ADHD関連

親の責任③

親の責任③ 理解の努力

 さて診断がついた後は、診断された発達障害について理解の「努力をし続ける」責任が生じる。

 「結果」として十分な理解に到達することは目標としてはあまりにも困難であり、結果としての理解が不十分であったといって責任を追及することは不毛だ。

 まだ分からないことが多いことを認識し、努力をし続けることが必要であり、その努力は放棄してはならない。

 実は「分からない」ことを理解することが一番難しい。特にジャイアン(自己正当化型ADHD)の親は特有の表面的な世界の見方で、びっくりするような表面的な理屈(親の学歴で説明するとか、生活のリズムが崩れたからだとか、昼間寝ているからだ等が多い)で事態を完全に分かったかのように断定し、その表面的な決め付けに基づいて行動する。

 親と本人が違うタイプの発達障害の場合には、(配偶者の場合でも)「一生涯理解の努力をし続ける」という考え方をすることになる。去年の理解よりも今年の理解が少し進んだ。「完全な理解」など非常に遠い不可能な目標だが、不可能を承知の上でそれに向かって近づく努力をし続ける。

 実はこの「理解のための努力」だけで十分という一面もある。多数派やジャイアン流の決め付けを排除して相手を違う文化、「自分には今すぐには分からないけれども何か本人なりの考えがあるのだろう」と仮定して尋ねてみる努力を続けることで、子供本人に対する「寛容」の態度が生じ、子供本人も「親は自分を理解しようと努力を続けている」と感じることで、かなりの信頼関係は作られうる。

 親の責任を追及されて良いのは、「明らかに親が自分自身の現実を直視することから逃げて否認するために、子供が診断されたという事実から分かっていて目を背ける」という場合だけだ。

 ジャイアンの親の場合には脳の働き自体から表面的で断定的で不寛容な認知が生じているので、子供(および自分自身の)の発達障害を理解するうえでの一番困難な問題が生じる。


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コメント

    • hikari
    • 2007年 10月 28日

    子供は、自分の問題を直視しているのだから、親も、自分の問題を直視しなければならないと思いました。
    直視することは、とても辛いことだと聞いたことがあります。
    子供は若くして、私よりも『自分自身の問題』を直視してきたのではないか?とさえ思えます。
    私は、直視しないまま大人になり、子供を産んだので、自分の問題を有耶無耶なまま、「これが幸せなんだ!」と、幸せを、作り上げていたような気がします。
    子供が全員、違うように、育て方も違うのは当然のことなのに、無理無理、同じ『方程式』に当てはめようとしたし、自分の子供は、取り残されたくない!と、躍起になっていました。
    結婚して、自分の価値観と、旦那の価値観が違うことに大きな戸惑いを感じたことがあります。
    自分の考え方を、少しずつ放棄して、旦那の方針に合わせたのか?それとも、自分のことを認めてほしかったのか?全ては、私の自信の無さからきたものだと思います。
    私が、このブログに投稿したのは、親子共々「助けて欲しかったから」です。
    でも、途中で、いつの間にか、自分の子育てを正当化しようとする自分がいました。
    『完全な理解』は、とても遠い目標だとしても、『理解のための努力』を、壁にぶつかった時こそ、子供の声に耳を傾けることから始めようと思います。

    • クロ
    • 2007年 10月 29日

    私は自分のことを多数派だと思っています。
    でも、ACには違いなかったようです。
    親は、両親ともジャイアン、AC、ASとか、自己愛性人格障害とかそんな感じがします。このHPを隅々まで読みましたが、あらゆる所に当てはまることがあり、親のことも自分の事も良く分かりません。ひょっとしたら自分も少数派なのか、とも思います。
    人は誰でも多かれ少なかれ心の底では「自分が正しい」と思っているのだと思います。
    でも、自分が自分を正しいと思っているように、(自分にはその考えは良く分からないけれども)相手も自分自身のことを正しいと思うことは当然のことだな、と、日々自分を戒めるように考えます。それは多数派同士であろうと、少数派と多数派であろうと、少数派同士であろうと、同じ事と考えます。
    人と人とが完全に理解し会うことは不可能です。ただ、お互いを「理解しようとすること」が思いやりのような気がします。
    両親のこともそう思って接してきましたが、ある時、「ああ、この人達は自分さえよければそれでいいのだ」とハッキリと感じたことがあり、親から離れることにしました。
    親の意見に異を唱えることや親の命令に従わないことを、
    親を批判・非難している、逆らっている、反抗する、親を見捨てた、としか捉えられないとどうしようもなくなります。
    ただ、「私の考えはそうではない」「私には私の(あなたたちは知らない)事情がある」と言っているだけなのに。
    だから、もし、私の両親がジャイアンだったなら、理解するための話し合いは困難、としか今の私には思えません。
    でも、頭の片隅では、それはお前の自己正当化なのでは?という自分もいるので、苦しいです。

    • hikari
    • 2007年 10月 29日

    私も、私の親に、「私には、あなたたちの知らない事情がある」と思ってます。
    ということを、スライドさせて考えていけば、子供も「親たちには知らない事情がある」と、思うのは当然ですよね。
    それから、私は、子供に心配されたくないです。
    私は、そこまで落ちぶれたくありません。
    と言うことは、子供も心配されたくない、と言うことですよね。
    だんだん、分かってきました。

    • たかこ
    • 2007年 10月 29日

    「理解のための努力を続けるだけで充分」
    救われた気がします。
    努力を続けた結果、信頼関係というものが、数年前に比べると確かな物になっている事に気づきました。
     
    まだまだ問題は山積みで、進歩してるのかどうかやけくそになったり、逃げたしたくなったりしますが、自分が壊れてしまってはもともこもないので、大勢に影響のない事は受け流して、どうしても困難なことが起こった場合は物理的に距離をおくなどしながら、続けたいと思います。
    主人(AS)のスケジュールは無視して、映画を見たり、音楽をきいたり、カラオケを歌ったり、手芸をしたりして勝手に楽しんだ方が、こちらはてこでも動かないぞという態度になっていいようです。はたからみるとマイペースで何をいっても手を貸さない性格の悪い妻という感じでしょう。
    最近では、相手にしないので根負けしたのか、家で過ごすときも、主人(AS)もわたしの手を煩わさずにひとりで趣味を楽しんでいます。見ているとわたしのまねをしてるみたいです。

    • hoge
    • 2007年 10月 29日

    親がジャイアンだった場合に救われる道ってあるんでしょうか?
    中には発達障害と診断のついた自分の子供の症状を日々ブログに書いて、自分は多数派だとこちらで言い張っていたトンでも親もいるようですが…

    • ゆう
    • 2007年 10月 30日

    我が家の為のアドバイス?、忠告?と思う人が多数いると思います。
    私も、その一人。
    「努力をし続けることが必要であり、その努力は放棄してはならない。」
    努力=忍耐(ストレス)と感じる私は、まだまだ人間が出来ていないのでしょう。
    「子供本人も「親は自分を理解しようと努力を続けている」と感じることで、かなりの信頼関係は作られうる。」
    これは、感じます。目に見えないほどの変化ですが、何か前とは違う、いい方向へ向かってる?と思うこともありますが、喜んでいるとドーンと凹む事も。息子とは、前は言い争いだったのが、最近は議論的な話し方に変わったかも知れません。
    「親の責任を追及されて良いのは・・」
    夫ですかね。でも・・・。
    「ジャイアン(自己正当化型ADHD)の親は特有の表面的な世界の見方で、びっくりするような表面的な理屈」
    「脳の働き自体から表面的で断定的で不寛容な認知が生じているので、子供(および自分自身の)の発達障害を理解するうえでの一番困難な問題が生じる。」
    妻として、これを受容するのが、1番困難です。
    「不可能を承知の上でそれに向かって近づく努力をし続ける。」
    努力し続ける妻(母)と、自覚の無い、努力しない夫、息子・・・双方が努力する事で、良い方向に向かって行くと思うのですが、夫とは平行線どころか、逆行している事態です。
    「子供本人に仮定して尋ねてみる努力を続ける」
    夫は「仮定」も「尋ねる」も「努力」も出来ない。夫いわく「マニュアルがないから解らない」と言う。今まで生きてきた経験と知識を生かして「応用」する事が出来ない。息子の「人生のマニュアル」なんて、何処にあるのさ。
    「何の為に結婚したのか・・」あぁー、考えちゃいけない。また、ストレスが溜まる。
    でも、私は努力は止めません。

    • みお
    • 2007年 10月 30日

    以前、こちらに「自分は受動型ASのACではないかと思う」と書いた者です。
    今回やんばる先生のブログを読んで、すごく考えさせられました。
    うちは、父親がASで母親はACだと思っていたのですが、先生のブログを読んでいると、母親には自己正当型ADHDも入っているのか?という気もしてきます。
    ただ、母親は部屋の片付けはきちんとできる人なので、「片付けが得意なADHDっているのだろうか?」と考えるとわけがわからなくなります。
    まぁ、↑にも書かれている方もいらっしゃいますけど、人間誰しも「自分が正しい」という気持ちはありますよね。
    それは、私自身にも言えることですけど。
    さて、理解の努力についてですけど、私は今年に入ってから自分がASかもしれないと気付き、本やインターネットで調べているうちにそうだと確信しました。
    母親も最初のうちは調べて理解しようと努力してくれていたのですが、あるとき急に「ASは治るわけじゃないし、これ以上調べても自分が辛くなるだけだから、もう調べない」と言い出し、理解しようとする努力を放棄してしまいました。
    それ以来、ASの話題を出すと機嫌が悪くなったり話を逸らされてしまうので、私も話せなくなり、結局一人で診断してもらえる公共機関で調べてもらって、ASと診断されました。
    実は、ASと診断されたことはまだ親には言っていません。
    言ってもまず理解してもらえないだろうから。
    とはいえ、いつまでも隠し続けるのはどうかと思うので、近々言おうとは思っています。
    まぁ、まず理解はされないでしょうけど。
    でも、親に理解されようがされまいが、私は自分と向き合い続けながら自分なりに精一杯、生きる道を探っていくつもりです。
    またまた自分のことばかり書いてしまってすみません(汗)。
    読みたくない方には読み飛ばしてもらって結構なので。
    自分のPCを持っていないので、ここのページの全てを読んでいるわけではないのですが、読むたびに色々考えさせられて勉強になります。
    そして、こうやって文章にすることで、自分の頭の中を整理するのにも役立っているように思います。
    やんばる先生、いつもありがとうございます。

    • m2
    • 2007年 10月 30日

    みおさんへ
    >「片付けが得意なADHDっているのだろうか?」と考えるとわけがわからなくなります。
    「片付けられない女たち」にも、ADHDは片付けができないとはかかれていません。
    片付けられないことが気になって、そっちばかりに集中してしまう、という不具合が発生すると書かれています。
    私の彼女(自己診断ADHD)も今は片付けは得意で、昔は片付けられなかったと言っています。
    だから、今、表面上片付けが得意かどうかはADHDの判断基準にしなくて良いと思います。

    • 亀仙人
    • 2007年 11月 01日

    ゆうさんへ①
    はじめまして。妻がペアレントトレーニングを実践している夫です。
    世の中には我家以外にもペアトレを実践している人がいるのをこちらのコメントで知り、私も書いてみようと思い来ました。
     我家は妻が息子対象にペアトレの講義を受けていましたが、ある日私にもペアトレの手法を用いている事に気が付きました。あえて何も言わないですが。
     しかし、日々の受け答えがペアトレ流でやられると、悪い気はしません。つまり何か手伝うとほめて貰えるのです。これって意外と無かった事だったのに気が付きました。何げないちょっとした手伝いにお礼とほめ言葉をもらうのは気分の良いものなのですね。
     そしてちょっとマズイかなという事をやってしまった時も何も言われません。言われると自分でもわかっているだけにムキになって否定したり反発していましたが、それも無くなりました(言われないからです)。
     これはペアトレの手法そのものですよね。おかげで何となく気分良く家事の手伝いをさせられてます(^_^.)。
     本来の目的の息子は、高校になって環境が激変した事もあり、順調に成長しているように見えます。しかしここまで来るには紆余曲折がありました。
     私もよく怒りました。父親のイメージが私自身の中に無いということもあり、大人の対応が出来ない息子(子供なんだから当然なのに)にむかっ腹立てて怒ってしまっていました。結果として父子のコミニケーションが取れない期間がかなりありました。
     私に父親のイメージが無いのは、私と私の父親との関係が上手く行ってないからです。私が物心付く頃は父は仕事三昧の生活で家に居るのは月に2.3日(本当だったんです)、近所からは悪い噂さえされたそうです。その為成長しても父とは話さないし話すとケンカになってしまうのです。でもいざ自分が息子と対峙するとこの嫌いな父と同じ行動を取っている自分に愕然としたものでした。
    続く

    • 亀仙人
    • 2007年 11月 01日

    ゆうさんへ①
    はじめまして。妻がペアレントトレーニングを実践している夫です。
    世の中には我家以外にもペアトレを実践している人がいるのをこちらのコメントで知り、私も書いてみようと思い来ました。
     我家は妻が息子対象にペアトレの講義を受けていましたが、ある日私にもペアトレの手法を用いている事に気が付きました。あえて何も言わないですが。
     しかし、日々の受け答えがペアトレ流でやられると、悪い気はしません。つまり何か手伝うとほめて貰えるのです。これって意外と無かった事だったのに気が付きました。何げないちょっとした手伝いにお礼とほめ言葉をもらうのは気分の良いものなのですね。
     そしてちょっとマズイかなという事をやってしまった時も何も言われません。言われると自分でもわかっているだけにムキになって否定したり反発していましたが、それも無くなりました(言われないからです)。
     これはペアトレの手法そのものですよね。おかげで何となく気分良く家事の手伝いをさせられてます(^_^.)。
     本来の目的の息子は、高校になって環境が激変した事もあり、順調に成長しているように見えます。しかしここまで来るには紆余曲折がありました。
     私もよく怒りました。父親のイメージが私自身の中に無いということもあり、大人の対応が出来ない息子(子供なんだから当然なのに)にむかっ腹立てて怒ってしまっていました。結果として父子のコミニケーションが取れない期間がかなりありました。続く

    • 亀仙人
    • 2007年 11月 01日

    ゆうさんへ②
    私に父親のイメージが無いのは、私と私の父親との関係が上手く行ってないからです。私が物心付く頃は父は仕事三昧の生活で家に居るのは月に2.3日(本当だったんです)、近所からは悪い噂さえされたそうです。その為成長しても父とは話さないし話すとケンカになってしまうのです。でもいざ自分が息子と対峙するとこの嫌いな父と同じ行動を取っている自分に愕然としたものでした。
     そんな状態の時に、妻がペアトレの話を聞いてきました。私は仕事があるので聞くだけでしたが、まず妻が変わりました。何が変わったって怒らなくなったのです。それまでは子供に依存した過干渉がひどかったのですが、それも軽くなりました。
     息子が人生をどう生きるかという事を妻が考えるのではなく、息子が考える事と言えるようになったのです。そうなると息子も自分の人生を(甘いなりに)考え始めたのです。ちょうど高校進学という方向を考える時期でもあったので、甘えて好きな事しかしない、嫌な事は母(妻)がやってくれるまで待つ、という母子の共依存から脱却できたのです。
     そして妻・息子が変わったら私も変われました。怒らなくても済むようになったのです。良いか悪いか判りませんが、自分が怒りたい時は別な部屋でネットを見たりして頭を冷やしてから改めて必要な事を冷静に言うようにしています。また息子が変わったのであまり怒るような事をしません。そうなると良い方に回転し始めるようです。まあ細かい事は多々ありますけどね。続く

    • 亀仙人
    • 2007年 11月 01日

    ゆうさんへ②
    そんな状態の時に、妻がペアトレの話を聞いてきました。私は仕事があるので聞くだけでしたが、まず妻が変わりました。何が変わったって怒らなくなったのです。それまでは子供に依存した過干渉がひどかったのですが、それも軽くなりました。
     息子が人生をどう生きるかという事を妻が考えるのではなく、息子が考える事と言えるようになったのです。そうなると息子も自分の人生を(甘いなりに)考え始めたのです。ちょうど高校進学という方向を考える時期でもあったので、甘えて好きな事しかしない、嫌な事は母(妻)がやってくれるまで待つ、という母子の共依存から脱却できたのです。
     そして妻・息子が変わったら私も変われました。怒らなくても済むようになったのです。良いか悪いか判りませんが、自分が怒りたい時は別な部屋でネットを見たりして頭を冷やしてから改めて必要な事を冷静に言うようにしています。また息子が変わったのであまり怒るような事をしません。そうなると良い方に回転し始めるようです。まあ細かい事は多々ありますけどね。続く

    • 亀仙人
    • 2007年 11月 01日

    ゆうさんへ③(最後)
    さて、長くなってしまいましたが、ゆうさん、子供に過干渉になっていませんか?旦那さんの放任主義も一つの方法です。私自身3人兄弟の末っ子でほっとかれて育ちました。発達障害がある私には結果としてほっとかれたのは、ゆっくり成長する事ができたので良かったと思っています(結果オーライですが)。しかし現代の社会はそんなにほっといてはくれません。何かしら社会と干渉しなければなりません。それに放任はギャンブルです。たまたま上手く行く場合もあるかもしれませんが、ダメになる方が多い気がします。そんな分の悪いギャンブルで子育てしますか?
     お子さんと距離を取って、お子さんを見直してみませんか。妻は主治医から過干渉と言われてもそれだけでは直せませんでした。ペアトレは適度な干渉にするのに役立ったようです。まあ元が過干渉ですから、手を離しても完全に離せるわけではないです。息子もその距離感に慣れてくるとかえって居心地が良くなったようです。
     ゆうさん、お疲れでしょう。肉体的にも精神的にも大変だと思います。文面から感じるのは心の余裕がほとんど無いのでは?という感じです。子育て中に余裕は無いと言われそうですが、膠着した状況を脱する為にも、一度視点を変えるか、俯瞰して全体を見てみませんか?それにはペアトレというのは有効な方法の一つだと思います。自分から変わった人ではないので力強くお勧めできないのが情けないですが。
    すいません。なぜか上手く送れなくて、気が付いたらダブってました。ご免なさい。

    • ゆう
    • 2007年 11月 02日

    亀仙人さんへ。
    私の為に、長いコメントを考え、書いて頂いて有難う御座います。
    私は「夫もコミュニケーションの部分が障害?」と疑いつつ、無い物ねだりをしてイラついていました。
    夫は公務員で、8年位「福祉の仕事」に着いています。そんな事もあり、夫に相談をしたり、夫の考えを聞きたいと、話を始めると逃避してきたので・・。
    「子供が不登校でも、何故、夫婦で話し合いも出来ないのか?」
    「妻が、あちこち駆けずり回って悩んでいても、何故、アドバイスをくれないのか?」
    「子供や妻に、福祉の仕事を生かして、ちょっとした心遣いのある言葉を掛けられないのか?」と・・。
    夫が、昇進試験の模擬面接で、上司に「身も蓋も無い答え方だ」と言われ、正解を教えて貰うと「そんな答え方があったのか!」と思ったそうです。自覚が無いんですね。
    試験当日も、試験後に解答を教えてくれたそうですが、夫は「散々だった」と言いました。
    つまり,家庭でも「身も蓋も無い返事」が多かったので、息子、夫に悩んでしまったのでしょう。
    もう1度、勉強し直します。
    有難う御座いました。

    • ゆう
    • 2007年 11月 04日

    「ジャイアンの親は、特有の表面的な世界の見方で、びっくりするような表面的な理屈」
    金曜日、夫に「息子が水、木と欠席した」事を報告。
    今まで、息子の心境について、問題について、私や息子と向き合って話をした事もないのに、昨夜、夫が息子に・・。
    (息子は、中高一貫校)
    夫 「学校へ行かれない(行きたくない)なら、高校は、別の所へ行けば?」
    息子「何でそうなるの?」
    夫 「だって、今の学校がイヤで行きたくないんでしょ?」
    息子「そういう決め付けた言い方が勝手なんだ。」
    私 「お父さん、視点が違うと思うよ」
    夫 「他の学校で、出直せばいいじゃん」
    息子「出直すって問題じゃない!」
    私 「・・(息子の事は多少報告してるのに、何も解ってない)」
    夫は、福祉の仕事柄、最近「発達障害」の講演を聞き、資料等も渡されている。私も目を通しましたが、凄く物足りない感じ。講演は、あくまでもキッカケであって、後は自主的に勉強して下さいって事だと思うのです。
    ましてや、自分の息子がグレーゾーンであると解っていればなお更・・・。
    今まで、私の話しに耳を傾ける姿勢が無かったので「仕事を通して、やっと息子の事を理解しようと努力するかも・・?」と期待も膨らんだのです。
    でも、何も変わりませんでした。講演の資料は、サッサと仕舞い込んで読み返すことも無く、息子の対応も、会話の仕方も・・・。
    夫にとって「決め付けを排除して理解の努力」は無理なのだと、改めて思う。この父子の平行線、私との平行線を、どう埋めていけばいいのだろうか。
    ちなみに、夫は昇進試験のペーパーテストは受かったのに、面接で落ちました。知識はあっても、臨機応変に答えなければいけない「対人(コミュニケーション)」が出来ないのか。
    でも、夫は言う。
    「俺は自分を信用してる。皆(家族?)が俺を信用していない」と。この自信が私の話を聞かない理由であり、理解の努力をしない理由?
    係長、課長、部長・・・・昇進なんて遠い存在。
    「ジャイアンの親の場合、発達障害を理解するうえでの一番困難な問題」とは、こういう状況の事かな。

    • m2
    • 2007年 11月 06日

    ゆうさんへ
    全然違うかもしれませんが、私の例が参考になるかもしれません。
    息子さんは、小学校時代は頼りにされる存在ではありませんでしたか?
    仮に息子さんを、私と同じ受動型ASとします。
    頼りにされる環境だと、周りの人から人間関係をつくりに来てくれます。
    頼りにされて、他人に教えることによって、復習ができます。そして、成績も維持できます。
    それが中学に入って(私の場合は高校でしたが)周りが同じレベルになると、周りから近づいてきてくれなくなるので、うまく人間関係ができなくなります。
    自分から人間関係を築けない受動型ASは、自分とレベルが同じの集団では生きていけないのです。
    だから、受動型ASなら、高校を変える(レベルの低い高校に行かせる)のは意味があります。
    その方が、人間関係、成績、自己評価のすべてに+になります。
    旦那さん(私にはASにしか見えませんが・・)は感じ取っているのかもしれません。
    もし、小学校時代の人間関係に思い当たることがあるのであれば、息子さんに、今の学校がつらい理由は実はこういうところにあるんじゃないか? と話してみるのも良いかと思います。
    昔悩んだ出来事が、「受動型AS」を知ったことにより、納得のいく理由で説明できました。
    自分が発達障害であることを知るのは、大切なことですね。

    • ゆう
    • 2007年 11月 07日

    m2さん、何度も有り難うございます。
    夫にその様な意図があるのか、ないのか?
    実のある内容の話し合いに発展した事がないので解りませんが、私から見ると「今の学校へ行かない」=「別の学校へ」・・単純な考えにか見えないので・・・。
    小学生の頃、1・2・3年はおとなしい子、でも家では楽しい子。
    4年で親しい友達が出来、進級時に先生の心遣いで一緒のクラスにして頂き、やや活発になりました。
    でも、クラス全体で見ると、浮いた存在で、6年の時、担任の先生からは「良く言えば繊細、悪く言えば神経質」と言われ、内心(その通りだ。だから困ってるんです)と日々を思い出してしまって、先生の前で泣いてしまった事も・・。
    確かに息子は「人間関係」で悩んでいるし、五感過敏もあるように見えます。嫌いだと言っていた子と距離を取っていたかと思えば、その子が家に遊び来る事を容認したり・・。
    「イヤだって言ってたのに、大丈夫なの?」 「うん」
    (な~んだ。普通に青春してるじゃん!)と思っていると欠席・・・・。
    告知もしていないので自覚は無いかも知れませんが、学校では「良い子」を演じて疲れるようで、帰って来ると「疲れた」を連発し、ゲームで気持ちの埋め合わせをするか、途中で寝てしまいます。
    学校が辛いのか?
    学校へ行く意味が無いと思っているのか?
    何となく、理由も無く行かないのか?
    自己評価が低いからか?
    いろんな角度から考えてみても、それとなく話し掛けて見ても、息子の心が読めません。
    今の、中高一貫のままであれば、仲の良い友達と離れる事もありませんが、別の高校を選べば、宿題も家庭学習もしない子が、これから受験勉強をし、新しい環境に馴染み、新たに友達作りから始めるのは、辛いのではないか?
    また、息子の思いも何度か確認しましたが「今のままでいい」と言います。
    が・・・昨日、今日・・起きられずに欠席。まだ寝てます。
    トホホ~。

    • るる
    • 2013年 7月 25日

    >実はこの「理解のための努力」だけで十分という一面もある。多数派やジャイアン流の決め付けを排除して相手を違う文化、「自分には今すぐには分からないけれども何か本人なりの考えがあるのだろう」と仮定して尋ねてみる努力を続けることで、子供本人に対する「寛容」の態度が生じ、子供本人も「親は自分を理解しようと努力を続けている」と感じることで、かなりの信頼関係は作られうる。
    今、私は上記を実感しています。もちろん様々な現実問題が絡み合ってのことではありますが「ジャイアン母が理解しようとしている」ことは、確実に子に伝わっている、と私には思えます。
    2年半ぶりに、子どもから母に対する心情の吐露がありました。断絶状態にあった母である私との距離感が、想像を絶する近さであることに、正直驚きました。父の話がかけらほども出ないことにも、驚きました。
    私からは「話してくれてありがとう」とともに、「私には私の気持ちがあって、それは私の生き方の問題です。そんな母を許せないとしたら、それはあなたがどうするか、あなた自身の問題です。」と伝えました。
    後半の部分は、この話を聞いて、子ども自身に「自分と向き合う力がある」と信じた私が、最大限、両者を尊重しての発言です。子どもはどのように受け止めたのでしょう・・・
    ・・・今の私ができることは、自分に与えられた仕事をこなし、自分の言動を修正する目を持つことなのだと思いました。

    • さーこ
    • 2014年 2月 08日

    母が体の調子が悪いというので、私は自分の半日の仕事をこなしながら、夜→朝→夜、と、母お気に入りの低周波治療器を使って老廃物排出と血流促進を促したところ、母がポツリとひと言。「いつもありがとう。」
    とっさに、「ちゃんと服を着て寝ないと冷えるよ」と言葉を返したけれど。結構な額のお小遣いまでくれちゃって。何て言うか、親は…、老いるんだなぁ。もちろん私も老いるけれど。
    アロマトリートメントの理論と実技の授業の中で、タオルワークという技能を学んだから、今の私には身体の保温と安心感に努める重要性が理解できている。だから、恩着せがましくなく、ふつうに母と話せる。
    もっとがんばろう。
    できれば親がしっかりしているうちに、自分1人で生計を立てられるようになりたいです。

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