ADHD関連

依存型ジャイアンと受動型AS

依存型ジャイアンの特徴は「自分が無い」ことだ。
 場の状況に主に非言語的な状況察知とアピール能力を駆使して合わせ続ける。
 実はここまでの内容は受動型ASと表面上は非常によく似ている。同一といっても良い。
 では一体この両者はどこが違うのか?

 現段階での私の理解では、「人が見えているかどうか」「プロセスか結果か」で区別が可能だと思う。
 
 ASはASなりの非常に自己中な形ではあるが、相手の「人」を志向している。当然「相手の気持ち」は重要な関心事だ。
 (ただし正確に言えば、本当の意味での「相手の気持ち」とは言いがたい。正確に言うと「自分で勝手に決め付けた相手の気持ちへの甚だしい要求」があるということになる)

 これに対して依存型ジャイアンは人間のいない「状況」という結果の世界に生きているので、たとえ非言語的な手段を使っていても、本人にとっては「自分にとっての利用価値だけが問題になる物的現実」でしかない。
 非常に特徴的なのは、「相手の気持ち」がほとんど認識されない(関心が無い)ことだ。
 
 精神科的な用語を使えば、受動型ASは「境界例」で、依存型ジャイアンは「自己愛性人格障害」とか「精神病質」というニュアンスで表現しうる。

 また、ASは「サプライズ」や「記念日」のような「意味」「プロセス」等のメルヘンの世界に生きているのに対し、依存型ジャイアンは現金に結果のメリットにこだわるところでも区別は可能だろう。

 この意味ではこの両者は表面上は似通っているが本質は非常に異なるということだ。

 具体的な話で言えば、受動型ASは結婚した途端に偉そうに亭主関白ぶって現実の家事などは何もしなくなる。相手にとって自分が「必要」となった後は「自分は夫として居るだけでお前たちは自分のおかげで生きていられるのだから、面倒なことはお前たちがやれ」というわけだ。

 これに対して依存型ジャイアン夫は現実の家事もいそいそとマメに献身的に手伝うことが多い。依存相手に対して点数を稼ぐために一番利用価値のある手段だからだ。

 受動型ASも愛着の対象以外の「外面」ではこの支配的で理不尽に要求する顔はまったく見せないので、その意味では両方とも表面上は世間的には「良き夫」である。
 中身、本質、同居してしばらく暮らしてみると家族からは両者ともこんなに大変で精神的にボロボロになる相手は居ないのであるが、外面は非常に良いのが非常に皮肉ではある。


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コメント

    • のりまき
    • 2009年 5月 11日

    先生、すごい分析です。私の元友人も、「かいがいしく夫を世話する妻」の役割を喜んで演じていましたね。だいぶ酔っていましたけど。そしてその後に、「それなのに自分のことに目を向けてくれない夫」という不満が常にありました。要するに、無償の愛というのが存在しないように見受けられました。
    依存型ジャイアンと受動型アスペルガーのカップルも存在するような気がするのですが、よくある組み合わせなのでしょうか。この場合、依存型ジャイアンの方が一枚上手になり、受動型アスペルガーの方が苦しむような気がします。依存型ジャイアンは浮気に走るケースが多いと思うのですが、いかがでしょうか。
    依存型ジャイアンの恋愛関係の特徴は、ほとんど同一化したと言っていいほどの関係を築いているのに、どうも「深み」「深い相互理解」「相手への絶対的信頼感」が感じられないのです。お互いいなくなったら死んでしまいそうなほど「愛し合っている」のに、いやだからこそ、ロミオとジュリエット様の、悲愴感が漂っていました。
    私も色々と「愛」や「関係」について考えましたが、「愛とは相手にとって決して重くはあってはならないもの。なぜなら相手を想う気持ちであるのだから」との結論に今は至っています。彼らの愛に、楽天的な生きる喜びが無かったのは、結局「自分への愛」を「相手への愛」と間違えているからなのではないかと思います。自分への愛は、まず自分で満たすべき。相手を道具のように使って、自分を愛そうとするから、みんな苦しむのではないか、そして私も苦しんできた、と思うようになりました。
    自分も人のことを言えるほどの人間ではありませんし、多くの間違いを犯してきましたが、上で述べたことを理想に、人間関係を構築するように努力しています。

    • のぞみ
    • 2009年 5月 12日

     ヤンバル先生、はじめまして。
     去年から拝見させて頂いてます。
     ASっぽい人に振り回されてぼろぼろになったことをきっかけに、身内に自己愛ジャイアンがいることに気づき、それ以来ずっとジャイアンとASの違いを自分なりに考えていました。
     今回の記事で違いが、自分の中でとてもはっきりと理解できました。
     ありがとうございます。
     のりまきさんのおっしゃるとおり、
    「自分への愛」を「相手への愛」と間違えているから
     というのには同感です。

    • ぴよよ
    • 2009年 5月 12日

    >自分への愛は、まず自分で満たすべき。相手を道具のように使って、自分を愛そうとするから、みんな苦しむのではないか
    痛いです。十代から“結婚不適格者”と自分を決めつけている私にとっても痛い言葉です。そのとおりですね。
    最近、特にどこに書くというわけではなく、(やはり私はパーソナリティ障害のような気がする・・・。)と自問していました。医師に「違う。」と言われたわけですが、症状は症状として存在しているのだから、治療していただきたいです。治療の見通しが立たなくて、身も蓋もなく言うと『無駄』なのかもしれませんが。
    受動AS男性はそんなに危機感無く結婚する例が多いのでしょうか?w
    受動的男性にとって結婚というのは、そこまで絶対的な、拘束と言ってもいいような信頼関係を作ってから安心して踏み込むものなのでしょうかね。
    障害の自覚を持つ前の事例ですよね? そう信じたい。
    他の家庭では許されなくても自分の場合だけは上げ膳据え膳の夫婦関係が許されるようになる、それにふさわしい完璧でロマンチックな“プロセス”を経て結婚したのだから大丈夫!という自信でしょうか。妄想ですね。
    一方依存型ジャイアンも、この結婚は流れですることだから仕方ない! この浮気も退職も悪友の言いなりも散財も遊びも無関心も、いちいちは流れでなったことだから仕方ない! 自分らしく生きているだけなのに許さない方が悪人だ! という発想でしょうか。幼児ですね。
    今までのこのブログでの勉強で、私は漠然と“自覚済みの発達障害者のキャパシティーが許す結婚の形は別居婚がベストなのではないだろうか?”という気がしてなりませんでしたが、ますますそういう気がしてきました。
    それか、カウンセリング等の支援を定期に受けることを条件に未入籍の同棲が、リスク(犯罪や取り返しの着かない病気に発展する結末。)を最小限にする具体的な方法なのではないでしょうか。実験はしませんが。

    • そよかぜ
    • 2009年 5月 12日

    愛着とはなんなのでしょうか。メリットがなくても、自分が思うように愛してくれないと罵倒しながらはなれない、思うようにならないとわかっていても愛着の対象を手放さないのは、なぜなのでしょうか。
    罵倒するとき、かけことばみたいなものになっていて、明らかに八つ当たりでも、自分に都合の悪いことは存在しないこととなり、責任は自分にはないことを証明するために、私の落ち度、が併用されます。
    私はそれを私の落ち度として悩み、実際に周囲も少なからず認める私の欠点であるため、外面の良さは保たれ、一石 何鳥かですね。
    利用価値があるから手放さないのですね。書きながら自分でわかってしまいました。
    結婚したら豹変したり、DV夫だが外面のよい人種がいて、私には絶対に共存できない人種が世の中にはいるということがわかりました。
    わかったからといって、生計を立てていくのには何の役にもたちません。
    それどころか、男を見る目がなかった、だのACだの、共依存だの、依存心が強くマタタビにひっかかっただの、自信失うことばかりが頭を巡ります。
    機能不全家族や、暴力、虐待の連鎖など、環境的側面からばかりの解釈をされていることも、遺伝や脳科学の問題としてあっさり解決されてしまえば気持ちがよいなあと思ったりもします。
    ドラマチックな小説や、歴史や歴史に残る人物もそうサクっと解釈してしまえば、味も素っ気もなくなるでしょうが。
    あなたがそうしむけても、私にはあなたが思う時にあなたの思う号令をかけることはできないのです。もうこれ以上私には関わらないでほしいのです。
    私を利用しないでください。

    • パパイヤ
    • 2009年 5月 13日

    >具体的な話で言えば、受動型ASは結婚した途端に偉そうに亭主関白ぶって現実の家事などは何もしなくなる。相手にとって自分が「必要」となった後は「自分は夫として居るだけでお前たちは自分のおかげで生きていられるのだから、面倒なことはお前たちがやれ」というわけだ。
    これはほんとそのとおりですね。
    「自分はこの世に存在するだけでお前にとって価値があるのだ」と、何を根拠にそう思えるのか、ほんと謎です。

    • ぴよよ
    • 2009年 6月 13日

    ジャイアンと積極奇異の記事とどちらに書こうか迷ったのですが・・・。
    最近、職場の資料棚で立ち読みした本にあった話ですが『人格形成中の未成年のうちに作られた当事者同士の繋がりは、後々まで信頼しあう絆として残るが、青年期に当事者をポッと集めても残念ながら繋がりは生まれないみたいだ。』という意味の文があり、ショックでした。
    半面無理もない、とも思いますが。
    癒えない心の傷(客観的に見ればどこで生きても出来る数ある再燃リストの一つかもしれませんが。)を作られ、または反撃して傷つけしてきた戦地に居て、逃げ帰ってきた者の実感として、そういう特性を持って生まれてしまい、それで動いているので・・・無理もない、と思ってしまうのですが。
    子どもの時とは、年齢によって否応なく平等に勉強中の身であり、大人のような、サラリーに響くような利害の共有をしていない時期なので、当事者としてお互いに模索中の痛みがあることが前提になるでしょうね。
    大人のように、人より早く合理性の道を究めることが有利・・・名誉・・・正解・・・になる立場ではないですから。
    同じ拘束の時を知っている者同士、たぶん真っ直ぐ不自由と向き合ったことがある者同士なら、少々特性の程度に差があっても気持が通じ合えるのかもしれませんね。
    少し羨ましい話です。
    やはり大人は井戸掘りしても何しても無駄、な気がしていまだぬぐえません。
    発達障害の言葉を知って、分かり合える可能性がある人間が世の中にいる、と分かってから自覚しましたが、私にはもの凄く自分のことを押しつけるほどに話したくなり、喉から血が出てもいいとさえ空想するくらい“何時間も話したい”衝動が湧きます。
    一人で放置されても自動的に湧くのです。
    結果重視のADHDタイプなら、たぶん習い事、イベント、レジャー、買い物、お洒落にお酒が飲める所等、深い信頼関係ができなくても退屈することなく遊び回っていれば解消する部類の欲求ではと思うのですが、世の中がどこもASの欲求と一致するフィードバックを用意できない以上、問題を起こさないためには・・・以下、以前に掲載を控えられた件が浮かんでしまうのですが。
    この話は終り、話を変えて続けます。

    • ぴよよ
    • 2009年 6月 13日

    すみません続きます。
    話を変えて、ただの思い出話ですが、学生時代に私を子ども同士のお友達集団から追い出した人の一人は、寡黙な自主学習を嫌っていましたが優秀でした。
    謙遜してましたが恐らく動作性も言語性も高いと思われます。
    ただ、(今思えば人格が確実におかしい)上の兄姉が彼女に非情なほど理想の高い期待をしていたそうで、それを得意げに話し、コミュニケーションの鎧にしているようでした。
    依存的ジャイアンの可能性も感じられますが、一度嫌った者に執拗にしつこく攻撃できる所はASも感じますね。
    私が、追い出された次に、話し相手を探して誰かにすがりつくことを想定して、私と好意的に口を利いたことのある人に先回りして休憩時間に話しかけて回り、新たな人間関係作りを封じたつもりになっていて、私はそれを能面のように眺めていたのでした。
    あるいは外面を巧妙に作れる境界線症状を持った高機能自閉症と呼んでもいいのでしょうか?
    誰も彼女を診断してくれないので、今となっては呼びようもそうする気もありませんが。
    “発達障害かも?”と思っても、苦手科目も不注意ミスも無いタイプの人間は、コミュニケーションの取りかかりがありませんからいつまでも、一度こだわられた上下関係を崩せなくて、または変化を作れなくて、トラブルに発展しないように気を使うことにほとほと手間がかかります。
    違う場所で違うどなたかが、私に向かってもそう思っているかもしれませんが。
    気付いた範囲では精一杯態度でお詫びしていますが、口に出し合えない関係は何年経っても大変です。

    • ぴよよ
    • 2009年 6月 20日

    いつもすみません。
    帰宅前に、久しぶりに本屋へ寄って、仕事のヒントを立ち読みしてきました。
    昔は(今もですが・・・)本大好きでしたが、いつしか今は一字一句にいらいらっと来ることが増え、でも増えた本には愛着があるので本をこれ以上増やさないように努めているうちに、本屋から足が遠のきました。
    致し方のないことですが、発達支援関係の書籍には“間違いなく子どもの気持を理解しましょう!”というメッセージの本が増え、勝手に強迫を感じて息苦しい気分になりました。
    漠然と思ったことですが、特に発達障害にかかわっては、子どもが完全に「自分の気分を良くしてくれて十分満足させてもらった。」と必ずしも感じなくてもいいのではないかと思うことがあります。
    人権に関わることなので書くのは難しいのですが・・・。
    後で思い返しても一点の濁りも無い位、理想的に満足してしまう瞬間があると、AS傾向ならうっとりし過ぎて次のペースを忘れてしまったり、あらゆる人が雑多に居る現実に戻った時に悲劇のヒロイン風な気分が芽生えたりして、結果的にAS傾向の嫌いな気分の起伏や変化を作ることになるかもしれません。
    ジャイアン傾向は、負担な自己突っ込みを忘れて、進歩が止まり、また誰かが憎まれ役をしぶしぶ引き受けて、インストールし直さなければならないかもしれません。または、刺激的に共依存的に満足させてくれない人間の多くが悪人に見えるかもしれません。
    続けます。

    • ぴよよ
    • 2009年 6月 20日

    長くてすみませんが続きます。
    一冊一冊はきっといいことが書いてあります。
    しかし・・・当事者の一人として思うに“鈍さ”が強いという悲しさがあるので、成人後に振り返っても必ずしも正しい適切なことをした人が『いい先生だった! ありがとう!』と思い出してもらえるわけでなくてもないかもと思いますし、支援者の端くれとして思うに、それでもいいのではないかなとも思います。
    ジャイアン傾向は、自己中心の直面化をさせてもらう等の必要があるし、AS傾向には
    >相手の気持ちへの甚だしい要求
    が相手を傷つけることもある可能性に気付かせられ、他人には他人の価値観も感覚もあり、それは自分の感性と一致しなくても間違いではなく自分が否定されてる訳でもないことを一緒に体験してもらいフィードバックしてもらう等の必要があります。
    必要なことがされればそれでいいのではという気がします。それでお互い精一杯なのが現場だと思っています。
    ただ、今の時代ならまだ誤解を呼びそうなので現場では口にしませんけどね。
    お互い寂しい関係ではあるので、他の病気のようにもっと社会に認知されれば、また距離感は違ってくるのかもしれないですけどね。

    • ぴよよ
    • 2009年 6月 24日

    ヤンバル先生、言葉の使い方を間違えてごめんなさい。
    高機能自閉症の認識を間違えていました。上三つ目のコメントです。お恥ずかしい・・・。
    高機能自閉症こそがASと同義語で、AS群の中でも自閉度が重度というわけでは全然なかったのです。恥ずかしい間違いです。
    まだまだ勉強不足です。

    • JET
    • 2013年 6月 03日

    受動型ASは支配。
    相手の気持ちに関心がある、とは、支配できてるかどうか確認のために?「自分とおんなじ気持ちになってない~分かってないじゃないか~」ということですかな。
    依存型ジャイアンはコントロール。
    自分の利益のために相手をコントロールするために相手の本心に関心がある。
    本心=利用するもの
    依存型ジャイアンは説得してくるが、相手が自分のことを分からなくても怒りはしない。それは関係ないから。 
    などと思います。
    別に、ある日を境にADHDになったって全然かまわないと思うけどな~

    • あおいよる。
    • 2013年 6月 04日

    突然、こちらへのコメントで失礼いたします。
    エントリー「受動型ASの理解」の道産娘様のコメントより
    こちらを拝読した次第です。
    直接、わたくしのほうからお名前を書きますのは初めてになります、JETさん、初めまして。
    >相手の気持ちに関心がある、とは、支配できてるかどうか確認のために?「自分とおんなじ気持ちになってない~分かってないじゃないか~」ということですかな
    (わたくしの認知でいきますと、)まずは「支配」という単語が
    やはりわたくしの脳内にはピッタリと響きます。
    逆(?)に「損得」「ギブアンドテイク」が最も遠くにあって
    今も昔もちーともピンとこないのです。
    得ではなく
    メリットでもなく
    ただひたすら相手の「内面」(これが「気持ち」といってもいいかな、と脳内変換。)に近づく、同調する、同化する、
    そのためにありとあらゆるアンテナを立てて行動する、
    同じかどうかを確かめる、
    相手の望むモノをひたすら与え続ける、
    時にしんどくなったり、
    リクエストしたくせにそんな情報聞かせてもらったっけ?な人に「どーでもいいわ(怒)」になっても
    自分のことを除けられそうになるとやっぱり同化しようと相手を読み取ろうと必死になったり。
    …改めて自分の行動を言語化するとこんな表現になります。
    そこで改めて「支配」と「コントロール」の差のようなものを考えましたら…(こだわっちゃってるよーに見えますかね、うーーん確かに自分の語の定義と他者のそれとの擦り合わせや確認作業が大好物だったり。)
    損得という観点で「コントロール」を考えた場合、イメージとしては中心となる自分がまず先にあって、そこに相手を巻き込んで行くような。
    そんなイメージです。
    対して、わたくしの使うところの「支配」は
    相手の欲求やニーズが先にありきで、そこに(相手の領域に)自分を変化(へんげ)させて、サーーーっとすーーーーっと浸透していって、一体化する、
    結果的に『自分が相手を知り尽くすことで相手の望むままに動く』ことになるから
    得られる確証が「支配」、…
    うーーん
    言語化するとどうにも妙といいますか、自分の脳内言動がキレイに表現しきれてない感覚なのですが。
    JETさんのコメントにすごく共感したのでした。
    またまた言語化できました、感謝です。

    • あおいよる。
    • 2013年 6月 04日

    連投で申し訳ありません…先ほどの投稿から少し間があいたのですが
    脳内でまた違った言葉が出てきましたので
    覚書的な意味もかねて出してみます。
    「プロセス」。
    私はきっと「プロセス」を「支配」したい、それによって見通しがもてて自分が安定できる。
    それへの固執の度合いは
    相手が愛着かどうかや自分自身の調子や
    その場の空気の読みやすさや自分のそれへの欲求の度合いによって異なる。
    …そんな風に言語変換できました。
    これらのカラクリは
    幼少と現在とでは現在のほうが該当する場面が多いと感じています。
    どうしても人間関係だの組織だので複雑になるから、かなぁと。
    そう表現できると感じ(ひらめき)ました。

    • ぬまお
    • 2013年 6月 05日

    >JETさん
    JETさんのコメントは自分に対してのものだと思うけど、自分的には依存型ジャイアンであっても受動型であってもかまわないというところはあります。現在の環境になんとか、適応できているからなー。
    >相手の気持ちに関心がある、とは、支配できてるかどうか確認のために?「自分とおんなじ気持ちになってない~分かってないじゃないか~」ということですかな。
    多分、自分に能力が足りないか、家庭でも会社でも環境が著しく悪いため、人を支配していると実感できる場面が全くないことが支配という言葉を実感できないことかも。まず、自分が指示を出して動いてくれる人が会社にも家にも一人もいない。直接言葉で言っても全くその通りに動いてくれないので、支配者である会社の上司や妻を動かすためには、コントロールする以外にないのかなーって感じです。
    依存型ジャイアンと思われる会社の上司は、「情緒的に相手の弱みをつく突っ込みで相手を黙らせる」技術のプロです。自分が何か反論などを言おうとすると、「その場だけ自分を否定するようなことを言いかけた相手を黙らせれられればいい」というのを必ずやるので、話し合いにもなりません。議論の最中に六法全集などを持ってきて「条文にはこう書いてある」などと言うので何も言えなくなることが多いです。
    妻の場合は、自分の意見を全く聞きません。自分の方が正しいと思っているから。納得するまでしつこく説得したうえ、細かい指示を時系列に沿って出さないと、どんなにやってほしいことを頼んでもやってくれません。
    自分が支配されていて、支配者に少しでも考えたことを伝えるために何とか最低限のコントロールをしている、としか言えないです。あおいよるさんは自分より恵まれた環境で生活しているか、自分よりも能力が高いんじゃないかと思います。

    • ぬまお
    • 2013年 6月 05日

    つづき
    あと、人を利用することについては、自分としては「してはいけないもの」という感覚があるな。なぜかと言うと、人を利用したら、貸りを作ってしまうから。人に貸りがあると思うと、返さなきゃという気持ちが強くなるんで、逆に貸しがあるくらいの方が安心できる感じです。自分にとって本心は利用するものではなくて、合わせるものです。
    >相手が自分のことを分からなくても怒りはしない。それは関係ないから
    自分の場合、分かってもらえなければ伝え方がまずかったと考えてやり方を変えます。イライラはするけど、相手に怒りをぶつけるようなことはありません。
    >あおいよるさん
    エントリー「受動型ASの理解」のレスは後日します。

    • 道産娘
    • 2013年 7月 20日

    (多分このHNはこれで最後になると思います)
    よく「相手によって面倒臭いと感じる」ことがあるのですが、その相手は何故かジャイアンが多いです。
    話をしていても「きっと話の内容はどうでも良く、自分の話を受け入れて聞いて欲しいだけなんだよなぁ」と思う時があり、真面目に考えて受け答えすると「逆ギレ」される時があるので、適当に受け流すことが多いです。
    受動型ASと依存型ジャイアンの見分け方ですが、お互い喧嘩するとよく分かります。
    受動型ASは相手の態度に合わせる形で加減しながら攻撃しますが、ジャイアンの場合は屁理屈や揚げ足取り等で相手を言い負かすまで攻撃し続けます。(ちなみに、ジャイアンの屁理屈や揚げ足取り等の攻撃を、ASの人がおうむ返しで反撃する光景をよく見掛けますが、こうなるとASがジャイアンに見えてきます)
    ジャイアンは相手を言い負かすか自分の主張を受け入れて貰えればそれで良く「他者を感じない結果重視」、対してASは喧嘩して相手とコミュニケーションを取ることに意味を見出だす「他者が近いプロセス重視」、というのが私の印象です。
    それでは失礼致します!

    • 道産娘
    • 2013年 7月 21日

    (すみません、補足です)
    上記のコメントは「受動型ASと依存型ジャイアンの喧嘩」を見た時の印象なのですが、AS同士や他の型のジャイアンだと違うかもしれませんね。
    ちなみに「受け入れて欲しい」というのはASも同じかもしれませんが、やはり相手がのび太だとすぐに「妥協して諦められる」のか、私とはあまり喧嘩になりません。
    ポカンとした顔をされるか、「お前の話は難しくてわからんっ!」と言われて相手から終了させることがほとんどですね。(時々メール等で喧嘩売ってると誤解されて揉めたり、逆に機嫌を取ろうとしてフォローを入れられた?ことはありますが)
    ジャイアンの人からは「分からない」と言われることは少なく、「深読みや被害妄想」と返されたり、それこそ「揚げ足取りやおうむ返し」で怒って言い返されることが多いので、(面倒臭くなって)私の方から「そうなんだ」と折れることがほとんどです。
    また気付いたことがあれば過去記事にコメントするかもしれません(^_^;)

    • 道産娘
    • 2013年 7月 27日

    別エントリーで従兄弟とその彼女の話をしましたが、実は彼女と会う前、叔母から彼女の印象をある程度聞いていました。
    その印象を聞いた段階では、彼女を依存型ジャイアンだろうと予想していましたが、実際会ってみると受動型ASだと思いました。(明らかに自分とは違うタイプで、その日は最後までボロを出しませんでしたし、「目配せ(視線の送り方)」が特徴的ですよね…ASの方は)
    確かに話だけでは判別しづらいよなぁと納得してしまいました。
    上記↑のコメントにも書きましたが、自分がのび太だと言うこともあり、相手がASだと「私に対してしつこくできず、ほとんど喧嘩にならない」部分で見分けることが多いです。(ジャイアンの場合は、こちらにその気が無くても喧嘩に発展しやすいことが多いような)
    自分と受動型AS・自分と依存型ジャイアン…それぞれの関係性を考えていたら結構違いが見つかるので面白いですね。
    でも何より、相手の反応によって自分も反応を変えるのがAS、基本的に変わらないのがADHD(人が近い・感じない)というのが、一番見分けやすい方法です。

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