ADHDとASを分ける基準は最近は「利用されることが平気か否か」だと私は考えている。別の言い方をすれば、「ASは過程、ADHDは結果」ということになるだろう。
理不尽なごり押しはジャイアンと愛着の対象に対する受動型ASとのどちらにも見られるが、よくよく見るとかなり違う。ジャイアンから見ると、受動型ASのごり押しは「効果がなくなるまでやり過ぎる」と見える。
ジャイアンから見ると「相手を怒らせるまでやっては目的とする結果が得られないので不合理」と見えるわけだ。子供でも叱られる寸前で引っ込めたりするのはジャイアンで、明らかに不利益になっても変な意地を通すのがASだと大雑把に言える。
ジャイアンには「結果がすべて」であって、手段は極端に言えば何でも良い。
対してASは、「過程自体に意味がある」様に見える。結果として自分の意志は通らなくても、それまでの「押し合い」とか「戯れ」のような愛着の相手とのやり取り自体に意味があり、「あえて言いがかりをつけてかまってもらう」というようなことで満足しているように私には見える。ジャイアンから見ると「不効率」とか「不合理」という風に見えることになる。
逆にASから見ればジャイアンは「現金」とか「人を人とも思っていないで冷たく利用する」という風に写るだろう。
この違いは、「非言語的なやり取りの使い方」という表現もできる。ASにとって重要なのは、愛着の対象との間の「やり取り」「戯れ」「関わり」であり、非言語的な意味の世界(例えば「記念日」とか「サプライズ」とか)が本質的に重要で、どちらかと言えば現実は二の次になる。
対してADHD、特にジャイアンには、そういう「牧歌的」「詩的象徴的」な世界よりも、「カネや実利の現実」が重要で、そういう意味では非言語的なやり取りは「実利的な目的を達成するための手段」でしかない。
これは非言語的なやり取り自体を目的とするASからすると許せないことだろう。
こういう意味で「ASには過程、ADHDには結果」が重要なのだ。
そういう説明をしていただくと分かりやすいです。(ジャイアンのことは自分で分かっているが、ASのことが)。
このブログに登場してたASの方で、ジャイアンたちから大人気で、私もまったく理解できないなーと思ってる人がいましたが、どうしてああいうことを繰り返し言っていたのかなんとなくわかりました。(共感するという意味ではなく、そういう思考回路の人がいるんだということがわかりました)。
ある特定の結果を求めて、そのために行動するんではなくて、ひたすら、自分の主張を言いたいだけ(しかも、ポエティックに)人なんだなーと思いました。なんかほのぼのしますね。(自分と関係ないASの人の話は・・)
私の勘は鈍いのですが、パパイヤさんの事例のかたはうすら見当が付くような・・・気がします。外れかもしれませんけどね。
そうですか・・・ほのぼのするんですか・・・。
私は、事例に上がったかたが対象ではありませんが、ASと主義主張を異とすると、ひどいときは私が幼児期から親に躾られてきた信条や良識すら否定された気分になります。こういうのを人格を否定されたと言うのだと解釈しています。
あらゆる我慢やあらゆる適応、朝起きることから始まる努力、これらを頑張るのは全部、ADD/ASを知らないまま培った信条が元になっていると思っているからです。
一方、こんな構造をしている自分の価値観も面倒くさいと思うこともありますが。
(ここからはパパイヤさん、怯えないでくださいね。少々誇張して表現するだけで、コメンターとしてのパパイヤさんには関係ないですからね。表現が未熟ですみません。)
でも、こんな努力や我慢の価値を軽く?(そう見えます。)受け流された上に、親しみのある第三者から可愛がられるASが居た日には、私の頭に火が点くことがあります。
それが愛着のある第三者だったら、嫉妬の対象として再燃リストに刷り込まれることもあります。
ASは、意識的にしろ無意識的にしろ、情緒的なフィードバックが恋しくて、求めてしまうものなのでしょうか。
そして、頑張りながらそれを競ってしまうものなのでしょうか。
誉めるほうは大して深く考えないで口にしてることもあるらしいですが・・・。
そこで戻ってくるのが、三つ前の記事の話で、ASの仕組みは“自己完結的自己中心的な世界の中で勝手に作り上げた想像上の他者”という存在が頭の中に発生する由縁の一つなのでしょうかね。
私が前に書かせて貰った“境地に達したASの先輩”も、それに引っかかるのかもしれません。
やたら情緒を込めなくてもASと関われる場合が一つだけあります。
双方とも正しいと感じる価値観の一致で、協力して仕事ができる場合です。結果の前に、やり遂げることが必要とされている場合です。
あんまり・・・そんな出番には恵まれませんが。
自分がジャイアンなのかASなのかわからなくなってきました。
ただ、身近なASの人に関して言うと、メールもしゃべり方も、独特の言い回しがあって長い、ということです。それで結局何が言いたかったのか、よくわからない・・・。
本人は、わかりやすく言おうとして、何度も言い直したり具体例をあげたり、いろいろ苦労しているのはわかるのですが、それをすればするほど、その人独特の言い回しが濃くなって、余計わからなくなってしまいます。
自分の家族にもASがいるのですが、主義主張が飛び交い、それが微妙に会話になっていなくて、よく観察すると「一方的に話して満足」な状態になります。なのに「話したんだから、理解してくれているはずだ」的なことになっていて、ますますややこしくなっています。
「理解してくれているはずだ」と認知しているため「○○してくれて当たり前」的な発想につながっていて、こちらが気がつかないでやらないと、「気が利かない」って言われちゃいます。
でも、私もプロセスにこだわったり意地を通そうとするところはあるので、ASなのでしょうか。
・・・まだまだ勉強不足ですね。
ASは「いつもの粘着」、ジャイアンは「手を変え品を変え」ってところでしょうか。どちらも相手の迷惑省みず…ですが。
これまで、精神的に追い詰められ、いまだに思い出すと頭痛がするような上司というのが2名いましたが、彼女ら(どちらも女性!)は依存型ジャイアンだったと思えます。
部下にパワハラ(「悪いのはあなた、わたしはあなたのことを思っているのよ…」と精神コントロールかける)する一方、自分の上司に対してはやたらベッタリしていましたが、その割に評価が低く都合の良い女になっちゃっていたのが印象的でした。
自分もジャイアンなので、ジャイアンの敵はジャイアンなのか…??
社内には、AS困った偉いさんもいますが、彼らに対してはけっこうみんな、「攻略法」を編み出して対処しているようです。パターンが読めるってことですかね。
連投すみません。
そういえば依存型ジャイアン上司は、部下を利用し上司に尽くしていたのに自分の評価が低いということには気がついていました。それで評価を上げようとまた部下を追い詰めてあれこれやるんだけどやっぱりダメだという…
部下を追い詰める際のジャイアン的手際のよさ?と、上司に評価されようと必死な姿の2面性が面白い、と今は言えます。
>sakuraさん
>自分の家族にもASがいるのですが、主義主張が飛び交い、それが微妙に会話になっていなくて、よく観察すると「一方的に話して満足」な状態になります。なのに「話したんだから、理解してくれているはずだ」的なことになっていて、ますますややこしくなっています。
うちの夫はそんな感じです。
あっさりと「わかってると思ってたんだけど」というので、こちらはブチギレです。
「こちらが理解しているかどうか確認しろー」と毎回言っているのですが、「理解してないかもしれない」という発想がないかも。
でも逆に、こちらが「わかってるフリ」とかしてもコロっとだまされて喜んでいるのである意味ラクかも…??
結果よければすべてよし、これがジャイアン小生の処世訓です….
こんにちは。
過程と結果の違いがわかりません。
研究します。
>この違いは、「非言語的なやり取りの使い方」という表現もできる。ASにとって重要なのは、愛着の対象との間の「やり取り」「戯れ」「関わり」であり、非言語的な意味の世界(例えば「記念日」とか「サプライズ」とか)が本質的に重要で、どちらかと言えば現実は二の次になる。
AS旦那と付き合い始めにそういう事がありました。
旦那は誕生日のプレゼントの中身は知らせずに私にあげたいと思っていたのですが、私がどうせ貰うなら好きな物が欲しいので指定したいと言ったら(合理的判断。情緒なしですね。)すごく不満げでした。(笑
おそらく彼の頭の中では私にサプライズのプレゼントをして私が感激しているイメージが出来上がっていたのでしょう。そのプレゼントが私のあまり好まない物かもしれないのに…。
そういうファンタジーは私には無い事は無いのですが、うっとりと浸る前に、「それ、相手が気に入らないものだったらどうする?確信が無かったら、相手に聞いたほうがいいかも。」と突っ込みが入って現実に戻されます。
ADHDの私から旦那を見るとファンタジーの世界の住人の様に感じる時が多々あります。
久しぶりの書き込みです。
年明けのテーマは、再びASを認識する内容で、
>「効果がなくなるまでやり過ぎる」
>「相手を怒らせるまでやっては目的とする結果が得られないので不合理」
その通りの旦那を思い出して、怒りが込み上げてきました。
>自己突っ込みを日常的に体験し、言わば24時間自分を責め続けている
・・・そんな私にとって、簡単に済ませられるようなことを、しつこくクドクドと熱く語られると、イライラします。
私は、長い年月をかけ、社会性を学習してきました。
最近は、周りから浮いてしまう自分の脳を知りましたから、
社会では、上手くやってる誰かの真似をしながら頑張って生き、
プライベートでは、本来1人が気楽だったことを自覚し、1人を満喫しています。
だんだん相手のことが分かるようになってきて、
ASな男性に母性本能をくすぐられてしまっていた過去の自分に気付き、
ASな男性が依存してくることを煩わしいと感じている現在の自分に気付きました。
多数派の人にも気付けるようになりました。
今の職場は、発達障害者率の高い職場のようで(多くの人が言っているから、間違いないでしょう)
結局、3年以上努められているのは、そういった環境だからなのでしょう・・・?
多数派の多い職場でのいじめは陰湿でした。
胃潰瘍になり、自律神経失調症は悪化し・・・
けれど、それはいじめではなく、不合理なだけであったのかもしれない。
それでは、私を責め続けた上司は、多数派かAS傾向にあったのか・・・今更考えてしまう。
多数派は社会性があり、そこまで人を追い詰めないのかな?それとも、発達障害よりタチの悪い『陰険な性格』なのでしょうか?
色々思い出されて、胃が痛みます。
AS夫と一緒に仕事をする事は困難の連続でした。
仕事が軌道に乗るまでは些細な失敗が大きく収入に響き、修羅場を何度も経験しました。
只でさえコミュニュケーションに問題を抱えているのに、その上困難な仕事を抱えてしまいました。思えば、目隠しをして(罵り合いながら)ロッククライミングをしていたような感じです。我ながら良く生き延びたと思います。
「AS(夫)は過程に拘り、ADHD(私)は結果に拘る」
仕事への姿勢がこれでした
稼がなければ食べていけません。
AS夫が私のやり方(結果重視の交渉術)を非難し、私はAS夫の生活を省みないバカ正直な姿勢を非難しました。
当時は今日のご飯もどうしようというところまで追い詰められて、それでも持論を曲げない夫を「無責任、奇麗事、偽善」だと思いました。何より、私を(生活を)守ろうという気持ちが無いのだと思ってしまいました。
夫の訳の分からない持論に豪を煮やして、自分が前面に立って、ごり押しもしましたが、ほぼ失敗。ただ・・若かったので、周囲(多数派)の善意に支えられて希望を通してもらえることもありました。また、仕事の性格上、私のごり押しも無ければ先に進めなかったのは事実です。私の結果重視が窮地を救った事もあったし、間違った妄想の為に全てを壊した事もあったのだと思います。夫の特殊な考え方のおかげで、今に繋がっているのだとも、今は思えます。
詰まるところ、どちらか一方のやり方を世間にごり押しするだけでは、世の中に通用しませんでした。今は状況を判断して、どちらか一方が全面に出たり、引っ込んだり、諦めたりしてお互いに調節します。ただ・・諦めることが出来ても私の結果重視は変えられないし、夫は私に目をつぶる事が出来るようになっても過程への拘りを捨てられないみたいです。
夫を認められるようになるまでは挫折を繰り返し、まるで修行僧のようだったと思います。仕事は結果に直結していると実感します。私達の特徴が良い方向へ向かったときだけ、前に進めたようです。でもそれは本当に普通なら堪えられないと思うほど、苦難の連続でした。
またコメントします。
昔、元旦那とコミュニケーションが全く成り立たなくて困ってましたが、このエントリを読んで謎が解けたような気がします。
結婚する前、「結婚相手として考えられないから別れたい」とかいろいろ言って別れようとしていたんですが「ほんとは結婚したいのに俺が結婚しようと言わないからすねてるだけ」とか訳のわからない解釈をされて結局別れきれずに結婚してしまいました。メールアドレスや電話番号を変えて逃げようともしてましたが(偶然引っ越しとかもあったので)手続きのタイミングが合わず、逃げ切れませんでした。(いい年してこんなこと言うのもどうかと思いますが。。自分の行動に責任をとれよとか・・)
結局、結婚後、別居、離婚となったときに連絡先をすべて変えて連絡がつかないようにしたんですが、(連絡があるときは私の親のところに連絡してくれと言った)そこまでしてやっと、「ほんとに自分と別れたいんだね」と納得したようです。行動で示さないと、言葉は全部、裏を裏をと読まれるので。。。
(親を連絡先に指定したのは、根性無しの元旦那は、私に直接ならごちゃごちゃ言ってこれるけど、私の親宛には言う根性ないだろうと踏んだからです。その通りでした。)
どうせ今になって連絡先全部変えるなら、結婚前の時に万難を排してでもやっておくべきだと後悔の嵐です。。。まあ子供がかわいいからいいんですが。おかげで自分の人生を振り返ることもできたし。
>まあ子供がかわいいからいいんですが。
パパイヤさん。お子さんはまだ小さいのでしょうか?
『かわいいから・・・』なんて、羨ましい限りです。
ウチは、未だに離婚に至っていません。
別居生活を5年も送り、今となっては再びASと話し合いを持つなど、関わるのがあまりに苦痛で、そのまま放置している状況です。
そして、子どもは年々旦那にそっくりな思考になっていき、
「だから、話が通じないって(旦那に)言われるんや」と母親に向かって怒鳴る娘を、とうてい『かわいいからいいんです』などと、言えないようになっています。
すぐに学校を休むという選択をする娘は、とうとう単位を落としてしまい、私が落ち込んでいるところに学校の先生から「単位が落ちてしまい・・・」などという電話が入ったもんだから、わたくしはブチ切れました。
そのことについて会話しているのに、本題からどんどんズレ、「いつもそう」「お母さんだって」exと全く言い訳にもほど遠い、高校生とは思えない幼稚な暴言を吐き、ついには「話が通じない・・・」と、父親と同じセリフを吐いた。
そして、娘はAS(だろう)らしく、『過程』をごり押ししてきたので、しつこく『結果』(単位を落とした)を言い通してやった。
もはや、母としての理性などない。
結果を出せないで、ウンチクたれたり、過去の事を鮮明にほじくり返して(相手を)責める・・・そんな人間は、イライラします。(私は、過去は結構忘れてしまうので…)
今現在を頑張って下さい。
そして、頑張りに対する何らかの結果を出して下さい。
それは、いい成績とかのことを言っているのではなく、学校に行き通した、ということでもいいんです。
娘の顔色を見ながら頑張りの過程に付き合った結果がこれでは、自分の結果として、やり切れない・・・。
※ADHDの母親側からの意見(怒り)でした。
娘の立場の方からは、お叱りの意見もあるかと思います。。。
YANBARU先生、ちょっと話がずれてすみません。
ひまわりさん
思春期の子供は大変と言いますね。
とりあえず、高校生とかになると学費が大変だという噂を聞くので、その対策は最近しました。
が・・。一人で育ててると、精神的に大変なのかなーと思ったりもします。(だんだん(朝ドラ)でも石田ひかりが栄作に電話かけたりしてたし・・。私はぜぇったいしない。何があってもしない。そう思うと精神的に頼れる相手を作っといた方がいいのだろうか。。。とかいろいろ葛藤が。)
ところで私は昔から、子供が中学くらいになったら全寮制の学校に入れるか丁稚奉公にやるかしたいと思ってました。小学生くらいならかわいいと思えるが、図体がでかいのに家の中うろうろされてもうざいだけだ、なんでそんなやつの家事をせねばならないのか、と思ってたので。
学費は出してもいいけど、(家賃払えないだろうから家にいてもいいけど)身の回りの世話は自分でやってよねー、私も(異性関係以外は)口出さないからー、と今も思ってます。当然大学とか社会人になったらすぐ家から出てってほしい(そして早く結婚してほしい)と思っています。