AS(アスペルガー症候群)といわゆる多重人格(解離性同一性障害)の合併というケースがあり、私も一例のケアに当たっている。
藤家寛子さんが自伝「他の誰かになりたかった」(花風社)を書いているが、表面に出ているのは解離性同一性障害で、注意深く話を聞いていくと、ASであることがわかる。
私のケアしているケースでも、「今日はどなた?」と自己紹介して話し始めるような感じだが、本人の話を聞いていくと、やはりASとしての生きづらさがもとにあり、それに対するひとつの反応として解離性同一性障害という形を取らざるを得なかったのだろうと思えてくる。
私の想像では、受動型のASの人が、「受動的に周囲に合わせ続ける」事と自分の「ASとしてのこだわり」の間の根本的な緊張関係あるいは矛盾のために自我の危機にさらされ、そのひとつの解決として「バラバラになる」という形になったのが解離性同一性障害ではないかと思う。
同様のことは躁うつ病になっているケースやそれこそ見かけだけでなくボーダー(境界性人格障害)に実際になっているケースにも言えるのだろうと想像する。
「生きているだけで大変」ということを話を聞くたびに感じるのがASの人だ。
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/
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