私の新しい分類のもとでは、「攻撃的で上から目線」のジャイアン的な部分は、環境と能力の特性の相互作用で出来上がったものであり、後天的であるので変えることができる。
強迫的で周囲に厳しいではあるが、誇大的ではない「合理的ADHD」に回復(再インストール)することは可能であるのだ。
私自身のことで説明してみよう。重要なポイントは二つあり、一つは「合理的な納得」である。
私は診察を要領良く短時間でまとめられない障害があるために保険診療の世界では居場所がほとんど無いことを最近つくづく思い知った。その結果は「置いていただける場所」「今のスタイルの診療を継続させていただける場所」がありさえすれば良いと思うようになり、いろいろなことに腹が立たなくなった。
私のほうがとんでもないわがままを言いながら診療を続けているわけで、居場所がないのは当然で、不条理や不合理があっても「文句を言う合理的な根拠は無い」というわけだ。
もう一つは、「好きなことをすること」である。私は実際は「これしか出来ない」のであるが、このスタイルでの診療はストレスが少なく、基本的に非常に「楽しい」と感じている。
毎回いろいろな相談者が来られて、その度に話を聞いて一定の結論を出す。
相談者の問題の「理解」が成り立つ瞬間が私には楽しみである。そういう意味では好きなことをしている。(だから診察自体は多くは20時、時には24時過ぎまで続けても苦にならないのだ)。
これは私がたまたま幸運であるから出来ることであるとも思うが、とりあえず理論的には「徹底的な合理的な考察に基づく合理的な納得」と「好きなことを十分に出来る」条件がそろえば、攻撃性はかなりの程度抜くことが出来る。これが答えである。
私自身も50歳を目前にやっとたどり着いた知見である。診断がついてから20年近く、「偏屈者宣言」からでさえ6年の歳月が必要であった。
こんばんは、やんばる先生。今週遅くまでお世話になりました南です。「苦にならない」とは書いておられても、やはりお疲れになっただろうと心配し、恐縮に思っております。私の方は、帰り道は頭が真っ白になっており、ふわふわとした頭でバカな話をしてタクシーの運転手さんに「お客さんおもしろいから200円負けてあげる」と言われました。今もまだあれこれと気持ちの落ち着かない日々です。ただ、うかがって良かったとは思っています。
私は「自己突っ込み」できないタイプのはずですが、本人の気持ちとしては毎日が「自己突っ込み」で、そのため自分自身に対してさえ防衛的です。ですが私は、先生に対しては防衛的である必要を感じませんでした。先生の気迫と意志には嘘がありません。断崖で戦う勇気をお持ちの方です。こんな先生にみていただけたことに感謝しております。これからどうしたらいいのか、まだ何もわかりませんが、先生の言ってくださったことを、時間をかけて考えていこうと思います。
タイムリーな話題です。職場の女ジャイアンに困っています。色仕掛けで店長を篭絡し、同僚には威張り散らし、周りがハイハイと言うことを聞かないと些細なネタを見つけてガンガン攻撃してきます。同じ職種の同僚には仕事を覚えられないように妨害し、自分の居場所を確保。態度が悪く、よくお客さんを怒らせるのでその場所から出るようにと言われても、それを指示した人間が店長より下の立場なので、言うことを聞かず無理やりしがみついて離れません。
そんな女がやんばる先生みたいに自分を理解をする日が来るのでしょうかね、、、。沢山の人が迷惑していますが、あまりに図々しくも手ごわく強気、かつ彼女が味方につけた店長はすぐに怒鳴る人なのでほとんどの人はダンマリしてやり過ごしています。
好きなことを十分にするということは僕にとっても重要です。結局のところ、社会的問題をすべて放棄して打ち込んでいれば、そこそこ健康なのです。
自分なりの中心思考の抜き方を日々考えております。
『少し怒りの感情がある時位が調度良い』です
自分の事じゃなきゃ合理的に、冷めた感じで色々考えれるのであります。
『俯瞰力』が欲しい
自己評価を低くするには自己ツッコミを緩めに設定する事とイコールで考えてましたが、『評価低めにしつつ、他人や物事に対してのツッコミは厳しい』位のが調度良いのではと思います。(もちろん口には出さない、出せない)
内なる攻撃性があると、合理的になれてる気がします。
中心志向や攻撃性は抜けてきたように思いますが、今、他者との関わり・社会との関わりが最低限でほとんど無いに等しいので中心志向や攻撃性の『もと』が無いだけでは‥と考えています。
今の状態で社会参加するとまた攻撃的で中心志向な自分になるのかもしれないと迷っています。
また、中心志向・攻撃性が無くなってきたのに未だに『偏屈者宣言』出来ない自分がいます。
すぐに自分自身が全く見えなくなってしまうので情けないです。
先生は確信犯的であるとおっしゃっていましたものね。。。
医師は経営に直結するという側面があるものの、自己裁量の部分も大きい職種です。もちろん、研修医その後の下積み時代の医師に自己裁量の部分が与えられているわけではなく、専門職たるに必要な経験を経て得られるものです。強迫的にもその職責を遂行し、継続してきたからこそ得られるものです。
しかしながら、強迫的にその職を継続したとしても、自己裁量で行える部分が広がらない職種もあります。とくにチームとして足並みをそろえることが求められる職ではわがままを言っていられません。そこで、環境を変える、つまり職を変えることになります。
そのことを考えると、最初に選択した職種がとても大事なのではないか、また転職をするにしても職業選択がとても大事なのではないか、と思います。もちろん場当たり的な思考で職業選択するのでなく、下積みが必要であることを理解しつつ、将来自己裁量で行える部分が広がる職業を探すこと、近視眼的なADHDにもASと同じくパッケージのイメージが必要なのではないかと思います。
私は昨年度から自身の特性と直面し、二次障害軽減をここで理解という形で行い、さらにキャリア形成について見直しました。スタートしたばかりですが、ADHDの特性と折り合っていくスキルを着実に身に着けてきています。
ACの探求からかれこれ15年、まだまだ道半ば、自分の車のようにADHDという乗り物を乗りこなせるようになったらいいなっ。
初めてコメントさせていただきます。
keiさんのコメントを読んで思ったことを書かせていただきます。
とはいえ、keiさんに向けてというよりは、こちらのブログに寄せられるある種類のコメントを読んで以前から思っていたことで、
keiさんを非難したいわけではないことご了承ください。
私が言いたいことは、
身の回りにいる困った人をADHDやASと推定して、
その方の愚痴をコメントとして書くのはやめにしませんか? ということです。
書かれている方は、ある個人について書かれているつもりでも、
それは結局ADHD全体、もしくはAS全体へのネガティブキャンペーンになってしまうと思うのです。
私もYANBARU先生の記事は、非常に有用なものだと思います。
ですが、それは発達障害を抱える人が、ある時「自分はこのままじゃだめかも」と切実に思うとき、
もがいてちょっとずつでも前進するための、手助けとなるものであってほしい。
一方で、別に「何とかしてあげなければ」と思っているわけでもない他人について、
カテゴリーに分けてわかった気になるために使われるのであれば、
こちらのブログの意味が堕とされるように思います。
私はこんなことを思ったのですが、他の方の考えを聞きたくてコメントしました。
ふいろさんの意見に賛成です。
言い方がおかしいかもしれませんが、yambaru先生も小生もそして多くの方々が自分自身の例(多くは人生における失敗例、そしてそこから這い上がろうともがく多大なる辛苦、なんとか這い上がった実例)を挙げて他者の参考になれば、と思って書き込み、それをお互いの昇華のきっかけになれば、と考える立ち位置をスタート地点とするのがこのブログの素晴らしいところではないかと。
関西の某口だけ市長とその取り巻きの「発達障害は親の教育で治せる」などとのたまう親学?連中を見るにつけ強くそう思います。
ふいろさんのコメントを読んで。
まず、私はkeiさんのコメントをスルーして自分のことを書きました。それは困っているという事実があり毒吐きをしたかったのでは、と思ったからです。世の中には無自覚なジャイアンがおり、周囲も困り果てているケースがあることは事実です。目を背けたくてもまた自分のことではなくても、事実を事実として受け止める用意があることが衝動性を抜くことだと考えています。
さて、keiさんは「そんな女がやんばる先生みたいに自分を理解をする日が来るのでしょうかね」と、「そんな女」に自己理解をしてほしいと願っています。また、ここのコメントに書き込んでも状況は変わらないことは承知してのことだと思います。つまり、いかに大変かを訴えたかったのだと思います。
しかしながら、発達障害当事者のコメントが多いこの場で、しかも「そんな女」(その人が発達障害者であろうとなかろうと、通常でこのような表現をされるなら社会性が問われます)と書き込むあたり、空気を読んでのこととは思えません。発達障害当事者で自身の特性を自覚し、適応していくためのスキルを身に着けていこうとしている方々のなかには、keiさんのこの空気を読まずに発言していることでさえも終始気を遣っている方もおられます。それほど自己突込みが厳しいジャイアンもいます。そのことをkeiさんにはご理解いただきたいと思っています。
なぜこのようなことを申しあげるかといいますと、ジャイアンの攻撃性を抜くために「強迫的で周囲に厳しい合理的ADHD」への移行を目指しているからです。自分が我慢していることは周囲にも厳しい、これはここに書き込んでおられる当事者の方も同じだと思います。
さいごに、keiさんの直面している困難の対象の方が発達障害と診断されているのかどうかお知らせください。定型の方の偏見やラベル貼りで困っている当事者もいます。
ふいろさんの意見にコメントしていいかどうか迷いながら・・
実のところ私もそのように人の意見に不快に感じていたこと多々あります・・が・・どうでしょうか?
藁をもつかむ思いで、先生のサイトに辿りつき、必死に周囲・全てと向き合ってきました。
そんな中での自分の意見を鑑みると周囲の者を悪くも書いてしまったし、
自分自身にも嫌気が差して、もがき苦しむコメントを何度もしてしまいました。
それはそんなに綺麗ごとでは親から受けた虐待や周囲との軋轢と向き合えなかったからでした。
でも考えれば、私の認知に歪むコメント・・そんな姿を目にして不快に思われた方もいたことでしょう。
それはただただゴメンナサイとしか思えないのですが、だかろといって、それは止めることができなかったですし、今も気が付かずそんなコメント残しているのではないかとも思います
以前、やんばる先生は他者の意見へのコメントを禁止されました。
それはそれぞれが自分自身と向き合う場所なのだと先生が考えられているのだと、私は思いました。それ故にコメントを書く場所を残されたのだとも解釈しています。
先生が判断されてコメントは載せることを排除もします
実際、私のコメントも過去に何度も載ることがありませんでした。
でもそれは問題のあるコメントであったからでした。
簡単には認められないほどの苦しい過去があり、ここに現れる多くの方も苦しい過去があるのだと思います。その怒り狂うほどの思い、妬みと折り合いをつけるというか、諦めるというか乗り越え生きることが最も大切で、それが先生の指し示す合理的判断なのだと私は考えました。
発言にフィルターを掛けるのは先生の専門見地からのみだと私は思っています。
同じ発達障害者であれば目を覆いたくなるようなコメントには必ず自分の姿もあるのだと私は思います
また多数派の方の私にとって痛い意見と感じるとき、それはそれでそういう考えもする人が世の中にいるのだと・・
私は世間から離れて生きているので勉強になります。
自身の反省も踏まえて、発言してみました。
このこねこと言います、こんにちは。
私の考えを書きます。
私は、自分をACのジャイアンだって認識してます。
先日このブログの会話(バトル?)で、私がジャイアンでないと決め付けられて、嫌な思いをしました。
YANBARU先生は、発達障碍について具体的に区分して詳しく解説、対処法を書いて下さっています。
それはひとえに私たちが生きやすくなるよう、との熱い思いからだと思います。
ですから私達は自分を良く知るために先生の論を自分に添って展開するのであって、
人を規定したり、拒否する為に他人を000だと言ってはいけない、と思います。
基本的には、ふぃろさんの考えに近いです。
しかしみかんさんの考えも良く分かります。
(みかんさんは、ひとつ乗り越えられたのですね、凄いです)
私もこのブログで、いつもは隠している毒を少し出しました。ここのブログでしか出来ないことです。(毒はまだ出し切れず、残ってますが)
毒を吐き出さない限り一歩も動けない人もいます、時期もあります。
一方、自分と関係ないコメントなのに酷く傷つく人もいます、時期もあります。
人それぞれ状況、状態が違うので、誤認知はお互い様の部分があります。
それでもぶつかり合うことは避けられないことでしょう。大切なのはそのぶつかり合いを、現状を乗り越える動力に変えることだと思います。
私も先日かなりぶつかり合いました。
ジャイアンでないと決め付けられた時、それは理不尽な介入だとはっきり言いました。
しかし言える人は良いですが、言えない方は傷ついたままの時もあるようです。
みかんさんが言われるように、最終判断は先生がなされます。
でも私たちも生き過ぎだと感じたら反発を恐れず、自分の考えを言ってみることも勉強になると思います。
私は、個々の事例に則して柔軟に考えると良いと思います。
今回の場合は、私は判断保留します。これだけではkeiさんが何を意図されているのか分かりませんので。
第2段
このこねこさんの特性と異なると書いたのは、「私の特性とこのこねこさんの特性とは異なる」という意味です。
この私の特性とは、私がここで理解してきたことと、発達障害に関する書籍、専門書(以前医療従事者であったので医療に関する基礎的な知識をもとに読んでいました)、知的障害がある発達障害児とのかかわりを通して理解してきた結果、得られた自己の特性に関する知見から自己診断している特性ということです。
また、私が以前ここで暴言を吐いてコメントを禁止されたときに、先生は私に対し「依存型ジャイアン」がコメント者を怒らせたのだと叱ってくださいました。皆様方にはお詫びをしなければなりません。今ここで、謝罪申し上げます。
つまり、私が「ジャイアン」と自己診断している理由が、自分の感覚的なものではなく、多くは専門的な知識や当事者とのかかわり、インターネット上での専門家の見立てなのです。
このこねこさんは、ご自身をジャイアンだと自己診断するまでに、どのようなエピソードがありましたか?そして、どのようなツールを用いて自己診断にいたりましたか?
このこねこです。
み さん、落ち着いてください。このことは了解されていると思っていました。
別に批判してるのではありません。その様に勘違いされたのなら御免なさい。
私が此処で言いたかったことは、例え判断が正しくてもジャイアンやASという言葉で人の根幹に関わることに介入するのは良くない、と書いたのです。
しかし、それを決まりで規制するのではなく、此処の事例でその場にいるものがどう感じるかを持ち寄って話し合って柔軟に判断する、と言うのが良いのでは、と書いたのです。
これは私の意見です。
此処では他の方に迷惑になりますので「受動型ASの真実」の方に書きます。
お早うございます。
先生、わかった!
感情を感じ取ればいいんだ!
感情というか情動というか。
感情を言語化するということが、去年やっとわかったところで、
だけどそれはそれで、だからってどうすればいいんだろうと思ってた。
「馬鹿さが楽しい」と言う人がいる。
それは相手を馬鹿にして言っているのではなくて、
「自分も馬鹿になるのが楽しい」んだって。
(それを私に向かって言う)
でもそれは究極のことですよね?
うれしいなあ
たのしいなあ
先生ありがとう!!
あ、私PDD-NOSです。診断してもらいました。
私は今、本当に醜いと思っている。自然に涙が出てくる。
自己責任だと思われるだろうし、大人げないと思うかもしれない。けれど、これが生体反応。
言葉にして鎮静化させたい。多分、このようなことを繰り返し行ってきたからだろう。少々、文献検索しながら書いてみる。
自己突込みは、超高速で走っている車に急ブレーキをかけ、ブレーキパッドを極度にすり減らし、運転者が前のめりになり、フロントグラスに頭をぶつけるといった状況を呈している。
私には、海馬、扁桃体の発育不全があることはまちがいないだろう。天然のADHDとは全く異なる。
乳幼児期の愛着不全は、愛着形成に関係するボトムアップ的扁桃体制御(不快が安心により制御される)の機能の発達を阻害するといわれている。叱責などにより、意図的な自己制御のようなある程度トップダウン的な感情制御(高次な認知機能を働かせて意志の力で制御すること)をすると、解離という防衛反応に導かれる。
成長発達過程のなかで、親からのトップダウン的な感情制御が、認知機能の発達により自己で行えるようになる。だが、愛着形成不全のためにボトムアップ的扁桃体制御が発達していず、偏った感情制御を常にするようになる。
ジャイアンの攻撃性を発揮した時は、トップダウン的な感情制御が行われ、それが、攻撃をやめると感情制御をしていた認知機能が働かなくなる。攻撃態勢の時はストレス反応で交感神経優位になっているが、攻撃をやめるとストレス反応を緩和するために副交感神経が優位に変わる。副交感神経の働きにより涙が流れるといった生体反応を示す。制御していた感情は悲しみだろう。これは過去の体験からくる、つまり愛着形成不全にかかわる。
あらためて、「のび太とジャイアン」の対応表を見る。どちらの感情制御が主に使われてきたか、それによりどのように発達していくか、わかるような気がする。ADHDの養育環境によって、衝動統制に様々なバリエーションが生じることが理解できる。
だいぶ鎮静化した。もう少し、感情制御(ボトムアップ的扁桃体制御)のシステム、衝動統制のシステムを強化しなければならないと自覚する。
少々、ACであった頃の自分を振り返る。とはいっても、事柄についてではなく、状態についてである。
解離の状態は小学高学年が最高潮、中学生では空気が読めていなかったが、周囲のクラスメートの大方は寛容だった。その中で過ごしたものだから、部活でいじめこそあったものの深刻になることはなく、全般的にはある程度自由に、楽しく過ごした。
高校生になり友人グループに所属したが、どうも自分と違うという違和感があった。だが、この時期グループに所属していないと困ることがあったため周囲に合わせていた。勉学はそこそこできた。そして、意図的に実家を離れて進学、高校生時代と同様の状況。「死ぬ瞬間」等を読みあさった。生活リズムはくるっていた。
就職して早々、自分が何もできない、相手がわからないという状態に陥った。自分が他者にケアなどできないことに直面し、そのことを現実に認識できないまま、認められることにしがみつくようになった。この時寝ている状況でも物音に敏感になり、覚醒し身構えるというPTSDの症状を呈した。解離からの離脱。
そして暴走が始まる。「良い子」からの脱出、少々ODDの様相を呈す。それでも、いつもどこかにある一定の線を超えることはしないと自分を縛っていた。今思えばおそらく発達障害があるだろう人々と出会い、自分の存在を認めてくれていた。仕事で認められない分をプライベートで補っていたのだろう。
しかし、徐々に仕事で責任を負う部分が多くなってきた。認められたい欲求のウェイトをプライベートから仕事に移していく。2000年以降の診療報酬の改定とともに職場が一転し、頼っていた先輩方が辞めていき、派遣と半々になった。この時の責任の重圧は私にとって苦しかった。後輩を育てる能力がない、エビデンスなど私にはない。これが別の職種への転職のきっかけとなった。この時もなお、認められ不安の中にあった。
勉学の中、これまでの書物等の知識や経験によるバラバラに記憶された事柄が、まとまりを見せるということが度々起こった。大学のレポートというのは設題があり、その設題に応えるべく、教科書のみならず幾つかの書物を読み、理解した内容を書くことを要求する。その上で自分の考えを書くことを要求する。このことから、ある一定の理解のもとに自分の考えを述べることが必要であるという、現代社会の基盤を知るに至った。
ここで私は、これまで様々な刺激に翻弄され、様々に知覚されたことをとりあえず記憶に留め、何か知覚した事に対して何かをしなければならない、ということに囚われていたのだと気づく。そして、様々な情報を総合して考えてから答える、ということを学ぶことになった。
このことに気づいて以降しばらくは、実生活で刺激そのものに反応せず、他の意見を聞き、それから自分の考えを頭の中で考える事をしていた。当然、発言は慎重になる。中高生の時のようにうなずきと同意の言葉で関係を維持した。しかし内面的にはしこりを残す。総合して考えた結果を話したいとは思うが、そのタイミングは失われていた。
しばらくして、様々な刺激から総合して思考した結果を話したい欲求が高まってきた。おそらく、今まで動作性優位だったのが、義務教育を受け基礎的な知識基盤があり、いったん社会人となったものの再学習の過程を経て言語性IQを高めてきた、このことがそうさせるのだと思う。現在も尚、実生活上の発言では考えをその場で言えることはそう多くはない。とくに今はしっかりと相手に根拠を基に、相手に伝わるように話すことが基本とされる職場だ。それに対してタイミングを見て話すようにしている。
高望みの結果でもあるだろうが、新たな取り組みを組織的にしようとしている場に立ち会えることが奇跡でもある。自身の思考力、実行力が試されていることを考えれば、今現実にあることに大いに取り組みたい。
少々独語を。
あれはなぜ飛んで行った?
盗まれたんかいな?
私は高校3年生のジャイアンですが、私が導き出したのも全く同じ答えです
このまま進んでいいのだと言って貰えて安心しました
発達障害に関する知識・生き方などの参考になるサイトが多くて、つくづくネットが普及している時代に生まれて良かったなと最近実感します
こちらのブログ上で感じた自分の「すべき思考」が、実生活上でも心身にしみついていることを痛感する出来事がありました。
目の前が開けたように思いました。先生のおっしゃる再インストールの可能性を、実感しました。
同時に、自分の「すべき思考」がなくなったら、私の「私らしさ」はどこへ行くのか、、、と不安にもなりました。
○合理的な納得をすること
・・・はい、これからも心がけます。
○好きなことをすること
・・・私の場合は、まずぼーっとする時間を確保することが必要なようです。想定外に弱い自分。心の余裕がないと心が乱され、事態の悪化・混乱を招きます。
こちらに書いているうちに、「すべき思考」から離れられたら、自分のしたいことを淡々とすればいいのだと思えてきました。
そうすれば、他者にも寛容になれるような気がしてきました。