私はかなり努力しているが、やはりジャイアンであり、ジャイアンならではの弱さもみっともなさも当たり前に持っている。
某大手の掲示板での私に関連した(私は何も知らない)トラブルも、親切に教えていただいているのに、見るとカッとして感情のコントロールが困難になる可能性を想定して実は自分では見られないでいる。(表面上は「ばかばかしい」などと見栄っ張りな嘘を言っているが)
例えば免許の切り替えで「違反者講習」が来ても、落ち込む気持ちがどうしても生じてしまう。
要はジャイアンは醜い存在なのだ。そしてそれを合理的な部分は許せないのだ。
こういう「否定的評価」に対して、ジャイアンは「うつになる」ことがある。私も一時「体が重いとはこんなことか」という感じがして、危ない危ないと思い直した。
「思い直す」方向は、実にうつ病の認知療法の正反対な方向だ。
「そもそも自分を高い所に前提しているから落ち込むことになる」
「そもそも自分はそんな大したものだったか?」
「厳しかった当時のどうしようもなかった自分のことを忘れるな」
「あの当時のことを考えれば普通に働けているだけでも社会や家族に感謝しなければならない」というような自問自答を繰り返す。
逆説的であるがジャイアンはこれを言い聞かせることによって「うつ」から逃れられる。
問題は「前提」の部分で自己評価が高すぎる状態になっていることにある。何も考えずボーっとしているとこの高い自己評価のところに「落っこちる」のだ。
一生懸命に意識して上記の自分の本来の評価を自分に言い聞かせ続けると、やっと頭が働きだして「うつ」になりそうな底なし沼から足を引っ張り出せる。
とは言っても、やはり件の掲示板を直視する気持ちにはなれないのであるが。(こういうのを「先延ばし」という)。
私の主治医は、「どんなこともバランスだよ」と言います。
私が完全に傷つかない人間を目指してしまうからです。
>とは言っても、やはり件の掲示板を直視する気持ちにはなれないのであるが。(こういうのを「先延ばし」という)。
これは先延ばしでもなんでもないと思います。
誰だってそんなもの見たくないです。
傷ついて嫌になって当たり前です。
先生、そういうものは見ないのが一番賢明です。
先生が一生懸命やっていることは、ここのブログに通っている人なら誰でもわかっていますし、何より先生には先生を信じて支えてくれる家族がいらっしゃいます。
私も過去にネットで嫌な思いをしたことがあるのですが、そのとき私の父は、「ネットを止めろ」と言いました。
主治医も同じことを言いました。
そしてネットをやめてみたら、ほとんど不安にならなくなりました。
現実生活に戻ることができました。
今でも過去のネットのことを思い出して不安になったり嫌な気持ちになることがあります。
でも、ネットで他人が晒されているのを見てあれこれ言う人がいたとしたら、私は、わざわざそんな情報を見てあれこれ言う人こそ、嫌な人間だなと思います。
もちろん、晒す人間は問題外です。
匿名掲示板には様々な嫌な情報が書かれていますが、そんな情報を現実生活で話していたら、まず間違いなく嫌われますよ。
先生、普通に生活している人は、そんな情報見ていません。
それに、そういう情報が書いてあったとしても、それに惑わされることはありません。大丈夫です。
しばらくネットを離れて、どうか心を落ち着かせてください。
(この書き込みはネットに掲載しなくていいです)
YANBARU先生、「ばかばかしいから見ない」のは「先生の脳の合理的部分が正しく判断した結果である」と思います。
だからその正しい判断に従って、低俗なものは見ないことがいちばんです。
感情のコントロールが苦手なのはもうジャイアンに共通の悩みで、私なんて1日に何回カッ~!!とすることか・・・
先生に教えていただいた「低い自己評価」がとてもうまく機能しているときは、カッ~!!を瞬時に打ち消す(内側に吸収するような)感覚も数回体験できました。
以前に自分で自分を責め過ぎて「うつ」っぽくなったときも「低い自己評価」で自分を抹殺?することで逆に長引かずに済みました。ありがとうございます。
私も周囲のジャイアンも、もともとの自己評価が高いのは何故なのでしょう。二次障害で精神のバランスを崩しかけて、「他人より優れた能力」を必死に探して、それを一生懸命自分の脳に刻みつけた「自己防衛反応の名残り」なのかなと、ふと思いました。
私を含めてジャイアンがすぐに反応してしまう(ほんとうにパブロフの犬みたいな条件反射)のは、ADHDの良い面でもある「正直、純粋、裏表がない」「完璧な合理的」からきているのではないでしょうか。
多数派が、「言わせておけ」とか「相手にしない」とか「勝手にやってろ」とか、自然にフィルターにかけて無視するようなことがジャイアンの脳ではフリーパスで通過するうえに、良い面が「それは違う!!」とまともに対応してしまうからなのではと思います。
この弱味につけこんで、わざと怒らせる(としか思えない)人が私の近くにもいました、過去に。今は無視に成功しています!
あ、、ジャイアンは過小評価でしたね。。新しい情報ばかりを取り入れすぎて、すっかりそのことを忘れていました。
なので、ノートにメモしました!
とりあえずこの「過小評価」を指針にしてみます。
>何も考えずボーっとしているとこの高い自己評価のところに「落っこちる」のだ。
この表現にはなんだか可笑しくなってしまいます。でもまさにその通りですね。
某掲示板の書き込みは相手にしないほうが賢明ですね。
生身で繋がっている人間は匿名で繋がっている人間に比べてネット上ではかなり不利なことが多いですし。。。
ASも子供の頃は、中傷されると耐えられずに反撃します。
ASの場合は、相手は馬鹿だと認識することによって、「相手は馬鹿なのだから仕方ない」と自分を納得させることになります。
これは、自己評価が高くないとできません。
実際このようなことが起こった場合、結果を見て自分の方が正しかったと後で証明できれば、「相手が馬鹿だ」の仮説が強調され、いつかは、そのような形で流せるようになります。
ADHDの場合は、自分ひとりで解決しようとすると、自分を抑える「擬似AC状態」というのは合理的な方法の気はします。
でも、これができるのはYANBARU先生やエイトさんがそれなりの自己評価があるからではないでしょうか?
自己評価の低いジャイアンは、自己防衛をするために高い評価を求める形で傲慢な行動を取る(実際は表面上高い評価を得られるだけだが、本人はそれで十分)のではないだろうか?(実際は対極のACになる人もいるでしょう)
たぶん、ADHDは理想が高い故に自己評価が下がりやすい、そういうことのような気がします。
掲示板を見ない、というのも自己評価を下げたくない、という自然な防衛本能ではないかと思います。
というのも、私に全面肯定されて自己評価があがっている元婚約者(戻ってはきましたが、肝心なところは軽くあしらわれています)も某掲示板で非難中傷されていましたが、彼女がどうしたか? 「こんにちわ。◎◎は元気です。」みたいなたわいもない話を書いて去っていきました。
これはASには無理です。誰からも愛され、高い評価を得たいことが欲求となるADHDにとっては、殺伐とした空気を一瞬に変えてしまう。こういうのが持ち味なんだな、と感心させられました。(私と出会った頃の彼女なら、絶対ブチきれか死にたいモードになったはず)
というわけで、ここで皆さんで先生を肯定するのが、一番いい解決方法なのではないでしょうか?
私は、このサイトが日本で一番発達障害を理解するための現実的な対処をしていると思っています。
理論的には他にもすぐれているところはあるでしょうが、ここほど現実に応用できることが書かれているサイトはほかにありません。
臨床経験を通して、発達障害が現実に生きやすい方法を模索する今のやり方を続けてください。
私もその掲示板は馬鹿馬鹿しくて見ていません。
>某大手の掲示板での私に関連した(私は何も知らない)トラブルも、親切に教えていただいているのに
これがちょっと気になりました。
ASの私は子供の頃、愛着対象(母親と家族)以外の人とはほとんど話せないぐらい人見知りが激しかったんですね。
大人になってから母親に「親戚の○○さんが、昔あなたのことを可愛げのない子だって言ってたよ」と言われ、その時は落ち込んだのですが、しばらく経つと「なぜそんなことをわざわざ(しかも今更)私に言う必要があるのだろう」と母親に怒りを覚えました。
なので、そういうことをあまりにも親切に(?)本人に伝えるのもどうなんだろうと思いますね。
何も知らないのに、無責任なことを書いているかもしれませんが・・・。
話が逸れるのですが、今の社会はイライラが蔓延している感じで、人をけなして笑いを取ったり、ニュースを見ても殺伐とした事件ばかりでなんだか悲しくなります。
発達障害とか多数派とか関係なく、「人として」のモラルが欠如している人があまりにも多いように思えてなりません。
発達障害の人が生き辛くなっているのも、今の世の中があまりにも息苦しい証拠ではないでしょうか。
発達障害者自体は昔から存在していたわけですからね。
今の私は、鬱で社会不適応な一人のAS当事者に過ぎませんが、少しずつでも世の中を良い方向に変えていけないだろうかと日々考え、できる範囲で実践しているところです。
だいぶ話がずれてしまいましたが、やんばる先生のHPとブログはとても勉強になっているので、自分の生き方を模索するためにもこれからも是非参考にさせていただきたいと思っています。
自分に言い聞かせることも効果がありますね。
僕は日々自分を励ましながら技を磨くと言う習慣があります。
自分を励ますことをしないときはさほど上達せず、壁を乗り越える事ができませんでした。
しかし、自分を励ますことをするようになると壁を乗り越えだしました。
頑張るのはあとあと肉体的にも反動がくるので良くないですが、自分を励ますのは良い結果を生んでいます。
僕は自分を過小評価しているのがベースにあるのかなと思いました。
見ないでいいと思います。
無駄に自分を傷つけることは無いと思います。
この前、故郷のホームページに故郷を侮辱する内容がありネット上で匿名相手に大げんかしました。
アスペな僕は本名でやりあいました。
結果、僕が注意を受けましたよ。
ネットで謝罪して。
だいぶへこみました。
ジャイアンもアスペも全ての現実を受け止める必要は無いと思います。
多数派の人達は、アホみたいな不都合は相手にしないという方法をとるし。
昇華ばかりでなく逃避もいいじゃないですか。
先延ばしなんて政治業者のお家芸じゃないですか。
マネから始まるストレス回避があってもいいのかも。
発達障害者は世の中に出ると、不都合が多くてそれに対して、どうしても真摯に向き合わないと行けない癖がついているし習性でもあるので、たまには不都合から逃げる避難訓練もどうでしょうか、先生?ダメ?
フラワーさんの「たまには不都合から逃げる避難訓練もどうでしょうか」って良いですね。自己評価の高いASの自分は、アホ(失礼^^;)は相手にしないってスタンスは取れますが… 自分の不都合な点や不完全な現実を直視せずに、何となくだけど前に進むってのは必要だと思って意識してやってたりします。それでも、きっと多数派よりは見つめちゃってるですけどね。
私が「うつ」っぽくになるとき、行動パターンがあります。
1 先延ばしの用件が増えていく。これはやらなくてはと意識しても、うつの原因(大きい問題がひとつだったり、中くらいのが重なったり)のほうに思考がいってしまうので他のことが疎かになる、要注意だと自分でもわかる
2 部屋が乱雑になってくる、食生活が疎かになる
3 眠れないので夜中に起きだして掃除をし、疲れたら冷蔵庫の前に座り2時間くらい考える、3時間くらいしか眠れない
4 3の状態が3~5日続く
こんな感じです。うつの原因が、主に自分に非があるときは「低い自己評価」で乗り切れます。
原因が例えば愛犬を病気で失うなどのときは「低い自己評価」プラス「ジャイアンのエゴ」でどうにか乗り切ります。
それほどかわいがっていなかったくせに、こんなに落ち込むのはおかしいとか、これで排泄物の始末や散歩から開放されるとか・・・エゴに登場してもらわないとうつの深みにはまって仕事もできなくなってしまうのです。エゴもたまには役にたつのだと感心します。でも自分で自分が嫌になります。どうしようもない落ち込みと醜いエゴの両方で結果的にやっと平常心を保てるのですから。
今、まさに片足をつっこんでしまっている状況です。
先延ばしと高い自己評価、、危ないあぶない、
あの時の状況を忘れたか。
そもそも自分なんで大した事ないのだ。
忘れてました。この記事に感謝します。
そもそも自分はジャイアンなのですから。