AC、人格障害関連

ADHDのAC

 ADHDは状況が分からない発達障害であるから、人間関係などで苦しみ、二次障害として自己評価が下がることが多い。

 一方AC(アダルトチルドレン)は、機能不全家族を背景に、見捨てられ不安を「お世話する」という立場への依存や薬物、アルコール、時に自傷や異性関係で解消するという反応性の状態である。

 ADHDは基本的に正直であり、ACは否認を特徴とするため、本来ADHDはACにはなれないはずだが、臨床的には明らかに主観的には「ADHDのAC」と呼ぶほか無い人々がいる。

 自己評価が低い割りに訴えが強く、答えを要求する。自分のことを他人事のように、機関銃のように話し続け、話が飛ぶことも多い。

 心療内科に受診するこういう患者様を見たら片づけが出来るかを聞いてみよう。片付けは出来ても、物が捨てられない場合にはADHDを疑う必要がある。

 ADHDのACは、自分がADHDであることを悟ると、びっくりするほど急速に回復し、別人のように元気になる。この「変に早く劇的に治る」というのもADHDのACの特徴だ。

 (下記に詳記あり)

http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/adhd.htm


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コメント

    • もっち
    • 2007年 2月 06日

    はじめまして。
    私は21歳女、去年の春からイギリスに留学しています。
    去年留学してから、恐ろしい精神状態でした。全てのものから引き剥がされていく感覚、英語を読む途中に浮かぶ恐ろしい母の記憶、本当に毎日泣いていました。MIXIをしていて、自分に似ていると言ってくれる人にであい、しかしだんだん悪化していく私の様子を見て、去年12月にACという言葉を教えていただきました。彼女は11歳も年上の人でACから回復していった人でした。正月は帰国し、支えられて年を越しました。そのとき、日本でADHDという言葉を見つけました。どの本、ネットのCHECK項目を見ても、異常というくらい当てはまってしまいます。だけど、うれしかったです。自分がAC・ADHDであることを自覚することは私の人生のターニングポイントでした。先生のおっしゃる通り、私の回復はびっくりするくらい早かったと思います。頭が整理されるほどうれしいことはありません。それに向かえばいいから。
    だけど、脱皮する途中ではやはり恐くなることがあります。
    自分の欲に気づくときです。はっとします。時間の管理はできないし、不注意で指を切る自分も恐いけれども、それより、勝とうとする自分、栄光みたいなものを得ようとする自分に気づき、はっとします。今はそれらとも少しうまくつきあえるようになりましたが。
    AC・ADHDの件について、あまりに納得だったのでコメントさせていただきました。とても興味のあるブログを作っていただいてありがとうございます。

    • yurin
    • 2007年 2月 07日

    私はADHDのACという状態を、一応越えたのではないかと自分では思っています。
    AC的発想をしている自分にはっと気がつくと私は怖いというより、まだ居たのか!という悔しい気持ちになりました。しかし今はかなり少なくなりました。
    脱するコツはまず『楽しいと思うこと』と教わりました。私なりに付け加えるなら
    ・本来の自分のキャラクターをイメージする(5歳くらいのエピソードを思いだし、その行動を今の自分が考えて理由つけをする、など)
    ・AC的発想と気が付いたらなるべく意識して取り払うように心掛ける
    詳しくは自分のブログにその過程を記事としてまとめてありますので、後ほどトラックバック送信させていただきます。
    3部構成でかなり長いですが、管理人様、送信しても大丈夫でしょうか?

    • yurin
    • 2007年 2月 08日

    最近ADHDのACの方の書きこみがあるので、私の体験が多少参考になればと思いますので、残りの記事2つをトラックバック送信します。最初の記事を開けば次の記事を読むこともできるので一つにしたのですが、内容全体がわかるように他も送信します。よろしくお願いします。

    • 匿名
    • 2007年 2月 12日

    コメントありがとうございます。
    もっち様
     「ADHDのAC」というのは私が勝手に言っているだけの命名ですが、「ADHDであるのにACになっている」と表現するしかないある一群の人が居ることから私はこの呼び方をしています。
     ADHDのACは自分がAC,ADHDであることを理解するだけで劇的に回復するのが特徴です。
     回復出来てよかったですね。
     ところで、私は「ACを乗り切ったADHDは福祉関係など(特にケースワーカー)の相談業務に非常に向いている」と考えます。あなたは人(特に弱者)と接する仕事が出来ますから、ADHDのプラスの面を生かすことを考えましょう。
    yurin様
     あなたはこのブログ上でASの人と対決する中でACの名残りを脱ぎ捨てたようですね。楽しいことは一番大事です。ADHDをプラスに生かすところまで、この先が楽しみです。
    コメントありがとうございました。

    • yurin
    • 2007年 2月 12日

    YANBARU先生
    お返事ありがとうございます。
    今はADHDをプラスに生かすことを最優先に考えながら、先生や皆さんのコメントを参考に、わからないなりに、自分があまり苦痛にならない生き方を模索していきたいと思っています。
    常に『当たって砕けろ』という精神でコメントしているので、勘違いもありますが、指摘があるたび、パソコンに向かって『ごめんなさい』と心の中で謝っています。
    これからもよろしくお願いします。

    • 月の草
    • 2007年 2月 16日

    もっちさん>
    # ふー、、この記事がどこにあったかわからなくなってしまってやっと見つけた!(一呼吸置いてから書きたいけど、やっぱり後にすると私はだめだな。。)
    とても良い感じで乗り切っておられるんですね。あぁ、私もそんな風にエネルギーが湧いてくるように努力しよう……
    もっちさんの“栄光”という言葉にはっとしました。私も時々集団の中にいると、そういう自分の姿を追求しそうになる時があります(それが怖いので、集団からは距離を置いてしまいます。)。
    私はある程度、自他共に認めるところまでいかないと、きっと自分を許せないだろうし、落ち着くことができないだろうな、と思っているところです。それならそれで、なりふり構わずやればいいのに<私
    もっちさんは、どうやってその栄光への欲求みたいなものをセーブ(?)コントロール(?)しているのか、よかったら聞かせてもらえませんか?

    • のび助
    • 2013年 1月 21日

    栄光は求めていないですね・・。
    自由になりたかったです。

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