最近の考察を受動型ASの本人から見た場合で考えてみた。
受動型ASの本人が理解するべきことは、以下の通り。
1.「誰かが本人を理解することも、本人を大事にすることも、100パーセントを求めることは出来ない」という単純な当たり前の真実を認める。
2.親でも。親友でも、パートナーでも同じである。「100パーセントを目指して努力し続ける」ことは出来るが、結果として「100パーセントの理解が成立した」と感じるとすればそれは「錯覚」であり、「勘違い」である。
3.当たり前に100パーセントの理解や100パーセントの受け入れを要求した場合、関係が長持ちすることは不可能である。これも考えれば当たり前であるが、現実的には「4、5歳までの幼児期に親が一見それに近い状態になれる」か、または「胎児期の母親は100パーセントの庇護をすると言えるが、その母親に胎児が現実的に要求することは出来ない」と考える。
4.だから受動型ASの人には究極の選択が必要である。「100パーセントを求め続けて孤立する」結果を選ぶか、「100パーセントを断念して50パーセント、70パーセントで納得するようにして(妥協によって)実際のパートナーを得る」かである。
5.受動型ASの人が求める「相手からの無条件の必要」も現実的には「幻想」である。当たり前であるが、相手の誠意を試し続け、痛めつけ続ければ遅かれ早かれ相手は去って行く結果になる。「どんなに痛めつけても見捨てない根拠になる必要」などあり得ない。親でも人間であるから限界があり、私は主治医として「児童養護施設に預けて親子が離れる」宣告をしたケースも実際ある。
6.有限の世界の中で生きた人間に可能なことは、「努力」「決意」でしかない。努力は求めても、結果の要求をしている時点で関係が長く継続することは諦めるべきである。
7.「選択の結果としての必要」は求めることが出来る。必要の結果としての選択ではなく、選択の結果としての必要であれば、現実の有限な世界の人間に可能な行動である。当たり前であるが、選択は永続的である保障は無く、努力をし続け選択をし続けることが出来るだけである。
8.「相手に100パーセントを要求出来ない」ということは、「全てのことで一部は自分の責任で行動するしかない」ということである。うまく行かない結果も当然一部は自分自身の責任であり、何かを実現したいと望むのであれば一部は自分で努力するしかない。
9.胎児の状態で無い限り、自分の身体と人生のコントロールの責任は自分にある。本人に不安や苦しみがある場合、親は他者として本人の不安や苦しみを軽減することに協力する努力は出来るが、親が本人の不安そのものを消したり肩代わりすることは出来ない。
10.上記の意味では、人間はみんな「孤立」していることを認めるしかない。誰も誰にも100パーセントの依存をすることは出来ない。
これは原理的には全く「当たり前」のことであるが、受動型ASの人にはこの説明が実際必要であり、またこの説明を見ても「頭では分かっても納得出来ない」と言う受動型ASの人が実はほとんどであろう。
こんばんは、ヤンバル先生。
父には他界する前にこういうことをちゃんと言葉で説明してくれていたら、と思います。社会の成り立ちや、人間関係の細かい部分、自分(父)は分かっていてもぼくには伝えなかったことが多すぎて、今のぼくは生きている意味すら分からなくて、どこへ向かえばいいのやら、動いても割れそう、とどまっても溶けそうな薄氷の上に放置されている感じです。
こういう、ヤンバル先生の記事を読んで理解する脳は左脳と思いますが、親からの言葉は右脳も刺激するだろうから右脳も左脳も諭されて納得という形になるんだろうな、と思いました。
論理は理解できても、心が納得しない、得心しないってのはざらにあります。ここを埋めるのに時間はたくさん必要です。
ただただ話しが理解できない、通じないって事じゃないんですか?
これは有意義な指摘だと思います
通告してひたすら個人の中で考え続ける
おそらく一生通して
それが大事だと思います
自分の周辺に心地よい社会が形成されているとき、私はいつも孤独を感じます。
それは「仮面」がうまく機能しているだけにすぎず、いつも「私」とかけ離れているいるからです。
「仮面」が重くなって疲れたり、孤独を埋めたくなったり、あるいは甘えたりして「私」が外にでると、
今度は社会から孤立し、そして排除される。
寂しいという言葉を忘れてしまうくらいの寂しい風景。
自分の「攻撃性」や「依存性」の処理装置を社会適応型に改造しつづけるのは、人間の成長のテーマだと思うのですが
「思考」がどこまでそれを可能にするのか?(不可能なのではないか?)そういう疑問がありました。
私は「正しい」とか「愛」とかいう言葉は、成長から逃避するための心地好い呪文のようなきがして、その裏をのぞき込んでは深い闇を見ていました。とても・・深い闇。
そして「個」の、もちろん自分の、ゾッとするような不完全さに
『すべてを御身にゆだねたつります』という言葉が
(こいういう言葉はジャイアンさまは全力で否定しそうですけど・・・)
たどり着く場所ような気がしてくるのです・・・。
(でも、その「御身」ってなんなのさっ!)
「考える」→「限界を感じる」→「よっしや神に頼ろう」→「そんなバカなっ!!」
こんな世界の狭間の無限回廊をフラフラ歩いている時があるのです。
でも・・それを切り裂くのはのは「意思」・・
無限回廊が発生する場所で私が欠けているのは「意思」
「意思」を社会適応させることを考えるべきなのに、
意思のない「思考」をし続けても
それではどこにも辿りつくはずがない。
私は一生奴隷なのでしょうか。
ほんとうに自由で生き生きとした人生をとりもどしたい。
ADDやADHD受診しても障害を認めてもらえない
一生認めてもらえないのでしょうか?
受診しても、障碍者にするにはもったいない(働いているため)
とか、才能があるなど場違いな事を言われ殺意が沸いています
最近、先生はある意味で一番難しい受動型ASのご研究に集中されていらっしゃるので、読者の私達にも大変勉強になります。実生活にも即役に立つので、本当に感謝しております。
>受動型ASの人が求める「相手からの無条件の必要」
わかります!
これって本当に何なんでしょうね?
こちらが必死で泣く勢いでお願いするのを毎回毎回待っているような、いや、だったら気持ちよくやってあげるよってサラッと言えばいいのに、いちいち確認する。重い。
「お願いします」って言え!みたいに脅迫的なものを感じます。
そこまでして頼まれなきゃ、相手のために動けないんですかね?
まるで支配従属関係を毎回創り出して確認しているようで重い。
そんなに支配したいんですか?
思い通りに行かないとDVみたいにキレるし。
いただけないですな~。
すべて「うんうんうん」とよくわかってしまうあたりが・・・
しかし・・・受動型ASの人には、こんな当たり前のことを指摘しないといけなかったんですね。
私がしたくないことを「したくない」とはっきり拒否しても、受動型ASっぽい彼は絶対聞き入れませんでした。
文字通りキレてわめき始めます。
さらに「黙れ」「嘘をつくな」と強要、さらに「約束しろ」「約束を破ったら○○させる」と罰を用意し、私が嫌々ながらしているのを察知すると「お前がやると言ったからやるべきだ」「覚悟が足りない」などとまたキレます。
本当に暴君です。
そのくせ不安になると「自分のこと好きだよな?」としつこく確認します。ここで正直に「ううん、嫌い」と言うと、またキレます。
なので私は「好き」と言わないといけません。しかし「嘘をつくな」と言われてるので、「好き」という嘘もつけません。
ついに私が「結局何をしても怒るよね?」と指摘するとどうなったかは・・・ご想像にお任せします。
彼は自分の好みどおりに動く人間が欲しいのだ(私の自我だとか意志だとか、そんなものは必要ないんだな)と思いました。
彼が勝手に一人で怒り始め、私がそれを何時間も黙って聞いているとき(反論すると余計長引くので・・・)、「この人は誰に向かって話をしてるんだろう(目の前の私をちゃんと見ていない、この人の言葉は私の表面を上滑っている)」とぼんやり思っていましたが・・・。
私はもう少し自分の直観を信じないといけないなと思いました。
「そこまで思い通りにしたいのなら時給800円でいいよ(雇われてあげるよ)」と言いたくなったことを思い出しました。
私は「納得と理解は別物である。納得が無理でも、理解はしてほしい」と主張したのですが、それも受け入れてもらえなかったです。
彼が本当に理解できなかったのか、理解したくないから理解できないふりをしていたのか、今となってはわかりません。
こういうところを見ると、本当に自閉的だなと思います。
上記コメントにあるようなタイプも受動型ASなのですか?
ジャイアン型のような印象ですが・・・・。
受動型ASの連れがいますが、依存的なのと自分の意見を持たないのだけが色濃く、人を試したりや支配的な感じは全くありません。
受動型にもいろいろなのでしょうか・・・・
IQの高い受動型ASって結構攻撃力高いですよ。
ジャイアンの攻撃が割と「見え見え」の暴言や暴力だったりするのに対して、IQの高い受動型さん、特に言語能力に優れているタイプは「論理的に非の打ち所のない人格攻撃」静かに仏の顔をして仕掛けてきます。
「俺が厳しい事を言うのは、お前を愛しているからなんだよ。」
「愛するお前に、もっと『良い人間』に変わって欲しいんだよ。」
「愛するお前のためを思って言っているのだ。」
的なことを言うと思うのですが、これは裏を返せば
「今のお前は『悪い人間』であり、俺の求める通りに変わらなければ、愛を失うことになる。」
という脅しなんですが、これがじわりじわりとボディーブローの様に効いてくるわけです。
自覚のあるジャイアンだったら自分の欠点も認識していたりするので「お前は悪い人間だ」と言われた時点では「その通りでございます。」って、有り難いお説教を聞く感じで受け入れたりするんですよね。
依存相手だと「正直、愛はどうでも良いんだけどね。」とは流石に言えないし。
そんでもって、気付いた時にはもはや反撃する事も出来ない位に弱っていたりします。
この段になって受動型さんは安心して見え見えの暴言なども吐き始める、、、という感じでしょうか。
fさんの彼のように、相手に自分の理想であることを求めはしないけど、自分の理想とはここが違うよね、とは言っていました。
こちらとしては、そうであることを求めてはいないのですが、好きな相手の理想に自分はなれない、というのはジャイアンにとってはきついことなのではないかな? とも思います。
「100パーセントを断念して50パーセント、70パーセントで納得するようにして(妥協によって)実際のパートナーを作ろうとするのはうまくいかないんです。
「100パーセントを求め続けて、実際のパートナーを得る」というのが受動型ASの真実のようです。
これは私も先生と同じように思っていたわけですから、無理もないです。
妥協しても、どうしても理想の相手と重ねてしまうんです。たとえ口に出さなくとも、ジャイアン女性は敏感ですから、妥協していることがわかってしまいます。そこがほころびになって終わります。
当たり前に100パーセントの理解や100パーセントの受け入れを要求した場合、関係が長持ちすることは不可能である。 のは、一般論としては正しいですが、理想の相手に重なる人、というのは実在します。
受動型ASの理想は低いですので、自分のこだわりを100%満たしてくれるパートナーなら、根気良く探せば少ないですがいます。
間違いなく絶対数は少ないですので、今のようにネット見合いで母数を増やすことが前提ですが、自分のこだわりを全部書いて、それを100%満たす相手を募集すれば、そこそこの確率では見つかります。
そういう前提であれば、100%自分のこだわりを受け入れてくれる、という前提で手を上げてもらったのですから、本当に自分のこだわりを100%受け入れてくれるんです。
これは本当に快適です。
今までの苦労は何だったのか? と思います。
ジャイアン女性から見ても、「自分の理想と重なる完璧な嫁」といわれるのは嬉しいでしょうね。「ここを直せ」といわれる不満の裏返しですし、「ありのままの自分を受け入れて欲しい」という願いもよく聞きます。
また、そういう組み合わせの場合、適性が100%反対になってます。遺伝子学上では自然なことです。
何をやるにしても、得意な部分が重ならないので、自然に役割分担が決まるんです。
お互い、自分の弱点を補ってくれることに感謝し、お互いの長所を尊敬し、100%の要求とありのままの自分を受け入れる。
理想の相手を捨てられないのだから、理想の相手を見つけるしかないんです。
そこまでたどり着くには多大な苦労が必要になりますが、それだけの価値はありますね。
受動型ASにとって、理想のパートナーというのは何者にも変えられないものです。
実体験として、本題4は否定させていただきます。