前述ののび太とジャイアンの中でも少し触れたが、私はジャイアンであるが学童期には「無視されても分からないKY」だった。
小学校中学年で「運動会のダンスでクラスのほとんどの女子から手をつないでもらえない」ことがあったが、当時の私には「私は変わっているらしい(母から毎日言われていた)から仕方が無いのだろう」と何も感じていなかった。
今考えればかつての私の場合は「情緒障害」、「離人症的な状態」で、一次障害としてKY(空気が読めない)なのび太とは全然違うものであった。
言わば「二次障害としての重症のジャイアンACに合併する情緒障害としての離人症的な状態」であった。
実はASにもこれと似た状態があり、例えばADHDの母親の場合などに乳幼児期に「絶対的な庇護をあきらめる」プロセスを経て二次的に離人症的に自分の感情を感じられないようになっているケースがある。
9歳頃に「他の人にも感情があるとはじめて気付いた」といったケースは、実は乳幼児期にすでに情緒障害になっていたのが回復したケースだと私は考えている。
当然ASにも「最初からKY」という人たちが居て、この人たちの多くはずっとKYで比較的本人は幸せに生きて行ける。この人たちは、同じKYでも「空気を読む必要自体を認識しない」という感じで、「空気を読まない」という風に見えるタイプだ。
もう一つ、LD(学習障害)の人にも、結果的に非常にKYとなっているケースも居られた。(散々考えたが、LDだけでADHDでもASでもないケースが実際に居られた)。
という訳で、KY(空気が読めない)ケースは下記の5通りに分類できる。
1.のび太(状況察知能力が低いADHD)
2.ジャイアンACで情緒障害重症
3.状況察知能力が低いAS
4.ASの情緒障害
5.LDの結果としてKYになっている
世間では「KYというだけで広汎性発達障害(PDD)」という単純な診断をされることも多いようだが、細かく見ると全然違う人が混じっているので、私は「ADHDのAC」とPDDを一緒にするべきではないと考える。
少しずつ、繋がってきました。
ジャイアンACで情緒障害がある場合にはそれが[ニ次障害ゆえ]に、
回復するにつれて、有利不利に限った状況察知能力も蘇ってくるのですね。
孤立型AS(?)夫とのび太AC(?)友人が性格も考え方も全く異なるのに、
最終判断において同じ不利な選択をすることがあります。
そして、のび太友人と「依存型ジャイアン情緒障害型(?)母」とは価値観や考え方が似ているのに、
最終的な選択が違うんです。母は不利な選択は絶対にしません。
鼻が利くというか、何も判らないのに直感で有利な選択をします。
ちなみに、母と夫は価値観も規律も全く異なります。
これが私の不思議でした。
あまりにもチグハグで、なぜだろうとずっと不思議でした。
なるほどです・・。
のび太ACの場合は
ACが回復しても変わらずということですか。
ただ・・合理的判断ができる様になれば大きく違いますね。
夫と友人はまるで、有利不利の選択に方向音痴のようだなと思うことがあります。
すごく自信を持って不利に向かって楽しそうに歩き出すような感じです。
私は随分と迷惑を振りまいてきました。
夫や友人が不利な判断をしていると思うと、「彼らにとって良いことだから」などと勘違いを押しつけ、彼らの飛行機(意思)を勝手に操縦しよう試みるなどと酷いことをしたものです
最近の私が夫や友人が不利な選択をしてようとしていると感じたとき、自分に課していること。
・私の考えられるメリット・デメリットを丁寧に説明し、最終判断を待つ(待つのが私にとって苦しいが我慢する)
・自分が巻き込まれそうな不利な選択をする場合において、
それでも、尚付き合うと決めた場合は丸投げな訳だから
「それ見たことか」いう結果であっても絶対に文句は言わない。
(ちなみに結果はどう転ぶか判らないものだなという感想です。任せて私にとってもありがたい結果になることも多いです)
・別々の行動を取ると決めたらならば自分の不便を文句言わない。一人でやる。
・相手の最終判断に口を出さない(実際にはこれが一番難しいが一番大切なことと思う)
ついつい破ってしまうことがあるので、認識を新たにしなければと再確認。
義理の妹について悩んでます。
現在彼女は27歳。子供が一人1歳2ヶ月。
彼女は、幼い頃両親が離婚。妹とともに父親に引き取られ、9歳の頃から施設での生活が始まり。父親の仕事の都合で転校とともに施設も変わり、勉強についていけずあまり登校しなかったと言っています。いじめもうけたようです。15歳位の時、施設で暴れ、その後更生施設で過ごし父親の元に戻るもうまくいかず、発狂し暴れ、夜、徘徊して落ち着くと帰宅を繰り返していた事を最近知りました。父親の元から家出をし、一般常識を知らない彼女は夜の仕事をし必死に生活をしてきました。そして2年近く前、妊娠を機に我が家にやってきました。
一緒に生活をする中で、さまざまな事がありました。
思い通りにならないと大声をだし暴れる。。。理由を聞くとまったく違う回答。
整理整頓ができない。物忘れが多い。何度も同じ事を言う。
落ち着きがない。空気が読めない。服装も、その場に合わせた服装ができない。露出が多い。
子供が生まれてからも、かわいいとは言えど、気分が沈んだりすると何もできず、子供にあたる。背負い投げをしそうになったと打ち明けられました。
そんな事もあり、保健婦さんなどの協力をえながらサポートしてきましたが、公共の場で大声を出し、警察のお世話になり措置入院になりました。統合失調症と診断されました。
以前から、事ある毎に離婚と騒ぎたて話し合いをするのですが、話し合いにならない。話が二転三転するので本当の彼女の姿が見えないのです。
ちなみに、保健婦さんと一度発達障害の先生の診察にいった所、性格で済まされてしまいました。
現在の入院先でIQを調べてくださり、72でした。
子供は、私達家族に取られると思い込んでいるため、乳児院へ。。。
児相のかたに、子供をこちらにとお願いしたいと言ったにも関わらず、当日、やはり嫌だといいました。
まず、彼女自身病識がないのです。
彼女のお父さんは、連絡さえくれません。
根底に発達障害があってかつ統合失調症なのか・・・
どう受け止め、理解し、何をしてあげたら良いのかなやんでいます。
はじめまして!先生、みなさん。
こちらで沢山学んでおります。ADHD傾向がある、なつもかです!
(テストを受け、傾向は見られるが社会活動ができないほどではないという点から明確な診断名?はつきませんでした。)
私はのび太から合理的な方に流れ、時にジャイアンになりそうな自分を自覚しながら暮らしております。のび太の頃いかに自分が何も感じられていなかったかを思うと、不思議なほどです。
今回の「他人にも感情があると気づいた」のは二十歳を越えてからかもしれません(^_^;)そんな気はしてたけど、理解できていませんでした。
今も、自分に置き換えることでやっと推測できる程度です。
ストレスという単語の概念が理解出来なかったあの頃に戻りたいと思う日もありますが、共感というものが得られた時はとても嬉しいので一短一長でしょうか。
みかんさんのコメントの内容になってしまいますが、最後の心がけ、素晴らしいなと思いました!難しいと書いていらっしゃるので大変なんだとはお見受けしますが…(~_~;)
私はよく、人に対して「なぜ私のことなのに判断したがるのだろう?」と感じてしまいます。今ではそれは思った事を言っているだけで深い意味はないと知っていますが、以前は苦痛に感じていました。失敗しても私の事ですし、どうしたら成功するかを考えればいいだけなのに余計に周囲の反発が大きくなったりして。(この辺がKYなんでしょうね。。)
私の場合はまずメリットデメリットの観念が少しずれているのかなと思います。。
そんな時、何も言わないでいてくれる人はとても貴重なんです!
ヽ(;▽;)ノ
ああ私にもそんな素敵な伴侶が現われるといいのですが…!笑
さて長くなってしまいました。
先生、これからも考察楽しみにしています!
いつもありがとうございます!
先生こんにちは、
なんだそうだったのか!
じゃ今日からADHD
と思ったけど数唱19語音整列16のADHDは有りなんでしょうか?
記号符号処理速度が低いのは有るですが
何かの学習障害かなとも思ってました
九官鳥になれば喋れるんですが普段ほとんど喋らんのです
喋る気が無いのか
クリニックの先生も言葉が出てこなくてもどかしいですか?と言っていた
ADHDの人はおしゃべりなのではないですか?
検査結果もらってこなかったので聞いてきます
知能検査は出来ないことも何故かものすごく楽しかった
心理士の人と繰り返す数唱が美しくてずっとやっていたかった
数の概念でも言葉でもない、一生これだけで良いと思った
心理士の人も一緒にリラックスしたように見えた
二人とも何となく微笑んだりして
ただはいと言いたいだけかもしれない
数字というのは意味が無い、相手にも自分にも、そこが良いのかもしれない
あと幼児の頃本屋に入り浸っていたのを覚えていない
大人しく刺激を求めたのだろうか
放浪していたのだろうか
小学校に上がっても下校したまま何故か遠くへ行ってしまいおまわりさんと帰ってきたり
いつも黙ってどこかへ行きたくなりましたよ
今は托鉢の人を見るとついて行きたくて仕方が無い
理由は無いが舎弟か出家がよい
その人達が好きなのですね、数唱が好きみたいに
しかしずっと貴金属職人をやっております
舎弟は却下されてしまいました
昔のことはだいぶ忘れましたが、今思い出すと私は4番目のASの情緒障害のためのKYだったかもしれません。
母が昔風の厳しい子育てをする人で、よく手足をぶたれて育ちました。自分の中で虐待されたとかいうイメージはありませんが、厳しかった印象は強いです。
小学校5年生の時に女子の仲良し3人グループで付き合っていましたが、ある時突然「○○さんは付き合いにくいから明日から付き合えない」と他の人への伝言を介して絶交を宣言されました。私にとっては青天の霹靂でした。
空気が読める状態であれば、それまでの私の言動に対する2人の反応などを既に感じ取っていたはずですが、実際はほとんど気付いていなかったようです。
その事がショック療法になったのか、それから急に私には自分を客観的に見る視点が出来上がりました。その視点で自分を見直してみたら2人の友達の絶交宣言も納得がいきました。
ゆかさんへ
こんにちは
私は何の専門家でもないただのKYなんですが
弟さんは父として子を育て義妹さんは治療に専念したらよいのではないでしょうか。
ゆかさんはそのサポートに悩んでおられるということでしょうか。
発達障害というより被虐待児としての治療が先だと思います。
本人が自分の幸福を自分で認識できるまでどれくらいかかるのか想像もできませんが、一人で生きてきた人なら強かろうと思います。
ゆかさん義妹さんお子さんの幸せを願っております。
先生の記事もコメント欄の皆さんのコメントも大変勉強になります。
私が小学校5年の時に自分を客観的に見る視点を得たと書きましたが、同時に人目を気にするAC的感覚が強まりました。小学校ではKYで傲慢な感じだったのが、中学・高校はいい子で覇気のない感じになりました。
大学でちょっと変わった仙人のような先生に出会い、少人数のクラスで生徒それぞれが自分史を書いて発表し、自己洞察を深めるという授業を受けてから、AC観念からだいぶ解放されました。
今YANBARU先生が診療でなさっている内容と似ているかもしれません。
迷える個人にとって先生の診療はその人の人生に大きな意味をもたらすと思います。
このサイトを訪れるたびになんだか懐かしさを感じるから不思議です。
先生の体験、読者の皆さんの体験、どれも迫力があり、圧倒されますが、なんだか懐かしいのです。
だからと言って、甘っちょろくベタベタしたら、ぶっ飛ばされそうな厳しさもあり、ピリッと身が引き締まって、またそれが良いのです。
初めてコメントさせていただきます。
ブログ参考にさせていただいています。
私はジャイアンだと思っています。
大学入学ごろから周りが見えるようになって、ACから合理的ジャイアン方向に向かったと思うのですが、大学二年生の後期ごろからまた昔のような状況が見えない状況になったり、戻ったり(?)しながら生きています。
正直リセットボタン押されたみたいですっごく苦しいし嫌です。
でも、イライラが治まらないので、人に対してかなりKYな態度だったり可笑しな攻撃をしてみたり。
体調不良を盾に怠けてみたり。
なにやってんだかなあ・・・。こんなのやだなあ。
精神論なんて崇高なものはなく、漢方を始めてからかなり精神状態が安定するようになりました。
それでも、怠けちゃったりするし、状況見えないことも多々あります。
(体がだるくなるのは、このブログのヒステリーの身体化も大きいと思っています・・・。
漢方をもらっているお医者さんにはヒステリーはもっとカッカしてるもんだって言われちゃいましたが・・・^^;
漢方飲んで治まったけど、カッカしたり、制御できない怒りとか不安がひどかったんだけどな~(--;))
なんで状況が見えない状況に逆戻りしてしまったんでしょう・・。
今は、漢方で安定したため、精神薬を減らして断薬が目標かな・・・!
あと今怠けすぎてるので、気を引き締めつつ、ぼちぼちやるしか、ない・・か。
愚痴吐かせていただきました。
この記事の内容とずれるかもしれませんが、私はASを自覚してから、ちょっとした出来事を体験した時に、その出来事に対する反応として、自分の中にすごく硬い氷(AS特有のこだわり)があることを実感することがあります。この氷がなければ、もっと器の広い人でいられるんだろうなと頭ではわかりながら、その一方で絶対そんな無理をしていい人にはならないぞという意地を感じたりと、その氷のせいで大きな葛藤が生まれます。その間は苦しくてたまりません。
でも何かの拍子にその氷がジューッと全部溶けてなくなってしまうことがまれにあります。すると急に心が軽くなり、楽になったあまり、涙までワッと出ることもあります。
それだけASはいくつもの硬い氷を抱きながら息苦しい思いをしている訳ですが、一つづつでいいからその氷を溶かして、広く自由な世界に出たいものです。
先生こんにちは
類型について考えてまいりましたが
自閉があると言って精神科を受診したのですが
クリニックの先生はADHD含むPDDからASを否定して残りNOSというそういうことでした
さんざん働いているしまあいいやということで
クリニックで小3まで学校で漏らしていて高校までおねしょしていたことを言い忘れたのでここで書いておきます
関係無くてすみません
おそらく回復したADHDが自閉に気づき受診に向かわせたものと思っとります・・・
先生こんにちは
自らに何故を問う
言葉は他者であるから
何故を問う自らの中の他者と共感する
感情の言語化とはそういうこと
うう~む
一瞬でやってますかね?
私は時間かかります