「明らかに空気が読めなくて、とんでもなく厚かましい、図々しい」という人がいて、何であるかずっと考えてきたが、やっと説明を思いついた。
(最初は極端に依存的で、ASなんじゃないかと思っていたが、「人を利用するだけ」という点がまぎれも無くADHDであるので、私も悩んできた)。
家族(や私自身)とのやり取りの場面を注意して観察してみると、「理由の説明なしにダメと言われた場合に意外に(それ以外の場合の異常な図々しさと比べて)あっさり引き下がる」ということが分かったのだ。
そう言えば本人は「ダメと言われなかった」といつも言っているではないか。
「徹底的にダメといわれない限りOKと見なす」というのがこのスタイルの本質なのだろうと想像している。
空気が全く読めない、「明らかに怒った言い方や表情で言われないと相手が怒っているかどうかも分からない」というADHDの人がいて、しかも非常に衝動的であったとする。
この人が「しつこく要求したら親は結局最後は聞いてくれた」という環境で生育したら、結局「最終的に親がぶち切れて怒らない限り自分の要求は通る」という行動パターンになるはずで、結果として「とんでもなく厚かましい」というスタイルが出来上がる。
通常の多数派の人は(多少空気が読めるADHDでさえ)、問答無用で「ダメ」と言うことはしない。「そんな言われ方をしたら感情を害するだろう」と想像するからだろう。
だからその手前で少し遠まわしに「ダメ」、「自分は同意しない」、「自分はあなたに合わせる意志はない」という意思を伝えようとする。
その段階で通常の多数派の人は(ADHDは能力により)相手の拒否に気付いて要求を止める。
あまりにKYでこれが出来ないということだ。
結局現実的には、「本人は無理やりゴリ押しして要求を通し、相手は非常に不快になるが、本人はそのことを夢にも思っていない」ということが繰り返される。
ついでに、例えば先んじてこの時間まで等宣言しておいても、依存型の得意技で先に言われたことを忘れて、結局その場でもう一度一々ダメと言わなければならない羽目になる。
私は家族と相談して、しばらく「ダメなものはダメ」と徹底的に言ってみることにした。本人が当たり前にやり続けていることを反対にされたらどんな思いがするか、まず本人が体験する必要があるからだ。
空気が読めないことはのび太と共通するが、依存型の刹那的な思考と極端な状況理解能力の不足のせいで、二次障害にもならない様子が非常に不思議だった。
意識として気付くことはないが、周囲からの非言語的な反撃は部分的にでも感じはするだろうから、「直接は身体症状として問題が表面化する」という結果になることが多いだろう。
因みにそうならないように育てる方法は、「幼児期に周囲の大人がダメなのは何故かという理由を徹底的に説明し続ける」ことしかない。
> 結局現実的には、「本人は無理やりゴリ押しして要求を通し、相手は非常に不快になるが、本人はそのことを夢にも思っていない」ということが繰り返される。<
まさにうちの娘だわ~
>因みにそうならないように育てる方法は、「幼児期に周囲の大人がダメなのは何故かという理由を徹底的に説明し続ける」ことしかない。<
毎晩嫁がキレながら(時にはキレるのを抑えながら)時間をかけて何度も何度も徹底的に説明しています。
ジャイアン父は傍観するのみ。
はじめまして、kkと申します。
私と息子自閉症と診断されています。
こちらに書かれています事全くその通りだと思います。
私は子供のころから、駄目と言われない限り
駄目じゃないと思っていましたし、
子供の頃大人は「どうして、何で駄目なのか
教えてくれないのだろう?教えてくれればわかるのに」
とずっと思ってきました。
大人になっても誰もそういう理由も、
駄目と言う事さえ言ってもらえず(当たり前なんですが)
40過ぎまで本当に苦労しました。
子供もそうなので、駄目なのは何で駄目なのか繰り返し教えています。
自分自身がわからないながらも
理由を聞けば納得していたのですが、
中々理由を言ってくれるような人はおらず、
とても困っていました。
親は問答無用でとにかく何でも駄目と言う人で、
どちらかと言うと私に対する要求が大きく、
しつこく要求して結局最後は我慢してやることになっていました。
やらないといつまでも人格否定されて悔しかったからです。
「悔しがらせないと言う事聞かないから当たり前」のような事を
いつも言っていました。
それで、結局大人になって、何度かやんわり断っても
要求され続ければ嫌だけど、言う事を聞くようになってしまっていました。
嫌だと言っても受け入れてもらったことが無かったので
一度要求されたことは逃れようがないと思っていました。
ある人から無理な要求をされ続け、困り果てて
その人との人間関係を終わりにする。と言う事が続き
何でそう言う事になってしまうのか?
自分は何で断れないんだろうと考え始めたのがきっかけで
色々とわかるようになってきました。
まとまりのない文章ですみません。
『通常の多数派の人は(多少空気が読めるADHDでさえ)、問答無用で「ダメ」と言うことはしない。「そんな言われ方をしたら感情を害するだろう」と想像するからだろう。』
でも、先生、遠まわしなやり方が結果的にはるかに悪質な行為になったってことありませんか?
私になにかNOと伝えたかったにせよ、
公衆の面前で番号で呼び捨てにして命令したり、
試合中に故意に頭突きして、こっちは鼻骨骨折したのに謝りさえしなかったり(向こうのコーチが誤りに来たが・・・)
顔面に肘鉄食らわしたり(これは大丈夫?と聞かれたが・・)
これってありなんですか?
先生、多数派の善悪の基準がわかりません。
今日も今日で、チャイムで呼び出されたと思ったら、私の許可なく玄関にずかずか入ってきて、私の自治会管理物を勝手に漁られました。
今日の朝の廃品回収時のチェック表の部屋番号が、先月の雨で消えてしまい、ほとんど見えなかったことに関する苦情を言おうとしみたいです。
不法侵入者さま「あれぜんぜんわかんないんだけどっ!」
ずかすか入ってきて、玄関に置いてあった旗についてるノートを探す。
ちひろ「あ。ちょっとまってください。ちょうど今月が〆だったんで、今、集計してるところでなんです。来年度の表をボールペンで書いているところなんで、もう雨でも消えないですよ~♪」と、ノートもってくる。
ちひろ「え~と。何号室ですか・・・(って、もう自分のところにチェック付いてるじゃんっ!!!)」
そして当たり障りのない会話のあと、
不法侵入者さま「来年はこれ私がするのね~大変ね~(^O^)」と言って去る。
・・・まったく、どこまでもどこまでもメンドクサイ。
初めてコメントを投稿します。
当方、成人してからADDと高機能自閉症と診断を受けたのですが、本文にあるようなKYによるトラブルは若い頃から随分あってトラブルを抱えていたような気がします。
最近、特に顕著だったのがSNS上(特にお互いの顔が見えない状況)で、質問が不適切からか相手から不快感を露わにした文面で思いっきりストレートパンチを喰らっていたものです。当時の複数相手からの信用は得られず嫌な印象だけが残ったとしても、そのあたりから相手の心情を汲み取る学習の機会を得るきっかけをつかむようになったと考えています。まあ、これを利用する自己中心的な思考という方もいるかもわかりませんが、反省せず同じミスを繰り返すよりかは訓練・鍛錬と捉えます。
一度しでかした事は簡単に挽回させてもらえるほど相手は寛容な訳でもなく、時には相手から我慢して(接してやって)いる事を聞かされて戸惑うこともありました。その事に対して教えてもらえることも無かったと思い考え抜いて、今(まあ、体たらくと解釈されても仕方ないのでしょう)がありますが、軋轢の末に、これ以上軋轢を起こさないように悩んでだいぶKYが減ってきたと思いました。
気づけない当事者に喧嘩を売れとは言えませんが、議論の機会を与えてもらえるだけでも大きく違うでしょう。
おはようございます。続きお願いします。
幸い夫が色々とわかって教えてくれるのですが、ある時「私は夫ではない、夫のようにうまく振る舞えないし、判断力もない。私らしく生きるにはどうやればよいのだろう?」と言う思いから今に至ります。
現在44歳なのですが、この4年間自分を振り返り夫に色々な助言をもらい、自分らしく割り切る考え方を具体的な事も含め考えてきました。
(特に具体的な方法は思い浮かばないので、夫に助言してもらっています)
駄目、と言う事を言われないとわかりませんでしたが、反対に{良い}と言う事も言われないとわからず、やってしまったはいいけど、良いのか悪いのか、さっぱりわからず困り続けていました。
「それで良いよ」と言う事は暗黙の了解であり一々言うものではない事柄だと言う事なのですね。
長年謎に思ってきた、
(人はなぜAにはA、BにはBと言うように一々返答しないのだろうか?)
と言うような謎がとけ、胸のつかえがとれたような思いでいます。
母親から繰り返し言われた「他人は本当の事は教えてくれない(駄目であっても駄目と言わない)」と言う事を言葉通り信じていましたが、(母も祖母も私と同じ特徴を持っているので、私と同じように、何もかもわからず、教えようにもどう教えてよいのやらと言う感じだと思いますが)
{言葉}ではハッキリ言わないけども、必ず反応があると言う事もわかりました。
今はそう言う事、母が私に教えてくれなかった事を子供に教えていけたらと思っています。
Figaro様のSNSの話に、横からコメントしてしまいますが…。
KYの人がトラブルなくSNSを扱うというのは、本当に難しい事です。
私はいつも、何か一つボタンを押すにもかなりの神経を使うので、特にSNSは、おすすめしません…。
私の使っているSNSは、最初の状態で情報公開範囲が「全世界」になっていました。
つまり、自分の書いたものが、「全世界」に向けて公開発信されるという事ですが、同じSNSを扱っている友達の中には、「プライベート関係である親しい人同士にしか話したくない事」「それほど親しくない他の人には秘密にしておきたい事」を書いている人もいます。
その事を「全世界」に向けて公開発信設定をしたまま書いてしまうと、「プライベート間の個人的秘密を守らない非常識な人」が「自分の個人的秘密である大事な話を公衆の面前で暴露した」という事になり、即信用が失われます。
「取り返しのつかない事をしてしまった」、「そもそも挽回するという事自体が存在しない、ありえない事である」という事になるので、危険度がとても高いコミュニケーションサービスだと私は思っています。
特に多数派の人は、社会生活を営む上での社会的立場を想定しているので、公衆(public)で自分を人に見せている姿と、個人(private)で自分を人に見せている姿は違うわけです。
そのような社会的立場を区別した関係性が、インターネット上のサービス利用によって、疑似的に再現されるという事で、SNSは、多数派による多数派の為のコミュニティなんだなぁ、、、と思っていますよ。。。
1人でブログを書いているだけなら、主に、他人や自分のプライバシーに関して、文章の著作権、写真の肖像権、音楽著作権などに関して気をつければ良いとは思いますが、私にはいつどこでKYな事をしてしまうかが分からないので、ブログを書いている時でさえ、文章公開した後にすぐ振り返っては緊張してしまいますね。
SNSがはやったことがないので、文面から察するしかないのですが、
「SNSが多数派による多数派のための擬似コミュニティだ」との言葉はとても腑に落ちました。
そのSNSに関しての多数派の批判理由の非合理さ。
私がそんなこと言われたら
「え?そんな馬鹿かな。ネットってそもそも匿名全世界発信じゃん。」って、多数派の行動のつじつまのあわなさにイライラして反論したくなります。
『公衆(public)で自分を人に見せている姿と、個人(private)で自分を人に見せている姿は違』い、個人秘密を公衆にバラされることを毛嫌いするくせに・・。
毛嫌いするくせに、けっこうあちこちにチラチラ公開したり、のぞき見しては喜んだりするのはなんででしょ~か?
ある種のエロスなのかな。
小生は以前、同業者だけの制限されたSNSをやっていました。
他人が管理人をやっているところでは味噌クソにけなされて辞めざるをえず、自分が管理していたところも自分の主張が殆ど受け入れられないことを知り(毎回反応が非常に少ない上に、他のメンバーからこっそり教えてもらい)、それも辞めました。
>SNSは、多数派による多数派の為のコミュニティなんだなぁ>
>多数派の人は、社会生活を営む上での社会的立場を想定しているので、公衆(public)で自分を人に見せている姿と、個人(private)で自分を人に見せている姿は違うわけです<
まあ多数派のようにその場その場で空気を的確に読んで言いたいことや書きたいことを自由自在に変える(嘘をつくとは敢えて言いませんが)、なんて芸当は基本的にできませんからね。
ただ小生も、その場では無理でもそのうちなんとなく読んで対処するようになったことは進歩と言えるかもしれません。
嫌われても、迷惑をかけても生きていくしかないんですよ、結局は。
あれ…「KYの依存型」って私そうかな?
結構当てはまりますね。
何だかこのタイプ、元々状況察知能力の高いジャイアンが、幼少期に空気を読んで得をしなかった(もしくは損をした)から、自ら状況察知能力を捨ててKYのスタイルを通してきたのかなって気がします。
私も遠回しに言われた時、本気で言ってるのかふざけて言ってるのかわからなくて、結局ごり押しのような形で近い相手に言い寄ることが多々あるのですが、そうなる前にあらかじめ「ダメ」と言われればあっさり引き下がれます。
しかしこれ、「叱られないために」衝動をコントロールする情緒障害型には当てはまりませんよね?
まあ、二次障害があったので違うと思いますが…
全部言い当てられているような気がしています。
>因みにそうならないように育てる方法は、「幼児期に周囲の大人がダメなのは何故かという理由を徹底的に説明し続ける」ことしかない。
これは大変な労力ですね。並大抵のことではできないと思います。
いくら言っても理解できない、自分では何も考えようとしないぼーっとした子供。それでいて態度は大きく口は達者で屁理屈ばかり言い、その舌の根も乾かないうちに自分で言ったこととは真逆の行動をとる子供。私はそういう子供でした。
父親は今も昔も言葉で説明することができない人です。母親は途中から説明することを諦め、「ダメなものはダメ」に変わりました。今ならば、自分の行動が招いた結果だと考えられなくもないですが、当時の私は理由がわからず、母に嫌われたと思っていました。
中学以降AC気味になり、何もしないことが最善と思いながら過ごしていました。何もしないので自分で判断する機会はどんどん減り、ますますものを考えなくなりました。(でもなぜか自分ではすごく物事に悩み、考えているつもりでいました。)
成人以降だんだんACが解け、自分でも動くようになってくると、子供の頃のKYで厚かましく刹那的な部分が強化された形でどんどん表に出てくるようになりました。行く先々で上手くやれず、今に至ります。
先生のこのブログを昔の自分に見せたいです。
昔の自分にとっては預言書のようなものです。
ただ、読ませたところできっとあの頃の私には理解ができなかっただろうというのがとても残念です。
>ついでに、例えば先んじてこの時間まで等宣言しておいても、依存型の得意技で先に言われたことを忘れて、結局その場でもう一度一々ダメと言わなければならない羽目になる。
そうか。得意技だったんですね。
得意技なら仕方ないですね(笑)
相手方にしてみれば笑い事では済まされないですが。
忘れてしまう自分を自覚してからは、忘れたことに罪悪感を感じられるようになりました。気持ちは不安定になりますが、不安を感じていいのだと思うようにしています。
ただ加齢によるもの忘れも加わってきたので、ますますキビシイことにはなってきています。
この記事、待ってました!私の姑、夫、長男はこのタイプです。三人とも、初期に比べて10年以上私という、彼らにとっては異色な存在と密に関わってきているためだいぶマトモになりました。
蜜に関わる、というのは夫子供はともかくとして舅、姑さんが今まで会った誰よりもしつこく、毎日我が家にやってくるんです。ひどいときは一日に何度も、悪びれずやってきます。もちろんたまにこない期間もあります。私にきつい事をはっきり言われた後とか、、、。
とくに姑さんはとても要求がましく、とんでもなくずうずうしいので近所でも有名だと、友達が教えてくれました。
そんな姑さんが他人にずうずうしくしている所を傍からよく見ていると、平気で他人を利用しておいて、お礼に、と買ってきた小さなおみやげすら渡すのもケチって躊躇したりしています。(ちゃんと渡しなさい、と言ってあげますが)
単なる近所の知り合い程度の関係の人を利用することを当然だと思うそのずうずうしさ。当然私の母も初期には使われていました。(外ではずうずうしいジャイアンに外ではおとなしいジャイアンが使われる、という図です)
この手の人たちを相手に気を使っているとこちらが病気になるので(実際結婚してからすぐに病気になりました)
はっきりとわかりやすく「こういう時はこうするべき」とか「何度言われても、無理です。」「逆に大変になるので遠慮してください」などと時に残酷な程にはっきりと伝えていますがそれがいいのかもしれません。
私の母はジャイアンで駄目だ駄目だ、といつも大声で騒いでいました。どうして駄目なのか説明してほしい、と言っても「駄目なものは駄目!」としか言えません。おちついて説明する能力がないんですね、、、。
今、ジャイアン夫と暮らしていると、すぐ子供に駄目出しをしたがるんですが、その様が私の母とそっくりです。
わぁわぁ大声で騒ぎ立てて、子供をすべて自分の思うように動かそうと必死。ちょっとしたことに難癖つけられて、大声でわめかれたら、当然子供は反発しますわな、、、。
考えると夫と母は家の中でのみずうずうしいタイプ、姑は外でのほうが図々しいタイプです。
>因みにそうならないように育てる方法は、「幼児期に周囲の大人がダメなのは何故かという理由を徹底的に説明し続ける」ことしかない。
やっぱり私そうですね。
母とは基本的に言語的なコミュニケーションしかとらなかったのですが、表面的な理由でしか説明して貰えませんでした。
母は子供には無関心でも過干渉ではあったので、私が「ダメと言われなければ何をしても良い」というスタイルになっても不思議ではありませんね。
あくまで私のファンタジー(想像)ですが…
幼少期に嫌味や皮肉等の「遠回しな非言語表現」に対し「本気で言ったわけではない」と見抜き、そこでごり押しして聞いて貰えたことで味を占め、そのやり方で衝動をコントロールするようになったのかな。
わざと空気を無視してKYスタイルを演じ続けてたってことですかね。
(遠回しな言い方等)特定の非言語表現のみに「感知」してしまうのは、ACによるものもあると思いますが、「依存への衝動」なのかもしれませんね。
まったく「感知」できないのび太が羨ましいです。
先生、「KYの依存型」の特徴を詳しく記事に載せていただき、ありがとうございます!
>意識として気付くことはないが、周囲からの非言語的な反撃は部分的にでも感じはするだろうから、「直接は身体症状として問題が表面化する」という結果になることが多いだろう。
さっきのコメント、逆でした。
ごり押しして言うことを聞いて貰った結果、反撃で遠回しに嫌味や皮肉を言われてたのだと思います。
自分では「断らない相手が悪い」と受け流してたつもりだったけど、身体症状が出るくらいなのでストレスだったかもしれませんね。
(自業自得ですが…)
同じ「叱られないために」衝動をコントロールする情緒障害型でも、空気が読めるかどうかでかなり違ってきますね。
道理でのび太ACと間違える訳だ(汗)
(゚д゚)(。_。)(゚д゚)(。_。)
わたしの苛められっ子人生のなかである日、気付いたことがありました。
遠まわしな「嫌味や非言語表現」に「誠実(KY)」で対応すると、それは是か非かを判断するリトマス紙になり、
そして時々カウンターにもなることがあるということ。
のび太とは対多数派にする防御力特化カウンターキャラのようなぎがします。(打撃無効、常にリフレクみたいな・・・)
すみません!
最初のコメント、エラーだと思って同じ内容のコメント2回投稿してしまいましたm(__)m
「カウンター」「リフレクター」「打撃」「防御」…
RPGですか??(笑)
防御力特化カウンターキャラって、攻撃されてもダメージを受けずに相手に跳ね返すってことですよね。
ある意味そうかもしれません。
のび太相手に「非言語表現」攻撃しても、ダメージを与えられないどころか、攻撃した方が惨めになりますよね。
きっと攻撃するのが馬鹿馬鹿しくなりますよ。
ちなみに、KYの依存型に「非言語表現」攻撃するのは、攻撃力は弱くても少しずつ体力が減り続ける毒攻撃に近いかもしれませんねぇ。
そうですね、言語からも非言語からも情報が得られないとすれば自分の体験や経験から考えるしかありません。実際に人と交流を持ち、そういう体験を貯めるのが大事ですね。お互いのために。情報源は二次元に片寄りがちですが、気持ちを体験しにくいものです。
父は怒りながらも説明してくれました。母も自分のこと以外は理由つけて言ってくれました。「失礼だからダメ」「目的に合わないからダメ」という風に。失礼なことをしてはいけないとは思っています。その基準は更新され続ける。
私は空気は読めない分、準備はするです。反応が分からなくても大丈夫な事を口にするように。(実際に人と会話する時は頭真っ白ですので)上手く言ってるかは不明ですが。ここで書いていることも・・。精神科でも言われました。スピードを上げるにはどうすればよいか?と聞いたら、あなたは準備に時間をかけなさいと・・
ところで概ねADHDとして生きることになったのでADHDの文献を読んでみましたが、エイメン式などは不注意で過集中で側頭葉型でした。そのままだというか。衝動性辺縁系火の輪型の要素も多々ありました。先生の以前の記事で耐糖能に触れてますがあれも・・食事にも気をつけないとですね。先生の記事と関係ありませんが、あのデジャヴとか周辺視野に影が見えるとか三次元が苦手とか(相貌の他にも失認)あるんですがあれも症状だとか。電信柱が人影となって倒れたように見えたり、ゴキブリ大~小さな宇宙人大の影が見えたりします。幻だと思って気にして無かったんですけどね。(眼科で異常無し)
(続きます)
(続きです)
私は昔から自分が相貌や空間の失認をしていることには気が付いていたらしく、高校生になって視力がひどく下がった時に眼鏡が不便でかけるのを止めてしまいました。「自分は見ていないから」と思ったのを憶えてます。「それは見えないから」では無くて。眼鏡が不便というのは、度がきついとレンズ越しには距離感がつかめないので、階段でこけたり物を取ろうとして空振りしたりします。運動は全く苦手だし眼鏡無いと30cm以上離れるとぼやけるのですが、必ず階段は有りあと約何mでとかそういう風に対処したほうが目は楽なのです。他の状況は勘でってのもおかしいかもしれませんが。勘など有りませんが。仕事はルーペなので視力は関係無いし。注視すると眼震が起きるしあとすごく眩しいのです。コンタクトレンズは焦点が固定されるし乱視があると眼科医は勧めないです。
そのように目と口より耳と鼻と手に特化して来たので空気読む能力はますます伸びなかったんだなあと思います・・
すごく聞いてはいるんですが・・内容を、だからなあ・・
ダメと言われなくても少なくとも同意はしてなければ気づくのではないかな・・
長々と書きましたが言い訳でございまして準備してまいります・・
初投稿です
あまりに的確な説明でなんてコメントしようかいろいろ考えました
とりあえず自分で自分を苦しむ困らせることのないようにSNSをやめます、それが一番自分にあった薬ですので。
ヤンバル先生を介さなければ気づきやしなかったです
ありがとうといいたい気分
ふつうの人が当たり前にわかることがこのタイプにはわからないんでしょうな、達観してる場合ではないですね笑
それでは
逆に何故、ダメなものは駄目!と直接言わないのでしょうか。(上下関係がハッキリしてる時など特に思います。)
何故影で言うのでしょうか。はっきり言えばいいのにね。
空気は読めるてる(つもり)ので何か言ってるな〜とか思いますが、言わないなら進めちゃうよっ!というスタンスにどうしてもなってしまいます。
のび太とジャイアンが同居してる状態でしょうか。
ダメなものは駄目っ!と言われ続けると、、
気を付けないと、今度は言われない時はますます本当にやってしまいそうですね。(だってダメな時は駄目っ!って言うでしょ)
空気感の前に依存的な所(美味しい所しかやらないという←まあ、本人はシングルタスクなのでそれしか出来ない)を修正していかないとなのでしょう。
自分と他人は180度違うのであります。
>ダメなものは駄目っ!と言われ続けると、、
気を付けないと、今度は言われない時はますます本当にやってしまいそうですね。(だってダメな時は駄目っ!って言うでしょ)< いさおさんに大賛成。 ただ。 聞いているようで聞いてなくて、あとでこっぴどく叱られることも多いような気がします。特に嫁に。 大事なことはカレンダーにでも大きく書いておいてもらったほうがいいかも。 娘と同じレベルか......
>ダメなものは駄目っ!と言われ続けると、、
気を付けないと、今度は言われない時はますます本当にやってしまいそうですね。
もう本当にその通りですね。実際私はそうでした。
自分で自分にストップをかけられないから、それを他者に丸投げして依存してました。あ、今もかな…。今もそうです。抜けていません。
「ダメなものは駄目」って、「あなたには説明が通じない。」「もういい加減にしてほしい」「こちらとしては我慢ができない」といった意味合いで言われることが私は多かったように思います。相手を追いつめてしまっていることに気づけない、それどころか何回も何回も同じことを繰り返す。相手にしてみれば最後通告をしたはずなのに、私は全然変わらない。わざと怒らせようとしているんじゃないかと疎ましく思われても仕方なかったなあと思います。
決してわざとではありませんでした。でも自業自得ですね。
上記JETはてんかんの疑いで検査に行くことになりました。
調べてみればそういえば・・疑問や打ち消そうとしていたことが晴れていくのは良いですね。精神科ってほんとにいいところですね。何でも言えるし大好きだな。実は眼前に現れる光を見たことあります。病歴が長いと言われた。
神は幼馴染だと思っとります。
上記JETは偏頭痛でしたよ。レルパックスもらってきました。
しかし頭痛が始まったら寝るのが一番いいと脳神経の先生が言ってましたよ。あの~黒いの出る人って偏頭痛だそうですね。てんかんじゃないそうです。不思議アリス出る人はなんでしょうか。あれ出る時はすごく集中している時だと同居ジャイアンが言ってました。過集中がすごいんでしょうか。音も聞こえなくなるそうです。
ストラテラもらえませんでした。ていうか言うのをすっかり忘れました。(いらんのか)いやまたの機会に。
これ私です。
多分私はADHDとかADDあたりだと思うのですが、
幼少期結構親は言うことを聞いてくれてわがままに過ごしてきました。聞きわけは良い方でした。
運動神経はあまりよくないですが、落ち着いてるように見えて落ち着きが全くありません。
人が話してる時に全く余所事を考えているタイプです。
最近思うのですが、あほなのかなあ・・・と思います。
ごり押ししてしまうのです。自分さえよければいい。
相手も私と同じように思っているはず。職場でも皆が持って切れくれたお菓子をみんな遠慮して食べないのにずうずうしく食べちゃうんです。おそらくみんなあぜんだと思います。そこまで考える力が頭に備わっていないのかな?と思います。
いちいちこれはOKこれはダメと言ってもらえないとわかりません。
お菓子の件、良くわかります。
自分もあまり気にせず食べるタイプでした。(今は一個もしくは食べないようにしてますが)食べないのは一個食べて美味しかったらその後気になり続けちゃうからです。おこちゃまなのです。
学生時代、同級生に「いさおはヒトの雪見大福も遠慮せず一個食べそう」と言われたのを思い出しました。
でもこれって、もし自分が逆に友達に、ちょーだい!って言われたら「ど〜ぞ〜♪」って気にせずあげれる裏返しなんだけどな。
図々しい人ってその人にわがまま言ったら親身になってやってくれる人が多い気がする。ジャイアンとかACだったりするんですね。
空気が読めないのをどうプラスに持ってくか。そんな事を最近考えてます。(出来ないもんは出来ないんだから心に止めて進むしかないのです)
「非言語的な『反撃』」って表現、ジャイアン娘を育てるジャイアン母には身につまされます。
「反撃」なんですよね。「反撃」
先制攻撃してるのは「KYさん」って事。
KYさんは、ただKYであるというその事実を持って、他人(主に多数派)を攻撃していると見なされる。
そう言えば、黒川伊保子さんの著書「夫婦脳」に「(多数派の)女性は相手を攻撃する意思がある時に、相手の気持ちを察しないという方法をとる」という様な事が書いてありました。(本はもう捨てたので細部の表現は正確ではありません。)
この本は夫婦の話で、だから夫は妻が最近どうも察しが悪い様な気がすると思ったら、それは相当に怒っている証拠だから、ボヤボヤしてるといきなり離婚届突き付けられますよ〜的な内容で、発達障害とは何の関係も無いです。
ただ、多数派 (特に女性)にとって「察しない(空気が読めない)」=「攻撃」という解釈はこのエントリーの内容にも通じていて参考になります。
実際、ジャイアン娘の際限の無い執拗な要求にブチ切れる時、確かに私自身かなり過剰防衛な反撃となります。
素直に心の声を書くなら「相手を徹底的に傷つけなくては、私のイライラさせられた気持ちを贖えない」という感じでしょうか。
それでも、表情や言い方で通じない時は手や足が出ます。
もちろん私自身も他人に同じことをしているのに、、、です。
うううっ、、、(ため息)
私自身はノビ太型(AC→合理型ADHDに移行中)と自覚していますが、「天然」「馬鹿正直」「理屈っぽい」と言われることはあっても、「KY」と言われることは無く、不思議に思っていたのですが、大体理解できるようになってきました。
と言うのも、周囲にこの記事のタイプのジャイアンや(似た感じの)ASDがいるのですが、どうも世間では私よりもその人達の方がKYに見られやすく、私は「本人が当たり前にやり続けていることを反対にされたらどんな思いがするか?考えて(想像して)行動できるからKYでは無い」と言われました。
私からすれば、損得利益で言うことをコロコロ変えたり、相手によって媚びへつらったり高圧的になる等と使い分けることができる人の方が「状況察知能力が高い」ように思いますが、世間では、こう言ったことを人前で堂々と行って恥をかく、または顰蹙を買ってしまう人達がKYと認識されやすいような気がします。
「人を認識できず、(理屈っぽく)発言内容にこだわることとKYは別」と言う見方が世間では普通であり、私の認識と少し違うんだなと感じました。
そうか、KYではなく「思慮が浅い」という見方もできますね。
基本的に私も(やんばる先生のブログの定義の)KYに当てはまりますが、私は「理屈っぽく頭で考え、納得してから行動する」ため「(ある意味見下げられて)変わっている」とは言われても、「空気が読めない」とは言われない。また、ジャイアンや受動型ASDの人からは「頭で考えて(想像して)理解できるのだから読めるはず」と言われる。「想像して頭で理解すること」と、実際に「空気を読む」ことは別なのに。
ASDなら「理解イコール即受け入れる」の認知にあたり、ジャイアンなら「思慮が浅い」と言えるかもしれない。また、この人達から「(私が)空気が読める」と見られてしまうのは、この人達自身が自分の言動を振り返ることが困難で、事実確認をしないまま自己正当化するのが当たり前なので「それができるのに読めないのはおかしい」という認識なのかなと思いました。この人達からすれば、私の「自分自身を振り返っての発言」は「深読みの過剰反応」にあたるのかもしれませんね。
ちなみに今は、周囲の人達から「抜けている」とか「天然」等と言われます。以前は、(実際に)深読みや過剰反応はするけど全く見当違いなことを言っていたので「考えすぎ」と笑われていたのですが、今は真に受けすぎて笑われるので、少しは進歩したかな。