「ジャイアンの攻撃性」と「多数派の空気による攻撃性などの衝動の抑制」のことを調べる目的で、最近行動生態学などの勉強をしている。コンラート・ローレンツの「攻撃」という本は非常に示唆に富む。
ローレンツは(本能的な)「衝動」自体の特徴として、以下のように述べている。
「ある本能的な行動様式をかなりの期間にわたって停止しておくと、その本能的な行動様式を引き起こす刺激の限界値が下がる」。
あるハトはメスが居ない状況に長く置くと異種のハトや布や終いには「ケージの隅」などにも求愛行動を起こすようになるという。
また猫は餌を十分に与えられてもネズミを捕ることを止めない。餌の量によって、最初は殺すことを止め、次に捕まえることを止めるが、十分な餌があってもただ追い回すことは続ける。
猫は自然界では多くの時間とエネルギーをネズミを待ち伏せしたり追いかけたりするのに費やしている。努力の結果「極たまに」殺すに至り、その結果食べ物にありつける。
その状態に対してセットされた狩猟のプログラムは飼い猫の状態になっても停止しないということだろう。
この「餌を与えられ過ぎて刺激を求める猫」の話を読んで、隣近所に異常に被害的になったり、刺激の少ない生活にイライラして家族などに当り散らしているジャイアンの姿を私はどうしても連想してしまう。
ジャイアンは「衝動統制の障害」で、中でも攻撃性は非常に目立つ。よろず衝動にリミッターがかからない。私もそうだが、「叩き潰したくなる」という衝動は頻繁に起こる。
「戦い続けるような環境」、「狩猟の刺激がずっと継続するような環境」では合目的的な衝動や攻撃性が、平和な社会の中ではトラブルメーカーにしかならないのは容易に想像できる。
合理的なのは良いが「超合理的強迫的」になってしまうのはおそらく上記のような刺激を求める衝動性から来ているものだろう。
そういう意味では「回遊魚のようにトップを求めて走り続ける」中心志向型ジャイアンの生き方はジャイアンの脳には向いた環境の選び方であるとも言える。
私は多数派です。大好きな人がジャイアンです。
でも私から観たら、彼は吠え続ける孤独なライオンにしか観えません。本当に回遊魚のように、きっと止まったら死んじゃうんじゃないかと思います。
彼の脳には、それが一番合っている生き方なのは理解しようと思っています。ただ、それで彼の体が持つのだろうか?といつも心配しています。
野生の時代のプログラムが強く働いているというのが興味深いです。
ひたすら謎を追いかけ続けるのは衝動なのかも。
先生の記事読ませていただきながら、
以前海に行った時の事を思い出していました。
泳いでいる時、地元の人が、「食べる所は少ないけど、底の方にウニがいるよ。」と教えてくれました。
(売り物にはならない種類らしいです。)
みんなで潜って取りました。
そのうちみんな飽きてきて、泳いだりして、
浜に上がっていきました。
ところがわたしはウニ取りに夢中になり、
やめることができなくなりました。
疲れるどころか、血沸き肉踊る状態でした。
もっともっともっと・・・。
気が付いたらウニが山のようになっていました。
民宿に持って帰ったら、宿の人があきれ返り、
「そんなに身がないんだよ・・。」と言いながらも調理してくれました。
気持ち悪くなるくらい食べました。
ウニをとっている時のわたし。
時間も空間も忘れて、ただひたすらウニを探し、ウニを獲る。
生きてるぞ~!という実感がありました。
野生の血がさわいだんでしょうねぇ。
漁師か猟師になればよかったなぁと思います。
>「回遊魚のようにトップを求めて走り続ける」中心志向型ジャイアンの生き方
これが、
常に他のメンバー、同僚、家族など周囲の人々を
ネズミをいたぶる猫のように攻撃して
圧倒して、圧迫して、降伏させて、
トップに居続けようとする
中心志向性に
転化しないようにする為に
周囲は何が出来るのでしょうか?
ゼミの無自覚君はトップを目指して走っているのかもしれないが、
その間に邪魔だと思ったものは蹴り飛ばす、引き摺り下ろす、罵倒する、騙す、力でゴリ押し、人の成果を横取り、都合が悪いときは嘘と逆切れで自己防衛。
結果トップとは程遠い場所に行き着き、回りのせいにする。
ジャイアンとして、本当に叩き潰してやりたくなります。
ヒゲ達磨(AS?) さん
中心志向型ジャイアン様に
強い敵をプレゼントし続けたらいいのではないのでしょうか。
そうすれば退屈しのぎに、弱いネズミをいたぶる必要はない気がします。
やつの求めているのは「トップ」ではなく「闘争」。
命を賭けられる敵を探し旅してるんです・・きっと。
※今回も表に表示しないでほしいと思って、先生へメール変わりに送信しています※
ここを見ている当事者の方々は題の「攻撃」のみに反応して、
思考を止めてしまい、力自慢を披露したい衝動につつかれている気がします。
私が繋がったのは「クレイモア」という漫画でした。
先生はすでにご存知でしょうか・・
私はあまり漫画を読むほうではないのですが
衝撃を受けて、単行本も読むまでになった漫画です。
先生が以前紹介された「のだめカンタービレ」全巻ではありませんが読んでみました。
なるほど、作者がADHDと私は感じました。
のだめと対比するように、クレイモアはASが書いたように感じます。
漫画とは思えない緻密な絵に、延々と長い説明のような台詞。
そして、攻撃についてですが、この漫画の軸「覚醒」に繋がりました。
村人はどれもこれも貧弱な多数派のように見え、
クレイモアこの存在が私には発達障害者に見えてなりません。
クレイモアとは妖魔と人間の半人半妖という設定です
怒りや恐れ、自らの感情に負けてコントロールがきかなくなると
完全に妖魔になって覚醒してしまうというあたり・・
作者自身のASからくる苦悩が妖魔という表現に繋がったような気がしています。
登場人物はAS・ADDタイプ別にキレイに序列されていて、
ASから見たADDはこのように勇敢にみえるのかとも思いました。
ASにとって、ADDは便利ですよね。
友人家族・自身が登場人物の誰かしらに当てはまるような。
多数派のような村人はどれもこれも同じタイプ一塊で表現されていて、
クレイモアの登場人物だけが感情があるようにも読めます。
私の世界感も多数派がモノト-ンで、同じ障害の他者だけがカラーで浮かび上がって認識できるような感覚があります。
作者の世界感と同様に、私は世の中が見えているように感じてしまいます。
漫画ですから、あまり高度ではないかもですけれど
クレイモアの描く抑えきれない怒り、感情について
先生はどのように捉えるだろうか・・と思ったものです。
ADHDはもしかしたら進化の過程で枝分かれした古い人種なのかもしれませんね。私も何かおもしろい刺激的なものに魅入られると、目がらんらんとしていると言われます。時々血のしたたるレアステーキが食べたくなったり(笑)おもしろい記事でした。
刺激は激しく求めますね。その刺激が危ないとか考える前に衝動が優先して突っ走ります。
以前多数派の恋人に「普通の人がいこうと思わないところに行こうとするのでおもしろい」と言われたのを思い出しました。
今年の夏休みも急に日本一周しようと思い立って、カバン
一つ下げ、北は秋田から南は奄美大島まで一人旅しました。
奄美大島も鹿児島まで行って急に思い立って行きました。
僕は先生がうらやましい。
先生の文章を読んでると、きっと先生は発達障害について
考えることを楽しんでるように感じます。
自分の「おもしろい」と思えることを仕事にして社会に
役立てている、純粋にいいなって思います。
ACだったひとは、何より「自分が好きなことをすること」
が大事だと聞きます。
僕も早くそういったものを見つけたい。
ジャイアン様の被害者モードって、
たった一人で深海の潜水艦の中で、あたり一面に機関銃ぶちかましてる状態かなあ。
流れ弾に当たって、無限ループ。
沈没するまで。
私の夫は自己判定シートでジャイアンです。
専門機関への受診は本人が了解していません。
まさに、今回のテーマは我が家の日常に大きく関わっていると思いました。
本人がADHDのことを知ってから、表面的な攻撃性は目立たなくなったのですが、形を変えて攻撃されていると感じていました。
「相手を屈服させたい」という感情。
意見の相違があった時、自分の意見を私が了解しなければ、私の人格を否定します。
傷つくことを言わないで欲しいとお願いしても、詫びの言葉の次に「でも、なんでそういうか説明させて」ととことんまで追い込まれます。
しかも、こういった会話が週に1回以上起こります。
耐え難い状況だと訴えましたが、原因は私にあるからだということでそれ以上の話はできません。
でも、なぜそういう言動をとるのか、今回理解のひとつとなりました。
社会の中で常に刺激ある状況におかれるのが確かにいいのだろうと私も思いますが、今はそういった状況におりません。
私なりに知識を得る努力をしていますが、この、衝動に対し、家族はどうしたらいいのでしょう?
知れば知るほど、たまに、真っ暗な気持ちになります。
あー、いますね。周囲に典型的で自覚なき人が。
女性なんですけど、自分の利益になるか、または
服従するかの人のみを受け入れ。
それ以外の人には、誰彼かまわず喧嘩を売る。
ご主人はエリート、自身も悪くない経歴を持っているので
完全に「自分は正しい」と思い込んでいるようですが、
毎回幼稚園の懇談会で園に喧嘩を売るのは異常。
それも穏やかには言わないの。なんか怒っている感じ。
ちなみにいつも動いていないと死んじゃう、と周りにいわれ
ています。ちょっとカワイイ所もあるんですけど
ほんのちょっと、ね。