ASと想像力④ではまずASの反対側から見てASの態度が相手の自由意志に対してどのような問題になるかを書いてみた。今度はAS側から理解しやすい表現を考えて書いてみよう。
自分のなじみの過去の事実とつながった意味付けの枠組みに普遍化して、相手の言葉や行動を「固定」した結果、想定される相手の行動は「自由」でなくなる。
この自分の過去の情報とつながった意味付けの枠組みで想定できないような意外な行動を相手がとった場合を考えてみよう。
実際の場合多くのケースでASの人は「あの時こう言ったのに」「あの時はこうしたのに」と言うことになる。相手の首尾一貫性がなく、それで自分が不安になることの不満を相手にぶつけているということだと思うが、これが前回書いた「予想できなかったと言って相手を責める」という状況だ。
これは「要求」になる。ASは首尾一貫性を重視するが、他者に同じことを当たり前に同じように首尾一貫した行動を「要求」すると、相手がそれ以外の行動をする意志の自由を認めないという意味となる。これが「要求」の意味だ。
「要求」をやめて「期待」をイメージしよう。「期待」は「そうしてくれるといいのだけれど」「私はそう望むのだけれど」、「それ以外の結果が出る可能性は当然あって」、「自分の望む結果にならなかったとしても当然の結果の可能性のうちのひとつであったと納得する用意がある」という意味合いがある。
「仮定」でもいいし、「ブラックボックス」でもいいし、「結果として自分の想定できないような結果が出てくる可能性があることが想定されて」いれば支配的ということにはならない。
最もシンプルに表現すれば、「想定外の結果が出てくること自体を想定する」「想定外のことが起きる可能性を想定しておく」ということだけでいい。(実際にはそれほど簡単ではないと思うが)
昨日初めて投稿させていただいた者です。
補足させていただくと、私もASかASのACであると確信したのですが、子供は3年程前から「境界性人格障害」と診断されています。
でも、生育暦からみると、確実に発達障害が先にあります。
親子でASの場合、どちらも相手に要求しあう事態になりがちです。
「あの時こう言った」とお互いの自由を奪い合って、随分実り無い無気力の時間を共有しあっていました。
「結果として自分の想定できないような結果があることを想定する」ことは正直、非常に怖ろしいことではありますが、自分がパニックに陥らないように心の準備をする(ある意味自分を守る)ということでも大切のことだと思います。
親子でASの場合、想像力の欠如からか2通りの立場に立って読まなければならないので、気持ちの立て直しの作業がちょっと困難でした。
本日のお話は、とてもわかりやすく、今までの私自身を全て見抜かれたような思いです(良い意味で)。
>「想定外の結果が出てくること自体を想定する」「想定外のことが起きる可能性を想定しておく」
心して、日々行動をし、子供たちにもこのことが理解できるように接したいと思います。
④と⑤のお話はとてもわかりやすく、やっと私がパートナーを(支配する意思なしに)どう支配していたのか、何となく判って来ました。一方、これを改善するのはとても難しく感じており、注意する事は出来るにせよ、大事な場面で気が付かずに同じ事を繰り返しそうな気がしています。
marioさんへ
『自分がどんな風に支配していたのか』が見えてきたという事が、全てのスタートだと思います。夫婦の片方でも問題点に気が付けば歩み寄り、理解し合えるきっかけを作る『可能性』が生まれると私は思います。だから難しくても、諦めないで下さい。
(皆さん、済みません。ごく個人的な話になります。)
yurinさん、ありがとうございます。
しかしスタートラインに立つのが遅すぎた感があります。妻は私を分かろうとする事自体に対して強い拒否感を持っています。日常会話はごく普通にできるのに、関係改善とか私の個性の話になると一切の会話を拒否します。私と向かい合った瞬間に、私の強い束縛の力に捕らわれる事を恐れているのだろうと思っています。
この拒否感を無くす(減らす)には、一旦私の束縛から解き放す必要があるのだろうと思いますが、今の妻にとってのそれは“離婚”です。離婚要求を受け入れた上で妻との新しい関係を目指すのであれば、そこには再び理解しあえる『可能性』があります(それも良かろう、一つの答えだろうとやっと思い始めましたが)。
それでも未だ、息子のために、何とか離婚回避の方法を模索していますが、その観点では何も見えて来ません。もう一ヶ月以上も八方ふさがりの中にいます。
既知のもの(自身の断定)にしがみついていると、未知のもの(ブラックボックス・可能性)
には対応できないという事ですね。
それには「断定をを断念する決意」が必要である。そして実行しなければならない。
すべての行為には途中経過という状態がつねであり、常時新しい情報を加えて
断定ではなく、経過として扱う。
と、現時点では頭で理解しています。
しかし実際的行動となると、注意していても感情的に即座に断定が動き出してしまう
場面があり、混乱・誤解の原因になります。
これも途中経過であると思い、断定しないように気をつけようと思っていますが
現実の生活でどのようにすればうまくいくのか頭をかかえてしまう事も多いです。
このような点はどのように修正していけばいいのかなと悩んでいます。
marioさんへ
ここしばらく『自分で決め付けない』というテーマで話をしているのでこの線で続けます。
何事も自分の過去の手持ちデータから『断定』するよりもまず『相手の意図と相談して』から『手持ちデータを更新』してみるようにしてください。
まず奥さんは『本当に』あなたの支配から逃れたいと思っているのでしょうか?それは直接言葉で確かめてみましたか?
人の心は『変化し、また自分では断定することができない』ものです。奥さんからあなたに直接『支配から逃れたい』などと聞くまでは、そう『断定』しないように心がけましょう。
日常会話ができるのならまだ『可能性』はあります。(…と、私は思います。)
それから、結婚も離婚も『双方の同意』がないと成立しないもの、ということも忘れないで下さい。
yurinさん
そうでした。決め付けないように注意しなければ…
しかし、相手の意図が得られない場合にはどうするのが良いでしょうか(理由についてもシャットアウト状態なので)。いや、相手自身、本人の意図が明確ではない気がします。(あ、それを相手の意図以上にこちらが想定するのが『断定』なのか…)
妻は“同意の必要性”を忘れています。誰にも相談せず、私の同意の必要性も考えず、自分1人で出した結論に向けて、自分1人で進もうとしています。
marioさんへ
>。私と向かい合った瞬間に、私の強い束縛の力に捕らわれる事を恐れているのだろうと思っています。
>この拒否感を無くす(減らす)には、一旦私の束縛から解き放す必要があるのだろうと思います
たとえば『共存』しながら、束縛から解き放つ方法は考えられませんか?それの一つの手段が『8、ADHDとの共存』のスレッドに書いた私のコメントにある、『支配をやめ、相手の人間性を尊重する』です。それも一つの『理解』だと考えませんか?
『こうだったらいいのに』のような、期待や希望など不確定な世界はASには不安かもしれません。だけど『不確定とは何なのか?をAS流に分析する』ことは可能ではないかと私は考えます。すぐに一つの答えは出ないかもしれません。だったらそのたび、そのたびに分析すればいつかはわかるのではないかと考えます。これもADHD流『何でもアリ』な理論ですが、私はADHDなので、こういう発想をついしてしまいます。
marioさんへ 3
夫婦について、最近私が考えたことをブログにまとめてみました。
発達障害に元づいた理論ではありませんし、私自身プロの有資格者ではありません。ただひとつの『人生の選択肢としての可能性』のひとつとして書いてあります。名前からリンクしていますので、よかったらみてください。