ADHD関連

ジャイアンに慰めは要らない

 (前の「ASのオモテとウラ」のスレッドはこの話と一対となっていて、こちらを書かないと意味が分からないので、一組で読んでください)。

 ジャイアンの自己突っ込みは(特に中心志向からくる自己突っ込みは)、非常に冷酷で情け容赦が無い。崖から突き落として、「こいつが悪いから自業自得だ」と言ってのけるような異常な厳しさがある。

 だからどんなに厳しい指摘をされても、(依存型ジャイアンを除き)ジャイアンは指摘をされたことで落ち込むことは無い。なぜなら自分でいやと言うほど自分に突っ込んでいることだから。

 ただしそれで新しく落ち込むことは無いのだが、「自分でいやと言うほど突っ込んでいることを何であんたに言われなければならないか!」と逆切れして攻撃はする。黙らせようという激しい反応は必発で起こる。

 逆切れはするのだが、そのことと、「慰めて欲しい」「フォローして欲しい」ことは根本的に異なることが理解されにくいだろうが非常に大事なポイントである。

 ジャイアンは慰められると逆に落ち込む。同情はいらない。人に助けは求めない。

 なぜなら、ジャイアンの自己突っ込みに他者のフォローは全く無効だからだ。他者がなんと言おうが一番厳しい自己突っ込みは一生続くのだ。

 ジャイアンは人に助けられることが出来ない。その意味で根本的な孤独の中で生きている。慰められると、自分では突っ込んでいるのに慰められていることが逆に許せなくなって、「馬鹿にするな」と逆切れするか、「上っ面だけで良い顔をする嘘つきやろう」と攻撃するか、ボーダーのように「本性を出させてやる」と現実的に追い込む試し行動に出るか、うつ状態や身体症状が悪化するか、いずれかの状態となる。

 ジャイアンには同情はやめよう。他の世間やASの場合に言うようなフォローや気休めは年中自分を痛めつけ続けているジャイアンには辛すぎる。

 (もちろん自分で考えることを停止している依存型ジャイアンは別だ。また、慰めるのではない「表面的におだてる」「表面的にほめる」ことは全く別の意味で元気付けることにはなるのだが)。


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コメント

    • 黒すりごま
    • 2008年 4月 07日

    二つの記事、拝見しました。感想は一言「よくわかりませんでした」ですが、この「わからなかった」が私にとっては嫌ではありません。
    叉このコメントが何らかの要素で、ジャイアンさんの気に入らなくても、私としては「何もわからない」ので、これしか言えないかなと思います。その結果、ジャイアンさんに叱られても、噛み付かれてもしかたないなとも思います。
    でも、こういうコミュニケーション自体をジャイアンさんが負担に思われるとしたら、大変申し訳ないので、もう引っ込む覚悟はいつでもできています。
    ただ、私は相手の表面的な態度や反応を見て、引っ込むことを決断するというよりも、自分の中の直観で、「潮時」を察知して行動すると思います。この言い方も生意気で、お気に召さないかもしれませんね。ごめんなさい。

    • あおがえる
    • 2008年 4月 07日

    僕も厳しい自己突っ込みをしていると思います。
    人からそれを指摘されるのは嫌ですね。
    だから引き蘢って自分の自己突っ込みにかなうものを現実化させています。
    また他者が批判的になったり、無視しても自己突っ込みにかなう現実化作業はどんどん集中していきます。
    その結果、誰も僕を扱えないと言う状況が生じます。僕は”僕を理解出来る人は誰もいない”と認識します。
    そしてさらに孤独化を増します。
    悪循環のように感じていますが、芸術作品を生むには良いようです。その販売にはまったく適していません。

    • mario (AS)
    • 2008年 4月 07日

    今、どうしたら良いのかなぁと思ってるところなんですが…ちょっと失礼な内容になってたらごめんなさい。
    助けを求めてるジャイアンに対してはどう接したら良いのでしょうか?
    私は何故だか頻繁に(精神的な)助けを求められます(求められているような気がします)。相手は自己評価の下がっているADHD女性(ジャイアン含む)のような気がします。まぁ単純なACだと思う方も居ますが。
    きっと、放っておくって答えになるのかな?
    今は自分自身でも救えないと思ってますし。
    話を聞いてあげる位は構わないのかな?

    • 匿名
    • 2008年 4月 07日

    mario様 (今日は私はoffです)。ACでもジャイアンでも、ADHDグループがあなたに近付いてきて、助けを求めるような場合は、99パーセント「依存しようとしている」と思うので、「自分で考えるべき」とばっさり切り捨ててあげた方が(ADHDの場合には)本人のためだと思います。
     「あなたはどうしたいか?」と逆に聞いてみてあげて下さい。

    • いずみん
    • 2008年 4月 07日

    大変ご無沙汰しております。
    コメントする時間が取れませんでしたが継続してエントリを読んでいました。
    おそらく自分はジャイアンな子ども時代⇒周りとうまく行かなくなって自己評価が下がりACぎみに⇒自己評価は低いまま合理的ADHDとしてインストールを繰り返す⇒現在に至るという状態です。
    YANBARU先生のおっしゃるとおり、「慰め」はいらないです。
    必要なのは、「理解」あるいは「受容」です。自己突っ込み後の行動については自分で決定しますので、私がそのような選択をしたということを理解し、受け入れてもらえれば十分です。
    多数派女性は多くの場合、問題の原因について一緒に悪口を言ったり、「私もそう思うわ~」と共感を示したり、「大変だったね~、でもきっと大丈夫よ」と慰めてくれたりしますが、その気持ちは尊重しますが別に嬉しくないです。それより、事態の打開に役立つ情報やアドバイス、あるいは私の自己決定後の応援(おだて?)が喜ばしいです。
    mario様
    YANBARU先生がお答えされているので僭越なのですが、相手がADHDで、やたらと相談ごとを持ちかけてきたり、延々とグチを話したりしたら、それは自分で解決することを「先延ばし」にしている状態だと思います。
    本当は、人に話しても解決しないことにどこかで気がついているのです。

    • エイト
    • 2008年 4月 07日

    私の場合ですが、「人に助けを求める=依存したい気持ち」となるので、結果的に自分のためにならないとわかりきっているので、安易に助けは求めません。自分で考えてもわからない時はその道のプロに意見を伺い、自分が納得できれば従います。
    わがままな主人と2匹の子ジャイアンにもまれ、迷惑をかけたり、かけられたりして、YANBARTU先生に近い年齢になったせいかもしれません。自分にも、家族にも、「依存」は人生の敵だし、「同情」と「指摘」は煩わしい以外のなにものでもありません。(要するに聞きたくない)
    だから、ほんとうに孤独だな、と思うことも正直あります。でも周囲に迷惑をかけないためにもジャイアンは孤独なほうがいいのかもしれません。孤独になって中心志向から開放され、自分自身と向きあって、「ほんとうの敵は自分のなかにいる」ことを悟ればいいと思う。一生自分と闘う(一生自己突っ込みする)ことが本人にも周囲にとっても最善なことだと思います。
    先生が仰るように、↑自閉的かつ孤独ですね。
    私にとって真の幸せは、自分の課題を克服できたときだと思う。それは私にとって「不可能な課題」である確率が非常に高いけれど。

    • m2
    • 2008年 4月 07日

    この項も表面上は、受動型ASも似たところがあります。
    もちろん、動機は全く違うのですが。
    >だからどんなに厳しい指摘をされても、(依存型ジャイアンを除き)ジャイアンは指摘をされたことで落ち込むことは無い。
    受動型ASの場合は、その指摘が「正しい」ものであれば、落ち込むことはないです。
    正しいと判断できないようなあいまいな指摘の場合、それが正しいのかどうかがわからないので、悩みます。
    指摘が間違っているのであれば、反論するか無視するだけです。
    >逆切れして攻撃はする。黙らせようという激しい反応は必発で起こる。
    その指摘が誤っていると判断した場合は、全く同じ行動に出ます。
    >ジャイアンは慰められると逆に落ち込む。同情はいらない。人に助けは求めない。
    多数派にするような、内容が全くない慰めは混乱の元になります。
    自分の行動は、自分で納得した範囲でしか行いませんので、結果に同情は求めませんし、「助けを求める」と判断した時以外は助けを必要としません。
    こうやってみると、意味のない気休めに対する反応としては、ジャイアンと受動型ASは表面上全く同じに見えることでしょう。

    • m2
    • 2008年 4月 07日

    >ジャイアンには同情はやめよう。
    これは同意ですが、これができるのは、ジャイアンと受動型ASに限られるのではないでしょうか?
    あまり、これに期待するのもなにかと。
    >ジャイアンは人に助けられることが出来ない。
    これはあまりにも悲観的過ぎる考えではないでしょうか。
    中途半端な同情や、直接的に手助けをするのはだめだと思います。
    しかし、いずみんさんのコメントにあるように「理解」「受容」はジャイアンの方を助けている感があります。
    具体的には、その人のありのままでよいのだと、表現や表面的な部分さえ変えれば、今のままでよいのだと。そういう指摘は意味があるのではないでしょうか。
    そのほかには、立ててくれる人や、No1への道をサポートしてくれる人、自分が完璧を満たすために足りないところを指摘してくれる人、そういう形で、前向き志向だけを残すような馬のブリンカー(遮眼帯)的なサポートは意味があるのではないかと思っています。

    • あひる
    • 2008年 4月 07日

    > ジャイアンは慰められると逆に落ち込む
    確かにそうですね。
    同情されたり、かわいそうな人扱いされるとものすごく惨めになります。
    泣いたりすると余計にそうなるので走ってその場から逃げたくなります。

    • どらねこ
    • 2008年 4月 07日

    合理的なジャイアンの中には無神論者もいることでしょう。
     
    defaultは上から目線。
    同情される事は許されないことなのでしょう。きっと・・・
    同時に自分の行動が割に合わない事も感じていることでしょう。
    相対化ができているつもりでもその中に自分がないのだと思います。

    • ぴよよ
    • 2008年 4月 07日

    いつもですが、斬新な説だなあと思いました。
    子どもの寮育の場面と、大人の葛藤の場面では、この「自己突っ込みを尊重した慰めのない対応」の使い方はいくらか違ってくるのかなと思いました。
    大人は放っておく、ということが結論ですね。
    子どもは、自問自答の能力もまだついていないし、広い視点から自分を見られるほどまだ選択肢を知らない。妥協や後回しや我慢や優先順位付けの、解決のための選択肢を知らないわけですから、そのまま放ってしまうと“ひとりよがり”という望ましくない症状になりますよね。
    だから近くの大人にとっては、言われたくないことを言ってやるという、誰も引き受けたくない仕事が発生すると思います。これは以前の「徹底的に追い込む」という対処の記事に通じますね。
    ジャイアンの人達にとっては、それこそ自分で選択肢を学ぶ“独学”が、周りにとっては一番平和な対処に思えます。
    放っておくことで、ジャイアン自身が表面的に謙虚な態度を増やしたりして変化を見せると、周りの人にフィードバックを与えることが出来ます。事態の打開に繋がる近道です。実際はトントン拍子にはいかないものですけどね。
    しかし何も表面的な変化を見せなければ、つい干渉をしてしまうのは私だけではないと思います。
    折角、自己突っ込み能力で、頭の中に何人も意見を言う人が住んでいる状態なのですから、その頭の中の人達の中でベストな回答を出してくれると、(この人達は本当に偉いな)と私は心から思えると思います。
    ジャイアンが褒めて欲しいとき、というのは、そういうときなのではないでしょうか。
    しかし、私個人は鈍いので、褒めて欲しいときはそう言ってもらえないと気づかないのですが!

    • いずみん
    • 2008年 4月 08日

    ぴよよ様
    おっしゃる通りですね。療育の話が出たので、ちょっと自分の子どものころを振り返ってみました。
    ADHDらしく?幼児期には非常に衝動的に行動していました。思いついたら即実行(現在もその傾向あり)。小学生のころも同様ですが、自分の思い付きにはなぜかものすごく自信を持っていました。
    失敗もありましたが、たいてい親が尻拭いしてくれました。当然、その親に叱られる場合も多かったわけですが、たいがい、「叱られるのは今だけ」と受け流していました。
    今でも弟は、わたしが何度も親に同じことで怒られるのが不思議だったといいます。怒られるのがわかっていてなぜやるのかと。わたしからすれば、いっとき怒られるのをガマンしさえすれば済むので平気でした。それより、自分で思いついた自分のやりたいことをやるほうがずっと大事でした。
    そのようにいかなくなったのはやはり中学生になって、女子集団の人間関係をうまくまわせなくなってからです。
    そこで「徹底的に追い込まれて」、親のことも頼れず、自分でいろいろと考え、自殺未遂までして、少しずつ行動を変えていきました。
    では「独学」に至らなかった小学生時期まで、それでも大問題を起こさなかったのはどうしてかと思うと、やはり親に怒られたことそのものではなく、日ごろから親や周りの人の言動を見て、やっていいこと悪いことを浸透させていた(インストール?)のだと思います。
    だから、ADHDに限らないことと思いますが、子どもは大人の鏡なんでしょうね。

    • mario (AS)
    • 2008年 4月 08日

    YANBARU先生
    直々にありがとうございました。
    いずみんさんもありがとうございました。
    本人に「優しい言葉が欲しいか、厳しい指摘が欲しいか」聞いてみたところ、冷静な意見が欲しいとの事だったので、「楽な方法はない。自分で決めるしかない」といった内容の事を話してみました。本人も本当は良く分かっていたみたいで「言ってくれてありがとう」との事でした。
    私に依存しかけている事、本人も分かっていました。お互いに依存しないよう、話しました。しかし惜しいことしたなぁと、私の男の部分が呟いてます(^^;

    • a
    • 2008年 4月 08日

    いずみんさんの気持ち分かります。共感とか慰めよりも答えが欲しい。女の人のムダ話も苦手です。高校生の時後輩が昨日学校の犬つれてきたの~と言われたとき犬を連れてきてたのは知ってたんで気を使って反応はしてあげましたが心の中では何でそんなどうでもこと言い出すのとすごい衝撃を受けました。でも冷静に女の人たちを見てるとそういう会話でコミュニケーションが成り立ってるケースが多くて失礼ですがたまにばかばかしくてなんでそんな話を為に時間を無駄にしてるんだろうと冷めた目で見てます。もっと話すべきこと他にあるはずだろうと・・・。でも自分は何を話していいか分からなくて何を話すべきなのか判断できなくて苦しい悩みを言い出せずにいたり言い出すタイミングが分からなくて一人で抱えて悩んでました。でも喋り始めたらはじめたでいろんな言葉が出てきたり上手く説明できてない気がして同じ話を数回繰り返すというか堂々巡りしたり。別に話すべき内容と話すべきじゃない内容があるわけじゃないけど何を話せばいいか分からなくなるし話しても輪には入れなかったり自分の言葉がおかしかったようで天然だね変わってるねと笑われて聞きたい話が進まなかったり。答えが返ってきても自分にとっては反れてる内容だったり・・・思うようにいきませんねだから聞きたいこと言いたかったこと先延ばしになったりします。

    • ねね
    • 2008年 4月 08日

    >ジャイアンは慰められると逆に落ち込む。同情はいらない。
    この点に関して 印象的な記憶があります。
    何かのトラブルの折、姉御肌の人が近づいてきて助けようとしてくれました。そして「辛かったでしょう。」と優しく言ったのです。別に辛くなんかないよと心で思いながらも、人並みに涙が流れてきました。
     その涙する自分がモーレツに許せなく、そのような状況を作った彼女がさらに許せませんでした。そして、その出来事以来彼女を避けていたことにこの記事を読んで気づいた次第です。
     優しい顔でジャイアンを慰めてはだめです。
     何があってもほうっておく主人の対応は、冷たいようで実はジャイアンの私に最適な方法だったんですね。

    • 黒すりごま
    • 2008年 4月 08日

    YANBARU先生、ウルトラマンランプがピコンピコンと点滅を始めました。今回はだいぶ長い地球への滞在でしたが、もう星に帰る時間となりました。いろいろとお世話様になりましてどうもありがとうございました。

    • ぴよよ
    • 2008年 4月 09日

    私のつたない療育関わりの話に耳を傾けてくれたかたがいたんですね。ありがとうございます。
    不器用な私にとって、時々つらつらと考えてしまうのは、ジャイアンタイプの子とかかわるときに虐待に誤解されない形を取るにはどういう方向が望ましいのかというテーマです。
    考えても答えは出ないんですけどね。
    そこまで難しさがある課題を任されるほど、職務能力高くないですし。
    そして私も体面を保ちたい臆病者ですしね。
    外部から見ても不自然さが無く、“ひとりよがり”を防いで育てたい方向へベクトルを向けられて、子どもにとってもうるさくない方法・・・。
    なぐさめを受けたくない気持ちも切実でしょうが、社会常識の一つとして、社交辞令というわけではないけれど、なぐさめも我慢して傾聴する方向へ説得をする道もありなのかなと思いました。
    私はなぐさめで苦しめられた経験もあり、なぐさめた側の経験もあります。
    成人してからですが、なぐさめと辱めは別物である、と学びました。
    恥じ入ることではないのなら、自分が癇癪を起こすのは果たして客観的に見て正しいことなのかどうか、などたどっていくと、言葉遊びのような膨大なすごろくを進みましたが、正しくないという答えに着きました。頼らずに、なぐさめをただ聞く、感謝を述べることは、のちのちまた助けて貰うための相手へのフィードバックにもなる、という結論を見つけました。
    あと、丁寧になぐさめてもらうときに、(これは障碍が無い人にちょうどいいなぐさめ量なんだ)と解釈することもありました。ASは量より質のフォローが助かりますが、ASでない人達は、中身がないなぐさめでもフィーリングさえ満たせば満足するようです。
    ASは質重視で、ときには最上級の物が用意されて当然なような悲しい理想を持つこともあります。
    marioさんのお子さんのように、それを諦めて乗り越える日を、経ていかなければならない運命なんですよね。お子さん、がんばってよく運命と向き合いましたね。

    • 匿名
    • 2008年 4月 09日

    YANBARU先生、いつも参考にさせてもらっております。
    理解しにくいADHDですが、わかりやすい詳細な解説に助かっています。これからも、よろしくお願いいたします。
    さて、ADHDと遺伝の関係ですが、なかなか日本では、研究もすすまないと思うのですが、最近ネットで「ADHDの子の母(ADHDではない)はADHDキャリアなので、その母(ADHDでない)が再婚してもADHDの子が生まれやすい」という話が流れているそうです。
    それを理由に、ADHDの子の母(ADHDでない)が再婚予定なのですが、相手の親から「ADHDキャリアの母ならば、またADHDの子が生まれる。だから、結婚反対」と言われたそうです。
    ADHDの子の母(ADHDでない)は、ADHDキャリアという説の真偽の程がわかりませんが、結婚や出産について他人から否定されるのはどうかと思います。
    ADHDの子の母(ADHDでない)は、キャリアという論文でも出たのでしょうか?私には信じられないのですが。

    • エイト
    • 2008年 4月 09日

    YANBARU先生のテーマとみなさんのコメントを読んでいたら、なんとなく次男の気持ちがわかったような気がします。
    次男はクラスで浮いていることに、悩んだり自己突っ込みしていても、やはりどうしようもなく浮いてしまいます(見方によっては自分から望んで浮いているとしか思えないのですが)。
    そして学校で彼に関わる大人達があわてて、叱ったり、ほめたり、おだてたりして、彼が浮かないようつなぎとめようとしても「時既に遅し」。おそらく、みんなが普通にできていることをどんなに大人達にほめられても、彼にとってそれは「慰め」でしかない。かえって馬鹿にされたと、だから彼はほめると怒るのだと思います。
    彼が本当にほめられたいのは、みんなと違うオリジナルの発想や意見や気付きです。だからそのツボをきちんと抑えている教師は、彼にとって貴重な人であるし指示に従えます(浮かないばかりか満足感がある)。
    彼の納得が「この先生なら自分が教わる価値がある」なのか、「この先生なら自分の価値を認めてくれる」なのかわかりませんが、別人としかいいようのないくらい担任教師によって変化します。
    なにより彼が1番嫌う(辛い)のは、大人達からの「あなたは(他の子より)変わってる」という(無意識レベルでもキャッチする)メッセージや指摘。これは、家族以外の人から言われると、ほんとうにダメージが大きいようです。
    こうして書くと、指導するのに特別難しいテクニックなど要らないかのように勘違いしてしまいますが、このポイントを理解してくれて、実行できる教師がいかに少ないか、親にとっていかに有難い存在であるか・・・
    そのポイントも子どもによっても違うのでしょうね。
    小さいジャイアンも、生きてるだけで辛いこと、とても多いと思います。

    • guri
    • 2008年 4月 09日

    私が無気力で社交的でないのは自己突っ込みが激しいからだということにこのブログを読み始めてよく分かりました。
    今とあるASぽい男性に惹かれているのですが、多分彼が私に好意を寄せてくれても、拒絶するだろうなあと思います。
    彼は性格的に問題の多いところがあり、私もそれでムカついたり、困ったりすることもあるのですが、それでも彼らしくていいじゃない、と思ったりもして、大変複雑な心境です。
    YANBARU先生の仰るように、依存型ジャイアンである私は、彼の「確固たる答えをもつ部分」に依存し、どっぷり漬かりたいのだと思います。しかし、困ったことに、彼の「確固たる答え」の部分というのは、周りの人が眉をひそめる部分でもあり、わたしが彼に甘え、依存できる状況になればなれたで
    「こんな社会的に許されない部分に依存するなんて…!!」
    と新たな自己突っ込みが始まることは容易に想像できます。
    私は彼に何をしてもらいたいんだろう。そう、ただ「私の話を聞いてほしい」この一点です。別に側にいて欲しい訳ではないんです。
    彼は「社交辞令が苦手」と再三言っており、気休めな慰めなど決してしない性格なんです。そう、そこが一番信頼できる点なんでしょうね。

    • あまったれadhd
    • 2008年 4月 11日

    行動面で支障が出ているadd親子です。性格面での悩みはあまりありません。脳内の混乱、過集中と虚脱、激しい物忘れ、高知能と知能の偏りなどの典型的症状があります。息子はさらに酷く、しょっちゅう電信柱にぶつかります。(泣)知能が高すぎるためか挙動不審に見えます。私にも傾向があり、私の母にも傾向があります。
    ただ息子も私も俗っぽい普通の人間で、ここにあるような孤高な感じはありません。自己突っ込みはありますが、辛いほどではなく反省・・程度ですし、普通の人レベルだと思います。中心思考に関しては皆無です。逆にいつも斜めから客観的に見ている感じです。息子はお友達が大好きで、行動がとろいのでついていけずばかにされますが、それでもお友達は大好きです。感情移入して、かわいそうな友達や動物などを思って泣くヒューマニストです。私が考えていることも見事に察知します。空気が読める・・・のです。
    私も団体行動にはついていけませんが嫌いではなく集団は苦ではありません。つまりは人やグループにあまりこだわりがありません。(どちらでもいいという意味)嫌いもしないけど一人も好きです。
    私たちは何者なんだろう?と悩みます。確かに行動面では苦労満載です。でも性格的には典型例には全く当てはまりません。あまり考えないほうがよいのでしょうか?
    苦手な行動面だけの療育に徹して、性格的に問題が無い場合は、普通の子のように褒めたり甘えさせたり
    たまに叱ったりして育てて・・・いいんのでしょうか?でも傾向は見えていないだけでやはり同情することは追い詰めることになるのでしょうか?難しいです。

    • むーん
    • 2008年 7月 13日

    YANBARU先生、これを読んで、AS彼があれ程に熱狂して私に勧めたミーティング(リアルの自助グループ)が、なんで彼に合っていて、ジャイアン私にこれ程合わないのか納得が行きました。
    >「不満がある当の相手の前では何も言わないでおいて、話を聞いてくれる別の人に相手が居ないところで不満をぶちまける」という行動
    ミーティングの「分かち合い」というのは、全てこれなんですよね・・・そして「フェロー」で慰めてもらう。AS彼は、それですっきりするのでしょう。しかし、わたしはすっきりしない、何故なら、
    >ジャイアンは慰められると逆に落ち込む。同情はいらない。人に助けは求めない。
    からです。
    彼に、「君はACだから・・・」と散々言われた事も、後になって、
    >ただしそれで新しく落ち込むことは無いのだが、「自分でいやと言うほど突っ込んでいることを何であんたに言われなければならないか!」と逆切れして攻撃はする。黙らせようという激しい反応は必発で起こる。
    に、全くその通りになりました。
    これを読んで、なんとなくすっきりしていると同時に、ミーティングでAS彼に遭遇しなくて本当によかったと思いました。彼のもっとも好きな「ウラ=ミーティング」で、人の陰口叩いてるとこ見たくないもんね。(ー_ー)!!

    • tukatantikatan
    • 2015年 1月 29日

    「慰めはいらない」のはわかるが、もう少しだけ詳しく、満たされない中心志向を慰めて欲しいけどいりませんとか、謝ってほしいけどいりませんとか言わないと、「それを人に言う意味」が私にはわかんないのです。
    文脈が不明というか。
    まず意志。「~がほしい」とか「~がしたい」とかを示す。それで私はふうん、と。でもこれこれだからやめてほしい、と指示。私はわかりましたとなるのです。
    なんかおかしいかな。でも、先生の言う中心思考のある人、の場合、意志の部分、そこが一番わかりにくい気がするが。で、なんで言わないんだろう?と不思議。でも、ああ~あ一番言えないとこなんだね。
    秘密主義だな~

      • tukatantikatan
      • 2015年 1月 29日

      私は図書館でまったりできれば一生満足です。賞賛は超能力の記事の思い出でおなかいっぱいです。先生ありがとう。

        • tukatantikatan
        • 2015年 1月 29日

        でも先生はそういうつもりでこの時点まで書いてたんですよね。なんか私はいまいちぼやけていたわけです。中心志向は意志なのかどうなのか・違うようだったので・・・。「私の理解が遅いだけですすみません。ごめんなさい。」私の人に対してのこうしてほしいという場合は実用的必要なことだから、他の人もそうだと思ってしまうが、だから慰めも謝罪も実用的なことと思っているが、だから言えばいいとおもうが、そうじゃないんです。そこには私などにはうかがい知れぬ細やかな情緒があるわけです。
        まあでも「私は慰めの無い環境・対人関係がほしいし周囲にもそう要求する」という合理型の人はいて、またそうでないと私が交流するのはほとんど不可能なんだな。

          • tukatantikatan
          • 2015年 1月 29日

          私は他の人にイメージをかぶせることはできないんだけど、自分を元に考えるしかない。で、そこやここが違うがどうなってんだろう?となる。
          で、先生はASDの人に向けてこのあたり書いてるわけで、ASDの人は~したいということ意志はそのまま要求になってしまうわけで、してくださいという他者への指示の部分が無いわけで、そりゃ他者がいなければ指示することもないわけで、だから先生はいらないを強調していたのか。なあ。どうもダメっぽくなってきたのでしばらく沈思黙考します。

    • r.
    • 2015年 1月 29日

    ブログタイトルに惹かれ、読ませていただきました。そこで気づいたことですが、
    他者から見たジャイアンの言動は「何に対して」がわかりづらいかもしれませんね。
    そして、多数派その他の人々は「何」のところが結構重要だったりするわけなんですね。

    リアルな私は他者から見ると、感情の起伏が激しい人だと思われていると思います。
    しかも、他の人からは「何」に対して感情的になっているのかわかりづらい・・・
    我ながら、ちょっとビミョ~かも、と思います。
    けれど。

    私にとって「何に対して」はどうでもよいことがよくわかってきました。
    私が過剰に刺激されるのは、相手の「支配しようとする気配」に対して(だけ)です。
    それに気づいたので、最近は目の前の人に「イラッ」ときたら、
    この人、場を支配しようとしているんだな? という視点から考えてみます。

    すると、自分の怒りの気持ちがそれなりに適切に処理できて(いるはずで)、
    まあいっか となります。

    まあいっか は本来の自分のスタイルとは違う生き方なので、違和感はあります。
    でも、激することで過去に失った数々の事物を思い起こすと、違和感は必要経費だと思えます。
    穏やかな気持ちで生きていくこと に近づけそうな気がします。

    • tukatantikatan
    • 2015年 2月 02日

    パートナーに聞いてみましたが、人から慰められると馬鹿にされてると思うのでダメと言っていました。これは慰めというものは上から目線ていうことかなと。瞬時に自分が相手になってそこで自己突込みを行うということかと思う。パートナーは癒しや自己の成長は主に大自然と機械から得ています。周囲を見渡してみると。クラシック音楽やオペラやバレエや集団スポーツや陶芸が好きなジャイアン能力の有る人は多い。これは実用的に対価を支払うことで対等になるということがあると思う。で。その先は私の脳は働きません。

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