ADHD関連

ある院長の物語

 ある地方の田舎町の精神科病院に有名な院長先生が居ました。(これは一年間一緒に仕事をしたA医師から聞いた話です)。

 この院長先生は仕事熱心で、医師数が少なくて当直が足りなくなると高齢にもかかわらず常勤並みに当直もこなし、保護室の回診なども毎日のようにきちんとこなし、何よりみんなが驚くのは休日にも何度も病院に足を運び、精神科でない先生の当直の時などもカバーしてよく働いておられます。

 もう一つA医師がびっくりしたことは、「雑用」を平気でこなすことでした。最近デイナイトケアや訪問看護は、毎日一人ひとりの外来カルテに医師の診察記録が必要で、50名を超えるデイナイトケアのカルテに毎日3行程度記載をする作業と、A医師の100名を超える一般外来の訪問看護の一回一回全てのカルテ記載も(A医師は余裕がとてもなかったので)
この院長先生がこなしていました。

 またこの院長先生は地域にも関心が高く、保健所の仕事や警察の仕事なども高齢になっても精力的に続けられ、措置鑑定なども意欲的にされています。

 A医師が不思議に感じたのはただ一つこの院長先生は「主治医になるのを嫌がる」ところがあり、自分自身は主治医を担当しないところがありました。

 この病院は長く勤務された前院長と副院長が相次いで退職し、前院長の担当していたデイナイトケアを退職された前院長からの依頼でしばらくの間この院長先生が担当され、
その間は多数の主治医を持っておられましたが、ある時一人の患者さんが亡くなることがあってから急に一気に全員A医師に主治医を交代しました。

 A医師はデイナイトケアなどで一緒に診察する機会があり、院長先生を観察しました。

 この院長先生はその場その場の患者さんの訴えにはよく話を聞き、スタッフに指示したりします。しかしA医師の目から見て、(前院長の退職で急遽担当されたこともあるとは思いますが)、「長期的な治療のビジョン」という考え方はされないように見えました。
 患者さんから何かの訴えがあればその場で対応し、スタッフから情報があればその場でカンファをしますが、「この先どう治療する」という予測はあまりされず、終始一時的、短期的な治療を積み重ねるスタイルのようにA医師には見えたと言います。

 病院の院長としても同じでした。長期的な展望を考えることはされず、ただ当直が足りなければ「当直請負」のような先生にお願いして当直を埋める。
 医師が辞めればその医師の分を何とかやりくりして外来を回す。
 この病院の医師不足は深刻で、上述の院長と副院長の退職によりA医師在任中に精神保健指定医が院長先生とA医師の二人になり、院長先生は依然として保健所などの外勤をお辞めにならないでいたためA医師は非常に不安になり、「県の精神科救急システムの当番医をしばらく返上してほしい」と院長先生に懇願しましたが、院長先生は「自分ひとりでするから」とおっしゃり救急当番を返上することは頑なに拒否し、実際夜出てこられて救急での入院も取っておられました。
 (「医師不足のために原則新患入院は回避する」という院内方針はありましたが、救急のため病棟は常に救急用のベッドを開けておく準備を余儀なくされました)。

 A医師は主治医として多数の患者さんを担当し、過重負担のため結局退職を決意し、この病院は精神保健指定医はこのまま行けば院長先生一人になる見込みです。

 A医師は辞めるかなり前から院内の会議がある毎に指定医不足、医師不足で過重負担であることを訴え、医師、指定医の増員をお願いしていました。退職を決意してからも理事長に対し過重負担で退職することを訴える手紙も書きました。

 この院長先生はA医師が参加する最後の医局会で、院長先生は労をねぎらうような言葉をA医師にかけられました。
 その言葉を聞いてA医師は「自分の訴えてきたことは全く理解されていなかった」と非常にがっかりしたと言います。
 院長先生はA医師が辞めることが分かってからあちこち医師確保に奔走されています。
 A医師は「今出来ることなら何で昨年副院長が辞められたときにしなかったのだろう」と素朴に疑問に思いました。

 結局「質は関係ない」、「表面上回っている」ことにしかこの院長先生は関心がないんだ。A医師はそう感じたと言います。

 実はこの病院には過去にも意欲も能力もある先生方がたくさん着任されましたが、みんな何故か短期で去って行かれています。院長先生は「(来られた先生が)変わってしまった」というような表現をされていました。A医師はその理由がなんとなくわかるような気がしました。

 この院長先生御自身は労をいとわず仕事をされている立派な先生であり、その人柄を慕う外部の医療関係者も多く居られます。
 
 しかし一年間一緒に働いたA医師から見ると、救いがたく「表面的」なものの見方、部下として共に働く医師やスタッフを言葉の上ではねぎらわれても、本当の気持ちまでは見て居られない。
 むしろ「部下の気持ちを本当に理解し、あるいは理解しようと努力していればこんな発言はないだろう」という無神経な発言や態度もいくつか耳にし、対照的に自分は主治医は引き受けない、指定医不足でも自分の外勤は辞めない、救急システムは降りないという世間向けの対面だけは非常に大事にされるという印象をA医師は持ちました。

 ちなみに過重負担で退職を決意したA医師の話では、今この病院は「ゆったりと働かれたい先生に」という謳い文句で医師募集をしているらしく、「大嘘もいいところだ」という話でした。

 私(YANBARU)はこの話を聞いて、この院長先生は典型的な依存型ジャイアン(暴君型)であるとすぐに直観した。
 
 知能の高いジャイアン型ADHDで、小さい頃から甘やかされて育ち、重要なことは周囲が万事尻拭いして本人の認識では「その場の対応だけで乗り切れて来た」のだろう。

 医師であり、院長であるから、周囲は無責任な態度に困り果てても直言することは出来ず、またご本人が善良で仕事熱心であるだけに問題点を指摘し(され)にくいのは予想できる。

 外面(そとづら)は大事にするので表面的、一時的に接するだけの関係者からは立派な人に見え、責任関係のある家族や部下にしかその問題点は認識されない。

 稀に直接非を指摘された場面でだけジャイアン的な頑固さを見せ、特に自分の世間体には執着する。

 部下も医療者の立場上、患者さんのためにベストを尽くさねばならないので、現場では依存型ジャイアン院長の尻拭いを続けざるを得ない。

 この院長が


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コメント

    • あまがえる
    • 2011年 3月 20日

    この病院の建て直しはとても難しそうですね。
    院長を募集するところから始めないと。。。。

    • ゆずぴ
    • 2011年 3月 21日

    まさに私の夫の話かと思いました。
    これまでもこちらで夫を理解するために勉強させていただいていましたが、昨年夫は24時間対応の在宅支援診療所を開業。以前勤めていた医療法人で病院長をしていましたが、「先見性のある指導者」だった理事長が病に倒れて、やはりどうしようもなくなり、退職。今後、非常にまずい状況になっていく事が予想されるため、事業の拡張は慎重にしたい私の思惑は足を引っ張る余計な心配としか理解せず、最近はいつこの状況から降りるか、というところまで考えてしまいます。

    • うにゃ
    • 2011年 3月 21日

    「ある院長」に当てはまる人が、身近に何人かいます。
    最初の印象は「いい人」なのに、直感的に感じてた底冷たさ、空恐ろしさ、
    こちらの思い(抜本的に改善したい、より良くしたい)を
    投げかけても、吸い取られて闇に葬られる虚しさ。
    それらを理路整然と説明していただいて、すっきり納得しました。
    ありがとうございます。
    ACの場合、このような「いい人」の表面的ねぎらい(おだて?)に喜んで、「いい人」を助けるのが自分の使命と思い込んでしまい、自ら破綻してしまうのでしょうね。

    • 白井由佳
    • 2011年 3月 21日

    ご無沙汰しております。白井です(本物です^^;)
    ある院長って、まったく私のことであります。
    私、そのもの。
    最近は、自分の事務所内部に、そんな私の「暴君」部分を指摘とフォローしてくれるような人材に、恵まれるようになりまして、
    目下、「白井ジャイアン」の負の部分をコントロールするよう努力しております。でもなかなか難しいです・・・

    • 匿名
    • 2011年 3月 21日

    白井様 お久しぶりです。
     本物の依存型ジャイアンの人は、自分でそれとは分からないので、自覚できる時点で(継続的合理的思考が出来るので)少し違うと思います。
     いずれにしても周囲に指摘してくれる人が居ること、またその人の言葉に耳を傾けるゆとりを持てていることが一番大事ですね。
     
     ジャイアンの負の部分をコントロールするには、「このやろう」という怒りの過集中をエンジンとして使うことを控えることが一番だと私は思います。
     「面白い」という興味だけで行けるところまで行って、ガソリンが切れる前に次の面白いものを探して走り続けることが出来るような環境があれば、ADHDは幸せですね。
     3月21日 YANBARUこと後藤健治

    • sky
    • 2011年 3月 22日

    デイナイトケア、病院、発達障害者支援センターなどシステム、体制が変わると不安です。今まで、理解していた人(看護、スタッフ、臨床心理士)が方針などが変わって辞めたり、辞めされるケースを聴いてどうにかしてほしい。
    今まで元気になっていた大人の発達障害者をもっている人が新しいスタッフなどになじめなくて相談を辞めたり、引きこもるケースがある。
    先生の地元(県など)は、子供・小児の発達障害者についてフォーラム、講演、支援に力を入れているが大人・成人の発達障害者に力を入れない。苦しんでいる人がたくさんいる。
    発達障害者支援センターが、大人・成人の発達障害者の嘱託医が居なくてどこの病院を行けばよいのか分からない。
    大人・成人の発達障害者を理解、勉強している病院、デイナイトケアなどが無い。
    最後に先生が4~5月に宜野湾市のまるクリニックで勤務するがここは、デイナイトケアがあって移る事を決めた。
    デイナイトケアの手続きは、これからです。

    • 白井由佳
    • 2011年 3月 22日

    YANBAR先生、ありがとうございます。
    今のところ、ガソリン切れの心配はなさそうです。というか、いつも色々なことで切羽詰まっているのですが、その解決策を考えているうちに、その困った出来事が、興味の対象と変化して、走り続けることが出来ています。
    でもともすれば、「このやろう」という怒りの過集中が出てしまい、周囲から「抑えるように」再三、注意されているのが現状です。
    どんなに理不尽なことでも、穏やかに対処してゆくというのが、今私に課せられている修正部分で、YANBAR先生のブログは本当に勉強になります。ありがとうございます。
    白井由佳

    • sky
    • 2011年 3月 22日

    毎年4月2日は国連の定めた「世界自閉症啓発デー」です。
    発達障害、自閉症の発達障害啓発週間となっているが残念ながら先生の地元(県)などを含め日本では、病院、デイナイトケア、クリニック、発達障害者支援センターの職員、スタッフ、臨床心理士、看護、サポートステーションなどが大人・成人の発達障害者・自閉症について理解などをされず苦しんだり、悩んだり、薬漬けをされたり、引きこもりなどがいっぱいいる。
    小児・子供の発達障害者に強く力を入れているが成人・大人の発達障害者には力を入れていない。
    フォーラム、講演会などで小児・子供の発達障害者がメインです。
    図書館に行っても小児・子供の発達障害者しか置かない。無いです。
    地元では、「いのち輝く条例の会」(障がいのある人もない人も いのち輝く条例作りの会)の人が
    3万人の署名を集めて障害ある、なし関係が無く条例を実現しようとしている。大人・成人の発達障害者が谷間を無くしてほしい。進学、就労、デイナイトケア、通信大学などの充実してほしいと願っている。 新聞、テレビなどでも大きく取り上げられた。先生からも取り組んり、訴えてほしい。応援してほしい。
    大人・成人のアスペルガー、ADHD、LD障害がいっぱいいる現実を地元に分かってほしい。
    ノーブルメディカルでの勤務はお疲れ様でした。
    新しい「まるクリニック」でがんばってほしい。まるクリニックで多くの大人・成人の発達障害者がデイナイトケア、就労移行などに来れると良いね。友人も発達障害に疑いがあるが一度は、先生に診てもらいたいと言っていました。先生の事を教えたよ。願っています。
    先生のブログを読むと凄く勉強になります。参考になります。
    文章を長く書いてすいません。話題をそれてごめんなさいね。
    PS:白井由佳さんがYANBARU先生のブログを読んでくれて感謝します。コメントも書いてくれてうれしいです。

    • 匿名
    • 2011年 4月 20日

    はじめまして。
    興味深く拝見いたしました。
    おおよそどこの辺りか見当のつくお話ですが、
    私の周囲にもよく似た人がいました。
    私が経験したごくごく狭い範囲内、n=2でしかありませんが
    沖縄の院長先生、どこか不思議というか、病んでおられるようでした。もう還暦過ぎたおっさんたちでしたが。
    外面は良いというか、ご本人自身も非常に気を使っておられました。やたらと宣伝好きです。
    が、自己愛の処理が無様なのです。というか非常に土俗的、原始的な家父長像のメタファーなのですが、医師としては不似合いなほどに粗野な族長像を形成してしまいます。
    ご本人自身は、とても小心者で傷つきやすく、猜疑心が旺盛なのですが。
    周囲のナイチャーの医者は、この子供じみた土俗的祭礼に馴染めず、付き合いきれない、と去っていきます。
    私もその一人でした。
    全くの独断、偏見ですが、私の周囲のウチナー医師、いろいろ問題ある方が多かったようで、不幸なことに良い出会いは皆無、でした。中にはしっかりとした方も沢山おられるのでしょうが。

    • 京都
    • 2011年 10月 03日

    京都では世界自閉症デーでパレードしている。サッカー選手、高校ラクビー監督などです。今年もやりました。
    先生の地元(沖縄)ではハンドボール、サッカー、バスケットボールが盛んです。
    先生の地元のプロチームから成人・大人の発達障害者とりくみしてほしい。毎年のように世界自閉症デーなどで動いてほしい。パレードを参加したり、毎年のようにプロチームの試合招待(当事者の集まりの人&親)などしてほしい。
    就労移行、デイナイトケア、サポートステーション、発達障害者支援センターなどで苦悩している成人・大人の発達障害者を招待してほしい。
    成人・大人発達障害を理解しているNPO法人などが動いてほしい。夢です。動いてほしい。プロスポーツの成人・大人の発達障害者を招待したり、障害者割引をやってほしい。 夢を与えてほしい。
    現実は厳しいですがプロ選手から夢を与えるのはチャンスです。日本でもやってほしい。京都の取り組みを沖縄など日本でやってほしい。沖縄県では、成人・大人の発達障害を理解する医療機関、居場所、就労移行などを理解してほしい。
    毎年4月2日は国連の定めた「世界自閉症啓発デー」ですね。
    友人から聴いたら先生が地元新聞(沖縄)に載っていましたね。読みましたよ。今度、先生から言ってね。たくさん悩んでいる人もいます。歯医者などで発達障害を理解される環境場を与えてほしい。 行政なども積極的にやってほしい。有名なプロサッカーチーム&プロバスケットチームなどが成人・大人発達障害を理解してほしいと呼びかけてほしい。
    取り組んでほしい。やってほしい。動いてほしい。

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