ADHD関連

井戸の中の正義

 前スレッドに実はある方より「ASを矯正しようとするか」というコメントを頂き、やはりもっと説明しておいたほうがいいと考え、説明を追加しておきます。

 積極奇異型ASの人を甘やかした時、本人は理解不可能なことがあることを学ばないで成長する。また同じことが多数派からは全く違って見えていることも分からないまま、自分の解釈が唯一絶対的に正しいと信じて生きることになる。

 その結果は私は「井戸の中の正義」であると考えている。

 妥協しない生き方も立派な生き方であるので尊重したいが、その場合は誰にも迷惑をかけないように井戸の中で生きていただきたい。

 狭い井戸の中だけでは本人が正しいかもしれない。しかしそれは井戸の外に非常に広い世界が広がっていることを知らない正しさでしかない。それでもいいと言うのであれば、狭い井戸から一歩も出ないで世間に関わらずに生きるべきだと私は思う。

 甘やかされた積極奇異型ASの人は、「狭い井戸の中の正義を井戸の外にいる人にまで強引に押し付けようとする」という結果になる。自分の認知では狭い井戸の中しか見えていないことを知らないからこういうことになる。

 ジャイアンははじめから井戸の外に居て、世間が見えている。自分だけが正しいと思いたいエゴイストの部分は驚くほど積極奇異型ASに似ている。

 しかし(少なくとも苦労した)ジャイアンは井戸の中から見ているのと違い、世間が見えている(見ようと努力しないでは居られない)ので、エゴイストとして行動したときにも自分が迷惑をかけていることを自覚している。そのことが分かるので自分を責める。それが自己突っ込みだ。

 (もっとも甘やかされたジャイアンが合理的な自己突っ込みの目をくらまして甘やかされた積極奇異型ASと同じことをすることは多いのだが)

 自閉的な生き方も一つの立派な生き方である。しかしその場合は、「それを万人に押し付けるのはおかしい」ことをわきまえるべきだ。

 逆に多くの人に理解して欲しいと思うのであれば、己が狭い井戸の中しか見ていないことを認め、いったん苦しくとも自分の狭い井戸から出る努力をした上で、広く世間の人がどう考えているかについて謙虚に学ぶ姿勢が必要だ。

 この方の上記のコメントは、私が上記の判断のもとに削除しました。私はASを矯正しようとは考えていません。ASの人と本当の意味で理解し合いたいと思っているだけです。


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コメント

    • m2
    • 2008年 2月 23日

    このテーマは、今の日本の問題点を鋭く突いていますね。
    >誰にも迷惑をかけないように井戸の中で生きていただきたい。
    これではいけないんです。
    今の日本は、スポーツによるものを除けば、エリートはペーパーテストのみで選ばれます。
    ペーパーテストというのは、非常にASに向いた選抜方法なんです。
    進学校と言われる中学、高校、難関大学、高級官僚。これらは、積極奇異型ASが相当な比率を占めていると思われます。
    受動型ASやADHDも少しはいますが、多数派はほとんどいないでしょう。
    以前にも書いた通り、積極奇異型ASは地位・肩書というものが自分の意見を通すために重要ですので、学歴を求めます。
    その状態で、ペーパーテストに向いた頭脳を持っているわけですから、当然、日本で「エリート」と言われるところには積極奇異型ASが多数になります。
    受動型ASが少ない理由は、「受験勉強」をしないからです。受動型ASは学歴を必要としないため、受験勉強をしません。ただ、ペーパーテストに適した頭脳があるので、勉強していないようにみえても、それなりの成績を残します。
    ただ、「受験」という目的の元では積極奇異型ASには勝てないです。
    ADHDがいる理由は、過度な努力が実ったケースです。
    向いていないものの、努力でカバーした。
    このケース以外では、進学校なんていうのは無理です。
    この事実が日本の悲劇を生んでいます。
    東大→高級官僚 でも公立の小学、中学を出ていればいいのです。
    私立小→私立中・高→東大→高級官僚なんていう積極奇異型ASなんて、普通はとんでもない人間です。(稀にすごい人もいますが)
    まさに、ほぼ100%、この項に書かれたような人間になってしまうでしょう。
    そういう人間が、「己が狭い井戸の中しか見ていないことを認め・・・」という状況になれるか? それは否と考えます。
    今の日本は、これらの人達が責任をとらなくていい仕組みになっているからです。
    それは、これらの人達がその仕組みを作っているからです。

    • m2
    • 2008年 2月 23日

    私がASであることを理解する前、なんとなく、自分が公立小学校、中学校で過ごしたことがよかったと感じたことがあります。
    多数派と一緒に生活し苦労したこともありますが、成績が良かったため、リーダーに持ち上げられて、ASとしてはいごごちの良い位置を体験して、社会に出ることの良さを経験できたのも大きいと考えています。
    その苦労と、高校時代に進学校で積極奇異型ASに囲まれたり、受動型なのに相手から小さく扱われたりして苦労した経験とのミックスが今の自分を作っていると考えます。
    ジャイアンについては、積極奇異型ASとはっきり言って同じだと思ってます。
    ただ、積極奇異型ASと比較した場合、ペーパーテストに対する利点が無いため、苦労しやすいこと。およびジャイアンが集まる集団が存在しないので、孤立しやすいこと、が原因でこのような状況になりにくいだけと考えてます。
    恵まれたジャイアンは、このようになる可能性はあるだろうと考えます。
    >ASの人と本当の意味で理解し合いたいと思っているだけです。
    お気持ちは理解しますが、子供の時に苦労しているASの方とは理解しあえると思いますが、そうでない方との理解は不可能ではないでしょうか。少なくとも、私は不可能だと思ってます。そういう相手とは、必要最小限の接触で良い位置に逃げます。
    最後に、ASの子供を持つジャイアンのお母さんへ
    あなたの子供を、自分の見栄で進学校へ行かせるのはやめてください。
    子供は居心地いいかもしれませんが、かなりの確率で後で苦労します。残りは「エリート」として害をまきちらします。
    「若い頃の苦労は買ってでもせよ」これが、発達障害者にとって必要な言葉と思います。
    そして、(積極奇異型)ASにとって、その苦労は受験勉強や学校の勉強をすることではありません。一般人(多数派)と人間としてつきあうことなのです。

    • 志ん輔
    • 2008年 2月 23日

    >誰にも迷惑をかけないように井戸の中で生きていただきたい
    これは、実際に被害にあった人間なら、誰もが強く思うことでしょう。私もその一人です。
    しかも、ASやADHDという概念無く「価値観の押し付け」「完全服従」を強いられれば、相手に対しては、もはや殺意くらいしか沸かないと思います。それほど彼らの生き方は異常なほど温度が高いのですから。
    ここを読んでいる方なら、少なくとも「この人はASかも」という感知ができるはずなので、距離を置いたりすることで、どうにか回避するしかないですね。彼らは「同類」のにおいに敏感なので、一番の犠牲者になってしまう可能性がありますから。
    ただでさえ揺れ動く日々に、過度な刺激となる人物の登場は、人命にも関わると思っています。
    私はADHDなので、ふらふら一人で生きている分には人に迷惑はかけません。すべての荷物は自分の肩に乗せようと思っています。私のような考え方のADHD、ASにとっては、ある意味「天敵」となるのが積極奇異型ASだと強く感じています。

    • 匿名
    • 2008年 2月 23日

    ASが官僚に多いと言うのは本当にそうだろうなと納得します。
    学校と言うところは成績が良いと甘やかされる面はありますよね。子どもの頃の苦労は大切ですね。
    それと、苦労の質も大切だと思います。
    自己肯定感を損なわないように苦労を多くする事が理想でしょうか。
    そう言う意味で悩みだす頃には診断されていた方がいいのだろうなと思います。
    いくら努力してもできないことを努力し続けるとすっかり「自分は何か欠陥がある人間だ」と成績が良くても思いましたよ。
    何が周りの子と違うのか、同じ事ができない出来損ないは迷惑だから仲間には入らない方がいいかと遠慮しながらビクビク参加してましたね。
    高校あたりから5~8年ぐらい完全に孤立したほとんどしゃべらないような生活と、何もなくても涙が出る様な抑うつの時期を経て、ようやくバランスが取れるようになってきました。
    今は全くそうは見えないでしょうし、驚く事にそこそこ気配りもしていると思われているようですが、
    こんな道を子ども達にさせるのは酷だなあと思います。
    辛い時期に強烈に将来の方向性や自分の地固めが出来たので、上向いている今となっては良かったと思います。
    でも、医者になっていなかったら周囲に迷惑をかける歪んだ道へ進んでいたかもしれないです。
    苦痛があると絶え間なく努力を続けるので、
    苦痛を感じる状況は1つの才能だとも思うのですが。
    それには自己肯定感が持てるように、
    1人でも受け入れてくれる人が必要だとおもいます。

    • m2
    • 2008年 2月 23日

    >悩みだす頃には診断されていた方がいいのだろうな
    この問題は、非常に悩ましい問題と感じています。
    今は、療育と称して指導がされることが多くなっているようですが、私の経験からすると大切な若い頃の苦労を奪われることに過ぎないようにも思えるのです。
    私はASの子供がいたとして、同じ苦労をさせたくないとは全く思いません。私以上の苦労をしてもらいたいと思います。その分、フォローは必要だと思いますが。
    まだ、療育を受けてきたような子供が社会にはほとんど出てきていないと思われるので、結論はわからないのですが、社会にうまく適応できないAS・ADHDが多数出てきてしまうかもしれない懸念を持っています。

    • エム
    • 2008年 2月 23日

    私の息子は受動型ASで、中高一貫校〈進学校)に通っていますが、m2さんの持論がそのまま適用できそうです。私は高知能の積極型ASの人がよく分からないのですが(いわゆる積極的で利発に見える子ですか?)、非常にバランスがよく皆に一目置かれている数名が実は優秀な多数派だと考えると妙に納得できます。実はお仲間がいっぱいなんですね。
    また、私は息子に(ASという事での)苦労をできるだけさせたくない(わざわざ自分の弱点をさらして、自己評価を下げて欲しくない)と思っているのですが、m2さんのいわれる苦労はどういう類のものでしょうか?
    とりあえず息子の将来像としては、とにかく職を得る事が重要で、資格の必要な医師を目指させようかと思うのですが、どう思われますか? 他に何か向いてる仕事がありますか?

    • すばる
    • 2008年 2月 23日

    療育と「井戸の中の正義」について
    良識のある療育者、力量のある療育者なら、歪んだ親の自己愛や自己正当化も、良識のある考え方に修正するように親にアドバイスしていきますよ。
    良識のある療育者、力量のある療育者なら「井戸の中の正義」をさせないですよ。
    療育は子供の為だけでない、歪んだ自己認知、歪んだ親子関係をも修復する場合もあります。
    >療育と称して指導がされることが多くなっているようですが、私の経験からすると大切な若い頃の苦労を奪われることに過ぎないようにも思えるのです。
    自閉症の自立支援を本当に考えている方なら、その人の人生の為の自立支援を真摯な気持ちで考えて下さいますよ。
    >療育を受けてきたような子供が社会にはほとんど出てきていないと思われるので、結論はわからないのですが、
    療育を受けている子供達は、社会に出てきていますよ。手帳を持っている方、手帳は持たずに自立できてる方、それぞれですが・・・。

    • あひる
    • 2008年 2月 23日

    >井戸の中の正義
    井戸の中の自分勝手なしかも正義なつもり
    というふうに勝手に言葉を引っ付けて読んでいます。
    脳障害+育った環境
    でジャイアンもASも違うのですよね。
    うちのダンナはどちらかというとASっぽいけどかなり丸い人だと思います。
    (かなりあたまにくる事もありますが...)
    私が大ジャイアンしている時などは
    「俺が年上だから~」と自分に言い聞かせているようです。
    私と出会うず~っと前からそうだったようです。
    厳しい環境で自分の中で了解し容認し解決していく術を身につけていったのかも知れません。
    私は...自己突っ込みはあってもかなり自分に甘いし緩い
    ここのエントリーの話は耳が痛かったりします。

    • m2
    • 2008年 2月 23日

    ASは若いうちに苦労しておいた方がいいですよ。
    中高一貫にいるのなら、いろいろな種類の人間がいる環境にふれさせる(アルバイトとか)ことが必要でしょう。
    若い頃にASばかりの環境の中にいると、それが当たり前だと思ってしまい、大人になってからでは修正が効きません。
    ASは簡単に自己評価は下がりません。失敗して、自分に不向きなことを自覚して切り捨てることによって、得意なことを浮き上がらせる形で自己評価は上がります。
    職については、絶対に好きな(得意な)ことで無いと長続きしません。
    ASは得意なことと不得意なことがはっきりしています。
    「不得意なことを他人にお願いする」ことでコミュニケーション能力が磨かれます。不得意を認識するのは重要なことです。
    お母さんは、まずAS息子の好きなことをやらせてみて、本人に自覚させるしかありません。
    もし、何にも興味が無いというのであれば、無理やりにでも何かをやらせてみて、適性のあるものを探るようなことは必要かもしれません。

    • 匿名
    • 2008年 2月 23日

    >ASは簡単に自己評価は下がりません
    確かに、外来の小学生のASのお子さんも「今困っている事は何もない」と言います。
    周囲はすでに対応に困惑していてもです。
    ADHDに比べて、ASの場合はかなり苦労してからでないと自覚できないのでしょうか。

    • ぴよよ
    • 2008年 2月 24日

    >良識のある療育者、力量のある療育者なら、歪んだ親の自己愛や自己正当化も、良識のある考え方に修正するように親にアドバイスしていきますよ。
    >良識のある療育者、力量のある療育者なら「井戸の中の正義」をさせないですよ。
    同感です。
    障害児を最終的に出していく場所は、一般社会ですから。
    その子のためを考えるから、現実をふまえるようアドバイスするものです。
    しかし、残念ながら、療育の現場のどこでもできるとは限りませんね……。
    モンスターペアレンツは、ほとほと恐いです。
    他のコメンターのかたたちが家族自慢や、環境要因で良性に働いた部分を振り返っていらっしゃるので、やはり私も言いたくなりました。
    母は専業主婦でした。
    今の子育ての現状を見渡すとこれを書くのは悲しいのですが、私にはこれが良性の要因として働いたと思っています。
    母は私が私の見える世界のままに生きることは許しませんでした。
    いじめを始め、私の見える世界には、当たり前の物事、当たり前の健常の人間達が溢れていて、「私が悪い」という結論しか無くその重みが苦痛で、ともすれば頑固な空想の中に逃げ込む危険がありました。
    不良と言われる人達を見て、逆らわずに言うことを聞けばずっと見捨てられないのかと、私を見捨てない同世代はどうやって見つけたらいいのかと妄想していました。当時は不良と呼ばれる人達に相手にされませんでしたが、具体的な指示と共に誘われれば何をしたか分かりませんでした。図書館でオカルトも読みふけったものでした。
    今でもともすれば、当たり前の世界に対する憎しみ、憎しみを感じていた自分を思い出します。
    SOSの出し方も分からなかった私の、言葉にならない態度の変化を母は読みとり、私は最後は引きこもることも無く、何かに共依存することも自殺することもなく、私の意識は一線を越えることなく、抑うつを起こしながらでも一般社会に踏みとどまれる人間として、育てられました。
    次ぎに続きを書きます。

    • ぴよよ
    • 2008年 2月 24日

    続きです。
    しかし、今の子育て事情は厳しいです。
    私は母が働かない代わりに貧乏生活に耐えましたが、今の子どもはゲームも、携帯も、新しい服も持っていないと子ども社会で許されません。
    健常の子でも、物を持てない子をどう受け入れていいか分からない様子です。
    働いている母親の立場のかたには、これを話題にすることはとても心苦しいけれど、物理的に子どもを観察する時間が減るのは現実です。
    親が働くと、“自分”の話題で人に話しかけられることが少なくなり、SOSを受容する人がいない生活になり、SOSを発信する方法も、必要も学びづらいかもしれない。
    親が働かないと、子ども社会の生活で受け入れられない。
    どちらに転んでも今の発達障碍の子どもは、誰かに受け入れられながらたくましく生きる環境を得づらい、厳しい運命にいるのではと思われます。
    私はASです。ADHDも持つASです。
    人から見ても変人、自分で客観的に自分を見ても変人です。
    “私は私。価値ある私”と自分で自分を肯定する資格もなく、障害を持った自分を自覚しないと、井戸の中から出て社会で、ご飯を食べて呼吸をして、薬を飲んで生きる資格は無いのです。
    ASは、治らない。だから、私は独特の認知を持つ自己を肯定しない!
    しかし、自己肯定をしてはいけないと気づくまでの過程には、茨の道があって当然ですし、ACになってもやむを得ない負担は当然あるとも思います。
    例え親が働いても、自身の治療を受けても、祖父母の介護をしたとしても、それでも発達障碍の子がACになって最悪の結果を迎えないように、強力にバックアップする医療の支援が今後はもっと整えられるべきたと、私は言いたかったのです。
    本人が寂しがらなくても、背中を追って見ている大人の目が必要なのが障碍を持つ子どもです。
    私がこうして生きていて、かろうじて踏まないで来れた場所を、これからの子たちにも踏ませたくないと、そう言いたかったです。

    • フラワー
    • 2008年 2月 24日

    積極奇異のASってエリートになりやすいんですか?
    官僚って積極奇異のASだらけ何ですか?
    積極奇異のASですが初めて知りました。
    そして身に覚えがありません。
    僕は母親から小学校低学年から進学校への受験を押し付けられていました。小学校時代は模擬テストで県内でも上位でしたが…ペーパー試験という形の受験は全部失敗しましたよ。それが大学まで続きました。
    やっと入った行政でも、同期が国と交渉しながら道路整備の事業を進めているときに、僕は公営住宅の空きがないという理由で住民に罵声を浴びせられたり、脅迫されたり、あげくには団地に住むおっさんの依頼で何回も階段にいるヤスデを片付けていました。
    そんなにヤスデが怖いか?
    しかし同類の連中がこの国を動かしてたとは。
    テレビ見ながら『そんな一億円の随意契約なんてありえんだろ!』って野次ってたけど、これからは控えないといけないかな…。でも一億円はないよな。。会計検査院は市町村だと3000万の補助金で5時間かけてあら探しするのに。

    • ぴよよ
    • 2008年 2月 24日

    フラワーくん、日々のご苦労お察しします。
    良い官僚と、そうでない官僚を見抜く目は、これからぜひ自分で養って頂きたいです。
    私達、凡人なIQの者には、頑張っても行けない位置に、今、フラワーくんはいます。
    そして、どんな公務員になりたいのかも、これから何年かけてもいいから、自分で決めてほしいです。
    自分で決めたことでも、残念ながら実行できないのが、組織という場所ですが。私も、組織の悲しさを身に染みこませながら、いやいや従ってきたはしくれです。
    上に書かせてもらったとおり、私は自分の見た物、感じた物を何度も立ち止まって否定してみないと、人に迷惑をかける定めを持って生まれた人間です。
    周りの子は成長の中で次ぎ次ぎに自分を捜し、身近にいる人に自分を肯定されていきます。医師がいなくても、多くの子は事足りるのです。
    でも私は違いました。私は自分を認めてはいけない。私が自分を認めることは間違い……。
    いじめっ子の挑発を無視しつつ、それでも私は自分の意志で自分を否定する義務がありました。私は、変人だったから。
    周りの子は自分を見つけていきます。
    そんな自分を喜び、友達に話して分かち合う。親にも成長を褒められる。恋人にも自分を見せて知らせて、暗黙のサインで分からせて、自分の価値を再確認する。
    いけないことはいけないと言われれば分かる。発達障碍でない子は、分かった上でいけないことを続けるか否かを、自己決定する。
    しかし、ASには自己決定権は無い。義務だけがある。
    常識の範囲内で人権は主張しなければならないけれど、私達は本当は身近な人達とは人として対等では無いのです!
    現実に、発達障碍が人にかける迷惑よりももっと悪いことをしている人が居ても、憎いけれど指を指して問いつめる立場には無い。
    おそらく、同じ悪いことをしたらどちらが更正が早いかというと、私の方が早いとはとても言えないから。
    そんなことを、寝ても覚めても四六時中自覚しつづけなければならない人間だから。
    私の番は?
    自己肯定を人にしてもらえる日はいつかと、分かってもらえて努力が報われる日はいつなのかと、待ってはいけないのです。何故なら、ASとADHDを持っているから。
    井戸の中へ戻る危険のあることだから!

    • エム
    • 2008年 2月 24日

    m2さん、返答ありがとうございます。
    私はACなので、自分の気持ちよりも他者評価(しかも思い込み)を重視してしまう癖があるため、今も私の息子評価はかなり低めです。それで息子が別に気にしてない事にも変な気遣いをして、かえって嫌な気分になったりしていました。確かに受動型ASの自己評価はそう簡単に下がりそうにないですね。すごい自己保存力(生命力)ですもんね。再確認できました。ADHDでもある自分の心配をする事にしました。

    • 匿名
    • 2008年 2月 26日

    関係ない話でスミマセンが、もし良かったら
    苛めの後遺症の克服など知りたいです。
    というか、そういった類の内容に一番苦しめられて
    来ました。管理人さんにそういう内容について
    考えるところがあるのでしたら是非と思ってます><

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