AC、人格障害関連

ADHDケアの第一原則

 ADHDの子供を持った親には、普通の親とは全く違う別の役割が生じる。

 それは「ADHDの子供自身の自己責任環境を確保する」ということである。

 発達障害全般に言えることであるが、特にADHDの場合、「第一原則」とも言うべきケア上最も重要なポイントは「自分で納得するしかない」ということである。

 実際にADHDの子供でも大人でも接したことがある人にはすぐに分かることであるが、「ADHDは言われただけでは行動しない」「本当に自分で納得しないと行動しない」。

 (もしもADHDでありながら自分が納得しなくても言いなりになる場合には、非常に困った「依存」のパターンが想像され、これは本来のADHDよりもさらに不健康ということになる)

 「自分が納得するしかない」という第一原則から直ちに、「結局自分で失敗して修正する以外にはほとんど学習できない」ということが導かれる。
 私もそうであるが、実際ADHDの自然経過はこの通りである。
 
 従って、ADHDがうまく成長できる環境は、「徹底的な自己責任環境」がベストであり、これ以外の環境は逆に有害とも言える。

 だから、ADHDの親は、ADHDの子供を「放置する」必要がある。
 最低限「先に情報提供する」ことまではしても、現実の行動には一切手を出さず、結果については本人に全面的に責任を取らせるようにする。

 これは年齢を問わない。幼児期から、何でもさせて、その結果が本人に痛みや不利益などの結果を招くまで自己責任にすることが必要である。
 こういう環境でこそADHD本来のたくましさが出てくる。自分の衝動を実現するために冒険して失敗し、誰にもたよらないで自分で工夫して現実の困難をクリアする。

 こういう経験を積めばADHDは「前向きで不屈の努力を続けられる」プラスの性格として機能することが出来る。

 この逆を考えてみよう。以前私は「管理型共依存」という用語で説明したが、「子供の失敗を親が先に手を打って予防し、結果については本人に責任を取らせないで親が尻拭いする」という環境においた場合には、ADHD本人は「丸投げ依存」という依存に陥り、成長を完全に止めてしまう。

 なぜなら「自分で考えなくても親が失敗を予防してくれ、また失敗の尻拭いもされるので致命的な自分の痛みや不利益にならない」ことを学習するからだ。

 その結果私が「依存型ジャイアン」と呼ぶ非常に刹那的な行動パターンが形成され、表面上依存相手の機嫌取りだけをして生きていくことになる。「依存相手さえゲットしておけば
全てがうまく行く」ということになるからだ。

 子供の頃から過保護過干渉で依存にしてしまった場合、極端には合理的思考自体が出来なくなるので、自分自身で問題と認識することも無く、「近い周囲の人間だけが本人の問題に気付く」状態で表面的には普通に見えたりする。

 しかし超刹那的で依存相手の表面的な機嫌取りだけを続けるスタイルは、身近なパートナーや家族からすれば、「サイコパス」に匹敵するような精神的なダメージを与える結果となる。

 (しかしながら意外なことに本人が自分を変えたいと真剣に希望する場合には合理的なADHDに移行することは可能である。私自身数例の当事者から回復が可能であることを教えられた)。 

 本論に戻ろう。子供の自己責任環境を守るために、ADHDの親がしなければならないことは、「管理不行き届きの世間からの避難に耐え続けながらADHD本人を放置し続ける」ことだ。私はこれを「ネグレクト寸前」と表現して推奨している。


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コメント

    • さーこ
    • 2013年 11月 04日

    地元の地域活動支援センターを利用している人で、実はADHDさんだったのかな、と思う人がいます。
    病んでいる者同士、依存関係にならないように気をつけてきたのですが、私が働き出してから会う事が少なくなり、その間に飄々とした人物になったようです。ごくたまに仕事帰りの駅で会う事があり、その際にはいつも向こうから、疲れてぼんやりしている私の目の前で楽しそうに手をふって、私が気づくと同時に去っていく、という独特の雰囲気を持つようになりました。
    たぶんこれで良かったんだろうと思っています。

    • るる
    • 2013年 11月 04日

    >(もしもADHDでありながら自分が納得しなくても言いなりになる場合には、非常に困った「依存」のパターンが想像され、これは本来のADHDよりもさらに不健康ということになる)
    自分も一面において該当すると思いました。
    このところ仕事や家事にあたり非常に気が重い時があり、自分に鞭打ちつつ行動することもままありましたが。。。これってつまり「やりたくない」ということだと気づきました。
    やりたくないのに「強迫的にやらねば」と思っている。
    ・・・やらないと、後でもっと困ること(最終的には生活が破たんすること)が見込めるから無理にでも動かねばならないと思っているのでした。
    素の自分は「現状までにはやりたくない」のだ。
    先生のおっしゃる「下の基準」が、私の場合は強迫的に自分の限界を越えた点に設定されているのかもしれないと感じました。
    合理的ADHDを目指すに当たって「“最低限”の適応」について再考してみます。

    • 道産娘
    • 2013年 11月 04日

    「自分で納得するしかない」
    その通りだと思いました。
    例え表面上であっても相手の言いなりになってしまうと、「相手を騙している・自分は卑怯だ」という自己突っ込みに襲われ、それに対しずっと言い訳をし続ける羽目になります。
    先生、この記事はとても心強かったです。
    自分の考え方は間違っていなかったのだと、改めて気付くことができました。(ただ、ジャイアン連れ子に対しては、私も心配性で過干渉気味だったかもしれません)
    (まだACが残っているのか)大袈裟かもしれませんが「ADHDとしての理解」を獲られたことに対し、涙が出そうになりました。
    先生、ありがとうございました。

    • KEI
    • 2013年 11月 07日

    私の夫は受動型ASかと思っているのですが、どっこいADHD的な部分もかなり強いです。で、夫の母なんですが、息子(私の夫)が40をとうに過ぎても管理型共依存というのをやっています。営業職の夫、仕事が思うように取れず給料が壊滅的になってきているのですが、義母が息子と一緒に営業に出てます、、、。姑には昔から何度も「夫が成長しないので手出しをやめるよう」に言っていますが、まったく聞く耳を持ちません。おまけに孫である我が息子(受動型AS?)にまで出すぎた世話を焼こうとするので困っています。でも、一番重症なのは姑なんじゃないか?とも思います。

    • ramuko
    • 2013年 11月 07日

    社会に適応できるadhdはacじゃないかという思いは知人たちとの出会いから確信に変わりました。
    母はac、adhdです。他人には好かれますが嫌いです。
    acは偽善者だと思う。子供に虐待に近いことを平気でするから。

    • なな
    • 2013年 11月 08日

    ちょっと記事とは関係ないかもしれませんがどなたか教えて下さい。
    ジャイアン(正当化ADHD)とは普段の振る舞いも
    ドラえもんに出てくるジャイアンと同じなんでしょうか?
    それとも思考がジャイアンなだけであって普段は大人しいジャイアンもいるのでしょうか?

    • rinomi
    • 2013年 11月 09日

    痛いほど、痛感させられます^^;
    おそらく、私は依存型ADHD・・なのかなー。
    丸投げする意志をしめさずとも、母は勝手になんでもしていますし、それでまわってしまうところはあります・・・。
    >この逆を考えてみよう。以前私は「管理型共依存」という用語で説明したが、「子供の失敗を親が先に手を打って予防し、結果については本人に責任を取らせないで親が尻拭いする」という環境においた場合には、ADHD本人は「丸投げ依存」という依存に陥り、成長を完全に止めてしまう。
    まさに母自体が、
    私にだけではなくて、兄弟に対しても このやり方をしています。大人になってからもずっとです。
    恋人ができて、失敗すると可哀想だから、間接的に把握して、失敗しないように、痛い思いをしたら可哀想だとも言っていました。
    人って、失敗したとき、どう立ち直るか向き合うかが大切だと思っています。思ってはいてます。
    ADHDにだけかは分かりませんが、最初から、障害をさけさせようと、けがをしないようにと、するのは違うのだろうなと、最近はよく思います。
    大人になって、社会の中では失敗しても誰も助けてはくれないのに、経験させずにどうするのかと、
    痛い思いをしないようにと全部やってしまうのではなく、どうすれば、その後 いいのか立ち直る力をつけさせることが大切なんじゃないのかなと、思います。
    思うだけで、経験は少ないですが、子供は 反面教師で育てていきたいと思うぐらいしかできてはいない気がします。
    でも、大切なことのようには思っています。

    • るる
    • 2013年 11月 11日

    先ほど「ACの双方向性」という記事を読み、自分の母子関係も当てはまるところがあると思いました。コメント欄にあった「遠回しな言い方をされると引っかかる」ということ、私もその通り!!です。
    私の場合、引っかかったことに気づく前に、直感的に怒りが発生するパターンのくり返しでした・・・
    どうしてこんなに怒りっぽかったのか、自分がよく理解できました。
    私は子どもの問題で検索をかけて当ブログを知りましたが、期せずして自分自身の問題を見つめることとなり、なんだか不思議な感動を覚えます。よくよく考えてみて、ACや共依存を知ったからには自ら抜けるべき(あえて“べき”を用いました)だと思いました。
    幸いにも先生は
    >幼児期から、何でもさせて、その結果が本人に痛みや不利益などの結果を招くまで自己責任にすることが必要である。
    >(しかしながら意外なことに本人が自分を変えたいと真剣に希望する場合には合理的なADHDに移行することは可能である。私自身数例の当事者から回復が可能であることを教えられた)。
    と書いてくださっています。励みになります。

    • 鹿の子
    • 2013年 11月 18日

    こちらでいろいろと拝見させていただいて 先生のジャイアン型というのはとてもわかりやすい表現だと思います。また人は精神的にどんどんと成長するように思いがちですが、3歳から6~7歳で人としての基礎的成長をとげているように思うようになりました。
    それも 3歳で身につける自制心が失調している人がいることが 大人気ないというより 幼稚というより どうしてこんなことが大人になってできるのか理解できないでいましたが それに当てはまると思いました。
    長い間わからないことでした。

    • あどはどさん
    • 2013年 11月 19日

    初めまして。ADHDとは関係ない検索だったのですが、偶然たどり着きました。
    私自身大人になってからADHDと診断されました。
    診断を受けて以来、どういう生き方をすればいいか模索してきましたが、自分がたどり着いた結果と書かれていることが一致していてとても共感しました。
    自己責任で物事を受け入れれるようにになって世界が広がったのをよく覚えています。
    こういう考え方が広まれば、この先に生まれるであろうADHDの子どもたちにいい環境が提供できるのでは似かと思いました。

    • T
    • 2013年 11月 19日

    18才の頃、家出をした。ラーメン屋さんで住込みで働いた。2週間位して店長さんが親に電話して、電話に出るように言われて親と話した。「帰って来なさい。」と言っていたが、迎えには来なかった。きて欲しかった。来たら帰りたかった。
    親に反発しながらも、期待して、期待が外れて、親には、私はいなくてもいい存在なんだ。と、思ってしまった。
    自分の子供には、いつも「大好き。」と言う。
    家出したら、狂った様にさがす、気がついたら裸足で寝巻きのまま。
    兄弟ゲンカは、”寺内貫太郎一家”状態!!
    私は子供達が、大好きだ。
    だから、頑張って放置している。
    私もかなり、ガマンをしている。
    おかげで、しっかり働いてます。
    先生のアドバイスのおかげです。

    • T
    • 2013年 11月 19日

    「ADHDの長所」と、検索して見ました。何も出て来ないので、のび太とジャイアンの表からADHDの長所をさがして、書き出し、壁に貼って、自分の短所を長所に変える生き方を目指したい!
    が、よくわからないです。
    ADHDの短所➡長所
    を教えて下さい。目標にしたいです。

    • ぴっぴ
    • 2014年 1月 14日

    夫の非常識な言動に悩まされ、ネットで調べているうちに、こちらへ辿りつきました。
    すっきりしました・・・
    感謝でいっぱいです!
    どうやらうちの夫は、アスペルガーなジャイアンです・・・
    私も彼の友人もずっと躁病だと思っていました。
    躁病も併発しているのかも・・ですが(汗)
    理解しなくてはならないのでしょうが、彼の冷酷なまでの自己中と精神的暴力、過剰な依存心に耐えかね、こちらも精神が疲弊してしまいまして・・・離婚予定です。
    さっさと家を出るつもりでしたが、
    せめて離婚前に受診をすすめてみようと思います。
    勉強になりました!ありがとうございます。
    夫が次のステップでできるだけ、うまく生きていけるように、できることはやろうと云う気持ちになりました。

    • トトロ
    • 2014年 2月 16日

    私もADHDで子供もADHDです。
    勇気が出る強い文章をありがとうございます。
    納得しないと動けないのも同じでした。
    それゆえぼろぼろになっている部分もありますが…
    先生の言葉に救われた人間がいることをどうか知ってほしい。
    本屋のどの自己啓発本を読んでも満たされなかった苦しみ悲しみがこの文章で解けました。
    ありがとうございます。

    • るる
    • 2014年 5月 27日

    前回の書き込みから半年がたちました。
    この間の自分の変化について、お話ししたくなりました。
    ”未知なる大きな不安” のために
    ”自分の納得” を追求しないまま怒りをためてきた
    過去の自分。
    >これは年齢を問わない。幼児期から、何でもさせて、その結果が本人に痛みや不利益などの結果を招くまで自己責任にすることが必要である。
    私はアラフィフですが、おそるおそる試してみました。
    >こういう環境でこそADHD本来のたくましさが出てくる。自分の衝動を実現するために冒険して失敗し、誰にもたよらないで自分で工夫して現実の困難をクリアする。
    はい。
    思いのままに行動して、失敗して、自己責任だ!と思って、
    自分で工夫・対処してみました。
    >こういう経験を積めばADHDは「前向きで不屈の努力を続けられる」プラスの性格として機能することが出来る。
    はい。先生のおっしゃるとおりでした。
    あくまで自分自身を振り返っての感想にすぎませんが、そして
    努力を「続けられている」のかどうかはいささか”?”ですが
    「前向きで不屈な自分」に出会えたようです。
    私は怒りを感じても、それを爆発させたりため込む事はなくなったし
    へこむことがあっても ほどなく立ち直って歩き出す。
    今、自分には「選択の自由」があると思えていて、
    毎日ポジティブに生きていられていて、
    多分これからも そうしていけると思えます。
    私は「変わった」と思います。

      • r.
      • 2015年 7月 22日

      今日、偶然にも1年前の自分の書き込みを見つけました。
      いやはや、自分の刹那的思考に苦笑・失笑!

      今、いつも頭の片隅で考えていることは、
      ・自分は 誰に、何を、承認されたいのか?

      「誰に」の部分には、母に。
      「何を」の部分には、瞬時に激昂する性質も含めた、丸ごとの私自身を。
      母には、私の激情を、ただただ『そうかそうか。そう思うんだね』と認めてほしかったです。
      そして併せて、その気持ちをダイレクトに表現すると社会生活上問題があること、そして
      他者が受け入れやすい「表現方法」を根気強く伝授してほしかった。

      しかし、仮に母が全人的に認めてくれていたとしたら、それで納得できたかと問われれば、
      納得できなかったと断言できますし、母自身は、出発点である「私の怒り」を理解していないのだから、
      共感しようとか、スキルを教示しよう、という発想そのものが起こり得ないわけですよね。

      ・損得に敏感(私の場合、自分の価値観に合わない支出を非常に嫌う)な性質は、
      実際の行動としてはお金への執着という形で現れるのだが、金銭的損失にこだわるのはなぜか?

      これは、現代資本主義社会で最も交換価値のあるものが「お金」だからなのでしょうか?
      たとえば、仮に「人との交流」が、社会で最も価値があると考えられているのならば、
      私でも「人との交流」に執着するようになるのだろうか?
      ・・・自分に、人間関係を失うことは「損」だという認識はありますが、今、お金に執着しているほどに、
      人との関係に価値を感じるかと問われれば、「う~~ん」としか言いようがないです。私は実体のある物、
      現物が好きですし。
      お金って、不思議です。

      1年前に思った「前向きで不屈の部分」は確かにあると思えますが、
      落ち込んだ後、立ち上がる前の「グダグダする時間」は、長いと3日くらい必要で、
      立ち上がった後も ふと思い出して怒りにふるえたり、夜、寝つきが悪くなったり。
      夜中にムカついて眠れないなんて、時間と体調面で大損失なのですが!
      「脳に選択される不自由」っていう感じです。

      今の思いを書かせていただき、ありがとうございました。

        • r.
        • 2015年 7月 30日

        ある有識者の方のツイッターと、その後新聞に掲載された論説文について、
        感じたことを書きます。

        先週のことですが、ある事象が起こり、有識者(A氏とします)がツイッター上で、
        その件について批判的な立場にたってつぶやきました。
        私はA氏のファンというほどではありませんが、紙面に掲載される文章を通して
        A氏に好感を持っていましたし、私もその事象については批判的に感じていました。
        それにもかかわらず、A氏のつぶやきに何とも言えない違和感と不快感を覚えました。
        (念のため・・・違和と不快を感じましたが、思っただけで何の行動にも移していません)

        その後、その事象についてA氏が書いた文章が新聞紙面に掲載されました。
        私は文面に、同意と共感を覚えました。

        ツイッターで感じた自身の違和と不快を探って行くうちに、
        A氏のツイッターでは、ご自身の好悪感情が期せずして(と思えました)表に現れており、
        その好悪感情の基となる価値観を無条件に正当なものとして、その前提で事象を批判しているように読めました。
        そしてA氏の価値観は私の価値観と合わない、むしろ真逆であることに気づきました。
        さらには、私は、A氏の価値観(本題からは逸れた、A氏が持っているかのように私が感じたところの価値観)
        を押し付けられたように感じていました。

        これには、正直おどろきました。私に対して押しつけているわけはないのに。
        私は「主張=押しつけ」と捉える癖があるのかもしれません。

        新聞紙上で文章は淡々と論理的に進められているので、根本的価値観が大きく異なる
        (のではないか)ということに、私は気づくことができませんでした。

        私の物事の受け止め方の特徴は、「事象の批判部分(社会的にはむしろ大切な部分)で共鳴している」
        という一致部分より、「批判の前提となる価値観そのものがすれ違っている」
        という(私が誤解しているかもしれない)不一致の部分を過大にとらえ、それに対して
        反発したくなるのだと気づきました。

        私は物心ついて以来ず~っと、他者の論理的意見の奥に隠れた「ホンネ」的部分に敏感で、
        しかもその読みが当たっているとは断定できないにもかかわらず、
        本心のすれ違いこそ議論すべきだと思っていたのでしょう(それはたぶん今もです)。

        周囲の大人からは「正直に生きなさい」と教育されつつ、言われるままに本心を表明すれば
        「わがまま」「我慢が足りない」「難しい子」だと。
        ・・・怒りもたまるわけです。

        しかし傍から見れば、危機管理がなっていない!身の程知らず!です。自分でも、そう思います。
        それが 私は空気が読めない ということでもあるのだと思います。

        今まで何とか生きてこられて、図らずも先生のブログで自分の個性を知ることができました。
        先生と、当ブログ運営の方に感謝しています。

    • ポール
    • 2014年 7月 12日

    何年かぶりの投稿です。
    僕の中でADHDがまとまりました。
    ジャイアンとノビタはADHDかつ神経症じゃないですか?
    ADHDがよく定型に猫みたいと言われるのは、定型の人のようには他者を感じてなくて、それがコミュニケーション障害と対人関係の問題に繋がってるんじゃないのかなと思います。
    自分の誰かれ構わず喧嘩したり、対人関係では集団の中で集団の均衡をとるのが難しかったり・・・全て他者不在からくるんではないかなと。
    僕は定型の人が一体一の時と集団の時とで接し方が変わるのはなんでだろって思ってたんですが、たぶん他者認知の違いなんだろなという結論に達しました。
    それとADHDの発達が遅いのは他者不在故に情動をコントロールできないことから来てると。
    相手がその言葉を何故発したのか認知しにくい脳で、対人のなかの微妙なものを感じとりにくい。だからこそ定型から純粋だと言われるし、さらにひねくれにくいのかもしれないですね。ADHDは感情の真っ直ぐな人多いですよね。人間のどろっとした感情を感じとりにくいからなんだと僕は思っとります。

    • Albatross
    • 2014年 9月 30日

    最近20歳になった男性です。前から自分はADHDではないかと疑っていて、でも微妙に違う(片付けれるし・・・)し、ADHDと知ったところで状況が変わるものでもない、と思って過ごしていました。先生の旧HPをたまたま発見し、自分は合理的なADHDであると思いました。自分が20年かけて研究(?)してきた自分の傾向や特性が大量に書かれていて、とても面を食らったところであります。なんかちょっと悔しいですが、自己分析があながち間違ってなかったと分かっていくらか安堵しているところはあります。
    >従って、ADHDがうまく成長できる環境は、「徹底的な自己責任環境」がベストであり、これ以外の環境は逆に有害とも言える。だから、ADHDの親は、ADHDの子供を「放置する」必要がある。最低限「先に情報提供する」ことまではしても、現実の行動には一切手を出さず、結果については本人に全面的に責任を取らせるようにする。
    自分でいうのもあれですが、そう思います。私の親はルールには厳しいかったですが、それに従っていたこともあり、基本的には放置、放任してくれる状況が多くありました。例えば当時あまり普及してなかったコンピューターを早い時期から使わせてくれて、インターネットによっていろんな考え方を学べたようなことがあります。親は敬虔な某宗教の信者であり、失敗や困難を相談すると信仰を勧められ、それについて考えるうちに合理主義的な考え方に至り、親に依存することもできませんでした。そういった環境下で育ったため、自己反省の機会には恵またとは思います。
    そういうことを経た自分は現在理系大学生として生活しています。色々つらいことも多いのですが、先生のブログやサイトを今後重要な参考にしていきたいと思っています。上の例は受診を伴っておらず不確かではあると思いますが、宗教がきっかけで合理的になった例として、参考になれば幸いです。(まぁ宗教にどっぷり使って依存したほうがそれはそれで幸せな人生をおくれたのではとも思いますが・・・)
    ところで、ここ最近色々あって「鬼トレ」というワーキングメモリを鍛えるコンテンツに出会い、これはADHDな人間にとって非常に有用なのでは!?と思って最近やってるんですが、先生はワーキングメモリという概念に対してどのような考えをお持ちなのか興味があります。回答していただければ幸いです。

    • mario
    • 2015年 10月 12日

    先生、皆さま、ご無沙汰しています。
    mario (AS) です。

    息子の件で自己責任の範囲に悩んでいます。

    息子(嫁さんの連れ子)は元からADHD傾向はあったのですが、問題が少なかったので余り気にしていませんでした。

    本人が希望した学校に合格し、中1からそこの寮に入り、親のチェックが実質的に出来なくなりました。
    ここの記事にあるように、ちょうど自己責任に持って行く良い機会だと思っていたのですが、万引き多数、寮で泥棒(現金から日常小物まで)、寮で喧嘩、親の財布からお金を何度も抜く(気をつけていてもちょっとした隙に盗まれます、後でほぼ確実にばれるのにそれは気にしてない)、思うようにならないとキレる(行動を叱られる、ゲームやTVを制限されるなど)、一旦キレると家具を蹴る、ふすまを破る、弟や妹に手を出す、など、まともな生活が全く出来ない状況になってしまいました。寮もトラブルで一時退寮になっています。

    落ち着いているときに話をするとちゃんと理解して謝罪できるのですが、それでも発覚してない点については嘘でごまかし続け、非常に振り回されます。学校の先生方も、顔色一つ変えない彼の嘘にかなり振り回されているようです。

    心療内科を受診していますが、治療が追いついておらず、非常に混乱した毎日を送っています。

    ここで言う自己責任、どの程度考えれば良いのでしょうか?
    このまま放置すれば、社会的に孤立しそうです。
    自己責任の考え方からすれば、孤立するまで放置って事になるのかも知れませんが、何とか軟着陸は出来ないものでしょうか?夢を持って受験して合格した学校を辞めるのも、自尊心に傷が付きそうで躊躇します。

    例えば、ストラテラで改善しないでしょうか?今のところは、かかっている心療内科の先生の方針で(多動が見られないって事で)デパケンとその後の状況からリスペリドンが処方されています。患者側の立場から薬の指定を控えておりましたが、ちょっと母親も兄弟も限界に近いので、ストラテラを希望しようか、悩んでいるところです。

    薬に限らず、対処方法のアイディアがありましたら、親の立場からでも、似た状況を経験したADHD本人に立場からでも良いので、コメントをお願いします。

      • r.
      • 2015年 10月 14日

      私は、思春期の子を持つジャイアン母です。
      文中の
      >何とか軟着陸は出来ないものでしょうか?夢を持って受験して合格した学校を辞めるのも、自尊心に傷が付きそうで躊躇します。

      私は上記の部分に、コメント者自身の「世間に対する甘さ」「エゴ」を感じました。
      万引き・泥棒・暴力は、犯罪です。軟着陸はできません。

      「学校に迷惑をかけたから退学する」ことは、ご子息の自尊心を損なうからダメなのではなく、
      現状では、ご子息がご自分の行動に対する責任を認識していないままの退学だから、
      いわば親の、学校への体裁を保つための退学だから、ダメだと思います。

      「ご子息のためを思って」という皮をかぶりながら、実はご自身の保身のために、
      やんばる先生がしてはいけないとおっしゃる「尻ぬぐい」をされようとしているとしか思えません。

      そういった、親の「社会を甘く見て立ち回る生き様」は、確実にお子さんに伝わっていると思います。

      親となった以上、親には子どもに向き合う責任があります。
      それにはまず、親は自分自身に真摯に向き合うべきだと、私は思います。
      同じ「親」の立場の者として、率直に書かせていただきました。

      先生へ。
      お手数をおかけすることになり恐縮ですが、私のコメントに問題がありましたら
      削除をお願いいたします。

        • mario
        • 2015年 10月 14日

        mario (AS) です。
        Rさん、ありがとうございます。

        甘いでしょうか?万引き・泥棒・暴力は、確かに犯罪です。
        しかし中学生の頃は、割と誰しも経験する事だし、その結果を見て学習するものだと思っています。

        今回、万引きなどは見つけ次第、お店に謝罪に連れて行くなど、かなり頑張って、してはいけないことをいけないと示したつもりでした。寮の問題も一人ひとり謝罪に行きました。寮も一時退寮になるなど、痛い目をみた筈だと思っていました。この経験を通して学習したはずだと思っていました。

        なのに問題行動が収まらない。何かが発覚するたびに、お金や物を取ってはいけない理由、結果どうなるのか、話して聞かせてますし、本人もそれらを理解して自ら謝罪できます。
        その時は、実に素直な良い子です。
        医者の前でも、学校の先生の前でも、カウンセラーの前でも良い子です。
        私も、何度も「もう大丈夫」、そう思いました。
        その翌日に、親の財布からお金を抜くのです。
        しかも、取られないようにかなり注意しているのに一瞬の隙を突いて。
        残金を管理していることも知っているし、ばれる事も分かる筈なのに…

        Rさん
        「息子が自分の行動に対する責任を認識」するには、させるには、どうすれば良いと思いますか?
        私は、今は万策が尽きた感じがしています…

    • r.
    • 2015年 10月 15日

    marioさん、話は少しそれますが。
    私は3年前くらいから先生のブログ読者となりました。
    あわせて、それよりもっと前の、marioさんのコメントもたくさん読ませていただきました。
    当時はコメント欄でASDさんとジャイアンさんのやり取りが盛んでしたよね。
    それはとても参考になりました。

    M3のブログからこちらの新ブログに移行する前だったか、コメント欄のルールが変更され、
    ・コメントに対する感想は書いてもいいが、コメント者同士のやり取りは禁止
    ということになりました。
    というわけですので、今回の私の書き込みは明らかにレッドカードです。

    ・・・ではmarioさんの2番目のコメントへの思い を書きます。

    ASDさんとジャイアンの脳の構造的な「違い」というのを改めて実感した
    というのが一番強く感じたことです。
    話、かみ合っていないですよね。
    それぞれが、それぞれの脳を通して見えた世界を、それぞれのやり方で生きていく
    というイメージがわきました。けれども
    家族の問題は、「正解」とか「正しいやり方」があるわけではないですよね。

    道筋は違いますけれど「万策尽きた感」というお気持ちには、共感できます。
    ・・・私は絶望・大底・二番底というのも味わいました~。
    しかしそこからまた、それぞれが、前へ進むということなのだと思います。

    先生のブログは、前へ進むためのヒントの宝庫です。
    marioさんとご家族、それぞれが、共に、のり越えられますように…!

    • Jenga
    • 2015年 10月 15日

    万策つきて・・前に進む私もそんな感じでした。
    万策尽きて「社会」に流されたら・・違う世界に押し流されて気づいたら足場があった・・そんな感じ。
    じたばたしないで流れに乗っているうちに浅瀬にたどり着くようなきがする。
    客観的にみたら、退寮、退学しかない。
    公立中に行ってそこがダメならフリースクールそこがだめなら・・っていくしかない。
    最終的には刑務所だったとしても・・・。
    今は随分上流にいるんだから・・どこかに着くさ。

    • mario
    • 2015年 10月 16日

    Rさん
    私もルール違反でしたね。
    以前、ここでのやり取りでADHDの知識を得ていなければ、今の何倍も混乱していたでしょう。
    混乱する自分をここでの知識で抑え込み、どうにかやって来ていました。
    手を尽くす手段の一つとして、改めてここにヒントを求めたのでした…

    Jenga さん
    ありがとうございます。
    親の立場から手を尽くして、結果が退寮、退学なら仕方がありません。
    その後、少年院や刑務所に行ったとしても、それが奴の人生なのでしょう。
    ただ、親として奴に関われるあと数年、出来ることはしようと思います。じたばたしようと思います。

    ヒントも見つからないようなので、自分の思うように進めることにしました。
    ずっと躊躇していましたが、まずは先生にストラテラを要望します。
    上手く効いて、原因と結果が繋がってくれる事を願います…

      • r.
      • 2015年 10月 17日

      marioさんへ

      >甘いでしょうか?万引き・泥棒・暴力は、確かに犯罪です。
      しかし中学生の頃は、割と誰しも経験する事だし、その結果を見て学習するものだと思っています。

      >今回、万引きなどは見つけ次第、お店に謝罪に連れて行くなど、かなり頑張って、してはいけないことをいけないと示したつもりでした。寮の問題も一人ひとり謝罪に行きました。

      上記の「義父の言動」を、ADHDの目から見ると、
      言語メッセージでは「万引きはいけない」と諭しながら
      非言語メッセージで「この年頃の男子なら、万引き程度はするものだ」
      と、犯罪行為を肯定していると受け取れます。

      義理の息子さんは、
      「義父は、口ではダメって言ってるけど、内心このくらいOKだって思ってる」
      と感じるのではないですか?

      >寮も一時退寮になるなど、痛い目をみた筈だと思っていました。この経験を通して学習したはずだと思っていました。

      この経験が「痛い目」として十分だと思うのは、marioさんの主観的尺度であり、
      それは息子さんにとって、意味のない尺度だと思います。
      なぜなら、義父は 
      ・非言語で「万引き OK」と発しているし
      ・体面を保つために「がんばって」謝罪してるだけだし
      ・そもそもこの寮制の学校だって、もともと義父が勧めてきた学校だから、
       僕にはな~んの未練もないし!
      ・・・上記の最後の部分だけは、私の想像ですが。でも、考えてもみてください。
      ADHD気のある小学生の男の子が、自ら全寮制の中学を探し出して、
      「僕この中学を受験したい!」と親を説得し、自発的に受験勉強に励むとは考え難いです。

      この際ですから さらに書かせていただくなら、
      「万引きするのは、たくましくなるための試練だろ」
      「先生やカウンセラーとやらには、へらへら謝っておきゃいいんだろ」
      くらいに思っているかもしれませんよ。
      なぜなら、義父がそういう態度だから。

      >ヒントも見つからないようなので、自分の思うように進めることにしました。
      ずっと躊躇していましたが、まずは先生にストラテラを要望します。

      息子さんの問題行動の対応に疲弊し、投薬に頼りたいお気持ちはわかります。
      なぜなら、私も同様の気持ちになったことがあるからです。
      そして、ここでヒントが得られようが得られなかろうが、
      あなたは 主治医に投薬を進言されるのだろう と、私は思います。

      でも、考えてみてください。投薬によって、楽になるのは誰ですか?
      息子さんではないでしょう?
      親自身の「もう大丈夫」感、ただ安心感を得たいだけではないですか?
      (経験上申し上げますが、そんなことでは安心できませんよ、絶対に)

      私は最初の自己コメントに書いたとおり、marioさんがご自身の来し方を振り返るべきだと
      思っています。

      先生
      このコメントを書くにあたり、自分はどうしてここまで、この件にこだわるのだろう?
      ということを考えました。

      ・ジャイアンはゴリ押し・強権的に、ASDは巧妙に真綿で締め上げるように、
       各々やり方は違っても「子どもを思い通りにさせること」に対する怒りの発露

      ・ASDに本気で話しかけたら、ジャイアンの思いが通じるか試したい

      ・暖簾に腕押しの孤立型とは異なり、積極奇異型からの反応がマタタビとなる

      ・少子高齢化・人口減が危惧される中、親の都合で精神疾患にされてしまう子どもの増加は
       社会的損失でもあり、ひいては自分の老後についての不利益になる

      など、思いつきましたが、要は、書きたくてたまらないので、書きました。

        • r.
        • 2015年 10月 18日

        昨日投稿してから改めて、自分が「この件について」、そして
        特に「ふりかえり」にこだわるのはなぜだろう?と考えました。

        主因は、子どもの問題が顕在化した時の、自分の初期対応のまずさ、
        そして、そのことへの自責の念が強いからだと思えました。

        当時は、子どもの「意味不明に見えた言動」に右往左往しながらも、
        どこかに「わが子の本気」を感じた頃から、私は腹をくくったような気がします。

        その意味で私は、今回の一連のコメントの文面からイメージされる「息子さん」に
        「本気」を感じました。(当時の我が子も、中1でした)
        私がコメントを書く気持ちの中には、「息子さん」の本気に応えたいという、
        私の良心も確かに含まれていた とは思います。

        我が家の場合は非行はありませんでしたが、ともかくアクティブで
        子どもは学校、病院、遠くに住む複数の親族まで巻き込んで、
        私の存在を排除しようとしました。

        親族たちはまず、子どもの精神疾患を疑い、続いては
        腹をくくって動じない「私の精神疾患」まで疑い始めました。

        子どもの主治医が「親子・精神疾患説」を一蹴すると、
        主治医は親族から、やぶ医者扱いされていました。
        (今思い出しても、主治医様にはすごく申しわけなかった!と思います)

        3番目のコメント者の方の例え話でいうと、
        一人の子どもと、子どもから手を振りほどかれた母が
        世間という激流にもみくちゃにされ 流されて
        それぞれ よれよれになりながら 
        何とか足場を見つけて 自ら立ち上がり
        それぞれが 別の方向へ歩き出す(今、私たちはこのシーンにいます)

        その間 父親は いつも岸にたたずんでいる
        川へは 絶対に足を踏み入れない
        (しばしば私は、彼を川に引きずり込もうとしていましたが、
        いい加減 もうやめようと思います。 もとい、やめます)

        これは、あくまで私の回想ストーリーです。
        子どもには子どものストーリーがあるのでしょう。

        家族の問題は、だれが悪いということではなく、自分の言動については、
        ただただ、適切でないところに気づき、修正していくものだと思っています。
        後悔はしないが、反省はする ということだと思います。

        最後に、私が「子どもと自分をほめたいところ」を書かせてください。
        それは、激流に流された後それぞれが「自分の足で立ち上がった」
        ということです。
        子どもも私も、きっぱり きっちり 手を放しました。
        ・・・まあ正確には、放したつもり ということですが、
        二度と子どもを支配しないように と 思わない日はありません。

        この件に関してはまた、書きたいことが出てくるかもしれませんが、
        潮時だ と自覚しました。
        コメントの機会を与えてくださった皆様に感謝します。

    • tukatantikatan
    • 2015年 10月 18日

    私は自己責任は、ほとんど自分が経験したメカニズムとその検証からしかわからなかったです。
    走る→転ぶ→痛い というとき
    痛いとこで、痛いのは自分のせいという自己責任の自覚には、メカニズムの検証は不可欠と思います。クッションがあって痛くも無く、によって検証できなければいつまでも転ぶと思います。
    いちいち走って転んでてさすがに疲れてくると、なんかおかしいなって思って検証しだしても、自己責任につながるかは・・・。クッションの傷み具合で自分の財布が傷んでくるまでは自己責任につながらないと・・。
    そして対物的にはわかりやすい(自分が痛み易い)けど、対人的には、相手の反応が無ければわからない(経験から帰納できないうちは)。でも子供のうちは直の反応しますが大人になるにつれ、人はなかなか直の反応はしないです。でまた直の反応自体、その当人にとって非常に苦痛なものだと思います。苦痛を意識的に言語で相手のために表現することが苦痛です。なのでいやみは発達するのかなと思います。(ま、ストレートに言われないと未だに私はなかなかわからないですが・・・)
    なので代弁者がいます。それが親のくれる言葉や拳骨と思います。よくあの多数派の子が、お母さんに叱られたけどお母さんはほんとうは怒ってないから悲しくはならないっていうのは、お母さんが代弁者というメカニズムがわかっているからなのかな、と私は思います。多数派のシステムは代弁者を間に入れることが多いし。(話の内容から代弁者を知ることや、教育や責任という観点はわかるけど、暗黙の中の関係性の了解はとっさにできないですねえ・・・)

    • mario
    • 2015年 10月 19日

    R.さん
    万引きOKとは思ってませんよ。少なくとも、2回目以降は完全にダメでしょう。
    投薬によって彼の中で原因と結果が繋がれば(当事者のそう言う記述をWWW上に見かけます)将来に渡ってメリットがあると思う反面、ここで更に痛い目(退学など)にあった方が彼の将来には良いのかもと思っている部分もあります。その部分を経験者から聞きたかったのです。

    tukatantikatanさん
    親の言葉は届きますか?今のところ何ら効果を出していません。
    親の鉄拳は効きますか?鉄拳と言う結果が原因に繋がるのなら…と思いますが。

      • sakura
      • 2015年 10月 21日

      ADHD当事者(女)です。
      多分暴君型です。6歳の頃から万引き常習者で高校生くらいまでやってました。
      暴力振るって停学になった事もあります。
      一当事者として私の場合は、というつもりで書きます。

      親の言葉は届きますか?ー届きません。
      親の鉄拳は効きますか?ー効きません。

      私の感覚からすると、ADHDが親へのあてつけに問題行動をおこすとはちょっと想像できないです。

      私も母親を攻撃したことありますが、注意・関心・同情をひきたかったからではなく「気に入らないから叩きのめしたい」が理由です。まさに攻撃衝動そのものです。
      なので、「ゴメン、私にはもう無理。あなたの好きにしなさい。」と言われた時「勝った!」と思い、本当に清々して攻撃を止め、すごく落ち着いた気持ちになった事を覚えています。

      勝利の満足により感情的にゴチャゴチャした場所から離れられます。
      そこではじめて合理的に考え始めます。「あれ、このまま退学になって良いのかな?」って。
      これ以上続けたら退学だって初めて繋がるんです。で、それで良いのかなって自分で考えます。

      障害の重症度と知能指数によるところもあるかもしれないので、あくまでも私の場合の話です。

      私個人の意見としては、まず、あなたが白旗をあげて降参し、見限って無視し、息子さんを感情的にゴチャゴチャした場所から解放してあげるのが良い様に思います。

      でもASDの方って相手をまるで存在しないか透明人間の様に無視するの難しいらしいですね。
      本当に、まるで見えてない様に(興味関心が一切ない様に)無視して欲しいんですよ。お願いします。

    • Jenga
    • 2015年 10月 20日

    一番シンプルに考えれば、激しいホーム(母)シックか、学校に馴染めないか・・なんじゃない?

    その学校のちかくにアパートを借りて、母、子で暮らし、
    子どもは自宅から通学して、あ~たは単身赴任して様子見てみたら?

    • Jenga
    • 2015年 10月 21日

    学校に馴染めず、あるいは想像以上のホームシックに耐えられなくなっても、その子には帰る家がないよね。肝心の『お母さん』がほかの男との恋愛にうつつをぬかしたあげぐ、よその男を家に上げいれ、自分は追い出された状態なんだからさ。

    崖っぷちに追い込まれたんだったら振り返って後ろを見たらいいんだ。

    • tukatantikatan
    • 2015年 10月 21日

    私の場合、父からでも母からでも、それが説明になっていればおぼえていますが、現実で活きるのは、聞いた後実際に確認してその後だから三回目くらいからですかね~。
    原因と結果・・・私はちょっと違うこと考えてましたけど、確かに情報同士はつながりが良くなります。これはあれで、あれはこれだ、というような・・原因と結果・・・・・自分が不注意する瞬間を自分で目撃したときは驚きます。って、自分でやってるからわかって当たり前なのですが。汗・・
    今までは結果しか目撃できなかったのですが、自分が原因を作る瞬間に気付くという事は、原因と結果がつながったということですね。そうか・・そういう風に言えばよいんですね~
    私は今まで何かしら結果は求めてきたのですが、自分が欲しいと思っていたからで、だから欲しいと思わなければ始まりません。
    息子さんが何を求めているかは、私はわかりません。息子さんに聞いてみるしかないと思います。私は服薬によって多少言葉を発しやすくなりました。

    • mario
    • 2015年 10月 27日

    TUKATANTIKATANさん

    当事者コメント、ありがとうございました。
    先生も書いていますが、「理由があるから我慢する」に持って行けるように、彼の中で原因と結果が上手く繋がるように、ブレずに合理的な説明を続けて行きたいと思います。

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