「利用」という言葉は依存系(ASやAC、依存型ジャイアンなど)の人には大きな抵抗があるようだが、ACから回復して依存に走ることも辞めた本来のジャイアンには実に「自然」ですっきりした表現だ。
私は「利用の何処がいけないか?」と平気で言っているのだが、その説明を試みよう。
さて前回までの続きで、生きるか死ぬかの「尊厳」の世界では、表面的な「配慮」とか二面的な「フォロー」などが全て無意味になる。本人の意志を尊重するか、無視するかのギリギリの選択しかない。
「利他」とは何かを突き詰めて考えれば、「自分で考えた相手のため」というのは悉く「自己満足」でしかありえず、特にASの場合にはどう転んでも「親切の押し売り」的な「支配」にしかならない。(ASはよほど苦労した人で無い限り「自分のやっていることが自己満足で過ぎないのでははないか?」という疑問自体考えないだろうが)
自己満足を全て去ろうと考えると、最後に残るのは「相手のことを決め付けないで、極端には相手を見さえしないで、相手に関係なく自分の決意と選択だけで自分の責任で関わる」場合に「利他」が可能となるということになる。
ここまでは私が昔青くさい学生の頃考えた話だが、結局人と人の間に何も見出さないジャイアンには、こういう殺伐とした(しかし責任の明確な)人間関係のイメージしか残らないのだ。
こういう世界では、実に「利用」しかないということになる。
「私は利用されることを喜んで選択する」ことはジャイアンにとっては自然に出来る。その代わり相手を利用もする。利用されたく無ければ断れば良いだけのことだ。
こういう分かりやすい利用と相互利用の関わりに、「愛情」とか「可哀想」とか、別の表現をかぶせる意味があるのだろうか? 本質を覆い隠して責任をあいまいにしたり、実は支配的な押し付けであるのを誤魔化したり、共依存の中で自分の選択なのに責任だけ負わないように逃げたりすること以外に何か意味があるのだろうか?
という意味で「利用で何が悪いか?」と私は考える。
悲しい現実ですが、私は人を『利用できる』か『利用できないか』で分けてしまっています。
『利用できる』人を全力で利用しようとしてしまい、しかし人はそんなに簡単に利用できるもんではありません。
なので、結局疲れ果てて、無気力になります。
そんな時は、『利用できない』と判断した人と無感情で関わり、自分を復活させます。
そして、そこが落とし穴だったりして、私自身が『利用される』人になってしまうことがあります。
この時、共依存に陥りやすいことを、ここのブログで勉強してよく分かり、今は気を付けられるようになりました。
>特にASの場合にはどう転んでも「親切の押し売り」的な「支配」にしかならない。
・・・YANBARU先生のおっしゃられる通りです。
それに気付き、同じ間違いを繰り返さなくなったことは、私の人生において、大きな利益となりました。
私にとって、『利用』と思って人と関らないと、『共依存』に引き込まれてしまう。
(言葉は適切ではないでしょうが)時々『利用』したり、時々『利用』されたりというような、『持ちつ持たれつ』の関係は持ち辛いです。
これができるのは、やはり発達障害を持っていない人だと思っています。
だから、ここを訪れている人が、自分はそれ(持ちつ持たれつ)ができるような錯覚に陥っていても、多数派からみたら、それは『持ちつ持たれつ』とは全く別物であるように思います。
どれだけ分析して、自分自身や、相手の発達障害の特徴等が分かったつもりでいても、
多数派からすれば、やはり不可解で謎の多い人物であり、
ブログのタイトル通り、『意味不明な人々』と感じられていると思います。
自分の意味不明さの原因が分かってきても、多数派とは上手くやっていけない苦しさを感じ、時々引きこもりたくなります。
>私は利用されることを喜んで選択する
私自身と身近なジャイアンを思い浮かべると、これができていないのじゃないかと一瞬思いましたが、よく考えるとそうしています。
ジャイアンが快く利用される、それは、自分が好きな事、得意な事、頼まれても全く苦がなく出来る事(むしろ進んでやりたい事)だと思います。
逆に言えば、こちらがやりたくないことは(ACと依存型を除いて)最初から引き受けません。
だから相手のことは関係なくて、自分がそれをしたいかorしたくないか(要するに自分本位)、それだけです。
相手を利用する時も、相手にとって負担ならば相手は断ればよいし、引き受けるのは相手にとっても何かプラスになっているのだろう、ぐらいにしか考えていません。
ACや依存があると、相手が喜ぶからとか、自分が認められたいからとか、これをしないと嫌われる(立場が悪くなる)とか、いろいろ理由をつけて相手のために動こうとする。
でもそれが、かえって自分自身をより窮屈で閉鎖的にする(本来の自由なジャイアンじゃないから)。
私の場合はそんな感じです。
>ジャイアンが快く利用される、それは、自分が好きな事、得意な事、頼まれても全く苦がなく出来る事(むしろ進んでやりたい事)だと思います。
>相手を利用する時も、相手にとって負担ならば相手は断ればよいし、引き受けるのは相手にとっても何かプラスになっているのだろう、ぐらいにしか考えていません。
同意・・・このスタンスが一番楽です。(楽と言うか自然)
多数派と同じように「愛情」とか「可哀想」と思って行動しようとすると、頭こんぐらかって来ますね。
と、言うか。多数派ヘルパーさんを見ていて思うのは、多数派にも本当は「愛情」も「感謝」もないけど、「ない」と言う事を、はっきり無言の前提(本音)にして、割り切っているんじゃないなかぁと思う。・・・それが「大人」というものなのかなぁ。
文章の字面を追うだけでは浅い理解しかできない・・・と言いつつ、何度か読み返しても浅い理解のままではありますが・・・。
>表面的な「配慮」とか二面的な「フォロー」などが全て無意味になる。本人の意志を尊重するか、無視するか~
・・・ここの部分の入り口に自分は今、居る様な感じです。
多数派さんの言う「本心はどうであれ~」というのも、どちらかと言えば「無視」に近いのかもしれませんが、ジャイアンとの一番の違いは、自分も利用されることを受け入れられる、という点だろうと思います。
人と人との関係を一から身に付けようとするならば、まず「愛情」とか「思いやり・優しさ」などという言葉をおっ被せず、「相互利用」から・・・のほうが脳の特徴から言ってもスンナリいく気が確かにします。
でも、ずずーーっと自分を子供に戻して、物心ついた頃まで年齢を下げていって、例えば困っていそうな人でも状況のときにでも、
自分が何も考えないでしていたことで「手助け」になっていたことがあったとして、
もちろんそれは、親からそうしなさいとか、親を見て真似をしたという類のものでもなくて、
結果、人の助けになっていた・・・・という・・・。
そもそも、人の脳の中には、そういう遺伝子が組み込まれているとしたら・・・。
ADHD,AS、ACも含めて、身体症状もここの部分がスムーズに表現できていないからなんじゃ・・・・
神とか仏とか、宇宙、大自然なんかに丸投げした後、考えてみると一種の自然淘汰のようにも思えてきたりもするのです。
>自分が好きな事、得意な事、頼まれても全く苦がなく出来る事(むしろ進んでやりたい事)だと思います。
自分が得意とするジャンル、集中出来る事が、おのおの違うわけだから、そこでそれぞれ助け合っていければ、win―winの状態へ近づける気もするのですが、
ここでどこかに(誰かに)自己犠牲があると難しいのかも・・・。
私なんかは、命根性汚い??ので、(淘汰されないためにも?)、出来ればなんとかこのスタンスで手助けに繋がる道を探したい想いでいっぱいではありますが・・。
今、悩んでいるのは・・・
将来的に、父と暮らさないとやはり経済的に無理かも知れない・・・しかし、「共依存」にならないで、(つまり「愛情」とか「可哀想」と思わないで、)
単に「相互利用」で同じ屋根の下で暮らすことが出来るんだろうか!?(・・・向こうに「共依存」的「支配」的発想しかないのに。)
こっちが、引きずられないように心理的距離を保っていればいいのか?相手は変えられないから(これは、最近見に染みた)やはり物理的距離を取るのがベストなのか?シェアハウスみたいな間取りの家ではあるから、同じ家でも、(距離を取るのは)不可能ではないと言う友人もいるけど。
ここにきて、やっとスッキリしてきました。
結局、人間関係を突き詰めていくと「利用」する・されるの関係です。良い・悪いの問題でなく、これだけな感じです。自立した人間関係だと、無理せずこれができている感じがします。「利用」する時もされる時も、お互いに できる事(したい事)はするし、できない事(したくない事)はしないし、そこに余分な感情も入りません。共依存になると、こんなにやってるのに…とか、こんなにお世話になってしまって…とか感じてしまって、大した事でなくても負担が増す感じがします。 アッサリした相互利用の関係が理想かも知れません。
ネコさんのコメントを読んで・・・
父の「支配」的感情を引き出してしまうのは、自分の中にもACの問題がどっぷりとあるんだなと思いました。
大枚叩いて、カウンセリングに通って一体何をやっていたのか。無駄だったとしか言いようが無い。
・・・ドクターは、この病気にカウンセリングは無用と言うけれど、一度はっきりした臨床心理士にかかった時、「それであなたは何を感じているんですか?」と言われて、答えられない自分がいる・・・
パワーゲームにならない関係の、信頼できる人が必要だと感じました。
話がズレていたらすみません。思いだしたことがあったので・・・。
子どもの頃、給食当番でみんなと配膳台の片づけをしなくてはならなかった時、いつも何をして良いか咄嗟の判断が出来ず「気が利かない子ね!」と先生に怒られたことがあります。
私から見れば、「みんなそれぞれ分担していて特に大変そうな友達もいなかった」ように思えたのに。ほかに何をすれば良いの?でした。
そのくせ、自分がなにか大変な役割や責任を負わなくてはならない時には「みんな何でもっと自主的に手伝わないのかな!」と一方的に腹が立ち、まわりにテキパキと指示を与え、自分の手元には何も仕事が残らず済んでしまったことが多々あります。
「やりたい人、出来る人がやれば良いじゃん。私も出来ることだけをやるから」と決め込んでいるわりには、場の空気がわからず、やる気はあっても理解がズレており、結局まわりを使うだけ使って終わってしまう情けなさ、とても歯がゆいです。
子どもを持つ母親になり、再びPTAなどに関わるようになると、再び強くその思いにとらわれるようになりました。
最近、苦し紛れに「気がつかないから、何をすれば良いのか言って」「私は人づかいが荒いから、出来ないことは抱え込まずに率直に言って」を言うようになりました。多数派からすれば「そんなの自分で察してやるものじゃない」とか「普通、『出来ない』なんて面と向かってハッキリ言えないよ」とか、非難の嵐であることはわかっています。
でも、もう私に言えるのは、それしかない。そのことに開き直るしかなかった。
だんだん、「自己主張するわりには何もしない人」というレッテルを貼られているように感じますが、最低限のことしか出来ないと居直るしかしかたがないと思っています。
読み返してみて・・・かなり脱線してますね。
タイトルの「利用の意味」から過去の記憶が蘇ってきたので、つい書いてしまいました。
>(ASはよほど苦労した人で無い限り「自分のやっていることが自己満足で過ぎないのでははないか?」という疑問自体考えないだろうが)
こういう人、たまにいますね・・・病が、重かった頃の私の訳分からんメタファーに満ちた話を、辛抱強く、聞いてくれて、何とか現実に繋げようとしてくれていた。(今、思えば。)
どちらも、ジャイアン(肉親)への愛着を諦めた人でした・・・ (ちなみに奥さんは、推定多数派です。)
私が、回復してきた今は、むしろ付き合いが浅くなっていますが。そういう人も居るという事で。
私も「利用」して何が悪いのか、いやなら断ればいい、自分が利用されるのもよい(自分の意思で決めた時のみ)派ですが。
AS元夫や、マザコンやファザコンぽい元彼は、「自分が利用されているのでは」という状況が我慢できなかったみたいですね。そのくせ相手は滅私奉公的でないと怒る。
「自分(元夫、元彼)が存在するだけで相手(私)は生きがいがあるのだ」と思っていた(思いたがっていた?)節がある。「自分が存在するだけで相手は嬉しいわけではないのだ」と気づきそうになる出来事がある度に切れてましたねえ・・・。まさに「愛情」という表現をかぶせていましたね。母親(父親)からの愛情に飢えている子羊みたいだったなあ・・。
自分の子供でもない、他人に対してそんなことが起こるわけもないだろうに。大分前にこのブログでも書きましたが、今でもやっぱり、「愛情」は子供以外にはないですね。男性(夫、彼)にはないですね。「相互利用」だけ。子供以外に「愛情」って意味がわからない。
元夫が昔、「そばにいることしかできないけれど、これからもよろしく」的なことを言ってきた(書いてきた)ときに、「そばにいることしかできないならいらねーよ!」ととっさに思ったんですが。ちなみに結婚前。だってそうじゃないですか?健康な成人男子が、妊娠や出産や育児や家事やなんやかんやある女子を守ったり食わせたりしないで、どんな存在価値がある?そばにいるだけで喜ばれるなんて子供とペットだけですよ、ほんと。。。でも依存的な元夫、元彼にはそういうことって言えなかった。切れる、不機嫌になる、無言になるから。率直で正直な友人になら言えるけど。やっぱりそういう人(率直で正直で話が通じる人)と結婚しないといけなかったな。あんな人と結婚したという私も相当病んでたんですね。ややこしそうな人だなーと思いつつつい付き合ってしまい、全速力で逃げ出そうとしていたんですが、逃げ切れずに結婚してしまったんですが。。子供産んでやっと逃げだせたんですが。
「結婚とは相互利用であるべし」という信条を持っている人としか結婚しちゃいけなかったですね。
ASの私が、現在このブログで「利用」という言葉に接した時には、全く抵抗がありません。
先生を始め、ここに参加されているジャイアンさんたちは皆さん、「自己を掘り下げる強い探求心」を持った方たちばかりなので、その方たちが使う「利用」という言葉は、確かに「さっぱりすっきりシンプル」で、好感が持てます。
同じ言葉でも、どんな人が使うかで、まるで印象が違ってくると思います。
脱線でしたらごめんなさい。
勉強として聞きたいのですが、ジャイアンを説明する言葉で言うと、“怒るとき”というのは何なのでしょう?
質問が分かりづらかったらすみません。
一般的には怒るときとは『自分が嫌なことをされたとき』ですよね。ただこれは意味が広い。
ASが怒るときは、他のかた達もコメントに記してくださってますが、私もASらしく、関連づけがよく分からないときや、意味づけが見えなくて、それが私への侮辱や騙し、嘲りを含んでいると意図的に思わされたときや、5W1Hがはっきりしないのに、細かい指示の内容を把握していないと非難されたとき、これはフラッシュバックが後々残るなと自覚するほどひどくショックを受けたとき、等々。
だから、不器用なりに意図を伝えようと努力が伺える相手には感謝、感心はあっても怒りは感じません。
ジャイアンの怒りが、読みづらいのです。
私が、共依存的人間への構え方を過剰適応して身につけすぎているのかもしれませんが、何かの依頼と理由をはっきり伝えても、こちらも工夫した上でのお断りや限度を提示しても、反応が薄すぎる相手だとその様子を読みとるときに選択肢がありすぎて参ります。
私の言っていることの意味が分からなくても怒る理由になります。
言われたことの内容が気に入らなくても怒る理由になります。
早く面倒な会話から解放されたくても怒る理由になります。
しかしすべき連絡を濁したりしてはっきり言わなくても怒る理由になります。
私より頭が良ければ、怒りを行動に移す手段はいくらでもあります。だから放置もできない。(発達障害を知らない若かった頃、“ぴよよが嫌い”そのものも居ましたが、これは病的ということで除外対象でしょうね。)
この様子の読みとりで過去失敗を重ねてきたにも関わらず、いまだによく分かりません。
>多数派にも本当は「愛情」も「感謝」もないけど、「ない」と言う事を、はっきり無言の前提(本音)にして、割り切っているんじゃないなかぁと思う。・・・それが「大人」というものなのかなぁ。
例えば、
こいつの頼みだけは聞きたくない とか、
理不尽と思いつつ仕事と割り切って/その方が事が上手く行くから引き受ける とか、
この人は頼まれなくたって手を貸したくなる とか、
あいつが困ったときはいつだって喜んで利用されよう とか、
色々あります。
そのときの状況、相手との関係、予想される結果、自分の気持ち、いろんな物が絡んで利用される/するを瞬時に決断していて、そこには『情(その人に対する色んな気持ち)』も絡んでいます。
日頃から自分を棚に上げ、威張って(偉くもないのに)偉そうにしている人には、利用されたくない/関わりたくないと思うのが多数派です。
それでも引き受ける場合は、頭の中で割り切って(「これも仕事」など)います。
人は『(好き勝手に)利用できない』『本来自分でやるべき』が前提にあるので、『利用させてもらえる』場合は大変有り難い事と感じます。
弟にはそういう前提は無い様で、だからか『ありがたい』とも感じていないよう(に見える)です。
「ありがとう」の代わりに「別に頼んでない」と言います。こっちが勝手にやってるわけで感謝も強要していないのだからそんなこと一々言わなきゃいいのにと思います。このせいで、何か頼まれた際に快く引き受けようという気になりません。
実にすっきりと説明ができるのですね。
この方がわかりやすくて対応しやすいと思います。
余分な表現は要らないです。
ぴよよさん、まりさん・・・
「何に怒っているか」「誰に怒っているか」「どう嫌なことをされたのか」主語というかIメッセージをはっきりしてくれないと、ジャイアンには分かりません・・・
お願いですから、直接話法で喋ってください。
>まりさん
感じるところが多いため書きます。
>「ありがとう」の代わりに「別に頼んでない」と言います。こっちが勝手にやってるわけで感謝も強要していないのだからそんなこと一々言わなきゃいいのにと思います。このせいで、何か頼まれた際に快く引き受けようという気になりません。
弟さんが頼んでいないことをまりさんが勝手にやってあげて、それに対して感謝を強要していないのであれば弟さんの「別に頼んでない」の回答で何がいけないのですか?
まりさんが「別に頼んでない」って回答が嫌ならば、弟さんが頼んだときにだけ手を貸してあげればいいのに、「何か頼まれた際に快く引き受けようという気になりません。」ってのは、どこでどう捩れるとそうなるのでしょうか。
理解に苦しみます。
頼んでいないことをされるのは、ジャイアンにとって余計なお世話です。わたしの場合、頼んでいないことをされたら「頼んでいないことをわざわざ自主的にやるなんて、きっと好きでそうしているのだろう」ぐらいにしか思わないので感謝の気持ちなど起こりません。
むーんさんのおっしゃるように、以前のコメントのように、単刀直入な書き方にしてもらえると、ここを読んでいるジャイアンにも理解できると思うので、できるのであればわたしからも直接話法でお願いしたしです。
>そのときの状況、相手との関係、予想される結果、自分の気持ち、いろんな物が絡んで利用される/するを瞬時に決断していて、そこには『情(その人に対する色んな気持ち)』も絡んでいます。
これが、発達障害には出来ません・・・
早い話、例えば多数派ヘルパーさんが、24時間TVを見て、ボランティアを決意して、すぐ諦めたとしますね。・・・そういう時、上記のようには考えず、「あれは気まぐれだったのか(愛情ではなかったのか)」とつい思ってしまう。
それ程までに、ジャイアンの責任感は強いです。
それから。弟さんが「挨拶」をしないのが不愉快だったら、はっきりそう言ってあげて下さい。・・・弟さんは、その時の心境をそのまま表現することを「無礼」と思っていないだけなのです。
PS;こういう事は、発達障害の一般書にも書いてあります。いわば、我々にとっては「常識」です。YANBARU先生は、それを踏まえた上で、独自の哲学を仰っている。・・・もうちょっと「勉強」して下さい。
自分は多数派ではない(はず)なので、端から見て・・・の感じでは、
>理不尽と思いつつ仕事と割り切って/その方が事が上手く行くから引き受ける とか、
・・・と解っていても、引き受けない(引き受けられない)人もいたり、
>日頃から自分を棚に上げ、威張って(偉くもないのに)偉そうにしている人には、利用されたくない/関わりたくないと思うのが多数派です。
・・・こういうタイプとは、関わりたくないのでサッサと席を外し
>それでも引き受ける場合は、頭の中で割り切って(「これも仕事」など)います。
・・・割り切っているつもりでもストレスは溜まっているので、思いっきり八つ当たりされたりしてします。(爆)
>そのときの状況、相手との関係、予想される結果、自分の気持ち、いろんな物が絡んで利用される/するを瞬時に決断していて、そこには『情(その人に対する色んな気持ち)』も絡んでいます。
・・・結果として、どこを(何を)最重要視して決断しているのか、もしくは決断するクセがついているのか、、、イヤ決断するまでもなく、そうなってゆくのか・・・。
自身のことで言えば、
相手との関係の維持、良好さを目的として(ACらしく)引き受けて・・・が多かったのでもう、ここら辺でおしまいにしたい。
予想される結果を考えて・・・想定外の結果にあ然。
状況に応じて・・・まんまと口車に乗っちゃったのかも??
自分の気持ちで・・・ようやくスンナリ。
ホッ。。。
こうして書いて見ると、それぞれがバラバラに点在しているみたいな感じにも見えます。
外ではこんな感じでも、共依存の関係ではまた違っているのかも・・・ですが。
>mmmさん、
別にいけなくないですよ。ただ余計な一言に聞こえます。こっちが勝手にやってるのだから「頼んでない」とわざわざ言う必要も無いと思うのです。何せ一つ屋根の下に住んでますから放置できない事があります。例えばお湯を沸かしっぱなしにしていれば火を止めます。そのまま冷めてしまう事もあります。『吹きこぼれていたので火を止めた』と言えば『頼んでない』と返ってきます。他にも「やりっぱなし」の状態でこちらの生活に支障が出るものはやってしまいます(本人もそう言ってあります)。別に感謝も期待してないし、責めてるわけでもないんだから『あ、そう』で終わらせればいいのに、、、と感じます。もしかしたらそうやって先回りして自己防衛(自分の注意欠陥を認めたくないため?)しているのかもしれないとも思いました。。。
>むーんさん、
感謝や挨拶って内側から湧いてくる感情だと思うんですよ。湧いてこない物を私は強要しようとは思いません(ただ社会に出れば風当たりの強い事もあるでしょうが)。『頼んでない』と口から出るのはそういう負の感情があるからなんでしょうね(自分の非を指摘された悔しさのような?)、、、こっちが勝手にしてしまった事を本人が負の方向に取らないようにするには、どう言ってあげたらいいのでしょうか?はっきり「勝手にやってる事だから感謝なんていらないけど、その一言は余計だよ」と言うのがいいのかな。。。
まりさん
そういう状況でしたか・・・(やっと分かりました。)
普通(?)だったら、「こういう時は、『ありがとう』とか、『ごめん、気がつかなくて』と言うものだよ」と言えばいいと思うけど、
弟さんの場合、「事故った」という自分のミスがフラバしちゃうんでしょうね・・・おそらく。う~ん困った。私だったら、取敢えず知らん顔しときますが。・・・まりさんが、気を使いすぎないで、カウンセラーにでも相談した方がいいような気もします。(なんか義弟さん、爆弾みたいに扱われてるみたいなので。)
まりさん
私はADHDとしてはかなり適応できいてる部類だと自負しておりますが・・
正直、まりさんが私の家族だとしたらかなりキツイと思います。私の家族と夫の家族の大多数がADHDかASだったことを幸運だとすら思えるほどに。
私は、(自称)適応できている部類なので、ある程度空気も読めますし挨拶もできます。しかし、相手の気配りに対して「有難い」と思うことはありませんし、ADHD的な言動に関して負の感情も一切ありません。(というか多数派の考えは元よりアウトオブ・眼中です)
ただし、「利用」したりされたりするのは同類、それも何らかの才能を持つ同類だけに限っています。その方が後々面倒がないし、同類同士ならギブ&ギブだろうがテイク&テイクだろうがあまり頓着せずに済みますので。
ということで、私が思うに弟さんは15の中学男子のようなものです。
「永遠の思春期」というより「永遠の反抗期」。(笑)
元々義理の関係ですよね。弟さんを立ち直らせることで、まりさんに対するご主人や他のご家族の評価が上がることを無意識のうちに期待していませんか?
野良猫を餌付けすることはまりさんの努力でできるかもしれませんが、それは一生面倒を見ることを意味します。
しかもご主人や他のご家族に流れる自己中の血は、あなたを評価はしても決して感謝しないと思います。ジャイアン系は自分に悔いがなければそれでも全然平気ですが、多数派の脳でそんな理不尽に耐えられますか?
多数派って、そういう考えなんだ・・・と、勉強になります。
>もしかしたらそうやって先回りして自己防衛(自分の注意欠陥を認めたくないため?)しているのかもしれないとも思いました。。。
すごい分析ですね。
私の場合ですが、自分の注意欠陥を含めて、自分自身なので、
それに対して自己突っ込みはあったとしても、自己防衛のため、人に対してそんなことを言ったりしません。
本当に、大きなお世話なんですよね、わざわざ
>『吹きこぼれていたので火を止めた』
・・・なんて言われては・・・。
ウチの(ASな)旦那にそっくりな言い方です。
注意欠陥な私をどうしたいっていうんでしょう?という感じです。
>人は『(好き勝手に)利用できない』『本来自分でやるべき』が前提にあるので、『利用させてもらえる』場合は大変有り難い事と感じます。
・・・前提にあろうがなかろうが、『利用する』ことには変わりがない。
『利用』させていただいて、感謝とか在り難いとかですか?
分かりません。
勝手に『利用しよう』と考えるのであるし、結果『利用できた』か『利用できなかった』というだけの事。
>こっちが勝手にやってるわけで感謝も強要していないのだからそんなこと一々言わなきゃいいのにと思います。このせいで、何か頼まれた際に快く引き受けようという気になりません。
・・・『強要していません』と口に出した時点で、感謝することを前提としている訳でしょうし…?
・・・快く引き受けようという気にならないのならば、引き受けなくていいのでは?
全て、自分自身が決めたことではないでしょうか?
私の場合、このコメント自体に怒れます。
>ジャイアンの怒りが、読みづらいのです。
・・・それは、あなたの存在全てを拒否したい時の怒りではないでしょうか?!
>まりさん
>『吹きこぼれていたので火を止めた』と言えば『頼んでない』と返ってきます。
「火を止めた」と伝えただけで「頼んでない」と返えすでしょうか?
わたしが「頼んでいない」と言う場合は「やってあげた」というニュアンスの言葉がどこかに必ず含まれているので。
>こっちが勝手にしてしまった事を本人が負の方向に取らないようにするには、どう言ってあげたらいいのでしょうか?
勝手にしていて感謝を求めていないのであれば、「好きでやってるから気にしないでね♪」と言えるのではないかと思います。
そんなことって、できるのですか?(わたしは絶対ムリです)
そしてそんな人が実際にいたら気持ち悪い、とも思います。
「無償の愛」ってかんじのものですよね。
そしてそんなこと言えるような余裕がある状況なのでしょうか?まりさんの生活に支障が出る場合もあるレベルなのに、なんで「負の方向に取らないように・・・」までの配慮をしてあげなきゃいけないのでしょうか?
自分を押し殺してまでも義弟を・・・って感じがしますが。。。やっぱり理解し難い・・・。
義弟さんはまりさんを利用しているだけだろうと思います(楽だから)。
むーんさん。
せっかく助言の意志を示してもらってヒントまでいただいて、ありがとうございました。
上の質問は、詳しく書くと守秘義務に触れるので、諦めて引っ込めようと思います。
話を変えて、鴨の大きなお世話で、まりさんの義弟さんの件ですが、まりさんのコメントの姿勢や、お嫁さんとしての姿勢に焦点を合わせ続けると、どうも極端な選択肢しか残ってないようなアドバイスに聞こえてくるのですが・・・。
私なら“この人が本当の敵!”“この行動が悪の根元!”と、一度ストーンと頭に落されると、相手が正気を失ってもまだ私自身が止められないほど追いつめる気がします。(だから危険なので、独身。)
『自分も大事、境界線は明け渡してはいけない+相手はジャイアン、直面化が必要・・・
=あの手この手で外堀を埋めた上で、予告付きの放置、そして火事! または・・・』
・・・という方向に行ったらまずくないでしょうか。
私も発達障害情報初心者の頃は極端大好きでした。押さえる“必要”が解ってきて仕方なく押さえ方も学びましたが、多数派のかたにも中道が分からない人は沢山いらっしゃいます。応用力の不足でしょう。
世の中“刺し違える覚悟”持った任侠みたいな人ばかりが出現すると、やっぱりまずい気がします。社会構造が支配する者とされる者に別れるのが最も合理的になってしまう。戦争が起こってしまいます。
この後は、そちらへ導かないようなアドバイスになっていくといいのですが・・・。
まりさんのコメントを何度も読み返したわけではなくて恐縮なのですが、義弟さん孤立に耐えられるところを見ると、ASのこじれ過ぎたタイプにも見えてきますね・・・。縄張りの中の者には態度大きくなりますからね、ASの依存も。
まりさん
・・・ここへ来て、まりさんは必要であればロボトミーでも何でもして、少数派を多数派に近づけたいような気がしてきた・・・
極端な話、ボーダー友人がヒス起こしっぱなしで何故いけないのか。弟さんが注意欠陥で仕方ないという発想はないのか。・・・と、言うか、それは「自分で治したい人」がかかる医師の仕事でまりさんの仕事ではないです。
それまで「放っておく」ことは出来ないのかなぁ。別に親じゃないんだから、まりさんに「責任」は無い筈だと思うんだけど。
ここのところ、自分にしてはやけに饒舌になっているなと感じながら、この文章を書き始めていますが・・・
>特にASの場合にはどう転んでも「親切の押し売り」的な「支配」にしかならない
私には「自分で気づいている変なクセ」がたくさんありますが、全く無意識でやっていて、「盲点」になっていることもたくさんありそうな気がします。
日常生活では、特にそれを意識せずに暮らせてしまっていても、このブログに来るとその「盲点」がクローズアップされているので、「へ~え」と気づかされます。
自分の中に「盲点」や「死角」が多いのは自分でも嫌なことなので、そこに光があたることは大事だなと思います。
同時に別の次元で「人間も人生も結局よくわからない」という「わからない」の感覚も大切にはしておりますが。
死ぬまで修行は続くなあ。
>むーんさん、
以前、「別に責めてないよ。普通にごめんとか言えばいいじゃない」と、何も考えず(多数派に言うように)言ったら逆切れされました。弟が息子のCDを黙って拝借したんです。しばらくしてCDが無いことに気付いた息子は家族に聞いて回っていました。そのとき弟は『知らない』と答えました(拝借したのを忘れたのか、不都合と思ったのかは分かりません)。その答え方を不自然に感じた息子は、弟の部屋でCDを探しました。するとベッドの下から、壊れて出てきました。息子は『あんちゃん、ベッドの下にあったよ』と普通に言ったんですが、弟は開口一番『人の部屋に勝手に入るな!』と言いました。壊れたCDは完全に棚上げされました。最終的には息子の自尊心を優先した夫が「必要なら部屋にも入る。それが嫌ならこの家に住まなくても良いんだ」と言って収束しました。
はっきりとこっちの気持ちを伝えるのは、相手が気持ちを読めていない場合は有効ですが、自分の問題を直視させるという意味では逆効果な気がします。特に人格障害的な部分に触れる場合は。。。
>mmmさん
間違っても「好きで」やってるのではないのでそうは言わないですね。
>わたしが「頼んでいない」と言う場合は「やってあげた」というニュアンスの言葉がどこかに必ず含まれているので。
これはそう取る側の心に存在する物なので、本人以外にはどうしようもない事です。同じ言い方をしてそう取らない人もいるわけですから(誰が聞いてもそう取られる言い方なら別ですが)。自分の中に沸き起こる負の感情を他人の言葉のせいにし続けるのか、一々そう感じてしまう自分に気付いて変えるのか、そこは本人の決断の領域内と思います。私含め家族は自分を押し殺してはいないです。伝えたいと思った方向に伝わらない⇒負の方向に行かないようにするにはどうすれば、、、という事を考えているんです。以前の先生のエントリーで「本当の事を言っているという信頼」ウンヌンというのがありましたが、弟は自分のした事(本人が認めたくない)に対するコメントを殆ど「攻撃」と取っているように見えます。しかしこれも、本人が気付どうする事もできないことなのですが。
>むーんさん
多数派よりになってほしいのではなく、ただ「丸投げ利用は無理」ということにできるだけ早く気付いてほしいという願望はあります(共同生活のルールみたいな物なので取り様によってはこれも多数派になれなのかもしれませんが…)。注意欠陥だって別にいいんです。でも家が火事になったら困ります、例えば。だから勝手に部屋に入ってタバコの火を消す事もあります。逆切れされても『家族の安全』は譲れません。この辺が完全には放っておけない私側の事情ですね。
>ぴよよさん、
>極端な選択肢しか残ってないような
確かに、「極端な選択肢=弟の独立」を私自身考える事もあります。ただ考えが必ずしも現実的かというとそうではないので…他にも子供たちの事、年老いていく義両親の事など、一つ屋根の下で性格の違う者達が暮らすにはどうしても「最低限のルール」が必要で、でも弟にはそれも辛い事で…群に入らなくてもいい、ただ群の存在(ルール)も尊重してほしい、でもこれが上手く伝わらないんです。もっともっと長期的に物事見れるように私自身がならないといけないですね。
孤立に耐えられるのはASなのでしょうか?弟の場合は砂漠のライオン的孤立なのかと思っているのですが。
書き込みをしようと思っていたところ、まりさんがそれぞれの方々へコメントされていて、ちょっとズレた内容になるかもしれませんが・・・・。
前回のジャイアンの怒りの時は全くツボにはまらなかったのですが、今回はなんとなく(なんとなくですが)、解るような気がしています。(多少成長したのか??)
しかし、文章(思考)の範囲内でのことで、いざ、現実というか日常に置き換えると、なぜか怒る側ではなく怒られる側であったりもして・・・。
すでに息子さんのCDの話に移っているのに恐縮ですが、火を消す・・・という例えでいくと、我が家では私が止める側ですが、
「なんで火を止めるの!?」と怒られたり、「確か火をかけていたはずなんだけど、なんで消えてるの?・・・」と言われることがあって、以来「吹きこぼれそうになっていたから止めたから・・。」と言う様に変えました。
こういうのは、一昔前にあった{ホウ・レン・ソウ}みたいに、家庭における報告・連絡事項としての発言であって、そこには別に他意はない・・・というか、なくてもいい・・というか。
なので、二重買いを防ぐために、「○○買っておいたからしばらくは大丈夫よ」みたいなニュアンスとたいしてかわりは無いような・・・。
もし、ソレに対して裏の感情(負の感情??)を読み取ってしまうとなると・・・
う~~ん・・・でもあるんですけどね。
自分の周りのことで言えば、相手が私以外の対人関係でストレスを溜めている時に、それに近い現象が多発している感じがします。
とりあえず一時的なもの・・と考えることにして今は気にしないようにしていますが、長期に渡っていた時期もあって、つらかった・・・。
「信頼」という言葉が出てきていましたが、それがお互いに持てなくなってくると(持てないがゆえに)、一々「攻撃」に感じられてくるのか・・・。
相手だけではなく、社会だったり「自分」に対しても「信頼」できない・・・
となると、本人もかなり辛い状況でもあるとは思うんですが。
まとまらない書き込みでスイマセン・・・。
まりさん宅は我が家ですね
まりさんは私の父ですか?
こうかかれて客観的に読まされると
私がマズイことをしていることに気がつきます
ただやはりジャイアンとしては
ほっといてほしい
私の物に勝手に触るな
という野良猫気分大なのです
父は家庭は社会生活の一番小さな形。だから家庭で社会のルールを守るべし!
といいます
が
ジャイアンにとって
家庭は休息の場であり準備の場なのです
外でさんざん戦ってきてますから。
だからルールは無視して家族だけに通じるルーズさがあってもいいじゃん
と思ったりします
ルーズの結果が火事では困りますが。
ので牙をむかれるのを承知でルールをいうか
ほっとくか
の選択枝しかない気がします
ジャイアン母とは
火つけっぱなし!(怒)
鍵あけっぱなし!(怒)
言い合いますね
で、あらあらとなった時に
消した
しめた
と事実しか言わない
お互い自己つっこみが入っているのわかりますから。
これが私の理想系かな?
「あなたがやるべきことをしょーがないからやっといた」風に言われると
とっても嫌な気分になります。
あとは
自分の物放置したくせに勝手に触らないで
とかいってるのは
猫が自分の宝物放置して、触ると牙むいてる
位に思ってください
>Keiさん、
>「なんで火を止めるの!?」と怒られたり
これはうちでもあります。なので「報告」はします。もう一つの報告の役割は、常に誰かが火を消したりタバコに気付いたりできる訳ではないので、本人がその事実及びそれによって起こりうる危険や迷惑に気付くということがあります。これには時間がかかるので、こちらにも根気と忍耐がいりますね。
>相手が私以外の対人関係でストレスを溜めている時に
これもその通りです。「八つ当たり」の形になってる事が多いと思います。信頼については、無くなってきたのではなく基から懐疑的で、今までは遠慮があったがそれが無くなってきたという方が的を得てる感じです。信頼していない相手に丸投げをして決定権だけは持ちたい、となると本人も辛いはずです。私だって信頼できない人を利用せねばならない状況では不安とイライラに襲われると思います。
まりさん
義弟さんが滅茶苦茶自分勝手で、まりさんが母親のように困っているのは、よく分かったけど、ここでこうして書き連ねられても、解決策が見つからない・・・
一つ、思うのは、家の中に張り紙をしたらどうだろう。(AS父はこれをやります。)
「人の部屋に勝手に入らない」「煙草の火は消す」とか。
弟さん、もの凄く不愉快がると思うけど、(私もそうでした、)だんだん家の中のルールを仕方なく守るようになりました・・・
あるいは逆効果かも知れないけど、我が家で私に対して肉親がとっている対策は、こんなものです。_(._.)_あとは、ヘルパーさんのしっかりした「叱り」ですね。
(続きます)
あまり書きたくなかったのですが、ちょっとまりさんと義弟さん、共依存ぎみだと思う・・・
まりさんが、いくら家族の安全のためとは言え、勝手に義弟さんの部屋に入っているようでは、義弟さんに「息子さんのCDを勝手に借りるな!(プライバシーを守れ)」と言っても、説得力が薄いだろうと。
・・・多数派ヘルパーさんは、(どうせ人の家ですから、というのはあるが)火事になりそうであろうがなかろうが、私に味噌汁は作らせますし、病人の自尊心がどうあれ、叱る時は叱ります。
そういう肝をドンと持って接する事は出来ないのかな。・・・このままではかえって、「よくない甘やかし」だと感じますが。
>くららさん、
張り紙は良さそうですね。考えてみます。後は、牙をむかれる事に慣れることが必要かな…緒等に限らず家族に皆にとっても家は安らぎたい場ですからね。本当は牙など見たくないのですが。
>むーんさん、
CDの件で部屋に入ったのは息子です。勝手に借りるのはあまり問題ではなくて、壊した事を棚に上げて他者を責めて自己正当化する事が問題なんです(自分は勝手に息子の部屋に入り拝借したのに、俺の部屋には入るなというのもおかしいですが)。
ドンと構えて家の中の火(生死に関わる物)を放置することは私にはできないです。弟のプライバシーや尊厳などこの場合は二の次です。消して私が黙っていれば供依存かもしれませんが、めげずに注意し続けて子猫が牙をむいたと思えるようになろうと思います。弟が出て行って一人暮らし先で何が起きようがそれは放っておくことができますが。
私も我慢せずに怒り爆発(調子に乗るのもいい加減にしろ!何様のつもりだ!という風に)、、、させようかとも思い始めてます。
なんか色々やりかたはあると思うんですよね・・・
「家を火事にする気なら、必ず煙草はベランダで吸え、灰皿と椅子は用意する」とか。
・・・それより、問題はまりさんが義弟さんの行動を「ウラ受信」しすぎて、「行動」自体に合理的に対処できていない点が、問題だと思います。
対等に考えて、叔父さん(に当たる訳ですよね?)の部屋に、CD探しに勝手に入った息子さんも、当然叱らねばいけません。で、ないと義弟さんの立場がないです。
そういう些細な事が、積み重なって義弟さんのフラストレーションになっているのではないかなぁ。「腫れ物」に触るような態度をしない方がいいと思うけど。
>まりさん
コメントの回数を増すごとに、まりさんの言いたいことがだんだんクリアにわかりやすくなってきてます。(確か以前もそうでしたよね。)
>私も我慢せずに怒り爆発(調子に乗るのもいい加減にしろ!何様のつもりだ!という風に)、、、させようかとも思い始めてます。
とりあえず、これがいいと思いました。とてもわかりやすいし健康的だし。
我慢していると、その怒りが自分では気付かないうちにウラの言葉として現れてしまうこともあるんじゃないかと思います。それを義弟さんはキャッチしてしまうのではないかと思いました。
ジャイアンは嘘(本当は二番目の理由なのに、それが一番の理由だと言っている、というようなことも含む)を嫌います。そのかわり、どんなに醜い感情でも、世間的には口外できないような感情でも、とても独り善がりな感情でも、正直に話してもらえると「あ、そうなのね、それもあるよね、人は人だし」となり、その関係が成立してはじめて信頼に値する人間だ、と思うのではないかと思います。そうするとコミュニケーションがもう少しうまくいったり、「負の感情」も少なくなり爆発も減るのではないかと思います。(実際にここでのまりさんとのやりとりも、駆け引きじゃないんだから、出し惜しまず最初からそう言ってくれていれば・・・と思うことが多いです。)
これがうまくいけば、火事などの最低限のルールぐらいには歩み寄ろうかな、という気持ちが出てくるかもしれないのでは、と思いました。(そんなに簡単じゃないかもですが。)
「義弟のために」ではなくて、「火事は嫌だ」というまりさんのために、自分の本心に耳をすまして正直な感情を積極的に口外することを心掛けてみてはどうでしょうか?
そしてそのほうが、頭にモヤモヤを抱えて、抱えきれなくて結局滲み出させてしまっているより、健康的で清清しいと思います。
(しつこいけど続く)
弟さんは、現在無職=引きこもり、な訳ですよね!?だったら、「あなたの場合は、火を使わないで電子レンジを使ってね、お願い」とゆうとか。(引きこもりに「お願い」という言葉は、かなり有効だと本で読みました。)
で、いざ義弟さんが、一人暮らしになったら、ガスではなく電気コンロ式の台所がついたアパート(今、結構ある筈です、私も不便でしたが20代の時そうでした)を選べばよろしいかと。
・・・そういうのが結局、「頭を使う」ことだと思うんですよ。心理分析なんてしなくても、それで世の中渡っていける筈。と余計なことを今ふと考えましたが。
たぶんジャイアンACのnと申します。 まりさんのコメントを読んでるとナンだか、幼いころ母に怒られてた事を思い出します。
母は、転ばぬ先の杖とでも言うのでしょうか・・・何でもかんでも先回りして、それで後で私が文句を言うと、
せっかくやってあげたのに・・・親心がわからないのか?とか
あんたも親になれば、お母さんの気持ちがわかるよ・・・などと言っていました。でも親になった今、未だに母の気持ちはわかりません。っていうか、私は、母のようにはならぬよう息子に接するように、しているつもりです。
でもそのように接しているつもりでも、幼いころから蓄積されてきた私自信の観念・・・とでもいうのでしょうか・・・私自身の思いは、二つあるように感じます。
一つは、もともとの私の思い、そしてもう一つは、それを覆いかぶさるかのようにのしかかってくる、母親の考えです。
最近までは、いや 今でも、その母親の考えをもとに行動したり、言葉を発したりしている私に気がつくときがあります。でも、それはあくまでも母親のものであり私自身のものではない。
私はいつになれば、本当の私になれるのだろうか・・・
ぴよよさん
ジャイアンが怒る時
自分の縄張り、プライバシーが侵害された時
自分の立場をわかってもらえず馬鹿にされた時
感謝されるべきときにされなかった時
自分の思い通りにならなかった時(人や物事が)
こんなものかしら。
非常にジャイアン個人の主観的なことなのでぴよよさんに関わらず読みにくいかもしれません
そういう時は適当に持ち上げとくと機嫌がよくなります
またなるべく物事を勝手にすすめず
こーしよーと思うんだけど
といってくれるとトラブルが未然に防げるかと思います。
まりさんへ
ま、あんまりひどかったら
誰のうちだと思っているんだ
出てけ!
もありだと思いますが
出ていかせる前に教育することが必要だと思います
とにかく余計なことを言わず
ルールだというなら
家族皆平等なルールで皆を平等に評価しましょう
ちなみに私は
出ていけ×3回で出ていきました
毎朝息子が学校に行った後、神様に手を合わせて
息子が安全に学校へ行けますように・・・などとお祈りするのが習慣になっています。強迫観念のある私にとって、お祈りをせずにはいられないのです。
今日も祈っててふと思ったのですが、これって、結局は息子のためではなく、私自身の不安を解消するためなのだなァ。
今までは、息子のために祈っていたつもりなのですが。
自己中の野良猫は最高の表現ですね。自分は犬好きですが、性格はやはり猫だろうと思います。
ジャイアンも利用も利他もきわめて簡潔で的を得た表現だと思います。
恋人との関係、夫婦関係、親子関係も利用、利他という言葉が至極すんなりと受け入れられます。
それでうまくいけば、それは多数派のいわゆる愛情、親切と結果的には変わらないと思います。
むーんさん、
ここに書いてもしょうがないので書きませんが既に「色んな方法」は試したんですよ。それでも『分かっちゃいるけど止められない!』のが弟なんです。『お願い』を言った事もありますけど、、、『お願いされたからやってやった(ら失敗したとか)』方向に行ってしまうので止めました。
mmmさん、
出し惜しみしているわけではないのですが、ここでコメントが通じてないなぁと思って考えてると「あ、これも書いといた方がいいのか」と芋づる式に後から出てくる感じです。うーん、弟に通じてないときもそういう感じなのかな。多数派の言葉は気をつけているつもりでも説明が省かれてしまうようです。
くららさん、
出て行け!って言いたくなるときもあるんですけど、今はそういう時期じゃないなって思ってます。今はまだ現実的に出て行けない状態なので、責めるだけの言葉になってしまいかなと。出て行けるようになったら言うかもしれませんが。それまでボチボチ頑張ります。
で、カーペットが焦げました。。。2回目ですが、前回より焦げが大きくて。『この家が火事になって誰かが死んだりしたら、あんた責任取ったって遅いんだよ!?』と怒りました。少し反省したようです。今回は部屋に入った事を言ってきませんでしたので。
合理的ADHDかもしれないけろけろです。
ここしばらくのまりさんのコメントを見ていると
うちの多数派の義理姉に良く似ている事に気がつきました。
うちの義理姉も旦那のAS舅と多数派ACの姑に対して
なるべく波風立てない様に、刺激しない様に、時は自分の気持ちを抑えて付き合っています。
そうすると彼らは甘えてくるんですよね。それで振り回されて、疲れて私に愚痴る。
私からしたら自分がいやな事、譲れない事は相手が気分を害してもしたくないです。それで喧嘩になっても仕方が無いと思っています。
その為私には甘えてくる事はないので振り回される事もないです。
どうやら多数派は平穏でいる事が大事なんだなあという感想です。
社会においてそれはかなり有用な特性であるとは思います。
そして少数派が社会適応が難しいのも、その特性が足りないからというのもあるでしょうね。
しかし、少数派や、ACを抱える家庭内ではその特性は裏目に出るような気がします。
まりさんへ
>『吹きこぼれていたので火を止めた』と言えば『頼んでない』と返ってきます。
ありがとうを言う言わないの話ではなく、これは叱ってもいい状況だと思います。
「ほっといて火事になったらどうするの?あなただけの家じゃないのよ!」とぐらいは言ってもいいと思いますよ。
それで弟さんが切れようが怒ろうがほっといたらいいと思います。多数派にとっては波風の立つ状態はつらいと思いますが…。
(これが多分最後のレスになります)
・・・私も、nさんと同じく、引きこもり時の私とジャイアン母の関係が、義弟さんとまりさんの関係にダブるんですよ。
「弟は間違っている」「私は正しい」「だけど弟は不具だ」「私は心配で世話を焼いている、手放せない」このエンドレス。
・・・今すぐにでも、離れた方がいいように思います。義弟さんもいい年でしょう?まりさんが「母親」してる場合じゃないかと。
すいません投稿後リロードしたらまりさんの投稿が。
>で、カーペットが焦げました。。。2回目ですが、前回より焦げが大きくて。『この家が火事になって誰かが死んだりしたら、あんた責任取ったって遅いんだよ!?』と怒りました。少し反省したようです。今回は部屋に入った事を言ってきませんでしたので。
怒られたんですね。その方が少数派にはわかりやすいです。多数派にしたら少数派との付き合いは余計なエネルギーを使ってしんどいであろう事はお察しします。なのでまりさん自身を大事にしてあげてください。辛さをごまかして付き合う位なら放り投げてもいいと思いますよ。しかしそれが難しいのが多数派なんでしょうね。
昨日と同様、書き込みしようと思っているところで、まりさんのコメントがあったので、また周回遅れのような内容になりそうですが、お許しを・・・。
返信を読ませてもらって、相手(義弟さん)はまりさんに対してはじめから懐疑的だった・・とのことですよね。
となるとこれ、発達障害がある、なしにかかわらず、スタートの時点で友好的な関係を結ぶのがキビシイ状態ではないのかと・・・。
「アイツは信用ならねぇ。。」と思っている相手の言動なら、裏の感情しか感じられなかったりしても無理ないというか・・。
mmmさんの書かれているようなものを表に出さないがために・・・ということなのかもしれませんが、私なんぞ、関係の良好化に気を取られがちなACとしては、そういうものを出すというのは、「この関係はなくなっても構わない!!」くらいの覚悟を持ってして、初めて言える・・・というような感じでしたが(ひとまず過去形で)。
>説明が省かれてしまうようです。
・・・というのも、端折る箇所が微妙に違うんですよね。
自分と相手とで。
自身の経験では、そう思って全て(感情面も)言葉にしても、ダメな時はダメでした(笑)。
ほんと。
何をしても裏目にでたりして・・・。
なんでもかんでも他人のせいにしている時期のようにも見えるので、今この状況も、周りのせいで本人的には「自由」がないと思っているでしょうが、「この家にいるのも、出るのも自由なんだ・・。」というベースは言葉でなくても、ある程度必要かも・・・。
状況の変化についていけない(いけてない)のは本人も気付いているでしょうし(いないのかな?)。
>今までは遠慮があったがそれが無くなってきたという方が的を得てる感じです
・・・・ならば、まりさんを「内の人=身内」という認識が義弟さんの中に出来てきた・・ということでもあるわけですよね。
この先、状況はますます変化していく(家族構成だって増えたり、その逆も)していくと思う・・・。
そういうことにも(あらゆること・ものに)対しても、もしかすると不安感があるのか・・・。
相変わらず、まとめが甘くてスイマセン・・・。
>Keiさん、
懐疑的なのは私に対してではなく、自分以外の者/物に対してです。常に自分が正しく評価されていないという『前提』が彼の中に存在しているように見えます。
それでむーんさんのコメントを読んでいて思ったのですが、
>「弟は間違っている」「私は正しい」「だけど弟は不具だ」「私は心配で世話を焼いている、手放せない」
誰が正しいとかの問題ではなくて『火事は皆が困る』という話なのに、最初から攻撃されてると思い込んで肝心なところが見えていないために弟は明後日の言葉を発するんだなと。『間違っていて不具で世話のかかるダメな人間と』と自分を評価しているのは自分自身なのに、その評価があたかも他人にされた物かのように一言で怒ったりします。
弟が自分で自分に気付き認められるようになるまでの道のりはまだまだ長そうです。
>けろけろさん、
怒るっていうのは多数派にとっては疲れるんです。必ずしも波風を気にしているから黙ってる訳じゃないんです。ジャイアンは湧き上がってくる怒りを留めることなく表に出すようですが、まずはその「湧き上がってくる」というのがあまりありません。頻度が重なってようやく不満と怒りになります。怒りの元になる情報がInputされてからその感情がOutputされる前に冷却されてる気がします。だから『叱る』事はあっても、今回のように怒る事は少ないかもしれません。弟は『叱る(合理的な説明)』には屁理屈で反論しますが、『怒る』には反論しません。ただの「感情」なので言い返す余地がないって事なのかな…
くららさん、ありがとうございます。
>ジャイアンが怒る時
>自分の縄張り、プライバシーが侵害された時
>自分の立場をわかってもらえず馬鹿にされた時
>感謝されるべきときにされなかった時
>自分の思い通りにならなかった時(人や物事が)
>非常にジャイアン個人の主観的なことなのでぴよよさんに関わらず読みにくいかもしれません
いえいえ、大変参考になりました。
基本的に、相手への攻撃欲求って、無いに等しいですよね。
引っかかりは全部ご自分に関わることばかりなんですよね・・・。
ご自分の縄張り、ご自分の立場、ご自分の体面、ご自分の扱われ方、ご自分の正当な評価、ご自分の都合・・・。
引き替え私のようなASは“気持ち”情報交換大好きで、私の気持ちを伝えて、相手の気持ちも推し量ることや言い当てることをつい頑張るので、相手を間違えたら大外れになる危険がありますね。
そして、こういう勉強を怠ると、私の全人格を否定されたような錯覚も起こしてしまいます。
私が人から注意を受けるときは、過去の半生から、注意の話に割り込んできて私を一緒になって責め始める人や、後から何人もの便乗犯が私を罰しに次々攻めてくる記憶を、注意を聞くことと同時進行で思い出しています。
他の人はそうでなくて、そこまで構えてないことを知ったのは大人になってからでした。
ジャイアンはそれどころか、目の前の現実問題にしか目がいっていないものなのですね。(他の人からもウンヌンされて破滅してしまえ。)と思われているわけでは、ないのですよね・・・。いや、相手によるかもしれませんが。
>そういう時は適当に持ち上げとくと機嫌がよくなります
>またなるべく物事を勝手にすすめずこーしよーと思うんだけどといってくれるとトラブルが未然に防げるかと思います。
とても具体的で、助かりました。
他人の理解は難しいです。
なるほど、怒りは疲れるのですか。
義理姉にもどうしてそこで怒らないの?と思う事多々あったのですが、そういう感じなんですね。湧き上がる怒りをコントロールするのに疲れる私とは正反対です。
>弟は『叱る(合理的な説明)』には屁理屈で反論しますが、『怒る』には反論しません。ただの「感情」なので言い返す余地がないって事なのかな…
叱ってる人間には甘える余地があって屁理屈も聞いてもらえるけど、怒っている人間には取り付く島がないから甘えられない。という感じでしょうか?
結局は甘えを許すか許さないかの違いだと思います。「叱っている」最中でも甘えを許さない態度でいれば屁理屈もなくなりそうな気がします。
バグって書きかけのが消えた・・・記憶をたどって中途半端な文を書くのは本当に悔しい!
間違えました。私の記憶違いでした。
>他の人はそうでなくて、そこまで構えてないことを知ったのは大人になってからでした。
そうではなくて、年齢的な大人になってさらに年月が経って、発達障害を知って、リタリンで本当の覚醒状態を手に入れてからでした。
どんな人にどんな場面で注意を受けても、一人の意見は皆の意見に見えていました。私の中で所々空想に補われた多数派像ができていました。様々なタイプ別の人に言われたことでも、一人の意見ではなく皆が私に注意したいのだと信じ、自主努力としてその多数派像にマインドコントロールされていたかもしれません。私の中では、不注意が無い人全員が多数派でした。ジャイアン“傾向”とかAS“傾向”の者が沢山居ても、情報処理が追いつかなかったし、私の人の認識は、私以外の皆は基本的に通じ合っているのが前提でした。
そして症状が進むと、頭の中で勝手に過去の話が再生され続け、人が頭の中に住み着いて話し続けている状態になりました。
だから空想の中で、私の陰口すらも予測して、それに沿った対応を取れるようにシミュレーションしていました。
私の意志は、低覚醒の意識の中で、出てこようとしては押さえられる“生殺し”に常時会わされていました。
そこから覚醒力が救われたのが、滋養強壮剤であり、栄養ドリンクであり、そして毎日安心して飲める定期薬としてリタリンにやっと出会えたのでした。その裏切られない安心感で、私自身の意志が生き返ったようなものでした。
だから、空想から脱出しつつあるのです。分かってきたのです。
でも、再燃と現実の同時進行は終わっていません。
世の中に“他人”がいるかぎりこれは努力の限界で、薬が無いと終わりはこないでしょう。
・・・消えた文の切れ端も、きっと今日一日再燃し続けるのかもしれない! なんてうっとおしい! 対策を取らねば。
>常に自分が正しく評価されていないという『前提』が彼の中に存在しているように見えます。
>最初から攻撃されてると思い込んで肝心なところが見えていない
>ダメな人間と自分を評価しているのは自分自身なのに、その評価があたかも他人にされた物かのように
・・・これら全て、メンヘル系に少々難アリの人の持つ思考(考え方のクセ)の代表例のような感じではないかと。
多数派のまりさんが言う「本人次第」と、私が使う場合とではこれまた違うと思いますが(本人が本人であるなわけで 笑)、
本人が自分の思考のクセがいかに自分に対して害を加えているか(苦しみを作っているのか)が見えてきて、
それはどうやら一部にしても変えられる、
もしくは変える方法があるらしい、あるかも・・・という時期がくるのをひたすら「待つ」。
その間、ここの皆さんが書き込みされているように、
「どうにかしよう」とか、
「どうにかなったらいいのに」とかも含めて考えない・・・その気持ちは挑発的であったり支配的なものとなるから・・。
以前に人種の坩堝の話でまりさん自体、そういうパターンにはならない(なりにくい)、「純多数派さん」とも違うタイプの方かもしれませんが・・・。(やや決め付けですね、失礼!)
つづく・・・
「怒り」についての書き込みもとても参考になりました。
どうも、怒りのツボにはまらないのは、文字通り「疲れる」んです・・・。
もちろん、ACからの影響もありでしょうが、子供のころから、パワー不足で怒るほうまで、エネルギーが余っていなかったのかも・・。
>まずはその「湧き上がってくる」というのがあまりありません
・・・この辺も、どうもないんですよね、自分(笑)。
鈍いというのか。。
>怒りの元になる情報がInputされてからその感情がOutputされる前に冷却されてる気がします。
・・・冷却というより私の場合は、なにかしらの思考が先立って怒りではないほうへ進んでしまうような・・。
とりあえず、「不快」「不愉快」は感じていますが。
怒るのは疲れるけれど、ちゃんと怒りを感じる、というのは今後の課題かも?!
にしても、「今、私は怒ってるぞ!!」って感じてます・・っていうのも、なんか不自然??な気ももしますが(笑)。