インターネットで自宅にサーバを置きサーバを通してネットにつながるのをproxyという。(私は実はきちんと理解できていない)。
精神医学用語では、ミュンヒハウゼン症候群の一群が「by proxy」とついている。日本語では「代理ミュンヒハウゼン症候群」という様だ。
ジャイアンの母親の支配や依存によって子供に表面上の問題行動が出てきている場合に、頻繁に見られるのは、「子供への評価が母親自身の評価になる」という構造である。母親は子供に表面上の問題行動があると、「親の育て方の問題として母親自身に責任がかかる」という意味で子供の問題行動が母親にとって「不都合」になる。
そういう場合に、母親のカウンセリングなどで母親自身に問題があるような文脈で治療に導入すると、非常に都合良く「最近急速に良くなっています」ということが起こる。
私はこれを「proxy回復」と呼びたい。
何と言っても「タイミングが現金なまでに良すぎる」ことが多い。母親の問題を指摘した次の外来までに表面上はすっかり解決していたりする。
この経過を見ると、逆に「子供の問題行動自体が母親自身の不安に関係する医療ケア依存の将棋の駒のようなものだったのか?」という当然の疑問が生じてくる。
これを上記の「代理ミュンヒハウゼン症候群」という。子供は「proxy」としての意味しかないのだ。
私の想像では、実際には「表面上治らなかったら許さない」という異常な管理や支配、特に非言語的な強烈なメッセージを受け取って、状況察知能力のあるジャイアンの子供などは現金に「表面上良くなる」、「問題行動が消失する」、それも「子供のほうから自発的に問題が解消しました」ということになる。
私はこれを承知で「お子さんが良くなって良かったですね」と母親と一緒に喜ぶことにしている。
少なくとも「表面上」は世間に適応できることに近づいているわけであるし、身体症状(アトピー性皮膚炎の悪化、気管支喘息、嘔吐などの消化器症状、過換気症候群など)や、小児のうつ病などの形で本当の問題が表面化することは間違い無いと予想しているので、その段階で介入するイメージを準備しながら。
>私の想像では、実際には「表面上治らなかったら許さない」という異常な管理や支配、特に非言語的な強烈なメッセージを受け取って、状況察知能力のあるジャイアンの子供などは現金に「表面上良くなる」、「問題行動が消失する」
ご想像通りです。しかし優位争いのため、しばしば口論になり、息子からは
表面上適応している(頑張っている)ことへの賞賛を求められ、私の対応が
冷たいとグズグズと文句やだだこねが始まります。
私も冷静に冷静にと抑えても、体調により爆発し悪循環を繰り返します。
どちらかがいじけたりすると、片方が謝るという子供っぽいパターンで…
落ち着くと、反省会のようにお互い「ここでヒートアップして馬鹿だった」など、話し合います。
完全に共依存の関係ですね…
本当に駄目な脳だと落ち込みます。
そして子の真の二次的な問題(強迫症状)は1年以上続いています。
学校生活への過適応が主原因と責任転換していますが、やはり私や主人の
口うるささがメイン原因なのだと思います。
変な話、治安の悪い所やひどく汚い所、貧困地帯に住んだら、即治癒しそうな気がします。
社会適応を選んだ場合の病気とのバランスをギリギリ取りながら生きていく、そんなジャイアン子供へのフォローにはほとほと疲れました。
先はまだまだ長いのに、親の修行は続きますね。自分が発狂しないように気をつけないとだ。
ちょっと鬱な書き込み失礼しました。
これは、父親がジャイアンの場合でも同じことですか?
先日、ジャイアン父への不満が爆発してしまいました。
それでも、本人にその爆発をぶつけることはできず、いい子をしている自分にイライラします。
自分の不適応は、かなり家庭環境のせいだと思いますが、いまさらそれを言ってもしかたないし、親といえども割り切って、接していくしかないんだ。
それが自立への道なんだと思ってます。
ジャイアン父により、相対評価でしか見られず、自己評価が低下し、また自分自身も父と同じように他人を相対評価で見ていたことを反省してます。
人のふり見て、我がふり直せ・・・
やんばる先生の言葉は、いつも自分を客観視させてくれます。
ありがとうございます☆
私も親の手前、今では信じられないくらいに社会人やってましたね。
大学出たとたん豹変して・・・。しかし・・・。
上手に社会適応したらウツになる。
ウツが治ると社会適応が難しいくらい感情的、攻撃的、欲望に翻弄される。
自分を抑えるか出すか2者択一。
過集中でいく。
それでうまくいかない時、
人は「リラックスして」「そんなにがんばらなくていい」と言う。
それを真に受けたら、急にやる気消失、どうでもよくなる。
もちろんできない。続けるのもつまらなくなり、投げ捨てる。
過集中でいくか、何もしないかの2者択一。
究極の2者択一人生。
この繰り返しになりました。
しかも学ばないから無限なる繰り返し。
トホホッ。
今回の先生のテーマを読んで、私には時間とお金のゆとりがなくて本当に良かったと思いました。
両方揃っていたら私もドクターショッピングに陥っていたかもしれないです。
私の場合、自分の子供の問題行動をなくすには、事件になるような過激な「虐待」になると予想できたことと、子供よりも自分の異常さに気がついたこと、YANBARU先生のブログにたどりつけたことが幸いです。
先日先生のHPを読み直していたところ、「虐待を受けた子供は、いやなことをする事が虐待と同じに思う」とあって目から鱗の思いです。
先生の分析にいつもいつも助けられています。
もう私には育てられないし育てたくないというエゴと、現実から逃げないという両方の思いに揺れながら日常が過ぎていきます。
先生 ごめんなさい。くだらねえ意見だ。ちょっと がっかり。神よ、願わくば、変えられぬものを受け入れる心の静けさと 変えられるものを変えていける勇気と その違いを見極める知恵とを、授けたまえ ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr 1892-1971) 「変革の祈り」
場末の精神科医様。
私の意見です。ごめんなさい。
何がどう「がっかり思う」のか具体的かつ簡潔に書いていただきたいです。
そうでないと、コメントを読む限り、ここで布教活動?詩の勉強会?詩人の研究?をしたいのかな?としか受け取れません。
ADHDというのは、具体的に、はっきりと説明されないとわからない障害ですので。
☆ 私はこれを承知で「お子さんが良くなって良かったですね」と母親と一緒に喜ぶことにしている。
少なくとも「表面上」は世間に適応できることに近づいているわけであるし、身体症状(アトピー性皮膚炎の悪化、気管支喘息、嘔吐などの消化器症状、過換気症候群など)や、小児のうつ病などの形で本当の問題が表面化することは間違い無いと予想しているので、その段階で介入するイメージを準備しながら。 ☆
はじめまして。
突然ですが、以前からやんばる先生の日記を読ませていただいていました。
コメントさせてくださいね。
ジャイアン母の私は、こないだ行ったカウンセリングの臨床心理士に
『あなたのお子さんは、発達障害のお子さんの中でもだいぶレベルが高いですよ。お母さんが発達障害について色々勉強されたうえでお子さんに対応されてるから、本当に素直なお子さんですね。』
と言われたところです。
目を光らせて、表面上、適応させ続けてきたから、当然なんです。
このまま育てていけば、きっと、わが子に大きなしわ寄せがくるんだろうな、と思いながら、でも本当に向き合ってやれる育児スキルも持たないまま毎日育児しています。
ジャイアン母だから、所詮付け焼刃の小手先だけの対応をしてるんです。
先生の、
私はこれを承知で「お子さんが良くなって良かったですね」と母親と一緒に喜ぶことにしている。
というコメントを読んで、
私がかかっている心理士の胸のうちも、もしかしたらやんばる先生と似ているのかな、本音と建前を使い分けているのかな、と思うと、褒めているのかいないのかよくわからない心理の先生の言葉が、意外とストンと納得できました。
視野が極端に狭いから拡げるように心がけてください、など私や子どもに対して助言してくれるけど、心理の先生こそ、たった今のピンポイントな子どもの状態の感想だけを言ってるやん…とソフトな逆切れもしたりして。
でもやっぱり…本当の問題をわが子に抱えさせたくないです。
やんばる先生の日記、また読みに来ますね。
失礼します。少し前から先生の日記を読ませて頂いています。
自分はまだ診断してないのですが、ADHDだと自己診断しています。もしかしたら、ASかも知れないですが、。
今回の記事を見て、長年の疑問が氷解した気がします。
元パートナーの母親がジャイアンだったと思います。
娘の世間体が悪くなるような行動は声を荒げて強く主張して強制するタイプでした。
ただ、それが自分のためというより、むしろ自分の母親(彼女の祖母)や家族、他の人から悪く言われないことが目的だったように思えます。
逆に、彼女が世間から評価されるような状況になると非常に喜んでいました。進路を決めるにも彼女自身の希望より、母親の意見が優先されると私によく話していました。病院を嫌い、医者のことは信用せず、自分が原因だということを否認し、私から見れば言い訳を繰り返していました。
彼女も母親にあわせようと必死で逆らえませんでした。よく「普通ってどうしたらいいの?」や「他の人が笑うところで私は笑えない。おかしいのかな?」と彼女に質問されていました。
私はそれを受け、自分が蓄積したパターンを元に、表面上の問題が噴出しないように元パートナーに行動を強制していました。自分の感覚としては「表面上問題が噴出することで、彼女自身が被害を被る。引いては自分にも悪影響があるから強引にでも強制しないと不幸になる。そもそも何でこんな単純なことが実行できないか?」というものでした。
いつまでたっても母親から縛り続けられる彼女が母親離れしなければならないと思い込んでいました。
ただ、何故か彼女は私に対してだけは逆らいます。(曰く「そちらになら何をしても許してもらえると思ったから」だそうですが、それが言い訳なのか、本当にそう思っていたのか実際のところはわかりません)それで私の怒りが爆発していた気がします。
思い返せば私も被害妄想のように「適応できないと何かを取り上げられたり、居場所を追われる」と思い込んでいた気がします。陰で悪口を言われると悪評が広まって凄く腹が立ったり、情けなかったりして、辛かったです。
なんとかしなければと思っていました。
今はブログを読んで相手の行動に説明がついたような気がして一気にすっきりした気分になっています。