はじめてコンサータの効果を目の当たりにした小学生のご家族が、「出来ないことを怒ったのはかわいそうだった」と語った言葉が非常に印象的だった。
服用したら注意もされなくてもとっとと宿題を片付けられるということは「努力の問題ではなかった」「出来なかった」ことを意味する。
薬剤のひとつの効果は、「薬の効果を通して障害自体の本質を理解できる」点である。
成人へのストラテラの効果は、コンサータの「短期的」効果とは少し違う別の形でADHDの障害を浮き彫りにする。
その中で自己評価への効果は処方している私自身にも予想外の結果だった。
もちろん実際に家事が出来たりすることの「事実としての成果の結果」は確かにあるのだが、「その前に」「直接の効果として」自己評価が改善している部分があるのが驚きだった。
例えば、ストラテラが効果が出てきてから「他の人が高く評価されているのを見て、自分がダメだと思うことが減った」という本人の感想がある。
その人が高く評価されるに至るプロセスを想像して、(その瞬間に)自分を単純に比べることが意味が無いという風に考えられるという。
非常に冷静で合理的な思考が出来るようになるということだが、逆にこの効果からそれ以前にあったことを想像すると、 「ADHDは取り立てて改善したと言うほどでもないような小さな不適応感、周囲とズレた感じを日常生活の中でずっと感じ続けていて、それが非常にたくさん積み重なって自分がダメだという自己評価の低下を形成している」という風に私には想像できる。
ストラテラはこういう小さな不適応感を細かく一つ一つ改善していて、「それらの一つ一つの効果は見えないくらい小さいが、集積してみると全体としてのパフォーマンスが劇的に改善している」というのが20名、30名と効き具合を聞いてみた私の印象だ。
通常二次障害の自己評価の低下は、幼少期、学童期から実際に叱られたりいじめられたりしたことの後遺症のように考えられているが、ストラテラで改善するところを見ると、「日々作られ続けている」「常時感じている」二次障害の部分があると理解できる。
自己評価について考えるとどんよりします(笑)
自動的に下がっていく感はあります
その場では分からなくても後で考えてそうなります
過去出来事は何とかして解決できる(しようとし続ける)と思っているのですが
それを準備の足しにしようと
ずっと自分の倫理について考えてたのですがストラテラでメタ規則を作れるのでしょうか
自己評価に関しましては。
「やっぱり俺はダメだ」「いやいや俺にしてはよくやった」「何言ってやがる。やっぱり俺はダメな奴だ」の文言が無限ループでアタマの中を駆け巡り続けることがしょっちゅうあります。
最近は「どうせダメなんだからこれで諦めろ」と言い聞かせたりしています。
昨日書いたコメントで訂正せねばならないことがあります。
「俺」ではなく「お前」でした。いつも心の中で聞こえる言葉は。
もう一人の自分、自分を見つめる客観的でもなんでもない存在、中心志向で責任逃れをするための仮の存在が、「お前なんてさっさと消えちまえ」「いやいやお前にしてはよくやってる」としょっちゅう呟いています。
小生は慣れっこになっていますが、もしかしたらこんな余分な声も聞こえなくなるのでしょうか。
もしかしたらそれで作業効率があがるかもしれませんが…..
どうしても出来ることが限られてくるし、些細なことでもプレッシャーを感じ、実行した後に大きな疲労感が残るため「どうしてこんなこともスムーズにできないんだろう…」と、ふと死にたくなることがあります。
(以前自殺しようとして失敗してからは、「また中途半端な気持ちで自殺に失敗して、今度は寝たきりになって死ぬことも出来なくなったらどうするんだ?周囲に迷惑をかけ、一生後悔しながら生きなきゃならないんだぞ。その覚悟はあるか?ないだろう?どうせ本気じゃないんだから。」と、自分に対し脅しをかけて不安にさせてます。)
「やるからには完璧に」という中心志向の部分がプレッシャーになり、物事を実行しづらいんですかね。
自殺を良い意味で「先延ばし」してたのかな。
ストラテラで自己評価が上がるなら、少し遠くの病院に通ってでも診て貰おうかな…と気持ちが傾きつつあります。
自殺は3回考えたことがあります。
はじめは小6のとき。
同級生の虐めが酷くなり、生きているのが心底いやになりました。
そのときは風呂場で亡き母親が「あんたなんか気になることがあるんじゃないの。なんでも言いなさいよ」と突然話しかけてきたのでびっくりして自殺を考えるのはやめました。
その同級生とはなんとかうまくやり過ごすことを覚えるようにしました。母を悲しませたくなかったのか、母親には絶対服従の洗脳状態だったのかは今となってはよくわかりませんが。(ちなみに小6まで一緒に風呂に入っていました。でもこの頃から一人で入るようになった気がします)
2回目は浪人のとき。
国立大医学部でなければならない、と自分自身でも親からも課せられた目標があまりにも高かったのでくじけて絶望して夜中マンションの屋上から飛び降りようと。
このときはなぜかめっちゃいい天気。
(最後だと思い)屋上からはじめてじっくりとみた夜空にはたくさんの星が。そして眼下にはそれ以上の夜景が。見ているうちに「なんでこんな綺麗な世界で自ら死を選らばなけりゃならんのだ。不条理だ」「飛び降りて死に切れなかったらカッコ悪いし、そのあとずっとぶざまな生き方をせにゃならんのだろうなあ」などと考えているうちに馬鹿馬鹿しくなって、もうちょっと生きてやろうと思い直しました。
(長いので続きます)
(自殺未遂(にもならない)話の続きです)
3回目は大学1年のとき。
健在だった両親や友人サークル仲間先輩との関係がうまくいかず(もちろん中心志向の自分のせいで)、ああ大学に合格できたらすべてがうまくいく、幸せになれると思ったのは間違いだったと思い込み、当時読んだ本に「雪に埋もれた死体はとても美しい」という文言にも惹かれ(嘘ですよきっと。やっちゃだめよ)電車で雪国へ死にに行こうと決心。
土曜の午後。電車賃を降ろしに銀行へ。
当時はお金降ろすのは土曜日午後2時まで。日曜祭日はなし。
長い列。でもいつもの感じならなんとか間に合いそう。これで自殺できるぞ。
でもなぜか時間がかかる。手際の悪い人が多いのか、おろす金額が多いためか。
ついに自分の番が来た!
そこで「取り扱い終了」の残念な表示が。
このときは本当に複雑な気持ちになりました。
今度こそは死のうと思ったのに!
でもほっとしたのも事実。
「天国のおじいちゃんおばあちゃんが死ぬんじゃない、と言ってくれたのかなあ」
なんて思いながら帰宅。
死んだ方がいいんじゃないかと思うことはその後も何度もあったけど。
決行しようとしたことはもうありませんでした。
迷惑をかけまくって、カッコ悪い生き方を続けることを選んだようです。
つまらない話でごめんなさい。
私も、この先どう生きていけばよいのだろうと真っ暗な中にいたことがあります。生きているのが苦痛だから死にたいと考えていた訳ではなく、なぜ日々戦場だった家庭に生育したのか、それによって普通の生き方をすることを失い、誰かに話したとしてわかってはもらえない、どう生きていけばよいのかわからず、迷惑をかけないように生きていく術がわからない、いっそのことこの世から姿を消したら…と思っていました。医療現場にいたために、K(カリウム)を静注すれば…とも思ったことがありました。過去の話です。
20代、私は「死ぬ術を知らなかった」と言っていました。それだけ無我夢中であったわけですが、30歳を超えて真に社会人としての責任を負っていく段階に差し掛かって、あまりにも自己中心的で人のせいにして生きてきたために、真に自立したおとなとしての生き方を知らなかったのです。全面撤退の究極が「姿を消すという考え」だったのかもしれません。
私が学び続けるのは、底辺の家庭に生まれ育った事実から逃れ、立派に生きているのだと思いたいからでしょう。努力によって報われるものがあります。しかしながら、努力をしても報われない領域があります。それは生まれ持った特性そのものです。そろそろストラテラが必要かなとも思っています。
>通常二次障害の自己評価の低下は、幼少期、学童期から実際に叱られたりいじめられたりしたことの後遺症のように考えられているが、ストラテラで改善するところを見ると、「日々作られ続けている」「常時感じている」二次障害の部分があると理解できる。
私も二次障害が日々作られ続けている、と感じます。年の瀬、大掃除をしなければならないのに体が動かない…。動けなくて自己嫌悪…。きっと子育てしていたらもっと自己嫌悪に陥るだろうなぁ(>_<)
昔からやることが遅いので、できるだけ準備をしてから物事に取り組むようにしてました。
強迫的な性格で心配事はなるべく取り除きたかったし、準備したのに予定を変更されると(ASの様に)腹が立つのですが、普通の人がここまで準備に時間をかけないということは分かっていたので、「どうして自分だけがここまで神経使わなければならないんだろう」といつも疑問に思ってました。
自分には子供もいないし、フリーターで社会的地位もなく、何も失うものもないので「今が死に時だ」と悟り、自殺しようとしたとき「この苦しみに耐えられるなら、生きて行くことの方がずっと容易いはずだ!」と、根拠のない自信…というかエネルギーが湧き、成し遂げられなかったのを覚えています。
直後は情けなかったのですが、これが人間の「生きたい」という本能であり、これに抗うには相当な労力が必要だということを身を持って知りました。
あと、ほぼ絶縁状態の親戚(おそらくジャイアンACで二次障害でうつ病発症)に、何度も自殺未遂を繰り返す人がいて、今はパーキンソン病で車椅子生活を送っているので自分で死ぬのは困難なのですが、その話を聞いたとき「何度も死のうとしたから、天罰が下ったんだ。」と怖くなったのも、その後自殺をやめた理由の一つです。
もちろん、自殺未遂を繰り返すことと、パーキンソン病を発症することが無関係だと頭では分かっていましたが。
(ちなみに、その親戚は今でも投身自殺を繰り返すそうです。いつも通報されて未遂で終わるようですが)
「家族が悲しむから」とか、「震災で生きたかったのに生きられなかった人もいるのに」とか、もっとマシな理由があるだろうとも思うのですが、心に響かないんですよね。
それよりは、なるべく死んだ後家族に負担がかからないように…等とよく考えていたので、最初のコメントのように自分に言い聞かせて戒めた方が、良い意味で諦めがつきます。
Paul Carpenterさん
かえって気を遣わせてしまって、こちらこそすみません。
悪い癖で、空気が読めずにすぐ重い話になってしまいます。
みさん
「努力によって報われる」
私の好きな言葉で、思春期まではこれで乗り切ってこれました。
今は「適当に手を抜く方法を身に付けたい」という気持ちがありますが、強迫的な性格が邪魔で中々難しいですね。
道産娘さん。
ここは重い鎖を背負わされた者がお互いの貴重な体験談を包み隠さずぶちまけてよりよく生きるための方法を模索する場だと思っています。何も気になさる必要はないかと。というかYANBARU先生が承認された時点で十分だと思います。
ちなみにスイッチ10個のうち3個しか入ってないから、パワー不足で自殺を完全遂行できなかったのかなあ、とも考えたり。
>震災で生きたかったのに生きられなかった人もいるのに<
これは小生そのものです。あの時は間一髪、紙一重で助かりました。周りで多くの方が非業の死を遂げました。知人もいます。
その後の小生の人生はおつりだと思っています。それもあってこの世から消えたいと思っても決行はしなくなったのかもしれません。
みさん。
>私が学び続けるのは、底辺の家庭に生まれ育った事実から逃れ、立派に生きているのだと思いたいからでしょう。努力によって報われるものがあります。<
小生も小学生の途中までそうでした。そして当時裕福(一時的にですが)だった養父に母ともどもお世話になりました。
しかしお世話になる以上は両親の期待には絶対に応えなくてはならず、苦しい毎日。楽しいことといえばたまにモノラルのラジカセに録音した音楽を聴くことぐらいでした。そのうち生活レベルも下がるとともに小生の心も荒んでいきました。わずかな夢も希望も消えていったように思います。
>しかしながら、努力をしても報われない領域があります。それは生まれ持った特性そのものです。<
仰るとおりだと思います。劇的に生活が人生が好転する可能性があるのなら、お試しになる価値はあろうかと思います。
ただ小生は毎日絶望感と闘いながら忙殺されておりますが、個人的には薬に頼りたくないのでこのまま行けるところまで行く覚悟です。(鼻炎がひどく年中服用せねばならず、それだけでフラフラ状態、という事情もありますが)
みなさんそれぞれ違った事情、大きな問題を抱えておられますから、ご自分にあった生き方を探すのは当然です。
いつもYANBARU先生とこの場に集う方々に感謝しています。早朝の一仕事を終えた後、皆さんに勇気を与えてもらっています。
Paul Carpenterさん
ありがとうございます。
1人が当たり前で自立した考えを求められるジャイアンが何を甘えたことを言ってるんだと、また自己嫌悪に陥っていたので、お二人のコメントを見たら涙が溢れてしまいました。
(お叱りを受けるのではないかと内心ビクビクしてました。)
私も先生の記事やここでの皆さんのコメントには励まされますし、自分が間違ってなかったのだと再確認できます。
もう少し図々しさが欲しいものです…
コメントありがとうございます。
ストラテラを飲んでいる知人が近くにいます。
が、効きはじめたとおぼしきころから、彼からのダメ出し(作業などで雑談をすると必ず、私ができているところを聞いたのち、それを逐一けなし、自己正当化をする)が非常に強くなり、辛くなりました。
ジャイアン性が強くなったと感じます。彼にとっては、人との比較は消えるというより、むしろ顕在化したように感じています。
はじめて。新潟のアスペルガー症候群のものです。電気の技術職で、6回ほど職を変えています。人間関係のトラブルの退職は4回。先日も努めていた産廃処理の工場をいじめ退職しました。
支援センターと、職安に相談して、はじめて障害者枠を利用するつもりですが、電気の技術職や、そこそこの収入は期待できないようです。
能力の高い人が生き残る。生物だから当たり前なのだなと考えています。
もっと社会的な問題にならないと、多分、発達障害者に対する国の対応は変わらないでしょう。
生きるも死ぬも個人の決めるべき問題だと思います。
おはようございます♪
先生^.^*
最近頑張ってるとこで、天然!?って言われる事が多くなってきた私です。
自分では全然違うのだけど(ヾ(´・ω・`)笑
良くなってるのかなーって♪
嬉しいです。
天然への道(〃^ー^〃)
24歳の息子は小3の時に学習障害と診断され、リタリンを3年ほど服用していました。
その後、ADHDと診断が変わり、本人の抵抗があり、通院も薬もないまま過ごしました。
対人関係や生活面での不器用さはあるものの、個性を尊重してきました。諸事情により、昨年、強引に診察を受けさせ、ストラテラを服用中です。
なんとなく表情が穏やかになったかなぁ??
なんとなく出勤前に忘れ物を探しに歩き回らなくなったかなっぁ??これが効果なのかわかりません。
本人も「全く変わらない」と言います。
私もリタリンの時の様な効果を期待していたので、今後も毎回私が服薬確認をしながら続けていくのが良いのか?思案していたので、「小さな不適応感を細かく一つ一つ改善していく」というのは嬉しい限りです。本人と今後について話しあってみます。
はじめまして
夫が変わった人でどうして?夫は何かがあってこうなってしまったのかと長年救いの道を探すうちここにたどり着きました。
典型的な症状などになかなか当てはまらないと思う中時々感じる精神年齢の低さ思わず2・3歳と思えること。
大学 会社生活を送ってきてなおも 常識では考えられないような 極端に場当たり的なおどしをくりかえすこと。
先生が書いておられる内容にすべて当てはまると思いました。甘やかされた環境は今も続いており夫がすることは頭がよすぎるからと(普通ぐらいですが)何をしてもスルーされてしまいます。
病院や薬で積極的に自らをよくしようとする方々の他に決して病院にいかないで回りに被害を与えているジャイアンさんを静める方法は無いものでしょうか?
病気なのに本人が救いを求めなければ助けられないのでしょうか?
ストラテラの何だか作用によって我流の相対化が進む。自己評価を下げなくても上げなくてもよいところが、良いわけですね。これは非常に画期的だったです!
あのー我流の相対化は弁当のおにぎりを作っている時に考えました。
おにぎり、普通の作り方はあるけど私の作り方はそれとは違います。どっちでもいいですよ最低限食べられれば、またおいしければ、ということに自分の中でなってはいたんですけど、以前は私は普通に作れないからこうするしかないんだでもほんとじゃないんだ、という否定感のようなものがあったのです。
字の書き順にしてもボタンの留め方にしてもetcささいなあるいは重大な根本的な基礎が無い・出来ない不安感がありました。やり方が違うね変わっているねと人に指摘されることは多々ありました。
ところが今は。自分のやり方を普通のやり方と並べてみてどっちも有りであると考えられるようになったのです。ただ無言のままおにぎりを作って味見しながら、自分の我流は、そうするしかないことから選択してすることへと変換していけるのではないかと思う…
そして心理士さんがあなたは我流で行けばいいと思いますと言ってくれたことを思い出してあれはこういうことなんだろうと思ったり…
どっかいっちゃったけど薬の冊子に確か、薬はノルアドレナリの再取り込みを阻害するだけなので、改善したことはあなたの努力のせいですということが書いてあったと思うので、そうだよね私の手柄だよねと思ったり…
違いましたっけ?
私はプラシーボが非常によっく効く体質なためか、周囲より本人のほうが効果を実感しているという状況になっています。今約四ヶ月で60ミリグラムになりました。