親の責任② 診断がつかなかった間の問題は誰も悪くなかった。
こと発達障害が原因となるトラブルの場合、診断がつかない限り本質的な理解は非常に難しく、各人が皆ベストを尽くしても、事態は全体としてすれ違って最悪のパターンになることさえある。
だから私は、「発達障害に関することは、理解が不足していたことが悪い」と説明することにしている。最後へ結局誰も悪くない。親でも、本人でも、相手でもない。理解が不足していたことが悪いのだ。
だから少なくとも診断がつかなかった間のことは可能な限りお互いに不問に付すことにしよう。少なくとも自分を責める必要はないと私は思う。
発達障害に関する問題には親の責任は診断がついてはじめて生じる。(もっとも発達障害に関連する以外の親としての責任はもちろんあるが)
「診断前」と、「診断後」と時期によってはっきり責任は異なる形になるのだ。
しいて言えば、診断前は、「情報で発達障害の可能性を思いついたり、助言を受けたりしながら、親自身の否認で診断へのプロセスを遅らせた」ことがはっきりしている場合は「後付け」ではあるが親が責任を感じる余地はあるだろう。この場合も過去を悔やんでも仕方がないことであるのだが。
はじめて投稿させて頂きます。
二次障碍を抱えて大人になってから診断されたものです。
一度目投稿しても、全部消えてしまったので、覚えている場所から書き直します。
お見苦しい文をお許しください。
やんばる先生達は、「発達障碍」を持つ人間の命だけでも救うという、難しい問題に取り組んでいらっしゃると思います。
世界の不幸のしわ寄せを避ける術もなく背負わされ、八つ当たりの標的にされるのが「発達障碍」です。
世界に、心も生活も幸せな人というのはいなくなりました。人の善意に頼るということが出来ない空気になりました。
子どもも、大人も、障碍があるということではじかれ、障碍が軽いということでもはじかれて軽蔑される方向へ世の中は動いていってしまいました。
悔しいです。
もう消えた文が半分以上出てきません。
昔はこういう場所に投稿するとき、何時間でも掛けて思い出せましたが、そうしてコメントに全力を注いでいたら健康と生活に思い切り支障を来してしまったので、もうできなくなりました。
前は投稿のクリックをする前に、全文コピーも取って置いたものでした。すると日常の動作や人間関係にも強迫観念が強まっていきましたが、世の中にこうして声を出していくことは、最後は自分の人権を守る行動をしているのだという強いプライドを持っていたので、さらに自分を叱咤激励したものでした。
行動しても、休んでも、外に目を向けても、勉強しても、何をしても自分を守る権利が無いんですね、私は。
思い出しました。
クリックして消えてしまった分の一部を。
「発達障碍」という言葉には力がなければならない、ということでした。
家族を巻き込み、義理を果たせなくなった親戚を巻き込み、家業や介護を非情に徹して斬り捨て、兄弟の性格や人生を歪ませ、何人もの教育者に自身を責めさせ、生まれてこの方自分が素直に生きることを心から喜ぶ人が誰一人いない中で培われた当人の世界観を、白黒反転させてひっくり返すだけの説得力、周りの人の狂った人生も御和算にするだけの重みと説得力を持たせなければならないということ。
しかし、世の中は「発達障碍」を軽く扱う、枠役として扱う方向にしか流れていないということ。
言葉に力を持たせるためには、多くの人間が言葉を正しく使わなければならないはずなのですけどね。
大人も子どもも、「障碍」があるということで人間関係の輪からはずされ、知的障害や身体障害に比べて「障碍が軽い」ということで保護対象からはずされ、もっと頑張れと言われることに対しても、文句を言う相手を持ちません。
「軽い障碍」があるということで、人権不要の人として人から扱われることを、受け入れる生き方を強要されるのです。
そこから、さきほどの投稿の内容に入っていくのです。
消えた一本目を書くために一時間、書き直しの二本目を30分、この三本目も30分。
昔はこの三倍は普通でした。
奈良のエリート高校生の自宅放火事件(最近、供述調書漏洩の疑いでニュースにもなっていた)の高校生は発達障害(アスペルガー?)だったようですし、その、父親はたぶんジャイアンだと思います。
(ご存じない方は「僕はパパを殺すことに決めた」を読んでいただければと思います。)
この父親は、息子が自分の暴力的な教育におびえ、自分を殺すために自宅に放火し、その結果妻と他の子供ふたりがなくなってしまった後も、自分の教育方針に間違いはなかったと思っているようです。
でも、息子をなぐって勉強させていたときも、決して息子が憎かったわけではなく、息子の成長、幸せを願っていたし、今も心から息子の更正を願い、ふたりでやり直そうと思っていると思うのです。
ジャイアン父は自分がジャイアンであることを認めないし、息子がアスペであることも認めない。誰も悪くなくても、ジャイアン父がアスペ息子を育てるのは、無理があるのではないか。発達障害が家族集積するとしたら、誰も悪くないのだけれど、家族の中で発達障害の子供が育っていくのは、難しいのではないか。と、思いました。
我が家でも、こないだ、ジャイアン夫にアスペ息子が全人格否定するような叱られ方をして、発作的に自傷行為に走りそうになりました。(手首をカッターで切ろうとしていたところをみつけて幸い未遂で終わりました)夫の気持ちも息子の気持ちもわかろうとするとつらいです。
でも、夫は大人だし、息子は子供だし、私は母だし、結局最終的には、私は息子を守らねばと思っています。
発達障害は親の責任ではないというのはわかりますが、診断がついた後も、1番いい方法で親が養育できるものなのでしょうか。また、診断がついた後、子供にベストと思われる方法で発達障害の親が対処できるものなのでしょうか?診断がついた後は、親の責任が大きくなるといわれるとかなり、つらい…..かも.
はじめまして。初めて投稿させていただきます。
高校生になるADHD(のび太)の息子がおります。
>あるがさん
息子も学業ではかなり苦戦しており、自傷行為直前まで追い詰められたことがあります。
私は、親の責任というものは、診断がついているか否か、または障害の有無によって、変わるものだとは思っていません。
自分にできることをしてあげる。それしかないと思います。
私も息子が小さい頃から、あれこれ悩みながらここまできましたが、私という人間にはこういう方法しか取れなかったと思えます。知識があったらと、残念に思うことはいくらでもありますが、後悔はありません。
他の誰かが息子の母だったら、もっとうまく彼を導けたかもしれないと思うのですが、私には精一杯でした。
診断がついた後は、親の責任ばかりでなく、本人の責任(自覚すること)もあるのではないでしょうか。いつかは自立するわけですから。子どもが自分で自分の責任を取れるようにしていくのも、親の役割だと思います。
今後のことを考えると不安は尽きないのですが、今まで通り、自分がベストだと思うことを信じてやっていこうと思っています。
私も初めての投稿です。
2年ほど前、DV夫にほとほと手を焼きYANBARU先生にメールを出しました。発達障害の夫と思われるがお子さんは可能性はないかと言われ、それから夫と子どもへの対応を自分なりに模索しています。
>あるがさん
>あっぷるぱいさん
私もあるがさんのように、子どもの守りに入らざるを得ません。不登校も始まり、周囲からは誹謗中傷の嵐です。
でも私は、私になりにやってきました。YANBARU先生のHP、ブログを何度も何度も読み、本も、援助者にもめぐり合えています。でも、これで正しかったのかと思えるまでにはいたっていませんし、結局は結果は出ないのではないかとも思っています。
私はせめて思春期が終わるまでには、自分なりにできることはやりたいと思っています。そして少しでも社会性を身につけて(頭で理解して)もらいたいと思っています。
また、理解のない周囲に理解してもらうまでもこういうこともあるんだと知ってもらうように、くじけずにでも倒れずに少しずつ進んでいくしかないと思っています。
診断が下ってからは、細く長く不安な道だけど進むしかない。それが親の責任なのではないかと自分に言い聞かせています。
あるがさん、私と同じ心境ですね。
心療内科、児童心理、学校のカウンセラーなど、どんなに通っても、家庭の中で、親が養育していく大変さは当事者にしか解りません。
現に今も目の前で、中3の息子がダダをこねています。
理由はこうです。夕方、息子が
「クリスマスプレゼントは図書カードか、現金か、PSPがいいなー」と言う。
私 「じゃぁ、図書カードね」と言って笑うと息子も笑う。
息子「やっぱりなー。言うと思った」
この辺までは良かったが、息子の中で「PSPが欲しい」気持ちがどんどん膨れ上がり、「PSP、PSP」と言いながら、私を軽く揺すったり、髪の毛をつまんだり(痛くない程度に)する。
私「金額が高いから、お父さんに相談してみる」
そう言ったものの「クリスマス」だし、好きな物を買ってあげてもいいかな・・。でも、今も毎日DSで7時間位は遊んでるし・・買った当初は寝ないでやってるかも・・。
夕飯後も息子は「PSP--」と言い続け・・。
息子「今9時。今ならまだお店やってるよ。」
私 「今?・・今日?・・何言ってるの?」
その後もブツブツ言い続け、10時半に帰ってきた夫に相談。日頃のゲーム時間の多さも考えて、買うのは今では無く、クリスマスに決定。
数日間は不機嫌になるのを覚悟して、リビングでDSで遊んでる息子に伝えると、急に不機嫌になり、ゴロゴロ、ゴロゴロ。すごく不快なため息を何度も何度も付く。ソファをひっくり返して隠れる。
さっきまでDSをしていたのに・・・
「あぁーー暇!暇!」
「もう世の中どうでもいいー。死んでもいいと思うしー。この世が早く崩壊しないかなー」
「あぁーー!イヤになった。」
「今買ってくれないなら、要らないから。その代わり現金3万頂戴」
「あ”っーー!もう!」
「クリスマスまでの2ヶ月間、何して暇をつぶせばいいの!」
「明日から、ネットゲームしていいーー?」
続きです。
この間、彼の言葉に反応せず、ずっと我慢して聞くだけに徹する。
夕方の余裕のある会話からは想像も出来ないほど「欲しい」気持ちが倍増し、それを抑えられなくて「自分は不満だ」という言動をワザと私に見せつける。まさに、じだんだを踏んでいる幼児の姿です。
それにイラついた高2の娘が「うるさい!ゴチャゴチャ言ってないで部屋へ行け!」と怒鳴る。
全員が不快になり、空気が重く、リビングから逃げたい気持ちになる。明日が学校のある日じゃなくて良かった・・。
絶対欠席するから・・。でも、月曜も危ないかも・・。
息子の態度は、周りを不快にする。それを認識、反省させる事は「内」である家庭では出来ません。
これらを含めて「息子を支援する」とはどういう事なのか、誰か教えて下さい。
この息子の言動を認める事が、支援なのですか?
「王様」になりませんか?
改めていく事が支援ですか?
「自己評価」がさがりませんか?
アスペルガーの館というホームページから引用させていただきました。
「自閉症児者の自我)
自閉症児者は一見自我を持っているように見えます。しかしそれは自我と言うよりは自分を脅かすものとそうでないものを分け、自分にとって快な刺激を果てしなく求め、不快な刺激を徹底的に排除しようとする欲求であり、とても不安定でその場の感覚に左右されているものです。自分と他人の間には余り境界がなく、自分が思っていることは他人も感じて当然のことであり、究極では自分が思っている通りに世の中は事が運んでくれると思っている節があります。」
合点がいきました。だけど今までのつらい経験はこんなことのためだったのかと自分が崩壊します。人格も人権も否定されそれはあなたの快、不快のためだったの?私との境界がないなら離れるしか私が楽になる方法はないのでしょうか。
私はたぶんADHDのAC(ジャイアン含む)です。小5の息子に手を焼いていますが、見方を変えるとぜんぜん困っていないとも言えます。皆さんの役に立つかどうかはわかりませんが、一言伝えたくてコメントします。
世間の評価にあわせると「困ったちゃん」、だけど、ぜんぜん違う目で見ると、頭の中は宇宙ぐらい広いんじゃないかと思うぐらいいろいろなことを考えていて、自分の意見も持っていて、欲しいものもたくさんあるけれどたぶん仕事をさせればそれなりにできるだろうと思えるということです。人には「おせっかい」なほど親切だし、動きも速いけれど頭の回転も速い。ちゃんとやればたぶん勉強だってできるんです。人と同じでなくていいと思えば、見えないものも見えてくる(3年ほどかかりましたが……)。
最近、私は思っています。小5の子供は忘れ物をしようが、宿題をやっていなかろうが、自分でどうにかしています。だから私は自分の世話をやくことにしたのです。まず、自分。やろうと思ったことがやれているか、ちゃんとしようと思ったことをちゃんとしようとしているか、無理だと思ったら無理と宣言しているか、好きなものを探しているか、努力をしているか、努力をしたら1ミリでも上に上がる、その1ミリを感じよう、そんなことを考えながら日々生きています。
もちろんできないことも、落ち込むこともあります。「明日考えよう」とか、「いいや、やめた」だって、自分でちゃんと思ったのなら意味があると思います。
ゆうさん
自分に自信を持ちましょうよ。がんばっている自分を認めましょうよ。世の中に価値のあるものってなんだと思いますか? 人はいいと言わなくても、自分が好きなものって何ですか? 私の答えは私の答え、ゆうさんの答えがゆうさんの答えです。
はじめまして。
小5のアスペ男児の母です。ゆうさんの辛さ、とてもわかります。書かれていることに対してのアドバイスはゴメンナサイ、何もいえませんが私も毎日ゆうさん親子と同じように息子と戦って?います。例をだすときりがないです。息子の不機嫌で登校不登校が決まる・・・主人の理解もない、医者にいっても変化なし。ここ二週間はやや落ち着いてるけど9月は最悪でした。心中なんてことも頭をよぎるほど・・・今はあるがさんの最後の行の言葉とあっぷるぱいさんの他の人が母親だったら・・・という気持ちです。これもまた息子の状態次第で私の気持ちも変わるかもしれません。ゆうさんのメールをみるとわかりすぎて泣きました。何のアドバイスもなく無駄なメールでごめんなさい・・・
はじめまして。
初めて投稿をさせていただきます。
夫、娘、息子と私の4人家族で、全員がADHD,LDを持っています。子どもたちが診断を受けたのは9年前になるでしょうか。当時小学4年、と2年生でした。この子どもたちも高校3年と高校1年になりました。
あるがさん、ゆうさん、大変ですね。
我が家も数年前まではゆうさんの所のようでした。毎日大声でやめさせる言葉を言い、言い争いになり、怒鳴りつける日々でした。つらいですよね、言って聞くわけではないし、言うだけでこちらも嫌になるし疲れるし、何とかしなければという気持ちだけがから回りして何もかも嫌でした。
そんな時期に主治医から今度ペアレントトレーニングをするから受講してみないかという誘いを受けたのです。以前から言葉は知っていたのですがどんなものか分からずにいたのですが、この際是非にと受講してみました。月1回、10回コース決して短い期間ではありません。でも、受けてから子どもが変わってきました。そして何より自分が変わったのです。(あまり)怒らなくなりました。
ペアレントトレーニングとは行動療法に基づいた理論なのですが、簡単に言うと、子どもの行動を「増やしたい行動」「減らしたい行動」「やめさせなければいけない行動」に分類し、増やしたい行動はほめる、減らしたい行動は無視する、やめさせなければいけない行動は止める。というものです。
ですので、ペアトレの技法からすると、ゆうさんの息子さんの行動は否定的な注目を浴びようとしている行動ですので「減らしたい行動」となります。この行動に対しては無視します。欲しいとダダを踏まれても「クリスマスにしか買いません。」と一回いったらば全て反応をしません。何時間でも騒いでいるかもしれません。その中でちょっとでも言うのを止めたらすかさずほめます。「欲しいって言わなかったね。えらいね。」騒ぎ出したらまた無視をします。やめたらほめます。親はよい注目を子どもに向けるのです。無視はその後の行動をほめるためにするのです。無視が目的ではありません。そこを間違えないようにしてください。
ゆうさんへ
厳しいことを言うようですが、息子さんに依存していませんか?
息子さんが自分の言うとおりにならないから、ノイローゼになりそうなんじゃないですか?
ゆうさんが息子さん以外に楽しみをみつけて、「忍耐」で無い状況で接してあげれば、良くなりそうな気がします。
息子さんは、ゆうさんが自分の依存しているのがわかっていて、無茶を言って支配しようとしている感じがします。
息子さんを更正させるには、「大人になるって楽しいことだ」って親が自分の姿を見せるしか無いような気がします。
正直、障害について無知であったことを悔やむ気持ちはありますが、私の娘もこの度、はっきりと診断がつきました。
今まで、本当にいろいろなことがあり、一時期は絶望的な気持ちになったこともありました。
でも、幸い、ヤンバル先生のブログとの出会いをきっかけに、流れが変わってきました。
育て方に自信が持てなくなって、また間違った方に導いてしまうのではないか?と、誰かの助言を必要としていました。
『診断』がはっきりして、方向性が分かってきました。
同時に、『親の責任』が生じたので、更に『障害』について、理解を深め、自分自身の生き方について考えていきたいです。
文面や、HNから推測するに、コメントがほとんど女性(母)からのもののようですが、発達障害児を持つ発達障害父、あるいは多数派父は子育てにどうかかわっているのでしょう?
それとも、かかわっていない?
男性の立場のご意見も聞かせていただけたらと思います。
よろしくおねがいします。
前回の続きです。
何回か投稿に失敗していたので今回も失敗かと思っていたら、投稿になっていたので、続きを載せます。
ペアトレで大切なことは行動をほめることです。親がほめることが沢山出来るようになったころ、子どもがほめられることになれた頃、子どもは変わってきます。減らしたい行動自体が減っていることに気づくはずです。
子どもの行動を全て許容することが大事なわけではありません、子どもを自律させるのが親の目的ですよね。社会で生きていくための自律にむけて親にしか出来ないこともあるんです。
発達障害を持つ親として、当事者として、出来るところからやってみませんか。
ペアレントトレーニングについては実際に行っている機関を受講するのが一番だと思いますが、どんなものかを知るためには「読んで学べるADHDのペアレントトレーニング―むずかしい子にやさしい子育て」明石書店がよいと思います。
いろいろな道が出来てきています。お互い親にしか出来ないことを出来ることからはじめてみましょうよ。
ペアトレの場合ASの子供達は母親と一番親近感があるので母親が行う方がよいという話でした。
家族一丸でやるのが一番ですが、ペアトレを理解し、自分から変わろうとするのが一番です。
我が家の主人もペアトレを私が伝えるというかたちでの取り組みでしたが、数年前とは本当に変わってきました。子どもが落着いた分指示が出しやすくなった来ています。
特にジャイアン型の場合、理屈を聞いていると負けてしまうことがあります。でも基準は社会のルールに沿っているかどうか、沿っていなければ生活ができなくなるのは本人です。親ではありません。
社会のルールを教え、出来ないことは出来ない自分として受け入れ、セルフエスティームを下げないように行動をほめて生き抜く力をつけてあげられるように両親で進むのが大切なんではないでしょうか。
えらそうに言ってはいても、まだまだ子どもの就労にむけて心配は尽きることはありません。
皆さんにいろいろ教えていただきたいことがいっぱいです。
アールグレイさん
私も、ゆうさんの問いかけに対する答えが分からずに、(同じ経験をしているので・・)こういう場合の対処方は???と、考えていました。
その本を探してみます。(多分、私の地域ではやっていないような気がします。。。)
本当に、私は・・白と言われれば真っ白に、黒と言われれば真っ黒に進んでしまうところがダメですね。。。(独り言です)
『基準は社会のルールに沿っているかどうか、沿っていなければ生活できなくなるのは本人です。親ではありません。』
↑これを時々、忘れます。
全責任を負わなければならない、と、さっきまで思っていました。(すみません、コロコロ変わって)
こんな時間なのに、紅茶が飲みたくなりました。
みなさん、いろいろなコメント、有難う御座います。
マダコさんへ。
「自分に自信を持ちましょう」・・そうですね。日々「この場合、この対応でいいのか?」と試行錯誤しながらやっていても、迷う事ばかり。障害がある、なしに関らず何処の家庭でも、いろいろ悩みを抱えている。
それらを全て丸く治めるのは無理な話ですが、頑張っている自分を認めてくれる、協力してくれる、理解してくれる人(夫は関わりを避け、回避)が身近に居たなら、どんなに楽か・・・。親として、妻として、甘いですかね。
さちさんへ。
私も「息子を殴りたい」とか「施設へ入れたい」と何度も思いました。でも、2次障害を考えると自分の「怒り」を溜め込むばかり。辛いですね。
m2さんへ。
親の責任①にも多少書きましたが、息子を「学校へ登校させる」為に、様々な事をして1時間も起こし続け、挙句、時折、車で送って行く事になるのも「親が依存」になるのでしょうか?子供も多少の問題を抱え「学校へ行きたくない」と思うこともあるでしょう。しかし、「親に注意されたから」「課題をやってないから」「筋肉痛だらか」「眠いから」「起こし方が悪いから」等という理由では、学校へ連絡するのも気が引けます。毎日、ほっておけば夕方まで寝る息子。
医者に「血圧を上げる」薬を貰って試してみても、プラス本人の心掛けが無いので失敗。
朝、起きられない体質ではなく、休日、友達と約束した日は2度位で起きる、友達が泊まりに来た時は1度でパッチリ、スッキリ、学校で用事がある時も2~3度で起き、全然手が掛かりません。それを知っているので、毎日、毎朝、「何故こんな大変な思いをして起こさなければいけない?」と思うのは私の理解が足りないのでしょうか?
アールグレイさんへ。
光の見えるコメント、有難う御座います。
ペアトレは、まだ試していませんでした。その前に、息子に「告知」をするべきか迷っています。告知をして、了解の下ペアトレを行わないと、意味がありませんよね。しかし、告知をして、それを理由に「王様」の度数が大きくなる、ずる賢さが息子にはあります。悩むところです。
「行動をほめて生き抜く力をつけてあげられるように両親で進むのが大切」
これに於いても、私は障害の知識を得る事を続け、息子にムシャクシャしても理解するように努力し、悩みも、楽しみも話して、笑い合う事もあります。
問題は夫です。傍から見れば優しくて働き者で、良い夫。
でも、息子が不登校になっても、妻が四苦八苦していても「放任主義だ」と言い、相談すれば「途方に暮れる」「嵐が過ぎるのを待つ」と言い「自己弁護」に走り、会話が途切れます。
子供に「お世辞でもいいから、褒める」「子供の趣味の会話でコミュニケーションを図る」「優しく不登校等の、悩みを聞いてあげる」「何気ない会話で盛り上げる」・・etc
夫自身の意図でない事、つまり、相手のために自分の感情を曲げてでも話を合わせてあげる事ができません。
自分の言いたい事を、言いたい時に言う。これだけ。
息子の欠席が多い時、私には話せない事もあるのかもと、夫に「話をしてみて」と頼めば「命令されてやりたくない」と返される。協力を、理解を求めれば求めるほど夫は無口になって行く。母子密着型を変えるのは夫の役目と、何かで読んだ事がありますが、現在の我が家は、子供の事は私が全てを背負っています。社会のルールも、道徳的な事も、心のケアも・・。社会人として生きていく事の大切さや、大変さ、困難を乗り越える為の心の持ち方、人に対する気遣い、その場に合った言葉使いや行動・・・。
「会話が無い」と言えば「のべつ幕なし喋ってるのか?」
と極端な返答。「障害の知識を得るために」と本を渡せば「他に読みたいのがあるんだもん」と子供の我が侭?みたいな返答。
夫は「父親として教えるべき事」は、何も持ち合わせていない・・人生の指針が無く、場当たり的。
「衣、食、住」最低限の事は出来ていますが、「手を掛ける」幼少期が無事終わって、「心を掛ける」思春期、青年期に入った途端、夫の、父親の存在が無くなりました。
>ゆうさん
私はASなので、ちょっと誤解を与える書き方をしてしまったことは失礼しました。
おそらく、息子さんはこのように思っているのではないかと推測します。
お母さんは、一見、自分のことを心配してくれているようだけど、実は自分の世間体のために心配しているだけなんじゃないか、本当に僕の気持ちをわかっていてくれているわけではない、 と。
ASだからかどうか関係あるかはわからないのですが、反抗期の年頃の男の子として、そういう気持ちを持つのは、そんなにおかしなことではないのではないか、と。
ASだと、反抗する気持ちにこだわりがあったりすると、極端に出てしまうこともあるかもしれません。
息子さんに代わって、あえて言います。
本当に自分のことだけを考えて、心配してくれているのですか? と。
失礼な言い方ですが、文面から、お母さん自身のために心配しているような雰囲気が読み取れてしまいました。
お母さんの夢を、息子さんに投影しているのではないか、と。
それを依存と表現させてもらいました。
もし息子さんがAS(自閉症)としますと、自分のやりたいことには絶対のこだわりがあります。
まずは、息子さんに対する干渉(息子さんにはこう見えます)をやめてみたらどうでしょうか。
おそらく、簡単にはできないのではないでしょうか。
ゆうさんが息子さんを放置することと息子さんがゆうさんの言うことに従うことは、たぶん同じくらいの難易度なのだと思います。
ならば、息子さんに期待するより、自分が殻を破ってみる。
という道をとっていただきたいと思います。
ゆうさんへ
お子さんへの告知の件ですが、子どもさんのセルフエスティームが落ちている状況での告知は避けた方がいいような気がします。障害名を告げることが目的ではありません。その子の困ったいるところを直すために行ってるんだということでもかまいませんし、ペアトレは本人が知らなくても出来ます。
私は娘の告知で失敗しています。というよりADHDと認識したのが思春期でした。
セルフエスティームの落ちた状況では、出来ないこと苦しいことを全て障害のせいにしてしまったり、知らない方がよかった、何も困っていないのに勝手に障害者にしたと親を責めることもあります。うつ状態になったのも原因が無いとはいえません。
障害名を知ったところで本人には何も変わらないのに障害者としていきなり自分がたたされるのです。そうでなくても思春期は自分探しの時期です、今の時期の告知はよく考慮して行った方がよいと思います。
自分で理解しようとして障害を受け入れるのと、いきなりあなたはこうだからと決め付けられるのを受け入れるのは全く違います。受け入れるのににすごくかかると思います。
今の状況から考えて、信頼関係を強固なものにして子どもさんのセルフエスティームを高い状態にしてからでないと余計に大変なことになると思います。
障害名で説明するのではなく、子どもさんの困り感を共有する形で、それが楽になるといいねというような形でペアトレを進めていかれることをお勧めします。
男の子の場合お父さんにキーパーソンになってもらうことが大事なのですが、ペアトレはお父さんがいないところでも出来ますから、そしてその技法はお父さんにも使えますから子どもさんでやってみて、ついでにお父さんにも試してみてはいかがですか。
おだてられれば夫も喜びますから。一緒にお父さんも育てていくぐらいに構えて行きましょうよ。
お父さんを変えるぐらいなら自分が変わって子どもを変えた方が早いです。子どもはお母さんが変れば変わりますから大丈夫。
ゆうさんなら大丈夫。いままでもがんばってきたんですもの。
でも、がんばりすぎないでくださいね。出来たらよかった、出来ない日もあるさぐらいにおおらかに構えて過ごしましょう。
ゆうさんへ
m2さんへの返答の中で
>子を「学校へ登校させる」為に、様々な事をして1時間も起こし続け、挙句、時折、車で送って行く事になるのも「親が依存」になるのでしょうか?云々。
とありましたが、これは、共依存の状態だと思います。起されないと起きられない、理由をつければ学校に遅れていくことも休むことも夕方まで寝ることも出来ると知っている息子。それに対し起さないといけない学校に連れて行かなければ行けない、連絡もしなければいけないだって私は母なのだから。という構図が見えてきますよね。
どこが共依存なのでしょうか。学校に行くのは本人です。休むのも、課題を出来なかったのも、寝坊したのも本人です。学校に行く責任がるのは本人です。起すのは起きられないのを手助けしただけで、親の責任ではありません。まして休む理由は全て本人の理由で母が悪いわけではありません。なのに、その尻拭いを全て母がしている状態ですよね。
それこそ社会のルールは自分の責任は自分で取らないといけないのです。起きられないのは自分の責任だし、休む、遅れるの理由をちゃんと言って連絡は自分で学校にしなくてはいけません。もちろん中学は親が申告するシステムでしょうが、あえて本人に自分ではなさせてその後、お母さんが、今言ったとおりですのでよろしくお願いしますといえばいいのです。
困ればお母さんが何とかしてくれるという悪循環を断ち切らないといけません。
ゆうさんへ
m2さんへの返答の中で
>子を「学校へ登校させる」為に、様々な事をして1時間も起こし続け、挙句、時折、車で送って行く事になるのも「親が依存」になるのでしょうか?云々。
とありましたが、これは、共依存の状態だと思います。起されないと起きられない、理由をつければ学校に遅れていくことも休むことも夕方まで寝ることも出来ると知っている息子。それに対し起さないといけない学校に連れて行かなければ行けない、連絡もしなければいけないだって私は母なのだから。という構図が見えてきますよね。
どこが共依存なのでしょうか。学校に行くのは本人です。休むのも、課題を出来なかったのも、寝坊したのも本人です。学校に行く責任がるのは本人です。起すのは起きられないのを手助けしただけで、親の責任ではありません。まして休む理由は全て本人の理由で母が悪いわけではありません。なのに、その尻拭いを全て母がしている状態ですよね。
それこそ社会のルールは自分の責任は自分で取らないといけないのです。起きられないのは自分の責任だし、休む、遅れるの理由をちゃんと言って連絡は自分で学校にしなくてはいけません。もちろん中学は親が申告するシステムでしょうが、あえて本人に自分ではなさせてその後、お母さんが、今言ったとおりですのでよろしくお願いしますといえばいいのです。
困ればお母さんが何とかしてくれるという悪循環を断ち切らないといけません。
続きです。
中学ならばもう大人になる訓練を始めなければいけない時期です。失敗を本人に沢山させなくてはいけません。そこに立ち向かっていく力を付けるのが親で、手を出すのが親の役目ではありません。思春期以降は手を出さずに目をかけることが大事な親の役目です。自分のことは自分でさせる。社会はそういうところです。出来ないことには助けてと援助を求めさせる。それから手を差し出せばいいのです。先回りして子どもの道を妨げてはいけないのだと思います。
これからの方が人生長いのです。自分で歩けるように導いてあげましょう。手を出さないことは手をかけてきた親にとっては辛いことです。先が見えるだけに手を出したくなりますよね。でも、石ころは自分で退けなければいけないのです。転んだら一人で起きないといけないんです。失敗しても許される年代のうちに山ほど失敗をさせましょうよ。それを支えてあげる親になりましょうよ。お互いに。
m2さんへ。
再度、コメント頂いて有難う御座います。
「世間体」というより、学校の担任の先生とカウンセラーの先生から「学校では良い子です。登校するよう、毎日大変でしょうが、お母さんが頑張って下さい」と言われていたので、ついついムキになってしまうのでしょうね。
週1の間隔で、今日も欠席しました。
十分余裕の時間だったのに、ワイシャツとネクタイに20分掛け、全て着替え終わったのは8時20分。
「行きたくないんだな」と見て取れる行動でした。一声かけて、後はほって置いたら、自室の片づけを始め出し、机の引き出しの音、本棚の扉の音など、ガタガタ、ゴトゴト。
12時近くまでやっていて、その後は寝てしまい、夕方5時に起きました。
みなさんのコメントを読んで、また、新たに気付くことがありました。
私は、子供に依存していたのかもしれません。
「大人になるって楽しいことだよ」って、感じさせられなかったと思います。
子供に、「努力」を強いて、私はひたすら「忍耐」の姿勢を見せていたと思います。
私自身が、現実や、問題を、直視できなかったのだと思います。
問題の根本に目を向けれなかったし、結果としての子供の行動だけに目が行ってました。
そこを感情的に怒ってしまいました。叱るではなく、私の感情で怒ってしまいました。申し訳ないです。一人の人間として、謝罪します。
私も感情的に怒られたら、ダメージを受けるだけで、前進ではなく、自信喪失になるだけです。
本当の意味での『親の責任』は、親が変わることなんだろうなと思いました。
変わる意思のある親なら良いですけど、変わる気配も無い親は、いくら話をしようとも、聞く耳を持ちませんから、大変です。
本当に、何なんでしょうか?
今まで、散々、話し合う時間・機会はあったのに、話し合いを始めれば「みんな俺が悪いんだっていうことなんだな」と全く結果だけしか見てくれません。
アールグレイさんへ
有難う御座います。コメント頂いた内容は、頭の片隅に合ったはずなのに、目の前の出来事に躍起になって忘れていました。
学校での保護者会に参加して、先生方のお話を聞いているととてもプレッシャーを感じます。
「親御さんも、お子さんの遅刻・無断欠席を無くす努力を」
「課題・宿題の未提出者が多いので、努力を」
「コミュニケーションを図り、心の安定に努力を」
「自主性・計画性を持たせ、目標を作る努力を」
などなど。
息子は昨日に続き、今日も休みました。
学校に4~5人の友人がいますが、登校する意欲が全くありません。夕方まで寝てるでしょう。
反映された自分のコメントを読んで、「まだ、後ろばかり見ているなあ」と、客観視できました。
『ペアレントトレーニング』、勉強してみます。
先日のコメントは、足踏みでした。
前に進もう~!
ゆうさん、hikariさんへ
ちょっとずつでも明るくなれたようなので、私はうれしいです。お母さんは太陽でいたいですよね。
でも、この障害を持った子どもたちはいろいろな時期、転換期、にトラブルを起します。それがあるので、親は多数派の親御さんでは感じられないほどのストレスを抱えるのだと思います。これは親でなければ感じられないストレスで、親である以上生涯終わることはないものなのでしょうね。良い時と悪い時それが周期的に起きるので気の休まるときがないんですよね。
でも逆に言うと、そういうものなのだとどこかで腹をくくることが心構えで大事なんだと思います。
苦しくなったら同じ悩みの人と話をするのも手だと思います。前提条件なしで話が通じる話しやすさは救われますよ。私はそこで救われて元気をもらってきます。ピュアカウンセリングの効果でしょうね。
おまけ・・・ペアトレの秘訣
子どもがよい行動(自分の感情ではなく社会的に見て)をはじめようとしたら、はじめたら、続けていたら、最後までやる努力をしたら、「すぐに」「近づいて」「その場で」こころからほめる。直観力に優れてわが子達は、見抜きますからね。(机を片付けたの。えらいね。等)
指示を出すときは「短い言葉で」「近づいて」「普通の声で」指示する。決して怒った声や大声ではいけません。(起きる時間です。おきます。おきなさい。等)
ペアトレ仲間が増えるとうれしいな。
前に投稿させてもらった者です。ゆうさんがここに投稿されて、色んな方々がアドバイスや感想を書かれて私は救われるおもいです。ゆうさん親子と私と息子の状況は似ているところが多々あって母として共感する気持ちや思いがたくさんありますし、わが親子はアールグレイさんのいう共依存の関係であることに気付かされました。m2さんの言葉も貴重でした。私は息子のアスペの世界を知りたくて自伝を読みまくりましたがもともと個人差が大きい障害、なかなか分かれませんでした。私がいかにいままで干渉しすぎだったことがわかりました。ぶっちゃけ息子のかんしゃくに対応するのは私はしんどいのです。でも主人におまえは自分のことばかり考えてるから好きなことばかりやってるから・・・息子が不登校に、パニックばかりおこす、と言われたので反省しそれからは息子のためだけに息子中心に考えてました。自分が楽になりたいから息子に社会性を身につけたいと思ってましたが、母として普通に将来を心配していた自分もいて、もちろんかわいいです。ドラマの電車男みたいにかわっててもいいからすきなことをみつけておたくでもいいから何かコレというものをみつけてくれたら・・・と期待してみたり。悲観したり。勝手ですね。とにかくここでいろんなことに気付かされました。
アールグレイさん
情報ありがとうございます。
ペアレントトレーニング、始めています。
具体的な対応の数々に、ちゃんと方法はあるんだなぁと、うちに限らず、社会全体に広がっていけば良いなぁと思いました。
これからじっくり学んで行きたいです。
『ピュアカウンセリング』という言葉も初めて聞きました。
こちらは、それなりのカウンセラーが必要みたいですね。
何か良い情報がありましたら、宜しくお願いします。
親の責任①に続き、たった今こちらも読ませていただきました。
アールグレイさんがご紹介になっている「ペアレントトレーニング」というものを初めて知りました。
その中の“ほめる”ですが、親の価値観を全否定しているわが子に対しては、できない対応だと思いました。ジャイアン母である私が、自分の価値観を抜きにほめることは不可能に思えますし。
しいていえば、「ありがとう」だけかな。
そんなことも含めて、今の私にとても参考になりました。
現在「戦略的ゆったり」を実現するため悪戦苦闘していますが、同時に、依存関係を断ち切るベストなタイミングだと思いました。