私は自己正当化型ADHDをこれまで主に大人のケースでモラハラ加害者の「ジャイアン」になっているケースと、人格障害に酷似した「自己正当化型ADHDのAC」として捉えてきたが、最近は「もともとは同じ素因を持っていて、後に合理的に成長しているケースもかなりある」という風に考えるようになった。
自己正当化型ADHDはADHDとして状況はわからないのだが、「自分が不利にならないための悪知恵」という領域の知恵は小さいころから結構働く。また親への執着は(ASとはまったく違う形で)あり、幼少期弟や妹をいじめることが多い。
もうひとつ、「ACが非常に幼少期に形成される」という特徴があると考えている。自分に対する評価を感じることが出来、ADHDとしての二次障害は非常に小さいころから受ける。だからACの治療としてはかなり集中的にしっかり治す体制が必要になる。
普通のADHDとの違いは、直感的な表現を使えば「特有の派手さ」がある。カリスマ性というか、アピールの強さと、自分が正しいと信じて疑わない確信のようなものがあり、AS(特に受動型)の人はここに惹かれるのではないかと思う。
幼少期の環境によって、重症のACになるか、ジャイアンになるかが分かれるが、成人後の経過としては、一度徹底して二次障害となって重症のACとなったほうがかえって合理的となる可能性が大きく、逆説的だが本人には幸いだ。
逆に甘やかされたケースは治療が難しい。カウンセリングでも、最初は「思い込みの激しさがひどい」と思っていたADHDのACの人が、回復してきてみると自己正当化型であったということも多く、その場合はもう一ラウンド別の治療をするということになる。
自己正当化型ADHDが、とても複雑であることがわかりました。
自己正当化型ADHDも、『親への執着』があるとのことですが、ASのそれと、どのように形が違うのか、教えていただければ参考になります。
この頃、自分も自己肯定化型ADHDではないかと思い始めていたところです。理由は、あまりにも自分の意見に自信があるのと、うっかりすると、周囲の人に無用な干渉をしてしまうためです。単にACや共依存のせいでそんな風に人に干渉するのだと思いたかったのですが。
小学生以下の頃は、母から物差しで叩かれるのは日常で、母はとても怖い人だと思っていました。失敗するとそのような目に遭うので、その後は絶対にしくじらないようにしていきます。自分の欲しいものが手に入らない、奪われるという経験でしょうか。
小学生の頃は特に「良い子」の仮面を被ることで、自分のできない部分を覆い隠して切り抜けていました。その後はダメな子として素で行きますが、自分の立場が悪くならないようにしたいと思えば、そのように立ち回ることもできそうです(今ではとても嫌ですが)。幼少期に妹弟を苛めたことはありませんが、後に20歳くらいまで妹弟を羨んでいたことは確かです。
状況がわからないという点に対処するために、周囲の人の性質や癖などの情報を執拗に集めて、しくじらないようにするのが癖です。それをしたからといって、どの道糸の切れた凧のようになってしまうことも多いですが…..
私はADHDのACに該当すると思っていますが、今でも、普通の人として見られたいという願望があります。
社会生活を営んでいくために、思考や行動を少しでも普通の人に近づけたい。
周囲から変わり者として見られる事のほうが、私にとっては苦痛なことです。
自己正当化型ADHDのページの特徴にはほとんど該当してはいなかったのですが、特に大人になってからは、自己肯定感が保てているというか、子供時代にあった自罰的な傾向が他罰的に変わってきたような気がします。
これまで私の脳のデータベースに蓄積されてきた「普通の人のパターン」から外れた事を「普通の人」がしていると、自分を棚に上げて強く非難したくなります。
こういうのも自己正当化の一種になりますか?
私の妻が単なるADHDなのか自己正当化型ADHDなのか、どちらでもあるように見え、未だに判断つきません。見分けるポイントはありますか?何にでもそれがあるように、両方の中間的な状態もありえますか?
それと自己正当化型であるか否かによって、パートナーとしての対応は何か変える必要がありますか?どちらであったにせよ、(自分(AS)が変わることが必要なのはもちろんとして)、相手に対しては合理的な説明を繰り返すしか無いように思い始めています。(どちらであるかによって、未来は違うかも知れませんが…)
はじめまして。
35歳女性、離婚歴あり、娘一人あり、自己正当化型ADHD(自己診断)です。
ジャイアンと認めるのは苦しく、認めるのを先延ばししてきましたが、やっと、本当のことだから仕方がない、と思えるようになりました。今は結構すっきりした気持ちです。
私の場合は小さい頃から失敗が派手で目立ったので、周囲から笑われることも多く、自己評価は大変低かったです。
自転車に乗っていて考え事に夢中になると、川や田に落ちたり。高校生の時にはマークシート式の試験で1問ずらして回答したこともあります。夏休みの宿題の先延ばしは小学校1年生のときから高校卒業するまでずっとしていました。夏休みが楽しかったという記憶がありません。
私の母は、私が失敗しても、自分でやったことだから仕方がないね、という感じで、感情的に起こられたことがあまりありません。
今思うとそれが良かったと思います。
根は負けず嫌い、1番になりたいのですが、できないこと、失敗があまりに多く自分はダメな人間だ、と思ってきました。
現在の職場の上司はドライで合理的、私としては大変助かっています。ACの部分が良くなってきたな、と実感します。
自分のジャイアンを認めた今がスタートライン、そう思って認知の修正をしていきたいと思います。
このような場を設けてくださり、ありがとうございます。