受動型ASの人は現実的な想像力が苦手である。自分の「夢」はあっても、それを実現する具体的現実的な道筋をイメージすることが非常に困難なようだ。
その結果(か原因かはまだ私は考察中であるが)、「実際どう行動するか」については受身となり、周囲からのアクションに応じてリアクションとして行動するパターンとなる。
そこで私は受動型ASのケアとして、「パッケージ方式」を考案した。
すなわち「目標とそこに至る具体的な道筋を含んだパッケージをワンセットにして選んでもらう」という方法である。
実際に本人といくつか検討してみた。意外に使えそうで、イメージをここに書いてみよう。
パッケージA 「多数派と同じ普通」。
普通に登校し普通に高校や大学に行き普通に仕事をする。
パッケージB 「友達と同じ」。
友達の多くが選ぶ進路と同じ方向に行く。
パッケージZ 「引きこもり」。
ダラダラと登校も勉強もせず昼夜逆転生活でゲームばかりして18歳まで過ごし、その後親に追い出されて途方にくれる。
あるいは親に依存したパラサイトとしてずっと引きこもり続け、50歳過ぎて親がついにダウンした段階で途方にくれる。
BとZとの間に、「本人のこだわり、好きなものをゲットするために努力する」ようなパッケージを具体的に考えて並べて行けばよい。
何名かと検討してみて分かったのであるが、受動型ASの人は実は「本当は普通から離れる不安が非常に大きい」。また、「好きで引きこもりの道に入っている訳ではない」。
このあたりもADHD(や積極奇異型AS)からの類推が当てはまらないから注意が必要だ。
言葉としては同じようでも、ジャイアンや積極奇異型の言う「普通」とは意味していることが全く違う。
ジャイアン型ADHDや積極奇異型ASの場合は「多数派に合わせた普通」はよほどのストレスを覚悟してはじめて選択肢になりうるが、受動型ASでは逆に楽な選択肢であるという根本的な違いがある。
パッケージZも有効なようだ。受動型ASの人は、(将来を考えることまで愛着の対象たる親に丸投げするから?)今現在の親に依存した生活と将来の現実的な問題を具体的に結びつけての想像が非常に困難なようだからだ。
実際にこう並べてみてはじめてイメージできるようなのだが、受動型ASの本人も「AかBが一番楽でストレスが少ない」という根本的な事実にたどり着けるのだ。
はじめまして 突然 失礼します
私は 発達障害の当事者です 40代です 自分でも良くここまで 生きてこられたと この頃思う様になりました
きっと稀有なケースで 生かされているんだとも思います
「一次障害、子供の診断基準そのままで歩いている」成人ケースがあるはずが無い。成人発達障害のケースは一次障害の上に、「適応型」を身に着けとありますが 私は限りなく子供の診断基準そのままで歩いている者です。 生かされていると書きましたが 今は魂を護っているだけです。
Uさん、こんばんは。私も40代です。もちょっと先生にお話してみませんか。
遅れまして 現在 引きこもりです
私も一度 先生とお話してみたいです
たまには ドライブにも行きます 今は 家族の
世話になっている状態です。 北部在住です。
見た目は 普通 その通りです。
ASかジャイアンかどっちか良く分からないのですが、多数派に合わせる事に対してストレスが強く感じ、楽な選択肢ではないのできっと積極奇異やジャイアン的要素が近いのだと感じました。
そしてそんな人間でも仕事はしなければならないし、税金は納めなければならない。
そこで、先輩達にお聞きしたく思います。
パッケージZやパラサイトの方法ではなく30代40代をどのように多数派と折り合いをつけて生活してらっしゃるのかを
はじめまして。ASの女性です。
私は多分受動型だと思います。
普通から離れるのも怖いし、でも普通で居る能力がありません。孤立気味になりながら、他人からの指示には全面的に従うという感じで同調しています。
パッケージA的人生にしたいと思っていましたが、社会に出て1年くらいで挫折してしまいました。
Zになりつつある今をなんとか立て直したい・・・。短時間のパートしかやっておらず、親に寄生しないと生活できない状況です。
不器用で出来る仕事が少ないですが、でも自立を目指して職探ししようと思っています。
うちの息子はたぶん受動型ASで、何とか小さな会社に就職したと以前にコメントしましたが、全てギリギリで保っている状態なので、ギリギリのサラリーマン略して「ギリギリーマン」と我が家では呼んでいます。
確かに普通から離れるのは怖いけれど、余裕しゃくしゃくで普通でいられる訳でもなく、SSRIも服用しています。
幸い普通の製造業に就くことが出来ましたが、そこが無理だったら、過酷と言われるSE(システムエンジニア)になる可能性が強かったと思います。すると途中でバテて転職をしなくてはならないかもしれません。パッケージAをずっと目指したいところですが、何か条件が変わると壁にぶつかり易い印象はあります。
おそらくは受動型ASと思われるとやんばる先生にコメントしていただいた知人なのですが…ハイパー普通です。その普通というのは、「人として」という意味で、能力としては、自分はもちろん日本最高レベルであると確信し(実際優秀です)、かりに常人から見ておかしなところがあるとすれば、それは彼らの知能が低いため、自分のことが理解できないのだと考えています。そしてこの人もこの人の家族も超過活動で、ほとんど睡眠もとらず、人間とは思えないほどの運動量、仕事量をこなし、人の注目を集めたがり、万能感に満ち溢れています。それでも本人が昔言っていたところによると、この人たちも思春期には対人恐怖、引きこもり、暴力沙汰にまみれていたそうです。
本人は不安を感じているからこそ「ハイパー普通」を追求しているのか、もう不安さえ感じないのか、私にはわかりません。
この人のASらしさはどんどん薄くなり、「ハイパー普通」はどんどん進化していきます。今は堂々として、評論家のように、正しい社会のあり方や人間の倫理について自説(というか、いろいろな本の受け売り)を述べ、自分が社会性にあふれた素晴らしい人間であることをアピールします。そして、今までASらしさを見せつけられてきた私が覚えていることを、「それはあなたの記憶違い」「そんなことを言うあなたは病的」と否定しようとします。
この人にはしばしば記憶の欠落があり、ある出来事をまるごと忘れる、ということもありました(でも意味記憶はコンピューターのようにすべて覚えています)。以前は、自分の忘れっぽさを認め、悩んでいたのに、今は私が物忘れに触れると、形相を変えて「自分がいつ、どこで何を忘れたと言うのか」と詰め寄ってきます。自分が忘れたことさえ忘れているようです。時期によって、人格、口調、行動、目つきまでが別人のように変わります。
私自身意味不明なASの一人ですが、今のこの人のことはまったく理解できません。こういう受動型ASもいるのでしょうか。もしかして、何かほかの障害も起こしているのでしょうか。この先どうなるのでしょう。
このパッケージのイメージというのもですね、本人からかけ離れているとまた逆にイメージしにくいでしょうし、周囲の人が本人の特性を見てパッケージ(モデル)を提示出来るかどうか。周囲の人の想像力も鍛えられますねえ。どれだけその子を見れるか、とか。。
私は図画工作と国語がちょっと出来たくらいで、成功体験と言えばまあそれだけです。他の子と比べたら取るに足らないぐらいですが、私にとっては成功なんですね。で、中学校の文化祭で、自分で考えて作ったものを同級生女子に買ってもらえたのが一番の成功です。
最初は自分用に作って使っていたら、注文が入ったので「じゃあもうすぐ文化祭だからいっぱい作って売ろうかな」と思ったのです。
何を作ったかというと、サテンの生地にスパンコールでギラギラにデコった袋です。ダチョウが見たらすぐついばむんじゃないかというような。文化祭当日、机に並べたそれらを品定めする女子の目を覚えとります。
売れなかったらあげちゃおうぐらいの、儲け無しの100円だったので売れました。そして「これは失敗作」と思ってたものはちゃんと売れ残り、大変面白かった。
その後目的も無く高校に入りましたが、一年生の夏休みに海の家で初バイト(もう小遣いは出ない)しながら「呼び込みは出来ない。そうだ職人になろう」と思いつき退学しようとするが、先生や親に反対され反論出来なかったので我慢して卒業し、工業工芸の専門学校に行き、ジュエリー職人になる。
職人は器用さは、実はいらない。陶芸とか指先使うのは器用さがいりますが、素材が硬ければ指先の器用さより道具が使えるかどうかです。道具は合理的に出来てますから、あとは判断力、見切れれば出来ます。
私は二次元が苦手で三次元(立体、それも手の中に入る小さなもの)でないとダメだった。それは専門学校で分りました。
あと作業服自体が好きというのもある。ニッカ履きたい等。履くときは無いですが。
天に出てくるヒロという男の子みたいですね
私はニコ動で実況してる人とは別人ですのでお間違い無きよう・・。福本伸行先生の漫画は読んだことないです
私は町田樹さんて受動型的なイメージがあるんです。創造性と外モードの両立という感じで、とても素晴らしい。そして他にもそういう人は少なくないのではないかと思うです。