受動型ASは思春期になっても自発的に勉強しないことが多い。高校受験、大学受験になっているのにいつまでも「自覚に乏しく」、自分から勉強しようとしない。
その結果14、15歳や17、18歳になっても親がうるさく「勉強しなさい」と言い続けて、やっと勉強するというパターンになっているケースを多く見かける。
最近私はこのことを説明する一つの理解の図式、方法を考えついた。
何度か書いているが、受動型ASは現実的、「前向き」な想像力に乏しい。逆に対人関係は一人ひとりの相手ごとに行動が異なるなど、「個別的で細部を重視する」思考や想像の大きな特徴がある。以前の考察では、そこで「パッケージ方式」を考案した。
だから、「今勉強しないと来年困るよ」などは「一概に言えない」とあまりに乱暴な一般論ということになり、 説得力を持ち得ない。(認知自体が困難であるようだ)。
単純にこの思考と想像の特徴から説明が可能となる。
1.一般的なことを言われても自分がそうなるかどうかは全然分からないから、何十回言われても行動には結びつかない。
2.「親や重要な家族が、個人的に勉強をして欲しいと今の本人に望んでいる」という事実は個別的で具体的であるために、一般論に比べて受動型ASにとってははるかにリアリティー、説得力が大きい。
3.この思考や想像力の特徴の結果、その前から「自分で考えて自己責任で解決する」行動の習慣が出来ていないことが多い。これは親にも一部責任がある。
「親がどこまでうるさく言うべきか?」は非常に難しい問題であるが、「どうなっても自己責任で本人に任せる」と親が腹を括るタイミングをどこにするか、ケースバイケースで考える必要があるだろう。
「自分で考えて自己責任で解決する」
私の弟と従兄弟がこのタイプの受動型ASだと思います。
(ちなみにこの二人に共通しているのは、情緒障害で幼い頃絶対的な庇護を諦めていた可能性が高いこと。身内に執着せず、幼い頃から友達と過ごすことが多かったです。あとは、判で押したような予定調和な日々がこだわり化してることでしょうか。)
もう一人受動型ASの従兄弟(弟)がいて、こちらは母親の意見に左右されやすいです。
何が違うんだろう…今度従兄弟に前記事の質問してみます。
弟の場合、受験勉強は母が「お金が無いから、公立にさえ行ってくれればどこでも良い」といった感じでうるさく言わなかったせいか、ギリギリになってからやり始めてました。
将来就職に役立つ資格が取れるからという理由で近場の工業高校を選び、無事卒業して就職先まで決まってたのに、それを蹴ってフリーターになったのですが「○歳までフリーターをやって、○歳で就活する」というプランがあり、フリーターの間もずっと貯金を続け、今は就職して恋人と同棲してます。
結局「自分を必要としてくれる人が欲しい」だけで、これが「自己責任」からの行動なのかは謎ですが…
>何度か書いているが、受動型ASは現実的、「前向き」な想像力に乏しい。逆に対人関係は一人ひとりの相手ごとに行動が異なるなど、「個別的で細部を重視する」思考や想像の大きな特徴がある。
私のもう一人の弟(積極奇異?)と従兄弟の弟の方(おそらくKYの受動型)はどうも志望校を選んだ理由が「母親が公立にしろと言ったから」だそうです。
母も叔母も勉強についてはうるさく言わなかったのですが、幼い頃から「うちは貧乏だから」と言い聞かせ欲しいものを我慢させてきたためか「勉強するよりも働いて稼いで来る方が良い」と、お金に執着するところがあったと思います。
(私は、弟が盗難や恐喝に走ったのは「家が貧乏でお金が欲しくても親に頼めず、盗むと言う発想しか思い浮かばなかったから」と思っています。自分で働ける年齢になってバイトを始めると、これ等の非行はおさまりました。)
結局2人とも高校を中退し、今は働いて家に金を入れてます。
どちらも「勉強についていけないから」という理由で中退しましたが、本心かどうかはわかりません。
(ちなみに弟は「高校ぐらいは出ておいた方が良い」と、頭では分かっていたそうです)
道産娘さんの言い訳にすぎないです
やっぱり信じてる物が違うんでしょうかね^^;
私はあくまでヤンバル先生の
研究優先で受動型は先にやってもいいかわりにストラテラの研究にさらにやんばってほしいと感じたまでですが^^
偽善でも誰かが善だと感じれば其れは間違いない善ですから
私はようやくこの答えを導きましたよ
時間がかかりましたが圧力は感じますよそりゃさんざんボーダー並に暴れた訳ですから
ええそいつはすげーやと嘲笑されても文句いえないこといいまくりですよ
人格障害について調べる暇があるならヤンバル先生は己の自己研磨しろやってことですよね?
例え脳が特殊な奇形でも目指す目標は互いに今までのものを築き上げる事ですよね
他意はないです。無能より
今日も道産娘さんのご意見に共鳴します。
>結局「自分を必要としてくれる人が欲しい」だけで、これが「自己責任」からの行動なのかは謎ですが…<
昔の小生がまさにそうでした。自分を好きになってくれる人を好きになる。でも本当の自分が垣間見えるにつれ冷めてくる、と。ジャイアンにもそういう寄り道があったようです。
>どちらも「勉強についていけないから」という理由で中退しましたが、本心かどうかはわかりません。<
中卒の知人は「もっと勉強しろ、高校ぐらい出ろと親に強く言って欲しかった」とバブルが崩壊して職を失ってから親に責任転嫁してこぼしていたようです。同じパターンかどうかはわかりませんが。
小生も子どもの頃は受動型ASに近い部分がたくさんありました。
でも父親もなく、母親は病弱でさいさい入院し、土方で無理して自分たちの家まで建てて体を壊した祖父母や、高卒で出世できないとこぼしていた叔父を毎日そばでみていると、「勉強しなさい」と言われたらせざるをえなかった、と思います。
親に責任転嫁が本当の狙いではなくて
受動型ASは何か別のもんに責任転嫁した上で
世間もそうですが身近な家族がどう動くのかというものが
ほんとうの意味で気になるのではないでしょうかね?^^
発達障害同士は妥協できませんから
結局受動型ASが折れなければならないなどあるんですよ^^
それを空気的に読み取って行動した結果が
まるで自分アピールしているみたいと言われたりするんですよ。自分の流れをもっていこうとするやつと思われるのも無理ないです必然ってわけです
例えば友達に非言語的交渉のうちで中二病こじらせてんのまるだしだぞといわれても認知不可能です。
だから、普通にこだわりすぎてはいないだろうか?とか
迷走していると非常に思われがちなんです。
KYの依存型と似て非なる存在である受動型ASなるものがこの世の中に存在するなら
お友達になって
生き方そのもの参考にしたい気分ですね^^;
written by Paul Carpenterさまのコメントは前記事も読んで非常に
合理的な生き方で素晴しいと思いました
こんなもんでよろしいでしょうか
written by Paul Carpenterさんへ
あなたは親がなくなった事に対して何か特別なこだわりがあるようですので殴り書きします
1 まず受動型アスペルガーは愛着の対象である家族に感謝するべきタイミングが訪れます
2 感謝しますが、ここで自分は家族全員に感謝している、 だから息子として立派であるという勘違いが生まれまーす
3 その調子のまま生きていきます
勿論独自の感情や論理で生きてきて不適応になることは 多々あるのが受動型アスペルガーの性質なのでーす
そしてどんどん流されていった結果、ひきこもってたほ うがマシという結論に至まーす
4 ネットにはまりまーす
あとはお察ししてください、文字数が限界です
見捨てられたくない願望の強いアダルトチルドレンな上にボーダーどもの
親のせいにしてるだけのクズと言い切れます?
>「今勉強しないと来年困るよ」
この言葉は過去の私にとって、あまりに「抽象的すぎて意味がわかりませんでした」。
それがまさか一般的な事、この言葉が一般論、なのだとは思いもよりませんでした。あまりに抽象的すぎて。
そう感じた理由の一つは、時間の感じ方が独特であるという事です。今現在が世界のすべてであり、他の人間のように、来年、という「未来がやがてやって来る事が自明」とは全く感じられなかったからです。
現実、という現象そのものを、言葉を尽くして丁寧に具体的に平明に説明してほしい。
私の切実な祈りが叶ったのは、偶然、でした。
池田晶子著「14歳の君へ―どう考えどう生きるか」毎日新聞社出版(2006/12/23)
ASの思考形態、想像力形態を持つ私へ現実そのものを説明し、考える事とはどういう事か、一番初めに導いてくれた本です。
特にアスペルガーにとって有益な本だと個人的に思っていますよ。
小空さんへ
どの部分が「言い訳」に見えたのか、正直分かりません。
最も、知る必要等無いかもしれませんね。
きっとあなたは「(私の心無い発言によって)大事なヤンバル先生(と、それを隠れ蓑にしたご自分)がけなされた」と思われたのでしょうから。
私は、周囲のASの人達を観察し、それをコメントして先生に伝えています。
それが先生にとって必要な情報かは分かりませんが、他の方も読んでくださるでしょうし、何かしらお役に立てればと思っています。
それを「偽善」だと思うなら、そう思えば良いでしょう。
別に私は、あなたの大事なヤンバル先生を否定するつもりはありません。
また、あくまでADHDの私の目線から「(受動型の人達は)こう見える」と書いているので、どうしても受動型の人の意見とは食い違ってくるでしょうから、そこは指摘していただければと思います。
>小生も子どもの頃は受動型ASに近い部分がたくさんありました。
私は今もです(汗)
中学で情緒障害が回復するまでは「自分が無い」といった感じで周囲に流されるまま生きてきました。
情緒障害の間は問題無かったのに、回復したとたん攻撃性や被害妄想が出てきて、AC的に抑え込むのに精一杯で、受験勉強に集中できませんでした。言い訳ですが…
>「今勉強しないと来年困るよ」
これを見た時、最初は私も「えっ、何で?」と思いました。
当時大抵の人は三年生になってから受験勉強モードに突入してたような…
(そうじゃない人は一年の頃から塾に通い詰めてましたが)
自分は二年の頃は「今習ってるところで分からない部分があれば、溜めずに先生に教えて貰おう。そうすれば三年生になったとき余裕が持てるし。」と、損得に結び付けて考えてたと思います。
(先延ばしもしょっちゅうでした…)
自分はおそらくADHDで、当時も今も計画性とは並々ならぬ確執があるのですが、時間を経てある程度の実際的な人間の心理を観察してきた今、先延ばしの根底には「決定回避」という動きがあったと思っています
決定回避とは目の前に幾多の可能性がありその上で自ら選択せねばならない時、決定の不安から全ての選択肢を保留し逃避するという心理学的な概念ですが、
個人的に発達障害とは、まずその物事の全体を把握しないと気が済まない、ある意味用意周到過ぎる脳の一群であると考えます
常にソワソワしてるのもそう、思考の枝葉が際限なく伸びていくのもそう、感情による共感を重視しないのもそう 全てはあらゆる可能性を捨てたくないが為に起こる検討性のオーバーフローなんだと思います
なぜなら人間存在とは世界とはそもそもが不合理で不条理なものであるから。
人生とは一刻一刻が無限の可能性の掛け合わせ
その未知性の前に戸惑い、混乱しないわけがないと感じていたことを今でもはっきり覚えています
もっともこうした懸念の裏には自分という意識を特別視する万能感も含まれていたことは確かです しかし強調すべきとして、それは決して他者を見下す優越感や特権意識、強欲さとは別種のものであるということです
発達障害という枠組みに在る人はともすれば空気で生きる人々に「自分のことばかり考えるな」と非難されることもままあると思います それに流され自分が悪いという二元論に嵌まってしまう人もいるのだろうと思います ただそこでもう一度考えて欲しいのは、そうまで自分が欲してるものは何かということです
一体自分が追い求めているのは空気なのか矜持なのか、今一度冷静に目をやればればその為の理が見えてくると思います
話はずれましたが、
いつか必ず死ぬという殺伐とした不条理、現実から、なんとか自分だけの必然、物語を紡ぎ出そうと抵抗する態度が先送りだと思います
観念的ですみませんが僕は自分のこれまでをそう考えてます
maruさん
ご自身の特性に気づき、生きづらさについてご自身なりに考えてこられたのですね。いや、もしかしたら人生について考えざるを得なかったのかもしれませんね。
さて、maruさんのコメントを読んで、少々私の考えを書きたいと思いました。
「いつか必ず死ぬという殺伐とした不条理、現実から、なんとか自分だけの必然、物語を紡ぎ出そうと抵抗する態度が先送りだと思います」
私は、いつか必ず死ぬということは不条理ではなく、生を受けた者の自然の摂理としての死、と考えています。人が死ぬことがなければ子孫を残す必要がない。生物としての「ヒト」ということから見ると、死は不条理ではなく条理です。
ただ、今生きている者が死ぬことについて思いを巡らすとき、それは不条理を感じるでしょう。人生そのものの「喪失」なのですから。死ぬことを問うとき、生を受けたこと、現在生きていることを見つめることになります。つまり死ぬことを問うとき、自分の誕生から生き方に対する不条理を見つめることになります。
「自分だけの必然、物語」、私は、人生は「物語」だと考えています。誕生にいたる過程、誕生したときにすでに発達障害があった、親を選べない等、自分ではどうすることもできない「不条理」に対して、どのように自分の生のなかに組み込んでいくか、それが必然であったり物語だったりということだと考えます。この「不条理」を、自分が生きやすいように人生の物語の文脈に組み込めばよい、自分の人生を物語れるのは自分だけ、自分の生を引き受けられるのは自分だけですから。そして、過去を物語ることができたら、次はこれからの物語を作成する。物語ることは雑多な思考をシンプルにする事、そして、これからの物語を作ることはあれこれ考えられることをシンプルにまとめることだと考えます。
これは私の考えです。
お笑い芸人大地、吟じます
無意識下で細部まで物事をしゃぶりつくさなければ己は無能だというか
勘違いというか
挫折する人は常に民衆を楽しませなければならないという完璧を追い求め過ぎます
野球で言えば新庄さんです
彼は怪我のままプレーするのは苦痛だったのとその状態のまま年俸に見合った過去のようなプレーが出来ないため引退という結論をホームラン後の一礼というエンターテイメントの中にて早急にしたんだと思います
彼はプロのエンターテイナーなのです
もし引退は阪神でしたいと言っていたら
阪神でもエンターテイメントに勤しんだだろうと
今のところ
そんな風に妄想しています
彼は天才ということを隠さずきっと今でも止まらず披露し続けています彼こそ最高の受動型アスペルガーですよ
私は思いこみADHDかと感じたのでそこに憧れと羨望を感じます。おわり
そして全世界の失望させたみなさんに謝辞を送ります
申し訳御座いませんでした
>み さん
確かに生命の繋がりとして俯瞰すれば何もおかしいことはない条理ですね
長文書き込んだ後になんで自分は医師でも長年勉強してきたわけでもない素人なのにちょっとわかってるふうなんだと少し恥ずかしくなりました 自重しようと思います
ただこのブログを見つけられて心が軽くなったことを伝えたいです(_ _)
そして本題ですが
>>「親がどこまでうるさく言うべきか?」は非常に難しい問題であるが、「どうなっても自己責任で本人に任せる」と親が腹を括るタイミングをどこにするか、ケースバイケースで考える必要があるだろう。
まず親自身が現実的問題を逃避することをやめることからでしょ
細かいこと抜きにして
私の場合、「誠意は金額」は実行しました、で、どうなんです?って話なんですよね
個人的に永遠の17歳とかいう旗迷惑な言葉のせいで足かせになっていますが(マジでSHINE=輝け)
まだ17歳なのでそこらへんは考えつきません
18歳になれば考えられるのでしょうか、否、頭が悪いから考えられないでしょ(笑)
っていう一般的多数派の思考は認めます
KYの依存型ども=小空のようなやつのこと
中傷に敏感過ぎて死にそうです^^ええ^^
(以下は私の独り言です。なお、特定の人について言っている訳ではありませんので、ASの方は「自分の事だ」と決めつけて考えないで下さい。)
私の周囲の受動型ASは、私が理解しようと歩み寄れば、「揚げ足取り」や「おうむ返し」で人をからかうような事ばかり言って、「バカにしてる?」と聞けば、それ以上責められないよう、か弱そうな素振りを見せて非言語アピール。
黙って話を聞いていれば、「受け入れて貰って当然」と言わんばかりに高圧的な態度になり、要求は甚だしくなる。
だから最終的に、相手に自分の感情が伝わらないよう「無表情」を貫き、「事務的」にその場をやり過ごす。
相手を自分に依存させない為に、とても効果的な方法だと思ったから。
でもそれでは自分が辛い。
結局我慢できずに「貴方といると、自分を押し殺さなければならない」と伝えるのが精一杯。
「お前は何様だ?」
「どれだけ偉いんだ?」
「思い上がるな!」
そう言ってやりたかった。
…以上です。
先生、暴言吐いてすみません。大人げない…でもスッキリしましたm(__)m過去のトラウマが吹き出してしまったようです。きっとこの気持ちは受動型には解らないでしょう。
>情緒障害の間は問題無かったのに、回復したとたん攻撃性や被害妄想が出てきて、AC的に抑え込むのに精一杯で、受験勉強に集中できませんでした。<
道産娘さんの仰るこのような状態が今現在の小生の姿かもしれません。
選挙の後年末年始、2次性うつに陥るのを必死で耐え忍びました。
不必要に楽天的に振る舞い、仕事も人付き合い忘年会もこなしました。
少し前から急激に下ってきました。ガス欠というか過集中が切れたというか。ジャイアンADHDいつものお決まりコース。
原因ははっきりしています。でも一人の人間ではとうてい太刀打ちできない強大で邪悪な原因。
昨夜家族が楽しそうにテレビを観ているとき、気分が悪くなって寝込みました。
人気女優が幕末、旧幕府軍のスナイパー(狙撃手)として活躍するドラマ。
「こいつは自分の娘に銃をもたせ、戦争に行かせる気なのだろうか。多数派がまともだなんて大嘘だ!」
今回も薬には頼りません。薬で解決できる問題ではないのですから。
実際、中傷で死にそうなんは事実ですので、あしからず
maruさん
maruさんは真摯にご自身の特性の理解に向き合っていて、それをまとめようとしているのだと思いました。私も観念的な思考をしていたときがあります。その時を経て、今は現実的なものの見方をしています。
「人間存在」という言葉に哲学しているなぁと思いました。哲学しているときに違った見方を提示されることでさらに問う、考える。私は私の見方考え方を提示しただけです。
(発達障害者?に矯正しようとしたり共依存しそうな状況で、自己理解が相手の二次障害を回避するのだということをわかってほしいため、あのように言いました。自己正当化したり、揚げ足取りをしたり、都合よく利用したり、自己突込みのない状態のジャイアンは裸の王様なのです。過去自分がそうでした。)
Paul Carpenterさん
「こいつは自分の娘に銃をもたせ、戦争に行かせる気なのだろうか。多数派がまともだなんて大嘘だ!」
自衛隊から国防軍へ、阿部首相が描いているのは復古的な大国主義、そして、軍事大国化は米国の要求でもあります。米国はお金がない。米国の軍事費の歳出削減による穴埋めとして、日本の集団自衛権行使を認める。
自国を自力で守るという「自立」の考えはわかりますが、裏には米国との軍事に関する取引があることに気が付いていない者が多い。暴力的な方法で「自立」とはいかに動物的であるか、と言わざるを得ません。
「空気」とは怖いもので、「空気」により投票先を決定することがまかり通る。しっかりと政党公約を理解せず、マスコミに誘導される。よく考えないで「空気」にまかせるから、その先に起こり得ることに思いが及ばない。特に、原発、TPP、消費税、自衛隊、公共事業等、自らの生活に関わってくることに対してしっかり考えることなく、経験豊富だからといった理由で投票するか結果がわかっているから投票しないといったことが起こっている。
私もまた、多数派がまともとは到底思えません。しがらみ、属人的思考、前例踏襲主義、お任せ主義…、これらにしがみついている限り日本は沈没していく。「空気」は日本独特の文化であり、グローバルな世界では通用しない。日本の首相の言葉を濁している様はリーダーシップのなさを露呈している。日本の立場はこれから低くなっていく。それが現実でしょう。多数派がまともであれば、もっと早くに沈没を回避していたでしょうと思います。
大地大地大地(笑)
ごめんなさい楽しいですね
小空さんとお友達かと思いました
まぁ何度でも申し上げますが
アスペルガー同士は妥協できないものです
これだけはヤンバル先生屈指の至言だと思います
最初は混乱しましたが
自分の考えをまとめ出すなんてことは並の人間でも不可能ですし
不条理に悩むことに使命感を感じていただけの無能でした
それをヤンバル先生から考えをまとめられる薬があると聞かされたなら
私は飛んででていきます
人生は40歳までならやりなおせる
そうおもいます
ただバカにされたってくじけない強い精神が欲しかっただけです
強欲ゴブリンでごめんなさい
ここに集うジャイアンの皆さんは、「国家」や「政治」や「教育」等、スケールの大きな話が多いですね。
私は自分の事だけで精一杯で、中々そこまで考えが及びません(^_^;)
Paul Carpenterさん
薬についてですが、私もやはり抵抗があります。
以前読んだ本に「不安や悩みは生きて行くために必要なもの。より良く生きたいという気持ちが強ければ強い程、不安や悩みも強くなる」とありました。
なので不安や悩みを打ち消すために薬を用いる事は、「生きたい」という欲求も打ち消す事になる。
何年か前にパキシルを飲んでいたことがありました。ボーッとして何も考えられなくなり、不安や強迫観念が消えた代わりに「自分が何をしたいのか」も、ますます分からなくなり、虚しくなりました。
(副作用もあったので結局中断しましたが)
私は、ジャイアンの特性である「攻撃性・強迫性」も「より良く生きるためのエネルギー(原動力)」と捉えています。なので、薬に頼りたくないと言うPaul Carpenterさんのご意見にはとても共感できるし、「尊重」したい!
これから薬に頼ろうとしてる人間が、生意気な事を言ってすみません。
(ダメだ、やはり迷いもありますね…)
補足です。
>(私は、弟が盗難や恐喝に走ったのは「家が貧乏でお金が欲しくても親に頼めず、盗むと言う発想しか思い浮かばなかったから」と思っています。自分で働ける年齢になってバイトを始めると、これ等の非行はおさまりました。)
当時私は「成人するまでは親に責任を擦り付けられるから(犯罪行為を)したのだ」と思ってました。
「金に執着する」と言いましたが、何でも「お金がないから…」と「お金」に関連付けて考えてはいたものの、物欲が強いわけでもなく、ただこれ見よがしに母親の嫌がる事をして振り回したかった様にも見えました。
話は変わりますが、一体何故受動型の弟と従兄弟(兄)が自己責任を認識できるのか…やはり謎ですね。
母と(従兄弟と同居している)祖母がジャイアンで、どちらも「長男を偏重するタイプ」だったので、それも関係あるかな?
そういえば、受動弟が幼少期に賽銭泥棒をした時、母が仏壇の前に弟を正座させ、自白するまで(ずっと目を見続け)耐久戦を繰り広げていたのを思い出しました。
受動弟が小さい頃はこんなことばかりでしたが、今は「良くできた母親だから道を外さずに済んだんだと思う」と、本人は言ってます。
>みさんへ。
小生は昨年の選挙結果はどう考えてもおかしいと思っています。日本人はそんなに馬鹿じゃないと。
>道産娘さんへ。
こどものころお店で万引きや親の小銭入れから盗んだことがあります。一度や二度でなく。
わからなけりゃいいや、と思っていたのですが、どちらもばれていたようです。
時々父親(養父)が突然荒れだして物を投げて家のガラスを割ったりしたことがありました。それで父が嫌いになったのですが、原因は小生にあったのだろうと今更気づきました。
連投ご容赦ください。
>自己正当化したり、揚げ足取りをしたり、都合よく利用したり、自己突込みのない状態のジャイアンは裸の王様なのです<
みさん、小生はそういう連中に虐められ、自分も一時そういう暗闇に逃げ込んでいた時期があります。小中学生のころ。
そして親特に母親に対しては成人してから、社会人になってからもそうでした。よくあんなひどいことが言えた、実行できたものだと思います。
でも当時は、弱い自分をひとりで守るために最低限必要な防衛反応だったのではないか、とも思います。卑怯で恥ずかしい限りではあっても。やっぱりあのときにはああするしかないほど追い詰められていたのかなと。
>maruさんへ。
自己逃避、先延ばしは今でもしょっちゅうやります。
ただ1995年の阪神淡路大震災で九死に一生を得た後、中でもここ数年特にこのブログにたどり着いてからは、これだけは早めにやっとかんとやばいぞ、というものだけ選んで早すぎるくらい早めに準備したり片付けたりするように注意しています。それでも結果的にはギリギリだったりするので。(毎朝このブログをみて「あ、そういえばあれ延ばしてる」と思うように心がけています)巨大地震に命を奪われかけて奇跡的に助かった以上は、しんどくてもやるだけのことはやっとかにゃあいかんなと。
ぎりぎり限界点まで来たら(時間的にも精神的肉体的にも)どんなことになるかは今までの経験である程度わかっているので、それを必死で思い出して自分のケツを叩く次第です。
あと強いて言えば。少し前にお店で知り合った友人が(自分とは別のタイプですが)小生が教えてあげたこのブログを読みながら結構適切な忠告助言をくれるので、大いに助かっています。
昔は無自覚無意識のうちに共依存相手と恋愛したり同棲したりして、いつも同じような失敗を繰り返した体験からも、そういうことを潔よしとしない、お互い足らないところだらけでもそれを自覚して意識して言いたい事を言い合えるタイプなので、いつもありがたいと思っています。
やはり砂漠の丘の上で吼え続けるジャイアンも、決して一人では生きていけないとつくづく感じさせられます。受動型ASの方がどう感じるかはわかりませんが。
駄文、申し訳ございません。
Paul Carpenterさん
私も今回の小選挙区の投票率が戦後最低であるとは解せません。今回の小選挙区の投票率は59.32%です。前回09年の小選挙区の投票率は69.28%で、小選挙区比例代表並立制が導入された96年以降では最高を記録しています。今回の衆院選、問題山積みのうえ政権交代後の審判を下すという選挙であったのです。戦後最低の投票率とはどう考えてもおかしいです。
私はエリートたちが「愚民政策、マスメディア支配を行った結果、政治に無関心な人々が多くなってしまった」というストーリーを描いたのだと思っています。もっとも、娯楽に熱中して政治に無関心な人々は多くなっているでしょうし、マスメディアに誘導されてしまう人々も多くなっています。しかしながら、このストーリーに疑問を持つ人がいます。エリートたちの民衆を馬鹿にした態度に黙っていられなくなっている人がいます。民主主義が民主主義でなく、一握りの人たちが国を動かす政治となっています。一握りの人たちの権力をますます増大させ、民衆には従順を要求する、戦前と変わらない様相、変えなければなりません。
こちらの記事を読んで思い出されたのは、
高校時代、ある時期・あるタイミングで、勉強などあまり得意ではなかった人も含め、
大多数の同級生が受験のための勉強をはじめた頃のことです。
私の通っていた高校はとりわけ進学校というわけではありませんでしたが、
それでも皆がいっせいに受験モードに切り替わった光景は私にとってすごく不思議でした。
みんなが「大学受験」という目標に向かって努力している。
みんなが勉強を始める時期に自分も始めたのでは、他の人との差などつかないのに!
私は、高校入学時から大学受験のための勉強をはじめていました。
始めたキッカケはありますが、それが続いた理由は、
それまでテレビゲームに向けられていた興味が受験勉強に変わったということです。
受験勉強というゲームをしていた私にとって、
偏差値はスコアであり、それを上げるためにする勉強はゲームで遊んでいるのと変わりませんでした。
努力というものが、「したくないことでも目標(将来)のためにやる」「その時やるべきことをやる」というものであるなら、
好きなことを好きなだけしていた私は、決して努力していたのではありません。
一方で同級生の彼らは、「努力」をしていたのだと思います。
その後、私は大学受験は自分の志望する大学に合格しますが、
社会人になって大量に押し寄せる「やるべきこと」が処理できず途方にくれています。
「やらなければいけない」ということは分かります。「やらないとどうなる」ということもある程度想像できます。
でも私は「その時自分がしたいこと」を優先してしまうのです。
もし、ストラテラが私にあるかもしれない、「努力する機能」のスイッチをONしてくれるものなら、
多少は生き易くなるでしょうか? 今はただそれを試してみたいと思っています。
私がこうもしつこく受動型ASの身内の事をコメントしてるのは、(こういう人もいますと)参考にして貰えれば良いなというのもあるんですが、私自身、受動型の身内や知り合いとのかかわり合いを通じて、その人達の考えを知りたくなったからというのもあります。
私自身、思春期の頃から人と情緒的に関わることが苦手で、要領が悪いというコンプレックスから依存的になり、受動型の人を依存させてきたこともありますし、また、うちの家系は(思春期に)警察の世話になる受動型が多く、正直どう接したら良いのかわからないという理由もあります。
(逆に真面目で内向的だった人は思春期に体調崩したり不登校になりました。ちなみに従兄弟の弟の方は、正月早々器物破損で捕まりました。)
本人達に聞いても「わからない」「相手のために(相手のせいだ)」と言われるだけで、結局腫れ物に触るような接し方になってしまうので「思春期の一過性のもの」として黙って見守るのが一番良いんですかね…
もう少し、このブログで勉強させていただきますm(__)m
>みさん。
うちの地区の投票所も含め、あちこちで行列、投票どころか受付さえすぐにできない状態ができていました。おそらく戦後最大規模の投票率だったのではないでしょうか。では大多数の投票はいったいどこに消えたのでしょうね。
>ふいろさん。
>受験勉強というゲームをしていた私にとって、
偏差値はスコアであり、それを上げるためにする勉強はゲームで遊んでいるのと変わりませんでした<
小生もほぼ同じ状態でしたね。高校時代。途中でガス欠、過集中切れで2年間浪人する羽目になりましたが。
>もし、ストラテラが私にあるかもしれない、「努力する機能」のスイッチをONしてくれるものなら、多少は生き易くなるでしょうか? 今はただそれを試してみたいと思っています。<
試す価値はあるんじゃないでしょうか。小生の場合はそれがたまたま震災とこのブログと友人ですが。ご不安ならこの場で現状報告されてフィードバックという方法もあるかと。
>道産娘さん。
ジャイアンの小生は警察のお世話になるかどうかぎりぎりのところで悪さしていたと思います。
要するに卑怯なんですね。最低限の計算はできると。
ご親戚の方たちはある意味正直すぎる、素直すぎる、純粋すぎる、ストレートすぎるのかもしれませんね。
そういうところを美点、長所にできればいいんですけどね。と言っても小生の家族にいたら(いるような気もしますが、最近は様子見に徹しています)そんな悠長なことは言ってられないんでしょうが。
少なくとも進路、職業を考えるときには重要なポイントであり、多数派、ADHDを含む周りの多くの人間がある程度は知っておかねばならないことでしょう。お互い共生、共存していくために。
こんばんは、やんばる先生。
母から「勉強しないと大人になってから困るよ」
と脅迫めいた注意を何度も受けましたけど、母が「困る」と想像している内容に将来ぼくがなったとして、ホントにそれが「ぼくが困る」のか注意を受けている時点で分からない以上、「母の想像上の困る」と「ぼくの実際の困る」がイコールではない可能性の方が高いですよね。注意をする人間とされる人間とは価値観が違う訳だし、実際、他の人が「困る」という状況でも「ぼくも困る」とは限らないし。「」の中には他に「便利」とか「必要」とかの言葉を入れても同じです。
ぼくは大学に向けていわゆる受験勉強なるものはしませんでした。大学でもいわゆる「就職活動」とかもしませんでした。友達が勉強したり就職活動したりしていることを「別世界の何か」あるいは「別次元のイベント(自分には関係がないこと)」のように感じてました。何か、こう…ぼくのまわりをオブラートが包んでいて、オブラートの外側では世界がぐるぐる回っているんですけど、中のぼくには全く現実感が感じられないので外界こそ夢の中の世界みたいな感覚でした。
でも、写真的な記憶力と好きなことにはピンポイントで突っ込んで行く脳のおかげで大学にも行けましたし、現在は好きな仕事にも就いています。
親は子供とは別人格で価値観も違うのですからもともと無理だと思うんですが、「将来困るえ」とか言うぐらいなら「将来Aを選んだ場合aという困ることが起きる」「将来Bを選んだ場合bということで困るかも知れない」ともっと具体的に言われた方が自分の身に引き寄せて考えるよすがになったと思います。
一般的な内容や漠然とした話し方は一旦最初に「自分の話ではない」と思ったら最後まで「自分のこと」としては考えません。
Paul Carpenterさん
>要するに卑怯なんですね
私、高校の頃学校でタバコを吸っていたのがばれて停学になったことがありますよ。
学校の敷地内で吸うなんて、見つけてくれと言ってる様なもんだろ、バカか!?…と今なら思えますが、当時は「真面目で良い子」だった自分が嫌で、反抗したかったのかもしれませんね。
(かなり投げ槍で、先の事なんて考えてませんでした)
誘って一緒に停学になった友達には、本当に申し訳ないことをしました。
友達巻き添えにして悪さした自分の方がよっぽど卑怯ですね(苦笑)
「別にタバコ吸ったって本人の健康に害が及ぶだけで、私が未成年云々なんて話、アンタら(先生達)には関係無いだろう。綺麗事言うなよ…」
そう思い、誓約書に「学校の名に傷を付けて申し訳ございませんでした」と嫌味ったらしく書いた覚えがあります。
合理的というより、徹底して個人主義だったんですかね。
同じ様な事をしても、人を近くに感じ過ぎ、人に振り回される弟達とは全く違うんだなと、改めて感じました。
(続きます…)
(…続きです)
ただ、「普通へのこだわり(憧れ)」はありました。
当時から(良い意味でも悪い意味でも)目立つのが苦手で周囲から浮くのを恐れていたため、できるだけ大人しく振る舞っていたのですが、心の中では何かが暴れていました。
(今でも、ちゃぶ台があったらひっくり返したい衝動にかられます。)
Paul Carpenterさんの場合は「ただ卑怯で計算高い」のではなく「叱られないために(責められないために)」衝動を我慢してたんじゃないですか?
他の記事にコメントしてた「買い物依存」と「対立する二者の間に入って、仲を取り持つのが得意な依存型の特徴」等が、私の母と似ているような気がしました。
あと、失礼ながら娘さんの状況(不登校)が、過去の私と似ているかなとも思いました。
(ちなみに、母は情緒障害型依存型ジャイアンで、父は受動型AS、私はジャイアンACかな?)
長文、そして気を悪くされたらすみません。
違ってたらスルーしてくださいねm(__)m
道産娘さん。気分を悪くするなんてとんでもない。丁寧なコメントありがとうございます。
>「別にタバコ吸ったって本人の健康に害が及ぶだけで、私が未成年云々なんて話、アンタら(先生達)には関係無いだろう。綺麗事言うなよ…」<
カッコいいですね。表現が悪かったらごめんなさい。そんな凛とした潔さが自分にはあっただろうか、と思うと自信がありません。友人にはありすぎるほどあるみたいですが。
>「ただ卑怯で計算高い」のではなく「叱られないために(責められないために)」衝動を我慢してたんじゃないですか?<
するどいですねえ。あとでどんなことになるか予想できるので、我慢、制約、抑制した可能性はあります。それなら最初からすんな、っちゅう話もありますが。でもやっちゃうんですよねえ。本当に懲りない奴なんです。
>(今でも、ちゃぶ台があったらひっくり返したい衝動にかられます。)<
がはは。大賛成。いつか皆さんとご一緒にちゃぶ台ひっくり返し大会なんてできたらいいですね。でも星飛馬の父ばかりで止めるお姉さんがいなかったりして。(とりあえず選挙の開票会場に闖入(ちんにゅう)して投票箱ひっくりかえさないように気をつけよっと)あ、最後のは独り言です。気になさらないでください。
今日は疲れすぎてハイになりつつあります。変なコメントをお赦しくださいませ。
Paul Carpenterさん
2013年度予算の国防関係費増額の方針、その増額は1200億円とも。さらに自衛隊員定員増も。オスプレイ導入の調査費も盛り込む。オバマは民主党、首相は共和党より。ブッシュ政権下の共和党よりの人々、戦争屋さん。だから軍事協力最優先。不正選挙であったのでは?という疑問多発。
赤字財政で国が潰れるからと増税が必要だと言っている状況で、社会保障費を削減しようとしているのに。本当にいいのか。これで。
現在過集中の私は、戦後史(学校では絶対学ばない戦後史)を学んでいます。ネット上でもしっかりした歴史認識のもとに発信している知識人が多くいます。うつより過集中がいいかも。この場合、空気を読まないADHD発揮でいいかもと思い、その本をおおっぴらにして読んでいたりします。Paul Carpenterさん、一人で乗り込むような無謀はしないでくださいね!
Paul Carpenterさん
あっ、失礼しました!
「買い物依存」は中心志向型とボーダー型の特徴でしたね。
なお、うちの母は情緒障害からは回復したものの、合理的思考が再インストールされず「超結果主義なモラハラ発言」や「浮き沈みの激しい躁鬱状態」が目立ちます。
(合理的思考については「できない!」と言われたので、諦めてます…)
なんだか「娘さん、私と同じ道を辿りますよ〜」って、脅してるみたいでまずかったかなと思ったのですが、そんなつもりで言ったんじゃありませんので。
笑っていただけて良かったです(*´∇`*)
すみせん、先ほど途中で手が滑って投稿してしまいました。
やり直します。
みさんへ。
「ア○リ○のための不○選挙」で検索すると面白いものが出てきますよ。「ム○シ」(ハチのム○シは死んだのさ、昔の曲ですが)「こまつな」も入れると絞れるかも。
ただし見つけても、ここでは詳しい話題はよしましょう。YANBARU先生に迷惑がかかりますから。
道産娘さんへ。
もっと地震いや自信をもたれたらいいですよ。ご意見はいつも我が身と家族の貴重な参考にさせていただいておりますから。
昨夜はもう少しで完全爆発するところでした。
店で飲んでいるとき。年末にも嫌な思いをさせられた酔っ払い老人。
お世話になったこともあるし、可哀想で孤独な人だから、と多めに見てきたが。
昨日は小生がどこまで我慢するかを試しているのがよくわかりました。酔った振りをしているだけで。
殴る寸前に、日本酒一気飲みして何もせず出て行きました。
ジャイアンの特徴。10個のうち3個のスイッチしか開いてないので、残りの7個を補完しながら生きていく運命。
自殺できなかったのも、すぐには殴れなかったのもこのおかげか。
しかし。自分のことはともかく友人を愚弄されたら放っては置けない。自分のことなら適当に口で返せるが(中心志向で自分が傷つかないように)。
被害を受けるのが他者特に親しい友人なら中心志向はふっとびます。それだけに我慢するか逃避するか暴力に訴えるか、他に選択枝はなくなることがはっきりとわかりました。
3度目はない、と心に決めました。
次は中心志向をふっとばして、まず口で注意して、それでもだめならやりましょう。冬で手袋も持っているし。(お互いの骨折予防のため)
あいつは何型だろう?
「受験のための勉強はしてない」の方々、超かっこいいですね!合理的高機能、憧れる!
私だってそうですよ!間に合わない低機能のほうですがね
Paul Carpenterさん
私は「好きな事しかできない」ADHDです。個人の利益追求なら糾弾されるところでしょう。
私はここにきて○○政治に巻き込まれました。私は空気が読めません。自覚いたしました。しかし、察知能力はあります。そこで何が行われているのかの理解が、今回の衆院選へとつながっています。
医療界にいた時は目の前にある患者さんに精いっぱいでした。本人としてはそれに注力することが使命だと思っていました。しかし、医療界の外に出てから様々な人に出会い、いかに視野が狭かったのか思い知らされました。刺激に振り回されていたという感想はそういったこともあってのことです。
ある時、専門職性が視野を狭める、ということを言われました。それはテレビ等娯楽と同様であると。つまりは政治に関心を持たないか、自分の頭で考えずに投票する、という私への批判の言葉です。私はその時何を言っているのかわかりませんでした。まさに「依存型ジャイアン」だったからです。(これには医師と看護師の違い、それは学びの内容から職務上の違い等ありますし、発言者は専門職による高度専門性の必要性や深さ、日々更新されることなどを理解したうえで、政治に関する意識として述べていました)
今はわかります。政治のことなどわからない、自分のことで精いっぱいだ、という理由から、自分に与えられている選挙権の行使することを「丸投げ」してきたことが。それは「丸投げ依存」でした。民主主義国家の一員であることすら忘却していたのです。私は今、反省しています。自分の頭で考えず、丸投げしてきたことを。
さて、空気の読めない、衝動性の高いADHDが、個人利益追求でないことをしていくためには、刺激に惑わされずにしっかり自分の頭で考え行動する、ということです。それは「合理的な思考をインストールする」ということに通じます。ADHDの空気が読めないゆえの実直、正直、公平、嘘をつけない特性が、丸投げ依存等依存の形態をとらないで発揮される場を考えたい、と思います。
Paul Carpenterさん
思い出した事があるので投稿しますね。
依存型ジャイアン情緒障害型と、依存型ジャイアンボーダー型は、仲が悪いです。
私の見立てが合っていればの話ですが、
ボーダー型が→ 情緒障害型に向けて、嫌がらせのような非言語で接しているのを目の当たりにしたことがあります。
ボーダー型は、ヘラヘラしているのだけど、明らかに何かを狙った目をして情緒障害型に向かって非言語を放っているのが判りました…。が、私に判ったのはそれだけです。
ちなみに…私の自我が一番弱かった(と自分で思う)頃、こちらの記事にコメントされている トモス様のような内観を、私は持っていましたよ。
道産娘さんにコメントしてしまいますが、お母様の話、参考になりますね。
>なお、うちの母は情緒障害からは回復したものの、合理的思考が再インストールされず「超結果主義なモラハラ発言」や「浮き沈みの激しい躁鬱状態」が目立ちます。
件の彼女と最後に会ったのは成人後、もう5年以上も前になるのですが、彼女の「超結果主義なモラハラ」と「浮き沈みの激しい躁鬱状態」的な在り様で私に主張をするので、精神的にダメージを受けましたね。(たぶん、お互いに)
ちなみに(私から見て)彼女は珍妙な服装や髪形をしていましたよ。
実際に本人には言いませんでしたが「(バブル時代の)昭和か!」と突っ込みたくなるような、細かいソバージュみたいなパーマを髪にかけて、丸くカットされた天然石をいくつも連ねたユラユラする長細いデザインのピアスをつけ、服はオーガニック素材の地味で淡い色合いのシンプルなデザインの服でした。彼女はメイクもしていたけれど、色味やデザインなど、全体の雰囲気としての統一性や調和、色の対比等を考えたと思われる形跡は皆無でしたね。
さーこ(AS)さん
うーん、実際は情緒障害から回復したとは言えないかもしれませんが、積極奇異弟の事があってから以前にも増して攻撃的になったり「自分の主張を正当化するために、表面的な理論を展開する(モラハラ)」様なことが増えましたね。
ボーダーは分かりませんが、情緒障害型依存型ジャイアンと受動型ASは相性が悪いですね。(先生の記事にも最悪の相性とありましたね。父と母がそうです。)
Paul Carpenterさん
その酔っ払い老人が何型かは、私にも分かりません。
ただ、やはりPaul Carpenterさんは情緒障害型依存型ジャイアンで、「中心志向が吹っ飛ぶ」というのは、自分のことは「(責められない為に)衝動コントロール」ができるが、他人のこととなると歯止めが効かない…ということではないかと思いました。
(愚弄された方が)大事な友人となると、なおさら衝動と正義感の区別がつきにくいと思います。
あと、気分の浮き沈みが激しくて躁鬱っぽいところがありませんか?
(スイッチの例え、気分の浮き沈みのバロメーターかなと。もしくは「中心志向」のことで、当たり前に理想が高過ぎて中々10個まで辿り着けないということかな?とも)
(…続きです)
暴力はオススメできません。
(私が言うまでもないでしょうが)ヘタに手を出して警察沙汰になり、家族や社会的地位を失う可能性もあり得ます。
殴るなら、その覚悟が決まってから殴って下さい。
その酔っ払い老人が何を言ったのかは分かりませんが、適当にあしらって「可哀想な奴だ」と見下しておけば良いと思います。
タバコで親が学校に呼び出された時、親が自分の為に何度も頭を下げている姿を見て、初めて「自分一人の問題ではない」ことに気付き、情けなくなりました。
(二十歳までは親の責任ですから、仕方がないことなんですが…)
後々後悔しないよう、穏便に済ませて下さいね(^_^;)
Paul Carpenterさん
2012年衆院選の不正選挙問題が法廷に提訴されるようです。
「不正選挙」「提訴」で検索してみてください。
Paul Carpenterさんへ
ちょっと訂正します。
先程「社会的地位や家族を失う覚悟はあるか?」とコメントしましたが、これは私の「衝動統制」ですね(汗)
きっと「他人に迷惑がかかるから(自分が悪いから)」というAC的なものですので、「合理的な自己突っ込み」ではありませんね。
少なくとも自分がPaul Carpenterさんと同じ医者だったら…
「他人に暴力を振るって病院送りにするような医者に、患者が診て貰いたいと思うだろうか?」
と、大袈裟に突っ込んで我慢すると思います。
なんだか「医者じゃなきゃ殴って良いのか?」って疑問も浮かぶし、これが合理的なのか分かりませんが…
徹底的に口喧嘩だけして、手は出さないで下さいね!
ASとADHDを持っています。受動型に近いと思います。
私も、高校生のとき受験勉強ができませんでしたが、
勉強をすれば成績が上がるし、大学にもはいれるというのはわかっていたが
1.気力、体力、機動力が弱いことが、勉強の必要性に大きく勝っており、やらないというよりはできなかったが、本人および家族ともその状態に陥っているのが分からなかった。また、それを周囲の人に表現することもできなかった。
2.「テストのために勉強する」という考えに賛同できなかった。(今となっては、「授業でやったことをまとめてインプットする」という明確な目的を認知できておらず、表面的な慣習に見えてしまっていた。)
3.AS性ゆえ勉強の計画を立てるが、突然の予定変更や体調の上下でそれが守れず、修正できないため折れて挫折する。
のような状態だったと思います。
休日のため携帯からコメントします。
道産娘さんをはじめ皆様方にはご心配ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。
現在人生最大の岐路に立っておりまして、情緒はいつにも増して不安定かもしれません。
岐路の方向はすでに決めているのですが、直ちにすんなりと実現化できる状況ではなく、毎日悶々とした日々を送っております。
先の件に関しましては、暴力は最後の最後の手段として温存しておき、ボーダーかなんか知りませんが糞じじ⚪を人間としての存在からゴキブリにまで落とすぐらい罵り倒してやろうと思っています。もちろん自分もゴキ化しますが覚悟の上です。
>やっぱり無理して自分を変える必要は無いよな、と判断し
maruさんのコメントだったかと。連投失礼します。
何年、もしかしたら何十年も無理して自分を変えてきた、ある意味変えざるをえなかった小生。
今また自分を変えようとしています。
でも今回は、大変楽です。自分があるべき姿に回帰しようとしているのか、何十年にわたる失敗をもとに安住の地を探し続けた結果なのかはわかりませんが。
今はそこに到るまでの、たくさんの障害を乗り越え解決しようとしている最中なので、常に三個しか開いてないスイッチをフル稼働させ、2次的うつとそうを行ったり来たりの状態です。
また変なコメントすると思いますが、遠慮なく叱りつけてください。皆様にいつも感謝しております。
Paul Carqenterさん
人間社会で生きるには、かくもこんなに大変なのか、と思ったことがあります。
私は過去2度、それぞれ違う相手を罵倒し倒して、やり取りを終わらせた事があります。
その時思っていたのが、「何のために、その人間を罵倒するのか」でした。
言葉には魂が宿ります。昔は「言霊(ことだま)」と言ったものです。
私の中では「誰かから依存される事、誰かに依存してしまうこと=自分が精神的に堕落すること」と、どうしても変換してしまうので、
私が罵倒してその人間を自分から切り離すのは、「相手は自分と相容れない人間であるという事を認め、相手には相手の人生があり、自分には自分の人生がある事を見る事、そして何より、自分が前を向いて自分の大事にしたい人間を大事にし、自分の現実を大事に生きるため」でした。
そのためには、「何をどういう風にやって、どのくらいで事態を自分の中で終わりにするのか」をギリギリの紙一重で考えなくてはなりません。
安住の地は、探そうとするから無いんですよ。私はずっと、考え続けています。考え続けるという事によって、有限である人生に臨むという事ができるのではないですか?
Paul Carpenterさん
(自分のことは棚上げして言いますが)「自己突っ込み」止まってますよ””(ノ_<。)
覚悟の上なら止めませんがね…
道産娘さん。
>「自己突っ込み」止まってますよ
大丈夫ですよ。きちんと作動すべきところでは作動していますよ、って今までの話の流れからは想像できませんね。
いつも貴重なご助言ありがとうございます。
身近にあらたな助言者もできましたので、大きな暴走はしないと思います。(小さいのは別として)ご心配をおかけして本当に申し訳ございません。
さーこさん。
>安住の地は、探そうとするから無いんですよ。私はずっと、考え続けています。考え続けるという事によって、有限である人生に臨むという事ができるのではないですか?
小生もずっとそう思っていました。情緒障害ジャイアンとして。
でも最近違うと思うようになりました。
安住の地はあったのです。
ずっとそこに。
自分の心の中に。
小生も多くの人たちも、それに気づいてないだけなのだと。
なかなか正確な表現はできないし、個人個人細かい点では異なるとは思いますが。
安住の地はきっとあります。
周りの世界にも、他者にもありませんが。
さーこさんご自身の心の中にもきっとあると思います。
見つけるのに何かきっかけは必要かもしれません。
でも必ずありますよ。
Paul Carpenterさん
仕事に行く前にコメントを読んで涙してしまいました。
対話の中で振り返りを手伝ってくれる専門相談員さん以外の人間には涙を見せた事がないのだけれど、Paul Carpenterさん、ありがとう。
「お天道様」「言霊」…
そうか、これがAS流の「自己突っ込み」なんですね。
(積極奇異特有かな。きっと受動型は自分が普通だと考えるから、自己突っ込み必要ないでしょうし…)
「常に誰かに見られていて、自分の行いを知られているかもしれない。」
「自分の感情が相手に伝わることで、相手も感情的になる。」
きっとそんな気持ちでご自分を戒めてらっしゃるんですね。
ジャイアンの自己責任から成る「自己突っ込み」とはまた違うんだなと、改めて思いました。
道産娘さん。
>「お天道様」「言霊」…
そうか、これがAS流の「自己突っ込み」なんですね。
(積極奇異特有かな。きっと受動型は自分が普通だと考えるから、自己突っ込み必要ないでしょうし…)<
ちなみに小生は毎朝毎晩、母と養父と祖父母と養父の先妻の方とそのご両親、すべての方の遺影に手を合わせて祈りと感謝を捧げております。
さらに最近は、世にも恐ろしい生霊までとりついてしまいました。
この生霊は何度お祓いしても離れようとせず、ついに根負けしてしまいました。
でもこの生霊さまのおかげで、安住の地が自分自身の中にあることをはっきりと自覚することができた次第です。
さーこさん。
お辛いのも苦しいのもわかります。
でも最後の最後のところではおそらく小生には、他者にはわからないと思います。
さーこさんご自身の中にある、必ずあると信じる安住の地を一日も早くみつけることができますよう、心から祈念させていただきたいと思います。
もしかしたらさーこさんの前にも、世にも恐ろしい生霊が現れるかもしれませんが、そのときはご容赦くださいませ。
Paul Carpenterさん
気づいちゃったかもしれません。
わかっちゃったかもしれません。
あ、と驚いた顔でコメントです。
受動型AS(自己診断)です。過去を思い出しますと、「今勉強しないと来年困るよ」と中学時代、親に言われたら、「入れる高校へ行けばいい。実力以上の高校を目指すのは親を喜ばせるだけだ」と、親への反抗心や自己評価の低さもあって、自分の中だけで通用する言い訳を考えていたと思います。私は親から「○○高へ入りなさい」と具体的に言われていたので、一応の目標にして、その平均レベルの高校に入りました。
受験勉強をやろうと思わせるためには、学力に応じた明確な目標を示すか、少しレベルが上の行かせたいと思う学校の情報だけを大量に与え、もしくは自分で調べられるよう資料を渡し、その中で興味ある分野について、さらに掘り下げた情報を追加して興味を引くことだと思います。自分がそこの生徒になってどんなことをするのか、まで想像できるほどのリアリティーを本人に持たせることが大事で、情報量に比例して自分の生活空間がイメージできるようになってくると思います。
近い症状が見られる二人を引き合わせ、同じ高校に入って助け合うことを約束させることも、「相手のために合格しよう」と、自分以外の他者のためにがんばることができる、という状況を引き出す上で、有効ではないでしょうか。
Paul Carpenterさん
突然、自我の境界(輪郭)が鮮明になったので、急に乗り物酔いしたような気分で少しまだ慣れませんが、とりあえず書いてみますね。
注:非常に個人的な見解です。
最後の最後のところで、意外な方角にある私のドアを、居るはずのないもう一人の私がノックしているのに気がつきました。ノックをしてから さほど間をおかずに鍵のかかっていないノブをカチャリと回し、自然に開かれたドアの向うで、その人は、その私は、まるで親しい友人に微笑みかけるように、にこやかに私に笑いかけていました。
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昨年11月末に、画家 井上直久氏の言葉が添えられた最新本(ミニ画集のような本)をなぜか気になって購入したのですが、その題名が「思い届く日」でした。
本には同名タイトルの絵も掲載されていたのですが、なぜか私は、その絵が いたく気に入ったのです。
私の場合は、安住の地という言葉ではなく、思い届く日(約束の地)、という言葉ですね。
わかったようなわからないようなコメントですみません。
Paul Carpenterさん
えっ、生き霊!?(°Д°)
そういえば一昨日、強烈な寒気に襲われ、何度も目が覚めて、寝返り打って首痛めましたよ…
確かに私、何度も口うるさくコメントしましたが、怨みの念は飛ばしてませんよ!(>_<) あと、ぬまおさんのご意見ですが、うちの受動弟に似てるかもしれません。 弟には小学校からの同級生で、中学・高校・職場まで一緒だった友達がいたのですが、この友達の存在もあったから、頑張れたのかもしれませんね。 おそらく家族の中に執着できる相手が居なかったからでしょうが、自分の意思で「知識」や「情報」を得て、想像力を広げていくことも可能なのかな?と思いました。
ぬまおさん。
>自分がそこの生徒になってどんなことをするのか、まで想像できるほどのリアリティーを本人に持たせることが大事で、情報量に比例して自分の生活空間がイメージできるようになってくると思います。<
馬鹿馬鹿しい話ですが長女はどうしても入りたいダンス部がそこしかないので、そこに入るのに必要な勉強はしていたようです。ただ塾も家庭教師もつけ、それでなんとか合格できたレベルなので、親に感謝しろよ、と言いたいところですが。
たしかに中学、高校、大学、社会人(就職)と先に進むにつれ、選択枝も情報量もより多くなり、親もこどももその時点で大変になりますね。
それだけに取捨選択をいかにうまくするか、にかかってきますね。助言者の立場としては。
さーこさん。
>最後の最後のところで、意外な方角にある私のドアを、居るはずのないもう一人の私がノックしているのに気がつきました。ノックをしてから さほど間をおかずに鍵のかかっていないノブをカチャリと回し、自然に開かれたドアの向うで、その人は、その私は、まるで親しい友人に微笑みかけるように、にこやかに私に笑いかけていました。<
小生が大好きないわさきちひろの絵を思い浮かべました。安曇野のちひろ美術館にも行きました。カップなどいくつか持っております。
>私の場合は、安住の地という言葉ではなく、思い届く日(約束の地)、という言葉ですね。<
おそらく同じだと思います。小生が言いたいことと。
うまく表現しきれない今の段階で、あえて言いますと。
自分の個性(他のどこにもない、ダイヤモンドより貴重でかけがえのないもの)を存分に発揮して、生き生きと幸せに生きることができる自分。自分も周りの他者も幸せになれる状態、状況。
それが安住の地、思い届く日(約束の地)ではないかと。
さーこさん。もう少しで届きそうな気がします。もちろん一進一退を繰り返す、困難な道のりだとは思いますが。小生もそうでしたから。諦めず、希望を捨てずに少しずつ進んで、近づいて行ってください。
なお一部生霊の言葉も引用させていただきました。毎日このブログを見てくれていて、話をしておりますので。
道産娘さん。
いつも笑わせていただいています。(失礼があったらごめんなさい)
>弟には小学校からの同級生で、中学・高校・職場まで一緒だった友達がいたのですが、この友達の存在もあったから、頑張れたのかもしれませんね。<
長女がまさにそうですね。
ただ困るのは。
びっくりするようなセレブのこどもが多い学校で、甘やかされて育ったとしか考えられない友達が大多数なので、その影響はなかなか辛いものがあったりします。
まあ長い目で見るしかないんですけど……
久しぶりにコメントさせていただきます。
18年前の今日、大きな地震があり多くの方々の命が奪われ、多くの方々の体と心が傷つきました。心からのご冥福と、一日も早く心安らかに過ごせる日が来ることをお祈りします。
地震もそうですが、大きな変化(心境の変化もふくめて)が起こった場合に自分の中の何かが掘り起こされたり呼び覚まされたりすることがあるような気がします。
気づきを得て進化していければそれは自信につながっていくのですが、一つ気をつけなくてはならないのは、その時一旦自分の鎧を脱がないといけないタイミングがあるということです。今まで培ってきた方法、考え方など自己保身の為のバリアが一瞬外れるのです。
そんなとき、人は赤ちゃんのように無防備な状態になります。
そこから再スタートして、今度は本当に自分にちょうどいい生き方を選べればきっと本当に幸せになれるでしょう。
でも残念なことに、世の中にはその一瞬の隙を狙って狡猾にコントロールしようとする存在があるのも事実です。多数派の「空気」も良い方向に働けば居心地はいいものですが、間違った方向に働けば真綿で首をしめられるような気分になるのではないでしょうか。
そんな時こそ信じられるのが「自分自身の強さ」なのではないかと。ここに集う方々は常に考え続け、問い続けながら自己研鑽をしておられます。行ったり来たりしながらもよりよく生きたいという切実な想いを感じることができます。
いつも拝見しています。
ありがとうございます。
Paul Carpenterさん
生霊の言葉を含めた全文を、私個人の携帯電話に転送し、保存させていただきました。本当に何度も、ありがとうございます。
ぐらついた時、忘れそうになった時に、読み返したいと思っています。
いわさきちひろさんの絵は、幼い頃読んだ絵本の表紙や挿絵で見た記憶がありますよ。本に囲まれて育った少女時代なので、幼い頃に見た絵本の挿絵の感じとして覚えているんですよね。
私は井上直久氏のイバラードカレンダー2013年他、数年前に購入した、めげゾウのぬいぐるみ(現在は購入不可)などを持っています。今年は何となく、心のふるさとイバラードに行けそうだと思っていますよ。
「思い届く日」の絵は、去る2012年カレンダーの表紙になっているようですね。
>諦めず、希望を捨てずに少しずつ進んで、近づいて行ってください。
ええ。 ありがとう。
Paul Carpenterさん
娘さんに似た感じの人、私の中学時代の友達にも居ましたよ。その人は中心志向型タイプで、中学の頃部活を頑張ってましたが、近くにその部活がある高校が無かったので(その部活がある)遠くの高校に通うと言ってました。努力家で野心も強く(妬みも尋常じゃなかった)「顧問に認められたい」という気持ちも強かったようです。好きなことなら、続けられるんじゃないですかね?
>(他記事のコメントですが)むしろやっちゃいけないと言われたことを、怒られるのがおそらくわかっていて、それでもやってしまう、やっちゃううのよね〜どうしても、やってみたくなる衝動を抑えられない、の状態でしたね。
うーん…私がそうでしたが、小学校低学年までは、依存相手の前以外では緊張感ゼロでやりたい放題でしたよ。小学校中学年の頃、イタズラが先生や親にバレてこっぴどく叱られたんですが、その時母から「お父さんに嫌われるよ!」と言われたのがショックでAC(情緒障害)になったのかな?と思いました。私の衝動統制は「叱られないため」とも「見捨てられないため」とも受け取れますね。
少しずつですが、話の中で過去の記憶を思い出す事ができましたよ♪
さーこさん。
小生も小さい頃からたくさん本を読まされました。最初は嫌で嫌でしょうがなかったのですが、今の本好き(最近はブログ好き)に繋がっています。親に感謝します。
絵もいいですよね。写真と違い、描いた人の魂が宿るような。
出張に行くと近くの美術館に一人で入り、絵を眺めてから最後に土産店で絵入りのしおりなどを買って帰ります。絵にもよりますが、なんとなく気持ちが落ち着きます。変に喋りかけられないのがいいんでしょうか。
道産娘さん。
小生が少し変わったきっかけを思い出しました。
小3の頃、大好きな同級生の女の子がいました。
フルネーム今でも覚えています。顔も。声も。容貌も性格も美しい人でした。
当時スカートめくりしまくって、ホームルームで「一番たくさんスカートめくりした最低な男子」として糾弾されるほど酷かったのですが、その子にだけはできませんでした。
とうとう席が隣同士になったある日の給食の時間。マーガリンをその子の椅子の上に。
座ってスカートにべったり。
なんでこんなひどいことするのっ!
教師にも怒られ教室の後ろに立たされました。
給食の時間が終わりに近づいた頃。教師がもう食べなさいと。同級生もみな食べなよと。
食べるもんか。ふんだ。
最後に彼女が。小生のもとに歩み寄ってきて。
もう赦してあげるから食べて。
大泣きしました。一生であれほど大泣きしたことがあっただろうか。
後日。その子の誕生日。お呼ばれしました。なんでかわからないうちに他の同級生とその子の家へ。大きな酒屋さんでした。
席は。その子をはさんで隣が小生。その隣がその子のお母さん。
娘からいつもお名前聞いていますよ、と。
一言も口をきけませんでした。
その後小生は養父に引き取られ、転校して離れ離れに。
何年もあとにその酒屋さんを探しに行きましたが、転居されていたようです。
朝からくだらない話ですみません。
Paul Carpenterさん
私は本を嫌々読んだわけではなく、むしろ読む事が大好きなのですが、その代わり、自分のクラスメイトや身近な人間、生きた人間の気持ちを想像するのが難しくいつも嫌々だったような気がします。難しい、不得手、困難、苦痛、不可解、戸惑い…、他にもいろいろな気持ちが混ざっていますが、みんなが了解しているらしい事を自分だけがわかっていないという疎外感も、嫌な気持ちに拍車をかけましたね。
それが今ではaromatherapyという、生きた人間の今現在の気持ちや状態を想像する、考える、という分野に関わっているわけですから、人生はどうなるかわからないものですね。特に、小学校高学年の担任の先生に感謝しています。
親に感謝…もっとも難しい事ですね。
私はいまだに親に感謝するところまで届いていないのですが、あきらめずに近づいて行こうと思っています。
私のところからは美術館は遠いので、夜、仕事から帰る時に星を見ています。
知っている星座を見つけると、なんとなく気持ちが落ち着きます。
私も、変に喋りかけられないのがいいんじゃないのかなぁと思いますよ。
Paul Carpenterさんへ
いえ、にやにやしながら読んでしまいました( ^∀^)
さすがに好きな子相手なら衝動をコントロールできるかなと思ったのですが…そこはジャイアン、甘い考えでしたね。
「結局やるのか!?」と突っ込んでしまいました。
(失礼しました)
でも、良いきっかけになったでしょうね。
私は、少なくとも小学校中学年までは「自分が悪い」と思っていませんでしたが、離人症になってからはAC的に行動を制御するようになりました。
(病的ではありますが…)
小学校3・4年頃って、それまで分からなかったことが急に分かるようになって、ある程度考えて行動できるようになるのかな?って気がします。
あれ?あれ?あれあれ???
あれ…もしかしてPaul Carpenterさん、幼少期は全く衝動を我慢しない「暴君型」でしたか?
ところで、これまでPaul Carpenterさんとコメントのやり取りしてて、自分の幼少期の型が何だったのかようやく分かりましたよ。
きっと「ボーダー」で「AS父」が依存相手だったんですね。
最後のイタズラで母に叱られた時「お父さんにバレたら見捨てられる!」と思い、衝動統制を「叱られないため」に、そして依存相手を「母」に切り替えた。
後に父を含め、受動型の知り合いに対しモヤモヤ(イライラ)した気持ちがあったのは、ACの殻を被っていたため自覚しづらくなっていた「依存への衝動」だったんだなと。
身体症状の謎も解けてスッキリしました!
Paul Carpenterさんのおかげです、ありがとうございます< (_ _*)>
っていうか、コメントの中で受動型の人の不満ぶちまけてたのもジャイアンの衝動からだったんですね…
理不尽きまわりない。
今後は自重して、(AC的に抑え込まない程度に)もう少し冷静になります。
私は受動型ASだが、確かに受験勉強はしなかった。
多数派に合わせる人間を作り出すための、実社会に役に立たない受験勉強など、する気にならなかった。ただそれだけ。
受動型ASにとっては、受験勉強よりも実社会で自分なりにしたたかに生きていく手段を見につけることがよっぽど重要。
それが、受動型ASに必要な勉強。(受動型AS以外には勉強には見えないだろうが)
本来、多数派の基準に合った人間を養成するための試験に発達障害者があわせる方が不自然。
ただ、権力欲を必要とするジャイアンと積極ASは受験勉強をしないと自分の望む地位が得られないので受験勉強をすると考える方が自然。
実際、受動型ASだけでなく、のび太も受験勉強はしない。
お互い、権力欲が無いので、受験勉強によって得られるものに興味が無いし、受験勉強に対する適性も無い。
しかし、受動型ASのみが取り上げられている。おそらく、受動型ASの場合は、「やればできる」ように見えるからだろう。
が、受動型ASに勉強をさせる方法は「無い」
本人の得意な能力のみで社会を生きていく方法を見つけるのが、唯一の現実解。
▷ しかし、受動型ASのみが取り上げられている。おそらく、受動型ASの場合は、「やればできる」ように見えるからだろう。
が、受動型ASに勉強をさせる方法は「無い」
本人の得意な能力のみで社会を生きていく方法を見つけるのが、唯一の現実解。
m2さんへ。
昔ここ以外の精神科医のブログで、以前兄弟で人気があった相撲力士の弟さんの方はASではないか、と書かれていたのを思い出しました。
真偽のほどはわかりませんが、もしもそうなら、本人の能力をとことん活かした実例、と言えるでしょうか。
もちろん、家庭環境に恵まれていたことは間違いないでしょうが。
道産娘さん。
感謝していただき、こちらこそありがとうございます。
いつも拝見する道産娘さんのコメントからは、想像できませんが。
人は変わりますよね。
変わりたいと思うなら、その人間にもうすでになったように考え、そのように行動せよ。
それが変わるための最善で最短の道である。
たしかこんな言葉がありました。
運命は変えられると。自分自身の意志で。
m2さん
>本人の得意な能力のみで社会を生きていく方法を見つけるのが、唯一の現実解。
m2さんにとってそれは何だったのでしょうか?
宜しければ同じ受動型当事者としてお話伺いたいです
m2さん
もしよろしければご自身はどういった職に就かれておられるのか聞きたいです
当方スキルの無い通信学生ですが自分の将来に絶望気味です
消極的なジャイアンなのか受動ASなのか定かじゃないのですが、今日久方ぶりに勉強してみてああやっぱり自分は物事の全体像を把握するのが好き、というより取り憑かれるんだなあと思いました 同時に自分は家庭を作らなくとも平気だろうなと思いました
もし当時親に無理やり勉強させられていれば研究職として同一性を見い出せていたのでは…と思うと胸が苦しくなりますね
Paul Carpenterさんへ
そうですね、自分で考えなければなりませんね。
ちなみに、「ボーダー」の特徴は思春期に出ており、受動型の人達に依存してたこともありましたが、常に自分を押し殺さなければならず、かといって反論もできず「自分が無い」ことから虚しくなり、それからは衝動を我慢しています。
ただ、幼少期の衝動統制ということもあってか、今も漠然とした苛立ちや身体症状(耳鳴り、ふらつき、動悸)があるので、「合理的に衝動を我慢する他に、(AC的に)ただ自分が悪いから我慢している」ところもあるのでしょう。
自分が悪い部分と、悪くない部分を、冷静に考えられるようになることが、今の私の課題ですね。
ありがとうございます!この漠然とした気持ちや身体症状こそが「魔の囁き(依存への衝動)」だと気付くことができました。
しかし、ASの袋小路発言って、上記の方のような発言のことでしょうかね。
本当、「考え続ける努力」も無駄になってしまいそうですね。
ジャイアンなら腹が立つところでしょうが、なんだか悲しくなります。
(おっといけない、魔の囁きが…)
ヤンバル先生は「ただ受動型ASに受験勉強をさせる」事が目的で、この記事を立ち上げたのですか?
私はてっきり「受動型ASが他人の考えに依存せず、自己責任を持って受験勉強に取り組むにはどうすれば良いか?」その為に、受動型ASの人達に「想像力について」質問されたのだと思い、知り合いの受動型ASのコメントを、たくさんさせていただいた訳ですが…
もっと言えば、受験勉強は「例え話」に過ぎず、ずっと先の事を想像できないが故、その為に計画を立てたり、準備ができない事が問題だと仰りたいのかと思ってました。
計画性が無く、目先の事にとらわれやすいのは「のび太」も同じですが、のび太は「自己責任」を認識でき、自分の意志で受験勉強を始められるから、この記事に「のび太」を含まなかったのでしょう。
ASは元々脳が「依存的」にできているから、家族や周囲の人の言動に振り回されやすい。
かといって何も言わないと勉強しない。
「やればできる」からではなく、できるだけ周囲の人の意見に依存させず、自己責任で物事を始めさせるにはどうすれば良いか?
…という事じゃないですか。
後々「責任転嫁」させないために。
道産娘さん。
今日も明晰な頭脳がフル回転していますね。いつも勝手に尊敬しております。
>自分が悪い部分と、悪くない部分を、冷静に考えられるようになることが、今の私の課題ですね。<
小生がまさにそうでした。
みな悪いところばかりではない。
それと同じか、それ以上にいいところがたくさんあるのです。
悪魔の自己突っ込みに負けないでください。
天使のささやきに耳を傾けましょう。
今日はもうひとつでしたかね?
>今日久方ぶりに勉強してみてああやっぱり自分は物事の全体像を把握するのが好き、というより取り憑かれるんだなあと思いました<
maruさんのこのコメントどうも気になります。
以前コメントしましたが、maruさんはコメント内容を拝見する限り、相当切れる頭脳をお持ちの方だと想像しています。
>取り憑かれるんだなあと<
ここがどうしても気になるのです。
何に取り憑かれてしまうのだろうか、と。
文を素直に読めば「全体像に取り憑かれる」ということになりますが。
じゃあ全体像って一体なんでしょうか。
個々の事象や条件や要素が複雑に組み合わさって出来上がるのが全体像ではないでしょうか。
しかもそれは多くの場合、時代や社会の流れによって変わりうるものだと思いますし、さらに言えば同じ人でもアクセスする人のその時の心や環境やアクセスする目的によっても変わってくるでしょうし。
何に取り憑かれてしまうのでしょう。
それがはっきりとわかったら、相手の本体、実体が判明したら、もしかしたらmaruさんの生き方は大きく変わるのではないか、という気がしました。
漠然とした言い方で申し訳ありませんが、今のところその程度しか小生にもわかりません。
Paul Carpenterさん
評価されると気持ちが浮付くのでやめて下さい; しかし流石にこの十年は堪えたのでもうそう易々と調子に乗ることはないですね
頭は切れないですよ スタンダードから離れやすく更に粘っこいだけです なので継続的に温めておいた引っかかりが特異な状況とマッチして驚かれるといった場合はあると思いますが
記憶力もあまり自信がないですね なので体系的で連続的な線よりも、断片的な点と点の間に“隠されていること”に疑い意識がいってしまうのかも知れません
取り憑かれるというのはまさにこのようなブイを取りこぼさずに、関連付けようと回収にやっきになっている状態だと思います
そうするとスタミナ的にはまだやれる!のですがテストではハイ時間切れとなります 中学の頃現代文で設問と全く関係のない部分のバックボーンや人物の動機を考えていたことを思い出しました
だから、まあ嫌ではないんですけど頭は熱くなるし(血流が多くなる)、何か億劫になるんでしょうね 自分の対人的な“キャラ”は消失するわけですし ハッとなる時もあります
では何に取り憑かれるか。結局全体を把握したいのは何なのか?
究極これはやっぱり人生なんだと思います……笑;) ミクロでは“僕”ですね
というのも、どこかで書いたかと思いますが僕は人生が無限の掛け合わせという要素から成り立っているということ自体がざわざわします
自分でも青臭いなあと思いますが幼い頃から“解き明かしたい願望”はずっとあるんです そのためにあらゆる帰属意識を回避してきたようにさえ思えるくらいです
なので脳か環境状況か順番はわかりませんがそういう小説や漫画も好きだったんですよね 山月記の中島敦作品なんかはここの皆さんの心にくるものが多々あると思うのですが 漫画家にも発達さんは結構いると思いますね
とにかく変わるというかもう変わらざるを得ないところまできました 過保護で感謝を要求する親の金を使いきり、遂に社会と言う未知に飛び込んでいかなければならないので、今から発達障害というカテゴリを知ることが出来たのは掛け合わせの材料として都合が良いと思います
というか働いてない者はまだこのサイトに来るべきではないのかもしれませんね、、 とにかく変化にアクセスするしかないんでしょうね 億劫だ、、
度々気付かされるコメント本当にありがとうございます(_ _)
m2さんのコメントに、非常に重要な問題提起がなされているように思います。
>受動型ASにとっては、受験勉強よりも実社会で自分なりにしたたかに生きていく手段を見につけることがよっぽど重要。それが、受動型ASに必要な勉強。(受動型AS以外には勉強には見えないだろうが)
何のために義務教育ではない高校に行き、何のために大学に行くのか、その説明が十分になされないまま受験勉強をする、これ自体が理不尽な要求となるのではないでしょうか。
今大学では、とにかく進学しただけで目的も持たずに受身の学習をしている学生が多くいます。学問どころではないのです。そして、就職活動にしてもどこかに入ればよいと考えている学生も多い。そのなかで、実社会でしたたかに生きていく手段を身に着けるおくことがよほど重要だと、核心を突いた指摘がなされています。受動型ASだけでなく、その他の学生にもしたたかに生きていく手段を身に着けることが重要になっています。
たしかに、10年前と比べて高卒者の就職がほとんどなくなっています。それは高校の就職斡旋というシステムが崩壊してきたからです。そして、企業の採用活動が学歴・学校歴による選考を行っています。学歴・学校歴による選考は崩れてきているのでは、と思うかもしれませんが、エントリーの時点で枠がない、落とされるというのが現実です。学校基本調査による大卒者の就職率は、H23年度で61.8%です。それ以外の者は院進学か就職浪人かフリーター、ニートです。
受験勉強が重要なのではなく、キャリア形成をどうするか、が重要なのです。しかしながら、想像力の障害があるASにとって、とくに受動型ASにとって、キャリアビジョンを考えることは非常に困難だと思います。「本人の得意な能力のみで社会を生きていく方法を見つけるのが、唯一の現実解。」その通りで、得意分野でないと継続は難しいでしょう。ただし、どこでも人間関係はついてまわります。そこで対人スキルを身に着ける必要があるのですが、それをどう理解してもらうか、頭を悩ますところだと思います。
maruさん。
>スタンダードから離れやすく更に粘っこいだけです なので継続的に温めておいた引っかかりが特異な状況とマッチして驚かれるといった場合はあると思いますが<
ここを小生は頭の切れる人だと言いたいのです。
普通なら見落としかねないところを。真実に到達するまで固執する。
偉そうにみせてなあんにもわかってない連中と比べると、どちらが賢いかは議論の余地なし、と思います。
ただmaruさんの場合は、以前にも申し上げたと記憶していますが、それをこの実社会、悪魔階級が支配する自由主義資本主義社会でうまく活かす方法がみつかってないだけだと思っております。
きつい言い方をすれば、そんなこともわからないのか、という表現もできます。(ごめんなさいね)
誰も過剰評価も持ち上げもしていませんよ。ご安心ください。
みさん。
>受験勉強が重要なのではなく、キャリア形成をどうするか、が重要なのです。しかしながら、想像力の障害があるASにとって、とくに受動型ASにとって、キャリアビジョンを考えることは非常に困難だと思います<
おそらくその通りでしょう。
先日も書きましたが、受動型ASをせっせと大量生産して、実社会に出た途端ジャイアンに豹変しなければならない悪魔的社会において。
微力ながら、このブログでこの超難題を解決できる方策を一緒に考えていきたいと思っています。
自分のこどもたちの未来に直接関わってきますから。
道産娘さん
>誘って一緒に停学になった友達には、本当に申し訳ないことをしました。
友達巻き添えにして悪さした自分の方がよっぽど卑怯ですね(苦笑)
「別にタバコ吸ったって本人の健康に害が及ぶだけで、私が未成年云々なんて話、アンタら(先生達)には関係無いだろう。綺麗事言うなよ…」
そう思い、誓約書に「学校の名に傷を付けて申し訳ございませんでした」と嫌味ったらしく書いた覚えがあります。
合理的というより、徹底して個人主義だったんですかね。
合理的個人主義(笑)で捨てたこの友達は元気ですか。
この友達はのび太?受動型ASですか?
のび助さん、初めまして!
「捨てた」というと語弊があるような気もするのですが…
利用が当たり前のADHD以外の方からすれば、「捨てた」と思われても仕方ないですよね。
友達は2人いましたが、1人は受動型、もう1人は多数派かのび太(AC)かと。
今はもう会っていないので、元気かどうかは分かりません。
Paul Carpenterさん
>先日も書きましたが、受動型ASをせっせと大量生産して、実社会に出た途端ジャイアンに豹変しなければならない悪魔的社会において。
私はシンプルなASが受動型ASであるのか疑問に思っています。さーこさんがおっしゃっていたかと思いますけれども。
そして、ジャイアンの前身が受動型ASであることにも疑問をもっています。たしかに重なる部分はあるのですが、完態に至ったときに何が現れているか、ということに引っ掛かっています。環境によって発達の違いはありますが、個体は環境だけでその状態になっているわけではありません。ですから、環境だけを論じることに危惧します。たとえば親学など。
実社会に、という点では同意します。新自由主義社会で経済主体の社会では、本来の個々がもてる能力を活かすという社会ではなく、金に依存した社会であり、それが再生産される。とくに血縁が重視される日本社会では、相続税減税といった流れに現れていますけれども、能力が遺伝すると考えられています。
「種の起源」、優良な遺伝子を引き継ぎ、不要なものは淘汰される、そのような思考がまかり通っています。たしかにそれを裏付けるようなデータもあります。しかしながら、それはすべてに適応できることではありません。そして、社会階層を固定化することにもなっています。弊害は深いところで生じています。これが格差。エリート教育とゆとり教育の裏表。エリートが指導し、知識のない者は従順に働いてほしい、という論理です。努力しなかったでしょ、それは自己責任だ、ということです。
自己責任論は、自分がしっかり働けるうちはよいが、何らか事故等の困難があり、不自由になってしまった状況では適応できない。個人の努力以前に自然の成す災害や老化、車社会ゆえの事故等、当然ありえることを前提とはしていないのです。もちろん、生まれ持った特性、生まれた環境、育つ過程での出来事等も考慮しません。ついでに、リストラも過去どれだけの功績があったとしてもします。
「今現在」が重要なのです。この日本社会が場当たり的です。場当たり的であるから「空気」が必要なのです。空気に合わせていればはじかれることもありません。空気をつくるのは上層部、それに追随するのがマスコミ、無意識に誘導されるのが一般人です。
みさん。
>ジャイアンの前身が受動型ASであることにも疑問をもっています<
ほぼ同感です。
言葉足らずでしたが、2次的にそう見える、一時的にでも同じような実社会での生き方をしてしまうケースも含めています。
たとえ一時的な2次障害であろうと、そのときに社会的にうまく対処できない、幸せに生きることができない、最悪自殺や逆に犯罪を犯すことまで考えかねない、という実際に被る被害実害という点では近いものがあり、こんな社会ではいかん!という意味で書きました。
この件に関しましては、小生の感情が先走っているのは事実です。
誤解を与えてしまい、申し訳ございません。
Paul Carpenterさん
いえいえ、受動型ASと表現されていたのは依存型ジャイアンのことかなぁと思っていました。
強迫的に「普通」にこだわる、非言語的に依存相手の顔色を伺い続ける、溺愛してくれる人に服従し依存する、という衝動統制を身に着けてきたADHDが、受身であることから受動型ASに近く見えるのだと思います。
これらの衝動統制では主体的に考えて行動することを学んでいないために、社会に出てから不適応を起こすのだと思います。学校で学んできた「普通」が臨機応変な社会では通用しないし、顔色を伺い続けていても社会で求められるものはそれではないし、服従していても社会ではやっていけない。
私はこれらの衝動統制を身に着けてしまうのは、半面で実直さがあるからなのだと思っています。養育環境に合わせて、本人の性格と合わせて「生き延びる知恵」を獲得したものです。しかし、社会ではその「生き伸びる知恵」は明後日の方向であったことに気づく。はすのはなさんが言っていたように、いったん裸の自分に立ち返らなければ「生き延びる知恵」を方向転換させることができない。苦しいのですよ。自分の弱いところを直視するのですから。しかし、それを越えていかなければ幸せを手にすることはできない。
人は生きる時代を選択することはできないものです。そこで生きていくためには、その時代に合わせていかなければならない。人が集まって社会は成り立っている。人を動かすには、まず現社会で生きていくこと、そして発信していくこと。自殺や犯罪を起こしても何も変わりはしない。合理的に物事をすすめていくことを学習する、試されているのだと思います。
のび助さん。
思い出しました、友達は受動型とのび太でした。
あと、「合理的個人主義的?」な性格が原因で友達を捨てたとは思っておりません。
友達とは疎遠になっただけですよ。
「捨てた」のは自分自身です。
(今もほとんど変わりませんが)当時は、組織(学校)に属していればそのやり方に従うのが当然で、逆らえば組織のやり方で罰を喰らうのも当然、それが嫌なら、もう義務教育ではないし働ける年齢なのだから、学校を辞めて自分の責任で自分の生き方を探せば良い。それが「自己責任」だ。
そう思い、「学校の名に傷を付けて申し訳ない」と誓約書にサインしました。
「未成年だから」より「学校の名に傷が付くから」と言われた方が説得力がありました。
まぁ、世間的には「二十歳までは親の責任」ですから、難しいですけどね。
のび助さんに「自己責任」の話は「必要」なかったですね。
長文失礼致しました。
みさん。
>人は生きる時代を選択することはできないものです。そこで生きていくためには、その時代に合わせていかなければならない。人が集まって社会は成り立っている。人を動かすには、まず現社会で生きていくこと、そして発信していくこと。自殺や犯罪を起こしても何も変わりはしない。合理的に物事をすすめていくことを学習する、試されているのだと思います。<
そう思います。
自己を確立する(現段階では安住の地を探す途上の努力、と言えるかもしれません)のは大切ですが、社会の中で、仕事をもらって、ないし自分で開拓して、食べていかなければならないという厳しい現実が常にあります。
その意味で、受動型人間ばかり大量生産しようとする教育システムと、一握りのジャイアンに支配されている実社会において、どうすればうまく生きていけるのか、少しでも幸せになれるのか、それを皆さんのお知恵を借りながら考えていきたいと思っています。
(なお遠くない将来、発達障害専門の精神科に転向することも少しずつですが真剣に考えております。YANBARU先生に比べたら火星とミジンコでしょうが)
道産娘さん。
>当時は、組織(学校)に属していればそのやり方に従うのが当然で、逆らえば組織のやり方で罰を喰らうのも当然、それが嫌なら、もう義務教育ではないし働ける年齢なのだから、学校を辞めて自分の責任で自分の生き方を探せば良い。それが「自己責任」だ。
そう思い、「学校の名に傷を付けて申し訳ない」と誓約書にサインしました。<
道産娘さんは頭脳内年齢を先取りしていたのでしょうか。
そんな頃小生は全く考えも及ばなかったことを考えていらしたのですね。
でも今は達観している、とかそういうことでもないのですね。
変な表現で失礼かもしれませんが、厄介ですね。
小生こそ第3の自分が厄介でしょうがありませんが。
まあ小生の場合は、変に逆らわず、仲良くするしないんでしょうけど。
道産娘さん
お友達のことを聞いてみただけですよ。
あなたのことは聞いていません。
ACや二次障害を先に治したほうがいいですよ。
ジャイアンは二次障害だそうです。一次と二次の違いが分りますか?
一次障害は悪くない。支援の対象です。
道産娘さんはこのブログ内の言葉を入れ替えているだけのようだ。何故だろう?
自分の言葉で話せるようになるまで絶交しましょう。
さようならが惜しくない。
今回の記事は
①受動型ASは何らかの認知の原因で受験勉強をする必要性を感じにくいという特性がある
②その結果自分の人生をうまく操舵できず、「自己責任」を感じにくいために他者に責任を転嫁する傾向がある
③その結果自覚することなく親など重要な他者に精神的負担となるような要求をすることがある
という考えから来ているのだと思います。(違ってたら以下は勘違いのび太の妄言です。すみません。あってますように。)
※これを読んで受動型ASの方の自己評価に影響があるか私にはわかりませんが、ADHDの私が上記のような生き方をした場合自己突込みで相当にこたえます。なので一応前置きしますが、受動型ASの方の人生が自他ともにうまく肯定できる方法を探るために書くのであって否定しようという意図は一切ありません。私は母がASっぽく、理解に努めたい・最低限うまく関わりたいと思っています。
道産娘さん(1/21)のコメント
計画性が無く、目先の事にとらわれやすいのは「のび太」も同じですが、のび太は「自己責任」を認識でき、自分の意志で受験勉強を始められるから、この記事に「のび太」を含まなかったのでしょう。
↑と同じことが下のようにいえます。
・のび太は受験勉強をしないせいで自分の人生に悪影響が出た場合「自己責任」で結果を受け止めることができる
(メリット…他者に自分の人生の責任を転嫁しない デメリット…自己評価の更なる悪化)
記事にのび太が含まれないのは、「受験勉強をしない」動機が違うために一緒に考える必要がないせいもあると思います。ということでのび太は置いといて。では主題の受動型ASはどうか。
・受動型ASは受験勉強をしないせいで自分の人生に悪影響が出た場合「責任転嫁」し結果を他者に依存する
(メリット…自己評価は下がらない デメリット…都合よく面倒を見る人が現れない限り人生の悲嘆を解決する方法がない)
※つづく
※つづき
ADHDの私から見て難しいのは受動型ASにとって”依存すること自体は正である”ということです。受動型ASにとって”依存を取り除くこと”は、ADHDにとって”多数派に合わせる”くらい不自然なことなのだと想像します。
ここでひとつ問題なのは「責任転嫁」自体が元々悪いイメージを持った言葉だということです。つまり多数派にとって責任を放棄すること、他者に転嫁することは悪いことだということです。これは受動型ASの「責任転嫁」は悪いことではない・あたりまえだという認知とかなりかけ離れています。しかも自己評価が下がらないということで当事者としては怒り心頭といったところでしょう。
(ADHDの私にとって他人にも自己責任を求めることが当たり前なように、無自覚に期待しちゃうんでしょうね。ちなみに自己責任はあっても他者への責任を感じられない私の幼少時の評価は「責任感がない」でしたw)
ということで受動型ASの人がうまいことやっていくには
・ある程度依存はする
・ある程度責任転嫁が許される状況を作る
・自分で解決できることはする(そしてそれをできるだけ増やす)
・100%の依存が他者にとっては大体の場合負担であり関係維持に支障をきたすことを意識する
ことが必要だと思いました。ある程度が難しいんでしょうけど。
私はすでに受験とは縁のない年齢ですが、人生には今後を決定的に形作るタイミングがあります。
人生が有限な時の流れだと知るのは大体年齢を重ねてからです。
自覚しにくい人たちがうっかりそのタイミングを逃してしまわないサポート体制は、同じ発達障害を持つものとして必要性を感じています。
YANBARU先生の記事内で”「自分で考えて自己責任で解決する」行動の習慣”という言葉がありますが、この習慣は多数派でもASでもADHDでも身につけて損のないものです。なーにそんなものも自分で学び取れないのか甘えるなと多数派には思われるかもしれませんが、誰にでも必要な知識や生き方のコツを「空気による制裁」以外にも義務教育で学べるチャンスがあればいいのになと思いました。
(そして最後に、なに頑張ってひとりで書いてるのって自己突っ込みも。ばっちり感じてます。)
Paul Carpenterさん
あはは。とっても不思議なたとえで、思わず「火星とミジンコ」をそのまま検索かけちゃいました。
失礼いたしました。そんなご謙遜をなさらずに。ぜひ、発達障害専門の精神科に転向なさって、ますますご活躍されることを祈っています。
「受動型人間ばかり大量生産しようとする教育システム」
1クラス40人制、一斉授業という教授方法、戦後教育の歴史、文科省-教育委員会‐学校との縦関係、教育委員会の人事権、学習指導要領の法的拘束力、各校種のつながり、受験システム、教員の高齢化等々、学校教育に関する問題がいっぱいあります。
受身の教育は今に始まったことではなく、高度経済成長時に産業界から従順に働く人材を要請され、それを担ったのが学校教育。共通一次、新卒一括採用というシステムができ、偏差値重視の教育システムの出来上がり。良い高校に、良い大学に進学することを親は願う。思考力、問題発見解決力育成への方向転換をしても、できあがったシステムはなかなか変えられない。
実は、学校教育の前の家庭教育のなかで、自らが知的好奇心をもとに学ぶという姿勢を身に着けていたら、それは学校でもそれをするものです。子どもたちは過度に期待されるために、よい子となり適応しようとする。そこには核家族化という背景があります。本当は、子どもは小さな哲学者、いっぱいいっぱい知ろうとして、わかろうとしているのに、その芽をおとなが摘んでしまう。おとなが子どもを受身にさせているのです。
とまあ、またいろいろ書いてしまいました。
のび助さんへ
「自分の言葉で話せ。」
これはあなたにそのままお返しします。
あなたが何故「のび太」を名乗って、私の過去の友達が元気か?とお聞きになるのかは存じませんが、私はあなたの「捨てた」という言葉が気に入らなかった。
だから「私の言葉」で「捨てたのではなく、疎遠になったのだ。」と言い訳しただけです。
ただ、その後の話は、確かにあなたの言う通り必要なかったですね。それは認めます。
あと「絶交しましょう」って言い方、随分一方的で「上から目線だなぁ」と思いました。
私はあなたとまだ2回しかコメントのやり取りをしてませんから、あなたに仲良くして貰ったとは思っていません。
「思い上がり」も良いところですね。
私を捨てたいのならどうぞご自由に。
あと、あなたの言い方だと「一次障害は支援が必要だが、ジャイアンは二次障害を治さないと支援が受けられない。」そう受け取れます。まあ、そこまで考えて発言された訳ではないのでしょうけど。
返事は結構です。
このままやり取りを続けても「揚げ足取り」や「オウム返し」にしかなりませんから。
Paul Carpenterさんへ
Paul Carpenterさんが発達障害の専門医だったら楽しい…いや、心強いでしょうね。
頑張ってください♪
確かに「厄介」ですね。
自分で自分を縛り付けているようだし、かと言って緩めようとすれば暴発しかねない。
十代後半は神経症の本ばかり読み漁ってました。
(心療内科にも通ってました)
「組織に属しているから」と考える背景には、見捨てられ不安もあったかもしれませんね。
なつもかさんへ
おそらく多数派の人達は、ここまで自己責任にこだわる事は無いでしょうね。
「空気」を読みながら集団行動することで、個々の「責任」を曖昧にさせているのでしょう。
私は多数派と同じように空気が読めないので、意識的に自制するしかないんです。
確かにASは「100%依存が当たり前」で、全く依存が出来ない環境ではストレスになるので、私もある程度依存ができる環境が望ましいと思っていました。
でも、家族の中にASが複数居ると、どうしても支配か服従かの関係になりやすく、また、家族の言動により行動パターンが左右されやすいので、どこまで依存させて良いのか悩むところですね。
私も幼い頃から支援が必要だとは思います。
なつもかさん。
>受動型ASの人がうまいことやっていくには
・ある程度依存はする
・ある程度責任転嫁が許される状況を作る
・自分で解決できることはする(そしてそれをできるだけ増やす)
・100%の依存が他者にとっては大体の場合負担であり関係維持に支障をきたすことを意識する
ことが必要だと思いました。ある程度が難しいんでしょうけど。<
なるほど。
でも依存してもいい相手かどうかを見極められるかどうかが最重要ではないかと。
DVで命まで危なかった○○真理子さんのように。(違う?)
みさん。
>学校教育の前の家庭教育のなかで、自らが知的好奇心をもとに学ぶという姿勢を身に着けていたら、それは学校でもそれをするものです。子どもたちは過度に期待されるために、よい子となり適応しようとする。そこには核家族化という背景があります。本当は、子どもは小さな哲学者、いっぱいいっぱい知ろうとして、わかろうとしているのに、その芽をおとなが摘んでしまう。おとなが子どもを受身にさせているのです。<
貧困の連鎖、という言葉を思い出しました。ちょっとズレるかもしれませんが。
小生も養父がいなかったら、今の自分はなかったでしょう。
やはり家庭でも学校でもできない、独自の支援体制が必要な気がします。
道産娘さん。
行きつけのお店の常連には「どっちが患者かわからんから絶対やめたほうがいい」と有難い忠告を受けております。
>確かにASは「100%依存が当たり前」で、全く依存が出来ない環境ではストレスになるので、私もある程度依存ができる環境が望ましいと思っていました。
でも、家族の中にASが複数居ると、どうしても支配か服従かの関係になりやすく、また、家族の言動により行動パターンが左右されやすいので、どこまで依存させて良いのか悩むところですね。
私も幼い頃から支援が必要だとは思います。<
あー!
こんな人間どっかにいたぞー
みさん
>今現在」が重要なのです。この日本社会が場当たり的です。場当たり的であるから「空気」が必要なのです。空気に合わせていればはじかれることもありません。
依存ジャイアンの世界はこうなっているわけですか。
よくみさんは、ジャイアンはASに関わってはいけないと書いてますね。
このブログは未診断の人もたくさん来てると思うが、その人達とどんなつもりで関わってるんですかね。
ところでASとADHDの違いが分らなくても支援って出来るんですか。
診断済みならあとは教科書に載ってるのかな?よく知らないもんですから、済みませんね。
のび助さん
最初の部分は、たとえば携帯の機種が新たに発売されることで乗り遅れないように購入する人々、といったことを想定して書いています。その機種にある部分が弱くなったとしても、というところがあります。服でもそうですね。今年の流行は、ということで早速購入する。尖閣の問題が起きれば、自衛隊法改正など。依存型ジャイアンの世界を述べたものではありません。
そして、「ジャイアンはASに関わってはいけないと書いてますね。」の部分、これはADHDの二次障害の部分をまず見つめ、改善しないと、ASの二次障害を重篤にする、ということを言っています。かかわってはいけないと言っているのでなく、二次障害を重篤にしかねない自分の状態があるのですよ、ということです。
paulさん
>あー!
こんな人間どっかにいたぞー
お互いのために相手を求めないと合理的ツッコミ(=天使のささやき)がでてこないと分ったんでしょう?
ジャイアンの気持ちはジャイアンにしか分かれないと思うのです。道産娘さんのために話してあげて下さい。
お願いします。
「受動型ASの受験生が勉強しない理由」というテーマは衝撃的でした。
自分が受動型ASであるという意識と、受験勉強をしなかったという意識はありますが、それを結びつけることはありませんでした。
自分の人生を振り返って、いろいろ考えた結果、「受動型ASが受験勉強をすると不幸になるから」という結論は出ましたし、かなり確度が高いとは思ってます。
しかし、あれだけでは、受動型ASの人は理解できても、それ以外の人には理解できないとも思います。
受動型AS以外の人がこの問題を考えるには、受動型ASで社会に適応できている人のサンプル数が少なすぎる、と。
自分の成育歴を公開し、どうやって社会適応させてきたか、どのようなことに悩んできたか、を記すことが、受動型ASに対してそれ以外の人がどう接するべきか? の理解につながれば、と思います。
まず、自分の持っている障害は、
・肉体的/性的発達遅延
・協調運動障害
・視覚障害(極端な聴覚優位)
→ 小学校入学時視力0.3矯正1.0いかず。立体視NG。
でくくれると思います。
後は極端な過集中があります。
まず、運動はできません。
子供の頃は、肉体的発達が遅く、細かな動作が苦手で、動体視力も無いのですから、当然です。
年をとるにつれ、発達遅延のハンデだけは解消されつつあります。
単純に走ること、筋力とかは人並みに近づいてきました。
次に、図工・美術/技術 も手先が不器用で視覚障害がある以上、ダメです。
家庭科は、実技はダメですが、栄養学等の座学があるので、上に出ている科目よりマシでした。
物理が苦手だったのは、視覚障害で説明がつきます。数学でも図形関係が苦手だったように、視覚で見えるものを論理的に説明する学問は頑張ってもできるようにはならないでしょう。
実生活では車の運転がダメです。
協調運動障害、視覚障害の上に過集中で運転中に別のことを考えかねないので、確実に事故ります。時々自転車運転中に過集中状態になり、危なくなります。徒歩でも信号に気づかなかったりして危険です。
以下は、これらの障害を抱えるがゆえに、まずはできることを完璧に行わなければいけないという意識による二次障害と考えられます。
国語では選択問題がダメでした。良く作家がマークシートの回答に自分の主旨と違うと文句をつけるように、多数派の価値観に沿った回答ができません。 全て自分がこなすにはどうすればよいか? を考える上で、本筋をさぐります。いろいろに解釈できる選択肢がある場合、選べません。
英語(高校以降)、世界史、日本史(ゲームで使う戦国・維新および実生活で使う昭和近代史除)もダメでした。ただ、これらは今使う必要が無いから、というだけの理由で使う必要性が出てくればできると思われます。
基本的に実生活に役立つ科目を生き抜くために勉強する、ということなので、中学まではそんなにばらつかないです。義務教育中の学問は、それこそ社会を生き抜くために必要なものが多数であるからです。
以降は受動型ASが困難に陥るコミュニケーションについて、年代順に述べます。
まずは小学校時代。
中心志向は無いので、迷惑をかけたりすることはありません。
今でも発達障害とはなかなか認知されないかもしれません。
低学年時代はコミュニケーションは特に悩んだ記憶はありませんが、失敗は多かったと思います。
特に忘れ物・紛失は多かったです。今でもいつもと同じ場所に置いておかないとかなりの確率で忘れます。
ただ、この頃はみな未熟なので、特に目立たなかったということでしょう。
高学年になると、自然に「自分は人とは何か違う」ということは意識していたように思えます。
発達障害に出会って、自閉症に関する書類も読んでみましたが、コミュニケーションのみを見れば何も変わりません。
基本、自分からは社会(自閉圏の外の人)へはコミュニケーションをとりません。
この年頃になると、「勉強はできる人」ということで、クラスのリーダーに選ばれることが多くなります。
そういう環境の中では、相手側からコミュニケーションを取ってくれるので、自分なりに相手に合わせたコミュニケーションをとっていれ
、そうは失敗しません。
ただ、あまり記憶には無いですが、失敗することもあったと思います。この頃には、多数派の行動様式は自分の頭の中で理解できるようになっていたと思いますが、それ以外は難しかっただろうと思います。
相手を見てから、態度を決めないと失敗する、ということから、自分からは態度を決めないという姿勢になっていったのだろう、と思います。
この頃はコミュニケーション障害より、肉体発達の遅延の方が大きな悩みだったです。
全く体重が増えず、貧弱な身体のままで、水泳などはプールの水に耐熱を奪われて痙攣するという状態でした。
m2さん
コメント読ませていただきました。
私は「ASの人は、(特に幼少期の)養育環境や愛着相手との関係で、性格や行動パターンが決まってくるのかな」と、勝手に考えています。(身近なASの人達を見て、そう思いました)
10人居れば10通りのASがいる、ということですね。
でも受動型ASの基本的な特徴は同じなので、m2さんのご意見はとても参考になりました。
少し不思議に思ったのですが、受動型というと「相手によって、場当たり的に態度を変える」印象があるのですが、m2さんは「内は内」「外は外」と切り離して考えていたのでしょうか?
私の知り合いは、雰囲気に流されやすい人が多くて、傍に近い相手がいるかどうかで態度が変わってくるので…
(多動や注意欠陥が見られる人が多いからかもしれませんが)
あまり「外」では特定の人に執着しなかったのですね。
幼い頃から、ご自身で多数派の観察や努力を続け、頑張って周囲に適応してきたのだな…と、コメントを読んで感じました。
ありがとうございます。
のび助さん
さては私の「訳のわからなさ」にストレスを感じてますか?
他人に成り済まして、わざわざ馬鹿にしに来たのかと思ってました。
違ってたらごめんなさい(-人-)
次は中学時代。
受動型ASである以上、全くコミュニケーションに問題が無い、ということにはならないですが、一番問題が少なかった時代といえます。
成績上位層が私立に行くこともあり、3年頭くらいまで学年トップだったのと、小学生時代にリーダーとしての経験をつんでいたこともあり、ずっとクラスのリーダー役に持ち上げられたため、こちらからコミュニケーションを取る必要がありませんでした。
多数派からすると、中心志向を持たない(=空気を換えない)、問題解決能力だけ高い受動型ASはリーダーとしてもってこいなのだと思います。
小泉純一郎元首相と橋下徹大阪市長には親近感があります。
二人とも空気を読んで決断しているだけで自分の意見を決断に入れていないので、多数派から人気があるのも当然です。
空気を読み違えたと思ったら、すぐに判断を変えるのが特徴です。
3年になり、受験勉強をしなかったので、クラスの定期テストと比較して実力テストの順位はさすがに落ちました。
個人的には、どうでも良かったのですが、周りの大人が困るようで、無理やり受験勉強をさせられました。
この時には、敢えて逆らう理由もなかったので、自分なりには努力しました。
結果は地域で一番いい高校に合格したわけですが、それが苦労する原因となりました。
悩みも少なかったですが、しいて言うと、美術の成績に「5」がついたり、体育の成績に「4」がついたりするのは、「おかしいだろう」と思っていました。
中学にもなれば、「大人の事情」は理解できるので、理由はわかるのですが、そのために成績が悪くなる人がいたわけで、納得いかなかったのは事実です。
問題の高校時代です。
受動型ASは、高校時代に壁にぶちあたる例が多いと思います。
理由は二つあると思います。
①受動型ASにとって居心地がいい、多種多様な人が混じりあっている集団から、偏差値によって輪切りされた画一された集団に変わる。
中学時代やそれ以前に受験した人は、その時点でこの壁にあたるはずです。
受動型ASは自閉症であり、こちらからはコミュニケーションを取れないので、相手からの持ちかけに期待するしかありません。
ところが、画一的な集団になってしまうと、そんなに能力差が無いので、立候補するタイプの人になってしまいます。
また、集団の中での特徴もなくなるので、集団に埋没してしまうことになります。
こうなると、集団の中で孤立します。孤立すること自体は自閉症なので問題は無いのですが、成長は止まります。
周りに問題をもちかけられて、それを解決することにより、受動型ASは成長するのです。自分? 中心志向や上昇志向は全く無いので、自分だけを基準にするなら、常に満足しているので、成長する意欲はどうしても沸いてこないのです。
救われたのは部活動です。
囲碁将棋部という世界で、同一の趣味を持つ同士でゲームの強い方が主導権をもてる世界で、今までよりは狭い世界ですが、コミュニケーションを保てる場所があったことに救われました。
たとえ、勉学という能力に恵まれなかったとしても、趣味の世界の第一人者としてコミュニケーションを取っている受動型ASは多いと思います。
この時の経験が、何でもいいので組織の中で1番であるものを持つことが受動型ASにとっては必要、という持論につながります。
②中学時代の学問は実生活に役立つものなのに対し、高校時代以降は専門性を重視するものに変わる
今から考えると、このことはすごくきつかった。
自分の生活と密着しない科目や内容が出てきたので、一部の科目でどうしても興味がもてないものが出てきてしまった。
例えば英語。今でも、中学時代の英語ができればビジネスで英語を使う分には十分と思います。文法なんか知らなくても通じますし、単語がわからなければ辞書を引けばよい。
こんなことをやったからといって、自分の将来にどう役立つのか? が全くイメージできなかった。
世界史もそう。近代史こそ、未来を予測するために必要なことなので興味があったが、古代ローマ帝国とかの勉強が何の役に立つんだ? という疑問を持ったら、もう勉強できない。
受験勉強をすれば、いい大学には入れるかもしれないが、自分の実力がつくわけではない。
ただ、将来の自分の専門性につながる科目については努力が必要だ。
得意なことに努力している時は楽しんでいるので、努力に見えないことの方が問題なのかもしれない。
最初は①の理由もあり、いろいろに戸惑って成績は下位だったが、後半になると得意科目だけは上位にくるので、成績は中の上までにはなっていた。
出身高校で中の上まで来ていれば、普通は受験にも対応できるはずなのだが、実際の受験では大きな壁が立ちふさがっている。
文系と理系の壁だ。
最初にも述べたように、得意科目と不得意科目が文系と理系の両方にちらばっている。
なので、受験に通るための受験勉強といったら、不得意科目を克服するしかないのだ。
これは、いい大学・いい会社に価値観を感じない受動型ASにとってはどうしようもない状況で、受験勉強をしない、という結論になってしまう。
大学時代。
地元の国立大が得意科目だけで受けられるので、反対する人はいたけど押し切った。
結果として、中学時代と同じようなコミュニケーションが復活し、孤立からは脱出した。
化学系で実験は下手だったけど、データ分析で活躍できたので、将来どうすべきか?の準備もできた。
トピックとしては、4年の時に1年で部活に入ってきた後輩のかわいいジャイアン女の子のこと。
本当にドラマにでもなりそうな紆余曲折はあったが、卒業直前に彼女になった。
この人のおかげで、高校時代よりももっと大変と思われる就職活動から社会人初期を乗り切れたということの可能性もあるので、本当に感謝している。
受動型ASにとって、ジャイアン彼女は、自分だけで見ている景色が無色なのに対して、彼女と一緒だと色がついて見えるようなもの。
自分のために何かしたいとは思わないが、彼女のために何かしたいと思う、そんなことは初めてだったので、本当に新鮮だった。
受動型ASにとって、一番重要なのは、就職活動だと思う。
余り自分をアピールすることは得意では無い、ということと、入る会社や職業によって人生が大きく変わってしまう、ということだ。
まず、大学での成績が良かったので大学院に進むことが考えられた。
しかし、自分の強みを冷静に考えると、「政治・経済」のビジネス要素が一番強く、次に数学と化学が強い。
また、研究は自分の性格から怠けてしまうことが予想され、周りからは驚かれたが就職を目指すことにした。
就職活動する頃には、高校時代がうまくいかなかったことは何となくは理解していたので、選択肢に最初から有名企業・大企業は消した。
アピール合戦に勝てる自信もなく、年功序列には耐えられないということがわかっていたから。
役職や給料が年功序列なのは問題ないのだが、役職が上の人の言うことは絶対、という環境が耐えられないのはわかっていた。
一つは外資という選択肢が考えられた。
しかし、受動型ASは失敗して経験をつまないと理解できないことが多く、基本的に晩成である。
初めての社会人生活で実力勝負の外資で勝負できるか? を考えると難しく、なかなかこの選択には踏み切れなかった。
最終的に選んだのは、就職情報誌を見ていて一つだけピンと来た会社があったから。
得意とし、専攻していた「化学」メーカの、得意であり長いこと趣味として続けてきた「コンピュータシステム」の子会社。
いくら大手企業の系列とはいえ、システム子会社であればそれほど古来の形式にとらわれず、実務は実力主義で対応できそうだ。大学は大手化学メーカの系列会社だから喜んでくれるだろうし、親も有名会社の系列会社だから反対はしないだろう。
試験は当然ながらあっさり通り、問題は面接。
自分が社風にあわなかったら無理なので、素の自分をそのまま出した。恐らく会社側でも賛否両論あったと思う。
でも、面接で猫かぶって合格しても、会社に入って苦労するだけ。
あの面接で採用されたのなら、社風で問題になることは無いだろうし、仕事は自分の得意範囲の中でできることが中心になる。
たぶん、自分で必死に考えて、このような環境を見つけないと、受動型ASが会社で働くのは難しいと思う。
会社に入ってからも若手のうちはいろいろ大変。
まずは、自分が会社の中で一定の足場を築かなければいけないので、入社早々は自分をアピールした。
そんなことは自分の人生の中でこの時だけ。こうしないといけないと意識していたからなのか、彼女を養うために早く食えるようにならないと思ったからか? はわからないが、全く自分らしくない行動であった。今振り返ると、この行動は非常に適切だったと思う。当時の自分をほめてあげたい。
職場に出たら、技術的な面は趣味で築いた知識がものを言って、ほぼ即戦力状態だった。ただ、社会人特有のしきたりに慣れていないため、苦労した。
入社してしばらくの間は、休日はぐったりで週末のデートも体力を気遣わないといけない状態。
同期と休日に出かけるかどうかで揉めたこともあった。
とてもそんなことができる余裕なんてなかった、というのはなかなか理解してもらえないでしょう。
同じ仕事を続けていたら、マンネリになって成長しない、というのと実際に相手側の立場になってみないと心情を理解できないことから、早いうちに視野を広げるための異動を希望した。
会社側も、システム会社なので受動型ASは一定数おり、特徴はわかっているようで、この希望を受け入れてくれた。
一定期間(5年)基礎をつけるまでは同じ部署内でいろいろな仕事を転々とし、その後、職種変更を伴う異動で技術系→営業へ。
営業といっても、相手は親会社かグループ会社の人なので、基本的に化学系の人。自分の得意範囲の人なので、ウマは合います。
その後、営業→工場の開発に異動。だいたい、これだけ経験すれば、自分の会社の全貌はほぼつかめます。
受動型ASの強みは、自分の考えにも周りの発言にもとらわれずに問題に対して最適解を出すこと。自分の会社の主要な業務を一通り体験することにより、解の精度は格段に上がります。これが受動型ASにとっての成長だと思います。
この後は、だいたい今まで誰がやってもうまくいかなかったような問題が回ってきます。ここまで来ると仕事は楽しいです。
今では週末に旅行に行ってもバテなくなりましたし、ここまでいけば今後も幸せな人生を歩めると思います。
ただ、ここまで来るには、他の人に負けないだけの苦労をしてきているだな、ということもここのページにたどり着いて初めて知りました。
最後に、コミュニケーション対応について述べます。
多数派とは、子供時代と同じ頼りになる存在、という関係なので、問題になることはほとんどありません。
ジャイアンとは、最初はほぼ確実に喧嘩になります。ただ、お互いを理解するにつれ、利害は一致することがわかるので、利害関係者という関係に落ち着くことが多いです。
積極奇異型ASの方が問題が多いです。
同じASなので、同類に見られることが多く、出世に損な行動をすることを「もったいない」といわれます。
役職も給料もいらない、ただ居所が欲しいだけなのですが、理解してもらえることはありません。これは本当にウザいです。
役職が上がると失敗が許されなくなります。
問題を解決するには、失敗してでも難しい問題にチャレンジをして実力をつけていくことが必要です。
そして、会議とか言う、実力形成には何の役にも立たない仕事が多くなります。
失敗が許されるポジションで一杯失敗して実力をつけてから、階段を上っていくのが、受動型ASの成功パターンとは確信しています。
そういう意味でも実力形成を阻害する下手な肩書をつけないためにも、受験勉強は百害あって一理程度しかない、という考えに至りました。
仮に、私が東大卒だとしたら、こんなに失敗させてもらえず、実力はつかなかったでしょう。
m2さん
非常に参考になります。そこで、受動型ASの受験生が勉強しない理由をさらに深めたいと思い、いくつか質問させてください。
>これは、いい大学・いい会社に価値観を感じない受動型ASにとってはどうしようもない状況で、受験勉強をしない、という結論になってしまう。
○いい大学・いい会社に価値観を感じない受動型ASにとって、身近な人からいい大学・いい会社に行くように説得される状況では、どのように感じ、どのように行動するのでしょうか。
○受験科目および学力的に自分が行けそうな大学を選択する、そこから学部の選択が行われる、ということでしょうか。その逆に、行きたい学部があって、そこから受験科目等を見て大学を選択することになるのでしょうか。
>受動型ASにとって、一番重要なのは、就職活動だと思う。
余り自分をアピールすることは得意では無い、ということと、入る会社や職業によって人生が大きく変わってしまう、ということだ。
○近年、就職氷河期が続いています。受動型ASが就職活動に失敗して就職先がなかったら、どのような経過となるか、考えられることを教えていただけますか。
○自分の特性と合わない会社に就職してしまった場合に辞職することが考えられますが、そういった場合にどうしたらよいと思いますか。
A1 今の自分なら、自分の特性を理解しているので、ウザいと思います。そんなものは必要ないと言い切ります。
ただ、子供はそうは言えないので悩みます。
高校受験の時にまがりなりにも受験勉強したことから、煩い環境から抜けようと思って一回はするような気はします。
A2 欲求は低いので、「いきたい学部」というのは余り存在しないと思われます。現実として行ける大学・学部から逆算して選択するでしょう。
A3 まず考えられる選択肢はニートです。自分も一つ間違えたらそうなっていたと思うことは時々あります。
道産娘さんの弟は意図的だったようですが、いくらでも失敗可能なフリーターで実力をつけた後、自分に合った就職先を探すというのは現実的な道筋と思われます。
今なら起業も有力な選択肢です。欲求が少ないというのは、収入が少なかったり不安定でも生活できるということでもあります。ニッチな一部の人向けの起業、アフィリエイトあたりでも得意な能力があれば生きてはいけます。
後はデイトレーダーになっていたかもしれません。数字と心理戦の世界で受動型ASは最強です。
塾教師・家庭教師も向いています。
A4 合わなかった、ということであれば、その理由を分析して、そうではないところを探すしかないです。失敗は、2度しなければいいので、失敗を繰り返せばいつかは成功にたどり着きます。受動型ASは同じ失敗はしません。応用が利かないので、似たような失敗はしますが、同じ失敗に見えても必ず何か条件が違っているはずです
社会人としては実力が足りないというケースでは、自分と合うブラック企業は有りうる選択肢です。
周りはやめさせようと思うでしょうが、受動型ASにとって、「若いうちの苦労は買ってでもせよ」なので、社会に適応する能力をつけられるブラック企業は本人のためになります。
最低賃金法は受動型ASにとっては最悪の法律です。社会適応能力が低いので、賃金が高いと実力をつける場面が与えられないのです。給料なんて安くていいので、実践できる場があったほうがずっといいです。
橋下氏がここに突っ込みましたが、玉砕でした。
とにかく、常識にあてはまることをするとうまくいかず、常識を疑って行動するとうまくいくことが多いので、それに気づかない若いうちは本当に苦労します。
思春期以降落ちこぼれていった受動です m2さんのコメント参考になります ちょっと帰属意識についてお聞きしたいことが
ここの人達は結婚しておられる方も多いとお見受けするのですが子供を作ることに抵抗はありませんでしたか?
というのも僕は生まれてかれこれ24年一度として自分が父親になった姿をイメージ出来たことがなく、ごく自然に自分は一生独りで生き独りで死んでいくんだろうなという感があります
自分の分身というフレーズに何というかえも言えぬ違和感を覚えます 自分は家庭を持ってはいけない、持つべきではないという
なので僕が抱く自分のよりよい社会参加・適応というイメージは、これまで一貫して「孤高の人」でした
思春期に勉強を邪魔した現実逃避の空想も、出てくる自分は決まってヘンリー・ダーガーや耳を澄ませばに出てくる幽閉されたバイオリン職人のような孤独な変人という姿でした
思えばあの頃から既に自分の行く末を予見していたのかとさえ思えます 人気者だった小学生時代もそれ故の慢性的な憂いだったのかと
だから他人に家庭の幸せを懇々と説かれても全然ピンと来ないし全く羨ましくも思いません
ただ生々しい話性欲はあったのですが、中学時代に告白された際もこのような違和感とのせめぎ合いの果てにおどけてはぐらかしました
というか僕個人としては発達障害というカテゴリはとどのつまり 帰属欲の欠如からくる適応障害だと感じていたのでここに来て驚いています
やはり成育環境の違いやその途中での適応度によって大きく変わり得るものなのでしょうか
>入社してしばらくの間は、休日はぐったりで週末のデートも体力を気遣わないといけない状態。
同期と休日に出かけるかどうかで揉めたこともあった。
とてもそんなことができる余裕なんてなかった、というのはなかなか理解してもらえないでしょう。
私も受動元彼とよく「私と仕事仲間(男友達)と、どっちが大事なの!?」と揉めた事があったのですが、仕事・趣味・恋愛、それぞれ均衡を保ちながら予定調和な生活を送りたかったのかもしれないと、今となってはそう思います。
私の話はさて置き、弟2人と従兄弟(兄)はボーダージャイアン女子に引っ掛かりやすいようです。(弟達は破綻して、今は別タイプのジャイアンと付き合ってますが)
皆何かしら問題を抱えた家庭で育った娘で、やはり「困っている人、頼ってくる人を放って置けない」性格から世話を焼く事がよくありました。
ただ「必要とされたい」と言うよりは「受け入れて欲しい」と言った方が的確かもしれませんね。
一見奉仕・サービス精神が旺盛でも、常に「相手から」という受け身の姿勢でしたから。
詳しく教えていただきありがとうございます。
じっくり読んで、またコメントしたいと思います。
m2さん
私も受動型ASです。経歴は全く違いますが、m2さんの意見をほぼ理解して同意します。
ヤンバル先生のこのブログに救われたので、私も何かしら情報を提供したいと思います。
私の場合、保育園で孤立し、小学校時代にいじめられた関係から、残念ながらリーダータイプにはなれず、何が人と違うのか常に悩み、死にたいと思うこともありました。中学時代には次々と問題を起こすような、いわゆる不良と呼ばれる友達と主に付き合うようになり、次々と起きる問題の解決に関わる中で急成長した、楽しい時期でした。
高校は公立の進学校で、授業は寝ていても教科書を見ればテストで平均点が取れるレベルの低さだったので全く勉強しなくなり、遊ぶのは刺激を求めて中学時代の友人とばかり。中学時代の友人は土木関係や工場、運転手などで就職を考えていたので、私も同じように就職を希望していましたが、親に「専門学校ぐらい行け」と言われ、一人暮らしに興味もあって情報処理の専門学校に行きましたが、プログラムの作り方を一通り覚えると、仕事に必要ない科目を勉強する意味が理解できず、テレビゲームばかりして二年間を過ごし、ギリギリの成績で卒業しました。
就職活動では、親族のコネで大手企業から内定を受けたのに、「人の世話にはなりたくない。自分の力で就職する」とかたくなに拒んで職安に通い、面白そうだと思って入った小さなタウン誌を作る会社の記者になりました。
会社では、毎日難しい仕事が多く、仕事が終わると頭の使い過ぎでうまく人と話せなくなるほどでしたが、慣れてくると苦にならなくなるのと同時に、先輩が嫌な仕事を全て私に押しつけていたことが分かりました。今でもそうです。
つづき
女性が苦手で、ほとんど個人的な交流はありませんでしたが、ちょっと変わった女性に出会い、4年間付き合って結婚。翌年には子どもが産まれました。
妻と付き合っている間には、妻の母親が発端となった宗教関係や金銭関係など様々なトラブルに巻き込まれ、そのたびに私がアドバイスしながら問題を解決する中で仲を深めて結婚したわけですが、妊娠中からうつ症状が見られ、子どもが産まれてから、よく暴れて物を破壊する行動が見られるようになり、三カ月後に発狂。この時は、妻の母親に家に来てもらい、以前からこういう症状は度々あり、落ち着かせれば大丈夫ということでした。その後、妻は育児を放棄したため、私が中心となって子育てをすることになりました。
それから、うつ病か統合失調症を疑ってインターネットで精神病について調べましたが、決定的な部分で起きている状況との差異が見られたので確定できないでいたところ、5年半ほど前にこのブログと出合い、ADHDの特徴を知って、ようやく妻を理解することができました。また、会社で私が働く部署にいるのは、嫌な仕事はやらない高学歴のADHDと積極奇異型ASだけで、自分が受動型ASであることにも気付きました。
現在は、ADHDの妻が我慢できなくなる状況を見極め、ある程度パターン化した理解をして、私が事前に動いて我慢できるギリギリの環境を整えることで育児の役割分担もできるようになり、今では妻に問題行動はほとんど見られなくなり、共働きをしています。自分から行動を起こせなかった私ですが、日々、妻の問題行動を防ぐために行動することで充実し、会社でも唯一、全ての仕事を把握している立場から、上司から丸投げされた厄介事にも対応できて自己満足している状況です。トラブルを作るADHDと、トラブル解消が好きな受動型ASは相性がいいのではないかと、最近では思っているところです。長文、失礼しました。
m2さんへ。
>多数派からすると、中心志向を持たない(=空気を換えない)、問題解決能力だけ高い受動型ASはリーダーとしてもってこいなのだと思います。<
うーん。なるほど。そうだったのか。
ちなみに小泉氏、橋下氏は空気が読めない、単なる傀儡ロボットに過ぎないと思いますよ。m2さんのほうがよほどご自分の頭で考え行動され、立派だと思います。
>受動型ASは、高校時代に壁にぶちあたる例が多いと思います。
理由は二つあると思います。
①受動型ASにとって居心地がいい、多種多様な人が混じりあっている集団から、偏差値によって輪切りされた画一された集団に変わる。<
受動型ASにとっては多種多様な人が混じりあっている集団のほうが居心地がいいのですか。それは受動型ASの方が目立たなくなるからですか。感受性が高すぎて、いろんなことに過敏に反応してかえって混乱してしんどいのかな、と思っていましたが必ずしもそうではないのですね。
>また、集団の中での特徴もなくなるので、集団に埋没してしまうことになります。こうなると、集団の中で孤立します。孤立すること自体は自閉症なので問題は無いのですが、成長は止まります。周りに問題をもちかけられて、それを解決することにより、受動型ASは成長するのです。自分? 中心志向や上昇志向は全く無いので、自分だけを基準にするなら、常に満足しているので、成長する意欲はどうしても沸いてこないのです。<
高校の同級生にいました。標準服を着ず、いつもジーンズ姿でよく教師に嫌味を言われていました。そのうち時々しか登校しなくなり、ついにぱったりと来なくなりました。優しくていい男だったのですが。
あの先生には小生は可愛がってもらったので、なんとも複雑な気持ちになります。
m2さん。つづきです。
>たとえ、勉学という能力に恵まれなかったとしても、趣味の世界の第一人者としてコミュニケーションを取っている受動型ASは多いと思います。この時の経験が、何でもいいので組織の中で1番であるものを持つことが受動型ASにとっては必要、という持論につながります。<
趣味が実用実益に繋がる、かつての平和で平等な日本がまさにそうだったと思います。村にも町にもそういうお兄さんおじさんお姐さんおばさんが普通に幸せそうに暮らしていました。
いつもの話になりますが、それをぶち壊した国際金融資本とその手先(先述のもと総理など)の所為です。
この悪魔的社会で、どうやれば発達障害の人たちが幸せに生きていくことができるかを考える上で、大変参考になります。まだ参考の段階ですが。つづきをゆっくりじっくりと読ませていただき、またコメントさせていただきます。
m2さん
質問への回答、ありがとうございます。
高校の受験では、周囲のおとなが受験勉強を強制するので勉強する、ということですね。
大学受験においては、周囲が煩わしいので受験勉強をするが、その必要がないと思っているのですね。そして、今の学力からいける大学を探し、その大学の学部を選択する。
高校と大学の受験では、発達段階による違いがあるようですね。大学受験では、自らが必要ないと判断を下している、このことに周囲の者が気づいているかどうかが、受動型AS受験生にとってのストレスに影響してきますね。そして、「逆算」という言葉がキーワードのような気がします。
就職活動での失敗では、選択肢としてはニート、ということですね。フリーターとして失敗経験を積みながら実力をつけ、その実力をもとに就職先を探すのが現実的な道筋、ということですね。そして、受動型ASは失敗を分析するという面があり、同じ失敗はせず、少しずつステップをあげて失敗を地道に繰り返すことによって成功に辿り着くのですね。
受動型ASは、着実に一歩一歩確実に進んでいく。その積み上げには多くの時間と多くの労力を必要とする。しかしながら、その先には確実に手にするものがあるのですね。その経験を経て、m2さんは「若いうちの苦労は買ってでもせよ」ということを受動型ASに必要なことと思っていらっしゃるのですね。
最低賃金法に関しては、m2さんが地道な努力をしてきた結果としての意見であると受け止めます。それだけ厳しく自分に課してきたものがあったのだろうと思います。そう考えると、受動型ASが受動型であることの過酷な面が浮き彫りにされているのではないか、とも思います。
そして、m2さんは受動型ASの特性にあっていると考えられる職種をいくつかあげてくださっています。これから就職される方にとってヒントになるかと思います。
ありがとうございました。
maruさん
自分の分身を作るのが嫌、という彼女とつきあっていたことがありました。
おそらく、自己否定(AC)の象徴と思います。
受動型ASは自己否定はないですね。
失敗して当たり前と思っているからかなあ。
否定する場合は、社会否定をするのでしょう。
このテーマと直接つながります。
秋葉原の加藤被告、が受動型ASの自己(社会)否定のイメージです。
事件当時、とても他人事とは思えませんでした。
彼のつまづきの原因も青森高校にあったと思います。
道産娘さん
受動型ASは自分の長所を生かすしかないことから、他人もいいところしか見ません。
ジャイアン女は普通の人は悪いところを見るので「引っかかった」という表現になりますが、調子のいい時はまさに神か天使、本当にいい女です。悪いときがどうしようもないほどいい時の魅力も大きいところから、一見どうしようもないと思われる女性の方が魅力的なことは多いです。
一度その魅力に取り付かれたら、普通の女は女に見えないです。
まあ、結婚までの難易度は異常に高いですが、それもまた鍛錬です。
ぬまおさんのコメントは心強いです。
自分でも思うのですが、このコメントは常識では考えられないことを多数含んでいます。
発達障害の集まるこの場で、これだけ説明しても受け入れてもらえない可能性は十分あると思っていました。
全く異なる生育歴でも共通する点が多いのは、この説の信憑性を高めてくれています。
中学時代の不良との付き合いが成功の始まりだと思うのですが、そんなことを言っても受動型AS以外は全く理解しようとせず、袋叩きに合うでしょう。
ふと、「受動型」なのは中心志向がないからという理由以外に自分の考えていることをそのまま人に話をしても誰からも信じてもらえないという二次障害から来ている気になりました。
Paul Carpenterさん
ダイバーシティの議論になるわけですが、多様性がある方が「常識」が通用しなくなるから居心地が良くなるのだと思います。後はいいところを見る受動型ASの特性が生かしやすいことは間違いないです。いろんないいところを持つ人の長所を集めれば、その組織は凄く強いです。
そのような組織は受動型ASにしかまとめられないので、なかなか実現しませんが。
みさん
一歩一歩階段を上るように成長していくのは「AS」のイメージです。
失敗を積み重ねていく受動型と、成功を積み重ねていく積極型との違いはあると思います。
後、成功が手に入るかどうかは運だと思います。
成功とはとてもいえないニートや無気力フリーターの大半は受動型ASだとも思うので。
成功できたのは運だと思っているので、できなかった人でも幸せになれるような活動はしていきたいと思ってます。
積極奇異型ですが、m2さんのコメントには胸を打ちますね。
>自分の考えていることをそのまま人に話をしても誰からも信じてもらえないという二次障害
>一歩一歩階段を上るように成長していくのは「AS」のイメージです。
>失敗を積み重ねていく受動型と、成功を積み重ねていく積極型との違いはあると思います。
>後、成功が手に入るかどうかは運だと思います。
同意します。
****
私が今まで出会った人間で、受動型ASと思っていた人たちはおそらく大半が依存型ジャイアンさんかもしれませんね。
m2さん。
>役職が上がると失敗が許されなくなります。問題を解決するには、失敗してでも難しい問題にチャレンジをして実力をつけていくことが必要です。そして、会議とか言う、実力形成には何の役にも立たない仕事が多くなります。失敗が許されるポジションで一杯失敗して実力をつけてから、階段を上っていくのが、受動型ASの成功パターンとは確信しています。そういう意味でも実力形成を阻害する下手な肩書をつけないためにも、受験勉強は百害あって一理程度しかない、という考えに至りました。<
ジャイアンの小生は役職が上がるとそれを味方につけて自分の好きなようにやります。ただし経営上はプラスになるように帳尻は合わせますが。
小生の生き方も結構壮絶だと思っていましたが、足許にも及びません。自分とこどもたちのこれからの生き方について深く考えさせられました。
>受動型ASの強みは、自分の考えにも周りの発言にもとらわれずに問題に対して最適解を出すこと。自分の会社の主要な業務を一通り体験することにより、解の精度は格段に上がります。これが受動型ASにとっての成長だと思います。<
よくわかりました。すぐに切れるパワハラ上司の小生は、常に肝に銘じておきましょう。
>デイトレーダーになっていたかもしれません。数字と心理戦の世界で受動型ASは最強です。
塾教師・家庭教師も向いています。<
なるほど。部下にいたらそういう能力を発揮できる部署を探すなり開拓するなりしましょう。共生共存を目指すうえで非常に重要なことかと。
>失敗は、2度しなければいいので、失敗を繰り返せばいつかは成功にたどり着きます。受動型ASは同じ失敗はしません。応用が利かないので、似たような失敗はしますが、同じ失敗に見えても必ず何か条件が違っているはずです<
ジャイアンは同じ失敗を何度も繰り返します。そのうち大きな転機が訪れるまで。最近ようやく来ましたが。
後先考えずにすぐにとびついてしまい、細部を軌道修正しながら、それでもやっぱり限界が来たら丸投げする、それがかつての小生の人生のパターンでした。
それも大きな転機が根本的に変えてしまいましたが。
m2さんの真摯な努力には敬服いたします。それしか言葉がありません。
m2さん。もう一言。
>秋葉原の加藤被告、が受動型ASの自己(社会)否定のイメージです。事件当時、とても他人事とは思えませんでした。彼のつまづきの原因も青森高校にあったと思います。<
ここはいけません。m2さんともあろうお方が。
小泉氏橋下氏の評価と同じです。イメージだけで判断なさってはいけません。
あの華奢な青年が。
何人も殺したはずなのに、逮捕時の録画画像にはナイフにも着衣にも返り血を浴びてない青年が。
「秋葉原 連続殺傷事件 冤罪」でいくらでも出てきますよ。
そういうところは、ご自分でも気づかれてない意外な弱点かもしれませんよ。
今後の人生にお役立ていただければ幸いです。
もし余計なことだったらごめんなさい。
よろしければ「ゴールデンスランバー」(伊坂幸太郎)の小説も映画もどうぞ。
maruさん。お久しぶりです。先日はたいへん失礼致しました。
>ここの人達は結婚しておられる方も多いとお見受けするのですが子供を作ることに抵抗はありませんでしたか?というのも僕は生まれてかれこれ24年一度として自分が父親になった姿をイメージ出来たことがなく、ごく自然に自分は一生独りで生き独りで死んでいくんだろうなという感があります
自分の分身というフレーズに何というかえも言えぬ違和感を覚えます 自分は家庭を持ってはいけない、持つべきではないというなので僕が抱く自分のよりよい社会参加・適応というイメージは、これまで一貫して「孤高の人」でした<
情緒障害型ジャイアンADHDの小生がまさにそうでした。自分が妻を持ち、子どもを持つなどだいそれたことだと思っていました。恋愛も同棲もしましたが、最後のところでふんぎれず、別れました。当時は母親のせいにしていましたが、本当は中心志向の自分自身の問題だったのでは、とも思います。逆に年老いていく母親にせめて妻と孫の顔を見せたい、それが30後半の結婚のひとつの大きな理由になった可能性は大いにあります。(その意味では、妻とこどもたちに申し訳ない気持ちでいっぱいです)
実は最近大きな転機を迎えております。
maruさんにはお伝えしたいことがあり、先日コメントを書いたのですが、携帯から失敗してしまいました。
長いので続きます。
maruさんへ。続きです。
ご自身から少し離れてみられてはどうでしょうか。maruさんがずっと囚われ、縛られているご自身から。
小生がまさにそうでした。常に自分自身に囚われ、多くの失敗を繰り返してきました。
最近の大きな転機は、それをものの見事に打ち砕いてくれました。
自分に囚われすぎず、その労力の1%でも周りに振り向けられてはいかがでしょうか。人でも動物でも自然でも機械類でもなんでもいいと思いますが。
たしかプログラムを組んだりしているときは熱中して楽しかったんですよね。その熱意というか熱いお気持ちをご自身以外に振り向けられたら、もしかしたら生きることがもっと楽に、幸せになるのではないか、自分の体験に照らし合わせて、ふと思いました。
筋違いの、余計なことでしたらご容赦ください。でもここに集まる方々は、みな本当に真剣にご自身のことを考えて悩んで必死の思いで毎日を生きておられる方がほとんどです。その強い想いを、うまく生きる、幸せに生きるための方向にちょっとした努力で可能になるのではないか、と考えた次第です。
駄文をお赦しください。
m2さん
>成功できたのは運だと思っているので、できなかった人でも幸せになれるような活動はしていきたいと思ってます。
素敵な思いですね。受動型ASの困難を理解する立場として、ご活躍をお祈りしています。
ぬまおさん
>「人の世話にはなりたくない。自分の力で就職する」とかたくなに拒んで職安に通い、
高校から専門学校へは親の意向に従ったのですね。しかし、就職の際には自力で探したのですね。
ぬまおさんもm2さんも、受け身ではなく、自らが就職先を選択しています。そこにはご自身で選択したいという欲求があったのか、ご自身で選択しなければならないと考えていたのか、お教えいただけませんでしょうか。
また、そのように自分から動こうとした背景には、それまでの過程があったと思います。親が自分で選択するように仕向けてきた、同級生の動きを見てそう思った、などありましたらお教えいただけませんでしょうか。
おふたりのコメントを読んでいると、愛着の対象である親に100%依存していたように思えないのです。受動型ASでも成人に近くなると自立していこうとする正常な発達があり、もともとの受動型という特性がその狭間で試行錯誤し、就職活動の失敗によって親に依存する形を選ばざるを得なくなるのではないか、と思えるのです。もちろん、自閉の程度によって違いがあるのだと思いますが。(エントリ「受動型ASの理解」の中間の山による?)
そして、受動型ASのおふたりのコメントから、受身であることだけでなく、自分のなかでいろいろな考えを巡らせていることがわかります。内省的であるようにも思います。そこに、積極奇異型ASとの違いがあるように思います。
>みさん
「人の世話にはなりたくない。自分の力で就職する」というのは表面的な言葉です。
父親がADHDとみられ、子どもとかかわることはほとんどなく、常に「人の世話になるな。自立しろ。勉強しろ」と言い続けていたことに対する反発心と、肯定の両方だと思います。
積極性が全くない私に対して何とかしようと父親なりに考えていて、就職先については専門学校を卒業すれば大手企業に就職できるよう段取りをしてくれていたようです。
私は卒業前まで知りませんでした。就職試験は受けたくなかったけれど、「俺の顔をつぶすな。とにかく受けるだけ受けろと」言われて受けました。入るつもりは全くなかったです。内定を蹴った時点で就職先は決まっていませんでしたので、「自分で就職先を絶対に決めなければならない」と、あせって20社ほど受けて、4月になってようやく就職先が決まりました。
「これはまずいことになった、何とかしなければ」というのが行動の原動力で、自分が困った状況だと認識できなければ基本的に動けないです。
母親が積極奇異型と見られ、干渉が激しいので表面的に取り繕うことは小学校時代からやっていたと思います。だから、家と外で全く違う二面性が形成され、外でも人によって話す内容や対応のしかたまで変える特殊な交流法が身についたのではないかと思います。姉がADHD寄りの積極奇異型と見られ、両方の特性が見られます。家は非常に居心地が悪かったので、愛着対象を友達に求めたのではないかと思います。
積極奇異型の方も、やはり行動の報酬として自己満足を求めるような行動をするのでしょうか?
みんさん、こんばんは。
m2さんの投稿をお読みして自分の人生の歩み(心理面)に似ていて驚きました。
m2さん同様私も失敗から多くを学びました。失敗の許されるポジションからのスタートでよかったです。
>自分が東大でなくてよかった
は大いに共感です。
そして、大企業の本社の中堅部署は一番居心地が悪かったです。ただ不思議なことに本社の本社、本当のHeadQuarter部門は人間関係、仕事の難易度(責任感)においても逆に一番居心地のよい環境でした。
>数字と心理戦の世界で受動型ASは最強です。
同意いたします。現在、私はディトレーダーさんよりはかなり長期な投資分析の仕事をしています。自分でも脳のどこが何をしているのかわからないのですが、全体像を掴み取る能力、転換点の兆候を嗅ぎ取る嗅覚がいかせる仕事にであえたなぁと大満足です
>積極奇異型の方も、やはり行動の報酬として自己満足を求めるような行動をするのでしょうか?
ぬまおさんのコメントからですが、私自身は「行動の”報酬”」という捉え方はしません。他の積極奇異の人はどうなのかは知りませんが、逆に受動型ASの人に「行動に報酬なんかがあるんですか??」とお聞きしたいですね。
人間に「心理」がある事はわかりますが、「人間同士が相対する時に心理戦というものがあるんですか?? それで、心理戦というものをやって、どうするんですか??」ともお聞きしたいです。
数字と心理戦の世界は、私には一番無縁のもののように思えるんですよね。心理戦を前提に人間関係を構築?するタイプの人から見ると、私は「何も考えていなさそう」に見えるらしいです。
私の行動の動機は、自己満足(自分の心が動く時=動物の命を助けたい、友人の誕生日や冠婚を祝いたい、自然や身体の不可思議さを学びたい、等々)ですが、それは階段を上るというものではなく、イメージ的に言うと、コーチもつけずに、たった一人で崖登りをする様子に似ています。
自分の体力の残量を見計らいながら素手で足場を探し、進む(成長する)も、戻る(成長しない)も自分次第。どこに行きつくのかもわからない崖登りですが、違うところに出てしまった事がわかったなら、ルート変更して自分の望むところに今度こそ着けるようにと祈りながら登っています。
いつ休んでいつ動くのかは、常に自分の采配に任されていますね。それで、もし他人に喜んでもらえたなら、それは運が良かったかなといった感じですね。
最近は、長年蓄積した色々なパターンと自分の感覚を駆使して、「自分の望む、タイミングを逃さないあたたかな交流」を実現しつつあります。極々たまに「親しい友人限定で見れるように、自分で撮った写真を、ちょっとおちゃらけたコメント付きで投稿」しちゃったりもしています。本来の私って、笑いを誘ったりねらったりする一面もあるんだなぁ~と自分を再発見している途中です。
(つづきます)
(つづき)
問題解決は苦手です。何とか一人でやってみようと思うものの、うまくいかない事が大半なので、そのたび落ち込んだり、しょげたりします。むしろ他の専門的な人間の力を借りる事が多いです。
解決できた時には成功体験として、「どういう捉え方をするとうまくいくか」「他人の助言をもとにどういう方向で物事を考えてみると解決しやすいか」という事を自分の頭に蓄積しています。
表面的に取り繕う事はしません。小学校低学年時に、表面的に取り繕う選択肢が私にもある事を知ったけれど、学童保育の人の指導により、早々に放棄したという記憶があります。
キャリア形成、という事は全く考えていませんが、他記事の道産娘さんのコメントにありましたね、
>二次障害等でACや離人症になり、性格がガラッと変わってしまった…
私がまさしく上記のタイプなので、自分の興味と現在の適性、需要と供給、現実に実現できるか、モチベーション維持が無理なくできるか等々の方向で考えると、小さい頃から現場の話を聞いている医療系、もしくはaromatherapyという分野が私には一番合っているのでないのかなぁと思い、現在、勉強や実践など模索中です。
(利益を出せと言われるよりも、安全と衛生に従事する方がなぜか充実しています。効率を上げるのは苦手ですが、手順などを工夫することによって、ある程度までは数をこなせます。)
上の役職に眼中無しという私みたいな男性がいたら、さぞかし人生大変だろうな、とも思いますよ。
さーこさん。
>私の行動の動機は、自己満足(自分の心が動く時=動物の命を助けたい、友人の誕生日や冠婚を祝いたい、自然や身体の不可思議さを学びたい、等々)ですが、それは階段を上るというものではなく、イメージ的に言うと、コーチもつけずに、たった一人で崖登りをする様子に似ています。<
なるほど。
ちなみに情緒障害型ジャイアンADHDの小生は、親や親戚や友人が言ったこと、そして本に書いてあったことなどを動機?というか参考にしながら、それこそ目の前にあるものや問題課題に対して行き当たりばったりで猛進することが多かったですね。
さすがに最近はそれじゃああかんやろ、自分であらかじめよーく考えろ、という内なる声に従うことにしていますが。
Paul Carpenterさん
コメントありがとうございます。
私は、「親や親戚や友人が言ったこと、そして本に書いてあったことなど」(ハウツー的な助言)は、全く参考にはなりませんでしたよ。それどころか、物事がことごとくおかしな方向に行ってしまい、解決をするどころか新たなトラブルを作るきっかけにまでなってしまう事もあったくらいです。
自分は、他の人間とは何か違うのではないかと思った一つの出来事でしたね。
私は4~5年ほど前まで抑うつ的状態であり、半引きこもりだったため、「言語性>動作性」の状態ではありましたが、まずは言語性と動作性の差をできる限りゆるやかにするために、とにかく行動してから言語的に追跡思考しようと当時は思っていました。
その後、色々な挑戦の甲斐があってか、現実の成り行きを見るにつれ今ではほぼ「言語性=動作性」に近くなったと自分で思うに至りました。
行動する前に、あらかじめ自分の気持ちや実行していく事柄について、現実的具体的によく考え吟味した上で、行動後に自分の気持ちや物事の成り行きを追跡して振り返ったり、他人に助言を頂いたりしながら訂正や工夫などの試行錯誤を加えていくという習慣も、今では身に着けるまでに至りました。
トラブルは格段に減り、私の心労もかなり軽減しました。10年前の自分と比べて雲泥の差ですね。もちろん言うまでもなく、とてつもなく苦労しましたが。
内なる声の言葉は、大事ですね。
ぬまおさん
質問へのお答え、ありがとうございます。
「人の世話になるな」という親の教育的な姿勢があり、親が自分のことを考えてくれていることがわかっていた、そして、それに反発する自分があった、ということですね。
困った状況に立てば、自分から動こうとするというのが受動型ASという特性なのだ、ということがわかりました。
また、母親の干渉が結果として二面性を形成することになったということで、世渡り上手な面も育まれたようですね。それはそれでADHDの私にはうらやましく思います。
受動型ASであるm2さん、ぬまおさんのご意見を伺い、受動型ASの特性を知ることができました。また、やんばる先生のこのブログを読んでいる方々にも、受動型ASへの理解をすすめていくうえで重要なコメントだったと思います。もっと受動型ASさんの参加があればよいですね。
ありがとうございました。
皆さんのコメント拝見してたら、ある仮説が頭に浮かびました。
きっとASは、その依存性から「必要とされたい」という欲求が強いのでしょうが、どういった形で「必要とされる」のか、いくつかパターンがあるような気がします。
例えばm2さんの場合
勉学等で努力して一番となり、周囲に勉強を教える形で必要とされる。
ぬまおさんの場合
逆境に強く、自分から厳しい環境下に飛び込み、状況を改善することで必要とされる。
あと、他に考えられるのは…
ボーダー的に周囲を振り回し、見捨てられないことで必要とされる、等。
ジャイアンの適応型とまではいかなくても、幼少期に愛着親の影響を受けて、その親との関係から基本性格が形作られ、そのスタイルで多数派に適応してきたんじゃないかな?と思いました。
(ちなみにm2さんの場合は、ご両親のどちらかが中心志向型ジャイアンか、一番にこだわりのある積極奇異だったんじゃないかと想像してます)
要らない仮説でしたらすみませんm(__)m
続きます…
…続きです
ちなみに、身近に幼少期の愛着の対象がジャイアンAC(おそらくAS被影響症候群)だった受動型がいるのですが、成長した今は、KYでジャイアンACとも積極奇異ともとれる姿です。
(急な予定の変更がストレス、身の回りのことをきちんとしないと気がすまない、飽きっぽい等…愛着相手に高圧的で、それ以外にはボロを出さない抜け目無さがあるので受動型で間違いないと思いますが…)
ジャイアンの適応型と違い、ASは一度身に付いた「型?」を変えるのは難しいので、さーこさんのように「時々立ち止まって、自分の行いを振り返り考えることで、新しい情報を得る」というのは大事なことだなと思いました。
きっと自立した考えの受動型の人も、同じように新しい情報を脳内に蓄積させるんでしょうね。
なかなかそこまで考えが及ばず、痛い目見てから初めて気付いたって人もいたのですが、失敗する経験もASには必要なのかな…
さーこさん。
>まずは言語性と動作性の差をできる限りゆるやかにするために、とにかく行動してから言語的に追跡思考しようと当時は思っていました<
ある意味暴君型ジャイアンだったかもしれないこどものころの小生はとにかく話さない、しゃべらないこどもでした。おかげでよくからかわれたり、虐められたりしました。
友達といるとそうなってしまうので、ひとりで森の奥に入っていき、何をすることもなくあんなことできたらいいなあ、こんなことしたらみんなに尊敬されるのになあ、とファンタジーの世界に浸っていました。それなりの行動はしていたかと。まあたいしたことじゃないんですけど。でも自分をみつめるきかっけにはなったかも。
道産娘さん。
>ボーダー的に周囲を振り回し、見捨てられないことで必要とされる<
これも小中高時代は時々やりましたねえ。できもしないとわかりきっていることを自ら言い出して、結局できなくって皆に顰蹙を買っていました。これもファンタジーの世界に一瞬浸かってしまったのかもしれません。
なお最近家人が積極奇異的ASではなかろうか?と思い出しております。
小生への対応や娘たちへの対応をみても。
どおりで小生がずっと我慢させられてきたわけで。
これはちょっと厄介かも。情緒障害型ジャイアンADHDとしては。
あらたな気持ちでこのブログと皆さんのコメントを毎日読んで参考にしております。
>さーこさん
脳の報酬系について、いろいろと考えながら打っていたら「報酬」という言葉になってしまいました。すみません。私も普段そんなふうには考えていません。
私も数字と心理戦の世界は無縁です。m2さん達は数字と心理戦の世界に生きて熟達したのでそう感じているのではないでしょうか。
さーこさんの自己満足(自分の心が動く時=動物の命を助けたい、友人の誕生日や冠婚を祝いたい、自然や身体の不可思議さを学びたい、等々)を感じる行動の動機は、問題解決以外で私も全く同じなので驚きました。共通する部分も多いのですね。
>道産子さん
逆境に強く、自分から厳しい環境下に飛び込み、状況を改善することで必要とされる。
たぶんそうだと思います。
>急な予定の変更がストレス、身の回りのことをきちんとしないと気がすまない、飽きっぽい等…愛着相手に高圧的で、それ以外にはボロを出さない抜け目無さがあるので受動型で間違いないと思いますが…
私の妻がまさにそれです。一緒に住んで長年見る中で、受動型ではないと確信できます。AS的な特徴が見られないためADHDではないかと考えているのですがどうなんでしょう。もっと情報をお願いします。私はその情報が知りたくて先生のブログを見ているのです。
Paul Carpenterさん
奥様ASでしたか。
そういえば以前コメントを拝見したとき、とても逞しそうで「えっ、多数派?何だかADHDっぽいような…」と思ってました(^_^;)
ぬまおさん
他のコメントに、子供が産まれてから暴れるようになった、とあったので、育児によるストレスでパニックを起こしたのかな?と思いました。
元々ADHDは育児や家事が苦手なので、不適応から自己評価が下がり、鬱や身体症状が酷くなることもあるので。
ぬまおさんのコメントからでは、奥様が受動型かADHD(ジャイアンAC・ボーダー・のび太AC?)かわからないので、私の知り合いの受動型ASの特徴を記しておきます。
まず、臨機応変の対応ができず予定調和な日々を好む、自分だけのこだわり(趣味や生活面において)があるところは積極奇異・ジャイアンっぽいです。
ただ、自己評価が全く下がらず、愛着相手によって態度を変えたり、合わせることがある、また、幼少期から中心志向や衝動性が見られなかったので、ジャイアンは違うだろうと思いました。(注意欠陥はありますが)
だから積極奇異かな?と思ったのですが、外の顔は優柔不断で流されやすく「自分が無い」という印象なんですよね。
(続きです)
以前読んだ「KYの受動型」という記事に「KYの受動型は見た目が粗っぽく、ジャイアンに似ている」とあったので、この知り合いがそうかも!と思いました。
(ちなみにKYですが、外ではまず周囲の出方を伺うので、ジャイアンと違い中々ボロを出しません。ASの方はKYでも「自分の言動によって、相手がどう反応するか」常に考えてるのではないか?という印象がありますねぇ)
ASらしい部分が見られないなら、奥様はADHDで間違い無いと思いますが…
近い相手に支配的なところやこだわり等はAS・ジャイアンともに共通するので、中々判別が難しいですよね。
ついでに、もう一人のジャイアンACの方は「近い相手に支配的・強迫的なこだわり」の他に「大げさなほど自己評価が下がり、自分は周囲の人から被害を受けている、と悪く言い、自分に注目させる」ところがありました。
ぬまおさん
急な予定の変更のストレスについて、
ジャイアンADHDは、自分が立てた予定、自分が納得した予定を勝手に変えられることで自分の思い通りにならない、人から変えられたと感じることでストレスになります。何で人に変えられなければならないのだ、ということに抵抗を示します。
それに対してASは、これはASの特性を考えてのことですが、予定を変更されることで予測できないことが起こったというストレス、予定されていたことへの変更に決められたことを守らないストレス、といったことだと思います。
身の回りのことをきちんとしないと気がすまない、ということについて、
ジャイアンADHDは、自分の思い通りにならないことを嫌います。自分の支配したい領域は強迫的になります。
それに対してASは、きちん、きちん、としていないとならないというこだわりだと思います。
ボロを出さない抜け目無さについて、
ジャイアンADHDで強迫性がある場合、自分ができていないことで責められることに恐怖を感じ、強迫的になっているということです。
ASの場合は、抜け目のなさではなく、そのままきちんとしたところがあります。
>妻と付き合っている間には、妻の母親が発端となった宗教関係や金銭関係など様々なトラブルに巻き込まれ、
依存型のADHDでは、親の刷り込みが「当然のこと」になってしまっていて、その「思い込み」により他者をコントロールしようということがあります。
ASは、考えられることは、その信条に従うということで安心します。
ざっとこんな感じでしょうか。
このテーマを語る上で、秋葉原の事件の件はもう少し言葉を割かないといけないと思いました。
この事件が起きた時には、既に発達障害は自覚しており、そういう面ではいろいろ考えていました。
彼とは高校までの生育歴は非常に似ており、高校時代につまづいたのも同じです。
大学受験の際も、改めて裁判記録を見てみましたが、自分の行きたい大学(おそらく同じ地元の国立大と考えます)を親に否定され大学進学をあきらめたところにも共感がもてました。
この際、北大合格したら車を買ってあげるといわれたそうです。
私も、高校合格したらPCを買ってもらえるといわれたことを思い出しました。
「受動型ASに受験勉強をさせるにはどうすればよいか?」→ 受験結果に価値を感じないのだから、別のモチベーションを与えれば良い、ということです。
ただ、受験勉強で得られたものより、PCで得られたものの方が、自分の人生で何万倍にも役に立っているとは思います。
その後職場を転々として、自分に合う職場を探していたのだと思います。裁判では否定していますが、仮に最後の職場が結構居心地の良い職場だったのではないか? と考えています。
苦労に苦労を重ねて、やっと足場を築いた。人格はともかく、仕事っぷりは評価されていただろうと思います。
そんな時、派遣契約を更新しない、と。
少なくとも、自分より働いていない正社員は一杯いる。
なんで自分がこんな目に合わないといけないんだ。
自分は何か間違えているか? ・・・ いない。
社会が間違えているんだ。
自分が、仮に同じ環境におかれたとして、同じ結論に達しないといえるか? 否定できない自分が怖くなりました。
ニートや生活保護で暮らしているような受動型ASは地獄に落とした方が良いと考えますが、彼のように運が悪かっただけと思われる受動型ASは救いたい。それが私の思いです。
私は今では結構壮絶な人生を送ってきていると自覚していますが、発達障害を知って、自分の人生を振り返って初めてわかったことです。
それまでは一切そのように考えたことはありませんでした。
周りの人からも、変人だとは思っていると思いますが、それ以外はごく平凡な人生を送っているように見えていると思います。
以下の3点については、本当に誤解を受けやすいです。
①残業をしないこと
標準労働時間の8時間というのは、過集中が続くのが1日あたりだいたいそれくらい、というところから来ているのかと思います。
期日が決まっていたり、どうしても今解決しなければいけない問題がある場合に限り、限界を超えて過集中することができますが、身体に来ます。(今来ています)
過集中なしでは、仕事の結果は格段に落ちますので、基本的に残業をしない、ということになります。
ただ、いくら結果を出しても、残業をしないことで文句を言う人がいるのです。
さすがに、ここしばらくは、前任者がいくら残業してもうまくいかなかった仕事を回しているので、そのような批判をする人はいなくなってきているので、ようやく精神的に楽になりつつあります。
どうしても、若いうちは楽な仕事をしているように見られがちです。
②努力をしないこと
まあ、基本的に自分の得意なことしかしませんので、そこは否定しません。
ただ、自分の得意な世界だけで生きていくには、絶対に他人には負けられないという意識は高く持っています。
そのための努力はしています。
好きなこと、得意なこと、なので、吸収するがごとく身についてくるのですが、努力をしていないわけではないのです。周りからは見えないとは思いますが。
③誰でもできるような仕事ができないこと
これはいろいろなところに記載があるので省略します。
発達障害を知るまでは、他人にこのように見られることは自覚していたので悩みました。
受動型ASは、基本的に質問には全部答えてしまうので、いつまでも終わらなくなります。
仕事が忙しい間に質問が溜まってしまったので、一番重要そうな問題にのみ解答します。
そろそろ、このスレも長くなりすぎたので、先生に何か一つ別のテーマを作っていただきたいところ、と思ってます。
受験勉強と違い、仕事をすること自体は必要と認識していました。
もちろん、就職活動は苦手なので、やりたくはないのですが。
受動型ASは欲求はないのですが、その分動物のしての生存欲求が際立って見えるような感覚があります。
草食動物だって、自分の生命が脅かされた時にはそれなりの行動はします。
いい会社に入りたいとは思いませんが、死ぬのは嫌。
就職活動をした理由はこれにつきると考えます。
受動型ASが動く欲求はこれだけだと思います。
よって、受動型ASにとって生活保護は悪い制度です。
こんな制度があったら、受動型ASは生命の危険を感じないので、何も成長しなくなります。
まあ、こんなことを言っても、自分が同じ立場になったら喜んでぬくぬく・のほほんと毎日楽しく過ごすとは思いますが。
ただ、就職活動とかが苦手であきらめただけの人も多いと思いますので、介護やキーパンチャーなどの労働集約的な仕事を希望者全員低賃金で採用してくれるような制度があれば、受動型ASのニートは減るだろうと思います。
その代わり、勤労可能と判断された人への生活保護受給はしない。
このあたりは社会主義の考え方の方が正しいのだろうと思ってます。
ある程度、同じ職場で積み重ねないと自分に合うやり方が身につかないので、本当の意味でのフリーターはきついと思います。
>道産子さん
情報ありがとうございます。正確に判別するのは難しいですね。
今は、妻が予定調和な生活ができるように私が帰宅時間や家事、育児の分担を調整する対処法をしているので落ち着いています。私が対処しなければ、たちまち問題行動が出てくるというのは経験済みです。根本的な解決策はないでしょうが、正確に障害の特性を知ることができれば対処法に幅が出てくると思います。
問題行動は私と子どもに対する激しい衝動的な態度と行動で、私はいいのですが子どもは虐待される危険があります。内と外で、まるで別人のように振る舞い、外で友人と会っている時は受動型の私によく似た人との交流の仕方をするので、よく、似た者夫婦と言われています。外での妻は完ぺきで、失敗が多い私がちょっとだらしなく見えているかもしれません。
ところが、家に帰ったとたん、さっきまでニコニコしていたのが豹変して、私の人への対応が悪かったと責めたり、急に不機嫌になったりします。自分の車を蹴ってボディをへこませたり、子どもが人前で失敗した時には帰ってから怒鳴りながら首を絞めはじめて慌てて止めたこともありました。
つづきます
つづき
自分の友達と会うことにもストレスを感じているのでしょうか。家事や育児も機嫌が悪いとできません。子どもを保育園に入れるために就職したパートの職場では完璧に仕事をこなしているようです。家ではぐったりしていることもありますが、職場では問題も起きていないようです。
妻と付き合っていたころには自分と似たタイプの人柄だと思ったのですが、同居すると違いました。一人で本を読んでいることが多く、私が話し掛けても返事しかしないことがほとんど。友達と出掛けることも年数回で、非常に機嫌が良い時に自分から誘っています。付き合っていた時、私は自分から人を誘うことができないので妻が都合のいい時に連絡してきて会いましたが、月に1、2回程度で泊まりは禁止だったので見抜けませんでした。
AS的な特徴が見られないと書きましたが、受動型と積極奇異型と断定できる特徴が見られないということで、家での衝動性からADHDと考えたわけですが、愛着対象である私から見た妻の様子には客観性がないですね。道産子さんの書き込みからヒントを得て、一つ見落としていた孤立型ASかもしれないと、ふと思いました。社会に適応した孤立型ASにはどんな特徴があるのでしょうか。一見、受動型ASとしか見えない行動をすることもあるのでしょうか。
Paul Carpenterさん
何だかドラえもんの歌みたいですね^^こんなことしたら、あんな事できたら…。私は子供のころに、漫画の登場人物になりきって、一人で台詞を言って、なりきりで遊ぶという一人遊びにはまっていました。我ながら変な子供でしたよ(苦笑)
>でも自分をみつめるきかっけにはなったかも。
今だったら、自分の中で荒唐無稽と思える事でも、あんな事そんな事できたらいいのになぁと私も空想できそうです^^
森の奥…。こちらにも自然はありますが、せいぜい竹林くらいですね。小さな神社も探すと点在しておりますよ。崖や山々、海も見える自然に恵まれた土地ですが、私は自然の中に居るとあまりの凄さに絶句して頭の中から何もなくなります。ですので、日向ぼっこが私の息抜きですね。
****
余談になります。私にとっては、すでに物語られているファンタジーやおとぎ話そのものの中に、私の意識を浸して放し泳がすのが楽しいです。魔法の世界を現実に持ってくるというデ○ズニーラ○ドみたいな施設は興醒めで、子供の頃からどこが楽しいんだろうと思っていました。ずいぶん前に気づきましたが、私の本音は同性の方々から敵視や袋叩きの目に合いそうなので、現実では思っていても決して言いません。今では、お姫様に憧れるのがふつう?の女子なんだろうなぁ、、と諦め、相手には「そうなんだね。」と言うに留めています。
その反面?サーカスは良いです。子供の時に一度だけ見たことがありますが、初めからファンタジー(非現実的)な世界だからでしょうか。
****
m2さんへ
少し引っかかったので、コメントしますね。
「私は仕事をするにあたり、過集中を使っておりません」。
私は、過集中を使わないで自分の体に無理なく働ける時間として、「”自分の中では”4時間程度だろうなと自分で設定しました」。
上記は、精神障害者雇用トータルサポーターの相談員さんと一緒の対話の中で、散々自分を振り返ってみた暫定の結論として、自分で納得するに至る事でもあります。
集中はするけれども、過集中は使わない。そして、過集中を使わないから「みんなと一緒に働いているという意識が生まれます」。
人間関係は、「誰にも負けないという意識を生み出すことなく」良好ですね。
m2さん
>「受動型ASに受験勉強をさせるにはどうすればよいか?」→ 受験結果に価値を感じないのだから、別のモチベーションを与えれば良い、ということです。
一般的には、将来の自分のためと考えて自主的に勉強するか、将来の貴方のために勉強しなさいと外から動機づけられることによって勉強に取り組むのですが、受動型ASにとってはその価値が見いだせない。それに代わる報酬を必要とする。親や指導者はこのことを理解する必要があるのですね。
>受動型ASは欲求はないのですが、その分動物のしての生存欲求が際立って見えるような感覚があります。草食動物だって、自分の生命が脅かされた時にはそれなりの行動はします。
>いい会社に入りたいとは思いませんが、死ぬのは嫌。就職活動をした理由はこれにつきると考えます。
欲求、欲望が生きる原動力になるのとは異なる受動型AS、欲望が肥大化した物質的に豊かな社会で、欲望に惑わされることがないというのは世界を全く異なる方向から見ることができるということですね。
>よって、受動型ASにとって生活保護は悪い制度です。
生活保護に関して、以前のコメントではその意味するところがわからなかったのですが、受動型ASが生命を脅かされることにより行動する、それが原動力となっていることから、生命を脅かされることを免れる生活保護制度は受動型ASにとって行動する原動力を奪うものだと考えているのですね。
生活保護制度は受動型ASのためだけにあるのではないのでなくなることはないと思いますが、生活保護受給者の受動型ASへの対応では、行動する原動力に働きかける何かがないと動かないということなのですね。
>そろそろ、このスレも長くなりすぎたので、先生に何か一つ別のテーマを作っていただきたいところ、と思ってます。
受動型ASのm2さんならではだと思います。私は、ADHDであるやんばる先生が、受動型ASの診療において、より適切な診療を行うために受動型ASさんのコメントから理解を深めたいと考えており、何人かの受動型ASさんから答えてもらえることを望んでいるのではないかと思います。受動型ASさんは積極的には話さないでしょうから、じっくり聞こうとしているのかもしれません。もちろん、お仕事が忙しいのかもしれませんが。
ぬまおさん
孤立型についてですが、私も実際に見たことが無いのでよくわからないですね。
「管理人さんのHP」を読んでみると、基本的な特徴は積極奇異と変わらず「外に出て人を仕切りに行く」か「自閉症状が強く、引きこもりがちになる」かの違いなので、奥様は孤立型ではないかと。
「衝動性」が見られるなら、やはりジャイアンだと思います。(依存型かジャイアンACかな?)
私の知り合いの受動型ASも、家の中でキレて物を壊す(家具に拳で穴を開けたり)ことがあるのですが、こだわりを妨げられたり、予定を急に変更されたりした後が多いので、おそらく知り合いはASの特性からだと思います。
(幸い、今のところ暴力はみられないです)
あと、奥様が(刺激を求める)ADHDなら「予定調和に完璧に家事や育児をこなすこと」は、かえって彼女にとってストレスとなり、ますます近い家族に当たり散らすことになると思います。
きっと、家の中でぬまおさんが奥様のできない分をカバーしてらっしゃるのでしょうが、それではいつあなたが倒れるか分かりませんし、傍で怯えてる子供がACになる可能性もあるので、お一人で抱え込まずに専門機関に相談されたらいかがでしょうか?
①報酬の件
解釈はその通りでいいと思います。
ただ、それはその子のためにはならないことを理解していただきたいです。
当人からしますと、大人の見栄を満たすために受験勉強をしろと言っているようにしか見えないのです。
②欲求の件
まさにその解釈で結構です。
そして、主観にとらわれず物事を客観的に見ることができる受動型ASは変化の時期に強いです。
戦国時代、明治維新、戦後、私が日本史で好きだったところですが、受動型ASらしき特徴を持つ人物の活躍が目立ちます。
鳴かぬなら
殺してしまえ ・・ ジャイアン
鳴かせて見せよう ・・ 積極奇異型AS
鳴くまで待とう ・・ 受動型AS
って特徴出てますよね。
普通は受動型と積極奇異型の順番が逆なんですけどね。
維新では坂本竜馬に顕著に出てます。
薩長連合の発想は受動型ASにしか出てきませんし、船中八策を出しながら明治新政府に入る意思が無かったというのもいかにもです。
戦後はカリスマ経営者に参考になる点が多いです。
松下さんの水道哲学や、稲盛さんのアメーバ経営は受動型AS的な思想なので理解しやすいです。
③生活保護の件
働けるのに生活保護をもらっている人の大半は受動型ASだと思います。見栄が無いので、もらえるものはもらっておこうという発想になります。
そのために、本来もらうべき人がもらえない今の状況に頭にきているだけです。
受動型ASに謙遜は存在せず(ここが他の型から反感を買うところだとは思ってます)、別の形でお返ししようと考えます。
でも彼らには返す方法が無い。なので強制労働なり奉仕なりを考えて欲しいということです。場さえあれば、そのくらいの気持ちはあるはずです。
みさん
情報提供ありがとうございます。
>予定を変更されることで予測できないことが起こったというストレス、予定されていたことへの変更に決められたことを守らないストレス、といったことだと思います。
>ASの場合は、抜け目のなさではなく、そのままきちんとしたところがあります。
妻にはこの二つが該当していると思います。きちん、きちん、としていないとならないというこだわりで間違いないと思います。ただ、外に出た時は人目を気にしているようで、こだわりを守るための抜け目なさは感じます。私が予測や予定の変更にストレスを感じないのは、予測や予定の変更まで常に想定しているからだと思います。
>依存型のADHDでは、親の刷り込みが「当然のこと」になってしまっていて、その「思い込み」により他者をコントロールしようということがあります。
妻の母親は間違いなくジャイアンで、とんでもなく困ったことばかりしてしまう人ですが、そのような印象は全くありません。やっぱりASで間違いないと思います。
道産子さん
情報ありがとうございます。道産子さんのコメントを受けて、妻の行動の全てがつながり、長年考えてきた謎が解けたように思います。
今考えているのは、妻は孤独型ASの社会に適応したタイプで、「自閉症状が強く、引きこもりがち」というのが基本にあると思います。結婚して二人で住み始めて愛着対象が母親から私に変わり、急な生活環境の変化と妊娠による身体的な影響で、うつ的な症状が表れたが、一人でいられる時間も多かったため問題行動を起こすまでいたらなかった。子どもが生まれ、一人で過ごす時間がなくなったことから常にイライラした状態が続き、問題行動が発現。ついには統合失調症とみられる症状まで出てしまった。
一人でいられる時間がなかった背景には、妻の母親が「仕事で忙しい」と言って、全く子どもを預かることをしないこと。近くに住んでいる私の両親は、積極奇異型の姉が夫と別居中で、子ども二人を連れて実家に帰ってきたため面倒を見ており、姉から自分の子どもの勉強の邪魔になるから連れてこないでくれ、と言われているため預けられないことがあり、子どもと離れられる時間がないため、イライラを増幅させていったと考えられます。
つづきます
つづき
統合失調症のような症状を見て、私はそれまで家事も育児も頼まれなければやっていませんでしたが「このままではまずい」と問題を認識し、問題解決に向けて動き始めたため、問題行動が少なくなった。子どもはミルクを飲まない、離乳食も一切食べない、寝かしつけには一時間以上かかるという手のかかる子で、妻の考える予定通りには全くいかなかったことも影響していると思います。
対処法としては、子どもの泣き声を聞いただけで暴れだしたりする様子を見て、私がいる間は出来るだけ妻と離し、妻の様子がおかしいと感じた時には家から出て映画でも見てくるよう指示を出しました。母乳しか飲まないので、子どもがお腹をすかせて泣いている時だけは我慢してもらい、その他のことはできる限り私がやりました。夜は帰宅後、全ての時間を子どものために使い、子どもと一緒に風呂に入って子どもと先に寝ています。妻は夜遅くまで本を読んだりテレビを見たりして過ごしている、という状況です。
つづきます
つづき
当初は、妻が寂しいのではないかと思い、一緒に夜起きていましたが、私がいると別の部屋に移動したりするので、眠くなくても子どもと寝るという対応に変えました。それが、結果的に一人の時間を作れることになり、現在、安定しているのだと思います。孤独型は一人にさせておくのが一番いいのでしょうか?ただ、愛着対象である私が家の中にいないと不安を感じているようにも思います。
>あなたが倒れるか分かりませんし、傍で怯えてる子供がACになる可能性もあるので、お一人で抱え込まずに専門機関に相談されたらいかがでしょうか?
道産子さん、心配していただいてありがとうございます。受動型ASなので悩まない、問題解決に積極的という性格が幸いしています。私は夜、インターネットもやらずに早く寝るので、むしろ体調は以前より良くて、毎日すっきりしています。専門機関より先生のブログと皆さんのコメントの方が、より信頼性が高いと判断したため、そちらを選択しました。ご協力に本当に感謝します。これからは孤独型ASについて調べながら、より的確な対応を考えていきたいと思います。
むまおさん。こんにちは。
奥さまはAS&双極性障害風じゃないんですか?
「ハイ」の時に「普通の人」になり、活動を上げて外にでるものの、エネルギー切れして、家では「フリーズ」、あるいは「暴れる」 ← 躁が強ければ・・こうなるかな・・
(「外」は孤立型にとって非常にストレスが溜まるはず。解離とかつかってほとんど別人格になり、病的な状態での社会適応だったりして・・・・)
結局、限界が来て、引き受けた責任を放り投げての長期間の引きこもり。ところが自分の古巣でぬくぬくしているうちに、回復していき、「治ったのだっ!!!今度こそ大丈夫だっ!」と、社会性をあげて外に出て、余計な責任引き受けるる・・悪魔のループ。
聞いたところによると、双極性障害は、世間に迷惑をかけないためと、ウツを悪化させないために、できるだけハイにならないようにするそうです。
「ハイ」&「フリーズ」 ← 自分的、社会的な健康状態
「正常(本来の孤立AS)」 ← 自分的、社会的なウツ
「ウツ」 ← 認知不能 → 統失陰性状態風・・?
かもしれないので、つまり・・たとえば奥様が、このまえまでダラダラひきこもっていたのに
「元気になった。治ったっ!働きたい!」とか言いだしたら
ぬまおさんは
「あ。それ悪化だからが・ま・ん・ね。がまんっ!!」って説得して止めないといけないのであります。
・・ちなみにこれ・・・・・・自分自身を参考にして書きましたヽ( ̄▽ ̄;)ノ
ぬまおさんへ
自分が直接、問題解決するという事なのでしょうが、「生兵法は大怪我のもと」、という諺があります。
受動型ASの甘いところは、このままではまずいという思いから事にあたるため、自己流でのみ事にあたる事だと私は思います。
私も道産娘さんと同じく、専門機関に相談された方がいいと思います。それも、「同一専門機関に、長期的な相談をする事」ですね。
いくらみなさんのコメントを参考にされても、ぬまおさん、あなたがこのままの自己流のやり方では、高確率で時代の子供に問題が先送りされると私は思うのですよね。
私だってASですが、自分がもしも親になったとしたら、自分のプライドを投げ打ってでも専門機関にかかり、長期的な助力をお願いするだろうと思っています。自分の特性をいかに自分で理解していても、子供を育てるにあたり、ありのままの自分で子供と触れる事によって、子供に二次障害を負わせてしまうだろうとハッキリと想像できるからです。
それに、もしもこのブログが突然閉鎖になったらどうするのですか?
このブログを維持存続してくださっている先生をはじめ、私やみなさんの命は有限です。永遠には続きません。厳しいことを書きますが、受動型ASは綿密すぎるあまり、かえって想像の余地と視野が狭いと私は思います。「灯台下暗し」という諺がありますね。受動型ASのイメージとして、私はそんな言葉が浮かびますよ。
私は正直なところ、自分の親が受動型ASではなくて良かったと思っています。
なぜならば、お膳立てされる人生が当たり前だと思わなくて済んだからです。
かくも親になるという事は、とてつもなくたいへんな事なのですね。
ぬまおさんが、いずれ現実の専門機関に長期的な相談と支援をお願いしに行く事を祈って、遠くからひっそりと応援していますよ。
ぬまおさん
お話だけでは中々判別は難しいですね。
「内と外のストレス」もありそうなので、受動型のような気もするし…
孤立型は基本性格は積極奇異と同じなので、家の中では愛着相手に尽くす方だと思います。
また、自己評価が下がらず一見落ち着いてますが、その代わり身体症状が出やすいのではないかと。
お一人で抱え込まずに…と言ったのは、ぬまおさんが受動型ASで自己評価が下がりにくい特性故に、気付かないうちに無理をして体を壊してしまう恐れがあると思ったからです。
身近に、忠告を聞かずに無理をして自律神経崩したり仮面鬱になった人がいました。
(そういえば、ガス無しライターの記事で「ストレスで胃が痛くなった」とコメントしてた受動型さんもいましたねぇ。彼女も自己評価が下がらないようでしたので、そのうち無理が祟って胃に穴が開かなきゃ良いんですが…)
あと、これはあくまで私の想像ですが、最悪の場合を想定して言いますね。
奥様が依存型ジャイアンだった場合、受動型のぬまおさんの「自分から動けない」特性を利用して、わざと(気を引こうとして)問題行動を起こしてる可能性があります。
(続きます…)
(…続きです)
ぬまおさんが問題を解決したり、先回りして問題を回避させることで、徐々に問題行動がエスカレートしてお子さんに手を出すことがあるかもしれません。
本当は奥様を心療内科等に受診させて、発達障害の診断をつけて貰うことで自分の特性と向き合わせるのが良いのですが…
それが難しいなら、少しでも危ないと感じた時に専門機関(虐待等)に相談するなり、別居するなり考えた方が良いと思います。
まぁ、受動型さんは元々感覚が敏感な人達なので、ここまで大袈裟に言わなくても危険な状況を察知できると思いますが、愛着相手に対しては「盲目」になってるかもしれないと思い、厳しいことを言ってしまいました。
余計なおせっかいだったらすみませんm(__)m
私の最悪の想像が外れていることを祈りますが、少しでも何かおかしいと「変化」を感じたら、誰かに頼ることをお勧めします。
>道産子さん
妻は受動型の、うつかボーダーかとも思ったのですが、昨日、高校受験の時に受験勉強したかを聞いたところ、早い時期から計画を立てて勉強し、推薦合格を目指していたと言っていました。うーん、受動型には考えられないことだと思います。
問題行動は今はほとんど見られない状態で、私の対応に効果を実感しています。医療機関の受診は、ひどい時に本人も希望したので連れて行こうと思ったのですが、妻の母が強固に反対したので、インターネットで私が調べることになり、発達障害の情報を知りました。発達障害は完治しないので、根本的に対処療法しかないと思います。正しくないかもしれませんが、薬は脳に悪影響を及ぼすホルモン物質の分泌を調整する、行動による対処は脳に影響を与えるホルモン物質を分泌させる、またはさせないための行動を選択することかな、と自分なりに考えた結果、自分で対処することを決めました。
自分で対処できなければ、離婚して子どもを引き取るのがベストだと考えています。子どもが一番大事です。
>気付かないうちに無理をして体を壊してしまう恐れ
ここ数日、過集中に入ってしまったので、いったん情報を遮断して孤独型ASの視点でしばらく考えてみようと思います。ありがとうございました。
ぬまおさんは、「>受動型AS(自己診断)です」written by ぬまお / 2013.01.16 18:17 とご自分で書き込みされているので、奥様だけでなく、ぬまおさんご自身も心療内科等で発達障害の診断をつけてもらい、「親の責任と子育て」について「専門機関(発達障害関係で虐待の問題も取り扱っている所)」に「長期的な相談と支援をお願いすること」をおすすめしますよ。
厳しい言葉ですが、奥様以外にご自身の診断も一緒にお医者様から正式につけてもらわない限り、事態の根本的打開には至らないかもしれない(あなた方夫婦はそれで良くても、次代の子供へ社会不適応や二次障害という形で障害の問題が引き継がれる)という可能性を、私は想像するからです。
ちなみに私は「広汎性発達障害」診断済みです。
ホルモン分泌や報酬系といった事を学んだだけでは、非常に狭く浅い範囲です。身体について語るなら、基礎医学と解剖生理学の全般を学ばなくてはなりません。「身体の発生」から始まり「脳神経系」「内分泌系」「免疫系」「泌尿器系」…数え上げればきりがありませんが、正しいか正しくないかではなく、いかに自分の解釈を入れずに身体のメカニズムについて謙虚に捉えるかが大事なのです。
受動型ASは、自己診断でも、診断済みのように自分や他人を語れるのが信じられない。
日本にある「医師法」というものを知らないのだろうか。
奥さまが落ち着いて本当に良かったですね。
むまおさんは不思議な人だな・・・。
言葉の世界は独善的で支配的で非人間的でつめたいのに、行動はなんか結果オーライなとこ。
でも、私はやんばる先生のブログが、結果的に治療の道を閉ざす正当化の理由の使われて欲しくないと、心の底から思っています。さらに、出産後は精神疾患の多発時期らしいので、注意が必要だと思います。
心因反応なのか、適応障害なのか、精神疾患なのかの鑑別は専門の先生しかできないので、次に悪化した時は、病院につれていってあげてください。
だいたい、離婚するにしたって、奥さまが離婚事由に該当することを証明する客感的資料は必要ですから、やっぱり行くしかないのですよ。むしろ、精神疾患がみられるのに放置したとなると、その責任と取らされて、離婚時に不利になるのではないでしょうか。
道産娘さん。
>奥様が依存型ジャイアンだった場合、受動型のぬまおさんの「自分から動けない」特性を利用して、わざと(気を引こうとして)問題行動を起こしてる可能性があります。<
小生の家人は普段目だった問題行動は起こさないものの、小生にマジで切れた時は人間が変わります。(多数派でもそうなんでしょうかねえ)
積極奇異型ASにしても、依存型ジャイアンにしても、情緒障害型ジャイアンの小生にとってはかなりの難敵であることには間違いなさそうです。
おまけに依存型ジャイアンと思われる長女を味方につけておりますし。これがまた超やっかい。
個人的なことばかりでごめんなさい。
でも本当に参考になります。
m2さん
m2さんの回答から、もう少しお話を聞きしたいと思います。
>ただ、それはその子のためにはならないことを理解していただきたいです。
当人からしますと、大人の見栄を満たすために受験勉強をしろと言っているようにしか見えないのです。
「将来の自分のため」という周囲のおとなの外からの動機づけではなく、それに代わる報酬を必要とする。しかし、それがその子のためにはならない。それは何故か、大人の見栄を満たすために受験勉強をしろと言われているように受け取れるから、ですね。
ここで考えたいのは、周囲のおとなが「物で釣る」ことを当たり前にしている現実があること、「釣られる」側も利益になっていないことを言っているのだと思います。
さて、では現実にどうしたらいいか。
大人の見栄を満たすために受験勉強をしろと言っているのではないことを理解することができ、本人のためになることを理解させるにはどうしたらよいか、m2さんのお考えを聞きたいと思います。
みさんの質問ですが、
>本人のためになることを理解させるにはどうしたらよいか
ここまで、受験勉強をすることがが受動型AS本人のためにならない、ということを説明しています。
どうやっても、受動型ASが受験勉強を本人のためと理解することはない、ということです。
>大人の見栄を満たすために受験勉強をしろと言っているのではないことを理解すること
もし、本人のためを思うのであれば、受動型ASに受験勉強をさせることはやめてください。自分の興味を持ったことを更に伸ばすような指導をお願いします。
逆に、愛着対象(ex母親)が受験勉強しないことによって自分が不安になるから勉強して欲しい、と正直に言ってもらうほうが本人が納得して勉強する結果になるでしょう。
受動型ASはその程度のことは感じ取っています。
本日は教育TVにて発達障害者の大学での躓きをやっていました。
受動型ASは大学を選ばないとダメですね。
知らない人に物をたずねることができないんです。
正確に言えば、返ってくる回答を自分の理解できる形に翻訳できない、ということだと思うのですが。
自分の場合、90人しかいない学部でしたので、ほぼ全員と教官陣の特徴を理解できたので、コミュニケーションにはさほど困りませんでした。
でも、マンモス大学で大教室授業だとわからないことを聞く相手も無く、確かに戸惑いそうな気がします。
ぬまおさんの件ですが、話が変な方向に進みかねないので、コメント入れておきます。おせっかいになったらすいません。自分が同じ立場なら、フォロー入れてもらえたほうが嬉しいので。
複数の方が病院に行くように、とのアドバイスがありますが、これは無意味です。
ぬまおさんは、発達障害をネットで調べまくって、一番自分のしっくりくる専門家がやんばる先生だったわけです。(私も同じですが)
発達障害の専門家といっても、やんばる先生とは意見も異なるわけです。そのような専門家の意見を聞いても、自分なりの消化ができないだろう、更に言えば、医者といっても信用できる医者もいればできない医者もある。そんなリスクがありながら知らない医者に相談することなどできない、ということだと思います。
ぬまおさんは、やんばる先生にアドバイスが欲しいと求めているようにしか見えないです。
これがまた受動型ASの面倒なところですが、やんばる先生もお忙しいからと思うと、そのようにストレートには言えないです。
また、その意図に感づいてくれるなら、スムーズなコミュニケーションが取れるからよし、気づいてくれないくらいなら、調整が大変なので、自分で探した方が早い、そのように考えるところは間違いなくあります。
個人的な意見を言わせてもらえば、嫁さんにこのページを見せて自己診断させればいいんじゃないの? と思います。
ただ、私の推測では、良くなったら離婚に向かうリスクがあるので、そこをどう考えるか? ですが。
でも、嫁さんが幸せになってくれるならそれでもいい、と考えるのが受動型ASか。
m2さん、ありがとうございますと言うのも変ですが、お礼を申し上げます。
自分の解釈にとらわれて周りが見えなくなってしまうところが私の悪い癖です。
しかし…酷な事を書きますが、自分の意図は、自分の言葉で一生懸命言語化しようとし続けないと(すぐには言語化できなくてもほんの少しでもいいから言葉にする努力を自分でし続けないと)、他人というものは気づかないものだし、わかる地点にまでたどり着けませんよ…。(言わなくてもわかって、言わなくても気づいて、だなんて、テレパシーか魔法かファンタジーでしょうかね…)
こればかりは、ぬまおさんご本人が、ご自分の意図を言葉として表現する努力を選択し続けないと、YANBARU先生にも私にもみなさんにも、誰にも理解できない事ではないかと、私は思っていますよ。
m2さん
私はぬまおさんが現時点で情報を遮断しているのではないかと思っています。
>ここ数日、過集中に入ってしまったので、いったん情報を遮断して孤独型ASの視点でしばらく考えてみようと思います。ありがとうございました。
この言葉が示すとおりだと思っています。その前に、決意は固まっていました。
>専門機関より先生のブログと皆さんのコメントの方が、より信頼性が高いと判断したため、そちらを選択しました。ご協力に本当に感謝します。これからは孤独型ASについて調べながら、より的確な対応を考えていきたいと思います。
ご自身がASと自覚され、5年もの間ここで勉強なり分析なりしてこられた蓄積があろうかと思っています。ご自身で研究して実践してこられた実績は、尊重すべきことだと思っています。
お節介がシャットダウンさせることになることを理解する必要があるADHD、積極奇異、ということだと思います。
みさんのコメントから少し考えていました。
私は、ぬまおさんから正面切って「情報」と捉えられた事に、本当は納得がいってなかったのかもしれません。
非常にASらしい受け取り方ですけれどもね。
私とて障害診断をつけ、蓄積があり実践があり苦労があり…。
そんな事を思いましたよ。
私には夢があります。こんな事できたらいいな、あんな事できたらいいな。そう思える夢があります。
先生、みなさま、ありがとうございます。
m2さん
>個人的な意見を言わせてもらえば、嫁さんにこのページを見せて自己診断させればいいんじゃないの? と思います。
ただ、私の推測では、良くなったら離婚に向かうリスクがあるので、そこをどう考えるか? ですが。
確かに、メール相談という方法もありますし。
でも彼、奥様にこのサイト見せますかね?
最初にぬまおさんのコメントを読んだ時、彼が奥さんを都合の良いようにコントロールして、共依存関係に持ち込んでるのではないか?と思いました。
急にADHDから診断を変え、頑なに「孤立型」と言い張ってましたので、他の可能性も考えて欲しいと思い、きちんと伝わるようはっきり言いました。
後悔はしてませんが、結局私が言っても言わなくても一緒だったろうなとは思います。
もしかしたら、奥様に自己診断させることは、ぬまおさんにとって都合が悪いことなのかもしれませんね。(ASとADHDの特性の違い故)
頼れる身内が居ないというのが心配ですが「子供が一番大事」という彼の言葉を信じます。
Paul Carpenterさん
どうですかねぇ…積極奇異は身近に弟しか居ないので。
家の中では結構素直ですよ。
ぬまおさん。
>自分で対処できなければ、離婚して子どもを引き取るのがベストだと考えています。子どもが一番大事です。<
ここは大いに同感です。泣きそうになります。
自分だけでなく嫁もこどもも本当に幸せになるためにはどうすべきなのか、毎日模索し続けています。
さーこさん。
>私には夢があります。こんな事できたらいいな、あんな事できたらいいな。そう思える夢があります。<
一歩進んで二歩下がったら、つぎは二歩進んで一歩下がりましょう。
小生もその繰り返しです。毎日ずっと。
道産娘さん。
>どうですかねぇ…積極奇異は身近に弟しか居ないので。
家の中では結構素直ですよ。<
血縁関係のある身内にとっては素直がいいかもしれませんが。
他人同志である夫婦はどうですかねえ。あんまり素直になられるのも。もちろんいい場合もあるでしょうが。簡単に言えば、そこは愛があるかどうかの違いかと。
うちだけじゃないような気がします。
ふー、過集中から抜けて冷静に考えられるようになりました。なんか、いろいろ誤解を招いてしまったみたいでごめんなさい。
コメントは、先生が受動型ASについての意見を求めてたんで、ぶっちゃけ、通りすがりにちょっとだけなんか書こうと思ったんだけど、m2さんが出てきたのがうれしくて、その後も調子に乗って書いちゃいました。なるべく事実とその時の判断だけを淡々と書いた方が先生も思考の特徴が分かりやすいかなー、と勝手に思って、なんか変な文体になってしまってすみません。良かれと思ってやって失敗することも多いんです。今、自分で見ても引くわ(笑)。途中で説明しないで変えると受動型は文章までおかしい、と思われそうだったんで、そのまま通したら、余計変なことになっちゃいました。すみません。
道産子さんに話しかけたあたりから、5年も考えながらADHDだと決め付けてきた妻の障害のタイプが違ったかもしれないと勝手に興奮して、過集中に入って視野が極端に狭くなってしまいましてー、周囲が全く見えなくなっていました。さーこさん、医学的知識が全くないのに、えらそうなこと言ってごめんなさい。過集中になってからのコメント全部削除したいです。恥ずかしい。。なんか、孤独型とか書いてるし、変な文体の影響もあって妻の虐待が今でも深刻そうに見えますもんねー。今は大丈夫です。仮に孤立型だったら、判別しやすいタイプということで医療機関に行けば一発で判別できたと思うので、全く、さーこさんの言う通りです。
5年間考えてADHDだと思ったのだから、依存型ジャイアンの可能性も十分あるわけで、道産子さんもすみませんでした。あまりの興奮に脳が暴走してしまったようなのでゆるしてください。
m2さん、フォローありがとう!医療機関はそうですねー行くとしたら、やっぱり、やんばる先生に診てもらいたいです。沖縄旅行行こうかなー。ただ、今、妻の問題行動は一般女性並み?ですので、虐待の心配はないですよ。救いを求めているように見えたのは過集中と変な文体のせいで、今は困ってないんです。先生にはもっと困っている人を助けてもらいたいです。特に受動型ASをお願いします。妻には発達障害を理解させようとしていっぱい本を買ってきたのに読まないんですよ(泣)このブログも見て自己診断するように言ったんだけど興味がないらしくて、「型が分かったら教えて」と言われてしまいました。一応、ADHDだと言ってあります。
みさん、過集中が長引いて冷静に考えられていないことに気づいたので、一日冷却期間を置きました。お節介がシャットダウンというわけではないので誤解しないでね!
Paul Carpenterさん、冷静に考えれば、自分で対処できなければ即離婚じゃなくて、病院に連れて行くが正解ですよね。過集中は怖いです。なるべく入らないように気をつけていたのに、変なスイッチが入っちゃったみたいです。
ちひろさん、変な文体と過集中で誤解を招いてしまってすみません。ちひろさんの言う通りだと思います。
道産娘さん
私は道産娘さんとは違った見方をしています。
>急にADHDから診断を変え、頑なに「孤立型」と言い張ってましたので、他の可能性も考えて欲しいと思い、きちんと伝わるようはっきり言いました。後悔はしてませんが、結局私が言っても言わなくても一緒だったろうなとは思います。
ぬまおさんは、奥様のことを調べていて5年ほど前にこのブログと出会い、ADHDの特徴を知り、奥様がADHDではないかと思っていました。けれども道産娘さんの身近な受動型ASについてのコメント(a)に書かれていた特徴に奥様が当てはまり、受動型ASではないと確信しているものの、AS的な特徴が見られないためADHDではないかと考えていたことに疑問をもつようになりました。そこでもっと情報が欲しいと思ったのです。(b)
(a)急な予定の変更がストレス、身の回りのことをきちんとしないと気がすまない、飽きっぽい等…愛着相手に高圧的で、それ以外にはボロを出さない抜け目無さがあるので受動型で間違いないと思いますが…
(b)私の妻がまさにそれです。一緒に住んで長年見る中で、受動型ではないと確信できます。AS的な特徴が見られないためADHDではないかと考えているのですがどうなんでしょう。もっと情報をお願いします。私はその情報が知りたくて先生のブログを見ているのです。
それを受けて、道産娘さんは知り合いの受動型ASの特徴について書いたのですよね。それを読んで、ぬまおさんは正確に判別するのは難しいと思ったのです。(c) AS的な特徴が見られないと書いたのは受動型と積極奇異型と断定できる特徴が見られないからと理由を述べたうえで、見落としていた孤立型かもしれないと思ったのです。(d)
(c)情報ありがとうございます。正確に判別するのは難しいですね。
(d)AS的な特徴が見られないと書きましたが、受動型と積極奇異型と断定できる特徴が見られないということで、家での衝動性からADHDと考えたわけですが、愛着対象である私から見た妻の様子には客観性がないですね。道産子さんの書き込みからヒントを得て、一つ見落としていた孤立型ASかもしれないと、ふと思いました。社会に適応した孤立型ASにはどんな特徴があるのでしょうか。一見、受動型ASとしか見えない行動をすることもあるのでしょうか。
つづき
それを受けて、道産娘さんは孤立型ではないかということと、「衝動性」が見られるならやはりジャイアンだと思うと書いています。そして、ぬまおさんを気遣うとともに子どものことを考え、専門機関への相談をすすめたのですよね。そして、ぬまおさんは道産娘さんのコメントから長年の謎が解けたように思うと返しています。(e) 道産娘さんに感謝していたのだと思いますよ。
(e)情報ありがとうございます。道産子さんのコメントを受けて、妻の行動の全てがつながり、長年考えてきた謎が解けたように思います。
そして、その後はご自身のこれまでの奥さまの状況を整理しています。謎が解けるとそこから見えてくることがありますよね。そのなかでまた疑問が生まれました。(f) そして、ぬまおさんは道産娘さんの気遣いに感謝していると返しています。(g) その後、自分がやっていくこととして、孤立型ASを調べ、対応を考えていきたい、と書いています。(h)
(f)孤独型は一人にさせておくのが一番いいのでしょうか?ただ、愛着対象である私が家の中にいないと不安を感じているようにも思います。
(g)道産子さん、心配していただいてありがとうございます。受動型ASなので悩まない、問題解決に積極的という性格が幸いしています。私は夜、インターネットもやらずに早く寝るので、むしろ体調は以前より良くて、毎日すっきりしています。専門機関より先生のブログと皆さんのコメントの方が、より信頼性が高いと判断したため、そちらを選択しました。ご協力に本当に感謝します。
(h)これからは孤独型ASについて調べながら、より的確な対応を考えていきたいと思います。
孤立型ASについて、道産娘さんにはこれ以上聞けない内容だと判断したこともあったでしょう。孤立型ASについては道産娘さんもよくわからないのですよね。ここからは自分が調べること、と区別したのだと思います。ASは研究肌なところがありますから。それにぬまおさんは立派な成人です。自己選択、自己責任です。
つづき
そして、道産娘さんが心配していることは、おそらく奥さまの問題行動が多かった時期に心身を壊していただろうと思います。また、本格的に離婚して子どもを引き取ることも考えるようになったら身内に話すでしょう。ぬまおさんのお父さまは就職活動の際に裏で動いてくれていたようですから、協力が得られないとは考えにくいです。
そして、
>もしかしたら、奥様に自己診断させることは、ぬまおさんにとって都合が悪いことなのかもしれませんね。
ぬまおさんは奥さまの問題行動がひどかったときに、本人も希望したので連れていこうとしたと書いています。(i)
(i)問題行動は今はほとんど見られない状態で、私の対応に効果を実感しています。医療機関の受診は、ひどい時に本人も希望したので連れて行こうと思ったのですが、妻の母が強固に反対したので、インターネットで私が調べることになり、発達障害の情報を知りました。
奥さまのお母さまが反対したとのことで、ぬまおさんにとって都合が悪いことではないのです。
ぬまおさんは道産娘さんのコメントからとても多くの情報を得て、謎が解けたことを感謝していました。また、道産娘さんの気遣いにも感謝していました。道産娘さんが子どものことを考えてくれていたのだということもわかるはずです。けれども、道産娘さんからこのような言葉を投げられようとは思っていなかったはずです。もう一度、ぬまおさんのコメントを読み、ぬまおさんの気持ちに気づけるとよいかなと思います。
あはは。
ぬまおさん、受動型AS特有の切り替えですねぇ。もう少し情報遮断していると思っていましたが。。。
やや自虐的ではあるけれども、そうすることで集団内の調和をもたらそうとする、人が近く感じるAS特有の傾向ですね。
ジャイアンにはそれができませんのよ。屁理屈、人のせいにする、揚げ足を取る。ジャイアンはASさんのこのような切り替えに救われる場面があります。それに気が付いていないジャイアンは多いと思います。
>みさん、過集中が長引いて冷静に考えられていないことに気づいたので、一日冷却期間を置きました。お節介がシャットダウンというわけではないので誤解しないでね!
わかりました。
みさん
一ヶ所誤解があるので訂正致します。
>それを受けて、道産娘さんは孤立型ではないかということと、「衝動性」が見られるならやはりジャイアンだと思うと書いています。
私は始めからぬまおさんの奥様は「孤立型ではない」と、否定的な見方をしてましたが?
>奥様は孤立型ではないかと。
多分、この表現が肯定とも否定とも受け取れ、紛らわしかったのだと思います。失礼致しました。
「私が言っても言わなくても一緒だったろうな」と言ったのは、ゼロ百のASの特性から、きっと彼が奥様を孤立型だと信じ込み、それ以外の可能性を見ていないだろうと思ったからです。(いや、過集中のせいかしら?)
過去に受動型相手に曖昧な言い方をして、誤解されたり、都合の良いように受け取られたことがあったので、(特に受動型の人には)自分の伝えたいことがきちんと伝わるようはっきり言うようにしてます。
とはいえ、ちょっと差し出がましかったかもしれませんね。
奥様の問題行動は過去の話だったみたいだし…
後はぬまおさんの「自己判断」に任せます。
ちなみに受動型は「強かで世渡り上手」な人達なので、多少強めに言っても大丈夫だと思います♪
ぬまおさん
そんな媚びへつらって謝らなくても大丈夫ですよ( ´艸`)
怒ってる訳ではありません。
ただ、視野が狭くなってるかなと思い「最悪の想像」という大袈裟な言い方をして、それを頭の片隅にでも置いて貰えれば良いな、という気持ちから脅すような言い方をしてしまいました。
>妻には発達障害を理解させようとしていっぱい本を買ってきたのに読まないんですよ(泣)このブログも見て自己診断するように言ったんだけど興味がないらしくて、「型が分かったら教えて」と言われてしまいました。一応、ADHDだと言ってあります。
そうだったんですね。
「都合の良いように奥様をコントロールして、共依存に持ち込もうとしてるのでは」等と決め付けて申し訳ありませんでした。
文面からでは奥様は(受動・ADHDどちらとも受け取れるため)何とも言えませんが…本人が無関心なら仕方ないですね。
ぬまおさん、奥さんに振り回されて身体壊さないよう気を付けて下さいね。
あと、今更ですがm2さん
m2さんから「個人的には…」という言葉が聞けると思ってなかったので、ちょっとびっくりしたと同時に、何だか親しみが持てました。
意味不明ですみません!
ぬまおさん。
>今、妻の問題行動は一般女性並み?ですので<
思わず笑ってしまいました。
全国の女性のみなさん失礼いたしました。
みさん。
>やや自虐的ではあるけれども、そうすることで集団内の調和をもたらそうとする、人が近く感じるAS特有の傾向ですね。ジャイアンにはそれができませんのよ。屁理屈、人のせいにする、揚げ足を取る。ジャイアンはASさんのこのような切り替えに救われる場面があります。それに気が付いていないジャイアンは多いと思います。<
あれ?
小生の中にASに近いところもある??
まあでも周りがまず折れてくれて、そのあと上から目線でそう見せかけているだけかも。ここは大きな違い。
道産娘さん。
>ゼロ百のASの特性<
これもなきにしもあらず。
まあでも最終的にはあっさりと妥協するので(中心志向の大甘)やっぱり違うみたい。
共依存の嫁長女のこれからのことを考える上で、いつも大変参考になります。
ぬまおさんの失敗コメントのようなことは、小生もしょっちゅうやってますよ。ここでも実生活でも。
それが結局は自分にも他の方々にも何らかの参考になるんですから。お互いあとで振り返れば。
ここは諦めて、生きたいように生きましょう。それしかできないのですから。ただその目的は、自分たちが幸せになるためだ、ということさえ忘れなければいんじゃないですか。
ぬまおさん
そんな謝りすぎるほど謝らなくても(苦笑)とにかく、よかったです(^^)
私は医療系の資格はもっていませんが、aromatherapy全身トリートメントのために体のメカニズムについて1から習いました。テキストは「目でみるからだのメカニズム」 医学書院 発行 です。
看護師やPT(理学療法士)の家族に見せたところ、このテキストを知っているという回答でした。
授業や実技では、我が国の法律を守る事や禁忌についてなど、みっちりと叩き込まれました。以来、私は過集中と直結しないよう、なるべく横に置いて普段の活動をする事にしています。私にとって過集中を使うことは、基本的に禁忌なんです。
体の事を全体を通して学んだ末に捉えられたこと…それは、私にとってはどんなに勉強しても「なぜかよくわからない、決してわかった気にはならない」分野という事です。謎ですねぇ。
家族の事、ご自分の事…、よい方向にいくといいですね^^
あ、道産娘さん。m2さんの「個人的には…」という言葉、私もちょっとびっくりしていました。そして今更ですが、コメントの中で「受動型ASは~」なんて言ってしまってごめんなさい。本当に恥ずかしいです。
道産娘さん
>「私が言っても言わなくても一緒だったろうな」と言ったのは、ゼロ百のASの特性から、きっと彼が奥様を孤立型だと信じ込み、それ以外の可能性を見ていないだろうと思ったからです。(いや、過集中のせいかしら?)
ASの思考方法とADHDの思考方法には違いがあります。ASは細部から出発する思考パターン、ADHDは全体から把握して細部を見ない。
私はぬまおさんの見方を肯定します。ぬまおさんが道産娘さんのコメントをヒントに、これまでの奥さまの状況をまとめたところを読みますと、非常にAS的な行動を起こしていることがわかります。
ここからは、ぬまおさんと道産娘さんへ
内と外で別人であること、家ではぬまおさんに責めたり、不機嫌になる、これは受動型ASの特徴です。内と外で別人であることは、「普通」へのこだわりと思います。ぬまおさんがいう「社会に適応した」ということは、愛着相手ではない人々には「普通」でなければならない、本当の自分を知られてはならないということだと思います。そして、愛着相手であるぬまおさんには100%依存しようとし、思いどおりにならないと癇癪を起す。それが車を蹴ってへこませたりすることになっている。この行動は、ADHDの衝動性とは全く異なるものです。
そして、「子どもの泣き声を聞いただけで暴れだしたりする様子を見て」というエピソードから、奥さまには聴覚過敏をはじめ、感覚過敏があるのではないかと思います。一人で過ごす時間が必要であるというのも、刺激から遠ざかりたいのではないかと思います。また、自閉症状が強いと、子どもが何で泣いているのかがわからず恐怖を感じます。自分の思い通りにならない子どもという存在からはなるべく離れたいのだと思います。ぬまおさんの努力と対応で奥さまは落ち着いているのだと思います。
お子さんについては、奥さまのこれまでの状況から発達面での心配がありますが、その分をぬまおさんが手をかけていますね。愛着形成という点では、母親だけではなく、イクメンでも愛着形成がなされます。お子さんの発達面においては慎重に見ていく必要があります。検診等での所見やアドバイスをしっかり聞いたほうがよいでしょう。必要であれば、相談機関を紹介してもらうなどしたほうがよいでしょう。
一つ抜けました。
孤立型ASでは、変わらないことに安心する、予定変更は許せない、手続きに細かくこだわる、情緒的交流が難しい、などありますから、受動型ASのぬまおさんが自分とは違う型であると感じるのはこのあたりではないかと思います。
これはちょっと表現が適切でないので訂正します。
自分の思い通りにならない子どもという存在
→予測ができない事態を引き起こす対象である子どもという存在
ADHDの衝動性は、欲望のままに行動する、自分の行動に統制ができない、ということです。つまり、勉強しなければならないのに遊んでしまう、黙って聞くところをしゃべりだしてしまう、といったことです。
依存型ジャイアン(二次障害があるADHD)は、というよりも私依存型ジャイアンは、外で完璧であろうとしても抜けがあり、それゆえに完璧であろうとしていましたし、周囲を振り回していました。依存相手には感情的に暴発した時期がありましたが、言葉での攻撃はあっても物を壊すという破壊的な行動はしませんでした。自分が使う物は「必要」なので壊すようなことはしませんし、片づけるのが自分であるからそんな面倒なことはしません。人の物を壊すとしたら怒りを買うのでしません。もし壊したら依存関係を破壊するので困るのは自分だと考えるからです。それに自分が乗る車は外見を見られると思うから、へこまそうとは考えません。いかにも表面的ですね。情緒がねじれているジャイアンは、破壊的な行動をするときでもずるがしこく考えています。いかに相手の気を引き、自分の欲望を満たすかを考えており、また権力を誇示するかを考えています。ここが、自閉傾向が強い人のパニックによる破壊行動、愛着相手への攻撃行動との違いです。
子どもに対しては、子育てした経験がないのでその立場からは言えませんが、ボーダー型ジャイアンでは可愛いと思ったときは可愛がるし、いうことを聞かなければ感情的に怒る。叱るではなく。これは愛着の偏りからです。全く拒否するのではなく、場当たり的です。
孤立型ASで子どもに関わりをもたなくなってしまうのは、情緒的な交流が難しいためと考えられます。また、感覚過敏、とくに皮膚感覚の過敏があると、赤ちゃんと接触するのにも苦痛を感じるでしょう。苦痛なことを強制されるとパニックがひどくなり、さらに拒絶する結果になると思います。ぬまおさんの対応は適切だったと思います。
道産娘さんの受動型AS対策は間違ってはいないと思います。
受動型ASからするとこのような理由かと思います。
>(特に受動型の人には)自分の伝えたいことがきちんと伝わるようはっきり言う
これはありがたいです。
受動型ASは価値観が多数派や他の型と違うのでコミュニケーションが取りづらい障害です。
よって、失敗を繰り返しながら、多数派がどのようなコミュニケーションをしているのかを分析して、パターン化していくことになります。
曖昧な言い方をされてしまうと、ある程度成長した受動型ASでも多数派のパターンで行動することになります。
よって、他の型の場合は御自身の立場を主張していただくことにより、対応ができるようになります。
ここは多数派とは違うところです。多数派は基本多数派以外は理解できないですから。
ちなみに、訓練された受動型ASは「変な人だから仕方ない」で許容されます。
よって、受動型ASの場合は、重度なほどコミュニケーションが取りやすいという現象が起こります。軽度だと多数派に仲間と誤解されて大変な目に合っている例を結構見かけます。
もっと訓練すると、他の型の場合の対応もできるようになるのですが、如何せん初対面の人や深く知らない人ですと判断材料が少なすぎて失敗することは多いです。
>受動型は「強かで世渡り上手」
そんなことは無いです。
世渡り下手なのが受動型ASです。だからニートが多い。
社会に適応するためには、多数派等の分析をして、「世渡り」の概念を自分なりに習得しないといけません。
つまり、社会に適応している受動型ASは「強かで世渡り上手」であろうとは思います。
失敗することには慣れていますので、強く当たられたくらいでは自己評価は落ちませんので、大丈夫です。
私も自分の受動型ASから来ている分とそれ以外の個性とはだいたい判別できているつもりでいます。
ここでは受動型AS分析の発言をしているので、受動型AS由来の発言が多くなりますが、当然実社会では個人的な発言の方が多いですよ。
みさん
「ぬまおさんの見方を肯定します。」
ということは、みさんはぬまおさんの奥さんを孤立型だと思っているのですか?
直後に受動型の特徴が書いてあったので、どっちなんだろう?と疑問に思いました。
ちなみに私は、文面からでは受動型・ADHDのどちらとも受け取れます。
まぁ、後は彼の判断に任せますが。
m2さん
2月4日のNHK教育でやっていた発達障害者の大学での躓きを見ませんでした。動画があったらみたいです。
今大学では、発達障害にかんしても支援をしていこうとする動きがありますが、まだまだですね。富山大学や信州大学では取り組みがなされています。学生相談室は各大学にありますが、相談に行かない学生には支援の手が届かない。履修登録からつまずき、そこから登校できなくなってしまう、教室がわからず誰にも聞けなくて図書館で過ごす、授業内容が理解できずに登校をやめてしまう、そして退学を考える。また、グループ学習やゼミなど少人数で学習をすすめるスタイルでは人間関係でつまずく、等々。
大学は自ら学ぶところですから、自分から何かをすることを要求します。その考えが強い大学ではなかなか考え方を変えません。とくに、大学教員は教員免許があるわけではなく、研究と専門領域の教授が職務ですから、できなければできなくてもよいと考えることも多いです。大学職員もかなりの倍率を突破してきた人たちですから、できない人を馬鹿にしてしまうこともあります。頭の回転が速いことを強みにしていますから、相手の理解を確認しながら話すことはしないことが多いです。エリートを育てたいと考えている大学では、できる人を伸ばしたいと考えますから、支援という考えは浸透しませんし、理解が得られません。
発達障害と診断されている受験生ならば、大学選択のときにその大学の支援がどうなっているのか確認しておくことが賢明です。
みさん
その後のコメントでわかりました。
「孤立型」ですね。
>それに自分が乗る車は外見を見られると思うから、へこまそうとは考えません。いかにも表面的ですね。情緒がねじれているジャイアンは、破壊的な行動をするときでもずるがしこく考えています。
確かに、自分の車ならそう考えますね。
ジャイアンの特性…というか気持ちがよく表れてます。
Paul Carpenterさんもそう思いません?
さーこ(AS)さん
最近、何故受動型はジャイアンの反感を買うのか?と考えてました。
自己評価が下がらないという特徴だけなら、受動型だけではなく積極奇異にも当てはまりますよね。
積極奇異は「首尾一貫した考えやこだわり」があり、ジャイアンは「やるからには完璧に!という中心志向」がある。
どちらも主張を曲げず出し惜しみできない、不器用な面があるので、お互い揉めても許せるのかなと。(積極奇異の方々、気を悪くされたらすみません)
でも受動型は「器用」に空気を読んで、あっさり引き下がれるんですよね。
最近、これは責任転嫁だけが原因ではなく、中心志向型ジャイアンの妬みから腹が立つのでは?等と考えてます(^_^;)
m2さん
分かりました!
以前ぬまおさんのコメントに「(受動型には)細かく情報を与えれば、よりリアルに想像できるようになる」とあったので、これも関係してるかもしれませんね。
私の場合「個人的には…」という言い方の方が「その人らしさ」が表れやすいため、よく伝わって来ますね。
最も「受動型AS関連の記事」なので、「受動型は…」という言い方の方が場に適しているかもしれませんが。
「強かで世渡り上手」
世渡り上手というと語弊があったかな。
一見「柔軟性」と「協調性」を兼ね備えた人が多いですよ。
ただ、やはりASですので変化を嫌い、意外と「頑固」だなぁという印象がありました。
>受動型ASの場合は、重度なほどコミュニケーションが取りやすいという現象が起こります。軽度だと多数派に仲間と誤解されて大変な目に合っている例を結構見かけます。
「重度・軽度」とは、自閉症状の重さですか?
みさん。
>ASの思考方法とADHDの思考方法には違いがあります。ASは細部から出発する思考パターン、ADHDは全体から把握して細部を見ない。<
あいたた。全体像を把握できるほうがいいに決まってると自惚れてでかい態度をとるのがすべてのトラブルの原因かもしれませんね。
>内と外で別人であること、家ではぬまおさんに責めたり、不機嫌になる、これは受動型ASの特徴です。内と外で別人であることは、「普通」へのこだわりと思います。<
ホンマむかつくわ~ あ、ごめんなさい。家人の話です。
>曖昧な言い方をされてしまうと、ある程度成長した受動型ASでも多数派のパターンで行動することになります。<
これも当たってる。うんうん。
道産娘さん。
>それに自分が乗る車は外見を見られると思うから、へこまそうとは考えません。いかにも表面的ですね。情緒がねじれているジャイアンは、破壊的な行動をするときでもずるがしこく考えています。<
昨年ジャイアン長女の言動に小生が切れたとき。
思わず手にしていたものを床に投げつけました。
あ、俺いま何投げた?うっそー
安くない腕時計。文字盤までこなごなに。
カ〇オのGshockに買い替えました。これなら投げても大丈夫?
クルマは絶対大切にします。家人がこすってめちゃムカついたけど。
家人は受動型も入った積極奇異型かな?まだまだわからんけど。
道産娘さん
受動型は「器用」に空気を読んで、あっさり引き下がる。そうすると、今度は私(積極奇異)が、まるで自分の実力や能力以上のものをもっているかのような立ち位置になってしまうのです。
私は、自分の実力や能力以上のものをもっているかのように他人から捉えられたり評価されてしまう事が怖いし、危ないと感じるのです。なぜなら、「私自身に責任が取れるか?」という事を想定するからです。医療の話においては、特にそうですね。
私には、「ふつうへのこだわり」はありません。
みさんの話から気になったところですが、私は、思春期に、家族が使う古い扇風機を投げて壊した事があります。怪我人が出なくて良かったですが、自分で片づけはしませんでした。おそらく愛着相手(ADHD母)への攻撃行動だったと思います。
今では母のために、週1~2回ほど低周波治療器具(手で持って使うタイプで、皮膚の上を転がす、お掃除コロコロ(清掃用粘着テープ)に似た極小サイズの器具(一人では使いづらい))を1時間ほどやってくれと、せがんでくるので、等価交換になりうるような交換条件を出してお互い納得しながらすごしています。私の方は、なんだこれ( ̄- ̄)という感じですけどね。
私は感覚過敏の中でも、皮膚感覚と聴覚の過敏があります。
皮膚感覚は、体内を循環するかのような「∞(無限、あるいは、メビウスの輪の形のような)」イメージトレーニングを何百回もする事によって適応。
聴覚は、半分フィルターをかけているイメージにより、工事現場のようなひどい音でなければ、長時間でなければ、という限定付きですが、適応可能となりました。
私よりも感覚過敏が強い人は日常生活をすごすにも、とてつもなく大変で、しんどいと思いますね。
みなさん、孤立型のことについていろいろ教えてくれてありがとう。媚びへつらってるわけじゃなくて、純粋に(笑)。
結果的に「一人にさせて置く時間をつくる」ことが解決法だったようなので、保健師さんに相談してれば、発達障害について知識がなくても「一人にさせてあげて」ぐらいのアドバイスはあったと思うので、今にして思えばまさに、さーこさんの言う通りの灯台下暗し。発達障害について知る必要も、なかったんじゃね?って感じです。
子どもは、発達障害がありそうな気配で、一生懸命毎日なんかをひたすら並べてます。何が楽しいのかね(笑)。知らない人にも、ひょこひょこついて行ってしまいます。愛情を込めて育ててもやっぱり、問題行動を起こしそうな気配なので、問題が見られたら、専門機関に相談します。一つ学習しました!
妻は、変わらないことに安心する、予定変更は許せない、手続きに細かくこだわる、情緒的交流が難しい、というまさにそれです。自分の携帯電話を真っ二つに折って、連絡先が分からないからもう、誰にも連絡しないとか言ってたよ。データーだけ何とか復旧させてあげましたけどね(^^ゞ。
>世渡り上手というと語弊があったかな。
誤解させてしまったようですいません。
ただ、大事なところなので、何度でも言います。
道産娘さんが普段から接している受動型ASの人はおそらくそのような特徴を持っているだろうと思います。
大事なことは、社会に適応できている受動型ASはおそらく氷山の一角に過ぎない、ということです。
多数派や他の型の人を懸命に理解して「協調」できるように努力し、自分にあるこだわり以外のものを他人が持っていることを理解して「柔軟」に対応できるように努力して、初めて、受動型ASは社会に対応できるのです。
そして、たぶん、才能・環境・運とどれかに恵まれないと到達することができない、結構厚い壁だと思うのです。
そこまで達せずにうまく社会に適応できずにいる受動型ASの方が遥かに多いと思います。
この場では、そういう受動型ASの人のことも考えて欲しい、という気持ちで発言しています。
発達障害の重度ですが、ASなら自閉度と考えてもいいとは思います。
出る杭は打たれる
出すぎた杭は打たれない
これは日本人の多数派の取る行動を良く表していると思います。
私くらい重度だと、奇人変人には見られますが、いじめの対象にはならず好奇心の対象になってしまうようです。
軽度の場合、私から見ると同類だな、と思うような人でも、多数派からも同類だな、と見られて違う部分をつかれていじめの対象になってしまったりします。
いろいろな人を見てきて、そうは間違っていないと思いますが、このあたりはぬまおさんにも聞いてみたいところです。
私よりは軽度であるが故に別の苦労をしてきているように見受けられました。
ぬまおさん
>妻は、変わらないことに安心する、予定変更は許せない、手続きに細かくこだわる、情緒的交流が難しい、というまさにそれです。自分の携帯電話を真っ二つに折って、連絡先が分からないからもう、誰にも連絡しないとか言ってたよ。
うーん…ジャイアンAC(依存型含む)の特徴にも当てはまりそうですね。
あと、ボーダーっぽいASにも。
ぬまおさんの前で「これ見よがし」に携帯折った気もするし…
まぁ、コメントからでは受動・孤立・ADHDの何れかと断定するのは難しいですね。
そばにいるぬまおさんの判断が一番的確でしょう(^-^)
m2さん
私がこれまで関わった受動型ASの人達は、確かに社会には適応しているかもしれません。
でも私が「柔軟性」と「協調性」があり、意外と「頑固」だと思ったのは、あくまで表面的な「外」の顔です。
「内」の顔は、身内を支配し、支配された方は身体症状に悩まされている、また、受動型の特性から、自分がASであることを受け入れないので診断もせず、身体症状に耐えながら多数派に合わせ続けている。
(続きます…)
(…続きです)
確かに私は、m2さんの言う「社会に適応できない受動型AS」をほとんど把握できていないと思いますが、逆に「社会に適応し過ぎて苦しんでいる受動型AS」ならよく見ているつもりです。
大人になってからの診断は自己責任ですし、勧めても受け入れないので放置してますが、子供の頃から発達障害と診断して貰い、受け入れさせる事は必要だと思いました。
m2さんは、社会に適応している受動型ASはこの場で考える必要が無いとお考えですか?
私は、本来のASらしさを失わずに、最低限社会に適応して貰えれば良いと考えてます。(もちろん障害の重さ等によって、無理なら諦めざるを得ませんが)
その為に、周囲の人間が受動型ASとどう接して行けば良いのか、このブログで学ばせて貰っています。
私は社会に適応できないニートや生活保護者の受動型ASは、自分が発達障害だと気付かないまま多数派の価値観に合わせ、過度に適応し過ぎて悩み苦しんだ受動型ASの成れの果てではないか?と考えます。
(秋葉原事件の被告は、苦しみ抜いた末、逃げてニートになることも許されず追い込まれたのではないかなと)
なんか偉そうな事を言ってすみません。
m2さん
発達障害の重度についてですが…
中々難しいですね。
おそらく私の周囲の受動型ASは「軽度」になるのかな。
m2さんのコメントを読むと「人を近くに感じすぎて人に振り回される」という特性を、あまり感じませんね。(ぬまおさんはバッチリ感じますが)
そうですね、ぬまおさんのご意見を聞いて比較してみたいです。
あと、先程は言い過ぎてすみませんでした。
社会に適応できない受動型ASについて、考えてない訳ではありませんので、誤解しないで下さいね。
ぬまおさん
いえいえ、こちらは情報提供したまでです。
それにしても、携帯電話を真っ二つにパキッと折るなんて、なんて豪快な!
ADHD的には携帯電話はお金がかかるんよ? と思ってしまいますが・・・即物的、現金
そして受動型ASのぬまおさんはデータに着目している・・・
そういえば、孤立型ASのエントリが少ないことに気が付きました。そして、AS-ASカップルについても、受動型AS-積極奇異型ASカップルについては書かれてあるけれども、受動型AS-孤立型ASが書かれていませんでしたね。ぜひ、そのあたりは先生に書いていただきたいものですね!
Paul Carpenterさん
>あいたた。全体像を把握できるほうがいいに決まってると自惚れてでかい態度をとるのがすべてのトラブルの原因かもしれませんね。
そうなんですよね。私もよくやります。ここでコメントを読んでいると、自分も含めてジャイアンの傾向だなぁと思うのです。今は長年の依存型から合理的への移行期で、自己突っ込みが強く出ています。強迫的にもなっているので余計に見えるのだと思います。自分の衝動性にブレーキをかける、そのためには情報を丁寧に追ってみていくこと、それが何を意味しているのか、衝動で返したらどうなるかを考えること、だと思います。思考の点検ですね。そうなると、全体像を把握できる強みが、独りよがりでなく全体の利益のために活かされる、と考えます。行きつ戻りつ、ですが。
さーこさん
>おそらく愛着相手(ADHD母)への攻撃行動だったと思います。
ASとADHDの攻撃行動には違いがありますね。思春期は脳の変化により不安定になりやすいのですよね。けが人がでなくてよかった!
さーこさんには感覚過敏があるのですね。適応のためにさまざま訓練をされてきたのですね。そして、アロマテラピーやマッサージができるようになった。過敏性を強みにしていますね。きっと相手が心地よくなる方法を、その過敏性を活かして研究されたのではないかと思いますσ(゚ー^*)
m2さんの質問を受けて、初めて自己分析というものをしてみました。いつも妻の分析ばっかだったからなぁ。今までは考えたことそのまま書いてたけど、ちょっと分析してみます。まず、妻は普通に異常なほどこだわるけど、自分は全くこだわりがありません。ここはm2さんも同じかな?家と外の二面性があるけど、普通を演じているのは家の中だけ。外では素でいます。理由は、外ではちょっと変わった人で通っているため、親を心配させないためかな?これまでのコメントでも分かると思うけど、人にあまり依存しないで、自分で解決しようとしています。
なら、何でニートになるんだろうと考えてみました。自分は小学校の時、長期休暇の後、一週間ほど登校拒否になるということを何度もやっていました。何で登校拒否になったんだろうと思い出してみたんだけど、とんでもないことが分かりました。小学校の時、学校に行かなくなったのは、単に「面倒くさかったから」です。それ以外にありません。親の気持ちを試してやろうなんて考えたこともなかったです。親にはお腹が痛いとか、頭が痛いとか嘘をついてたなー。面倒くさいなんて言い訳は通用しないのは分かっていたから誰にも言わなかったし。何で学校へ行くようになったかというと、家で一人でいてもつまらなかったから。親は学校へ行けとも何も言わなかったけど、当時はインターネットも携帯電話もテレビゲームもない時代だったからだと思う。
続きます
いじめられてた時期とか、友人関係にトラぶったりとか、学校で大きな失敗をした時なんかは一生懸命学校へ行っていたのに、何も問題がない時にそうなりました。ってことは、問題認識が原動力だけに、問題が起きていないと受動型は究極の無気力状態になって、全てがめんどくさくなるんじゃないか?無気力になることに結構、自分でも危機感を感じていたため、中学時代に不良仲間と遊ぶことで自分から問題に首を突っ込んで自我を保っていたかもしれない。m2さんも、もしかしたら、深層心理では同じような動機で職場に異動届を出しているかもしれないなー。
受験勉強も、もしかしたら、本音は面倒くさいからやらないだけなんじゃないのー?後付けの自分だけに通用しそうな言い訳を考えて。結局、m2さんも自分も結構、問題を抱えていたからこそモチベーションが保てているんじゃないかと思う。安定した生活は、受動型を究極のダメ人間にするかもしれない。
もし、不登校になった当時、インターネットやテレビゲームがあって充実していたら、と思うと、考えただけで怖いよ。学校に行かなくなり、親が騒ぎ出して家の中で問題が発生したら、きっと家の中での問題解決のために活性化して、不登校を続けることの正当性を主張したりして、親とのバトルで自我を保つことになりそうだ。自分が家庭に問題が多い妻とあえて結婚したのも、もしかしたら自我を保つための本能的な行動かもしれないぞ。
どうすればいいんだろう?簡単に解決できないような大きな問題や、簡単に叶わないような大きな目標を持たないと、自分のように小さな問題に次々と首を突っ込んで満足感を得るような人間になっちゃうかもしれないですね。受動型は困難な状況に突っ込むしか、社会に適応させる方法はないんじゃないでしょうか?
道産娘さんとは表現こそ違いますが、大きく見ればそう大きなズレは無いように思えます。
「社会に適応し過ぎて苦しんでいる受動型AS」はちょっとだけ表現を変えさせてもらって、「多数派と同じやり方で社会に適応しようとしているが、微妙にうまくいかずにもがき苦しんでいる受動型AS」は確かに存在すると思います。
表面的には適応しているようにも見えるので、そのような表現になるのでしょうが、社会適応はできていないので自閉圏の中の人を苦しめている、というのが私の解釈になります。
これって、まさに私が軽度の受動型ASが苦労する、と言ったタイプそのものです。
多数派と近いので、多数派と行動まで同じようにしようとして、微妙に違うため多数派からはじかれる。
道産娘さんの意見と一緒で、このタイプこそ一番救わなければいけない受動型ASのタイプと考えています。
受動型ASに過保護は禁物です。甘えるだけ甘えることになります。
例え以前苦しんでいたとしても、現在苦しんでいないで甘えている受動型ASに手を差し伸べても何もいいことは起こりません。期待に反する行動を取られるだけです。
受動型ASは欲が無いので、金も名誉も友人も何も無くても幸せを見つけることができるんです。ニートでも食べることに困りさえしなければ、本人は案外幸せなんですよ。いくら周りから手を差し伸べようと、その状況の中では、絶対に苦労をしようなんて思われないです。
人は近くに感じるのは極端に強いと思います。
そのため、極端な自閉にならざるを得ない、ともいえます。
人に振り回されるのは気持ちいいですけど、ぬまおさんのように能力的に家事や育児をこなせないので、振り回されるにも限界があるという感じです。
みさん、どうもありがとうございます(*^-^*)
私がしているのは、リラックスやリフレッシュといった、身体や精神の恒常性の維持と促進を目的とするリラクゼーショントリートメントなので、マッサージとは異なるのですが(あはき法に触れるため一応解説)、うれしいです。
しかし、QOL(生活の質)の向上、という言葉が出てくるのですよ。
私に実技を教えてくださった先生の一人は、ホスピスに出向いてトリートメントをした事があるとおっしゃっていました。
手技が速すぎて不快になる人はいるけれど、遅すぎて不快になる人はいない、と別の先生からも教わりました。
私の長所は、ゆっくりで丁寧なところなのです。
私の手は小さくて、手のひらの肉付きも程よくある感じなので、おそらく向いている、と思っているところですよ(*^-^)
ぬまおさん、少し遅く生まれていたら確実にニートだね。
私もそうかもしれないのだけど。
やっぱり受動型AS同士は理解はしやすいね。
やはりASの重度なのが役に立っていたっぽい。
私くらい重度だと、社会に出た時になんらかの問題は起きる。
だから不登校にならなかったのか。
面倒くさくて学校に行きたくない、という気持ちになったことはある。
今でも長期連休明けはきついので、1/4は喜んで出勤した。
9連休で、どこにも行けないなんて状況を作ってしまうと本当に会社に行きたくなくなってしまう。
私の意識だと、平和な時は自分の出番はない。お茶でも飲みながら悠々自適に暮らすしかない。混沌に陥った時こそ、自分の出番だ。
高度経済成長時代に生まれていたら、普通の物知りのおじさんで終わっていたと思う。
坂本竜馬がいない、と人は言うけど、今の世の中でもいるんだよ。
ただ、時代が必要とした時に初めて理解される。
自民党に期待を求めるようじゃ、まだ理解される状態じゃない。
民主党でダメ、自民党でダメ、第三極でやってもダメ、誰がやってもうまくいかないことがわかって初めて、坂本竜馬が評価される時代になる。
年齢的に坂本竜馬は苦しいかなと思うが、勝海舟くらいにはなれるかな? とは思ってます。そのためにもここで勉強しないと。
今は会社内で誰も解決できない問題が回ってくるので、仕事はとても楽しい。うまく行った時の充実感は半端無い。
女性も平凡な人はありえない。能力が高くて、いろいろやらかしてくれる人こそ最高だ。まだまだ試行錯誤中。今の相手でうまくいかないと結構厳しいな。
>自分は小学校の時、長期休暇の後、一週間ほど登校拒否になるということを何度もやっていました。
これは変化の苦手なASの特性からじゃないですか?
長期休暇で「内(家)モード」→「外(学校)モード」に切り替える際、強いストレスがかかるからじゃないですかね。
私の身内に、週末と週明けに腹痛起こす受動型が居ますよ。
>表面的には適応しているようにも見えるので、そのような表現になるのでしょうが、社会適応はできていないので自閉圏の中の人を苦しめている、というのが私の解釈になります。
ニートは居ないのですが、愛着相手の言動に左右される?ように問題行動を起こす受動型がいるので、気を付けてみてます。(前記事にコメントあり)
ちょっと気になる家族がいるのですが、5人家族で1人(ジャイアンAC)を除いて全て受動型なんですね。
以前「AS同士は妥協できない」という記事で「積極奇異vs受動だと、愛着の弱味から積極奇異が潰されてしまう」とありましたが、受動型同士だとどういった感じになるのでしょうか?
私が見る限りだと、お互いに「支配・服従」の極端な関係になり、力の弱い方が服従する形になる気がします。
(続きます)
(続きです)
例えば、男と女なら女が服従、親と子なら子が服従(思春期以降逆転するケースもあり)といった感じです。
積極奇異は「外」でこだわりを主張している分、愛着相手に合わせることができるのでしょうが、受動型は「外」で多数派に合わせている上「内」の中で服従している状態だとかなりのストレスですよね?
実際、服従状態の人は身体症状(仮面鬱診断)と躁鬱っ気があります。(突然キレることもあり)
この人がm2さんやぬまおさんとどう違うのか分からないのですが「内」での愛着との関係も、不適応の原因なのかな?と考えてます。(逆に「支配」の方は、m2さんの言う「甘やかす」ことに繋がるのかな。)
ぬまおさんもm2さんも「ちょっと変わった人」や「奇人変人」で通してたってことは、二人とも重度になるんですかね?
ぬまおさんの「いつも妻の分析ばっかだったからなぁ。」「中学時代に不良仲間と遊ぶことで自分から問題に首を突っ込んで自我を保っていたかもしれない。」「親が騒ぎ出して家の中で問題が発生したら、きっと家の中での問題解決のために活性化して、不登校を続けることの正当性を主張したりして、親とのバトルで自我を保つことになりそうだ。」
なるほどなぁ。問題に対する分析が、受動型ASが得意で原動力とするところなのですね。机上の与えられた決まりきった問題を解くよりも、より生活に密着した問題への分析に興味を示す。受験勉強は無意味と考えるのも、この分析能力が発揮できないためかもしれませんね。
ぬまおさんの「もし、不登校になった当時、インターネットやテレビゲームがあって充実していたら、と思うと、考えただけで怖いよ。」、m2さんの「ぬまおさん、少し遅く生まれていたら確実にニートだね。私もそうかもしれないのだけど。」
これが現実の問題で、不登校の子には受動型ASが多いと思います。家に引きこもってインターネットやゲームに没頭する。そこでは分析能力が発揮できるからだと思います。バーチャルな世界での問題解決に没頭していても、そこから社会に適応できるスキルを学ぶことはありません。とくに高校生、大学生と社会に近くになるにつれ、社会の問題も見えてきます。そこで、社会問題に対しての発言が多くなる。自分の社会適応はそっちのけで、社会が悪いんだ、となってしまう。
と書いたところでふと、インターネット業界、ゲーム業界にはASが多く働いており、子どもたちに提供するそれらを開発しているのですよね。子どもが飛びつけば商品は売れるから、どんどん開発する。市場原理で動いているので、それは止めようもできないことです。さて、では、不登校になった受動型ASの子たちがインターネットやゲームの世界に没頭することから学校社会への適応へ導くには? m2さんが以前話された、親のために学校に行ってほしい、と説得することが一番なのでしょうね。
多分、受験勉強をしない現在の受動型AS受験生は、バーチャルな世界に没頭していることが多いのではと思います。ここがm2さんやぬまおさんの受験生時代とは違うところで、現在の受動型AS受験生のほうが受験勉強に向かい難くなっているのではないかと思います。
道産子さん
受動型同士は問題解決のために組めば最高のパートナーになると思うけど、お互い待ち受けなので、仲良くなる可能性は低いと思う。受動型同士が結婚したりしたら、何か問題を抱えていないと無気力夫婦になってしまいそうだ。自分は軽度だと思う。内モードと外モードの切り替えにストレスは一切感じてないかな?悩まないので、ストレスもあんまりないよ。
みさん
たぶん、受動型ASの受験生が勉強しない理由は、「面倒くさいからやらない」で、医者になってたくさんの人を助けたい、友達と同じ学校に行きたい、とか明確な目標を持つモチベーションの高い人は勉強すると思います。そういう目標がない人は、将来金持ちになりたい、会社で出世したい、そのためにいい大学に入る、という考え方はできないので、親から「将来困るよ」と言われてもピンとこない。別のモチベーションを与えるしかないと思う。
ニートをやめさせるためにパソコンやゲームを取り上げても、返してくれるまで暴れたりするだけだと思う。自分の場合、妻が目の前で発狂したところを見たのが衝撃的で、一瞬で問題を認識したから、親が狂った演技をしてパソコンとゲーム機を壊してしまえば、ことの大きさに気付いて学校に行くようになるんじゃないかな?一番いいのは、子どもが学校を休む時、パソコンとゲームをやらせない、親が会社を休んで近くで見守ることだと思う。学校へ行くようになったら、やらせてあげればいいね。
m2さん、受動型AS以外の人は理解できないかもしれないね。受動型は、いじめられていた方が健康に暮らせることとか。
実は自分も休日出勤して休みなく働いているよ。二日も家にいて何もしないでいると、会社に行くのが面倒くさくなってしまう。
>平和な時は自分の出番はない。お茶でも飲みながら悠々自適に暮らすしかない。混沌に陥った時こそ、自分の出番だ。
なんか分かるよ。その気持ち。勝海舟目指してがんばってくれ。
問題の多い女と結婚して波乱に満ちた家庭を作ってください(笑)
受動型ASと診断された者です。
中高一貫の受験校に行き管理された生活で縛られたおかげかそこそこの私立工業大学に入りました。入れましたではなく入りましたです。つまりそれほど努力らしい努力をせずに入ったという印象です。
そこからは自己管理ができないことに気づかないまま一人遊びに興じてるうちにどうしようもなく行き詰ってしまったわけですが、幸い多くの方からの助けを借りて再起を目指してるとこであります。
ここでの皆さんの書き込みを読んでて気づいたのですが、自己否定に陥ったり、自分の現状を親とか他者のせいにする(してきた)「自分の」行動のきっかけがどうも、他人の成功体験と自分の現状との差異に対する嫉妬のような気がしてきました。
特にm2さんの書き込みは自分の腹をえぐられるようで苦痛に感じ始め、途中でギブアップしてしまいました。
人を避ける、他人のアラを見つけては口に出す、他人の幸せに興味を持てない(持たない?)などの心理がそういうところから来てるのかなと思い始め、自分の行動の判断基準がやはり他者との比較の結果であることに気づかされました。それは嫉妬だけではなく見下しの説明にもなります。
つまり自分が好きなことをしててそれが上手くいっててちゃんと結果が出てる時には、受動型ASといえども周囲と折り合いをつけることができて前進し続けることができるということです(でした)。
思えばある時期からの自分は成功するための方法論を探してて、その間は努力を避けてチートに頼ろうとしてたような気がして、その辺りが自分にとっては間違ったやり方だったのではと再認識できた気がします。つまり(他者から)遅れてる自分を一気に加速させようとして無理してたのかもしれませんが、それは間違いじゃなかったのかということです。
ROMで済ますつもりが我慢できずに書き込むことにしたのも自分が自分の考えを整理するためであり、これからの行動の方向性を自らに気づかせるためであって、決して他の方の書き込みに意見することを目的にしてるわけではないと理解していただければ幸いです。
失礼しました。
ぬまおさん
お返事ありがとうございます。
ぬまおさんも「別のモチベーションを与えるしかない」というお答えですね。
>ニートをやめさせるためにパソコンやゲームを取り上げても、返してくれるまで暴れたりするだけだと思う。
イメージできます。ただ、親がくるった演技をして破壊行動をするのは非言語的な方法であり、教育的な姿勢ではないので、パソコンとゲームをやらせないなど、親がお子さんに動じない姿勢を一貫してとることが大事かなと思いました。
受動型ASが「自己責任」で自らものごとに取り組めるようになるには窮地に陥らせることだとわかりましたが、どうやら社会に出る直前でないとその場面は訪れないのだろうなと思ってしまいました。つまり、就職活動という場面がとても重要でその後を左右することになるため、その時期に親は覚悟を決めて対応しなければならないのだということですね。
ありがとうございました。
自ら問題行動を起こして周囲を振り回す受動型、ぬまおさんのように振り回されながらも問題解決に奔走する受動型、一番になることで周囲から頼られる受動型…共通しているのは皆「周囲からの強い(大きな)リアクションを求めて、行動を起こす」ということでしょうか。
>自分が好きなことをしててそれが上手くいっててちゃんと結果が出てる時には、受動型ASといえども周囲と折り合いをつけることができて前進し続けることができるということです
toriさんのコメントを読んで、自分の趣味(こだわり)に夢中になっている受動型の友人を思い出しました。
(その他に「普通へのこだわり」もあるのですが、体が弱いので必然的に自分の趣味や愛着を優先させ、外では人に執着しません。もしかしたらこの人は重度かもしれませんね。内と外をきっちり分ける印象がありました)
ぬまおさん
近い受動型同士は「(お互い)相手を動かそうとすることに対し、妥協できない」のかもしれませんね。
一見会話が少ないのに、突然感情をぶつけ合う…という印象があります。(受動対ADHDだと口喧嘩が多いですが)
離れるのが一番ですね。
ぬまおさん、貴重なご意見ありがとうございます!
この休み中、気仙沼から宮古まで自分の目で確認してきました。
この状況の中で、医者や政治家にならなければいけないと思い、自分から勉強するようになるような受動型ASの子供はいるだろうなと思います。
自分で見るとわかるのですが、復興の進んでいる地域と何もない地域で大きな差があります。
受動型ASの子供には現実の体験をさせることこそ大切だと思います
。今は被災地バスツアーもあるので、被災された方々の生の話を被災前後比較しながら聞けます。報道とは比べ物にならない理解ができると思います。正しい現実の姿を理解させる上で、震災はいい材料だと思います。
自分のことは棚にあげて、社会批判しかしない昔左翼、今ネット右翼は基本受動型ASでしょう。
あそこまでいったらもう簡単には治りません。
歪んだ形で自分の形ができてしまっています。
そうなる前に現実というものを理解しないとダメということになります。思ったより厳しい道ですね。
ある程度依存が進んだ状態で「危機的状況」を与えても、きっともう手遅れなんですね。
ここまで行ったら、警察沙汰を覚悟するか専門機関に相談するしか無いだろうなと思います。
私はm2さんの被災地を確認したコメントを読んで、本来の優しさを感じました。困っている人を何とかしたい、困っている人に何か貢献したい、そう思うのは自然な人間の感情です。それが、受動型ASや依存型ジャイアンの特性に隠れてしまい、また、他者からは目くらましのように見えないようになっているのだと思います。
>受動型ASの子供には現実の体験をさせることこそ大切だと思います。
m2さんのコメントのなかで、机上の勉学ではなく、生きていくのに必要なスキルを学ばせることが必要だと言っていたことの真意がここにあるのだと思います。とかく愛着相手に依存しやすい特性に、依存から発せられるのではない自らの意志により発する言動を育むこと、これが大切だと思っているのだと思います。
受動型ASは(表面的なADHDは)メディアから垂れ流しの情報、とくに操作された情報に流されやすく、それをもとに言動することが多分にあります。事実を確認し、そこから分析していく、その過程が大切だ、ということではないかと思います。その考えは、おそらく仕事上で求められ、それを遂行してきたという実績に基づいているのだと思います。
と書いていて、「感受性」という言葉を思い出しました。ASでも自閉程度や養育環境に加え、感受性の程度が個々に違うだろうな、そんなことを感じました。もちろん、ADHDでもADHDの程度、養育環境、そして感受性が違うと感じます。感受性は性格特徴に影響を与え、それぞれの発達障害の特性に大きな影響を与えているのだと感じます。養育環境だけでは片づけられない何かがある、そういった感じです。
上記の発言は遺伝形質によるものと限定して捉えられがちですが、私の言いたいことは違います。一見矛盾しているようにも受け取られると思いますが、違います。遺伝形質による発現はどうにも避けることができない事実と、その発現によって養育環境などの環境に相互依存すること、その個のもつ感受性がどの方向に伸ばし伸ばされ、どの方向に抑制し抑制されるのか、それによってさまざまなバラエティがあるのだろうと思ったからです。
一時、レディネスやレジリエンスを調べてきましたが、成長神話に彩られた部分があります。社会の流れに規定される、あるいは逆らえないといったものがあります。成熟社会において必要なことは何かを考える視点は、とくに少子高齢社会を突き進む第一の国として責任を負っているのですが、それを自覚するには至っていないのが現状です。
この後は、今はうまく説明ができませんが、多様化をナショナリズムで対応するのでなく、というのを多数派少数派といった区別を国対国という考え方でなく、ADHDやASという概念や特性でなく、というのを関西か関東かといった文化圏で対立するのでなく、自分とは違う文化圏の人を理解する、たまに対立する、でも同じ生活圏にいる存在だ、ということを受け入れ、受け入れられるといったことを、成熟社会というのだと思います。
意味不明ですみません。
ADHDは「すぐに忘れる」特性ゆえに「再インストール」という方法で「合理的思考」を身に付けられる。
すぐに忘れて自己正当化してしまうので、中々継続できず衝動に負けてしまうこともありますが…
ASは「記憶力が良すぎ」て忘れたくても忘れられず、変化に順応し難い上、身近な人に依存的になりやすいため、幼少期に「近い相手」の影響を受けやすく、大人になってもその人の考え方や行動パターンを通す…と考えてます。
(受動型の場合は、外では外のスタイルを通すでしょう)
>歪んだ形で自分の形ができてしまっています。
そうなる前に現実というものを理解しないとダメということになります。
m2さんのこの発言は、袋小路ではなく適切な発言だと痛感しています。
ぬまおさんのように早いうちから100%の庇護を諦め、内と外の境界線をぼかし、外でもこだわり(素の部分)を出すようにするのが一番良い方法なのかなと思ってます。
そのために周囲の人間の対応が重要ということでしょうか。
依存させたくない理由の1つに「自分で考え、選択させる自由を奪ってしまう」からというのもあったのですが、これはADHD寄りの考えでASは望んでないだろうと今は思います。
>正しい現実の姿を理解させる上で、震災はいい材料だと思います。
「材料」って言い方がASらしいですね。
(以前の自分なら突っ込みを入れてたでしょうが、今は慣れました)
「(五感を使い)細部に渡って調べ尽くす」ことで新たなデータを蓄積させ、それを判断材料として用いることができるし、世界観も変わるでしょう。
ADHDとASは、仕事等でお互い足りない部分を補うには良い相性だと思います。(実際、ASの管理能力の高さによく助けられてます)
ただ、親しくなりすぎると腫れ物に触るような接し方になりプレッシャーを感じるので、ADHDの方が合理的で居続けないと、双方健康的な状態を保つのは難しいでしょうね。
m2さんが急にこのブログに戻ってきたのも、ADHDの私がASに対し好き勝手に発言してたので「この場を丸く治めたい(支配・コントロールしたい)欲求」に駆られたからだと思います。(コメントの最初の方にもそんな人がいました)
それが「ASらしさ」なので受け入れてあげるべきなのか迷いましたが、それで私が黙って引き下がるのは違うと思い、コメントし続けたのですが…AS同士の方が率直な意見を言いやすい気もするのでしばらく黙ってようかな。
道産娘さん
m2さんがこのエントリにコメントされた動機が、2013.01.26 11:22のコメントに書かれています。先生のエントリは受動型ASには理解できるがそれ以外の人には理解できないだろうと思い、社会適応している受動型ASのサンプル数が少ないため、m2さん自ら成育歴を公開し、理解を深めてほしいとの気持ちがあってのことです。
そして、
>それが「ASらしさ」なので受け入れてあげるべきなのか迷いましたが、
受動型ASに関するエントリですので、ADHDが率先してそれについてコメントすることは「しきりたい」欲求だと思います。このエントリは先生の受動型ASへの理解のため、ひとつ前のお願いとともに先生の見解を示したものです。ADHDはASではありませんから、ASについてはASの方に聞くことにより理解が深められます。先生は診療で多くのASを診ていると思いますが、自身がADHDであることから謙虚にASの方の意見を聞こうとしているのだと思います。先生は、多数派においてもADHDの私から見て理解していることは、、、といった書き方をされています。つまり、ADHDであることの自覚と立ち位置を明確にして話を進めています。思い込みを排除し的確にとらえていくには、謙虚になり率直に聞くことが大事だと思います。
道産娘さんは、ASのことをよく理解されていますね。
私もASの一番苦労するところは、記憶力が良すぎることだと考えています。
嫌なことも忘れられないので、十分準備してから足を踏み出さないと悲惨なことになります。
瞬間的な変化は苦手なので、周りの状況を全て分析して把握してから行動する、長期的な変化があっても全て想定しておく、これが「受動」の行動の根本です。
ただ、私は久しぶりにここを見て、テーマが面白そうだったから書き込んだだけで、それ以上の意味は無いですよ。
受動型ASはASだけの環境は余り好みません。どうしてもASだけだと、男性多数派(私の定義では男性多数派は軽い能動型AS)である積極・能動ASの世界になってしまいます。
また、ADHDの発想により、死角に対しての思考が進みます。
まさにこのテーマは死角だったのです。
私が受験勉強をしなかったのは、受験というモデルが「正解が必ず1つだけ存在する」という現実には絶対といっていいほどありえないモデルであり、そのモデルを拒絶したからです。
これは、中学の時に既に意識していました。
ただ、そんなことを言っても、屁理屈に受け取られるだけなので、話はしませんが。
これは今思っても正しいと思うし、受動型ASが「受験」という制度に対して疑問を持つのは正常だとも確信しています。
反社会的行動を取る受動型ASがいるのは事実で、実は受験勉強をする受動型ASは存在し、それが反社会的行動の原因ではないか? と仮説を立ててみました。
反社会的行動の受動型ASで、まず社会を批判しかしない例が出ましたが、これは可愛いもので、オウム真理教を思い浮かべました。
当時、科学省の面々は何となく理解ができたのです。
いろいろ評論されていましたが、学歴のある面々がなぜそのような行動を取ったのか? 納得の行くような説明は誰もされていないと思います。
もし、受動型ASが「受験」のモデルを現実のモデルと思い込んだら・・ 大学受験までは、受験モデル=現実モデルという生活もありえます。特に男子校で勉学以外の世界がなければ、そうなります。
大学卒業後に従来信じていたモデルが現実では通用しない状況に直面したとき、「尊氏の教えのみが正解」というモデルは現実のモデルより受け入れやすい、と思います。
積極奇異型は、中心志向で多数決も重視するため、正しいと思っても異端には行かないが、受動型の場合悩んで一旦決めたら少数派でも突っ走ります。
ADHD-ACを支配するパターンもこれで説明がつきます。
現実世界に適応する回答をADHDは持っています。
「困ったときはADHDの相方に答えを求める」というのは、ある意味正解です。それがなくなると困るので、ACを支配する構図が成り立ちます。
現実モデルに適応することよりも、ACを支配することにより現実に適応できるのであれば、受動型ASにとってはそちらの方が簡単です。
私にとっては、どちらの行動も受験勉強で歪んだ現実認識を持ってしまったことの延長線上にあるように見えるのです。
とにかく、受験勉強に強烈な拒否感を持っていたのは事実です。
でも、そのような感覚を持つ方が正常で、持たない方が異常、そう思いませんか?
みさん
「仕切りたい」訳ではありませんけどね。
あくまでADHDの私の目線からASを語っていたので、違うなら違うと反論して欲しいと思ってました。
まぁ、私もジャイアンなので実際は分かりませんね。
みさんがそう思うなら、それで良いと思います。
m2さん
中々難しいですね…
入試に対しては、成人するまでの「通過点」ぐらいにしか思っていませんでした。
当時はやりたいことも無かったので、将来の事は高校に入ってから決めれば良いと思ってました。(不登校気味だったので、勉強よりも出席日数の方が心配でしたね)
私はジャイアンでも、権力欲はあまりなく「普通」に多数派に適応できれば良いと思ってたのですが…まぁ、それが一番難しかったです。
「反社会的行動」というのは、何となくイメージできます。
ASの方々と同じように「社会を相手取って」考えるのはちょっと難しいですが、秋葉原の事件にしろ、オウム信者にしろ、自殺する生徒にしろ、私は(1人の人間として)その人達が何を考えてそういった行動をとるのか、思いをはせることがよくあります。
その結果(全て一括りに考えるのは良くないですが)「視野が極端に狭くなり、他の可能性が考えられなくなったから、そういった行動に出るのでは?」と思いました。
多数派やADHDでも、閉鎖的な環境下で追い込まれればこういった行動に出るかもしれないので、一概にASの特性が原因だとは言えませんが…
よく「集団心理」とか「マインドコントロール」とか、聞いただけで動悸や強い不安に襲われることがあるのですが、発達障害者はそういったものにかかりやすいのかもしれませんね。
そういった理由もあるため、m2さんの「(受動型ASは)子供の頃から正しい現実の姿を理解させることが必要」という考えには共感できます。
>私は久しぶりにここを見て、テーマが面白そうだったから書き込んだだけで、それ以上の意味は無いですよ。
そうでしたか…
m2さんがコメントした辺りから他の受動型ASの方々のコメントが増えた気がしたので、(空気的に)当事者同士の方が率直な意見を交わしやすいのかな?と思ってました。
>ただ、そんなことを言っても、屁理屈に受け取られるだけなので、話はしませんが。
ここは気になりますね。ADHD流の屁理屈とどう違うのか。
追突事故を起こしてしまい、散々な二連休でした。ようやく事故処理が終わったよ。
道産娘さんも、みさんも、m2さんもよく勉強してて、自分はまだまだ知らないことだらけだと勉強不足を感じるよ。コメントに気付かされることも多く、ありがたいです。
道産子さん
>ぬまおさんのように早いうちから100%の庇護を諦め、内と外の境界線をぼかし、外でもこだわり(素の部分)を出すようにするのが一番良い方法なのかなと思ってます。
そういうことだったのか、と今さら気付いたりして。小学校時代から中学校までは間違いなくACで、もう小学校低学年のころには親の庇護を諦めていたように思う。
m2さん
>私もASの一番苦労するところは、記憶力が良すぎることだと考えています。
嫌なことも忘れられないので、十分準備してから足を踏み出さないと悲惨なことになります。
二歳ごろからの自分の失敗体験を中心に自分にとって重要な出来事は、ほとんど映像で思い出すことができるよ。失敗体験を積み重ねてきたのがすぐに分かるね。いつでも過去の記憶に戻れるけど、フラッシュバック的なものではないと思う。
三歳のころ保育園で孤立し、勇気を振り絞って「一緒に遊ぼう」と、保育園のすべり台で遊んでいた近所に住む顔見知りの園児数人に向かって声を掛けたのに、「やだよ」と言われてショックを受けたという、自分から声を掛けて断られるという最初の失敗体験が残ってるよ。自分から声を掛けて失敗した出来事は、そのほかにもたくさん記憶にあるな。
驚いたことに、小さな成功体験もあるはずなのにほとんど思い出せません。m2さんの言う通り、失敗体験を忘れられないのが、全ての行動の原点にあるんじゃないかなー。自分から知らない人に話し掛けることは全く出来なかったけど、仲間と、まちでナンパをする中でだいぶ克服できたような気が・・・とても嫌だったんだけどね(^^;)。克服したとはいえ、知らない人ならいいけど、友だちなど身近な人に対しては今でも待ち受けになってしまう。失敗体験の質と量が、その後の人生に影響するのかな?人に話しかけて失敗した経験のない人はいないだろうから、受動型は同じような対人行動になるのかもね。
つづき
>瞬間的な変化は苦手なので、周りの状況を全て分析して把握してから行動する、長期的な変化があっても全て想定しておく、これが「受動」の行動の根本です。
それで問題が見えていないと対策の立てようがないため積極的に動けないわけか。受験勉強では明確な目標がないと、自分の現在の学力不足を問題だと認識できないのかも。自分の場合は中学時代は学力が目標レベルに達してて、高校時代は卒業したら近くの工場や小さな会社に就職しようと思っていたので、受験勉強をする必要がなかったんだね。面倒くさいからやらない、っていうのは多分、間違いでした(^^ゞ。
受験勉強をしない受動型の子どもにも何らかの将来的な見通しがあると思うので、まずは、現状で、どう捉えているかを知ることが重要かもね。自分と同じような考え方を持っている子に「いい会社を目指していい学校へ行け」というのは、親のエゴだね。学校でも家庭でも、もっと子どもが将来の職業について具体的に考えられるような本格的なキャリア教育が必要だと思う。
受動型の場合、ニートにも親が死んだり、現在の生活が破綻した時のための自分なりの構想があるんじゃないかと思う。何人かのニートになった子どもの親の話を聞いたことがあるんだけど、ニートだった子どもが今ではインターネットのホームページ作成代行、パソコンのセットアップや指導、オークション代行業など、パソコン関係の仕事で自立しているという、似たような話を二件聞いたよ。もちろん生活できるほどの収入はないんだけど、本人も親も、働いて少しでも収入が得られている状況に満足している様子。実は親の知り合いから仕事をもらっているようだ。困った時には趣味を活かして、そんな仕事をすることが前提にあるのかなーと思いました。困らないとやらないだろうけど。
食事をするのさえ面倒に感じる無気力感の正体は何だろう?受動型に限らず、発達障害者はみんなあるものなの?自分ではよく分からないけど、道産子さんの指摘する内モードと外モードの変化に関係があるのかな?
道産娘さん
>「反社会的行動」というのは、何となくイメージできます。
ASの方々と同じように「社会を相手取って」考えるのはちょっと難しいですが、秋葉原の事件にしろ、オウム信者にしろ、自殺する生徒にしろ、私は(1人の人間として)その人達が何を考えてそういった行動をとるのか、思いをはせることがよくあります。
いじめにしろ体罰にしろ、何で「反社会的行動」と結びつけ、「視野が極端に狭くなり、他の可能性が考えられなくなったから、そういった行動に出るのでは?」と思いました、といえるのかわからない。そうなる環境があったでしょう。その環境を作ったのは誰ですか。そのことに考えが及ばず発言することは、無責任のなせるわざです。
最近問題になっている部活動での体罰、これは紛れもなく教員の犯罪です。それを黙認した学校教員も同様です。見て見ぬ振りが、暴力に耐えられない弱いという考えが、このような事件に発展したのです。大津のいじめに関しても、教員が知っていたのにかかわらず見て見ぬふりをした。それがいったいなんで「反社会的行動」と結び付けられるのですか。自殺するにはもちろん、「視野が極端に狭くなり、他の可能性が考えられなくなったから、」という状況があります。だからこそ、その状況で助けようとする人が必要なのではありませんか。
私は暴力の中で育ちました。暴力の中で願うのは「この暴力から逃れたい」です。視野が極端に狭くなるのはもちろん、可能性が考えられなくなります。私は自殺していてもおかしくはない状況でした。なぜゆえに生き残ったか、それはジャイアンだったからです。正確には、ADHDで依存を身に着けたがために逃れられたのが事実です。自殺する術を知らなかったから生きるしかなかったのです。馬鹿だから本能で生きるから、生きてこられたのです。私は環境によってADHDになったのではなく、遺伝が大きいと思っています。
彼らは決して反社会的行動による自殺ではありません。ただ暴力から逃れるための手段として自殺を選択したのだと思います。貴方に何がわかるのですか。
あれ?
m2さんの話、受動型ASの想像力を紐解く鍵になりそうな気がするのですが…
>ADHDの発想により、死角に対しての思考が進みます。
なるほど、受動型の人はADHDに対してこんな感じ方をされるんですね。
「(対ADHDだと)考え方等の視野が広がる」ということでしょうか。
ぬまおさん
ASの特性について、ASは記憶力が良すぎて忘れることが難しいので、ADHDのように「上塗り・もしくは一旦消去して再びデータ入力」ができず、新しい情報を「次々と蓄積」させることになると思います。
色々な経験を積み重ねてデータ量を増やすということは「失敗経験」を積み重ねることになるし、それだけ「変化」も受け入れなければならないので、ASにとってかなりのストレスになるのかな?と(ADHDの私は)考えてます。
「得意分野を極める」のが一番良いと思うのですが、受動型の場合はそれを見つけて続けるのが大変ですね。
中には早くから得意分野を見つけて、二年のうちから塾に通うなどして準備をしてた受動型の知り合いもいましたが。
内と外のストレスについてですが…
受動型AS本人の話を元に判断すると、主に「仕事に行くとき・仕事を終えて帰宅するとき」に気分が憂鬱になるそうです。
帰宅してもボーッとして何もやる気が起きないとか。
身体症状が出る人もいれば、「予定調和」な生活を送っているだけでストレスが軽減される人もいるので、個人差はあると思います。(あと、以前ぬまおさんがコメントした「長期休暇」の話は、内と外のストレスというより、生活スタイルの変化によるストレスかもしれませんね)
そういえば、受動型の人って仲の良い人を家に招き入れるのが好きみたいですね。
外(学校や職場等)の知人を内(家)に入れて、自分の家族に会わせることで、内と外のストレスをぼかしてるのかな?と思いました。
(よく友達の親に車で送迎してもらったり、相手の兄弟も交えて遊んだり…逆に夏休みの部活中、自分の子供を学校に連れて来たAS顧問もいましたね)
関係無い話だったらすみません(-人-)
みさん
自分も小学校三年生の時にいじめに遭っているので、「この暴力から逃れたい」という気持ちはよく分かります。自殺も殺人も根は同じで、相手を消すか、自分が消えるか、どちらを選択するかだと思う。こればかりは一方的な暴力を受けた経験がないと理解は難しいかも。
自分の場合は受動型の特性からか、「問題を大きくして解決しよう」と考えて、まずはメンバーの一部を暴力で撃退する方法を試したところ、いじめがエスカレートしたため、これはチャンスだと思い、放課後の教室で10人ぐらいに徹底的にやられた日に、「よし、これで勝った」と思ったよ。全員が帰った後、自分を中傷した文や絵が書かれた紙を集めて黒板に張って、自分で自分の名前を書いて死ねとか、黒板に大きく書いて、教室の中に適度に争った形跡を残して帰りました。次の日は計画通り問題になり、関係者全員が呼び出されて、いじめが表面化して終了したんだけど、その後、親に連絡が行って、いろいろ聞かれたりしたのがたまらなく嫌でした。
問題なのは、その後の学校側の対応で、いじめに過敏になりすぎて、班長に自分が選ばれた時には、「能力のないものに班長を押し付けるんじゃない」と学級会議を開いて取り消すようなことを中学までやられたので、一切の役につかず小中学校時代を過ごすことになったよ。
反社会的な行動と、自殺や恨みによる殺人は別物ですね。反社会的行動も、自分がやったいじめ解決法も含めて注目を集めるための劇場型以外は、信じるものの違いによって起きているケースもあるので、反社会的かどうかは一概には言えないと思います。特に宗教関係は、信じるか信じないかに尽きるので、発達障害はあまり関係ないように思う。
私は、「受験」以外に忌み嫌うものがもう一つあります。「出世」です。
仕事の実力のみで判断されるような出世ならいいのですが、現実はそんなことは無く、権力者の意思・感情によって左右されるものです。
子供時代、生きるためのモデルは「受験」のモデルになります。
ASが有利なモデルです。なので、受動型ASが受験勉強をしなかったとしても、それなりの対応はできます。
ここの人も、ゲーム感覚以外での受験勉強をしなかったことは共通していますが、結果それなりの学校には入っています。
大学入学とともに、生きるための主流モデルが「出世」に変わります。
権力者の都合の良いように振る舞い、面子を潰すようなことをしない、ということが重要視されます。
これは中心志向が有利なモデルです。
積極奇異型AS(男性多数派)は、「受験」のASモデルから「出世」の中心志向モデルに何の抵抗もなく転向できるのだと思います。
一方、「受験」は対応できていた受動型ASは「出世」には対応できません。これが大学入学後につまずく受動型ASパターンのような気がしてきました。
我々のように、「受験」に疑問を持っていた受動型ASは、「出世」にも同様の疑問を持ち、マイナーではあるけれど現実として社会適応可能な「専門家」モデルで適応します。
受動型ASで成功する専門家モデルは、多数の役割を演じ分けることだと考えます。
相手の状況によって、演じる役割を変える。いろいろな視点から、生々しい体験をして、演じる精度や役割の種類を増やしていく、ということが大切です。
これは自分だけではできません。ADHD的な発想も必要なのです。
今では、組織の構成員がAS的な発想に偏ってしまった場合、ADHDを演じることもあります。そうしないと重箱の隅をつつくような議論になってしまい、結果として失敗します。
別の答えを提案すれば簡単にうまくいくのに、「受験」モデルの一つの正解に固執して、コミュニケーション障害に陥るのが受動型ASの失敗パターンの気がしてきました。
私は一つの問題に対して、基本複数の回答を準備しています。
ここの方はADHDとAS、中心志向のあり・なし、で全く価値観が異なるのは承知されていると思います。
複数の回答はどちらも正解なのですが、相手の価値観によっては不正解になるものもあったりします。
それを柔軟に使いこなすことが「受動型」の骨子ではないでしょうか。
だから、後だしになってしまうともいえます。
ということは、「受験」モデルからの束縛を解き放つことによって、社会不適合のASを救えるのかもしれません。
はじめまして。興味深く記事を拝見しております。今回の内容は感じることが多く、私のケースも参考になればと思い投稿いたします。読んでいただければ幸いです。
俺はたぶん、軽度の受動型ASです。受診していないため確たることは言えませんが、新しい物事に強く興味をいだく一方で不安感もまた強く、一歩踏み出すことを躊躇することが多くあります。その他諸般の事情から、受動型ASだろうな、と身勝手に自己診断しています。
俺の場合、親に言われるがまま小学校高学年で塾通いをはじめました。教わるのは自分にとって新しい物事ばかりで、通うのが楽しくて仕方なかったものです。ほどなく上位クラスで中学受験のための授業を受けることになりました。
とはいえ、この勉強やその先の受験が社会的にどのような意味をもつのかについては、周囲から何も言われていなかったこともあり、さっぱり理解しておらず目も向かない状態でした。中学受験の当日、プレッシャーやストレスを何も感じていない様子に塾の先生方が驚いていたと、大人になってから聞かされたくらいです。事実、受験も俺にとっては初めて出会ったイベント程度の認識でした。
そうして中学に入り塾通いがなくなると、成績が急降下。学校の授業は塾ほど惹きつけるものがなく、受け身の授業に慣れていた俺にとっては意義の薄いものでした。
中高一貫だったためそのまま大学受験近くまで勉強をまともにしていません。「勉強しないと困る」というのは、俺の場合、容易に想像つくものであり、一般論として大いに説得的な話ではありました。受験を経験していたからかもしれませんが、その経験は前述のとおりおよそ「受験」からは程遠い体験でもありました。
勉強をしなかったのは、ひとつには、勉強は降って湧いてくるものというイメージが強かったことがあります。勉強しろと親が言おうとも、心の中で鼻をほじってたように記憶しています。ほかに、俺の後に続いて受験することとなった俺の下の奴が、受験に際して兄と比べられるのはかなわんと泣いたらしいと聞いたことも影響しています。下の奴がダメな道もそうでない道も選べるように、ダメ兄貴としてダメ道を切り開いてやると思ったがためです。厨二病の一種かもしれませんん。
(続きです)
大学受験はテクニックを身に付けてどうにか乗り越えたものの、大学でもまともに勉強する気になれず、持込可のいわゆる「楽勝科目」以外は単位をとるのに苦労しました。選択の外国語では、その言語の単語をひとつも書けずにまったく別の話で回答欄を埋め、お情けで単位をもらったことさえあります。
個人的な話が参考になれば幸いです。
道産娘さん
「全面撤収」でしょうか。
「自己正当化型全面撤退」のエントリがあります。
「自分の主張が否定されたりした場合に、ちょっとでもうまく行かないと、「これ以上痛い目に遭いたくない」「はじめから自己主張なんかするからいけなかった」「もう何にも言わなければ良いんでしょ」というような半分逃げの入っている一方的「全面撤収」で、「もうそのことは考えない」と思考自体を放棄して忘れようとする面がある」
「いつも偉そうに上から目線で他人には厳しく高圧的なくせに自分が言われたときだけは弱っちく逃げを打つのは非常に(自分もそうながら)情けない姿であるが、この打たれ弱い小心者の姿が他ならぬジャイアンの本当の姿である」
受動型ASの依存に対しての意見が多くあり、また上から目線の発言が目立ちました。しかしね、ジャイアンは批判されると弱っちく逃げを打つのです。打たれ弱い小心者のジャイアンであることを自覚すれば、上から目線の発言は少なくなるはずです。
発言に責任を負ってください。批判に耐えられないなら簡単に思ったことを口にすべきではありません。合理的な衝動統制は、そういうことです。
>食事をするのさえ面倒に感じる無気力感の正体は何だろう?
無気力ということはないなあ。
食事が面倒と思うことはあるけど、自分の場合は動作性IQが低いため、純粋に身体を動かすことが面倒なだけだと認識してる。
後、欲が少ないということは食欲も少ないわけで、単純に食欲<身体を動かす面倒さ、だけじゃないかと思ってる。
若い頃と違って、今はお腹すくからなあ。
>いつでも過去の記憶に戻れるけど、フラッシュバック的なものではないと思う
ぬまおさんのような経験、私にもあるはずなのだけど、思い出せない。自分から話かける、という記憶は全然無い。
私の場合はフラッシュバック的なものが多い。
川で溺れて運が悪ければそのまま死んでいたであろうこととか、考え事をしながら歩いていて信号に気づかず歩いていることとか、「死の恐怖」にさらされたものが出てくる。
成功体験は結構思い出せる。さかのぼれても中学生くらいまでだけど。
記憶の良さに左右されることは共通だけど、どのような記憶が思い出せるのか? は人によって違うみたいだ。
みさん
「全面撤収」
「自己正当化型全面撤退」
あなたにはそう思えるのでしょう。
なら、そう思って下さって結構です。
m2さん
なかなか受動型の根本的な部分を見抜くのは難しいねー。人によって個体差も大きいみたい。m2さんが言うことはほとんど理解できるけど、全ての受動型に当てはまるか、ということになるとどうだろうか、と感じる部分もあるし、やはり、共通している受験勉強をしないことに注目することが糸口になるのかなあ。
>私は一つの問題に対して、基本複数の回答を準備しています
これはよく分かる。仕事などで、一つの回答に固執した意見を主張している人を見ると、言わなくてもいいのに「一概に言えない」と別の見方を示して、トラブルになることもあるよ。そこがジャイアンを怒らせる原因か?
>「一概に言えない」と別の見方を示して、トラブルになることもある
言うとその場でトラブルになるけど、言わないと後で大きなトラブルになるんだよね。
それを承知で言っているのだから、受動型ASは自己評価が下がらないんだ。
目先のトラブルは承知の上。大きなトラブルを避けるために行っているもの。
一つの見方に固執するのって、「受験」の弊害だと思うんですよ。
私のイメージだと、
ジャイアンは最初怒り出しても、理由を説明すると意外と納得する。
積極奇異型ASの方が引かない。マニュアルに無いようなことを提案しても絶対に受け入れない。
マニュアルがあれば、「受験」と同じように、仕事を一つの正解が存在するモデルにすることができる。
「受験」と違うのは、マニュアルは完璧ではない、というところ。
普通はそこで引いて、固執したマニュアル通りのやり方がうまくいかないことを確認するまで待つ。
一人でできることなら、自分で勝手にやる。成功すれば積極奇異型なら文句は言わない。(ジャイアン相手はこのやり方はNG)
時間がなくて、今その方法を受け入れさせないと失敗する場合またはジャイアン相手の場合、「きれる」。
普段おとなしくて温厚な人が突然きれるのは効果が高い。ジャイアンにとっては、何考えているのかわからないより、感情的な手法の方が伝わりやすいというだけなのかもしれないが。
よほどのことが無い場合、意見は押し通せ、仕事も成功する。
m2さん
他の受動型の方のように媚びへつらったり、相手の態度によってコロコロ発言を変えたり…
元々欲が少ないので、意図はなく反射的にやってるのかな?と、以前から思ってました。
m2さんの言う「ADHDを演じる」というのは、「細部にこだわりすぎて全体像が見えなくなる」というASの特性(弱点?)等をカバーするため…ということかもしれませんね。
(私もそうですが)ADHDにも自分の弱点をカバーするために、強迫的に細部にこだわったり首尾一貫して考えたり…と、ASらしく演じる人達がいます。
ただそれは「自分を偽る」ことに他ならないので、その内健康を害したり、周囲に当たり散らしたり、近い人を支配したり…ロクなことが無いんですよね。
受動型ASの不思議なところは、元々自分が無いので「偽る」ことにならないためか、「演じる」ことがストレスにならないところですね。
しっかり自分の「知性」として身に付いているのが凄いと思いました。
(実は自分がADHDか受動型か分からなかった時、過去記事のm2さんのコメント読んで判断しようとしたことがあったのですが、判別が難しくますます悩みました…)
>記憶の良さに左右されることは共通だけど、どのような記憶が思い出せるのか?は人によって違うみたいだ。
これはADHDの私はちょっと誤解してました。
以前は「感覚過敏」という特性から、辛い感情と同じくらい楽しい・嬉しいといった感情も強く感じるのかと思ってましたが、今は「二度と同じ失敗を繰り返さない為」に、失敗や恐怖心の方が強く刻み込まれやすいのかもしれない…と、管理能力の高いASを見てそう思います。
「専門分野」については、その他に(人間関係を円滑に運ぶ為の)コミュニケーション能力も必要ということでしょうか。
奥が深いですね。
もう少しじっくり読んでみようと思います。
道産娘さんのコメントは反面教師として意味があるな、利用しよう。これでwin-win
道産娘さん
>(私もそうですが)ADHDにも自分の弱点をカバーするために、強迫的に細部にこだわったり首尾一貫して考えたり…と、ASらしく演じる人達がいます。
私はADHDの表面的な思考や思い込みをカバーするのにASらしく演じる人はいないのではと思います。「演じる」というのは受動型ASの方に特徴的であろうかと思いますが、おそらくADHDは演じるとは考えないのではないでしょうか。
「演じる」ことが必要なのは自閉という特性からでしょう。対人関係で相手の言動によって自分を振り返る機能があるのとない(弱い)のとでは違います。
私としましては、抜けが多い分きちっと見直す、場当たり的であるため一貫性を意識するなど、ASとは関係ないところでの弱点克服を目指します。
道産娘さんのいわれるASらしく演じるADHDさんの、具体的な演じている場面を紹介していただけるといいかなと思います。それと、ご本人に演じているかどうかを確認しましたか? そのあたりも聞きたく思います。
追加
>受動型ASの不思議なところは、元々自分が無いので「偽る」ことにならないためか、「演じる」ことがストレスにならないところですね。しっかり自分の「知性」として身に付いているのが凄いと思いました。
ASに自我機能がないのではないです。「一概に言えない」といえるのは自分がある証拠です。ぬまおさんが就職の際に親の縁故を断ったのも、m2さんが受験勉強は必要がないというのも、自分があるからです。
そして、m2さんのコメントにあるように、他の人を見て分析をすることにより、その人のように演じることができるようになる、ということでしょう。「トレース」という言葉が当てはまります。積極奇異型のさーこさんが訓練により社会的スキルを獲得してきたのは、論理思考で乗り越えることが可能であるため、その機能を活かしたものです。
戻りましょう。
受動型ASの方は受験勉強しなくてもそこそこの学校に入れるのですね。おそらく、多数派やADHDは努力しなければ希望の学校には入れないため努力します。つまり、受験勉強をさせるという考え方は、多数派およびADHDの考え方であり、受動型ASは適応範囲外ということなのですね。親の満足のためにという見方が受動型ASのなかに芽生えるのは、多数派原理に当てはめようとするからなのですね。
ZZZさんの「イベント」という感覚的な捉え方は、なるほどなと思いました。競争原理が受験にはありますから、多数派およびADHDはその競争に乗り遅れまいとするところがあります。それが受動型ASには見られない。周囲が焦ってしまうのは、競争社会にどっぷりつかってしまっているからという見方もできますね。
>大学でもまともに勉強する気になれず、持込可のいわゆる「楽勝科目」以外は単位をとるのに苦労しました。
受験モデル、受身の学習態度を形成してしまうと、大学での主体的学習態度への切り替えが困難になるのですね。ZZZさんは就職してから苦労したのではありませんか?
道産娘さんから、ADHDを演じる、は何か入ると思ってました。
ADHDを演じるケースですぐ考えられるのは2通りです。
①道産娘さんの言う通り、細部の議論になった時
私もASなので、本当は細かい議論は好きなんです。
でも、会議の時間が長引いたり、本題に入る時間がなくなったりするので、仕方なく本論に戻るような飛んだ発言をします。
完全にKYですよね。
その場を仕切っている積極型ASからの評価は下がります。
ADHDから見ると失敗しているように見えるでしょうが、こちらはそんなことより早く仕事終わらせた方が嬉しいので承知の上です。
少し上からは好かれないことは多いです。
でも、積極型AS以外からは支持されますし、経営TOPには受けはいいです。
受動型ASからすると、出世するよりも、会社がつぶれたりリストラされたりして環境が変わるリスクが減る方が重要です。
②前に進まなければいけないのに、誰も発言しない
ASしかいないと、誰も最初に発言しないんです。
ほうっておくといつまでたっても誰も話さないです。
ADHDがいると、自分の意見を言って、AS達に袋叩きに合います。
ASから見ると、袋叩きにする中でリスクを排除していくというのがやり方なので、悪気は無いのですが、これではADHDはACになりますよね。
ADHDがいなかったり、袋叩きに懲りてACになっている場合、「たたき台」を出します。
叩かれるのはあまり気分のいいものではないですが、話が進まないよりマシです。
積極型ASは、叩かれるのが嫌なので、叩き台にも時間かけて準備しますからねえ。そんなことやってるから競争力がなくなるんです。
ADHDがいないと、受動型ASがこの役割をしないといけないので、ASしかいない組織は嫌なんですよ。
のび助さん
反面教師??(^_^;)
みさん
揚げ足取りは楽しいですか?
私が何か言えば、それを「攻撃材料」にするつもりですよね。
それが嫌だから言い返さないだけです。
これは立派な「理由」だと思っています。
でもみさんには「全面撤退の無責任」に見えるのでしょう?
それは仕方の無いことですから、そう思って下さって結構です。
ちょっと皆さんに、実生活のことで聞いてみたいことがあるんだけど、いいですか?
自分が妻と一緒に妻の友人に会った時、「アパートの二階の住人の子どもが大騒ぎしてうるさいから、今度会った時に文句を言ってやる」と怒っているのを聞いて、自分は咄嗟に「子どもが騒ぐのは仕方がないので、多少は我慢しないと」などと話して、後で妻から、ひんしゅくを買っていたことを聞かされたんだけど、こういう場合の受け答えは何が正しかったんでしょうか。
自分が考えたのは、妻の友人が妊娠中で、今後、確実に子どもが生まれるため、自分も同じように上の階の住人に迷惑をかける可能性があること、アパートの上の階の住人がどんな人か分からないため、たった一言で人間関係に問題を抱えることになる可能性もあり、すぐには逃げられない環境で人間関係に問題を抱えることはあまりお勧めできないだろうと考えて、そこらへんの説明はわざわざしないで、上記の受け答えになりました。
ひんしゅくを買った原因は、多分、妻の友人は愚痴をこぼして同意を求めただけで、アドバイスなど求めていないのに勝手に余計なアドバイスをしたこと、さらに、批判対象である上の階の住人を擁護するような発言をしてしまったことにあると思うんだけど、皆さんだったらどんな受け答えをしますか?
依存のないADHDは、この会議、この議論の目的、あるいは方向、そして目標は何なのか、を意識します。細部の事柄はその個人、その部署に任せられるべきものとして引き渡します。それがADHDの管理に関する考え方になります。細部の議論が必要なのではなくてそれは小さな単位で行われること、その結論に対してどう考えるかはその上が考えることである、という考えになります。
ですから、本論はどうなっているのか、個人の興味に関する事項は個人並びに小さい単位で議論してくれ、という気になります。KYだろうが何だろうが、目的に到達しなければ意味がないのです。その目的に到達しなければ、細論の大部分が無駄になります。ただ、その過程にあったヒントは非常に有益になるかもしれないと思うのです。それを拾えるのが利用することのできるADHDです。
えげつないことを書きましたね。しかし、事実ADHDは袋叩きにあうか、それを超えるか、極端な生き方の選択を迫られると思います。出る杭は打たれるかどうか、ADHDも同じくその局面に立たされている人々が多くいる、このことが現実の社会です。
新自由主義とはそういうものです。私は新自由主義での弊害を知るたび、足元だけを見ていてはならない、それでは坂本竜馬にはなれない、という意見です。m2さんの意見は説得されそうになるが、そうはいかんのです。
>ZZZさんは就職してから苦労したのではありませんか?
そうですね。就職してからは、受験とは別の部分で苦労しています。理解ある上司の下ではどうにかやっていましたが、何かと目を付けられることも多いですね。待ちの姿勢を面倒見が悪いとされたり、仕事を奪うために送り込まれたと誤解されたり。自分を表現するのが苦手で誤解に対して沈黙しがちなのが、輪をかける要因になってもいます。
いまの上司とはプライベートも含めた人付き合いの中で、人生最悪といってもいい関係です。どうやらその上司は強度の受動型ASで、部署でおこなう自分のつくりあげた作業過程に対して執念深いこだわりをもっているようです。一方で俺は、自分がラクできるので、定形作業を省力化することが仕事上のこだわりのひとつとなっています。
その俺から見ると、上司のつくりあげた作業過程には無駄が多く、そのとおりにやること自体が演技でありストレスです。そのとおりにやらなければ上司が小学生かと思うくらいにキレるので、大半はやむなく従っています。ただ、どうしても納得し難い部分は、結果が同じなら文句もないだろうと勝手に決めつけた上で、キレキレ攻撃ネチネチ攻撃に耐えながら自分好みで処理しています。
(続きです)
ところで、道産娘さんの
>受動型ASの不思議なところは、元々自分が無いので「偽る」ことにならないためか、「演じる」ことがストレスにならないところですね。
は、受動型ASのこだわりに抵触しない限り、そのとおりだと思います。抵触する場合には、演じることでストレスを感じるかと。その後はストレスを感じたまま演じ続けるか、またはこだわりを諦めてストレスを感じなくするか、演じることをやめてストレスを感じなくするかのいずれかを選ぶように思います。
俺の場合、結構長い間、ストレスを感じたまま演じ続けていました。それが上司のコンプレックス、劣等感、その裏返しの優越的感情、過去から現在まで鬱積したものを刺激するらしく、パワハラのオンパレード。精神的な攻撃、人間関係からの切り離し、過小な要求の日々です。やがて俺から笑顔が消えた頃、もういいやとキレてみせたら(つまりはこれも演技)、パワハラはピタリとやみました。が、上司がこんどは鬱状態に。参りました。パワハラも俺に対する一種の甘えだったということでしょうか。
その上司からは、被害者意識やできない自分を直視したくないがための先制攻撃など、過去現在と社会適応に苦労してきただろう様子をうかがえます。理解はできますし、苦労に対しては大変でしたねと声をかけることもできますし、いまの仕組みを整えたことなどは評価できます。が、俺にぶつけてくるなよ、と。
俺が入る以前から、その上司は人間的に問題だと周りが感じていたようです。別部署のみなさんから何度も声をかけていただき、ありがたく感じました。が、それも間もなく終わります。いまは再び転職活動をしています。
※ 前回の自分の投稿を読み返して、誤字脱字が何か所かあったことに我ながら苦笑しています。ニックネームの半角・全角でさえ統一していなかったとは。全角を引用していただいたみさんには申し訳ないけど、半角のつもりだったので、こちらでいきますね。
(連投で申し訳ない)
いい機会なので、もう少し。
>受動型ASの方は受験勉強しなくてもそこそこの学校に入れるのですね。
これは、勉強をあたかも「作業」として受け身的に(すなわち受動的に)こなし続けることのできる環境にあれば、そうだと思います。そこそこの学校なら、普段の勉強の積み重ねでどうにかなるものでしょうから。
そういう環境下にないと、受動型は勉強をしませんから苦労すると思います。俺が大学受験でテクニックに走ったのも、通っていた中学高校が自由放任主義であり受け身的な勉強のできる環境ではなかったためでして、その分だけ苦労しました。中学受験のお釣りでどうにかなったようなものです。
>皆さんだったらどんな受け答えをしますか?
ぬまおさんの問いかけについては、俺なら共感を示すことが中心になると思います。相手の様子を見て、話を受け入れる余裕が出てきたようだなと感じたら、ぬまおさんのおっしゃったようなことをやんわりと言うかなぁ。
この対応は、書籍や経験則で学んだものです。10年前の俺には出来ない対応ですね。5年前でも無理かも。
※ 道産娘さんの投稿、俺には全面撤退とまでは感じませんでしたよ。感じ方にも個性があって、その多様性が面白いと思っています。(俺に悪感情をぶつけ続けてこない限り。くそったれ上司め~。)
※ Web上のフリーコメント欄で「ですます調」を使うのは、とても久しぶりで、何だか妙な気分です。普段だとこんな表現になっちまうんだよ。
のび助さん
「辛い感情」イコール「ネガティブ」
なるほど(^-^)
m2さん
>1.一般的なことを言われても自分がそうなるかどうかは全然分からないから、何十回言われても行動には結びつかない。
2.「親や重要な家族が、個人的に勉強をして欲しいと今の本人に望んでいる」という事実は個別的で具体的であるために、一般論に比べて受動型ASにとってははるかにリアリティー、説得力が大きい。
m2さんの「出世」「受験」は、1の「一般的なこと」に当てはまりますよね?
そして、以前話していた「(オウムの)尊氏の教えが現実モデル」「現実に適応するより、ADHDのACを支配する方が簡単」は、2の「個別的で具体的な事実」に当てはまりません?
m2さん、何気ない会話の中で結構重要なこと言ってましたよ。
受動型ASの想像力と対人関係を紐解くヒントになると思うんですが…
前記事でコメントのやり取りした方が「100%相手の考えに染まることもある」と言ってたので、「一人の人間の感情・意志」に左右され易いがために、「一般的なこと」に重要性を感じないのかもしれませんね。
子供の頃から親などに「勉強しろ」と言われ続ければするかもしれません。
でもそれは、受動型ASが親をコントロールすることに他ならないし、そのせいでますます「一般的な考え方」に価値を見出せなくなってしまう…ってことですかね。
オウムなどの「反社会的行動」の仮説、最初は「そんな馬鹿な…」とも思ったんですが、「曖昧な一般論より、(支配的な)人間の考えに依存した方が現実的」という、受動型ASの考え方から思い付いたのでは?と思いました。
(その後私が調子に乗って、軽率で不謹慎と受け取られかねない発言をしたことは認めます。申し訳ありませんでした。以後気を付けます。)
>ADHDがいないと、受動型ASがこの役割をしないといけないので、ASしかいない組織は嫌なんですよ。
(ADHDの私に対して)結構自分から話し掛けてくる受動型ASは多いですよ。
コントロールしやすいと思われてるかもしれませんねぇ(汗)
zzzさん
>道産娘さんの投稿、俺には全面撤退とまでは感じませんでしたよ。感じ方にも個性があって、その多様性が面白いと思っています。
フォローありがとうございますm(__)m
そう言っていただけると安心します。
できるだけ冷静に考えてコメントするよう心掛けてますが、気付かないうちに空気を壊すような発言をしてしまうので、気を付けたいと思います。
>俺の後に続いて受験することとなった俺の下の奴が、受験に際して兄と比べられるのはかなわんと泣いたらしいと聞いたことも影響しています。
近い家族の言葉の方がリアリティーや説得力があり重要…ということも関係してるかもしれませんね。
コメントありがとうございます。
>近い家族の言葉の方がリアリティーや説得力があり重要…ということも関係してるかもしれませんね。
そうか、なるほど確かに。身近な人の言葉がより説得的に感じる傾向にあるというのは、多少なりとも自覚してはいました。しかし、この件でもそれが影響していたとは気付きませんでした。ありがとうございました。
話が少しずれますが、俺の場合、社会的に意義のあるものごとは分かっていても尻が重くなる一方で、目の前に困っている人がいると体が自然と動きます。ASって奴は、直接にはADHDを支配しつつ、社会的にはADHDに支配される関係なのかな?
自分の内面を整理整頓するのも上手くないんだよなぁ。自己PRも薄っぺらくてかなわんのですよ。周りからの高評価のことばを書いてはいるけど、実感がないのよ。
※ ニックネームの件、みさんに向けて何やら書いてしまいましたが、半角になっていることを確認したつもりの2度目の投稿でも同じ現象が起きてますね。この掲示板の仕様なのか、俺の確認ミスなのか。いずれにしても、みさん、ごめんなさい。自分でいうのも何ですが、スルー推奨で(苦笑)。
道産娘さん
(その後私が調子に乗って、軽率で不謹慎と受け取られかねない発言をしたことは認めます。申し訳ありませんでした。以後気を付けます。)
そこに気が付いていただきたかったのです。発言に責任を負うということ。批判意見が出されても自分の意見にしっかりした根拠があれば説得することができます。説得できる内容でないとき、ADHDの衝動性ゆえの発言であることが多い。ADHDが衝動統制をせず、受動型ASに「自己責任」云々いうのは「それを言える立場か」です。ジャイアンは他人には厳しく言うが自分が批判されると弱い。だから、他人に自己責任云々言う前に自分が責任を負うことをしてください、そうでないと突っ込まれますよ、ということです。
道産娘さんはジャイアンに戻った状態にありますから、次は合理的な衝動統制をインストールすることです。まだまだ正当化したい気持ちが強いでしょうが、正当化していると他人から突っ込まれます。ここで道産娘さんは幾人かと衝突しています。これは警告です。よく衝突するときは、振り返ると自分が衝動統制できていないときです。周囲の人の反応は自分が発したことの結果です。私は所々で衝動統制について書いてきました。参考にしていただければと思います。
ところで、「道産娘さんのいわれるASらしく演じるADHDさんの、具体的な演じている場面を紹介していただけるといいかなと思います。それと、ご本人に演じているかどうかを確認しましたか? そのあたりも聞きたく思います」にお答えいただけますか。私はADHDはASを演じることがないと考えていますが、道産娘さんはどのように考えますか。そして、ご自身がASを演じるということですがどのように演じていますか。私にはADHDがASらしく演じるということに納得がいかないのですよ。
zzzさん
自分も職場ではzzzさんとほとんど同じ状況にあるよ。新しい機械やソフトを導入する時、まずは自分が全て覚えて上司ができるようになるまで指導し、上司が覚えた後は、その上司は自分も含めて誰にもその機械を触らせない。上司が休んだ時には自分しかその仕事が出来ないもんで、新しい機械が入って以来、その上司は一日も休まず、自分の仕事を維持してるよ。自分がやれば一時間で済む仕事を、毎日、三時間も四時間も掛けてやって、大変な仕事を一人でしているんだ、という姿をアピールしているように見えます。
上司が仕事を割り振るんだけど、常に注目度が低く、面倒くさくて難しい仕事が全部自分に回ってくるよ。休日出勤も多いし。上司の判断が必要なものについて聞いても、「自分で考えて、責任を持って行動しろ」としか言わないので、自分なりにやるんだけど、後で色々と文句を言ってくる。だったら先に言えよな、って感じ。一言でも言い訳をすると、わざと皆の前で大声で怒鳴りつけて、自分の言った通りに動けばいい、口答えするな!と言われるよ。何にも言ってないくせに。
だけど、本気で怒っているようには全く見えない。自分以外の部下はADHDと積極奇異型なので、すぐに本気で怒るから文句一つ言えない。他の人と比べて仕事ができて文句も言わない自分を退職に追い込むメリットは会社にとっても上司にとってもないと思う。
目的はスケープゴートとして自分を怒鳴りつけることで威厳を保ってほかの部下を牽制しつつ、いつ辞めてもいいように重要な仕事はやらせないようにして、自分の居場所を脅かすような状況が見られたら、いつでも切り捨てる覚悟があるんだと思う。二十年間一緒に働いているけど、個人的な付き合いも日常的な雑談も一切ないです。まーお互いに話しかけないんだけどね。
つづき
多分、こだわりの特徴からASなのは間違いないと思うけど、受動型か積極奇異型か正直、よく分からないです。その人は受験勉強をがんばって有名大学を出て、すぐに起業したけど失敗しているので、自分のプライドを守るために知り合いが運営する小さな会社で出世を目指したんだと思う。
以前には、この上司の同期に実力のある積極奇異型、先輩に人情味のある多数派がいたんだけど、積極奇異型に一方的に攻められている姿を皆に見せ、最終的に、うつ的な症状を見せて「このままでは自分は病気になってしまう」と訴え、積極奇異型を社長(上司の高校時代からの友人)がクビにするようコントロールし、大先輩で頭が上がらなかった多数派の先輩に対しては「全然仕事をしない。会社にいても邪魔なだけだ」と同じく社長を使って会社の就業規則を変更して定年退職の年齢を下げる暴挙に出て強引に退職に追い込み、役員の座をつかみました。
その時に自分が会社に対して激しく抗議したこともあって、それから自分に対する風当たりが強くなったと思います。邪魔な人を消すという考え方は積極奇異型の中心思考と言えるでしょうか?それとも、受動型が問題解決をした結果でしょうか?見た目は受動型っぽいんだけどね。
受動型だったとしたら、受験勉強をして誰もがうらやむような大学を卒業し、社会に出て成功を目指した結果、極端にプライドの高い人間になり、目的達成のためなら邪魔な人を消すこともいとわない、と考えるようになったのかな?大金持ちの一人娘と結婚して婿養子に入っているし、ステレオタイプ的な幸せを追い求めているようにも見えます。これが「受験モデル」か?ただ、海外の有名大学や一流大学院を卒業した二人の子どもはニートになってしまったようです。金持ちの家に受動型が生まれたらそうなる可能性は高いかも。m2さんの言う通り、受験が悪影響を及ぼしているんだろうか。
つづき
自分は、こだわりはあるけど、自分の利益のために人を消すという選択は絶対に出来ない。どうにもならなければ自分が消えるだけ。上司の場合は自分が消える代わりに邪魔な人を消すという、対極的な選択をしているだけかな?上司はかわいそうな人間だから協力してあげないと、と自分のこだわりを諦めてスケープゴート役を長年演じているのでストレスはほとんど感じず、評価は低くても解決が難しい問題の多い仕事がたくさん回ってくるので、自己満足的に充実しているといえます。ただの嫌がらせでしょうけど、共依存が成り立っているのかな?
なるべく自分のダメな部分を出して、皆の前で怒られる機会を提供しているので、失敗が許される環境ではある。多分、自分がキレたふりをして怒鳴りつけたりしたら、うつ的な症状を見せて「クビにしないと自分は病気になってしまう」と言い出し、退職に追い込まれるでしょう。前にもやってるし。だから、自分は今まで、この上司に一度もキレた演技をしたことはないよ。上司は役員なので定年退職がないし、クビになると生活に困るから。
自分が上司にいつも怒鳴られている姿を見て、勘違いして同じことをしてくる年上の積極奇異型の後輩がいるため自分もキレた演技をすることもあるんだけど、効果は大きいね。
zzzさん、質問に答えてもらってありがとう。
>この対応は、書籍や経験則で学んだものです。10年前の俺には出来ない対応ですね。5年前でも無理かも。
やっぱり多数派の受け答えをある程度マスターしておかないと社会で困ってしまうもんだなー。自分もいつまでもAS丸出しで生きているわけにも行かないな。
後日談として、妻の友人は結局、上の人や隣の人と、いがみ合うようになってアパートを引っ越しました。子どもが生まれてから精神状態が悪化して、病院で精神病の診断を受けて薬を飲みはじめたそうで、発達障害の疑いがあると思って発達障害の本を一冊あげたんだけど、やめた方がよかったかな?
m2さん
>言うとその場でトラブルになるけど、言わないと後で大きなトラブルになるんだよね。
最近、言っても誰も耳を貸してくれないという状況が現実社会で多すぎて、言うのが面倒になってきたよ。
道産子さん
>内と外のストレスについてですが…
受動型AS本人の話を元に判断すると、主に「仕事に行くとき・仕事を終えて帰宅するとき」に気分が憂鬱になるそうです。帰宅してもボーッとして何もやる気が起きないとか。
入社当時よくなりましたけど、慣れてきたらなくなってきたよ。
>身体症状が出る人もいれば、「予定調和」な生活を送っているだけでストレスが軽減される人もいるので、個人差はあると思います。(あと、以前ぬまおさんがコメントした「長期休暇」の話は、内と外のストレスというより、生活スタイルの変化によるストレスかもしれませんね)
自分ではストレスはないように思っているけど、実は体に症状が現れているのかもしれないなー。
>そういえば、受動型の人って仲の良い人を家に招き入れるのが好きみたいですね。
自分の場合、人の家に行くと何かと気を使って疲れるので、家に来てもらった方がとっても楽なんですよ。
zzzさん
何だか大変なようですね。上司が受動型ASさんのようで。
そして、zzzさんのzzzはひとまずスルーしますね。
>待ちの姿勢を面倒見が悪いとされたり、仕事を奪うために送り込まれたと誤解されたり。自分を表現するのが苦手で誤解に対して沈黙しがちなのが、輪をかける要因になってもいます。
面倒見が悪いとされるということは、現在は指導する側なのですね。仕事を奪うために送り込まれたと誤解されたということは、ご自身の得意分野を活かせるところだったのですね。
受験の話に戻りますが、受動型ASさんのなかで一般論に説得力があると答えたのは今のところzzzさんだけですね。zzzさんは中高一貫校でしたから小学6年生で受験を経験していますね。その経験があってzzzさんにとって勉強が必要であることは想像ができた、ということですね。ただ、大学受験では勉強しなかった。熟に通った経験から、勉強は降って湧いてくるというイメージを強くもっていたということですね。
zzzさんが軽度の受動型ASではないかという認識からすると、軽度ということと低年齢で受験を経験していることから一般論は認識できたのかもしれませんね。そして、「そこそこの学校なら、普段の勉強の積み重ねでどうにかなるものでしょうから。」と言われたとおり、日々の積み上げが得意な受動型ASでは、周りから言われなくてもその実績をもとに受験することができる、ということですね。
m2さんは受験勉強の一つの回答に意味がない、それが「モデル」になってしまうという考え、ぬまおさんは面倒くさいから、いや受験勉強では明確な目標がないと自分の現在の学力不足を問題だと認識できないのかも、という考え、zzzさんは勉強は降って湧いてくるというイメージを強くもっていたから、とそれぞれですね。
また、以前のコメントの中では、大地さんはまず親自身が現実的問題を逃避することをやめることからでしょ、ということでしたし、toriさんは中高一貫の受験校に行き管理された生活で縛られたおかげ、それほど努力らしい努力をせずに入ったという印象、とのことですね。少々暴力的に単純化してまとめましたが、お許しを。
み さん
私はASがADHDを演じる例を挙げただけで、ADHDを説得するつもりなどこれっぽっちも無かったのだが・・
ADHDから見れば、失敗例を演じているように見えますよね。
でも、積極ASを好きなように叩かせないと、後で面倒なんですよ。
中途半端に権力持ってますから。
ぬまお さん
私も同じこと言うな。原因もぬまおさんの言う通りだろうけど、だからって嘘ついてまで同意することはできない。
受動型ASは嘘ついてもすぐばれるよね。
ZZZ さん
ご自身が成長して、器に会社が収まらなくなったのなら、転職を進めますが、受動型ASにとって積極AS上司は鬼門です。どこに行っても遭遇します。
戦うしかないです。1vs1なら、まず勝ちます。
相手の器が小さければ放出してくれますし、大きければ2人の間だけ上下逆転する関係になります。
受動型ASは、自分の会社のことや、会社をとりまく環境を理解しているのが武器ですが、転職すると役立たなくなります。
逆に言えば、転職するなら、早くしないとダメ、ともいえます。
道産娘 さん
やんばる先生は豊富な臨床経験で客観的事実を書いています。
私はその事実に従って、受動型ASの一般的な傾向とその他の自分の特徴を分離して発言しています。たまにずれることはあるでしょうが、まだ受動型ASの臨床例が少ないから、そこは仕方ないと思います。
なので、私の発言一つ一つが、やんばる先生の臨床的事実の原因を紐解く鍵になっているのは当然です。
ただ、このテーマでは書けることは全部書いたと思ってます。
これ以上進めるには、別の視点からの分析が必要そうです。
m2さん
誤解するような書き方でしたね。受動型ASのm2さんがADHDを演じることについては、ASばかりの職場ではそういう人がいないとまとまらないだろうなと思い、m2さんがその役割を担っていることに感心していました。ただ、ADHDはこう考えますよ、ということを書きました。説得というのは政治がらみ、政治家さんたちのことです。ふと以前話されていたことを思い出しましてね。言葉が足りず、すみませんでした。
積極奇異型ASはたしかに権力をもつことが多いですね。周囲の依存型ADHDが媚を売るなどして持ち上げてしまうこともありますね。綿密に仕組んでくるので関わりたくない相手です。でも本題はそこではないでしょ、と思うのですがね。
m2さんのコメントですが、私は単にm2さんの個人的主観と考えます。
ASである以上、自分の特徴と他人の傾向を分離した発言など本当にはできるわけがない。
私の発言一つ一つが紐解く鍵、なのではないと、私は考えますね。
私ならこう言います。
みんなの発言一つ一つが、やんばる先生の臨床的事実の思考を紐解く鍵になる。
みさん
>(その後私が調子に乗って、軽率で不謹慎と受け取られかねない発言をしたことは認めます。申し訳ありませんでした。以後気を付けます。)
これは「反社会的行動」のコメントに関してのみです。
直後にみさんやぬまおさんのご指摘があり、「確かに、暴力を受けた人の立場に立って考えなくてはならない」と思い「軽率で不謹慎な発言だった」とお詫び致しました。
ただ、他のコメントについても謝罪した訳ではありません。
あくまで「この件」だけです。
みさん。
あなたは私が「はい、分かりました」と答えれば、それで満足ですか?
あなたが私にしようとしてることは何ですか?
「ジャイアンの衝動や支配欲求を満たしたくて、私をコントロールしている」のではありませんか?
以前、あなたは私に対し「ジャイアンの仕切りたい欲求だ」と言い放ってましたが、その言葉は、今回のあなたが私に宛てたコメントと共にお返し致します。
私にとっての「全面撤退」は、「自分が悪いと思っていないのに、あっさり謝ること」だと思っています。
謝るのは簡単です。
でもここですんなり引き下がるのは違うと思いました。
(続きです)
ここで私がすんなり「分かりました」と答えれば、あなたの「支配欲求」を満たしてしまうことになり、私の方は「合理的思考」が失われる。
(揚げ足取りの他に)あなたの衝動達成のために利用されたくなかったのと、お互いの為に良くないという理由もあり、言い返しませんでした。
あなたにどう思われようと構いませんが、あなたが何故私に固執されるのか、一度考えてみてはいかがですか?
zzzさん
>ASって奴は、直接にはADHDを支配しつつ、社会的にはADHDに支配される関係なのかな?
これ私も知りたいですよ。
m2さんも「ADHDは現実に適応するための解答を持っている」と言ってましたが、何故「ADHD」イコール「社会・解答」っていう発想になるのか不思議ですね。
あと、何故多数派じゃダメなのかな?とも。
zzzさんの場合、内では(愛着の)ADHDに対して支配的で、外では(愛着以外の)ADHDに振り回されているということかな?
「目の前の困ってる人を放っておけない」というのは、ぬまおさんと共通してますね。
道産娘さん
>あなたは私が「はい、分かりました」と答えれば、それで満足ですか?
いえいえ。私が言っているのは、私にはADHDがASらしく演じるということに納得がいかないので、それについて具体的にADHDがASらしく演じる場面を紹介してほしい、ADHDさんに演じているのかどうかを聞いたのかどうか、そして道産娘さんが(私もそうですが)ということで、道産娘自身が演じるということだったので、どう演じているのか知りたい、ということです。
>(私もそうですが)ADHDにも自分の弱点をカバーするために、強迫的に細部にこだわったり首尾一貫して考えたり…と、ASらしく演じる人達がいます。
この発言に対する疑問にお答えいただきたいのです。
ご無沙汰しております。
ずっとブログを拝見していますが、ここ数か月、すごく皆さんのコメントが充実していますね。内容も深くて感心しています。
ただ昔から感じていることですが、「自分自身を分析したコメント」は基本的に問題が起きませんが、「自分以外の人を分析したコメント」や「ADHDやASを一般化して全体がこうだと決めつけ過ぎるコメント」を書くとだんだんトラブルになっていくなあと感じます。
やんばる先生は専門家なので、別格ですが。
私たち「意味不明な人々」にとって、一番大事なのは何をおいても「自分自身の理解・分析」なのではないかなとふと感じました。
生意気言ってすみません。
え~と、アメジストさんに一票。
先生のコメント欄をあらすのは・・もうそろそろ終わりにして欲しいです(>人<;)しまs
現在自分の中の「ジャイアン性をアンインストール中」の者としての体験談です。
まず、ジャイアン型の衝動統制を仮に「コート」に例えてみる。
重度のジャイアンは冬用のオーバーコート。大分アンインストールが進んだ
ジャイアンは春用の薄手のコート。を着ていると仮定する。
本当のところ自分が今どんなコートを着ているのかはわからないのだが(笑)、一応アンインストール中ということで、自分が着ているのが春用の薄手コートと仮定する。
すると見えてくるのは、いまだに厚手の冬用コートを着ている人たちのこだ。
自分が脱いで身軽になれて良かったと思ってるのと、
ジャイアンの厚手コートに漂う小汚さが身にしみてわかっていることがあいまって、つい上から目線で言ってしまう。
ジャイアンの厚手コートを着ている(と自分が認知している)人に向かって
「そんな厚いコート早く脱ぎなさいよ!みっともないし迷惑だから!」
さて、その人たちは私の助言を受け入れてくれただろうか?
答えは「否」。 嫌われました(笑)(まあ身内ですけどね)
念のため。これは私の体験で、こちらの皆様の特定の誰かのことではありません。皆さんお一人お一人の深い内容のコメントにはいつも勉強させてもらってます。では何でこんな体験を思い出して書いてみたかというと、
上でアメジストさんが書いておられる「トラブル」に少し似ているんじゃないかと思ったからです。
ですが、ブログテーマの受動ASと受験勉強の話とは全く関係有りませんでした。すみません。
みなさんへ
コメント欄を荒らしてすみませんでした。
私が道産娘さんに待ったをかけようと思ったのが、m2さんの最初のコメントに対する道産娘さんの態度でした。これでは受動型ASさんが自由に発言する機会を逸すると思い、m2さんの意見を拾いました。その後も受動型ASさんが活発に意見されることを願い、質問をするなどしていました。受動型ASさんへは私の考えはほとんど述べず、まとめるに留めました。私は受動型ASではありませんから、受動型ASについては聞かないと分からないという姿勢を保つこと、それにこのエントリは受動型ASに関することですから、受動型ASさんを主体に進めていくことが必要だと考えていました。
私が道産娘さんに言おうと思ったのは、m2さんに「それが「ASらしさ」なので受け入れてあげるべきなのか迷いましたが、それで私が黙って引き下がるのは違うと思い、コメントし続けたのですが…」という発言です。道産娘さんがm2さんを受け入れてあげるべきところ? 黙って引き下がるのとは違うって? ちょっと待って、受け入れてあげるも何も、このエントリは受動型ASに関してですよ、受動型ASさんを主体に進めていくところですよ、何で上から発言なんだろう、と思いました。論点のずれを意識しました。そこで突っ込みました。できるだけ受動型ASさんにコメントしていただき、深めていってほしかったからです。
その突っ込みが道産娘さんには不快だったのですね。柿さんのいうとおり、厚手の冬用コートを着てしまった。「みさんがそう思うなら、それで良いと思います」と。そしてそのまま話を進め、「反社会的行動」で生徒の自殺に結びつけてしまった。これには私自身が学校教育に携わっている身、暴力を受けた身ですから批判意見を述べました。簡単に口にすべきではない事柄です。それをスルーして話を進めました。だから「全面撤収」なのかと突っ込みました。今度は「ADHDにも自分の弱点をカバーするために、強迫的に細部にこだわったり首尾一貫して考えたり…と、ASらしく演じる人達がいます」という発言です。私の中で?が湧きました。ADHDはASを演じようとは思わないだろう、そういうADHDがいるのか事実は確認したのか、衝動的に発言したに過ぎないのではないか、ということです。このまま衝動的に発言することを続けてしまったら困ると思い、しっかり発言に責任を負ったうえで話を進めてほしいと思いました。衝動統制しながら話を進めてください、ということです。ただ、「揚げ足取りは楽しいですか?」と言われて気付いたのは、もしかしたら「ADHDにも自分の弱点をカバーするために、強迫的に細部にこだわったり首尾一貫して考えたり…と、ASらしく演じる人達がいます」という発言が、私を指していたのかもしれないということです。ですから確認したいのです。思いつきで話を進めていくのはどうかと思います。
嫌われようがどうでもいいんだけど、依存ジャイアンがADHDを正当化の隠れ蓑にするとかって騙りか?と思うし、新しい説ではないことを(YANBARU先生の記事名などをソースとして出さないで)思い込みと混ぜてそれでもっともらしく相手をいじくるのはいやだ。相手がADHDなら回復できない。受動型ASの人には必要なのかもしれない。だが俺は受動型ASではないから分らない。
コメントの掲載基準をYANBARU先生に丸投げするのもいやだ。
掲載を決めるのが先生であってもです。
>よく「集団心理」とか「マインドコントロール」とか、聞いただけで動悸や強い不安に襲われることがあるのですが、
という道産娘さんのコメントを読んで思う。依存ジャイアンだけじゃないかと思う。自分にはそういうの無いから分らない。治すことも出来ない。依存ジャイアンの治しかたはYANBARU先生がブログにいっぱい書いてきたんで大丈夫なはずだ。それと絶交は上から目線では出来ないです。
これで終わりです。不快になった皆さん、ごめんなさい。
道産娘さん
揚げ足取りと思った箇所は、
「私はADHDの表面的な思考や思い込みをカバーするのにASらしく演じる人はいないのではと思います。「演じる」というのは受動型ASの方に特徴的であろうかと思いますが、おそらくADHDは演じるとは考えないのではないでしょうか。
「演じる」ことが必要なのは自閉という特性からでしょう。対人関係で相手の言動によって自分を振り返る機能があるのとない(弱い)のとでは違います。
私としましては、抜けが多い分きちっと見直す、場当たり的であるため一貫性を意識するなど、ASとは関係ないところでの弱点克服を目指します。
道産娘さんのいわれるASらしく演じるADHDさんの、具体的な演じている場面を紹介していただけるといいかなと思います。それと、ご本人に演じているかどうかを確認しましたか? そのあたりも聞きたく思います」
ですよね。なんら「揚げ足取り」ではないのですよ。受動型ASは内と外で使い分け、普通へのこだわりがある、そして受動型ASさんご本人から「演じる」という言葉が発せられた。「「演じる」ことが必要なのは自閉という特性からでしょう。対人関係で相手の言動によって自分を振り返る機能があるのとない(弱い)のとでは違います」と、こう書いたのはミラーニューロンの機能障害があるかないか、という話です。つまり、ADHDが「演じる」ことをするというのであれば、ADHDにもミラーニューロンの機能障害がある?といったことになってしまうのです。だから聞きたかったのです。
その後に、私はASに自我機能がないのではないことを書いています。私はこのとき、揚げ足取りで道産娘さんに書いたのではなく、私が医療専門知識があるために引っ掛かったのです。
これでも道産娘さんは「揚げ足取り」とし続けますか。柿さんのいう「厚手の冬用コートを着たまま」ですか。
まずは、ぬまおさん、みさん、m2さん、アドバイス等をありがとうございます。
ぬまおさんの経験談には何度も頷いてしまいました。上がアレな人間だとお互い苦労するよね、と赤提灯で話したくなってきましたよ。みさんの視点を変えるコメント、m2さんの何であれ機を逸しないようにとの後押しは、ともに心強く感じました。最近になって、仕事面では俺は多少ずうずうしいほうがいいんだ、との結論に達しまして、当社比2割増しのずうずうしさで動くようにしています。積極奇怪AS(※)相手なら3~5割増しかな。
※ あれ?字を間違えている?でも受動型から見るとそんな感じ。
みさんのまとめでふと思いついたのですが、俺が一般論に納得できていたのは、中高が自由放任型の進学校だったのも大きい要素かもしれません。
何しろ、現役・浪人別大学別の合格者数を報道で知ることができていましたし、勉強をきちんとやる秀才を間近で見てもいました(勉強しなくても出来る天才も間近で!)。勉強すりゃ現役でこのあたりの大学に合格する、つまりは苦労しない、勉強しなけりゃ浪人もするしこのあたりの大学には不合格かもしれない、つまりは苦労するというのを、嫌でも思い知らされる環境にあったのです。毎年のデータから容易に予測できますからね。一般論と状況分析の帰結とが合致するから納得できていたわけで、これも環境が背景にあったからこそでしょうね。
そういった校内の空気から外れるアウトローも学年ごとに何人かいまして、周りから面白がられていたものです。俺も若干の羨望の眼差しでそいつらを見ていたなぁ。受験に関していえば、その高校にしては二枚落ちともいえる大学に飄々と進学した奴をうらやましく思った覚えがあります。当時の俺はそれなりの大学でないとまずいと自縛してましたから。親の価値観の無言の刷り込みなのか、その価値観を受けて俺が過剰に反応したせいなのか。その割に上から降ってこず下から湧いてこない勉強は一向に手につかず大学受験で苦労したのは、前述のとおりです。
分析結果も加味し一般論として苦労することは分かっていても、苦労に直面してどうなるのか・どうするのかは直面するまで放置プレー。これがその当時の俺です。今もあまり変わっていないかな。思考の先延ばしと結論の先延ばしは受動型ASの得意技でしたっけ?
>zzzさんの場合、内では(愛着の)ADHDに対して支配的で、外では(愛着以外の)ADHDに振り回されているということかな?
道産娘さん、俺の前回のコメントは、AS流に(受動型AS流にかな?)ターゲットを絞った分析からの気付きでした。そういう前提と、ほかにも前提のあることを書いてなかったな。自分の中に道筋があってもそれを表現しないのが俺の悪い癖で、いや申し訳ない。ぬまおさんが奥様の友人に向かって、あいだの説明抜きに言ってしまったのと似てますね。俺の場合、道筋が見えてないこともあれば見えていても表現することに思いが至らないこともあって、今回は見えていませんでした。
あくまでも俺のイメージなのですが、会社でも会社以外の組織でも政治でも経済でも、リーダーになるのは受動型よりも積極やADHDのほうが多いように思えるんですよ。
いわゆる多数派が出てこなかったのは、広く受動型傾向にある人・積極型傾向にある人・ADHD的傾向にある人と三分類した上で三者間の比較をしたことが背景にあったからです。そういう前提があって、そこからさらにADHDと受動型との関係論に話を絞って、前回のコメントになりました。
両者の関係に注目すると、リーダーであるADHDに受動型が社会的に支配されていることが多いだろうな、と。ヒエラルキーの中での上下関係と言い換えてもいいかもしれません。それゆえ愛着のADHDとの関係でも、1対1では支配、社会的関係では被支配。
受動型からの支配は1対1の関係が終われば消滅し、ADHDからの支配は社会的関係が終われば消滅します。逆はまずありません。受動型は、よほど必要性を感じない限りヒエラルキーの上を目指そうとは思わないので。(俺だけかな?)
受験の結果である学歴が、ヒエラルキーの上に立つための道具になる。受動型はそれを理解した行動を見せなくても、分析的にまた感覚的に知っているのかもしれません。一般論で勉強しないと苦労すると言われても、ヒエラルキーの上を目指せという話のすり替えに聞こえてしまい、その気のない受動型には馬鹿馬鹿しい話に思えるのかも。この話は勉強に対するm2さんの感覚につながってくるかな。
(続きです)
正直に書いてしまうと、やんばる先生の今回のエントリー中、「一般的なことを言われても自分がそうなるかどうかは全然分からないから」という部分は、受動型ASのモデルとしてズバリかどうか分からないなぁ、と思った次第です。感覚で分かっていても表現しないか気付かないか、そんなモデルもありうるのかな、と。素人の生意気で申し訳ない。
ついでで。
>「自分以外の人を分析したコメント」や「ADHDやASを一般化して全体がこうだと決めつけ過ぎるコメント」を書くとだんだんトラブルになっていくなあと感じます。
難しいところですよね。他人からの分析は否定的感情を生みやすく、断定は反発を生みやすい。一方で、議論を深めるためには自分以外の人の分析が不可欠であり、端的で読みやすい文章にするためには断定的な表現が好ましい。
書き手の配慮と読み手の配慮とが必要になるのだと思います。少なくとも俺は、他人からの分析で自分を顧みること(および省みること)ができ、それを有難いと思ってます。
あと、エントリーのテーマになるべく絞っていこうとしなくてもいいんじゃないかなぁ。テーマから派生して話が進むことで、その部分での理解が深まり、ひいては発達障害の全体像の理解がさらに深まります。そこでテーマに戻れば、自ずとテーマの理解も深まっていくんじゃないでしょうか。
実は、道産娘さんの「zzzさんの場合、内では(愛着の)ADHDに対して支配的で~」に対する回答で、それに答えつつテーマに戻っていくという課題を自分に課していました。うまくいったかな。自画自賛してみました。
もちろん、あまりにもテーマから外れすぎたときは、横から戻そうよと声をかけるのもいいことですし、必要なことだと思います。もしかすると、みさんご自身もテーマから外れて話を進めてしまうことがあるので、自制を兼ねて呼びかけているのかしらん。そうだとしたら、俺もそういうことがあるので、自制しねぇといかんな。違っていたら、えらいすんません。
みさん
私が「揚げ足取り」になると感じたのは、もっと前の、Fさんや他の方とのコメントのやり取りを見てきたからです。
相手の発言の揚げ足を取ったり、批判することで言い争いに持ち込み、蹴落として自分の言う通りにさせる…それがあなたのやり方だと思いました。
私はあなたの衝動や欲求を満たすために利用されたくないだけです。
(コートの例えば少し違うような気がします)
他の方々へ
私が受動型の人にはっきりものを言ったり、身内の受動型のことをコメントしたのには私なりの理由がありました。
でも結果的に、そのせいで「このブログの存続が危ぶまれるのでは」と不安を感じたり、トラブルを起こしコメントしづらい空気?にしてしまったのでしょう。
また「たくさんの受動型の人の意見を知りたい」やんばる先生にも迷惑がかかりますよね。
お騒がせして申し訳ありませんでした。
JETさんへ
振り回してしまってごめんなさい。
それと、ありがとう!
柿さんの例え話、ジャイアンには何を言ってもムダだから放って置きなさい…という風にも捉えられますね。
zzzさん
何だかzzzさんって、受動型っぽくないですねぇ(笑)
ここまではっきり言って下さるなんて、ちょっと驚きました。
>テーマから派生して話が進むことで、その部分での理解が深まり、ひいては発達障害の全体像の理解がさらに深まります。そこでテーマに戻れば、自ずとテーマの理解も深まっていくんじゃないでしょうか。
私もそう思いますが、許されない場なんですかね。
「断定的な表現」は、ASさんには伝わりやすいようで、実生活でもそうしています。
じゃないと「分からない」とはぐらかされちゃうんですよね。
(あまり強い口調で言い過ぎると引っ込んでしまいますが…)
zzzさん、心強いフォローありがとうございます。
受動型とADHDの関係の話、面白いですね。
m2さんがもうちょっと掘り下げて説明してくれないかと期待してるんですが…
私も考えてみます。
道産娘さん
どうやら、揚げ足取りの件、「ADHDにも自分の弱点をカバーするために、強迫的に細部にこだわったり首尾一貫して考えたり…と、ASらしく演じる人達がいます」という発言は、私を指していたようですね。だから答えられない。答えられないからこれ以上叩かれないように人のせいにするしかなかったということでしょう。コメントされた方、されない方でも、そのあたり見えていたでしょう。積極的にコメントするということは、ジャイアンをさらけ出すリスクが高いものです。多くの方が見ています。
私がASらしく演じていないのは先に書いたとおりです。ASを演じているように思われたのは、ぬまおさんの奥さまに関する件でぬまおさんのコメントからキーワードとなる個所を抜き出し、知識と結び付けて解説のような形で示したこと、「反社会的行動」に関して生徒の自殺に結び付けてしまったため批判意見を述べたことからではありませんか。
私は仕事上でしっかりと相手の意見を受け止め、それに基づいて話をする、根拠をもって説明する、それも専門知識に基づき説明する、といったことを求められます。そのことを繰り返し行うことにより身に着いたものです。また、文章の読み取り、読解力については、社会人で大学に編入学し、レポート課題に取り組む中で身に着いたものです。どんな設題においても知識に裏付けられていなければただの思い込みであり、読まれない。そういった思考の訓練により培ったものであり、ASらしく演じるのとはなんら関係ありません。
こうした思い込み、決めつけが随所に見られます。それによって気分を害する人が一人や二人ではありません。これ以上多くの人の気分を害するのは止めていただきたい。
み さん、私が言うのもなんですが、少しご自分の事を振り返ってみたらいかがですか。
以前、みさんは、私の話題も巻き添えにしてFさんにコメントされた事がありましたね。
みさんは、似たような傾向のトラブルパターンを持っているように私には思えます。
そして。インターネット上では、専門知識に基づく考え方をする人間ばかりではありません。
相手にも自分とほぼ同等あるいは類似の知識や経験などがある場合のみ対話が成立するという事…これは実は稀なケースなんですよね。この事実が、みさんの思考からは抜け落ちているように思えます。
大衆の場で、自分と同じような専門知識を持っている同等の人間を求めたところで、どうしようもないではありませんか。
私は、専門知識的バックボーンのない人間が大半であり、その事が当たり前であり、ふつうなのだとそう思います。
それと私なら、もし気分を害したならその相手に直接物申しますよ。
さーこ(AS)さん
>それと私なら、もし気分を害したならその相手に直接物申しますよ。
ありがとう。
KYの私にとって、この言葉はとても心強いです。
自分が気付かないうちに相手を傷付けてしまったかもしれないと不安になることがあるので。
積極奇異の方は結構はっきり言ってくれますが、受動型は遠回しに「非言語アピール」で返したり、黙ってる人が多くて分かりにくいんですよね。
それもあって、受動型相手にははっきりものを言うようにしています(^_^;)
さーこさん
コメントありがとうございます。
私はここでは専門知識をコメントされる方に求めてはいませんでした。さーこさんの言われるとおり、さまざまな立場、さまざまな経験があり、さまざまな価値観をもっている人々の集まりであることを認識しています。ですから、コメントされた方の分析や理解を進めていくために、私がもっているここでの学びと専門知識なりを追加する形で参加していました。
Fさんの件は、私がFさんの特性を判断しかねていたことがあります。今回のことと似た部分があり、ジャイアンかと思いました。説明により理解を得られればと思っていました。ただ、話していくうちにジャイアンとは違うのではと思いましたが、ASさんは「貴方がおかしい」というと診断さえも拒否するという先生のエントリがあったことを思い出し、ご本人がもしかしたら?と思わなければ受け入れがたいことだと思ったためそのまま続けました。途中から「自己認識を」と繰り返していたのはそういうことからでした。ASであればASから見た相手の情報と理解する必要があります。そして、ASでは相手側に立って考えることが難しいので、返答の内容も変えなくてはなりません。根底が違っていれば根底から組み立てなくてはなりません。ASがADHDであると思ってしまうことがあることは、私が無理解だったところです。そして、ジャイアンが「ASの尊大な態度に反応する」という結果になりました。
ただ、今回に関しては「ASらしく演じる」ことはしていないということを言うために、そう見える背景を書かせていただきました。そして、道産娘さんのコメントでは、直接的に私であることを書いてはいません。揚げ足取りだと言われてひょっとして私のこと?と思いましたが、それだけで気分を害したとは言えません。事実確認が必要でした。これはジャイアンのずるがしこい部分です。でも、「揚げ足取りは楽しいですか?」と言われるまでは、何でADHDがASを演じるなんて発言したのかと違和感ぐらいでした。「機能」がとか「自己機能」が、と言っていたのです。道産娘さんには専門知識など必要ないでしょうが。
zzzさんは普通に受動型ASっぽいですけどね。
>その高校にしては二枚落ちともいえる大学に飄々と進学した奴
私がこんな感じかな。
>思考の先延ばしと結論の先延ばしは受動型ASの得意技
ADHDだと思う。
受動型ASの場合、今やる必要の無いものは先延ばし、だと思う。
急ぎでないものは、時間がたって環境が変わればやらなくて良くなることも多いから、TOTALの仕事量を減らすには、「明日してもいいことは明日やる」精神が大事。
>リーダーになるのは積極やADHDのほうが多い
これは当然。
中心志向=自分が中心になれる場(権力)を必要とする、ということだから。
別の見方をすると、中心志向を持つ人は権力を持たせないと実力を発揮できないが、持たない人は権力と実力に相関が無い。
それゆえ、組織運営で見た場合、中心志向系の人に権力を持たせる必要があるともいえる。
zzzさんもぬまおさんも上司と自分の立場が入れ替わったとすると、会社としては損と思うでしょう?
逆に受動型ASがリーダーになるというのはそれだけの理由があるということ。
まず、周りと比較して実力で持ち上げられるか、別の権力者の意向(=コネ)のどちらかです。
だから、zzzさんの上司は受動型ASではないと判断してます。
行動も典型的積極「奇異」型ASっぽいですし。
>受動型は、ヒエラルキーの上を目指そうとは思わないので
必要性があっても思わないんじゃないかな。
ただ、自分の実力UPの結果として、上の位置につくのを嬉しいとは思います。
>ヒエラルキーの上を目指せという話のすり替えに聞こえてしまい、その気のない受動型には馬鹿馬鹿しい話に思えるのかも
私はこの通りです。
受験勉強しなくても、普通の学校には入れるので、困りはしないんです。
たぶん、私がこれだけ言っても、なかなか中心志向がある人にはこの価値観は理解しがたいようです。
私だけでなく、複数人の受動型ASが自分の言葉で同じ価値観を語ることによって初めて、中心志向を持つ方々にも我々の価値観が理解していただけるとは考えています。
自分の価値観を理解してくれる人にしか、心は開けない。
これが自閉の正体なのでは? と思いつつあります。
道産娘さん
>KYの私にとって、この言葉はとても心強いです。
自分が気付かないうちに相手を傷付けてしまったかもしれないと不安になることがあるので。
「こうした思い込み、決めつけが随所に見られます。それによって気分を害する人が一人や二人ではありません。これ以上多くの人の気分を害するのは止めていただきたい。」
これでは気が付きませんでしたか。再度言います。
思い込み、決めつけで、私ものび助さんも柿さんにも、それ以外のコメント者にも、気分を害したので謝ってください。そして、今後、気分を害する発言をしないでいただきたい。
み さんへ
>コメントされた方の分析や理解を進めていくために、私がもっているここでの学びと専門知識なりを追加する形で参加していました。
個人的に、その参加の仕方はリスクがあると思いますよ。自分の正体が自分でもよくわからず、あるいは認めがたい、揺れ動く人間の心理は非常に複雑かつ繊細だからです。精神療法を行うお医者様でも、どう接するのかどうか、実は悩んでいる事があるのではないかと思うくらいにです。
診断確定していて、あるいは自己分析から自分の正体を認める事ができ、一定の段階まで自我や自身の核がしっかりしている人間限定ならまだしも、みさんは、いまだ二次障害が続いているような人間や、AC的でありながらもがんばって自分を立て直そうとしているような人間にまで、「発達障害という専門的知識をもって一方的な議論を吹っかけているように見えます」からね。
個人として接するのであれば、相性が合わない人間からは嫌われる程度ですむかもしれませんが、みさんがご自分の学びと専門知識なりを追加する形で参加するのであれば、話が違います。
私には、みさんは「ジャイアン当事者(個人)」として参加したり、「医療的な専門知識を有する専門者(公人)」を前面に押し出したり、その時々の状況や相手によって参加の仕方が大きく違うので、私には正直なところ、みさんの事がよく分かりません。
二次障害を持つ人や、AC的な人は、みさんの発言に混乱したり、傷を深めてしまわれるのではないかと、私は少し想像しているところです。
ちなみに私は、「診断済みの広汎性発達障害当事者として参加しています」。ASの圏内に当てはまるという事は、現実のお医者様に確認済みです。
みさん、事情聴取のような事実確認をしただけでは、他人が気分を害したのかどうか、本当にはわからないものですよ。何層にも重なる複雑で繊細な人間の気持ちを、捉えきれないからこそ観察し、尊重する事に留めてみるのです。
ご本人たちは、それぞれの境界で自分の謎を見ていると思います。ご本人たちにはご本人たちのペースや段階というものがあります。強迫的に発言しても、「無理強い」という事になると思います。
他人という存在を認め、意思や選択、決定をご本人のものとして尊重することができなければ、他人は心を開かなくなるだろうと個人的に思います。
つづきます
つづき
>「機能」がとか「自己機能」が、と言っていたのです。
ミラーニューロン、という単語を突然出したのは、みさん、あなたご自身ですよね。私は、みさんの突飛な関連付けだと思いましたよ。なぜなら、私にはそこまでの専門知識はありませんから。専門的バックボーンのない人間は、おそらく私のように思うだろうと思うのですが、どうでしょうか。
そして、そのような専門的研究のお話は、専門的に研究している人と直にお会いした時にお話しするほうが適切だと思いますよ。
さーこさん
>個人的に、その参加の仕方はリスクがあると思いますよ。自分の正体が自分でもよくわからず、あるいは認めがたい、揺れ動く人間の心理は非常に複雑かつ繊細だからです。
その点は私が配慮が欠けていた部分ですね。みなさま申し訳ありませんでした。
>「発達障害という専門的知識をもって一方的な議論を吹っかけているように見えます」からね。
そのように見えるのですね。ご指摘ありがとうございます。今後、議論を吹っかけているかどうか、確かめながらコメントしたいと思います。
>みさんは「ジャイアン当事者(個人)」として参加したり、「医療的な専門知識を有する専門者(公人)」を前面に押し出したり、その時々の状況や相手によって参加の仕方が大きく違うので、私には正直なところ、みさんの事がよく分かりません。
これは人間が多面的であるからということだと思います。個人‐個人、個人‐家族、個人‐職場などといった場面場面で表に出る姿が異なるのは人間だからということと、対人関係のなかでどの面を出すかの選択が行われるからといえます。これに関しては人間である故、何ともできないところです。
>二次障害を持つ人や、AC的な人は、みさんの発言に混乱したり、傷を深めてしまわれるのではないかと、私は少し想像しているところです。
私がコメントする相手のほとんどは中心志向が強い人です。
>みさん、事情聴取のような事実確認をしただけでは、他人が気分を害したのかどうか、本当にはわからないものですよ。
これはジャイアンにしかわからないことかと思います。私が言いたかったのは思い込み、思いつき、決めつけによって気分を害した人たちがいる、そして、ADHDがASを演じるというのは思いつきではないか、そういった思い込み、思いつき、決めつけで話を進めてほしくない、ということです。
>ミラーニューロン、という単語を突然出したのは、みさん、あなたご自身ですよね。私は、みさんの突飛な関連付けだと思いましたよ。
私です。「ADHDにも自分の弱点をカバーするために、強迫的に細部にこだわったり首尾一貫して考えたり…と、ASらしく演じる人達がいます」という発言から、ADHDはASを演じることがないのではないかと疑問をもちました。そのコメントが2013.02.17 14:55
「私はADHDの表面的な思考や思い込みをカバーするのにASらしく演じる人はいないのではと思います。「演じる」というのは受動型ASの方に特徴的であろうかと思いますが、おそらくADHDは演じるとは考えないのではないでしょうか。
「演じる」ことが必要なのは自閉という特性からでしょう。対人関係で相手の言動によって自分を振り返る機能があるのとない(弱い)のとでは違います。
私としましては、抜けが多い分きちっと見直す、場当たり的であるため一貫性を意識するなど、ASとは関係ないところでの弱点克服を目指します。
道産娘さんのいわれるASらしく演じるADHDさんの、具体的な演じている場面を紹介していただけるといいかなと思います。それと、ご本人に演じているかどうかを確認しましたか? そのあたりも聞きたく思います」
です。そしてミラーニューロンに関する部分が「「演じる」ことが必要なのは自閉という特性からでしょう。対人関係で相手の言動によって自分を振り返る機能があるのとない(弱い)のとでは違います」です。機能と書いているのはミラーニューロンの働きです。この時点では専門用語は使っていませんでした。ASが「トレース」したり、発達障害専門機関で訓練するのと同様のことをADHDも必要かといえば違います。それと同じで、ASが演じることをしても、ADHDも演じるのか、ということです。ADHDに必要なのは衝動統制です。思いつきで発言したのでは?と思いました。
そして、道産娘さんが「受動型ASは自分がないから」というのを繰り返していたため、「ASに自我機能がないのではないです。「一概に言えない」といえるのは自分がある証拠です。ぬまおさんが就職の際に親の縁故を断ったのも、m2さんが受験勉強は必要がないというのも、自分があるからです」と書きました。けして専門用語だけで話していた訳ではありません。もう一度お読みいただければと思います。
さーこさん、私はご指摘があれば通常感情的にならずこうして答えます。正当な指摘でない場合において、とくに非言語的に攻撃されたり、隠れた攻撃には抗議します。
zzzさん
>ヒエラルキーの上を目指せという話のすり替えに聞こえてしまい、その気のない受動型には馬鹿馬鹿しい話に思えるのかも
自分もその通りだと思う。
さーこさんとzzzさん
自分の意見がしっかりと言えてうらやましいです。自分は自己分析も始めたばかりで、まだまだだなと思ったよ。
みさん
自分も前になったけど、過集中の状態ではないですか?その状態でコメントすることを「コメント欄汚し」という人もいるけど、先生の基本的研究テーマはそこなので、実は先生にとっても皆にとっても一番見たいところかもしれません。冷静になったところで自己分析して解説することが、一番、この場にとって良いことではないでしょうか。
まず
少なくともわたくしは読んでいます、読みたくなくなるほどの嫌な感覚はないです。
改めて。
もうひとつ前の記事にコメントさせていただいた者です、自分の中での認知は受動型ASです。
この記事の
コメントでの色々なやり取りや使用される語句を拝読して
たくさん通じるモノが、わたくしの脳内で共感するものがありました。
例えば…(以下羅列します、)
相手によって演じることもある、
長期目標(目的)が見えれば(見通せれば)そこに至るまでの手法(手段)は問わないようになる(わたくしの場合は合理化しすぎて結果オーライですかと怒られたり)、
仕事と休みの切り替えが下手なのか内と外のエネルギー配分の問題なのか、何にせよ一人で好きに過ごせないうちは組織だとか社会だとかのルールにそわせないといけない、
『自分がない』のではなく、愛着にはそうなっちゃうんだけれども一人で好きに過ごせる時間は絶対必要でしかもそれが至福、
一般論よりも「この人の言うことだから」「この人にあわせ『しつくしたい』」という理由で、『その人仕様』で順応しすぎることもあるかもしれない(少なくともわたくしはそういう人います)…etc。
…すみません、皆様のコメントをすべて引用して
もっと細かく脳内で共鳴した部分を言語化したかったのですが
先に『共鳴した』ことを伝えたいなぁと感じた次第です。
ASさんにはなぜ私がこのようにしているか、意味不明ですよね。
流れ。
道産娘さんが「反社会的行動」において生徒の自殺を結びつけたため、私は簡単に口にすべきではないと批判した。
道産娘さんは「ADHDにも自分の弱点をカバーするために、強迫的に細部にこだわったり首尾一貫して考えたり…と、ASらしく演じる人達がいます」とm2さんへのコメントで発言した。
私はADHDがASを演じることはないだろうと道産娘さんに質問した。
「道産娘さんのいわれるASらしく演じるADHDさんの、具体的な演じている場面を紹介していただけるといいかなと思います。それと、ご本人に演じているかどうかを確認しましたか? そのあたりも聞きたく思います」
このとき「反社会的行動」に生徒の自殺を結び付けたこともあり、事実であるのか思いつきなのか確認したかった。
道産娘さんは揚げ足取りだとして質問には答えなかった。
私は再度、質問をした。
道産娘さんは質問に答えることは「支配」されることで、合理的思考を失うと発言した。
私は再度、質問をした。
答えがない。
本当に道産娘さんの身近にASらしく演じるADHDさんがいれば、それを答えられたはず。
答えられないのは、「ADHDがASらしく演じる人」との発言は思いつき、そして私を指しているのではないか。
だとしたら、ぬまおさんの奥さまに関することでの私のコメント、「反社会的行動」における生徒の自殺に関しての批判からASのように見えたのだろう。だが私はけしてASを演じることはない。
私の質問を揚げ足取りだと感じたのは、思いつきで発言したことに指摘されたと感じたからではないか。その思いつきのもととなったのは私のコメントからではないか。
であるなら、私は道産娘さんの思いつきで「ADHDがASらしく演じる人」として仕立てられ、m2さんに発言されたことになる。それは事実とは異なる。思いつきでもっともらしく発言することは止めていただきたい。他にも道産娘さんの思い込みや決めつけで気分を害した人がいる。
思いつきや思い込み、決めつけで話が進められて不快な人が出てきてもそのまま話を進めるべきか。私はいいとは思わないが、受動型ASの皆さんはそれでもいいとお考えですか。
???
過集中で書いた後、ぬまおさん、あおいよるさんのコメントを読み返して、何だか私は自分で「演じる」や「自分がある」と言っているのに、自分のことで精いっぱいで、それが重要な点だと気が付いていなかった? なんと愚かなことを。
受動型ASさんの対人関係における想像力に関して重要なキーワードになるのかな。どうなんだろう。
ここで謝罪したいと思います
この記事がはじまるころは自分が何者なのか、ヤンバル先生にとって私とは何者なのか、まったく理解していませんでした
謝るということに意味はあるのか、理論的思考ができない私に
ヤンバル先生のことなど一切理解できません、まだ
しかしそれはネット上のルールではあたり前で、ネットとテレビの情報発信源のみをたよりに生きている私にとって
大人たちの世界に踏み入ることがグレーゾーンであるということに気づくことはできませんでした
人生つらいことばかりで、決して裕福な生き方はしていませんが
キャラクターとして見れば普通を目指しすぎ、やはり計画通りには私は役割を演じることはできないと言えます
しばしばここのコメントにて威力的になったことをここで
まだ現状把握ができていないかと、しかし勉強し
独立する気持ちはあり、年を重ねる人々に感謝をしていますnmので、くどいようですが謝罪します
まだ4月まで残っておりますが、どうかスルー推奨でお願いします
私のなかで当たり前に解釈していたこと、これは当たり前ではないんだ、そのことに気づかせていただきありがとうございます。
さーこさんが私をわからないと言ったこと、これは私自身が演じることなく、自動的に相手にあわせ、相手の意見から自分の意見を言うことをしているためだ。人間には多面性があるということを、自分自身を見て思うし、相手を見て思う。たとえば、自分は家族には反発したり、甘えたりもするけれど、職場では立場をわきまえて言動しながらも、他者に反発することもあれば言葉に甘えることもある。相手によってどこまでそれをするかは、相手を見ながら行っている。これは相手の立場や相手との関係性によって違ってくるし、同じ相手でも場面場面で違ってくる。相手もまたそうしていることがわかる。これは自動的に調整されているもので、けして内と外で使い分けているわけではない。
しかし、受動型ASさんは「演じる」という。相手の言動を分析してそのようにまねることができる。多数派やADHDもまた対人関係においてまねることをするが、けして分析しているわけでもなく、けして演じているのでもない。演じることは自分を押し殺すというような感覚に陥る。自分でない誰かを演じることは、演劇などをするしかない。それが異なる部分。思えば「演じる」ということができるのは、私にとって不思議なことである。
とまあ書いてみましたが、受動型ASさんたちは「演じる」ことをどう分析しているのでしょうか?
演じるときの自分はどこにいっちゃっているのでしょう?
まだまだ疑問が出てくると思いますが、頭が疲れているみたいで今はこれまでにします。
だめだ。頭が考えようとしている。
「自分を押し殺すというような感覚」というのはまさしく自我機能によるもの。つまり、自分と他者の境界を保つことをしているため、「演じる」というのは自分の価値観や感じ方、考え方などを無くすこと、それに抵抗しているのだ。とくにADHDはそれが強いのかもしれない。
道産娘さんの「ADHDがASを演じる人達がいる」という発言に引っ掛かったのは、この「自分を押し殺すというような感覚」が生じていたのかもしれない。自分は自分でありたいという自分がいる、常にいる。自分の境界に踏み入れられることを嫌がる。逆に、自分を押し殺して相手の境界に踏み入ることをしない(依存のないADHDの場合)。その自分に対する認識があったから、それはないだろうと思ったのだ。
ふむ。同時並行で話を進めますね。片方で別の話を進めながら、もう片方で会議のテーマを話している、なんて場は、雑多な真剣さが感じられて好きです。
>受動型ASの場合、今やる必要の無いものは先延ばし、だと思う。
ああそうか。しっくりきます。俺は考えること・やることを先延ばしすることしばしばですが、今でないとまずいと判断したものは確かに、プレッシャーに胃を痛めたりしつつ先送りにはしていません。
>上司と自分の立場が入れ替わったとすると、会社としては損と思うでしょう?
これは、一般論としてその通りかも。上を見て、こうすればいいのにと思うことはあっても、入れ替わって出来るかというと、自信ないわ。今の上司については、互いの様々な要素を比較分析し、入れ替わった方がまだましと思えるんですけどね。特異な例だとも自己分析しています。積極奇異なのかな、うーん、ASなのは間違いなさそうですね。
>自分の実力UPの結果として、上の位置につくのを嬉しいとは思います。
分かります。実力とともに、人から、特に「あの人」から認められたという感覚が嬉しさにつながると思っています。俺の場合、近くにいる人に認めてもらいたいから上を目指す感覚がどこかにあります。認めてもらうために必要であり、ほかの手段方法で認めてもらえれば上に立つ必要性は消滅するかな、と思っています。必要性の一般化は無謀だったか。
>ヒエラルキーの上を目指せという話のすり替えに聞こえてしまい
ここにm2さんもぬまおさんも賛同してくだすったのは心強いなぁ。俺は中学の頃からずっと渦巻いていた思いがありました。勉強し、世間的にいいと言われる道を進んで、何があるのか・はたしてやっていけるのだろうかと。疑問と自信のなさですね。進学校という環境にいたためか馬鹿馬鹿しいという割り切りもできず、かといって能動的に勉強する意思も技術もなく、固まってたなぁ。馬鹿馬鹿しいものなんだという思いは、そういう重しや足枷がとれてきて、最近になってようやく出てきたものです。
ところで、前回は踏み込んで色々と書いてしまいました。そのうち俺自身以外について書いた部分のあちこちをうまくスルーしていただいただろうことに、感謝とお詫びを。
>受動型ASさんたちは「演じる」ことをどう分析しているのでしょうか?
一般的に使われる「演技」をしている状態だ、と考えていただいて大丈夫だと思います。自分の素の対応ではないことを意識下(場合によってASの程度によっては無意識下)で気付いていながら、そのように対応しています。
人やものごとに対する反応という点で自動調整と類似しますが、反応する時点から既に気付きがあるという点で相違するのでしょう。
それを苦に感じるかどうかは、これも人や場合によって異なってくるように思います。その場その時はストレスに感じなくても、長い間にストレスがたまる場合もあろうかと。
さて、道産娘さんの「演じる」コメントを読み返すと、道産娘さんご自身がADHDやASの特徴をどのようにとらえているのか、それが分かるのではないでしょうか。
道産娘さんの考えはすなわち、強迫的に細部にこだわること、首尾一貫して考えることは、ADHDに特徴的でなく、ASに特徴的である。ただ、ADHDの中には、何らかの弱点をカバーするために、それらの行動を演じる者がいる。そのように考えるのは、道産娘さんご自身に思い当たる部分があるからである。演じることができるのかどうかについては、ご自身は確かに演じていると認識している。
みさんがこの点について道産娘さんにお聞きしたいことのひとつ(そしてたぶん医学的に最も聞いてみたいこと)は、真の意味で演じているのかどうか、ですよね。医学的見地からはADHDが演じることは考え難いためですね。
そうすると、道産娘さんが「演じる」と表現する対応ないし行動がどのようなものなのか。それが判明すれば、道産娘さんの言わんとしていることがより明確に伝わり、みさんの疑問が解決するのではないでしょうか。みさんがしきりに具体例を知りたがったのも、そのためですよね。具体例から演繹的に結論を得たい、と。
よろしければ道産娘さん、「演じる」が、演じている時点ですでに自己の行動を認識できており、その行動が自己の本来の対応とは異なる(ないし反する)対応となっていること、だとして、欠点のカバーのために演じることはありますか。
これだとみさんの疑問が解決し難いのであれば、みさん、「演じる」を定義づけてみませんか。
> みさん
『自分を押し殺して相手の境界に踏み入ることをしない』
というのはつまり・・・
自分は境界に踏み入れられることが嫌なのに、
自分はゴリゴリのジャイアンの姿で人の迷惑を顧みず、相手の境界を踏み荒らしているのですか?
それとも、
他人のコメントにコメントして、誰よりも他人に領域にアクセスしているのに、「私は境界に入りません」という認知の誤りがあるのですか?
あおいよるさん
受動型ASが考えていることの全てを言語で表現するのは難しいですよね。
普段自分がどのように考えているか? なんて考えることは無いですから。
私もどの部分が受動型ASで共通の部分なのか? を把握できているわけではないので、自分の思うところを書き綴っていますが、少しでも共感できた部分を書いてもらえば、その部分が受動型ASに共通の部分と絞り込むことができます。
み さん
私は発達障害を知る前から、複数の役割を演じている認識はありました。
自分の考え方は球体になっていて、一言では表せない。
ある場面で切った考え方と、別の場面で切った考え方は全く違う。ただ、その場面においては最適化されている。
自分の考えになる核があるわけがなく、球全体が自分なんだ。そういう意識はありました。
その切る角度によって、違う役割を演じることになる。
なので、同時に2つの役割を演じることはできないんです。
別の役割の時にできたからといって頼られても、別の役割を演じている時にはすぐには対応できない。
膨大なDBから時間をかけて検索するか、別の役割にチェンジするか、どちらにしても楽ではないです。
み さんの書き込みを見て考えたのですが、ADHDがASっぽく演じることはあると思います。
もちろん、自分が自分であるという感覚を保ったままで。
ADHDがACから回復しても、ネイティブ状態よりAC状態の方がうまくいく時もあるはずです。
ACだった時の自分を演じることはあるのではないかと。そのように見えることはあります。
結果として、ASを演じるのに近いことになるかと。
ネイティブ状態とAC状態を都合よく使い分けられるなら、いいですよね? 受動型ASの演技って、そんな感じですよ。
(つづき・・)
あ。わかった。ちがうな。それは私がやりそうなことだっ。
みさんは境界線を犯そうしているのではなく、
自分が有能だとみんなにわかってもらいだけなんだった。
自分がASだと・・ど~してもAS的に考えてしまいますm(_ _;)m
zzzさん
>みさんがこの点について道産娘さんにお聞きしたいことのひとつ(そしてたぶん医学的に最も聞いてみたいこと)は、真の意味で演じているのかどうか、ですよね。医学的見地からはADHDが演じることは考え難いためですね。以下省略
すみません。道産娘さんには私の質問は「支配」だということなので、これ以上ご発言なされないようお願いいたします。道産娘さん自らがお話しされたときに対応されるようお願いいたします。
m2さん、お答えありがとうございます。
>み さんの書き込みを見て考えたのですが、ADHDがASっぽく演じることはあると思います。
もちろん、自分が自分であるという感覚を保ったままで。以下省略
この件に関しては、私が関与すると「支配」になるので道産娘さんと議論を深めてください。よろしくお願いいたします。
ちひろさん
>自分が有能だとみんなにわかってもらいだけなんだった。
そのようですね。すみませんでした。
皆様、申し訳ありませんでした。
道産娘さん
本当に申し訳なく思います。
揚げ足取りでしたね。そして、支配した。
私が余計な口出ししたのですよね。自分の衝動を統制できずに、口出ししたのですよね。
本当にすみませんでした。申し訳なく思っています。
貴方を支配しませんので、どうか議論を進めてください。
お願いいたします。
本当にすみませんでした。
m2さん
>思考の先延ばしと結論の先延ばしは受動型ASの得意技
ADHDだと思う。
受動型ASの場合、今やる必要の無いものは先延ばし、だと思う。
急ぎでないものは、時間がたって環境が変わればやらなくて良くなることも多いから、TOTALの仕事量を減らすには、「明日してもいいことは明日やる」精神が大事。
はっはっは。全く同じこと考えているな。他人とは思えん。
今日やらなくてもいいことは今日やらない!だから、差し迫った仕事が多いほど効率が上がる。
>受動型は、ヒエラルキーの上を目指そうとは思わないので
必要性があっても思わないんじゃないかな。
自分の場合、平社員の立場で年上の後輩に同じ時間にやらなければならない細かい仕事を配分しなければならないんだけど、ADHDや積極奇異型に「やりたくない」と断られて、上司には「自分で何とかしろ」とか言われて、後輩に頭を下げて頼むことが多いので、せめて後輩に指示できるような何らかの役職がほしい。ADHDと積極奇異型は自分より上の立場にいる人の指示は聞いているようなので。上を目指してどうにかなるのであれば、思うこともあるな。
みさん
自分が演技しなければならないと思うのは、ADHDのような激しい衝動性がなく、ムカッとすることは多いけど人を攻撃するほどの強い怒りがこみあげてくるという感覚がほとんどないから。ここは怒ることが一番効果的な場面だ、と感じた時にADHDが怒鳴っている姿を真似て怒っている感じかな。昔、人と殴り合いの喧嘩をする時も、心の中では大丈夫かな、けがさせたらかわいそうだな、なんて考えながら怒った演技をして殴っていました。自分からは殴れないので、必ず先に殴られてたな。喧嘩をしても受動的だ。そのほかの演技は人間関係を保つための対応だと思う。
あと、多かれ少なかれ演技をしない人間はいないよ。みんな嘘もつくしね。だからADHDがASのような演技をすることがないとは一概に言えないため、難しく考えすぎたのでは?その点に捉われてしまったのは過集中で視野が狭くなっていたからかな?演技ですごいと思ったのは昔、仲が良かった自己愛性人格障害の友達で、そいつは話すことや行動の全てが自分をよく見せる演技だったよ。
zzzさん 一点誤解が。
>今の上司については、互いの様々な要素を比較分析し、入れ替わった方がまだましと思えるんですけどね。
上司側だけでみると、入れ替わった受動型の方ができるケースの方が多いはずです。
受動型ASは使い分けによって、上司側の仕事も部下側の仕事もできます。使えない上司なら、入れ替わった方がよくなります。
問題は部下側です。
果たして今の上司が入れ替わった時に部下側の仕事はどうなりますか? 何も動かないですよね。
個人的には、上司側の仕事も、部下側の仕事も、給料の差ほど重要性の差は無いと考えています。
なので、上司側の仕事と部下側の仕事を合計すると、今のzzzさんの場合でも入れ替わるのは損ではないか、と。
このケース、もし仕事の出来が同じで、受動型と積極奇異型が逆なら、必ず積極奇異型の部下が給料について文句を言うはずです。
受動型ASなので、そこまでこだわりは高くないですが、職位が高いだけで給料が高いのだけは納得はいっていません。
「権力」は大きな報酬なので、議員や公務員、社長・役員とかは給料低くていいと個人的には思います。低くてもやりたい人はいっぱいいるのですから。
「権力」と「給料」が比例してしまうと、中心志向のある人達が既得権にしがみつくので、おかしなことになってしまうのです。
zzzさんも、もし上司と給料が同じなら、今のままでもいいと思いませんか?(上司が変わらないという前提で)
部下としてはどうやっても使えませんが、上司としてなら多少は使える、と。
道産娘さん、そして皆様へ
私が衝動統制できていないとき、そして支配しようとしているとき、遠慮なくご指摘ください。そして、どのような衝動統制が有効なのか、教えてください。
私は非言語的にアピールされてもわからないことがあります。言語的に直接いってくださるとわかります。「あなたがそう思えばそうでしょう」「揚げ足取りだ」「支配だ」などと感情的に返されるとかえって攻撃的になりますので、今回の私のようにできるだけ気づかせる形でいってくださるとうれしいです。しつこくいってもらってかまいません。
たしか、JETさんに人という文字の由来を訂正していただいたことがあります。そのときには間違いであることをすぐに認めました。私は欠陥人間なので、よく間違ったり思い込みで発言したりすることがあります。できるだけ思い込みや思いつきで発言することに注意していますが、気付かないこともあります。私の衝動統制の訓練にお手伝いいただければと思います。よろしくお願いいたします。
みさん
>これ以上ご発言なされないようお願いいたします。
了解しました。加減が分からず申し訳ありません。道産娘さんもごめんなさい。
m2さん
>もし上司と給料が同じなら、今のままでもいいと思いませんか?(上司が変わらないという前提で)
>部下としてはどうやっても使えませんが、上司としてなら多少は使える、と。
うーん、参った。そういう条件なら心が揺れます。自分に対しては何ら使えない上司でも、組織の上位者にとっては、定形処理をミス重ねながらもこなす点で使えるでしょうから。
部下としても、俺に任されている定形処理なら十分にこなせる点で、その限りで使えそうなんですけどね。ここにこれ以上書くと愚痴になってしまうのでよう書きませんが、非常に特殊なケースだとお考えいただけますか。
そうそう、その上司を受動型ではと俺が判断した大きな理由は、ごく限られた人以外とは、新しく加わった俺も含め積極的に関わろうとしていないからだったんです。俺も最初からどこか遠ざけられていたし。キレられた後はもっと遠ざけられたし。もしかすると、周囲から疎んじられる経験を重ねた結果、そういう反応になっていたのかもしれません。
>職位が高いだけで給料が高いのだけは納得はいっていません。
私もそう思っています。受け身的に反応しているようでいて、結構周囲を観察してるんですよね。
ぬまおさんの
>差し迫った仕事が多いほど効率が上がる。
には、思わず笑ってしまいました。俺にも心当たりが多すぎるもので。だから、受け身で怠惰なように見えるけど、実は仕事は多少多いほうがありがたい。今は少なすぎて嫌になるのよ。
>何らかの役職がほしい
はぬまおさんらしくないなあ。
確かに年上の(実質)部下は扱いが難しいとは思う。
自分もそんなに経験があるわけじゃない。
「後輩に頭を下げて頼む」のがいけないような気がするのだがどうなのだろう。
年上相手だと、立てる気持ちは大事だけど、頭を下げずに自信満々に指示する方がいいのではないかな。
自分の経験だと、年上だろうが、先輩だろうが、役職無くてもこちらの方が立場が上と認識させてしまえば、「やりたくない」なんていわせることはないなあ。
確かに、役職があれば楽だろうとは思うけど。
>差し迫った仕事が多いほど効率が上がる。
これは受動型ASに特有な気がするな。
我々は、だいたいこの仕事はこれくらいの時間があればできる、って感覚は持っているじゃない。普通の人はせっぱつまると時間に追われるストレスで効率が悪くなりそうだ。
差し迫った仕事、といっても、時間が読めない仕事は最後まで残さないよね。そのあたりの判断力は先天的に持っている気がする。
>実は仕事は多少多いほうがありがたい
少ないほうがいい、とは思うのだけど、少なすぎて暇すぎると却って疲れるのは確か。暇な時は休暇を取って、暇になりすぎないように仕事量を調整したりするなあ。 自閉の外の世界だと、過集中モードじゃないと逆に疲れてしまうのか?
>だいたいこの仕事はこれくらいの時間があればできる、って感覚は持っているじゃない。
そういえばそうですね。しかも、どのくらいのペースならこの時間でできる、とまで感覚的に分かるような気がします。その裏返しで、やってもやってもなお時間の読めない仕事は、途中からちょっと困り出すかも。
試験問題も、問題見てこのくらいの時間で解き終わるだろうと予測して、ペースをつかんでいたなあ。試験時間が限られているから、試験については、小問のうち解答時間の読めないものは後回しにしていた記憶があります。
勉強のペースをつかむまで、時に導いてやりながら温かく見守っていれば、黙っていても受動型ASは勉強を続けられるのかもしれません。自分のペースでものごとを進めるのは得意だと思うので。
ただ、俺みたいに勉強に対する固定観念がある場合には、それを外すことが必要になるでしょうね。
>ぬまおさんらしくないなあ。
そうだね(笑)会社のジャイアンは頼めば普通にやってくれるんだけど、問題なのは年上と年下の積極奇異型。年上の方は何かにつけて攻撃してくるので面倒でしょうがないよ。年下の方は上司の腰巾着になっていて、自分が何か言うと、いちいち上司に確認して「別に、やらなくてもいいと言われました」と報告してくる。
実は、自分が社長からの信頼が厚いことが気に入らないというのは明白で、自分が高卒(専門学校は専門職についていないので学歴にならない)なので、学歴の低い奴の指図は受けたくないというような趣旨のことを、年上の方はよく言ってるな。ちなみに年上は大卒で、年下は院卒。
年下の方は、たまたま会社で秘密にしているSNSのハンドルネームを知ってしまったので、本人には秘密で見ているんだけど(積極奇異型の研究のため)、腰巾着やってる上司や社長のことを「世間知らずのブルジョア」と評し、会社のことは「ブラック企業に入ってしまった。実力が発揮できる大手企業に転職したい」だって。ほとんど仕事しないで遊んでいるだけなのに。自分のことについては仕事上のアドバイスを普通にしただけなのに、「本当にイヤミで気に食わない奴」として一番多く登場していたよ。
つづき
その内容は、普通のアドバイスを悪意に満ちた受け取り方をしていたな。ジャイアンや年上の積極奇異型についての記述はなかったな。なぜだろう?積極奇異型同士は日常的に接触はなく、ジャイアンがいない時、いつも上司との話しでジャイアンのことをボロクソにけなしているんだけどな。自分がいない時は言われているかも。非言語で勝手に何かを感じ取っているのかな?不思議でならない。
従って、役職を得たところで、余計に積極奇異型の反感を買うだけで、何も解決にはならないってわけだ。じゃあ、役職はいらないな。
なんで積極奇異型は受動型を見ると攻撃してくるんだろう?自分は母親と姉が積極奇異型なので、幼い頃からミスを徹底的に責められる攻撃を受けまくってACになり、小学校に入った頃には親に依存するどころか嫌悪感すら抱いていたと思う。
親に干渉されるのは今でも嫌で、こうしろと言われたら反抗して逆のことをするかもしれない。今はなるべく近付かないようにしているけど。それが大手企業の内定を蹴った最大の理由かもしれないな。
話は飛んで、最近、依存について考えているんだけど、一体、自分が何に依存して生きているのか自分でもよく分からないよ。ZZZさんとm2さんはわかる?
ぬまおさんの場合、相手が社会的な権威で聞く聞かないを判断していることを、肌で感じているんじゃないでしょうか。だから、肩書があるとスムーズに事が運ぶと予測しているんじゃないかなぁ。俺の今の上司も肩書を絶対視しているので共感できます。
肩書を得ればたぶん、相手は少なくとも表面的には従うと思います。ただ、表面的にだけ従われると、それを敏感に感じ取ってストレスに感じることがあるかもしれない。
ぬまおさんはむしろ、m2さんのおっしゃるとおりで
>頭を下げずに自信満々に指示
するのがベストの対応だと俺も思うなぁ。
この対応に切り替えると、はじめのうちは反発が大きいけども、構わず続けているとやがて収まって、聞くようになると思いますよ。長いと半年くらいかかるかもしれないけど、逆にいえば、半年踏ん張れば大丈夫だと。しかも、自信のある態度は相手の心の中にも入っていって、内心も徐々に従うようになるんじゃないかな。このあたりは経験則です。
俺と違って聞く耳のある上司もいるから、必要に応じてフォローに入ってもらうよう事前に話を取り付けておくとさらにいいかも。フォローがあると仕事がうまく回るから組織にもあなたにもいい話だと思うのです、なんて話をちょいと加えておくとなおいいかも。
>自分が何に依存して生きているのか
俺は最近、禅問答みたいだけど、依存することに依存しているように思えています。
よく、愛着ある誰か・何かに依存する、という説明がなされますよね。客観的には確かにそのとおりなんだけども、根っこにあるのは依存欲求で、その奥にあるのは安定要求だろう、と。依存しないと不安定だから依存する、というか。だから、成長するに従って心が安定してくると、依存の度合いも薄れてくるんじゃないかなぁ。
依存してる対象が見えなくなることがあるのは、安定欲求がその奥にあるためだと思います。その対象との関係で安定が得られそうにない場合か、その対象との関係では安定が得られるけども他との不安定な関係をカバーしきれない場合に、依存対象の姿が見えなくなるのかも。
依存で不安定さが解消されないときは、他に原因があるのかもしれません。俺の場合そうだったという話ですけど。ぬまおさんの場合、自信満々な指示をするように変えてみると、何か変化があるかもしれません。
ぬまおさん
年上の方は、学歴しか勝負をするところが無いし、頑張ってどうなるものでもないから、どうにもならないね。
ここ一番でどうしても動かす必要がある時は、社長経由で動かすしかないわな。
もっとも、そんなことぬまおさんならとっくにやっているだろうけど。
問題は年下の方。
完全に対応間違っているだろ。
自分のことは棚に上げ、他人批判を繰り返す奴って、ここで出てきたよね。
こいつは受動型ASにしか見えないな。
だとすれば、アドバイスなんかしてほしくないだろ?
せっかくの問題を解決する機会を奪う必要は無い。
まとまった仕事を渡して、「実力」というものを認識させてやるといい。
どうせできるわけないから、後始末は大変だけど、そこは腕の見せ所。
一回地獄に突き落としてやれば、化けるかもよ。
>自分が何に依存して生きているのか
私の場合は単純です。
動作性IQが知的障害並みなので、身の回りのことができない。
正確に言うと、頭をフル回転させて自分にできるやり方でやるのだが、ジャイアンが片手間にできてしまうことが、一仕事になってしまう。
よって、身の回りのことや家事、そのほか誰でもできることは依存したい。
身体障害者が依存したい、というのは許されるのに、まがりなりにも対応している以上、依存したいといったら批判されるのはつらいところ。
今まさに後期期末テスト期間中のうちのKY受動型AS中学生ですが、勉強以前にプリントや提出物の整理ができません。一年分の通し番号のあるプリントをランダムにファイルしてあったり、ファイルそのものもきちんと折りたためずぶっさいくなファイルになっていたり、ファイルすらしていないでぐちゃっとカバンの底にプリントが溜まったりしています。今の公立校はとても親切で各教科ごと先生がファイルを用意してくれるので、順番にそれに入れてゆけば良いだけなのに順番すら意味が分からないのです。どうやるか教えても、勉強にまつわる話題自体が気分を害するようでまともに聞きません。テストの時期本当に疲れますし、いっそ全寮制、といつも考えています。最初は自己責任だ、と本人に任せていましたが、落ちるところまで落ちていて、なおたいしたことは感じていないようです。あまりに理解がないので「単科の授業取り出し」をほのめかすと、泣いて怒ります。でもその涙は絶対に勉強につながりません。煮ても焼いても食えない、、、。
先生の昔の日記をいろいろ見てて分かったのは、上司が依存型ジャイアンだってことだ。こりゃ、受動型にしか見えないわ。先生も判別に苦慮しているのがよく分かる。ZZZさんの上司も依存型ジャイアンかもしれないね。
なんで受動型かと思ったかというと、自分から人に話しかけなかったり、仕事の指示が的確にできていないのを見て人に気を遣いすぎているのかと思ったこと、怒り方が雑で、演技が下手な受動型だと思ったためです。どうやら、責任回避のための素の対応だったみたい。自分と比べて違う点をしばらく見て、まとめて報告します。
m2さん
年下の積極奇異だと思っていたけど、受動型ASの可能性があるな。人の型を正確に見抜くのは難しいね。もっとよく先生の日記を読まないとな。自分の妻のことも分からないかったくらいだから、指摘してもらえるとありがたい。
>一回地獄に突き落としてやれば、化けるかもよ。
受動型ならACの可能性が高いな。他人を批判しているのは自己評価の低さの表れじゃないか。引きこもってしまうかも。実は会社に入る前まで、そいつは就職してはやめることを繰り返して、足かけ5年間ニートだったというので、地獄になったとたん会社に来なくなる可能性がある。ニート中は死にたかったけど、テレビゲームをして一日中遊んでいたと言っていたよ。今でも会社から帰るとすぐにゲームで遊んでいるみたいだ。積極的にやると、自殺や訴訟リスクもあるので、ここは慎重にやらないといけないと思う。
zzzさん、m2さん
>頭を下げずに自信満々に指示するのがベストの対応だと俺も思うなぁ。
よし、自信満々に指示してみるか。苦手だけど頑張ってみるよ。
>依存することに依存している
あーなんだか分かる気がする。トラブルは避けたいと思いつつトラブルに首を突っ込む自分がいる。自分の場合、不安定な場所に安定を求めているのかも。この辺は経験と個性の影響かな?
m2さん
>動作性IQが知的障害並みなので、身の回りのことができない。
うーん、それはつらいね。自分も子どもの頃はひどかった。ドブ川の橋の上に立って右岸か左岸のどちらかにジャンプする時、迷った挙句に正面のドブに飛び込んだこともあるよ。
自分の場合、子どものころ無気力で何もやる気が起きない時、体に最初に決めた手順で命令を出して勝手にやらせて、頭では別のことを考える対応の仕方を覚えたよ。子どものころに勝手に名付けたのが「ロボットモード」で、慣れると行動開始前のストレスがほとんど感じられなくなるよ。今でも、家事はこのロボットモードではじめて、家事を最短時間で終らせよう、とか位置付けるモチベーションの変換で対応している状態。家事の場合、汚れてきたので、そろそろやらなければと必要に迫られれば普通に出来るけど、毎日のこととなると普通にできないところが悲しい。
今はロボットモードが進化して取材の時、耳で聞いた言葉をそのまま理解せずに手に書かせる「自動書記モード」もできるようになった。職業技術かな?m2さんも家事などで試してみる価値はあるかも。頭と体を切り離すイメージ。
あと、AC時代に現実の辛さから夢の世界に逃げていた時、夢の中で自由に動ける「明晰夢」というのを見られるようになったな。夢の中って触覚まで感じることができるんだよ。そんなことばかり書いていると、頭が変な人だと思われそうだ。生まれつき変なんだけどね(笑)
KEIさんは受動型ASの母親ですか?
プリントの整理か・・・ かばんの底に折れ曲がったプリントが溜まっていたりはしていたなあ。今でも大差ない。
ただ、今はどうしても重要なものだけは、なくならないように何か手段を使っている。
>一年分の通し番号のあるプリントをランダムにファイルしてあったり
このプリントは、通し番号順に並べておかないと意味が無いものですか? また、後で見返すことがあるものですか?
どうしても、その順番に並べる必要がなければ、適当に入れます。なぜなら、面倒だから。少なくとも、私にとって通し番号順にプリントを並べ替えてファイルするのは、かなりの重労働です。
順番の意味がわからないのではなく、必ずしも順番に入れる必要が無いのではないでしょうか?
もしそうなら、何言っても聞かないです。
ファイルの並べ替えが重労働だと言っても、誰も信じてくれないですよね。だから、反論のしようが無いんです。でも、本当にそうなんです。
>落ちるところまで落ちていて
それでもクラスの平均くらいはあるんじゃないですか?
だったら気にならないですよ。
そうでなくても、入れる高校があったり、できる仕事があるなら、気にならないです。
>いっそ全寮制
私の場合、一人暮らしをしたのは、30くらいに転勤した時が最初です。その時、就職してすぐでなくて良かったと思いました。
受動型ASは環境の変化に弱いです。
高校全寮制は、学校と生活の両方が急変してしまい、私なら耐えられないと思います。
大学なら、入ってしばらくは何もしなくてもいいので、生活環境を変えるには悪くないタイミングと思います。
お子さんは受動型ASとしては正常だと思います。
できれば欠点には目をつぶってあげて、いいところ(必ずあるはずです)を見つけて伸ばしてあげてください。
お願いします。
>受動型ならACの可能性が高いな
受動型ASのACは正確に定義されていないはずだが・・・
でも、私もこの年下の部下こそ、受動型ASのACだろうと思ったのは同じ。
ジャイアンは正常時には周りを批判し、ACになると周りに同調する。
受動型ASは正常時は周りを肯定し、ACになると周りを批判する。
真逆だなあ。でも、ジャイアンACと受動型ASは区別がつきづらいけど、ジャイアンと受動型ASのACは簡単に区別つくよなあ。
なぜだろう?
>ロボットモード
これは、私が身体ではどうしてもできないことを頭を使ってなんとかやりこなす、と言っているのと全く同じ。
これができてしまうから、障害者に見えなくなってしまう。
家事も頭をフル回転させれば、疲れるけどできないわけじゃない。
まあ、でも、むなしいわな。
サンプル数が少なすぎるけど、私はここは受動型ASに共通しているのではないか? と思っている。更に、受動型ASの諸症状は全てこの1点が原因では無いかと。
でも、日常生活で頭と身体を切り離して考えないといけないから、ジャイアンの頭で考えていることと身体で行動していることの矛盾がなんとなく理解できるのだろうな、とも思う。
ぬまお様、m2様。
>ロボットモード
この語句に関するやりとりに共感、共鳴します。
独り言です。
zzzさんの
>依存してる対象が見えなくなることがあるのは、安定欲求がその奥にあるためだと思います。その対象との関係で安定が得られそうにない場合か、その対象との関係では安定が得られるけども他との不安定な関係をカバーしきれない場合に、依存対象の姿が見えなくなるのかも。
キーワード⇒安定欲求
m2さんの
>正確に言うと、頭をフル回転させて自分にできるやり方でやるのだが、ジャイアンが片手間にできてしまうことが、一仕事になってしまう。
>どうしても、その順番に並べる必要がなければ、適当に入れます。なぜなら、面倒だから。少なくとも、私にとって通し番号順にプリントを並べ替えてファイルするのは、かなりの重労働です。
キーワード⇒一仕事、面倒、かなりの重労働
ぬまおさんの
>自分の場合、子どものころ無気力で何もやる気が起きない時、体に最初に決めた手順で命令を出して勝手にやらせて、頭では別のことを考える対応の仕方を覚えたよ。子どものころに勝手に名付けたのが「ロボットモード」で、慣れると行動開始前のストレスがほとんど感じられなくなるよ。今でも、家事はこのロボットモードではじめて、家事を最短時間で終らせよう、とか位置付けるモチベーションの変換で対応している状態。家事の場合、汚れてきたので、そろそろやらなければと必要に迫られれば普通に出来るけど、毎日のこととなると普通にできないところが悲しい。
キーワード⇒無気力、「ロボットモード」、位置付けるモチベーションの変換で対応、普通にできないところが悲しい
あおいよるさんの
>>ロボットモード
この語句に関するやりとりに共感、共鳴します。
受動型というのはスイッチ(小脳虫部、大脳基底核)がうまく働かないASってこと?
依存型ADHDはスイッチ部分の脳の機能不全が強く(脳がそうなっていると言ったほうが良い)、依存的になりやすい?
依存型ADHDと受動型ASの共通する部分が動機づけに関する脳の機能不全?
受動型AS⇒「演じる」「ロボットモード」自己意識を抜いて自動モードに
依存型ADHD⇒先延ばしによる自己突っ込みを回避するためにやる
>自己意識を抜いて自動モード
確かに、表面上はそう見えそうだ。
日常生活で、例えばお湯を沸かすとかだと、
①水を入れる
②ガスの元栓を開ける
③火をつける
④沸騰を確認する
⑤火を消す
⑥ガスの元栓を閉じる
というように、いくつかの工程に分かれる。
ジャイアンは、この工程一つ一つを瞬間的に判断し、即座に処理できるので、①~⑥を連続動作でこなしているように見える。
ただし、③と⑤の間の時間に何か衝動が起きると火を消し忘れる。
受動型ASは、一つ一つの行動をするのに、いちいち過去の経験を持ち出して判断する。
つまり、初めての時にこの操作をするのには異様に時間がかかる。
また、この中に過去の経験が無い作業がある場合、誰かに教えてもらわないとできない。
付属の取扱説明書がないと、本当にできないんだ。
毎回、これではとても大変なので、①~⑥の作業を一体のものとみなし、どうすれば効率的か? を考え、プログラム化する。
自己意識を抜く、のではなく、作業前に持ってくる。
まあ、作業中は抜いていることになるのだが。
しかし、最初から正しいプログラムが作れるわけではない。
ジャイアンの失敗と同じ例は一度はやらかす。
最初からそんなことを考えてプログラムできるはずはないから。
一度失敗したり、誰かの失敗を見たとき、プログラムに修正を施す。
だから、自分の人生にとって、先に失敗をしてくれるジャイアンが近くにいるのは大切なんだ。
ジャイアンなら、失敗に気づいた後即火をけせるが、受動型ASは火の消し方がわからずあわてることになるから。
これで、上の項目のうち、何か一つが少し変わっただけで何もできなくなる、というのも理解できる。
少し火のつけ方が変わっただけでパニックになってしまうのはこれで説明がつく。
全部これを考えるまでは気づいてはいなかったことだけど、確かにこういう問題を抱えている。
ZZZさん。
>>自分が何に依存して生きているのか
俺は最近、禅問答みたいだけど、依存することに依存しているように思えています。
よく、愛着ある誰か・何かに依存する、という説明がなされますよね。客観的には確かにそのとおりなんだけども、根っこにあるのは依存欲求で、その奥にあるのは安定要求だろう、と。依存しないと不安定だから依存する、というか。だから、成長するに従って心が安定してくると、依存の度合いも薄れてくるんじゃないかなぁ。
依存してる対象が見えなくなることがあるのは、安定欲求がその奥にあるためだと思います。その対象との関係で安定が得られそうにない場合か、その対象との関係では安定が得られるけども他との不安定な関係をカバーしきれない場合に、依存対象の姿が見えなくなるのかも。<
ジャイアン→情緒障害→合理的を行き来するADHDの小生ですが。
まさに依存型と対峙する日々です。
わかりやすい解説、ありがとうございました。
ふと考えたのですが、受動型アスペルガーというのは、
情動障害型ADHDと対応しているのでは?
身近な受動型を観察しても、どうしても彼らが衝動統制ができているとは、思えないのです。
引きこもりなんかは、明らかに衝動統制できていないわけですし。
ワーキングメモリが大きいと「責められたくない」と「普通でありたい」「失敗したくない」が重なってくるのではないでしょうか?
つまり、彼らの他者認識では、自分と同じようにひとは「目敏い」ものだと捉えやすいので「失敗」が「普通でない」ことと重なることになり
「普通でない」と「責められやすい」ということになるのでは?
で、個別対応が得意なアスペルガーは、情動障害型ADHDと違い「責められないなら好き勝手に振る舞う」という部分が前にたちやすくなる。
そのうえで「責められないで好き勝手振る舞うために環境整備までおこなう」と考えると、引きこもりの受動型を説明できるように思ったのですが、みなさんどう思われますか?
悠々とさん。
>個別対応が得意なアスペルガーは、情動障害型ADHDと違い「責められないなら好き勝手に振る舞う」という部分が前にたちやすくなる。
そのうえで「責められないで好き勝手振る舞うために環境整備までおこなう」<
普通の家庭、普通の親子、夫婦にもいますよきっと。
おそらく情動障害型ADHDが我慢させられて丸め込まれることが多いと思いますが。
Paulさん
定型者も、衝動統制を「責められたくないから」「普通でありたいから」行っていると考えれば
受動型アスペルガーと同じように、「責められないなら好き勝手に振る舞う」ということは、たしかに、あると思います。
ただ、状況判断の細かさが違うので、定型者は、アスペルガーに比べると
「大雑把に」普通でいようとしているのではないでしょうか。
アスペルガーの場合「ここは責められない部分だ」「これは普通でなくてもよい部分だ」というような細かい状況判断の上でワガママを言うのではないかなあ、と考えたのですが、はたしてどうなのかしら、と
ここにいるひとたちに聞いてみたくなりました。
悠々と さん
私自身に限って言えば、二次障害中、全く目ざとくなく、むしろ相手の認識像を一方的に押し付けられたまま反論できずに評価や断定をされ、結果的に言えば、我慢させられ丸め込まれてしまう(決まってしまった状況により、その後の私の対応までコントロールされてしまう)ような傾向が多々ありました。
今は多少、目ざといけれど、とにかく私は日ごろから疲れている事が多いので、よほど大事な時だと判断しなければわざわざ他人の事を指摘したりはしません。
>「ここは責められない部分だ」「これは普通でなくてもよい部分だ」というような細かい状況判断
そんな細かすぎる状況判断をしていちいち他人を見ている人間には私はついて行けないので、理解するための気持ちが、実はかなり萎えます。それよりも、日向ぼっこして眠っていたいですね。
対人関係においてかなりの「大ざっぱさ」ですが、初見での相手からの印象は、(主に多数派からの印象ですが)、かなりの確率で「ふつうの人」になるようです。
衝動統制など、誰もしてないし、すべきで無いと思いますよ。
「責められない」ために自分の好きなように行う、のは本末転倒であり、自分の好きなようにやって責められないのが一番いいわけです。
人間、自分が好き勝手振舞うための環境整備を行うのでいいと思います。
受動型に限らず、みな普通はそうしています。
引きこもりの受動型の説明は難しくありません。
中心志向が無いのですから、社会的な欲求はさほどありません。
ただ、自分が苦労もせずに生きていけるのであれば、それでいいんですよ。
もし、そうできるのであれば、私もそうします。
現実としては、引きこもりをしていたら、親がいなくなった時に食事もできずに死んでしまう。
そうはならなくても、自分のやりたくないことを強制的にやらなければいけない状況になりかねない。
そんなことになるのが嫌だから、食うのに困らない程度の社会的なスキルを身につけているだけです。
スキルを身につけるのに必要な労力 > 食うのに困るリスク
なら、私も引きこもります。
受動型ASが「責められやすい」のは少数派だから、と中心志向が無いから(=人を責めないから)の二言で説明できます。
二十代後半まで自分は情緒障害で、全て「ダメな自分」の立場で世界を見ていて、いじめられるのも、人とうまく話せないのも、全てダメな自分が悪いと考えていて、自分以外の全ての人が自分より能力が高いと思っていました。その原因を自分なりに考えて、「親の教育のしかたが悪かったんだ」と親を恨み、「親の言うなりになっていたら危険だ」と感じて距離を取るようになったと思う。親は「お前はダメだ」「無気力人間」と常に言い続けるので、黙らせるための脅迫的な対応はしたな。衝動性とは違うような印象がある。その後、親の前だけは普通を見せる対応に変わったけど。
「普通でありたい」とこだわるのではなく「普通になりたい」と思っていたな。一生懸命に「普通」並みの能力獲得を目指して心理学の本を読んで多数派を研究して、ADHDの友だちから対人能力を模倣しながら身につけ、対人トラブルを中心とした問題解決を続ける中で、気付いた時には多分、普通に見えるレベルにまで対人能力が発達していたと思う。今は普通を超えて、変人の域に達しているかもしれない(笑)
なぜ、そう思ったかと言えば、「ダメな自分」を基準にした様々な心の中の言い訳に整合性がとれなくなり、周囲に「ダメな自分」を主張するのに無理が出てきたこと、それまでのものの見方を無理やり保とうとして、仲良くなった女性にどれだけ自分がダメなのかを力説したり、人にほめられるたびに「ほめられるような人間じゃない」と反発したりしていたけれど、結局は自分の中の理論が破綻し、「ダメな自分」という考えを捨てたことで、情緒障害から抜け出せたんだと思う。そこから先は人を対等な視点で見られるようになり、自己評価の低下がないな。ただ、肩書きがある権威のある人まで自分と対等な視点で見てしまうため、「お前は何様だ」と感じさせてしまうこともあるかもしれない。そこらへんは障害者だな。
受動型がいじめられたり、攻められやすいのは攻撃衝動がほとんどないため、反撃しないのが原因だと自分は思うな。中学生以降は怒った振りをするようになって、無用な攻撃は避けられるようになったと思う。普通にこだわったことがないので、普通にこだわる受動型の気持ちは良く分からないです。
後は、m2さんと同意見です。
>受動型ASが「責められやすい」のは少数派だから、と中心志向が無いから(=人を責めないから)の二言で説明できます。<
あれ?そうでしたっけ?
中心志向がないから他者に依存して人のことを責めるんじゃなかったでしたっけ?
勘違いかな……
さーこさん
「目敏い」「状況判断」という単語は、誤解を招く表現だったかもしれません。
「目敏い」には、「人に指摘する」というニュアンスをこめたつもりはありませんでした。
また「状況判断」には、「考えて判断する」というようなニュアンスをこめたつもりはありませんでした。
それぞれ「細かい部分に気がつく」「状況を把握する」と言い換えた方がいいかもしれませんね。
日本語って難しいです。
状況を把握する能力と、状況に対応する能力、そして相手を圧倒する能力は、また別ものですね。
m2さん
衝動というものはADHDに限らず誰にでもあるものなので、誰しも衝動統制をしていますよ。
例えば食欲、性欲、睡眠欲などは、それこそ、誰にでもありますよね。
でも「誰もが」お腹が減った時にご飯を食べるわけではありません。
「誰もが」性欲をもてあましたそのときに性欲を満たそうとするわけではありません。
「誰もが」眠いときに眠るとは限りません。
それぞれ人間が、それぞれの衝動統制を行っているに過ぎないと僕は考えます。
その上で、ADHDは、特性上、後藤先生の分類型に「安定」(ここで言う安定とは、そこに留まる、という意味です。)しやすい。
定型者の場合は、どんな型の衝動統制であれ「普通」に帰結しやすい。
そう考えたとき、アスペルガーの受動型、というのは
「責められたくない」場合は、(責められないために)普通に振舞いたくなる。
「見捨てられたくない」(≒嫌われたくない)場合もまた、普通に振舞うのが正解になる。
普通でないから普通になりたいのも、当然普通を志向することになります。
おそらくこのみっつが受動型への帰結を生むのだと考えたのです。(ですから、受動型とは言え、正確には三パターンに細かくは分かれるのかもしれません)
その上で、ワーキングメモリの大きなアスペルガーは、ADHDと違い、状況把握が細かいので、彼らの経験上、
「責められない状況」
「見捨てられない状況」
「普通でなくてもよい状況」
というのがわかりますよね。
>>そんなことになるのが嫌だから、食うのに困らない程度の社会的なスキルを身につけているだけです。
ここでm2さんが言っているのは、合理判断による衝動統制ですが
>>スキルを身につけるのに必要な労力 > 食うのに困るリスク なら、私も引きこもります。
という表現は、「その状況ではそれが当たり前だからそうする」と僕には読めます。
その「当たり前」が普通からズレているわけですが・・
どうしてそれが当たり前だと思うんですか?(純粋な疑問です。そう思う根拠はなんなのです?)
しかし受動型に攻撃性がない、というのは、僕からすれば
「なに言ってんの?」
という感覚です。
家族にだけなのかもしれませんが。
人を責めない、とか攻撃性がない、なんてことは「絶対にない」ですね。当たり前にやってますよ彼らは。
>その「当たり前」が普通からズレているわけですが・・
少なくとも自分にとっては当たり前です。
そんなこと、他人にどうこう言われる筋合いはありません。
そして、普通から決してズレていないとも思います。
あなたが普通からズレていると思うのはなぜですか?
あなたが言う「普通」とは何ですか?
>受動型に攻撃性がない、というのは、僕からすれば
「なに言ってんの?」という感覚です。
受動型ASは攻撃性は無いです。それは断言します。
ただし、相手から先に攻撃された場合の反撃は別です。
家族から攻撃されるようですが、それはあなたが攻撃していることをあなた自身が気づいていないからです。
上の質問に答えていただければ、なぜあなたが受動型ASから攻撃されるのか? 説明します。
悠々とさんのおっしゃる「衝動統制」は、欲求や欲望の抑制ないしコントロール、という言葉に置き換えるといいのかな。俺はそうするとしっくりきました。「衝動統制」という言葉は、統制の効かない場合に衝動的な作為が生じる含みがあるような気がするもので。受動型の場合、統制の効かないときは、不作為つまりは行動しない状態・動けない状態に陥るんですよ。
「受動型に攻撃性がない」というのは、攻撃欲がない・攻撃する意思や意図がない、という意味だと思います。例えば、引きこもりは客観的には他者への攻撃にもなりうるけども、引きこもっているのが受動型の場合、モデルケースでは当人に攻撃する意思はまったくなく、むしろ防御の意思で埋め尽くされているのではないでしょうか。
家族などを攻撃するのも、生き物としての攻撃欲が頭をもたげることは確かにあるものの、その攻撃は防御のため・自衛のためです。自衛隊型の攻撃、といったら政治の話に脱線してしまうかな?少なくとも、攻撃欲を満たすために攻撃することは、モデルとしての受動型ではありえない話といえるように思います。m2さんも同じことをおっしゃっていますよね。
>アスペルガーの受動型、というのは
>「責められたくない」場合は、(責められないために)普通に振舞いたくなる。
>「見捨てられたくない」(≒嫌われたくない)場合もまた、普通に振舞うのが正解になる。
>普通でないから普通になりたいのも、当然普通を志向することになります。
この3つについては、受動型の場合、いずれも「普通であることが正解」といえる状況なら、という前提が必要となってきます。例えば、普通であろうとなかろうと、黙れば責められなくなる状況だと責められたくない受動型が判断した場合には、黙ります。決して普通志向ではないんです。
悠々と さんの言葉から、私の二次障害中の出来事が想起されてしまってあのような書き方になったのですが、悠々と さんが冷静にコメントを返してくださったので、大変助かりました。
そして、失礼しました。
悠々とさんのお話は一考の価値がありそうですが、残念な事に、私を含め、冷静さを欠いた状態のASでは、(的外れではない)正確な思考をすることが難しそうですね。
>状況を把握する能力と、状況に対応する能力、そして相手を圧倒する能力は、また別ものですね。
別ものなんでしょうかね。私は自分の事はよくわからないので、別ものなのかどうか、自分で考えるしかないんですけどね。
悠々とさん
ご家族にいる受動型がどのような状況で問題行動を起こすのか具体的に教えていただかないと、全く分からないです。
悠々とさんのお話だけで想像すると、
「責められたくない」場合は、(責められないために)普通に振舞いたくなる。
「見捨てられたくない」(≒嫌われたくない)場合もまた、普通に振舞うのが正解になる
ということで、受動型のご家族は普段、ほとんど普通にしか見えない状況にあるということですか?
ただ、「普通でなくてもよい状況」が起きた時に限り、自ら率先して、とんでもないわがままを言いだしたり、攻撃してくるということでしょうか?相手が家族であっても、家族からの働きかけもなく、自分から無理な要求を突き付けたり、わざわざ攻撃に行くことは、自分の経験からして考えにくいんだけど、ほかの型である可能性はないですか?
友人に積極奇異型のニート(今は学生)がいるんだけど、元気だったころはリーダー的存在の仕切り屋だったのに、心を病んでニートになってからは受動型の自分と、ほとんど見分けがつかないくらい消極的になって積極奇異型から受動型になったのかと思いました。長時間話して、中心志向が僅かに読みとれる程度です。多分、依存型ジャイアンである会社の上司を見ても、見た目は受動型にしか見えないです。
>「当たり前」が普通からズレている
自分もよく言われたことがあります。普通の基準は知識や経験によって、人それぞれだと思います。
悠々と さんのいう受動型ASの衝動統制ができていないということは、「こだわり」をなかなか手放さないということ、およびその「こだわり」をやめさせようとすると攻撃的になるということではないでしょうか。
たとえばひきこもりの受動型ASの場合、ゲームやPCにどっぷり浸かっていると親がそれをやめさせようとする。やめさせようとする親に攻撃する、ということかなと思います。
その攻撃が親には耐えられなくて、受動型AS子の言いなりになり、部屋までご飯をもっていく、なんてことがある。当たり前に要求することが依存で、その依存から攻撃するということがありますよね。
そして攻撃性についてですが、暴君型ジャイアンを除くジャイアンもまた、m2さんの「相手から先に攻撃された場合の反撃は別です」というように、相手の攻撃を感知するからです。攻撃されなければ反撃することもありません。情緒障害型の場合、傷が深く、感情の記憶が刻み込まれているために、それに触れるような状況になると衝動的に反撃しがちです。ASの相手の状況を理解せずに自分の言いたいことを言う、これは発した本人は攻撃しているとは意識しませんが、だからこそ無責任だと怒りが生じます。
受動型ASもまた、「依存」や「こだわり」をやめさせようとする相手はけして意識して攻撃しているわけではないけれど、攻撃だと受け取るのではないですか? そして反撃にでるのでは?
『受動型ASの普通へのこだわり』の記事、そのとおりではないかと思います。
そして、ASのワーキングメモリについてですが、言語ワーキングメモリに問題はないが、視空間のワーキングメモリに問題がある人が多いという研究結果があります。ADHDはワーキングメモリの短期記憶、注意持続に問題があることが顕著ですけれど。
m2さん
解決済みですので、アドバイスは結構ですよ。
普通とは、なにか、と問われれば僕は
定型者の思考、および行動です。と答えます。
ところが定型者であっても思考や行動は多様ですから、そういう意味では決まりきった「普通」なんてものはありませんね。
ですからアスペルガーが強弁する「ある状況における『絶対的』普通」というものは存在しません。
なので、その「ある状況における絶対的普通」を主張すること自体が普通じゃないよね。と僕は考えるわけです。
zzzさん
衝動統制についての僕の理解は、まさにそのとおりです。
ただ、受動型について、それを「衝動統制型」と理解した場合、衝動自体は種種様々ですから、「統制が効かない」というのは、単に「やりたいことを我慢しない」「やりたくないことをやらない」ということになると思います。
さーこさんが「お昼寝してたい」と言ったように、なにもしないのが好きなようなところは、あるのだと、思いますけれども。
攻撃性のお話について
解説わかりやすいです。ありがとう
ただこれも、「攻撃欲」というものがある、とする点がしっくりきません。
僕は暴君上がりですが「攻撃したいから」したことなんてありませんよ。
攻撃には当然反撃が返ってくるものですから、「理由なく」攻撃するなんてただの脳無しです。
そう考えればジャイアン含めて「攻撃」とは「反応」であるはずですね。
とすれば受動型の反撃行動を認めることは、すなわち攻撃性を認めることであるはずです。
さーこさん
僕の書き方は、読み返してもちょっとわかりづらかったと思います(´・ω・`)
ぬまおさん
「本当に受動型なのかしら?」
という疑問は当然ですね。
しかし、後藤先生のホームページの受動型アスペルガーの解説そのままですから、ほぼ間違いないと思います。
(内、外での二面性や、対人対応の臨機応変さはADHDにはないものですよね。)
逆に、後藤先生のページには、「受動型に攻撃性がない」なんてことは、書いてないんですよ。
「受動型に攻撃性がない」というのは誰が言い出したことなのでしょうね?
僕には、受動型がよくやる責任転嫁に見えるのですが。
つまり
「受動型には攻撃性がない」
↓
「攻撃しているときは反撃でしかない」
↓
「当然相手が悪い。自分は悪くない」
このパターンは、まぁ、いつもやられてましたから、よく知っています。
みさん
ワーキングメモリのお話、参考になります。
僕は最近、ワーキングメモリの大きさでADHD、定型者、アスペルガーを説明できないかなぁ、と考えていました。(思考実験ですから、それにこだわっているわけではないですよ。)
ワーキングメモリを入力情報「量」に直結するものと想定し
思考を、情報入力→演算処理というフローで捉えたら、どうなるかなぁ、と。
このとき定型者は、入力情報量と演算処理能力がバランスしているイメージです。
するとアスペルガーは、入力情報が膨大で演算処理が間に合わないため、入力情報を制限する必要性がでてきます。
それが「集中」であり、集中することで視野を狭く保ち、入力情報を制限し、演算能力とバランスしようとしているのではないだろうか?と。
その観点で捉えると、緊急時にアスペルガーがパニックを起こしやすいのも理解できるなぁ、と思うのです。
元々の入力情報が膨大で、演算能力が逼迫している彼らは、ふとしたはずみに視野を広くもってしまうと、演算処理がオーバーフローし、思考停止に陥ってしまう。
これはちょっと、長くなりますね。
ADHDについても入力情報が小さく、演算能力が余る、という観点で見てみると、おもしろいかなぁ、と思っています。
考えるのは楽しいです
>受動型について、それを「衝動統制型」と理解した場合
このくだりには、これは面白いなぁと思いました。受動型には、やることを放棄する衝動が常について回っているように思います。経験則によるパターン処理で対応できなくなった場合に、統制が外れフリーズするのかな、と。
受動型で統制が外れたときの方策にはもうひとつ、強引にでも安定した状態に戻そうとする、というのもあります。こちらが受動型の攻撃性につながってきそうです。
>「攻撃欲」というものがある、とする点がしっくりきません。
こう言い換えてみますね。攻撃行動で快楽を得られる、というのを聞いたことがあります。ドーパミンが分泌されるのだったかな?相対的に攻撃性の強い人は、その快楽を得るべく、多少の理由でも攻撃しがちだといえそうです。
受動型は攻撃で快楽を得にくいように思います。あるいは、快楽はごく短時間で消滅し、不快感が後で押し寄せやすいような気がします。だから、よほどの理由がない限り、攻撃しないんです。多少の理由はもとより、相当の理由でもなかなか攻撃しない。我慢に我慢を重ねて、後で不快感を感じてもなお安定した状態に戻さねばとの思いで頭がいっぱいになったときに、攻撃を爆発させる。それが受動型の攻撃類型だと思うんです。
このときに問題となるのが、我慢を人並み以上に記憶していることです。すぐに忘れりゃいい大したことのない我慢でも覚えてしまいます。そのため、通常なら(あるいはADHDなら)ほとんど積もっていないだろう我慢が、相当量積み重なってます。だから、最後の引き金が些細なことでも、我慢の臨界点を超えれば爆発してしまうんです。
そして、受動型は客観視や他者比較が苦手です。「通常ならほとんど積もっていないだろう我慢」も、自分にとってはもはや限界、他者ならまだまだ我慢できるなどとは思いが及ばない。限界まで我慢したのだから、「最後の引き金が些細なこと」であるかどうかは無関係で、爆発するには十分な理由。
受動型の内面では、外部からの攻撃に対してぎりぎりまで我慢の記憶を重ねてきたのだから、反撃として爆発するのには正当な理由がある。ただ、爆発後ほどなくして、後悔・自己嫌悪などの不快感が湧きあがる。そんな心の動きがあるように思っています。
うーむ、過去の自分の爆発を思い出して、ちょいと自己嫌悪。
みさんの話を読んで、『受動型ASの普通へのこだわり』の記事を読み返してみました。
>結果として「普通」にこだわる人が多い。
ここに集約されているなぁ、と思いました。
受動型が志向するのは、いわゆる多数派の醸し出す空気の、出来るだけ濃い部分に居続けること。「普通」に拘るのは、それ自体を志向するものではなく、結果としてそれに拘らざるを得ないため。
しかもそれは、受動型自身が確固たるものとして幻想する鍵括弧付きの「普通」であって、現実には存在し得ない。現実の普通は、ふわふわと漂い、風が吹けば形が変容していく、雲のような存在である。
そんなことを思いました。
悠々とさん、みさん 貴重な指摘をありがとう!
視点を変えて自分を見直してみて、気付いた点がたくさんあったので、自分の全体像がもう少しで見えそうな気がします。
m2さん、zzzさん、思いつくままに書いているので、違うと思う点があったら指摘して下さい。
普通にこだわっていない、と書いたけれど、実は普通にこだわっていることが分かりました。自分でも書いているけど、親に対して普通を見せる対応をしているのは間違いない。自分の場合、三歳ごろには情緒障害になっていて、実際に何でそんなことも分からないのかと思うほどダメだった記憶しかないけど、自分がダメだと思い込むようになり、小学校低学年の頃にはすでに親に対して愛着を感じていない。外で友達にダメな自分を訴えているのは、ダメだから助けてくれ、失敗しても見逃してくれよと、愛着対象の友達に依存を求める行動だったのではないかと考えました。よくあるパターンの逆になってしまっているが、そう考えると親に対して普通を見せていたことに説明がつく。
全部内と外を逆転して考えれば、親に依存を求め、外で普通を見せるという対応も考えられる。コミュニケーションの面では、幼いころは親とどのようにコミュニケーションをとればいいのかすら理解できていなかったように思う。親は「手がかからず、一人で遊んでいた」と言っていたが、親に「忙しいから後にして」と言われると素直に従い、それ以上何も言えなくなってしまった。今考えれば、駄々をこねて自分に振り向かせるというのが正解だったかもしれない。
4歳ごろ、近所に住んでいる一つ年上のお兄さんと遊びたいのに素直に言えなくて、お兄さんではなく、その父親に「遊ぼう」と言って何度も家に行っては困らせたことなども思い出した。普通なら生まれ持つはずの最低限のコミュニケーション能力がない、または理解できなかったのかもしれない。
つづき
そう考えると、受動型は生まれて数年後には情緒障害になり、そのまま生活していくことで様々な支障が出てくるかもしれない。もともと最低でダメな自分が基準にあるため、それ以上の自己評価の低下が見られないのでは。無気力状態になるのは情緒障害の影響による抑うつなどの身体症状かもしれない。実際、情緒障害を抜けてから以前ほどの無気力感はないから。
早いうちに情緒障害にならなくても、受動型の特性から身近なジャイアンと対等な視点で張り合うため、結果的にいじめられたりして情緒障害になると思う。周りの人間が全て自分より能力が高いと思っているため、人の後をついて歩き、流されるようになって、自信がないから自分からは動かない。知識や経験が少ないうちは人の言うことを真に受けて行動し、責任転嫁と見られる発言にもつながってくる。問題行動として見られているのは受動型の二次障害の姿かもしれない。
最低限のコミュニケーション能力すら持たずに産まれてくるわけだから、頭で理解して身につけるには長い時間が必要だと思う。とりあえずはここまでで。
ぬまお様の記述内容に共感します。
(連続で、今からもうひとつのほう「参加者の皆様にお願い」にコメントを出しますが、
こちらには以下の共感内容を「私はそう感じました」と伝えるために出します)
>親は「手がかからず、一人で遊んでいた」と言っていたが、親に「忙しいから後にして」と言われると素直に従い、それ以上何も言えなくなってしまった。
ほぼ、わたくしの幼少期の記憶と同じです。
わたくしの場合は「邪魔するな」的な言葉での「非共感メッセージ」(造語ですかね、)がたまーにあるくらいで
ほとんどが「怒ったような表情(なのだ、と経験を積んで徐々に意味理解しました)とあきらかな無視」のような非言語メッセージだったため
幼少のわたくしはそれを読みとって、結果的に『親兄弟の望む私≒邪魔をしない、近づかない、放っといても困らない自分』になっていました。
当時の自分の脳内には「そのことに抵抗する」という選択肢自体がありませんでした。
身近にそれをしているモデル(たとえば、親に放っとかれても従わずに近づいて、抱擁や言葉をゲットするような。)がいれば
もしくは
(ありえないでしょうけれど)親兄弟から「こうするのも一つの選択肢だよ、お前はそうしてもいいんだよ」と教えられていればできていたかもしれません、
そして
できていたらまた違った大人になっていたかもしれません。
>ぬまおさん
私の場合は、自分がダメとは思っていなかった。
能力欠陥(運動能力・不器用さ・身体発達遅延・視覚障害)があるのは認識していたし、人とは違うとまではわかっていた。
ただし、女の子のいる環境ではさほど目立たない。
なぜなら、中心志向が無い、ということは女性としては普通だから。
自分を低く見せたい、という気持ちは確かに存在する。
自分を認めさせるには、成功を繰り返すしかない、というのは何となくわかっていたのだろう。
少数派であり、能力欠陥を抱える受動型ASは、成功のハードルを低くして、成功を繰り返す体験が必要、ということなのだろう。
これは中心志向を持つ人とぶつかる。中心志向を持つ人も成功したい、が自分のプライドが邪魔になってできない、今思えば、ここはあっさり引くことができる受動型ASへの嫉妬だろうな。
自己評価が下がらないのは、もともと能力欠陥が故に失敗を多くしていることと、中心志向が無いため、目標を簡単に引き下げられることの複合要因と考えます。
>普通なら生まれ持つはずの最低限のコミュニケーション能力がない
これはちょっと違うな。少数派であるが故に、コミュニケーションで成功する確率が低い、というだけ。
多数派でも失敗することはあるんよ。でも、少数派相手に失敗しても「無かったこと」にしておけば日常生活は普通にできる。
受動型AS(男性)は、受動型AS同士や、ジャイアン(女性)とのコミュニケーションは普通に取れるのが、その証拠。
>周りの人間が全て自分より能力が高いと思っているため
これはAC。
でも私のように、論理なら大人でも打ち負かせるくらいの能力が無い限り、そう思うかもしれない。
私の場合は、ジャイアンは私より能力が高いと思っている。
>身近なジャイアンと対等な視点で張り合う
これは良くやった。
対等になるためには、負けるとわかっていても力の勝負をしないといけないということかな。
一回、喧嘩で負けておけば、論理が必要な場面になったとき、言うことを聞いてくれる、ということなのだと思う。
もちろん、当時そんなことは考えてなく、単にむかついたから実力行使に出ただけなんだけど。勝てるわけ無いのはわかっているのにとめられなかったな。
悠々とさん、ほぼ想定通りの回答、ありがとうございました。
>定型者であっても思考や行動は多様ですから、そういう意味では決まりきった「普通」なんてものはありませんね。
そうなんですよ。だから、私が「普通からズレている」なんて言うのはおかしいですよね?
これはあなたがした発言です。
ジャイアンでしたら、ご自身の発言を忘れているのは当然ですが、あなたが反撃を受けるのは当然なのです。
少なくとも、このことをご理解されているようには思えません。
もちろん、あなたが「普通からズレている」と言いたかったわけではないのもわかっています。
あなたが本当にいいたかったのは、「引きこもりを容認するような発言は男として常識から外れている」ということだと思います。
この「常識」を普通といいたかったのだろうとは思います。
ぬまおさんのところにも出てきましたが、受動型AS男性はこのようなことを言われるのは慣れています。
考えていただきたいのは、私の発言は人間としては常識の範囲からも外れていないのです。
女性であれば、働きたくなければ、引きこもり(専業主婦・家事手伝い)は容認されます。
男性は、「中心志向を持つべき」という間違った常識があるから、受動型AS男性(裏返しでジャイアン女性・積極奇異型女性も同様)が苦労するのです。
そして、この間違った常識を元に、中心志向を持つ男性は、中心志向の無い男性と、中心志向を持つ女性を攻撃するのです。
「常識」だから、本人に攻撃をしている認識は無いですが、本人の努力でどうにもできないことを否定する、という非人間的な攻撃がまかり通っているのが現実です。
この常識を作り上げることへの解説はみさんに詳しくしていただきました。
ジャイアン男性が自分の都合の良いように常識を作り上げていると考えれば、この現実とぴたり合います。
このことは、ジャイアンの本性ですから、この社会のあり方を変えてくれとは言いません。
ただ、先生を含むジャイアン男性諸氏に考えていただきたいのは、受動型ASが一方的に攻撃するなどという自分に都合の良い考え方を大声で主張するのはやめてくれ、ということだけです。
>女性であれば、働きたくなければ、引きこもり(専業主婦・家事手伝い)は容認されます。
m2さん。私の家では容認されていませんよ。
それに、私には中国の友人がいますが、その人は専業主婦などありえないという事で、日本に来てからカルチャーショックを受けているそうです。中国と言っても、田舎の土地から叩き上げで勉強して海外に出たそうで、苦労も辛酸も人一倍経験してきているだろうことが話からはうかがえましたが。
「日本国では引きこもり(専業主婦・家事手伝い)は容認されるケースがある」、「日本国のある家庭内では、引きこもり(専業主婦・家事手伝い)は容認されるケースがある」というならわかりますがね…。
正直、なんで現在、自分の考えていることと先生の書いていること、ほかの皆さんのコメントがここまでずれるのか、と不思議に思っていたんですが、今は自分に自信があり、その感覚で物事を考えているからだと分かりました。
現状の何も困っていない自分が精神病院へ行くわけがないし、妻のことがなければこのブログに興味を持つことはなく、発達障害であることすら知らずに生涯を全うしていたと思うので、先生が会っている受動型の多くはACだと思います。m2さんも彼女のことがなければ見ていないでしょう。ここでコメントするのはAC時代を思い出しながら書くことが一番、適切かなと今は思っています。ここを見ている受動型ACも多いと思いますが、自分が受動型だと確証する自信がないため書き込めないと思います。自分もAC時代には無理です。
m2さんはACの経験がないので、理解が難しいかもしれませんが、自分の場合、ACが抜ける前と抜けた後では、はっきり言って別人です。考え方も全く違い、AC時代に共依存と思われる友達関係にあった人との付き合いが苦痛に感じて疎遠となり、長年の親友以外の友達は、総入れ替えとなったほどです。抜けた後は、m2さんと似たようなものの見方をしています。
m2さんの
>受動型AS(男性)は、受動型AS同士や、ジャイアン(女性)とのコミュニケーションは普通に取れる
とありますけど、自分の場合、今では誰とでもコミュニケーションが普通に取れます。それが仕事だからというのもあるけど、空気を読み切って個々に対応すればm2さんでも可能だと思います。
つづき
まず、AC時代の一番大きなポイントは「自信がない」ことで、全ての行動がそこに帰結すると考えます。まず、電話を自分からできない理由は、「自分なんかが電話をしたら、相手は迷惑に思うのではないか」と感じるため。ACの名残で、今でもこれはできないです。自信がないので、責任を取らなければならないような発言を避けて、風景に埋没しようとします。それが普通にこだわることかもしれません。自分の考えが正しいかどうか自信を持てないので、人にいちいち確認する作業をするため、「理解を求めている」ように見られてしまう。
自分が問題に首を突っ込んでいるのは、AC時代はADHDの友達にアドバイスすることで人を動かし、その結果、どうなるかを見ていた。今は自信があるので、理論を実証する作業を現実社会で自ら実践しているんだと言えます。受験勉強はいろいろと今の感覚で考えていましたが、結局は「自分なんかが良い学校に受かるわけがない」と考えて、落ちた時の選択肢を先に持ってきていたのではないかと、当時の考え方を基にすると思います。
あおいよるさんは、自分とかなりの部分で考え方が一致するので、性差はそれほどないようですね。まだ自信がないようなので、ACが抜け切っていないのではないかと思います。自分が納得する能力を身に着けたと感じた時点で、周りの人と自分を客観的によく見比べて、大差がないと感じたら、もう自信を持っていいのではないでしょうか。
ACから完全に抜けると世界が変わります。ただ、対人能力が達していない段階でACを抜けた場合、自信過剰な対応で周囲にとんでもなく迷惑をかけるKYの受動型になる危険性があるので、ACをどこで抜くのかがポイントになると思います。ACを抜けると心の古傷もほとんど消えますよ。
ACの視点から考えると、m2さんの「受験勉強をすると不幸になる」というのには納得できます。勉強ができることでACから抜けた場合を考えると、対人能力が未発達な中学や高校の段階でACを抜いて自信過剰となり、将来的にコミュニケーション能力が不足したまま社会に出て、トラブルを引き起こす結果になったり、再度ACになったりする可能性があるからです。
つづき
受動型の本当の姿は、AS特有のものに加えて、自信がありすぎる障害だと自分は思いました。その場の空気を読み切って行動する習慣がないと日常生活に支障を来たしてACになり、ACになると自信が全くなくなって依存的に見られる。両極端の心の動きは双極性障害に見えるかもしれないですね。自分もたまに失敗に落ち込んで憂鬱になることもありますが、AC時代に精神的にどん底の経験をしてきたので、すぐに立ち直れます。
どうも自分の場合は、AC時代に対人能力が培われたと思うので、受動型にとってACは決して悪いものではないように感じるのですがどうでしょう?
m2さんには「論理なら大人でも打ち負かせるくらいの能力」があるため、生まれつき高い能力を持った天才児である上、「能力欠陥」をバネに人並みはずれた努力をし続けてきた努力の人ではないでしょうか。
全ての受動型に共通するとは思いませんけど、自分だけを見た自己分析としては、これでいいんじゃないかと思います。ちょっと前まで自己分析なんて必要ないと思っていましたが、やってみると自分が良く分かっていいですね。
やんばる先生、個人的な自己分析にこの場を使わせていただいてありがとうございました。みなさんも約一カ月に及ぶ自己分析につき合わせてしまって申し訳なかったです。いろいろなアドバイスありがとうございました。
ぬまおさんやあおいよる。さん、m2さんの記述を読んで、こんなことを考えました。
依存傾向があってもなくても、子にとって親は最初の依存の対象なんですよね。赤ん坊は親に依存しなければ命さえ危うい。その依存を親があたたかく受け入れてくれれば、子は安心・安定していられる。安心・安定するから依存心を徐々に和らげることができる。逆説的ですが、依存を包容すれば子は自立しやすくなるように思います。
子の依存を親が冷たく突き放したり、依存に戸惑って受け入れられなかったりすると、子は依存をもっていく場がなくなります。このとき受動型ASは、親の対応を受動的に全面的に受け入れてしまいます。親が正しく、依存しようとしている自分が間違っているのだと。
受動型の自己評価が低くなるきっかけのひとつに、依存対象にしたい相手からの拒絶があり、しばしば親の拒絶がその最初のきっかけとなりがちなのでしょう。親の前や社会の中で結果として「普通」を志向するのも、間違っている自分は「普通」でなく正しい親が「普通」であるに違いない、と思ってしまうためかもしれません。
m2さんは幼少の頃、親にあたたかく受け入れられていたなどで、自己評価を下げる何かがなかったのではないでしょうか。振り返れば俺の親は、俺の依存を受け入れてくれてたってことだな。俺の自己評価が下がったのは、中学に入って成績が下がるのに伴ってでしたから。
無自覚でしたが、勉強の出来不出来が自己評価とリンクしていたんです。自己評価を上げるために勉強しようなどとは、当時はさらさら思いませんでした。今になってそれに気づき勉強してます。リンクを切り離す努力もしたのですが、染み込んだものはなかなか切れませんね。薄くはなりましたが。
あれ、ということはだ、受動型に勉強をさせるには、自己評価を高めるのがいいんだという価値観を植え付けた上で、自己評価と成績をリンクさせてしまえばいいのかな?いや、そういう価値観は受動型ではモチベーションにならないから駄目だな。何か「こだわり」に連動させたほうが確実だろうな。
コミニュケーション能力は、俺は応用力とつながっているように思っています。
KYなんて言葉もありますが(死語?)、受動型は空気を読むのは得意なんですよね。ただ、応用の範囲が狭い。そのため、微細な状況の違いを読み取りつつも、記憶からその状況と類似した経験を引っ張ってきて、過去の経験どおりの対応をしてしまう。特に成功体験があると、そのままトレースしがちになる。
硬直的な対応になりがちで、空気が読めているのにKYと見られてしまう。そんな体験を繰り返すうちに、もともと自分から動かない人間がさらに受け身になってしまう。
引きこもりはある意味で、その究極のかたちともいえそうです。
ああ、そうだ、本題にちょいと戻して、こんな話を思い出しました。ずっと引きこもってゲームばかりやってる高校生がいて、父親が大学受験を心配してある人に相談したそうです。どうすれば勉強を始めるのでしょうか、と。
相談を受けた人は、その父親から彼の様子をよくよく聞いて、大丈夫、放っておいても勉強を始めますよと答えたそうです。実際に、受験まであと半年という頃になって勝手に勉強を始め、世間の評価で超一流といわれる大学に入ったのだとか。
その様子というのが、ゲームをやってはノートにしきりに何かを書いていた。どうやら、ゲームの攻略法を、飽きもせずひたすら研究していたらしいんです。引きこもりが、何かに没頭し集中できる環境となっており、それに十分に耐えうる思考回路が出来上がっていたため、勉強にも集中でき、合格レベルにまであっという間に届いたそうです。
その高校生が受動型だったのかどうかは、分かりませんでした。ただ、引きこもりは悪であるという価値観から免れていたため、「こだわり」に没頭できていたのでしょう。そんな環境や素養があり、ゲームを勉強に入れ替えて応用できたのでしょうね。
何かのヒントになるかもしれないと思い、書いてみました。
受動型ASを自覚していて、ACで無い人というのは非常に少ないと思う。だから、このような話をしたことは無いのだけど、やはりいいなあ。
ぬまおさん
受動型ASが書き込みに躊躇するのは、書き込んでも誰も信用してくれないだろう、ということに尽きると思う。
私だって、発達障害理論の解釈と実社会の現実があまりにぴたりと合うので、論理には自信があるが、常識とあまりにかけ離れた内容であるが故に他人に受け入れてもらえるか? の自信は全く無い。
でも、今書き込みしている受動型ASメンバーの意識はかなり一致している。
こういう仲間が得られたのは本当に嬉しい。
こういうことを話せる相手は歴代の彼女だけだが、ジャイアンAC女性の場合も似たような経験をしているので話は通じるが、受動型AS同士とはさすがに違う。
>ACが抜ける前と抜けた後では、はっきり言って別人です。
ぬまおさんほど極端ではないだろうけど、ここで受動型ASの存在を知って、自分にふりかかる(ふりかかった)問題が自分が悪いわけでは無いことが確信できるようになって変わった。
それまでは論理力で相手を信用させたり、打ち負かしたり、させてはいたけど、常識とかけ離れたところにいる自分が何者なのか? がわからないという不安は常にあった。
もちろん、私も誰とでもコミュニケーションは取れますよ。ただ、その二つの型以外は演じないとダメですけどね。
二つの型だけは、演じなくてもコミュニケーションが取れる、ということです。
私も電話はできないけど、理由はちょっと違うな。
・自分が過集中状態にある時に電話がかかってくるのが嫌
・電話だと言語以外に声の調子くらいしか判断材料が無く、情報量が少なすぎる
・メールと違い、臨機応変に対応せざるを得ない場合が発生し、ボロを出す恐れがある
どうしても電話じゃないといけない場合を除けば、やらない。
>対人能力が達していない段階でACを抜けた場合
>受動型にとってACは決して悪いものではない
これはジャイアンを見ていて同じように思ったことがある。
受動型ASについても同じだと思う。
だから、発達障害に対して早期療育すべきという意見には反対なんだ。
zzzさん
ぬまおさんと比較した場合、親の違いはあったと思う。
母の弟が受動型ASだと思うので、余り違和感が無かっただろうというのが大きいかな?
変わった子供だから、育てるのは大変だっただろうとは思う。
>勉強の出来不出来が自己評価とリンク
たぶん、受動型ASは行動結果の出来不出来と自己評価はリンクすると思う。
日常の学力テストの出来不出来は自己評価とリンクしたけど、受験勉強の出来不出来はリンクしなかった。
受験勉強は自分が生きるために必要ないもの、と論理的に結論を出しているからで、自分が納得行く論理的な理由があれば、切り離せるとは思う。
zzzさんの勉強って、仕事に役立つための勉強でしょう?
受動型ASだって、勉強はしますよ。受験勉強をしないだけです。
勉強をさせるだけなら、いくらだって方策はありますよ。
>応用の範囲が狭い。
多数派だって応用なんてできないですよ。
多数派が、常識に従っていれば、そうそう大きな問題にならないだけです。
常識は、過去の人達が多数派用に作成したデータベースなんですよ。
今、我々が、自分達で蓄積してきた受動型AS用のデータベースを公開しているわけで、「受動型AS用の常識」を作ってしまえば、きっと応用は利くようになります。
ただ、それが受動型ASにとっていいことなのか? はわかりません。
子供のうちに安易にこのようなデータベースに頼るのはいいことでは無いような気がする。
常識が適用できない以上、自分のデータベースの中に無いことはできないから、そのままトレースするしかないんだよね。
悠々とさん。
>しかし受動型に攻撃性がない、というのは、僕からすれば
「なに言ってんの?」
という感覚です。
家族にだけなのかもしれませんが。
人を責めない、とか攻撃性がない、なんてことは「絶対にない」ですね。当たり前にやってますよ彼らは。<
全く同感です。家族だけでもないですけどね、いつも一緒にいる家族に一番きついのは間違いありません。
ジャイアンADHDは相手を責めている、相手を苦しめているという自覚、自己突っ込みがあります。そして責めている最中も、あとでも後悔することしきり。
でもまた同じことをやってしまう可能性は高いんですけどね。スイッチ3つだし。
受動型ASの場合は相手を責めているという、相手を苦しめているという自覚、自己突っ込みがない、そこが根本的に大きな違いであり。
一時的にはうまくいっているように見えたジャイアンADHDと受動型ASが結果的に破綻する原因の大きなものであろうと思います。
ジャイアンADHDは自分を責め続けながら忍耐力を発揮して我慢してしまうので、破綻するまで受動型ASはそのことに気づかない。
そこが最大の不幸であると思います。
おお、一日放置するとすごい量の書き込みになりますね。
zzzさん
うーん・・
攻撃すると「気持ちいい」という感覚は、僕には、ないですね。
あとで不快感を感じるのも同じです。
「またやってしまった・・」
ADHDでも、暴君型以外は我慢しますし、我慢していた記憶が残る点も同じです。
誰だって苦しい思いをすれば記憶に残りますよね。
ADHDもそこは同じです。
僕は、ADHD、アスペルガーの対人コミュニケーションの不全は、「自分モデル」で相手の精神を説明できないことにあると考えます。
定型者は、「自分ならどう思うだろう」という問いかけで、他者にとっての正解を(おおまかに)導き出せる。
大してADHD、アスペルガーは定型者とは「考え方が違う」ので、「自分なら」と考えた場合におかしなことになる。
ですから逆に、ADHDの同型同士、アスペルガーの同型同士はとても楽に相手の内側を想定できますね。
m2さん
>「引きこもりを容認するような発言は男として常識から外れている」
常識でありうんぬん、といったことを考えて発言するのは受動型アスペルガーの人たちであって、ADHDはあまりそういったことは考えないと思いますよ。
ADHDでもAC型は「普通」にこだわるのでそういう発言はあるかもしれませんけれど。
「引きこもりになれるなら引きこもるのは当たり前」
「衝動統制をしないのは当たり前」
「都合のよい環境改変を行うのは当たり前」
という発言が、普通ではない、としたのには理由があります。
それぞれ社会において「みんながそうしたらどうなるか」をシミュレートした場合
「引きこもりになれるならなる」
↓であれば
「金持ち子弟は引きこもりが基本」
↓
現実と不一致
「衝動統制をしないのは当たり前」
↓であれば
「誰もが自分勝手で相手のことは考えない」
↓
現実と不一致
「環境改変が当たり前」
↓であれば
「誰もが人を操作しようと試みている」
↓であれば
「素直にひとの言うことを聞けば必ず不利益が生じる」
↓
現実と不一致
まぁ、なにが「普通でない」かがわかっても、ADHDは「今がどういう状況か」の把握がズレるので、合わせようがないんですけどね。
Paulさん
悪気はないのかもしれないなぁ・・とは思うんですが、あまりにもあんまりだ・・というようなことがありますね。
まぁ、お互い様なんでしょうけれど。
受動型のひとたちは、「そうするのが当たり前」であれば「そうする権利がある」だから「やる」というような考え方をすることが多いように思います。
これの問題点は、根拠が「自分由来」であることですね。
確証バイアスほか、認知バイアスまみれなので、もうちょっと内省できないのか・・と悩まされますが、我が家では、最近は大分改善されてきました。
「思考パターンや認知パターンが完全に別物」だということを理解してもらえたのが大きいように思います。
しかしここの受動型ASの人たちもそれぞれ多様で、衝動統制という観点で見ても様々なのだなぁ、と考えさせられます。
今回のやりとりでは、「普通」志向の中に、「普通を目指す中心志向」というものがあるのではないか、と思わせられました。
後藤先生は、「中心志向」には、成績や社会的立場に対する中心志向だけでなく、容姿などの場合もあり得る、と書かれていました。
つまり中心志向とは、社会的欲求ではなく「誰かと自分を比べて勝ちたい」という欲求だと考えます。
とすれば、「どちらがより常識的か」という観点に立てば、「普通」を拠り所にした中心志向というものも成立するよな、と。
悠々とさん。
>つまり中心志向とは、社会的欲求ではなく「誰かと自分を比べて勝ちたい」という欲求だと考えます。
とすれば、「どちらがより常識的か」という観点に立てば、「普通」を拠り所にした中心志向というものも成立するよな、と。<
そうですねえ。
あと。
「自分が楽したい、自分の好きなようにしたい中心志向」もあるんじゃないでしょうか。特に受動型の方は。
悠々と さん
私も「中心志向」の在り方が受動型ASとジャイアンと全く逆方向なのだなぁと思っていました。
受動型ASの中心志向⇒地球上で自分の立っている位置から地球の中心へと向かっていき、自分が中心だと叫んでいる感じ
ジャイアンの中心志向⇒地球上で自分の立っている位置から宇宙まで広げ、そのなかで自分が一番だと叫んでいる感じ
まぁ、このような中心志向から、とんでもない研究を生んだり、とんでもないものを創造したりすることができるのだと思います。中心志向の使い方を間違えると社会から排除されてしまいますが(>_<)
>みさん
みさんの理解で正解だと思います。受動型は自分の中で、自分が色々な意味で「一番いい」と錯覚する障害がある「自己満足の人」というのが根底にあるから、他者に迷惑を掛ける中心志向的な行動は基本的にないと思います。
ただ、対人能力が低いと、ただの自信過剰な嫌な人になって迷惑をかけてしまうかもしれない。特性を理解した上で制御できないなら、ACのまま過ごした方がよっぽど生きやすいでしょう。
みさん。
>受動型ASの中心志向⇒地球上で自分の立っている位置から地球の中心へと向かっていき、自分が中心だと叫んでいる感じ
ジャイアンの中心志向⇒地球上で自分の立っている位置から宇宙まで広げ、そのなかで自分が一番だと叫んでいる感じ<
なるほど。
だから受動型ASは周りが見えなくなる、気にならなくなる。というか無視できる。
ジャイアンは見えてるつもりで十分見えてない。しかしあとで見えてしまうので後悔、自己突っ込みする。
小生と当事者のことを見事に言い当てていますね。
ぬまおさん。
>受動型は自分の中で、自分が色々な意味で「一番いい」と錯覚する障害がある「自己満足の人」というのが根底にあるから、他者に迷惑を掛ける中心志向的な行動は基本的にないと思います。<
迷惑はかけないかもしれませんが。
本当に嫌な思いは毎日のようにさせられますよ。
それが全然わかってないのが大問題だと思います。
>Paul Carpenterさん
>周りが見えなくなる、気にならなくなる。というか無視できる。
それは孤立型の特性です。受動型は身の周りにある全てのものが無視出来ません。
受動型と孤立型の見分けは、自分の経験上、孤立型がよほど心を開いた相手ではないとできないと思います。受動型の自分も妻と長年生活して分析し、このホームページで情報を集めて、ようやく先月になって分かった程、見分けるのが困難です。自分が受動型ではなかったら、たぶん受動型だと思っていたでしょう。
孤立型は直接話す以外の方法で、何を考えているか全く読めません、というか、自分でも普通に空気を読むと読み間違えたりします。こだわりも非常に細かいことだったりするので、分かりやすいこだわりがないと見逃すでしょう。
見た目と行動は受動型にしか見えないんですが、衝動性は強く、受動型と比較して攻撃的です。関わらなければ害はないです。
ぬまおさん
受動型ASは、「自分は天才だ」と思っているくらいが一番社会に適応しやすいように思える。
「自分は天才だ」と思っていれば、自分の考えと人の考えは違う、というのを一番理解しやすい。
そして柔軟に人の考えを受け入れることができる。
実力が伴っていないと、「ただの自信過剰な嫌な人」になってしまう。
だから、実力をつけないといけないんだな。
たぶん、対人能力だけではなく、人間としていろいろな能力をみにつけないといけないのだと思う。
受験勉強なんかやっている暇は無い、ということか。
確かに実力がつかなければ、ACでないと適応は難しい。
受動型ASは重度の方が社会適応しやすい、というのは、このようにストレートに言ってしまうと反発も大きいので、ぼやかして言ったのだが、やはりストレートに言わないとわかりずらいか。
このあたりはジャイアンを見ていて同じように思ったことがある。
ACになって、自己評価が低下して、「自分はダメだから」一生懸命がんばる。
その結果、この人は本当に実力があるなあ、と思うジャイアンは結構いる。
そういう人が自己評価が低いうちは結果はうまくいかないけど、ACが回復して「自分が一番」と思えるようになったら、本当に素晴らしい、とても自分じゃかなわないなあ、という人になるのを何度か見ている。
ACの間に人の何倍も努力した結果が、その人の素晴らしさを作り上げているのだと思う。
嫁さん、そんな感じじゃない?
Paulさん
暴君型の受動型ASですかね。おもしろい考え方ですね
家族から見るとまさに「暴君」と見えること、多々ありますね。
常識的でありたい、という欲求が
「誰よりより常識力のある人間でありたい」という形であると
↓
「常識的に振舞えるようになれた」と思えたとき
↓
「俺が常識である」
という考えに至るのか、と思います。
特に家庭環境というのは、外部と比較しにくいものですから
ASの「常識」が一般やADHDの感覚と乖離しやすくなりますね。
特にアスペルガーは、「男は」「女は」という立場上どう振舞う「べき」か、という思考をしやすいようですから
「夫とは」「親父とは」
という文脈で見ると、とんでもない押し付けをしてきたりしますね。
m2さんの男女のお話も逆説的に捉えれば「女はひきこもっていてもいい」
というようにも解釈できますし、この考え方をもった女性受動型ASがいたとすれば、ひきこもりになりやすいだろうな、と考えさせられました。
みさん
ああ、まさにですね。
受動型の中心志向、というのは
「人に望まれるで『あろう』中心」を志向することであり
ジャイアンの中心志向、というのは
「人が羨むで『あろう』中心」を志向することなのかもしれません。
だからジャイアンは、ジャイアンでもわかるような、「わかりやすい権威」を求めたがるのかな、と。
ぬまおさん
受動型を父として持つ立場から言わせてもらうなら
受動型ASは、一時AC的になることで「世間的には」普通に振舞えるようになるのだと思います。
それはACを抜けても変わりませんよね。
(今までの経験を正として、「新しい」常識を受け入れなくなるだけで。)
ただ、家庭では「常識的行動」というものが世間的な共有知になっていませんから、「ASの考える理想」がそのまま「常識」にすり替わることになりますね。
大抵は、幼少期の親との関係性を引き継いだものかと思います。(AS親AS子の関係性を、ジャイアンにまで適用されたら、こっちは壊れてしまう・・)
迷惑とは、「迷惑をかけようとしてかけること」ではなく
「相手が迷惑だと思うこと」であるはずです。
(ジャイアンでも、基本的に迷惑を「かけようとする」ことなんて、ありませんよ。「結果的に」迷惑をかけるだけです。)
m2さん
ドンブロフスキーの言う過度激動っぽいですね。
積極的分離。
発達障害者は、結局過度激動しないと擬態しきれないんじゃないかな、と思います。
後藤先生が以前分けていた
思い込み型と、合理強迫型の違いもそこにあるのではないか、と思います。
衝動統制だけに着目すると、思い込み型も合理強迫型も、「理由があるから我慢する」ですからね。
確認させてください。
受動型ASのモデルは、「常に相手が中心」の自我を持ちつつ「愛着の対象は自分と一心同体」と認識しているのですよね。
「愛着の対象には支配か絶対服従か」ですから、愛着の対象者から見れば「常に相手が中心」とはとても思えないのかもしれません。
受動型の志向には、「常に相手が中心」と「愛着の対象は自分と一心同体」との二面性があるのではないでしょうか。
ここ最近のADHDと受動型ASとの比較論を見ると、受動型の志向のうち後者にのみ着目しているように思えてなりません。
支配・絶対服従のターゲットにされてしまうと、とても苦しいものだと思います。ただ、その苦しみを語るときと、モデルの比較分析を語るときとで、少し切り分けてみてはいかがでしょうか。
悠々とさん
>受動型ASは、一時AC的になることで「世間的には」普通に振舞えるようになるのだと思います。
それはACを抜けても変わりませんよね。
一時AC的といっても、自分の場合、抜けるまでに約30年かかっているので、人生の大半をACで過ごした感はある。自分で納得する実力が身に付かなければACは抜けないと思うので、個々のこだわりが大きく影響してくるかもしれないです。自分の場合、子どものころに対人能力にこだわってしまい、コミュニケーション能力が高い人間を目指したため、こんなに時間がかかってしまい、仕事も一番向いていない記者なんかをあえて選んだんだと思う。対人能力に特化した成長をしたので、意識しなくても人並みにふるまえていると思います。
苦手の克服にこだわってしまうと異様に時間がかかるので、親としては、苦手を克服させて大器晩成を目指させるか、興味のある分野だけを伸ばして早期の成功を目指させるか、の選択が早い段階で必要になってくると思う。ACを完全に抜けるのは簡単ではないので、抜けるころには必然的に目指した分野で高い実力が身に付いていることになります。
自分の父親はジャイアンなので、悠々とさんの家庭と同じかもしれないです。子どものころに父親に反抗したのは、親のやり方を押しつけられたためで、積極的な人間になるよう言われ続けたことから対人能力にこだわってしまったと思います。まー、うちの場合は「ちゃぶ台返し」をやるような父親だったから特別かも。子どものころに一番、父親にやってほしかったのは一緒に何かを楽しむ情緒的な交流。これが一切なかった。あと、課題だけを与えてもらい、自分なりのやり方でやらせてもらいたかった。やり方にまで口を出すのでやる気がなくなってしまったことを覚えています。
>今までの経験を正として、「新しい」常識を受け入れなくなる。
受動型は情報を逐次取り入れ、瞬間的に組み換えながら正解を求めていく思考傾向があるので「ゼロ、百の理論」になると思います。一つの小さな新しい情報が加わっただけで結論が全く変わるということは当たり前にあるので、そのようなことはないと思う。
ぬまおさん。
>>周りが見えなくなる、気にならなくなる。というか無視できる。
それは孤立型の特性です。受動型は身の周りにある全てのものが無視出来ません。
受動型と孤立型の見分けは、自分の経験上、孤立型がよほど心を開いた相手ではないとできないと思います。受動型の自分も妻と長年生活して分析し、このホームページで情報を集めて、ようやく先月になって分かった程、見分けるのが困難です。自分が受動型ではなかったら、たぶん受動型だと思っていたでしょう。<
でもねえ。こちらがちゃぶ台ひっくり返してびっくりさせるまでは無視、攻撃しているのと同じですよ。はっきり言って。
悠々とさん。
>暴君型の受動型ASですかね。おもしろい考え方ですね
家族から見るとまさに「暴君」と見えること、多々ありますね。<
なるほど。それもありかな。ふだんはうまいこと暴君に見せかけてないだけで。嫌やわ~
>受動型の中心志向、というのは
「人に望まれるで『あろう』中心」を志向することであり
ジャイアンの中心志向、というのは
「人が羨むで『あろう』中心」を志向することなのかもしれません。<
こちらが望んでないことだとは考えないんですよね。ちゃぶ台ひっくり返したら後付で言い訳するばっか。けっ。ごめんなさい。
ZZZさん。
>受動型の志向には、「常に相手が中心」と「愛着の対象は自分と一心同体」との二面性があるのではないでしょうか。<
後者はまさに考え違い、勝手な思い込みのことが多いことには思い至らないんですよね。
ちょっと一気に書きすぎましたかね。ここらで自己突っ込み。
でもねえ。こちらがちゃぶ台ひっくり返してびっくりさせるまでは無視、攻撃しているのと同じですよ。はっきり言って
これがすごく興味深いのですが、ADHDにとっては、
無視も攻撃に入るのですか?
それも、ちゃぶ台返しをしたくなるような、苛烈な攻撃に
値するのでしょうか?
ホッグさん。
>無視も攻撃に入るのですか?
それも、ちゃぶ台返しをしたくなるような、苛烈な攻撃に
値するのでしょうか?<
完全な無視なら構いません。
こちらにどっぷりと依存した上での無視です。
しかも要所要所で攻撃してきます。
無視できるほどあ安心で安全な地帯に安住していられるのは誰のおかげか、ということがわかってないのです。
zzzさん
受動型のひとたちは、家の外においてはそれほど問題を起こすことはないと思うのです。(なぜなら常識的ですから。)
彼らの問題は、情動障害型ADHDと同じように「家庭」に集約されると考えます。
(情動障害型も、その場その場に合わせ「られる」と考えれば、ADHDにしては常識的という見方もできるでしょう)
この「家庭環境で問題を起こす」ということは、zzzさんの言うように、「常に相手が中心」で、「愛着の対象と自分は一心同体」と矛盾することなく
むしろその帰結として説明できると僕は考えます。
つまり「一心同体(と思い込んでいる)相手が、中心」というのは「自分が中心」ということになるんです。
「思い計った相手の心中は、自分と同じである」という前提は、実際の相手からズレた部分が必ずでてきます。
だって相手と自分は同じでは、ないのですから。
僕は、父が好きですよ。
受動型が「悪いひと」だなんて欠片も思っていません。
けれど、性質上問題のあるところは問題があって、それは事実なわけです。
それはジャイアンである僕自身にも、言えることであり、「お互いを」理解して「お互いに」歩み寄らなければならないことであると考えます。
それが僕のフェアネスです。
「事実は事実」
ぬまおさん
「一時」という表現は、よくなかったですね(´・ω・`)
僕は自己否定というのは、変化・成長の原動力だと思うんです。
だって「今の自分そのまま」で良いのなら、変化する必要性がありませんもの。
定型者がのほほんと変化せず、緩やかにしか成長しないでいるのもそれが理由なんだと思います。
(そのままでいて支障がないので。周りから「求められる普通」から外れたときにしか、変化・成長の動機が働かず、また普通であることはそれほど難しくないので)
だから僕は自己否定は良いものだと思うんです!
ACは、消極的分離、つまり自分は普通でありたいのに「あれない」ということだと思うんですね
これを積極的分離「普通でなくて良い!」にもっていき
さらに「普通でないけど他者を理解したい」と思えたなら
これは生涯成長を続けるエンジンをもつことになるでしょう!それって素敵だと思いません?!
僕はそういう人生を送りたいんです!
ぬまおさんは、お父上がジャイアンなのですね
僕は暴君型として成長するだけあって、家族の愛情を疑うことなく育ちました。(ただ、今になって考えると、のび太母は色々とつらかったと思います。父の影響で、完全にACです)
でも
「やり方に口を出すのでやる気がなくなってしまった」
というのは同じですね。
ASとジャイアンでは正解となるやり方が違うのに、正解を押し付けられてげんなりすることが多かったのを覚えています。
例えばメモをとっていると、「そんなことも覚えていられないなんて馬鹿だ」と言われたりですね。
新しい常識のお話は、上に書いた「自己否定がなければ変化・成長の動機が得られない」というところからの推測です。
ACでなくて変われる、というのは、変化したいと望んでいるからなんですかね?
自己否定するまで追い込んで初めて意識変化が起こる、というのは僕の基本認識になっています。
必ずしもそういうものでもないのかしら?
Paulさん
どんな人も「悪気がある」わけでないのに、どうも自分だけは悪気がなくて、他人は悪気がある、
というような考え方が多いですよね。
「自分は悪気はなかった!だから悪くない」とか基本ですね。
「こちらが怒ったのは悪気を感じたからではない。悪気があるかないかに関わらず悪いことは悪い」と言ってもいまいち理解できない様子なのが不思議に思います。
「事故は起こしいから起こるのではないよね?でも事故は起こるよね」
と、具体例を出しても、「それは別の話だ。笑」と返ってきたり。
いや構造的に同じでしょう、と言っても理解してもらうのが非常に難しく・・
論理立てて考える、というのが苦手ということなんだと思うんですが・・
ホックさん
Paulさんの考え方とは違うかもしれないのですが、
僕も「無視」というものを攻撃的行動と捉えやすいです。
自分の中の思考を追うと
無視されたときの対応は、2パターンに分かれます。
それぞれの条件は、
1.「継続的関係にあるひと」か
2.「その場限りの関係性しかないひと」か、です。
2.の場合、そもそも無視されていることに気付かないことも多いですが、無視されたことに気付いた場合
2.1「なぜ無視するんだろう?」と考える。
2.2「理由として考えられるモデルを2、3パターン想起する」
2.3「こういう理由か?」と聞く
ここで返答があればよし
返答がなく、無視が続く場合
2.4正解モデルを判断できないため「まぁいいか」と考えて終わる。
1.「継続的関係」にあるひとの場合
1.1「なぜ無視するんだろう?」と考える。
1.2「理由として考えられるモデルを2、3パターン想起する」
1.3「こういう理由か?」と聞く
ここで返答があればよし
返答がなく、無視が続く場合
1.4正解モデルを判断できないため、思考が終了せず「どうしたら正解を導き出せるか?」という思考に移る。
1.5非言語的メッセージなどを読み取ろうと観察をする
1.6そもそも無視されるという状況は、情報入力が少ないので、観察から考えが別のところへ飛ぶ
1.7継続関係にあるので、正解を予測しなければ不利益が考えられるので、がんばって相手に集中する
1.8集中が続かない。でもがんばる。
1.9正解モデルの演算が数限りなくなり、思考が発散的になり、わけがわからなくなってくる
1.10なんでそもそもこんなにがんばる必要があるのか?!答えればそれで済むはずなのに、一体このやりとりになんの意味があるのか?!
1.11はっきり言えこの野郎!!!!!
こういう流れですね。
はっきり言って疲れます。
Paul Carpenterさん
どっぷり依存というのは、身近などなたかの事なのですね。
私の考え方がAS寄りなのかも知れないのですが
「だったらその人に直接いえばいいのに」と思う次第ですが
そうすると問題が起きたり、大きくなったりするから、
そうもいかないのでしょうね。
ありがとうございました。
悠々とさん
ありがとうございます!!!謎が解けました。
ずっと気になっていた答えが全て分かりました。
私は(多分私の家族や周囲も)相手に対して何らかのマイナス感情があるとき、
相手と距離を取ろうと考えます。男より女の方がこの傾向は強いのかな。
(無視といっても「こんにちは」くらいの挨拶はします。)
理由は色々ですが、時間を置いて冷静になりたいのと、
相手に不満を言ったとしても、結局他人は変えられない(経験上)
のだから、不満があるなら自分が相手から離れればいい、と考えます。
そのうちまた仲良くなった事もあるし、挨拶だけの関係に落ち着いた事もあります。
ですが最近、パターン1そのままの態度を取られる方がおり、困惑していました。距離を取ることを許さないのです。
継続的関係にはありますが、特に親しくなく、今までの関係も挨拶程度、
それがある問題を機に、突然「しつこく」なってしまったのです。
1.3から1.9を繰り返している感じです。
はっきり言った方も周囲におりますが、今度は「傷つけられた」とますます被害を訴えるので
本当の事を言うのも躊躇われておりましたが、しつこさが度を超え、警察沙汰になってしまいました。
多分上記の「観察」なのだと思いますが、職場を覗き込んだり、
一緒に居る場でじっと睨み続けたりし続けます。
それを色々な方にやるので、個人に執着があるわけではなさそうなのですが・・・
悠々とさん、長々とすみませんが、もうひとつだけ質問させて下さい。
>1.11はっきり言えこの野郎!!!!!
この後にどう言えば、事態が収集するのでしょう。
その方を傷つけるのが楽しいわけではないので、
一番納得してもらえる方法を模索中なのです。
ホックさん。
>私は(多分私の家族や周囲も)相手に対して何らかのマイナス感情があるとき、
相手と距離を取ろうと考えます。男より女の方がこの傾向は強いのかな。
(無視といっても「こんにちは」くらいの挨拶はします。)
理由は色々ですが、時間を置いて冷静になりたいのと、
相手に不満を言ったとしても、結局他人は変えられない(経験上)
のだから、不満があるなら自分が相手から離れればいい、と考えます。<
コレ家庭内、夫婦間でやられると地獄なんですよね。
向こうには「悪気」はないのかもしれませんが。
こちらにとっては悪気満載です。
Paul Carpenterさん
お返事ありがとうございました。
なりほど、私も夫に対してそういう態度を取らないよう、
肝に銘じておきます。
ご意見ありがとうございました。
Paul Carpenterさんの問題も解決しますよう祈っております。
ホックさん
僕も最近、「無視」という行動を覚えました。
他のひとには無視というものが、それほど苦痛ではないのですよね。
「時間を置く」というのはADHDには苦手なことなのだと思います。
大事なことほど、すぐに済ませてしまいたい。
だって、大事なことでも、ぽっ、と忘れてしまいますからね。悲しいですけれど。
(そして関係のないところでふと思い出して苦悩する。だから、メモって大事です。)
警察沙汰になるほどしつこい、というのは珍しいパターンじゃないでしょうか。
後藤先生も言っていますけれど、ADHDは結果主義的なところがありますから、結末が予測できればあっさりと引き下がるようなところがあると思います。(逆に、しつこくすることで結末が好転するという予測がある場合に、やたらしつこい)
「はっきり言えこの野郎!」に対しては
「~である」と答えるのは、正直あまり得策ではないと思います。
特に「こいつは言語的に答える気がない」と思われてしまった場合、わかりもしない非言語を読もうとするので、
「そうは言うけれど本当は違うんだろう!」という考え方にもなりやすいと思います。
僕の考える正解は
「正直に言えば、自分も考えがまとまらない。どう答えていいかわからない」と伝えた上で
「具体的な防衛線」を明示することだと思います。
「しつこくするな」と言ってもたぶんわかりづらいと思います。おそらく「しつこくするって具体的にはどういうことだ?」と考えるでしょう。(社会には、その場その場で許容されるしつこさと、許容されないしつこさがあるので、統合された「許容されないしつこさ」の定義ができない)
続く
承前
例えば
・「職務上『直接』必要がない場合に職場を覗き込む」のは不快である
・「睨まれるのは怖い」
・よって、以上2点を続けた場合は実力行使にでる。
と伝え、伝わらない場合に、適宜対策を具体化し、言語的に伝え、小出しに「わかりやすく」攻撃をしかけていれば、諦めたかもしれません。
単にその場その場で
「職場を覗き込まれて不快です」
「睨まれると怖いですね」
「睨まれると腹が立ちます」
など、直接的に言葉にするのも効果的だと思います。
傷つけられた!などの感情表現をされても、気にしなくて良いと思います。
ADHDは、「そう思ったからそう言う」だけのことが多いので、傷つけられたからどうこうしろ、という意味はないと思います。(自分の感情は、口に出さないと気付いてもらえない、という前提があるのです。自分がそうなので、人もそうだと思いやすい。)
なので、「あ、そうですか」で良いと思います。
以上、僕の適当な推測です。
ADHDは結果主義的なところがありますから、結末が予測できればあっさりと引き下がるようなところがあると思います。(逆に、しつこくすることで結末が好転するという予測がある場合に、やたらしつこい)
すごくよく分かりました!
(先生が書かれていた「理由はともかく徹底的にダメと言われた場合、あっさり引き下がる」という現象でしょうか)
恐ろしい程しつこい時と、あっさり諦める時があるのですが
その差の基準が分かりませんでした。
このへんが、病的に見えるので周囲が更に引くのですが。
可能性がある限りしつこくするのであれば、その可能性がないことを言葉で伝えなければいけないのですね。
なぁなぁで済ませたい大人の集団にとって、これはなかなかきつい作業になりそうです。
悠々とさん。
>どんな人も「悪気がある」わけでないのに、どうも自分だけは悪気がなくて、他人は悪気がある、
というような考え方が多いですよね。
「自分は悪気はなかった!だから悪くない」とか基本ですね。<
悠々とさんのコメントは小生にとって自戒とすべき言葉が本当に多いです。ありがとうございます。
それにしてもねえ……..
>傷つけられた!などの感情表現をされても、気にしなくて良いと思います。
ADHDは、「そう思ったからそう言う」だけのことが多いので、傷つけられたからどうこうしろ、という意味はないと思います。(自分の感情は、口に出さないと気付いてもらえない、という前提があるのです。自分がそうなので、人もそうだと思いやすい。)
なので、「あ、そうですか」で良いと思います。<
また思わず笑ってしまいました。
のび太気味のなつもかです。こんばんは。
アメジストさんの一石からの展開をハラハラ眺めていました。
自分がADHDなだけに、抑圧されているという気持ちを感じやすいんですかね。それぞれの立場の気持ちがわかって、歯がゆい気分になりました。
でも今回みたいにいろんな人が痛み分けして教訓を得るのは、ここが存在する強力な意義かなって思いました。ありがたい事です。いろんな人が見ているのって素晴らしいですね。わたしは今回の流れでASさん心広いなと思いました!笑
さて、ASさんたちの自己分析、本当に興味深いです。そして、出発地点は真逆なのに、結果的に社会での立ち位置は受動的ASさんと本当に近いなぁと感心しています。攻撃性がなく、地位にそんなにこだわらないせいかな。私が女性なせいもあるかも。ただ、負けるが勝ちという打算はあります。結果重視!
それほど受動型ASに感じ入る所があるのに、最近のADHDさん達(元暴君?)のお話の方が共感できるという不思議!笑
Paulさんが自戒を感じる時、私もだいたい同じようにしています…。ホックさんのお話もかなり耳が痛いです…。こちらのアクションに対して返事がないという事が、うまく処理できないんです。(しかも人からのアクションに対してちゃんと返事を返すかと言われたら、そうでもないし。)
ほんと、ここに現れる方々は私からすると魅力的です。
なにしろ格好つけて意味のない言葉を長々と話さないところが。関係なさそうだなっていう時もあるんですけど、当人の中では結び付いている何かを探すのもまた楽しいです。
感想ばっかりで申し訳ないですが、次のエントリーもASさんのお話ですので、また色々なお話に発展する事を楽しみにしています。
なつもかさん、ASも表向きは似たようなものです。
>こちらのアクションに対して返事がないという事が、うまく処理できないんです。
そうなんですよ。そしてASは基本、黙る。依存相手に対してのみ、しつこく絡むことがある。ADHDは基本、相手によらず絡んでいくのではないでしょうか。ASにとってはそれが辛く、ADHDにとってはASの黙ることや絡むしつこさが辛いのだろうなぁ。
>しかも人からのアクションに対してちゃんと返事を返すかと言われたら、そうでもないし。
これも一緒。参っちゃいますよね。ただ、内面が違っていて、ASはアクションをきちんと認識しつつどう反応すればいいのか困惑して返事しない。または反応するとトラブルになりそうだと思って返事しない。ADHDは、反応する気にならないか、アクションをあまり認識してないかで返事しないように感じることがよくあるけど、どうなんだろう。
せっかくの締めのコメントを流して申し訳ないっす。
悠々とさん。
>「あ、そうですか」で良いと思います。
これ、ASにとっては、理解していても難しい反応なんです。発言者を突き放す表現といえるものであり、大げさに言えば、人間関係の断絶を思わせる態度です。ASからこれをやるには緊張感をもってしなければならず、ハードルが高い。
>自分の感情は、口に出さないと気付いてもらえない
という前提を、特にASに対してはきちんと理解してもらえば、やりとりがスムーズになってくるかもしれません。理解してもらうまでには紆余曲折あると思いますけど。
zzzさん
「あ、そうですか」
というのは具体例のひとつとして出しました。
ここで僕が言いたかったのは
「ADHDの感情表現に、裏の意味はない」
ということです。
おそらく定型者が表情筋を動かすのと同じような感覚なんじゃないかな。
だから、断絶的な表現がお嫌いなら、融和的な表現をすれば良いと思いますよ。
例えば「うんうん、そうですよね。」とか。
なつもかさん
自分はどうやらASっぽいな!と腑に落ちたので、レスさせて頂きました。
心が広い、というか「悪気はないんだろうから仕方ないな」と流す人が多いのかもです。(だから、悪気がないんだから仕方ない、と主張する傾向があるのかも?)
ADHDの方は「悪気があっても正しいものは正しい」っぽく感じます。似て非なるものですよね。
ひとつの事象について、ASの最優先は「そこに悪意があるか」
ADHDの最優先は「そこに正解があるか」
そんな風に感じてます。
ホックさん
>ひとつの事象について、ASの最優先は「そこに悪意があるか」
>ADHDの最優先は「そこに正解があるか」
なるほどなー、と思いました。
そういうところはあるかもしれません。
悪意があると受け取られるかも、という心配より、(伝えたいと思う)情報を伝える方を優先しがちかもしれないです。
ASに比べると、言語情報に大きな価値を感じるひとが多いのかもしれないですね。
そこに悪意があるかどうかを読みとろうとしても、間違えるのが基本ですし。
(なのでそもそも僕は、悪意がどうこう、ということをあまり考えないです。腹立つ言い方だな!とかは思ったり言ったりしますけれど。腹立つ=悪意あり、とは捉えてないですね。)
悠々とさん、なるほどそういうことでしたか。それなら俺でもできそうです。と言いますか、そういえばやっていました。
ADHDからストレートな感情表現を受けると、ときにドキッとさせられたり妙に気を回したくなったりします。
例えば、イライラする、と言っていたり態度に出ていたりすると、それが独り言などであっても、俺何かやったかなぁと振り返ってみたり、手伝おうかと声をかけてみたり。
そういう反応の仕方が、AS的なのかもしれません。
zzzさん
自分は「感情表現の反応」としてなにを求めているんだろうか?
と考えてみたのですが、僕としては
「そういう感情であることは、わかった」と理解して欲しいのかな、と思います。
そして、表現した感情を理解してもらった上で、感情関係なしに判断してもらいたい。
こう書くと非常に難しい要求ですね。
以前は感情に配慮されると
「そういう(卑怯な意味で)言ったんじゃない!」と怒ったりしてましたから、なんというか・・
難儀ですね・・
ADHDにとっては、感情に配慮してもらうよりは、事態に配慮してもらいたいのですよね。内面に無配慮だとそれはそれで嫌だけれども、内面よりも周囲の事実に配慮してもらいたい、と言いますか。身近なADHDを観察していると、どうもそういうことらしいと思えてきます。
ASのほうは内面により配慮してもらいたく、この点で衝突することがあるのかもしれません。
感情には少し配慮するだけでいい、と伝えれば、ASには分かりやすいかも。感情の理解には比較的長けてますから。
一方で、感情に配慮しなくていい、と断定的に伝えると、無配慮になるおそれもあります。言われたことを要望としてそのままデータベース化し、そのまま行動しがちですから。
それほど配慮しなくていい、という否定含みのあいまいな表現も、ASにとっては難しい場合があります。「少し」もあいまいな表現ですが、まだわかりやすいと思います。
ああそうか。受験勉強に関しても、内面や感情に配慮して伝えてくれれば、ASは納得しやすくなるでしょうね。
zzzさん
>内面や感情に配慮して伝えてくれれば
これって具体的にはどういった伝え方になるでしょうか?
家族として接していて思うのは
「~なのはわかるけれど、でもね。~だから~だと思うんだよ」
というような迂遠な言い回しの方が効果的なことが多いですけれど、こういうことでしょうか?
「~だから~だと思うんだ」
とだけ言っても、あっそ、って感じだったりしますね。
ただ、言葉が長くなりすぎても入っていかなくなるし、難しいです。
そうだと思います。俺の卑近な例でもいいですか?ちょいと長文になります。
例えば、うまく言葉に出ない場合に、じっと待ってくれるか、または「言葉になるまで少し待つよ。」と言ってもらって実際に待ってくれると、配慮してもらってありがたいなと思います。少し言葉になってもなお待ってくれると、さらにありがたいなと思います。
例えば、こちらが無茶振りをしたり我儘を言ったりした場合に、その自覚があってもなくても、「そう思うのは分かる。ただ、こうだからこうして欲しい。」と言われ、そこにある程度でも合理性が見いだせれば、配慮してもらってありがたいなと思います。
ありがたいという思いがあると、相手の言い分への理解が早まります。
後者の場合、合理性が見いだせないときは、反論を試みたりします。言い返されて再反論できない場合にはストレスとなりますが、言い返された内容に合理性があれば、その時点では不満でもそのうち腑に落ちますし、ストレスとして残りません。
共通しているのは、心情への配慮です。それが言葉でなく態度であっても、そこは敏感に感じ取ります。以上が、俺の例です。
特に後者のやり方は、ADHDやいわゆる多数派にとっては迂遠だと思います。ただ、その時点での心理を理解してもらえた(とASが受け止める)言葉や態度があると、より聞く耳がもてます。
それと、時と場合によるとは思いますが、一定の合理性がある限り、「して欲しい」「して」などの断定調でもASは理解すると思います。実際にそのような経験もおありではないでしょうか。
言葉が長いと入りづらくなるのは、確かに難しいでしょうね。そのうち、分かったのかどうか反応に乏しいから言葉を重ねてしまうケースがおありなら、これは対処法があると思っています。
ASの場合、反応がなくても、聞き始めからある程度の時間までは、結構聞いているものです。反応がないのは、言葉の咀嚼に時間をかけ、飲み込む(聞き入れる)までに少し時間を要するからです。その間は、反応を表に出さない。というか、目を内向きにして言葉を咀嚼するので、反応を表に出せない。
聞いてるのかどうか分からない場合には、言葉を重ねずにむしろ切って、しばし反応を待ってもいいかもしれません。ASは咀嚼への配慮であり内面への配慮と受け取るので、心のどこかで感謝の念につながります。
咀嚼が終わったなという頃合いで「できるかな」「いいかい」などと理解の確認をすれば、反応するように思います。
そうそう、ASはこだわりという名の固定観念が強いので、注意されたことを何度も繰り返す場合があります。
それは、言われたことを理解できていないというよりは、言われたことを忘れたか納得していないかのどちらかだと思います。俺も、そういえばと後で思い出すことや、これでいいと思ってやり続けることがあります。
いずれにしても、合理的理由を示して何度も注意するのが効果的だと思っています(と書いて自省してます)。
zzzさん
丁寧な説明に感謝します。ありがとう
迂遠、と自分で書きましたが、zzzさんのお返事を読んで、しばらく考え込んでいました。
なぜなら、その「迂遠な言い回し」の方が『僕の場合』も聞く耳を持ちやすくなるんじゃないか?と思ったからです。
率直な言い回しを好むのは、「発言側」としてのバイアスなのではないか?と考えて、いまだに悩んでいます。(実際どうなのか、と)
だってね、zzzさんの心情変化や配慮への感謝、合理性の受取方などは、僕の対応とほとんど一緒なんです。(もちろん、読み取れる情報の性質とその量から、反応性の違いはでてくると思うのですけれど)
すると僕の対応は、単に立場で分けたダブルスタンダードなのかもしれない。
例えて言うなら、高速道路で後ろから煽られると「そんな急がなくても!」と思うのに、自分が急いでいるときには「そんなにとろとろ運転しなくても!」と考えるような
そんなことなのかもしれない、と。
ただ、「反応がないように見えるけれど聞いている」というのは、明確な違いだと思いました。
僕の場合、咀嚼をする場合には「ちょっと考えるので待って欲しい」と断ったり、「考えないとわからない」と率直に言葉にすることが多いです。
無視をするとか、無視をしていると「取られるだろうこと」に敏感なのかもしれません。
みさんと道産娘さんのやりとりを見ていても、そう感じました。
無視をするのにも「無視するよ」と断りをいれないではいられない、というのは我がことでもあるのに、不思議だなぁ、と思うのです。
悠々とさん、自分に気持ちのいい対応をしてもらいたいというのは、みな同じだと思いますよ。俺だってそうしてもらいたいし。
ダブルスタンダードもみな一緒で、誰もが矛盾した考えを抱えているものではないでしょうか。これまた、発達障害者も定型も変わらないと思います。
そこに違いがあるとすれば、ASはADHDや定型に比べて、心情や態度により重きを置きがちな点でしょうね。悠々とさんが思っている以上に、とお考えいただけますか。
>無視をするとか、無視をしていると「取られるだろうこと」に敏感なのかもしれません。
ASはその裏返しですね。
受動型ですと、普段は相手がどう受け取るのか気にしているものです。ところが、言葉の咀嚼に入ったとたん、それに気を取られてしまい、相手の受け止め方に気が回らなくなるんです。
特に、言われた内容が思ってもみないことですと「え、え、どういうこと…」となってしまいます。「固まる」ってやつですね。こうなると、にわかに反応できません。フリーズしたPCみたいなものです。
ふと思い出したのですが、俺の場合、フリーズしたときに限っては、「言ってることがよく分からないのか?」と聞いてくるなど助け舟を出してもらうと、再起動しやすくなっていました。
前回、「しばし反応を待ってもいいかもしれません」と書きましたが、フリーズしていそうな場合には「よく分からない?」などと声をかけるのが良さそうに思いました。それでうんと頷いてくれば言って聞かせられるでしょうし、それでも反応がなければまだ咀嚼中ということです。
大変だと思いますが、ASなりに一生懸命考えようとしていると思っていただければ。
俺の場合、今は「え、え、どういうこと」を口に出すようにして、フリーズを回避しています。
zzzさん
ダブルスタンダードも、「自分でわかっていて」「必要だから」やっているのなら良いのですが・・
気付いていないのって、怖いです。
ひとつひとつ炙り出して自分に突きつけたいと僕は思ってしまいます(´・ω・`)
フリーズについてなのですが、思い返してみると
ADHDのひとがフリーズした場合は
「~ということか?」と具体例をあげてみると「はい、いいえ」で返事が返ってくることが多いような気がするのですが
アスペルガーのひとがフリーズした場合は
「~ということか?」と具体例をあげてみても「うるさい!」と言われることが多いような気がします。
ADHDのフリーズは「咀嚼ができていない」状態なので、咀嚼したものを差し出すと飲み込めるが
アスペルガーのフリーズは「咀嚼している」状態だから咀嚼したものを差し出しても「黙ってろ」になるのかなぁ・・
たしかに「わかりづらかった?」と聞くと再起動(?)するような気がしますね。
(ADHDにこれを言うと「うん」で終わりそうな気がする)
zzzさん
私の場合は、フリーズした時は、表情に出しちゃいます。
だいたいはそれでわかってくれます。
まさに態度で全部あらわしちゃいましょう、です。
悠々とさん、ダブルスタンダードに気付かないのは確かに怖いですね。俺も、言われるまで自分のダブルスタンダードに気付かなかった経験が何度もあります。それでけっこう迷惑をかけていたなーと反省しつつ、データを増量してくれたことに感謝してみたり。
具体的な話を受けていらっとすることは、そういえばありますね。逆に、身近なADHDに対して話を伝えきれない場合に具体的な話や「例えば」で話をすると、話が進むような気がしています。
ASが本当にフリーズしているときは、固い顔になって何を言われても反応が乏しくなるように思います。いらっとした言葉を返すのは、言葉の咀嚼つまりは言葉の意味を考えているか、またはどのようなアクションをとればいいのか考えているか、のいずれかの場合だと思いますよ。俺がそうであり、ASの特徴からいってもそのように思うんです。
m2さん、なるほど。フリーズすると態度に出てしまいますが、それを抑えるのでなく積極的に出してしまうということですね。それも良さそうだな。
いやぁ、俺は表情を読み取るのが苦手な人を相手にすることがしょっちゅうあるので、どうも表情に頼らない考え方になりがちでした。
前受動ASの子と付き合ってました。
その時は依存されてしんどくて最後はこっちが断ち切る形で自然消滅になりました。
でも今考えると、受動ASの子は純粋で単純で天使みたいでした。
だから依存心さえなければ、長く付き合えたかなとか思いますね、、
普通のADHDである僕は定型か依存心のあまりないADHDの子じゃなきゃ上手くいかないような。
ジャイアンも積極奇異ASも知ってるけども、やっぱりこっちのテリトリーに入られる圧迫感があってしんどさがあるんです。
普通のADHDの子は自分のテリトリーのなかで生きる感覚が強いので圧迫感がないんです。その意味でジャイアンには根底には依存心があるひんやろなて気がします。普通のADHDも無神経な言葉で相手の領域に入ってよく反感を買うとは思うんですが、ジャイアンの場合言葉以上にその人自身が入ってくる感じでしょうか。
うーん話し完全にそれたし何が言いたかったんでしょうか(^_^;)
私は中学2年の時、無理やり家の裏にあった進学塾に行かされました。その時から反省反省の嵐でした。こんな難しい問題を解いているのか・・・毎日毎日勉強している・・・今まで自分は何もかもがアホ過ぎた。。。その時の自分のレベルと考えの甘さを思い知らされました。。今でも忘れないです。恥ずかしかった。。。
いまさらですが、み さんがブロックされた理由は
意訳すれば「自分は合理強迫型であり、後藤先生の定義する正解例である。であるから自分の言うことは正しい。不正解である依存型は私に従え」
というような、『後藤先生の権威を利用した威圧』をしたからかもしれないな、と思いました。
なにがブロックポイントか考えていたのですが
先生の威を借りて衝動を満足させようとした、という行動は、
何重にも甘えた救いがたいものだ、と判断されても仕方がないか
と、ようやく腑に落ちました
悠々とさん。
そういうお考えもあるでしょうね。
ただ小生はむしろ「私と同じように正々堂々と闘え。姑息な卑怯なまねはするな」と言っているように思えました。そこは大いに共感しました。
もうひとつは。
何か誰にも言えない辛いご事情もあったのではないかと。だから歯止めが利かなくなってしまったのではないかと。これは単なる小生の憶測に過ぎないかもしれませんが。
Paulさん
みさんの心情的には、言葉通りに道産娘さんの発言のある部分が
許せなかった、というのが大きいと思います。
あの言動パターンは、僕自身もとっていたので理解できるし、共感もします。
けれど、あれは、ダメなんですよ。
なぜなら自分の求めるものを自分でわかってないからです。
悠々とさん
>けれど、あれは、ダメなんですよ。
なぜなら自分の求めるものを自分でわかってないからです。<
「自分の求めるものを自分で理解できなくなる」ところまで追い詰められていた、と小生は理解しています。
悠々とさんの説明はいつもわかりやすくて参考になります。
小生の言葉足らずを補足していただいているようで。
あえて追加しますと。
他者に注目してもらいたい、他者の気を引きたい、という衝動が統制できなかったのかもしれないとも思います。
小生自身がそういうときがありますので。
>「いつか必ず死ぬという殺伐とした不条理、現実から、なんとか自分だけの必然、物語を紡ぎ出そうと抵抗する態度が先送りだと思います」
私は、いつか必ず死ぬということは不条理ではなく、生を受けた者の自然の摂理としての死、と考えています。人が死ぬことがなければ子孫を残す必要がない。生物としての「ヒト」ということから見ると、死は不条理ではなく条理です。
ただ、今生きている者が死ぬことについて思いを巡らすとき、それは不条理を感じるでしょう。人生そのものの「喪失」なのですから。死ぬことを問うとき、生を受けたこと、現在生きていることを見つめることになります。つまり死ぬことを問うとき、自分の誕生から生き方に対する不条理を見つめることになります。
「自分だけの必然、物語」、私は、人生は「物語」だと考えています。誕生にいたる過程、誕生したときにすでに発達障害があった、親を選べない等、自分ではどうすることもできない「不条理」に対して、どのように自分の生のなかに組み込んでいくか、それが必然であったり物語だったりということだと考えます。この「不条理」を、自分が生きやすいように人生の物語の文脈に組み込めばよい、自分の人生を物語れるのは自分だけ、自分の生を引き受けられるのは自分だけですから。そして、過去を物語ることができたら、次はこれからの物語を作成する。物語ることは雑多な思考をシンプルにする事、そして、これからの物語を作ることはあれこれ考えられることをシンプルにまとめることだと考えます。
これは私の考えです。<
たまたま過去のみさんのコメントをみつけました。
これほどの文章を書ける方が、なぜあんな暴言を吐いてしまったのか。
やはりそこには「救いを求める衝動」があったとしか思えません。
Paulさん
Paulさんはやさしいね。
僕もみさんは知的なひとだと思います。
僕は、自分の衝動を抑えるためにいろんな方法で自分に対して説得を試みました。
もちろん、ジャイアン型ならだれでも、困難に直面すれば、そうするように、です。
みさんは、僕もそうでしたけれど、正しいことを志向するひとですよね。
この世界観で自己暗示をかけようとすれば、必然そういった美しい文章になります。
みさんの考える理想的なありかたがその文章には表れていますよね。
シンプルに、物語性をもった自己を確立したい。
けれど、できないでいた。
なぜか?
理想系のセルフイメージが、きれいすぎるんですよ。
はらわたかっさばいて、ぐちゃぐちゃしたきったねえ血みどろの中身を、
情けなさに涙を流しながら、臭いに鼻をゆがめながらただただ
その形を確認するためだけにひっかきまわす
そういう嫌な作業でしょう。自分と向き合うというのは、です。
きれいなもんじゃ、ないんですよ。
それでも笑いながら、楽しみながらやんなきゃならないのがジャイアンだと思います。
悠々とさん。
連日のコメントありがとうございます。
>理想系のセルフイメージが、きれいすぎるんですよ。
はらわたかっさばいて、ぐちゃぐちゃしたきったねえ血みどろの中身を、
情けなさに涙を流しながら、臭いに鼻をゆがめながらただただ
その形を確認するためだけにひっかきまわす
そういう嫌な作業でしょう。自分と向き合うというのは、です。
きれいなもんじゃ、ないんですよ。
それでも笑いながら、楽しみながらやんなきゃならないのがジャイアンだと思います。<
ここよくわかります。
生き霊によくいわれます。
「まじめな、深刻な話をしているときにどうしていつもそうやってふざけた、茶化したようなこというの」
きたないもの、よごれたもの、みにくいものと常に向き合って(自分自身のことですが)、苦しみぬいた上でそれでも生きていかねばならないので、「それでも笑いながら、楽しみながらやんなきゃならないのがジャイアン」
こういうことですよね。これって他の人たちにはなかなか理解しづらいことでしょうけどね。
でもね。
みさんこそ、そんなことがわからない人ではないはず。
やっぱりそこまで追い詰められていたんだと思いますよ。
まあ小生のイエローカードはまた全然別問題ですが。
Paulさん
ジャイアンに限らず、人間が自分と向き合うことは汚物と対峙することだと思います
ただし、汚物と対峙すること自体が自分と向き合うことではない、とも、思います。
悠々とさん。
みさんの話に戻りますが。
やはり醜い内的世界に囚われすぎていらしたのではないか、少なくともあの時期は。
そう思えて仕方がないのです。
美しいものが美しく見えていたらあんなことにはならなかっただろうと。
Paul Carpenterさん、まぁまぁ、そろそろ話題を変えてはいかがでしょう。
肯定的なコメントであれ批判的なコメントであれ、閲覧できるが投稿できない方の話題を続けてしまうのは、フェアネスの観点から好ましくないように思うのです。批判的なコメントに対して肯定的なコメントを入れてバランスをとるという観点からも、すでに十分にその役目を果たしたように感じています。
もちろん、ジャイアンの一般論や発達障害の一般論に話題を広げたり、自分を顧みる話に転換したりするのは、ブログの趣旨に合致するものですから、いいことだと思います。
あー、これは個人的なことですが、最近、とあるジャイアンの衝動の標的になり、別のジャイアンの威を借りた衝動の満足にとことん付き合わされまして(どちらも身近なジャイアンとは全くの別人)。しかも威の貸し手のジャイアンは、衝動の標的にしてる・されてると分かっていながら借り手を丁重に扱い、借り手のフォローに回りよった。え、俺が悪者っすか!
そんないやーな経験をしたばかりなもので、今回の投稿は、下書きの段階で感情的表現がそこかしこに出てしまいました。何度か書き直して、ようやっと読める文章になった次第です。そのふたりとはもう縁が切れて、こっちはせいせいしてるけど、それでも思い出すたびに「あー腹が立つ!」
そんな感情と向き合い、コントロールしながら今回の投稿に至りました。
ジャベール警部は正義を志向し
そして彼は正義を「法」と定義した。
シンプルな世界認識下でシンプルに、「自分の正義を貫くことで」
彼は「悪役」たりえたわけですけれど
彼の内的世界は果たして醜いものでしょうか。
誰かにとっての「嫌なこと」をしているときに
人間は「醜い心」になっている
ほんとうにそうかしら?
僕は、そうは思いません。
逆に善意で行動しているときに
人間は誰にも迷惑をかけない
ほんとうにそうかしら?
僕は、そうは思いません。
ふと思い立ちまして、追加コメントをさせてください。
俺は、みさんが爆発してしまった原因や背景については、Paul Carpenterさんや悠々とさんとはまた違ったとらえ方をしています。ただ、記憶があいまいになりつつあるので、この点については文章化するのが難しいなぁと考えています。
今回述べたかったのは、「あー、これは個人的なことですが」の前置きで書いたことは決してみさんを揶揄するものでも批判するものでもない、ということです。悠々とさんとは違ったとらえ方をしているためです。もちろん、悠々とさんやPaul Carpenterさんを揶揄や批判するものでもありません。
悠々とさんのお話に刺激を受けてしまったんですよーということと、こんなことがあったんですよーということを伝えたかった次第です。また、刺激されたことについて、悠々とさんや皆さんが悪いとは、これっぽっちも思っていません(このことを悠々とさんは十分にお分かりだと思っています)。
このようなことを言語化してもらったほうがジャイアンさんとしてはより分かりやすい、とよく言及なさっているのを思い出しましたので、追加コメントをしました。分かってますよー、ということでしたら、俺の読みが浅いってことでごめんなさい。
悠々とさん、ジャベール警部のくだり、俺も同じように思います。そして彼は、シンプルな世界認識が自身の壁と化し、正義の定義が揺らいでしまう事態に直面したとき、自死を選んでしまったということなのでしょう。そこに人間的成長のきっかけがある、と気付けぬまま。
彼の自死にハッとさせられるのは、なぜなのでしょうかね。おぼろげに見えているようで、未だはっきりとしていません。
zzzさん
丁寧な補足、ありがとうございます。
個人的に、とてもうれしい配慮です。心から感謝(`・ω・´)
僕としては、フェアネスのくだりは僕とは解釈が違うなぁ、
とだけ考えてスルーしました。
「心情配慮」というものは、相手のルールがわかっていてこそできるものですから、非定型の群れであるここで「心情配慮」をすることもまた
(心情配慮しないのと「同じで」)
ある種のルールの押し付けである、と僕は考えます。
(良い悪いではなく、ですよ)
なので僕は、空気を読む気は、ないのです。
その上で僕としては「失敗の考察」というものは物事を理解する上で非常に有用なものである、と考えます。
嫌な気持ちになるひともいることは、承知の上で、ですよ
zzzさん
法を犯すものは悪である。という認識と
バルジャンは悪ではない、むしろ正義のひとであった。という認識
法とは神の意志である。という認識と
法を無視してバルジャンを解放したその行動。
法を犯した自分。
悪と規定し、虫けらのように扱ってきた「法を犯したもの」たち。
ここにある何重もの認知的不協和と
消えない正義への志向性
シンプルな自己規定の崩壊。
あの自死行動に対してもまた起きたであろう認知的不協和を想像し
僕はぞわぞわと、締め付けるように、昂ります。
悠々とさん、ありがとうございます。
フェアネスという言葉については、もともと多義性を持っているため、ほかに置き換えられないか少し考えていました。
ただ、本人が参加する機会を与えられていないという機会不平等が厳然と存在します。その中で、機会を与えられたわれわれがその当人の話をし続けるのは、本人に同意権も反論権も与えられない状況でおこなわれ続けることになります。これは、言論の自由という観点からフェアでない、と思えてならないのです。
そのため、適切な言葉がほかに見つからず、悠々とさんとは異なる使い方と分かってはいたのですが、フェアネスという表現にした次第です。心情配慮でなく、機会不平等を考えてのものでした。もうご覧になっていないかもしれませんが、Paul Carpenterさんにうまく届いていただろうか、と思っています。
無論、原因を考えれば、このブログで言論の自由を奪われたのもやむを得ないものと思います。また、レッドカードを与えた先生のご判断に私は賛成しています。
それに、失敗の考察の導入として話題に出すことは、これも賛成です。話題を発展させずに続行させると、機会不平等の問題が出てくると考えています。
ジャベール警部の件もありがとうございます。
認知的不協和が多重層となった状態ですか。うーむ、確かに。そしてこれは怖いなぁ。
一階層なら認知的不協和を解消する行動なりに出れば済みますが、多重層でしかも相互に関連し合っていると、回避不能の壁のように迫ってきそうです。
自己の信条も、自己の信じる正義も、現時点での正解でしかなく、かつ100点満点の正解ではない。正解を揺るがす事態に直面したなら、信条や正義を変化させればいい。信条や正義は変化させていい。
分かっていても、俺にとっては未だ難しいものです。
重なり合っている点で、音楽の多重奏と同じようなものだと思ってしまえば、余裕をもって対処できそうなのですけどね。心の余裕につながるから、こういう遊び心が大切なんですよねぇ。
これも、分かっていても、だなぁ。
zzzさん
機会の不平等が存在する。
そのとおりですね。
みさんは自分についてのいかなるお話にも意見を表明できない。
同意もできないし、否定もできない。話を広げることもできない。
うん。それでも、彼女のお話をすることに意味があるなら、
僕はしますよ。
世界は元から、あらゆる意味で不平等です。
平等を目指すことを僕は批判しませんけれど、
それは「僕の価値観」ではなく「貴方の価値観」なので
なんらかの合目的性がない限りそこに合わせる必要性は、感じません。
(この空間を利用させていただいている以上、
後藤先生の設定したルールには従いますけれども)
twitterをしていると、平等の捉え方、という点でアスペルガーとADHDで
衝突しているのを頻繁に見かけます。
ちょっと掘り下げてみても良い話題かもしれませんね。
zzzさん
僕も、自分の信じる正義や信条というものを変更するのが困難でした。
考察してみると、
一度書き込まれたデータを「上書きできない」と
いう状態に近かったように思います。
自分の世界と、新しい出来事の矛盾が許せず
強硬に自己主張してはいろんなひととぶつかっていました。
そしてひどく追い詰められて、にっちもさっちもいかずに
延々と何年間もひとつの出来事に囚われて思考を続けるうちに
ふと思ったのです
「上書きしなくても良いんじゃね?」と。
すべては仮説であると考えて、初めから定かなものなどない、と
捉えておけば
ある正義や信条について
「仮説a:」とか「パターン1:」などの些細な情報付加で
別の正義や信条を併存させることができます。
デメリットもありますが、この処理方法を考え付いてから
僕はすさまじく生きやすくなりました。
そんな経験から、パターン変更をする上で、脳に受け入れられやすい形式があるのだろうな
と、考えていたりします
ジャベール警部がこういう「メタ的」な考え方をしたなら
どう行動するでしょうね。
あの人格と、どう共存するでしょうね
それとも人格自体が引きちぎられて、再構成に向かうでしょうか
悠々とさん、ありがとうございます。
>それは「僕の価値観」ではなく「貴方の価値観」なのでなんらかの合目的性がない限りそこに合わせる必要性は、感じません。
そうに違いないと思っていました。悠々とさんだから、というよりも、悠々とさんタイプの人はそうだろう、と。
その相違が面白いと思っています。
>平等の捉え方、という点でアスペルガーとADHDで衝突しているのを頻繁に見かけます。
>ちょっと掘り下げてみても良い話題かもしれませんね。
これも面白そうですね。
ASは心情配慮を重視する傾向にあるのかもしれません。俺はASの中では特異なほうで、心情配慮をあまりしない機会不平等重視です。ただ、機会を与えられない人の心情をおもんぱかっていることは否めません。
ADHDと思しき人の中にも同じ機会不平等重視がいるのですが、心情配慮よりは制度的配慮を重んじるような印象を持っています。もちろん俺も制度的配慮を軽視してはいませんが、心情面への配慮が一定程度あります。
それと、正義や信条のパターン変更については、アプローチは違うものの、根っこにあるものと、結果として導き出されるものとは同じですね。これもまた、何だか面白く感じました。
ジャベール警部は信条があまりにも強固でしたから、仮説をたてることすら自己矛盾を呼び起こしそうな気がします。自死には至らなくても、一生モノの課題で、その間ダメ警部になっていたかも。それもまた「あゝ無情」と言ったら、これを読んでいる人から怒られそうだな。
zzzさん
たしかにASのひとたちは、ひとがどう感じるか、ということに対して敏感な傾向は感じます。
細かい変化に対して、反応性が高いように、僕には見えます。
ただ、心情配慮を「相手の立場に立って考える」と捉えた場合は、ASが特別心情配慮をしている、とは僕には思えません。
ADHDからすればADHDの方がこちらの好ましい反応を返してくれますし、
定型者から見れば、定型者こそが自分の心情を汲み取ってくれる相手ですよね。
ASから見て、ASの心情配慮は見えやすい、という点は無視できないと思います。
(ただADHDは変化の読みが雑ですから、配慮してないように見えるのは、理解できます。反応性が低い。)
僕としては機会というものを多層で捉えた場合に
ある層への機会平等への配慮が、別の層で機会不平等を生む、というような感覚があります。
例えばみさんの例で言えば、
彼女が書き込みできない←→自分は書き込みできる
という点で捉えて彼女についての書き込みをしないとすれば
別の層で
彼女はこの空間に存在し得るか←→存在し得ないか
という点で機会の不平等が生まれますよね。
他にも
完全無視か←→話題にはできるか
という点で捉えるとどちらが「正しいのか」という点はあやふやになってきます。
そう考えれば、所詮はどこに注目するか、という問題に過ぎないのではないか、と僕は思ってしまう。
もちろん、多数が望む方向、というものはあるでしょうけれども。
zzzさん
ジャベール警部がダメ警部になっていたかも、
というのは同じことを考えていました(`・ω・´)
信じる正義があやふやになると、押し通すような行動というのは、とりづらくなりますよね。
正しいからやる
↓
正しくないかもしれないから、できない
その先には
正しくなくても、必要ならやる
があるのだと思うのです。
必要ってなに?
というのが個人的にとてもおもしろいところ。
遅くなりましたー、発見しました。
>心情配慮を「相手の立場に立って考える」と捉えた場合は、ASが特別心情配慮をしている、とは僕には思えません。
いやー、苦笑してしまいました。そう、「ASは特に心情に配慮しているつもりでいる」との評価が、客観的な態度だとも思っています。
ASの人は、相手の微細な心の動きには比較的敏感であり、相手の心の動きに合わせて敏感に反応する傾向が強いように感じます。反応は、外部に表出しない・させないこともあります。
そのうえで、これもASの特徴である狭い想像力を駆使して、配慮しているつもりになります。ただ、それが妥当なのかどうか客観視する力に乏しい。そんな気がしてます。結果として外すことも少なくない。ああ、思い当たる節が多すぎて。
ASから発信される「ASは心情に配慮する」との言葉は、「妥当な反応なのかどうかは別として、ASは心情に配慮するつもりでいるし、確かにASの内面では配慮している」と読み替えてしまうのがいいのかもしれません。うーん、読み替えがちょっと長すぎるか。
ASの特徴を離れて一般論でいえば、結局のところ相手に配慮しつつ、配慮する部分や方向性、配慮した結果表出する態度などが違ってくるんですよね。配慮しない・できないのは、ごくごく少数との印象を持っています。
>ある層への機会平等への配慮が、別の層で機会不平等を生む
機会平等を考えるとき、つい頭をよぎるのが、アファーマティブアクションというやつです。ご存じだと思うのですが、社会的に冷遇されているなどで機会を与えられない少数派に、枠を設けて機会を与えるって手法です。当然に、枠を減らされた多数派の一部から批判を浴びます。
機会平等といっても、完全な平等が無理なのは確かだと思います。議論したうえで多数が望む方向に進ませるのが、セカンドベストではあるのでしょう。(なーんて、具体例に触れず抽象的な空中戦で煙に巻こうとしてます。これって、ASタイプの人に結構多い気が。)
自分の思う方向へ突き進むにせよ、自分のこだわりで立ち止まるにせよ、中庸を忘れないのが一番なのかもしれません。
>正しくなくても、必要ならやる
これは確かにありますね。仕事でいえば、事業展開には必要で、法律ではグレーだけどもリスク低いからやる、なんてケースがありました。ええ、何度か。
正しいかどうか分からなくなったとき、「正しくないかもしれないけど、やってみる」とか「正しくないかもしれないから、やり方を変えてみる」という態度もありなんですよね。ジャベール警部の性格では、そこに辿り着けなかったのでしょう。まぁ、昔の俺も辿り着けなかっただろうな。
そうだ、ジャベール警部、でしたね。ジャベール刑事って誰やねん。
あ、今回は酔っ払いではありません。前回とあまり違わないかもしれないけど、マジです。
①
私がこちらのブログを読むきっかけとなったのは、思春期の子どもの不可解な言動をなんとか理解したい、と思ったからでした。
少しづつ記事を読み進めるうちに、子どものことはさておき、自分がジャイアンではないかと思うに至りました。
過去の記事を遡って読むことはしていないのですが、「新着コメントがある中で興味を持てそうな記事」には目を通し、意外な出会い・発見をうれしく思うことも少なくない今日この頃でした。
一方、子どものタイプはよくわからず、ただ自分とは認知・思考が異なるようだが、それには正当性があるのではないか、それならば、“自分にはどんなに理解不能でも、子どもなりの正当性があると認めよう”と考えようとしていました。
数日前、こちらの記事が新着に上がっており、何気なくコメント欄に目を通しました。
その結果、こちらに書き込まれた(ご自分を受動型ASとおっしゃる)数名の方々のコメントが、子どもの目に見える行動から(ジャイアンな私が)想像した「子どもの考え」と合致していると思うに至りました。
同時に、自分が子どもからどのように見えていたのか、ということにも気づかされました。
さらに、子どもも自分も“互いに目が向き過ぎ”であることにも気づかされました。
私とは違うタイプらしい「パートナーとの関係」については、子どもに対する考え方の違いに失望することも多かったのですが、“まずは相手の考えを理解しようと努力して接することの大切さ”を自覚しました。
②
私のこだわりには私なりの「理由がある」(自己正当化するわけではありません)し、それは子どももパートナーも同じなのだという、考えてみれば当たり前のことを、改めて痛感しました。
コメントがリアルタイムで交わされていた半年前に、当時の私が読んでも何も感じなかったと思いますが、数日前に読むことによって、(自分なりの)納得ができました。
先生のブログと、コメント欄にはほんとに感謝しております。
私はほんの一部の記事とコメントしか読ませていただいていませんが、以前の私だったらなりふり構わず
「○○さん、こういうときはどうしたらいいですか?」
なんて、安易に問いかけていたと思います。
これから自分がどう生きていき、親子関係・パートナー関係をどうしていくのか。
それは、自分自身で手探りして進んでいくしかないことを確信しました。また、それを忘れてはいけないという思いで、今日は書かせていただきました。
・・・こちらに書き込みさせていただくようになってから、子どもとのコミュニケーションは格段に良くなりました。
それは単に、相互に利害が一致することに気づいただけなのかもしれません。
子どもの言動にはすごく波があるので(そしてたぶん自分の言動にも!)、一時的にそうなっているだけなのかもしれません。
だとしても、同居人と円滑なコミュニケーションが取れることは、快適に暮らす必須条件だと思うので、ありがたいことです。
コメントの流れに沿わない長文になってしまいました。
おじゃましました^^;
念のため補足させてください。
先の投稿で
>ああ、思い当たる節が多すぎて。
としました。これは、自分がやってきたことを思い出しての自省です。
「ASの人は」以下のASについての俺のコメントは、自己紹介の気分で書いてました。客観視すべく、主語を「ASの人」にしてみたものです。そして、正直に言うと、この客観視が妥当なのかどうか本当には分かってないというのも事実でして……。
ASが自分自身を批判的に見るとこうなるひとつの例として、とらえていただけたらいいな。そう思ってます。
思春期の子ども(たぶんAS)と、2年近い断絶ののちにコミュニケーションがとれるようになると、日々の暮らしは快適になりますが、同時に様々な問題も生じます。
1.私(ADHD)はもはや学歴にこだわっていないが、子どもは執着(私にはそう見える)している。
→ これは、わたし的には放っておけることだ。
2.お小遣いの限度は、子どもを尊重すれば「言われるままに」となるが、私の気持ちと懐ぐあいが今一つ納得できない。
→ 自分の不利益は見逃せず欲求には際限のない“自分”と向き合う日々が続くということ。
3.パートナーの無理解。“問題は私に丸投げ”な彼を見ていると結局、自分ばかりが我慢をしている心境になる。
→パートナーなりに考えている可能性、もないとはいえない。
こちらのエントリーにご自身のことを書き込まれた方々が、ここに至るまで様々な思いをされてきたこと・・・それはそれは大変なことであったろうと、私なりに大切に、重く受け止めさせていただいています。
「子どもも、やがて自分と向き合える日が来るのかなぁ」
・・・という私の気持ちもまた、自分自身の問題として向き合っていこうと思います。← これ、いちばんむずかしい!
先ほど投稿してから気づきました。
子どもの意味不明な言動は、「すでに自分と向き合いつつあって苦しくてたまらないから」なのかもしれない。
だとしたら、ジャイアン母のできることがあるとしたら「存分に苦しむ時間を確保すること」だけだな。
受動型ASの夫が金策しない理由
受動型ASの夫は一家の稼ぎ頭である「自覚に乏しく」お金が足りなくても、金策しようとしない。
だから「何か副収入を得る方法を考えるか、私が働きに出ないといずれ資金が枯渇するよ」とは「一概に言えない」あまりに乱暴な一般論という事になり、認知事態が困難であった。
1.一般的なことを言われても自分がそうなるかどうかは全然分からないから、何十回言われても金策しない。
2.「私が、個人的に金策して欲しいと今の本人に望んでいる」という事実は個別的で具体的であるために、一般論に比べて受動型AS夫にとってははるかにリアリティー、説得力が大きい。
3.この思考や想像力の特徴の結果、その前から「自分で考えて自己責任で金策する」行動の習慣が出来ていない。これは私にもかなり責任がある。
「私がどこまでうるさく言うべきか?」は非常に難しい問題であるが、「どうなっても自己責任で本人に任せる」と私が腹を括るタイミングをどこにするか、、、
という話だったと言うことで、まぁ結局ローンの督促電話の連絡先を全部私の携帯宛にしてた私が悪かったんですよね。
毎日朝昼晩と複数のローン会社から督促が入り、居留守をつかうと職場にまで掛けてくるという状況を夫に味合わせてあげなかった私に責任がある、と。
言われてみれば、その通りです。
「管理型共依存」の記事の
「依存的な相手(夫)は、確認しないで丸投げ的に親ジャイアン(私)からの情報提供を指示ないし命令と受け取って乗っかり、自分で考えることを捨てて従い、うまく行かなかった時に親(私)の責任にする」
という話も耳が痛いです。
複数のローン会社から直接夫に連絡が入る様になった事で私の復職を許し、かつ、それでも支払いが遅れてしまうという状況に至って、「私がWワークするからその間、子守ヨロシク」と告げたら「子守よりも俺が非常勤講師の仕事を増やすよ。」と自ら考えて提案してきました。
ここで私は「結果を知りえない不安に耐える」必要があり、「私が今のあなたにそれを望んでいる」という態度で接する必要があるのだ、と、肝に命じる事にします。
>「もっと強く止めて欲しい!」2013.02.24 09:53
これ消えちゃってるみたいなんですが、やってみました。だいじょぶそうですか。