、私をかなり分析能力が高いと評価しています。そして、なぜ私には持論ばかりで…と、無関心だといいました。今私は貴方個人に対してコメントしていますが、貴方が望んだことですよね。さて、ジャイアンの攻撃は頭が冴え、感情的ではなく冷徹になります。ジャイアン同士なら、冷徹な戦略を基に論戦を繰り広げるという仮説を立て、実験をしましょう。
貴方は雀さんに「ですから批判をするなら、フワッとしたイメージで言い逃れを散りばめてではなく、ちゃんとした根拠をはっきり示すのが、礼儀ではないでしょうか?」と言いました。貴方が他者にそれを言う以上、貴方はしっかりと根拠をはっきり示し、礼儀正しく対応するはずですね。ならば、なぜ「私の特性が何であるかは、とてもデリケートな問題だって分かりますか?」と、しっかりした根拠を示さないでデリケートな問題だと逃げるのでしょう?私は言います。「批判をするなら、言い逃れをするのではなく、ちゃんとした根拠をはっきり示すのが、礼儀ではないでしょうか?」
次に、ACがあろうとなかろうと、ジャイアンだというならば幼少期から不注意や衝動性の問題があったはずです。ACの問題は別に、貴方がジャイアンだと自己診断している根拠となる不注意、衝動性などを言葉を短くして書くことができるでしょう。私は「子どもの頃は忘れ物の多さや音読時の行読み飛ばし、課題は期日が迫ってからまとめて集中してやる等<注意欠陥、読みの障害(LD)>、20代までは出し抜けに答える<衝動性>、30代前半までは周囲の遠回しな「NO」や「いやみ」に気が付かなかったなど<他者への無関心>、30代後半からの<攻撃性>、知的労働を始めてからは文章を読んでいるときの過集中と目のすべり感<ワーキングメモリの不具合>、である。」と書いています。これのどこにACの要素が含まれているのでしょう?このようにしてACのエピソードなくして書けるのではないですか?
次に、「私は「おそらく」という言葉に注目してません。」この言葉には驚きました!つまり、貴方には「おそらく、このこねこさんの特性と異なるため、相互理解は困難であると思っています。」と、「このこねこさんの特性と異なるため、相互理解は困難であると思っています。」は同じなのですね!では、世の中に「おそらく」なんて言葉はなくていいのでは?私は世の中に必要な言葉であるから存在しているのだと思いますが?
さらに、「という文章は、000のため(理由)+++である(結論) の形です」「相互理解が困難と思ったならば素直にそう書けば言いだけでしょう。なにも私の特性をうんぬんする必然はありません。」にも驚きました! 結論だけ、つまり理由はいらない、とおっしゃっている。理由の部分は「相互理解」の相手である「貴方」でしかないのに、意味がわからない。貴方は「相手にわからせてあげない書き方は、相手に誤読を与えてしましますよ。」と書いていますが、なぜそれをしてはならないのですか?また、先ほど出た「ですから批判をするなら、フワッとしたイメージで言い逃れを散りばめてではなく、ちゃんとした根拠をはっきり示すのが、礼儀ではないでしょうか?」から、結論を導き出した「根拠」を書かなければ失礼でしょう?
次に、「特性が異なるから相互理解は困難と排除された、と寂しく感じます。それが怒りとなります。」、はあ?何言ってるの? 最初からボコられ、勝手に実験だと過去の私とある人のやり取りを勝手に「たたき台」として、とんでもない「思い込み」で勝手に持論を展開し、その「思い込み」で相互理解だあ? 相互理解もへったくりもないのに? 自分で「まして私の様に思い込みの激しい者を相手にしている時は。」と言うならば、その「思い込みの激しい」ことを棚に上げて他者を攻撃せずに相手の言うことに耳を傾ければいいでしょうに。だから私は持論しか書かなかったのですよ。わかりますか?
さて次、「文脈が読み取れない傾向があること、適応上で多大なご苦労があるものとお察しいたします。」これは本音で書いた。嫌味でなく、私は別の形で言語障害がある。動作性の言語障害だ。別の形で障害があり、苦労している点では同じだ。それを嫌味にとる心性は、間違いなくAC だ。
さらに、「暗に、私を「脈が読み取れない傾向があること、適応上で多大なご苦労があるもの」に仕立て上げてますよ。」、また「暗に」が出てきた。何故故「暗に」と読む必要があるのだ? どれだけ「暗に」を使えば済むのか? だからそのまま読んでくださいと言ったのです。「上から目線でない」「暗に」をやめていただくためにジャイアンがジャイアンに対し言ったことです。
さて次、「み さん、これは高飛車ですよ」、おいおい、と思った。貴方の高飛車、初めからでしたよね。もううんざり。他者に対しての貴方の言葉、振り返ってみましょう。
雀さんに対し、「この批判を書く為に、どのくらい内省されましたか?雀さんがここに認識不足のまま勝手なイメージを書くことが、どれ程の暴力か、想像できますか?」、貴方、ここで「はじめまして、このこねこ と言います。私も初めての書き込みです。」と書いています。貴方の内省など、ここで一度もコメントしていないのですから、とんでもない「攻撃」です。相手が面食らうのも当然。なのに平気で「「どうしても合わない患者さんもいると思う」と雀さんは想像され、それを根拠に批判するなんて、あまりにも乱暴です。」、「雀さんがここに認識不足のまま勝手なイメージを書くことが、どれ程の暴力か、想像できますか?」と続けた。とんでもない高飛車ではありませんか? 貴方の内省の言葉などここのだれもが知らない中で、「私は専門家ではありませんので、単なる印象ですが、AsやADHDの方は、自分に対して「?」と問いかけられると、過剰反応や見当違いの反撃であっても、どんな形でも応じる気がします。その真剣さ、素直さ、実直さで何でも反応するから、からかわれるのでは、と感じてます。」という理由で、雀さんに対しここまで高飛車に書いたのです。
そもそも、その理由からとんでもない「思い込み」が始まっており、私は「雀さんは先生の記事に対して、先生に向けてコメントされました。ですから、ここを読むADHD、AS当事者に「?」と問いかけているわけではありません。」と訂正をかけたのです。貴方、「この批判を書く為に、どのくらい内省されましたか?」と書きました。私は言います。「ご自身の思い込みが激しい傾向を、私に言われて内省されましたか? このこねこさんがここに認識不足のまま勝手な理解で書くことが、どれ程の暴力か、想像できますか?」
次に、ここが意味不明。「問題は、職場の上司がジャイアンであるかどうかではないのです。」「問題は、他人をジャイアンと言う言葉で推定して、わかった気になられるのでは」。第2段が飛んで行ったと表現したのは、私がコメント欄を間違ったからそう表現したのであり、これは貴方が関連付けすることではありません。第1段の次に第3段があることはおかしいから、間違ったことを湾曲して表現したことです。何故にそのことについてここに書くのですか? 適切というのは貴方のコメントの後という意味ですが。
次に、「私がジャイアンであろうとなかろうと、それは み さんに関係のないことですよ。」関係がある。だから、「少々誤解を解くために書かなければならないかと思いまして、再びここに書きます」と書いた。その理由は「今後ずっと言われるのは勘弁してほしい」だ。迷惑なんだよ。非常に。貴方がこれ以上「ジャイアンでないと決め付けられ推定され」と書くのなら、毎回同じ不愉快を感じることになる。「おそらく」があってもなくても同じ意味を持つ文章ならば、今後も同じく「おそらく」の意味を解説するだろう。貴方が間違っている、これを繰り返す。
さらに、貴方はこう言っている。「私が嫌な思いをしたのは、ジャイアンでないと決め付けられ推定され、分かった気になられたことです。」貴方言ったじゃないですか。雀さんに「ちゃんとした根拠をはっきり示すのが、礼儀ではないでしょうか?」って。だから私にその礼儀を示してくださいよ。ちゃんと根拠を示してくださいよ。ジャイアンならばできる。私はすでにその根拠を示している。こう言うために根拠を示したと言っていい。もう一度言います。ジャイアンならばできる。
み さんへ、このこねこです。
こんな例でどうでしょう。
Aは自分を賢いと思っている。Bが「Aは賢くないので0000」と言った。
Aは、 1.自分は賢い、と怒る。 2.Bに決め付けられたくない、と怒る。 の2種類が考えられます。
1.なら貴方が言うように、賢いことを証明する必要があります。(本当は、Bが賢くないことを証明する必要があるのですが・・・) 2.ならば、賢いかどうかを検討する必要はありません。
この違いが分かりますか?
Aは自分を賢くない(馬鹿)と思っている。Bが「Aは賢くない(馬鹿)ので0000」と言った。
Aは「俺は馬鹿かもしれないが、お前が言うな!!」と怒る。分かりますか。
他人が踏み込んではいけない領域だって当事者が言ったら、止めなくてはいけません。
>「文脈が読み取れない傾向があること、適応上で多大なご苦労があるものとお察しいたします。」これは本音で書いた。嫌味でなく、私は別の形で言語障害がある。動作性の言語障害だ。別の形で障害があり、苦労している点では同じだ。それを嫌味にとる心性は、間違いなくAC だ。
おいおい、本音で書いたら何でも許されると思っているのですか?
貴方がいろんな障害で、私をこの様なものに察したのは、本当なんだって、了解しました。
でも貴方の察しが間違っていることは、了解しますよね?私は苦労してると書いてませんし、思ってもいませんもの。
次に、貴方がそう本音で思ったのは、障害によるからどうしようもないことでしょう。しかし、それを書くことを止めるのは、学習、訓練で少しずつ出来ます。(貴方が私に改善を要求するように、私もお願いします)あなたの為に言ってるのではありません。前回はイヤミと優しい言葉で言いましたが、ちゃんと言います。あなたの相手に対する推測、本音は相手の心をナイフのように傷つけます。人を傷つけているのだって、少なくとも気が付いてください。そして書き方を変えるよう考えてみてください。
「間違いなくAC だ」 って貴方は本音をそのまま書いたのでしょう。だから「そのままを理解してください」ってか。
私を決め付けるな!って怒っている私に「 間違いなくAC だ」ですか。私の怒りの場所を理解してないのですねぇ。私の文章そのままを理解してくださいって、私も言いたい!
「実験をしましょう」と」言われれば、受けて立つことがはじめた者の義務だと思っています。
>しっかりした根拠を示さないでデリケートな問題だと逃げるのでしょう?
これは、最初に書いた例文をそのまま理解してくだされば、逃げてるのではないことが分かるでしょう。「言い逃れ」と感じるのは、貴方の思い込みですよ。
>このようにしてACのエピソードなくして書けるのではないですか?
それは貴方の例だけによる単なる思い込みです。ACが抜けなければジャイアンだって分からない時もあるって、先生も書いておられます。私はACが抜けたかどうかを検討するところからしか話を始めたくない。
>世の中に「おそらく」なんて言葉はなくていいのでは? 私は世の中に必要な言葉であるから存在しているのだと思いますが?
「おそらく」に注目しないだけで、その単語がこの世になくて言いと考えるのは飛躍ですよ。
貴方は自分のことを、言葉が書かれていればその言葉通りに読む人だって書いてます。そして自分の言葉もそのまま読んで欲しいと。
「私は「おそらく」という言葉に注目してません。」 という文章に、なくていい、なんて言葉はありますか?必要ない、という言葉がありますか?貴方は「注目してません」と書いてあるんだから「注目してない」と読む人なんじゃないですか?
どうしてこんなに飛躍や思い込みがあるのでしょう?お伺いしたいです。
>結論だけ、つまり理由はいらない、とおっしゃっている。
これも違いますね。私はそう「おっしゃって」いません。貴方の思い込みです。
例が悪いですが、例えば知らない人の家のトイレを借りる時に「すみません、冷えちゃったのでトイレ貸してください」とは言いますが、「すみません、クラミジアに感染してトイレが近いので、貸してください」とは言いませんよね。そこまで自分をさらけ出す必要がないでしょ。
つまり結論と理由の重大さを考えた時に割に合わない、と言うことです。分かりますか?
もうこんな時間。2日続けての寝不足は辛い。書くのが遅いし、時間も不規則にしか取れないので、続きはまた今度、ということで勘弁ください。
このこねこさんへ
これは実験です。ジャイアン同士なら、冷徹な戦略を基に論戦を繰り広げるという仮説を立てての実験です。
「他人が踏み込んではいけない領域だって当事者が言ったら、止めなくてはいけません。」
私は上記の仮説を立て、実験しているのです。当然、このようなことをおっしゃってもやめはしません。貴方は「決めつけられ嫌な思いをした」という言葉を書き込むことをやめることができますか?
「おいおい、本音で書いたら何でも許されると思っているのですか?」
そのようなことは一切思っていない。冷徹な戦略を基に論戦を繰り広げるという仮説を立てて実験しているのだから、なぜ許されようとするようなことをすると思ったのかがわからない。
「でも貴方の察しが間違っていることは、了解しますよね?」
貴方自身でACだと言っているではないですか?齟齬がありますよ。
「私は苦労してると書いてませんし、思ってもいませんもの。」
ならば、やんばる先生の記事もコメントも読む必要がないのでは? 苦労していないなら立派に社会適応できているはずだ。ここは発達障害に理解あるコメントを書くところであり、発達障害の特性から苦労している人々の思いを書く場だ。苦労していない貴方が、発達障害を疑いさまざまな思いでコメントを書きこんだ人に批判するのは場違いだ。迷惑なんだよ。非常に。失礼なんだよ。
「学習、訓練で少しずつ出来ます。」
貴方何様ですか?雀さんに対しても私に対しても、とんでもなくおせっかいをやく。貴方言ってましたよね。「余計なお節介です」と。自分はOK、他人はNOってどういうことですか?とんでもなく自己中心的ではないですか?
「あなたの為に言ってるのではありません。前回はイヤミと優しい言葉で言いましたが、ちゃんと言います。あなたの相手に対する推測、本音は相手の心をナイフのように傷つけます。」
貴方自身でACだと言っているではないですか?齟齬がありますよ。貴方がACだというから肯定しただけですが。言われたくなかったら自分からACだと言わないほうが良いのでは? 意味がわからない。
「人を傷つけているのだって、少なくとも気が付いてください。そして書き方を変えるよう考えてみてください。」
これまた余計なお節介を。貴方余計なお節介をされたくないのでしょ。だったら人にもしないこと。そして、冷徹な戦略を基に論戦を繰り広げるという仮説を立てて実験しているのだから、戦略であることぐらいわかるでしょう。冷徹とは感情に動かされないで物事を冷静に鋭く見とおすことです。傷ついたというのは感情が動かされているからでは? あなた本当にジャイアンですか? ジャイアンだったらジャイアンなりの戦略を考えて発言してください。
「ACが抜けなければジャイアンだって分からない時もあるって、先生も書いておられます。私はACが抜けたかどうかを検討するところからしか話を始めたくない。」
貴方は自分がジャイアンACと思っている。そのジャイアン性を自覚しているから言えることでしょう。私はACのころ全くジャイアンなどという言葉は知りませんでした。あるカウンセラーから「ADHD」という言葉をきき、調べ理解しました。貴方はここにすでに「ジャイアンACと思っている」と書いている。だからこそ、ACのエピソード抜きで書けるはずだ。貴方は雀さんに根拠を示すように強い姿勢で言った。私は貴方に強い姿勢で根拠を示すように言っている。雀さんに言えるのだから貴方にできないことはない。
「「おそらく」に注目しないだけで、その単語がこの世になくて言いと考えるのは飛躍ですよ。」
「おそらく」に注目しないこと自体が本来おかしいのであり、「おそらく」をふくめて文意(文章の表現しようとしている趣旨)を理解することが当たり前なのです。これは私の思い込みではありません。勝手に「おそらく」を省いた文の意味理解をしようとするから、文意が読めていないのです。貴方の文章理解がそのような状態であるからこそ、定型の方だって了解不明になったではありませんか? このような文章理解をされていれば、実生活上での他者とのコミュニケーションがスムーズに取れているとは考えにくい。貴方の言うこと、周囲の人に理解されていますか? 実生活のコミュニケーションで苦労はしていないですか?
「例が悪いですが、」
例が悪い。意味不明だ。
「つまり結論と理由の重大さを考えた時に割に合わない、と言うことです。分かりますか?」
例が悪いのだからわかるはずがない。理由と結論の重大さとは何ぞや? ところで何でクラミジアが出てくるのか? 貴方感染しているの? 非常に突飛なのだが。
「もうこんな時間。2日続けての寝不足は辛い。書くのが遅いし、時間も不規則にしか取れないので、続きはまた今度、ということで勘弁ください。」
私は夜中3時まで起きていることはない。生活リズムを保つというのは自己責任の範疇だ。よって、貴方の寝不足など私は知ったこっちゃない。よって「勘弁ください」など関係がない。私は実生活で仕事をしっかりと遂行している。感情に振り回されているから寝不足になるのでは?
これは実験です。ジャイアン同士なら、冷徹な戦略を基に論戦を繰り広げるという仮説を立てての実験です。
言われる前に訂正しておきます。
「了解不明」→「了解不能」
「理由と結論の重大さ」→「結論と理由の重大さ」
そこにこだわられると困るから訂正します。
このこねこさんへ
貴方は総括として「みさんは合計4回コメントをなさっています。その内の3件の最後のフレーズは、自分の経験や一般論を装って、「衝動統制」「表面的な理解」「狩猟する場でなく」と、一貫して私に書き込みを止めろと、忠告なさっている」と書いています。
貴方はここでも「誤認知」をしています。貴方が認知した「一貫して私に書き込みを止めろ」、これは全く私の意思とは異なります。
貴方が私とSkyさんのコメントをたたき台にした時の、貴方の「暗に聞きたい由を伝えた」と私の「ここを読んでいる方々の中に、この件の日程を知りたい人がいるだろうと考えました。私が日程を聞きたかったのではありません」の違いと同じです。
「誤認知」をしたまま「私がまだ何をしようとしているのか分からない内に、何を持って押し留めようとするのでしょう。余計なお節介です。もう一度言います。持論を述べるだけで、私のしようとすることを知る気はないので、説明する機会を私から奪い、そして理由を示すことなく、止めろと言い続ける。こういうやり方をされると、大抵の人は逆上するでしょう」と怒りをぶつけています。
この「誤認知」こそ、貴方の特性ではないですか?
この「誤認知」と誤認知から生起した感情で、ここにコメントされた雀さん、ぴのさん、WFTさん、私にそれぞれ批判したり、不愉快を露わにしたり、「内省はしないようですね」と失礼な言葉を投げたり、「私は、私がやろうとすることに意味なく邪魔する人には、激しい怒りを覚えます」と言いました。
貴方の実験の目的は「バラバラの認識のままで「論理的に相互理解が可能」になりたい」でした。上記のように相手を批判したり、不愉快を露わにしたり、失礼な言葉を投げたりする事は、相互理解を可能にするのとは反対で、敵を作ります。
貴方がもし、「誤認知」があっても「論理的に相互理解が可能」な関係を構築したいと常に願っていれば、「誤認知」から生起した感情そのままに発言せず、「どの様に他者と繋がれるのだろう」といつも考え、丹念にコメントされた方の言葉に対する認知を確認することができたのではないでしょうか。
このこねこです。
最後の文章で「勘弁」って書いたのは、貴方の全文に対するコメントかけないまま、いったん終了しなくてはいけないことのことわりでした。でも考えてみると、貴方と私の実生活の違いがあるように、書くことのスピードの違いなど事情がある、それは仕方ないことだ。
だから早く書けないからって「勘弁」と自分を卑下することはなかった。貴方が言うとおり「勘弁」って言う言葉は撤回しよう。
貴方のジャイアン振りは迫力あるねぇ。 貴方が思っている実験って戦争みたいですね。勝つか負けるか。「ジャイアンの攻撃モードは相手を陥れるのが目的ですが」と言った貴方の言葉。その通りに行動するんですね。これじゃあ貴方の実験と私の実験は、目的が違うね。
この部分はナーバスだから止めてくれ、って言ってる弱点をぐいぐいえぐりますねぇ。今回は「本当にジャイアンですか?」と書いたのも、陥れる目的なんだね。 くだらないねぇ。
まぁ、感想はこんなところで。
続きを書くつもりでしたが、書けば書くほど答える項目が増えるばかりで、一向に理解する点が見つからない。一つひとつの項目に答えていく方法は諦めるしかない。
そして「ジャイアンの攻撃モードは相手を陥れるのが目的」と考えてる人がそれを行っているんだから、もう相手に合わす事はない。あんたの思惑に乗らないよ。私が書いた文で、勝手に人を陥れることを探し出して書いてね。私は私の書きたい様に書いていこう。
なぜ私が貴方に対して初めから怒りパターンだったのか。
なぜ私が貴方に対して初めから怒りパターンだったのか。
ACのジャイアンであることで感じたことを書いていこうと思った矢先に、思わぬ出来事が起きた。
過去ブログを読んで、酷い人だなぁと思った人からレスが来たのだ。
私は動揺しながらも、冷静に対処したつもりだった。しかしやっぱり怒りは言葉の端々から流れ出ていた。他の人によって気づかされた。だから謝罪をしたんだ。
頭を冷やしてる時に先生のACの項目を読み直した。ACの「自分の問題と人の問題の区別ができなくなる」 に該当することが分かった。ACはすっかり抜けたと思っていたんだが、そうでもなかったことが分かった。
過去ブログは過去の話。傷ついた人は私ではない。傷つけた人は私ではない。あの話は私には関係ない。私の問題とあの話は関連してない。と理解できてやっとすっきりした。
で今回、私が書いた一文にこんなに怒るとは想定外だった。
「おそらく、このこねこさんの特性と異なるため 」に私は「自分の理解の範疇にないからと言って、私をジャイアンではない、と断定なさる。・・・失礼ですよ」って書いたのに、まったく反論がなかった。だからてっきり納得してるものと思っていた。
そしてバトル再開。
すると思いもよらぬことだけど、過去ブログと同じパターンになってきた。
バトルになると、相手の一番デリケートなところを告白するように誘導して、そして親切そうな言葉で止めを刺す。貴方のやり方だよ。
貴方は竹やりでバトルしてるところに鉄砲を持ち出してる。バトルにも言ってはいけない領域があることがまだ分からないのか! そこを侵略された者がどれだけ傷つくか、貴方は想像したことがあるか。
貴方は気づく気がないのは分かった。
しかしここで貴方のやり口を暴露することで、未来の被害者を防ぐことが出来た。
私はそれで満足だ。
未来の被害者になるかもしれない人に言います。
貴方が持っている辛いけれども貴方だけの経験や特性は、貴方にとって大切な貴方の一部です。
誰かの挑発で怒りに任せて言ったりしてはいけません。言わなければいけないと誘導されても言わなくても良いんです。言わなきゃって、追い詰められる気分になっても言う必要はないんです。
一時の感情に任せて言っちゃうのは危険です。自分が悲しくなります。
大切なものを、誰かの自己満足の道具に貶めなくて良いんです。
だってその思い出や貴方の特性は、辛いけれど大切な貴方個人のものなんです。
貴方が言いたくなった時に、貴方が伝えたい人にだけに言えば良いんです。
あなた自身を大切にして下さい。
挑発に乗らないで下さい。
例え貴方に非があっても、そこまで晒せという理不尽な要求には、きっぱりと断って良いんです。
大丈夫です。自分を守る権利はあるのですから。
自分を大切にしてください。どうかお願いします。
このこねこさんへ
以下は、実験ではなく、正当な抗議として書く。
「だから謝罪をしたんだ。」「頭を冷やしてる時に先生のACの項目を読み直した。ACの「自分の問題と人の問題の区別ができなくなる」 に該当することが分かった。ACはすっかり抜けたと思っていたんだが、そうでもなかったことが分かった。過去ブログは過去の話。傷ついた人は私ではない。傷つけた人は私ではない。あの話は私には関係ない。私の問題とあの話は関連してない。と理解できてやっとすっきりした」
私は貴方が私に謝罪をしたとは思っていない。とくに、「そうでもなかったことが分かった。過去ブログは過去の話。傷ついた人は私ではない。傷つけた人は私ではない。あの話は私には関係ない。私の問題とあの話は関連してない。」ことは何も触れていない。
貴方が書いた文はこうだ。
「雀さんはいらっしゃいませんが、WFTさんがおっしゃるように迷路で出口を捜し求めてる方ならば、どうしてその気持ちが伝わらないのか、どこで読む人はイヤだと感じるのか、を検討するのは、雀さんと同じ悩みを持つ方にはヒントになるのではないでしょうか。私のような思い込みタイプの人にも利益になると思います。(少なくとも私は考えが深まりました)
とは言え、これはブログに書いた言葉をたたき台にして議論してよい、という前提があっての話です。皆さんはその覚悟を持って書いておられると思ったのは、私の勝手な思い込みなのですね。
このブログでも、頓挫したのに一人語りを続けることは相手にとって失礼である、と言うことならば、私は関わった方々に謝罪します。そして此処から去ります」
つまり、貴方は「頓挫したのに一人語りを続けることは相手にとって失礼である、と言うことならば、私は関わった方々に謝罪します。」と書いている。これのどこに、「自分の問題と人の問題の区別ができなく」て、「過去ブログは過去の話。傷ついた人は私ではない。傷つけた人は私ではない。あの話は私には関係ない。私の問題とあの話は関連してない。と理解でき」たことを謝罪したというのか?
私は貴方に謝罪されたとは思っていない。
このこねこさんへ
もうひとつ謝罪文があった。だが、先と同じ通り、「そうでもなかったことが分かった。過去ブログは過去の話。傷ついた人は私ではない。傷つけた人は私ではない。あの話は私には関係ない。私の問題とあの話は関連してない。」ことは何も触れていない。
貴方の書いた文はこうだ。
「名前を挙げた当事者の方々(もう名前を出さないで、という希望に従います)
私の言葉に苦々しく思って読んでおられた皆さん、本当にご迷惑をお掛けしました。
勝手に名前を出して、申し訳ありませんでした。深く謝罪します」
どう考えても、自分の問題と人の問題の区別ができなくて申し訳なかった、とは読めない。
このこねこさんへ
これも実験ではなく、正当な抗議として書く。
「おそらく、このこねこさんの特性と異なるため 」に私は「自分の理解の範疇にないからと言って、私をジャイアンではない、と断定なさる。・・・失礼ですよ」って書いたのに、まったく反論がなかった。だからてっきり納得してるものと思っていた。
反論がなかっただけで納得しているなどという道理はない。貴方の勝手な思い込みがとんでもなく多いので、いちいち訂正するよりもスルーしたほうがよいと考えた。内心では「断定していないだろう、またこの人文意を読めていないよ」と思っていた。貴方、その私の気持ち、想像することができますか?
スルーした以降に、貴方は「決めつけられ嫌な思いをした」と別のところで書いた。貴方にこだわり続けられ、あちこちで書かれることは避けたかったから、「少々誤解を解くために書かなければならないかと思いまして、再びここに書きます。」といった。
このようなことは、ぴのさんにもしている。「内省はしないようですね」と。内省は自分の考えや行動などを深くかえりみること、反省であり、コメントに書こうが書くまいが、その個人の内的な心的作業である。貴方がコメントに書かれていないからって、勝手に「内省はしないようですね」とこのように断定することはできない。内省は貴方のためにあるのでなく、その個人のためだ。貴方に言われる必要のないことだ。ぴのさんに、そのことをきちっと謝罪してください。
このこねこさんへ
「すると思いもよらぬことだけど、過去ブログと同じパターンになってきた。バトルになると、相手の一番デリケートなところを告白するように誘導して、そして親切そうな言葉で止めを刺す。貴方のやり方だよ」
この過去ブログと同じパターンとは、ジャイアンの私とASのらいむ(ちひろ)さんとのことですね。さて、同じパターンだとすると、貴方はASですか?
「貴方は竹やりでバトルしてるところに鉄砲を持ち出してる。バトルにも言ってはいけない領域があることがまだ分からないのか! 」と啖呵を切っているけれど、それを承知で私の「ジャイアン同士なら、冷徹な戦略を基に論戦を繰り広げるという仮説を立てての実験」に「受けて立つ」と言ったのでは?
貴方が「ジャイアンでないと決めつけられて嫌な思いをした」と書くから、貴方のジャイアン性を証明するためにこの実験をしている。証明したいのは私だ。私がこの実験で貴方のジャイアン性を感じられれば、貴方の「ジャイアンでないと決めつけられて嫌な思いをした」という気持ちを受け止めよう。そのためにやっている。
『ジャイアンの攻撃モード』を参照してください written by み / 2012.05.22 22:36
ここで読んでほしかったから書いたのだが、なぜ読まなかったのですか? そこには、先生が「ただ、「積極奇異型ASが攻撃モードになったときは多くは怒って相手に直接攻撃に行くが、ジャイアンが対決することに決めたら逆にどんどん冷静になり、冷たく確実に相手を陥れる戦略を考えはじめる」ということろは少し違うのだが」と言っています。
ついでに、先生は「自己突っ込みが機能していないことが逆に恐ろしい」と書いています。私はこのことをらいむさんとのやり取りを通じて理解しました。つまり、このことを承知で、実験としてやっている。実験中常に自己突っ込みというブレーキに足を乗せて行っている。
貴方がジャイアンなのであれば、ジャイアンの醜さを思い知ることになる。いいですか。その覚悟があってのことですよね。貴方が本当にジャイアンならば、今私に感じている醜さを、貴方自身に見るでしょう。つまり、貴方がジャイアンだと言っている以上、貴方の中のジャイアンの醜さを認めなければなりません。AS以上に醜いですよ。ジャイアンは。
つづき
先生は、『問答無用の自業自得』で、「ジャイアンの「責任」の観念は非常に厳しい。いかだで川を下っていて川下に滝があるのを誰も教えてくれなくても、落ちたのは自業自得で、逆にもしも「教えてもらう」と中心志向からの自己突込みがあるので「困る」面があるくらいだ。」
「世間では「助けるべき」場面でもジャイアンは「自業自得だろう」と助けることはせず、少なくとも私は「人に聞かなくても川を下るのなら滝があるかどうかくらい自分で調べるのが当たり前だろう」と人にも自分にも考える。」
と書いている。
貴方がジャイアンならば、さんざん私に無視するな!無関心になるな!と訴え続けたのだから、「川を下るのなら滝があるかどうかくらい自分で調べるのが当たり前」で、「川下に滝があるのを誰も教えてくれなくても、落ちたのは自業自得」と考えるはずだ。つまり、「そこを侵略された者がどれだけ傷つくか、貴方は想像したことがあるか」、は自業自得だ。私を相手にさまざまなことを言ってきたのだから、滝に落ちても自業自得だ。貴方がジャイアンなら、そのような弱音を吐かず、自業自得と考えやり抜くはずだ。私は幼少期の頃からそうして生きている。貴方のその訴えは非常に甘い。
私が実験として行ったことは、以上の事柄をこのこねこさんに伝えたかった故です。これ以上、何も言うことはありません。
ジャイアンでも、ASでも、その特性からは離れられない。適応していくためには、その特性と折り合っていかなければなりません。人のせいにしても、周囲の人に理解を求めても、生きてはいけない。自分がどう生きるか。人生を生きるのは自分でしかない。
ここは、各自の発達障害の特性について理解を深め、各自がADHDであってもASであっても、生きていく術を探していくためのものだと思っています。
今回、非常に多くのコメントをし、いつも書き込まれる方々を沈黙させてしまいました。以前のことがあったので、最初はその反省のもとにコメントしていましたが、その姿勢を続けることができませんでした。自分自身、非常につらいです。行きつ戻りつです。きっとこのきつさはASの方にはわからないでしょう。
先生、皆様、本当に申し訳ありませんでした。この件に関するコメントはこれで終了します。
み さんへ、このこねこです。
抗議されたのなら、それに回答しなければなりません。
うんざりですが仕方ない。
謝罪文を書いた後に、頭を冷やしす時間の中で、ACがまだ抜けてないことが分かった。そう書いてる。だから謝罪文にその内容はないのは当たり前だ。文意を読んでね。
>内心では「断定していないだろう、またこの人文意を読めていないよ」と思っていた。貴方、その私の気持ち、想像することができますか?
出来ません。何故なら私はAC(のジャイアン)だからです。(この様に書くのは、貴方がジャイアンにばかりに注目するから、分かるよにしました)
[もう誰も私のことを00だって言わせない。私を規制したり規定することは許さない]
これはACによる過剰反応です。分かっています。
でも止められない。自分では徐々に納得出来るようになって、認知も変わりつつあると思っていた。しかし貴方に関しては、止められない。貴方はACを誘発する書き方をする。
それを指摘しても変えるどころか、どんどんエスカレートする。
何度も言い方を変えて分かるように言ってるのにねぇ。
>この過去ブログと同じパターンとは、ジャイアンの私とASのらいむ(ちひろ)さんとのことですね。さて、同じパターンだとすると、貴方はASですか?
今回は「貴方はASですか?」ですか。余計なお世話どころか、有害だって言ってるのに。
違いますよ、貴方が名前を挙げた方とは違う名前の方です。その方にご迷惑が掛かるのでこれ以上は書きません。
>貴方が「ジャイアンでないと決めつけられて嫌な思いをした」と書くから、貴方のジャイアン性を証明するためにこの実験をしている。証明したいのは私だ。
貴方が証明したいのなら、貴方は決めつけてない事を証明すればいいだけの話じゃないか!
どうして貴方の証明の為に、私が何であるかを貴方を納得させないといけないのか!
そんなことは認めません。許しません。何度書いても同じです。
貴方が証明したいのなら、決めつけてない事を証明ください。人の大切な部分を使わないでね。
貴方が証明したいのなら、貴方は決めつけてない事を証明すればいいだけの話じゃないか!
どうして貴方の証明の為に、私が何であるかを貴方を納得させないといけないのか!
そんなことは認めません。許しません。何度書いても同じです。
貴方が証明したいのなら、決めつけてない事を証明ください。人の大切な部分を使わないでね。
貴方のジャイアンの解説は、もう良いです。
貴方のジャイアン振りや貴方なりのジャイアン理解の文は、客観的には読み応えありますが、貴方固有の読み方です。これは純粋なジャイアンの特徴のようです。
私は何度も ACのジャイアンだって言ってます。
以下は、ジャイアンACについての先生のコメントです。
>ジャイアンACは非常に多彩な病形を取りうる。状況察知能力と幼少期の環境により、ボーダー様から摂食障害、解離を伴うこともある。 私の治療方針は単純で、「ACの部分をまず治す」という方法で進めている。
>①異常な「関連付け」が見られ、「被害妄想」とも言える様な状況証拠をつなぎ合わせた恋愛妄想などが見られる。
②頭が非常に働き、「見たもの全てに突っ込みまくる」ような反応過敏の状態になる。表現はTPO無視のハチャメチャなことが多いが、よく見ると鋭い指摘だったりする。①異常な「関連付け」が見られ、「被害妄想」とも言える様な状況証拠をつなぎ合わせた恋愛妄想などが見られる。
②頭が非常に働き、「見たもの全てに突っ込みまくる」ような反応過敏の状態になる。表現はTPO無視のハチャメチャなことが多いが、よく見ると鋭い指摘だったりする。(ジャイアンACの「崩れ型」回復)
ACを抜かないとジャイアンらしさが出てこない(でも過集中などの特徴はあると書いておられます)。それ程ACの影響は強いようですよ。
私は AC(のジャイアン)だって言ってるでしょ。(ACを強調してるんだよ~)
言葉通りに受け取るのがジャイアンなら、私の言葉通りに受け取れば良いじゃないですか。
貴方が思っているジャイアンの特徴だけがジャイアンじゃないのですよ。
このこねこ様
(私が書くのは本来はするべきでは無いと思いますが 黙って削除するよりはこちらで書いたほうが良いと思います)。
残念ながらあなたが書いていることは単なる自己正当化でしかありません。
あなたがACであると言うのであれば、ACを完全に治してからでないと「相互理解」を試みることは出来ません。
何も反論しないで、自分に対して書かれたコメントを100回読み直して下さい。そして何も反論はしない。
「相手が間違っている」という以外の結論にたどり着けたらあなたは「ACから回復している」といえると思います。
(そのことを報告することもしないでください。それが「ACから回復している」ということです)。
先生、みさんは立派だったね!