本日はどのチャンネルを見ても同じニュースであるが、私には「KY重症の依存型ジャイアンが刹那的な行動のせいで大不信を買った」という風にしか見えない。
ここに至って事態の深刻さをまだ認識できておらず、自己正当化ばかりする。誰かの進言であろうが、少し前は口先だけで謝っていたが、最大の非を目の前にして非を認める発言は結局出てこない。
この種の人について見慣れないと、「本当に何も考えてない」「本当に空っぽである」ということは想像は難しいかもしれないが、「過去を忘れた超刹那的行動」「重症のKY」と想定しなければここまでの経過は説明困難だ。
おそらくこれから袋叩きにあうことだろう。祭り上げた仲間(同じく依存型ジャイアンが多いだろう)を含めて。
一貫性を要求される責任ある立場に立ちさえしなければ表面的なポーズだけでみんなだまされてくれるのでこんな失態とならずに済んだだろうに。
賢くて有力な誰かにぶら下がって100パーセント言うとおりにしていさえすればこんなことにならなかったのに。
権力を持って自分で考えてやって行けると勘違いしたところが最大のKYということだろう。
私も他山の石として、奢ることを恐れ、自分に厳しい自己突っ込みに磨きをかけてチェックを続けることとしよう。
彼についてはどこか空っぽな印象が無いわけではなかったのですが、説明を追って彼の行動を思い返してみると納得いきます。
僕自身も権力をもって自分でやっていけるとは思えません。それは学生時代に経験しているので、今や決してやってはいけないことにしています。
権力を志向すると勘違いしてしまうのは、ジャイアンだけに見られる現象なのでしょうか?
「本日はどのチャンネルを見ても同じニュースであるが・・・・、 賢くて有力な誰かにぶら下がって100パーセント言うとおりにしていさえすればこんなことにならなかったのに。」
「賢くて有力な誰か」にぶらさがることが、「うまくやっていく」ということなのでしょうか?
確かに「長いものにまかれている人」は「円滑」ではあるようですが。
>「うまくやっていく」
私の解釈ですが、ヤンバル先生の普段の書き方からすると
>こんなこと
が指しているのは、国民全員に大迷惑をかけ、党員にも不利益をもたらし、それを引き起こしたのは自分の指導力不足で、それを認めるべきタイミングに正しく認められていない、ということではないでしょうか。
KYで依存型ジャイアンの素質を持った人が、政治という人の命を預かる組織の中で、迷惑を最小限にして、才能は最大に評価されながらうまくやっていく方法は、誰かにぶらさがることが最良であるということではないでしょうか。
ジャイアンであれ、そうでなかった人であれ、欠点は欠点としてテレビで流れてしまったのですよね。
ヤンバル先生が指している人物は、キャリアもたぶん苦労も重ねてきたでしょうが、それでも変わらない特性や自分の欠点を分かっているかいないかで失敗したのかもしれませんね。
個人的な思いですが、これからの政治は七光りもマスコミに作って貰ったインパクトも人気も、何も自分を守る物はなく、問題に対する判断力と指導力の実務力しか問われない時代になっていくような気がしています。そして、そうなって欲しいです。
うかつなことをポロポロ言う失敗をしがちな人ならなおさら、もうそれを挽回するも何も、何か誤魔化したり覆い隠したりすることは無駄なのでやめて、失敗をしながらでもフォロー体制を強固に作って役職に就くのか、その路線はやめてヤンバル先生の書かれたとおりの路線に収まるのかを、政治家個人個人が早期に決めなければならないと思っています。
失敗しない理想の人を待っていたら、次の選挙からまた国民は失望して、投票率がガタ落ちするか、意思表示として白紙投票をする人が増え、誰もなり手がいなくなるしかないと思います。
どの政党ももう嫌、という声も既に現実にあるのですが。