AC、人格障害関連

鬼母の娘

 非常に悲しいパターンを実はよく見かける。
 鬼母は正しかったのだが、その娘は「鬼母の裏を行こうとして、依存型ジャイアンや受動型ASに引っかかる」という図式だ。

 「自分は鬼母ほど子供を突き放して育てたくない」「家庭的な温かい家庭を持ちたい」という一見当然の希望が、その子供を育てる際に「この娘自身が鬼母になれない」という大問題を引き起こす。孫のジャイアンはフォローされたり管理されすぎたり甘やかされすぎて、いずれも依存型ジャイアンへの道をたどる。
 
 実はその前に依存型ジャイアンの男性の、「一見表面上優しい」ことにまんまと引っかかってしまう。鬼母の娘は現実的には非常に実力を持つので、夫に少々経済力が無くても持ち前の根性と強迫的な努力でカバーしてしまうことは可能なのだが、結局子供が出来てみると依存型の夫は「子供と依存を争う」という非常にみっともない図になり真相がはじめて分かる。

 大事なことは鬼母が正解である、間違っていない、娘も子供がジャイアンである瞬間に鬼母と同様の育て方をするしかないという真実を分かっていることだ。

 私がケアしている実際のケースでは、結局夫の依存型の本性を見てしまうと、離婚までするしかないケースがほとんどだ。

 現実問題子供のジャイアンを依存型にしないために、依存型のモデルを提供し続けている夫を切り捨てるしかないという図式になる。

 ごく少数の例外は、依存型ジャイアンの夫自ら「自分が無い」という自らの本質を理解して認知療法を行い、「時間的継続性」「責任」「意味」「他者」の説明を行って合理的強迫的ジャイアンへ転換する道をたどり、破綻しないわずかの可能性を探ることは可能だ。

 母は正しかったのに、娘はあまりに過酷であるゆえにその正しさを理解できず、自ら共依存への道を選んでしまう。非常に悲しい典型的なパターンである。


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コメント

    • あまがえる
    • 2010年 3月 15日

    あまりに過酷故にその裏を行こうとして失敗するとは悲しい例ですね。
    離婚を現実的な解決方法として使用するのが興味深いと感じました。

    • YK
    • 2010年 3月 15日

    もしかすると・・・・。
    うちの母方の祖母は、母を徹底的に虐待し、手厳しくしつけた。
    母は祖母のようにはならないと言うのが口癖だった。
    しかし子供を虐待した。
    しつけと称して・・・。
    でも、子供の身の回りの事は母が完璧にこなし、管理し
    お手伝いも、嫌がる子にさせるのが面倒になったので自分でしていた。
    つまり、悪いことや言うことを聞かない時ひどい目にあったが、基本的生活習慣に関しては放任だった。
    それで私は見事な依存型ジャイアンになったのかしら?
    だとしたら、この「鬼母」は徹頭徹尾鬼母でなくてはならないことになる。
    は~、「鬼母」ってたいへんですねぇ・・・・。
    ちなみに父は、亭主関白、DV夫でした。(祖母による強制見合いでしたからねぇ。)

    • nori
    • 2010年 3月 17日

    依存型ジャイアンからジャイアンに戻る方法は「時間的継続性」「責任」「意味」「他者」という治療を行うことが必要条件なんでしょうか。
    昔の記事で上記の治療法の詳細を見たんですがどうも自分一人で実行するのは難しいかなと思いまして・・。
    母親は「The ジャイアン」なんですが僕には依存していました。ということは、先生もおっしゃっているようにジャイアンには誰にも依存傾向があるということなのかなと僕も思います。
    なので「依存型ジャイアン」を幼少期からの育て方で元々あった依存が増幅したものと考えると、自分の依存を徹底的に排除していくことでジャイアンに戻ることはできないんでしょうか。
    その結果、時間的継続性諸々も自然と戻ってくるということはないんでしょうか。
    PS 次のクリニックでの健闘祈ってます。

    • jumi
    • 2010年 4月 22日

    ■「家庭的な温かい家庭を持ちたい」
    ■「一見表面上優しい」ことにまんまと引っかかってしまう
    ■夫に少々経済力が無くても持ち前の根性と強迫的な努力でカバーしてしまうことは可能なのだが、結局子供が出来てみると依存型の夫は「子供と依存を争う」
    ■子供のジャイアンを依存型にしないために、依存型のモデルを提供し続けている夫を切り捨てるしかないと
    ちなみに夫は受動的ASですが、「自分がない」人と一緒にいても、会話はこちらの問いに答えるのみ。リアクションのみで自分からのアクションがない。まるで壁打ちをしている気分です。不仲なわけではないのに一緒にいるとこちらの気力が奪われます。こちらがひっぱっていかなくてはいけないのが腹立たしい、男のくせに。ひっぱる力もないのに自分だけが我慢をしていると言われるのが許せない。夫婦間だけの問題だけじゃなくて子どもへの影響が、、、自分の特性(ジャイアン)も含めて、、考えさせられます。

    • 2010年 5月 18日

    これはこれは、私のような人が多いのですね、、、。
    そうです。私もジャイアンな母親のような「独裁者の支配する家」にはすまい、と思って、優しい夫と結婚したつもりだったのですが、これが、、、。結婚してフタを開けてみたら別人になっていました。優しいのは外の顔だったのです。
    現在、夫の実家は「外の顔対象」になっているので、夫のご両親は「息子は変わった良くなった」と言ってますが、、、違うんですよ、お義母さん。
    夫、結婚して子どもができてみると、母親以上の独裁希望者でした、、、。
    実力もないのに空威張り。驚くほど無責任。
    そしてそれをすべて自分は正しいとゴリ押しする。
    妻にかなわないと子どもを支配して悦に入る。
    妻をどうしても抑えたいときには、暴力をにおわせる。
    言っていることとやっていることがほとんど違うので一切信用できない。などなど、、。
    あと特徴的なのが「うん」と言っておいて、まずほとんど約束を守らないというか、あれってなんなんでしょ?嫌なら「無理」と言えばいいのに周囲は混乱します。周囲の混乱を喜んでいるのですかね?「台風の目になった」と。
    もともと鬼母に育てられて自分がACになっていたから引き合ったのでしょうかねぇ、、。知り合ったとき、人生のどん底でした。そして今更自分を取り囲む状況が分かりかけてきたという、、。人生半分、一体何やってたんだろ?
    さっぱりとさよならしたいです(^^)

    • 182
    • 2014年 8月 19日

    当初の目標は「長女を依存型ジャイアンに育てたくない。そのための育て方のヒントが欲しい。」という事だったんだケド、何だか最近はどうあがいても無駄な気がしてきました。
    娘に対して私は既に「鬼母」状態ですが、とっとと自立させれば案外自分で何とかするんじゃないの?と思ったりして。
    最近あれれ?と感じるのは逆にASD長男の方で「もう!ママ何とかしてよ!」と怒るのはヤメレって感じです。
    3歳まではASD長男の方が育てやすかったのに・・・。
    ちなみに、昨晩ネットがつながりにくく、夫が激怒しながら「ねぇ!何とかしてよ!」と言う姿が息子と重なってウンザリでした。
    もひとつちなみに、ウチには実はもう一人2才前の息子がいます。
    定型なんで話題にするネタが無かったのですが、彼が幼稚園に行きだしてから、グググーンと発達障害者と多数派社会との関係への理解が深まりました。
    と言うのが、先生たちの態度が「露骨」に違うんです。(良い意味で言ってます。)
    思わず笑っちゃうくらい露骨です。夫に言わせると、「障害者と健常者で態度が違うなんてプロ失格」と怒り気味ですが、私は「なるほど~」と感心するのですよ。その露骨な態度の違いに。
    今まで、私と目を合わせようとしなかった先生まで挨拶してくれる様になりましたもの。
    こっちが挨拶しても目を合わせなかった先生が自分から話しかけてくれて、「今日、長男クンは~で、長女ちゃんは・・・。」なんて子供の様子まで話してくれるようになりました。
    印象としては、やっぱり上の二人が発達障害で扱いにくい事を「親の育て方が悪いから」と思ってたのかなって感じがします。
    「育て方」というレベルを遥かに超えて「違う」と理解してくれたのかな~と私は思っていて、だから「露骨に態度が違う」は私にとって嬉しい違いです。

    • 182
    • 2014年 8月 20日

    > 3歳まではASD長男の方が育てやすかったのに・・・。
    と自分で書いて、それで今まで漠然と頭にあったものが少しまとまりました。
    前提として、ウチの長男は自閉は中程度、知能は軽度の遅滞と言われています。だから育てやすかったんですよね。
    とにかく、何もしない。なので親を困らせる事もしない。
    教科書通りに世話をしていれば何の問題も無い。
    反対にジャイアン長女はウンザリするほど親を困らせる。が、動きがある。知恵があると感じさせるし、社会に対して積極的にアクセスしてくる。
    親の立場からすれば、親を困らせる事無く、大人しく、のんびりした良い子の長男の方に「発達障害」の疑いがかけられた時は目が点。
    「んなバカな!」が正直な感想で、実際、保健師に専門機関に行く様に勧められた時は「この子は育てやすいんです!問題ありません!」と言ってしまいました。
    今にして思えば、熱心な保健師さんで
    「言葉はまだ出て無いケド、私とは意思疎通できてるので問題ありません。」と問題を否認する私に
    「それは、お母さんだからですよ。これから長男君が社会に出て、お母さん以外の人とうまくやっていけなければ困るのは長男君ですよ。」と説得してくれました。
    実際、2歳半を過ぎた頃、外に遊びに行く機会が増えてくると、外では内とまるで違う問題を起こす事を経験し、ちゃんと診断を受けておいて本当に良かったと思ってます。
    私自身がADHDである事もコレがきっかけで診断がついた訳ですし。
    また、ここで発達障害の知識をつけている事、脳内のモニャモニャしたイメージを書き出してみる事は、本当に私にとって意義深いです。

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