珊瑚礁の派手な色の魚は同じ柄の同種を攻撃する。なわばりの中心からの距離で攻撃性は変わるという。しかし近くに同種が居ないと、似た柄の異種の魚まで攻撃するようになる。
ある種の魚は雌雄一つがいだけ水槽で飼うと(敵が居ない状態では)つがいの相手を殺してしまう。
ローレンツはこのこれらの観察から「攻撃性は自立的な本能である」と考えている。
進化論的には「なわばりを保持するために同種を追い払う」あるいは「メスに選ばれるため」の意味で種や自分の遺伝子の保存に役に立つと考えられるが、「攻撃」自体が目的になるところまで「自立した」衝動になっているということだ。
この攻撃性を抑制するシステム(多数派の行動につながる)については後で別に考えるとして、「攻撃性は本来本能的に自立したものとしてある」というのが動物の行動の観察からローレンツが引き出した結論だ。
この意味は、攻撃行動は何かの刺激に対する「反応」として生じるのではなく、むしろ前回猫の例で述べたように、「何かを攻撃しないでは居られない」という自立した本能になっているということだ。
この論が人間にそのまま当てはまるかどうかは分からないが、私はジャイアンの攻撃性については同じような考えを持っている。
病理として、モラハラやパワハラの形で弱い家族や部下を「いびり続け」たり、攻撃対象を持たないジャイアンが妄想的に「自分に嫌がらせをする仮想敵」を作り上げたりする行動は、いかにも「攻撃性自体が一人歩きしている」ように見える。
ローレンツも「スポーツ」をまじめに推奨しているが、私は「多数派の社会とかろうじて両立可能な形で攻撃性を発散する」という方法を推奨している。
例えば「鬼のように合理的になり不合理や不条理を理屈っぽく攻撃し続ける」とか、私も時々意図的にやるが「迫害された弱者の味方をする」図式で公務員を攻撃する(これをクレーマーと言う)とか、そもそもはじめから激しい競争や闘争の場を職業や生活の場に選ぶというのもあるだろう。
多数派と違い、「空気」で衝動へのリミッターがかからない障害である以上、この攻撃衝動をうまくコントロールしないことには世間への適応は困難だろう。「内なる虎にどう対処するか?」である。
確かに何とも衝動的な攻撃性は感じます。
また不安を拭い去ることもできない様子。
本来的な素因ならば、現代社会において適応するモデルが必要だろうと思います。
私は、ゼミのA君に攻撃性が向いてるから他に出なくて済んでるということなのですね。納得です。
「空気で抑制」については、
『別に空気だけで抑制してるわけではなく、前後の状況とか話とか、総合的に批判するに値するかどうかを考え(瞬時に)ての結果。抑制した方がよければする。攻撃するに値しなければしない。それも本能だと思う。そういうのを理解できないからって単純に「空気」と呼ぶのもどうよ?』と多数派友人に言われました。
餌を獲ったがハイエナに囲まれ安全のために無駄な戦いを避ける母親チーターのような多数派友人。
方や私は、赤いヒラヒラを見るとなにも考えずに突進してしまう闘牛のよう。。。そりゃ痛い目見ますよね。
動物なら「分らない物を警戒する」のは当然の本能だから、
意味不明ジャイアンが警戒されるのも納得です。
「時間が経って印象が変った」とかいう(学習本能?)も納得。
要するに多数派は、本能と時間の継続がリンクして物事を見てるのだと思う。
よって抑制本能が壊れかつ過去を忘れ未来も見ないジャイアンが「浅墓」に見られるのも納得。
ゼミA君の話に戻すと、
空手道場で攻撃性発散していたようですが、そこでも偽トップ目指で迷惑をかけ居場所を失ったようです。
オレ様みたいな強いのはあんな道場じゃダメなんだとか言ってますけどね。
ホントは単に弱いんじゃないのかと私は思ってます。
いつもこちらで勉強させていただいています。
父と姉がジャイアンで年をとってきてよりいっそう攻撃性をましてきています。私は最近カウンセリングを受け、楽になってきました。これからも勉強させてください。
私も!。。クレーマーかも。。いや、クレーマーです。。
生産性、コスト意識、合理性、責任の所在・・
公務員に欠如してるものに反応しまくりです。。
「面倒だから反対意見が多いほうを尊重した」とか
「とにかく先延ばしにして自分では考えない」とか
それが丸見えのうすらとぼけた返答をされたときにはぶっ飛ばしたくなります。
でもぶっ飛ばすと捕まるので。。しつこ~く問い詰めます。
こういう形で攻撃性を発散させるのはジャイアンとして正しい!
やっぱり私は合理的ジャイアンなのかな。
「強迫的」が付くかどうか分かりませんが・・・
トラブル(原因は自分じゃない)が起きるとワクワクします。
トラブルの渦中に飛び込みたい衝動は、自分が貢献することで人からの「必要」を得たいというAC的欲求だけでは説明できませんでした。
人から頼まれようと自分の基準で「くだらない」ことはやりませんでしたから。
原始の時代から人種に関係なく祭が行われ、
みんなで真冬に海に飛び込んだり、みんなで火の上歩いたり、みんなで大木と一緒に坂を転がり落ちたりしています。
一致団結の欲望は自立的本能でその発散のために
奴隷と時間と資金をつぎ込み、地上に巨大な三角錐を造ったりするのでしょうか。
先生が動物の行動生態学に焦点を当てていらっしゃることはとても深い洞察だと思います。
私が娘の「強迫性障害」から「統合失調症」までずっと付き合って感じてきたことは、娘の脳は健常者の脳よりも「動物の本能」が表面に出やすい脳だということでした。
この事実は私にとって興味深くもありますが、かなり怖いものでもあります。ですからさまざまな療法や工夫で、その本能をできるだけ穏やかにコントロールできる道を探してきました。本人が安定して、心安らかに暮らせることが目標です。
前回と今回の記事で「動物の攻撃性のメカニズム」を学ぶと
娘の病気の症状も別の視点から見ることができ、不思議と心が落ち着いてきました。
先生こんばんは
衝動について考えていてひとつわかったのですが、
私は偽攻撃いつもやっています。
偽攻撃とは笑いをとることです。これは自分の為にしていることで、相手かまわず自己中な行為です。初対面の人ほど笑いをとりたくなります。一回でも笑ってくれれば気が済む、衝動的に言ってしまいます。なんでやってしまうのかなと考えていたんですが
「笑顔を見せても喜ばない」
と障害児のお母様方が言うのを聞いて
(そうか、喜ばせようとしてくれているんだ。だから朝イチで皆笑ってるんだ。)
(あれ?何をいまさら・・・)
そこまできてやっと、自分も空気の和平が無いのだと気づくのです。
「社会的なルールや規範が無いようですが、よく考えればわかるようですので大丈夫ですよ」
と心理士の人に言われ、その時は
(何が無いんだろう?)
と不思議だったが、それがつまり空気読み機なんだと。
それが無い場所がぽっかり空虚感で埋まっているんでしょうか。
それが無いと無意識にわかっているので意味の無いことが好きなのかもしれません。